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zoom RSS 北野天満宮5―菅原道真と競合する神様。京福電鉄 今むかし。「西院」駅の怪。+ 間違った福沢諭吉像理解

<<   作成日時 : 2013/02/03 18:30   >>

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[第163回]
   怨念を晴らす旅・冤罪を晴らす神さま・菅原道真・第4回・北野天満宮 5部作その5  です。

   北野天満宮のホームページの「ご由緒について」http://kitanotenmangu.or.jp/goyuisho/ を見ると、「ご神徳について」として、
農耕の神 ・・・・雨を降らす雷を古代人は天神として崇めた。・・
正直・至誠の神  
冤罪を晴らす神
学問・和歌・連歌の神
渡唐天神
芸能の神
厄除の神
と出ています。

   遣唐使の廃止を建言した菅原道真を「渡唐天神」と評価するというのはどういうことかと思ったら、≪室町時代、禅僧の間で、文学神として菅公の信仰が広まった。 京都の東福寺開山聖一国師が宋から帰朝、博多の崇福寺に住した時、菅公が出現、禅を問うた。国師が「我は入宋して仏鑑を師と仰いだ、この人に参禅するように」と答えると、菅公は即日、仏鑑にまみえ、衣鉢(奥儀)を受けたという説話≫からだそうな。

   武光誠 著・株式会社夢の設計社 企画編集『日本人なら知っておきたい神道と神社』(2007.1.10.河出書房新社)には、
≪ いまでは、天神社を学問の神と考えている人が多いが、中世の天神社は商公民の神であった。農村から離れて新たに都市にあつまった商公民の集団は、農耕神を祀る共同体にくわわることができなかったために、新たに自分たちの守り神として天満宮を起こしたのである。 ・・・≫
≪ 菅原道真が活躍した時代は、中央で藤原氏による独裁体制が確立したことにより、貴族の専制が志向されつつあった。 それにたいし、地方では、村落の小領主である武士や農村の秩序の外にある商工民が成長しつつあった。菅原道真は、そのような実情をふまえて地方の人びとのためになる政治を行おうとし、藤原氏に憎まれた。 ≫と書かれています。 藤原時平らによる菅原道真の右大臣解任と大宰府への左遷は、単に、藤原時平・仲平・忠平の「学問ができることから宇多天皇に評価された道真に対する嫉妬」というものだけによるのではなく、菅原道真他の藤原北家以外の者をとりたてることによって藤原北家の権力を弱めようとする宇多天皇とそうさせまいとする藤原北家との争い という問題とともに、「村落の小領主である武士」や「農村の秩序の外にある商工民」の支持を受ける菅原道真と貴族専制の藤原氏との支持層の違いによる対立という性質があったと考えるべきでしょうか。

≪   そして、道真の怨霊騒ぎがはじまったことをきっかけに、武士商公民が道真をまつりはじめた。そして、平安時代末期に八幡信仰が流行し、武士が天神に代わって八幡神をまつるようになった。それ以降、天神が商工民の神とされたのだ。
   江戸時代に、稲荷信仰七福神信仰などの新たな福の神の祭りが広まったことによって、天神と商公民とのつながりは後退していった。
   それとともに、幕府の保護を受けた朱子学者の天神信仰がさかんになった。かれらは、道真の詩文を読み、道真をすぐれた詩人や儒学者として尊敬したのである。
   この動きがもとになって、明治時代以降に、庶民のあいだにも天神を学問の神とする考えが広がっていった。
と書かれている。
   どうも、人間には、万人の神ではなく、自分たちの神 を欲しがるところがあるようで、菅原道真も、武士・商工民の神⇒商工民の神⇒朱子学者の学問の神⇒一般人にとっての学問の神 と支持層が変化していったということでしょうか。 
   商人の神としては、武士の神としては本来は鉱産・鍛冶の神であった八幡神が「競合」になり、商人の神・商売繁盛の神としては稲荷とか恵比寿(えべっさん)が「競合」になったようです。
   学問の神としては、関東では小学校の校庭に二宮尊徳の像が設けられているところが今もあり、二宮尊徳が「競合」になっています。
   厄除けの神としては、栃木県佐野市の佐野厄除け大師(春日岡山惣宗寺)(http://www.sanoyakuyokedaishi.or.jp/ )で元三大師(良源)を祀るように元三大師(良源)が「競合」になっているところがあるかと思います。関西地域での厄除けでは、兵庫県西宮市に「門戸厄神」があり、「門戸厄神」駅という阪急今津線の駅名にもなっているが、これは寺か神社かどちらだろうと思っていたら、高野山真言宗別格本山の松泰山東光寺という寺で(「門戸厄神」ホームページ http://mondoyakujin.or.jp/ )、愛染明王と不動明王が一体となった厄神明王さまが祀られているそうです。「もんとやくしん」だとばっかり思っていたのですが、「ウィキペディア―門戸厄神東光寺」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E6%88%B8%E5%8E%84%E7%A5%9E%E6%9D%B1%E5%85%89%E5%AF%BA や「ウィキペディア―門戸厄神駅」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E6%88%B8%E5%8E%84%E7%A5%9E%E9%A7%85 を見ると、いずれも、「もんやくん」と濁ってかなが書かれています。
   芸能の神としては、弁財天が「競合」になっているでしょう。
   農耕の神としては、アジスキタカヒコネノミコトを祀る神社なども「競合」でしょうか。

  もっとも、最近では、神社もお寺も「平和共存」というのか、「競合」「競争」関係ととらえるのではなく、霊場巡りとして、両方に拝めばご利益も倍増・・・と「協力」の関係となってきているようにも見受けられます。 まあ、行きたいところへ行って悪いことはないのですから。

  商売繁盛の神としては、東北地方から関東にかけては、「神さま」ではないが、仙台四郎という人の写真というのか絵というのかを店にかかげているところをよく見かけます。
※「仙台四郎」を知らない方は、
「ウィキペディア―仙台四郎」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%9B%9B%E9%83%8E
「仙台四郎の画像」 http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%9B%9B%E9%83%8E 参照。

   学問の神としては、やはり、「神さま」ではないが、学問を奨励した人として福沢諭吉の墓参りをしたり、生誕地を訪ねたりする人があります。そういった行為が重なった結果として「神社」となった神社もあるのかもしれません。
   もっとも、福沢諭吉は神さまではなく、神さま扱いされるのは心外でしょう。 最近、慶應義塾が出している「塾」という冊子に、日吉の新図書館の前にできた福沢諭吉の中途半端な大きさの像に、「足をかけたり肘をついたりすると留年すると言われる」などと書いた愚か者がいましたが、おそらく、福沢の著作も伝記も1冊も読んでいない者が書いたのでしょう。 慶應義塾という学校には昔から福沢諭吉の著作や伝記を1冊も読まずに「福沢精神」などと叫ぶのが好きという人が少なくないし、そういう人間に限って「福沢精神」と矢鱈と口にしたがる傾向がある。 別に、足をかけろなどと言うつもりはないが、福沢諭吉の像といっても、あくまで像であって福沢自身ではないし、福沢諭吉という人が自分の像に足をかけられたとか肘をつかれたとかいうようなことで留年させてやろうなどと考えるようなそんなしみったれた人であったかどうか、よく考えてみるべきではないかと思う。ばかばかしいにもほどがある。 昔、「朝日ジャーナル」(朝日新聞社)に、慶應義塾大学には、留年しそうになった時に、それを防ぐ方法としての最後のウルトラCがある、と書かれた記事があったのを見た。教授の家に一升瓶を持っておしかける、というのがあり、福沢諭吉の墓参りをする、というのがある。しかし、それより強力なものとして、「三越本店の前に座っているライオンの像に、三越本店の開店時間中に人が見ている前でまたがると留年しない」という話がある、と書かれていた。 私は、東京 日本橋の三越本店まで行って、そのライオンを見てきたが、その説明書きによると、「人が見ている前でまたがると留年しない」ではなく、「人に見られずにまたがることができれば願いがかなう」で、実際には、人通りの多いところなので、人に見られずにまたがることは簡単ではないのである。誰が考えてアレンジした話かわからないが、なかなかおもしろいし、センスも悪くないと思う。 ・・・さすがに実際にやった人間を見たことはないけれども・・・。 「福沢諭吉の像に足をかけたり肘をついたりすると留年する」などというくだらない話を創作する愚か者は恥を知れ、と言いたい。というより、福沢の著作やある程度以上まともな伝記を読んで、福沢がそういう人間かどうか考えてみなさい、と言ってやりたい。つくづくばかばかしい。 かつて、1991年にソビエト連邦が崩壊した時、モスクワなどでレーニン像を倒して足で踏みつける人の姿が写っていて、その時、スターリンやブレジネフだけでなく、レーニンまで否定するのかと思ったが、レーニン像を踏みつけていた人というのは、レーニンの著作をじっくりと読んだ上でそこでレーニンが述べていることを否定して踏みつけていたのか、そうではなく、「何かとレーニンの名前を出して言うことをきかされるという状況」というものを足で踏みつけたいほど否定したかったのか、いずれかというと、おそらく後者の方ではないかと思うのだ。 慶應義塾というところにおいては、福沢諭吉の著作や伝記を1冊も読まずに、それでいて、「福沢精神」だのなんだのと言って自分たちの側の主張をきかそうとする人たちが少なからずいたし、おそらく今もいると思う。 福沢の名前を出すことによって「言うことをきかす」という態度は福沢が喜ぶ態度ではないと思うのだが、そういうことをやりたがる人がいる。 かつてのソ連においてはばかでかいレーニン像が多く建てられ、ペテルブルク(ピョートル大帝の都市)をレニングラード(レーニンの都市)と都市の名前を変えたりしたが[「ピョートル」はピョートル大帝の名前であるとともに、イエスの弟子ペテロの名前でもあるので、サンクトペテルブルク(聖なるべテロの町)という名称であれば、必ずしも、ピョートル大帝の時代への反動を志向する名前とも言えないでしょう。]、レーニン自身は、自分にせよ他の者にせよ、個人の名前を町の名前につけたり、個人の像を立てて崇拝するような姿勢はとるべきではないとたしか述べていたはずである。 福沢の著作や伝記を読みもしない者が「塾」という冊子において、「福沢の像に肘をついたり足をかけたりすると留年する」などという愚かな主張をする者は、レーニンを偶像化して、「レーニンの名前を出して、言うことをきかせる」ということをおこなってしまった人たちとともに間違った態度をとっているといわざるをえない。 もしも、「福沢の名前を出して言うことをきかせる」ということがおこなわれるならば、そういう像は倒された上で足で踏みつけられることになる可能性もあり、そうでなくても、踏みつけてやりたい気持ちになる人が出てくる可能性があるが、それは福沢諭吉の思想や行動とは別の問題である。「福沢の像に肘をついたり足をかけたりすると留年する」などというばかげた話を広めようとしている人というのは、決して福沢諭吉とその思想を大事にしている人ではない。 『聖書』には「みだりに神の名をとなえてはならない」という規定があるが、慶應義塾において、「みだりに」福沢の名前を出す者というのは、「みだりに神の名をとなえる」者と同様に要注意であると思う。
※三越本店の前のライオンの像を知らない方は、
→「三越」ホームページ「三越本店の歴史再発見 ライオン像」http://www.mitsukoshi.co.jp/store/1010/history/list02.html をご覧ください。
[ 「学問の神」としては、他に、幕末の吉田松陰を祀る東京都世田谷区にある松蔭神社http://www.shoinjinja.org/ も、吉田松陰を学問を奨励した人として祀っているようです。(2013.12.22.]

  北野天満宮境内の「長五郎餅」はなかなかおいしかった。 「長五郎餅」のホームページhttp://www.chogoromochi.co.jp/shop01.html を見ると、≪営業日 毎月25日 その他、北野天満宮での行事のある日≫と書かれているが、25日ではなかったが開店していた。

  今回は、京福電鉄で帰りました。最近では、「嵐電(らんでん)」(http://randen.keifuku.co.jp/ )と言うらしい。
  京福電鉄の北野線は、等持院・龍安寺・妙心寺・御室仁和寺と有名大寺院の駅名が続き、駅名を見ているだけでも聞くだけでもわくわくします。
   ↓ これは、京福電鉄「帷子の辻(かたびらのつじ)」駅に停車中の(右)北野線、(左)嵐山線 の電車です。
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(↑ クリックして大きくすると、電車の行き先表示が読めます。左が「四条大宮」、右が「北野白梅町」。電 クリックして大きくすると車の前についている丸の札に「映画村」とかかれたのも見え、さらに、+マークでクリックして拡大すると、その上に「東映太秦」と書かれているのが見えます。)
  私が子供の頃(1970年前後)は、もっと素朴な電車が走っていた京福電鉄もずいぶんと近代的な感じになったものです。
  私が子供の頃は、国鉄(現・JR)山陰線に「太秦(うずまさ)」という駅はなく、京福電鉄(嵐電)嵐山線の「太秦広隆寺」駅は「太秦」という駅名でした。駅の目の前にある広隆寺は弥勒菩薩像が有名で、見学に行ったことがありましたが、その頃と違って、今は、「太秦広隆寺」駅に到着すると、同駅の近くに東映・太秦映画村(http://www.toei-eigamura.com/ )があることから、テレビドラマ『水戸黄門』のテーマソング(歌詞はなし)が駅名アナウンスのバックミュージックとして流れるようです。
※「水戸黄門」のテーマを知らない人はあまりないとは思うけれども、もし、知らない方は、
→「YouTube- 水戸黄門主題歌 「あゝ人生に涙あり」 初期ver. (歌詞付き) 」https://www.youtube.com/watch?v=IhDHkB-GQhg 参照。
  もしかすると、水戸黄門(徳川光圀)も、冤罪を晴らす神さまとして「競合」になるかもしれませんね。
「助さん、格さん。懲らしめてやんなさい。」と懲らしめなければならない警察官・検察官・裁判官・弁護士・裁判所職員は相当にいそうですね。 「助さん、格さん。 もう、いいでしょう。」とはなりそうにないですね。

  「帷子の辻(かたびらのつじ)」とは、なんともいわくありげな名前ではないかと前々から思っていたのですが、「ウィキペディア―帷子の辻」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B7%E5%AD%90%E8%BE%BB を見ると、≪檀林皇后は・・・自らが深く帰依する仏教の教えに説かれる、この世は無常であり、すべてのものは移り変わって、永遠なるものは一つも無い、という「諸行無常」の真理を自らの身をもって示して人々の心に菩提心(覚りを求める心)を呼び起こそうと、死に臨んで、自分の亡骸は埋葬せず、どこかの辻に打ち棄てよと遺言した。 遺言は守られ、皇后の遺体は辻に遺棄されたが、日に日に腐り、犬やカラスの餌食となって醜く無残な姿で横たわり、白骨となって朽ち果てた。人々はその様子を見て世の無常を心に刻み、僧たちも妄念を捨てて修行に打ち込んだという。皇后の遺体が置かれた場所が、以後「帷子辻」と呼ばれた場所である。・・・・「もともと帷子辻は、こうして自らをなげうって人々の魂を救済しようとした檀林皇后の遺志の源であったはずであるが、その後この辻を通りかかると、犬やカラスに食い荒らされる女の死体の幻影が見えると恐れられるようになった」との解釈もあるが・・・≫といった記述がある。 もっとも、今の「帷子の辻」駅には≪女の死体の幻影が見える≫ということはなさそう。ちょっと、電車が近代的になりすぎて残念なくらい。

  かつて、私が子供の頃(・・・という表現をすると、なんだか歳いってしまったような感じがしてしまうが)、京福電鉄は京都と福井にあった。 また、京都にも、西側と北東側にあった。
  京都と福井にあって、名前が京福電鉄ということは、阪神電鉄が大阪と神戸、京阪電鉄が京都と大阪、京浜急行電鉄が東京と横浜、京成電鉄が東京と成田を結ぶように、また、湖西線ができる前まで走っていた江若鉄道が浜大津―今津間の近江の国でしか走っていなかったけれども名称として今津の北の若狭とを結ぶという意味での名称であったように、京都と福井を結ぶつもりの電車なのかな・・と思うと、あまりそういう路線の走り方をしていないが、京都と福井を結ぶつもりで両端だけできていると思っていた人もあったようでしたが、「ウィキペディア―京福電気鉄道」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E7%A6%8F%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93 を見ると、≪配電統制令により、京都電燈が配電事業を関西配電(関西電力の前身)・北陸配電(北陸電力の前身)へ、発送電事業を日本発送電へ譲渡し解散するのに伴い、同社の京都(嵐山線・北野線・叡山線)と福井(越前電気鉄道線)での鉄軌道事業を引き継ぐため1942年に設立され、同年中に傍系の鞍馬電気鉄道・三国芦原電鉄が合流した。≫と書かれており、京都の鉄道と福井の鉄道の経営母体が同じであったということで、京都と福井を結ぼうという考えではなかったようです。 その京福電鉄が、ふと気づくと、嵐山線と北野線の京都の西側の線だけになっていました。 もっとも、京都の北東の路線は叡山電鉄に、福井の路線はえちぜん鉄道に変わったのであって、廃線となったのは福井の永平寺に行く路線のみのようですが、ずいぶん、変わりました。
   私が子供の頃に、(1)「一度、乗ってみたい」と思って乗ることができた後に廃線になった路線、として、阪神北大阪線 の 中津―野田阪神 間。  (2)「一度、乗ってみたい」と思って乗る前に廃線になってしまった路線、として、阪神北大阪線 の 中津―天六(天神橋筋6丁目)間、 近若鉄道、 国鉄篠山線、などがありました。 (3)一度乗ったことがあって「もう一度乗ってみたい」と思っているうちに廃線になってしまった路線、として、野上電鉄  があります。 それに対して、京福電鉄の嵐山線、北野線 は、(4)「一度、乗ってみたい」と思って乗って今も存続している路線  ですが、但し、私が子供の頃とは、京福電鉄嵐山線も北野線もずいぶんと変わって、近代的なきれいな電車になったのが、いいようなさびしいような・・・・。

   さて、「西院駅の怪」について述べます。 間違い探し? 
↓の写真2枚、どこが違うでしょうか?
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↑ 上の写真は、京福電鉄嵐山線の「西院」駅のプラットホーム上の掲示、 下の写真は阪急電鉄京都線の「西院」駅のプラットホーム上の掲示です。
   はてさて、同じ字で、阪急の駅名が「さいいん」、京福電鉄の駅名が「さい」 はて? はて? さて?
   私は小学生の時、四条大宮駅で阪急から京福電鉄に乗り換え、京福電鉄の「西院」駅に電車が着いたとき、駅名表示のふりがなに「さい」と書かれているのを見て、「ありゃ」と思ったのでした。阪急の梅田駅とか十三(じゅうそう)駅での京都線の当時の急行の停車駅のアナウンスでは、「さいいん」と言っていたはずなのです。ところが、京福電鉄の駅に着くと「さい」とふりがなが書かれているのです。 「ありゃ」。 で、思ったのです。 その当時の京福電鉄は今よりもっとひなびた感じの電車と駅であり、駅名表示板の材質も木かホウロウであったように思うのです。 だから、きっと、「さいいん」の後ろの2文字がかすれて消えたのだろう。 それで、大阪の人間なら、「なんじゃ、こりゃ。 さっさと書きなおさんかい。」と怒るところでも、京都の人は大阪の人間ほどがっついていないので、「いん」がかすれて消えても寛容に文句言わずにいるのだろう・・・と思ったのです。 ところが、今現在、「嵐電(らんでん)」という愛称で近代的な電車が走っていて、駅名表示も最近作られた新しいきれいなものであるにもかかわらず、「さい」 とふりがなが書かれているのです。 それだけではない。 電車内のアナウンスでも、「次は、さい」・・・て。 あやうく乗り過ごすところだった。 「さいいん」で乗り換えるつもりでいたのであり、「さい」だか「かば」だかの駅で乗り換えるつもりじゃなかったのだ。 それで、子供の頃の私の認識は間違っていて、梅田駅や十三(じゅうそう)駅で停車駅のアナウンスとして聞いたものは聞き間違いだったのか・・・と思って、阪急の「西院」駅に入ってプラットホームに行くと、「さいいん」と書かれているのだ。 何、これ? もしかして、かば にばかされた? 
   で。 こんなときこそウィキペディア・・ということで、インターネットで検索すると、「ウィキペディア―西院駅」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%99%A2%E9%A7%85 に出ていました。≪駅名の表記は両社とも同じだが、阪急が「さいいん」、京福が「さい」と読む。所在地付近の現在の地名は「さいいん」だが、中世には「さい」という発音が一般的であった。 「さいいん」という発音が普及したのは、 1928年(昭和3年)に開業した新京阪鉄道(阪急電鉄の前身)が一般的な読み方の「さいいん」を採用して以後のこと。この他、地元では両者を混同したような「さいん」・「さあいん」などという発音が聞かれることもある。≫だそうな。 あ〜、よかった、かばにばかされたんじゃなかった・・・。

   ということで、今回はこれまで。

☆ 「怨念を晴らす旅・冤罪を晴らす神さま・菅原道真」シリーズは、
第1回 平河天満宮(東京都千代田区)
  [第140回]《冤罪を晴らす神様・菅原道真を祀る 平河天満宮に行ってきました。》http://shinkahousinght.at.webry.info/201210/article_3.html
第2回 葛飾天満宮(千葉県市川市)
  [第154回]《葛飾八幡宮・葛飾天満宮(市川市)訪問〜冤罪を晴らす神様・怨念を晴らす神様・菅原道真・第2回 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201301/article_4.html
第3回 亀戸天神社(東京都江東区)
  [第157回]《亀戸天神社 訪問〜冤罪を晴らす神さま・菅原道真・第3回、及、エスカレーターの不合理》http://shinkahousinght.at.webry.info/201301/article_7.html
第4回 北野天満宮(京都市上京区) <5部作>
   その1 [第159回]《北野天満宮へ行くはずが、なぜか妙心寺に来ちゃった?  天神御旅商店街と丸太町通り円町花園間 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_2.html 
   その2 [第160回]《円町駅から北野天満宮へ〜天神通り〜文子天満宮舊址・西の京瑞饋神輿保存会・奥渓家住宅・百鬼夜行資料館 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_3.html
   その3 [第161回]《罪を晴らす神さま・菅原道真・北野天満宮・3―楼門・三光門・社殿(拝殿・弊殿・本殿・楽の間・脇殿) 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_4.html
   その4 [第162回]《冤罪を晴らす神さま・北野天満宮・その4  文子社・火之御子社・地主神社・老松社 他 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_5.html 
 で、今回が、北野天満宮 5部作 その5 です。
ぜひ、他の回もご覧下さいませ。

※ 北野天満宮のホームページは http://kitanotenmangu.or.jp/
  「ウィキペディア―北野天満宮」は http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8E%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE  で見ることができます。

    (2013.2.3.)
 

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