門戸厄神(もんどやくじん)(兵庫県西宮市)参拝。愛染明王と不動明王が一体となった厄神明王。たとえ階段でも表門から。「子供帝国主義」を懲らしめる子守地蔵。

[第717回]
  鉄道の駅名になっているお寺・神社というのがいくつかある。駅名になっているからには相当の寺・神社であろう・・という気持ちになるが、そうである場合もあればそうでない場合もあるようだ。 千葉県鎌ケ谷市の鎌ヶ谷大仏は新京成電鉄の駅名になっているので、奈良の大仏ほど大きくはないとしても鎌倉の大仏と同じくらいかそれより少し小さいくらいの大仏さんがいらっしゃるのではないか・・と思って訪問する人がけっこうあるようで、鎌ヶ谷大仏の前の道をクルマで通ると、いつも、「ええ~、これえ~え・・・」て顔してるにーちゃん・ねーちゃんを見て・・・、なかなかおもろい。鎌ヶ谷の大仏さんは決して大仏さんが悪いのではないのだが、ちっちゃいのだ、駅名になっているにしては・・・。
  関西の阪急沿線では、宝塚線の石橋以西に、中山・売布(めふ)神社・清荒神がある。「中山」駅のすぐ北に真言宗の中山寺(「中山さん」)があるが、かつては国鉄福知山線「中山寺」駅は各停しか停まらない駅で、しかも、気動車の機関車が列車をガチャコンガチャコンと引っ張る風情があるといえば風情があるが、本数も少なく通勤用には使いにくい路線で、私が小学生の頃、1970年か71年頃、無人駅になり、無人駅と言っても駅員さんはいるのだが路線を運営するための人員であって客に応対するためではなかったようだ。それが、国鉄がJRになると、JR西日本の社長になったなんとかさんが「羊羹の切り方と饅頭の切り方は切り方が違うはずだ。うちの饅頭は餡(黒字路線)が少ない。誰だ、こんな切り方をしたのは」とおっしゃったそうで、それまで黒字路線でなかったものを黒字路線にしてこましたろと考えたようで、福知山線もまた、尼崎から京橋までJR東西線で結び、片町線と福知山線を結ぶとともに、尼崎から東海道線に入る路線も新大阪から高槻あたりまで行くようになり、なにより、安全を無視した高速運転でぶっとばして尼崎で何人もが死亡する事故を起こした。そこまでやって、そして、福知山線をJR宝塚線、東海道本線の大阪から京都までをJR京都線、大阪から神戸までをJR神戸線と命名し、特に、JR宝塚線て、その「宝塚線」て言葉は阪急の路線名だろうが、阪急は宝塚までだから「宝塚線」でいいとしてJRは三田にも篠山口にも行くのに阪急の路線名に合わせた名称にするなんて・・てのをつけて阪急宝塚線・伊丹線の客をぶんどるという、まさに「仁義なき戦い」をおこなったわけだ。それまで、阪急宝塚線は、「宝塚線は神戸線・京都線と違ってカーブが多いからどうしてもスピードが出せないんだ」とか言って、十三―石橋間ノンストップであるにもかかわらずのろのろ運転だった急行が、あっと言う間に高速運転するように変わった。「なんだ、やればできるんじゃないか」・・・。それなら、北大阪急行が千里中央から「新箕面」じゃなくて「箕面萱野」駅まで延伸すれば、箕面線・千里線ももっと改善されるか、高規格化されるか・・というと、北大阪急行は実質阪急の子会社みたいなものだから、北大阪急行が「箕面萱野」駅に延伸すれば、箕面線・千里線は今まで以上に田舎路線化でええんとちゃうのん・・・てなるのかな・・・。箕面線の梅田まで直通の電車なんて逆に本数が大きく減ってるし。で、最近、「中山」駅が「中山観音」駅に駅名を変更した。JRに「中山寺」駅があって、かつてはガチャコンガチャコンと機関車が列車を引っ張っていたローカル福知山線で鉄道ファンには魅力たっぷりでも使いにくい駅だったのが、今や、「仁義なき戦い」によって中山寺駅には快速が停まる!!! すごい! てところだが、実際の中山寺には阪急の「中山」駅の方がすぐ近くでJRの「中山寺」駅は少し離れている・・にもかかわらず、JRの方が「中山寺」駅と「寺」がついていると、なんか、JRの方が最寄駅みたいな感じがしてしまう・・てことに気づくのが遅いと思うが阪急も気づいたのか、「中山」駅を「中山観音」駅に改称した。で、今ではJR福知山線との競争に負けて、かつては、石橋より西は、宝塚行き各停と宝塚行き急行(といっても石橋から西は各停)とが交互に来たのに今では雲雀丘花屋敷行き各停と宝塚行き急行(という石橋から西は各停)とか交互に来る路線になった宝塚線の宝塚よりは、中山観音・売布(めふ)神社・清荒神(きよしこうじん)と寺社の名前が続く。
  豊中市に服部緑地があり、「服部(はっとり)」駅が阪急宝塚線にあるので服部緑地の最寄駅かと思うと、それほど近くもない、曽根駅と服部駅とどっちが近いかいなあ・・てくらい。最近では北大阪急行に「緑地公園」駅ができたので、まちがいなく「緑地公園」駅が服部緑地には一番近い。で、服部駅のすぐ東に服部天神宮がある。何年か前に行った時、巫女さんがとっても魅力的だった・・・なんて言うと不謹慎と怒られるかもしれんが、今はもう彼女はそこにいるかどうか知らんで、たとえ行っても。その服部天神宮というかつて菅原道真が京都から大宰府に流される際に、この付近で足の具合が悪くなってそれがここで治ったというなんかそんなお話のある神社で、それにちなんで、「服部」駅は「服部天神宮」駅に改称された。他にも、京都の嵐山線「松尾」駅は「松尾大社」駅になったらしい。さらに、この2019年10月より、京都線の終点「河原町」駅は「京都河原町」駅になり、大阪の「梅田」駅は「大阪梅田」駅になるようだ。JRが「京都」駅で阪急が単に「河原町」駅とか「四条河原町」駅だと、なんかJRの駅の方が京都の中心地みたいなイメージになってしまうし、もともとは京都では京都駅付近より四条河原町駅付近の方が中心地だったわけで、単に「河原町」駅だとJRとの競争に不利だと考えたということか。ついでに、阪急京都線「烏丸」駅は京都市地下鉄「四条」駅と同じ場所なのに、阪急が南北の烏丸通の名前、京都市地下鉄が東西の四条通りの名前をつけているが、両方合わせて「四条烏丸」にしてはどうだろうか。「西院」は阪急が「さいいん」で京福電鉄が「さい」てのは、あれはそのままの方が面白いけれども。
  北大阪急行が延伸して、千里中央から2駅伸びて、「箕面船場」でいいと私は思ったのだが「箕面船場阪大前」駅という、なんか「あまりにも長い!」駅名の駅(「箕面船場」でいいと思うのだが、もしくは「箕面稲」とか)ができそうだということで、阪大は石橋地区の待兼ワニが出土したと歴史の教科書にも出ている待兼山、イモくさいことこの上ないので「待兼山芋畑」と言われる豊中キャンパス・・と言われると豊中駅が最寄駅みたいに思われそうで、実際は石橋駅と蛍池駅の間にあるのだが、文学部・法学部・経済学部となんだっけのある地区と、千里線「北千里」駅から東の方に散歩がてらに歩いていったあたりにある吹田キャンパス、理系の学部が多くある所と、それに、箕面キャンパスという箕面市の粟生のあたりに大阪外大が移転して、大阪モノレール彩都線のなんとかいう駅の近くだったのが、大阪外大が阪大と合併して大阪大学外国語学部になって、それを箕面船場駅の近くに高層ビルを作って移転させるとかいう計画があるらしく、「箕面船場阪大前」なんて駅ができると、阪大はみんなそこにあるみたいに思われてしまうのとちゃうかと危惧したのかどうかしらんが、2019年10月より「石橋」駅が「石橋阪大前」駅に変るらしい。東急東横線「日吉」駅はよきにつけ悪しきにつけ、慶應慶應した感じの街・・という印象だが、阪大の法学部・経済学部・文学部なんかのある石橋は、阪大も近くにあるが、阪大しかないわけでもなく、それほど「阪大阪大て感じじゃない街」だったのだが、なんで今さら「阪大前」なんてくっつけたがるのか・・とも思うが、そうなるらしい。私らは、石橋は石橋でいいじゃん・・て思うんだけどね。蛍池からだって阪大は近いし。「待兼山芋畑」でもいいけど・・・。
  それで・・・・、阪急今津線の住民のおばさんには、「阪急沿線でも、神戸線が一番上よお~お」とか言いたがるおばさんがいるのだ・・・が、今津線て神戸線かあ~あ・・・神戸線の西宮北口で乗り換える支線の今津線とちゃうんかあ~あ・・・て言いたくなるところもあるが、実際に今津線の駅で降りて歩いて見ると、今津線の西宮北口から北側、かつては宝塚から西宮北口をへて今津までの電車が走っていたが、今は、名称は今津線でも、西宮北口から北に宝塚まで行く今津線と、西宮北口から南に今津まで行く今津線は完全に分かれたようだが、その北側の方の今津線の駅の周囲を歩いてみると、神戸線の西宮北口駅と宝塚線の宝塚駅を結ぶ路線であるものの、雰囲気として宝塚線沿線か神戸線沿線かというと神戸線沿線の雰囲気がある。 言われてみると、仁川もしくは甲東園:関学・門戸厄神:神戸女学院て感じの雰囲気、他にも小林聖心とか仁川学院とかキリスト教系の私立の学校が並ぶ今津線は、十三:公立北野高校・豊中:公立豊中高校・石橋:国立待兼山芋畑阪大の国公立宝塚線とはたしかに雰囲気が違う。(池田:国立大阪教育大学 というのもあったはずだが、ふと気づくと柏原市に引っ越していた。)やっぱり、乗り比べてみると、国公立宝塚線と関学・神戸女学院今津線は雰囲気が違うな・・・。それこそ、「今どきのギャルはあんたなんか相手にしないのよ」とか言われそうな、なにしろ「わしぁ、日陰の月見草」・・・。西宮北口より北側の今津線沿線歩いてるねーちゃんだと、おフランス料理店とかとか入りそうじゃないの、私らが大衆料理店で「半ちゃんラーメン」とか注文してる時に。私らが餃子ライス注文してる時に、北京ダックとかフカヒレとか食いそうな感じするじゃない!   〔私なんかが「のり弁当」食ってる時に、「うな重肝吸い付き」とか食いそう!(笑) !〕 それこそ、私らがロシア民謡を口ずさむときに神戸女学院とかのねーちゃんておシャンソンとか聴きそうな感じ・・・しません?〔⇒《YouTube-【ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка ドゥビヌーシカ) (日本語字幕) 》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8 〕 で、神戸線が宝塚線や京都線より上かどうかは・・、それは、そこに住んでる人がそれがいいと思うのなら別にいいのじゃないか・・・。あえて、「何言うてんねん、なんやかんや言うても、宝塚線の池田まで・京都線の水無瀬までは大阪府やけど、神戸線・今津線は兵庫県やろうが、城崎温泉竜太郎の大好きな城崎温泉と同じ兵庫県やろうが・・・」とか・・・、いっぺんくらい言うたろかとか思わんこともないが、あんまりしょーもないこと言いおうても、あんまり賢い人間のすることでもないだろうから、まあ、やめとこ・・・。

  そのなんというのか、国公立宝塚線とは雰囲気がちょっと違う関学神戸女学院今津線(^^)/にある「門戸厄神」に行ってきました。

(↑ 門戸厄神 松泰山 東光寺)
  今津線というと何で有名かというと、西宮北口駅で神戸線と交差して、ガチャコンガチャコン言いながら神戸線の線路をまたぐのが子供の頃の鉄道好きだった者にはなんともこたえられなかったのですが、それがなくなっちゃった。で、西宮北口駅から北の宝塚行きで最初の駅が「門戸厄神(もんどやくじん)」駅。「もんとやくしん」かと思っていたら、「もんどやくじん」と「と」も「し」も濁点がつくらしい。「門戸厄神」というからには神社かと思うとそうではなくお寺。
※ 門戸厄神 東光寺HPhttps://mondoyakujin.or.jp/
《ウィキペディア―門戸厄神東光寺》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E6%88%B8%E5%8E%84%E7%A5%9E%E6%9D%B1%E5%85%89%E5%AF%BA

  門戸厄神 東光寺HPhttps://mondoyakujin.or.jp/ によると、高野山真言宗 の 別格本山で、正式名称は「松泰山東光寺」らしい。最寄駅は阪急今津線「門戸厄神」駅だが駅の名前になっていても駅からすぐ近くというわけではない。
  今回は、北側から行ったのだが、他の用事で「仁川」「甲東園」と進んだところ、甲東園駅の西のあたりに、「やくじんさんどおり」だかいう表示があったので、最初、門戸厄神駅まで乗って門戸厄神駅から歩くつもりでしたが、甲東園駅から門戸厄神東光寺に行き、帰りは門戸厄神駅から帰りました。
  甲東園駅から西に坂をえっちらおっちら登って行くと関学にたどりつきますが、その坂は上らずに途中で左折して南に行きます。穎川(えがわ)美術館というのが正面あたり(西)に所を左(南)に曲がります。↓
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↑ 穎川美術館てなんじゃらほい・・と思ったが、同美術館HPhttp://www.egawa-mus.or.jp/ を見ると、館内整備のためしばらく休館らしい。《ウィキペディア―穎川美術館》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%B4%E5%B7%9D%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8 によると、《重要文化財を含む美術工芸品等文化財の収集と保存及び公開と調査研究を目的に、実業家・4代頴川徳助(幸福銀行社長)が中心となって1971年に設立、1973年に開館した。2009年より、近接の関西学院大学と連携協力協定を締結している。 》というもので、「穎川」というのは設立者の名前らしい。

  南に進むと山陽新幹線の高架が見えてくる。山陽新幹線は大阪市東淀川区と西淀川区の境目、加島のあたりでぐいっと北に曲がって市街地を避けて通っているが、だから、相当イナカかそうでなくても郊外かを走っているかというとそうでもない。けっこう街中である。↓
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その山陽新幹線の高架をくぐって南に進むと、東に「これかいなあ」て感じのが見える。↓
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実際、その「これかいなあ」↑というのが門戸厄神東光寺だったのだが、しかし、「参道」みたいのが続いているわけでもなく、「普通の道」それもあまり広くない「普通の道」しかないので、もう少し南に進んでみると、門戸厄神へ進むでっかい案内板が見える。↓
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そこを南に向かった場合は右折、西に進むと途中から坂を登ることになり、登っていくと途中右手(北側)に「厄神饅頭」というのを売っている店がある。その前を西に進むと、門戸厄神の入口かいなあという所にたどりつく↓・・のだが・・・・、
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  ↓
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↑ 南門
・・こちらから入ると目の前に不動堂↓・・ありぁ。
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《 不動明王をお祀りしています。不動とは揺るぎない悟りの心のこと、また忿怒の相は、如何なるものでも屈服させ救済しようとする姿を表しています。このお堂で、そえ護摩のお焚き上げを行います。》(東光寺HP 境内案内https://mondoyakujin.or.jp/access/ )
※ 松泰山 東光寺(門戸厄神)HP 境内地図https://mondoyakujin.or.jp/access/
  どうも、こちらは、門戸厄神東光寺(松泰山東光寺)の「表門」ではなく「南門」らしいのだ。もっとも、塀を乗り越えて侵入したわけでもないのだが、やっぱり、神社とかお寺とかは、2回目以降はどこから入ってもいいが、初回の訪問においては、出るのはどちらから出てもいいが、入るのは「正門」「表門」から入るのが基本と私はしている。そもそも、世の中、何が嫌いというて、裏口入学ほど嫌いなもんはおまへん。今となっては何十年か前になってしまったが、1970年代後半、父の親友で医者屋のM川(男。当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住。)が、ドバカ息子を私立金権関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学で入れたと自慢しておったのだ。なんで、自慢するんだあ~あ?・・と私は思った。裏口入学なんてのは、たとえ、やるにしても、恥ずかしそうに・こそっとするもんと違うんかあ~あ? と思ったのだが、M川は違った。「わしなんかは思考が柔軟なもんやから、そやから、うちの息子は関西医大に裏口入学なんや」と言って自慢しておったのだ。それを聞いて、父は「なるほど」「さすがっ!」とか言うて称賛しておった・・・のだが、なんで、「思考が柔軟」なら私立金権関西医大なんてどこの馬の骨かわからん私立医大に裏口入学せんといかんのだあ? そんなに「思考が柔軟」なら、その「思考の柔軟」なところを活かして頭狂大学理科三類でも、狂徒大学医学部でも、さっさと現役で実力で合格して行けばいいことと違うんかあ~あ??? なんで、「思考が柔軟」な人間が裏口入学やて、そんな汚らわしいもん、やらんといかんのやあ~あ??? そう思えへんか?!?
  私はM川に言われたのだ。「わしなんかは、きみなんかと違って思考が柔軟やからうちの息子は裏口入学なんやぞ。どうじゃ、わかったかあ!!!」と。「わかったかあ」と言われてもやなあ、我が家は、たとえ、裏口入学でどこかの大学に行こうと考えたとしても、そもそも、そんな口をきいてくれるコネもなければカネもないわけだ。選択肢としてないのだ、裏口入学なんて。ロシア民謡の「ドビヌーシカ」の津川主一訳の「日本語訳」の方の歌詞に、「イギリス人は利巧だから水や火などを使う。ロシア人は歌を歌う、それは仕事の歌♪」という歌詞があるが、そんなものだ、「医者屋人は~、利巧~だから、裏口入学で私立大に行く♪ 私~らは実力で国立大に入る~♪」て、そんなところだ。〔⇒《YouTube-仕事のうた》https://www.youtube.com/watch?v=6GRUhyhiKjY 〕そもそも、なんで、実力で国立大学に行こうとする者が、患者を薬漬け・検査漬け・毒盛りしたカネで私立金権関西医大なんて汚らわしいところ、反社会的勢力大学関西医大に行くようなやつ・行かすようなやつに自慢されにゃならんのだ!?!? そうだろ。ところが、うちの父親は、「わしなんかは思考が柔軟なもんやから、そやからうちの息子は裏口入学なんじゃ、どうじゃ、わかったかあ!!!」とか言われて、「そうです、そうです。さすがはM川先生。さすがです」とか言うて称賛しとった。うちの父親は、あのおっさん、絶対アホや、ほんま。私はそういう経験をしてきた者なので、だから、裏口から入るのは嫌いなのだ! 世の中、何が嫌いといいうて、裏口入学ほど嫌いなものはない! 裏口入学は人間のすることやおまへん!!! そもそも、M川はこう言っていたのだ。「わしは息子に言うてやりますねん。『おまえが大学に行けたのは、おまえが何か努力したからとは違うねんぞ、このわしがえらいから大学に行かせてもらえてんぞ。心得違いを起こすなよ』と、そない息子に言うたりますねん」と。父はそれを聞いて、「そうです、そうです。すべて、M川先生が偉大やからです」と言って同調していたのだった。そして、私が種々様々な悪質な妨害の結果、東大の試験に落ちたが慶應の試験には通り、ともかくも慶應の商学部に入学したところ、父は言うのだった。「わかっとんねんなあ。おまえが慶應に行けたのは、おまえが何かひとつでも努力したからとは違うねんぞ。わしがえらいからおまえは慶應に行かせてもらえたんであって、おまえは何ひとつ、慶應に行けるような努力なんぞしとらんねんぞ」と・・・。しかし、M川のドバカ息子は、M川が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして儲けたカネで私立金権関西医大に裏口入学したようだが、私は何も慶應大学の試験に裏口で入れてもらったのとは違うのだ。うちの父親は慶應に裏口で息子を入れてもらえるようなコネもカネも持ってないのだ。父はM川から「わしは息子に言うてやりますねん。『おまえが大学に行けたのは、おまえが何か努力したからとは違うねんぞ、このわしがえらいから大学に行かせてもらえてんぞ。心得違いを起こすなよ』と、そない息子に言うたりますねん」という文句を聞いて、「そうや。わしもそない言うたろ」と思ったらしいのだ。それで、私に「わかっとんねんなあ。おまえが慶應に行けたのは、おまえが何かひとつでも努力したからとは違うねんぞ。わしがえらいからおまえは慶應に行かせてもらえたんであって、おまえは何ひとつ、慶應に行けるような努力なんぞしとらんねんぞ」と、私の眼を指で突き刺すようにして何度も何度も言うのだったが、しかし、なんで、裏口で入れてもらったわけでもない私が「わかっとんねんなあ。おまえが慶應に行けたのは、おまえが何かひとつでも努力したからとは違うねんぞ。わしがえらいからおまえは慶應に行かせてもらえたんであって、おまえは何ひとつ、慶應に行けるような努力なんぞしとらんねんぞ」などと言われなければならんのだ!?!? さらに、父は「おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけれどもなあ。おまえはほんまは浪商やねんぞ、浪商。浪商の分際でおまえが北野高校に行かせてもらえたというのは、それはひとえにこのわしがえらいからやねんぞ。おまえは北野高校に行かせてもらえるだけの努力なんぞ、何ひとつとしてやっとらんねんぞ。わかっとんのんか、浪商。この浪商めが、高校行くな、浪商。浪商は高校行くなちゅうんじゃ、この浪商めが。浪商の分際で北野高校に行かせてもらえたのは、すべて、このわしが偉大やからやねんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ、わかっとんのんか、チャンコロ! このチャンコロめが、この浪商!」と毎日毎日言うのだった・・・が、しかし、兵庫県の灘高校出身の人に聞いた話によると、灘高校というのは今では東大などに何人も通る進学校になっているが、私立なので、毎年、「この人は裏口やな」て感じの人がいるらしいのだ。それに対して、北野高校というのは大阪府立、公立であり、裏口入学なんてないのだ。北野高校には裏口入学なんてないし、私は試験に合格して入れてもらったのであって裏口で入れてもらったのではない。そもそも、父に公立の高校に裏口で息子を入れてもらおうと画策するような才覚なんて、あのおっさんにあるわけないのだ。よく言ってくれると思うが、それにしても、裏口入学を自慢する医者屋のM川のおかげでえらい迷惑であるし、だいたい、M川のドバカ息子が私立金権関西医大に裏口入学させてもらえたのは、M川が「えらいから」ではなく、M川に薬漬け・検査漬け・毒盛りされたかわいそうな「患者」のおかげである。「心得違いを起こすなよ」と言われなければならないのはM川のドバカ息子ではなくM川の方であろう!!!
  父は「わしはおまえとは違って、ほんまは慶應やねんぞ、ほんまは慶應」と言うのだった。私は「ほんまは」慶應ではなく、「おまえはほんまは浪商じゃ、この浪商めが、チャンコロっ! このロスケめが、産まれなければよかったのに産まれおってからに、ロスケ・イタコ、このチャンコロっ!」と言うのだった。父は「わしは同志社大学という立派な立派な大学を出てます。あんたとは違います」と言うておったはずで、それを聞いて、同志社大学というのは程度の低い大学なんだなあ・・と思ったものだったが、おっさん、いつから宗旨替えしたんや、いつから慶應になったんや・・・というと、私が慶應大学に入学してしまった時からだ。大王製紙の二代目社長は北野高校から東大に行こうとして合格できずに慶應大に行ったが、息子には何としても東大に行かせたいと思い、たしか筑波大付属駒場高校から東大に進学したらしい・・が、その三代目がカジノで会社のカネをつぎこんで特別背任罪に問われることになった・・て、東大出てもアホやんけ!!!・・・てとこだが、その大王製紙の二代目のように、自分が行きたいと思っていけなかった大学に息子にはなんとしても行かせてやりたいという気持ちになる父親というものも世の中にはあるわけだが、そうではなく、息子に「自分より上の大学に行かれるとおもしろくない」と考える父親というのもいるようなのだ。私の父親はどうもそれだったようだ。だから、私の大学受験においては、種々様々、ずいぶんと悪質な妨害を加えたものだった。それで、東大に合格することはできなかった・・・が、それでも、慶應には通ったが、父としてはおもしろくなかったようだ。だから、「わしはおまえとは違ってほんまは慶應やねんぞ、ほんまはあ」と言い出したようだ。その「ほんまは」というのは何なんだというと、「わしかて、家が貧乏やなかったら慶應を受けさせてもらって慶應に間違いなく行きました」と父は言うのだった・・・が、母が言うには「あの人、慶應に行きたかったというのは知ってるけど、受けさせてもらえなかったのじゃなくて、受けたけど落ちたんでしょうが。落ちたから行けなかったんでしょうが」・・・ということだった。世の中、落ちたから行けなかったくせしやがってからに「家が貧乏やったから受けさせてもらえんかってえ~ん」とか言うおっさんというのはゴマンといるのだけれども、普通、そういうのはよその息子に言うものであって、自分の息子には、むしろ、よそのおっさんのそういうヨタ話を「おまえ、あんな話、本気にすんなよ」と言って教えるものと違うのか・・と思うのだが、うちの父親はそうではなく、自分の息子にそういう嘘を言う男だった。そういうおっさんやった。
  「おまえは浪商じゃ」というのはどこから出てきたかというと、私は「人格が浪商」「民族が浪商」なのだそうだ。父は「人格が慶應」で「民族が慶應」「慶應の民族」なのだそうだ。たしかに、「慶應タイプの女たらしになりたいなりたいなりたい・・と思いつつなれないやつ・」てのが慶應の学生にはけっこういるのだが、そういうのに似ているような感じがしないでもない。たしかに、父は「人格が慶應」である。私なんかは、結局、慶應大学を卒業させてもらったけれども、あんまり「慶應タイプ」ではないし、「どこの大学を出てられるんですかあ」ときかれて正直に答えても、「あんまり、慶應て感じしませんね」と言われることが多いのに対し、うちの父親なんかは、慶應でてないけれども、自分で「わしは民族が慶應やねんぞお。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。浪商のおまえとは違うねんぞ、この浪商め、この浪商!」と言うだけあって、いかにも「慶應の民族」て感じがする。ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』には「精神の貴族」「精神の賤民」という言葉が出てくる。人間は精神的に貴い存在になるべきで、精神的に賤しい人間を相手にするべきではないということを言っているのだが、これは、茶道において、茶道というのは「隠者」がおこなうもので、隠者とは権力もなければ財力もないが、精神的にはけだかい存在で、権力もなければ財力もないが精神的には決して賤しくない者である「隠者」がその条件のもとで最大のもてなしをおこなおうとするのが、それが本来の「茶道」であり、それをおこなう場が「茶室」である・・ということであったはずで、「有閑階級の暇潰し」みたいになっている今の茶道はちょっと本来のものとは違うのだが、ニーチェの言う「精神の貴族」というのはその本来の「茶道」の考え方と共通するものがあるのではないかと思う・・・のだが、その「精神の貴族」といった『ツァラトゥストラはこう語った』の中の用語をもしかすると利用した表現かと思うのだが、父は「精神の慶應」「民族の慶應」で私は「精神の浪商」で「民族が浪商」らしいのだ。父は「精神の慶應」であるとともに「精神のドイツ人」だそうで父は「ドイツ人でアメリカ人」だそうで、私は「チャンコロの民族の人間」だそうだ。父が崇拝する医者屋のM川先生もまた「ドイツ人の民族」「ドイツ人でアメリカ人の民族」だそうだ。父は私の眼を指で突き刺すように指さして何度も何度も繰り返し繰り返し言うのだった。「おまえはチャンコロの民族の人間として神さまはお造りになった人間やねんぞ、おまえは。それに対して、わしいとかM川先生とかは神さまがドイツ人の民族としてお造りになった人間やねんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、浪商! おまえはチャンコロで浪商やねんぞ。おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんが、たとえ、北野高校に行ってもおまえは浪商やねんぞ、浪商。このチャンコロめが、産まれなければ良かったのに産まれおってからに、このチャンコロッ!” わしとM川先生はドイツ人でアメリカ人の民族、即ち、常に人に命令をして常に人に号令をかけて常に人を服従させなければならない民族なんじゃ。それに対して、お~ま~え~は~あ、チャンコロの民族であって、常に人から命令をされて常に人から号令をかけられて常に人に服従するのがそれがおまえが神さまから命じられた人生であって、神さまがお決めになった定めやねんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、浪商! チャンコロの分際で慶應に行きおってからにチャンコロ! 浪商の分際で北野高校に行きよってからに、浪商!」と私の眼とか鼻とかを指で突き刺すようにして毎日毎日言うのだった。毎日毎日そう言われ続けて、そして、「ドイツ人」と「アメリカ人」と慶應が嫌いになった。裏口入学は最初から自分には関係ないと思っていたが、私立金権医大に裏口で行くような人間は私とは関係ないと思っていたのだが「関係ない」という認識は間違いで、私立金権医大に裏口入学で行くようなやつ・息子を行かそうとするやつというのは、自分が裏口入学するだけではなく正規に入学試験を受けて国立大学に行こうとする人間を妨害するので、そういう人間は「関係ない」ではなく、実力で国立大学に行こうとする者にとったは敵であり、妨害してくる存在なのだということがよくわかった。私はそこでひとつ学んだ。・・それで、お寺でも神社でも、出る時はどこから出てもいいし、一度訪問したなら二度目以降はどこから入ってもいいとして、初回の訪問は「正門」「表門」から入るというのを私はポリシーにしてきたのだ。やっぱり、大学もお寺も「裏口」から入るよりも「正門」「表門」から入る方が王道だと思う。東大の本郷の場合は、伊藤忠太設計という「正門」と元加賀前田家の門だったという「赤門」が並んでいて、赤門の方が正規の門みたいな感じがしないでもないから、「正門」から入っても「赤門」から入ってもいいかもしれない・・し、慶應の場合は昔から「門のない大学」と言って、日吉には門はなかったように思うので、そのへんはあんまり厳格に考えなくてもいいかもしれないが、ともかく、私は裏口入学は嫌いだ! 裏口入学なんかするくらいなら、「ID野球 弱者の戦術」でも「ドラゴン桜式受験術」でも使ってでも合格最低点を上回る点数を取って入るべきだ!!! ・・・ということで、厄神堂や本堂である薬師堂に参拝するより前に「表門」にまわり、「表門」から改めて入ることにした。裏口入学は嫌いだ!!!

   こちらこそが、松泰山 東光寺(門戸厄神)の「表門」↓
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↑ 《阪神淡路大震災で全壊し再建されました。》(門戸厄神 東光寺HP 境内案内https://mondoyakujin.or.jp/access/ )
そういえば、阪神淡路大震災の時、水道のタンクが傾いてひっくり返りそうになっている写真が写真週刊誌などに出ていたのは、この少し北の仁川の山側でしたね。

  表門を中に入ると、その正面に「中楼門」↓
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↑ 「厄神明王」と書かれたでっかい提灯がぶら下がっている。
  そして、中楼門をくぐった正面にあるのが、厄神堂↓
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↑ けっこう、最近、気に入っている「額縁撮り」。 門から撮影対象までの距離がそれほどなく、撮影対象を正面から全体を写すことが困難な場合、門を額縁としてその内側に対象を撮る撮法(^^)/
  松泰山東光寺の本堂は薬師堂らしいのだが、「門戸厄神」と言うように、やっぱり厄神堂の方が訪問者にはどうしても関心がある。中楼門をくぐった正面に厄神堂がある。
  厄神堂で祀られているのはどういう神さん・仏さんなのだろうか? 厄神と言っても、福の神の逆で厄を呼ぶ神というわけでもないだろう。厄除けの神さんだろうか? 栃木県佐野市の佐野厄除け大師(春日丘山 惣宗寺)で祀られているのは元三大師(がんざんだいし)。《ウィキペディア―関東三大師》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E4%B8%89%E5%A4%A7%E5%B8%AB によると、
西新井大師(総持寺)・川崎大師(平間寺)など「関東厄除け三大師」で祀られるのは⇒弘法大師で、この2寺は真言宗。
佐野厄除け大師(春日丘山惣宗寺)・川越大師(喜多院)など「関東の三大師」で祀られるのが⇒元三大師で、この2寺は天台宗。
関東地方で厄除けというと、佐野厄除け大師などの元三大師(がんざんだいし)か西新井大師・川崎大師などの弘法大師かだが、それなら兵庫県西宮市の門戸厄神(松泰山東光寺)はというと、高野山真言宗だが、そのいずれでもないようだ。
《 日本三躰の厄神明王をお祀りしています。このお堂で一年間祈願者の厄除け開運諸願成就のご祈祷を行っています。》(門戸厄神 東光寺HP 境内案内https://mondoyakujin.or.jp/access/ ) とある。 「日本三躯の厄神明王」とは何者なのか・・・というと、829年、嵯峨天皇が厄年に愛染明王と不動明王が一体化し諸々の災厄を打ち払う霊威を夢に見たのを弘法大師が明王像に刻んだもので、高野山麓「天野明神」に国家安康、山城男山に皇室安泰、摂津門戸に庶民守護として祀られたが門戸厄神のみ現存するというものらしい。
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↑ 「大黒堂・愛染堂」の前から見た厄神堂。

   中楼門の正面(西)に厄神堂があり、中楼門から右前方に薬師堂↓があって、薬師堂が松泰山 東光寺の本堂らしい。
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「西国薬師霊場第二十番」「摂津国八十八箇所第七十六番」札所 という。

   厄神堂の左手(南側)に、「大黒堂・愛染堂」↓がある。
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↑ 「日本三躯の厄神明王」は、愛染明王と不動明王が一体となって厄を打ち払う霊威を示したものということですが、厄神堂の左(南)のお堂は愛染明王と不動明王ではなく、愛染明王と大黒天が祀られているようで、不動明王は中楼門より下の不動堂(護摩堂)で祀られている。
「西国愛染十七霊場第ニ番」札所
本堂は薬師堂らしいが、やっぱり、門戸厄神としては厄神堂の方が配置から考えても中心みたいな感じ。

  厄神堂と薬師堂の間を入っていくと、稲荷社↓がある。
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稲荷社の前を左(南)に進むと、厄神堂の後ろの位置に↓
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↑ 厄神堂の「奥の院」らしい。
  その左(南)は、顔で判断すると不動明王ということか・・・。↓
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  厄神堂の左に「大黒堂・愛染堂」があり、さらに左(南)に大師堂↓
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弘法大師 空海を祀る。
 
  「大黒堂・愛染堂」の背後の森林には「景観樹林保護地区 西宮市」と看板が出ている。↓
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↑ 「風致地区」とか「美観地区」とかと違って聞きなれない用語と思ったが、どうも、西宮市が独自に設定しているようだ。西宮市HPの「自然保護地区・生物保護地区・景観樹林保護地区・保護樹木」https://www.nishi.or.jp/kotsu/kankyo/seibutsutayosei/hogo/index.html を見ると、
《 市街地又はその周辺の景観の優れた樹林の所在する地域であって、良好な自然環境の確保と市街地における美観風致を維持するため保全することが必要な地区を指定対象としており、西宮神社林等26地区(市有地3ヶ所、民有地23ヶ所)を指定しています。保護地区指定総面積は約16haとなっています。》と書かれている。
  もっとも、この位置から見ると、この背後は「景観樹林保護地区」として相当広い範囲で保護されてそうな印象を受けるのだが、地図を見るとそうでもないようで、門戸厄神 松泰山 東光寺のすぐ背後には関学の聖和キャンパスができているらしい。

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↑ 「大黒堂・愛染堂」の前付近から見た中楼門の内側・薬師堂など。

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↑ 瓦には、三つ葉葵の紋と菊の紋(徳川家と皇室 ということなのでしょう)が入っている。建物の扉など、三つ葉葵の紋が入っているものが多いが、徳川家が支援してきたということなのでしょう。

  薬師堂の東側の寺務所で御朱印はいただけます。その東のあたりからの眺望がいい。↓
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  中楼門の下(西)のあたりに「子守地蔵」↓。
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↑ 私などは、高校生の時、ある英語の先生が「女性のことが気になるようになったら、もう伸びないね。I という字を見ると立っている姿が思い浮かび、Lという字を見ると座っている姿が思い浮かぶという、そんな状態になったら、もうだめ」とか言われたことがあったが、自分でもそんな感じに思っていたが、あんまり、そういうことを考えない方がいいのではないかとむしろ、その後、思うようになった。むしろ、もっと、自然体というのかであった方が高校および大学入試の学習にも良かったのではないかと思うようになった。そんな考えをしていて、そして、大学生の立場になると、父は言い出したのだ。「よもや、わしに無断で女とつきあうような甘ったれた真似はしとらんやろうなあ」と。さらに、「もしも、女とつきあいたいと思うたら、つきあう前にわしの所に女を連れてきて、この女とつきおうてもよろしいかあとわしにお伺いを立てなさい。そしたら、わしいが、『ええ~』とか『あかん~』とか言うて決めたるわあ」と言うので、「決めて要りませんけど」と言ったのだが、父は「何を甘ったれたこと言うとるんじゃ、チャンコロっ! 世の中はやなあ、わしとかM川先生とか常にひとのことを決めるべき民族と、あんたあのように常に自分のことをひとに決められるべき民族とに、天の神さまはこの世の人間を分けてお造りになっておるんや。神さまに逆らってはならぬぞチャンコロ! わかっとんのんか、チャンコロ!」と言うのだった。父は「あんたはやなあ、結婚しようと思うなら、まず、つきあう前にやで、ええか、つきあう前にこのわしの所に女を連れてこい。そんで、わしに、『この女とつきおうてもよろしいですかあ』とお伺いをたてなさい。もしくは、あらかじめ、わしの所にわしのおめがねにかなうような女を何人か用意して連れてこい。そしてら、謙虚なこのわしがその中からその中でもどいつが一番わしのおめがねにかなうか見て、『こいつにせえ』言うて決めたるわ。その中にええのんがおらんかったら、『みんな、あか~ん』言うたるから、そしたらあんたがまた何人か女を用意して連れてこい。そんで、その中にもまたええのんがおらんかったら、また、『みんな、あか~ん』言うたるから、また、おまえが女を何人か用意せえ。そうするか、もしくは、M川先生に託宣を出してもろうて、『この女と結婚せえ』いうて決めてもろうたらええ。それがあんたにとっての幸せちゅうもんや。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、わかっとんのんか、わかっとんのんか、チャンコロ」と毎日のように言うのだったが、「決めて要りません」「けっこうです」と言っても、「何を甘ったれとるんじゃ、チャンコロ。M川先生は普通の人間とは違うねんぞ、おまえなんかとは違うねんぞ。いわば、神さまやねんぞ、M川先生は。わかっとんのんか、おまえは、このチャンコロっ! 神さまのおっしゃることを決して決して軽んじてはならんぞ。わかっとんのんかチャンコロっ!」と毎日毎日言うので、そんなことばっかり言われているうちに、なんか、お嫁さんなんか要らんわあ・・・と思うようになってしまった。
※ 「託宣」とは・・
《 神仏習合が進むとともに、奈良時代に神仏習合神として八幡神が現われ、平安初期に、都を鎮護する神として平安京南郊の石清水(いわしみず)に祀られました。八幡神は、もともと九州の宇佐地方の神で、鉱産、鍛冶の神とされ、事あるごとに託宣が下りました。大仏建立にあたっては、八幡神が鋳造をたすけたとされ、仏教を外護する善神として国家の崇敬を受けるようになりました。宇佐の八幡神は、戦争や皇位の継承についても託宣を下し、政治に大きな影響を及ぼしました。道鏡が皇位につこうとして、宇佐八幡の託宣があったと偽った事件は広く知られています。・・・》
( 村上重良『日本の宗教』1981.3.20.岩波ジュニア新書)
《 ちなみに、八幡神社の境内にある由緒書などを読むと、祭神に「誉田別命」と書かれている。また「大帯姫命(おおたらしひめのみこと)」とあるのは神功皇后――応神天皇の母――のことで、さらに「比売大神(ひめのおおかみ)」とあるのは宇佐に天降った三柱の女神だということになっている。
  これら三種の神様が八幡神社の基本的な祭神だが、ところによっては、応神天皇の父である仲哀天皇や、祖父である日本武尊(やまとたけるのみこと)を併祀している八幡神社もある。
  応神天皇は熊襲や隼人を平定するなど、武勇にすぐれた人物だったので、八幡は武勇の神という印象があるけれど、そもそもは神功皇后や比売大神でも分かるとおり、神の託宣を授かる巫女(みこ)が祭祀の中心だった。・・・》
( 内田康夫『はちまん (上)』 2001.角川文庫。2009.文春文庫)
  さらに、会社に勤めると、大学卒業後、最初に勤めた小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)…→(株)ヤマダエスバイエルホーム⇒(株)ヤマダホームズhttps://yamadahomes.jp/ 。エスバイエル(株)と(株)ヤマダエスバイエルホームの間は「…→」になっているのは単なる名称変更ではなく、小堀住研(株)の二代目のバカ社長の中島が社名から「小堀」を取り除いた上でつぶした会社をヤマダ電機が「いぬき」で買い取って(株)ヤマダエスバイエルホームにした、ということでそこでいったんつぶれた、ということを意味する。その後、「リフォームのナカヤマ」を買収したリフォーム部門とくっつけて、マイナスのイメージしかない「エスバイエル」という言葉を社名から取り除いたのが「(株)ヤマダホームズ」である。〕の新卒社員研修で、TQC推進本部営業部会課長の川崎が「最初、3年間は仕事のことだけを考えるようにする」とか言ったのだが、なんだか、高校の時には「大学合格までは勉強のことだけを考えて」とか言われ、大学生になったらなったで「アルバイトお、アルバイトお」とアルバイトばっかりさせられ、会社に勤めると今度は「最初3年間は仕事のことだけを考えて」・・て、結局、死ぬまでこの調子か・・・。で、そう考えるか否かにかかわらず、毎日深夜まで、終バスがなくなった時刻まで働き、帰り松戸駅まで歩いたことも何度もあったが、週休日といえども、洗濯をしてワイシャツなどクリーニング屋に持っていき持ち帰り、革靴を磨きして・・とやるとそれで一日は終わる。そうやって働いているうちに、ふと気づくと、住宅建築業の仕事をやってひとさまの家庭を築く仕事に従事してきて自分の家庭がなかった。(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では、私より先に結婚して先に子供を作った者は、「子供があるから」と営業所全体の仕事が残っているのに先に帰り、「子供のない者にやってもらって」と当然みたいに言って「子供のない者」に時間外無賃労働でさせ、そして、給料を受け取る時になると「子供のある者は役に立つんだから」と称して家族手当として高い給料を受け取った。特に、 (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ は、子供のある者に対しての「家族手当」の金額が大きく、それだけ子供のある者の給料が高いのかというと実はそうではなく子供のない者・特に独身の者の給料が安かったのである。なおかつ、(株)一条工務店は求人募集には「ノルマは一切ありません」と記載して募集していたが入社すると「ノルマはないがガイドラインがある」などとわけのわからんことを言いだし、その「ガイドライン」という実質ノルマは、家族手当の分を多く盗っている者も家族手当の分を受け取っていない者も一緒だったのだ。さらに、税金では子供の分の扶養控除もあり、その上に「地域振興券」だの「子供手当て」だのまで受け取った。子供がある人に支給された「地域振興券」は、子供のためになんて使わない親がけっこう多かったようだ。1990年代末、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の栃木県佐野市の展示場の事務所で、「地域振興券て、あれ、ピンサロで使えるのかなあ」と本人は冗談のつもりでだと思うが言っていた男(当時、30代)がいたが、「地域振興券」をピンサロで使えたのかどうか知らないが、私ら子供のない者が払った税金から子供のある者に支給される「地域振興券」を「ピンサロで使えるのかなあ」と「地域振興券」の財源を払った側の人間がいる場で言う「地域振興券」を受け取った男というのは、彼は悪気ではなかったのだろうけれども、なんとも無神経な態度だった。「地域振興券」というのは、ふさわしい結婚相手とまだめぐりあうことができずにいる人間や、結婚はできたが子供に恵まれずにいる人間から取り上げたカネで、結婚もできて子供にも恵まれた人間に金券をくれてやろうという傍若無人で悪趣味な制度である。
  2011年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも2013年11月に正式に倒産)に、社長の長谷川新二(男。当時、40代前半)の嫁の河野利華(女。当時、40代前半)の友人だということで縁故入社した滝口恵(女。当時、30代前半)は「子供があるから」と称し「子供」を大義名分にして、おのれがその仕事に対して報酬を受け取っている仕事を放置して、毎日、終業時刻と同時に退社し、滝口が報酬を受け取っている滝口が担当の仕事を担当外の従業員に押しつけて、担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働で働かせ、そして、おのれが担当でおのれが報酬を受け取っている仕事を労基法違反でしてくれた担当外の従業員に対して、「すいません」も「ありがとうございます」も一言として言わなかった。この女の親はいったいどういう教育を娘にしてきたのかと思うが、おそらく、親もまた同じような人間なのだろう。そして、さらに滝口恵は、おのれが報酬を受け取っているおのれが担当の仕事を放置して終業時刻と同時に退社して、まだ、ふさわしい結婚相手とめぐりあうことができずにいる人間や結婚はできてもまだ子供に恵まれずにいる人間に滝口が担当の仕事を労基法違反でさせているまさにその時間に、オットと「妊活」(要するに性交)をおこなって3人目を孕んで出産した。その子供は呪われた子供である。まだ、ふさわしい結婚相手とめぐりあうことができずにいる人間から「婚活」の時間を奪い、結婚はできたが子供にはまだ恵まれない者から「妊活」の時間を奪い、そして、おのれが報酬を受け取っている仕事を担当外の者に労基法違反の時間外労働・無賃労働でさせてそれに対する報酬もおのれが盗った上で「妊活」やって3人目を産んだ。どうも、こういうのを「少子高齢化対策に貢献している」と言うらしい。 「将来、社会の役に立つ子供を産んで育てている」とか言う人がいるが、そういう文句は実際に「社会の役に立」ってから言ってもらいたいものだ。その子供が、将来、社会の役に立つか社会に迷惑をかけるかはわからないのに、まさに今、周囲の社会に迷惑をかけている者が言わないでもらいたい。新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の従業員は複数の人間の口からこの滝口の態度に対して不満の声が出ていたのだが、私が社長の長谷川新二に、いくらなんでもこれはいけませんよと忠告したところ、長谷川は「何言ってんですか。滝口さんは子供があるんだから、子供がある人間は何でも子供のない人間にやってもらうのが当然じゃないかあ! 子供がない者は子供のある者のために尽くすのが当たり前じゃないかあ。〇〇さんが子供がないのが悪いんだろうがあ! 滝口さんは子供があるんだから、子供のある滝口さんは何でも子供のない〇〇さんにやってもらうのが当然の権利だろうがあ。何、言ってんですか、何をお」と許しがたい暴言を吐いた。私も長谷川には相当の我慢をしてきたが、この暴言は許せるものではない。私などに労基法違反の時間外労働・無賃労働・・というよりも、関係のない人間にタダ働きをさせて、そうして育てた滝口の2人の子供、および、まさにその時間に滝口がオットと「妊活」やってはらんで産んだ3人目の子供、そいつらは今はけっこう大きくなって、「手のかかる子供」ではなく「けっこう役に立つ子供」になっているはずであるが、2014年、私が川口土木建築工業(株)の工事現場で足を骨折して、3ヶ月ほどできるだけ動かさないようにして、松葉杖でしか移動できない生活を送った際にも、滝口恵も滝口恵のオットの男も滝口の3人の子供も相当世話になった私に何ひとつしなかった。又、この7月末、胆嚢炎で激痛を覚え、救急車で入院して手術を受けたのだが、その際にも、滝口恵も滝口のオットの男も滝口の子供3人も、特に滝口の子供3人は今は「手のかかる子供」ではなく「それなりに役に立つ子供」になっているはずだが、何ひとつしなかった。これ、いったい、どういうこと? 「将来、社会に貢献する」のじゃなかったのか? ちっとも貢献しないのはどういうこと??? 長谷川新二は「子供のある者は子供のない者にめんどうみてもらうのが当然じゃないかあ」と言って私に労基法違反の時間外労働・無賃労働をさせ、体の具合の悪い老母が待っているのに滝口のための仕事を時間外に私にさせたのだが、その滝口の子供は私が足を骨折した時も私が胆嚢炎で激痛を覚えて手術した時も、何ひとつしなかったが、これはどう考えてもおかしいであろう。この滝口恵と長谷川新二の「やらずぶったくり主義」はやっぱり許せるものではないし、そうやって育てられた子供が「将来、社会のために役立つ」かというとそうは思えない。そんな子供は役に立たないと思われるし、現実に、私が骨折したり胆嚢炎で手術したりした際も何も役に立たなかったのである。 「子供」を大義名分にかかげて、営業所全体の仕事を「子供のない人にやってもらって」とか言って押しつけて、給料は「子供のある者は役に立つんだから多くもらって当然だろうが」とか言って多く盗り、そして、子供の分の扶養控除もうけて、さらに「地域振興券」だの「子供手当て」だのまで盗ったやつのおかげで、そいつらのために、まだふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる人間が「婚活」の時間を奪われ、結婚はできたけれども子供にはまだ恵まれていない人間が「妊活」の時間を奪われしている、そうやって育った子供と「『子供』帝国主義」の女およびその女のオットは、私に産まれていても悪くなかった子供を殺した実質殺人犯である! 私に産まれていても悪くなかったのに産まれなかった子供のために、子守地蔵さんに、せめて、その無念な気持ちを晴らしてください、私などから「婚活」「妊活」の時間を奪って、その時間に「妊活」やってはらんで産んだ鬼畜女とその女のオットおよびその鬼畜夫婦の子供に対し、私に産まれていて悪くない子供の無念な思いをどうか晴らしてください・・と、多めに賽銭を入れてお願いしてきた。
 「地蔵」とはどういうものか。村上重良『日本の宗教的』には、
《 地蔵もともとインドの大地の神でしたが、仏教にとりいれられ、仏滅後、弥勒が下生するまでの無仏の時代に、修行僧の姿で衆生を救う菩薩とされました。そのため地蔵は僧の形で現わされ、浄土教や末法思想と結びついて、地獄の責め苦から亡者を救い出す慈悲の菩薩として信仰されました。中世には、地蔵は、この世と地獄の境に立つとされることから、境(サヘ)の神への信仰と結びつき、村はずれの辻に石の地蔵が建てられるようになりました。地蔵はやさしい童顔の僧形で現わされることから、子どもの守護神ともされました。》
とある。 「子どもの守護神」は当然のことながら、産まれていて悪くない私などの子供を実質殺した女とそのオットとその夫婦の子供を懲らしめる神でもあるはずであり、決して、「子供」を大義名分に掲げれば何やっても通ると心得る「『子供』帝国主義」の守護神ではないはずである。

  表門に登る階段付近の赤松↓
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↑ 表示はないが、幹の色が赤いから赤松だろう。 子供の頃は、赤松と黒松がどう違うかなんて知らなかったが、木構造の建築会社に勤めたことから、松に赤松と黒松があると知り、どう違うんだ・・なんて思いつつ、東京都世田谷区の九品仏浄真寺に行った時に植わっていた黒松を見ると、たしかに幹が黒かった。その後、寺社に行った時など、松を見ると、幹が黒い松と赤い松があるのを見て、なるほど・・と思うようになった。
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↑ 表門の外側あたりからの眺望。 向こう側、左右に直線が見えるのは山陽新幹線。

  帰りは阪急今津線「門戸厄神」駅を経て帰ったのですが、駅名になるくらいだから門戸厄神駅からは近いのかというと、それほど近くない。 近くはなくとも、参道として両側に食堂やら土産物屋やらが並んだ道があって、駅から寺に至る経路を中心に街が開けたのかというと、そうでもない。
  これを、ここからは門戸厄神駅の側からたどってみよう。
まず、門戸厄神駅てのはどんな駅かというと、
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↑ こんな駅なんだわ。 西側にだけ改札口があって、東側から南向き(西宮北口行き)の電車に乗ろうと思って東側に踏切を渡って行くと、東側は定期券専用の入口なんてのしかなかった。切符買うかスイカとかで乗る場合には西側の改札口から入って地下道をくぐって東側のプラットホームに行くしかない。そんな駅なんだわ。「神戸線」と言いたがるおばさんもいるが、やっぱり「今津線」なんだよ(^^)/、神戸線の支線の今津線(^^)/。梅田から直通の電車も朝夕あるようだけれども、普段は西宮北口で乗り換える支線なんだよ。伊丹線とか甲陽沿線とか箕面線とかみたいに。昔、東京のコンビニだかでかかっていたなんの歌かわからんが、東急の池上線と目蒲線がバカにしあう歌というのがあったが、かつては緑色の芋虫みたいのが走っていた目蒲線が今では目蒲線の東よりは目黒線となってずいぶんと近代的な路線に変貌したが、もともとは、目蒲線と池上線はどっこいどっこいだったのだ。それと同様かどうか知らんが、今津線てのはやっぱり伊丹線とか甲陽沿線とか箕面線とかと「どっこいどっこい」の路線だと思うな。関学・神戸女学院線みたいに思うとるおばさんもおるかもしれんけど。
  で、その西宮北口から今津線で1駅目の門戸厄神駅の西口を降りると、すぐ北を西に行くけっこう広い商店のある通りがあるのだが、それより北に「門戸厄神 参道 左側」と看板の出た道がある。↓
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↑ 「参道」と書いてあるけれども、別に、参拝者向けの店が左右にあるわけでもない。それこそ、浅草寺の雷門から本堂に至るまでの両側みたいに店が並んでいるわけじゃない。なんにもない普通の細い道。
私はこの道を通って門戸厄神駅まで帰ってきたわけではないのだが、地図を見ると、この細い道をたどっていくと、今津線と平行に走る南北の比較的広い通りの↓ のあたりに、このパン屋さん「BAKERY GRONE」↓の手前の道からでてくることになる。↓の写真は南から北を撮ったもの。
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↑ 門戸厄神駅のすぐ北で左折(西に)して、この比較的広い道を北に進んだ場合は↑の「BAKERY GRONE」が目印、このパン屋は道の東側にあるのだが、その向かい、西側↓
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↑ を西に入ると、少し西側にひとまわり細い南北の道があって、これが「やくじんさんどおり」。この道を左折して少しだけ南に行く。すると、↓
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↑ 「日本三體」「厄神明王」と書かれた石碑が建っているの。これがあると「参道」でんなあ~て感じがしてくる。その道を西に進むがこれも一直線じゃなくてクランクになっているがそれでも道なりに進むと、門戸厄神 松泰山 東光寺の「表門」の前の階段の前にたどりつく。

  しかし、だ。何もわざわざ、こんな細いややこしい道を通らんでもええのとちゃうか・・て気もせんでもない。むしろ、門戸厄神駅を出てすぐ北で西に進むある程度広い商店街になっている道があるからそれをまっすぐ西に進む方が普通じゃないか。↓
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↑ この道。 右手に「おしゃれの店 モンド」なんて看板の出ている女性向けの店があるが、「モンド」なんてカタカナで書かれると、しかも、それが「阪急でも宝塚線や京都線より神戸線の方が上よお~お」とか言うてるおばさんの住んでる今津線沿線の駅の近くにあると、「神戸線のギャルは待兼山芋畑なんて相手にしないのよ」みたいなそんな雰囲気がそこはかとないとなく・・ただよう・・かどうかなんかようわからんが、そういう場所だと、この「モンド」というのは、イタリア語の「モンド(mondo)」かと思う人もいるのではないか。私はこの看板を見て、イタリア語の「モンド(mondo)」かと思った・・・が、門戸厄神の門戸(もんど)だったようだ。門戸というのは門戸厄神があることからついた地名ではなく、もともと、門戸という地名だったみたいですね。門戸の厄神堂ということで門戸厄神みたい。
※ mondo (男性名詞)世界、天地、地球;現世;社会、層、界。
( 下位英一・坂本鉄男編『大学書林 イタリア語小辞典』1963.大学書林 )
  ちなみに、冷蔵庫でいっぱい入る大型の冷蔵庫だということで、「タント」という名前のものが売り出されていたと思うが、あの名前は大阪弁で「たんと」(たくさん)だと思っている人がいたが、あれもイタリア語の「タント(tanto)」のはずだ。
※ tanto (形容詞) 多数・多量の、そんなにも多数・多量の;同様の
     (副詞) 非常に、大変に。
     (男性名詞) かなりの金;多くのもの;(複数)多くの人。
( 下位英一・坂本鉄男編『大学書林 イタリア語小辞典』1963.大学書林 )
内田康夫『高千穂伝説殺人事件』には、「ニュータバル」という地名が出てきて、登場人物がこれはいったいどこの外国の地名だろうかと考え込む場面があり、実際は宮崎県南部の「新田原(にゅうたばる)」だったという話がある。英語のnewと同じ読みを日本語で「新」という字におこなう地域が九州南部にはあり、「原」を「はる」と読むのも沖縄だけでなく宮崎県南部から鹿児島県にかけてでもあるらしい。
  で、「おしゃれの店 モンド」とカタカナで書かれると、イタリア語の「モンド(mondo)」かいなあ・・と思いそうになるが、門戸厄神の「門戸(もんど)」。「まいど」ではない。

  ↑の門戸厄神駅のすぐ北を西に直進する比較的広い道を進み、今津線と平行に南北に走る比較的広い道に出て右折し北に進むと、しばらく歩けば、↑に写真を掲載した東側に「BAKERY GRONE」がある所にたどりつくので、そこからは↑に述べた順路で進めば門戸厄神 東光寺の「表門」の前の階段の下にたどりつく。
  しかし、門戸厄神駅のすぐ北を西に進んで、南北の比較的広い道を北に進むと、「BAKERY GRONE」の所にたどりつく前に、
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↑ の場所に来るのだ。そうすると、そこを西に行きたくなる。西に行くと、「厄神饅頭」を売っている店の前を通ることはできるが、「表門」ではなく「南門」の前に行くことになる。
  ここで考えたのだが、何もわざわざ、大変な思いをして階段を何段も登らなきゃならない側を「表門」にしなくてもいいてことないか? 門戸厄神駅からの経路も、「南門」の前に行く経路の方がわかりやすいし広い道だし、この際、「表門」と「南門」じゃなくても「北門」と「南門」でもいいてことないか?・・・なんてことを考えた。 もし、「北門」と「南門」にして、「南門」の方が主たる入口になってしまうと、入口を入ってすぐの位置に「不動堂(護摩堂)」があることになり、門戸厄神としては、不動堂にまっさきに行かれるのではなく、「表門」→「中楼門」→「厄神堂」というメインの通りは「不動」にしておきたい、ということがあるのかな・・・。私の場合は、何があっても、裏口入学ほど嫌いなものはないので、初回の訪問は「正門」「表門」から入るというのが原則、ポリシーであるが、門戸厄神 松泰山 東光寺の場合は、あえて「表門」という表記にこだわらなくても、南門の側に「智照院観音堂」「地蔵堂」もあるようだし、「北門」と「南門」でも悪くないのじゃないかて気がしないでもない・・・。

  今回、宝塚線経由で宝塚から今津線を南下し、帰りは西宮北口で乗り換えて神戸線経由で帰り、十三・南方で乗り換えて新大阪まで行ったのだが、なんだか、十三駅の周り、ずいぶんと背の高いビルが増えたな・・・。
  で、阪急の電車というのは、「マルーン」とか最近では言うらしいが、「あづき色」一色のボディーの電車で、このあづき色の電車の走っている地域というのは、京都の河原町でも嵐山でも、千里でも箕面でも宝塚でも梅田でも天六でも三宮でも伊丹でも、ともかく、阪急沿線としてひと続きの地域という安心感があったものだが、一方、阪急の電車というのは、子どもの頃は、デザインがひとつだけで「面白みがない」という感じがしたものだったが、「京都で嵐山に行く路線」としては京福電鉄嵐山戦はその「面白み」がたっぷりの車体で、それに対抗したのか、最近では阪急も京都線には京都の北野天満宮だとかどこだとかの絵が描かれた車体の電車が走っている・・・と思っていたら、それは京都線限定ということでもないようで、宝塚線にもペインティングされた電車が走っていた。↓
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↑ この「男装の麗人」とでもいうか、このねーちゃんは、宝塚少女歌劇のねーちゃんだろう。その右の赤い欄干の端は箕面川にかかる橋だと思う。 もともと、箕面有馬電気軌道としてできた阪急の、有馬のかわりが宝塚になったということで、今も宝塚と箕面というのが宝塚線の名所ということか。 宝塚歌劇って、二度も三度も見たいとは思わんのだけれども、一回、どういうものか見に行ってみたいようにも思うのだけれども、どうも、男がひとりで見に行くわけにもいかず、そうだ♪ 親戚のあの娘、あのチビスケを「連れていってやる」という口実にして見に行くか・・とか思ってると、思ってるうちに子供というのはす~ぐに大きくなってしまうのだ・・・。だから、死ぬまでに一度見に行けるかいけないか、行けないかもしれない・・・。

  門戸厄神の少し南あたりにあるらしいウィリアム=メレル=ヴォーリズ設計という神戸女学院の校舎を見たいという気持ちもあったのだが、なんちゅうても、女子大てのは男性にとってはなかなか手ごわい。うかつに近寄って、「へんた~い」とか言われてもかなわん! 『ドクタースランプ』の則巻千兵衛みたいに「あのう、誠に申し訳ございませんが、わたくし、決して悪いこといたしませんのでえ~え」とか言うと、なんだか、ますます怪しい、いかにも怪しい・・て感じがしてきそうで・・・とかいうこともあったが、それより何より、今回の写真撮影は8月、無茶苦茶暑かったので、坂の上の門戸厄神 東光寺まで行くだけでも暑い・・・のでやめた。 やっぱり、建築探偵団は安全第一、女子大の建築てのは、なかなか見学に行くのは難しい・・・。

  (2019.9.13.公開。 写真の撮影は8月の暑い、あっつい、あ~つい、あっつい~い♪ 時期。)

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