妙法院3 大玄関。千僧供養会の際に建てられた大規模な庫裏。宗教の寛容-妙法院門跡・蓮華王院【3/6】

[第652回]
  「大玄関(おおげんかん)」↓は重要文化財に指定されているのだが・・・、
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大玄関(おおげんかん)―江戸時代 (重要文化財)
  この建物は、東福門院(後水尾天皇中宮)縁の殿舎と伝え、御所より移築されたものです。二つの「車寄せ」を持ち、来賓を迎える玄関として用いられています。
  三室二十面にわたる松樹の障壁画は、桃山気風にあふれた狩野派の典型的作品です。その画法から二種が認められ、豪快な永徳様に、女性的で温雅な光信様が混在するのです。これらは移築の際に他の殿舎から転用されたものと推測されています。≫
( 妙法院でいただいた由緒書 )
※ 《ウィキペディア―狩野永徳》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%A9%E9%87%8E%E6%B0%B8%E5%BE%B3
《ウィキペディア―狩野光信》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%A9%E9%87%8E%E5%85%89%E4%BF%A1
   もっとも、大玄関や庫裏、宸殿は、外観を見ることはできるが、内部については、≪いま、寺は石垣と築地塀(ついじべい)に囲まれ、開かれた重厚な表門から庫裏は見えるが、内部は通常非公開。≫(『古寺を巡る26 妙法院 三十三間堂』2007.8.7.小学館)ということなので、障壁画など中は見ることはできない。

   大玄関は、奥で瑞龍殿、宸殿、龍華蔵、大黒堂・護摩堂・阿弥陀堂、大書院などと渡り廊下によってか、つながっているらしい。江戸時代のものらしい大書院(おおしょいん)は重要文化財に指定されていて、前方に庭園を増築する桃山式書院で、狩野派による三十八面の障壁画があるらしく、護摩堂は江戸時代初期の建立とされる、鳥羽天皇の皇后美福門院が創建した比叡山の常住金剛院を前身とし、重要文化財に指定される平安時代の作らしい不動明王立像が祀られているそうだが、それは見学はできない。

   そして、妙法院で唯一の建築の国宝である「庫裏(くり)」↓
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↑ 「庫裏(くり)」
≪ 庫裏(くり)-桃山時代 (国宝)
 「庫裏」は台所、あるいは日常的な居住施設を指します。
  吹き抜けのこの大建築は、天下統一のモニュメントとした大仏殿方広寺落慶の際、市中八宗の僧を招集し「千僧供養」を行なった時の遺構で、文禄4年(1595)の建立とされます。代表的な桃山建築で、梁間十三間、桁行十二間、棟高六十尺の本瓦葺入母屋造り、妻飾りの巨大な懸魚や、台所でありながら唐破風の玄関を持つなど特別の建物だったことを伺わせます。
  その内部は自然木の梁が豪快に走り、棟まで立ちのぼる束と貫の交錯する小屋組は圧倒的な力強さで見る者を魅了します。
  正面の円額「得此生」は、中国 東晋、陶淵明の詩句で、第37世堯恭法親王の書と伝えられます。≫
( 妙法院でいただいてきた由緒書 による)
≪ 妙法院 庫裏(くり)
  桃山時代 国宝
  大屋根に煙出しが見える豪壮な庫裏(寺の台所)。 1595年(文禄4)、大仏千僧会(せんそうえ)に際して建てられ、1000人余りの僧の食事が支度されたという。 天井には巨大な梁や貫(ぬき)が縦横に組まれ、豪快そのもの。磨きぬかれ黒光りする板の間の向こう、白い障子が心を和らげてくれる。≫
( 『古寺を巡る26 妙法院 三十三間堂』2007.8.7.小学館 )
   庫裏が立派で悪いことはないとしても、それにしても、庫裏にしては大きくて立派な建物だと思ったが、単に妙法院の庫裏ということではなく、豊臣秀吉が方広寺大仏殿落慶の際に「千僧供養」を行なった際の庫裏だったということか。
   ≪内部は自然木の梁が豪快に走り、棟まで立ちのぼる束と貫の交錯する小屋組≫ ≪天井には巨大な梁や貫が縦横に組まれ、豪快そのもの。黒光りする板の間の向こう、白い障子が心を和らげてくれる。≫という≪内部は通常非公開≫(『古寺を巡る26 妙法院 三十三間堂』2007)。
   「懸魚」て何だあ?・・・。 《ウィキペディア―破風》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B4%E9%A2%A8#懸魚 によると、≪ 懸魚(げぎょ)とは、破風板の下に装飾を目的として付けられる彫刻を施した板のことである。掛魚とも記す。通常の読みは「げぎょ」であるが、「けんぎょ」と読むこともある。発祥地と考えられている中国では垂魚とも呼ばれている。≫ と出ています。
※ 《コトバンク 懸魚(げぎょ)》https://kotobank.jp/word/%E6%87%B8%E9%AD%9A-59321
《コラム28 懸魚》http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/dokusyo/koramu/gegyo/gegyo.htm
《ウィキペディア―破風》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B4%E9%A2%A8

   「国家安康」「君臣豊楽」の鐘で有名な方広寺は今も存在するが、豊臣秀吉が造営した頃の方広寺は今の方広寺よりもはるかに広大な規模のものであったらしく、又、秀吉は、この妙法院の西のあたりに造営した方広寺を中心として、それより南の蓮華王院本堂(三十三間堂)も方広寺の一部分として取り込んで、その南に南大門を造り、東の妙法院もまた、方広寺の一部分に準ずるような扱いにしようとしたように見られる。そうであるからこそ、この庫裏もまた、大規模・ダイナミックでカネもかかっているだろうなあという建物になっているのだろう。

   豊臣秀吉は方広寺大仏殿落慶に際して、「千僧供養」「千僧会」といって、宗派を問わず千人を超える僧侶を集めて供養をさせた・・・というのだが、秀吉はそれで、おのれの権勢を誇示し、かつ、仏教を尊重する姿勢を見せたつもりであったのかもしれないが、実際には、戦国時代・安土桃山時代の「キリシタン大名」がどれだけキリスト教を理解していたかはかなり怪しいと言われるのと同様、伽藍を造営して「千僧供養会」を催したとしても、秀吉がどれだけ仏教を理解していたのかもかなり怪しいように思える。
   村上重良『日本の宗教』(1981.3.20.  岩波ジュニア新書)には、
≪ 日蓮宗では、一致義に立つ主流の身延派は、幕府(江戸幕府)にたいして従順で保護されましたが、不受不施派(ふじゅふせは)などの少数派は、封建支配に反抗して弾圧されました。
   不受不施派は、京都の妙覚寺の日奥(にちおう)(1565-1630)がひらいた派で、法華経を信じない謗法者(ほうぼうしゃ)から施しを受けず、またこれにこたえて読経などを施してはならないとすることから、この名があります。日奥は、秀吉が京都東山の方広寺につくった大仏の千僧供養会(せんぞうくようえ)に出仕を拒み、妙覚寺を去りました。
   井上清『日本の歴史 上』(1963.9.25.岩波新書)には、
≪ ・・・秀吉は延暦寺・高野山や本願寺でも、その封建領主化を完全におさえると、それ以上は圧迫せず、反対にこれを保護し、延暦寺も復興させ、寺領を寄進した。これも仏教各派を彼の権力に奉仕させるためで、彼に奉仕しない宗派は弾圧された。すなわち1595年、秀吉はじぶんがたてた京都の方広寺で、亡父母の供養の大法要をいとなみ、すべての宗派の僧に出仕を命じたが、法華宗の「不受不施(ふじゅふせ)派」――他宗の信者の施しを受けず、またこれに施しをしない主義の一派――の僧 日奥(にちおう)は、出仕を拒否した。秀吉は「祖師の法度たりと雖も、公議(秀吉)より仰せ付けられ候儀は格別」で、仏法よりも公議の命令が重いとして、それにしたがわない日奥を、京都から追放した。
   宗教をまったく自己の道具とみなした秀吉が、デウスの掟を至上とする切支丹を迫害するのは、必然のなりゆきであった。・・・・ ≫
とある。
   もともと、インドで仏教が始まった時には宗派はなかったわけで、日本でも奈良時代の奈良仏教においては、南都六宗と言っても、学派のようなものであったわけですが、その後、鎌倉時代の鎌倉仏教あたりから宗派による違いが顕著になり、特に、日蓮宗では、日蓮は「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」(念仏を唱えると無間地獄に落ちるぞ、禅は天魔の教えである、真言宗は亡国の教えだ、律宗は国賊である)という四箇格言を唱えたりしたように、相当排他的なところがあります。秀吉の時代においては、仏教といっても、それぞれの宗派において違いもあり、それぞれの宗派の都合もあるわけですから、宗派を問わずに秀吉の命に従って供養せよと言われても、その宗派の教えに真面目な僧にとってはそうはいかない場合もあるはずであり、そのあたりを理解しない政治家というのは、本人は仏教に熱心なつもりであったとしても、実質的にそうは言えないのではないか、宗教について、特に他の宗教宗派に対しての寛容さがないような態度・姿勢というものは、その人が信仰している宗教の宗教者としても決して評価されるものではないのではないでしょうか。
※ ≪南都六宗  なんとろくしゅう
 奈良時代の仏教の六学派。後世の宗派のように信仰を異にする教団ではなく、仏教哲学を研究するグループというべきもので、東大寺などには教派が同時に存在した。 ≫
( 全国歴史教育研究協議会編『新版 日本史用語集』1975.新版 山川出版社)

   1998年、(株)一条工務店http://ichijo.jp/ は、臨済宗方広寺派の深奥山方広寺(かつては、引佐郡なんとか町だったが、「平成の大合併」により、現在では、静岡県浜松市)での「座禅研修」と称する座禅に限定されないボーズが勝手な講釈する「研修」を従業員に強制したが、これは明らかに「信教の自由の侵害」である。従業員の間で伝わっていた話では、掛川営業所長の近藤雅夫(まさお。正夫?)が、深奥山方広寺が好きで、それで、従業員にも方広寺が実施している「研修」を強制しようと考えたという話だったが、近藤まさおは思い上がりも甚だしい。
   近藤まさお は(株)一条工務店で営業としての通算契約棟数が全国1位ということになっていたが、私はそれは八百長であると考えている。まず、野球選手でも、打率とか防御率は長くやっている選手が良い数字が残るというものでもないが、通算本塁打数・通算打点・通算盗塁数・通算勝利数は長くやればそれだけ多い数字が残りやすいもので、営業としての通算契約棟数というものも古くからいる人は通算棟数で見ると多くなるのは当然のことである。又、「率」として見る場合も、私が入社した1992年頃を境に、それまでと違って、(株)一条工務店は1展示場あたりの在籍営業数を同業他社よりも多くする「労働集約型」にしたので、古くからいる人とそれ以降に入社した人間では、それ以降に入社した人間の方が、誰がというのではなく全般に契約棟数は少なくなったので、その結果、「率」で見ても、古くからいる人間の方が有利になった。
  「収穫逓減の法則」で考えてみるべきである。1展示場あたり・一定地域あたりの営業の数を多くすると、その地域のその会社の契約獲得数は増えても、1営業あたりの契約数は減ることになるはずである。(株)一条工務店はそれである。2001年、伊香というイヌコロ(男。当時、30代前半?)が栃木県地域に「説明会」に来て、「住友林業の営業と一条工務店の営業では、住友林業の営業の平均年収は一条工務店の営業の平均年収の倍ありますが、営業ひとりあたりの契約棟数も住友林業の営業は一条工務店の営業の倍の契約をとっています。だから、一条工務店の営業も住友林業の営業と同じだけの契約をとれば住友林業の営業と同じだけの給料をもらえるということです。半分しか契約を取らない者が悪い」と恥知らずな発言をしたが、(株)一条工務店の1展示場あたりの営業は住友林業(株)の1展示場あたりの営業の倍以上の数がいたのだ。一定地域あたりの契約数でも見てみる必要がある。私は住友林業(株)のおっさんから「一条工務店さんはいったい展示場に何人いるんですか」と、(株)一条工務店が1展示場あたり在籍する従業員が多くてそのクルマが駐車場を占拠するために来客のクルマが停められなくなることがあると文句を言われたこともある。(ひとつには、展示場に配属してよいのは営業系の従業員のみで、設計・工事管理の従業員は展示場に配置してはならないとしている総合住宅展示場が多いが、(株)一条工務店は設計・工事管理の従業員も展示場に配属していた、ということもあるが。) それまで、年間50棟契約してもらえていた地域で営業の数だけ倍に増やせば100棟契約してもらえるようになるかというと、なるわけがない。(株)一条工務店はそんな感じのことをしていたのだ。又、住宅建築業の会社でも営業の守備範囲の広い会社と狭い会社があり、(株)一条工務店の営業は住宅建築業の会社の中では営業の守備範囲が広い(営業が担当する仕事が多い)会社で、(株)一条工務店の営業は住友林業(株)の営業よりも営業がやらないといけない仕事の範囲が広かった・多かったはずである。伊香という恥知らずは、それを承知の上で、このような詭弁を弄して自分だけオーナー経営者一族に好かれようとしたのである。ろくな人間ではないが、(株)一条工務店のオーナー経営者一族はそういうクズが大好きである。本多勝一『アメリカ合衆国』(朝日文庫)によると、ストウ夫人『アンクルトムスケビン(トムじいやの小屋)』の主人公アンクル=トムは、かつては「右の頬を打たれれば左の頬を差し出す」ヒューマニストのように評価されたが、最近ではアメリカ合衆国の黒人の間では、有色人種のくせに白人におべっかを使い自分だけが優遇してもらおうとする最低の裏切者のことを「アンクル=トム」と言うらしい。私が経営者であればアンクル=トムの従業員には警戒するが、(株)一条工務店のオーナー経営者はアンクル=トムが大好きだ。
   それについては、「長くいる人」であるということ自体に敬意を表するとしても、近藤まさお の場合は、在籍した営業所(展示場)が最初から最後まで静岡県西部(遠州地方)の掛川営業所(展示場)であり、これは、(株)一条工務店の発祥の地である遠州地方の営業所で、私が入社した1992年においては、東京都・神奈川県では「セゾン275S1」という主力商品を坪55万円で売らされていたのに対し、浜松・掛川では、なんと、坪48万円で大幅なダンピング販売をしていた。経済学上の需要曲線を思い描いてみるべきだ。浜松・掛川では坪48万円で売っているものを坪55万円で売らされるのと、東京都・神奈川県では坪55万円で売っているものを坪48万円でダンピング販売するのと、どちらが売りやすいか・売れやすいか。坪48万円でダンピング販売やった方が売れやすい・売りやすいのは明らかだ。「東京は浜松などよりも物価が高いですから」とか遠州人は言うのだが、坪48万円と坪55万円の違いほど物価が違うわけがない。そもそも、(株)一条工務店が使用している柱材の東濃桧・吉野桧・美作桧・博多桧というのは、東京都・神奈川県で建てる人用に買う時と浜松・掛川で建てる人用に買う時で物価が違うのか? (株)一条工務店で梁桁材として使用していたアメリカ合衆国オレゴン州ポートランドで購入していたという米松(ダグラスファー)は、東京都・神奈川県で建てる人用に買う時と浜松・掛川で建てる人用に買う時で物価が違うのか? そんなおかしな話があるわけがない。又、東京都・神奈川県よりも浜松・掛川の方が物価が安いとしても、東京都・神奈川県で坪55万円のものが浜松・掛川では坪48万円というのが、もしも妥当だというのなら、福島県あたりでは坪40万円くらいになって良さそうなものだが、ところがどっこい、福島県でも浜松・掛川と同じ坪48万円。こんなおかしなことはない。名古屋なんてのは東京圏・関西圏に次ぐ都市圏であるから東京都・神奈川県と同程度か、たとえ、東京都・神奈川県より安いとしても、東京都・神奈川県で坪55万円、浜松・掛川で坪48万円なら、名古屋では坪54万円か坪53万円くらいのものかと思うと、ところがどっこい、なんと、あきれたことに、坪49万5千円。こんなバカな話はない。 これでは、(株)一条工務店で浜松・掛川・名古屋で家を建てた人は東京都・神奈川県で(株)一条工務店で家を建てた人が(株)一条工務店に払ったカネで建てたようなものである。浜松・掛川・名古屋の営業は東京都・神奈川県の営業が契約してもらったお客様が(株)一条工務店に払ったカネから給料をもらったようなものである。 
   又、その頃、(株)一条工務店の建物は、「浜松向け」「静岡県西部向け」の建物であり、比較的それにその地域の人のニーズが近い地域においては受け入れられたが、東京都・神奈川県東部においては、「なに、これえ」「イナカの家みたい」「浜松の人というのはこういう家に住んでますの?」「うち、浜松で建てるんじゃないんですけどお」とか言われまくる商品だった。「お母さんとお嫁さんが一緒に調理のできるキッチン」とか「親戚中が集まった時も大丈夫な二間続きの和室」「感動の八寸角の大黒柱」とか、その頃の(株)一条工務店が「売り」にしていたものというのは、東京都・神奈川県東部においては「やっぱり、お宅は浜松ねえ」と言われるものだった。 住宅建築業の会社では全国一律にしている会社もありますが、そういう会社で幅が広い価格帯で商品を持っている会社と競合になる場合ですと、浜松の営業所に行った人や「研修」を一緒に受けた浜松近辺の営業所の人などに話を聞くと、東京都の営業が競合になっている商品と浜松・掛川の営業が競合になっている商品では、全国一律金額の住宅建築業の会社の商品では浜松・掛川の営業は東京都・神奈川県の営業が競合になっている商品よりもひと回り安い商品と競合になっていたのです。 東京都・神奈川県の営業が、「浜松のクラウン」「イナカのクラウン」を東京都・神奈川県で「都会のクラウン」との競合で売らされていたのに対し、浜松・掛川の人間は「浜松・掛川向きのクラウン」をカローラの値段でダンピング販売して「都会のカローラ」との競合で売っていたのです。クラウンをカローラの値段で売ったら、そりぁあ売れますよ。当たり前です。近藤まさお は継続的にそれをやってきた男なのです。
   又、(株)一条工務店は研修では、「一条工務店は、テレビ広告などはおこなわず、いいものを造れば売れるのだという方針でやってきた会社で、テレビ広告などにはお金をかけないかわりに工場見学会などを実施してお客様に理解してもらおうというようにやってきました」と教えておきながら、実際には、(株)一条工務店は東京都・神奈川県・千葉県などではテレビ広告はやっていなかったが、静岡県西部・愛知県ではテレビ広告はドカンと一発、大量にやってきた会社だったのだ。各展示場には、「木造住宅は地震に強いか」とかそういったビデオが備えられていたのだが、そういうビデオはどうやって作られたものかというと、静岡放送の住宅についてのテレビ番組のスポンサーに(株)一条工務店がなって作った番組の録画であった。な~にが、「テレビ広告などはしないで、いいものを造れば売れるという方針でやってきた会社」じゃ、何が! そういう嘘を「研修」で教えるものだから、私などは、会社が「研修」で教えていることだから嘘ではないだろうと思って、そのまんま、東京展示場に来場した人に話していたところ、浜松の生れで東京都に住んで東京都の会社に勤めているけれども、退職後には浜松に帰って浜松で家を建てたいと思っているという方が来場された際、「何、言ってんだよ。一条工務店、浜松でいっぱい、テレビ広告やってるじゃないの。嘘、言っちゃだめだよ。たしかに、東京ではテレビ広告はやってないけど。浜松では一条工務店はものすごくいっぱい、テレビ広告やってるじゃないの。嘘ついちゃだめだよ」と言われて、は? え? はあ? なんだってえ? と思って自分が「研修」で嘘を教えられたということに気づいた。
   さらに。(株)一条工務店では1990年代、束石に、他の多くの住宅建築業の会社が「ピンコロ」と言っていたさいころ型、立方体の小さいコンクリートの塊の束石を使用していたのに対して、浜松・掛川・名古屋では「マンホールの蓋みたい」なでっかい束石を使用していた。(株)一条工務店に入社してすぐの「研修」に講師役できた浜松の展示場に所属の古橋という男(当時、30代後半か40代前半くらい?)が、「一条工務店のような(マンホールの蓋みたいな)大きな束石でないと、小さい束石では地震で揺れた時に床束が束石からはずれてしまいます・・と、こうお客さんに話してください」と教えたので、私は自分が勤めた会社が「新入社員研修」で教えることだから、それは言われたようにしないといけないと思って、そう話したのだが、ところが、東京都では古橋が「こんな小さい束石では地震で揺れた時に床束が束石からはずれて落ちてしまいます」と教えたその小さい束石を使用していたのだ。こんなバカな話はない。東京都で坪55万円払った人の家には小さい束石を使って、浜松・掛川で坪48万円、名古屋で坪49万5千円しか払っていない人にでっかいマンホールの蓋みたいな束石を使用するとは、ひとをバカにするにもほどがある。しかも、(株)一条工務店のカタログには浜松・掛川・名古屋仕様のでっかい束石の写真を掲載していたため、東京都で契約して建築する人は、建築中に自分の家に(株)一条工務店のカタログに掲載されている写真のでっかい束石ではなく小さい束石が使われているということで、これはおかしいではないか! と抗議されることになったのだ。遠州人〔(株)一条工務店の遠州人〕はずるい、きたない、あつかましい、こすい、根性ババ、えげつない!  なんで、坪55万円払わされた人間に小さい束石を使って、坪48万円しか出さない人間にでっかいでっかいでっかいわあ♪の束石を使うのか?!?
   掛川営業所長の近藤まさお が通算契約棟数全国1位の成績を残したといっても、それは、ダンピング販売とテレビ広告の力で、「浜松・掛川向けのクラウン」をカローラの値段で売るという手法によって残した数字であり、明らかに八百長です。又、営業所長であるならば、ともかくも、一度くらいは、他府県の営業所に勤務する経験を持つべきですが、掛川にずう~ぅといて、それでいて、掛川でしか営業やったことない人間が、静岡県西部とは事情が違う場所の営業になんたらえらそうな口をきいてきたのです。
   但し、だから、近藤まさお さんを私は評価していないのかというと、実はそうでもないのです。私は、営業を評価する際に、数字だけで評価するということはせず、残っている数字とともに、その人がどういう動き方をしているか・その人が営業としてどういうことを言うかという点と両方を合わせて判断するようにしていました。なぜなら、「(株)一条工務店は営業所(展示場)による条件の差が甚だしい」と言われる会社であり、数字だけを見て、悪くない数字が残っていても、単に「ひまわり」(経営者か営業所長の好みのタイプ。別名、「長嶋みたいなやつ」)であるというだけの場合もありますし、在籍期間が短い人の場合は、「比較的景気のいい時期に在籍しただけ」という場合もあります。実際問題として、1990年代終わりから2000年まで栃木県佐野展示場にいた営業所長の五十嵐さんから経歴が五十嵐さんと似ていることから「好みのタイプ」(=「ひまわり」)だったらしいK岡くん(男。当時、40代前半)などは、動き方や発言内容から判断される営業についての姿勢・認識から考えてグラフに残っている過去の通算契約棟数が多すぎましたし、2001年に佐野展示場に移ってきたT木のおっさん(当時、50代。創価学会員)も、発言内容や営業としてやることから考えて通算契約棟数が多すぎます。私なんかは、この会社は私にいったい何の恨みがあるのかと思うくらい、条件の悪い営業所にばかり配属されてきたし、そういう所で、「なにくそ」と思って仕事をしてきましたから、そういう者が身に着けた視力で見ると、K岡さんなどは「明らかに甘ったれている」しその根性は簡単には改められそうにない、T木のおっさんについては「この人、ほんとに5年以上この会社で営業やってきた人なのお?」て感じがしました。 それに対して、近藤まさお さんについては、「通算契約棟数全国1位」というのは、これはどう考えても、ずえ~ったいに八百長! であるけれども、「研修」に講師役できた時に話した内容、私が所属する営業所に入社した人が「研修」に行った時に講師役できた近藤まさお さんがこういうことを話したと聞いた内容などは、もっともなものがあり、そちらで判断するならば、そんなに営業として悪くない人と考えていいのではないかと私は考えていました・・・が、もっともなことを言う時もあれば、やっぱり、「遠州人だけあって」「浜松・掛川など遠州地域で営業をしてきた人間だけあって」、「一条流遠州地域独善主義」ははっきりとは見られました。
   その近藤まさお さんが浜松市北西部の深奥山方広寺という臨済宗の寺が好きだということで、自分が好きなら好きでいいのですが、(株)一条工務店の従業員に深奥山方広寺での「座禅研修」と称する坊主の勝手な講釈を強制して受けさせたということは、これは近藤まさお さんが「売れる営業」であるかないかに関係なく、決して許されることではありませんし、又、一線の営業としては優秀であったとしても、それは「信教の自由の侵害」であって、日本国民として決して認めてはならないことである、ということを理解できないようは白痴は、一線の営業としてはともかく、管理する立場の役職にはつくべきではなく、つかせるべきではないということになります。このあたり、近藤まさお さんは反省してもらわないと困りますが、おそらく、理解はできない人ではないかと思えます。又、(株)一条工務店の経営者はこういった「信教の自由の侵害」をやってやろうという人が出現しても、それを阻止しないといけません。使用者は「信教の自由の侵害」をやろうという人にはそれを注意してやめさせないといけないし、従業員の「信教の自由」を守るのは使用者としての義務でもあります。
※ 深奥山方広寺 については、[第545回]《深奥山 方広寺(浜松市)と「信教の自由」の侵害【1】八百長の全国1位営業。遠州地域の営業の我田引水》https://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_1.html より15回にわたって述べましたので、御覧ください。

   千葉県で4店舗ほどもつリフォーム会社の(株)ウッディホームhttps://www.woodyhome.com/ の社長の細木さんは、倫理研究所(=倫理法人会)という戦前の「ひとのみち」で、神道系宗教団体にして右翼系政治団体、いわゆる「宗教右翼」と言われる団体に加入していた人でしたが、従業員に休日に倫理研究所の「研修」に「行きなさい」と「社長が命令してるんだあ~あ!」と命令しましたが、これも、当然のことながら、「信教の自由の侵害」であり許せません。 細木さんは、そして、倫理研究所は「倫理研究所は宗教の団体ではないんです。あくまでも、倫理・道徳の団体であってほしい、倫理・道徳を教えてあげてやろうと言っているのです。丸山先生に倫理・道徳を教えてもらいなさいと社長が言ってるんです」と言うのですが、そもそも、「倫理・道徳」というものは、それぞれの国民が自ら考えるべきものであり、社長に決められるものでもなければ、ましてや、倫理研究所だのその理事長の丸山某なる怪しい男に決められるものでもなく、丸山某などという謙虚さのない心得違いを起こした男に決められてそれを押しつけられる筋合いはありません。丸山なんとかというのは思い上がりも甚だしい。丸山こそ、倫理・道徳についての理解が適切ではないので、学び直す必要があるでしょう。細木さんは「『太陽を拝みなさい』とか、人間としてやって当然のことをやりなさいと教えてやってやろうと社長が言ってるんだあ。『太陽を拝みなさい』ということの、いったいどこが宗教なんですか。宗教であるわけがないでしょう」と言うのですが、「太陽を拝みなさい」というのは、はっきりと・きっちりと宗教です。無茶苦茶言ってもだめです。
   (株)ウッディホームhttps://www.woodyhome.com/ の社長の細木さんから「社長が太陽を拝みなさいと命令してるんだあ。社長が太陽を拝みなさいと命令しているのに、それを拝むことはできないというおまえは人間として欠陥があるんだあ!」と言って私は怒鳴りつけられたのだが、細木さんは豊臣秀吉にでもなったつもりなのだろうか。石田三成なんぞは秀吉からとりたててもらって、ともかくも、中大名にまでならせてもらったわけであり、そうでもならせてもらえるのなら、おのれの節操を捨てて太陽でもイワシの頭でも拝むということもありえないこともないのかもしれないが、(株)ウッディホームが従業員にそこまでの処遇をしていたかというとそうではなかったはずである。その後、勤めた会社で、(株)ウッディホームで知り合いがリフォームをやってもらったことがあるという人がいたのだが、その知り合いから(株)ウッディホームについて、「リフォームの工事の内容は悪くなかったけれども、倫理研究所を勧められたのにはまいった」と言われたと聞いたらしい。「おごる平家は久しからず」と言うが、豊臣家と豊臣政権が滅んだのもひとつにはそのあたりの傲慢さが原因としてあったのではないかとも思う。
   この倫理研究所(=倫理法人会)が特に問題があるのは、この団体は自営業のオーナー経営者に取り入り、「宗教を従業員に強制してはいけませんが、倫理研究所は宗教の団体ではないのです。倫理・道徳の団体なんです」などと詭弁を弄して従業員に強制する、という点に特徴があり、そのやり方で成り立っている団体であり、そのやり方で成り立っている団体としてこの団体の存在そのものが反社会的です。
   宗教者が、真摯に宗教に向き合おうとするならば、まず第一に必要なものは「信教の自由」を自分についてもひとに対しても守るという態度・姿勢です。この点で、深奥山方広寺や倫理研究所(=倫理法人会)は失格です。


   妙法院(妙法院門跡)は、東大路通 の東側、京阪「清水五条」駅より東に行った大谷本廟(西大谷)の前の「東山五条」交差点より南、京阪「七条」駅より東に進んだ智積院の前の「東山七条」交差点より北にあります。今回は、私は「清水五条」駅から大谷本廟に行って、その後に妙法院に行きましたが、京阪の「清水五条」駅と「七条」駅では、どちらかといえば、「七条」駅の方が近いようです。

   真言宗は古義真言宗・新義真言宗に分かれ、それぞれもまた「派」に分かれているらしいが、天台宗はどうなのかというと、《ウィキペディア―天台宗》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E5%AE%97 を見ると、天台宗の場合は、それほどいくつもに分かれているということはないらしく、山門派寺門派に分かれ、それに、天台真盛宗という真盛という坊さんの名前をつけた宗派があって、あえて言えば、天台宗を離脱して「和をもって貴しとなす」の「和」を名前として「和宗」を名のるようになった四天王寺などは、もとは天台宗に属していたので近いといえば近いのかもしれない。日蓮宗も天台宗から独立したような面もあると考えていいのかもしれませんが、今はずいぶんと違うように思えます。
   妙法院は天台宗の中ではどれに属するのかというと、山門派らしい。《ウィキペディア―天台宗》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E5%AE%97 によると、天台宗の山門派では、比叡山延暦寺が総本山で、「門跡寺院」・「大本山」・「別格本山」に「その他の寺院」があるらしい。 「大本山」は、中尊寺(岩手県平泉町)・輪王寺(栃木県日光市)・寛永寺(東京都台東区)・善光寺大勧進(長野市)の4つで、「別格本山」は14あって、大阪府貝塚市の水間寺・姫路市の書写山圓教寺・鳥取県の大山寺などがそうらしい。「その他の寺院」として名前が出ているものでは、栃木県佐野市の「佐野厄除け大師」惣宗寺・川越の喜多院・大阪府高槻市の神峰山寺・福岡県太宰府市の観世音寺などがあります。 「門跡寺院」は「総本山」「大本山」とかとは別で、「総本山」と「大本山」の間に記載されているということは、大本山より上の扱いということなのでしょうか。 「門跡寺院」としては、妙法院と青蓮院・三千院の門跡三寺院のほか、京都市では修学院離宮の南にある曼殊院、それに山科の毘沙門堂も天台宗の門跡寺院らしい。他に、滋賀県大津市の滋賀院が門跡寺院らしい。

   次回 は、三十三間堂の前に、南大門(みなみだいもん)。

   (2018.12.11.)

☆ 妙法院・三十三間堂・南大門
● 妙法院門跡
1.表門・フォーシーズンズホテル京都の側・土塀 https://shinkahousinght.at.webry.info/201812/article_1.html
2.宸殿・普賢堂ほか https://shinkahousinght.at.webry.info/201812/article_2.html
3.大玄関・庫裏 〔今回〕
● 智積院、南大門、法住寺、養源院と位置関係 https://shinkahousinght.at.webry.info/201812/article_4.html
● 蓮華王院(三十三間堂)
1.東大門・廻廊・蓮華王院本堂(三十三間堂)・鐘楼・庭園・西門 https://shinkahousinght.at.webry.info/201812/article_5.html
2.三十三間堂は木造軸組構法の基本。https://shinkahousinght.at.webry.info/201812/article_6.html 


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