箕面市粟生間谷の天満宮参拝【下】天満宮の周囲、五字(ごあざ)神社・楠木神社ほか。

[第585回] 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(45)‐2
   箕面市粟生間谷西3丁目の天満宮に参拝しました。 この付近の地名、「粟生(あお)」は、どういうところからついた地名なのだろうとけっこう前から思っていたのですが、天満宮に設置されていた説明書きと、五字(ごあざ)神社に設置されていた説明書きによると、「粟(あわ)がよく生育する所」という意味で「粟生」と名づけられたらしい・・・・が、もっとも、箕面市の「粟生」と名がつく地域は、今現在の地名では、粟生間谷西1~7丁目、粟生間谷東1~3丁目・5~8丁目、粟生間谷、粟生新家1~5丁目、粟生外院1~6丁目、粟生外院、彩都粟生南1~7丁目、彩都粟生北1~7丁目 とけっこう広い。山間部は山林で粟を育てるような所ではないと思えるし、粟生間谷・粟生新家・粟生外院・彩都粟生のどのあたりが粟がよく生育した地域なのか、よくわからないところもある。
    粟生間谷の天満宮の少し南東に、「五字(ごあざ)神社」がある。↓
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    祭神は、「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」と書かれている。 そりぁ、いったい何者なんだ? というと、アマテラスが天の岩戸に隠れた時、どうやってアマテラスを外に引っ張り出すかを考えた神さんらしい。
『古事記』(倉野憲司校注 岩浪文庫)を見ると、
≪ ここに万(よろづ)の神の声は、さ蠅なす満ち、萬(よろづ)の妖(わざはひ)悉に発りき。 ここをもちて八百萬の神、天(あめ)の安(やす)の河原に神集ひ(かむつどひ)集(つど)ひて、高御産巣日(たかみむすひの)神の子、思金(おもひかねの)神に思はしめて、常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かしめて、天の安の河の河上(かはかみ)の天(あめ)の堅石(かたしは)を取り、天の金山(かなやま)の鉄(まがね)を取りて、鍛人天津麻羅(かぬちあまつまら)を求(ま)ぎて、伊斯許理度売(いしこりどめの)命に科(おほ)せて鏡を作らしめ、玉祖(たまのその)命に科せて、八尺(やさか)の勾玉(まがたま)の五百箇(いほつ)の御統(みすまる)の珠を作らしめて、天児屋(あめのこやねの)命、布刀玉(ふとだまの)命を召して、天(あめ)の香山(かぐやま)の真男鹿(まおしか)の肩を内抜(うつぬ)きに抜きて、天の香山の天(あめ)の朱櫻(ははか)を取りて、占合(うらな)ひまかなはしめて、天の香山の五百箇真賢木(いほつまさかき)を根(ね)こじにこじて、上枝(ほつえ)に八尺の勾玉の五百箇の御統(みすまる)の玉を取り著け、中枝(なかつえ)に八尺鏡(やたかがみ)を取りかけ、下枝(しづえ)に白和幣(しらにきて)、青和幣(あをにきて)を取り垂でて、この種種(くさぐさ)の物は、布刀玉の命、太御幣(ふとみてぐら)と取り持ちて、天宇売買(あめのうずめの)命、天の香山の小竹葉(おさば)を手草(たぐさ)に結ひて、天の石屋戸(いはやと)に槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、胸乳(むなち)をかき出で裳紐(もひも)を陰(ほと)に押し垂れき。ここに高原の原動(とよ)みて、八百萬の神共にわらひき。ここに天照大御神、怪しと以爲(おも)ほして、天の石屋戸を細目に開きて、内より告(の)りたまひしく、・・・・≫
とある。 天の石屋戸の内側に隠れたアマテラスを引っ張り出すにはどうしたらいいか、という問題において知恵を出した神さんということで、「知恵の神さま」ということになったらしい。

    「五字」とはどういう意味だろうか。 静岡県浜松市のJR「浜松駅」の北西のあたりに、「五社神社」http://www.gosyajinjya-suwajinjya.or.jp/ という神社がある。 浜松の五社神社の場合は、《ウィキペディア―五社神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%A4%BE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%83%BB%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE によると、≪ 五社神社は、太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神の五柱の神を主祭神とし、ここから「五社神社」という社名になっている。元々は太玉命を祀る神社であったものに、春日大社の祭神四柱を勧請して現在の五柱となったものと見られている。 ≫ということだが、五社神社HPの「五社神社 諏訪神社について」http://www.gosyajinjya-suwajinjya.or.jp/about.php には、≪曳馬城(後の浜松城)主・久野越中守が城内に創建した事に始まると伝えられる。後、徳川家康公、浜松城主となり天正7年(西暦1579年)4月7日、秀忠公誕生に当り産土神として崇敬し、現在地に社殿を造営し天正8年(西暦1580年)遷座す。 ≫とあるので、お城の中にお殿様が造った神社、さらに、それを現在地に徳川さまが社殿を造営された神社ということで、御社(おんやしろ)と言ったものが音読みされて「ごしゃ」。さらに、その音読みの「ごしゃ」に最も一般的な漢字が当てられて「五社」になったもので、春日大社から4神を勧請してどうこうというのは後からつけられたお話・・・・なんて可能性もありそうではないか・・・なんて思ったりもしたのだが。
   インターネットで検索すると、五社神社は浜松だけではなく、大阪府池田市にも大阪市西淀川区にもあり、いずれも、5柱の神さんを祀っているらしいが、これらも、「御社(おんやしろ)」→「御社(ごしゃ)」→「ごしゃ」→「五社(ごしゃ)」 と変化した可能性・・・というのもないとは言えないのではないかという感じがする。 京都市西京区にも五社神社があるようだが、こちらは5柱ではなく10柱の神さんを祀っているらしい。 和歌山市には5ではなく15の神さんを祀る十五社神社があるらしい。
※ 五社神社 諏訪神社(浜松市)HP http://www.gosyajinjya-suwajinjya.or.jp/
《ウィキペディア―五社神社 諏訪神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%A4%BE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%83%BB%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE
《ウィキペディア―五社神社(池田市)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%A4%BE%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%B8%82)
《ウィキペディア―五社神社(大阪市)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%A4%BE%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82)
五社神社(京都市西京区)http://www.kyotofukoh.jp/report1260.html
十五社神社(和歌山市)http://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=1036
   箕面市粟生間谷の「五字神社」は5つの社ではなく、5つの字と書いて「ごあざ」神社と読むらしい。 現地での説明書きが石碑と木の板↓と2つあるが、書かれている文章は同じ。
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≪ 神社の由来  この地からは二万年前ごろの石器が拾得され、人間の足跡が明らかになった。その後長年月の間に住民が増え開拓が進み、粟の生育がよいので粟生と呼ぶようになったという。 村民は心の拠り所として、最も聡明叡智の八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)を信仰し、氏神として祭った。依頼幾星霜、この神社を護って平和な生活を続けてきたのである。   泰宏記。 ≫
と書かれている・・・・・が、「五字(ごあざ)」という名称の由来は書かれていない。
   「字」は、「◇◇郡☆☆村 大字〇〇 字▽▽ 」という地名の「字(あざ)」のことで、この付近の5つの小字の村の神さんだったか、もしくは、5つの字(あざ)というわけでもなく、字の神社であったものを敬って丁寧語の「御」をつけて「御字(おんあざ)神社」としたものが、「ごあざ神社」→「五字(ごあざ)神社」 となった・・・、もしくは、その付近の字の神社、村の神社であったが、実際に5つの字であったか6つであったか4つであったかは不明瞭というのか大きな問題ではなく、「よんあざ」「よつあざ」「ごあざ」「ろくあざ」・・といったもののうち、ごろがいいのは「ごあざ」ではないかということで、「五字(ごあざ)神社」となった・・・・なんてこともありそうな感じがしないでもない。
    ≪ 村民は心の拠り所として、最も聡明叡智の八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)を信仰し、≫という部分はどうだろうか。 菅原道真なら「寺子屋の神さん」として江戸時代くらいにおいては知られていたかもしれないが、オモイカネノミコト なんて、皇室はともかく一般の農民は知らない場合の方が多いでしょ。 と考えると、オモイカネの信仰の社が氏神になったのではなく、もともとは、この付近の村の神さんだった神社だが、明治維新の後に明治政府から『古事記』『日本書紀』に登場する神さんなどからどれか神さんを選べと言われて、オモイカネになった・・という可能性もありうるように思える。 しかし、それならば、天満宮と五字神社はすぐ近くであり、村の神さんを祀る社がすぐ近くに2つあったのか?  ということは、この付近に、天満宮派と五字神社派の2派に分裂するような「何か」があったのか? さらに、もう少し山の側に「楠木神社」↓がある。
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↑  社は大きくないが木はでっかい。
   天満宮派と五字神社派だけでなく、楠木神社派もあったのか? さらに、今回は行かなかったが、地図を見るとここより少し山手に、「素戔嗚神社」がある。 これらは、対立していたわけでもなく、それぞれ、祀っていた神さんが微妙に違ったか、もしくは、それぞれが小字の神さんで、五字神社が5つの小字の神さんを代表する大字の神さんだったのか・・・・?
    楠木神社の社はあまり大きくない。↓ 五字神社や天満宮の社と比べても大きくない。 又、五字神社と天満宮には、由緒書きを書かれた石碑があり、五字神社には石碑と別に木の板にも説明書きがあったが、楠木神社には由緒書きが書かれたものは現地にない。
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    楠木神社というからには、祭神はいわゆる「大楠公さん」楠木正成か? ・・・なんてここに来る前に地図を見て思ったのだが、現地の雰囲気はそんな感じではない。 むしろ、この巨大な木がたいして広くない神社の敷地において存在を示していることを考えると、古くからこの地に生えているこの巨大な木を神聖なものとして祀った神社なのか・・・、この木がクスノキなのか? ・・・なんて思ったのですが、この木も天満宮にあった木と同じく「箕面市 保護樹木」に指定されている木らしいのですが、そこには説明書きがあって、「樹木名 ムクノキ」と書いてある。 指定年月日は天満宮のムクノキよりもこちらの方が早く、1979年4月1日。
   この木がクスノキではなくムクノキだとすると、この木を祀った神社というわけでもないということか・・・・。 しかし、「ムクノキ神社」よりも「クスノキ神社」の方がごろがいいということで、「クスノキ神社」になった、ということも可能性としてはないとは言えないのではないか。 クスノキかムクノキか、そこまで厳密に区別して名前をつけていなかったのではないか・・・・と考えると、敷地はたいして広くもなく、社も小さいにもかかわらず、木だけでっかい!♪! ということは、楠木神社はこの樹木を神聖なものとして祀った神社だった・・・ということはありうるような・・・。
   とすると、天満宮にあったムクノキもけっこう大きな木で、あれもまた神聖な木だとして祀った神社だったのか?  もしかすると、天満宮の方は、大きな樹木を神聖なものとして祀った所に天神≒菅原道真が習合したのか? 習合ではなく合祀されたのか?
    楠木神社より府道4号(茨木能勢線)を登った右手(山の上)に素戔嗚神社があると地図には出ている・・・が、今回は訪問しなかった。

    楠木神社の右側の道を直進して登って行ったあたりに「ガラシア病院」http://www.gratia.or.jp/ がある。↓
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  かつて、西川きよし だったか、もしかすると違ったかもしれないが誰だったか有名人が入院していたとして知られ、同時に「便利悪い所」としても知られていたが、今はバスの便が千里中央などから付近のバス停まであって、それほどは「便利悪い所」ではなくなった。ホームページを見ると、内科・外科・循環器内科・整形外科・リウマチ科・リハビリテーション科・「精神科」があるらしい。
   ガラシア病院のホームページの「ガラシア病院について」http://www.gratia.or.jp/?page_id=8 には、
≪ ガラシア病院は 1953年(昭和28年)11月、カトリック大阪大司教区および大阪聖ヨゼフ宣教修道女会を設立母体として、キリストの愛に基づいた医療奉仕を目的に大阪市西区に設立されました。1969年 (昭和44年)4月、箕面市に移転し、現在は9の診療科をもって診療を行っています。 ≫ と出ている。
   地図を見ると、ガラシア病院の後ろ、さらに山手に「聖ヨゼフ箕面修道院」があるらしいことが書かれている。
   「聖ヨゼフ修道女会」とは何ぞやというと、大阪聖ヨゼフ宣教修道女会HPhttp://www.ossmj.org/index.htm の「会の歴史と使命」http://www.ossmj.org/top.htm には、≪ 聖ヨゼフを保護者とし、 前記の聖婦人達を先がけとして、 司祭職に直結した「聖ヨゼフ女子修道会」が、 1946年にカトリック関目教会内に仮修道院を設置した。 ローマより正式に認可されたのは、 1948(昭和23)年である。 会憲の認可と共に、 会の名称は、 「大阪聖ヨゼフ布教修道女会」となり、 後に「布教」は「宣教」と改められた。 ≫と書かれており、今は、箕面市粟生間谷西6丁目 、ガラシア病院の後ろにあります。
   「ガラシア」というと、カトリックの「聖人」で、女性の聖人の名前か? という感じの名前ですが、日本では、明智光秀の娘で細川忠興の妻となった細川ガラシアが知られていますが、洗礼名がガラシアなのでしょうけれども、もともとの「ガラシア」という人はどういう人だったのだろうと思ってインターネットで検索しても、箕面市のガラシア病院しか出てきません。

   楠木神社の前の府道4号(茨木能勢線)に沿ってふもとの方に行き、天満宮よりふもと側、五字神社より山手側に 日本キリスト教団箕面東教会http://www.geocities.jp/mino_higasi_kyokai/  がありますが↓、 こちらはプロテスタントであり、カトリックのガラシア病院・聖ヨゼフ修道女会とは別です。
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   箕面市粟生間谷西3丁目 の天満宮、五字神社、粟生間谷西6丁目の楠木神社、聖ヨゼフ修道女会、ガラシア病院、粟生間谷西7丁目の日本キリスト教団箕面東教会 のあるあたりに行くための交通の便としてはというと、少し東に、大阪モノレール彩都線 というのが通るようになり、彩都線の線路まではそれほど遠くないが、駅は南側の「豊川」までも、北側の「彩都西」までも、歩くにはけっこうある。大阪モノレール彩都線は線路まではそれほど遠くないとしても駅まではけっこう遠い。 他の鉄道では、阪急千里線「北千里」、北大阪急行「千里中央」、阪急箕面線「箕面」、もしくはJR東海道本線「茨木」駅があえて言えば比較的近い駅かもしれないが、いずれも、そこから歩くにはかなり遠い。
   バスの便としては、箕面市が企画して阪急バスが運行している「オレンジゆずるバス」の「粟生間谷西7丁目」というバス停が府道4号(茨木能勢線)にあるのですが、月~土曜のみで日曜は運行しない。 阪急バスの「中村」というバス停がそれよりほんの少しふもと側にあり、これは、JR東海道線「茨木」・阪急京都線「茨木市」駅からと阪急千里線「北千里」駅からの便があるようなのですが、本数は多くないのであまり便利ではない。 むしろ、もう少し下の府道9号という東西の道に阪急バスの「宮の前」というバス停があり、これは北大阪急行電鉄「千里中央」駅から出ているようで、こちらの方が本数は多く、使いやすいのではないかと思います。 「宮の前」の「宮」とは、五字神社のことかと思います。
   マイカーを利用できるなら、府道9号はけっこう走りやすい道ですので、自分でクルマを運転して行くのが便利です・・・・が、どこに駐車するかという問題があります。 付近には駐車場があるスーパーなどが何軒もありますので、そこに停めてくださいなんてここに書くわけにもいかないでしょうけれども、実は、そういうスーパーのうちの1軒に停めさせてもらって、今回、訪問しました。 お礼にそこのスーパーの売上向上に協力すべく、ここにその名称と写真を掲載・・・・なんてしてしまうと、そこの駐車場に停めて行ってくださいと言っているようなものになってしまうので、残念ながら掲載はしません。 但し、私は、そういう際にも「マナー」を守って停めさせてもらっているつもりです。 そのマナーとは、
(1) スーパーやホームセンターでは、土日祭日の来客の数を考えて駐車場の台数を確保している店が多く、そいういう店では、平日の場合、1台や2台停めさせてもらっても、それで店の営業が被害を受けるというものではないので、そういう曜日と時間帯に利用させてもらう。 自分が停めると、もう他に停められないというような時には、そこで買い物をする為ではなく神社などに行くために停めるということは避ける。
(2) その際、駐車場から店まで最も近い最も便利な場所は遠慮する。
(3) ある程度の規模のスーパーやホームセンターなら、遅かれ早かれ購入するような物が何か売っているので、何か1つ以上は購入して帰り、その店の営業に貢献するようにする。
(4) そうであっても、必要以上に長くは停めない。
ということに私はしています。 ですから、この方法であれば、そのお店にとっても、そこに停めたことによって、そうでなければ他の店で買ったかもしれない物をそこで購入してもらえるわけですし、他にも駐車スペースはまだあるので、他の人が停められないということはなく、店にとって特にマイナスにはならないと思います。
   ところが。 世の中で何が恐ろしいかといって、「オバサン」ほど恐ろしいものはない。 2008年、千葉県八千代市の東海住宅(株)http://www.10kai.co.jp/  という建築業もやっているが売買の不動産業が中心という会社に勤めた時、千葉市花見川区の花見川店の店長になっていた「ゆうこりん」(仮名。 女。当時、50代なかば)は、店の前に5台ほどしか駐車スペースがないセブンイレブンの駐車場に、すでに停まっているクルマがあって、そこに1台停めると他にクルマでの来客があってもクルマを停められないから他の店に行ってしまうという状況において、平気で駐車して、2時間半ほどチラシのポスティングを付近の住宅におこない、「財布、忘れてきちゃったわ」と言って何も買わずに発進して帰る・・という、「ええ根性しとるなあ~あ」というのか、「男にはできない」ことをやりました。あの人はいつもあの調子なのでしょう。〔⇒[第192回]《クルマで移動する営業の心掛け、建築の住宅・不動産の住宅の営業の常識。 営業と言えない「女性営業」の話 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201308/article_2.html の〔3〕 〕 なんと言いましょうか。
「 泣く子もオバサンには勝てない。 」
「 女は弱し、されど、オバサンは強し。 」
「 オバサン通れば、道理ひっこむ。 」
「 そこのけ、そこのけ、オバサン通る。 」

とでも言うべきでしょうか。 世の中、何が強いと言って、オバサンほど強いものはありませんよ。男なんて、およそ、とうてい、勝てるわけがない!
   私は、「ゆうこりん」(仮名)みたいに、そこに1台停めたら、その後、クルマで来た客が停められないというような状況の時は停めないで、駐車可能台数にまだまだ余裕があるという曜日と時間帯を見計らって、一番有利な場所ではない場所に停めさせてもらって、必ず、その店で何か購入するようにして、購入するのに要する時間が30分で、付近の神社に行くのに要する時間が1時間とか、そんな感じで停めさせてもらったことは何度もあるし、たぶん、今後もあると思うけれども、「ゆうこりん」(仮名)みたいな、何と言うのかこう、「オバサン帝国主義」とでもいうのか、今は昔、中国の毛沢東主席が「すべての帝国主義と反動派はハリコの虎である。見た目は恐ろしいが、本当に力を持っているのは人民であって反動派ではなく、その実力はたかがしれており、やがて打倒される」とおっしゃったのですが、ただひとつ、「オバサン帝国主義」という帝国主義だけは「ハリコの虎」ではなく「牙をもった恐ろしい本物の虎」であり、これだけはもう、永遠に不滅であり、原子爆弾も人民義勇軍もオバサンにだけは歯が立たない。福島第一原発事故の後、山下なんとか言う大学教授が「ニコニコしている人の所には放射能は来ません」だか無茶苦茶言ったことがあったが、ニコニコしていようがプンプンしていようが関係なく放射性物質も放射線も来るはずですが、オバサンの所にだけは放射性物質も怖がって逃げていくのではないか。 「オバサン帝国主義」だけは、もうこれだけは永遠に不滅ではないか!!! て感じがします。 「ゆうこりん」(仮名)なんて見て思いました。
    で、私のような「マナー」を守ってでもそういう駐車場に停めたくない人は、府道9号の南側の粟生第3住宅だか粟生第4住宅だかいう集合住宅の付近に時間パーキングがあります。 私はそこの店の営業にマイナスになるような停め方はしていない自信があるし、実際、そこの店で買い物しているので、悪い停め方をしているとは思っていないけれども、それでも、嫌だという人、もしくは、土日祭日しか行けない人の場合、府道9号の南側に少し下って行った所にある時間パーキングを利用されるといいと思います。

   (2017.9.25)

   今回、「大阪府箕面市粟生間谷の天満宮」訪問は、二部作とし、
【上】 粟生間谷の天満宮 http://shinkahousinght.at.webry.info/201709/article_14.html
【下】 粟生間谷の天満宮の周辺、五字神社・楠木神社ほか 〔今回〕
として公開します。 上下、合わせてご覧いただければと思います。


☆ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_1.html
2.http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_2.html
3.http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_5.html
下 http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。http://shinkahousinght.at.webry.info/201604/article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。http://shinkahousinght.at.webry.info/201604/article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。http://shinkahousinght.at.webry.info/201604/article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲http://shinkahousinght.at.webry.info/201604/article_9.html  
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201405/article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201611/article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 http://shinkahousinght.at.webry.info/201709/article_14.html
下 〔今回〕
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長http://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へ。「他力」とは http://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社他 http://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション http://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_18.html

千葉県
葛飾天満宮(市川市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201301/article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.http://shinkahousinght.at.webry.info/201511/article_1.html
2.http://shinkahousinght.at.webry.info/201511/article_2.html
3.http://shinkahousinght.at.webry.info/201511/article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 http://shinkahousinght.at.webry.info/201608/article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 http://shinkahousinght.at.webry.info/201311/article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201503/article_4.html
白井市河原子の天満宮 http://shinkahousinght.at.webry.info/201303/article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)http://shinkahousinght.at.webry.info/201605/article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)http://shinkahousinght.at.webry.info/201305/article_2.html
(下)http://shinkahousinght.at.webry.info/201305/article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)http://shinkahousinght.at.webry.info/201308/article_1.html 
新町天満宮(千葉市中央区) 
【上】 http://shinkahousinght.at.webry.info/201703/article_6.html
【下】 http://shinkahousinght.at.webry.info/201703/article_7.html

東京都 
亀戸天神社(江東区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201301/article_7.html
亀戸天神社 2回目 http://shinkahousinght.at.webry.info/201505/article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 http://shinkahousinght.at.webry.info/201602/article_10.html
中 http://shinkahousinght.at.webry.info/201602/article_11.html
下 http://shinkahousinght.at.webry.info/201602/article_12.html
北野神社(文京区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201303/article_2.html
平河天満宮(千代田区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201210/article_3.html
西向天神社(新宿区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201502/article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201603/article_3.html 
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)http://shinkahousinght.at.webry.info/201312/article_5.html

神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201303/article_8.html
永谷天満宮(横浜市港南区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201401/article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)http://shinkahousinght.at.webry.info/201504/article_2.html

静岡県
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_13.html


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  きのう(2017年9月12日)午前10時ごろ任侠山口組の織田絆誠代表が神戸市長田区五番町の自宅から車に乗り込み、片側1車線の路地から出て幹線道路に合流しようとしたところ、待ち伏せしていた山健組の襲撃第1班の車が織田代表の車のフロント部分にガシャンと体当たりしてきた。・・・・
  車で体当たりした山健組の第1班からは50がらみの男が降車して織田代表が乗る車を目がけ、いきなり発砲した。・・・・・  警護役の楠本勇組員は降車して素手だったが、発砲する男に飛び掛かった。男はよろけ、楠本組員はあおむけになった男を押さえつけにかかったが、男は下からパンと発砲し、楠本組員はよろめいた。と、男は2発目を発射し、楠本組員の顔面に当たった。これで楠本組員は即死同然に射殺された。 ・・・・
   織田代表の自宅前路地の角には兵庫県警の車が待機していたが、警官はこの騒ぎにもまるで動かず、みすみす現行犯逮捕のチャンスを見逃した。・・・・
   また阪神の山口組情報に通じる事業家が言う。
兵庫県警に叩き上げのノンキャリの警部補がいる。ノンキャリの間ではそれなりの人望がある。この者が10年ほど前、山健組の井上組長と五分の“兄弟杯”を交わした。 ヤクザの間では割と知られた話です。 兵庫県警がこの者に牛耳られているとはいえない。反発する勢力もいる。 しかし、この者が担当のとき、兵庫県警の山健組に対する動きは鈍い。 たとえ現行犯で逮捕できても平気で見逃す。今回の事件もその類いでしょう」・・・・
 ( 「日刊ゲンダイ」2017.9.14.(13日発行) 「溝口敦氏特別リポート」 ) 
 
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