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zoom RSS 飛騨天満宮(高山市)上‐冤罪を晴らす神・菅原道真・怨念を晴らす旅(12)。松本家住宅。飛騨の家具館。

<<   作成日時 : 2013/09/27 00:25   >>

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[第202回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らす旅(12)【上】
【1】   今回は、岐阜県高山市天満町 の 飛騨天満宮です。
   年に1回程度、高山市に足を運ぶようになりました。 なぜ、高山に行くようになったかという経緯としては、私は住宅建築業の会社に長く勤務し、そこで顧客の相談にのりアドバイスできるように、又、インテリアコーディネーターの資格を取得する過程においても、日本の伝統的家屋として、農家や士族の家とともに町家についても学ぶようになったのですが、特に、居酒屋のチェーン店を展開している○ムニー株式会社の「Hの舞」などの店舗の内装デザインが、高山の町家を参考にしているらしく、特に高山については、同社の建設部にいた頃より関心を持ちだしたのです。
   それとともに、最初に高山に行った時、夜行バスで着いたすぐの朝、雨が降っていたのですが、日下部民芸館の近くの道を通っていた時、向こうから来たクルマが、歩行者の私を見かけ、道路上の水をはねあげて歩行者にかけないように配慮して道路の逆よりを通ってくれたことがあり、また、信号のない横断歩道で路線バスが止まってくれたことがあって、ここはいい所だなあと思う経験をしたということもあります。今回も、信号のない横断歩道でクルマが止まってくれることが何度もあり、うれしく思いました。
  東京の人間には関西嫌い・大阪嫌いの人間がいて、「大阪の人間はクルマの運転が荒い」と言ったりする者がありますが、私が歩行者として経験したものからいえば、雨の日、水たまりができているのにおかまいなしにクルマでつっこんで横の歩行者に泥水シャワーをあびせて平気なドライバーは大阪より東京圏の方が多いと思いますね。「東京者」の言う「大阪の人間はクルマの運転のマナーが悪い」とか言う悪口は嘘です。(今は、人もクルマも東京の方が多いということもあるかもしれませんが。)
  今となっては何十年か前、私の中学生の時の同級生で愛媛大学に行った者が、最初に松山に行った時、道を横断したいと思って見ていると、信号でもない所でクルマが止まってくれるので、「ここはいい所だなあ〜あ、松山の人ってなんていい人たちなんだろう」と思ったけれども、しばらく暮らしていると、それは単にそういう習慣であっただけで、いい人かどうかとは関係なかったと思うようになったと話していたことがありました。 私自身が福島県のいわき市に行った時、やはり、信号でもない所でクルマが止まってくれたので、同じように「ここはいい所だなあ〜あ、いわきの人っていい人だなあ〜あ」と思ったけれども、でも、いわき市にしばらく住んでいるうちに、私も信号でもない所でも止まるようになりましたが、しかし、それは、いわきのじいさんばあさんは信号も横断歩道もおかまいなしに渡るものだから、ひき殺すわけにもいかない以上、止まらなきゃしかたないから止まっていたのであって、別に私が人間性が向上したわけでも人格者になったわけでもなく、愛媛大に行った某君が松山の人っていい人だなあと最初は思ったけれどもそういう問題ではなかったと言ったのはそういうことを言っていたのかと思ったけれども、それにしても、歩行者がいる時に、できるだけ道路上の水をはねあげないように歩行者と逆側寄りを走るようにしてあげようと配慮するクルマが多い所、信号のない横断歩道で止まってくれるクルマが多い所、というのは、やっぱりいいと思います。 (日下部民芸館の近くについては、伝統的建造物群保存地区に指定されている地域で、伝統的建造物群保存地区は自動車の進入を控えてもらいたいという看板が立っていたりする場所であるということも多少あるかもしれませんが。)
  私は、今は千葉県に住んでいるものの、もともと大阪の出身なのですが、高山には東京よりも関西に近い“かおり”があるように思います。 今は、東京から松本まで高速道路があり、松本から高山まで乗鞍岳の北側をまわる道路があって、東京からバスでも自家用車でも行けますが、もともとは、名古屋や京都・大阪からは行けても東京からはかなり遠い場所であったので、東京よりも関西とのつながりの方が深く、高山市の在住の方と話をする機会があると、若い頃に大阪にいたことがあるといった話がでたり、私のような在東京圏関西人としてはなつかしさを感じるものがあります。

   それで、飛騨天満宮です。↓
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↑ 南側 鳥居
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↑ 社殿
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↑ 拝殿
  高山市の社寺としては、飛騨国分寺とか桜山八幡宮などの方が一般には有名で、『ことりっぷ 高山』(昭文社)には飛騨天満宮は記載がありませんが、なかなか立派な社殿です。 『わかりやすい天神信仰』〔1994.12.20.(株)鎌倉新書〕には「全国天満宮めぐり」のところに岐阜県で唯一掲載があり、「主要天満宮名簿」のところには5社掲載がある岐阜県の天満宮の1社として掲載されています。 《ウィキペディア―天満宮》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE にも「主な天満宮」のところに、岐阜県では5社掲載があるうちの1社として出ています。ウィキペディアには、《ウィキペディア―飛騨天満宮》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE  としても掲載があります。 高山市には、旧・国府町の高山市国府町村山にも、≪通称村山天神と呼ばれる≫天満神社がありますが〔《ウィキペディア―天満神社(高山市)》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%B8%82) 〕、飛騨天満宮とは別です。
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↑ 拝殿・弊殿・本殿にかけて。 南東側から見たもの。
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↑ 拝殿 東側から見たもの。
  拝殿は、かなり複雑な造りになっています。 本殿は北側隣地のすぐ近くに建ってっていますし、社殿を囲む垣根は、拝殿の横までとそこから北側とで違っています。 もしかして、本来は、この拝殿の北寄りの切妻屋根の部分が本殿で、それより前が拝殿の機能の部分で、それより後ろの弊殿と本殿は後から増築して「石の間」造りにして社殿を拡張したのだろうか・・・といったことも考えました。 しかし、この後、高山市で、これに似た構成の神社を見ましたので、この地方の神社の造り方なのかもしれません。
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↑  社殿の前の臥牛像は石を刻んで造られたものらしく、100周年だそうです。 保存のために屋根を作ってもいいかもしれません。

  菅原道真の霊(?)は清涼殿に雷を落とすなどしたことから雷神・風神・天神と結びつき、菅原道真≒天神 のようになりましたが、全国の「天神社」には、菅原道真とは特に関係のない天神社もあるといいます。 飛騨天満宮は、
≪ 延喜元年正月、時の右大臣菅原道真公は藤原時平の讒言にあい、太宰権帥(ごんのそち)に左遷され九州大宰府に配流となりました。公の三男文章博士菅原兼茂(かねもち)公も飛騨権掾(ごんのじょう)として国府近くの、この花里の地にちっ謫居されました。
  延喜三年、父道真公の死を聞いて悲嘆のあまり、この地にあった梅の木に自ら父の像を刻み道真公の御霊を迎えて祠を建立されたのです。
  延長元年、道真公をはじめ一族の無実が認められ、勅許を得て帰都の際、飛騨の里人にいつまでも祭祀を継続するように懇請され本官に復帰されました。これが塔天満宮の創建です。・・・
  代々、国司・領主の崇敬が厚く、天正年間には松倉城主三木自綱によって再建され、正保年間には領主金森重頼が病気平癒の報謝として社殿を造営しました。 また元禄二年には金森頼旹(よりとき)が再造営しました。 現在の本殿は平成四年に造営しました。 ≫ と「由緒書」にあります。 《ウィキペディア―飛騨天満宮》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE を見ると、菅原道真が大宰府で他界した「延喜3年」は、「903年」、菅原道真の三男 菅原兼茂が京都に帰った「延長元年」は「923年」のようです。 又、東側の入口には↓
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↑「飛騨天満宮」と書かれた石碑がありますが、南側の入口には↓
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↑「菅原神社」と書かれた石碑が建っていることから考えても、まず間違いなく菅原道真と関係のある天神社であると考えてよいと思えます。(写真はクリックすると大きくなるので、どうぞ、大きくして見てください。)

    ところで、↓
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↑  本殿の後ろ。 本殿と北側の駐車場との間のこの建造物は何でしょうか。↑
   北側の東よりは駐車場。北側の西寄りは1階が「菓子 かわむら」という店と2階以上がマンションというのかアパートというのかの駐車場になっています。 神社の社殿を押さえつけるように建つこの建造物は何ぞや。 神社をアパートから隠しているのか、アパートを神社から隠しているのか。
   アパートの住民としては、たしかに、神社の拝殿の正面側ならともかく、本殿の背後を、一時的にならともかく、年中見ながら生活するというのは違和感があると思います。  神社でも、社殿の背後に回るのをいいと考える神社と、背後にまわることをあまり考えない神社があるようで、大阪市の今宮戎神社では、≪ 「えべっさんは耳が遠い」「えべっさんはいつも眠っている」などの民間伝承があり、参詣者は拝殿前での参拝がすむと、右回りに本殿を回る。そして本殿裏の羽目板(現在は大きなドラが盗りつけられている)をトントンと叩いて、「えべっさん、頼んまっせ」など、直接声をかけながら祈る風習が、今も残っている≫と『古社名刹 なにわの庶民の心のふるさと 通天閣と天王寺 四天王寺 今宮戎神社 生國魂神社』(2010.1.19.集英社)に出ています。 天満宮でも、京都の北野天満宮では、≪少なくとも鎌倉時代には本殿内部の背面側に舎利塔(釈迦の遺骨を納めた塔)を祀っていた。参詣の人々は背面から舎利塔を拝したので、本殿背後の門は舎利門と呼ばれた。舎利塔は、明治時代の神仏分離で京都・常照皇寺(じょうしょうこうじ)に移されたが、北野天満宮では、背面からも拝む参拝形式が現在も続いている。背面からの参拝は霊場寺院にしばしばみられ、神社でも大阪の今宮神社などでみられる。≫と、『国宝の美23 建築7 神社建築2 厳島神社・日吉大社・北野天満宮』(2010.1.31.朝日新聞出版)所収の黒田龍二「北野天満宮 本殿、石の間、拝殿、楽の間 人を神として祀った最初の神社」に出ています。 (京都の北野天満宮の社殿背面の写真は、[第161回]《冤罪を晴らす神さま・菅原道真・北野天満宮・3―楼門・三光門・社殿(拝殿・弊殿・本殿・楽の間・脇殿) 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_4.html で公開していますので御覧くださいませ。) しかし、京都の北野天満宮では社殿の後ろからも拝むようになっていたとしても、この飛騨天満宮では、社殿をとり囲むように設けられている垣根は本殿のところでは直接に境界部分まで達しており、本殿の後ろから拝むようにはなっていません。 
   又、家庭の神棚というのは、鴨居の上くらいの場所に設けられている家が多く、仏壇の上に持ってくるのは好ましくないとする地域と、そうではなく、仏壇の上に神棚を設けるべきであるとする地域があるようですが、いずれにせよ、けっこう高い場所に設けられている家が多い。 しかし、それなら、鴨居の上あたりに持っていかないといけないのかというと、木質系住宅建築請負業のK住研にいた時に施主とともに訪ねた西日暮里の気学と家相の先生が言われる話では、そうではなく、人の眼の位置より少し上くらいに設けるのが最も好ましいのであり、鴨居の上あたりに持って行くのは、それは「じゃまだから上にあげている」のだというのです。 これも、その「家相の専門家」によっても説は違うということもあるでしょうし、地域によっても考え方に違いがあるのではないかと思います。 それで、もし、本来は人の眼の位置より少し高いくらいの場所であるべきであるが、「じゃまだから上の方にあげている」としても、「じゃまだから上の方にあげている」というのが、ケシカランかというと、そうでもないのではないかとも思うのです。 日頃、生活する際には、神さまには上の方から見守っていていただいて、特に、神さまにお願いしなければならない時に見上げて拝むということで、普段の生活の時でもいつでも、「神さん、神さん」と言う必要はないのではないか。 常に「神さん、神さん」と言わないからといって、不遜だということでもないのではないか。 キリスト教では「みだりに神の名を唱えてはならない」という教えがあるように、キリスト教以外の宗教においても、神さまにお願いしなくても自分で処理できるものは自分で対応すればいいのであり、普段の生活から何でも神さまにお願いして対応するのが敬虔というわけでもないのではないか、とも思うのです。そして、このアパートなのかマンションなのかの住民としても、神社というのは決して縁起の悪い存在ではないとしても、毎日四六時中目の前に社殿が見えるというのは、特に本殿の背面が見えるというのは、あまり、感じのよいものではないのではないかと思うのです。
   又、家相・地相として、神社やお寺、お墓といったものを「見上げる位置はよいが、見下ろす位置は凶相」と言われます。 この北側のアパートというのかマンションというのかは3階建か4階建てだったと思いますが、最上階の部屋からは神社を多少「見下ろす」ような感じになるのではないかと思います。それを考えると、神社との境界部分に「結界」ともいうべき構造物を設けた・・・というならわかるようにも思ったのです。この位置で分かれていますよ、見下ろしているわけではありませんよ、という意味で。
   そして、在来木造の I 工務店で他の営業が担当の家の上棟に参加した時、入社1年目の新人が、お施主様からの依頼で、上棟式で施主の家族が祭壇に拝んでいる状況の写真をとってほしいと頼まれて、できるだけよく写った写真を撮ってあげたいと思って、祭壇の後ろの位置から拝む人の顔の方に向ってカメラを構えたことがあったので、私は、それはやめた方がいいと思うと話したことがありました。 上棟式などの儀式というものは神聖なものであり、情景を記念にしたいと思って写真を撮影して悪い事はないでしょうけれども、撮影と儀式とどちらが大事かというと撮影ではなく儀式の方です。祭壇の後ろの位置から拝む人の顔の方に向ってカメラを構えるとなると、撮影している人間が、拝まれているような感じになってしまうと思うのです。 2階建以上の家の設計をする際には、神棚や仏壇の上は、できる限り踏まないように、神棚や仏壇の上には2階を設けないか、設ける場合でも真上の場所は押入れなどにして、常に人が通行する際に踏む場所とかトイレとかにはならないようにするか、それもできない時には、半紙に「雲」と書いて天井に貼るか、といったことが言われます。神棚は、家庭に常置する神棚に限らず、上棟式の時の神棚であっても、上棟式遂行時においてはその上の場所に人はいないようにするべきで、そして、神棚の後ろの拝まれる位置にもいないようにした方がいいと思うのです。 同様に、神社の社殿のすぐ後ろの位置の住居というのは、拝まれる位置であり、住宅の窓は南面は大きく開いていますから、常に、そこで「拝まれる」というのは、特別に悪い事をしているわけではないとしても、あまり好ましくはないのではないか。
  そういったことを考えて、「神社」とその背後の住宅及び駐車場との間に「結界」を設けた、というのが、この建造物か? と考えたのです。 なるほど、と。 しかし、この後、高山市の他の神社を見て、そういう理由のものではなかったようだと理解しました。 もっと、現実的な理由だったようです。 解答は、[第204回]の《・・下》 で述べます。 御覧くださいませ。 


  住所は、高山市天満町2丁目30番地。 「天満町」という地名はこの飛騨天満宮からついた地名でしょう。
  最寄駅は、JR高山本線「高山」です。 飛騨天満宮の東側に「天満神社前」というバス停があり、高山駅前の高山バスターミナルから、濃飛バスで3つ目のバス停で、「まちなみバス」でもバス停がありますが、わざわざバスに乗らなくても、十分歩ける距離です。
  日本には「小京都」とか「小江戸」とか名のる町が全国にいくつもあります。 栃木県の佐野と栃木は、いずれも、「小京都会議」だかと「小江戸サミット」だかとの両方に入っていて、いったいどっちなんだ、股ぐら膏薬みたいに、あっちついたりこっちついたりと、結局、どっちでもいいのかという感じもしますが、佐野にしても栃木にしても、古い街が残っているということを言いたいようで、実際残ってはいますし、特に栃木は特徴のある「蔵」が残っているのですが、今は、残念ながら、昼間は道路をクルマに占拠されてしまって、歩きやすい街ではなくなってしまっています。 それに対し、「小京都」とも言う人言う時は言っているらしい高山は、伝統的建造物群保存地区に指定されている所に限らず、京都同様、歩きやすい所が多い。これは、佐野や栃木がほとんどの道を昼間はクルマに占拠されて、又、多くの住民がクルマを使うことからもともとはあったバス便もなくなり、その結果、さらにクルマ利用に向って道路はクルマのものとなってしまっているのに対し、高山はクルマが主として通る道とそうでない道を分けて、クルマが主として通る道には必ず歩道か歩道のように人が通る部分が設けられていること、伝統的建造物保存地区がけっこう広い範囲で指定されていることから指定外の所でもそれに準ずるような街になっている、というところがあるかと思います。 飛騨天満宮までも十分歩いて行けます・・・・が、↓
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↑ これは、飛騨天満宮の東側の南北の道路で、飛騨天満宮よりも少し北で、南向きに撮った写真ですが、道路の脇の溝にふたをして、ふたの上が人の通る部分となっています。 これは、全国で見られる光景で、私が住んでいる千葉県船橋市でもこれ以上のものこれよりはるかに激しい程度のものをあちらこちらで見かけます。私の家の前の道にも、市役所で、U字溝にクルマが乗っても大丈夫なふたをして通れるようにすると言うので、私は「『クルマは道、人は溝』という考え方はおかしい。 溝の上というのは本来、通る所ではないはずで、街づくり、道路づくりを考えるにおいて、U字溝にふたをして、その部分が人の通る所にするという街づくり・道路づくりはやめてほしい。 この場所はそんなにクルマが多く通る場所ではなく、溝の上を人が通るようにする必要はない。溝の上も通れるようにすれば、今より人が通りやすくなるのではなく、人は溝の上を通ればいいとして今よりも通るクルマの量が増える可能性がある。 又、『体は元気な前期高齢者』は溝の上にふたをした所でも歩けるでしょうけれども、私の母のような体が不自由な後期高齢者は、溝の上にふたをした所というのは、こわくて歩くことができないのです。そういうことも考えて計画してほしい。」と話しましたが、「頑丈なふたで、いいかげんなふたと違って十分歩けるものですから」と言って施工しました。 たしかに、「ふたはふたでも十分歩けるふた」ではあるのですが、しかし、物事の考え方として、「クルマは道、ひとは溝」という考え方は、やっぱり違うと思いますし、道の脇のU字溝というのは、基本的には、道路上の雨水を流すところであって、接する家が樋からの雨水や浄化槽で浄化した生活排水を流し、ふたをしてひとが通れるようにして、本来の「道」をクルマに譲るための場所ではないと思うのです。そして、後期高齢者の母は、たとえ「頑丈な歩きやすいふた」でも、やっぱり、道は歩けても「ふたの上」は歩けないのです。 近所の「体は元気な前期高齢者」のおじいさんは「勝手なこと言うもんじゃない。ひとは溝の上を歩くもんだ。」と怒られるのですが、「体は元気な前期高齢者」が「体も元気でない後期高齢者」になった時にはどう言われるかと言うと、おそらく今と正反対のことを言われるようになるのではないかと思います。  そういう点で問題はあるとは思いますが、とりあえず、現役世代の人間が、1回、2回、行くには歩いて通れる道です。 又、高山の場合、もし、クルマの通行量が多くて歩きにくいと思える道があったならば、一筋ずれた通りを通るようにすれば良いので、歩くのに苦労しません。

【2】 松本家住宅
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(↑写真はクリックすると大きくなります。)
高山市上河原町125
≪ <建築時期>江戸後期  <特徴>切妻、二階建て、鉄板葺きほか。近世末の標準的町家の屋敷構えが完存。≫≪重要文化財指定民家≫
(藤井恵介監修『日本の家2 中部』2004.5.28.講談社)
≪ 1875年(明治8)の大火を免れた貴重な民家。煙草製造卸や薬屋などの商売を営んできた松本家の蔵では、商売道具などの展示を見ることができる。≫
≪ 切妻造りの2階建て、正面の小庇など、高山町家の原型が見られる。≫
(『ことりっぷ 高山 白川郷』2008.7. 昭文社)
   『ことりっぷ 高山 白川郷』に「高山で“ウワサ”のおいしいお店 こっそり教えます」というところに、「ヒラノグラーノ」という「風情ある町家で味わう石窯焼きピッツァ」の店が出ていますが、「松本家住宅」とひと続きの建物なので、そこでピザ店もされているのということでしょうか、『ことりっぷ 高山 白川郷』を見ると、「松本家住宅」は上川原町125 で、「ヒラノグラーノ」は上川原町124 なので、「隣の建物」なのか。 残念ながら、松本家住宅は公開されているものの、土日のみの開館で、ヒラノグラーノは、定休日であったので内部に入らせていただくことはできませんでした。 この写真で見ると、手前よりと奥よりでは奥の方がきれいに手入れされており、『ことりっぷ 高山 白川郷』では、奥の部分の写真が掲載されていますが、ひと続きの建物で、手前部分の前に松本家住宅の説明看板が立っているので、それを考えると手前から向こうにかけての全体が「松本家住宅」ということでしょうか。
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↑ 松本家住宅のすぐ東のあたりでの宮川。 「古い街並み」付近の宮川もいいけれども、この付近の宮川もなかなか素敵です。
[参考]《高山市 行政情報 松本市住宅》http://www.city.takayama.lg.jp/bunkazai/matumoto/ 
《レッツぎふ ピッツェリア ヒラノグラーノ 》http://g.lets-gifu.com/shop/index-1244.html


【3】 飛騨の家具館(飛騨産業株式会社)↓
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  飛騨地方にはえていたブナの木を使い、トーネットの曲げ木椅子などを参考にしての家具生産、戦後においては、建築の柱材などには適しても家具には不適とされてきた杉材の家具への使用、節のある木の家具への使用といった同社の歴史とそれぞれの時代の家具が展示されており、家具メーカーの施設といえども、すぐに購入するということでなく、「とりあえずは見学だけ」でも歓迎されます。 「飛騨の家具館」は、東京でも港区虎ノ門にあり、他、大阪、名古屋、福岡と北海道三笠市にショールームがあるようです。
飛騨産業株式会社 のホームページは⇒ http://www.kitutuki.co.jp/

☆  今回の飛騨天満宮 は上・中・下の三部作です。
中 [第203回]《飛騨天満宮(高山市)‐冤罪を晴らす神・菅原道真・怨念を晴らす旅(12)中。「天神」考察。居酒屋はいいかげん。》http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_8.html
下 [第204回]《飛騨天満宮(高山市)‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)下。高山市の白山神社。高山市役所。》http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_9.html

も合わせ、御覧くださいませ。
  (2013.9.26.) 


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