大江戸線「六本木」駅―色彩のある白黒、「夜の前提」の建築、暗くなりすぎない配慮、エスカレーターの天井

[第377回]
都営大江戸線「六本木」駅と東京メトロ日比谷線「六本木」駅、大江戸線「麻布十番」駅、大江戸線「大門」駅、京浜東北線と総武快速線の吊革について、他(1)
【1】都営大江戸線「六本木」駅
  都営大江戸線の「六本木」駅は、愛知産業大でお世話になった守屋先生の設計によるもので、これまで、六本木駅を見学するために、2度、訪問しましたが、今回は、出雲大社東京分祠に訪問した帰り、もう一度、寄ってみたいと思い、そのために大江戸線経由で帰りました。
  六本木駅は、東京メトロの六本木駅と都営大江戸線の六本木駅が地下でつながっていて、日比谷線の六本木駅の方が先にあって、後から大江戸線の六本木駅ができたのですが、日比谷線のエリアから大江戸線のエリアにはいると雰囲気が変わります。 
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   内容のある本は最低3回読んで理解できるようになるという話がありますが、建築も、本当に理解しようと思うと3回は訪問するようにした方がよいのかもしれないと、最近、思うようになりました。 2回目に訪問すると1回目の訪問の時と感じ方が違う時があるからです。 1回目に気づかなかったところに2回目に気づくということもあるでしょうし、1回目の訪問の後で、その建築について1回目の訪問時に知らなかった情報を何らかの手段で得ることもあるでしょうし、また、訪問する時間帯が違えば、あるいは季節が違えば、あるいは、自分自身の体調やその時の気持ちのあり方が違えば感じ方も違うようです。
   ともかく、建築は訪問した後、なんらかの形で感じたことを文章にしておかないと、それから1年でも経つと、その時の感覚が変化していき、訪問した直後と1年後とで認識が違ったりすることがあり、文章にしてある程度まとめておけば、1年でも経った後で見るとその差を感じることができてそこで得るものもあると思います。そう思うから、1円でも収入になっているわけでもなし、誰かほめてくれるわけでもなししますが、ここで公開したりもしているのですが、今まで、「建築家」と言われる人の作品をけっこうぼろくそに述べてきたのですが、今回はお世話になった先生の作品なので、そうもいかない・・けれども、だからといってしょーもない「評論家」みたいにチョーチン記事書くわけにもいかん・・と思うと、人に見せずに自分だけで書いていたのでは面白くもないし人に見てもらう前提で書いてこそ文章にしたといえるところもあって公開しているのですが、お世話になった方の作品の論評は、けっこう難しいですね。
   まず、1回目の訪問の際に思ったのは、
(1)おそらく、東京メトロ日比谷線の方の六本木駅は「フツーの人」の設計であるのに対し、都営大江戸線の方の六本木駅は、「建築家」に分類される人の設計だけあるという印象を受けた。
   ただ、「フツーの人」の設計が悪いということではないのです。 「駅」というもので私が最初に魅力を感じた、すごいと思った駅はどこかというと、まだ小学校に行くかいかないかの頃に電車の窓から見た大阪市地下鉄御堂筋線(その頃は1号線と言っていました)の「動物園前」駅のホームです。 タイルを組み合わせて、キリンとか象とかライオンとかシマウマとか(だったと思うのだが)の絵を壁面に作っていたのです。 それは、特別の「世界的建築家」という人がやったことではないと思いますし、特別の費用をかけてやったことでもないでしょうけれども、しかし、今、思っても夢があり、そこに動物の絵をタイルで作ってみようという発想は、特別のものすごい技術・芸術的センスによるものではなくても、その発想は評価されるべきものだと今も思っています。
   また、「建築家」と言われる人が設計したものには、「建築は芸術だ」と認識して、「使えないものでも平気」みたいなものもあり、そういったものを見ると「建築家」て何なのだろう、使えないものを作るのが「建築家」なのだろうか?と感じてみたりする時もあります。 しかし、一方で「フツーの人」が設計の場合は、構造と機能は考えていてもデザイン・意匠は「結果として、もしも、良かったら儲けもの」みたいな、要するにデザイン・意匠は考案する際にほとんど考えていないようなものがあります。 建築は、構造と機能とデザイン・意匠の3つの要素があって建築であり、どれか1つでも欠けるものは建築ではないと考えるべきですが、実際にはどれかが欠ける建築が日本には現実に存在します。 守屋先生は、決してそういう「使えないもの」を芸術家ぶって作るというタイプの「建築家」ではなく、むしろ、そういったものには批判的な方ですが、1回目の訪問はご本人のお話を聞くより前に訪問したのですが、最初の印象の1つが、おそらく、「フツーの人」の設計と思われる日比谷線の六本木駅と「建築家」に分類される人の作品の違いは感じられるということ、設計の際に「意匠」「デザイン」を認識して設計がなされていること、先に機能と構造を考えて作って後からそれに飾りをちょびっとつけたすような設計ではなく、最初から「意匠」を意識してなされたものだという点がはっきりと感じられたことです。

(2) そして、もう1つ感じたのが、お世話になった先生の作品をけなすようで申しわけないのですが、「少々、暗い」ということです。 もっとも、この点なのですが、守屋先生にうかがった話では、「六本木」という街について、「夜の六本木」というイメージがあり、それで、「夜」の前提でデザインを考えたものらしいのです。 考えてみると、過半数の建築は昼を前提に考えてデザインされていて、夜はそれに何かを足したり引いたりくらいではないかと思うのですが、夜の方を前提にしてのデザインというものもあっていいわけです。 そして、1回目の訪問は昼に行きましたが、今回は、午後に出雲大社東京分祠に行き、大江戸線の六本木駅に足を運んだのは日没後でしたが、日没後の時間帯に行ったからか、1回目の訪問時に感じたほど「暗い」とは思わなかったのです。 
  1回目の訪問が昼であったのと異なり、今回は真夜中ではないが日没後に訪問したこともあって、「決して悪いわけではないが、少々暗い」という印象を前に受けた所に行き、今回は「それほど暗いことないのではないか」とむしろ逆の印象を受けたのですが、 もしかすると、夜の方を前提にデザインを考えたものは、夜、見るといいけれども、昼、見ると「少々、暗い」印象を受けるということがあるかもしれません。私は戸建住宅の建築の仕事を長くやってきましたが、「仕様打ち合わせ」「色合わせ」を夏におこなうと、壁のクロスその他の選択において、涼し気なものが選ばれやすく、冬に「仕様打ち合わせ」「色合わせ」をやると暖かみのあるものが選ばれやすい傾向があるといったことが言われましたが、季節による感じ方の違いとともに、時間帯による感じ方の違いというものも、多少、あるのかもしれません。
  そして、同時に、あまり暗くならないようにという工夫もあるように感じました。
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(↑ 写真はクリックすると大きくなります。)
↑ これは、改札を入ってすぐの所ですが、人によっては、別に必要でもない絵を描きやがってみたいに思う人もあるかもしれませんし、機能の上では別に絵は必要ないかもしれませんが、もしも、ここが全面黒であったとしたなら、「相当暗い」というイメージになったと思うのです。 この絵の趣旨はよくわかりませんが、たとえ、「夜」が前提のデザインであっても、あまりにも暗くなりすぎないようにという配慮もあってこの絵になった・・のかな・・という私の推測が正しいのかどうかわかりませんが、金色というのか黄色というのかが混じった絵になっているから「夜」の前提であったとしても「相当暗い」というイメージは避けて、かつ、全面同色である場合に受ける圧迫感をここでは受けない、という効果が感じられます。

(3) 「さすがは建築家の作品」と言ってよいのかどうかわかりませんが、エスカレーターの部分の天井を、「フツーの人」が設計すると、地面と水平にして段々にするか、もしくは、エスカレーターの勾配と平行にするかどちらかだと思うのですが、そうでないといけないという理由はないわけです。 ↓
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↑ 天井と壁との取り合いの部分、曲線を描いているのがわかりますでしょうか。 「おっ、これはなかなか・・・」と思ったのです。 建築の美しさというものは、基本的には構造の美しさであるべきで、「運動選手が体を鍛えた肉体美」と「化粧しまくり・装飾品つけまくりで美を求めるようなもの」とでは、建築の美しさは基本的には前者であるべきですが、しかし、基本的には前者であっても、絶対に化粧してはならないというものでもなく、装飾品をまったくつけてはならないというものでもないわけで、前者の前提に立ちながら、部分的に装飾を考えるのは悪いわけではないと思います。
  もっとも、平面である場合に比べて天井を曲面にすると、曲面の方がいくらか費用は高くなることは考えられますから、もしも、その分で、あまりにも多く費用がかかるのであれば、地下鉄の利用者としては、そんなものにカネをかけるならば運賃を安くしろという話になってしまうかもしれませんし、東京都庁なんて、「一般の建物」よりはるかに建築費がかかり、また、メンテナンスと清掃にかかる費用が「一般の建物」の3倍かかるといい、はたして、東京都民はそんな建物の建築費を出してそんな建物のメンテナンスや清掃の費用を払わなければならない義務があるのだろうか、と言われます・・・・が、この天井の曲面くらい、まあ、このくらいはいいのではないのかと思うのですが、また、構造と機能と関係のないものには一切費用をかけてはならないとまで言ってしまうと、本当に面白味のない建物しかできなくなってしまうおそれもあるわけで、そのあたりの勘案はなかなか難しいところではないかと思います。

   エスカレーター部分の天井の曲面は「これは、なかなか・・・」と思ったのではあるのですが、問題点もないわけではありません。 ↑の写真を見ていただくとわかると思うのですが、エスカレーターに乗っている人間にとって、「まぶしい」のです。 天井の照明は、下向きに設置するものか、それとも、その天井面から垂直に照らすように設置するものか。  ↑この大江戸線の六本木駅のエスカレーター部分の天井の照明は曲面を描いている天井面から垂直に照らすように設置されており、その結果、エスカレーターに乗っている人間の顔の方向に光がほとんどモロに来てしまい、まぶしいのです。 写真でも照明が光っているのがわかると思います。
   戸建住宅などの建築は「設計」と称する人間は1人で、「色合わせ」を「コーディネーター」と称するおねえちゃんが担当したり、基礎設計と実施設計で担当者が別であったりすることはあり、「営業」と「設計」の守備範囲が会社によって異なり、「営業」という職種名の人間が性質として設計の仕事を相当やっている場合もありますが基本的には1人ですが、ビル建築とか「ゼネコン」の仕事の場合、「駅の設計」でもそうだと思うのですが、「意匠」を担当する人と「構造」を担当する人と「設備」を担当する人は別であるわけです。 西谷章『初学者のための建築構造入門』(1994.9.10. 鹿島出版会)には≪ しばしば、「建築は芸術である」というようなことがいわれます。「意匠設計」はこの芸術的な面を担う設計であり、日本語でいうところの「デザイン」という概念に近いかもしれません。もちろん「意匠設計」はこれだけではありません。建築の用途に会った機能上の概念をいかに満足させるかといった、計画・設計も含むことになります。 次の「構造設計」については、・・・・(略)・・・。 最後の「設備設計」は、室内の冷暖房などの空調設備、電気設備などの設計を指し、現代の建築に欠かせないものとなっています。 以上の3つの設計を行う人間を、順に「建築家」「構造家」(あるいは「構造設計家」)「設備設計家」と呼びます。したがって、建築家が意匠・構造・設備の3つの設計を、すべて一人で手がけるのではなく、構造家、設備設計家と協力しながら設計を進めてゆくのが一般的です。 ≫と出ています。 ですから、エスカレーター部分の天井の照明がエスカレーターに乗っている人間の顔を直撃するようについているというのは、これは「建築家」ではなく、「設備設計家」の方の問題かもしれません。 守屋先生は、「何でもきいてくれ」という方で、ヨイショすることなら聞くが批判的な発言は聞かないという方ではないので、そのあたり、どうだったのか、できればうかがってみたいと思っていたのですが、残念ながら引退されてしまいました。

(4) 1回目の訪問の時は、いい悪いという問題ではないのですが、「少々、暗い」という印象を受けたのではあるのですが、3回目の訪問の今回の感想として、日没後に訪問し、明るい所から来たのではなく日没後で屋外が暗い状態の所から入って来たからということもあるかもしれませんが、「明るいわけではないが、それほど特別に暗いこともないのではないか」と1回目とは少々違った印象を受けたのです。 そして、
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↑は、大江戸線の左回り(外回り)(麻布十番・大門方面行)のホームですが、「夜の前提」「夜のイメージ」であるとしても、あまりにも暗くはならないようにという工夫もあるのではないかと思ったのです。 そして、黒・白・グレーという色彩のない色が基調とはいえ、金色というのか黄色というのかがそこの加わることで、黒・白・グレーが基調でありながら必ずしも淡白でもない印象があるとともに、明るさ暗さという点でも、「黒ばかり」と違って、色彩のない白・グレーに「金色というのか黄色というのか」を加えることで、「夜の方のイメージとはいえ、暗すぎない」というものが実現されているのではないか・・・とも思えたのです。 もっとも、さらにもう1度、真昼に来てみると、やはり、「少々、暗い」と思ってしまうかもしれません。 一般に、スナックとかそういったおミズの建築は別として、駅などでは昼を前提として設計したものと夜を前提として設計したものでは、昼を前提として設計した建築の方が多いわけですから、「昼を前提として設計したもの」と比べると、やはり、「少々、暗い」ところはあるかもしれませんし、「夜を前提として」というのはけっこう難しいところがあるのかもしれません・・・が、しかし、「夜を前提としながらも、『あまりにも暗い』という状態にはならないように」という工夫もされているのは、訪問を重ねるとともに感じます。 そして、少なくとも、最近、白黒のツートンカラーを、なぜか「おしゃれ」と勘違いする施主がいるようで、建売住宅や「建売みたい」な家がかっこいいと思う人がいるようで、そういう戸建住宅を見ることがありますが、大江戸線六本木駅は、少なくとも、そういった白黒ツートンカラー・モノトーンの建売住宅、もしくは、建売的住宅がかっこいいと勘違いしている青臭い「設計事務所」の未熟設計担当者の建物よりは、はるかに品もあるということは間違いないと言わせていただいても、チョーチンではないと思います。 ↑実際、写真を掲載していますから見てください。 デザインに関しては、いい悪いではなく、人が2人以上おれば「好みの問題」というのか、感じ方の違いはある方が普通ですが、少なくとも、三流設計事務所の青くさい自称「設計士(さま)」の建物よりは、はるかに上品であるのは間違いないと思います。
  さらに、「もしかすると」ですが、駅のホームの場合、線路側に、黄色のボツボツがある視力障碍者用のパネルが床に貼られるわけで、デザイン上、これを貼りたくないといってもそうはいかないわけです。 それで、これが貼られることを先に認識した上で、それで、白・黒・グレーの無色彩の3色ともう1色で全体をまとめようと考えた時、「金色というのか黄色というのか」の色でない青系・赤系・緑系などの色を「金色というのか黄色というのか」の代わりに白・黒・グレーともう1色の「もう1色」として採用したならば、「白・黒・グレーともう1色」でまとめるつもりでいたにもかかわらず、床に貼られる黄色のボツボツのシートが加わって、「もう1色」ではなく「もう2色」になってしまった・・・・・という結果となってしまうことが考えられたので、それで、「金色というのか黄色というのか色」にしておけば、視力障碍者保護用の黄色のボツボツの床に貼るシートがそこに貼られても「金色というのか黄色というのか色」と同系色として気にいならない、ということで、この白・黒・グレーともう1色の「もう1色」に「金色というのか黄色というのか色」が選ばれた・・・のかな・・・かな・・・・などと考えてみました。 実際にそうであるのかないのかはわかりません。 しかし、建築においては、私は、長年、戸建住宅の仕事をしてきたのですが、せっかく外観のデザインも考えてプランを決めても、建物が完成し、いいのができたあ~あ・・・と思ったその直後、テレビのアンテナを屋根のてっぺんに立てると、「ぼ~く~は、お、ば、け、の、きゅ~うた~ろおっ♪」とおばけのQ太郎の頭のてっぺんの髪の毛3本みたいになって、ありぁりぁりぁ~あ・・・となることがあるのですが、「建築家」とされる方の設計においても、守屋先生が話されたものでは、高層の建物では窓のガラスに火災時に消防隊が進入する場所を示すための三角マークをデザインの上ではつけたくなくても、つけないわけにいかない、という話をされたことがあったのですが、そういうデザインの点からだけ考えるとつけたくないがつけないわけにもいかないというものをデザインを考える上でどうするか、というのは設計の仕事をする者が考えないといけないもののひとつと話されたことがあり、それを思い出してみると、「もしかして」ですが、視力障害者保護用の黄色のボツボツのシートが床に貼られることをあらかじめ想定して、それはデザインの上からは床に貼られたくないと言っても通らないと認識して、それはそこにあるものと考えると、壁面の色合いは「金色というのか黄色というのか色」にしておけば、床の黄色のボツボツシートと喧嘩しない、と考えてこの「金色というのか黄色というのか色」が採用された・・・のかな・・かな・・・とか思ってみたりもします。 実際にそうであるのかどうかわかりませんが、実際に、壁面の「金色というのか黄色というのか色」と床の視力障害者保護用の黄色のボツボツのシートの黄色とは、壁が赤系・青系・緑系などの場合よりは喧嘩していません。 今、改めて写真を見て思いましたが、エスカレーターの床面の端の黄色とも。

(5) そして、ホームの「柱」ですが、丸の柱と角の柱があるのですが、↓
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↑ この写真でわかっていただけるでしょうか。写真はクリックすると大きくなるので、大きくしてよく見てください。 この柱は角の柱の方ですが、「面とり」がしてあるのです。 「建築家」と言われる人の設計の建物を見に行くと、安全性なんか少しも考えていないものを見ることが少なからずあるのです。 柱も、なにゆえに、こんなところで、鋭角にしなければならないのかと、それがデザインの上でいいと思われたのかもしれないが、そこを利用する人の安全性なんか少しも考えない、というのがそれが「建築家」であって、建築屋なら欠陥建築と評価されるものでも、「建築家」は「芸術」と評価されてしまうことがあるように思うのです。 「建築家」でも前川國男が設計の上野の東京文化会館は、行って見ると、出入口の前の柱は、コンクリートの柱なのに「面とり」がしてあったので、「うわっ、こんなところに気を配ってあるんだ」と思って鳥肌が立つような感動を覚えました。 音楽会が開催される時、入る時は人は三々五々と集まってきますからまだいいのですが、演奏が終わった後、いっせいに出てきますから、その際、出入口の前の柱が角ばっていては危ないのですが、前川國男の設計はそこも考えたあったのです。木の柱の角の部分に面取り鉋で面をとることはしますが、コンクリートの柱の角の部分を曲線にするのはけっこう大変だと思いますが、東京文化会館ではそれがされていたのです。 そして、大江戸線の六本木駅のホームで見ると、↑の柱も、混雑時に人がぶつかることがあっても危険がないように、やはり、「面とり」がしてありました。 こういうのを見るとうれしくなりますね。

   最近の白黒がかっこいいと勝手に思い込んでいる青くさい自称「設計士」。 特に、「箱、はこ、ハコ」のコンテナ倉庫か公衆便所みたいな家しかデザインできないデザイン力に欠ける、かつ、白か黒しか思い浮かばない色彩感覚が貧困な、まっくろけのカラスみたいな建物は特に夏は暑苦しそうて感じがする・・なんて誰でもわかりそうなのに理解しない フリーダムアーキテクツデザイン(株)http://www.freedom.co.jp/architects の自称「設計士」ども は、一度、大江戸線「六本木」駅を見に行くことをお勧めしたいですね。 デザインには「好みの問題というものもある」のは間違いないし、「人が2人以上おればデザインについては感じ方が違うところがある方が普通」ということはあるとしても、少なくとも、フリーダムアーキテクツデザイン(株)のできそこないのくせに「エグゼクティブアーキテクト」とかなんとか舌をかみそうなヘンテコな称号をつけている建築の基本のキがわかってない自称「設計士(さま)」の超ド級できそこない の建物よりは、大江戸線「六本木」駅は上品でセンスがいい、というのは間違いないから。 ・・・と言ってもできそこないは見に行かないでしょうけれども、ね・・・・。
   もうひとつ、「黒を基調とする建築」というのは、白黒灰色以外の色を入れないものと思っている人がいるようですが、大江戸線「六本木」駅では「金色というのか黄色というのか色」が使われているけれども、それでも「黒を基調とするデザイン」だと思うのです。 色彩のある色を混ぜてもそれでも「黒を基調とする建築」はできる、というのが大江戸線「六本木」駅で見られます。
   そして、もうひとつ。 「黄色と黒」というと「勇気のしるし、24時間戦えますか♪」のリゲインとか「プロミスの黄色い看板」とかを思い出しますが、リゲインの瓶の包装でもそうですが、黄色と黒の組み合わせというのは、「目立つ」「強い」「主張する」イメージとされてきたのではないかと思うのですが、「黄色と黒」でも大江戸線「六本木」駅の場合はそういうイメージとは異なるわけで、その「黄色」にもよるのでしょうけれども、大江戸線「六本木」駅見て考えると、「黄色と黒」だから「目立つ」「強い」「主張する」というイメージだと決まっているわけでもないということがわかります。

☆ 都営大江戸線「六本木」駅と東京メトロ日比谷線「六本木」駅、大江戸線「麻布十番」駅、大江戸線「大門」駅、京浜東北線と総武快速線の吊革について、他(2)http://shinkahousinght.at.webry.info/201601/article_3.html  で、日比谷線「六本木」駅、大江戸線「大門」駅、京浜東北線と総武快速線の吊革、などについて論じます。御覧下さいませ。

☆ このブログは、六本木にある 出雲大社東京分祠参拝http://shinkahousinght.at.webry.info/201601/article_1.html に続けてのものです。 出雲大社東京分祠参拝もぜひご覧くださいませ。  
  (2016.1.14.)

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↑ 西谷章『初学者のための建築構造入門』(鹿島出版会)は絶版で、『新・初学者のための建築構造入門』が出版されているようです。 





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