白川郷バスターミナルは10月から荻町に移動。合掌造・切妻屋根の造りと「ドッキング片流れ」屋根の強弱

[第474回]
   中学生になったころ、1970年代前半、白川郷という所に一度行ってみたいと思ったのだが、時刻表で調べると、行くのは相当大変のようだった。 鉄道は通っていないが、鉄道で近い所まで行って、そこからバスに乗るとすると、近そうな駅というと、高山本線の「高山」なのか、越美南線の「北濃」なのか。 時刻表の後ろの方のバスの時刻を見ると、越美南線の「美濃白鳥」からバスが出ているが、まず、その時、私が住んでいた大阪から行くとすると、その頃、大阪から高山行きの急行「たかやま」というのが出ていて、これで、美濃太田まで行って、そこから越美南線で美濃白鳥まで行くか、新幹線に乗るとしても岐阜羽島まで行ってもしかたがないから、米原まで行って、米原から東海道線で岐阜まで行き、岐阜から越美南線に直通の列車に乗るか、美濃太田まで行って越美南線に乗るか。美濃白鳥から白川郷までのバスだって、そんなに本数は多くなく、かつ、けっこう時間もかかった。 「秘境」とまでいうものではないかもしれないが、ちょっと言ってこようという調子で行ける所ではなかった。 かつ、高山と白川郷はいずれも、「なんか魅力的」な雰囲気をかもしだしていた所だったが、高山から白川郷へのバスというと、その頃の日本交通公社の時刻表にも鉄道弘済会の時刻表にも、それらの時刻表を見る限り掲載はなく、白川郷と高山は直線距離では比較的近くても(といっても日本列島全体の位置関係でであって、飛騨地方の中で見るとけっこう離れているが)、その間にはひと山あってというかふた山もみ山もあって別の地域という感じだった。
   ところが、今や、東海北陸自動車道なるものが通り、「飛騨白川郷」インターチェンジができ、又、高山から飛騨清見ジャンクションまで「高山清見道路」(「中部縦貫自動車道」)というトンネルばっかりの自動車道ができて、飛騨清見ジャンクションで東海北陸自動車道とつながり、トンネルばっかりの道をバスで通ると、高山から白川郷まで実に便利。 さらに、東海北陸自動車道は富山県の砺波で北陸自動車道とつながり、金沢や富山から白川郷へも便利! ということは・・・・・、私が中学生の時に読んだ吉野準『飛騨への旅』(1970.7.1.創元社)には、≪ 白川郷への道はいろいろあるが、岐阜-美濃白鳥-荘川村-白川村≫とはいるのがメインルート。岐阜から国道156号線を北上するか、国鉄越美南線で美濃白鳥まで行き、ここからバスに乗りかえるかである。いずれにしても、名古屋から白川村までまず5時間はかかろうという遠隔の地だ。しかし、遠いだけあって<観光開発>的にはほとんど白紙の状態。美しい自然となごやかな人情がそっくり残っている。・・≫と書かれているが、それはもはや過去の話。 今や、白川郷は、高山と金沢・富山との間の長距離バスの中継点でもあり、白川郷に行くと、白人の観光客やら韓国人・中国人の観光客やらがいっぱいいて、そもそも、日本人より韓国人の方が多いのではないかという感じすらする街になった、というのかなってしまったというのか。


   白川郷に行くのは2回目。 前回は、2013年9月に、高山で1泊し、到着した1日目は高山で過ごし、2日目に白川郷に行きました。その際に訪問した高山の飛騨天満宮などについて、
上 [第202回]《飛騨天満宮(高山市)‐冤罪を晴らす神・菅原道真・怨念を晴らす旅(12)上、松本家住宅、飛騨の家具館他》http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_7.html
中 [第203回]《飛騨天満宮(高山市)‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)中。「天神」考察。居酒屋はいいかげん。》http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_8.html
下 [第204回]《飛騨天満宮(高山市)下‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)。高山市の白山神社。高山市役所。 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_9.html
で公開しました。
  但し、今回は行くつもりは特になかったのだが、金沢から高山までのバスを予約しようとすると、直通のものは満席であったため、やむをえず、金沢から白川郷までのバスを予約し、白川郷で高山までのバスに乗りかえたのだが、乗り換えるのならと、そこで1時間余り過ごしたのだが、今や、白川郷は、高山から白川郷、金沢から白川郷というバスの中継地点となっている・・・というのか、なってしまったというのか。
  「なってしまった」というのは、はたして、それがいいのかどうか。 高山の「さんまち」など伝統的建造物群保存地区に指定されている地域は、もともとが商工業者が住む地域で、もともと、他から人に来てもらいたい地域であったはずであり、変わったのは、かつては日本国内からの来訪者が大部分だったのが最近では外国人も多いというくらいで、そして、感心したのは外来者と地元の人とが比較的共存できているらしいという点である。しかし、白川郷の場合、もとは農村であったはずである。ところが、「世界遺産」に認定され、そして、かつては交通が不便な場所だったのが、今や、東海北陸自動車道の中間地点にして、高山からの「高山清見道路」が飛騨清見ジャンクションでつながって、東京の新宿や京都・大阪からのバスが高山まできて、その高山からのバスがトンネルだらけの道、というより、ほとんどトンネルの道を通って白川郷まで来て、白人の観光客や韓国人・中国人の観光客やらが大量に押しかけて、今や、農村ではなく観光業の街みたいになってしまって、はたしてこれはこの村にとって良かったのだろうか、と半分疑問にも思うような状態。

   それで、だ。 白川郷のバスターミナルのすぐ脇に観光バスなどが駐車する「せせらぎ駐車場」「野外博物館 合掌造り民家園」というものがあり、そして、白川郷バスターミナルから白川郷の市街というほどの市街ではないが、メインストリートとでもいう通り、明善寺とか和田家住宅とかがある通りの方に行くには人専用の吊り橋、吊り橋は吊り橋でも東京都江東区と中央区の間、墨田川にかかる清洲橋みたいな自動車がひっきりなしに通って、その上を歩いても別段揺れて怖いなんてことはない吊り橋ではなく、自動車なんて通れない、人だけが通れて、そして、揺れる! まさに吊り橋て感じの「であい橋」という名前の吊り橋で川を渡っていくはずだった。
※ 清洲橋(東京都中央区~江東区)については、
[第334回]《清洲橋(東京都中央区~江東区)観察―【1】なかなかカッコしい清洲橋。吊り橋にもいろいろ》http://shinkahousinght.at.webry.info/201507/article_1.html
[第335回]《清洲橋 観察 【2】リベット接合とボルト接合、色彩、積水ハウスの魅せる鉄骨梁、小名木川、小名浜の由来 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201507/article_2.html
[第336回]《「ブスは耐久性があるか」建築篇。建築は文系か理系か。デザインと構造、その営業―清洲橋観察【3】 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201507/article_3.html
[第337回]《清洲橋 観察【4】隅田川遊覧船。「福島県を応援します」に騙されるな。首都高「浜町」、新大橋、両国橋 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201507/article_4.html
で写真入りで述べました。御覧ください。

   ところが、↓のバスターミナルを降りて周囲を見回すと様子が変!?!
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   どんなに見回しても、「野外博物館 合掌造り民家園」は見当たらないし、「せせらぎ駐車場」も見当たらない。しかも、とりあえず、そのへんを歩いてみるかと(普通に歩いて何か怖いものがある街でもないし)歩いて行くと↓ 、
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たしか、吊り橋で川を渡ってから左折してしばらく歩いた右側、バスターミナルからはけっこう離れた場所にあったはずのなつかしい「和田家住宅」(重要文化財)がすぐそこにあるではないか。 しかも、道の右側ではなく、左側に。↓
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↑ 和田家住宅。 (重要文化財) 
  いったい、どうなってんだあ~あ???
和田家住宅がなぜ「なつかしい」かというと、前回、白川郷に来た時、何か所か入らせてもらったのだが、それほど長く時間を確保できなかったので、ここはぜひ見学したいとあらかじめ決めて見に行った所が和田家住宅で、前回、最初に入らせてもらった所でもあり、一番印象に残った家だったのだ。 かつ、高山の吉島家住宅とか日下部民芸館は今は吉島さんとか日下部さんは別の所に住まれていて、そこは展示専用となっているのだが、白川郷の和田家住宅は今もお住まいになった上で公開されているらしく、もし、今も住まれているのなら、住宅建築屋として、今現在における住み心地とか便利さ不便さというのはどんなものか聞かせてもらえないかなと思って、「今も住まれてるのですか」と尋ねたところ、なんか、嫌そうな顔をされてしまって、どうも、悪いことをきいてしまったかなと後悔した・・・・ということがあったのだ。その和田家住宅(重要文化財)が、前回はバスターミナルから吊り橋で川を渡って左折してメインストリートをしばらく歩いて右手にあったのに、今回はバスターミナルから歩いてすぐの左手にあるのだ。 どうなってんだろ?
   とりあえず、別に普通に歩いて危険な場所でもないし、その道を歩いて迷うほどの迷路があるわけでもないので歩いてみる。
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   なんだか、右手に吊り橋に行く細い道がある。 どうも、バスが停まったのは、前回、バスが停車したバスターミナルとは異なる場所のようだ。 そういえば、「荻町」というバス停が「白川郷バスターミナル」と別にあったような気がするが、今回はそこに停車したのだろうか・・・・と思いつつ、吊り橋(「であい橋」)を渡ってみる。↓
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   そこに、かつてのバスターミナルはありました。 しかし、そこは、今現在はバスターミナルではなくなり、駐車場専用となっていました。
   おそらく。 観光バスやマイカーで来る人が多くなり、その為、この場所はバスターミナル兼駐車場ではなく、駐車場専用として、バスターミナルはそれまでの「荻町」バス停を「白川郷バスターミナル」としたようです。 なんだか、前回とは、「行き」と「帰り」の順路が逆になったみたいな感じでした。

   現地での表示を見ると、「白川郷バスターミナル」は、この2016年の10月から「荻町」バス停が「白川郷バスターミナル」となり、「せせらぎ駐車場」の脇にあったバスターミナルはバスターミナルではなくなったようです。


↑ 新「白川郷バスターミナル」(「荻町」)

↑ 元「白川郷」バスターミナル


   ところで、この川↓
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↑ 最初の写真が「であい橋」という吊り橋から撮ったもので、後の2枚は白川郷の「メインストリート」の側から撮ったものですが、いずれで見てもきれいな川ですよね。 吊り橋から見ても、あるいは、白川郷の「メインストリート」の方から見ても、きれいな川で、河原もきれいで、河原に降りてみたくなりませんか。 親なら、子供にこういう河原で遊ばせてやりたい気持ちになりませんか。
   高山市の市街を南北に流れる川はどちら向きに流れているかというと、南向きではなく北向きに流れていて「宮川」と言い、岐阜県内で宮川と言っている川は富山県に入ると「神通川(じんづうがわ)」と名称を変えて富山湾に注ぎます。 同じ飛騨地方でも白川郷を南北に流れる川は宮川とは別の川です。 ここでも川は北に向かって流れていますが、「庄川」という川で、富山県の高岡市の付近を通ってこれも富山湾に流入します。 宮川は岐阜県内では宮川でも富山県に入ると神通川と名前を変えますが、庄川は岐阜県内でも富山県でも庄川のようです。
   きれいな川できれいな河原で、なんだか、子供も大人も河原にでて水にふれてみたいようなそんな気持ちになる川ですが・・・・・・・。 しかし、石碑がありました。 30年前、今から30年前ではなく、その石碑が建てられた時点から30年前、小学校に入学する前後の子供3人が河原に出ていたところ、ダムの放水がされ、その水に飲みこまれて3人は命をなくした・・・という悲しい事故があったようです。ここで見ると、きれいな川できれいな河原で、多くの人間がその河原に出てみたいという気持ちになる川なのですが、地図を広げて上流を見ると、すぐ上流に「鳩谷ダム」がありその上流側にダム湖がありました。 下流にも椿原ダムとダム湖があります。 さらに下流には・・・・と見ていくと。 この川、いったい、いくつダムがあるんだ? というくらい、いっぱい、ダムがあります。 せっかく、きれいな川があるのに・・・・と思いましたが、そう思って考えると、↑の川の写真を見ても、河原に出ている人はいませんね。 ダムによって得られたものもあるのかもしれませんが、子供3人の命が失われ、又、今現在では農業だけでなく観光業の街になった白川村は観光資源をひとつ失ったとも言えるかもしれません。


   実は、白川郷の土産物店で、木製の靴ベラを買ったのです。 いかにも、飛騨の木材を使用していますという感じだけれども、実際にそうであるのか、輸入材を使用したものなのか、飛騨の木工工場で作られたものか他で作られたものを持って来て販売しているものなのか、それはわからないが、どっちにしても、我が家で靴ベラを使いたいと思って買いました。 なんだか、ずいぶん長いような気がして、持ち帰るのに荷物になりました。それが、↓ です。
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↑  荷物になるようなもの、買うのではなかったかな、けっこう高かったような気がしたし・・・とも思ったのですが、帰ってから使ってみると、これが使いやすいのです。 まず、長さがそのへんのホームセンターなんかで売っている樹脂製の靴ベラなんかと比べてひと回り長い。 その為、靴を履くときに、靴ベラを持って腰をかがめる必要がない。 これは買ってよかった。 これから白川郷に行かれる方。 お勧めです。 もっとも、実際に飛騨産の木を使用しているのか他の地域のものなのか、飛騨地方で加工されたものなのか他で加工されたものなのか、それは今もわかりませんが、どっちにしても使いやすいので、いい買い物をしたと思って喜んでいます。


   前回、「野外博物館 合掌造り民家園」に行った時、合掌造りの作り方といったものが展示されていたと記憶しています。 今回は入館する時間がなかったのですが、建築屋・住宅屋の皆さんは行って見学されることをお勧めしたいですね。
   それで。 坂本功『木造住宅を見直す』(2000.5.19.岩波新書)の「4.世界の木造建築」には、「図4.5.和小屋と洋小屋」として、屋根の構造について、「和小屋(組み)」・「洋小屋(組み)」と「さす組」の簡略図が掲載されています。 「和小屋」「洋小屋」とは和風の家の小屋組み・洋風の家の小屋組みという意味ではなく、江戸時代からの日本古来の小屋束で屋根を支える小屋組みが「和小屋」、明治に入ってヨーロッパから導入されたトラス構造を小屋組みに取り入れた小屋組みが「洋小屋」で、今現在の日本の戸建て住宅は、外観が和風か洋風かにかかわらず、多くが「洋小屋」で建てられています。 洋小屋の方が耐震性は高いと評価されるのですが、和小屋はすべてにおいて洋小屋に劣っているのかというとそうでもないようで、 坂本功『木造住宅を見直す』(2000.岩波新書)には、
≪ 和小屋の特長は、どんな形の平面に対しても、屋根を架けることができることです。 和風建築の屋根の形が変化に富んでいるのは、その特長をいかしているわけです。
  他方、洋小屋は比較的細い木材で、大きなスパンを架け渡すことができます。 したがって、空白期の前までに建てられた木造の体育館の多くは、洋小屋です。≫
と出ています。
   さて、白川郷の合掌造りの建物の屋根はどうなっているのか。
≪ なお日本の伝統構法にも、洋小屋と同じ構造形式の小屋組があります。それは民家、とくに農家の屋根を支えている「さす組」と呼ばれるものです。 岐阜県の白川郷と富山県の五箇山(ごかやま)の合掌造(がっしょうづくり)は世界文化遺産に登録されていますが、その屋根はさす組によって支えられています。 手のひらを合わせることを合掌といいますが、そのとき、腕は下が開いた三角形になります。 その形に似ているので、合掌造と呼ばれていることはご存じのとおりです。≫(坂本『木造建築を見直す』)
   合掌造りの場合は「洋小屋組み」でも「和小屋組み」でもなく、「さす組」という組み方だったのです。 
   「切妻(きりづま)」と「大屋根」と「合掌造り」は似ていると言えば似ているのですが、どこが違うのかというと、「寄棟」では屋根は四方から上がって行って上の棟で合わさるのに対し、「切妻」は「平(ひら)」側の2方から上がって行って棟で合わさります。 この場合、長方形の平面であったなら、普通は長い方の辺から上がっていくように作ります。その方が屋根は高くなりませんからその分だけ風に強いし、経済的でもあります。 しかし、これをあえて、短い方から上がっていくようにしたものを「大屋根」と言う時があります。「時があります」というのは、厳密に専門用語ではないと思うのですが、けっこう使用されているという意味です。 合掌造りは屋根の形状は、寄棟なのか切妻なのか入母屋なのかというと、寄棟ではないし入母屋でもないし、ましてや、マンサードだの腰折れ屋根だのではないし、片流れでも陸屋根でもなく、切妻屋根だということになるのでしょうけれども、最近の住宅メーカーなどが建てる在来木造や枠組壁構法(ツーバイフォー工法)の建物の切妻の外観の屋根とは内部の構造が違うようです。 
    2008年、東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕http://www.10kai.co.jp/ におりました時、この会社は、なんで、理由もなく「時間差切妻」とでもいうのか「変則切妻」「段違い切妻」「ドッキングダブル片流れ」とでも呼ぶべきなのか。へんてこりんな棟の位置を両側でずらせた切妻もどきの屋根の家を建てたがるのかと不思議に思ったことがありました。
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↑ 東海住宅(株)の「段違い切妻」(千葉県八千代市)
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↑ 「段違切妻」「ドッキング片流れ」にした為、矢鱈屋根がばかでかい家(佐倉市)。北側隣家はなんとも迷惑・・・というより、東海住宅(株)の設計担当のシン(男。当時、50代後半?)は屋根のかけ方がわかってないのではないのか?
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↑ クリックすると大きくなるので大きくして見てください。
↑ 左側が一般的な「切妻(きりづま)」の屋根です。 右側が東海住宅(株)が大好きだった・・というのか、「アホのひとつ覚え」でこの形状の屋根で作りまくっていた「変則切妻」「時間差切妻」「段違い切妻」「ダブル片流れ」「ドッキング片流れ」とでも言うべきなのか? のへんてこりんな屋根です。
   ↑の図にも書き込みましたが、左の形状の洋小屋組みの屋根では、垂木(たるき)が棟木(むなぎ)の所で両側から合わさり、又、小屋組み内部でトラス構造が成立して安定しており、強い構造となっています。 ところが右側では両側の垂木は合わさっておらず、ずれていますし、全体としてトラス構造は成立していません。片流れ屋根を2つくっつけたようなものですが、片流れ2つの接合部分に弱点が生じやすいと思えますし、図にも書き込んだように、片流れ屋根の弱点として高い側には軒があってないようなものであり、軒の効用の1つとしてその下の部分の壁面、特に屋根と壁の接合部を保護する働きがありますが、片流れ2つの接合となるとその効用が発揮されない。 又、屋根の形状はシンプルな方が雨漏れには強く、「山」はあってもよいが「谷」はできるだけ少なくした方がよく、壁と「部分屋根」の接合部は「谷」のようなものであり、その部分について雨漏れがしないようによく配慮する必要があります・・・・というよりも、そういう「谷」及び「谷」状になる部分は設けないでおくことができればその方がよいのです。
   誰の文章だったか忘れてしまいましたが、建築業に携わっている人とそうでない人の見分け方として、鉄筋コンクリート造でできた「基礎」とその上に横たわっている木材である「土台」の2つのうち、建築業に携わっている人は、専門用語の通り、鉄筋コンクリート造の基礎を「基礎」と呼び、その上に横たわっている木を「土台」と呼ぶのに対し、一般の人は基礎のことを「土台」と呼ぶ人が多いと述べ、その点でその人が建築業に携わっている人かそうでない人か見分けることができると書いていたのですが、それもあるかもしれませんが、私は、雨漏れというものを、「そんなの、雨漏れしない家なんて当たり前のことでしょ」と言うのは非建築業者、「どうすれば雨漏れしないようにできるか。それで、雨漏れは起こさないか」と真剣に考えるのが業者と言えると思っています。一般人は雨漏れなんて専門家が工事する以上しないのが当たり前でしょ、みたいに思っている人が多いのですが、実はそうでもないのです。 丹下健三設計の東京カテドラル聖マリア大聖堂なんてのは、竣工時から雨漏れして、それでも「世界の丹下!」「名建築! さすがっ!」と称賛されたようですが、そういう「名建築家」とか指定された人は何やってもほめてもらえるのだから別といたしまして、一般の建築業者にとっては雨漏れしないようにするというのは、これは考えて考えてやって、その結果として、雨漏れしない建物ができるというものであり、「当たり前」とかいうものではない のです。ですから、「雨漏れ起こさないなんて当たり前」とか勝手に思っていいかげんな屋根の設計するような「設計」担当者というのは、そいつは「しろうと」だということです。
   地震の際に加わる力は、その建物の床面積、地震力が加わる側の長さによって変わりますが、台風・強風の際に受ける力は床面積ではなく、風が吹いてくる側の壁面積(風を受ける壁と屋根の面積)によって変わってきます・・・ということは、不必要に高い屋根にすればその分だけ台風・強風に対しては弱くなるということです。 だから必要がなければ高くしない方がよいのです。
   ですから、右のような形状の屋根に理由もなくする設計担当者というのは、それは「業者じゃない」「専門家と言えない」「しろうとと一緒」と言うべきだと私は思います。
   但し、↑の図にも書き込みましたが、もしも、そういう形状にしたい理由があるなら話は別です。 最上階がけっこう広く、中廊下をとってその中廊下に右図のように右側から採光をとりたいという場合、あるいは、隣家と接していて側窓を広く取れない為、右図のようにして採光をとりたいといった事情がある場合。 あるいは、高くした側の片流れの下に小屋裏物入れを高く広く採りたいといった事情がある場合。 そういう場合に、右図のようにするのであれば、左図の一般的な切妻との比較では構造上は弱くなるとしても、それでも大丈夫だという基準で建てられるという見通しがあるのなら、こういった事情がある場合においては右図のような「変則切妻」「ドッキング片流れ」とでも言うような屋根にするというのも選択肢としてあり得るとは思います。
   しかし、東海住宅(株)の設計担当者・営業担当者がそういったことを考えてやっていたかというと、ちっとも考えとれへん。な~んも考えとれへん。 アホの一つ覚え
   かつ、それが「カッコいい」とか「デザイナーズスタイル」とか思っていたようですが、カッコいいかというと、カッコ悪い! 1980年代前半、FM東京で、「『お耳の恋人 野田秀樹』による『スイッチオンクラシック』」という番組があり、司会者の野田秀樹が「最初に運動会でオッフェンバックのオペラ『天国から地獄へ』の中の「カンカンから幕切れまで」をかけた人と、学校の下校時刻にドボルジャークの交響曲第9番「新世界より」の第2楽章「家路」をかけた人は偉いと思うんですね。今、聴くとうんざりしますが」と話したことがあった。私もそう思う。
※ 《YouTube-オッフエンバック作曲・喜歌劇「天国と地獄よりカンカン」 》 https://www.youtube.com/watch?v=IYTt4EFWYyI
《YouTube-ドヴォルザーク : 交響曲第9番 『新世界より』 第2楽章 》https://www.youtube.com/watch?v=OKk452lb5T8
運動会で『天国から地獄へ』の「カンカンから幕切れまで」を最初にかけた人、学校の下校時刻にドボルジャークの交響曲第9番『新世界から』の第2楽章「家路」を最初にかけた人はえらいが、真似するだけの人は芸がない。「段違い切妻」「ドッキングダブル片流れ」は、最初にやった人間は「ありきたりでないものをやろうという姿勢」「他と違うことをやろうという意欲」という点で評価できたかもしれないが、それだらけになってしまうと、何ら面白味もない。それだけでなく、『天国から地獄へ』の「カンカンから幕切れまで」とか「家路」とかは、運動会や学校の下校時刻にふさわしい音楽ではあるのだが、「変則切妻」「ドッキングダブル片流れ」は、構造上、不合理であるだけで、そこから採光をとろうとかいった目的がなければ、わざわざ、構造上、マイナスになることをやっているだけでしかない。 もしも、周囲の家が寄棟とか切妻とかの形状の家ばかりであれば、「独創的」とか「ユニーク(unique)」あるいは「エクセントリック(eccentric)」と構造についてわかっていない人は思うかもしれません。 しかし、たとえば、東海住宅(株)が分譲した千葉県佐倉市上志津の分譲地などでは、どれもこれも、み~んな、「変則切妻」「ドッキング片流れ」の屋根の家ばかりで、独創的でも何でもない。アホの一つ覚えでしかない。うんざり! う○こ まみれのザリガニで、うんざり! 白土三平の『カムイ外伝』に、手裏剣を「卍投げ」という弧を描いて飛ぶ投げ方をする技を持つ兄弟の忍者が登場し、抜け忍 カムイを倒そうとしてその技を使い、カムイは一度はそれにやられて負傷するが、再度、カムイにその技を使った時、カムイは難なくよけてその兄弟を倒すという場面があった。「愚かな。 弧を描く『卍投げ』が通じるのは相手がそれを知らぬ初回だけ。原理がわかってしまえば、弧を描く卍投げは相手に届くまでに時間がかかり、ただの直投にも劣るということがわからぬとは」とカムイはつぶやく。 わざわざ、不合理な構造にした「段違い切妻」「ドッキングダブル片流れ」は、もしも、周囲に寄棟や切妻の家しかなければ、「変わってる」「独創的」とか思う人もいるかもしれないが、それだらけとなったら、単に不合理なことをわざわざやっているだけのアホでしかない。
   ましてや、一時、花見川店の店長になった人相と目つきが悪いヤクザ顔の田中(男。当時、60代)が「デザイナーズスタイル」とか言っていましたが、「デザイナーズスタイル」て、デザイナーて変な趣味持ってんだね! そもそも、「デザイナー」というのは構造を無視してへんてこりんなものを作るのが「デザイナー」ではないはずだ。それならしろうとでもできる。そうではなく、構造を踏まえた上で、デザインも優れたものを作るのが本来の「デザイナー」と違うのか? 別の時期に花見川店の店長になっていた、今、また、花見川店の店長になったらしい「ゆうこりん」(仮名)(女。今は60台?)は「カッコいいでしょ」とか言っていたが、カッコ悪い! センス悪い! わからんかなあ、というか、バッカじゃなかろかルンバ♪ という気がする。〔⇒《YouTube-野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り)》https://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs 〕 「ゆうこりん」(仮名)は「オットが小堀住研で設計課長をやってました」と何度も何度も、もうそれ聞いたよ!と言いたくなる文句を繰り返し繰り返し言っていたので、ああ、それ言うことで「オットが」ではなく自分を高く評価してもらいたいということなんだな、このおばさんはと思ったのだが、一度、その「オット」にきいてみたらどうかと思うのだ。「小堀住研で設計課長をやって」いたという「オット」に。まだ、「高級住宅の小堀」であった時代の小堀住研(株)で設計課長をやっていた人間ならわかると思うんだけどなあ~あ・・・。 かつ、そういうアホな設計やっている男 シン(男。今は60台?)は「二級建築士なんだぞお」とか言って(普通、「いっきゅうけんちくしい」と言い張るアホはけっこういても、「二級建築士なんだぞお」などと言う人間はあまりないが、この男は言うようだった)いたのだ。 バッカじゃなかろか・・・と思うが、「いっきゅうけんちくしい」とか「二級建築士なんだぞお」とかバカ言いたがる人間には、こうい基礎的なことがちっともわかっていない人間がけっこういるようだ。 白川郷、もしくは、五箇山も今は行きやすくなったので(白川郷~金沢間のバスでは途中に立ち寄る)、一度、言って、合掌造りがどうできているか、おのれの眼で見てみるべきだ。もしくは、高山駅の西側に「飛騨民俗村 飛騨の里」http://www.hidanosato-tpo.jp/top.html があり、そちらにも合掌造りの家はありますし、下呂温泉にも、「下呂温泉 合掌村」http://www.gero-gassho.jp/ があるようですし、東京圏の住人なら、横浜市中区の三渓園 の中に、矢箆原家住宅という合掌造りの家が移築されているので見に行くべきだ。〔《三渓園HP 矢箆原家住宅》http://sankeien.or.jp/kokenchiku/yanoharake.html 〕 合掌造りは「洋小屋」でも「和小屋」でもなく、「さす組」の構造でできており、洋小屋組みの垂木などよりも合掌を支える両側からの木材ははるかに太いものが使用されており、その両側からの構造材は棟の位置で合わさってこそ屋根は成立するもので、合わさらなければ成り立たない。 洋小屋・和小屋の場合は棟がずれても作れないことはない。 片流れを2つドッキングさせたようにすれば作れることは作れる。 しかし、たとえ、作れても、特に理由がなければ、棟の位置で両側からの垂木が合わさるようにして、屋根全体がトラス構造となるようにした方が強いのは間違いないのであり、屋根は建物のてっぺんについた飾りではなく、構造上、必要だからあるものであり、構造上、必要だからあるものを、より美しく見せる工夫は、構造を尊重した上でなされるべきものである・・・・ということは当たり前のことだと私は思うのだが、「二級建築士なんだぞお」とか「設計士(さま)なんだから」とかアホなことを言うヤツというのは、そういったことを考える思考が完全に欠落している。
   フリーダムアーキテクツデザイン(株)〔本社:東京都中央区。社内公用語は大阪弁? 〕https://www.freedom.co.jp/ の自称「設計士(さま)」も、さすがに「ドッキング片流れ」はやらなかったようだが、「ネコも杓子もガルバリウム鋼板のぺったんこ屋根」しかできない。これも「アホのひとつ覚え」。屋根が何のためにあるかわかっていない。 フリーダムアーキテクツデザイン(株)にいた時、業者さんから、「フリーダムさん、いったい、何人、設計士さん、おられるんですか」と言われたことがあるが、人数が多くても、しろうと以下ばっかしやんけ!!! ということ。「設計士」などと言うに値する人間の数がどれだけいるかというと、たいしていなかったはずである。経営者がそのあたりを自覚していたかしていなかったか。 できていなかった可能性が高そうに思える。 「統括」という上から何番目からしい青木茂実という若造(男。30台前半?)が設計した家にも訪問したが、設計の内容はひどいものだった。特に、顧客との「コミュニケーション能力の不足」が顕著に見られた。 「設計」と呼ぶレベルではないと私は判断した。そういう連中は、もう一度、勉強し直した方がいいと私は思うが、「二級建築士なんだぞお」とか「設計士(さま)」とか自称しだすと学ばなくなる・・・ようだ。 但し、他の会社でもそんなのはいるだろうけれども。  アイダ設計(株)〔本社:埼玉県上尾市〕http://www.aidagroup.co.jp/ の営業も屋根がどういうものか理解できていない、又、そのあたりについて顧客と話しあうだけの「コミュニケーション能力」が欠落している。(どのように欠落しているかは、いずれ、実例をあげて論理的に別稿で実証するつもりである。) 

   なお、岐阜県には、加茂郡白川村 と 大野郡白川村 と、「白川村」が2つありますが、ユネスコ世界遺産に合掌造村落が指定された白川郷は、大野郡白川村の方です。

※ 白川村役場HP 世界遺産見学時の駐車場について http://shirakawa-go.org/kankou/access/parking/
 〃 野外博物館 合掌造り民家園 http://shirakawa-go.org/kankou/guide/62/
 〃 国重文 和田家住宅 http://shirakawa-go.org/kankou/guide/174/

   今は、東京から白川郷に行くには、一般的なルートとしては、新宿のバスタ新宿から、濃飛バス・京王バスの高山行きで高山まで行き、高山から白川郷へ行くバスに乗るというのが一般的だと思う(金持ちは新幹線で富山か金沢まで行ってそこからバスに乗るかもしれないが)。 今は、トンネルばっかりの自動車道が高山から白川郷まで通じていて、そこを通るバスに乗ると高山から白川郷まではけっこう便利・・・であるのだが、しかし、同じ飛騨地方とはいえ、行ってみると、
1.「同じ飛騨とはいえ別の地域」、
2.「宮川流域の高山に対し、白川郷は庄川流域」。
伊勢湾←木曽川←飛騨川 ・・・ 宮川→神通川→富山湾 の渓谷にある高山 に対し、
伊勢湾←長良川 ・・・ 庄川→富山湾 の渓谷にある白川郷。
JR高山本線にある高山 に対し、
美濃太田から高山本線と分岐した旧 越美南線(長良川鉄道)の北方向への延長上にある白川郷。
3.そこを歩いてみても、どちらがいいとか悪いとかいうことではないが、雰囲気はまったく異なるので、今は高山市になった飛騨国府町とか丹生川村とかを高山に含める、あるいは高山市ではないが、飛騨川・・・宮川→神通川流域の飛騨古川とか下呂温泉とかを広い範囲の高山に含めるのはありとしても、白川郷については、高山と別の地域と考えるべきだと判断し、「高山シリーズ」↓の中には入れないことにします。
       (2016.11.10.)

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