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zoom RSS 自分で努力する営業と自分で努力しない営業―福世武次『ちくわ売り』と「鍋蓋売り」ビデオに学ぶ営業基礎 

<<   作成日時 : 2013/08/16 11:54   >>

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[第193回]会社と営業の話(43) + 弁護士の白痴かげん。
【1】   小学生の時、大阪万博があった1970年(昭和45)頃に読んだ本で、ポプラ社発行日本ユーモア文学全集『三人の0点くん』(1969.8.5.)があった。 「小学中・上級向」とされた日本ユーモア文学全集全10巻のうち1〜3巻は≪日本の現代作家たちが書いた作品ばかりをあつめて、三さつの本をつくりました。≫(『三人の0点くん』所収、鳥越信「解説」)というもので、第1巻『三人の0点くん』は、13人の≪日本の現代作家≫の作品を1作ずつ掲載したものです。 『大ぼら』の鈴木三重吉、『お馬』の坪田譲二あたりは有名ですが、『三人の0点くん』の岡本良雄や他の作家は必ずしも有名でない人たちではないでしょうか。 もっとも、「ユーモア文学というけれども、むしろ、夏目漱石『坊っちゃん』や井上靖『しろばんば』・山本有三『路傍の意志』・壷井栄『二十四の瞳』など、有名文学者と言われる人の小説の方がおもしろい」というのが、その時、この本を読んだ後での正直な感想で、この本の読後、「小学生向き小説」として作られて発行されているものではなく、有名小説家の文学作品を読むようになりました。
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   この13作品の中で最も印象に残ったのが、福世武次(1915年生)の『ちくわ売り』でした。≪太平という少年を主人公にした連作長編『太平物語』の中の一編で、この太平は作者自身がモデルといわれています。したがって時代は戦争前の古い時代ですが、なにものにも負けず、強い正義感をもった太平のたくましい生き方がたえずなにかにぶつかっては事件をひきおこす、そのおもしろさが胸を打ちます。≫(鳥越信「解説」)というもののようです。福世武次についてインターネット上で検索すると、《JLogos 福世武次(ふくよ たけじ)》http://premium.jlogos.com/new2_result2.html?word=%25CA%25A1%25C0%25A4%25C9%25F0%25BC%25A1&id=10937416 に、≪大正4(1915)年8月10日〜■昭和期の出版人、児童文学作家...≫と出ています。

   12月29日の夕方、大きな木箱を運送屋が運んできた。 送り主は「宮城県塩釜市・・ かまぼこ製造卸 ・・中村半助商店」と書かれている。 3〜4年前、太平の父が商売を大きくした頃、かまぼこ工場にきた半助さんという若い職人が送ってきたちくわだった。 ≪「おい太平! こまったぞう。正月まで、あと二日しかないというのに――」 母は口をへの字にしてうなった。≫≪「・・いきなりこんなにたくさん委託よこしたって、元の山村商店なら、とにかくなぁ!」≫≪委託というのは、「どれだけでもいいから売ってもらいたい」といって、送りこんでくる品物で、委託されたほうでは売れるだけ売って、その代金を送ってやる方法なのだ。 半助がいたころの山村商店なら、ちくわの一箱ぐらい売りさばくのに、なんの苦労もなかったろう。けれどいまは、取り引き先どころか、かんじんの父すら家にいないのだ。≫ ≪「でも委託だったら、さしねがついてくるはずだろう?」 さしねというのは、一本いくらで売ってもらいたいという、むこうの希望ねだんのことだ。≫ ≪フタをぜんぶはずして、さがしてみたが、手紙もさしねもはいっていなかった。≫
   ≪あくる日、おひるごろまで待ったけれども、手紙はこなかった。「太平、こいつは、ぐずぐずしておれんぞ。さっきさかな屋の弥一さんにきいてみたら、いまちくわは、小売が一本、十銭くらいだそうだ。・・・」・・「この近所まわりは、おっかあさが売るから、太平はとなり町へいってみろ。さかな屋や料理屋じゃとっくに仕入れているだろうから、一けん一けん歩くより、しかたがない。」≫
   ≪・・大きなかごに古新聞をしき、その中にちくわをいっぱいつめてせおった。 西風がびゅんびゅん吹くなかを、うつむいたまま太平は、にげるように歩いて村はずれの橋の上まできた。≫ ≪やがて、となり町だ。 ・・・「ちくわは、いーらんかーのー。」・・けれど、三百メートルいっても、五百メートルいっても、だれも呼びとめてくれなかった。≫
   ≪「・・やっぱり、一けん一けん、戸をあけて、聞かなきゃ、だめなのかな。」 ・・気がひけて、しようがなかったが、太平は勇気をだした。二‐三げんやってみると、そんなに、はずかしくないことがわかった。けれど、どの家も、答えは同じだった。 「ああ、ちくわなら、きのう買った。」≫
   ≪町の真ん中まできたとき、さかな屋があった。・・太平は思いきって、はいってみた。「ちくわを買っとくれ、安くおろしていくから・・・」 おくから、むこうはちまきの、おやじが出てきた。 「どこのちくわだ?」 「塩釜のだよ。きのうついたばかりだよ。」 「なに、塩釜だ? とんでもねぇ、あんなところのちくわが食えるかよ。 あのな、小僧、よっくおぼえておけ、ちくわでいちばんうまいのは豊橋ものだ。かまぼこは小田原もので、そのつぎが焼津だ。焼津とここは目とハナの先じゃねえか。わざわざ塩釜のちくわを買うばかは、いねぇよ。くさりかかっていやがるんだろう。」≫
   ≪・・太平は町はずれの料理屋へ、また、思い切ってはいってみた。 目のつりあがった、おかみさんが出てきた。 ・・ひょいと一本とりあげると「ふ〜ん、いやにでっかいちくわだね。こりゃ焼津ものかい?」 それきた!と思って太平はすかさずいった。「いいや、豊橋ものだよ。」 いったとたんに、おかみさんは、ポーンとちくわを、太平のかごの中へほうりこんだ。「チェ、ばかにするもんじゃないよ。小僧のくせに。豊橋のちくわはね、この半分の大きさで、もっと色が白いんだ。こんなぶさいくなもの、焼津にだって、ありゃしない。」 ・・正直にいってもだめだし、ウソをいったら、すぐにばれるし、肩はちぎれそうに思いし、商売って、こんなにも、むずかしいものかと、つくづく思った。≫
   ≪町のうら通りには、子どもたちが、お手玉をしたりメンコをやったりして遊んでいた。(太平と)おなじ六年生くらいの、女の子や男の子がいるところは、どうも、きまりがわるくてとおりにくかった。 けれど、ふしぎなことに、うら通りの小さな家や、百姓家では、たいてい三本や五本は、買ってくれるのだった。 ・・・いいあんばいに、「どこのちくわだ?」と聞く人はいなかった。≫
   ≪だが、とちゅうで、とうとう日がくれてしまった。かごの中にはまだ三‐四十本残っている。 「しようがない。あしたにしよう。おっかあさが、うんと売っていてくれるといいが・・・・」 しかし帰ってみると、箱のちくわは、ろくにへってはいなかった。 「よわったなぁ太平、近所じゃ、みんな買ってしまったというし、あした一日でおしまいだ。」≫
   ≪あくる朝、太平が目をさますと、妹たちがまた、ぐずっていた。 「なあ、おっかあさ、いつ、ついてくれる?」「ゆうべから、なんどいったら、わかるのかい。おっかあさも、太平も、いま、それどころじゃないんだぞ。」「そんじゃ、ちくわをおくれよ。」 母は、とうとう美代の頭をひっぱたいた。「これは、よそ様のものだと、どれだけいったらわかる気だ! ・・・ひとの物を、一本たりとも、かじってみろ、どろぼうだぞ。いくらびんぼうしても、そんないやしい人間になったら、しまいには、こじきか、犬ちくしょうだ。」 ・・「美代、がまんしろ、おれが、きょうはいっしょうけんめい売って、一本くらいのこしてきてやるからな。」≫
   ≪「おっかあさ、きょうは、リヤカーで、この箱ごと持っていってみる。」・・ 物おき小屋のすみっこに、もう三年も前からほうりこんである古リヤカーだ。さびすぎて、くず屋さえ買っていかず、タイヤはボロきれっみたいになっている。・・ となり町にはいると、「うぁーい、ボロッちいぞ、あのリヤカー。」 道ばたで遊んでいた子どもたちが、わいわい笑って石をなげた。でも太平は、かまっているひまなんかない。≫
   ≪きのう、まわり残した家を、ぜんぶまわって、山のふもとまできてしまったが、ちくわは、まだ半分もへらなかった。 ・・とおりかかったじいさんに太平はきいてみた。「このおくにも、家があるかの?」「そうだな、この坂をのぼっていくと、とちゅうに村がある。そこはもう、となり村だがちっとは売れるかもしれん。だが、そんなにたくさんはなー」 それでも、太平は行ってみるより、しかたがない。・・・
  「ちくわは、いらんかのー」・・・ ふっと、ふりむくと、リヤカーのまわりに、おかみさんや子どもたちが、だまって立っていた。「このちくわ、一本いくらだい?」 かみをボシャボシャにしたおかみさんが聞いた。 「一本十銭だけど、みんな買ってくれるなら安くしとくよ。」「ああ、安くすりゃ、みんな買ってやる。どうだい七銭にしときな。」 箱ごと、みんな買ってくれるなら、七銭でもいいと思った。 「ああ、それじゃ、七銭にしておこう。そのかわり、みんな買っておくれよ。」「そうかい、それなら、みんな買っておやりよ。」 おかみさんがそういうと、おとなも子どもも、ふところから新聞紙やさらをとりだした。 「おれに三本」「わしに二本」「おらぁ一本でええ。」  太平はあっけにとられた。 みんなというのは、箱ごとみんなではなくて集まった人たちが、みんな買ってやるということだったのだ。つぎつぎと買ってくれたが、みんながいってしまったあと、まだまだ木箱の底は見えなかった。・・・≫
   ≪ ようやく坂をのぼりきり、ふーと、いきをついたとたんに、ハッとした。坂の上はいちめんの茶畑で、人家は、とおくの林のかげなどに、ポツリポツリと、あるだけだ。・・・ 太平は決心して、茶畑の中の一本道を、どんどん歩いていった。・・自転車にのった青年にあった。 「この道は、どこへいくだかの?」「まっすぐいけば金谷町だ。左へいけば菊川町。」・・太平はまっすぐに進んだ。・・・この町の人たちは、となりの町の人たちよりも、もっと、ぶあいそうだった。いくら「いらんかのー」ときいても、聞こえないのか、返事さえしてくれなかった。 ・・とうとうある店先で、太平は思い切り、大声でどなった。「ちくわは、いーらーんかーのーっ。」すると、おくのほうから、「やかましいやいっ。」 われがねのような声でどなりかえされて、おもわず五十メートルばかり走ってしまった。≫
   ≪ 腹がへってきた。だんだん寒くなってきた。「ああ、このちくわ、一本だけ食べようかな。」と思った。けれど、すぐそのあとから、「人さまの物に、手をつけるじゃない。どんなにびんぼうしたって・・・」そういって泣いていた母の顔が、うかんできた。 「ちくわは、いらんかのー。」とさけんでみるのだが、もう、その声にも、力がはいらなくなった。≫
   ≪ 太平が、いちばんさいごに、立ったのは、町はずれの一ぜんめし屋だった。店先に、頭がツルツルにはげ、ダルマのように、目をギョロリとさせた、じいさんが腰かけていた。 「小僧、ちくわだと、見せてみろ。」 どうせだめだろうと思ったが、太平は、一本だしてわたした。 「ふーん、いくらだ。」「八銭だけどな、もう、まけとくよ。」「どこからきた?」 太平はドキッとした。また「どこのちくわだ」と、きかれたのだと思ったからだ。 「・・・・・」「てめぇ、いえないのか。」「・・・・・」 太平が、まごついていると、ダルマさんはいきなり大声をあげた。「まさか、きさま、ぬすんできたんじゃ、あるまいな!」 「なにっ。」 とたんに太平は、カッと目をむいた。「ふざけるないっ。びんぼうしたっておらぁまだ、このちくわ一本、手をつけちゃないんだっ。」 いまにも、じいさんを、はりとばしそうなけんまくだった。 「ほほー、すごい小僧だな、きさま。うちはどこだって、きいてるんだ。」「新村だ。」「なに、新村だと? 遠州の新村か?」「そうだ。」「だれときた。」「ひとりだい。」「おどろいた小僧だな、山をこえて五里(約二十キロ)の石ころ道を、そのボロリヤカーをひっぱってきたのか?」「いらんおせわだい。」太平は、さっきのことばが、しゃくにさわってたまらないのだ。 「ワハハハハ・・・、小僧! まあ、そうおこるな、おれがわるかった。なんでまた、こんな遠くまで、きやがったんだ。」「売りにきたんだい。」「そうか、売れたか?」「売れねぇー。」「どこのちくわだ?」 もう太平は、ウソをいっても、しようがないと思った。・・・きのうからのことを、みんな正直に話した。 にらみつけるようにして、だまってきいていた、そのダルマさんは、話しおわっても、じっと太平をみつめていた。 「そうか、よしわかった。それじゃ、箱ごとここへおろせ。おれが、ぜんぶ売ってやる。」 そういうと、おくへひっこんだ。・・・・なんだか、きつねにばかされているような気がしたが、とにかく、いわれるとおりに箱をおろした。するとまもなく、さかな屋のような男の人たちが三人やってきた。 「大将、いま、電話をありがとう。」「ああ、ご苦労さん。このちくわだがな。たしかに三陸ものだが、さかながなかなかええ、焼きもうまい。むこうじゃ極上ものだな。どうだい、これなら一束、九貫なら、いけるじゃないか。」 ダルマさんは、さっきわたした一本を、三つちぎって三人にわたした。男たちは、それぞれにおいをかいだり、ながめたりしていたが、「うん、これなら九貫は、なかま相場だ。」 太平は、とたんに、「しまった!」と思った。小さいときから、父の商売を見聞きしていた太平には、この人たちのことばは、よくわかった。一束というのは百本のことで、九貫は、九円だ。このちくわは三陸ものでも上等品で、さかな屋なかまの卸値でも一本九銭はするというわけだ。(えらいことをしてしまった。きのうから、一本八銭から、安いのは七銭くらいに売ったのもある。もし半助さんが、一束九貫のさしねをよこしたら、どうしよう―) ・・・かぞえてみると、ちくわはまだ百八十本も残っていた。太平は、一本七銭五厘のかんじょうで箱ごとわたすことにした。・・「おじさん、ありがとう。大きくなったら、お礼にくるよ。」・・・ 「まて、あついそばを一ぱい、ごちそうしてやるから、あったまってかえれ。」・・「おらあ、ええ。いそいで帰らんと、うちで心配するからな。」「そうーか、そんならいそいで帰れ。だがな、小僧、おれのいうことを忘れるな。てめぇは、えらい人間になるぞ、きっとなる。おれは六十年、いろんな人間を見てきたが、おれが、こいつとにらんだ目に、くるいはひとりもなかった。てめぇが、えらいものになるころにゃ、おれは死んじまってるだろうが、このじじいのいったことを忘れるな。がんばって、どえらくなるんだぞ!」 ≫
   ≪ 太平が家に帰りついたのは十一時すぎだった。「どうした太平!」リヤカーの音をききつけて、母がとびだしてきた。・・・・「・・・あのな太平、きょうおひるころになって、半助さんから、こんな手紙がきた。かんべんしてくれろー。」 母がすまなそうに、さしだした半助さんの手紙には、こんなことが書いてあった。 「長い間、ごぶさたして申しわけありません。わたくしもいろいろ苦労しましたが、おかげで、ようやく店も大きくなり、ことしは工場も一むね新築しました。あたらしい工場でつくったちくわ一箱、おせいぼのしるしにお送りします。」 「えっ、そんなら、あれだけ、みんな、くれたのかい?」太平は、ヘタヘタと、土間に尻もちをついてしまった。・・・「かんべんしてくれろ太平。これが三年も前なら、ちくわの一箱くらい、おせいぼにもらっても、びっくりするはずもなかったのに、びんぼうしているうちに、わしは、すっかりトンマになってしまった。・・・」 ・・・ 「・・・一本のちくわも食えなかったが、そのかわり、これだけの金をもって年をこすんだ。夢みたいな話だなー。」母は、そういって、さみしそうに笑った。・・・≫  
・・・・・というお話です。 私が小学生の時、営業・商売に関して読んだ初めての小説でしたが、いつまでも心に残りました。

   営業・販売・商売についての話ではあるけれども、その方法について語ったものというより、少年の苦労を語ったものという性質ではあるが、営業の基本、本質をも語っています。
   最初、勇気をだして大声で「ちくわはいらんかのー」と叫ぶ。 次に、思い切って1軒1軒訪ねる。料理屋や魚屋にも訪ねる。本当の産地を正直に話すがうまくいかず、いいと言われた産地のものだと嘘を言うが逆効果になるという経験をする。 そうった経験を積んで、少しずつ学んでいく上達過程が描かれているという面はある。
   もっと大きな面として、「自分で努力して売る」「自分で努力して売ろうとする」という点が描かれており、最後に「ダルマさん」が、全部売ってやるという気持ちになったのも、ちくわの物がいいということもあるが、小学校の6年生の太平が、苦労して自分で売ろうと努力しているのを見て、協力しようという気持ちになったのであろう。
   私は住宅建築の営業を20年少々前から始めたが、それ以来、「自分が売り手である時に買い手の気持ちを考える。自分が買い手の時に売り手の気持ちを考える。」ようにしたし、意図的に考えなくても自然と考えるようになったが、実は、「自分で努力して売る」「自分で努力して売ろうとする」姿勢のある人とない人というのは、買い手は感じ取ることがある、買い手にはわかる時がある。 「自分で努力して売る」姿勢のない人というのは買い手にとって感じ悪い。だから、「自分で努力して売る」「自分で努力して売ろうとする」というのは営業の基礎・基本であるが、「自分で努力して売る」「自分で努力して売ろうとする」という姿勢自体が営業力でもある。

【2】   今から8年ほどまえ、千葉県のリフォーム会社 Wホームに中採で入った時、いったい、どこから仕入れてきたのか、なんだか、花登筐の小説にありそうな話のビデオを見せられた。近江(滋賀県)の大店(おおだな)の息子に生まれた小学生くらいの男の子の話である。
   親戚のおじさんが語る場面がある。「おまえ、『大店の跡取りになる』ということの意味を勘違いしていないか。大店の跡取りになるというのは、人より楽していい思いをさせてもらえるということではないんだぞ。誰よりも苦労して誰よりも努力して、人がしないような我慢をするということなんだぞ。わかっとるか。」と。
  小学校のある年齢になった時、この店の伝統として跡取りになる息子がやってきたこととして、鍋蓋を行商で売りに行かされる。いきなり鍋のふたを買ってくれと言っても買ってくれる人は多くない。彼は、隣町の親戚の家を訪ねる。そこなら、昔から自分をかわいがってくれた家だから買ってくれるだろうと思って。そう思って行くが、「○○ちゃん。悪いけれども、買ってあげるわけにはいかないわ」と断られる。鍋蓋売りをやるように指示した叔父だったかは、その話を聞いて「さぞかし、つらかっただろうなあ」と語る。子供は「ほんまや。せっかく、あんなに遠くまで歩いて行ったのに買ってくれへんて、ほんまにつらかったわ」と言う。「あほか。おまえのことと違うわ。」と。子供がはるばる訪ねてきたけれども、そこで親戚の情から買ってやったのでは本人の為にならないと断るのがつらかったであろうし、よく断ってくれたという意味である。そして、彼は、他人さまになんとか買ってもらおうと努力する・・というお話で、そこの社長は、いったい、どこでこのビデオを仕入れてきたのか知らんが、なんか花登筐の小説にありそうな話だと思った。
 
  ということで、
営業の基本 :  自分で努力して売る。
・・・と文字にすると、何をあたりまえのことを、という感じがするが、上記の話をふまえた上でのこととすれば、けっこう意味深いものではないかと思う。

[1]  建築の住宅の営業、不動産の住宅の営業 の世界では、昔から「ポスティングは自分でやらないとだめだ」と言われてきた。 ポスティングというのは、チラシを戸建住宅やマンションの郵便受けに入れることで、誰でもできるようにも思える行為で、アルバイト・パートに頼んでもいいという考えもあり、又、そういう作業を何枚入れていくらと請け負ってやっている業者もある。しかし、相当の数を入れたいという時に、営業が自分でもある程度以上入れて、それにプラスしてアルバイトの人やそういう作業を請け負ってやる業者に頼むのは考えられることで、又、ポスティングできる量よりも多く印刷してしまい、配布期限ぎりぎりになって配りきれない部分を、頭を下げて会社の他部署の人に協力を頼むとか、営業が自分の嫁さん(だんな)や子どもに協力させるとかはやって悪いことはないと思うが、最初からひとにやってもらうというのは良くないと思う。自分自身で入れたものから見込客がでてくれば、まず、それがうれしいし、その見込客がでる為にどれだけ努力をしたかということを考えると、あだやおろそかにはできない。決して粗末にはできないという気持ちになる。自分がある程度以上、自分自身でやっておれば、ひとが入れてくれたチラシからでた見込客であっても、どれだけありがたいかが理解できるし、協力してくれた人に頭を下げたい気持ちにもなる。それを自分でやらない者は理解できないようだ。

  2011年の2月のこと。私が勤めてきた千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング有限会社(建設業)に、比較的近い地域に住まれている高齢の男性が訪ねて来られた。 「20年前に建売住宅を購入したが、その時の業者の対応が納得いかない」という話であった。20年前のことを言ってもかなり難しい。 また、その業者は、新華ハウジング(有)の関連会社でもない。 その方は、すでに息子の代になっており、申し訳ないけれどももう高齢で判断力も十分になくなり、20年前に悔しい思いをしたという気持ちだけ残っているという印象だった。その方に、最初に会ったのは、社長の○○川だった。 再度、訪ねて来られた時、私も一緒に会ったが、社長の○○川は、今すぐ、新築なりリフォームなりの仕事を頼みたいという話ではないということで邪けんに扱って帰してしまった。その時の○○川の態度を見て「この人は社長だなあ」「この人は、社長の営業だなあ」と思った。その方が新華ハウジングに来られたのは、何の原因もないのに来られたと思っているようだ。だから、その時、新築なりリフォームなりを頼みたいという話でなければ、さっさと帰ってもらった方がいい思ったのであろう。だが、違うのだ。その方が住所と言われた場所は、私が「どのようなことでもご相談ください」と書いた新築・リフォームのチラシを作成してポスティングをした地域なのだ。それで、来られた可能性が低くないのだ。物事には原因があって結果がある。社長には、自分でも従業員と同じようにポスティングをやる社長と、社長はやらない社長があって、○○川さんはやらない人間なのだ。だから、なぜ、その方が来られたかわからないのだ。私が最初から継続して対応できておれば、カウンセラーとして、その時、収入をいただける仕事になるかならないかにかかわらず、ともかく、相談に乗らせていただき、人間関係を形成したと思う。その後、その方の息子さんから「うちの親が世話になったようだ」ということで、たとえ簡単なリフォームでも、同じ事ならあの人の所に頼もう、同じ事ならあの会社に頼もうと思ってもらえれば良いし、又、友人知人で新築する人があるという時に紹介してもらえれば最高、そうでなくても、会社の知名度認知度・評価が幾分なりともあがればその後の営業がしやすくなるということで、決して邪けんにするようなことはしなかった。「私は社長ですから、従業員のように働いたりはしませんよ。勘違いしないでくださいよ」と言う社長は、従業員と同等もしくはそれ以上に働く社長とは感覚が違うのだ。自分でポスティングをする者は、会社を訪ねてくる人があった時、あのポスティングが効果があったのだろうか、駅前でのチラシ配りが効果があったのだろうか・・、何が効果があったのだろうといったことを考える。自分で作業をしない人は、天から降って来たか地から湧いてきたかのように思うのだ。

[2]   2010年10月頃のこと。新華ハウジングの建築中現場で、建物の構造の写真を私が撮影し、これをブログに入れてみるかとも考えていた。 会社に戻ると、同僚のKが私に「○○さん、建築中現場で撮った写真をください。私のブログに入れますから」と言うので驚いた。自分で撮った写真を使わずに、ひとが撮影したものを横取りしてブログに使うという、その根性はマナーに反するものであるし、本人はこれまで住宅の営業をやってきたと自称しているが、住宅の営業をやってきた人間が、その業界に勤める人間のマナー・協調性として、そういうことを言うかと疑問に思ったが、まあ、いいわと思ってXDピクチャーカードを貸してあげた。 そうすると、彼はどうしたか?  知りたいと思いませんか? おもしろいですよ。
   私は、新華ハウジングの構造建築現場で、ここはアピールできるとか、ここは他社と比べて特別に良いわけでもないがツーバイフォー工法をよく知らない人には説明してあげれば喜んでもらえるだろうと思えたものの写真も撮ったが、同時に、こりゃまずいぞ! この施工は早いうちになんとか対処しないと問題がでるぞと思える箇所の写真も、社長なり工事責任者なりに指摘して対処しないといけないと言うために撮影していた。自分で、どこがアピールできるか、どのように説明するかを考えて自分で写真を撮影せず、ひとが撮った写真をブログに入れようとしたものぐさKは、私が撮影した写真のうち、アピールできる写真の方ではなく、こりゃまずいぞ、これはそのまま見込客に見せるわけにはいかんぞ、という写真の方をKのブログに入れて公開したのだ。Kは自社の現場の欠陥の写真をわざわざ公開したのだ。なんとも、おもろいもん見せてもろた。自分で考えて撮影せず、ものぐさしてひとが撮った写真を使ってやろうとする男がやると、そういう結果になるのだ。 又、私は杉山英夫『デザイナーのための木構造』(彰国社)・『地震と木造住宅』(丸善)などを何度も読み返して構造について理解する努力をしてきたが、Kはそういう努力をしていないので、私が、これはそのまま見込客に見せるわけにはいかんぞと思った部分の写真を見ても気づく能力がなかったのだ。 
   ひとが撮った写真を横取りして使えば、その分、労力が省けるようにみえて、実はそうではないという例である。

[3]   在来木造の I 工務店にいたとき、ある営業所(展示場)で、営業用の販促ツールを何人かで作ったが、その作成に協力した人と協力しなかった人がいたそうだ。協力しなかった人にも、使っていいことにしたらしいが、実際には、そのツールに関しては、そのツールを作る努力をした人は使いこなすことができたけれども、作成に協力しなかった人は使いこなせなかったという話を聞いたことがある。そんなものだろう。

[4]  伊藤光雄氏が『驚異のセールストーク』(こう書房)で、セールストークは自分で考えるもので、自分で考えたものであるからこそ使えるといったことを述べておられた。ひとが考えたセールストークでも、それを自分なりに考えかみこなして自分のものにして使うのなら話は同じではないし、新卒新人には、最初は、先輩が考えたセールストークを使わせてあげても悪くないとも思うけれども、基本的には伊藤氏の言うように「セールストークは自分で考えるもの」であろう。 

[5]   2011年4月初めのこと。新華ハウジングに、「この会社は、住宅を建ててくれる会社ですね。」と言って訪ねてきた男性がいた。驚いたことに、その1日前に入社したばかりの、社長○○川S二の妻で、後に不動産部門の会社ビルダーズジャパン株式会社の代表取締役になる○○川◇華の友人だということで縁故入社した30代前半の女性T口が、先輩社員の私をさしおいて勝手に接客した。T口が入社2日目のことである。 住宅建築請負業の営業の世界においてはありえない行為である。 「男なら殴られる行為」である。「『男なら殴られる行為』だからといっても、だからといって殴ってよいものでもない」としても、「『男なら殴られる行為』であっても、女を殴るわけにもいかない」としても、 ∴(ゆえに)、「女は『男なら殴られる行為』を次々と堂々とふんぞりかえって行う権利がある」かというと、そうではないはずだ・・が、縁故入社のT口はそれを理解できない。
   世の中には、「弁護士というのは世間一般の人間より賢い」とか思っている人がいるらしい。昔、東大法学部では「講義を1列目で聞いている者が大蔵省(今の財務省)、2列目で聞いている者が通産省(今の経産省)で、後ろの方で聞いているのが厚生省とかで、講義をさぼって遊んでいるやつが民間企業で、司法試験現役合格で裁判官・検事・弁護士になる者は講義なんぞ聞かずに図書館で勉強している。」というお話があった。 それを聞いたときは、そうかいなあくらいに思ったが、実際には、大学の講義というのは一番前が聞きやすいわけでもないし、この話はあんまり現実的ではないと思う・・が、東大法学部では、司法試験現役合格で裁判官・検事・弁護士→国家公務員1種で大蔵省(財務省)など→国家公務員1種で厚生省など→地方公務員1種、及び、民間企業 という“格付け”みたいなものがあったようだし、民間企業より国家公務員を志向する人が東大法学部に行くという傾向もあったのではないかと思う。
   私が小学生の頃、どの先生か忘れたが、先生から「物は使えば減る。但し、頭だけは使えば使うほど増える」と言われ、だから、勉強しなさいよと言われた記憶がある。しかし。弁護士やっている人間を見ると、実際のところ「司法試験に合格するための勉強に頭の大部分を使ってしまって、他の部分については、世間一般の人間に比べてはるかに白痴」みたいな人間が少なくない。「こいつら、絶対アホや!」と思わされることが少なくない。司法試験合格までの学習以外のことを「知らない」だけではなく、弁護士というのは、説明してあげても理解する理解力・思考力が、世間一般の人間よりも格段劣っている。
   2011年4月2日に来場された見込客は、結果としてはKの知り合いの他の住宅会社に勤務している男Nが紹介した見込客であったのでKが担当することになり、住宅会社の営業が自分がその会社で担当した見込客を他社や他社の営業に紹介して良いかどうかという点(⇒[第155回]《住宅建築業の営業は見込客を他社に紹介して良いか悪いか についての一考察 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201301/article_5.html )他問題はあるが、担当はKになってよかった。しかし、縁故入社であろうが、しろうとの新人が先輩社員をさしおいて勝手に接客するということが、住宅営業の世界で許されるかというと許されるものではないのである。 「『男なら殴られる行為』であっても女は平気でおこなう権利がある」かというと、そんなことはないのであるが、新人類というのか異星人(エイリアン)というのか、普通なら理解できるはずのことを理解しない女だった。
(1) 私が入社した時、会社の前の駐車スペースには雑草がはえゴミがちらかっていた。私が雑草を抜き、ゴミをひろった。 福島第一原発事故の後には、自宅からデッキブラシを持ってきて路面をこすった。
(2) ここで営業をやってるぞ、と周囲の人に認知してもらう為、私が意図的に水撒きをおこなった。他の者は誰もやっていない。
(3) Tはあって当たり前と思っているが、ここで営業やってるぞ、と近隣の方に認知してもらう為、私がA型看板を取り寄せ、そのなかに入れるポスターも私が作成した。私が入社した時点ではA型看板はなかった。
(4) Tはあって当たり前と思っているが、近隣の方や通行人の方が会社の入口付近まで気軽に近寄ってもらえるように、又、ここに新築とリフォームをおこなっている会社があると認知してもらえるように、会社入口横に清涼飲料水の自販機を私が手配して設置した。
(5) 付近の住人にそこに新築とリフォームの会社があることを認知してもらう為、私が、JR「蘇我」駅や京成「大森台」駅前でチラシやポケットティッシュを配った。
(6) 近隣の住宅に、新築とリフォームをおこなっており、何でも相談してもらいたいというチラシを、私が、ポスティングし、家の前に住人がおられる場合は話しかけてなじみになる努力をした。他の者はやっていない。
(7) 近隣の商店に、私が挨拶に顔をだし、リフォームなりなんなりあれば声をかけてほしいと話をした。他の者はやっていない。
(8) Tはあって当たり前と思っているが、私が入社した時、新華ハウジングには、ホームページもなかった。 新築部門をUが作り、リフォーム部門を私が作った。
(9) インターネット上に、無料で入れることができる業者検索サイトがいくつかあるが、Tはあって当たり前と思っているが、私が入社した時、新華ハウジングは、入っていないものが多かった。私が片っ端から入れていった。他の者はやっていない。
(10) 住宅や建築に関しての話題をブログに入れ、会社の認知度と評価をもあげる努力もした。他の者にはできないことである。
(11) 千葉県インテリアコーディネーター協会の会員紹介欄にも、会社名を入れて認知度のアップに貢献した。そういった資格団体に入っているのは私だけであり他の者にはできない。
(12) なんらかのイベントや見学会・販売会の際には、その見学会・販売会だけを目的とするのではなく、会社の知名度認知度アップも目的としてポスティングなどおこなってきた。私が最も多く貢献しているはずである。
(13) 会社はクルマの通行量が多く、かつ、踏切が近くにあって停車したり減速したりすることが多い場所にあるので、車道に向けて会社名を大書きした看板を設置するべきだと何度も何度も建言した。 言うたびに「考えときます」とはぐらかされたが私が建言した。 建築現場には会社名を大きく書いた看板を設置するべきだとも建言したが、これも何度言っても「考えときます」とはぐらかされたが私が建言した。 私が自費で合板と杭を購入して建てたものもある。
(14) Tはあって当たり前と思っているが、新華ハウジングの会社にある住宅設備機器のカタログはその大部分は私が千葉市内の各社ショールームを訪ねてもらってきたものである。
(15) 私が入社した時点では、新華ハウジングの会社封筒は、会社名を書いただけのものであった。私が、会社名だけでなく、住所・電話番号・ホームページのURLくらいは載せるべきだと建言し、前のものよりは改善された。Tは改善された封筒があって当たり前と思っているようだがそうではない。
この他にも、先輩社員の私が相当に努力をし労力を払ってきた結果として、私が入社した時点ではなかったものが、私が入社した時点に比べれば相当にそろってきたのであった。 ということは。会社を訪ねて来てくれた見込客があったとすれば、当然、そういった努力をしてきた先輩社員が接客するもので、入社して2日目のしろうと新人が勝手に接客するなどはもってのほかなのである。
   カネのことを言うとしても、住宅建築請負業の営業、不動産業の営業の給与は、「基本給+歩合給」の会社、「完全歩合給」の会社、「固定給」の会社があり、「基本給+歩合給」の会社が最も多いと思える。 新華ハウジングに私は「住宅営業」として入社したが、新華ハウジングは「基本給+歩合給」ではあったが、その「基本給」部分が「基本給+歩合給」の制度を取る住宅建築業の会社の相場から考えて極端に低かった(安かった)ので、実質的には「完全歩合給」に近いところがあった。又、クルマの費用はガソリン代・オイル交換代と任意保険代の一部分を会社が出すという所が多いが、新華ハウジングはガソリン代を月あたり制限を設けて出していただけで、任意保険代は出さなかったので、それらを出す会社に比べると「フルコミ」の営業に近かった。 そういう会社の営業にとっては、「見込客は飯のタネ」で、それを、それまでに何の努力もしていない何の労力もはらっていない入社2日目のしろうと新人に奪われたのではたまらないし、普通、そういうことをする新人はいない。特に男ではいない。私が住宅建築請負業の会社に最初に入った1980年代の終わりにおいては、住宅の営業は、夜、客宅に訪問して商談する仕事であるということもあって男性の仕事で、女性の営業を採用する会社は少なかった。建築業の性質として、営業・工事・設計等は厳密に分かれているわけでもなく、職人でなくても、建築現場に行って人が重い物を運んでいるという時に従業員が見物するわけにいかない仕事であり、その理由でも「男性の仕事」であったが、最近は女性の営業を採用する会社が増えてきた・・が、T口さんのように、「女には『男なら殴られる行為』を行う権利がある」と心の底から思っている人、「女には『男なら殴られる行為』を行う権利がある」という信念を持っている人に入社されると、周囲の男性社員は迷惑である。
   2011年2月にも、ある程度大規模なリフォームについて、電話で問い合わせがあり、電話を取った社長の妻の中学生の時からの友人ということで事務員になっていたO竹が工事担当のU草にまわしてしまったが、本来は、インターネット上のサイトに会社の情報を入れるなどの努力をしてきた私に回すのが筋である。 「基本給+歩合給」「完全歩合給」の会社においては見込客は「めしのタネ」であり、それを奪われるというのはカネを奪われるのに近いものである。 T口は「完全固定給」として、私などがある程度以上契約をあげることができた場合の金額を何もしないうちからあらかじめ盗っていた。 そうなると、「ある程度以上契約をあげた場合の歩合給部分」も先に受け取っているのであるから、勤務時間内であろうがなかろうがそれだけの努力をしないといけないことになる。 そして、見込客をあげるための努力を、私がやってきたことと同様、もしくは、その延長上のことをやらないといけないことになる。それをやらないなら接客する権利はないし、見込客がないなら契約客もでないし、「歩合給部分も含めた額の固定給」を受け取る権利はないことになる。
   ところが、ここに一つの問題点がある。 徳島市の株式会社フィット(http://www.fit-group.jp/ )と提携して「フィットのやり方」というものを社長の○○川が採用して、「フィットのやり方」としてT口には固定給とした・・ようだ。 そして、同じ会社に「完全歩合給に近い[固定給+歩合給]」の者と「完全固定給」の者がいると、社長・経営者としては「完全固定給」の者に契約を取らせたい気持ちになるらしい。 「基本給+歩合給」の者が契約を取ると歩合給を払わなければならないのに対し、「固定給」の者の契約ということにすれば、あるいは、工事担当者のU草の契約とすれば、歩合給を払わなくていいことになるからだ。 しかし、そうなると、「完全固定給」の者が、会社の評価を上げる努力もせず労力も払わず、見込客を出す努力もせずに、接客させてもらえば、会社は歩合給を払わずに契約を取得することができる・・ということになるかというとそうでもない。 先輩社員が努力し労力を払ってきたおかげでできたものを前提として仕事をして、何の努力もしていないしろうと新人が接客させてもらえると思いあがっているような者に契約が取れるかというと、取れないと思う。 自分で見込客を出す努力を自分でしないで、勝手に接客する者に成果を出せるかというと出せない。
   この話を、ある弁護士にしたことがある。そうすると、彼は「どうしていけないんですか。いいことじゃないですか。入社したばかりの者が積極的に接客するというのは、ほめることでしょう。どこがいけないんですか。さっぱりわからないですね」と言ったのだ。 アホだ! こいつは、と うんざりした。 そもそも、弁護士というのは、なぜ、アホのくせしてえらそうにしているのだろうか? そして、多くの弁護士が言うのだが「弁護士は忙しい」て。 大工だって左官屋だってクロス屋だって忙しいわ。家庭の主婦だって忙しいわ。弁護士でなくても忙しいわ。勝手なことぬかすな。
   建築の住宅の営業であれ、不動産の住宅の営業であれ、見込客を出す努力・労力があって、そして、そこから契約客を出す努力・労力が必要となる。その見込客がどういう経緯で来場された人であるかにかかわらず、それまで見込客を出すための努力をしてきた先輩社員をさしおいて入社2日目のしろうと新人が勝手に接客するなどというのは、「男なら殴られること」というより、「おまえ、殺されるぞ!」という問題である。エンコ入社だからといって許される問題ではない。ひとが努力・労力を払って出した見込客を横取りするのが「どこが悪いんですか。立派なことじゃないですか。どこが悪いかさっぱりわかりませんね」などと言う者は、そういう事を言う者のアタマが悪いのである。

   私が新華ハウジングに入社してしばらく、新華ハウジングではポスティングをするにしても、輪転機で単色刷りか2色刷りにするしかなかった。 コピー機にカラ―コピーの機能はあったが、カラ―コピーは高いので、社長の○○川がカラ―コピーは使わないでほしいと言い、同僚のKは必要でもないものにカラーコピーを使っていたが、私は社長が言う以上使わなかった。 それが、エンコ入社のTが入ると、○○川は、印刷屋に頼んできれいなカラ―印刷のチラシを次々と印刷した。 そして、本来、T口がポスティングするべきものを、工事部の人間などに時間外に無賃労働でポスティングをさせ、T口は「子供があるんだから先に帰って当然でしょ」と言って、おのれは定時ぴったりに帰った。
   それで、うまくいくかというと、普通はうまくいかない。 最初は気づいていなくても、だんだんと、これはおかしいと従業員が気づくようになった。 誰もが不満を口にするようになった。それでも、最初に人にやってもらった女は、やってもらって当然と思っていて、そして、それを口にした。 この会社を良くしようとせっかく私は努力尽力してきたけれども、これでは、この会社はうまくいかないだろう・・・と思っていると、今、倒産の手続きをやっている。
   営業の能力。
  「あしたのために、その1」 : 自分で努力すること。

   先輩社員が努力・尽力してきたところに入社して、何の努力もしていないしろうと新人が、平気で先輩社員をさしおいて接客するということは、その人間は、そこまでにどれだけの努力がなされたか理解できていないということである。 それがどこが悪いかわからないという者は白痴である。
   自分で努力して、ちくわをなんとか売ろうとして、ある程度は売れたが、なかなか売れずに苦労した太平に「ダルマさん」が「てめぇは、えらい人間になるぞ、きっとなる」と言って売ってくれたが、先輩社員の努力・労力があってその状態までなった会社に、入社早々、何の努力もしていないしろうとが先輩社員をさしおいて接客してやろうなどと考えるバカ者、「『男なら殴られる行為』でも女は殴られない権利がある」と信念持っている者というのはその逆だ。ろくな者にならないと思う。営業なら、ろくな営業にならないだろう。 経営者はそうならないように、きっちりと注意しないといけないが、経営者自体にその能力がない場合は、“ダメのスパイラル”に陥る可能性がある。だからかどうか、新華ハウジングは倒産の手続きに入った。

   「新人でも自分は実力があると認識しているから先輩社員をさしおいて接客したのと違うのですか」と言う者もいるようだが、それはありえない。私は在来木造の I 社で、中途入社で入社してそれほど経たないうちに、その地域でトップか準ずるくらいの成績、全国でもトップクラスの成績を残す人を何人か見てきた。たいてい、そういう人は同業他社などでの経験者であるが、そういう人が入社早々その会社では自分より古くからいる人をさしおいて勝手な接客をするかというと、しない。そのようなことはせず、実績を残そうとするものだ。実績を残せば、誰もが認めざるをえなくなる。それまでその場所で努力してきた人を尊重すること、営業のルールを守ることというのは営業の能力のうちです。実績も残さずに先輩社員をさしおいて入社2日目に勝手に接客する女(男)というのを私は初めて見ましたが、実力のある人間の行為でない、経験のある人間の行為でないのは明らかです。

   茨城県高萩市に畳職人の職業訓練校に付設された畳工芸美術館がある。(《いばらきもの知り博士―畳工芸美術館、茨城県畳高等職業訓練校》http://www.pref.ibaraki.jp/hakase/info/24/ )1990年代の後半に見学に行った時、そこに「教えて相手が理解しなかったものを『教えた』とは言わない」と書かれたものがあった。自分が指導する側になった場合、そう認識して対応するべきだということだと思うが、Tさんのような素直さがない人は教えようがない。在来木造のI工務店にいた時、大工の世界では、態度の悪い新人がいると、上棟で梁の上に上がって来た時に柱をぶつけて下に突き落とすとか、下に来た時に上から物を落としてやるとかしたものだ、とベテランの大工から聞かせてもらったことがある。 T口さんのような人をわからせるには、そういうことでもするしかないのかもしれない。(T口の場合、「男にやらせればいいんだ」と言って、手伝わずに、部屋中入って座ってコーヒー飲むから、それもできないかも。)私は体育会流の「殴ってわからせる」というのは好きではないが、Tさんのような人には、殴る人がいてもそれは暴力ではなく親切ではないかと思う。私は「殴る役」やるのは嫌なのでやらないけれども・・となると、誰もが同じことを思うかもしれないが。
   (2013.8.16.)

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