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zoom RSS ゴキブリ絶叫女は許容すべきか否定すべきかの考察、及、営業に必要な「垢落とし」が可能か不可能かの問題。

<<   作成日時 : 2012/06/07 00:31   >>

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〔第102回〕〔営業と会社の話(25)〕
    〔第62回〕《男性社員にゴキブリ処理をさせる方法、もしくは、「営業力のある女」と「ない女」〜営業と会社の話(8)》http://shinkahousinght.at.webry.info/201109/article_2.html に、2012.5.27.ニックネーム「通りすがり」様からコメントをいただきいました。ご意見ありがとうございます。
    
    そこに指摘されている2点について。
[1]  ≪電車の中で痴漢にあったという若い女性が、満員電車の中で、その男性に対して「いったい、何を考えているんですか。周囲の人の迷惑を考えなさい。」と怒鳴りつけていたということがあり、それに対して、投書していた、その痴漢にあった女性よりも年配の女性は、その若い女性に対してあきれてしまったというのである。 確かに痴漢は良くない。しかし、その痴漢をした男性が迷惑をかけたのは、その若い女性に対してであり、周囲の人に迷惑をかけているのは、満員電車の中で大声を張り上げてどなり散らしているその若い女性の方であり、「周囲の人の迷惑を考えなさい」というのは、その男性ではなく、その若い女性の方が言われなければならないことであるという内容≫を、その若い女性よりも年配の女性が、たしか、「朝日新聞」の「声」という欄に述べていたことを〔第62回〕《男性社員にゴキブリ処理をさせる方法、もしくは、「営業力のある女」と「ない女」〜営業と会社の話(8)》http://shinkahousinght.at.webry.info/201109/article_2.html  で述べました。
    それに対して、「通りすがり」様から、≪その痴漢の周囲に偶然いた男性達からしたら痴漢ほど迷惑な存在は無いですからね。何かの間違いで自分らに火の粉が降り注いでいた可能性だってある訳です。≫というご指摘を受けました。 電車の中で痴漢をされると、周囲の男性も、犯人と間違えられる危険があり、その点で、周囲の人間も迷惑を受けているというのは、 たしかに、そういう面はあると思います。
    そういう面はあるとは思うのですが、しかし、やはり、痴漢をした人が直接に迷惑をかけているのはその女性に対してであり、あまりにも大騒ぎをするのであれば、その女性が周囲の人に迷惑をかけているという状態になる可能性というのも、また、考えられるわけです。 刑法上、犯罪とは、「構成要件に該当し、違法、かつ、有責な行為」とされています。「違法」でなくなるケース、「構成要件に該当し、有責である」けれども、違法でない、「違法性阻却事由(いほうせいそきゃくじゆう)がある」として、犯罪ではないとされるケースとして、「正当業務行為」と「緊急避難」があげられます。「正当業務行為」は、たとえば、ボクシングの選手が試合で相手を殴っても、相撲取りが本場所の土俵で相手を投げ飛ばしても、それは犯罪ではなく、「傷害罪」「暴行罪」に問われないとされる、などがそうです。(朝青龍が、すでに土俵に倒れていいる稀勢の里にひざ蹴りをくらわせたり、すでに土俵を割っている稀勢の里に、さらに張り手を2発お見舞いしたりしたのは、「正当業務行為」ではないことになります。タイソンがホリフィールドの耳にかみついたのも「正当業務行為」ではありません。 〔「ニコニコ動画―タイソン耳噛み事件ダイジェスト」http://www.nicovideo.jp/watch/sm10494561 〕 内藤戦の亀田大毅がサミングの反則をおこなったり、投げ飛ばすというボクシングの技でないことをやったのも「正当業務行為」ではありません。警察が一般国民に対して暴力をふるっても怪我をさせても罪に問われませんし、かつて、私が警察官から暴力をふるわれて怪我をさせられた時にも、犯人は大威張りでいましたが、それは「正当業務行為」ではなく、警察と検察が勝手にそうしているだけです。) 「緊急避難」とは、たとえば、道を歩いていた際に、暴漢に襲われて逃げようとして、その際に、脇の家の庭に侵入したとしても、それは「不法侵入罪」には問われないとか、その際に、庭に置いてあった植木鉢を蹴り飛ばして壊したとしても「器物損壊罪」には問われないといったもので、この場合、悪いのは誰かというと、その人を襲った暴漢ではあるでしょうけれども、そうであっても、庭の植木鉢を壊された家に対しては、やはり、直接、壊した人は、「どうも、すいませんでした。」と言うべきものではないか、と思うのです。 「悪いのは暴漢であって、自分は悪くない。」と壊された家の者に対して言うものではないと思うのです。 又、泥棒に入られた家が、夜中に防犯ベルを大きな音で鳴らしたとしても、基本的には、悪いのは泥棒でしょうけれども、そうであっても、周囲の家に対しては、「どうも、お騒がせしてすいませんでした。」と言うべきものではないかと思うのです。 それと同じく、痴漢の被害にあった女性も、直接には被害者でしょうけれども、少しくらいであれば、周囲を騒がしてもやむをえないでしょうし、周囲の人間も理解すべきでしょうけれども、もしも、あまりにも大騒ぎをしすぎるということになれば、その女性の方が周囲に迷惑をかけているということにもなる可能性もあります。 今、原文が載っていた新聞は、すでに手元にありませんが、「声」に文章を入れていた、「その若い女性より年配の女性」が言われていたのは、そういうことだと私は理解しました。
   何十年も前に、やはり、「朝日新聞」に載っていた話だと記憶しているのですが、これは「天声人語」だったかと思いますが、はっきりしません。 作家の佐藤愛子さんの娘が、「おかあさん、泣かないと損ね。」と言ったという話が載っていました。 佐藤愛子さんは、娘に、「少しくらいのことで、泣いてはいけません。」と教えていたけれども、そう教えられて、娘は、少しくらいのことで泣かないようにしたが、女は、泣くと周囲の男性から同情してもらえる。泣かないと可愛げがないように思われてしまう。 だから、お母さんから教えられたように、少しくらいのことで泣かないようにしてきたけれども、なんだか、泣かないと損みたいだ、というのです。 痴漢の被害にあった時に、少しくらい周囲を騒がすのはやむをえないとは思いますが、その相手に対してはともかく、周囲の人に対して、あまりにも大騒ぎしすぎると、自分が周囲に迷惑をかけていることにもなると認識して、周囲の人に対して、「どうも、お騒がせしました。」といった態度を取ることのできる人と、「周囲の人の迷惑を考えなさい。」とわめきまくる人であれば、わめきまくる人の方が被害が大きいというわけでもないのです。 実際には、ケースバイケースではあるでしょうけれども、「声」に文章を入れた女性も、それを考えて投書されていたのではないかと思います。

〔2〕  ≪ ゴキブリに限らず特定の物が異常に苦手な人はいますよ、少なからず。反射的に逃げてしまうとか声が出るぐらいはしょうがないですよ。≫というご指摘ですが、結論を先に言えば、このご指摘は間違っています。
   たしかに、≪ゴキブリに限らず特定の物が異常に苦手な人はい≫るでしょう。 又、≪反射的に逃げてしまうとか声が出る≫こともあるでしょう。 しかし、≪ゴキブリを見て叫んだぐらいならば目をつぶる≫べきかというと、そうではありません。 ≪反射的に逃げてしまうとか声が出る≫ことがあれば、「すいません。お騒がせしました。」くらい言うべきです。 ましてや、「ゴキブリ処理は男どもにさせればいいんだ。」などと言うべきではありません。何人、男性がいても、その女性のためにいるのではありません。
   私の姪は、〔第62回〕《男性社員にゴキブリ処理をさせる方法、もしくは、「営業力のある女」と「ない女」〜営業と会社の話(8)》http://shinkahousinght.at.webry.info/201109/article_2.html  で述べた、職場においてゴキブリで絶叫した女性より少し年上ですが、ゴキブリがいたからといって、この女性のように絶叫したりはしません。 しかし、それなら、ゴキブリが好きなのかというとそうではありません。 好きではないとしても、絶叫しないのは≪異常に苦手≫でないからかというと、そうではありません。
   姪が生まれて3年目に、甥(姪からすれば弟)が生まれました。 姪は、弟ができたのを喜び、姪が5歳くらいの時、2歳くらいの弟を大事にして、子供のための物を2つ買っていくと、弟が欲しがる物を優先して弟にあげてくれと言い、自分は、弟が欲しがる方でない方を選びました。 弟に、「◇◇くん、おんぶしてあげよう。」とか言ったりしてかわいがっていましたが、一方で、弟が生まれてから、母親が弟ばかりをかまうので寂しくなることがあったようで、夜、突然、弟の耳にかみついて弟が泣きだしたことがありました。母親が「これ、○子、何するの。」と怒ると、「○ちゃん、◇◇くん、きらいになっちゃったのお。」と言って泣きだし、家の誰もいない暗い方へ行くので、どうしようと思って見ていると、「うそ泣きい〜い」と言ってすぐに戻ってきたので、え? うそ泣きなのか・・・と思ったのですが、それは、実際には、「うそ泣き」であったわけではなく、「え〜ん」と泣き続けても、誰も、「どうしたの」と同情してくれるわけでもないと思って、仕方なしに、自分で「うそ泣き〜い」と言って戻ってきたのでした。 それを見て、この子はいい子だなあ〜あ・・と思ったものです。 姪は、30代の今、ゴキブリがいても、「ギャア〜アああ!!!」などと大得意になって絶叫したりはしませんが、それは、子供の頃から、ゴキブリがいた時に叫んでも、母親からも父親からも、「うるさい、静かにしろ。」と言われるだけであったから、絶叫したりしないようになったのです。ゴキブリが≪異常に苦手≫でないからではありません。
   私がかつて勤めた木質系某社の展示場に営業補助として来ていた女性Mさんは、こわがりで、何かあると、すぐに私のところに「ちょっと、こわそお〜。」と助けを求めに来ましたが、千葉市中央区鵜の森町のSハウジングのゴキブリ絶叫女(「ゴキブリ絶叫女」では、呼び名が上品ではないので、今後、千葉市の“T”、ゴキブリの“G”、絶叫の“Z”、女性(female)の“F”で、“TGZF”と略記することとします。)のように、ゴキブリがいたということで絶叫したりはしませんでしたし、ましてや、「ゴキブリの処理は男どもにさせればいいんだ」などとあきれたことを口にするようなことはありませんでした。 Mさんは、ゴキブリが好きだったのかというと、そうではありません。 ゴキブリが≪異常に苦手≫ではなかったのかというと違います。 ゴキブリの処理を男性にさせようなどという発想が最初からなかったからです。 Mさんは、「ちょっとこわそう」と助けを求めに来ても、一方で、私の負担が重くて申し訳ない思うと、「そんなの大丈夫。大丈夫って。」と言いにきました。私は、Mさんを見て、彼女の家庭は、金持ちか貧乏かはわからないけれども、金持ちか貧乏かにかかわらず、いい家庭で、特に、お父さんは、娘にやさしい、いいお父さんなんだろうなあと思いました。 お父さんが、とってもやさしいお父さんであるから、だから、私に何かしてもらった時にも、お父さんにやってもらった時と同じく、「とってもやさしいのよ。」と誰もに言って喜んでくれて、そして、それは、「男どもにさせればいいんだ」などというあつかましい発想とは逆の発想でした。 Mさんのやさしいお父さんが、Mさんに何かをしても、Mさんは、だからと言って、「お父さんにさせればいいんだ」などとは言いださないし、考えません。 Mさんは、同じく、ゴキブリ処理を私にも他の男性にも「男どもにさせればいいんだ」などという発想はしないのです。 TGZFは、あまりいい家庭で育っていない人だなあと思いましたし、特に、Mさんのようないいお父さんを持たなかった人なんだろうなあと思えました。
   最近、「肉食系女子」などという流行語がでていますが、それは、最近、突然、そういう人が出てきたのではなく、そういう表現をマスコミが使いだしたということだと思います。 かつては、「アッシーくん」「メッシーくん」「貢ぐくん」という言葉がマスコミで使われたこともありました。 クルマで送迎させるための男性が「アッシーくん」で、食事をおごらせるための男性が「メッシーくん」で、贈り物をさせる男性が「貢ぐくん」だというのです。 これらの言葉が流行語として使われたのは、それは、多少、誇張して使われていたかもしれませんが、そういうことを、本当に、平気でできる女性というのは、あつかましい、評価できない女性であるとともに、かわいそうな人だなあとも思います。
   昔、私が生まれる前のこと、私の2人の姉が幼稚園児くらいであった時、高校生であった叔父(母の弟)が、幼稚園児くらいの姪2人を、近所の神社のお祭りの夜店に連れて行ったことがあったそうです。 そこで、ちびすけ2人が、夜店で売っていたお人形さんを欲しがったというのです。 そのお人形さんは、特に高いものではなく、高校生であった叔父の持っている財布でも十分買える金額のものであったそうですが、もっと年齢をいって自分が娘を持っていてもおかしくない年齢の男性なら抵抗はなかったのでしょうけれども、高校生であった叔父としては、女の子が欲しがるお人形さんを買うというのは、とても、恥ずかしいことで、なんとか、他のものにしてくれないかと思ったらしいのですが、ほしい、ほしいと言うちびすけ2人を見て、叔父は、一生懸命がんばって、それを買ったらしいのです。 私が、かつて勤めた会社で、新入社員研修の際に、研修担当部署の男性社員が「親と子どもは、物をもらった時に、どこが違うかわかりますか。 親と子どもとの違いは、子どもは物をもらった時に、気持ちに喜ぶのではなく、物に喜ぶのです。 それに対して、親は、物をもらった時に、物に喜ぶのではなく、気持ちに喜ぶのです。そこが違うのです。 わかりましたか。」などと教えたことがあり、私はそれを聞いて、「それは違うぞ。」と思い、まったく、つくづく、社員教育というのはくだらんなあ〜あ、と思ったものでしたが、この社員教育担当者のように50歳以上くらいのオッサンには、子どもは物に喜ぶのであってくれた人の気持ちに喜ぶのではない、と信念をもって思っている人がいますが、根本的に違います。 幼稚園児であった頃の姉は、高校生であった叔父が、一生懸命がんばって買ってくれたことを、横で見ていて、そして、買ってもらったお人形さんにも喜んだけれども、叔父が、自分たちのために、恥ずかしいのを一生懸命がんばって買ってくれたということも喜んだのです。だから、その時だけでなく、10年経っても20年経っても「買ってもらった」という思いは続いたのだと思います。 一生懸命がんばって買ってくれた叔父を、ちびすけ2人は「貢ぐくん」だと思ったか、男というのは、こうすれば女に物を貢ぐ存在だと思ったかというと、そんなことは思わないのです。男というものは、女が頼めば言うことをきいく存在だ、男というのは、ゴキブリ処理でもさせる存在だと思ったかというと、そんなことは思わないのです。
    姪が生まれた時、私は中学校の3年生でしたが、姉が何か用事をしたい時には、「ちょっと、この子、抱いていて。」と言って、姪を私の膝の上に乗せていきました。 姉としては、弟が一番頼みやすかったようです。姪が 生まれて1カ月少々経った時、義兄が迎えに来て、姪を連れて帰りました。「あ〜あ、行っちゃった。」と思いましたが、私の子供ではなく、義兄の子供なのでしかたがありません。 それから、何カ月か後に、我が家にやってきた時、姪は、私の膝の上が自分の託児所だと、なぜか覚えていたのです。 そして、それから何年か経ち、弟ができてからも、私の背中の上によじ登り、肩の上に乗り、首の上に乗って、「もう、降りろ。」と言っても、「いやだ。」と言って降りず、なんとか降ろして逃げても、「こら、待てえ」と追いかけてきたりしましたが、だからといって、私を、「アッシーくん」「メッシーくん」「貢ぐくん」とか「ゴキブリの処理は男どもにさせればいいんだ」と考えるような対象と考えていたかというと、そうではありません。  私が2浪しても東大の試験に落ちてしまった時、合格発表を義兄の家に泊めてもらって見に行きましたが、合格発表では、自分の番号があればよいのですが、なかった時に、親戚の家には実に入りにくい。 高校から大学を受験する際、高校の同級生などを見て、親、特に、父親が京大や東大などを出ているような人の場合、大学受験に対しての家庭の理解が違うと思い、うらやましく思ったことがありました。 神奈川県の桐蔭学園の校長の鵜川 昇 という人が『一流校合格への父親学』(1980.7.5. ゴマブックス)という本を書いており、大学受験成功へは父親の役割が大事であることを述べていますが、この本を読んで、私もそう思いました。 私は、自分の体験から、大学の受験というものは、ビジネスホテルに泊っても1泊あたり5千円くらいのものなのだから、親戚の家から受けに行くのは、できるだけ、やめた方がよいと思いました。 特に、合格発表は、親戚の家から見に行くのはやめた方がいいと思いました。 営団地下鉄、今でいう東京メトロの丸の内線の「本郷3丁目」で降りて、東大の本郷キャンパスに行きましたが、合格発表の掲示を何度見ても、自分の受験番号はないのです。 ないものはないのであり、マジックを持って行って、隣の番号を書きかえるわけにもいかない。 できるものなら書きかえてやりたいところですが、そうもいきません。 しかたなしに帰ったのですが、はて、どうやって家に入ったものか・・・と、そこで、困ったのです。 どうしたものだろうと考えて思案していたその時、5歳の姪が、ひょこたんひょうこたんと出てきて、「どうしたの?」と言い、私の腕をつかんで引っ張って行ったのでした。 ちびすけとは仲良くしておくものです。それで、なんとか入ることができたのでしたが、姪にとって、私は、背中の上に乗り、肩の上によじ登り、首の上に乗る相手であっても、「アッシーくん」でも「メッシーくん」でも「貢ぐくん」でもなく、「ゴキブリ処理は男どもにさせればいいんだ」と言う相手でもなく、どうやって入ったものかと思案していた時に腕をつかんで引っ張って入る相手であったのです。
   「ゴキブリの処理は男どもにやらせればいいんだ」などという文句が、軽々しく口にでる女性というのは、「アッシーくん」「メッシーくん」「貢ぐくん」という行為を、本当に男性にさせて平気な女性と同じく、軽薄で、かわいそうな育ち方をした人だと思います。 もしかすると、そういう女性というのは、子供の頃に、「お馬さん、お馬さん。」と言って、背中に乗せてもらった男性がいなかったのかもしれませんね。 だから、他の子供が、「お馬さん、お馬さん」と言って背中に乗せてもらったり、肩車をしてもらったりしていた「男性」というのは、恨みの対象なのかもしれません。だから、その恨みの対象である「男性」というものに、「アッシーくん」「メッシーくん」「貢ぐくん」でもさせてやろうか、「ゴキブリ処理」でもさせてやろうかという気持ちになるのかもしれません。 かわいそうに。 
   私が、大学生であった時に、アルバイトで行った化粧品会社の工場にいた社員のおねえさんは、ゴキブリがいたからといって、TGZFのように、「ギャア〜ア!」と絶叫したりしませんでしたが、ゴキブリが好きだったからではないのはもちろん、ゴキブリが≪異常に苦手な人≫ではなかったからでもありません。 たとえ、職場の工場で、「ギャア〜ア!」と叫んでも、「やかましい!」と怒られるだけであり、ましてや、たとえ、「ゴキブリの処理は男どもにさせれればいいんだ。」などと言っても、「ふざけるな!」と言われるだけであり、だから、TGZFのようなことはせず、ゴキブリがいても、自分で処理していたのです。 TGZFのような態度を取っていたのでは、「あんた、仕事する気ないのなら、帰ってもいいよ。」と言われるおそれもあり、そう言われては困るから、だから、「ギャア〜ア!」とTGZFのような態度は取らなかったのです。 ゴキブリが≪異常に苦手≫でなかったわけでもありません。その工場のおねえさんには、私は親切にしてもらったし、女性として、大変、魅力的な人だったと思っています。 「ギャア〜ア」と女性が絶叫すれば男は女の言うことをきくとでも思っている人も世の中にはいるかもしれませんが、私は、仕事でそこに来ていて、そんなこと言ってられないと思って、絶叫したりしないで働く女性の方に魅力を感じました。
   私が、在来木造の某社に勤めていた時、営業本部長のA氏が、「女の子は、何かあるとやめるから、気をつけて気をつけてしてやらないといけないから。 その点、男はやめないから、男には何を言ってもいいんだ。」と私に行ったことがありましたが、この発言には、私は相当に頭にきました。 なぜ、「男には何を言ってもいい」のですか? 「女の子は、何かあるとやめるから、気をつけて気をつけてしてやらないといけないから」ということは、女性でも、少々のことでは、何くそと思ってがんばる人は粗末にしてよい、ちょっと何かあると、「私、やめますよお、やめますよお〜お」と、どこかの元検事総長のプロ野球コミッショナーみたいなことを言うヤツには、せっせと機嫌をとってやらないといけないということですか???   はあ〜あ???  何、それ
   職場で嫌なことがあっても、働かないと生活できないからと思ってがまんして勤めている人は、男性だけでなく、女性でもいます。 「やめますよお〜、や〜めま〜すよお〜お。」と言えば、周囲が自分の機嫌をとってくれるだろうと思っている女性に対しては、「気を使って気を使ってしてやらないといけない」などという主張は、むしろ、職場で嫌なことがあっても我慢して働いている女性(及び、男性)を侮辱する態度です。 元・検事総長のプロ野球コミッショナー・根来某さんが、オリックスと近鉄が合併して球団数を減らすと言い、選手会がストも辞さないと言いだした時に、「わたし、や〜めま〜すよお〜お、や〜めま〜すよお〜お。」と言いだし、その割には、いつまでもやめないでいたので、ラジオの野球中継の時、解説者の坂東英治氏が、「たしか、この方、やめると言われたはずなんですが、まだ、やめられないみたいで、この方も変わった人ですねえ。」と言っていたが、私もそう思った。 板東英治はなかなか鋭いことを言うではないか。 元・検事総長か何か知らんが、野球しかやってきていない板東英治の方がよっぽどまともではないか。 「や〜めま〜すよお〜お。わたし、や〜めま〜すよお〜お。」と言えば、人が自分の機嫌を取ってくれると思うような者は、男であれ女であれ、さっさとやめればよい。 引きとめる必要はない。やめてくれ。むしろ、女性でも男性でも、嫌なことがあっても、「や〜めま〜すよお。」などと口にせずに、我慢して勤めている人間の方を配慮するべきだ。  同様に、≪ゴキブリに限らず特定の物が異常に苦手≫であるから、場所もわきまえずに、「ギャア〜ア!」と絶叫して、「すいませんでした。」の一言もなく、「ゴキブリの処理は男どもにさせればいいんだ」などと言いだす人間よりも、そういう態度を取って、職場での立場が悪くなっては困ると思って、「ギャア〜ア」などと口にせずに働く人の方を大事にするべきだと私は思う。 「ギャア〜ア!」と絶叫しない人は、≪ゴキブリに限らず特定の物が異常に苦手≫でないわけではないのです。 そういう態度を取って、職場での立場が悪くなっては困ると思うから、そういう態度を取らないのです。  特に、TGZF(千葉のゴキブリ絶叫女)の場合は縁故入社であり、だから、自分はそういう態度を取っても、この職場では認められるという信念のような意識があったのです。
    在来木造の某社に在籍した時、営業本部長A氏は「男は少々のことがあってもやめないから、男には何を言ってもいいんだ。」と私に言ったのですが、それで、彼が、具体的に、私に何を言ったかというと、私が30代の半ばになってしまった時、福島県の営業所にいたのですが、A氏は、私がいた営業所に電話をしてきて、突然、前後の話と何の脈絡もなしに、「まだ、結婚相手決まらんのか。」と言い、そして、何と言ったかというと、「男が好きなのか」(!)と言ったのです。 彼は「男には何を言ってもいいんだ。」と言うのですが、言っている方は「何を言ってもいい」と思っているかもしれませんが、彼は気づいていないでしょうけれども、言われている方は決して何を言われてもいいとは思っていないのです。 A氏は、「ぼくは、学校出てないから(最終学歴:中卒、もしくは、定時制高校中退)、だから、きさくで人間味があるんだ。」などと言っていました。 最終学歴中卒の人間は、人の心を土足で踏みにじる言動をおこなっても、それでも「気さくで人間味がある」と強制的に認めさせる権利があると彼は思っているようでした。 私は、A氏から言われたことを地獄の底まで決して忘れはしません。A氏は「女の子には、うかつなことを言うとセクハラになるから気をつけないといけないけれども、その点、男には何を言ってもいいんだ。」と言うのですが、言っている方は「何を言ってもいい」と思っていても、言われている側は何を言われてもいいとは決して思っていないのですが、彼はその点にまったく気づいていないようでした。(ひとつには、「女性を守る」ためには、雇用機会均等法という法律があり、各地方の労働局に雇用均等室という部署がありますが、それに匹敵する「男性を守る」ためのものは存在しないので、使用者側は男性には何を言っても、言われた側が反撃できないという事情を彼は把握していたのでしょう。それを「男には何を言ってもいい」(使用者は、男には何を言っても、言われた側から反撃されることはない)と言っていたのでしょう。 雇用機会均等法って、変な法律ですね。)  そして、私は、それを言われたからということで辞めませんでしたし、「やめますよお〜お、わたし、や〜めま〜すよお〜お。」とも言いませんでしたが、だからといって、「女の子は、何かあるとやめるから、気をつけて気をつけてしてやらないといけないから。 その点、男はやめないから、男には何を言ってもいいんだ。」とA氏が言うところの「何かあるとやめる」女性社員よりも、衝撃が軽いかというと、決してそうではないのです。 A氏は、これを絶対に理解しないでしょう。「や〜めま〜すよお〜お。」というヤツの機嫌はとらないといけないと思っても、我慢して勤めている人間、「地獄の底まで忘れん」と思いながら勤めている人間には「何を言っても大丈夫だ」と信念持って思っているでしょう。 私はその認識は違うと思います。
    上に述べた木質系の某社の展示場に来ていたMさんなどは、やさしい、いいお父さんがいる家庭で育ったので、それで、Mさんの頭の中の男性は、お父さんのようなやさしい存在であり、決して、「ゴキブリ処理は男どもにさせればいいんだ」などと言うような相手ではなかったのです。 親と子の関係は、そこで親が果たしていた役割を、次の世代において、孫(子の子)が果たすようになり、さらに、次もまた同様に、輪廻の輪は続いて行くことがあると、たしか、ロナルド=レインが『家族の政治学』(みすず書房)でだったと思うのですが、述べていたと思います。 又、精神分析学派の誰かであったと思うのですが、男性が、母、もしくは、姉のイメージをもとに、初恋の相手とする女性を考えることがあると述べていた話を読んだ記憶があります。(どこで読んだか、今、思い出せないので、確認できた時には、補充します。) もっとも、「〜ことがある」ならば、いろんな「ことがある」はずではあるのですが、男性が母や姉から女性のイメージを構築し、女性が父から男性のイメージを構築し、好ましい父を持つことができなかった女性が、このましい男性像を構築することができないというのは、十分、ありうることだと思います。
    Mさんは、年上の男性社員誰からも、「Mさんて、本当にいい子だねえ。」と言われ、他の営業所の男性社員から、「うちの営業所にほしい。」とうらやましがられたのですが、やさしい、いいお父さんを持ったという点では、Mさんはめぐまれていたのかもしれません。 逆に、「ゴキブリ処理は男どもにさせればいいんだ。」などと軽々しく口に出る人というのは、家庭にめぐまれないかわいそうな人なのかもしれません。 ゴキブリがいたというようなことで、「ギャア〜ア」と絶叫したような時に「うるさい。静かにしろ。」と怒ってくれる父親、母親がいなかったのでしょう。男性というものはゴキブリ処理をさせる相手ではないということを教えてくれる父、兄に恵まれなかったのでしょう。その点ではかわいそうな人だと思います。 しかし、自分の人生には自分で責任を持つしかないのであり、家族に恵まれなかったというのは、20代の前半くらいまでしか、言い訳として通じないと思います。 それまでの家庭環境がどうであったかにかかわらず、そこからは、自分自身で責任を持って生きるしかないのです。 ゴキブリがいたからといって、傍若無人に「ギャア〜ア!」と絶叫して平気でいる人というのは、自分で自分に責任を持とうという意識が欠落、もしくは、不足しているのです。
   徳島市のF社が、「F社のやり方」として、それまで、住宅建築業の営業の経験のない人を担当にしてくださいと言っていました。 なぜかというと、F社のやり方は、他の住宅建築業の会社のやり方とは異なるので、他の会社のやり方を身につけた人は、かえって、それが邪魔になって成果がでないからということでした。 それが正しいか間違っているかというと、ある点で正しく、別の面で正しくないと思います。 私が大学卒業後に最初に勤めた木質系の某社の営業系新入社員研修において、「守」→「破」→「離」 ということを言われました。 最初は、研修や配属先の上司から言われたことを「守」る。 次に、それを「破」る。 そして、「離」れて、自分自身のやり方を確立する、と。 私なども、実際、この経緯を経てきたと思っています。 そして、今まで勤務した会社で、周囲の人を見てきた経験から言えば、入社して3年から5年くらいの人で、ある程度は実績を残したというくらいの人には、「守」の段階の人がいます。 こういう人の場合、徳島市のF社が言うように、他の会社に移った場合には、それまでに身につけたもののために、まったくの新人よりも、かえって、成果が出にくいということがありうると思います。 しかし、その後、「破」を経て、「離」の段階まで達した人の場合には、自分自身が営業に一家言持っているわけですから、その自分自身のものを基本にして、扱う商品を検討して、その会社の既存のやり方を参考にした上で、自分で推し進めることになりますし、もとより、営業のやり方というのは、基本的には自分で考えてやるものですから、「守」の段階の人が、かえってうまくいかないというのとは事情が違うと思います。
   そして、別の面として、F社の経営者は気づいていないらしいところですが、営業という仕事はくせがつくのかとれるのかというと、「くせがとれる」「人生の垢がとれる」仕事であるという点があります。 人間は、何年か人生を生きていくうちに、多かれ少なかれ、「くせ」というのか「垢」というのかがついてしまっています。 そういう時に、営業という仕事をすれば、それに気づくことができる場合があるのです。 他の仕事でもあるかもしれませんが、特に、営業という仕事は、気づくことができる仕事だと思います。 千葉市のSハウジングでゴキブリがいたと言って職場で平気で絶叫した女性は、住宅建築業の営業という仕事においては、「守」の段階も身についていないので、その点で、「くせ」は比較的少ないかもしれませんが、人生の「くせ」「垢」は相当についていて、営業の経験がないだけに、その「くせ」や「垢」がとれていないのです。そして、年齢的に、今後、とれるかどうかは、かなり疑問に思えるところがあるのです。 「求職市場においては、『中高年』という言葉が指す年齢が、一般の用語よりも低い」と、かつて、厚生労働省委託で東京リーガルマインドが実施していた「求職支援セミナー」の講師の方から聞いたことがありました。 一般に、「男性で35歳、女性で28歳」より上のことを、求職市場では、「中高年」と言うのだそうです。 一般の用語では、まだ、「中高年」と言うには若い年齢でしょうけれども、求職市場においては、そうらしいのです。 それで、求職市場における「中高年」の人には、もはや、「垢落とし」「くせ落とし」は相当に難しいと思える人がいると、TGZFの女性を見て、私は思いました。 「男性で35歳、女性で28歳」といっても、人それぞれ違うのであり、それより年齢をいっていても「垢落とし」の可能な人もあれば、それより若い人でも不可能な人もあると思いますが、たしかに、その年齢「男性で35歳、女性で28歳」というのは、ひとつの目安かもしれない、と思いました。
    「ギャア〜ア」と大声で絶叫して、「すいませんでした」も言わず言えず、「ゴキブリ処理は男どもにさせればいいんだ。」とヌケヌケと言う女性社員を見ると、大多数の男性は、「職場でなければ、この人とはつきあいたくない。」と思うと思いますし、私はそう思いましたし、職場においても、「できるだけかかわらない方がよい」と考えると思いますし、私はそう考えました。 私が大学を卒業して最初に勤めた木質系の某社では、「社内営業」という言葉が言われていました。 他の職種の人間と、どうやってうまくやっていくか、他の営業とどうやってうまくやっていくか、という問題で、「社内営業」というのは、必ずしも、他の部署の者の機嫌をとるということを意味しているわけでもありません。常にうまくいくというものでもなく、又、社内での人間関係においては、営業だけが考えるべきものでもなく、他職種の者もまた、考えるべきものではあるのですが、営業の仕事をする者は、他職種の者より、より考えるべきであるといえるでしょう。 「ギャア〜ア!」と傍若無人に絶叫して、「すいません」も言えず、さらに、追い打ちをかけるように、「ゴキブリ処理なんか、男どもにさせればいいんだ。」などと口にするようなマイナスの「社内営業」をやっているようなことでは、「社外営業」、要するに、単に「営業」もできないと考えるのが一般的であると思います。 私は、この点について、自信・確信を持っています。 
   ゴキブリがいたということで、場所もわきまえずに、傍若無人に「ギャア〜ア!」と絶叫する人というのは、ゴキブリが≪異常に苦手≫であるからではありません。 職場で、場所もわきまえずに絶叫したりするものではない、男性というものは、ゴキブリを処理させるための存在ではないという当たり前のことが認識できていない非常識な人間であるから絶叫するのです。 もしも、そうでなければ、たとえ、絶叫しても、直後に、「すいませんでした。」の一言があったでしょう。 そういう場合に、「すいませんでした。」の一言を言うというのは、社会人としてのマナーであり常識です。 社会人としての常識を身につけようという意識のない人には職場から退場していただきたいと思います。 もし、「すいませんでした。」の一言を言う人言える人であれば、≪目をつぶ≫ってもいいでしょう。「すいませんでした」の一言の言えない人の「ギャア〜ア!」という絶叫は、即ち、「私はアホです〜う!」という絶叫と変わりません。 その子供が親を見習わないことを願いたいですね。
        (2012.6.6.)


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