内田康夫『沃野の伝説』で再認識する「会社の新人類 ゴキブリ絶叫女は家庭の教育が悪い」

[第604回]
   この2018年(平成30年)3月13日に他界した内田康夫の「推理小説」は、「推理小説」にしては純文学に近い性質のあるもので、又、「旅情ミステリー」とか「旅情派」とか言われて、日本各地(たまには、ドイツとか中国とかも)を訪ねて、その土地の「旅と歴史」をとりあげ、しょーもないありきたりの「観光案内書」よりもその土地を知るにはよっぽど役に立つ、又、読むと、その場所に行ってみたい気持ちになるもので、又、「社会派」とかいって、社会的な問題を題材とするものもある。 怪人21面相事件と部分的に共通する『白鳥殺人事件』や井の頭公園バラバラ殺人事件と部分的に共通する『幸福の手紙』などは、すべてが実際の事件そのままではないが、部分的には、そこに書かれているようなものだった可能性もあるかもしれない・・という印象を受ける作品でもある。 ところどころにユーモアを交えた表現もあり、内田康夫はそのユーモアを交えた表現がけっこう好きらしいのだが、「パソコン探偵 ゼニガタ」シリーズはそのユーモアの部分を集中させたもののようだが、「浅見光彦シリーズ」のように長く続かなかったというのは、内田のユーモアのある表現は、あくまでも、本体があってそこにユーモアのある表現が加わることで生きるもので、ユーモアだけ集中させても、1作・2作ならいいかもしれないが、いくつもの作品を期待される性質のものではなかった、ということだと思う。 「浅見光彦シリーズ」では、警察の問題点がしばしば指摘される。 浅見光彦というキャラクターは、「14歳年上の兄が警察庁刑事局長、兄は東大法学部卒で国家公務員1種試験合格で警察庁入庁のエリートであるのにたいし、作品により三流私大卒だったり、一浪で私立大卒だったり、駅弁大学卒だったりという学歴で、フリーのルポライターと必ずしも安定した職業ではない。 33歳で独身」というものだが、この「兄が警察庁刑事局長」というところから、たとえ、警察漢に因縁つけられても、最後の最後はその「浅見刑事局長さまの弟さまでしたかあ」という「水戸黄門の印籠」みたいのが出てきて、署長が揉み手しながら釈放してくれる・・・・という「お約束」というのかがあるが、同時に、警察のおかしな対応や警察漢の不遜な態度がそこで指摘される。内田康夫という人は、もしかして、この浅見光彦と同じように、「警察庁刑事局長の弟」か何かそういう立場の人で、だから、警察の内部についても一般の人間よりよく知っているところもあり、片方で警察を擁護するような書き方のものも時として出てくるのかと思ったのだが、《ウィキペディア―内田康夫》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E5%BA%B7%E5%A4%AB を見ると、内田康夫は、東京都北区(←滝野川区)の生れで、コピーライターをしたことがあり・・・といったあたりは浅見光彦と似ているのですが、≪父は長野県長野市出身の医師≫で「警察庁刑事局長」などではないらしいが、小説中での警察についての書き方は、『金沢殺人事件』で、浅見光彦の対警察の「立ち位置」とでもいったものを、≪ 浅見は警察庁刑事局長の兄がいる関係で、あまり警察の悪口は言いたくないほうに属する人間だが、それでも時折、いったい警察は何をやっているのだろう?――と、歯痒く思うことがある。≫と述べられているようなそういう「立ち位置」である。 又、浅見光彦が、警察・刑事から犯人扱いされて不愉快な思いをした後、「兄が警察庁刑事局長」ということを知ったことから突然態度が変わる署長を見て、ふてくされた態度をとるヒラの刑事の方より、むしろ、へこへこして出てくる署長の方にあきれた印象をもつというあたりは、実際にそれに似た経験のある人なのだろうか? という印象を受けるが、そのあたりについて書かれたものは見つからない。それとともに、特に推理や警察とは関係のない問題についての批判も時々登場する。

    会社の炊事場にゴキブリがでたからといって、「ギャア~ア」と下品な大声を上げて営業妨害・業務妨害をする。かつ、「ゴキブリの処理なんて男にさせればいいんだ」とあつかましい文句を口にする職場の「新人類」女、職場の「異星人」女について、
[第62回]《男性社員にゴキブリ処理をさせる方法、もしくは、「営業力のある女」と「ない女」~営業と会社の話(8)》http://shinkahousinght.at.webry.info/201109/article_2.html 、
[第102回]《ゴキブリ絶叫女は許容すべきか否定すべきかの考察、及、営業に必要な「垢落とし」が可能か不可能かの問題。》http://shinkahousinght.at.webry.info/201206/article_4.html
[第317回]《現実の見込客を見ずに、「研修」で教えられたものを信奉する営業の愚かさ 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201503/article_1.html 【7】
[第543回]《「ゴキブリも退治できない人間が母親になるな!」 及、灰原哀は江戸川コナンの敵であると判断される理由》http://shinkahousinght.at.webry.info/201706/article_1.html
・・・・で述べた。千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕は、2013年11月に正式に倒産した。はた迷惑な「新人類」女には、たとえ、その女が社長の嫁の友人であったとしても、社長はきっちりと注意しないといけない。むしろ、社長の嫁の友人というのは、一般従業員の立場では注意しにくい相手であるから、そうであればこそ、社長はバカ女にきっちりと注意しないといけないし、社長の嫁も現実に会社から「給料」をもらっていたはずであり、後に嫁の河野利華(女。当時、40代前半)はビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕の方の代表取締役になったのであるから、自分が紹介して入社させたバカ女が会社と周囲の従業員に迷惑をかけていることに責任を感じないといけないはずであり、社長の嫁(後にビルダーズジャパン(株)の代表取締役)は、責任をもって、バカ女に注意する責任がある。それを注意できない男・女が経営者である会社は、思ったよりも早く倒産した。もっと早く倒産してくれておれば、私なども被害にあわなくてすんだのだが、中途半端な時期に倒産したことから、私は被害にあうことになった。
    恐怖の「ゴキブリ絶叫女」滝口恵(女。当時、30代前半)については、すでに↑の62・102・317・543回で述べたので、そちらを見ていただきたい。 「恐怖の」というのは、それは、バカ女と同じ職場に勤務させられた周囲の従業員にとって「恐怖の」という意味です。 実際、滝口を見て「恐怖」を感じました。

    内田康夫『沃野の伝説 (上・下)』(2011.1.15.徳間文庫)を読んでいて、やっぱり、そうだよなあ・・と思った箇所があった。“恐怖の「職場のゴキブリ絶叫女」”というのは、それは「親の教育が悪い」のであり、次に「前職の社員教育が悪い」のである。私は滝口を見て、この女は「家庭がよくない」なあ~あ・・・と思った。 この場合、「家庭がよくない」というのは、金持ちか貧乏かということとは別の問題である。 金持ちでも「家庭がよくない」家はある。 慶應大学に在学中、「幼稚舎から慶應」というある男が、「種無しブドウなんて、そんなもの、よく食うなあ~あ」と言い出したことがあり、なんで? と驚いたところ、「種無しブドウなんて、そんなもの、ひとつひとつちぎって口にいれるなんて、そんなめんどくさいことなんてできるかあ!」と言うのだった。「ひとに皮をむいてもらって、お皿に盛ってもらって、スプーンですくって食べるのなら食べるけれども、そんなもの、自分でひとつひとつちぎって口にいれるなんて、そんなおかしなこと、できるかあ!」と言うのだった。私はそれを聞いてびっくりしたのだが、彼にとってはそれが「正しい種無しブドウの食べ方」だったのだ。「蜜柑だってそうだ。自分で皮をむいて、ひとつひとつ口にいれるなんて、そんなおかしなことできるかあ!」と言うのだ。 「ひとに皮をむいてもらってカラスにしてもらってなら、食べるけれども、自分で蜜柑の皮をむいて食べるなんて、そんなおかしなことできるかあ!」と大威張りで言うのだった。「かわいそうな教育うけとるなあ、こいつ!」とあきれた。 ところが、その男が言うのだった。「外部の連中(慶應の内部進学の人は大学だけ慶應に行ったという人間のことを「(慶應義塾の)外部の連中」とか「(慶應義塾の)外部の者」と言う。失礼な言い方だと思うが、彼らはそれを失礼だとはまったく考えていない。)を教育してやらんといかんからなあ」などと発言したのだ。あきれた。この「ほとんどビョーキ」になんで「教育」されにゃならんのだ! アホか! ふざけんな! こちらは小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのだ。おまえら内部進学とは違うのだ。私などは、公立小学校で、「食べ物は好き嫌いをせず、何でも食べるようにしましょう」と「教育」されたし、又、種無しブドウは自分でひとつひとつ房からちぎって口にいれるもので、蜜柑は自分で外皮をむいて、ひとつひとつ、内皮のまま食べるものだ、と教えられた・・・というよりも、教えられなくてもそれが普通だった。種無しブドウを「ひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食べる」とか、蜜柑を「ひとに皮をむいてもらってカラスにしてもらって食べる」とかなどという「内部進学流種無しブドウの食べ方」「内部進学流蜜柑の食べ方」などというそんな食べ方があるとは夢にも思わなかった。「想定外」の食べ方である。 ところが、内部進学の人間というのは「外部の連中を教育してやらんといかんからなあ」などと言うのだ。慶應大学商学部で「会計学総論」という講義を担当していた黒川行治という助教授(慶應中等部→慶應義塾高校→慶應大学工学部→慶應大学商学部助教授・・・その後、教授→名誉教授)というおっさん(当時、30歳)は、「会計学総論」という講義の最中に、「この僕は中等部から慶應に行ってるんだぞお。我々内部進学の人間はおまえら(慶應義塾の)外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ。おまえらは自分たちは受験でいい成績をとった秀才だとか思ってるんだろお! そんなものは受験勉強だ。小学校から高校までの勉強は害があるんだ。その点、我々内部進学の人間は『塾風』というものを身につけている。 その内部進学のこのぼくが、おまえら外部の者に口をきいてやってるんだぞお。内部進学のこのぼくがおまえら外部の者に話をしてやってるんだぞお。わかってんのかあ! もっと畏まって聞きなさい。わかってんのかあ!」と絶叫なさったことがあったが、慶應の内部進学の人達というのは、なんか、変った「教育」受けとんなあ~あ・・・、なんか、どいつもこいつも、かわいそうな教育うけとんなあ~あ・・・と思ったものだった。 ここの学校に行くと、黒川行治サンがおっしゃる「内部進学の者」から病原菌みたいなものを移され悪影響うけそうで、こんな学校、行かされるのは嫌だなあ~あ・・・、せっかく、小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきて、旧帝大系国立大学に十分行ける可能性があるという所まで学んできたのに、こういうアホと関わって、ビョーキ移されるのはかなわんなあ~あ・・・と思ったものだった。「幼稚舎から慶應」の男、いわば「本物の慶大生」「サラブレッド的慶大生」「福沢精神を身につけた慶應ボーイ」「ギャルにもてもて」「自我が確立されているスマートな塾生」とかいう男(私と同年齢)〔私などはその逆と評価されるわけで、「慶大生と言えるのは最低でも高校から慶應に行った者のこと」と言われてニセモノ扱いされるし、「福沢精神を身につけていない」と言われるし、「おまえなんかと結婚する女なくなるぞお」と言われるし、「自我が確立されていない」とか「未成熟」とか「独立自尊の精神が身についていない」とか「モラトリアム人間病にかかっている」とか「診断」されるわけである。もう、「何でも好きに言っとけ!」て感じ。〕は、私に向かってこう言ったのです。 「こらあ! むけえ!」と。彼ら慶應の内部進学は公立高校出身者というのはドジンだと思っているのです。 だから、植民地の白人支配者のような立場である内部進学者はドジンを支配し「教育」する権利があるのみならず義務がある、という信念を持っているのです。だから、ドジンは白人の支配者のために、種無しブドウをひとつひとつ皮をむいてお皿に盛って差し上げる義務があるのです、慶應大学という所では。彼ら「本物の慶大生」はそう思っているのです。しかし、私などは、小学校に行く前から、「種無しブドウというものは、自分でひとつひとつ皮をむいて口に入れるものです」と「教育」されてきたのです。だから、彼ら内部進学(「本物の慶大生」「ギャルにもてもて」)と私とは大学に入学するまでに受けてきた「教育」が正反対なのです。そして、かれらは自分たちが受けてきた「種無しブドウはひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食べる」ものだという「教育」が正しく、私などが受けてきた「種無しブドウは自分で房からひとつひとつちぎって口に入れて食べるものだ」という「教育」は「そんなものは受験勉強だ。害があるんだ」と思っておるわけで、彼らはそういう「教育」を受けてきたのです。種無しブドウをひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食べるという「慶應幼稚舎流種無しブドウの食べ方」をする男、私に「こらあ! むけえ!」と怒鳴りつけた男というのは、どうも、会社の社長の息子のようですから、女性にとっては私なんかと結婚するよりもその内部進学と結婚する方がよっぽど幸せだと思います。この点は否定しません。世の中、なんやかんや言うてもカネや! なにしろ、マルクスさんもおっしゃっているように、生産手段を支配する者はすべてを支配するのです。私なんかと結婚してもいいことありません。種無しブドウをひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食べる人と結婚した方が女性には幸せでしょう。種無しブドウは自分で房からちぎって口に入れて食べるものだと思っている人間にとってはそういう男と一緒に食事をすると不快指数が上昇しますけれども、そんなことを言うと、「受験勉強の悪影響だ」とか「思考に柔軟性がない」とか「自我が確立されていない」とか「未成熟」とか「モラトリアム人間病にかかっている」とか「塾風を身につけていない」とか「なんたらシンドローム」とか「かんたら症候群」とか「診断」されますから、こわい、こわい、怖い、怖い!!! なにしろ、慶應大学という学校では、内部進学の人というのは、「えらい、偉い、エライ、えらい! あんた、えらい、あんた、エライ。えらい、えらい、えら~い! あんた、天皇へーか、あんた、天皇へーか、あんた、天皇へーか! えらいえらいえら~い!」とでも言っておかないといけません。「雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ」、「耐えがたきを耐え忍び難きを忍び」、「韓信の股くぐり」と思って我慢を続けて、そんなしょーもない学校をともかく「大卒」の学歴を取得するためだけに卒業しました・・・・が、しかし、ガリレオ=ガリレイは処刑される時、最後の最後に言ったといいます。「それでも、地球はまわっている」と。私も、言いたい気持ちはあるのです。「それでも、種無しブドウは自分で房からひとつひとつちぎって口に入れて食べるものだ」と。言うと、「おまえはまだ受験勉強の悪影響が抜けないな」とか「まちがいなく、モラトリアム人間病だ」とか言われるでしょうけれども。要するに内部進学小此木啓吾にとっては「内部進学は常に正しい、内部進学を批判する者は常に悪である」というのが彼らの思想、小此木啓吾の「医学」とは「内部進学は常に正しい、内部進学を批判する者は常に悪であり『治療』とか『教育』と称して加工してやる必要がある」というのが小此木理論なのです。安部公房『第四間氷期』で似た話があります。一人だけ、うまく加工されなかった人間がいた、という話。いわば、私は『第四間氷期』に出てくるその一人だけうまく加工されなかった人間みたいなものなのです。うまく加工された成功作の代表格が小此木啓吾であり「種無しブドウをひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う」「本物の慶應ボーイ」「ギャルにもてもて!」」なのです。

   ・・・・で、ちょっと話が横にそれてしまったような所もありますが、世の中、「教育」といってもいろんな「教育」があります。私は慶應大学で内部進学の教授とか内部進学の学生とかを見て、おまえこそ教育される必要があるのと違うのか、と何度も思いました。
   私などは、ゴキブリが出たならば、見つけた者が処理するべきだと考えていますし、ひとに処理してもらおうなどと考えるバカ女は、そんな人というのは、会社としては採用した意味がないことになります。特に、従業員の間で「分業」する場合、かつては、炊事関係は女性の仕事とされていたのですが、お茶を入れたりといったことを「女性の仕事」にしてはいけない、それでは「男女差別」だと言われるようになりました・・・・が、私などは戸建住宅建築業の会社に長く勤めてきて展示場に勤務も長くしてきましたので、来客のお茶を出すということは普通のこととしてやってきました。 だから、男性がお茶を入れて出すということに抵抗を感じたりすることはありません。 しかし、女性にもいろいろな人がいます。たとえば、2008年、千葉県八千代市に本社がある「建築もやっているが売買の不動産業の方が中心」の東海住宅(株)http://www.10kai.co.jp/ の花見川店の店長になっていた「ゆうこりん」(仮名)(当時、50代)は、2月頃でしたか、雪が積もった時、花見川店の駐車場と玄関前の雪かきを私にやってくれと言い、さらに、八千代市大和田の建売と建築条件付きの分譲地の雪かきも私にやってくれといい、その両方を私にさせておいて、雪かきのような力のいる仕事は「男がやるのが当たりまえでしょ」と言うのですが、男であっても私などは椎間板ヘルニアで整形外科医からできるだけ思い物を持ったり腰に負担がかかるようなことはしないように言われているのですが、建築屋に勤めてそうも言ってられないのでやってきましたが、しかし、それなら、「男がやるのが当たり前」かというと、「当たり前」ということではないと思うのです・・・・が、「ゆうこりん」は「男がやるのが当たり前でしょ」と主張するのです。そうなると、ね。男性が10人いて女性はいない職場なら、雪かきをする仕事は10等分です。中にさぼる人間、逃げる人間というのもいくらかいるかもしれませんが、基本的には10等分です。ところが、男が5人、女が5人の職場ですと、男性は2人分、雪かきをしなければならないことになるのです。男が1人、女が9人の職場になると、男性は10人分の雪かきをしなければならない、という理屈になるのです。 雪かきとお茶を入れたり出したりとどっちが大変だと思いますか? 間違いなく、雪かきの方が大変ですね。しかし、それでも、たとえば、私が雪かきをしている時に、「ゆうこりん」が、炊事場の掃除でもするのなら、それはそれでいいと思います。終わった後、「どうも、ご苦労様。ありがとう」というひと言でも言ってくれれば、より大変な方の仕事を男性がやったとしても、時としてそういうことだってあってもいいでしょう。 しかし、「ゆうこりん」はそうではないのです。男性に雪かきをさせると、おのれは部屋の中に入って座ってコーヒー入れて飲むのです。 まさに「おばはん帝国主義」です。「おばはん、通れば、道理ひっこむ」というのか、「そこのけ、そこのけ、おばはん 通る」とでも言ったものか。そりぁ、ないだろうが! と思うのですが、「ゆうこりん」にとってはそれが普通なのです。この話、ある建設業の派遣をやっている会社の社長に話したところ、「う~ん。あるある、そういうの。いるいる、そういうの」と実感こめてうなづかれました。 そういう女性というのが、実際にいるのです。すべての女性がということではありません。1989年、小堀住研(株)の松戸展示場にいた時、冬、相当雪が降って積もった日に、私が担当の栃木県で建築予定の契約客との打ち合わせに栃木県の工事部の人が松戸までクルマで来てくれるということがあり、栃木県から千葉県の松戸まで来てくれる人のために、展示場の前の雪かきをしていたところ、「営業補助」として勤務していたMさん(女。当時、20代前半)が出てきて一緒に雪かきをしてくれるので、「中に入ってればいいよ。俺がやるから」と言っても、「一緒にやる」と言って、ふうふう言いながら一緒に雪かきをしてくれたということがありました。Mさんにとっては、男でも女でも従業員である以上、ひとが雪かきをしているのに、部屋中に入って休んでいることはないという認識だったようで、Mさんには東海住宅(株)の店長の「ゆうこりん」のように、「雪かきは男の仕事でしょ。当たり前でしょ」という認識はなかったようです。 「ゆうこりん」は片方で、「雪かきは男性の仕事でしょ」と言うのですが、一方、「お茶出しは男も女もないからね」とも言うのです。やっていいですよ。しかた、片方で「雪かきは男がやるのが当たり前でしょ」と言って、私に雪かきをさせておいて、おのれは部屋中に入って座ってコーヒーを飲んで、他方で「お茶出しは男も女もないからね」というのは、そういうのを「男女平等」と言うのかというと、なんかこう違うような気がするのです。 そして、「ゆうこりん」は言うのです。「女が働くのは大変なんだからねえ!」と。しかし、「ゆうこりん」が働いて、その給料で私が食べさせてもらっているとかいうのなら、「女が働くのは大変なんだからねえ」と言われても、「はあ、そりぁ、どうもすいませんねえ」とでも言うべきでしょうけれども、そうではないのです。私は「ゆうこりん」に食べさせてもらってるのではないのです。そんなに「女が働くのは大変」なら、働いてもらわなくてけっこうです。私が雪かきをしている時に、部屋中に入って座ってコーヒー飲むのがそんなに大変なのか? 違うと思いますよ。

   さて、内田康夫『沃野の伝説 (上・下)』(2011.1.15.徳間文庫)は米の問題についてふれたもので、ひとによっては「社会派」の「推理小説」と言ったりしているようで、1993年8月から1994年6月に「週刊朝日」に連載された後、1994年12月に朝日新聞社から刊行され、今は徳間文庫で2分冊で新刊のものが手に入るようですが、2分冊の「上」の方にこのような記述があります。
≪  だが、浅見家の平穏はほんの束の間でしかなかった。浅見の笑顔が消えないうちに、キッチンで和子の悲鳴が上がった。
   場合が場合だけに、浅見はギョッとして、すぐに腰を浮かせたが、雪江は「何ですねえ・・・・」とかすかに眉をひそめてから、「見てらっしゃい」と息子に命じた。 たとえ槍が降ろうと、生首が転がりでようと、みだりに悲鳴など上げるのは慎みの欠ける、はしたないことだと言いたいのだ。
   キッチンでは床に十キロ入りのビニールの米袋が落ちて、周辺に米が散乱している。 兄嫁はその真ん中辺りを指さして「虫ですよ、虫・・・・」と消え入りそうな声を発した。
   なるほど、白い米の山の上を黒い虫が這っている。 白い中に黒だから、存在感が異様に強調される。
   体調が三ミリほどの鼻の尖った、あまり可愛くない虫である。浅見もこの手の生き物はあまり好きでないから、兄嫁の脇からこわごわ覗き込んだ。
「さっき、お米屋さんから届けてもらったばかりなの。美味しいコシヒカリだっていうから、さっそく炊いてみようかしらって思って、計量カップでしゃくったら、その中に入っていたんですのよ・・・・・」
  その計量カップはキッチンの隅まで転がっている。虫に驚いて放り出したらしい。
「何の虫かしら、それ?」
「さあ?・・・・」
「気味が悪いわねえ」
  たしかに、米の上をモゾモゾと緩慢な動作で這う姿は、愛嬌というにはほど遠い。
「何ですねえ、それはコクゾウムシじゃありませんか」
  いつのまに来たのか、二人の背後から雪江がさも嘆かわしそうに言った。
「そんなものは、昔はお米にはつきものでしたよ」
「ふーん、そうなんですか」
  浅見は母親の物知りに敬服した。・・・・・・ ≫
    そうだよなあ・・と思った。 私が子供の頃、家にゴキブリが出て姉が声をあげたりすると、父は「静かにしなさい」とたしなめたものだ。私は大学生であった時、ずいぶんといろいろな職場にアルバイトで行ったが、女性が多い職場というのにも行ったことがあるが、ある化粧品会社の工場では、乳液とかクリームとかを作るのは男性がおこなっていたが、それを化粧箱に詰めたりする作業は女性がおこなっていたのだが、そういう場所で、ゴキブリが出たとしても、当然、女性社員は自分たちで処理していた。そもそも、ゴキブリが出たからといって、それを男性に処理してもらおうなどという発想は彼女らにはなかった。箱詰めなどは主として女性にやってもらうことにしているのに、それを、ゴキブリが出たからといって、いちいち、男性従業員を呼んできていたのでは仕事にならないし、そもそも、男性従業員というのはゴキブリの処理をするために会社に来ているのではない。ゴキブリが出たから処理をしてくれなどと男性従業員に言うのは失礼である。
   2011年、4月だったか、新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕に社長の嫁の友人だとして縁故入社した滝口恵(女。当時、30代前半)〔愛称「縁故のメグ」〕が、入社早々、会社の炊事場付近で、「ギャア~ア!」と下品な大声をあげるので、いったい何があったのか。 凶悪犯が刃物もって押し入ったとかあったのか? と思ったら、ゴキブリがいたというので、あきれた。業務妨害・営業妨害もいいところである。
   私が大学生であった時にアルバイトに行った化粧品会社の工場の女性社員(正社員の人は、当時、20代から30代)は、ゴキブリがいたとしても、ゴキブリは好きではないとしても、滝口のように下品な大声をあげるなどということをする人間は誰ひとりとしてなかった。小堀住研(株)の松戸展示場に「営業補助」としていたMさん(当時、20代前半)は、展示場の炊事場にゴキブリが出ても、だからといって、滝口(愛称「縁故のメグ」)みたいに下品な大声あげるなどということをしたことは一度もなかった。 そもそも、ゴキブリが出たからといって、なにゆえに下品な大声をあげなければならないのか。 YouTubeにはいっているものもあるが、漫才師の「海原やすよ ともこ」が話していたが、「そんなもん、びっくりしたという時に、『ああ、びっくりしちゃった♪』なんて、そんなこと、普通、言えへんでえ~え」と。「普通、びっくりした時というのは、『うわっ』て、そんなもんやでえ~え」と。 だから、「ああ、びっくりしちゃった♪」などとカッコつける女というのは、そういう言い方をすることで、びっくりしたからではなく、たいてい、男性にかわいこぶりっこしているのだ、というのだ。 「海原やすよ ともこ」の漫才は大変おもしろい! 今、現役の漫才師で最も面白い漫才師というと、「海原やすよ ともこ」だと私は思っている。その片方が病気で手術したとかいう記事が出てきたが、大事に治療して復帰してほしいと思う。
   それを、「ギャア~ア!」と下品な大声をあげるというのは、業務妨害・営業妨害もいいところであるとともに、その女の育ちの悪さ、受けてきた教育の質の悪さがそこに出ている、と考えるしかない。「何ですねえ・・・・」と浅見家の姑のように言ってやった方がいいでしょう。そういうバカ女には。そういうバカ女には、大声あげれば、ひとは言うことをきいてくれるというものではない、ということをわからせてやらないといけません。
   私は男性ですが、子供の頃、道で転んだとかいう場合でも、母親から、「泣きなさんな。泣くのではなく、痛いのなら痛いで、どこがどう痛いのか言いなさい」と教えられたものだ。 だから、道で転んだ時に「ギャア~ア!」とわめきちらす子供とか、あるいは、何かが欲しいと言って買ってもらえない時に、道端や売場の床に寝転がって「ギャア~ア!」と叫ぶ子供を見ると、バカな奴だとずっと思って来たし、私はそういうことはしなかった。そういうことをする男とか女とかは、それだけ、親の教育が悪い家庭の人間だと思ってきた。30過ぎて、すでに結婚して夫を持って、すでに2人も子供まで持ってまで、「ギャア~ア!」と叫ぶ女というのは、そういうバカ女というのは、「本来、子供を持つ資格はない」と判断されていいはずだが、「少子高齢化対策のために」などという大義名分が登場して、後先考えずに子供を作る男・女が礼賛されてみたりする最近の風潮はなんとも嘆かわしいものである。
   滝口恵が「ギャア~ア」と下品な大声をあげるというのは、それは、教育の悪い家庭の子供が、道の真中とか店の売り場の床の上とかに寝転がって「ギャア~ア」と大声あげるのと一緒。 大声あげたからといって、そんな者の「言うことをきく」などということをしたのでは、それこそ、道の真中に寝転がって「ギャ~ア」と大声あげたり、店の床に寝転がって大声上げたりするききわけの悪い教育の悪い家庭の子供の言うことならきくが、そんなことはしないきっちりとした教育の子供にはいくらでも我慢させるような、そんな対応です。 職場で「ギャア~ア」と下品な大声あげるようなバカ女は、上役がきっちりと言ってきかすべきです。子供以下なのですから、そのバカ女は。そんな人間の「言うことをきく」という対応をしてしまったのでは、職場で少々嫌なことがあっても我慢して働いている男性従業員・女性従業員にはいくらでも我慢させて、「ギャア~ア」と大声あげればその職場ではひとは「言うことをきく」と思いこんでいるようなバカ女には我儘放題させる、という結果になってしまいます。新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)ではそうなっていたようなところがあります。
   兵庫県議の野々村竜太郎が会見で嘘泣きやってみせた後、大阪市長だった橋下徹が、記者に「皆さん、ぼくになら、う~わあ~っと言うのに、どうして彼には言わないのですか」と言い、記者が「だって、泣くもん」と言ったのに対して、「泣いたらそれでいいんですか、泣いたら。 泣いたらいいのなら、ぼくも泣きますよ」と発言したが、この部分については橋下の発言は正しい。 職場で「ギャア~ア」と下品な大声あげたら、周囲の従業員が自分の「言うことをきく」などと思って下品な大声あげるバカ女の「言うことをきく」などという対応をしてよいのなら、それやればひとが言うことをきいてくれるのなら、、会社が言うことをきいてくれるのなら、「それなら、ぼくも叫びますよ、ぼくも!」、ということになる。

    さらに、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長 長谷川新二の嫁で後にビルダーズジャパン(株)の代表取締役 河野利華の友人だとして縁故入社した滝口恵(女。当時、30代前半)は、「ゴキブリの処理なんて、男にさせればいいんだ。これだけ、男がいるんだから」などとあきれた口をきいた。 何人、男性従業員がいても、その「男」は滝口恵のためにゴキブリの処理をするためにいるのではありません。 又、滝口は入社したばかりで、滝口よりも下の立場の従業員は男性にも女性にもいなかったはずであり、このバカ女は、いったい、誰にそれをさせるつもりで、そういうバカなことを口にしていたのか。 あきれました。
   私がこれまでに勤めてきた会社の女性社員で、ゴキブリが出たからといって、「ゴキブリの処理なんて男にやってもらえばいいんだ」などと口にする人間は滝口以外にはひとりもいなかった。 滝口は既婚で、すでにその時点で子供を2人持っていたのだが、滝口のオットというのは滝口にとって「ゴキブリの処理係」なのだろうか? とすると、ずいぶんと情けないオットである。
   内田康夫の作品では、『白鳥殺人事件』(2006.6.20.祥伝社文庫)に、次のような記述がある。
≪ ・・・もちろん、捜査員は型どおりに指紋の採取をして帰ったものの、犯人が指紋を残すようなヘマをするとは思えなかった。
 何よりも実害がなかったことが、警察のやる気を阻害した。
「まあ、何も取られた物がないようだし、怪我もなかったし、よかったじゃないですか。今後は長く留守にするようなら、ご近所や警察に声をかけてくれるようにしてください。ひと声かけてカギかけて、ですよ。 そうそう、カギも新しいのに変えた方がいいですね。 それに、早くお婿さんを取るのがいちばんいい。お嬢さん一人じゃ物騒ですからなあ」
 あははは、と笑って引き上げた。
(失礼しちゃう――)と玲子は憤慨した。結婚相手を用心棒か何かと勘違いしているのじゃないか――。
  刑事たちが引き上げたのが零時過ぎ。様子をうかがいにきた、隣り近所の連中も帰ってしまうと、ヒーターもつけずにいた家の中が、急に冷え冷えと感じられた。・・・≫
   『白鳥殺人事件』の登場人物の玲子は、結婚相手というもの、夫というものは「用心棒か何か」ではない、ということを認識している女性である。たとえ、夫が妻を守ろうとすることがあったとしても、夫は「用心棒か何か」ではない。ましてや、夫は「ゴキブリの処理をする係」ではないし、男性というものは「ゴキブリの処理をする」ためにいるのではない。そのあたりをきっちりと認識できている女性はその分だけ精神的に豊かな人間であり、夫や男性を「ゴキブリの処理をする係」みたいに思っている女というのはその分だけ精神面が貧困な女であり親の教育が悪いということであり、育った家庭が良くないということである。
   戸建住宅建築業という仕事は、一方において、「ハウス」(house)を作る、安全な建物を造るという面があるが、他方において、「ホーム」(home)を作る、そこで家族が暮らし、なごやかな家庭を作ることの手助けをする、という面がある。夫や男性を「ゴキブリの処理係」などと考えるような貧困な精神で傲慢な根性の女というのは、その分だけ、戸建住宅建築業には向かない人間である、ということになる。戸建住宅建築業の会社の経営者はそのあたりも考えて、人を採用するか採用しないか考えるべきであり、その人にどういう仕事を担当してもらうかも考えるべきである。考えるアタマのない社長の会社はどうなるかというと・・・、2013年11月に正式に倒産した。

   (2018.4.22.)


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