本町田 菅原神社 参拝[下]愛宕社・藤木稲荷・井手の澤碑・本町田交番。柳のように垂れ下がる梅の木。「伊勢神宮」ではなく「神宮」だと主張する伊勢神宮は傲慢。成果を出した者を評価しない会社。応援能力のない人に応援させる会社。終業時刻より前に帰り支度する男を守るのは労働組合の仕事か?

[第821回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 第57念-3
  本町田 菅原神社 の社殿がある区域の左手(南側)に、少々、地盤が高くなった区域があります。 今はそこも菅原神社の敷地のようですが、社殿や参集殿がある区域とは別の意味合いがある区域か? ・・という感じがあります。
  その入口に、「愛宕神社」と書かれた石の鳥居がある。
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↑ 「お帰りはこちらから」と書かれているのは、相当混雑する時のためのものでしょうか。 そうでない時は、どちらから帰っても大丈夫だと思いますが、せっかくですから、「ピストン方式」で帰るのではなく、「順路」に従って一周してみます。
 「愛宕神社」の鳥居をくぐってすぐ右手に祠があります。↓
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↑  現地に表記はありませんが、「愛宕神社」と書かれた鳥居をくぐってすぐの位置にあり、本町田 菅原神社のホームページの「境内案内」https://www.sugawarajinja.com/walk.html を見ると、これが、境内末社の「愛宕神社」のようです。
  「摂社」と「末社」はどう違うか、これは、「サービスエリア」と「パーキングエリア」はどう違うかと同じく、それほど、はっきりとした定義があるわけではないようです。一般に、けっこう大きいのが摂社で、それほど大きくないのが末社ですが、けっこう大きくても末社と言っていることがあり、あまり大きくなくても摂社と言っている場合があるようです。

  社殿がある区域より左手(南側)の少々地盤が高くなった区域は、本町田 菅原神社HPの「境内案内」https://www.sugawarajinja.com/walk.html では、 「杜・林」「境内林」と表記されています。
《 広い境内の半分ほどは林です。昭和中期の頃までは、杉や松の大木が生い茂り、昼間でも薄暗いほどだったと、総代の方々は口を揃えて語られます。》
  その社殿がある区域に近い場所に、しだれ柳のように枝が垂れ下がる梅の木があります。↓
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  ↑ 梅というのは、紅梅か白梅かの違いだけではなく、枝の張り方で、このように柳のように枝が垂れ下がる梅というのもあるのですね。

  「杜・林」「境内林」の区域で、西寄り、社殿の奥に近い場所に、北条高行軍と足利直義軍が戦ったという「井手の澤」の古戦場跡の石碑があります。↓
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石碑の脇の梅の木の花もきれいです。↑ ↓
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  この「杜・林」「境内林」の区域は、何種類かの樹木が植わっているようで、菅原神社だからといって梅ばかりというわけではありませんが、柳のように枝が垂れ下がった梅の木はなかなかきれいです。 ↓
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  本町田 菅原神社の社殿から遠い方に、もうひとつ、祠があります。↓
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↑  左手に名称が書かれた木の札が立っていますが、「藤木稲荷社」です。
  本町田 菅原神社HPの「境内案内」https://www.sugawarajinja.com/walk.html にも、「菅原神社について」https://www.sugawarajinja.com/history.html の「境内・境外末社」にも、なぜか、藤木稲荷社 は掲載されていません。
「神奈川県人権啓発センター」の「部落差別解消推進シリーズ(1) 本町田 部落とは何か?」https://www.youtube.com/watch?v=tlz7fjFB0us でも、「他から移されてきたらしい」「新しい」と話されていますが、祠の建物だけ見ると新しいのか古いのかわかりませんが、下の石垣のあたりを見ると新しそうに見えます。

  本町田 菅原神社HPの「菅原神社について」https://www.sugawarajinja.com/history.html の「境内・境外末社」に掲載されている 「山王社」を見かけなかったな・・と思ったのですが、《今井地区に鎮座の境外社》と書かれており、別の場所にあるようです。「今井地区」というのは、どのあたりなのでしょうね・・・。

  社殿がある区域から、この「杜・林」「境内林」の区域に入る位置に「愛宕神社」の鳥居があるというのは、かつては、この区域にある摂社・末社は愛宕神社だけだったからかもしれませんね。

  本町田菅原神社HPの「菅原神社について」https://www.sugawarajinja.com/history.html に、
《 享保7年(1722)御本殿が再建され、天明5年(1785)社殿が造られました。
明治35年(1902)国の施策により、千眼天神社、大六天社、七面社、稲荷社、白山社の五社を合祀し、その後も菅公のご神徳と氏子崇敬者の篤い信仰により発展してまいりました。 》と出ていますが、
《 千眼天神社、大六天社、七面社、稲荷社、白山社の五社を合祀》したというのですが、
境内の摂社・末社として見られるのは、愛宕神社、藤木稲荷社、弁天社の3つです。
1932年に合祀したという稲荷社と、「杜、林」「境内林」の区域にある藤木稲荷社は同じなのか別なのか。 別ではないかという感じがするのですが。
  ともかく、千眼天神社、大六天社、七面社、白山社は摂社・末社としての祠は見当たりません。 御本社に合祀されたということでしょうか。

  「第六天神社」「大六天神社」は《 元々は神仏習合の時代に第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたものであるが 》と《ウィキペディアー第六天神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%85%AD%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE には出ている。他の地域にも「大六天神社」は見かけることがあります。 菅原道真を祀る六番目の天神社という意味ではない。
  「白山神社」は石川県と岐阜県の境目にある白山という山を信仰するもので、石川県の白山比咩神社 http://www.shirayama.or.jp/ の系統の神社なのでしょう。

  「千眼天神社」はどうも、よくわからない。

  「七面社」は、《ウィキペディアー七面天女》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E9%9D%A2%E5%A4%A9%E5%A5%B3 に、《 七面大明神(しちめんだいみょうじん)は、七面天女とも呼ばれ日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神。七面天女は当初、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰され、日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった。その本地は、山梨県南巨摩郡早川町にある標高1982mの七面山山頂にある寺(敬慎院)に祀られている神で、吉祥天とも弁財天ともいわれる。・・・》とあるが、これか・・・?

   インターネットで検索すると、「三社合」と鳥居に額がかかっている神社が町田市本町田にあるらしい・・・〔 《三社合 稲荷神社》http://www.mrfujii.jp/walk/heritage/jinja/88sansya.htm 〕 祠の中に3社が祀られているようで、祠の左手前に別に小さい祠があるようだが、その4社のうち、1社は稲荷らしいが、他の3つは何かわからないらしい。

   本町田 菅原神社に1902年、日英同盟が結ばれた年に、「国の施策により」合祀されたという、《千眼天神社、大六天社、七面社、稲荷社、白山社の五社》は、
大六天神社・・・第六天魔王(他化自在天)を祀る、
七面社・・・七面大明神、七面天女を祀る、
白山社・・・白山信仰の社、
稲荷社・・・ダキニテン、ウカノミタマノカミを祀る、
千眼天神社・・・不明
・・という神社であるとして、それはどこに合祀されたのかというと、稲荷社は「杜・林」「境内林」にある藤木稲荷社の可能性はというと、「神奈川県人権啓発センター」の「部落差別解消推進シリーズ(1) 本町田 部落とは何か?」https://www.youtube.com/watch?v=tlz7fjFB0us では、「最近、移された」と話されており、実際、祠の見た目も新しそうですから、1902年に合祀された稲荷社と藤木稲荷社は別の可能性が大きそうに思えます。
  5社とも、菅原道真を祀る御本社に合祀されたということ・・かな・・。

  「神奈川県人権啓発センター」の「部落差別解消推進シリーズ(1) 本町田 部落とは何か?」https://www.youtube.com/watch?v=tlz7fjFB0us では、本町田 菅原神社に白山神社が合祀されていて、「十何年前に合祀された」が「御神体は本町田菅原神社にあるが、神社の社殿自体は残ってた」と話されているのですが、「十何年前」なら、2000年過ぎてからですから、1902年に「国の施策により」本町田の菅原神社に合祀された白山神社とは別・・ということになるでしょうか。
  《関東の部落には高確率で白山神社があります》そうで、《理由は諸説あります》が《一説では弾左衛門の子が天然痘にかかったときに白山神社願掛けしたら直ったからという》そうだ。 弾左衛門 とは、《ウィキペディアー弾左衛門》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%BE%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80 では《 弾左衛門(だんざえもん)は、江戸時代の被差別民であった穢多・非人身分の頭領。穢多頭(えたがしら)。江戸幕府から関八州(水戸藩、喜連川藩、日光神領などを除く)・伊豆全域、及び甲斐都留郡・駿河駿東郡・陸奥白川郡・三河設楽郡の一部の被差別民を統轄する権限を与えられ、触頭と称して全国の穢多非人に号令を下す権限をも与えられた。「穢多頭」は幕府側の呼称で、みずからは代々長吏頭(ちょうりがしら)矢野弾左衛門と称したまた、浅草を本拠としたため「浅草弾左衛門」とも呼ばれた。》らしい・・・が、《関東の部落には高確率で白山神社があります》としても、逆に、白山神社があるから「部落」ということでもないでしょう。

  「お帰りはこちらから。 出口」という方向に進んでくると、石段を下りることになり、降りて行くと、交番の脇にでます。↓
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↑ 「おんな坂」と書かれています。 一般に、「女坂」という名称がついている「坂」がある場合、「男坂」もあって、「男坂」に比べると「女坂」の方が勾配が緩やかだったり、段数が少なかったりすることが多いと思いますが、ここの場合は、「女坂」はあっても「男坂」と書かれたものは見当たりませんが、おそらく、赤い鳥居をくぐって低地を進んだ先の拝殿の正面に登る坂を「男坂」と想定して、それに対して「女坂」というつもりではないかと思います・・・が、ここの場合、私は下りで利用しましたが、それほど緩やかでもなく、段数も少なくありません。・・まあ、普通に考えて、登って降りるわけですから、登りと同じだけ下ることになるわけで、それほど大きくは差は出ないのかもしれません。

  「本町田 菅原神社」と書かれています。 ここでいただいた御朱印には単に「菅原神社」と書かれていましたので、「正式名称」は「菅原神社」なのでしょうけれども、菅原神社という名前の神社は全国にいくつもありますから、他と区別するためには「本町田 菅原神社」とでも言わないと紛らわしい。 地元から外に出ない人にとっては「菅原神社」と言えばここということかもしれませんが、きょーび、「地元から一切出ない人」というのは少ないでしょうし、他からわざわざやってくる””菅原神社フェチ”” だっているわけですし、そういうのは私くらいかと思ったら、「神奈川県人権啓発センター」作成者もはるばる本町田までやってきているようですし、特に変な名前で呼ばれるのなら、その呼び方はやめてくださいと言っていいでしょうけれども、「本町田 菅原神社」で悪くはないと思います。
   伊勢神宮は「『伊勢神宮』は正しい名称ではない。『神宮』が正しい名称だ」などと言っているらしいけれども、そんなこと言わなくても「伊勢神宮」でいいと思います。 正式名称は「伊勢神宮」ではなく「神宮」だ・・なんて、まるで、落合博満がロッテから中日ドラゴンズに移籍する時に、「他にも『落合』という苗字の選手がいても、自分はあくまでも『落合』だ。他の『落合』という苗字の選手が『落合』以外の登録名を名のればいい」などと言った、まるで「落合みたいや」・・てこと言わなくてもいいと思います。

   落合博満がロッテから中日ドラゴンズに移籍した時、前から中日にいた落合英二投手が「いいですよ。落合博満さんが『落合』で、ぼくの方は『落合英』でも『落合B』でもいいですから」と発言したその言葉には、いくらかの皮肉が含まれていたのではないのか・・と私は思ったのです。だいたい、前からそのチームにいる選手に「落合英」か「落合B」か表記させて自分は単に「落合」だというのは、それは「落合英」か「落合B」かという選手に対して失礼ですね。もし、2人以上、同姓の選手がいて、どちらも苗字と名前の最初の1字を登録名として表記するのならその苗字の選手がチームに1名だけなので苗字だけで表示されているのと同格であり、いいとして、片方の選手が苗字だけで他方の選手が苗字と名前の最初の1字を入れて表記するということなら、名前の1字を入れられた選手の方は、単にその苗字の選手はチームに1人だけなので苗字だけで表記されている選手より下の扱いにされているということになり、何かペナルティーを受けなければならない行為をしたわけでもないのに、ある程度以上貢献してきた選手がなぜそのような扱いを受けなければならないのか、ということになります
  1970年にロッテオリオンズが優勝した年、池辺外野手が日本シリーズではけっこう活躍したのですが、その後、ロッテの監督が金田に変わってからどうもうまくいかなかったみたいで、1976年に阪神タイガースに移籍しましたが、その際、金田がロッテの監督に就任した時に、金田が現役の時につけていた「34」という背番号を、ロッテでは池辺が長くつけてきた番号だったにもかかわらず、それを取り上げたというのが、少々、不満だったらしいというのがスポーツ欄に出ていたのを読みました。 背番号でも、やっぱり、前からつけていた人間が優先ではないか。二軍選手ならともかく、一軍の主力選手がつけている背番号は、監督といえども、取り上げてはいけないのではないのか、監督は現役時代に選手としてつけていた番号が空いていたならそれをつけてもいいけれども、主力選手がつけているのなら、監督としての背番号は他の番号を付けた方がよかったのではないのか・・というように思いますね。もし、選手として成績を残せていない選手が小さい数字の背番号をはく奪されたとしても、成績を残せない自分が悪いのだということでしょうけれども、主力選手として働いているのにずっとつけてきた背番号をはく奪されるということは、ペナルティーを受ける行為をしていないのにペナルティーを受けたようなところがあります。
  1997年、阪神タイガースに「かの有名な」グリーンウェル選手が入団しましたが、7試合のみ出場して帰国してしまったのですが、この前年、阪神の外野手は新庄・桧山・平塚の3人がレギュラーとして出ていましたが、グリーンウェルが来日するということで、前年の新庄・桧山と平塚の3人の中では打率・本塁打・打点とも一番良い成績を残していた平塚選手が控えにされ、「やる気になれない」と不満を口にしたのがスポーツ欄などに出ていました。なんで、3人の中で最も良い成績を残した自分が控えにされなければならないんだ・・ということだったのでしょう。その頃の阪神にとっては、新庄は成績無関係に「客を呼べる選手」であり、桧山も「これからの中心選手」と監督は考えていたのでしょうけれども、レギュラーとして使ってもらえるようにということで努力をして成果を残した者が、なんで、控えにされなければならないんだ・・というのが平塚選手の思いだったのでしょう。
   これと似た経験は会社員として私もあります。1990年代、(株)一条工務店で、福島県いわき市 の営業所にいた時のことです。同社では「営業成績がいい者が条件のいい営業所に行くんでえ」という考え方があったのですが、「努力して成果を出したなら条件の悪い営業所に行かされる」というのはおかしい、「努力して成果を出した人間が条件のいい営業所に行かせてもらえる」というのが正しいはずだという考え方はあるでしょう。ですから、これはまるまる間違いではない・・・としても、まるまる正しいとも言い難い。結局、所長とか「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と称する人たちというのは、条件のいい場所、特別苦労しなくても売れる場所、普通にやっておれば売れる場所(中には「普通に」やらない人もある・・としても)にばっかり配属してきてもらった人であり、「売った」営業ではなく「売らせてもらった」営業じゃないか!・・という面が現実にあった、すべての人がそうだということではないけれども、「売れる」と経営者から言ってもらっていた営業で、実際は「売れる」のではなく常に「売らせてもらってきた」営業というのが実在したはずです。中途入社の場合、同業他社や他業種でも営業の経験がある人がおり、そういう人で比較的良心的な人は言うのです。 「一条工務店の場合は営業所による条件の差が甚だしい」、そして、「一条工務店の場合、最初に配属された営業所がどこかというのが相当大きい」と。最初に配属された営業所が条件のいい営業所(展示場)であったことから、ある程度以上の営業成績が入社1年目に残ると、「売れる営業」と認定されて、その後も条件のいい営業所に配属されることになり、「売らせてもらえる」ことになる。それに対して、最初の1年目に条件の悪い営業所に配属されてしまうと、「売れない営業」と認定されてしまい、その後も条件が悪い営業所に配属されることになり、それをくつがえすのは大変なことだ・・・と、心ある人、虚心な人は言うのでした。 (株)一条工務店の経営者はそういった言葉に耳を傾けるべきです・・・が、聞いてたまるか!・・という姿勢を貫きます。
  ・・さらには、「牛若丸」と言われ、条件のいい営業所に配属されてむしり取るだけむしろとるような営業をやって、又、他の条件がいい営業所に自分を配属させて「牛若丸の八艘飛び」のように条件がいい営業所(展示場)に飛んでいく、又、むしりとるだけむしりとる営業を繰り返してきたと言われていた1990年代は福島県中通り地区の営業所長だった「大澄社長の腰巾着」と従業員の間で言われていた片山(男。1990年代当時、40代)が主張して実行したと言われていた、営業成績が上がらない営業は、西日本の営業なら青森県とか、東日本の営業なら九州とか山口県とかの営業所に転勤させる・・ということをやったのですが、こういう転勤は「人事権の濫用」と評価されるべきものと考えられますし、そもそも、片山は単なる「営業」ではなく「営業所長」ならば、自分がどれだけ売ったと自慢するのではなく、「売れない営業」にどうすれば売れるか指導して「売れる営業」にしてあげればいいと思うのですが、それが所長の仕事と違うのか? 時分が営業所長になっている地域で「売れない営業」がいるのに、自分がどれだけ売ったという自慢をするのは、それは所長の態度と違うのではないのか? プロ野球選手で、野村のじいさんが1970年から1978年まで南海ホークスで選手兼任監督をやったほか、選手兼任監督をした人間が何人かいましたが、他の選手の成績が悪くてチームの成績も悪くても、選手兼任監督の選手としての成績が良ければ自慢しまくり・・・なんて、そんな監督ありまっか??? 野村のじいさんが昨年2月11日に他界して一周忌を過ぎたが、野村のじいさんがどこかで書いていたが、南海ホークスで野村がまだ選手専任だった時、試合に負けた後、バスの中で、ある選手がその選手は何本もヒットを打ったということではしゃぎまくっていたということがあり、野村は「うるさ~い! 静かにしろお!」と怒鳴りつけた・・というのだが、片山は「うるさ~い! 静かにしろお!」と怒鳴りつけられた方が本人のためだったのではないか、と思われます。そもそも、営業担当としての自分の営業成績が良ければ自分が所長になっている地域の他の営業の営業成績が悪くても自分は優秀だなどという主張をするような男は所長と違います。そんな人は、最後まで「一線の営業」をやった方が似合っています。
  (株)一条工務店の総務部長の天野雅弘が「所長は売るのが仕事であって、指導したり管理したりするのは所長の仕事と違います」と言い、「所長は指導したり管理したりする必要はありません」と発言していたことから、「所長」なのに、単なる「営業」として自分がどれだけ売ったどお~お!・・と、中にはひとの契約横取りとかして契約とったようなものも含めて、指導力や管理能力を評価されるのではなく、単なる「営業」としての営業成績で評価されてきた営業所長が全国にいたのです。しかし、その人たちというのは本当に「売れる営業」なのかというと疑問もあるのです。「売れる営業所」にばかり自分を配属させてきた人たちであり、戸建住宅建築業の営業の能力は、「条件がいい営業所でドカンと契約を取る能力」と「条件が悪い営業所でも負けるもんかあと契約を取る能力」は別の能力なのです。ですから、営業成績はいい方がいいか悪い方がいいかというと、いい方がいいのですが、片方で、「条件がいい営業所にばかり配属してもらって売ってきた人」というのは、「売れる営業」ではなく「売らせてもらってきた営業」だという面もあるのです。 その片山が主張して実行したという、「人事権の濫用」と思われる「転勤」によって、「地方」の営業所に転勤した人が「売れた」という事態が発生したようです。当たり前ですね。条件が悪い営業所で苦戦していた人間に対して、条件がいい営業所で「売らせてもらった」営業である「営業所長」が、「なんだ、おまえ、売れねえのかあ」と言って嫌がらせの「転勤」をさせたとしても、その結果、それまでいた場所よりも条件がいい営業所に転勤した結果になり、転勤先ではそれまでよりもいい営業成績を残す結果になることはありうることですし、又、一般的には条件は同じでも、その人には転勤した先の方が合っていたという場合もありえます転勤する前にいた営業所では「売れない営業」だった人が転勤して行った先で「売れる営業」になったなら、会社としては喜ばしいこと、大いに喜んでいいことのはずです。そうでしょ。違いますか? ・・ところがどっこい、(株)一条工務店には心の狭い人間が相当いたのです。それはけしからん!・・・と福島県中通り地区の「所長」で「大澄社長の腰巾着」と言われていた片山が怒ったというのです。なんで、「けしからん」のですか? 営業成績があがっていなかった人が転勤していい営業成績を残すようになったなら、大変喜ばしいことと違うのですか?
  これは「聞いた話」ですが、おそらく、ほぼその通りでしょう。「売れない営業」を転勤させて、その結果、転勤した先で売れたというのはいかん、「売れない営業」は転勤先でも「売れない」ようにしてやらないといけない・・と主張したというのです。この片山という男、許せませんね。私が経営者ならば、こういうアホを「腰巾着」になどしません・・・が、それを「腰巾着」にしたがる人間症候群が(株)一条工務店の初代社長の大澄賢二郎だったようです。 それで、1996年前半、福島県中通り地区の「所長」だった片山が主張したそうですが、各地域ごとに意図的に「売れない営業所」を1つずつ作ろうということを(株)一条工務店はやったのです。アホちゃうか?・・・と思いませんか?  普通、会社の経営者というものは「売れない営業所」をいかにして「売れる営業所」に変えるか、どうしても「売れない営業所」ならば「どうしても売れない営業所」は廃止して、かわりに「売れる場所」に新たに「売れる営業所」を作って移転させるといったことを考えるもので、それが経営者の仕事のはずです。ところが、(株)一条工務店は自分だけ売れればいいという思想の男の片山の主張を入れて、各地域ごとに意図的に「売れない営業所」を作ろうということをやったのです。それで、福島県浜通り地区は、私が在籍していた福島県いわき市平尼子町のJTいわきハウジングパーク内の和風の展示場が「意図的に売れなくする展示場」と浜通り地区ではなく中通り地区の所長の片山に指定されてしまったのです。人を馬鹿にするのもたいがいにしてはどうでしょうか。その時点で、浜通り地区には、いわき市に4展示場と原町市(現 南相馬市)に1展示場がありましたが、私が在籍した展示場は最も条件が悪いと言われていたのです。その条件が悪い展示場を、なんとか、いくれかなりとも条件が良くしようと私は相当の努力をしてきたのです。それを片山という「腰巾着」のアホウは土足で踏みにじる行為をおこなったのです。私は、中通り地区で片山が契約だけした上で「和風の展示場がいわき市の平尼子町のJTいわきハウジングパークにありますから、行って見てきてください」と言って送り込んできた契約客の接客・応対を相当やってあげた人間でしたが、片山は一度として「ありがとう」なり「どうも、すいません」と言ったことがない。片山は社会人としての礼儀に反する人間であり、「戸建住宅建築業の営業としての仁義に反する男」「戸建住宅建築業の営業としてのマナー違反の男」です。 今まで自分が相当世話になってきた相手が在籍している展示場を、その展示場の営業が、もともと条件が悪い展示場なのに、それを良くしようと相当の努力をしてきて、その結果、ある程度は契約実績をあげてきたのであるのに、そこを「意図的に売れない展示場にしよう」とは、それはいったい何事だ!?!
  ・・もとより、片山などは、一線の営業としてどうかはともかく、もともと管理者は無理な人です。そういう「管理者は無理な人」を営業所長にならせるから、だから、こういう問題が発生してくるのです。片山は「福島県中通り地区の営業」でしかない人間であり、「所長」とは言っても、相撲の横綱・大関・関脇・・というのは役職名がついていても、土俵の上でやることは平幕となんら変わるものではないのと同じく、「福島県中通り地区の所長」というのは「売るのが仕事であって、指導したり管理したりするのは所長の仕事とは違います」と総務部長の天野雅弘が明言していたのですから、片山は「仕事と違う」ことに口出すべきではないのです。「 売る」能力があると評価していいのかどうか疑問なところもあるとしても、ある程度以上の契約棟数が記録されているということは、一線の営業としては「まったくだめということはない」としても、「売れていない営業」を「売れる営業」に変える能力は最初から欠落している人間であり、「売れていない営業」を売れるようにする努力など最初からする意志はない人間であり、「管理したり指導したりするのは仕事とは違う」人ですから、「仕事とは違う」ことに口出すのは越権行為のはずなのです。営業本部長の天野隆夫と初代社長の大澄賢二郎は片山に「余計なこと、口出すな」と注意するべきであったはずなのです
  それまで、条件が悪い展示場を、努力していくらかなりとも条件がいい展示場にしようと努力してきたその展示場の人間の努力を土足で踏みにじるような行為というのは、経営者はやってはならないことのはずです・・・が、それをやるのが(株)一条工務店でした。
  そして・・。 (株)一条工務店は1992年に私が入社する前、応募した時に見た「ビーイング」の求人募集には「研修制度が充実していますので、売れなくて困ることは絶対にありません」「売れて売れて困っています。あなたがいればもっと売れます」と書いてあったはずなのですが、ところが、入社してみるとそうではない。「研修制度が充実しています」などというものはまったくない。事実と正反対だった。やっぱり、入社してすぐの時期というものは、ある程度以上経験がある人に指導してもらって、ある程度以上、軌道に乗るようになってから、自分自身の判断でやっていくようにしないと、新人にいきなり、売ってこ~い・・といっても厳しい。1992年に私が(株)一条工務店の東京都江東区潮見の東京展示場に入社した時、ある程度以上経験があったのは「リーダー」の宮崎さん(男。当時、30代前半)一人だけで、他は新人ばっかりで最大で13人も有望見込客が少ない展示場に押し込められた。どうも、(株)一条工務店という会社は、条件がいい展示場8来場する有望見込客が多い展示場)には配属する営業の数を少なくして、条件が悪い展示場(来場する有望見込客が少ない展示場)には配属する営業の数を多くするという傾向があった、どう考えても逆をやる会社だったのですが、私が入社してすぐの時期、指導してくれる人が欲しい時期に、指導してくれる人はいなかった。「リーダー」の宮崎さんは「きけば嫌がらずに教えてくれる人」だったけれども、本人が言うには「ぼくは、そんなにたいした営業じゃない」ということで、それほどものすごい経験があるわけでもなく、それなのに、片方で「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と称していた人間どもは自分さえ売ればいいとして、新人をそれほどくっつけられずにおり、「たいした営業じゃない」と言う宮崎さんが新人ばっかり十人以上もくっつけられていたのでした。
   それから何年か後、ふと気づくと私は(株)一条工務店の営業の中では「真ん中より古い方」になり、福島県中通り地区の営業の中でも「真ん中より古い方」になり、通算契約棟数で見ても「真ん中より上の方」になり、過去3年間の契約棟数で見ても・前年契約棟数で見ても、全国の営業の中で「真ん中より上」で福島県浜通り地区の営業の中で見ても「真ん中より上」になった。そして、私自身が所属していた いわき市平尼子町の和風の展示場に所属している営業の中では一番の営業成績を残している営業になった。その頃になると、新人を指導してあげてくれと言われれば、「どんなにしてでも売れるようにする」とかいうことはできないとしても、「少なくとも、いくらかなりとも役に立つことは言える」「協力することで、協力しないよりは契約につながる可能性を大きくすることはできる」ようになった・・と思う。
   ところが、そうなると、(株)一条工務店のオーナー経営者一族は、私に新人や私より経験が浅い人を指導させたくないらしかった。・・なんなの、いったい・・・( 一一)  ・・ひとつには、条件の悪い展示場にばっかり配属されてきて、そこでな~んとか売ろうという努力をしてきた私のような人間は、「一条オリジナル」「浜松流」ではない手法を身に着けている、それだけ「浜松流」「一条オリジナル」よりも「引出しがが多い」。 要するに、「一条オリジナル」「浜松流」をやっていたのでは売れないのだから、売れる方法を考えないといけない・・ということで、それを考えて見につけてきた、あるいは、「一条オリジナル」「浜松流」でないやり方で売っていた人を見てそれを盗んで身に着けてきたわけであり、その能力というのは、「一条オリジナル」「浜松流」総本舗からすると面白くない・・・ということがあったようだ。 だから、「一条オリジナル」「浜松流」しか能力がない人、「売れる展示場」ならばある程度売れるが、「売れない展示場」に行くと売れない人、だから、「売れる展示場」に常に経営者から配属してもらえる人・・を「指導する役」につけたかった・・ということがあったようだ。要するに、「努力して苦労して売った人」ではなく「売らせてもらった人」に親近感を覚えるらしかった。
   戸建住宅建築業の営業は、「指導する人」と「指導される人」と「自分自身で判断して営業する人で、指導する側でも指導される側でもどちらでもない人」と3分類が正しい・・と思う。ところが、(株)一条工務店は、1990年代半ば過ぎから、「応援者」と「被応援者」に営業社員を2分類してしまった。そうなると、「応援者」の能力がない人が「応援者」になることがあり、「応援」なんてしてもらわなくていい、「応援」なんてされたくないという人が「被応援者」にされてしまうことになってしまうのです。 それで、最初、浜松の本社の係の人間が、過去しばらくの営業成績を見て判断して「応援者」と「被応援者」に2分して決めた時、私は「応援者」になりました。その時点で過去しばらくの営業成績と在籍年数から判断するならば妥当だったはずです。 ところが、その後、過去しばらくの営業成績から本社の係の人間が判断して「応援者」と「被応援者」に2分するのではなく、過去の営業成績などと無関係に誰かがきまぐれで「応援者」と「被応援者」に2分するという制度に変更されてしまい、その結果、一時は「応援者」になっていた私は、過去3年間の営業成績で見ても・前年の営業成績で見ても、私よりも条件がいい展示場にいたか私と同じ展示場にいたかで、それでいて契約棟数は私の半分未満の人を「応援者」にされて、私は「被応援者」にされてしまい私の半分も契約とっていない人に「応援」されなければならないと会社から命令されてしまったのです。これはやりにくい。これは、実にやりにくい。実際問題として営業妨害です。 「私の半分も契約とっていない人」というのは、やっぱり、見ていると、お客さんに変なこと言ったりするのです。そういう人をわざわざ有望見込客と会わさないといけないのです
  阪神タイガースの平塚選手が、自分の方が新庄・桧山よりも打率も本塁打も打点も上なのに、なんで自分が控えにされなければならないんだ・・と言ったという気持はわかります。ロッテオリオンズの池辺選手が自分は主力選手として実績を残してきたのに、なんで、背番号をはく奪されなければならないんだと思った気持ちもわかります。中日の落合英二投手は、投手としてある程度以上の成績を残してきたのに、落合博満が「落合博」で落合英二が「落合英」ならいいけれども、なんで落合博満が「落合」で自分は「落合英」にされなければならないんだ・・と言いたいが言えなかったらしく、それゆえ、「いいですよ。ぼくの方は『落合英』でも『落合B』でもいいですから」という言い方で「皮肉」を言ったのかどうか、少なくとも私なら皮肉の一言でも言ってやりたいところですが、そういう気持になったのはわかります。苦労して努力して、同じ営業所のあるベテランの営業の倍を超える契約棟数を獲得してきたのに、なんで、過去3年間の契約棟数で見ても前年契約棟数で見ても、私の半分未満しか契約とっていない人に「応援者」になられて私が私の半分も契約とっていない人に「応援」されなければならないんだ!?! ・・私は(株)一条工務店で我慢と遠慮ばっかりしてきたけれども、こういう時は、むしろ、言ってやった方が良かったのかもしれません。「ベンチがアホやから、野球ができん!」と。
社長よあなたがお辞めなさい―変身できないあなたこそ会社のガンだ! - 精治, 安達
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  「応援者」「被応援者」だけではないのです。私が福島県いわき市の営業所にいた5年間の間で、浜通り地区内で個々の移動と別に、全体をシャッフルするような移動が2回あったのです。ところが、私一人だけが、最初から最後まで、いわき地区でずばぬけて一番条件が悪いといわき地区の営業誰もが認めていた展示場にずうう~っとおらされたのです。これは、いくらなんでもひどいじゃないか。私は「慶應大学商学部卒の人」として採用され入社したはずでしたので、だから、「慶應大学商学部卒の人として入社」したからには、条件がいい営業所も条件が悪い営業所も経験した方がいいと思っていましたし、「慶應大学商学部卒の人として入社」したからには、だから、努力しなくても昇進させてもらえるのではなく、だから、「高卒や五流大学卒の人間がしないような努力をして、苦労をして、我慢をするものだ」と考えてそれを実行してきたはずなのです。よく、最終学歴が高卒の人のことを「叩きあげ」なんて言う人がいますがそれは嘘です。むしろ、私の方が「叩きあげ」です。私の方が「高卒の従業員がやらないような苦労をし、高卒の従業員が追わないような負担を負い、高卒の従業員がやらないような努力をし、高卒の従業員がやらないような我慢をしてきたのです。
  ですから、一時的に条件が悪い展示場に配属されてもそれはかまわない。しかし、いくらなんでも、全体をシャッフルする移動を2回もおこなっていて、誰もがその都度、いわき市内の展示場で動いているのに、私一人だけがずうう~っと一番条件が悪いとされる場所に居続けさせられるというのは、いったいそれは何なんだ?!? 私は入社以来、雨にも負けず風にも負けず、只管、会社のために滅私奉公を続けてきたのに、なんで、そんな扱いを受けなければないんだ?!?・・・と思い、福島県浜通り地区の所長の草野さんにそれを言ったのです。
  すると、草野さんは「ここの展示場は、来場者数も少ないし、和風の展示場で和風の展示場というのは、木にうるさかったり、家相にこだわる人とかが多くて、新人ではきびしい展示場なので、経験と実力がある人にいてもらわないといけないんだ」と・・そうおっしゃったのです。ぼけえ~っと聞いてると、なんか、ほめられたような気がしませんか? ・・しかし、そうはイカのキ〇タマだかチ〇チンだか・・。
※ 「そううまくはいかないよ」というのは「イカのチ〇チン」ではなく「イカのキ〇タマ」のようです。
《YAHOO知恵袋 「そうはイカのキンタマ 」と言いますが、何故、イカのキンタマなのですか?》https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q105554135?__ysp=44Gd44GG44Gv44Kk44Kr44Gu44Kt44Oz44K%2F44Oe
  私は言いました。「それなら、草野所長がここに来てくださいよ。所長が一番経験があって実力があるじゃないですか。ここの展示場は新人では厳しい展示場で、実力と経験がある人でないとやっていけないからということなら、所長が一番ここにふさわしいでしょ。わたくし、草野所長ほど実力がある営業はないと心の底から思っており、まことにまことに尊敬しております。わたくしごときがここにいるよりも、所長が来られた方がよっぽどふさわしいでしょ。所長の実力と経験に比べましたら、わたくしごときなんて、ずっとずっとはるかに下じゃないですか。今すぐ、入れ替わりましょうよ。所長、ここに来てくださいよ。私、所長がおられる所に今すぐ行きますから」と。すると、草野所長はこうおっしゃった。「営業成績の上がってるものが条件のいい営業所に行くんでえ~え」と。それで、私は言いました。「なるほど、この地域では、草野所長が一番優秀な営業成績を納めておられます。それは事実です。決して私はそれを否定しようなどとは思いません。しかし、私だって、この地域の営業の中で最も営業成績が悪いわけではないはずです。前年契約棟数で見ても・過去3年間の契約棟数で見ても・通算契約棟数で見ても、少なくとも、真ん中よりは間違いなく上のはずなのです。なんで、その私が一番条件が悪いこの展示場にずうう~っとおらされないといけないのですか? 私がここにおらされないといけない理由はありませんでしょ」と。そうすると、またもや、「ここの展示場は、来場者数も少ないし、和風の展示場で和風の展示場というのは、木にうるさかったり、家相にこだわる人とかが多くて、新人ではきびしい展示場なので、経験と実力がある人にいてもらわないといけないんだ」・・・と。それに対して⇒「それなら、草野所長がここに来てくださいよ。所長が一番経験があって実力があるじゃないですか。わたくし、草野所長ほど実力がある営業はないと心の底から思っており、まことにまことに尊敬しております。わたくしごときがここにいるよりも、所長が来られた方がよっぽどふさわしいでしょ。所長の実力と経験に比べましたら、わたくしごときなんて、ずっとずっとはるかに下じゃないですか。今すぐ、入れ替わりましょうよ。所長、ここに来てくださいよ。私、所長がおられる所に今すぐ行きますから」⇒「営業成績の上がってるものが条件のいい営業所に行くんでえ~え」⇒「なるほど、この地域では、草野所長が一番優秀な営業成績を納めておられます。それは事実です。決して私はそれを否定しようなどとは思いません。しかし、私だって、この地域の営業の中で最も営業成績が悪いわけではないはずです。前年契約棟数で見ても・過去3年間の契約棟数で見ても・通算契約棟数で見ても、少なくとも、真ん中よりは間違いなく上のはずなのです。なんで、その私が一番条件が悪いこの展示場にずうう~っとおらされないといけないのですか? 私がここにおらされないといけない理由はありませんでしょ」⇒「ここの展示場は、来場者数も少ないし、和風の展示場で和風の展示場というのは、木にうるさかったり、家相にこだわる人とかが多くて、新人ではきびしい展示場なので、経験と実力がある人にいてもらわないといけないんだ」⇒・・・・と、はてしなく、繰り返し・・・。 なに、これ・・・( 一一)
  だいたい、私が入社して1年目・2年目、「ここの展示用は新人では厳しいから」ということで新人でも売れるような条件のいい展示場に配属してもらったか?・・というと、ちっともそんなことしてもらっていないのです。そういう厳しい所にばっかり配属されてきて、その条件で条件が比較的いい所の営業に負けないだけの営業成績を残したのだから、今度は、一度くらい比較的条件がいい場所に勤務させてもらったっていいでしょう・・ということを私は言っているのじゃないですか。(株)一条工務店では「営業成績を残した人間が条件がいい展示場に配属してもらえるんだ」という考え方があったのですが、その考え方を適用するなら、私はいわき地区で最も条件が悪い展示場に5年間もずううう~っとおらされるというのはどう考えても不当なのです。
   私は、いわき地区の4展示場の中では最も条件が悪い展示場に配属されて、それでも、他の展示場の営業に劣らない営業成績を残したのです。そして、私のいた展示場で「応援者」にされた人の倍以上の契約を獲得したのですが、入社直後には「応援」なんてしてもらえなかったのに、「(株)一条工務店の営業の中では古い方」「いわき地区の営業の中でも古い方」になってから私の半分も契約とっていない人を「応援者」にされて、半分未満の人に「応援」されろと、「(株)一条工務店の営業の中では古い方」になってから指示されてしまったのです。その上で、福島県白河市の会場で営業社員の研修があった際に、研修の議長なのか指導役なのかで来た九州の方の所長の木田さんが最後に、「被応援者になっている人は、応援者になっている人を見習って、これからは応援者になれるように努力してください」と、そう発言したのです。おそらく、木田さんがそう言いたかったのではなく、そう言えと指示されて白河まで来たのでしょうけれども、その発言は聞き捨てならん発言です。私は、私の半分も契約とっていない人を「応援者」にされて、その人の倍以上は契約取っているのに「被応援者」にされ「足手まとい」をつけられて営業妨害されてきたのです。それで、「被応援者になっている人は、応援者になっている人を見習って、これからは応援者になれるように努力してください」とは、いったいどういうことなんだ?!? 「応援者」になっている人の倍以上ではだめで、3倍以上の契約を取れということなのか? それとも、「応援者になっている人を見習って」その人と同程度の契約棟数になるように契約を減らせということなのか? 
  ・・・(株)一条工務店では、こういうことは何度も何度もいっぱいありました。よくもまあ、あんな会社で11年余りも滅私奉公を続けたものだ・・と思います。 他にもいっぱいこういうことはありましたが、列挙ではなく例示でも、相当の分量になりますので、ここではこの程度にしておいて、それらは別の機会にちびちびと述べることにします。
  小堀住研(株)に1980年代の終わりに入社した時にも「なんだ、これは?!?」ということはありました。小堀住研(株)は昔から・・というとどのくらい昔からかというと、私の親が小堀住研(株)で在来木造の戸建住宅を建てて竣工した1969年の前、1968年に打合せなどやっていたはずですが、その頃から、「小堀住研は大卒しか採らない会社なんですう」と言いまくっていたのです。うちの親なんて、信じやすい人間ですから、そのまんま、そうなのだろうと思っていたようです。ですから、私はそういう会社なのだろう・・と思っていたのです。1980年代の終わりに入社した時にも、新卒社員の研修で、JR「大阪」駅の南側、目の前の場所にあった本社での全体の研修においても、講師役の従業員が「小堀住研は昔から『大卒しか採らない会社』としてやってきました」と話したのです。さらに、兵庫県芦屋市の施設における営業社員の合宿研修においても、講師役の従業員が「住宅建築業の会社でも、たとえば、ミサワホームなんかの営業は高卒の人が多くて、ミサワホームは『高卒の営業の会社』ですが、小堀住研の営業は『大卒の営業』で、小堀住研は『大卒の営業の会社』です。小堀住研とミサワホームとでは営業という職種の社会的位置づけが違います。営業は営業でも、小堀の営業とミサワの営業では営業が違います」と話したものでした。たしか、会社案内にだったと思うのですが、「採用実績校」としては「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったか、そのような感じで採用実績校が掲載されてきた記憶があります。「東大・京大以外の十大国立大学」から1校・「地方国立大学」から1校・関関同立から2校・関関同立のすぐ下あたりの関西系私立大学から1校・・という内容だったと記憶しています。ですから、私はそういう会社のそういうコースで採用されたと思っていたのです。ところが、入社してみると、新卒社員研修の時には、女性社員で短大卒の人がいましたが、そういう人は職種も違う職種でしたので、そういうコースで入社した人なのだろうと思いましたが、「営業系」(営業・人事・総務・経理など)と「技術系」(設計・工事・工務・アフターサービスなど)に分かれて募集されていて、「営業系」(営業・人事・総務・経理など)は「応募資格」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で、「技術系」(設計・工事・工務・アフターサービスなど)は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」というのが応募条件として大学に貼りだされていた求人票に明記されていたはずだったのです。ですから、当然のことながら、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というコースに採用されて入社したはずである・・・と認識していたのです。ところが、研修が終わり、各支店に配属されてみると、なじかは知らねど、高卒の人がいるのです。なんで???
  これは、大学新卒で入社した人間は、ほどんどの人間が不満・不平を口にしていたのです。「なんで、高卒の人間がそこにいるんだ?!?」と。 そして、「しかも、高卒の人間がえらそうにしている」と。
  もうひとつ、問題があって、もしも、「大卒」の人間と「高卒」の人間を両方を採用して同じ仕事をさせて、「同じ処遇にする」ということであるならば、大卒1年目と高卒5年目、大卒2年目と高卒6年目が同じでないとおかしいでしょ。ところが、小堀住研(株)の高卒の人というのは、高卒1年目が大卒1年目と同じ処遇であるかのような態度を取っていて、けっこうえらそうにしていたのです。そうなると、「大卒」で入った人間はおもしろくないわけです。「『大卒しかとらない会社』のはずなのに、なんで、あいつ、いるんだ!?!」と、はっきりと不満を口にする人は何人もありました。・・しかし、まさか、「大卒しか採らない会社なんですう」と言いまくって、実際には大卒の人間と高卒の人間を採用して、高卒1年目と大卒1年目を同じ扱いにする会社なんて、この日本にないだろう・・と思ったら、そうでもなかったようなのです。人事部長の高田などは自分自身が高卒なので、高卒1年目を大卒1年目と同じ扱いにしたかったようです。・・というよりも、なんで、人事部長に高卒の人間がなっているのだろうか?  人事部長というのは、4年制大学の法学部で労働法・会社法などを学んできた者か、経済学部・商学部で労働経済学などをまなんできた者か、商学部・経営学部で労務管理論などを学んできた者か、文学部心理学科・教育学部教育心理学科などで心理学・教育心理学などを学んできた者かが就く仕事・役職と違うのか? なんで、見ただけでも高卒の見ただけでも「私はアホです」と顔に書いてある高田が人事部長になっていたのか?・・・というと、おそらく、「一族」だったのでしょうけれども、2代目社長の中島昭午が高卒だということは、これは『会社四季報』(東洋経済新報社)・『会社情報』(日本経済新聞社)・『役員四季報』(東洋経済新報社)・『有価証券報告書』などにはっきりと「最終学歴:長浜北高校卒」と明記されていましたから知っていましたが、2代目社長は初代社長の親戚(「甥っ子」と言っていたが、実際は「メカケの子」説・「メカケの娘の婿」説があってどっちかだったようだが)なので「社長は特別」で、これはパナソニックで松下幸之助が小学校しか出ていない人だったとしても、松下幸之助は特別だったのと同じことであって、2代目社長の中島昭午が高卒であっても「大卒しか採らない会社」における例外なのだろう・・と思い込んでいたら、人事部長の高田も高卒であるだけではなく、他にも高卒の人が相当いたようだったのだ。 「『大卒しか採らない会社』のはずなのに、なんで、高卒の人間がそこにいるんだ!?!」と大学新卒で入社した人間は多くの人間が怒っていたのです。そのうち、1989年7月に、「底辺の高校卒」の渡邊士直が千葉支店の支店長にならせてもらって来たのです・・が、なんで、「大卒しか採らない会社」のはずなのに「底辺の高校卒の渡邊士直」がそこにいるんだ???  なんで、「採用実績校は、神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」の「昔から大卒しか採らない会社」なのに、「底辺の高校卒の渡邊士直」がそこにいるんだ??? どう考えてもおかしいではないか!
  松戸営業課の課長の石井は「小堀住研(株)は会社が急に大きくなったから、だから、今、支店長になっているような人は『小さい会社の支店長』になる人なのに、新卒入社で入ってくる人は『大きい会社に入社する人』が入ってきているから、だから、問題が出るんだ。渡邊(士直)さんなんかはあくまで『小さい会社の支店長』になる人であって『大きい会社の支店長になる人』じゃないのだけれども、ところが、千葉支店には『大きい会社に勤める人』が入社してきているから、そこで問題がでる」と言っていたのですが、それも違うように思います。なぜなら、私の親が大阪府で小堀住研(株)で家を建てた1968年~1969年にかけて、すでに小堀住研(株)は「小堀住研(株)は昔から『大卒しか採らない会社』なんです」と言いまくっていたのであり、それよりずっと後での入社の渡邊士直が、なんで、「底辺の高校卒」なのに入社してるんだ?!? どう考えてもおかしいではないか。・・もっとも、うちの親は信じやすい人間なので、人が「どこそこ大学出てますう」と言えばそのまんま信じるところがあったが、世の中には「京都の大学卒」を「京都大学卒」みたいなニュアンスで言う人、「神戸の大学卒」を「神戸大学卒」みたいに言う人というのがけっこういるわけで、私なんかは、そういうしょーもないおっさんを大量に見てきたので、「またか」と思うようなケースでうちの親はしょーもないヨタ話を心の底から信じたようなケースがあったのではないかとは思いますが。それにしても、「底辺の高校卒」の「歩く痴漢人間」の渡邊士直が入社したのは「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社なんですう」と言いまくっていた時点よりずう~っと後のはずですから、だから、「小堀住研(株)は会社が急に大きくなったから、だから、今、支店長になっているような人は『小さい会社の支店長』になる人なのに、新卒入社で入ってくる人は『大きい会社に入社する人』が入ってきているから、だから、問題が出るんだ。渡邊(士直)さんなんかはあくまで『小さい会社の支店長』になる人であって『大きい会社の支店長になる人』じゃないのだけれども、ところが、千葉支店には『大きい会社に勤める人』が入社してきているから、そこで問題がでる」という説はありそうな感じがする人もいるかもしれないけれども、それは違うでしょう。
  そのうち、「底辺の高校卒の渡邊士直」は私に「この俺は支店長様なんじゃあ。俺は支店長であって、中島社長から、いつでも、好きな時に好きなだけ、おまえに土下座させる権利というものを認められとるんじゃあ! 俺は支店長様なんじゃあ、支店長である以上、いつでもどこでも好きな時に好きなだけおまえに土下座させる権利があるんじゃあ!」とそう言ったのですが、何度も大声で言ったのですが、私は「底辺の高校卒」の人間の中でも質が悪い「痴漢人間の渡邊士直」に「いつでも、好きな時に好きなだけ、土下座させる権利」などというものを、中島昭午に認めた覚えはありません。 もとより、私は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というコースに入社したはずであり、渡邊士直のような「底辺の高校卒の痴漢人間の人」のコースに応募したのでもなければ入社したのでもないのです。こういうことは、やっぱり、会社として、「不当な処遇」と言うべきもので、会社としてきっちりと対処しないといけないはずです。 まず、どうも、小堀住研(株)の「高卒の人」は、高卒1年目は大卒1年目と同じ扱いにしてもらう権利があるみたいに思っていたようで、そのあたりで、「大学新卒」で入った人間と意識に違いがあったようです。「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」もしくは「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」というコースに応募して入社した人間とは、そのあたりで小堀住研(株)の「高卒の人」とでは意識に違いがあったようです。
  又、もうひとつ、小堀住研(株)では「銀行から出向できた人」という「特権階級」か「上級社員」みたいに思っているらしい人間がおり、それらの人はそのままその銀行にいた場合よりもずっと高い役職をもらって小堀住研(株)に来ていたのであり、なんで、こいつら、そんなに高い役職をもらってるんだ?!? という人間がいた、それも「ちびっと」ではなく相当いた、のです。そのあたりも、「銀行から出向できた人」というのは、「人材が不足しているから来ているんです」などとえらそうな口をきいていたのですが、実際は「銀行から出向できた人」というのは、どう考えても「人材が不足しているから来ている」などと言えるような「人材」ではない人間だらけだったのです。
   慶應大学の商学部の先生で「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者ばかりの会社」に勤めるよりも、それより下の会社に勤めた方が、経験を積める場があり、実力を発揮する場があっていい・・と言う人があり、そういうこともあるのか・・と思って、「採用実績校は、神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」の会社の小堀住研(株)に入社した時、そういうこともあると考えれば悪くないかもしれない・・と思ったのですが、ところが、入社して配属されてみると、「神戸大学」卒の人間なんていったいどこにいてんねん? 「新潟大学」卒の人間て、新卒入社の「営業系」二十何人かの中に1人いただけやんけ! 「同志社大学・関西大学・甲南大学」て、そんなもん、めったにおらんがな・・・、なんじゃ、この会社は??? ・・・という会社だった。 ・・で、「底辺の高校卒の渡邊士直」に、私はなんで「この俺は支店長様なんじゃあ。俺は支店長であって、中島社長から、いつでも、好きな時に好きなだけ、おまえに土下座させる権利というものを認められとるんじゃあ!」などと、なんで、その程度の低いのにそういう口をきかれなければならないんだ?!? まず、誰が誰に対してであれ、「いつでも、好きな時に好きなだけ土下座させる権利」などというものは、ありません! むしろ、支店長という役職は、そういったことを言ったりやったりする人がおれば「そのようなことをやってもらっては困ります」と注意してやめさせるのが仕事であり、「この俺は支店長様なんじゃあ。俺は支店長であって、中島社長から、いつでも、好きな時に好きなだけ、おまえに土下座させる権利というものを認められとるんじゃあ!」などと発言するような男を支店長にならせるべきではありません。会社というものは、やっぱり、うちの会社のこういう職種はこういう条件の人を採用しますと言ったなら、その条件を著しくはずれる渡邊士直のような人は採用してはならないはずなのです。そうでないと、「大卒しか採らない会社」「採用実績校:神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」の会社でなくなってしまいます・・が、実際、小堀住研(株)は、そうでなくなりかけていたのです。
  もしも、同じ苗字の選手が2人いて、「落合博」と「落合英」とどちらも苗字と名前の最初の1字での表記なら、その表記にされても悪くないでしょうし、もしも、二軍で実績を残せていない選手ならば背番号をはく奪されて別の番号にされても文句は言えないでしょうけれども、一軍の主力選手として実績を残してきたのに背番号をはく奪されるということは、どうしてなんだ・・ということになる。「大卒しか採らない会社」「採用実績校:神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」に入社したはずなのに、「高卒の人間」がそこにいるだけでなく、「底辺の高校卒の痴漢人間」から「この俺は支店長様なんじゃあ。俺は支店長であって、中島社長から、いつでも、好きな時に好きなだけ、おまえに土下座させる権利というものを認められとるんじゃあ!」などという口をきかれなければならないんだ??? 会社は渡邊士直のようなそういった口をきく人間、そういう態度を取る人間に、「そのようなことはやめてください」と注意してやめさせないといけない。そうでなければ、「保護義務違反」ということになる、又、代表取締役の中島昭午は「職務怠慢」もしくは「無能」もしくはその両方ということになる
   なんで、その「底辺の高校卒の男」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の能力もないのに、そこにいるんだ? なんで、その「底辺の高校卒の痴漢人間の男」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の能力などかけらもないのに、支店長などという役職につかせてもらっているんだ??? 「落合博」がいての「落合英」ならいいけれども、「落合」がいての「落合英」の扱いであれば、「普通の人間より下」の扱いであり、「底辺の高校卒の痴漢人間」より下の扱いにされるのと同じく、そういう扱いにされるというのは不当ではないか?!?
  「本町田の菅原神社」や「南大谷の天神社」は、正式名称は「菅原神社」「天神社」らしいが、それでは、全国に「菅原神社」「天神社」は他にもいっぱいあって、地元でない人間にはわかりにくい。だから、「本町田の菅原神社」は、正式名称は今も「菅原神社」としながらも、「女坂」の方の入り口には「本町田 菅原神社」と表記している。「伊勢神宮」もまた、自分のところでは「神宮」と地元で言ってきたと言いたいのはかまわないが、「伊勢神宮」ではないと頑固に主張するのならそれは傲慢である。「俺は『落合博』ではなく『落合』だ。他の落合が『落合英』と名乗れ」と言っているようなものだ。
  日本の神社というものは、本来は一つだったのではなく、それぞれに異なる祭神があり、同じ祭神の神社でも微妙に異なる場合があった。 伊勢神宮の内宮は、もともとは日本の神社の総元締めではなかったが、明治維新の後、明治維新政府が国民の精神を支配するために、伊勢神宮の内宮を日本の神社の総元締めみたいにしてしまったのだ。そこから、「『伊勢神宮』ではない。『神宮』だ」などという傲慢な主張がでてきたのだ。戦後、戦前戦中のそういった考え方は撤廃されたはずだったのだが、今もって、「反動」「復古」の主張をする人がおり、そういう人は、伊勢神宮内宮とは祭神が明らかに異なる神社にまで、伊勢神宮の傲慢な姿勢を押しつけようとする。 伊勢神宮が「伊勢神宮」と呼んでほしくないのなら、「伊勢の神宮」でもいいが、神社業者の中で幅をきかせるのならまだしも、一般国民にまで「『伊勢神宮』ではない。『神宮』と呼べ」などと言われても、「ああ、そうですか」とでも言うしかない。
  伊勢神宮の外宮と内宮は、小学校の修学旅行の時に一度行ったことがある。もう一回くらいは行ってみたいが、伊勢神宮の傲慢な態度を考えると、「もう一回くらい」で十分で、それ以上は行きたくない。伊勢神宮の場合は、相当いいタニマチがついていることだろうから、訪問した場合も、賽銭は入れなくていいか、ほんの少額で十分だろう。
  「俺様は三冠王の落合だあ。チームの成績に貢献しない、3回目に三冠王を獲得した年などはチームにとって大事な開幕ダッシュの時期は不振で、チームの順位が確定してからボカスカ打ちまくって三冠王とった、野村が1回、三冠王とった時や、王が2回、三冠王とった時、バースが2回、三冠王をとった最初の方の年や、ブーマーが三冠王とった年などとは違って、まったくチームの成績に貢献しない三冠王の落合だあ」と言って他の「落合」に「苗字+名前の最初の1字」を名のらせておのれは単に「落合」を名のりたがる男と同様に、「『伊勢神宮』じゃねえ、『神宮』だあ」とか言う神社て、「なんか、不愉快」な感じがする。しませんか? そう思いませんか?

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↑ この建物、本町田 菅原神社 の敷地の一角にあり、神社と景観を一致させたデザインの建物ですが、交番です。「本町田交番」らしい。 
※ 警視庁町田警察署 本町田交番 https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/about_mpd/shokai/ichiran/kankatsu/machida/koban/10.html
「KOBAN」と書いてありますが、「小判」ではなく「交番」です。
すでに、何度か述べましたが、「こうばん」と読んでほしいのなら、「KOBAN」ではなく、
「KOUBAN」か、もしくは、
  _
「KOBAN」 と表記するべきだと思いませんか。

  周囲の景観と調和するデザインの建物というのは悪くないのですが、しかし、警察署とか交番の場合は、そこが交番だとわかりやすいデザインの建物にしておかないと、交番としての機能として、適切と言えないのではないかとも思うのですが、どうも、最近、デザインにこっているというのは悪いとは言わないけれども、交番とわかりにくいデザインの建物が多いように思います。

  そして、ここの交番も「パトロール中」と掲示されていて無人でした。 ここの警察官が不真面目とかいうことではなく、本当に「パトロール中」だったのかもしれませんが、しかし、実際問題として、無人の交番というのが多いように思います。 もしも、暴漢に襲われた・・・とか、「ストーカー」に襲われたとか、DVにあって追いかけられている・・とかそういう場合、ともかく、誰か人がいる所に行けば、人がいる所なら助けを求められるのではないか・・・という場合、交番に駆け込むよりもコンビニに駆け込んだ方が、「ともかく、誰か人がいる」という面があります。・・・警察官だって、ものすごい強力な暴漢とか、武器をもった相手に常に立ち向かえるというものではないかもしれないし、迷子の相手してもらうのならいいかもしれないけれども暴漢になんて立ち向かえなんて言ってもかわいそう・・て感じのおねーちゃんもいるようですが、それにしても、「コンビニより役に立たない交番」て、それは交番として役に立っていると言えるのか? ・・という疑問が出てきます。せめて、そういう場合に「コンビニよりは役に立つ」ようでないと交番と言えないのではないのか・・・という気が・・しませんか?

  ・・・で、一見しただけだと、神社の敷地内なのか隣接地なのかに建つ建物だけあって、神社の景観に調和するように配慮された建物ではあるのですが、「交番探訪」・・やってるつもりはないのだけれども、いくつかの交番を見てきた上でここも見ると、
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↑ よく見ると、「要塞みたい」ですね。 壁材はけっこう分厚い鉄板でできていますでしょ。「金属の外壁材」と言っても、戸建住宅で使われる「ガルバリウム鋼板」の内側にウレタンを入れた「金属系サイディング」なんてのとは全然違いますね。 ましてや、ホームセンターあたりで売ってる物置の建物の金属壁とは全然違いますし、建築現場の仮設小屋の「金属系サイディング」とも全然違いますね。・・さて、この種の「要塞」は警察が市民を守るための要塞なのか、それとも市民に対しての警察の要塞なのか? そこが問題です。
 ・・うかつにこんな所に連れ込まれたなら、壁を打ち破って脱出しようなんて考えても、まず、人力では打ち破れない。怖いでえ~え。いったん、連れ込まれたが最後、何されるやらわからんからなあ、ほんま、怖いでえ~え・・・・・ほんまあ・・・・・

  こういう要塞みたいな交番の建物を見ると、間違ってもこんな所に泥棒になんて入るものではないて感じがしますが、その割に、何なんか前、警乗と何だったかを盗まれた交番がどこかにありましたよね。 そういうのを見ると、交番もセコム入った方がええのとちゃうか?・・とかいう気持になります。 なりませんか? 無人が多い、無人の時間が長いようやし、セコム入った方がええかもしれんで・・・・(笑)


  今回、「梅の季節」ということで天神・天満・北野・菅原系の神社を訪問したのですが、「本町田の菅原神社」のホームページの「杜のことづて」https://www.sugawarajinja.com/message.html を見ると、秋の紅葉もきれいそうですし、桜の季節もなかなかきれいそうです。「境内案内」https://www.sugawarajinja.com/walk.html の「参道」に《 春は桜のトンネルになります 》と出ており、谷地の部分の参道の所に桜の花が咲くらしい。 4月の半ば頃なのでしょうか、藤もきれいそうですが、藤がどこに植わっていたのかは気づきませんでした。 次回、来れる場合は、次は梅の季節以外の季節に来てみたいものです。

  梅の花については、本町田 菅原神社の東側の都道を北に少し進むと左手(西側)にも、梅の花が見えます。↓
DSC09887.JPG

  本町田 菅原神社の東側の都道は、本町田 菅原神社のすぐ北で二俣に分かれ、左側(西側)が都道18号(鎌倉街道)、右側(東側)が都道3号(鶴川街道)として北に延びます。 今回、行きは東名高速道路「横浜町田」インターチェンジから行きましたので、帰りは別のルート、本町田菅原神社から東に進んで「横浜青葉」インターチェンジから帰ろうと考えたのですが、ガソリンの量が少々不安があった為、都道18号(鎌倉街道)の西側にガソリンスタンドがあることから、都道18号(鎌倉街道)経由で帰ることにしました。
  その都道18号(鎌倉街道)を少し北に行くと、↓
DSC09889.JPG
↑ 「本町田」交差点があります。念のため、お断りしておきますが、決して運転中に写真を撮ったりはしていません。赤信号で停車した間に撮っています。

  本町田 菅原神社から「横浜青葉」インターチェンジまでですが、都道18号(鎌倉街道)を北に進み、「今井谷戸」という交差点、右側に城南信用金庫がある所を右折して道なりに進み、T字路のどんづまりの「金井入口」という交差点を右折し、小田急「鶴川」駅の北のあたりを通り過ぎ、「矢崎橋」「藤の木」という交差点の次、「上麻生」という交差点を右折、小田急の線路を高架で超えて、そのまま、都道12号(横浜麻生線)を道なりに南下、目印として、左に「鉄(くろがね)小学校」、それから「鉄(くろがね)町」交差点、右に市ヶ尾高校、右に青葉消防署、左に青葉区役所を過ぎて、右に青葉警察署がある向うの交差点「市ヶ尾」交差点を右折して国道246号に入り、側道の側で左に行って、さらにそこから左折・左折・左折と3回やると東名高速道路「横浜青葉」インターチェンジに入れます・・・が、ここまで来て油断したのがまずかった。
  ここからは高速道路だから迷うことはない・・と思いきや、左は東名高速道路、右は首都高速道路なんて表示が出ていたのだ。どういうことだ? 東名高速道路でここから西には、「港北」サービスエリア・「横浜町田」インターチェンジを経て西に名古屋方面に進む、東はというと、東京料金所・用賀料金所を経て、そこからは首都高速道路 渋谷線・・ということは、東に行きたい場合は、「首都高速道路」という方に進むべきなのか・・・と思って行ってしまって失敗した。
  そうではなかったのだ。「横浜青葉」インターチェンジからは東名高速道路だけではなく、もうひとつ、首都高速道路 横浜北西線 というほとんどトンネルの道が南に伸びていて、「横浜港北」ジャンクションで第三京浜道路と接続。 さらに南では「生麦」ジャンクションで首都高速道路 横羽線、「大黒」ジャンクションで大黒線と接続していたのだった。
  関西地方においては、阪神高速道路は大阪だけでなく神戸にも通っているのだろう・・と思うが、「首都高速道路」が横浜に通ってるなんてことないだろう・・・なんて思い込んだら、実は「首都高速道路」は「首都高速道路」と言っても道路の分類上は「高速道路」ではないらしいのと同様、「首都高速道路」と言っても「首都」の東京都23区以外も通っていたのだった。 だから、左は「東名高速道路」で右は「首都高速道路」という「横浜青葉」インターチェンジの表示は、左に行くと静岡・名古屋方面で右に行くと用賀・渋谷方面という意味ではなく、静岡・名古屋方面も用賀・渋谷方面も左で、「横浜港北」ジャンクション経由で第三京浜に行くとか首都高速道路の横浜北西線に行くのが右の「首都高速道路」だった。
   それから、↑ の経路で「横浜青葉」インターチェンジまで今回は行ったが、地図を再度見ると、けっこう遠回りだったかもしれない。たとえ、「横浜青葉」インターチェンジ経由で東名高速道路を東に行くにしても、他の経路の方が近かったかもしれない。

   以上、今回は、梅の花咲く季節に、境内で梅の花を見ることができる 東京都町田市原町田の町田天満宮と町田市本町田の「本町田の菅原神社」とに参拝してきました。 「本町田」と「原町田」の違いも、両方の天満宮・菅原神社に訪問したことで、なんとかわかった。古くは「本町田」の方が街だったようだが、後には両方とも開け、電車の駅はJR横浜線も小田急も原町田の方にできたが、今では本町田の方も別に「いなか」ではなくなったようだ。
   市役所も1992~1993年、(株)一条工務店で町田市で建てていただいた方の仕事をした頃にあった場所より北に移ったような気がする。私が全法務労働組合のおっさんから、「あなたのおかげで、私は2分も変えるのが遅れてしまったじゃないですか。2分もですよ、2分も。あなた、この2分をいったいどう~おしてくれるんですか、2分もですよ、2分もお!!!」と言われた町田法務局は今の場所ではなく、小田急の線路より南側にあったはずだ。 よく言うと思う。「あなたのおかげで、私は2分も帰るのが遅くなってしまったじゃないですか、2分もですよ、2分も」とかおっさんは言うのだったが、「何言うとんねん。こっちはまだ、仕事しとるんじゃ。こっちは、ま~だまだ、帰れんのじゃあ。こっちは2分どころか、毎日最低2時間以上はサービス残業やっとるんじゃあ! この親方日の丸野郎めがあ!!!」と言いたいところだった。小泉信三が『共産主義批判の常識』(講談社学術文庫)で、有利な立場にある労働者の給与が高くなったなら、それに合わせて不利な立場にある労働者の給与が上がるということはなく、むしろ、有利な立場の労働者の給与が上がった分だけ不利な立場の労働者の給与は下がることが考えられる・・と述べていたのだが、たしかに、全法務労働組合のおっさんの給与が上がると私ら三流以下企業勤務の労働者の給与は上がるのではなく下がるであろう・・・と、理屈より何よりも「カラダで実感した」。まったく、つくづく、あいつら、よく言うと思う・・・。
   1991年、法務省で私が警備員の仕事をしていた時、法務省で部落解放同盟の人への説明会をおこなったことがあったが、それは「部落」を差別することは解消する努力をしないといけないが、むしろ「旧 部落」に対してあまりにも優遇されすぎて逆差別になっており、それをいくらか是正したいということでの説明会だったようで、最初、その説明会に来た人はずいぶんと怒っていたように見えたが、説明を聞いて帰る時には、そういうこともあるのか、自分たちも考え直さないといけない部分もあるのかもしれないと思ったようで、私は警備員として法務省に行っていたので、どのような説明がされたのかは知らないが、印象としては、説明会に来ていた人たちというのは、そんなに何を言っても話のわからない人たちという感じでもない印象を受けた。インターネット上で見ても、部落解放同盟の人というのは、単に利権をあさっているだけの団体ではないかといった批判もあるようだが・・・、実際のところ、私の印象では、むしろ、全法務労働組合のほうが「専従」の人間を中心として「利権をあさっているだけの団体」ではないのか? ・・・という印象を受けている。そもそも、終業時刻より前に帰り支度をしてオーバー着て帰る準備しているおっさんのそういう態度を守るのが、それが労働者の権利を守るための闘いかというと・・・、違うと思うぞお~お・・・・

  「本町田 菅原神社」HPの「参拝のしおり」https://www.sugawarajinja.com/shiori.html の「御利益について」には、
《 あの神社は厄除けにご利益がある、又ある神社は受験にご利益があるといった言い方をよくします。神様の御神徳のご性格によって、期待されるご利益が決まってくるのも当然でしょう。 けれど神様の御神徳とは限定的なものなのでしょうか。地域の鎮守の性格を考えますと、神社には限定的なご利益のみがあるわけではないのです。長い間その地域の人々に祀られておられる内に、神様も地域の人々の思いや生業を深くご承知になり、人々の多様な思いに応ずる多方面の御神徳をお持ちのはずです。・・・》
と書かれていますが、たしかに、天神・天満・北野・菅原系の神社でも、京都の北野天満宮の場合は「冤罪を晴らす神さま」「怨念を晴らす神」で、「冤罪を晴らす神」「怨念を晴らす神」であるとともに後に「学問の神」で、菅原道真はかつては「商工業者の神」であった時もあり、名前から「天候の神」であった時もあったでしょうけれども、「地域の鎮守」となった神社の場合は、天神・天満・北野・菅原系の神社でも《「地域の鎮守」となった神社》の場合は、それらの「御神徳」に重心があるとしても、「地域の住人とともに歩む全般についての神」という性格も持つと考えるのがふさわしいものでしょう。

  時々、「人を呪わば穴二つ」と言って、怨念を晴らす行為をおこなうとそれは自分に返ってくるといったことを言う人がいます。しかし、「怨念を晴らす」といっても、2通りあります。単に、あの人間がいなければ自分はこれだけの利益があがるのに・・ということで呪うのならば、その呪いが実現することがあったとしても、その呪いが自分に返ってくるという場合はあるかもしれません。しかし、そうではなく、本来、処罰される必要がある人間が処罰されずにいる、本来、罰せられる筋合いはないのに罰せられてそれを回復できずにいる・・という場合に、正しい裁きを求めるというのは、それは正しい裁きを求めた者に「呪いが返る」などということはありえないのです。 映画『マルコム=X』では、警察官に暴行を受けて重傷を負った黒人を守るため、マルコム=Xらとともに警察署の前に並んだブラック=ムスリムの人たちがが、
”We want justice. We want justice. We want justice.・・・” 
と叫ぶ場面があります。正しい裁きを求めて天神・天満・北野・菅原系の神社に祈りをささげたとして、「呪いが自分に返ってくる」などということはありえません。
※ 《ニコニコー映画「Malcolm X (マルコムX)」オープニング》https://www.nicovideo.jp/watch/sm1415576
マルコムX [DVD] - デンゼル・ワシントン, アンジェラ・バセット, スパイク・リー, デンゼル・ワシントン
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権利のための闘争 (岩波文庫) - イェーリング, Jhering,Rudolf Von, 淳一, 村上
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  (2021.2.13.)

☆ 本町田 菅原神社(東京都町田市本町田)
上 赤い鳥居・井手の澤の谷地・弁天社・御本社・牛の絵。https://shinkahousinght.at.webry.info/202102/article_2.html
中 御本社・参集殿・神楽殿。https://shinkahousinght.at.webry.info/202102/article_4.html
下 愛宕社・藤木稲荷・井手の澤古戦場碑。枝が垂れ下がる梅の木。〔今回〕
☆ 町田天満宮(東京都町田市原町田)https://shinkahousinght.at.webry.info/202102/article_1.html

★  冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
東京都 
亀戸天神社(江東区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201301/article_7.html
亀戸天神社 2回目 http://shinkahousinght.at.webry.info/201505/article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 http://shinkahousinght.at.webry.info/201602/article_10.html
中 http://shinkahousinght.at.webry.info/201602/article_11.html
下 http://shinkahousinght.at.webry.info/201602/article_12.html
北野神社(文京区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201303/article_2.html
平河天満宮(千代田区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201210/article_3.html
西向天神社(新宿区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201502/article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201603/article_3.html 
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)http://shinkahousinght.at.webry.info/201312/article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://shinkahousinght.at.webry.info/201807/article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。「やほ」と「やぼ」。「面白い地名」とは? https://shinkahousinght.at.webry.info/201903/article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏。会社にいる『水滸伝』登場人物 https://shinkahousinght.at.webry.info/201903/article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社(市登録有形建造物)、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://shinkahousinght.at.webry.info/201903/article_3.html
4.神楽殿・筆塚。ひとに「親孝行せえよお」と言ってストレス解消する教育勅語主義者https://shinkahousinght.at.webry.info/201903/article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社。建築は構造・機能・デザイン・経済性をともに満たしてこそ https://shinkahousinght.at.webry.info/201903/article_5.html

千葉県
葛飾天満宮(市川市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201301/article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.http://shinkahousinght.at.webry.info/201511/article_1.html
2.http://shinkahousinght.at.webry.info/201511/article_2.html
3.http://shinkahousinght.at.webry.info/201511/article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 http://shinkahousinght.at.webry.info/201608/article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 http://shinkahousinght.at.webry.info/201311/article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201503/article_4.html
白井市河原子の天満宮 http://shinkahousinght.at.webry.info/201303/article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)http://shinkahousinght.at.webry.info/201605/article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)http://shinkahousinght.at.webry.info/201305/article_2.html
(下)http://shinkahousinght.at.webry.info/201305/article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)http://shinkahousinght.at.webry.info/201308/article_1.html 
新町天満宮(千葉市中央区) 
【上】 http://shinkahousinght.at.webry.info/201703/article_6.html
【下】 http://shinkahousinght.at.webry.info/201703/article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://shinkahousinght.at.webry.info/202012/article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://shinkahousinght.at.webry.info/202012/article_2.html
平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://shinkahousinght.at.webry.info/202101/article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。https://shinkahousinght.at.webry.info/202101/article_3.html
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://shinkahousinght.at.webry.info/202101/article_4.html
岩井市部天満神社(南房総市市部)参拝。拝殿・幣殿・本殿の3部形式の社殿。https://shinkahousinght.at.webry.info/202101/article_5.html

神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201303/article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201401/article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)http://shinkahousinght.at.webry.info/201504/article_2.html
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://shinkahousinght.at.webry.info/202003/article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社。気分の悪い古市場交番も健在。「両親が離婚した」者は常に不利ではない、ということも理解できないバカ女。https://shinkahousinght.at.webry.info/202003/article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅。出入の厳重そうな東芝小向工場と管理不十分な(株)一条工務店・(株)日本産業の「いいかげんそう」工場 https://shinkahousinght.at.webry.info/202003/article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。役立たず教師・予備校。医者屋族は特権民族なのか? 子猫を助けられなかった思い出。「武蔵小杉」のマンション山。https://shinkahousinght.at.webry.info/202003/article_17.html

静岡県
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_13.html

愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://shinkahousinght.at.webry.info/201711/article_10.html

岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_7.html
中 http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_8.html
下 http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_2.html
2村山天神 http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_3.html
3村山天神 http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_4.html
4あじめ峡、他 http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201510/article_7.html
日の出天満宮(高山市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_13.html

石川県
金沢神社(金沢市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_1.html
椿原天満宮(金沢市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_2.html
田井菅原神社(金沢市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_3.html

京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_2.html
2 http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_3.html
3  http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_4.html
4  http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_5.html
5  http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201511/article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201608/article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 http://shinkahousinght.at.webry.info/201703/article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 http://shinkahousinght.at.webry.info/201703/article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 http://shinkahousinght.at.webry.info/201703/article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 http://shinkahousinght.at.webry.info/201704/article_1.html

大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_1.html
2.http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_2.html
3.http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_5.html
下 http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。http://shinkahousinght.at.webry.info/201604/article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。http://shinkahousinght.at.webry.info/201604/article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。http://shinkahousinght.at.webry.info/201604/article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲http://shinkahousinght.at.webry.info/201604/article_9.html  
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201405/article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201611/article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 http://shinkahousinght.at.webry.info/201709/article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://shinkahousinght.at.webry.info/201709/article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長http://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へ。「他力」とは http://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社他 http://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション http://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 〔今回〕
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命 https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_11.html 
警察腐敗―警視庁警察官の告発 (講談社プラスアルファ新書) - 黒木 昭雄
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