浅草 伝法院通りの鼠小僧次郎吉と白波五人男-浅草寺と浅草【1/2】

[第713回] 浅草寺【1/2】
  「東京の主要な寺」というとどこになるか。 『東京人2002.12.特集 寺見物』(都市出版)では、「特集 寺見物 近ごろはやりの散歩術」として、浅草寺・護国寺・総持寺・増上寺・寛永寺・高岩寺・本門寺・深大寺・吉祥寺・泉岳寺の10寺があげられている。その後、「対談 日本美術応援団、東京の知られざる仏教美術拝見」では、東京で唯一の建築の国宝である正福寺地蔵堂(東村山市)、「対談 仏像フレンズが行く、東京見仏デート。」では五百羅漢寺(目黒区)・浄真寺(世田谷区)・大円寺(目黒)、「歩いて楽しい寺町散歩」では、谷中・三田・新井薬師があげられている。新井薬師は西武新宿線「新井薬師」駅から少し歩くそうで、足立区の西新井大師(総持寺)とは別である。「この寺建築がすばらしい」では、増上寺・寛永寺・本門寺・浅草寺・護国寺のほか、耕雲寺(世田谷区)・円融寺(目黒区)・観音寺(新宿区)・築地本願寺・青松寺(港区)・円通寺(台東区)があげられ、「ご利益グッズ」では、豪徳寺・柴又帝釈天・善国寺(新宿区)・深川不動尊・鬼子母神 法明寺・伝法院鎮護堂(台東区)・多聞寺(墨田区)・幡ヶ谷不動 荘厳寺(渋谷区)・龍光山正宝院(台東区)が出ている。豪徳寺は遠藤周作『走馬燈』に登場する。井伊の殿様が豪徳寺のあたりで雨にあった時、猫がこっちに来いこっちに来いと言うように手招きするので不思議に思って猫の方に行くと、今までその下にいた木に雷が落ちたというお話があるらしい。
  ひろ さちや監修 プチたび編集部編集『日本の古寺・名刹をたのしむ』(2007.9.8.ソフトバンククリエイティブ)では、「天海僧正ゆかりの寺へ! 江戸の寺」として寛永寺・増上寺が掲載され、「谷中七福神めぐり」では東覚寺(北区)・青雲寺(荒川区)・修性院(荒川区)・天王寺(台東区)・長安寺(台東区)・護国院(台東区)・弁天堂(台東区)が出ている。このうち、この7寺の中で有名なのは、本郷の東大と上野公園のまん中にある弁天池のまん中の島にある弁天堂と、幸田露伴『五重塔』のモデルの塔があった(関東大震災にも第二次世界大戦の空襲にも生き残ったが、戦後、放火による心中で焼失したそうで、今はない)天王寺でしょう。「坂東三十三か所(観音)」では浅草寺、「関東三十三不動霊場」では石神井不動尊(練馬区)・深川不動尊・目黒不動尊 瀧泉寺(目黒区)・目白不動尊(豊島区)・目赤不動尊(文京区)に田無不動尊(西東京市田無)・高幡不動尊(日野市)が出ています。駅名になっている寺というと、九品仏(浄真寺)・祐天寺が思い浮かびます。あと、鬼子母神で有名なのは雑司ヶ谷ですが、もうひとつ、「おそれ入谷の鬼子母神」も知名度としては有名ですね。
   これだけでも相当の数ですが、とりあえず、
江戸幕府御用達の寛永寺増上寺
忠臣蔵の泉岳寺
雷門の巨大ちょうちんでおなじみの浅草寺
「見ごたえのある建築のオンパレード」(『東京人2002.12.特集 寺見物』「この寺建築がすばらしい」)の護国寺
それに「大師前」と東武の駅名になってる西新井大師 総持寺
『ゲゲゲの鬼太郎』でお馴染みの深大寺
「力道山のお墓がある」と知られるが行ってみると力道山どうこうより日蓮宗の大本山で大きなお寺の池上本門寺
伊藤忠太設計のインド型の外見のお堂には賛否あるとしても浄土真宗本願寺派の東京で代表的な寺院である築地本願寺
の9つは、はずせないのではないか。とりあえず、この9寺は、最低1回以上は訪問しました。
  それぞれに特色があるのですが、浅草寺というのは、独特なところがあります。「江戸の鬼門を押さえる寺」と言われた寺が、寛永寺と浅草寺の2つあって、方位として江戸城の鬼門方位だと浅草寺ですが、寛永寺と増上寺は、奥州街道・日光街道から江戸城に入る手前の位置にあるのが寛永寺、東海道から江戸城に向かう手前にあるのが増上寺で、この2寺はいざという時に江戸城を守る要塞として作られたのではないか・・とか言われるらしく、方位よりその意味で北東側の抑えが寛永寺で、実際の方位として江戸城の乾方向というと浅草寺ですね。
  浅草寺のある浅草は「庶民的な街」と思われていて、関西から東京に行く人にも「庶民的な街」の浅草に行ってみたいという人はけっこういました。最近では、「浅草のカーニバル」で肌を露出した女性がパレードをおこなうということから、「スケベエなおっさんの行く祭りの街」としても知られています。あれを実際に浅草まで見に行ったら男としておしまいだと思っています。『美味しんぼ』には浅草のなんとかいう蕎麦屋が蕎麦屋の名門として出ていたような。空襲で浅草寺の建築は多くが失われ、今、建っているものの多くは戦後に鉄筋コンクリート造か鉄骨造で建てられたものですが
浅草を代表するものとして登場するのは浅草寺の雷門。大きな提灯がかかっているので知られていますが、いつだったか新聞に出ていた記事によると、あの提灯は「江戸の名所」となっているけれども、作っているのは京都の山科だそうな。
  山手か下町かというと、地形からいくと下町ですが、「地形からいくと下町」の場所は他にもあるのですが、浅草は独特なところがあるように思います。で、今年、2019年は猪の年、来年、2020年は鼠の年ですが、虎とかだと動物園に行くといますよね。甲子園球場にもいますし、時々、にゃんこになりますけど。龍はタツノオトシゴでいいことにしてもらえば水族館にいます。羊は市川動植物園のような「ふれあい型」の動物園にいます。馬は馬事公苑にいます。それに対して、鼠を見たいと思っても、動物園に鼠なんていないと思うんですよ。で、いるのが、京王帝都電鉄「調布」駅の北側に「ネズミ男」、そして、浅草の伝法院通りに「鼠小僧次郎吉」がいるんですね。その「鼠小僧次郎吉」を主として見に浅草に行きました。

  浅草寺訪問は2回目、浅草に行くのはもっと多い。浅草寺以外にどこに行くかというと、日光とかに行くのに東武「浅草」駅から電車に乗ることもありましたし、(株)一条工務店にいました時、栃木県佐野市の営業所に勤務した際、佐野から東京に急行「両毛」号に乗った場合、北千住で乗り換えるか浅草で乗り換えるかで、北千住で乗り換えることの方が多かったのですが浅草で乗り換えることもありました。隅田川下りの船に乗ったこともありました。クルマで首都高速道路を走っていると、東側に「う〇こみたいの」が見えて、「あれ、なんだろうなあ、あの う〇こ みたいの」と同乗者と語り合ったことが何度もありましたが、その「う〇こみたいの」が屋上にあるビルというのが浅草の吾妻橋の東側にあるビル。そのあたりが浅草です。大学生の時には、浅草のあたりに交通誘導警備員のアルバイトで何度も来ました。同じ高校から東大・京大・阪大に行った人間、慶應大の学生でそういうアルバイト漬けをやってる人間なんてなかった。なぜ、私だけがこんなことをしなければならないのだろうか・・と思いながら通いました。世間では雷門の浅草寺に「きゃぴきゃぴ」しながら遊びに行く人もいたようですが、その頃の私には関係ありませんでした。一日中、外で埃と排気ガスにまみれて疲れて帰る者には、雷門あたりで「きゃぴきゃぴ」している連中なんて縁のないもので、ロシア民謡の「ドビヌーシカ」が耳元で鳴りながら帰ったものでした。〔⇒《YouTube-ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка) (日本語字幕) 》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8 〕
  で・・・、浅草でも、交通誘導警備の仕事で行ったような、なんちゅうか、都営浅草線「浅草」駅周辺の浅草と、雷門から北の浅草とは、浅草は浅草でも浅草が違うのです。雷門付近から浅草寺側の浅草というのは、最近では外国人の観光客が多い。白人の観光客も多いがアジア人の観光客も多い。けっこう、それらの外国人に浅草は人気の場所のようで、かつ、外国人に完全に占拠されたわけでもなく日本人の観光客も多い。

  伝法院というのは、浅草寺の本坊らしいのですが、その南側の東西の通りが「伝法院通り」。雷門から浅草寺の本堂に至る両側に売店が並んだ仲見世通りと交差し、東側部分と西側部分に分かれます。鼠小僧は伝法院のある西側部分、白波五人男は東側部分に鎮座しています。
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↑ 「きもの 古着商 胡蝶」の屋根上、鼠小僧次郎吉。 なかなかの、”イケメン”。

 《ウィキペディア-鼠小僧》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BC%A0%E5%B0%8F%E5%83%A7 によると、鼠小僧というのは《江戸時代後期(化政期)に大名屋敷を専門に荒らした窃盗犯。本名は次郎吉(じろきち)。鼠小僧次郎吉として知られる。 本業は鳶職であったといわれ、義賊の伝承で知られる。》だそうな。《当時の重罪には連座制が適用されていたが、鼠小僧は勘当されているために肉親とは縁が切れており、数人いたという妻や妾にも捕縛直前に離縁状(離婚証明)を渡していたため、天涯孤独の身として刑を受けた。この自らの行いに対しあらゆる人間を巻き込まずに済ませたという点も、鼠小僧が義賊扱いされる要因のひとつとなっている。 》らしいが、《 「金に困った貧しい者に、汚職大名や悪徳商家から盗んだ金銭を分け与えた」という伝説がある。この噂は彼が捕縛される9年も前から流れていた。事実、彼が捕縛された後に役人による家宅捜索が行われたが、盗まれた金銭はほとんど発見されなかった。傍目から見ると彼の生活が分をわきまえた慎ましやかなものであったことから盗んだ金の行方について噂になり、このような伝説が生まれたものと考えられる。しかし現実の鼠小僧の記録を見るとこのような事実はどこにも記されておらず、現在の研究家の間では「盗んだ金のほとんどは博打と女と飲酒に浪費した」という説が定着している。 》ということらしい。
  「きもの 古着商 胡蝶」の少し東、「呉服 踊り衣装 やまとみ」の前に高札が出ている。 ↓
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↑ 「 告
浅草に出没いたす鼠小僧、十八世中村勘三郎丈と瓜ふたつにて芝居を愛し、人を愛し、老若男女の心奪いしが、近年あたりにて日本を見守るとの噂。見つけ次第、急ぎ届け出くだされたく候。
        浅草奉行所 」

  鼠小僧次郎吉が屋根にいる「きもの 古着商 胡蝶」の少し西、「十味 小野屋」(魚料理店?)の所に、半鐘。↓
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☆ 今回、訪問に際し、
《トリップアドバイザー 伝法院通りに来られたら 6体(鼠小僧次郎吉と白波五人衆)の人形探しは如何ですか》https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g1066461-d1406489-r444567827-Asakusa_Demboin_dori-Taito_Tokyo_Tokyo_Prefecture_Kanto.html を参考にさせていただきました。


  雷門から浅草寺本堂に至る仲見世通りを越えて、その西側に行くと、正面、路上にいらっしゃるのが「白波五人男」の首領「日本駄衛門(にっぽんだえもん )」↓
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  「白波五人男」というのは、河竹黙阿弥の歌舞伎『青砥稿花紅彩画(あおとそうしはなのにしきえ)』の俗称が『白波五人男』。
  西尾実・猪野謙二・秋山虔編著『新版 日本文学史』(1971.1.20.秀英出版)には、
《 ・・・歌舞伎は人形浄瑠璃に圧倒されていたが、しだいに浄瑠璃の脚本のみならず、その演出からも種々の要素を吸収して、やがて浄瑠璃劇の沈滞をしり目に、近世後期を通じて隆盛の道をたどることになった。
 並木正三は、浄瑠璃作者 並木宗輔の弟子で、はじめ浄瑠璃を描いたが、のち歌舞伎作者に転じた。・・
 並木五瓶は正三の弟子で、・・・
 五瓶の写実性をさらに徹底させ、いわゆる「生世話(きぜわ)狂言」を生み出したのは四世鶴屋南北である。・・・「東海道四谷怪談」は彼の傑作であるが、・・・・・・「東山桜荘子」(佐倉宗五郎)、・・などを
書いた。
  河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)は、五瓶・南北その他の先人のあとを継ぎ、歌舞伎の最後の集大成者となったが、彼の作品は南北に比べると、様式化・音楽化の傾向が強い。黙阿弥の傑作は、「蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)」(文弥殺し)、「花街模様薊色縫(さともようあざみのいろぬい)」(十六夜清心〔いざよいせいしん〕)、 「三人吉三廓初買(さんにんきちざくるわのはつかい)」、「八幡祭小望月賑(はちまんまつり よみやのにぎわい)」(縮〔ちぢみ〕屋新助)、「青砥稿花紅彩画(あおとそうしはなにしきえ)」(白波五人男〔しらなみごにんおとこ〕)など数多いが、それらの多くは「白波(しらなみ)狂言」と称する、盗賊を扱った作品である。
  このような南北の悪への礼賛や、黙阿弥の白波ものに観客が喝采を惜しまなかったのは、当時の固定した重苦しい社会に対する都市民の、刹那的で無目的な反抗気分を満たすものが、これらの狂言にあったからである。》
とある。
  ところで、『菅原伝授手習鑑』とか『忠臣蔵』とか『義経千本桜』って、誰の作で、歌舞伎だっけ浄瑠璃だっけ? ・・・て思いませんか?  西尾実・猪野謙二・秋山虔編著『新版 日本文学史』(1971.1.20.秀英出版)によると、『菅原伝授手習鑑』も『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』も竹田出雲・並木宗輔の合作の浄瑠璃。『八百屋お七』は紀海音(きのかいおん)の浄瑠璃。『曽根崎心中』『女殺油地獄(おんなごろしあぶらじごく)』は近松門左衛門の浄瑠璃。
  整理してみよう♪
【受験生のための文学史】
<歌舞伎>
四世 鶴屋南北・・・『東海道四谷怪談』・『東山桜荘子』(佐倉宗五郎)
河竹黙阿弥・・・『三人吉三廓初買(さんにんきちざくるわのはつかい)』『青砥稿花紅彩画(あおとそうしはなにしきえ) 』(白波五人男しらなみごにんおとこ)
<浄瑠璃>
近松門左衛門・・・『曽根崎心中』・『女殺油地獄』・『 国姓爺合戦』
紀海音(きのかいおん)・・・『八百屋お七』
竹田出雲・並木宗輔の合作・・・『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』・『義経千本桜』・『仮名手本忠臣蔵』
鼠小僧はそういうのにはないみたい。
【受験生のための文学史】なんてタイトルをつけたけれども、私自身の経験から言うと、大学入試において、国立大学の共通一次試験・二次試験、私立大学の試験において、私が受けた試験で、↑のような知識があったら1点でも多く得点できるような問題は1問として出題だれていない。だから、あんまり、入試には役立たない・・・けれども、高校生の時、こういうのは大学入試に出ようが出まいが知っておくべきものと思って学んだ。それに対して、慶應大学の教授というのは、こういうものを「そういうのは受験勉強だ。害があるんだ」と決めつける。私は、少なくとも、別に「害がある」とは思わんけどな。ともかく、慶應の教授(内部進学)にとっては、自分が知らないもの・自分がわからないもの・自分ができないものは、大学入試に出ないものでもおかまいなく、すべてが「受験勉強」で「害がある」ということになるのである。そういう思考の人のことを「思考が柔軟」とか「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神を身に着けている」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか「ギャルにもてもて」とか言うらしいのだ。なんで、自分が知らないもの・自分がわからないもの・自分ができないものだと大学入試に出ないようなものでも「そんなものは受験勉強だ」「害があるんだ」と決めつけるような思考の硬い人間が「思考が柔軟」で「自我が確立されている」のか? 逆と違うのか・・と思うのだが、そういうことを口にすると、「自我が確立されていない」「思考の硬さが気にかかります」「アイデンティティーを身に着けていない」「独立自尊の精神に欠けている」「協調性がない」「外罰的性格である」「未成熟」「適応障害」「社会性に欠ける」とか「なんちゃらかんちゃら症候群」「なんじゃもんじゃシンドローム」とか「心理学」によって「診断」されることになる。まったくつくづく「心理学」というのは怖い、怖い! 「治療」と称して「人間による人間の加工」をされる危険もある。「心理学」というのは、まったく本当に怖いわあ・・・。

  世間一般には、河竹黙阿弥『青砥稿花紅彩画(あおとそうしはなにしきえ)』と言うよりも「白波五人男」と言った方が通りがいい。いったいどういうお話かというと、「白波もの」、要するに盗っ人のお話である。
  日本駄衛門の所の説明書きには、
「 青砥稿花紅彩画(あおとそうしはなのにしきえ)
河竹黙阿弥の代表作で通称『白波五人男』は鼠小僧
と並ぶほど有名な盗賊達を描いた歌舞伎の演目として
親しまれてきました。主役は五人の大盗賊。
用心棒となってこの通りを守っています。
注意深く探してください。

日本駄衛門(にっぽんだえもん)
弁天小僧菊之助(べんてんこぞう きくのすけ)
南郷力丸(なんごうりきまる)
赤星十三郎(あかぼし じゅうざぶろう)
忠信利平(ただのぶ りへい) 」
と書かれています。
 
 さて、《トリップアドバイザー 伝法院通りに来られたら 6体(鼠小僧次郎吉と白波五人衆)の人形探しは如何ですか》https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g1066461-d1406489-r444567827-Asakusa_Demboin_dori-Taito_Tokyo_Tokyo_Prefecture_Kanto.html にも《必ず見つかりますが》と出ているように、普通に東に向かって歩けば路上にいますので見つかります。
 弁天小僧も、仲見世通りから東に歩み、すぐ北側を見ると、「てぬぐい ふろしき くるり」「まめ かりんとう ころん」の店の軒の上に女装した男がいます。↓
弁天小僧2 .JPG
弁天小僧1 .JPG
↑ 弁天小僧菊之助は、《ウィキペディア-青砥稿花紅彩画(あおとそうしはなにしきえ)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E7%A0%A5%E7%A8%BF%E8%8A%B1%E7%B4%85%E5%BD%A9%E7%94%BB に、《弁天小僧の出がある場のみを上演する際には『弁天娘女男白浪』(べんてんむすめ めおの しらなみ)と外題が替わり、さらにそれを尾上菊五郎がつとめる舞台に限っては特に『音菊弁天小僧』(おとにきく べんてんこぞう)と外題が替わることもある。 》《人物像(容姿):二代目河竹新七が両国橋で目撃したという、女物の着物を着た美青年から着想。》とあるので、とあり、女装の男はこの一体だけですから、これが弁天小僧菊之助なのでしょう。

  その向かい、「らーめん よろい屋」の2階の屋根の上に男がいます。↓
忠信利平3 .JPG
忠信利平2 .JPG
↑ これだけだと、残りの3人、南郷力丸(なんごうりきまる)・赤星十三郎(あかぼし じゅうざぶろう)・忠信利平(ただのぶ りへい)のうちの誰なのかわかりませんが、他の2体がわかると、消去法により、忠信利平だと判明します。

 あと2体ですが、東に進むと、南側、「もつ焼き 千代の家」の屋上から垂らした綱をつかんで壁にへばりついている男がいます。↓
赤星十三郎2 .JPG
赤星十三郎1 .JPG
誰か? 《ウィキペディア-青砥稿花紅彩画》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E7%A0%A5%E7%A8%BF%E8%8A%B1%E7%B4%85%E5%BD%A9%E7%94%BB には、赤星十三郎について、《人物像:・・・実在した前髪立ちの美少年辻斬強盗・白井権八(しらい ごんぱち)がモデル。》と出ており、《前髪立ちの美少年》というと、これか。

 《トリップアドバイザー 伝法院通りに来られたら
 6体(鼠小僧次郎吉と白波五人衆)の人形探しは如何ですか》https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g1066461-d1406489-r444567827-Asakusa_Demboin_dori-Taito_Tokyo_Tokyo_Prefecture_Kanto.html
に、《残りの四体【弁天小僧菊之助】【赤星十三郎】
【忠信利平】【南郷力丸】は全て 屋根の上にあり、
しかも 【南郷力丸】はチョット見つけにくいので 逆に これら五体の人形探しは 意外と面白いのでお薦めします。》
と書かれており、《【南郷力丸】はチョット見つけにくい
ので》ということは、その「チョット見つけにくい」のが
南郷力丸だろうということで、一番、最後に見つけた
(それ以外の4体は苦労しなくてもすぐに見つかった)
北側の東のカド、パン屋? 「中村屋本店」の2階の上に男がいた。 ↓ 
南郷力丸2 .JPG
南郷力丸1 .JPG
↑ が南郷力丸ということでしょう。

 で、消去法により、「らーめん よろい屋」の2階の屋根の上に
いたのが、忠信利平のようです。

※ 《ウィキペディア-青砥稿花紅彩画》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E7%A0%A5%E7%A8%BF%E8%8A%B1%E7%B4%85%E5%BD%A9%E7%94%BB

  内田康夫『隅田川殺人事件』(1993.徳間文庫)(1998.角川文庫)には、浅草が舞台として登場しますが、そこに
《 京子の家は「吾妻羊羹」というのを製造販売している。浅草周辺には、「雷おこし」「人形焼き」「言問団子(ことといだんご)」など、
江戸時代から知られた名物があるが、「吾妻羊羹」もその一つだという。
「それじゃ、老舗のお嬢さんですか」
 浅見は京子の虚栄心をくすぐった。
「やだ、お嬢さんだなんて・・・・だたの行かず後家みたいなものですよ」
「えっ? じゃあ、まだお独りですか? こんなに美しい女性が・・・」
 浅見は「もったいない・・・」という想いをこめて、言った。
「だって、辰子さんだってそうでしょう。いまどき、女だからって結婚しなきゃならない法律はないんですから」
 京子はケラケラと笑った。いかにも下町の女らしく、
開けっぴろげで、陽気な性格らしい。・・・》
《 京子の家「吾妻羊羹本舗」は、比較的交通量の少ない通りに面していて、そのぶん、内情は苦しいらしい。浅草では仲見世商店街からはずれると、閑古鳥が鳴くような寂しさなのだ。老舗の「お嬢さん」を派遣店員に出さなければならないというのは、そのあたりの消息を物語っている。・・・》
という文章がある。
  浅草は繁盛しているのか寂れつつあるのか? 
《 交差点を渡り、雷門を潜って仲見世通りに入る。
  この辺りはさすがに人通りが多かった。観音様へ行く道は、基本的には昔のような賑わいを見せていると言える。浅草名物雷おこしや人形焼きの店、土産物の店などが軒を接して並び、客が群れている。
  賑わいは観音様の境内まで続き、境内に群れる鳩に餌をやると風景も、いかにも浅草的であった。
  だが、雷門から観音様の本堂を結ぶ一直線を一歩外れると、気の抜けたような寂しさが漂っている。
  それに、驚くべきことだが、終戦直後、浅草寺の外堀に沿って、ズラリと軒を列(つら)ねていたテント張りの露天商が、数こそ少なくなったとはいえ、いまも健在だった。古着や雑貨といった扱う商品も、昔とそれほど変わりばえしない。
  いかにも貧しげで、見たところ、客はどの店にもいない。こういう店で品物を買う客が、この繁栄の時代にいるとは、とても信じられない。
  露天商の前を通り過ぎると、雪江は「まあまあ・・・」と溜め息をついた。
「なんだか、こういう風景を見ていると、苦しかったあの頃のことが、ありありと見えるような気がするわねえ」
気丈ばかりのような雪江が、妙にオズオズと、なるべく左右の風景を見ないようにして歩いていた。
・・・・
  花屋敷脇を抜けて六区に出ると、浅草の衰亡は一目瞭然であった。
  かつて無数の幟が立ち並び、広い通りいっぱいの雑踏があった浅草六区は、まるでゴーストタウンのごとくに寂れていた。
「まあまあ・・・」
 雪江はまた、嘆きの声を発した。隅田川や浅草に雪江が無意識のうちに恐れていたのは、こういう風景に出会うことだったのかもしれない。
 雪江は通りの真ん中に佇んで、しばらくのあいだ、空間を見つめてから、言った。
「昔ね、あなたのお父さまに連れられて、一度だけ、ここに来たことがあるのよ。エノケンやロッパが全盛の頃だったわね。水の江滝子が人気だった頃かしら。とにかくすごい人出で、この通りを歩くのに、お父さまを見失わないようにするのが精一杯でしたよ」
 その通りに、浅見たち三人以外、人がいなかった。嘘のような風景だ。
「浅草はどうなってしまったのかしら・・・・」 》
浅草にもそういう場所があるらしいのだが、しかし、仲見世通りや伝法院通り、浅草寺の境内は人が多い。外国人の旅行者も多いが日本人も多い。伝法院通りに、鼠小僧や白波五人男の像を作ったりという工夫も、人を呼び喜んでもらうのにも、特色を出そうと努力をしているところが見え、そのあたりにおいては、寂れてどうこうと思えるようなものはない。
  浅草は東武の始発駅であるものの、多くの私鉄の始発駅と違って山手線の駅ではなく、地下鉄も銀座線・浅草線ともに唯一、銀座線が渋谷に行くものの東京駅・品川駅・新宿駅・池袋駅に行かない路線で、乗り換え駅としては便利とは言えない、という点はあるかと思う・・・が、それだけに、独特の雰囲気を持っており、「外国人に人気」の場所で、ここに来ている外国人は日本のこの界隈が好きな人が多いように思える。

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↑ 伝法院通り(仲見世通りより東)から東を見ると、東京スカイツリーが正面に見える。
浅草公会堂南の通りから見たスカイツリー .JPG
↑ 伝法院通り(仲見世通りより西)に面した浅草公会堂の南側の通りより見た東京スカイツリー。
 東京スカイツリーの外観デザインについては賛否はあるかと思う。又、これだけ高い電波塔が本当に必要なのかという疑問もあるかと思う。しかし、ともかくも、ある程度、遠くから見たデザインについても考えて作られており、これを建てることについては、広く周知して建てられた。それに対して、[第706回]《旧近藤家長屋門・「ゆらぎ地蔵」・ゆらぎ地蔵前の池跡と飯山満緑地公園の池(船橋市)。「飯山満」の由来。高層岩山マンションは横暴!》https://shinkahousinght.at.webry.info/201907/article_3.html の終わりあたりで写真を掲載した「津田沼 ザ・タワー」は、ある程度離れた場所から見えた外観デザインについて、何ら考えられていない、あくまで、自分の方から見たものは考えても、どう見えるかについては考えられていない建物である。又、東京スカイツリーが、計画段階から広く周知して進められたのに対して、「津田沼 ザ・タワー」は「やったもん勝ち」みたいに工事が進められ、ふと気づくと巨大な人工的な岩山が出現していた、というやり口である。そういうやり口を正当な進め方と言うことができるだろうか? 私は言えないように思う。

  次回、雷門から本堂まで、満州地蔵・・・

  (2019.8.17.)

☆浅草寺と浅草
【1/2】伝法院通りの鼠小僧次郎吉と白波五人男 〔今回〕
【2/2】雷門から本堂、水子地蔵、宝蔵門、五重の塔、まんしゅう地蔵、影向堂、および「う〇こみたいの」https://shinkahousinght.at.webry.info/201908/article_4.html
鼠小僧次郎吉 (徳間文庫)
鼠小僧次郎吉 (徳間文庫)
鼠小僧次郎吉 (字が大きくハッキリ見えるシニアの目にやさしい)
鼠小僧次郎吉 (字が大きくハッキリ見えるシニアの目にやさしい)
隅田川殺人事件 (角川文庫)
隅田川殺人事件 (角川文庫)
《 「ところで浅見さん、どうやら私は、まもなく警察に連行されそうな雰囲気になってきましたよ」
笑いの残った声で、池沢は言っている。
「家の窓から見ていると、それらしい男が二人、三人と、周りをうろついていましてね。どうも、私が逃亡しはしまいかと、見張っている様子です」
「ほんとうですか・・・・」
 浅見は緊張した。
「だとすると、警察は本気ですね」
「やっぱりそうですか。浅見さんが言うのだから、間違いないですな。さて、どうしたものですかねえ。このままだと、逮捕は必至ですか」
「しかし、池沢さんにはアリバイがあるっておっしゃっていたそうじゃないですか」
「ははは、あれはちょっと眉唾ものでしてね。きちんと裏付けを取られると、引っ繰り返される可能性があります」
「えっ? それじゃ、まさか、アリバイ工作をしていたのが、バレたとでも?」
「まあそんなところです。しかし、言っておきますが、私は犯人なんかじゃありませんよ。ただ、日頃の行いが悪いせいで、別件をデッチ上げられるような弱みは、いくらでもありますからね。冤罪が得意な警察に逮捕されたら、もう何を言ってみても、おしまいという気がしないでもないものでして」
「ばかなことを・・・・」と言いかけた言葉を、浅見は口の中に戻した。さすがに、「得意」とまでは、警察の名誉のために言いたくないけれど、冤罪事件はたしかに後を絶たないのだ。大阪で起きた「十五万円ネコババ事件」なんかは、その典型的なものだった。
  善良な主婦が、十五万円を拾って、交番に届けたら、交番の巡査が金を使い込んだあげく、主婦を犯人に仕立て、おまけに警察署を上げるえ、その真相を包み隠そうとしたという、ほとんど信じられない事件が、堂々と行われたのである。
  これに類することは、日常茶飯で行われているのかもしれない。この事件の場合は、主役があくまでも善良な主婦だったから、なんとかマスコミや世間がバックアップしてくれたけれど、たとえば、これが浮浪者だったらどうだろう。まず、間違いなく闇から闇へと葬りさられてしまうはずだ。・・・》
(内田康夫『隅田川殺人事件』角川文庫 ↑ ) 

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