あけおめ。放生寺(新宿区) 参拝。お地蔵さん、「子供帝国主義」の女とそのオットを懲らしめてください

[第581回] 2018年の第2回 (会社と営業の話(141) )
   早稲田大学の法学部・政治経済学部・商学部などがある早稲田キャンパスと文学部などのある戸山キャンパスの真中あたりの交差点、「馬場下」交差点の北西側のカドに 穴八幡宮 があり、穴八幡神社の南側、早稲田大学戸山キャンパスの道路を隔てた向かいあたりの位置に、光松山 放生寺がある。


   穴八幡宮 は、《ウィキペディア-穴八幡宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%B4%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE には、≪現在同神社は旧別当の放生寺と日本キリスト教団早稲田教会と隣接しており、神道、仏教、キリスト教が街の一角で共存している状態が続いている。≫と出ているが、日本キリスト教団早稲田教会 がある早稲田奉仕園 は、穴八幡宮と背中合わせの立地だが、それは場所が近い場所にあるというだけであるのに対して、穴八幡宮と放生寺は、もともとは、放生寺は穴八幡宮の「別当」の寺だったらしく、≪ 穴八幡宮とは元々不可分であったため、神仏習合の江戸時代に始まった「一陽来復」の札の授与は穴八幡と放生寺の双方で行われている。ただし放生寺の札は「一陽来福」と1文字異なるが、観音経偈文の「福聚海無量(ふくじゅかいむりょう)」に因んでいる。 ≫( 《ウィキペディア-放生寺(新宿区)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E7%94%9F%E5%AF%BA_(%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8C%BA) ) というものらしい。
   高野山真言宗準別格本山 らしい。 真言宗は、けっこういくつもの宗派に分かれているようで、さらに、ややこしいのは、「東寺真言宗」と「真言宗東寺派」があるようなのだが、高野山の方は、「高野山真言宗」はあっても、別に「真言宗高野山派」があるわけではなく、「高野派」というと高野山真言宗のことを言うらしい。 真言宗は、古義真言宗と新義真言宗、それに真言律宗に分かれるようだが、高野山真言宗は、古義真言宗に属するらしい。
   《ウィキペディア-高野山真言宗》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%87%8E%E5%B1%B1%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97 を見ると、「寺格」として、「総本山」「大本山」「遺跡本山(ゆいせきほんざん) 」「別格本山」「準別格本山」「別院」「一般寺院教会」とあるらしい。 真言宗 自体に、≪ 昭和33年(1958年)6月15日に、真言宗各派総大本山会(各山会)を各山の連絡親睦・共通事業の主宰を目的に結成された。 ≫(《ウィキペディア-真言宗》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97 ) という「各山会」に属する宗派だけで16派18総大本山あり、各山会に入っていない派もあって、室生寺とか紀三井寺とかいった有名寺院も各山会に入っていない派らしく、各山会に入っていない派は「相当怪しいお寺」とかそういうことでもないらしい。小学生の頃、紀三井寺に行ったが、今はその頃と変わっているかもしれないが、できれば、また、行ってみたいと思うお寺だった。

   ついでに、真如苑てのは、≪真如苑の創立者、伊藤真乗は、1906(明治39)、山梨県巨摩郡秋田村(現 北杜市)の農家に生まれる。伊藤の家は、「大親分」だったというから、村の名家だったのであろう。・・・ 伊藤家には、代々易学が伝えられ、真乗の母親は、天理教を信仰していたというから、宗教的な環境のなかで育ったことになる。真乗は17歳で上京し、月島の石川島航空機に勤務するが、石川島航空機が立川に移転し立川飛行機になったため、1931(昭和6)年に立川に写る。 その翌年、真乗は従兄妹の内田友司と結婚する。・・・友司の伯母の玉恵(教団では玉恵の命)と祖母の内田きん(同じく宝珠院)は、ともに霊能者で、友司自身、その資質を受け継いでいた・・・。 真乗は、家に伝わってきた易の『甲陽流病筮鈔(びょうぜいしょう)』にしたがって周辺の人々の相談に乗っていたが、真言宗の僧侶、大堀修弘と出会い、1935年末には自宅に不動尊像を祀るようになり、本名の文明を「天晴(てんせい)」に改める。易と不動信仰という組み合わせは、立正佼成会の庭野日敬の場合と似ている。 真乗は、年が明けると、妻知司とともに三十日の寒修行を行い、それをやり終えると、会社を辞め、宗教家としての活動に専念する覚悟を決める。・・・・≫(島田裕巳『日本の10大新宗教』2007.11.30. 幻冬舎新書) ということでできたものらしく、「易学+天理教+霊能者+真言宗・不動尊」をもとにして適当に作った、なんかようわからんが、ごちゃまぜの新宗教かと思っていたのだが(こんなこと言うと怖いかと思うが、どこで読んだか忘れてしまったが、新宗教でもうかつに批判すると「怖い」新宗教もあるが、「真如苑」は「そんなに怖くない」らしい)、《ウィキペディア-真言宗》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97 では、「真言宗系新宗教教団」に名前が出ており、≪ 真言宗醍醐派から分離独立 ≫と書いてある・・・・ということは、かつては「真言宗醍醐派」(総本山は醍醐寺)だったということなのだろう。

   それだけ、いくつもの派があって、その中の高野山真言宗でも、総本山は 金剛峯寺(和歌山県高野町)、大本山 寳壽院(和歌山県高野町)、遺跡本山(ゆいせきほんざん)が 神護寺(京都市右京区)と観心寺(大阪府)と、この4つくらいはともかく、その後、「別格本山」となると、なんか、数えるのもめんどくさいほどいっぱいあって、「準別格本山」もいっぱいあり、《ウィキペディア-高野山真言宗》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%87%8E%E5%B1%B1%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97 にも、「準別格本山」は、≪・・・など≫と「など」までついているので、放生寺が、「準別格本山」だとしても、そりぁ、総本山・大本山・別格本山についで4番目の寺なのかあ~あ・・・などと思って、水戸黄門の印籠見せられたみたいな気持ちになる必要はないみたい。《ウィキペディア-高野山真言宗》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%87%8E%E5%B1%B1%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97 に出ている「準別格本山」で私が今までに訪ねたことがあるお寺としては、大阪市北区の太融寺がある。 太融寺って、連れ込みホテルの真中みたいな場所にあって、いつ行っても、なんか、デリヘルのねーちゃんみたいな女性がそのへんにいたのだけれども(別に、いて悪いとは言わんが)、「準別格本山」だったんだあ~あ・・・・なんて思っていたが、「準別格本山」て実はいっぱいあったんだ・・・。
    穴八幡宮と放生寺では、放生寺は穴八幡宮の別当寺だった・・・ということは、穴八幡宮の方が主で放生寺は副ということか・・・というと、今は必ずしもそうでもないみたいで、立地としては、穴八幡宮の方が高い場所にあるけれども、
[1] インターネットで検索すると、穴八幡宮はホームページを持っていないようだが、放生寺は持ってる(http://www.houjou.or.jp/index2.html )。
[2] 又、穴八幡宮は、御朱印をいただきたいと思っても、正月はいただけないらしく、「2月4日から」だそうだが、放生寺では違って、その時期からはその場で書いてもらえるが、正月は、すでに半紙に書かれたものに日付だけ入れてもらい、自分で御朱印帖に糊で貼ることになるが、そういう方法でいただくことができる(念のため、断っておくが、「いただく」とか「もらえる」とか言っても、300円納めて「いただく」のであって、かすめとるのではない)。
[3] 放生寺では、由緒書のリーフレットが持ち帰ることができるように本堂に置いてあったが、穴八幡宮にはない。
今現在は、放生寺は、決して「副」の位置に甘んじようという姿勢ではないようだ。
   やっぱり、商学部卒の人間としては、そういう「企業努力」をきっちりする寺社というのは高く評価したい。「企業努力」のたらん会社はあかんで、やっぱり。 千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕も、私が、こうやってみたらどうですかといったことをずいぶんと提言したが、社長の長谷川新二は無視したり、「考えさせてください」と言って、そう言ったからには考えてどうなのか1週間くらいの間には返事するのかと思ったらいつまで経っても返事しない、これでは言うだけ無駄か・・・という態度だったが、そういう会社は、2013年11月に正式に倒産した・・・・が、東京地裁の債権者会議には、長谷川は倒産する会社の代表取締役にして債務を踏み倒す男にしては、いい服を着てきて、「すいません」も「申し訳ありません」も一言も言わなかったが、「すいません」も「申し訳ありません」も言えないような社長だから、だから、倒産したという面もあるかもしれない。おのれの債務を踏み倒す男が「すいません」も「申し訳ありません」も言わないでけっこういい服着て「当然の権利」みたいな顔してにやにやしながら座っているというのは、それはないだろと思うのだが、それを東京地裁の書記官に言ったところ、「私もいつもそれは思うのですが、言わないといけないという義務があるわけでもなく、裁判所が言うように求めることはできないのです」と言われたのですが、法律の上で義務がなければ、債務を踏み倒す男がけっこういい服きてきてにやにやして座ってるだけでいいという長谷川の認識はどんなものだろう。その後も、長谷川の義母〔ビルダーズジャパン(株)の代表取締役になった長谷川の嫁の母〕は会社が倉庫としていた場所も含めてけっこう大きな家に住んでいたのだが、ひとの給料払わずに逃げて、あれだけの家に平気で住んでいるというのは、ええ根性しとるのお。

   放生寺 の入口 ↓
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↑ 左寄りに、「高野山真言宗 準別格本山 光松山 放生寺」 「一陽来福の寺」と書かれた石碑が建っています。 坂の右の方には、「江戸三十三観音 第十五番」 「御府内 八十八箇所 第三拾番」と書かれた石碑が建っています。
   提灯がいっぱいかかっています。 クリックすると大きくなるので、大きくして見てください。 訪問時は特に気にしなかったのですが、撮ってきた写真を拡大して見てみると、「放生寺 一陽来福」とかかれています。 「三つ葉葵」の紋が入った提灯もあります。 右の方の赤い幟には「聖観世音菩薩」と書かれていますが、いただいてきた由緒書きによると、放生寺の本尊は「聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)」で、「秘仏」らしいのですが、「本尊開帳法会」というのがあって、4月18日と10月第2月曜(体育の日)におこなわれるそうです。

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 ↑ 本堂 と 「放生供養碑」
    本堂の右手前の看板には、「冬至より節分まで毎日授与 一陽来福」と書かれています。 右側の石碑には「放生供養碑」と書かれています。 クリックすると大きくなるので、大きくして見てください。庇の下、中の方にかかっている提灯には「融通 一陽来復」と書かれていおり、その側面には「三つ葉葵」の紋が入っています。

   「一陽来福」とは何か? というと、由緒書きによると、
≪ 一陽来福は、江戸時代より放生寺が授与している金銀融通のお札です。 
  陰極まって、冬至に一陽が生ずる事を意味する「一陽来復」という易の言葉に因み、観音経の結びの「福聚海無量(ふくじゅかいむりょう) (福ヲ聚ムルコト海ノゴトク無量ナリ)」という偈文より福の字をとって『一陽来福』と名付けられました。 一家の居間に、毎年定められた恵方に向けて貼り、資生招福、金銀融通を祈願する霊験あらたかな観音様の御札です。
  江戸時代天保年間に、冬至前七日間真言密教による観音法の御修法をして、穴八幡別当放生寺が授与したのが始まりです。・・・・・≫
と書かれている。  ≪毎年12月冬至より翌年2月節分まで 毎日授与≫らしい。

   寺の名前になっている「放生(ほうじょう)」とは、
≪ 放生とは、山野池沼に鳥魚を放ち、逃がしてやることで、放生会とは、万物の生命を尊重する精神をあらわし、捕らえられた生き物を放ち、平素の殺生に対し、供養する法会であります。・・・・
   当山に於ては寺号の由来の通り開創当時より放生会を修しており、今日では毎年十月第二月曜日(体育の日)に秋期御開帳に併せて執行致しております。 ・・・・≫
というものらしい。
   もっとも、放生寺の場合、本堂の右手前に「放生供養碑」という石碑が建っていて、石碑の前に池があるといっても、ほんの小さな人工の池があるというものなので、他の場所でわざわざ捕まえてきた魚をそんな場所に放すというのは、魚にとってはかえって迷惑かもしれないが、儀式としておこない、「万物の生命を尊重する精神」を確認しようということなのだろう。 「放生会」自体は、その放生会で放すために鳥や魚を捕まえてきて、捕まえてきた鳥や魚を放すというのは、なんか、変なことやってるなという印象を受けている。 だから、あくまで、儀式なのだろう。

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   ↑ 本堂の左手、弘法大師の像
下の台座には「修業大師」と書かれている。
≪ 当山では、若き日の御修行時代の御姿を厄除修業大師像として境内に、また、御入定時の御像を本堂内にお祀りしております。この本堂内の弘法大師像は、古くは、高野山真別所にお祀りされていたもので約五百年程前の作と伝承されております。
   尚、厄除修行大師像の敷石の下には、四国八十八ヶ所のお砂が敷かれてありますので、・・・≫
というものらしい。
   こういう像を見ると、いつも思うのだが、なぜ、普通の人間よりも高い位置に配置するための台座を用意してその上に載せたがるのだろう。 「修業」している人が、なぜ、普通の人間よりも高い台座の上に乗るのだろうか。  一般に、「普通の人間と同じ大きさで普通の人間と同じ高さ」にある像を作られる人と、矢鱈とばかでかい像を首が痛くなるくらい上を向いて見上げないと見えないような高い台座に載せられて作られる人とでは、「普通の人間と同じ大きさで普通の人間と同じ高さ」で造られる人の方が値打ちのある人が多いように思うのだ。 かつて、港区三田の慶応大の新図書館の脇にあった福沢諭吉像は「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」と『学問のすすめ』で述べた福澤諭吉の像であるから「普通の人間と同じ大きさ」で「普通の人間と同じ高さ」に設置されていたのだが、何年か前に行くと、かつてあって、普通の人間がすぐそばまで行ける場所にはなく、普通の人間が通る通路と生垣で隔てられた場所で普通の人間が通る場所より高い場所で、生垣で隔てられて普通の人間はそばに行けない場所に移動されてしまった。きっと、アホが移動させたのだろう。 慶應大では、講義の休講の掲示を東大などでは「◇◇教授 休講」と書くところを、「◇◇君 休講」と書いていたのだが、それは「先生と呼ばれるのは福澤諭吉だけで、他は教授も助教授も院生も学生も慶應義塾で学ぶ仲間である」という考え方によるものだという話だったが、しかし、教授にも「慶應の場合は、教授といえども、兄弟みたいなものだ」と言われる方もあるようだが、片方で、「この私に向かって」だの「この私がそこにいるんだよ、この私が」とか、なんか、そういうことを言う人もいるわけで、「こ~のわたしが」とか絶叫するような人を「◇◇君 休講」と休講の掲示だけ「君」にしても、あまり意味はないように思う。 栃木県佐野市の佐野市郷土博物館の前に立っていた田中正造翁の像も、普通の人間と同じ大きさで、そして、普通の人間と同じように地面の上に立っていた。それを見ると、やっぱり、普通の人間と同じ地面の上に立って生きてきた人と、台座の上に乗りたがる人とでは、普通の人間と同じ地面の上に立つ人は偉大だなあという気持ちになる。他に、ロシア連邦イルクーツク州イルクーツク市の公園にあったカール=マルクスの胸像も普通の人間と同じ大きさで、普通の人間と同じ高さにマルクスの顔が来るように設置されていた。  弘法大師は、別にひとを見下したいという人だったわけではないと思うが、どうも、こういう「像」を作る人というのは、台座の上に載せたがるように思うが、なんで、台座の上に載せたがるのだろうね・・・。

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   ↑ 「神変大菩薩」 。 本堂の向かいの位置。
  「神変大菩薩」とは誰なんだ・・・と思って、説明書きを見ると、「役小角(えんのおづぬ)」「役行者(えんのぎょうじゃ)」)のことだ。

  「神変大菩薩」の建物の右側に、↓
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↑ 「地蔵菩薩」
お地蔵さんの像が2対、その右の石碑は、何と刻まれているのか、よく読めない。
   祐天寺(目黒区)には「子守地蔵」と「水子地蔵」が地蔵堂と別にあった。
※ [第574回]《祐天寺(目黒区)参拝【2/7】地蔵堂と免振。水子地蔵。「寅さん」「鬼太郎」「マグマ大使」浅見光彦論 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201712/article_6.html
  [第575回]《祐天寺(目黒区)参拝【3/7】職場の我儘女と「少子高齢化対策」に殺れた我が子。かさね塚と絵。 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201712/article_7.html
放生寺では、地蔵さんが2体いらっしゃる。
   2011年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも、2013年11月に正式に倒産)では、社長の長谷川新二の嫁で、途中からビルダーズジャパン(株)の代表取締役になった河野利華の友人だとして縁故入社した滝口恵(女。当時、30代前半)が、縁故入社だということで、なんら実績もなく実力もないにもかかわらず、かつ、滝口が担当の仕事が残っていて他の従業員がまだ仕事をしていてもさっさと定時で帰るという「パートのおばさん」の勤務形態であったにもかかわらず、縁故入社だということで、他の従業員よりも高い給料を盗り、そして、おのれが担当でおのれがその業務に対して報酬を受け取っている仕事を担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・無賃労働でさせ、そうやって空けた時間に、おのれは定時に帰ってオットと「妊活」(性交)やって3人目をはらんで出産し、さらには、おのれが担当でおのれがその仕事に対して報酬を受け取っているものを担当外の人間に時間外に労基法違反でさせて、報酬だけタダ取りして空けた時間に、子供が行っている千葉市の幕張の小学校のPTA役員をやり、あろうことか、会社のホームページとリンクしたブログで、「PTA役員やってます。PTA役員も悪くないなと思いました」などと書いて公開するという暴挙というのかなんというのか、普通、いくらなんでもそこまでやらんだろう・・ということを実行した。 私も、困った人を採用したものだと思っていたが、住宅建築業の業界において、ベテランである者として、大関クラスの人間として、すでに30を過ぎている女といえども新人には、序の口以下の人間には、寛容に接してあげて、本人が自分でおのれの態度は社会人として通じるものではないということを認識できるようにしてあげないといけないと思って見てきて、滝口と滝口のオットと滝口の子供のために、ずいぶんといろいろとやってあげたものだが、滝口と滝口のオットにはその自覚が欠落していたようで、ひとに世話になるとやってもらうのが当然と思うようだった。 たとえ、嫁の友人であったとしても、何もわざわざそんな人を採用することないはずなのだが、社長の長谷川は、倫理研究所(=倫理法人会)という神道系の新興宗教団体、「宗教右翼」と言われる右翼系政治団体に加入する男で、そういう新興宗教団体に入る人というのは、「片方から奪って、他方に貢ぐ」ということをしたがる人間が多く、長谷川もその1人で、他の前からいる従業員を犠牲にして滝口と滝口のオットに尽くしたいと考える人間だった。 長谷川は「滝口さんは子供があるんだから、子供のない人間は、子供のある滝口さんのために尽くすのが当然じゃないかあ」などと暴言をはいたが、許しがたい。 すでに結婚していて悪くない年齢でありながら、ふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる人間、結婚はできたが子供が欲しいと思いながらできずにいる人間は、すでに結婚できて子供もすでに2人持つことができた滝口恵とそのオットのような人間のために犠牲になって滝口恵とそのオットと子供のために尽くす義務があるという長谷川新二の主張は許しがたい。長谷川がそう思うのなら、長谷川が滝口と滝口のオットと滝口の子のために尽くせばいいはずだが、社長というのは勝手なもので自分はやらないのだ。自分はやらずに、従業員に滝口と滝口のオットと滝口の子供のために、担当外の従業員とその家族を犠牲にならせようとするのである。 滝口恵はおのれの担当の業務でおのれがそれに対して報酬を受け取っている業務を担当外の従業員にさせて、担当外の従業員から「婚活」と「妊活」の時間を奪い取って、そうでなければ生まれたかもしれない他の従業員の子供を、実質、殺して、その時間に「妊活」(性交)して子供を産んだということになるのだが、この鬼畜生の女とそのオット、その子供は、私にとっては、生まれていたかもしれない子供を殺した、子供の仇のようなものである。 「水子地蔵」でなくてもお地蔵さんは「水子」のために力になってくれる存在のはずである。 だから、お地蔵さんに手を合わせてきた。 生まれていた可能性もあるのに滝口恵と滝口恵のオットと滝口恵の子供3人のために実質殺された私の子供の無念な思いを晴らしてください。 鬼畜生に恨み晴らしてください、と手を合わせてきた。 お賽銭も多めに入れてきた。御朱印もいただいてきた。
   おのれとおのれの子供のために他の従業員とその家族を犠牲にするのが「少子高齢化対策」だと考えている不心得者がけっこういるのだが、お地蔵さんは、そういう不心得者を応援はしないと思う。 そのような身勝手な「少子高齢化対策」は国民に害があるものであり、「反社会的勢力」であると判断するべきである。
   滝口とともに長谷川新二の嫁の河野利華の友人だとして縁故入社して、嫁の友人だからということで私の倍ほども給料を盗り、かつ、私が時間外労働をさせられても「サービス残業」の扱いにしておきながら自分自身には時間外労働として時間外賃金をつけた事務員の大竹加代子(女。当時、40代前半)が、「滝口さんは子供があるんだから、子供のない人に尽くしてもらうのが当たり前でしょおおおおおおお! 〇〇さんは子供がないんだから、子供のない〇〇さんは子供のある滝口さんのために尽くすのが当たり前でしょおおおおお!」などと暴言をはいたが、大竹加代子は新華ハウジング(有)・ビルがーずジャパン(株)の幹部従業員として、私に労基法違反の時間外労働・無賃労働を強制しようとしたのであり、労基法違反は犯罪として罰則規定も設けられているものであり、当然のことながら、大竹加代子は日本国の刑法典に違反する犯罪を実行した犯罪者である。
   これらの鬼畜生を許してはならぬ。 労働基準監督署は、当然、大竹加代子らの労働基準法違反を処罰しなければならないはずであるが、千葉労働基準監督署に私は訴えたが、労働基準監督官だという佐野という男が、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の労基法違反は、「それはとりあげないことにしました」と言うので、「どうして、とりあげないのですか。日本国の法律で処罰されなければならないと規定されていることを、とりあげないのはおかしいでしょ」と言ったが、佐野は「だから、言ったでしょ。労基署はそれはとりあげないと決めたと」と言うので、「起訴しないなら、検察審査会に訴えますよ」と言ったところ、佐野は「検察審査会は送検されたものを起訴しない場合に対応するもので、これは送検してませんから、検察審査会に言ってもだめですね~え」と大威張りで発言した。 労働基準監督署http://chiba-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/kantoku/kantokusyo/kantokusyo01.html と労働基準監督官は労働基準法違反の不良企業と不良経営者とその縁故の者を守るために存在する。労働基準監督署と労働基準監督官は労働基準法の敵である。こいつらは国民として絶対に許しがたい。

   放生寺と穴八幡宮は、「早稲田通り」と言われる北側の道と「諏訪通り」と言われる南側の道にはさまれた三角形の場所にある。 南側の諏訪通りの南側から放生寺を撮影したのが↓
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放生寺の諏訪通りを隔てた南側のすぐ西に早稲田大学戸山キャンパスがある。 かつては、文学部だけが戸山キャンパスにあったが、今は文学部ともうひとつ、新しくできたなんとか学部があるらしい。
   今となっては40年も前になるが、高校3年の1月、3年卒業する年は国立大学1本でいくと決めていたはずだったのに、父が、突然、「練習のために早稲田か慶應を受けてみたらどうや」と言い出し、「今は、少しでも学習時間が欲しい時だから、そんなものに時間を費やしたくない」と言っても言ってもきかず、しかたなしに早稲田大に願書を出したところ、「あくまで、練習のために」と言っていた父が、願書を出すと突然、「早稲田は通ったら、当然、行くべきやでえ」などと言い出したので驚いたということがあった。もし、通ったら行かされてしまうと思い、早稲田みたいなもん、行かされてたまるか! と思い、白紙で答案を出してきた試験会場が、放生寺や穴八幡宮の諏訪通りを隔てた南側の戸山キャンパスの建物だった。 もし、白紙で出さずに真剣に回答したなら通ったかどうかはわからない。 東大なり京大なりに行こうとする人間、行った人間は「早稲田みたいなも~ん」と思っている人が多いと思うが、試験科目が東大や京大よりもずっと少ない早稲田大は、昔から、国立大を第一志望に考えている人間はけっこうよく落ちる・・・が、東大や京大などに行こうと考えた人間は、通ろうが落ちようが「早稲田みたいなも~ん」と思っているのではないかと思う。まあ、心の中で思うのは誰しも勝手だし・・・。 その時の文学部の建物は今もあるのだろうか、などと思って行ったのだが、戸山キャンパスは工事中で、その時の建物は解体されてしまったようだった。

    日本で一番嫌いな大学だった慶應大にしかたなしに行ったのだが、父は「大学は勉強する所とは違うんじゃ。甘ったれるな」と言い、母は「五流大学に行った子は小学校から高校まで勉強させてもらえなかったから五流大学に行ったんでしょう。あんたは小学校から高校まで勉強してきたんだから、小学校から高校まで勉強させてもらったんだから、大学に行ったら勉強なんかしないでとアルバイトせんといかんでしょうがあ」と言い、父は自分が勤める会社の工場でのアルバイトを「決めてきた」と言って決めてきた。「日本の労働基準法では、未成年の子供が勤めることを親が決めてはいけないと規定されている」と言ったのだが、母は「あんたはもうハタチになったんだから、親に決める権利があるでしょうがあ」と言ってきかなかった。
   阪急宝塚線の「石橋」駅で、同じ中学校から同じ高校に行って大阪大学の法学部に現役で通ったK村と会ったことがあり、K村が「どこ、行ってきたん?」と訊くので、「父の勤め先の工場でアルバイトに雇ってもらって・・・」と正直に話したところ、彼は「へえ~え、そんなもん、やってんのお~ん」とバカにしたように言ったものだった。 私が「どこ、行ってきたん?」と尋ねると、K村は「阪大の図書館に行って法律の本を読んできた」と答えた。彼は阪大に入学して5年目に司法試験に通って弁護士になった。 どんなに条件が悪くても、男やったらへこたれずにやるもんやとか父は言うのだったが、1日中、エアコンのきいた図書館で法律の本を読んでいる人間と、昼間、エアコンなんてあるのかないのかわからんがちっとも効かない化粧品屋の工場で乳液作ってきて、夜だけしか学習時間がない人間とでは、条件が違うのは当然だった。 アルバイトなんて週2階の家庭教師しかやらなかったK村は阪大に入学して5年目に司法試験に通ったが、父は「K村くんの爪の垢を煎じて飲みなさい」と言って、司法試験合格者の氏名が掲載された新聞を送りつけてきたが、K村の爪の垢を飲めばK村みたいなけっこうな生活をさせてもらえるなら、1日中、学習時間にあてることが認められるなら、K村の爪の垢でもち〇ぽの垢でも喜んで飲んだわ! 父は「アルバイトを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気にかかっている。慶應大学の小此木啓吾先生というえらい先生がそうおっしゃってる」と言うのだったが、それなら、K村は週に2回の家庭教師をやるだけでそれ以外にアルバイトなどしないで法律の勉強をしてもモラトリアム人間病ではなく、私はそれ以上のアルバイトをしてもモラトリアム人間病だというのはどういう理由なのか。そもそも、小此木啓吾こそ、慶應大医学部卒であり、慶應大医学部の学生で私みたいにアルバイトォ、あるばいとぉ、アルバイトォ、あるばいとぉとさせられていた人間なんかいないし、内部進学の小此木啓吾がそんなことしたわけがないのであり、小此木啓吾こそモラトリアム人間病ではないのか。今、生きている人間と少し前まで生きていた人間の有名人で、誰が嫌いといって、小此木啓吾ほど嫌いな者はない。 そういう勝手な「学説」を発表して、勝手な本を大量に発行して、ひとに迷惑をかけて、おのれは印税でたらふく儲けてきたのが、慶應大医学部助教授の内部進学の悪の小此木啓吾である。小此木啓吾だけは許しがたい。
   「作家で精神科医」の なだ いなだ が書いていたのだが、「アルコール中毒」(「アル中」)という「病気」は判断が難しい「病気」で、たとえば、月に5万円、酒代に使う男がいて、そんなに酒代に使われたのでは生活できなくなると嫁さんから言われ、アル中だと言われる。しかし、その男からすると、その男が飲みに行く店には、月に10万円、酒代に使う男がおり、それにもかかわらず、「アル中」と言われない。月に5万円、酒代に使う男が「アル中」で、月に10万円、酒代に使う男が「アル中」ではないというのはおかしいではないか、とその男は思うのだが、月に10万円、酒代に使う男は、年収がそれ以上にあるので、月に10万円、酒代に使っても困らないという。こういう場合、月10万円、酒代に使う男は「アル中」ではなく、月5万円、酒代に使う男を「アル中」と「診断」していいものかどうか、と、なだ いなだ は述べていた。 さて、週に2回の家庭教師以外、アルバイトはしないで法律の勉強ばっかりしていた男はモラトリアム人間病ではなく、しかたなしに化粧品屋の工場で乳液作ったりした人間はモラトリアム人間病だという「診断」は、それは、「親が決めることです。お、や、が!」ということで、「大学は勉強する所とは違うんじゃ、チャンコロ。甘ったれておってはならぬぞ、チャンコロ。勉強すんな、チャンコロ!」という親の息子は、大学で勉強したいと思うと、モラトリアム人間病だと「診断」されてしまい、内部進学の小此木啓吾は絶対にそう「診断」されないわけだ。
   私が化粧品屋の工場で乳液を作っていた時に、K村はエアコンのきいた阪大の図書館で法律の本を読んで勉強して、そして、司法試験に通って弁護士になった。 弁護士なんかやっている人間というのは、こういう類の人間が多い。
   そして、労働基準監督官なんてなった人間というのは、私が化粧品屋の工場で乳液作っていた時とか、ペンキ屋の手伝いの仕事でジェットコースターの一番高い所まで丸太をかついで登っていた時とか、保養所の下男の仕事で風呂磨きをやっていた時とか、地震でエレベーターが止まって動かない時、10階建てのマンションの階段を大量の新聞をかかえて登って新聞配達をやっていた時とかに、小学校から高校までたいして勉強しないで、高校卒業する時、大学受験する時、どの科目も私よりもずうっと下の成績しかとっていなかった男・女、私よりも「ずうっと下の大学」にくそどあつかましくもふんぞりかえって行ったやつ、私よりも「ずうっと下の大学」のやつのくせして、私が↑のようなあるばいとぉ、アルバイトォ、あるばいとぉ、アルバイトォとさせられていた時に、エアコンのきいた部屋で労働基準監督官の試験の勉強をして労働基準監督官になった人間である。そういう連中が、不良企業の不良経営者とその縁故入社のために、不良企業の労働基準法違反をなんとか守ろうと必死になって、労働者・従業員をいじめるのである。そうして、自分たちは親方日の丸でけっこうな給料をとっているのである。
   お地蔵さん、「子供」を大義名分に掲げれば、どんな勝手な態度でも通って当然と考える女、その女のオットと子供、不良経営者と不良経営者を守る労働基準監督署・労働基準監督官を、なんとか懲らしめてください、お願いします。 そう祈願してきた。賽銭入れて。貧乏人としては多めに。


※ 放生寺HP http://www.houjou.or.jp/index2.html
《ウィキペディア-放生寺(ほうじょうじ)(新宿区)》 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E7%94%9F%E5%AF%BA_(%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8C%BA)
《ウィキペディア-穴八幡宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%B4%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
《ウィキペディア-早稲田奉仕園》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E5%A5%89%E4%BB%95%E5%9C%92
《ウィキペディア-真言宗》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97
《ウィキペディア-高野山真言宗》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%87%8E%E5%B1%B1%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97

   放生寺は、由緒書きによると、「光松山 成盛院 放生寺」と言うらしい・・が、「成盛院」というのが、どういう意味でかは、よくわからない。

   「子供」を大義名分にすれば、何でもまかり通ると考えている女、及び、そのオットの男というのは、それは心得違いも甚だしい。まず、親の教育が間違っているのであり、親の教育が間違っている娘・息子が結婚して、「親の教育が間違っている子供」を拡大再生産するというのは、社会にとって迷惑であり、「少子高齢化対策」に貢献していると主張するらしいが、「貢献」なんかしていない。「親の教育が間違っている子供」を拡大再生産されるのは、迷惑である。 こういう人間は、我慢するとますますつけあがるようであり、ますますつけあがるということは、我慢してはならないということになる。

☆ 訪問と写真撮影は2018年1月3日です。

   (2018.1.6.) 


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