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zoom RSS 「お客様は神様」ではない、という認識。理屈として理解するだけでなく「カラダで理解する」には経験が必要

<<   作成日時 : 2017/07/28 20:48   >>

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[第565回]営業と会社の話(135)
   「お客様は神様です」という言葉が、けっこう広まっていて、営業や販売の仕事につく人間には、「お客様は神様」だから、少々、我儘なお客様がいても、少々、無理難題を言われても、嫌なことを言われても我慢するしかないと思う人がいるようです。 「神様」であってもなくても、「お客様」でなくても、人間関係においては、こちらが相手に我儘していると思っても、相手が無理難題言っていると思っても、感じの悪いやつだなと思うことがあっても、自分だって常に人に好かれているとは限らないわけですし、相手だってこちらが知らない部分で我慢しているということだってないとは限らないわけですし、そういったことを考えると、ある程度は我慢することも、人間関係においては必要かもしれません。 しかし、一般の人間関係においても、ルドルフ=フォン=イェーリングは『Recht(権利=法)のための闘争』(村上淳一訳。岩波文庫)で、 ≪ 自分の権利があからさまに軽視され蹂躙されるならばその権利の目的物が侵されるにとどまらず自己の人格までが脅かされるということがわからない者、そうした状況において自己を主張し、正当な権利を主張する衝動に駆られない者は、助けてやろうとしてもどうにもならない。そんな連中は精神の入れ替えが必要なのだが、そこまでは面倒を見てやることもあるまい。そのようなタイプの人びと(私はこれを法律実利主義者と呼びたい)がいるという事実を知っておきさえすれば十分なのである。かれらの特徴は、身についた利己主義と物質主義である。かれらは、権利を主張するに当たって後生大事に守っている背嚢の中身以外の〔もっと次元の高い〕利益の実現をめざす者すべてを〔夢想家〕ドン・キホーテとみなすことによって、みずから法の世界の〔俗物〕サンチョ・パンサたらざるをえないのだ。≫と述べ、「みずから虫けらになる者は、あとで踏みつけられても文句は言えない」というカントの言葉を引用し、そして、≪ ・・・私はどんな争いにおいても権利のための闘争を行えと要請しているわけではなく、権利に対する攻撃が人格の蔑視を含む趣旨を含む場合にのみ闘争に立ち上がることを求めているのである。譲歩と宥和の気持、寛大さと穏やかさ、和解とか権利主張の断念とかいったことについては、私の理論も十分にその意義を認めている。・・・・≫と述べているように、その権利が侵害されるのを享受するならば、自己の人格をも踏みにじられることになるというものについては闘わないといけない。そうでなければ、一般の人間関係においても良好な関係は構築されない。それと同様に、販売・営業の仕事においても、たとえ、相手が「お客様」であっても、それは譲れないというもの、そこを譲ったのではこちらの存在にかかわるというものがあり、販売・営業の上でも、良い結果をもたらさないことがある。 そう考えた時、「お客様は神様」ではない。それなら、お客様は何なのか? というと、「お客様は人間」。 もっとも、1990年代半ば過ぎくらいだったと思うが、書店の棚で、『お客様は悪魔です』という題名の本を読んだことがある。販売や接客の仕事についていると、「お客様は悪魔です」と言いたくなるような「お客様」と遭遇することもある、そういう実例が書かれた本であった。しかし、人間は一定不変であるわけではなく、また、その担当者の「お客様」が「悪魔」が多いということになると、
(1)その営業担当者が我儘な人間であることから「朱に交われば赤くなる」という状態にしているケース、
(2)「類は友を呼ぶ」というケース、そして、
(3)その担当者が「お客様」を我儘にしたり、困った状態にしてしまっている、というケースもある。
対応によって、「神様」になることもあれば「悪魔」になることもある、というのは「人間」であればこそだろう。〔1990年代末、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の栃木県佐野市の営業所にいた時、同営業所にいた栃木県地域の営業所長の五十嵐さんのお気に入りだったK岡くん(男。当時、40代前半)なんかは、この3つの融合形だった。かつ、どうも、その自覚がないようだった。〕
(4)但し、どんなに対応に工夫をしても「悪魔」もしくは「アホ」にしかならない人というのもいるわけで、その度合いが大きければ、営業としては、その人は、住宅建築請負業であれば、「土地あり、カネあり、計画あり」であったとしても、「切り」と判断することになる可能性もある。もしくは、自分が担当した場合にそうなってしまうのであれば、人間には「相性」もあるのだから、他の担当者に見込客として譲るという選択をすることもある・・・・が、「俺、こういう人、嫌いなんだよ。だから、おまえ、やって」なんて言われても、そんなこと言われても、俺だって、そんな人、嫌だよというケースもある。1990年代、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の福島県いわき市の営業所にいた時、実際にそういうことがあった。「俺、・・・な、こういう人間は嫌いなんだよ。だから、このお客さん、おまえやれよ。いい見込み客だよ、計画あるし、土地あるし、おカネもあるし」なんて言われたことが。そんなに「いい見込客」なら、だったら、あんた、やればいいでしょ、「こういう人間は嫌いなんだよ」なんて、そんな人、俺だって嫌だよ、何を言ってんだよ! と思ったことが現実にあった。
※ 『お客様は悪魔です』という題名の本は、今、インターネットで検索すると、
1.『お客様は悪魔です―全国公募入選作品・300選』1995.7. かんき出版
2.萩原英昭・萩原和子『新 お客様は悪魔です―100職種をこえる接客・販売業の日頃のウップン大爆発!!』1996.9 ハギシン出版
が出版され、新刊書は今は絶版だが中古書では手に入るようだ。

   1980年代後半、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)http://www.sxl.co.jp/ 〕に入社した直後の新卒社員研修で、講師役の従業員が、「これをきいておきたい」ということがあれば、と言った時、ある男が、「『お客様は神様です』という言葉がありますが、お客様の言われることなら、どんなことできかないといけないものでしょうか」と質問したことがあり、それに対して、講師役であったTQC推進本部営業部会の部長が、「それは、トルコやあ」と答えたことがあった。
   「トルコ」とは何かというと、今は「ソープランド」と言っているものを、1990年前後においては「トルコ風呂」と言っていたのだ。 話が少々ずれるが、さらに言うと、戦後、売春防止法ができる前は、「赤線」と「トルコ風呂」は併存し、その頃のトルコ風呂というのは、今で言うと、「ヘルス」か「ファッションマッサージ」のようなものだろうか、もともとのトルコの「トルコ風呂」というのは、熱い石の上に寝転が、おねーちゃんではなくマッチョなおっさんが力いっぱいもみほぐし、されている時は痛いが終わってみると体がすっきり♪ というものだそうで、それを、戦後、東京 銀座のある店が、おっさんではなく若いおねーちゃんにさせ、それが変化して、「ヘルス」か「ファッションマッサージ」みたいになり、売春防止法が施行されて「赤線」がなくなるまでは性行為はおこなわれなかったのが、「赤線」がなくなった後、「トルコ風呂」が赤線の代りのようになり、さらにその後、トルコ共和国の人から苦情があって、名称が「ソープランド」に変わったようだ。で、「『お客様は神様です』という言葉がありますが、お客様の言われることなら、どんなことできかないといけないものでしょうか」という質問に対して、「それは、トルコやあ」という答えはどういう意味かというと、「お客様から『ち〇ぽ なめろお』と言われても、なめなくてよろしい。営業はトルコじゃねえ」という意味らしい・・・・・が、なんか、なんで、そういう表現になるのか・・・とも思ったが、「俺はわかりやすいように表現してやってるんだからな」ということだった。 「わかりやすい」かかえってわかりにくいかは何とも言えないところだが、たしかにそうなのだ。お客様から「ち〇ぽ なめろお」と言われても、住宅建築業の営業はソープランドではないので、なめる必要はない、断ってよろしい。同様に、住宅建築業の営業は、住宅建築業の会社がそのお客様と契約した内容でないものをお客様が要求してきた場合は断っていいわけだ。「トルコじゃねえ」のだから。
   もっとも、風俗営業の店では何をやってもいいのか、何を要求してもいいのかというと、そういうものでもなく、「本当にあった笑える話」だったかに載っていた話によると、「デリヘル」というのは「本番禁止」らしいのだが、ホテルやお客さんの家に「嬢」が訪問して密室の中で「プレイ」をおこなうことから、「本番」をやろうとするお客さんもいるらしく、「嬢」が嫌がっても無理矢理やる人というのが中にいたりするらしいのだが、そうすると、どうなるかというと、そこで、ヤクザが登場するらしい。そして、相当高額のカネを取られることになるらしい。根本的な問題として、それ、やりたかったら、「デリヘル」の「嬢」にやるのではなくソープランドに行けばいいのじゃないのか、という気もするのだが、ともかく、風俗営業の店にしても、何をやってもいい、何を要求してもいいというものではなく、「やっていいことと悪いことがある」ようだから、その点では、風俗営業の店もまた、風俗営業の店の「嬢」だって、住宅建築業の営業と同じく、「お客様の言うことだから、何でもきかないといけないなどということはない」わけで、その点では変わりはないわけだ・・・・。
   小堀住研(株)の新卒社員研修では、「『お客様は神様』ではない。 お客様は人間。 人間として尊重する」と言われたのです。なるほど・・・と思ったのですが、しかし、なるほどと思ったとしても、実際に、営業の仕事についてお客様と接すると、その認識通りにできない時もでてきました。

   『ラーメン才遊記』を見ていると、ラーメン界のハゲおやじ 芹沢が、この「お客様は神様ではない。お客様は人間」という点について的確に述べたところがあった。↓
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〔 ↑ 久部緑郎 作・河合単 画・石神秀幸 協力『らーめん才遊記 (4)「仕事」とは・・・!?』(2017.7.2.小学館 My First WIDE )所収、第81杯〜83杯「諸悪の根源は・・・!?」「ダメ店主更生プラン」「お客様は人間です!」 ) 〕


   売手の時に顧客に対する時、「お客様は神様です」などと思っていると間違った対応をしてしまうことになる場合がありますが、自分が売手ではなく買手の側の時でも、もめることなく良好な関係を保っていこうと思って相手の言うことをききすぎると、それがかえってよくない結果になることがある、という例もまた、『らーめん発見伝』の方に出ていました。↓
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〔 ↑ 久部緑郎 作・河合単 画・石神秀幸 協力『らーめん発見伝 (9)ラーメン店 店主の心得 
「仕事」とは・・・!?』(2016.12.1.小学館 My First WIDE )所収、第166杯「ラーメン店 店主の心得」 ) 〕
   『らーめん発見伝』には「ホリエモンこと堀江貴文氏共鳴」、『らーめん才遊記』には「ホリエモンこと堀江貴文氏激賞!」というコピーがついているが、ホリエモンもまたずいぶんとえらくなったもんだな・・・。

   もうひとつ、小堀住研(株)で、先輩社員から聞かせてもらった話として、「『お客様』というのは契約書に署名捺印して契約金を払ってもらった人のことで、まだ、契約してもらっていない人というのは、見込客ではあってもお客様(契約客)じゃない」というものがあります。 実際問題として、客の側で「お客様は神様です」と思っている人というのがいて、そして、契約したから「神様」だというのならまだしも、契約したわけでもなく、1円でもおカネを払ったわけでもないのに、「神様」になろうとする人というのが時としているのです。 しかし、「客」にも、「契約客」と「見込客」とがあり、「見込客」というのは「契約客になる見込がある人」ではあっても「契約客」ではありませんから、「契約客」であれば、契約した内容のようにその会社が対応してくれないのであれば、苦情でも文句でも言って、契約の内容をきっちりと遂行してくれと要求してよいのですが、契約したわけでもなし、1円でもお金を払ったわけでもない人から、「ち〇ぽ なめろ」と言われてもなめる必要はないのは当然として、1円でもお金を払ってもらっていない人に、何かやれと言われる理由はないし、要求する権利はないのです。

    そもそも、「お客様は神様です」という文句。 ずいぶんと世間に広まっていますが、誰が言ったのかというと、営業・販売の仕事をして実績を残した人が言ったのではなく、「三波春夫でございます」、なのです。 三波春夫が言い、それを、お笑い芸人の レツゴー3匹 の真ん中のにいちゃんが、「ジュンで〜す」「長作でえ〜す」「三波春夫でございます。お客様は神様です」とギャグにして言いまくって広めたのであって、営業・販売の仕事をしてきた人が言ったわけではないのです。 
    《ウィキペディア―三波春夫》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B3%A2%E6%98%A5%E5%A4%AB には、≪ 「お客様は神様です」とは、1961年(昭和36年)頃の自身のステージ上、三波と司会を務めた宮尾たか志との掛け合いMCの中で生まれた言葉である。宮尾の「三波さんは、お客様をどう思いますか?」の問いかけに、三波は「うーむ、お客様は神様だと思いますね」と応える。ここで宮尾がたたみかけるように、客をいろいろな神仏になぞらえ、「なるほど、そう言われれば、お米を作る神様もいらっしゃる。ナスやキュウリを作る神様も、織物を作る織姫様も、あそこには子供を抱いてる慈母観音様、なかにゃうるさい山の神……」と、このやりとりで観客は笑いの渦となり、これ以降、定番のMCとして全国各地で披露された。ここでの神とは、日本古来の神であるが、三波本人の説明によると、「舞台に立つときは敬虔な心で神に手を合わせた時と同様に心を昇華しなければ、真実の芸はできない」「いかに大衆の心を掴む努力をしなければいけないか、お客様をいかに喜ばせなければいけないかを考えていなくてはなりません。お金を払い、楽しみを求めて、ご入場なさるお客様に、その代償を持ち帰っていただかなければならない。」「お客様は、その意味で、絶対者の集まりなのです。天と地との間に、絶対者と呼べるもの、それは『神』であると私は教えられている。」と、自身の芸と観客との関係について、自著で述べている。 ≫ ≪ 派手な和服姿で「お客様は神様でございます」と舞台上で語る三波を「商売気たっぷりの成金趣味」と嫌味を言う者も少なくなかった。しかし、三波自身は「お客様に自分が引き出され舞台に生かされる。お客様の力に自然に神の姿を見るのです。お客様は神様のつもりでやらなければ芸ではない」という趣旨の発言をしている。単なるリップサービスでも客に媚びている訳でもなく、客前で何かを披露するという芸の本質を語ったものであった。 ・・・・≫ と出ている。これによると、三波春夫が「お客様は神様です」と言った文句の意味は、俳優が舞台で演じる時、神様に芸をささげる気持ちでやらないといけない、という趣旨のようで、販売・営業の仕事をする者に、客に言うことであればどんなことでも従えとか、そういうことを言ったのではないようです。

   この「お客様は神様ではない。お客様は人間。人間として尊重する」という認識は、最初、小堀住研(株)の新卒社員研修で言われた時、なるほどと思ったのです。 しかし、その時、なるほどと思っても、それは、あくまでも、理屈でわかったというもので、実際に仕事をしてみると、神様の言われることであるかのように何でも従うことはない、と思っていても、それでも、お客様なんだからと、きかなくてもいいことをきいてみたり、言うべきことを言えなかったりという経験をずいぶんとしました。
   最近、『らーめん才遊記』『らーめん発見伝』で↑のものを見て、そうだなと思った時においては、それまでに自分自身で相当に経験をしてきて、そして、このくらいの対応が妥当かというものを、ある程度以上、身につけて、そして、「カラダで理解」して、というのか、おのれの汗と涙とともに、というのか、おのれの骨と肉のきしみで理解して、というのか、ともかく、実際に経験して痛い目にあった上で理解してきた者として、そうだなと思ったのです。
   2011年、千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも、2013年11月に倒産)で、自称「工事責任者」をやっていたわりに工事現場を見に行かない、そもそも、見に行こうと思ってもクルマの運転をしないU草A二(男。当時、30代なかば)が、「ぼく、営業やったことないですけど、営業で〜きま〜すもお〜ん」と、恥知らずな文句を何度も何度も大きな声で口にしていましたが、むかつく文句ですが、彼にはできないと思います。
   それから、「お客様は神様です」という態度をとらない営業にも2種類ありまして、お客様のために一生懸命仕事をしようという意識・姿勢がある営業が、一生懸命やるのはいいけれども、「お客様は神様」であるわけでもないのに、あまりにも尽くすために、その「神様」に裏切られてしまい、見込客には他社で契約されたり、こきつかわれたあげく「計画延期」になったりし、契約客には、契約後、ごねまくられてへとへとになる、という営業もいますが、いくらかなりともそういうところがあった人間が、経験を積むとともにそれを改善して、お客様に仕えるのではなく、「良好な人間関係を確保する」ように変化して、「お客様とともに家づくりに励む」という方向に進み、お客様に「神様」になるのでなく「尊敬に値する理解のある人間」になってもらう、もしくは、そういう人に多く契約いただくようになる営業がいますが、そうではなく、最初から「骨惜しみをする性格」の人間で、最初からお客様のために努力しようという姿勢なんかない営業というのもいる のです。 1990年代、(株)一条工務店のいわき市の営業所にいたMさん(男。当時、20代後半)は、有望見込客を接客すると、「一発で決めてやる」といつも口にする男でしたが、なんだか、KO・強打を売りにするボクサーみたいな文句ですが、(株)一条工務店の経営者はそういう人が好きみたいなところもあったのですが、Mさんがそういう文句を口にするのを見ているうちに、これはおかしいと思うようになったのです。 「啐啄同時(そったくどうじ)」という禅の言葉があります。 卵からひながかえろうと殻の内側から嘴でつつくと同時に親鳥が外側から殻をつつくのがよいという話で、見込客がちょうど契約しようという気持ちになる時、営業がクロージングをかければ、それがもっともまちがいなく契約につながると思えます。ボクシングのKO・強打を売りにするボクサーにしても、ともかく、闇雲に打ちかかればいいというものでもなく、ここでラッシュをかけて打ち込めば倒せるというタイミングでラッシュをかけてKOに持ち込むというタイミングがあると思うのです。それを、いわき市の営業所にいたMさんは「一発で決めてやる」と、ワン・ツー・スリーくらいのタイミングでKO(契約)を狙えば落とすことなく契約してもらえると思える見込客を、なんだか、いつも、「一発で決めてやる」とワンのタイミングで契約させようとする傾向があると見られたのです。Mさんなどは、顧客のために尽くし過ぎるというタイプではなく、「骨惜しみする性格」の人間であり、それも相当、骨惜しみする人間なので、それで、ワン・ツー・スリーくらいでクロージングをかけるのが妥当な見込客を「一発で決めてやる」とワンで契約させようとしていたのだろう、と思ったのです・・・・が、同社に長くいた某さん(男。当時、40代)にそれを話したところ、「それもあるでしょうけれどもね。 それよりも、性格が卑しいですから、長くお客さんとつきあってると、それを見破られてしまうんですよ。Mさんは自分でもそれをわかってるものだから、だから、お客さんにそれを見破られる前に契約させようとするんですよ」と某さんが言ったので、それもあるだろうなと思ったということがありました。
※ 《臨済禅 黄檗禅 公式サイト 啐啄同時》http://www.rinnou.net/cont_04/myoshin/2007-06a.html 
   「骨惜しみする」営業というのは現実にいます。そういう人というのは、「お客様は神様です」などとは思いませんが、だから、エライのではありません。 見込客に認めてもらおうと一生懸命やって、その結果として、「神様」に他社で契約されたり、「横暴」な神様にへとへとになるまで無理難題を持ちかけられたりという人がいる一方で、最初から「骨惜しみする人間」であることから、「神様」に仕えようなどということはありえないという人もいるのです。 (株)一条工務店のいわき市の営業所にいたMさんはそのタイプであり、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)に2010年にいたS井さん(男。当時、40代なかば)もそのタイプですが、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)で自称「工事責任者」だと言っていたU草Aにもそちらの側でしょう。そちらの側の人間というのは、一回くらい、「神様」にお仕えさせてやってみた方がいいくらいなのですが、そちらのタイプの人間は決して仕えません。 でも、これは、お客様のために一生懸命努力するタイプの人が、その努力を「神様」に裏切られることがあることから対応の仕方を修正した、というものとは違うのです。 お客様のために一生懸命努力する人が、お客様という「神様」に裏切られる経験を経て、それで、その人のやり方で「神様としてではなく人間として尊重する」という姿勢を確立したというものと、「単なるものぐさもの」は違うのです。
(1) 「お客様は神様ではない」と「理屈で理解する」のは本で読んだり人に聞いたりして理解することもできますが、それを「体で認識する」には実際に経験しないと理解できません。
(2) 理解できたとしても、どこまで的確に実行できるかはまた別の問題でもあります。
又、 
(3)(ア)「営業がお客様を・・・にしている」という面もあるのですが、そうではなく、営業がどうこうしたって変わらない困りものの見込客というのもおられるのですが、そういう人は「切り」にするのか、「切り」にしてよいのかという判断が求められる時もあります。
  
(イ)「切り」にしたいと営業としては思っても、会社に雇われて仕事をしていると、上役が「切り」にすることを認めず、契約してもらうよう求めることもあり、
又、
(ウ)景気が悪くなってくると、そうでなければ「切り」にしたいような人でも契約してもらわないとしかたがないという時もでてきます。

「お客様は神様」ではないと営業が認識するとともにお客様にも認識してもらうべきだと理解しても、それで、どう対応するかが次に求められます。2011年、新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕〔いずれも、千葉市中央区鵜の森町。2013年11月に倒産。〕の植草(男。当時、30代なかば)は、「ぼく、営業やったことないですけど、営業で〜きますも〜ん」とあつかましい、ふてぶてしい文句を、何度も何度も、大きな声で、ぬけぬけと、でぶでぶぶたぶたと無神経に叫びまくっていたのですが、「やったことない」者に、このあたりは理解できないと思います。 むしろ、植草は「営業としては論外」な要素があったと私は見ています。まず、「やったことないですけど、営業できますもおん」というその文句は、実際にその仕事をしてきた人間に失礼だ、ということが理解できないというのは、営業できない要素の1つのはずですが、それも理解できない男は、むかつく文句をヌケヌケぶたぶた言いながら、ますます太るしかないでしょう。
   (2017.7.28.)

らーめん才遊記 4 「仕事」とは・・・!? (My First WIDE)
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ラーメン発見伝 9 (My First WIDE)
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[おまけ]  今、もっとも、ひっぱってみたいと思うものというと?
 ―――――――汐見ゆとり の ほっぺた♪
 その理由は、『らーめん才遊記』をご覧あれ・・・・。

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