「応募条件」をはずれた人間を採用してよいか。法学部・経済・商学部は「どうでもいいことやってる」のか?

[第587回]会社と営業の話(138)‐2
   1989年に小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)〕に入社した時、私が何を見て応募して入社したかというと、慶應義塾大学に同社が出していた求人票を見て応募して入社した。そこには、「応募条件」として、
「営業系」(営業・人事・総務・経理など)・・・・「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」
「技術系」(設計・工事・工務〔積算〕・アフターサービスなど)・・・「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」
と記載されていたはずである。今、これは記憶を基に述べているので、細部の表現がいくらか違う可能性はあるが、本質的なところは違っていないはずである。
   小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」と言っていた。社長は初代の小堀林衛も2代目の中島昭午も高卒だったが、「社長は特別」ということであろう。パナソニックにしても、松下幸之助は小学校しか出ていない人でも、パナソニックの社員は「一流大学」卒の人間が多いはずだ。小堀住研(株)が「小堀住研は大卒しか採らない会社なんです」と言っていたのは、いつからかというと、私の両親が家を小堀住研(株)で建てた1969年の前年の1968年には言っていたはずだ。「小堀住研は大卒しか採らない会社なんです」と言い、また、「ミサワあたりは高卒の営業の会社ですが、小堀住研の営業は大卒の営業の会社です」とも言っていたはずで、実際、ミサワホームの営業は高卒の人が多かったのに対して、小堀住研(株)の営業は大卒の人間が多かった・・・・ような気がした。これらは、「嘘でも百回言えば真実」みたいに言いまくっていたのではないのかという気がしないでもない。「小堀住研は、技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀と言われてきました」とけっこう前から言っていたような気がするのだが、その「言われてきました」というのは、言っていたのは誰かというと、小堀住研(株)の営業ではないのかという気もする・・・・のだが、それも、「嘘でも百回言えば真実」みたいなもので、そういう会社にしたい、そういう会社でありたいと思って言うのであれば、言うことによっていくらかでもその方向に進むということもあるだろう。
   間違いなく、正式な発言としては、1989年に入社した時に、入社直後の本社での研修において、研修に講師役で来た社員が、「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社としてやってきました」と、間違いなく発言している。又、「営業系」「技術系」に分かれての合宿研修の「営業系」の合宿研修で、TQC推進本部営業部会の課長であった川崎(愛称“デブの川崎”)が「ミサワホームあたりでは高卒の営業が多いのですが、小堀住研の営業は大卒の営業で、小堀住研とミサワホームでは、営業という職種の社会的位置づけが異なります」と発言していたはずである。女性社員の場合、短大卒の人が多かったが、仕事の内容・処遇が異なったので、処遇が異なる場合に、大卒の人間と短大卒の人間を採用するというのは悪くはないであろうし、それで問題が発生することも特にないだろう。しかし、同じ職種で同じ処遇にするのであれば、異なる学歴の人間を混ぜて採用したのではうまくいかないことが考えられる。たとえ、「同じ処遇」にするとしても、大卒と高卒を同じ処遇にするのであれば、高卒の5年目と大卒の1年目、高卒の6年目と大卒の2年目が同じ処遇になるようにしないと、高卒の1年目と大卒の1年目が同じ処遇では、大学卒で入った人間はばからしいことになる。「ばからしい」ですめばまだいいが、そういう処遇にするならば、長いうちには、「小堀住研は大卒しか採らない会社」ではなく、「小堀住研は高卒の人の勤め先」になっていくだろう。

  「営業系」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というのが「応募条件」であったはずなので、その条件をはずれた人はいないか、いたとすると、例外として、その人だけ、特別にその条件をはずれているが「営業系」として採用しても問題はないかと個々に判断して採用された人か・・・と最初は思ったのだ。同期入社の人間で、立命館大学の理工学部の建築学科卒の男で「営業系」に入社した男がいたので、彼に、なぜ「技術系」ではなく「営業系」で入社したのか尋ねてみたところ、本人が「技術系」の仕事ではなく「営業系」の仕事をやりたいと思って希望したところ、採用されたらしい。そういう具合に、例外として、本人が希望した場合に個々に検討して採用してよいと判断したということなら悪くはないと私は思った・・・のだが、ところが、配属されてみると、底辺の方の私立大学の建築学科卒で営業の職種に入社している人というのが、実はけっこういた。
   又、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」でも、「大学」には様々な大学が今は存在するのだが、私は、小堀住研(株)は東大・京大卒の人はあまりいないと思ったが、阪大・神戸大くらいか早慶か関関同立くらいの大学の出身の人の勤め先だと思っていて、そういう人の勤め先で採用してもらったと思って入社したのだ。ところが、入社してみると、同期入社の人間では、「営業系」では、新潟大卒の男が1人いて、関西大卒の男が1人いたと思ったが、他は、言っちゃ悪いが「底辺の方の大学」卒の人間が大部分で、なんか、思っていたのと違う・・・という印象だった。又、「技術系」もまた、「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」と言いまくってきた会社で、かつて、我が家の隣家が境界付近に掘りこみの車庫を作るということで、我が家への影響について調べにきてもらった人が、阪大だったか神戸大だったかの工学部建築学科卒の人だったと母が話していたのだが、そのくらいの大学の建築学科卒の人が勤める会社かと思っていたら、そうではなく、阪大だの神戸大だのの出身の人間なんかどこにもいなくて、千葉支店の設計課長の I さんにしても東海大学の建築学科卒で、そのくらいの大学の建築学科卒の人が多かった。
   あれえ~え? と思ったが、1990年4月に東京支店に移ると、東京支店自由が丘営業課で課長になっていた高橋賢一郎は、東京電機大学の建築学科卒で、そんな「大学」の建築学科卒なんて、一般に建築学科卒と言うに値しないわなあ・・・・と私は言わないが思っていたところ、高橋はそうは思っていなかったらしく、福島県の会津地方の喜多方から、東京で下宿してまで、そんなカネのかかる私立大学の建築学科なんてものに行って卒業させてもらったらしい、我が家なら絶対にそんな学校行かせてもらえなかったところだが、なぜか、高橋は「建築学科卒は法学部・経済学部・商学部卒よりも上」みたいな意識でいて、それだけではなく、私に「『うちの課長は、建築士の資格は持っていませんが、大学の建築学科を出ていますから』とお客さんに言えばいい」と、表現は「言えばいい」でも、実質、「言え」と命令したのだが、ええ~え? そんなこと言うのお~ん? 嫌やなあ・・、「建築学科卒といっても、東京電機大なんていったいどこの馬の骨か分からん私立大学を卒業してまして、そんなどこの馬の骨かわからん私立大学になんか行くような人間ですから、建築学科卒といっても、もう、卒業してけっこうなって、今、30代のなかばを過ぎたみたいですけれども、一級建築士に通らないだけでなく、二級建築士にも通らないようなそんな人間なんですう」なんて、「よっぽど、アホやんけ」と思われるだけ!みたいなこと言わされるの嫌やなあ・・・・と思ったのだが、高橋にはそう思われるという認識はなかったらしい。東京電機大の建築学科卒というのは、それは「中途半端」だと思う。どこが中途半端かというと、建築学科卒として処遇するにしては、実際問題として「レベルが低い」。一方で、営業として使うにしては、小堀住研(株)の営業は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というのがなる仕事であり、この場合の「4年制大学」というのは、国立大学か早慶、もしくは関関同立くらいの大学のことというのが基本であったはずだ。そういうポストに、どこの馬の骨かわからん私立大学の建築学科卒の人間というのを入れてしまうと、状況はおかしくなっていくのではないかと思うのだ。・・・で、実際におかしくなってきていた。国立大学か早慶、せめて、関関同立くらいの大学の「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というのは、自分たちが学んできたものについて自信を持っており、法学部・経済学部・商学部は建築学科に劣るなどとは夢にも思っていない・・・・し、「東京電機大の建築学科みたいなもん・・」と思っているのに対して、自由が丘営業課にいた入社3年目の近藤などは、近畿大学経済学部卒で「ぼくは、大学も近大しか出てませんし、学部だって建築学科とかではなく経済学部しか出てませんから」と口にして、なんだか、経済学部は建築学科よりも下みたいな言い草を口にしていたのだ。こういうことを口にする人間を放置しておくと、その職種のあり方自体がいがんでくる。
   「住宅建築業の営業」という職種は、ミサワホームあたりでは「高卒の人の仕事」と位置付けていたが、小堀住研(株)では「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の仕事ですということに設定したのなら、そうしないといけないはずなのです。その条件からはずれた人をあまり多くその職種につかせてはならないはずなのです。そして、高橋賢一郎のように、「どこの馬の骨かわからん私立大学の建築学科」卒という人を「営業」の職種につかせてしまって、なおかつ、そういう「大学」の建築学科の方が社会科学系学部卒という本来の設定の者より上みたいに言う人間を放置しておくと、その職種のあり方からしておかしくなってくる。
   又、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」といっても、国立大学か早慶、せめて関関同立くらいの大学の「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」と、近大の経済学部卒の人では、「法学部・経済学部・商学部」でも内容が違うし、その人の自分についての意識が違うわけで、国立大学か早慶、せめて関関同立くらいの法学部・経済学部・商学部卒の人間の場合には、自分が建築学科卒の人間よりも劣っているなどとは夢にも思っていないのに対して、近大経済学部卒の近藤は、自分ではっきりと「ぼくは大学も近大しか出てませんし、学部だって経済学部しか出てませんから」と口にしていたのです。そういう文句を口にされたのでは、当人だけでなく、経済学部卒の人間、及び、「法学部・経済学部・商学部卒の人」全般の社会的地位まで下げられてしまうので、迷惑なので、そういう発言はやめてもらいたいものです・・・・が、実際問題として、近大くらいの大学の経済学部などの出身の人というのは、そういう認識の人が多いようです。ですから、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というのは、はたして、国立大学か早慶、せめて関関同立くらいの大学の「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」という意味なのか、それとも、近大くらいの大学の「法学部・経済学部・商学部卒の人」という意味なのか、会社の経営者がどういう認識でいるのかということをきっちりと考える必要があります。
   建築学科卒・土木学科卒で営業の職種についていた人もけっこういたのですが、建築学科・土木学科卒で営業の職種について悪いことはないのですが、小堀住研(株)の場合は、営業の職種は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の仕事と位置づけていたわけですから、建築学科・土木学科卒の人をあまりにも多く営業の職種につけてしまうと、これもまた、その職種の性格が崩壊してしまうおそれがあります。特に、自由が丘営業課にいた高橋賢一郎のように、「東京電機大の建築学科卒で30代のなかばを過ぎても二級建築士にも通りません」などというものが自慢になるみたいに思っているような男に営業の職種につかせてしまうと、営業は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」でやっていくという会社としての構想自体が狂ってくることにもなりますし、私が経営者ならば、基本的には、建築学科・土木学科卒でも、営業は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」でやっていこうという方針に会社がしているのに、5流以下大学の建築学科卒は「一流大学」の「法学部・経済学部・商学部」より上みたいに言いたいという人間は営業の職種に入れないですね。
   もうひとつ、問題があったのは、新卒入社では、「営業系」は「4年制大学卒の人」しか採用していなかったようなのですが、中途採用では高卒の人でも営業に採用していたのです。こうなると、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の職種に応募して入社したはずなのに、なにゆえに、そこに高卒の人間がいるのか?!?ということになるし、なにゆえに「大卒の就職先」に応募して入社したはずなのに「高卒の就職先」に入れられなければならないのか、ということにもなります。小堀住研(株)の2代目の社長の中島昭午を「会社の役職を重視する人」と言う人がいたのですが嘘です。「会社の役職を重視する人」なら、こういった問題をきっちりと検討して対応しようとするはずですが、中島はそのあたりに何ら対応していなかった。中島昭午は「会社の役職を重視する人」ではありません。
   さらに、「建築の専門学校卒」と称する人もいたのですが、「建築の専門学校卒」というのは、それは学歴としては「高卒」なのか「大卒」なのか「短大卒」なのか。「処遇に困る」ところがあります。「処遇に困る」人を入れていいのか。「処遇に困る」人を入れた場合、会社が入れた以上は、使っていかないといけないわけですが、どうするのか。そのあたりを考えるのが、人事の仕事のはずです・・・が、今度は、人事部でも、人事部長とかいった職種につく人というのは、これは、当然、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」からなっているはずで、又、小堀住研(株)は「うちは一部上場ですからね」と言っていたのですが、この場合、「一部上場」というのは、単に株式を上場しています、上場している市場は東京証券取引所の一部ですという意味だけではなく、「一流企業です」と主張したいという意味が込められた発言です。「一流企業」の人事部長というものは、旧帝大系国立大学か早慶くらいの大学の法学部で労働法などを学んできた人間か、商学部・経営学部で労務管理論や労働経済学などを学んできた人間か、文学部心理学科か教育学部教育心理学科で心理学・教育心理学などを学んできた人間かが、会社に入社して、その会社である程度、実際の経験を積んでなるものと思っていたのですが、しかし、小堀住研(株)に入社して、人事部長の高田を見て、この人はどう見ても、どう考えても、そういう人ではないな、この人は、まず、高卒の人だなとわかった。アホですから。実際問題として。ですから、高田に↑で述べてきたようなことについて、どうしたものか考えよと言っても、考える頭なんてない人ですから、無理です。この会社はいったいどうなっているんだい? と思いました。

  千葉支店所属で営業の職種についていた某さんは、私と同じ年齢でしたが、私は人より長く大学に在学したもので、某さんの方が先に小堀住研(株)に入社しました。某さんが言うには「俺なんかは、大卒といっても、〇〇みたいに慶應とかそんないい大学を出ているわけじゃなくて、◇◇大学しか出てないから、だから、大卒といっても、そんないい会社には勤められないだろうなあと思っていたら、一部上場の小堀住研(株)で採用してもらえるというので、それで、俺なんかが一部上場の会社に勤められるのかと思ってうれしかった」そうです。しかし、「一部上場」の会社に「大卒」の待遇で採用してもらったと思ったら、「大卒しか採らない会社」のはずなのに、なぜか、そこに高卒の人間がいたというのです。「なんで、あいつ、いるんだ?」と思ったそうです。思いますよね。実際問題として。「大卒」の待遇で応募して、自分なんかはそんなにいい会社で採用されないだろうと思っていたら、「一部上場」の会社で採用されたと思っていたら、実は「高卒の待遇」で採用されていた・・・・となると、これはおかしいと思いますよね。電鉄会社で運転士やってる人て、たいてい、高卒の人がなっていると思うのですが、「一流大学」卒で入社した人と高卒で入社した人がいるはずですが、扱いは違いますよね。同じ処遇では「一流大学」卒で入社した人間は怒りますよね。違いますか。社長に、そのあたりを、どう対処するべきか、そこをきっちりと考えて対応しようという姿勢があるならば、「会社の役職を重視する人」と中島昭午を評価するのもわかりますが、ちっともまともに対処しようとしていない中島を「会社の役職を重視する人」などと言われても、何をわけのわからんことを言っているんだい? ということになります。

    私は1990年の3月31日に、千葉支店松戸営業課に在籍していた時、4月1日から東京支店自由が丘営業課に勤務してくれと辞令を出されて、「いくらなんでも、居住地を変わらないと通勤できない場所に移動するのに、きょう言って明日から移動しろというのは無茶苦茶と違いますか。松戸営業課から柏営業課へ移動とかその逆とかなら、きょう言って明日からというのもわかりますが、普通に考えて通勤できない場所への移動の場合は、1ヶ月くらい前に通知するか、もしくは、逆に、言ってから1ヶ月以内に移動すればいいとかするか、そうでなければ、会社で新しい勤務地の近くで寮なり社宅なりを用意するかするものと違うのですか」と言ったけれども、「いや、用意しない。明日から言って」と松戸営業課の課長の石井が言い、「いくらなんでも、無茶苦茶と違いますか」と言っても、石井は「そう言われても、明日からだから」と言ってきかなかった。もし、私が営業課長であったなら、そういう辞令を預かったなら、「これは、無理だと思います。どう考えても、居住地を変わらないと勤務できない場所への転勤では、1ヶ月くらい前に通知するもので、それを、きょう言って明日から赴任しろというのは無茶で、会社として非常識です」と課長として上役に言います。しかし、そのあたりが、「高卒の課長」であった石井さんは言えない人であり、言わない人でした。私が課長なら、それを言えないのでは、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」としての価値がなくなってしまうと考えますが、「高卒の課長」にはそういう認識というものがないようでした。この転勤のさせ方は人権侵害で、法的には信義則違反(民法第1条第2項)であり、高卒の痴漢人間の渡邊士直が千葉支店に赴任した時、7月1日からの辞令なのに実際に来たのは7月下旬でしたので、明らかに公平性に欠けます。
   千葉支店に1989年の7月1日から赴任するように辞令が出されたにもかかわらず、7月の終わりにやっと赴任した渡邊士直は「営業系の支店長」と松戸営業課の課長の石井などは言っていたので、旧帝大系国立大学か早慶の法学部・経済学部・商学部卒の人が支店長として来るのかと思ったら、なんと「高卒の痴漢人間」だった。なんだ、こりぁ! そもそも、7月1日から赴任してくれという辞令で、7月の終わりにやっと赴任することからしておかしい。不真面目。そして、赴任して、一番最初にやったことというと、何人もの従業員の目の前で、千葉支店所属の女性社員の尻をなでまわして、「男性がさわりたいと思うお尻をしているということは、いいことだねえ」と発言・・・・。アホか!こいつは!
   そもそも、「高卒の痴漢人間」が、なにゆえに、そこにいるのか? 小堀住研(株)の「営業系」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」が「応募条件」であったはずなのに、なにゆえ、「高卒の痴漢人間」がそこにいるのか???!!!??? 2代目の社長の中島昭午のことを「会社の役職を重視する人」と言う人間がこの会社には何人かいたのだが、「会社の役職を重視する人」であれば、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の職種に「高卒の痴漢人間」を入れてはいかんのではないかといったことを考えるもののはずである。中島は何を考えて「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の職種に「高卒の痴漢人間」を入れたのか? そのあたりがなんとも理解不能なのだ。

   TQC推進本部営業部会課長の川崎(愛称“デブの川崎”)もまた、「ミサワあたりの会社では、営業は高卒の人の仕事という位置づけですが、小堀住研では営業は大卒の人の仕事ということになっています。小堀住研とミサワホームでは、営業という職種についての社会的位置づけがはっきりと違います」と、「営業系」の合宿研修において「はっきりと」発言している。
   実際問題として、単に、一線の営業の仕事にしても、「高卒の営業」という会社と「大卒の営業」という会社では営業のしかたが根本的に違うと思うのだ。 たとえば、スポーツ選手でも、スポーツ専門校の運動選手と進学校の運動選手とでは練習に対する取り組み方に違いがあると思う。 進学校の運動選手というのは、たとえば、かつて、1980年代初め、「赤門旋風」といって、東大野球部が東京六大学リーグで4位になったことがあり、その時、監督になっていたのは、東大の大学院生で保健体育学だかを専攻した者で、彼は、たとえば、筋力トレーニングは、毎日やるのと1日おきにやるのとでは効果にはそれほど違いはでないが、1日おきにやるのと2日おきにやるのとでは相当差が出るというデータをもとに、それなら、筋力トレーニングは1日おきにすることにし、長距離走などは、そのスポーツによって効果が大きいものもあるが、野球にはそれほどは効果はないということから長距離走は練習メニューから減らすなど、そういった科学的知識から練習法を考えたらしい。一般に進学校の運動選手というのは、そういったことを考えるのが好きな人が多く、そういうことを考えて練習することによって、「1日中、スポーツの練習ばっかりやってる人間」に「学業をやりながらスポーツをやる人間」が負けない方法をあみだそうとするようだ。 しかし、それは良さそうに見えるけれども、その一方で、やっぱり、「畳の上の水練」などという言葉もあるように、スポーツのように体を動かすものについては、理屈で考えてばっかりではなく、ともかく、体を動かすということも必要であるようで、これは、スポーツに限らず、職人の世界などでも、理屈ばっかりこねていてもだめとか言われ、職人もそうであれば、建築の仕事であれば、設計なども図面を前にして手を動かすという「実際に体を動かすこと」が必要だと言われたりもする。 運動選手にしても、進学校型の練習法が効果があるのであれば、進学校出身で運動選手になった人間が成果を出してもよさそうにも思えるのだが、必ずしも、そうはなっていないようにも見受けられるし、実際には両方の面があるのではないかと思う。又、運動選手なんて「体を動かすだけのバカ」かと思うと、インターネットに入っているものなどを見ても、必ずしもそうではなく、運動選手でも、なかなか、理論的科学的なことを考えて発言している人もいるので、あまり決めつけ過ぎない方がいいと思う。
   しかし、「住宅建築業の営業」という職種の場合、「高卒の営業」と「主として『一流大学』の大卒の営業」とは、「営業成績がいいか悪いか」という問題ではなく、「営業のやり方」に違いがあると思うのだ。「高卒の痴漢人間の渡邊」は、千葉支店の赴任して、千葉支店の営業会議で、「『私はやります、絶対やります、私はやります、絶対やります♪』とぶうわあ~っとなってやるんじゃあ」などと言い出したので、こいつ、アホか!?!と思った。 その「ぶうわあ~っ」て、それ、いったい、何なんだ、それは!その「私はやります、絶対やります、私はやります、絶対やります」と呪文みたいに唱えたら、契約があがるのか?そうではないだろうが!契約をいただこうと思えば、どうすれば契約してもらえるのかということを、もっと論理的に考えるべきではないのか?と思うのだが、「『私はやります、絶対やります、私はやります絶対やります♪』と、ぶぅわあ~っとなってやるんじゃあ」と言う人というのは、それが効果があるからではなく、それをやりたいのだ、それを。こいつ、絶対、アホだと思った。
   小堀住研(株)では、TQC(全社的品質管理)として、営業活動において、何に何時間費やして、何をいくつやって、どういう成果が出てといったことを毎月記録することとしていたのだが、しかし、それを「高卒の痴漢人間」は悪用しだした。どう悪用したかというと、「契約をどれだけあげたいかということを考えて、自分は敷地調査を何件やると、プラン依頼を何件もらって何件プランを提出し、プランを何件提出すると見積依頼を何件もらって何件見積もりを提出して、見積を何件提出すると契約は何件出ているということがわかるはずや。そうすると、何件、契約をあげたいと思えば、何件見積もり提出しないといけないかが出てきて、何件見積もり提出するためには何件プラン提出する必要があって、何件プラン提出するためには何件の敷地調査をする必要があるかがわかるはずで、それだけ働かないといけないということがわかるはずや」と「高卒の痴漢人間の渡邊」は主張するわけです。そうなると、今度は、それだけ、働くためには1日あたり何時間必要になるか、今まで1日24時間であったが、24時間では足らないから、1日あたり48時間くらい必要になる・・・・というそういう話になってくるわけです。そんなおかしな「TQC(全社的品質管理)」がありますかい! もしも、今まで、1日あたり、勤務時間が8時間でも実働は3時間か4時間しか働いていないという人がいたのなら、それだけの契約をあげたいのなら、今までの倍は働かないといけない! という主張をしても、話は成り立ちますが、そんな人なんていないわけです。誰もが労働基準法と就業規則の規定をずっと上回る時間働いているのであり、これ以上、労働時間を増やすことなんて不可能であったのです。 労働時間を増やすことなんて不可能でありながら、契約数を増やそうと思ったならば、敷地調査依頼・敷地調査→プラン依頼・プラン提出→見積依頼・見積提出→契約 というその頃の小堀住研(株)の営業の流れにおいて、「どこが弱いか?」ということを考えて、「なぜ、その部分が弱いのか?」、「そこを強くするにはどうしたらいいのか?」という点を考えて、弱点を克服するべく努力するものであって、「『私はやります、絶対やります♪、私はやります、絶対やります♪』と、ぶうわああ~ああっとなってやるんじゃ、ぶうわあ~あっ!」とか言って、労働時間を今までよりも増やさせようとして、なおかつ、松戸や柏、市川の人間を無駄に千葉駅前まで呼びつけにして時間と労力を無駄にさせようとする。それは、営業にいやがらせをしているのでしかない。こいつ、絶対、アホや! と思いました。
   よくわからないのはTQC推進本部営業部会の課長の川崎です。川崎は、少なくとも「高卒の痴漢人間の渡邊」なんかよりは、QCとTQCについて学んできた人間のはずで、そうであれば、敷地調査→プラン提出→見積提出→契約 という流れを見て、契約を増やすには、それに応じて、見積提出を増やす必要があり、見積提出を増やすにはプラン提出を増やす必要があり、プラン提出を増やす必要があれば敷地調査を増やす必要があり、敷地調査を増やす必要があれば1日あたりの時間を24時間から36時間とか48時間とかにぶうわあ~っと増やす必要がある・・・・?などという「高卒の痴漢人間の渡邊」のアホな言いぐさを聞いたならば、TQC推進本部営業部会の課長であるならば、「それは、QCやTQCの考え方とは違いますよ」と言って間違いを指摘するべきはずなのです。ところが、愛称“デブの川崎”はそうではなく、「千葉支店では、このTQCシートを、特に営業成績の向上のために利用していただいているようで」とかアホなことを言い出したことがあったのですが、この人もよくわからん人だなと思いました。
   いずれにしても、「高卒の痴漢人間」の営業は、どう考えても「大卒の営業」の営業のやり方とは営業が違うのです。「住宅建築業の営業」という仕事を「(主として「一流大学」の)大卒の仕事」と位置づけてやっていこうと会社として決めた以上、その「ぶうわあ~っ」とかいう「高卒の痴漢人間」の営業法というのは、「大卒の営業」には受け入れられるものではないので、社長はそのあたりを理解して、「高卒の痴漢人間」には支店長はやっぱり無理だなと認識して対応しないといけないはずなのです。そのあたりの認識・対応ができる社長のことを「会社の役職を重視する人」と言うのであればわかるのですが、本来、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のコースに、「高卒の痴漢人間」を入れて迷惑をかけている人が、「会社の役職を重視する人」であるわけないのです。

   さらに。「高卒の痴漢人間」の渡邊士直は、私に「住宅建築業の契約というのは、請負契約なんだよ。請負契約というのは、こういうことをやりますから、木材を買うお金ください、釘を買うお金をくださいと言ってお客さんから材料代をもらって、それで仕事をやるものなんだ」などと言い出したので、あきれました。こいつ、絶対、アホや! と思いました・・・し、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の仕事を「高卒の痴漢人間」にさせようと思っても、それは、ドダイ、無理な話です。
   民法では「典型契約」としていくつかの契約の内容が規定されていますが、刑法と違って民法の場合は、典型契約と異なる契約をしてもかまわないわけです。これは、大学の「民法」の授業では、初歩の初歩として学ぶもののはずです。住宅建築業の契約書には、「請負契約書」と書かれていますが、実際には、それは請負契約と売買契約が合わさった契約なのです。 小堀住研(株)は、最初は在来木造の会社であったのですが、1970年代の途中から、木質パネル構法で建てるようになり、1980年代の終わりにおいては、東京都と関西では、在来木造でも建てていたようですが、千葉県などでは木質パネル構法での建築は受けても、在来木造で小堀住研(株)で建てたいと言われても、「職人がいない」という状態で、主力は木質パネル構法になっていたのです。木質パネル構法というのは、「クローズドシステム(クローズド構法)」といって、この構法で建てますと国土交通省(←建設省)にその建築業者が申請を出して、「システム認定」という方式で認定を取得すると、その業者しかその構法で建てることはできないという構法で、在来木造のような「オープンシステム(オープン構法)」とは違ったのであり、そして、その木質パネル構法の木質パネルというものは、どこで売っているかというと、小堀住研(株)のグループ会社の小堀住工(株)の工場で作っていたものしか日本にはなかったのであり、「木質パネルを買うお金をください」などと施主に言うバカはないのです。 小堀住研(株)の契約書の頭に「請負契約書」と書かれているからといって、民法の「典型契約」の「請負」の内容がすべて杓子定規にあてはめるべきだみたいな主張を始めるというのは、もう、「それは違いますよ」と説明して教えてあげるのは、もう、私の仕事ではないと思うのです。そのくらい、理解している人が、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の職種にはつくべきであり、その程度のこともわからない人は、勉強しなおしてから入社してもらった方がいいと思います。疲れます。つくづく。
   「人を学歴で差別してはいかんじゃないか」とか言い出す人というのが世の中にはいます。しかし、それなら、「高卒の痴漢人間」を、なにゆえに、設計とかやっている「建築学科卒の人間」と「差別」するのでしょうか? 「建築学科卒」の人間と「差別」してもいっこうにかまわなくて、法学部卒の人間や経済学部・商学部卒の人間とは「差別」してはいかんというのは、それはおかしいのではないのか?というよりも、↑に述べたように、法学部的認識もなければ、商学部・経済学部的認識もない男を、なにゆえに、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」と同じにしないといけないのか。 そのおかげで、周囲の従業員が迷惑を蒙るのは、なぜ、かまわないのか?

   霞ヶ関の官庁では、国家公務員1種試験合格で入った人間と便所掃除で入った人間を一緒にしたりはしません。同じ処遇にしないというのを「差別」だと言ったりもしません。「高卒の痴漢人間の渡邊」は、1990年4月、東京支店長の高倉から聞いた話では、私について「使いにくいやつや」などと誹謗中傷を加えていたらしいのですが、私は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」という条件のコースに入社してのであり、「高卒の痴漢人間」のコースで入社したのではないのであり、彼に使われる筋合いはありません。いったい、何を言ってんだと思ってびっくりしました。

   「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」でも、大学と学部、そして、その人によって扱いは変えるべきです。 たとえば、1989年6月まで千葉支店の業務課に「業務課長」になっていて、7月から東京支店の「業務課長」になった江間は、法政大学法学部卒だと言うが、法律の何を勉強してきたんだ?というと、何も勉強してない「大学卒」という肩書を取得することをせいいっぱいの目標として法政に行って卒業したという「その程度」の人で、私のように、何を学んだ、何を身につけている、自分は何ができるといった自覚など何もない人間である。私が3月31日に4月1日から東京支店に勤務しろと言われた時も、千葉支店業務課長の越智と東京支店の江間は業務課長であれば居住地変更を必要とする転勤をきょう言って明日からというのは無理です(法的には信義則違反)と会社に言わないといけないはずだが、言う能力の欠落した男だった。そういう人と、私のようにある程度以上のものを身につけて入社した人間を一緒にしたのでは、会社として損失で、一緒にされたのでは迷惑です。

   会社の経営者というものは、こういったことを考えて、従業員はどう扱おうかということを考えるもので、そういったことをきっちりとやっている経営者を「会社の役職を重視する人」というのならわかるが、ちっともそういう対応をしていない中島昭午を「会社の役職を重視する人」などと言う人間がいたが、それは明らかに間違いである。
    で、「高卒の痴漢人間」は、なぜか、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のコースで入社した私を使うつもりでいたらしいのだが、ちょっと頭おかしいのじゃないのかと思うのだが、もし、彼のそういう発想を会社が認めるのならば、その会社は小堀住研(株)はそれまで言いまくってきた「大卒の人の勤め先」ではなく、「高卒の痴漢人間の勤め先」の会社となるであろう・・・と思うと、さっさとそうなって、そして・・・→つぶれた。

   「高卒の痴漢人間」のコースの支店長になっていた渡邊士直は、当然のことながら、「4年制大学の法学部卒の人」の知識も認識もなく、「4年制大学の経済学部・商学部卒の人」の知識も認識もなかったのだが、「一流大学」卒の人間が身につけてきたものというのは、大学の学部でやっているものだけではなく、「高校まで」で身につけたものもあるわけで、その「高校までで身につけたもの」というのは、慶應義塾大学では、「内部進学」VS「私立受験校卒」VS「公立トップ校卒」 で内容が異なったのだが(「底辺の高校から1浪で入学」というタイプはここではちょっと横に置いておいて)、「公立トップ校卒」の方のタイプとしては、やっぱり、「底辺の高校卒」で「高卒の痴漢人間」として入社した人というのは、結論として「やっぱりその程度」だと思いますよ。

   「学校で学ぶもの」には、大学での専門科目に該当するものと小学校から高校までで学ぶものの両方があると思います。前回、引用した『週刊東洋経済 2016.10.15.第6688号 特集 高校力』(東洋経済新報社)の溝上憲文「人事部は出身高校もチェックしている」に、≪ 一口に名門高校といっても、公立の伝統校もあれば有名大学への進学率が高い私立高校もある。・・・・≫と出ていますが、実際そうで、一般論として、大学の入学試験で同じ点数をとっていても、「公立の伝統校」出身の人間と、「有名大学への進学率が高い私立高校」出身の人間では、私立受験校出身の人間というのは内容がない人間が少なからずいると私は自分自身が周囲を見て思うようになりましたが、慶應の内部進学の教授などは「小学校から高校までの勉強は害があるんだ」とおっしゃいますので、そういう認識の人からすれば、「公立の伝統校」出身の人間というのが一番「害がある」ものを身につけてきているということになるでしょう。慶應の内部進学の人たちというのは「我々には塾風というものがあると言われるのですが、その「塾風」っていったい何なんだ? というと、「内部進学の人が持っている何か」らしいのですが、同時に「小学校から高校まででやっているものは害がある」という認識のことでもあるようですので、「私立受験校」出身の人というのは「小学校から高校までの勉強」というものは大学に入るための手段でしかないと考えている人が多いので、その点で内部進学の人にいくらか認識が近いと言えます。「公立の伝統校」出身の人間は、前回、遠山啓や末川博の本に描かれていた学問観を引用したように、小学校から中学校にかけて身につけた「術」を利用して「学」を学び、その「学」から「観」が確立されていき、「すべてについて何か」を大学の一般教養で学び、「何かについてすべて」を専門課程で学ぶが、高校までにおいては「すべてにおいて一通り」「すべてについての初歩」「すべてについての基本」を学んでいるという認識ですから、「小学校から高校までの勉強は害がある」という慶應の教授(内部進学)みたいな思想とは相いれないわけで、そうなると、慶應の教授はますます、「受験勉強の悪影響だ」と叫ぶようになり、言われた側としては逆にますます「なんでやねん!」ともうようになるわけです。こういったことを考えると「公立伝統校」出身の人間は、「小学校から高校までの勉強は害があるんだ」という思想が支配している慶應大学なんかに行くよりも京大など旧帝大系国立大学に行った方がいいのではないかと思えてきますし、実際、日吉の大教室の机に、「公立小学校→公立中学校→公立高校→現役京都大学 これこそ最高のエリート」なんて書かれた落書きがあったのですが、そう思った人がいて、「小学校から高校までの勉強は受験勉強だ。害があるんだ。わかってんのかあ。その点、我々内部進学の人間には『塾風』というものがあるんだ。おまえら外部の者とは違うんだ」とか講義の最中に教壇で叫ぶ慶應の教授を見て、なんだ、この野郎!と思ったのではないかと思います。「新約聖書」の「福音書」にエルサレムの道端に座っていた盲目の乞食がいて、イエスが通りかかった時、イエスが「何をしてほしいのか」と尋ねたところ、「見えるようになりたい」と言ったという話があります。「公立の伝統校」出身の人間の認識としては、学問とは何か、大学とは何かというと、基本的には「見えるようになりたい」ということではないかと思います。それは慶應の教授(内部進学)からすると「害がある」考え方だということになってしまうと思いますし、「受験勉強の悪影響だ」と言われると思いますが、それでも、私は、学問とは何か、というと、基本的には、「見えるようになりたい」ということだと思っています。
   三浦綾子・三浦光世『愛に遠くあれど―夫と妻の会話』(1981.5.15.講談社文庫)で、三浦綾子さんは、「わたしは、簡単に女に手を触れるような男性は大きらい。」と述べていますが、そのあたりの認識もまた、大学よりも「小学校から高校まで」の方で身につけるものであり、「簡単に女に手を触れるような男性」というのは、そのあたりの基礎的な学習ができていないのではないかと思います。小堀住研(株)に入社して思ったこと、及び、その後、その他の会社に勤めて思ったことですが、自分の嫁でも婚約者でもない女性に「ちゃん」づけで呼ぶ男というのがいるのですが、特に男女の関係でつきあっているわけでもない相手に「ちゃん」づけで呼ぶというのは、それは「小学校から高校まででやっていること」というのが薄弱である人間だからそういう態度になるのではないかと私は思っています。小堀住研(株)の千葉支店松戸営業課の課長になっていた石井さんが「ちゃん」づけでしばしば女性を呼んでいましたが、石井さんにもその点においてこの傾向が見られたということです。それが、小堀住研(株)の千葉支店の支店長に1989年7月1日からの辞令で、実際には7月の終わりになってやっと来た渡邊士直になると、「渡邊さんの場合は信念もってやってる」と従業員の間で言われるように「簡単に女に手を触れる」という態度・姿勢について「信念もってやってる」わけで、それは「病的」というのか「ほとんどビョーキ」というのかだったのです。私は、もともと、「心理学」「精神医学」に関心をもっていた人間だったのですが、学んで行くうちに、その胡散臭い面を知ったのですが、「精神医学」信奉者には、自分が気に食わない人間を「病気」にしてしまう人というのがいるのですが、私はそういう態度は慎むべきであると思っており、アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学の精神科教授トマス=サズが、「精神科医」と言われる人がやっていることというのは、それは、哲学・倫理学・文学・社会学といったものであり、「医学」だとして扱うことに間違いがあるということを指摘しており、少なくとも、「精神医学」の対象としてとらえ考えるべきものは範囲を小さ目にするべきであって大き目にするべきではないと考えていますが、もし、「精神医学」の対象として考えるものを、あえて、大き目にして考えるならば、小堀住研(株)にいた千葉支店支店長に赴任した渡邊士直などは、「信念もってやってる」と言われるように「病気」でしょう。私が経営者ならば、そのあたりも見て人事は決めます。小堀住研(株)の社長の中島昭午は「会社の役職を重視する人」と言われていたのですが、もしも、「会社の役職を重視する人」であれば、そのあたりも見ないといけないし、見えるようでないといけない。「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」という「応募条件」で人を採用した職場に「高卒の痴漢人間」を入れるのであれば、その人はそういう人の処遇として入れるというようにしないと、そうでなければ、「会社の役職を重視する人」ということにはなりません。

   中島昭午の出身校の滋賀県立長浜北高校は、長浜高校と合併して新たに長浜北高校となったようです。同行の応援部のブログhttp://kitakou.pokebras.jp/e306447.html が見つかりましたが、そのコメント欄に、下記のようなものが見られました。
ー・-・-・-・-・-・-
関西支部総会はどこで開催されたのでしょうか?
大阪?京都?
滋賀も関西だから大津?
何人くらい集まって、どんな様子だったのでしょうね?
質問ばかりですみません。
Posted by 卒業生 at 2015年04月07日 20:53

>>卒業生
場所は大阪市です。
大阪駅近くのホテルプラザです。
参加人数は100名です。主なメンバーは(実名ですみません)(平成4年11月6日実施)
岩田宙造支部長
小川彰三会長
横濱仁士校長
中島昭午氏(エスバイエル社長)
矢野重弘氏(洋画家)
新井美史氏(朝日放送国際部長)
宮尾佳代子氏
以上です。
Posted by 名無し at 2015年04月07日 21:13

貴重な情報ありがとうございます。
100名ってすごくないっすか!
エスバイエルの社長さんは北高出身だったとは!
新井さんは今阪南大学の先生のようですね。
まさに錚々たる顔ぶれです。
感動しました。

Posted by 北高卒業生 at 2015年04月07日 21:52
ー・-・-・-・-・-・-・-・-
痴漢人間渡邊士直からの侵害を放置して、従業員に対しての保護義務を怠ってきた中島昭午を「錚々たる顔ぶれ」などと言っているようでは、この長浜北高校の「卒業生」という人はアホですね。中島昭午の態度は「保護義務違反」であり、債務不履行責任を問われる性質のものです。 この「北高卒業生」という人は、いったい何をわけのわからんことに「感動」しているのでしょうね。「信念もってやってる」「ほとんどビョーキ」の痴漢人間が大好きな「会社つぶした二代目」がそんなにありがたいのでしょうか?
  「信念もってやってる」渡邊士直は「この俺は会社の女の尻をさわったが、会社からは何とも言われんのじゃあ。小堀住研(株)はそういう会社なんじゃあ。俺は今後も、絶対に間違いなく会社の女の尻をなでまわすが、それは中島社長から許可されてやっとるんじゃあ。『渡邊は会社の女である限り、どの女であれ、好きなだけ体をさわってもかまわん。渡邊は会社の女であれば誰の尻でも好きなだけ尻をなでまわしてかまわん』と中島社長からはっきりと許可されとるんじゃあ」と「はっきりと」「大きな声で」発言しているが、中島には痴漢人間を取り締まる義務があるのであり、許可する権利はありません。

  今回は、前回http://shinkahousinght.at.webry.info/201710/article_1.html の続きとして作成しました。
   (2017.10.1.)

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