祐天寺参拝【7/7】宝篋印塔・祐天上人墓・C57の車輪。権威主義「デザイナー」。親に加担する教諭。

[第579回]
   駒沢通りに面した表門から南に入り仁王門・・は今は工事中でその下は通れないので左か右からまわって進むと、表門-仁王門-本堂 というラインに3つが並び、その途中の左側(東側)に阿弥陀堂、本堂の右(西)に書院、本堂の左(東)に仏舎利殿があるのだが、本堂の前で左に曲がって進むと、道路を間に挟んで祐天寺の墓地がある。 墓地に入って正面に「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」がある。↓
画像


( ↑ 宝篋印塔〔ほうきょういんとう〕。 )
≪ 『宝筐印陀羅尼経(だらにきょう)』が納められたこの塔は、寛政12年(1800)に建立されました。 この塔を参拝すると罪障が消滅し、あらゆる厄難から逃れることができるとされています。 ≫( 祐天寺 リーフレット)
   ずいぶんと厄難にあってきたので、今さら、逃れるように参拝しても遅いかもしれないが、ともかく、参拝してきた。

   この宝篋印塔の前を右に曲がって左に折れて進むと、祐天上人のお墓がある。
画像

画像


( ↑ 祐天上人廟墓 。)

    「建築探偵団」は同時に「街並探偵団」「街角探偵団」でもある。 だから、お寺に参拝しても、「拝観コース」ですよおとなっているところを一周して帰るということはしない。 ここ、どうなってんだろ・・・と思うと、動物の犬に吠えられた理、人間のイヌに追いかけられたりしない限り、「どこに行けども地元の人」の感覚で歩く・・・・・というより、今は昔、この近所の家に家庭教師に週に2回、通ったことがあって、この付近は私にとっては「なつかしい場所」であり、別段、名所旧跡だからどうというのではなく、「普通の場所」が「なつかしい場所」であり、祐天寺の後ろ側にも行ってみた・・・・ところ、↓
画像

↑  背後から見た紅葉がなかなかのもの♪

   「建築探偵団」「街角探偵団」「街並探偵団」は、「さりげなく」「気分は地元の人」として歩く・・・というより、私の場合、長年、住宅建築業の営業の仕事についてきて、初めて行く所でも「地元の人」と同化して「地元の人」に話をするというのが体に身についたようなところがある。だから、東京建築探偵団+増田彰久『スーパーガイド 建築探偵術入門 東京、横浜の西洋館230を追跡する』(1986.9.25.文春文庫)には、≪建築探偵「九つの心得」≫なるものが書かれていてあるが、そんなどっかの教授だか助教授だかいうような人とは違って、特別難しく考えずに普通に歩いても同化した状態になるし、「地元の人」に同化することを仕事にしてきたのだから、「建築家」とか「大学教授」とかやってきた人とは違う。で、その≪建築探偵「九つの心得」≫の九に「犬が来たら逃げるべし」と書かれているのだが、私の場合は、実は動物の犬にはけっこう好かれるのだ。 今は昔、川崎市幸区のアパートの2階に住んでいた時、階段の下あたりにつないでおった家主の飼い犬といつも遊んでいたところ、その後、よその犬にもなつかれるようになった。 仕事で苦情を受けて訪問した時など、そこのおばさんが怒って文句言ってると、家の中からそこの犬が飛び出してきて私の足にまとわりついてきたりして、「あら、どうしたのかしら。 この子、今までこんなこと一度もなかったのに。 犬、飼ってらっしゃる? どうしたのかしら。ずいぶんと気に入っちゃったみたいだけど」とか言って、それで自分の飼ってる犬がなついている相手に対しては、文句言ってた話なんてどうでもよくなったみたいになって危機を脱したなんてこともあった。 だから、一般に動物の犬は苦手ではないし、他の人間が怖がったり逃げたりするような犬でも私はちっともそんなことないという場合がある・・・・のだが、人間のイヌは好きじゃないな・・・・。 
   けーさつ缶のことを「イヌ」と言ったりもするが、それと別に、職場などで、自分だけ経営者や上役に好かれようとして、他の従業員にワンワンワンワンと吠えかかっていくヤツ。 (株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/  なんかそういうのがけっこういた。たとえば、2001年、生産事業部にいた石川(男。30代)なんて典型的だった。 そして、(株)一条工務店の経営者というのは、そういうイヌ人間が大好きだったのだ。 経営者なら、そういうあさはかなイヌ人間を見ると、こいつはそういう人間か・・と見抜いて冷ややかな目で見て評価するべきものではないかと思うのだが、それだけの能のない経営者だったということだろう。 もっとも、イヌ人間が永遠に不滅かというと、そうと決まったわけでもなく、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ では、営業本部長の天野隆夫のイヌになって自分は営業本部長のイヌだから営業本部長が後ろ盾になってくれるんだ♪ と自信持った男というのは、しばらくすると嫌われて飛ばされるという噂があった。 イヌになって営業本部長が自分の後ろ盾だと思って、完全に反従業員側に立ったヤツというのは、そうならせた営業本部長としては、ある時、突然、そいつがうるさくなる、邪魔になるということがあるらしいのだ。 だから、「営業本部長の天野のイヌ」になった男は、それほど経たないうちに消える可能性がある・・・・と言われていたが、それでも、イヌになりたがあるアホがいた。 2001年、栃木県佐野市の佐野展示場にいた高木のおっさん(男。当時、50代)なんか、ええトシしてからに、かつ、この会社で相当在籍年数が長いんだから、「営業本部長の天野のイヌになったらそのうち嫌われて飛ばされる」という有力説くらい耳に入ってるだろうが・・・と思ったのだが、耳に入っても頭に入らないおっさんというのがいたみたいで、イヌになりたがるようで、イヌになって得意がるようだった。 ・・・・イヌ人間が好きな経営者、イヌ人間を大事にする会社というのは、その程度の会社であり、その程度の運営をしていくことになり、いつまで経っても、部分的に改善されるものはあっても、本質はいつまで経っても「その程度の会社」の状態が続くだろう。
※ 《赤旗 一条工務店 サービス残業 「みなし労働時間」悪用 労働者が労基署に是正要求》http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-11-25/2017112505_01_1.html
※ 《一条工務店とのたたかい 大事な部分である基礎が実は契約と違っていた!》http://blog.goo.ne.jp/pupushi
  《一条工務店とのたたかい 只今裁判中》http://tsukuchan.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-0832.html
※ 《日経アーキテクチャ 過労死で一条工務店仙台を提訴》http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/atcl/bldnews/15/060201406/
≪ 5月29日、一条工務店仙台の元社員で勤務中に亡くなった山本優さん(仮名)の遺族は、同社に対して5000万円の損害賠償を求めて仙台地方裁判所に提訴した。・・・≫
※ 《一条工務店の白旗山メガソーラー乱開発の説明会 日本共産党嘉飯地区委員会》http://jcp-kahan.info/archives/194

   人間のイヌには、「権力の手先」という意味と、それに似ているが、「職場などで、自分だけ経営者・上役に好かれようと、一般従業員の利益に反するような態度をとって、従業員の立場を代表して発言する者に対して、率先して、ワンワンワンワンと吠えかかる軽佻浮薄なヤツ」を言うことが多いのだが、実は、イヌにはもうひとつ、「自分を常に下から二番目に置きたがる人間」という意味もあるようだ。岩井志麻子だったように思うのだが、どこかで書いていたのだ。 「常に人間を序列化した上で、自分を常に下から二番目に置きたがるやつ」、イヌとはそういう精神的に卑しいやつだと。実際の動物の犬がそういうものかどうか、よくわからないようなところもあるが、人間のイヌについては、そういう人間はいるように思う。 私と小学校・中学校と同じ学校で、高校も同じ北野高校に行って、何の因果か、慶應大学に私より先に入学したS本という男がいて、そいつが、なんだか、友人の中で他の人間より下みたいな扱いを受けてそれに甘んじていたのだが、私は友人としてそういうつきあい方をするものではなく、誰もが等しく同等の友としてつきあうべきだと思ってつきあおうとしたのだが、ところが、イヌは「自分を下から二番目に置きたがる」習性があり、自分を下に置こうとする者は自分より上の人間だと考え、自分を同等につきあおうとする人間というのは自分より下に置いていい人間にしようとする習性があると気づいた。それに気づいた時、こいつとはつきあいたくないなと思った。それが、イヌ、「自分を常に下から二番目に置きたがる人間」である。そっちのイヌも嫌いだ。

   東急東横線「祐天寺」駅の東口を出て、ロータリーの正面の商店街が「祐天寺商店会」で、それを進んで駒沢通りにぶつかった所で横断して左折すると右手に祐天寺があるのだが、逆に、祐天寺の前、目黒高校の北側の道を西に進んでも「祐天寺」駅の東側の北のあたりにである。この通りを「みよし通り商店会」と言うらしい。 「みよし商店会」と言うからには、商店がずらずらと並んでいるのかと思いがちだが、商店が並んでいるのは、祐天寺駅から祐天寺までの間の駅に近い半分で、祐天寺に近い側は専用住宅が並んでいる通りである。 ↓は、「みよし商店会」の通りの駅に近い側。
画像

   「建築家」とか「デザイナー」とか「設計士(さま)」とか「なんじゃらアーキテクト」とか「いっきゅうけんちくしい~い」とか名のりだした人間というのは、建築を見学に行く場合、頭の中にインプットされた「有名建築」「名建築」をピンポイントで見に行き、ともかく、「名建築家」「世界的建築家」と建築史の本に書いてある人が設計した建物なら、自分でどう思うかなんて考えずに、一生懸命、ほめようとする。 そして、その周囲に何があっても、目に入らない。 そういう人間、アホが「建築家」「デザイナー」「設計士(さま)」「なんじゃらアーキテクト」「いっきゅうけんちくしい~い」という人間には大変多い。  2005年、居酒屋をチェーン展開する チムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ の建設部にいたとき、同社の店舗の設計をしていた「1000万円超プレーヤー」だという「デザイナー」と話していた時に、横浜市港北区日吉の慶應大学日吉キャンパスに1985年にできた槇文彦が設計した日吉新図書館について、それができる前、建設中、できてから後と3つの時期を見ていて、完成後、そこを利用したこともあり、できる前に慶應大日吉キャンパスで図書館として使われていた藤山記念図書館(現 藤山記念館)も利用したことがある者として、「有名建築家」が設計した図書館だというけれども、「フツーの人」が設計した「普通の図書館」と比べても、あんまりいいとは思わないという話をしようと話しだしたところ、その「デザイナー」のおっさんは、「慶應日吉新図書館」という名前を聞くと同時に、「ああ~あ、槇文彦の慶應日吉図書館ですねえ~え」と声まで普段と変わって言ったということがあった。何、この人・・と思った。 「ヒゲはやしたおっさん」てのは、どうも、そういう傾向があるようなのだ。 「建築家」とか「デザイナー」とか「いっきゅうけんちくしい~い」とか名のりだした人間というのは、実際に自分の目で見て、実際に自分が利用してみるか、そうでなくても、利用者になった気持ちで考えてみて、それでどう評価するかではなく、「有名建築家」「世界的建築家」とされている人の名前を出されると、「パブロフの犬」みたいに反応して、「ああ~あ、◇◇の作品ですねえ~え」と一生懸命ほめようとするのだ。 バッカじゃなかろかルンバ♪・・・・て感じ。 だから、私なんぞは、もとから建築の業界に勤める予定だったわけではないので、図書館を見て評価する場合、≪「有名建築家」の作品はほめる、「フツーの人」の設計のものは無視する≫という「建築家」型・「デザイナー」型の思考ではなく、普通の人間の思考として、実際に自分が利用する際に使いやすいかどうか、居心地がいいかどうかで判断する。「フツーの人」の設計のものでも、いいものはいい、「有名建築家」「世界的建築家」が設計したひょっとこみたいな建物・装飾過剰な建物でも、使いにくいものは使いにくいと判断するし、比較して考える場合、「建築家」「デザイナー」は、槇文彦設計「慶應大日吉新図書館」をどういうものと比較するかというと、他の「有名建築家」「世界的建築家」が設計した建物と比較するのに対して、私のように、もともとが「普通の人間」だった者は、それまでに慶應大日吉で図書館として利用されてきた藤山記念図書館と比較したり、自分が利用した、あるいは利用する可能性があった、その周辺の港北区図書館とか川崎市中原図書館・幸区図書館・神奈川県立図書館・神奈川県立川崎図書館とか、広尾の東京都立図書館、日比谷の東京都立日比谷図書館、国立国会図書館、あるいは自分が卒業した高校の図書室などと比較して考えるか、あるいは、慶應大日吉新図書館なら、慶應日吉キャンパスの他の建物と比較して考える。 ところが、「建築家」「デザイナー」という人種はそういうものは無視するのだ(神奈川県立図書館は「建築家」前川國男設計なので無視されないだろうけれども)。そういう、先に「有名建築家」「世界的建築家」という人が何人か指定されて、そういう人の設計なら一生懸命ほめる。そうでない人の設計のものなら無視するかけなすかする、というへんてこりんな思考を持つ人間というのが「建築家」「デザイナー」と称する人間には大変多い。 「デザイナー」は槇文彦の名前をだされると「パブロフの犬」みたいに、「ああ~あ、槇文彦設計の慶應日吉図書館ですねえ~え」とか声まで変わって言い出すのに対して、その周囲にどんな建物があっても、関知しない。 なんか、変わった連中だなと思う。 五流大学の建築学科とか建築の専門学校とか卒業すると、そうなってしまうのか、そうなるような「教育」を意図的にやっているのか・・・?
   今は昔、1970年ころ、私が小学生だった時、姉の勤め先の会社の保養所が滋賀県の長浜の付近にあって、そこに泊めてもらったことがあった。その帰り、米原で乗り換える時、米原から大阪まで新幹線に乗るほどではないと思ったが、片方で快速だとけっこうかかり、「快速」といっても、その頃の「快速」が快速であるのは京都から西であって、米原から京都までは各駅停車だったのだが、その各駅停車の快速に乗りかえるのに時間が少々あったので、米原で降りて、周囲を見てみればいいと思うと小学生の私が言ったところ、父が「米原なんて『見る所』なんもあらへん」と言い、それで、米原駅での下車はなくなった、ということがあった。 どうも、うちの父親というのは、そういう「権威主義的パーソナリティー」というのかがあって、「見る所」とどこかの誰かから指定された所が「見る所」であって、そういうものがない所は「行ってもしゃあない」ということになるらしかった。 私はそういう思考はおかしいと思ったのだ。 そうではなくて、普通の人間が普通に生活している所を見たかったのだ。子供の頃、住んでいた家の近所を国鉄(今はJR)阪和線が走っていたのだが、そこを走っていた特急「くろしお」というのは、新宮行きというのがあって、名古屋行きもあったが、名古屋は物好きに紀勢線まわりで行かなくてもいいとして、その特急の終点の新宮ってどんな所なのだろう・・・と思ったものだが、新宮にある熊野三社とかそういう所が悪いということはないけれども、そういう所よりも、その特急「くろしお」の終点の駅のある所ってどんな所なんだろうという方が関心は大きかった。 で、「建築家」とか「デザイナー」とか「いっきゅうけんちくしい~いいいい」とか名のりだしたヤツてのは、「誰かひとから決められた名所なら行くが、そうでない所なら行かない」というタイプか「特に名所とか指定されていない場所でも、自分が行ってみたいと思う所に行ってみたい」と考えるタイプかというと、圧倒的に前者が多いのだ。 なんか、バッカじゃなかろかルンバ♪ て感じがするのだが、「有名建築家」「世界的建築家」とか指定された人が設計した建物なら見に行くが、その横に何があっても見ない・・というのか、「見ても見えず聞いても悟らない」。 なんか、変わった思考してるなあ~あ・・・と思うのだが、そういう人に、そういう思考っておかしくないですか・・・なんて言ってもきかない! だから、そういう人には疲れるだけだから、言わない方がいいと思うようになった・・・・が、私は人間できてないからか、ときどき、ポロッと言ってしまうのだが・・・。
    で、「建築探偵団」「街並探偵団」「街角探偵団」は、「建築家」「デザイナー」「いっきゅうけんちくしい~い」「なんじゃらアーキテクト」とかと違って、「どこに行っても地元の人」であり、そして、「建築学科卒」の思考ではなく「商学部卒」の思考、マーケティング的発想で建築も考えることにしているので、「建築家」「デザイナー」「いっきゅうけんちくしい~い」「なんじゃらアーキテクト」とか称する人がわけのわからん建物作っても、客の入らんようなガラクタはしかたがないし、「フツーの人」が設計しても、大入り満員になる建物は価値がある! と考える。・・・・で、そう思って歩くと、ほら、↓こんなの見つかった♪
画像

↑ 「C57 蒸気機関車」の車輪で、中国・九州方面で走ってきた蒸気機関車のもので、1976年より、この場所に設置され、1982年に、福知山駅で使用されていたが不要になった腕式信号機もここに移設した、というものらしい。
画像


もっとも、腕式信号機とセットで見るには屋根はない方が見た目はいいかと思うが、車輪だけとはいえ、屋根なしでは傷みやすいのではないか・・などと思ったりもしたが・・・。

   東急東横線「祐天寺」駅は、どういう工事かよくわからないが改装工事中で、駅の北側の高架下にある交番も、わかりづらい。↓
画像


〔 ↑ 「祐天寺駅前交番」。 ☆1つ、「日光の手前」(「今市」)。 〕
↑ わかりやすいようにと表示をしているのだろうけれども、毎度、思うのだが、 「交番」をローマ字で書くのなら、KOBAN ではないと思うのだ。
   _
  KOBAN  とOの上にバーをつけるか、そうでなければ、
  KOUBAN とOとBの間にUを入れるかしないと、
KOBAN では「猫に小判」の「こばん」だと思う。
そもそも、日本にある施設で日本人に知らせるためなら、「交番」か「こうばん」でいいと思うのだ。
フィリピンパブかなんかに勤めて日本に長くいるので日本語は日本人なみに話せるが漢字やひらがなは読めないというフィリピン人のおばさんのためということなら、KOBAN ではなく、やっぱり、
 _
KOBAN  か KOUBAN 、もしくは、POLICE と書くべきではないか。
なんで、KOBAN と書きたがるのか、ようわからん。
   交番というものは、その施設の性質上、そこにあるということが、通行人にわかりやすくないといけないはずであるから、↑の状態ではその点で問題があるのではないか。 たとえば、東横線の高架の梁に「祐天寺駅前交番」もしくは「交番」「こうばん」「POLICE」と大書きするとか、もしくは、犬マーク なり、×マーク なりを大きく書くとかしないと、今の状態ではそこに交番があるということがわかりにくい。
※ 目黒警察署交番マップ http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/3/meguro/koban/pb_map.htm


    1982年に、私が家庭教師に通った息子の親は祐天寺商店会で店をやっていたが、親は別段息子に後を継がせたいと思っていなかったようだったし、息子は後を継がなかったようで、その店は今は見当たらない。 「もし、どこでも行けるとすると、どこに行きたい?」と尋ねてみたら、「早稲田の理工学部に行きたい」と言ったので、早稲田の理工学部にはたぶん無理だろうけれども、比較的それに近い所に合格できるようにさせてあげたいと思ったが、途中で来ていらないと言われてしまったので、どうなったかわからないが、「比較的近いところ」ではなく、「理工学部という点だけ共通するところ」に行ったのではないか。 何も悪いやつだとは言わんが、ちっとも勉強せんやつで、行っても逃げていないということが何度もあったようなやつだったが、たぶん、それでも、本人が理工系に行きたいと言えば、親は行かせたのではないか。 国立大学なら、法学部でも経済学部でも文学部でも理学部でも工学部でも学費は同じ、医学部・歯学部は6年行く必要はあるが、1年あたりの学費は法学部・経済学部・文学部と一緒だが、私立の場合は、工学部・理学部は法学部・経済学部・文学部よりも高く、医学部はさらに高かった(今もそうだと思う)が、たいした店やってたわけでもない家でも息子が工学部・理工学部系に行きたいと言えば、ちっとも勉強しない息子でも行かせたのだろう・・・。 私は、東大とか京大とかに通ったかどうかというと、それはわからないが、「ともかく国立大学ということなら、どこか行ける所はある」というところまで勉強したし、行きたいと思う学部に行ってやりたいと思う勉強ができるようにと思って小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたはずだったし、そのつもりだった・・・のだが、実際に大学に行く時になると、父は「うちは医学部なんか行かすような金持とは違います。4年で卒業できる学部にしなさい」「うちは工学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「うちは大学院なんか行かすような金持とは違います」「大学院に行きたいというような人間は、モラトリアム人間という病気にかかっている人間です。慶應大学の小此木啓吾先生がそうおっしゃってる」「うちは司法試験なんか受けさせるような金持とは違います。甘ったれなさんな。とってちってたあ~あ」「国家公務員は転勤が多いからなってはいかん」「うちは文学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「うちは学校の先生なんかならすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「マスコミに勤めるなら、産経新聞にしなさい。朝日はアカやから勤めてはいか~ん。毎日もアカやからいか~ん。マスコミなら産経かNHKでないといか~ん。とってちってたあ~あ」・・・とか言い出すようになった。父は「わしは、あんたにどういう所に行けなんて、まったくそういうことは言わん人間やねん。あくまで、本人がやりたいようにさせてやるというそういう聖人やねん、このわしは。わかっとんのんか、チャンコロ。このわしは聖人やねんぞ、チャンコロ。このわしはキリストで聖徳太子でヒットラー総統やねんぞ、チャンコロ」「このわしはキリストのような人格者で聖徳太子のように賢明でヒットラー総統のように謙虚な人間やねん。けんきょ、謙虚、ケンキョ、謙虚な人間やねん。そういうやねえ、ヒットラー総統のような謙虚なこのわしの言うことは、あんたのようなチャンコロはどんなことでもどんなことでもどんなことでもきかんといかんのや。それがチャンコロにとっての幸せというものなんや。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ。ちゃんころ、チャンコロ、ちゃんころチャンコロ。民族の違いを忘れるでないぞ、チャンコロ。このわしはドイツ人であ~る。おまえはチャンコロであ~る。 チャンコロは服従する民族、ドイツ人は命令する民族。民族の違いを決して忘れてはならぬぞ、チャンコ」と言い続けた。「わしは、あんたにこういう所に行け、こういう所でないといかんなんてことは一度として言ったことはないし、あくまでも、本人の希望どお~りさせてやってやってやあってやってあげてやってやってやってきた人間やねん」と言いまくったが、しかし、↑のようなことを言いまくってきた人間であり、どう考えても実質「本人の希望のとお~り、させてやってやってやろうとしてきた」なんて正反対の文句をよくも言えたものだと思う。 そして、その結果、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に無理矢理行かされてしまった。「わしはあんたに絶対にどこにいかんといか~んなんてことは一言も行ってないはずや」とか「わしはあんたに何にならんといかんなんて一言も言わん人間やねん」とか父は何度も言ったのですが、たしかに「どこに行かんといかん」とか「何にならんといかん」という表現は使わなかったけれども、↑のように、「うちは医学部なんか行かすような金持とは違います。4年で卒業できる学部にしなさい」「うちは工学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「うちは大学院なんか行かすような金持とは違います」「大学院に行きたいというような人間は、モラトリアム人間という病気にかかっている人間です。慶應大学の小此木啓吾先生がそうおっしゃってる」「うちは司法試験なんか受けさせるような金持とは違います。甘ったれなさんな。とってちってたあ~あ」「国家公務員は転勤が多いからなってはいかん」「うちは文学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「うちは学校の先生なんかならすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「マスコミに勤めるなら、産経新聞にしなさい。朝日はアカやから勤めてはいか~ん。毎日もアカやからいか~ん。マスコミなら産経かNHKでないといか~ん。とってちってたあ~あ」・・・と言いまくったわけで、大学を受ける際にも、ある時、突然、神戸大の経済学部の願書を無断で取ってきて、「はい」と言って突きつけるので、「何ですか、それは」と言うと、「そやから、はい」とか言ったことがあったり、あるいは、高校3年の1月になって、突然、「練習で早稲田か慶應か受けたらどうや」と言い出し、私が「今、勉強時間が少しでも欲しいところだから、行かない所を受けるのは時間が惜しいから受けなくていい」と言っても、「練習のために、あくまで練習のために」と言ってしつこく、根負けして、「練習のために」(そんなもの、「練習」になんかならないと思いながら)受けるということで願書を出したところ、いったん、願書をだすと、「あんた、早稲田は通ったら、当然、行くべきやでえ」などと言い出したので、こりぁいかん、もし、早稲田は通ってしまうと行かされてしまう! 早稲田みたいなもん、行かされてたまるか! と思って、試験会場まで行ったけれども、意図的に白紙で答案だしてきたということがあった。母は「なんで、早稲田まで落ちたんやろ」とか言っていたが、東大や京大に行こうとするような人間なら早稲田なんて通って当然みたいに母は思っていたようだが、そうではなく、早稲田は試験科目が東大や京大より少なく出題傾向も違うので、もともと、早稲田は東大や京大を目指す人間がけっこう落ちる大学でしたし、そんなことよりも、白紙で答案だしてきたのですから、通るわけありません。父は、そういう、常に息子をだますことばかり考えている男でした。
   「あんたは決める人間とは違うねんぞ、チャンコロ。チャンコロはひとから決められたことを決められたとお~りやるのがうれしいねん。わしはドイツ人でドイツ人は自分ではやらずにひとのやることを決める民族やねん。そやからやなあ、わしはあんたのやることを決めたるから、あんたは決められたとお~り、せえっせ、せえっせせえっせとやればええねん。それがチャンコロにとっては幸せやねん」とか言うておった。私が高校3年の時、なんとか現役で通りたいと思っていたところに、父は「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」などと言い出した。はあ? はあ~あ??? 普通、高校3年の息子にそんなこと言うかなあ~あ・・・・と思ったがそういうおっさんだった。ところが、浪人すると、今度は「でんたく、デンタク、電卓、でんたっく♪ 願書代がいくら、試験うけにいく交通費がいくら。泊まったホテルの宿泊料がいくら。願書だす封筒代がいくら、切手代がいくら。予備校の学費がいくら。 浪人することによって、生涯年収がこれだけ下がった。あんたが浪人したために、わしは◇◇円の損をさせられた。えらい迷惑や」と言い出し、さらに「高校は義務教育じゃないんやから、おまえなんか、高校行ったのは余計じゃ。おまえはチャンコロであってやなあ、チャンコロは高校行く必要なかったのに、行きおってからに、反省しろ、チャンコロ。高校に行ったことを反省しろ、チャンコロ。よくも高校行きおってからに。行かなければいものを高校行きおってからに、チャンコロ」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言い続けたのだが、なんで、高校3年の時に「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」などとわけわからんことを言ったおっさんが、実際に浪人してしまうとそんなことを言い出すのかマカ不思議だったのだが、父が「おまえは高校行ったのは余計なんじゃ。チャンコロ。高校は義務教育じゃないんやから、おまえは高校に行くべきじゃなかったんじゃ。チャンコロ。甘ったれて高校行きおってからに、このチャンコロ。義務教育じゃない以上、高校みたいなもん、おまえは行くべきじゃなかったのに、行きおってからに、このチャンコロめが」と毎日毎日言い続けたのだったので、それで、慶應みたいなもん行かされるくらいなら、学校は高校までにした方がよっぽどいいと思って、そんな所に行かされるなら、大学は行かなくていいと言ったが、すると、今度は、「何を甘ったれた口をきいとるんじゃ、チャンコロ。せっかくやなあ、わしがエライからあんたは慶應に行かせてもろうたのにからにやなあ、それを行きたくないなんぞと言うというのは、これはモラトリアム人間という病気にかかっとるいうことじゃ。慶應大学の小此木啓吾先生というえらいえらい先生がそうおっしゃってる。治療してやらんといかん。とってちってたあ~あ!」とかそういうことばかり言い続けた。そして、日本で一番嫌いな大学、強姦魔の大学に行かされてしまい、経済学部の次に嫌な学部に行かされて、ともかくも、「大卒」の肩書を取得するためだけに卒業した。「わしがエライからおまえは慶應に入らせてもらえてんぞ。おまえが努力したから入らせてもらえたんとは違うねんぞ、チャンコロ」と父は言い続けたのだが、それは、父の親友の医者屋のM川が小学校から高校までちっとも勉強せんかったドバカ息子を「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りしたカネを私立金権裏口関西医大 に寄付金払って裏口入学させて、それで、「わしは息子に言うたりますねん。おまえが努力したから大学に行けたのとは違うねんぞ。このわしがエライから大学に行けてんぞ。心得違いを起こすなよ」と父に話したその表現を真似たらしいのだが、しかし、M川のドバカ息子は金権裏口関西医大に裏口入学したようだが、私は何も慶應大に裏口入学させてもらったのとは違うのであって、裏口入学したドバカ息子と一緒にされたのでは迷惑だし、なんで、裏口入学した人間と一緒にされなければならにのか、さっぱりわからなかったが、父は「おまえが努力しtから慶應に入れたのとは違うねんぞ。わしがエライから入れてんぞ。わかっとるやろうなあ、チャンコロ。おまえは何一つ、努力しとらんねんぞ、何ひと~つ、何ひと~つ」と言い続けたのだが、しまった、そんなこと言われるなら、慶應大みたいなもんの入試なんか、まともに答えるのじゃなかった、全部白紙で出してやればよかった、失敗した! と思ったが「後の祭り」だった。
   で、建築学科というのは、日本では「理工系」と見られている。 愛知産業大学の建築学科の守屋先生から聞いた話では、ヨーロッパの大学では建築学科は芸術学部・造形学部にあることの方が多いらしいが、日本では、国立大学では東京芸大で美術学部に建築学科があるくらいで、他は工学部・理工学部に建築学科はある。私も高校生くらいの時、建築学科は工学部・理工学部のものと思っていたのだが、私は小学校の時も中学校の時も高校や浪人中も、数学も物理学も化学も生物学も美術も技術家庭も、しょーもない私立大学の建築学科なんかに行って卒業した人間よりずっといい成績をとってきたはずだ。ところが、建築業界に勤めると、なんだか、気分の悪いことに、「しょーもない私立大学」の建築学科卒の人間が、なんかえらそうにしとるのだ。特に、(株)一条工務店 では、営業本部長の天野隆夫が「営業は設計にはどんなことでも服従しろ」などといって、五流大学の建築学科卒の若造が勤務時間中にパチンコに行くのをクルマで送り迎えさせられたりもしたものだった。これはおかしいと思うのだ。 さらに、五流大学だけでなく、入るのに試験もないような建築の専門学校なんて修了したという人間が「ぼく、学校でてますから」とか言ったりすることがあるようなのだ。 「学校」というほどの学校でもないだろうが! と思うのだが、どうも、「建築専門学校」を「卒」だという人間というのはそういう主張をするようなのだ。 もうひとつ、よくわからんのは、(株)一条工務店あたりにいる「最終学歴 高卒」とか「最終学歴 中卒」とかの人というのは、「学歴で人を差別してはいかんだろうが」とか言うのだが、ところが、そういう人というのは、あくまでも、「最終学歴 高卒」「最終学歴 中卒」の人間を、4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人間と一緒の扱いにしろと要求するのであって、建築学科・土木学科卒の人間と一緒の扱いにしろという要求はしないのだ。なんでだあ???  で、なんか、建築業界というのは、そういう変なところのある業界であり、それが、どの会社がというのではなく、全般にそんなところがあるように思える。 で、「最終学歴 高卒」「最終学歴 中卒」の人で、大学は行かなかったけれども個人的に努力して4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人間に劣らないだけのものを身につけましたあという人がいてそういう人を4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒野人間と同じ扱いにするというのならわからないこともないのだが、そうではなく、建築業界の会社では同じことなんてできない人を同じ扱いにしたがる傾向がある。 気分の悪い話・・・・とかそういったことを思いだしながら歩き、東横線の駅について帰ってきた。
   「おまえはチャンコロとして服従することを喜ぶ民族であ~る。わしはドイツ人としてひとを服従させる義務がある。ドイツ人は神様からお前のような人間に命令することを使命として命じられているのであ~る」とか毎日言っていた父はもう他界した・・・・が、今でも耳元でその文句はがんがん鳴っている。
   「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と何度も何度も言われてきたのだが、そう言われると、言われた側としては、
「民族の恨みを忘れるな」(不忘民族恨)
「階級の苦しみを忘れるな」(不忘階級苦)
とでも言ってやりたくなったものだ。
「反逆は正しく、抑圧は間違っている」「反逆には理由がある」(造反有理)
「革命は無罪だ」(革命無罪) とも。
   1970年代後半、北野高校http://www.osaka-c.ed.jp/kitano/ の2年の時の担任の教諭の旧姓S野礼子(女。北野高校→神戸大文学部卒。当時、20代前半)が、「あなたはブンケー(経済学部もしくは商学部・経営学部のこと)よ」と何度も何度も言って、私に最も嫌な所に行かせようと画策したのだが、あの女、いったい私に何の恨みがあったのかと思う。「私は両親が離婚したから」と「両親が離婚した」というなんか変なことを自慢にする女。(そんなこと、自慢にすることなのかあ???) 私の方では、高校の先生というものは、男でも女でも、基本的には本人の立場にたち、本人のためを思うべきものだと思いこんでいたのだが、後から考えると旧姓S野は違った。旧姓S野礼子はそうではなく、親につくことがおのれの評価をあげると考えて、本人に敵対したのだった。それがおのれの評価をあげることになると確信していた女だった。私は北野高校の教諭というものを現実よりはるかに信用してしまっていて、それが失敗だった。 『東京大学機械的合格法』の著者 柴田孝之は「能力的にも人間的にも優秀な教師というのは、多くの人間が思っているよりもはるかに少ない」と書いていたが、今、私もそう思う。 旧姓S野礼子は高校生にとって害があるし、旧制S野礼子の「現代国語」なんて、あんなものは、はっきり言って「勝手なことばっかりやってるだけ」である。

   お寺に参拝すると、気持ちが落ち着くという人もいるようだが、なんか、かえって腹立ってきた・・・・が、四国の「お遍路さん」は、同行二人と言って、弘法大師と一緒に歩くことで、そこでおのれを見つめ直すという趣旨があるらしく、それと一緒で、寺に訪問して歩くことで、おのれの内部・意識下に抑圧されていたものが意識の上に出てくるということもあるわけで、「反逆は正しく、抑圧は間違っている」ということで、意識下に抑圧するのではなく、表に出して意識の上に出して考えた方がいいと考えていいかと思う。

(2017.12.24.)


☆ 祐天寺(東京都目黒区)参拝
1.表門・仁王門。祐天寺商店会。警察は犯罪者の味方。http://shinkahousinght.at.webry.info/201712/article_5.html
2.地蔵堂・地蔵堂門・子守地蔵・水子地蔵。「寅さん」「鬼太郎」「マグマ大使」「パンダ」浅見光彦論。http://shinkahousinght.at.webry.info/201712/article_6.html
3.かさね塚。仏舎利殿。海難供養碑。職場の我儘女と「少子高齢化対策」に殺された我が子。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201712/article_7.html
4.鐘楼堂・阿弥陀堂・五社稲荷。お堂の免震構造の問題。http://shinkahousinght.at.webry.info/201712/article_8.html
5.本堂。お堂の免震構造とその周囲。免震とバリアフリーとの関係。http://shinkahousinght.at.webry.info/201712/article_9.html
6.書院。免震とバリアフリーの関係。鬼怒川・毛野国の地名の由来。http://shinkahousinght.at.webry.info/201712/article_10.html
7.宝篋印塔・祐天上人墓。C57車輪。みよし商店会。「権威主義的パーソナリティー」の「デザイナー」。親に加担する教諭。 〔今回〕

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック