慎腹風呂愚

アクセスカウンタ

zoom RSS 根津美術館(東京都港区南青山) 庭園内 「渡唐天神」(「天神の飛梅祠」)参拝−冤罪を晴らす神さま

<<   作成日時 : 2016/03/05 20:14   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

[第396回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り(31)
   文京区根津 の 東大の農学部の北あたりに、根津神社があり、港区南青山 の東京メトロ 銀座線・半蔵門線・千代田線「表参道」駅から南に歩いたあたりに 根津美術館があって、この2つはどう関係があるかというと、根津美術館は根津嘉一郎という人が集めた古美術品を展示する美術館を根津さんの家があった所に建設して公開し、同時に、庭園も公開しているというもので、根津美術館と根津神社は特に関係はないらしい。


   根津美術館は建物もなかなか魅力的で、展示されているものも興味を惹かれるものが多いのですが、それ以上に庭園がいい。 東大の本郷は、30年ほど前は、東京の街中であるにもかかわらず、静かで落ち着いたいい雰囲気で、私立大学と違って学生数が少ないため、人口密度が低く、その静寂な環境がいいと思ったのですが、最近では人口密度はそうかわらないと思うのですが、高層の建物が増え、建物の数も増えて、建物密度は高くなって、30年ほど前のような雰囲気はなくなってしまいました。三四郎池の付近だけは今もかつてと同じような静寂さと作庭のすばらしさを感じることができますが広くありません。 根津美術館の庭園は、都内にこれだけの庭園が残っていたのかと感心するもので、東大本郷の三四郎池よりはずっと広い。けれども、もともとは財界人とはいえ個人の家の庭園だったものなので、岡山の後楽園とかのような広さがあるわけではないのですが、逆に、都内で街中での暮らしに疲れた時に回遊する庭園としてはちょうどいいくらいに広さです。
   その庭園の奥に、「天神の飛梅祠(ひばいし)」があります。↓
画像

≪ 天神となった菅原道真が中国で参禅した姿を表した、石造の渡唐天神像を祀る。 祠の名は道真が愛した庭の梅が道真を追って大宰府に飛んだという伝説をふまえる。 ≫
≪ Kitano−tenjin deity enshrined at Hibaishi ≫
という掲示板が↑の写真の右足元に出ています。
deity 1.神位、神格、神性 2.神(God) 天帝(God)
enshrine (他動詞) 1.宮に祀る、神社に祀る、安置する。 2.<記憶などを>秘める、大事にする。
 (『新英和中辞典』研究社)
訳すと 「飛梅祠に祀られる北野天神の神」 とでもなるでしょうか。
画像

画像

↑  鳥居が二重にあって、祠の前に、狛犬が左右に2匹ずつ、計4匹配置されています。 牛の像はいません。
画像


   菅原道真と言えば、「白紙(894年)に戻す、遣唐使」と遣唐使の廃止を建言した人であったはずで、その道真がなにゆえ、「渡唐天神」として祀られるのだろう、と私は「渡唐天神」という言葉を最初に見聞した時に思ったのです。
≪  (藤原良房(よしふさ)の養子)基経(もとつね)の死後、宇多天皇は関白を置かず、菅原道真(845−903年)を重く用いて藤原氏に対抗させた。 つぎの醍醐天皇も同様に関白をおかず、律令による政治の復興につとめた。 そのまたつぎの朱雀・村上の二代の天皇も、同様に律令制復興の努力をつづけた。 それゆえ宮廷歴史家は、醍醐帝のときの年号「延喜」(901−22年)と村上帝のときの年号「天暦」(947−56年)をとって、その間の政治を「延喜天暦の治」と讃美するが、かの純友・将門の乱が、ほかならぬこの間におこったことが、何よりもよく、古代天皇制の再興はできないことを示していた。 また894年(寛平6)、菅原道真の意見により、すでにたえだえになっていた遣唐使が、航海のぎせいの多いことと唐国のみだれを理由として、永久にやめられたが、このことは、藤原氏とか反藤原氏とかにかかわりなく、すべての貴族たちが、八世紀の彼らの父祖のような、たくましい冒険と探求の活力を、もはや失ったことを示していた。 ・・・ ≫
( 井上 清『日本の歴史 上』1963.9.25. 岩波新書)

   もっとも、遣唐使廃止が菅原道真の建議で廃止されたという理解は適切ではないのではという指摘もあるようだ。
≪  遣唐使派遣の停止をきめた直接の動機は、道真が寛平6年(894)9月14日付で呈出した諸公卿に遣唐使の進止を議定せられんことを請うた奏状による。 それには在唐僧 中瓘(ちゅうかん)が去年3月商人の王訥(おうとつ)らに託してよこした状の中に唐の凋弊(ちょうへい)をのせていることと、従来度々の使節が途中に遭難して唐に達することの困難であることとを述べて、改めて遣唐使派遣の可否を定められたいと申請しているのである。 これによれば、唐の凋弊(ちょうへい)はすでに前年の日本の朝廷に知られている。 まして途中の遭難の事実は周知の事柄である。 しかるに遣唐使の任命は6年8月21日である。 参議左大弁菅原道真を大使として、左少弁 紀 長谷雄 を副使としたその人選は、第一級の文人をえらんだもので、空前の豪華なものであったと言える。 だから、直ぐ1月後の停止を問題にするような事情は、十分に知られていたにもかかわらず、使の任命がされたということがおかしいのである。 まして同年7月12日には在唐僧 中瓘(ちゅうかん) の上表に対する太政官の返牒が出されており、それには中瓘(ちゅうかん) の労をねぎらい、久しく兵乱に悩んだ唐もそのころ少しく小康を得たことを喜んでいる。 そして、遣唐使の派遣の朝議は定まっているが、準備を整える間、あるいは年月がかかるかも知れないといっている。 しかも、この牒は道真の草したものなのである。 これによると、同じ中瓘(ちゅうかん)の報告にもとづいて、唐の国内情勢の判断は、楽観・悲観の両様に立てられていることがわかる。 つまりそれな表面の口実であろうということになる。 また任命後1月にして停止のことを申請する位ならば、初めから任命を辞すればよいのであって、それほどの先の見通しもなくて大使を引受けたのは、聡明な道真にしてはあまりにも腑に落ちない態度である。 むしろ、そういうことをきめた政府全体がおかしいとも思われるのである。
  私は、だから、これはもともと一つのジェスチャアであろうという気がするのである。 遣唐使の任命は初めから政府に派遣の意志がなくて、せられたものではあるまいか。 道真と長谷雄もまた、実現しないことを承知の上で、任命せられた使節ではあるまいか、と臆測するものである。 当時は遣唐使が昔のような意義を失っていた。 珍奇な唐物の輸入は毎年来航する商船によって行われたし、巨大な組織となった遣唐使を派遣する費用は財政上支弁できない情勢ともなっていた。 こういう事情は数十年前から顕著になっていることであって、事実、承和5年(838)から56年も派遣の事のなかった理由でもある。 寛平になって、以上の事情がにわかに改まったわけはなく、むしろますます進んだのであろうから、この時の遣唐使の任命は元来無理であることは明白である。 だから、私は、内外に対する対面の上で一おう使の任命を決定したものの、それは形だけで、実際に派遣する意志はなかったものとするのである。 このように考えると、道真の停止審議申請も予定の筋書である。 万事が形式主義で、実際とは遊離して何とも思わなかった当時の通年としては、これ位のことはやり兼ねないと、私は信ずるのである。
  この考えを支持するものに、道真・長谷雄は停止のことがきまった後も、なお大使・副使を職名として、官銜(かんがん)の中に連ねていたことである。 『公卿補任』にも、寛平8年までは道真に遣唐大使の称を加えているが、当時の古文書を見れば、昌泰3年(900)のころまで紀 長谷雄 は遣唐副使と称している。 つまり実際には行かないが、名前だけはこれを用いていたのである。 唐に行かない遣唐使も妙なものだが、このころは陸奥・出羽に行ったこともなくて陸奥出羽按察使(あぜち)となり、弓馬の道も知らず近衛大将になるのだから、とくにかわった例ではない。 要するに、遣唐使を任命したのだという意志表示で、文化国家の名を維持したいという悲願だとすれば、憎むことはできない。
  道真の大使任命とその停止が、以上のような事情で起こったとすれば、それは道真を責めるにはあたらない。 このことについて通説としては、善悪両面の批評を道真に与えるのである。 褒める方では、唐文化摂取の必要なしとし、日本文化の独立を認めた道真の見識がここに見られるという。 けなす方では、急に渡海が恐ろしくなった臆病さを慨嘆する。 が、両者とも恐らくは当るまい。 ・・・・≫
( 坂本太郎『菅原道真』1962. 1990.新装 吉川弘文館 歴史叢書)
   遣唐使派遣の停止が、日本にプラスであったかマイナスであったか、≪唐文化摂取の必要なしとし、日本文化の独立を認めた道真の見識がここに見られる≫と評価するべきか、≪すべての貴族たちが、八世紀の彼らの父祖のような、たくましい冒険と探求の活力を、もはや失ったことを示していた≫と考えるべきなのか。 いずれであっても、それは菅原道真が特に主張したことによるものではなく、その当時の状況からそうなったと考えるべきだったのかもしれないが、ともかく、菅原道真は、遣唐使廃止においてひとつの役を果たした人間であったわけだ。

   その道真が、なにゆえに、「渡唐天神」とされるのか。
≪ 室町時代になりますと、禅宗の僧侶の間で、“ 渡唐天神 ” の信仰が起こりました。
   京都の東福寺の開山・聖一国師が宋から帰国して、博多の崇福寺に住したとき、夢に菅公が現れ、禅を学びたいと求めた。 そこで国師は「私は宋の仏艦を師と仰いだ。 この人に参禅するがよい」と答えると、菅公は神通力で宋に飛び、仏艦から教えを受けると、その夜のうちに再び国師の前に出現して報告した・・・・という説話が諸書に見えます。 文道の神として崇敬されている “ 天神さん ” と仏艦禅師を結びつけ、禅宗の普及をはかろうとしたものでしょう。
   この伝説に基づいて、多くの渡唐(宋)天神像が描かれていますが、仙冠をかぶり中国風の服を着て、手に一枝の梅をもつポーズが普通です。 この画像は禅僧の間のみならず、一般にも歓迎され、美術的価値の高い作品も少なくありません。 ≫
( 『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』1994.12.20. 鎌倉新書)
    遣唐使廃止とは関係なく、室町時代に≪文道の神として崇敬されている “ 天神さん ” と仏艦禅師を結びつけ、禅宗の普及をはかろうとしたもの≫として、道真が禅を学びたいと思って宋まで神通力で飛んで行ったというお話ができた、ということのようです。
    そう思って、↑の写真の天神像を見ると、たしかに、梅の枝らしきものを持っています。

   渡唐天神像が祀られている建物は、屋根の裏側は↓
画像

屋根は金属板葺きです。

   東京メトロ「表参道」駅のすぐ北に、善光寺 東京別院 があります。

  その北あたりに 同潤会青山アパートがかつてあって見に行ったこともあったのですが、今はなくなったようです。
※《ウィキペディア―青山アパートメント》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B1%B1%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88
  「表参道」駅から西に歩いて南に入ったあたりに、小原流会館http://www.ohararyu.or.jp/kaikan/index.html があります。

もう30年近く前になりますが、その近くのビルの工事の際に、交通誘導のガードマンの仕事に行ったことがあります。 その時、来た生コン車の運転手のおっさんが、「ここらを歩いているやつを見ると、『青山』て感じの顔してるよなあ。 俺たちは、葛西か江戸川の顔だもんなあ〜あ」と私に言ったのですが、「俺たち」と仲間に入れてくれたのですけれども、「葛西か江戸川の顔」て、どんな顔やねん? とも思いましたが、言われてみると、たしかに、「青山て感じの顔」して、「青山て感じの格好」して歩いてる人間がいました。 どうも、その頃から、私は「葛西か江戸川の顔」になってしまったようなのですが、「青山て感じの顔」よりは「葛西か江戸川の顔」の方が好きなんだけれども、でも、いったいどんな顔やねん? て気もします・・・が、青山に行くと、「青山て感じの顔したやつ」がたしかにいます。
  私の父は、「わしはドイツ人やね〜ん」と常々言ってました。 最初に聞いた時は「え? あんた、日本人じゃなかったの?」と思うとともに、「それなら俺は何人なんだ?」と思ったもので、「知ってたか?」と言われても、「知らんかった」。 日本人かと思ってた。 ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』では「精神の貴族」とか「精神の賤民」といった概念が出てきますから、その類の「精神のドイツ人」だったのかもしれませんね。 父は「ドイツ人」なら私は何人なのかというと、父は「あんたはロスケでイタコでチャンコロや」と毎日毎日、私の鼻の頭を指さして言いました。「ロスケ」とはロシア人のことで卑怯者・裏切者を意味し、「イタコ」とはイタリア人のことで根性無しを意味し、「チャンコロ」とは中国人のことで「常に人から支配されるために神さまから作られた民族」だそうです。 で、私がその3つなんだそうです。なるほど。 父は「ドイツ人」だけあって、退職後、ドイツとかオーストリアとかに何度か旅行に行きました。 母は私にも「ウィーンのニューイヤーコンサートはいいよお。一回は行ってみるべきだよお」と言いますが、なにしろ、私は「ロスケでイタコでチャンコロ」ですから、わざわざ、カネ払ってまでドイツやオーストリアに行きたいという気持ちにはなりません。やっぱり、「青山て顔」ではなく「葛西か江戸川の顔」ですからね。 父は「ドイツ人で英雄やねん」だそうなので、たぶん、「青山て顔」の方の人間なのでしょう。(⇒《YouTube-交響曲第3番《英雄》(ベートーヴェン)》https://www.youtube.com/watch?v=HowX3ApKkoM )私は「葛西か江戸川の顔」の方ですから、「青山て顔」したやつが「青山て格好」で青山の道を歩いている時に青山でガードマンの制服着て交通誘導やってた人間ですから、慶應の内部進学の女たらしが女子大生をたらしこんで強制猥褻やってる時に交通誘導のガードマンやってた人間ですから、だから、ロシア民謡の方が好きなんです。(⇒《YouTube-SHALYAPIN Folk Song 1910 & 1924 Дубинушка ШАЛЯПИН》https://www.youtube.com/watch?v=xeLxsBpzYDg&list=PL6BD5C1249C6F676B&index=3 、《YouTube-仕事のうた 》https://www.youtube.com/watch?v=6GRUhyhiKjY  )

   そこからさらに渋谷方面に歩くと、青山学院大学があります。

  インテリアコーディネーター https://www.interior.or.jp/ic/ の試験とキッチンスペシャリストhttps://www.interior.or.jp/ks/ の試験に何度も行きました。 「何度も」というのは、インテリアコーディネーターは、1次(学科)は3回目で通ったのですが、1回目は大妻女子大で受けて落ち、2回目から青山学院で、3回目に1次に通って、翌年に2次(製図・論文)に通りました。 キッチンスペシャリストは1回目から青山学院で、2回目の受験の時に、筆記合格ならその年に製図に通らなかった時は翌年から3年間、筆記試験は免除で製図試験を受けることができるようになったのですが、製図は筆記に通った年と翌年からの3回も落ちて、もう1回、筆記に通ってその年も製図は落ちて、その翌翌年にやっと製図に通った、というもので、結局、インテリアコーディネーターは3回目の受験で学科に通り、その翌年に2次(製図・論文)に通って、結局、4回目の受験で合格、キッチンスペシャリストは2回目で学科合格、6回目で2回目の学科合格、8回目で製図合格で、キッチンスペシャリスト試験合格となりました。 インテリアコーディネーターは1993年に大妻女子大で受けた後、1994年から1996年までの3年間を青山学院で、キッチンスペシャリスト試験は1994年から2001年までの8年間、青山学院まで通ったことになります。 だから、今でも表参道と青山学院大学には、なつかしさを感じます。又、青山学院大学は自分が行った学校ではありませんが、なにしろ、8年間にかけて通った試験会場ですから、親しみを感じます。
   船橋市の駅前にあるフェイスビルで、ポリテクセンター千葉(当時、雇用能力開発機構)の就職コンサルタントが無料就職相談というのをおこなっていたことがあり、2003年、相談に行ったことがあったのですが、私は、苦労してインテリアコーディネーター・キッチンスペシャリストなどの資格試験に合格したので、できれば、こういった資格を評価してもらえる会社で、こういった資格を生かせる仕事につきたいと思ったのですが、ポリテクセンター千葉の「就職コンサルタント」は何と言ったかというと、「インテリアコーディネーターだの、キッチンスペシャリストだの、宅建主任だのなんて、誰でも受けさえすれば通るう〜う。 そんな資格、誰でも持ってるう。 建築業界に勤めたければ、いっきゅうけんちくしい を持ってないとだめだ」と言ったのです。 私が「そんなことありませんよ。 インテリアコーディネーターにしても、キッチンスペシャリストにしても、宅建主任にしても、受けさえすれば通るなんてことありませんよ」と言うと、「いい〜や! 受けさえすればずえったいに通る、誰でも通る。ともかく、受験番号と名前さえ書けば、インテリアコーディネーターだのキッチンスペシャリストだの宅建主任だのなんて、どこの誰でもずえったいに間違いなく通る。 甘ったれるな! いいですか! 私はあなたのためを思って言ってるんですからねえ!」と、そう言ったのだ。 雇用能力開発機構の「就職コンサルタント」のおっさんは。 もしも、「受けさえすれば、誰でも間違いなく通る」「どこの誰でも、ともかく受験番号と名前さえ書けば、ずえったいに間違いなく通る」のなら、なんで、私は何度も落ちたのですか?  宅建主任は1度落ちて、2年受けずにいた年を経て3回目で何とか通りました。 インテリアコーディネーターは1次に2回落ちて3回目で1次に通り、翌年に2次に通り、4回目でやっと合格できました。 キッチンスペシャリストに至っては、最初の頃はインテリアコーディネーターと一緒に受けて、インテリアコーディネーターの方を優先していたということもありますが、7回落ちて、8回目でやっと合格できたのです。 「誰でも受けさえすれば間違いなく通る」「ともかく、受験番号と名前さえ書けば、どこの誰でもずえったいに間違いなく通る」のなら、私はなぜそんなに何回も落ちたのですか?  さらに、私は複数の住宅建築業の会社に勤めてきたのですが、インテリアコーディネーターにしても、キッチンスペシャリストにしても、宅建主任にしても、周囲の従業員には、「受けたい」という人はいっぱいいて、「受けた」という人もけっこういたのですが、「通った」と言う人は、実際に通ったわけではないくせに「通った」と詐称している人がたまにいましたが、実際に「通った」人はそれほど多くありません。 その雇用能力開発機構の「就職コンサルタント」のおっさんは、なにゆえに、「そんな資格、誰でも持ってるう〜う」などと言うのでしょうか。 持ってませんよ、誰でもなんて! 「行政改革として雇用能力開発機構をなくす」というテレビのニュースで言っていたので、なくすのかと思ったら、「高齢・障害・求職者雇用支援機構」と名称が変わりましたが、名称が変わったものとして存在しています。 「雇用能力開発機構をなくす」て、名前が変わっただけやんけ! て感じですが、変わったところもあるようです。 その雇用能力開発機構→高齢・障害・求職者支援機構 の「就職コンサルタント」のおっさんは、「私は石原都知事の知り合いなんだけど」と言っていたのですが、雇用能力開発機構→高齢・障害・求職者支援機構 の「就職コンサルタント」こそ、石原都知事の知り合いなら誰でもなれるのではないでしょうか。 こういうおっさん見ると、「行政改革」する必要があるのじゃないか、という気がしてきますね。 青山・表参道に行くと思いだします。 インテリアコーディネーター・キッチンスペシャリストの資格試験に何度も通ったことを。 そして、雇用能力開発機構→高齢・障害・求職者支援機構の「就職コンサルタント」のおっさんから、ひとが苦労して苦労してやっと合格できた資格について、「そんな資格、受けさえすれば誰でも間違いなく通るう〜う」「受験番号と名前さえ書けば、どこの誰でもずえったいに通るう〜う」「そんな資格、誰でももってるう〜う」「いいですか。私はあなたのためを思って言ってるんですからねえ」と言われたことを。 「石原都知事の知り合い」というおっさんから、そう言われたことを。 こういうおっさんを自分の縁故だからということで「就職コンサルタント」などという仕事につかせる石原慎太郎の方こそ甘ったれているのではないかと思います。

   青山て、駅としてはどこになるんだ? というと、青山学院大学は渋谷と表参道の間くらいにありますが、東京メトロに「表参道」「外苑前」「青山一丁目」という駅があります。 「表参道」「外苑前」の周辺には、インテリア関係の店がけっこうあり、インテリアコーディネーターとして、買うかどうかはさておき、見にきたことは何度かあります。 「アレシー」http://www.alessi.jp/ の店が「表参道」と「外苑前」の間くらいにあります。

チムニー(株)http://www.chimney.co.jp/ の建設部にいた時、大井町の阪急のホテル内にオープンした「花の舞」大井町店のカウンターにワインラックを置きたいのでふさわしいものをいくつか買ってきてもらいたいと社長の和泉が言ったというので、私は、インテリアコーディネーターでキッチンスペシャリストとして、秋葉原のヤマギワリビナ と 青山のアレシーショップにて、ワインラックを購入してきたところ、社長の和泉が欲しがっていたのは、東急ハンズで売っている「スイング ワインラック」という振動を嫌うワインの瓶をつきさして、わざわざ揺らすというふざけたプラスチックの安物の論外のおもちゃでした。 よく、そういうものを私に買いに行けと言うとも思いましたし、「花の舞」でも阪急ホテルの中の高級志向の店のバーカウンターに置こうというもので、よく、そういう論外のものを考えるとあきれました。 和泉は私に、そのおもちゃを買って着てくれと頼んだつもりだったようですが、メカケが伝え間違えたようです。 メカケに逆らえない情けない元スーパー屋の関大しか出てない男が社長になっているチムニー(株)は、「その程度」の会社だったということでしょう。 「花の舞」大井町店では、入口に向かって矢が飛んでくるように「ダーツ」が設置されていたので、大井町店を担当した「デザイナー」の男性に、「あれは危ないのと違いますか」と言ったところ、その「デザイナー」は何と言ったかというと、「社長の提案なんだ」と。 曲がりなりにも「デザイナー」なら、「社長の提案」であろうが何であろうが、危ないものは危ないと言うべきではないのか、それを言えなくて「デザイナー」などと言えるのか?!? と思うのですが、言わない人、言えない人だったようです。 チムニー(株)の社長の和泉は、メカケの機嫌をとるために私に無礼な態度をとったことについて謝罪するべきであったはずですが、今に至るまで和泉は私に謝罪しません。社会人としていかがなものか、会社員としていかがなものかと思います。 「関大しか出てない男というのはその程度のもの」と考えてあげるしかないということでしょうか。 私の側では、許した覚えはないので、いつまでも覚えています。 特に、青山に行くと思いだします。
  
画像

↑ 「渡唐天神」(「飛梅祠」)の前あたりの池 
  根津美術館の庭園では、「根津美術館八景」として8箇所のお勧めの場所があげられており、「天神の飛梅祠」もその1つにあげられていますが、根津美術館の庭園のどこがいいかはなんとも言えません。「八景」に選ばれていない所でもいい所は何か所もあります。
  根津美術館の庭園は散策するにはほどよい広さです。 「表参道」の駅から遠くありませんし、美術館の見学に立ち寄っても良いのですが、庭園を目的に寄るのも悪くないように思います。 庭園内に喫茶室「根津カフェ」があり、ケーキとコーヒー、和菓子と抹茶 などのメニューがあります。
画像

↑ 庭園から見た 根津美術館
画像

↑ 根津美術館と北側道路との間の通路。 なかなか素敵です。 
《根津美術館 施設概要》http://www.nezu-muse.or.jp/jp/about/outline.html に、≪ 設計・監理 隈研吾建築都市設計事務所   施工 清水建設株式会社≫と出ています。 


※ 根津美術館について、
《根津美術館HP》http://www.nezu-muse.or.jp/
《ウィキペディア―根津美術館》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%B4%A5%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8
《ウィキペディア―根津嘉一郎 (初代)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%B4%A5%E5%98%89%E4%B8%80%E9%83%8E_(%E5%88%9D%E4%BB%A3)
《ウィキペディア―根津嘉一郎 (2代目)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%B4%A5%E5%98%89%E4%B8%80%E9%83%8E_(2%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
   (2016.3.5.)

ー・−・−・−・−・−・−・−・−・−
「警官に平手打ちされた」 今市女児殺害、弁護側が主張 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160305-00000019-asahi-soci
朝日新聞デジタル 3月5日(土)5時30分配信  
  2005年に起きた栃木県今市市(現日光市)の小1女児殺害事件で、殺人罪に問われた無職勝又拓哉被告(33)の裁判員裁判は4日、宇都宮地裁で捜査段階の自白の任意性についての審理が始まった。弁護側は「黙秘すると警察官に平手打ちされた。強制や脅迫があり、意思に反した自白だ」などと主張した。
  被告は商標法違反罪で起訴された14年2月18日の取り調べで、殺害を自白したとされる。弁護側は同日以降、被告が殺人容疑で逮捕される6月3日まで殺人罪の取り調べを長期間受けていたと指摘。「捜査機関は被告を商標法違反容疑で『別件逮捕』し、起訴後も不当に身柄を拘束した。精神的にも肉体的にも不安な状況で、うその自白をせざるを得なかった」と訴えた。
  被告人質問で「(殺人罪での起訴前に)なぜ自白したのか」と検察側に問われた被告は「警察官から『自白すれば刑が軽くなる。自白しないと死刑にされるかもしれない』と脅された」と話した。
 また殺人罪での起訴後、拉致やわいせつは認めながら、「殺害は別の人物が行った」と供述を変えた理由について「警察官の話が頭を離れず、少しでも認めた方が罪が軽くなると思った」と説明。弁護士から供述の矛盾を問われ、昨年5月ごろから全面否認に転じたという。「本当のことを言いたくて仕方なかった」と当時の思いを述べた。
  一方、検察側は取り調べについて「厳しく追及した場面もあるが、被告の自由な意思でなされた自白だ」と主張。取り調べの様子を録音・録画した記録を法廷で明らかにし、任意性を立証するとした。
  また、事件の捜査責任者だった栃木県警の警察官も出廷。「遺棄現場から帰る途中に常磐道に乗った」と被告が供述した通り、遺体が見つかった05年12月2日未明、茨城県の那珂インターチェンジの料金所の防犯カメラに被告の車と同型の車が映っていたと明かした。(岩佐友)
朝日新聞社
ー・−・−・−・−・−・−・−・−
   世の中には、警察官というのは、市民に暴力をふるったりはしないものだと変な信仰をもっている人がいるようですが、決してそうではありません。 ↑のケースでどうだったのかは私は知りませんが、私自身、警察には複数回、暴行を受けて怪我をさせられたことがあります。 1992年には東京都 田園調布警察署http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/2/denenchofu/ 。 2011年には千葉県 千葉中央警察署https://www.police.pref.chiba.jp/police/police_department/chiba_c/ です。他にも怪我には至っていないが警察官から暴行を受けたことがあります。 2011年、千葉中央警察署 で怪我させられたものは、今も治りません。彼らは、自分たちが警察である限り、市民に何をやってもいいと思っているようですが、私は、そういう連中を許す気はありませんし、許して良いとは思っていません。 ↑の被疑者がこの事件についてどうであるかは知りませんが、警察の方は↑のように「黙秘すると警察官に平手打ちされた。・・・」といった被告弁護人が述べたようなことを十分にやる存在であり、こういったことは「警察がいつでもやってること」だと思います。
  

☆冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 
東京都 
亀戸天神社(江東区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201301/article_7.html
亀戸天神社 2回目 http://shinkahousinght.at.webry.info/201505/article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 http://shinkahousinght.at.webry.info/201602/article_10.html
中 http://shinkahousinght.at.webry.info/201602/article_11.html
下 http://shinkahousinght.at.webry.info/201602/article_12.html
北野神社(文京区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201303/article_2.html
平河天満宮(千代田区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201210/article_3.html
西向天神社(新宿区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201502/article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) 〔今回〕
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)http://shinkahousinght.at.webry.info/201312/article_5.html

千葉県
葛飾天満宮(市川市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201301/article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.http://shinkahousinght.at.webry.info/201511/article_1.html
2.http://shinkahousinght.at.webry.info/201511/article_2.html
3.http://shinkahousinght.at.webry.info/201511/article_3.html
意富比神社 末社 天神社(船橋市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 http://shinkahousinght.at.webry.info/201311/article_1.html
下飯山満神明神社 摂社 天神社(船橋市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201503/article_4.html
白井市(白井市河原子の)天満宮 http://shinkahousinght.at.webry.info/201303/article_5.html
千葉神社 摂社 千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)http://shinkahousinght.at.webry.info/201305/article_2.html
(下)http://shinkahousinght.at.webry.info/201305/article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201308/article_1.html

神奈川県
三渓園天満宮(横浜市中区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201303/article_8.html   永谷天満宮(横浜市港南区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201401/article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)http://shinkahousinght.at.webry.info/201504/article_2.html

岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_7.html
中 http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_8.html
下 http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_2.html
2村山天神 http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_3.html
3村山天神 http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_4.html
4あじめ峡、他 http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) http://shinkahousinght.at.webry.info/201510/article_7.html

京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_2.html
2 http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_3.html
3  http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_4.html
4  http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_5.html
5  http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_6.html
高台寺天満宮(京都市東山区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201511/article_7.html

大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_1.html
2.http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_2.html
3.http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_5.html
下 http://shinkahousinght.at.webry.info/201403/article_6.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) http://shinkahousinght.at.webry.info/201405/article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html

熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)http://shinkahousinght.at.webry.info/201406/article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)http://shinkahousinght.at.webry.info/201406/article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)http://shinkahousinght.at.webry.info/201406/article_8.html  

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
根津美術館(東京都港区南青山) 庭園内 「渡唐天神」(「天神の飛梅祠」)参拝−冤罪を晴らす神さま 慎腹風呂愚/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる