雷門から本堂、水子地蔵、宝蔵門、五重の塔、まんしゅう地蔵、影向堂、および「う〇こみたいの」ー浅草寺【2/2】

[第714回]
  「大きなちょうちんのある所」というのが、けっこう魅力的な場所だったりするらしい。東京人にだけでなく大阪人にも人気がある。「庶民の街」が好き! という人にけっこう人気がある所のようだ。その「雷門(風雷神門)」が、↓
雷門 .JPG
↑ 鎮護堂の所でもらった「あさくさかんのん 浅草寺」リーフレットによると、《天慶5年(942)平公雅により創建された浅草寺の総門。・・・現在の門は、慶應元年(1865)田原町の大火で炎上した門に替わり、昭和35年(1960)、95年ぶりに松下電器創始者松下幸之助氏のご寄進により再建された。》そうだ。
この「雷門」をくぐって北に進む参道が「仲見世通り」で、両側に売店が並んでいる。正月やお祭りの時に神社や寺の参道の両側に屋台の店が並んでいることがあるが、浅草寺の仲見世通りの場合は、屋台ではなく固定した店舗で、常に営業している。
  雷門から仲見世通りを進み、途中で東西に交差する通りが「伝法院通り」で、浅草寺の本坊らしい伝法院の南側を東西に通る通りなので伝法院通りと言うらしい。↓
伝法院通り .JPG
左奥に見えるのが、「きもの 古着商 胡蝶」と屋上の鼠小僧次郎吉。
 鼠小僧次郎吉のいる「きもの 古着商 胡蝶」より少し東、浅草公会堂の北西あたりに伝法院の入口はあるが、非公開で、前回、ここに来た時は非公開ながらも門は開いていたように思ったが今回は門は閉まっていた。↓
伝法院 .JPG
どうやら、今、伝法院では補修工事をおこなっているらしい。↓
伝法院工事中 .JPG

  《ウィキペディア-浅草寺》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E5%AF%BA によると、浅草寺では、建築で重要文化財に指定されているのは、本堂より東側の二天門と、伝法院の
・客殿 附:扁額1面
・玄関
・大書院 附:襖8本、下地桟8組
・小書院
・新書院
・台所

の6棟。
 「国指定名称」に指定されているのが伝法院庭園で、《庭園は小堀遠州作と伝わる廻遊式庭園。》(「あさくさかんのん 浅草寺」リーフレット)らしいが、通常は非公開。
  浅草寺は何宗かというと聖観音(しょうかんのん)宗で「金龍山 浅草寺(きんりゅうざん せんそうじ)」が総本山、本尊は「聖観世音菩薩(秘仏)」だが、浅草寺の本坊だという伝法院の本尊は、「浅草寺HP 伝法院」http://www.senso-ji.jp/guide/guide13.html によると、阿弥陀如来らしい。

  伝法院の西隣に鎮護堂がある。鎮護堂
《明治16年(1883)浅草寺中興第17世
貫主唯我韶舜大僧正が、夢告により境内に住む狸を伝法院の「鎮護大使者」として祀ったお堂で、火防・盗難除の守護神。現在のお堂は、大正2年(1913)に再建された。》というものらしい。鎮護堂は参拝できる。
  その鎮護堂の境内に水子地蔵尊がおられる。↓
水子地蔵尊1 .JPG
↑現地の説明書きによると《昭和53年(1978年)9月25日建立。・・》だそうな。もともとは、私は水子地蔵さんには縁はなかった。なんで、縁はなかったかというと、女性にはらませるだけはらませて逃げるような男というのも、私が勤めてきた三流企業 某一条工務店あたりにはいて、女性から妊娠したという電話がかかってくると電話に出ずに逃げる、私は会社にかかってきた電話は誰からのものでも誰にかかってきたものでもともかく会社にかかってきたものはとるものだと思ってとることにより、その電話を勤務時間中に何度もとらされるが、そういう電話をとるのは私の仕事と違うはずなのだし、そういう電話をとるという作業は私と(株)一条工務店との労働契約に含まれていないはずであり、そういう電話をとることに対する給料は私は(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ から受け取っていないはずなのだが、ともかく、そういうことをする男性というのがいたのだが、私はそういうことをしたことはない。女性にはらませるだけはらませて人口中絶させたことはないし、流産させたこともない。だから、水子地蔵さんには縁はないと思ってきたが、そうでもないように思うようになったのだ。
  (株)一条工務店てのは、なぜか結婚した人間・子供のできた人間には給料が高い会社で、それもちびっとではなく大きく金額が違う会社だったのだが、住宅建築業の会社なら転勤は入社早々はないだろうと考え、早く結婚したい年齢で(株)一条工務店に入社した者としては、結婚してからなら転勤もかまわないが、それまではあまりたびたび転勤させられたのでは成る話もならないし・・と思っていると、入社早々転勤させられ、さらに、「子供のある者は子供に忙しいんだから」と仕事を押し付けられ、なんで、ひとに仕事を押し付けている人間が押しつけられた人間よりも高い給料を盗ることが認められるのかと思うが、そうされてきたのだった。実際に仕事をする際には、「子供があるから」と「子供」を大義名分にして営業所全体の仕事をひとに押しつけて先に帰って、それでいて給料を受け取る時には「子供がある者は役に立つんだから」と称してまたもや「子供」を大義名分にして多く給料を盗るというのは、それは理屈が通らないと思うが、理屈の通らないことをするのが(株)一条工務店の経営者だった。
 2011年、新華ハウジング(有)〔建設業。千葉市中央区鵜の森町。2013年11月に正式に倒産。〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業。千葉市中央区鵜の森町。2013年11月に正式に倒産。〕では、社長の長谷川新二の嫁の河野利華の友人だという滝口恵(女。当時、30代前半)は「子供がある」というのを大義名分にして定時に帰り、おのれがそれに対して報酬を受け取っている仕事を残して帰り、それを担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・無賃労働でさせたのだが、なおかつ、おのれが報酬を受け取っている仕事を担当外の者に労基法違反の時間外労働・無賃労働でさせておのれは定時に帰ってオットと3人目の「妊活」やって3人目を孕んで出産したのだが、そうやって他人と他人の子供のために時間を奪われて婚活できずにいた結果、そうでなければこの世に生まれてきた可能性のある私の子供はこの世に生まれることができずにきたのである「子供」を大義名分にして私に仕事を押し付けて先に帰ってカネだけ盗った男・女およびその夫婦が産んだ子供、特におのれは定時に帰って、おのれがそれに対する報酬を受け取っている仕事をひとに労基法違反の時間外労働・無賃労働でさせたまさにその時間に3人目をはらむ「妊活」(性交)をオットとやって作った3人目の子供というのは、実質、その滝口夫婦が3人目をはらむための「妊活」の犠牲になって「婚活」や「妊活」をできずに生まれることができなかった子供、私に生まれていた可能性のある子供を殺した殺人犯なのである。私に生まれていた可能性があったにもかかわらず生まれることができなかった子供を弔うため、水子地蔵さんに賽銭を入れて拝んできた。せめて、私に生まれていた可能性のある子供を実質殺した連中になんらかの報いを与えてもらいたいものである。そう思って多めに賽銭を入れ、拝んできた。

  仲見世通りをさらに北に進むと、「宝蔵門(旧 仁王門)」
宝蔵門 .JPG
宝蔵門2 .JPG
↑ 《天慶5年(942)年、平公雅により創建された山門。徳川家光により伽藍の寄進建立が行われ、仁王門が慶安2年(1649)落慶。現在の門は大谷重工業・ホテルニューオータニ創始者の大谷米太郎氏のご寄進似寄り昭和39年(1964)に再建された。》というものらしい。

  宝蔵門の手前から見た五重塔
五重の塔1 .JPG
もっとも、五重の塔は北側から見た方が全体が見えるのだが↓
五重の塔2 .JPG
《天慶5年(942)平公雅により創建された。徳川家光建立の旧国宝五重塔は、昭和20年(1945)3月10日の戦火により焼失。ご信徒各位のご信助を得て、スリランカ王立寺院より仏舎利を勧請し、昭和48年(1973)に再建された。》

  リーフレットの「浅草寺境内案内図」には書かれていないが、宝蔵門をくぐって右に行ったあたりに、「まんしゅう地蔵」「母子地蔵」が鎮座されている。↓
満洲地蔵1 .JPG
これは、「満洲」から日本に引き揚げてくる途中で亡くなった人たち、特に途中で亡くなった子供を悼むために建立されたものらしい。漫画家の ちばてつや氏の話で読んで知ったのだが、アーサー=ビナード氏と ちばてつや氏との対話でも述べられている。
石碑↓には
満洲地蔵3 .JPG
《 母子地蔵建立の由来
第二次世界大戦末期、ソ連参戦で混乱状態になった中国東北部(旧満州)で逃避行の末、命を落とした日本人の数は二十万人を超えると云われています。
 酷寒の荒野を逃げ惑うては母子が生き別れになったり飢えや疫病に苦しみながら亡くなるなど、その犠牲は数知れません。
犠牲になられた母子の霊をなぐさめ、また、いまだ、再会のかなわない親と子のよりどころとして、二度と戦争という過ちを繰り返さない事を祈念して、ここに母子地蔵を建立いたしました。
 1997年4月12日
   願主   千野誠治
   デザイン ちばてつや
   文字   森田拳次
  まんしゅう地蔵建立委員会
  まんしゅう地蔵建立応援団
    中国残留孤児援護基金 》
と書かれている。

  宝蔵門をくぐって正面に見えるのが本堂(観音堂)
本堂 .JPG
昭和33年(1958)、全国のご信徒のお力添えを得て再建された現本堂は、昭和20年(1945)3月10日に戦災で焼失した旧本堂(国宝、徳川家光建立)と同形態である。屋根の勾配が非常に急で、棟が他寺院と比較してすこぶる高いのが特徴。お堂は南に面し、内陣、外陣とに分けられており、内陣中央にはご本尊聖観世音菩薩さまを奉安する御宮殿がある。》

  御朱印は、本堂の西の影向堂(ようごうどう)の中でいただける・・が、影向堂は、納経所として作られた場所というわけではなく、《観音さまのお説法やご活躍に対して、讃嘆協力されている仏さま方を「影向衆」と呼ぶ。各人の生まれ年守り本尊でもある八体の仏さまをお祀りしている。》というお堂らしい。↓
影向堂(ようごうどう).JPG
浅草寺の御朱印は「聖観世音」と「大黒天」の2点あるが、聖観世音がご本尊で、大黒天は浅草七福神らしい。
章観世音は本堂で祀られているが、大黒天はどのお堂で祀られているのだろうか・・と思ったのだが、「浅草寺HP 影向堂」http://www.senso-ji.jp/guide/guide07.html に《外陣には浅草名所七福神の大黒天を祀っている。》と出ており、浅草七福神の大黒天は影向堂(ようごうどう)の外陣で祀られているらしい。

  浅草寺には他にも見どころはあるのだが、建築探偵団は「なめるように見るべし」という説もあるけれども、お寺や神社は、その前に、「まず、その場所の雰囲気を味わう」ということがあり、そして、大きな寺の場合、一度にあまりにも何か所も行くと頭の中が混乱するので、一度に余り何か所も行かない方がいいし、1寺でも、すべての場所に1回で行く必要はない、と考え、今回は、浅草寺よりも伝法院通りの鼠小僧と白波五人男の方の見学を主として来たことでもあり、ここまでにすることにしました。

  編集:山と渓谷社大阪支局・文:峰順一・入江織美『歩く旅シリーズ 古寺巡礼 坂東三十三カ所を歩く』(2003.5.山と渓谷社)によると、浅草寺は坂東三十三カ所観音霊場の第十三番札所。《『江戸繁盛記』によれば「人の賽詣すること未だ嘗て一刻の間も絶えざるなり」とある。その観音さまは、推古天皇36年(628)3月18日、檜前(ひのくま)浜成・竹成の兄弟が宮戸川(今の隅田川)で漁をしていたとき、投網にかかった聖観音像を郷司土師中知(はじなかとも)の自邸に祀ったのが浅草寺の始まりという。この物語は『浅草寺絵巻』が詳しく伝えている。・・・そして平安初期には慈覚大師が比叡山から来山して「お前立ち」の観音像を刻み安置して、さらに信仰が深まったという。・・・》とある。 もっとも、箱根の宮城野橋なんて所の保養所で下男のアルバイトを泊まり込みでやった時、強羅なんて金持の保養所に来ているような人間なんて縁はなかったのだが、同様に、都営浅草線「浅草」駅より南側の浅草で交通誘導警備のアルバイトをして帰った時なんて、雷門から西・北の喧騒なんて、何の関係もなかった。どっちの浅草が本当の浅草かというと、両方が浅草なのだろうけれども、マンションの工事現場で交通誘導警備の仕事をして一日、埃と排気ガスにまみれて汚れて帰る者には、雷門から西・北で人力車なんて乗ってるねーちゃんなんて、あんまり関係ない民族て感じがした・・ものだったな・・・。

 ・・・で、帰りですが、毎度、浅草寺に来るたびに思うのですが、都営浅草線の「浅草」駅は浅草寺に遠い。いっそのことと思って吾妻橋で隅田川を渡って「本所吾妻橋」駅から乗ったことが何度かあり、今回も「本所吾妻橋」駅から帰りは乗ったのだが、「本所吾妻橋」駅まで歩くとやっぱり「浅草」駅の方が近い。
  「本所吾妻橋」駅に向かおうと吾妻橋の方を見ると見えるのが、↓ の「う〇こみたいなやつ」
う〇こみたいの2 .JPG
これはいったい何なのか? いくらなんでも、自分のビルの屋上に「う〇こ」を作る経営者はないだろう・・と思うのだが、誰と話しても「う〇こみたい」と言うのだ。今回は説明書きを見つけられなかったが、前に、すぐ下まで行くと、説明書きがあったのだが、このビルはアサヒビールのビルで、「う〇こみたいの」は決して「う〇こ」ではなく、「ビールの泡」らしい・・・のだが、「ビールの泡」ですう・・と言われると、そうかいなあ・・・と思うかもしれないが、説明されないと、少なくとも過半数の人間は、「う〇こみたい」と思うはずだ。
「クイズ、百人にききました。隅田川の吾妻橋の東側のビルの屋上にある茶色のオブジェ。あれは何だと思いましたか? 答えは2つ!」となると、その答えは「99人がう〇こ。1人がビールの泡」てそんな感じではないだろうか・・。別にアサヒビールに恨みはないんだけどね。でも「う〇こみたい」に見えるでしょ・・(^^)/

 (2019.8.18.)

浅草寺と浅草
【1/2】鼠小僧次郎吉と白波五人男。
【2/2】浅草寺、雷門・伝法院・水子地蔵尊・宝蔵門・五重塔・まんしゅう地蔵・本堂・影向堂(ようごうどう)、及び、「う〇こみたいの」 〔今回〕 

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