大國魂神社【2/6】幸町から国分寺街道、欅並木通。鉄人風屋上。司祭館は教会のそば。広い歩道と自転車
[第657回] あけおめ2。
JR武蔵野線「北府中」駅の東口から少しだけ北に行って右折、府中刑務所職員宿舎の南側の道を東に進みますと、 「幸町一丁目」という交差点で国分寺街道(都道133号)にぶつかります。
( 「幸町一丁目」交差点。南から北を見たもの。 「幸町一丁目」「Saiwaicho 1」 と書かれています。)
( 「幸町一丁目」交差点から、国分寺街道(都道133号)の南側を見たもの。 標識には「都道 133」「国分寺街道」と書かれています。)
「幸町(さいわいちょう)」という地名は、日本全国に何か所かある地名で、川崎市には「幸区(さいわいく)」があります。 川崎市幸区は工場がいくつかありますが、川崎区の臨海地帯とは違って工場ばかりがある所ではなく住居もある場所で、言っちゃ悪いが、そう裕福でもなさそうで教養水準も高くなさそうな人が多い地域で、そういう所だから家賃も高くないわけで、だから、私が住んでいたのですが、いつであったか、ある食堂で食事をしていた時、前の道路を日本共産党のクルマが「核兵器廃絶」を訴えて走っていたところ、その食堂で食事をしていたにーちゃんだったかおじさんだったかが、「平間の住人に核兵器廃絶なんて言ってもわかるわけないだろうが」なんて言ったりしていたことがありましたが、もしかして、東北方面から中学校を卒業してすぐに集団就職で出てきた人たちが住んだ場所で、ここで「幸せ(しあわせ)」があったらいいのになあという気持ちから「幸区(さいわいく)」という名前がついた・・ということだろうか・・などと考えたりもしましたが、川崎市幸区の国道1号沿いの多摩川に近い場所に御幸(みゆき)公園というのがあり、そこには、かつて、ここに天皇へーかがいらっしゃったことがあり、その「御幸」を記念して「御幸公園」と名づけられ、幸区の地名の由来になりました・・とか書いてあったように思います。しかし、それなら、日本全国にある「幸町」「幸区」はすべて天皇へーかがお越しになった場所なのでしょうか。東京都港区の都営三田線の「日比谷」のひとつ南側の駅は「内幸町(うちさいわいちょう)」。あれはどこからきた名前でしょう。この府中市の「幸町(さいわいちょう)」は、府中刑務所の東あたりの地名で、『あしたのジョー』では山谷の泪橋(なみだばし)を丹下段平のおっさんが「この橋を、ひと呼んで泪橋という。この世を流れ流れて落ちぶれて、とうとうこの街まで流れてきた人間が、涙を流しながら渡る橋だから泪橋と言う。だが、ジョーよ、この橋を俺とおまえとで逆向きに渡ってやろうではないか」と語る場面があったと思いますが〔⇒《YouTube-ジョーの子守唄.mp4》https://www.youtube.com/watch?v=1v0DkrnILrg 〕、もしかして、府中市の「幸町」も、流れ流れて、とうとう刑務所に入るようになってしまったが、それでも、この後、人生に何か「幸い」があればいいのになあ・・という気持ちから「幸町(さいわいちょう)」と名づけられた・・・とかありそうな感じがないでもないのですが、しかし、《ウィキペディア―府中刑務所》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9C%E4%B8%AD%E5%88%91%E5%8B%99%E6%89%80 を見ると、府中刑務所の住所は幸町ではなく、府中市晴見町なのです。 《ウィキペディア―府中刑務所》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9C%E4%B8%AD%E5%88%91%E5%8B%99%E6%89%80 を見ると、府中刑務所というのは、≪日本最大の刑務所≫だそうで、かつて、入所していた有名人としては、≪大久保清 安部譲二 田代まさし 司忍 高山清司 ≫などの名前が出ており、そういうのを見ると、なんか「ブランドもお~ん!」て感じが・・・、そういうもんでもないか・・・。
国分寺街道を南に向かって歩くと、左側(東側)に、なんだか、屋上に鉄人28号の頭みたいのが載った建物があります。↓
↑ 府中市立府中第一中学校 だそうですが、あの鉄人28号の頭みたいのは、あれはいったい何だろうか?〔⇒《YouTubbe-鉄人28号 op 》https://www.youtube.com/watch?v=j_UYgWhmuZs 〕
※ 府中市立府中第一中学校HP http://www.fuchu01c.fuchu-tokyo.ed.jp/
南に向かって歩いていくと、ついに見えてきました。「馬場大門欅並木」と言われる、道の両側に欅の木が植わった並木道が。↓
で、左側(東側)に、なんだか、甲子園球場みたい・・な建物、もしくは、「つたの絡まるチャペルでえ…♪」みたいな建物が・・・↓
※ 《YouTube-六甲おろし 唄:立川清登》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE
《YouTube-学生時代(昭和39年)ペギー葉山》https://www.youtube.com/watch?v=UEnsPCL9bAY
よくわからんが、「BUGS EYE」というカウンター式の酒を出す店らしい。
さらに南に進むと、左側に十字架のある建物が、↓
↑ イエスとその両親、マリアとヨセフの像が立つ・・・ということはキリスト教の教会でもカトリック系のものか・・・↓
↑と思って見ると、「カトリック教会 ミラノ外国宣教会」というプレートが出ています。↓
↑ 右側の白い建物が、司祭館らしい。やっぱり、司祭館とか牧師館というのは、教会堂のすぐ脇にあってこそ、司祭館・牧師館だわなあ・・・・。 東京都大田区田園調布の日本基督教団 田園調布教会の「牧師館」は教会堂から徒歩圏の場所で、教会堂よりも駅に近い、それもどこの駅かというと、東急東横線・目黒線「田園調布」駅から徒歩5分以内という一等地に戸建住宅が用意されている・・・て、なんか、けっこうな「牧師館」になっているが・・・、そういうのは、あくまでも、「牧師の社宅」であって、「牧師館」とは言わないのではないか。 お寺の「本坊」という住職の住居は本堂に近いお寺の境内にあってこそ「本坊」であり、そのお寺に徒歩圏で別の場所にあったのでは、それは「坊さんの社宅」であってそういうものを「本坊」とは言わないと思う。 田園調布教会の「牧師の社宅」は「この漫才で田園調布に家が建つ」というフレーズで有名な田園調布の田園調布駅から徒歩5分以内なんて一等地にあり、私なんかも、そんな所に一回、住んでみたいわ・・・て気がするが、・・・・ともかく、あんな「牧師館」ないわ、というのか、あんなものを「牧師館」とは普通は言わんわな。
「ミラノ外国宣教会」とは、《ウィキペディア―ミラノ宣教会》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%8E%E5%AE%A3%E6%95%99%E4%BC%9A によると、≪ 北イタリア・ロンバルディア州のミラノ教区による外国宣教会。1926年からは発展し、イタリア全土からのPontificio Istituto Missioni Estere(教皇庁立外国宣教会)となる。 ≫
※ カトリック・ミラノ外国宣教会(教皇庁立外国宣教会) https://www.pimejp.com/
↑ グーグル地図には、単に「カトリック府中教会」と書かれている。
※ カトリック府中教会 HPhttp://tokyo.catholic.jp/archdiocese/church/tama/16290/
グーグル地図に、「カトリックミラノ外国宣教会」と入れて「検索」すると、東京都多摩市の京王帝都電鉄相模原線「若葉台」、小田急多摩線「はるひ野」の北のあたりの山の中に、「カトリック・ミラノ外国宣教会」という広い敷地で大きな建物があるようだ。
さらに南に進むと、左(東)に、「国分寺街道」の石碑が立っている。↓ 国分寺に至る道であるから「国分寺街道」・・・・とかいった説明書きが別の面に書いてある。
そして、ついに、「馬場大門欅並木(ばばだいもんけやきなみき)」が始まる。↓
↑ 交差点の名称は、「けやき並木北」と書かれている。
大國魂神社HP の「馬場大門欅並木」https://www.ookunitamajinja.or.jp/meguri/keyaki.php によると、この欅並木は≪頼義・義家の父子が奥州征伐(前九年の役 1051~62)の途中当社に戦勝を祈願し、凱旋時に苗木1000本を奉樹したのが府中の欅並木の発端である。≫という話であるが、≪並木の欅で当時の欅は全く残っていない。≫そうだ。
↑ 相当太いもので伐採されたものが見られる。
大國魂神社HP の「馬場大門欅並木」https://www.ookunitamajinja.or.jp/meguri/keyaki.php に、≪現在源義家の銅像が建っている処に古木が有ったが殆ど枯れていたために、昭和56年(1981)12月4日伐採した。・・・≫と書かれているのだが、その源義家の銅像というのがどこにあるのか、わからなかったが、↓
↑ 「フォーリス」という商業ビルの西側、欅並木の東側、京王帝都電鉄の線路の高架より南、大國魂神社の大鳥居より北にあるらしい。
【受験生のための日本史】
源頼義 988~1075 1051年、前九年の役に子義家とともに陸奥守、鎮守府将軍として討伐、清原武則の援をえて平定。
源義家 1039~1106 八幡太郎という。前九年の役を平定。私財で賞を与え、関東の武士の信望を高めた。
前九年の役 1051~62 陸奥の土豪 安部頼時が国司に反抗、朝廷の命で源頼義・源義家が清原氏の援をえて平定。源氏の東国における勢力確率の礎となる。
後三年の役 1083~87 清原氏の相続争いに陸奥守として赴任した源義家が介入、藤原清衡を援けて清原氏を滅ぼす。源氏の信望が東国に高まり、武家の棟梁の地位を確立。
( 全国歴史教育研究協議会『日本史用語集』1975.新版 山川出版社 )
↑ 郵便局の横の歩道。 広い歩道の道路側を自転車用、道路から遠い側を歩行者用としている。
この郵便局、東京都府中市の、京王帝都電鉄「府中」駅の北西、「馬場大門欅並木」通りの西側の本局は、府中郵便局と言うのかと思ったら、広島県府中市の府中郵便局と紛らわしくないようにか、「武蔵府中郵便局」と言うらしい。
※ 武蔵府中郵便局 https://www.post.japanpost.jp/cgi-shiten_search/shiten.php?id=6705
私が子供の頃は、自動車が走っているといっても量がそれほど多くなかったし、私が小学校の途中まで住んだ角地だった家の前の道も、片側はアスファルト舗装されていたが、片側は土の道で、アスファルト舗装の道といえども自動車の量はそれほど多くなく、土の道は自動車は入ってこなかったので、そのあたりを自転車で走ることに問題はなかったのだが、今では自動車の量も多くなり、道は自動車が主として走る場所みたいになってしまって、歩行者が気を使って端を歩いているような状態で、歩道のある道でも、「歩道」というとU字溝の上に蓋をしてその上を「歩道」だなどと詐称しているようなエセ「歩道」があったり、そして、自転車はいったいどっちを走るべきなんだ・・・となると、けっこう難しい。
2014年、川口土木建築工業(株)https://www.kawado.co.jp/ の工事現場で足を骨折して、3ヶ月ほど療養したが、たとえ、足を骨折しても、洗濯も買い物も料理も自分でやらざるをえない。 2011年、新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕の社長の長谷川新二(男。当時、40代前半)は、縁故入社で入れた長谷川新二の嫁の友人だという4月に入社したばかりの滝口恵(女。当時、30代)が、毎度毎度、自分がそれに対して報酬を受け取っている仕事を残して定時に帰り、担当外の従業員に毎度毎度それを押しつけて時間外に、労基法違反の時間外労働、労基法違反の無賃労働でさせていることについて、「滝口さんは子供があるんだから、子供がある者が子供のない者に何でもやってもらうのが当然じゃないかあ。子供のない人間は、子供がある滝口さんのために尽くすのが当たり前じゃないかあ。子供のない者が悪いんだ。子供のない者は何でも子供のある者のためにやって当然じゃないかあ」と暴言を吐いたが、社長がそういう暴言を吐くのであれば、とりあえず、その「滝口さん」のために時間外労働をしたものについて、新華ハウジング(有)の社長・代表取締役であった長谷川新二は、時間外手当をきっちりと支払うべきであり、労基法違反の無賃労働をさせておいて、労基法違反の無賃労働を「やって当然じゃないかあ」というのは、それは不良経営者のテカで労基法違反の味方である労基署と労働基準監督官は認めるであろうが、日本国民として認めるわけにはいかない・・・が、それはそれとして、縁故入社の滝口恵は、入社早々、おのれがその行為に対して報酬を受け取っているものを残して定時に帰り、担当外の従業員に毎度毎度させて、それに対して、「すいません」も「ありがとうございます」も一度として言ったためしがない、この女の辞書には「すいません」「申し訳ありません」「ありがとうございます」という言葉は存在しないという「新人類」および、その「新人類」なのか「異星人」なのかを縁故入社させた社長の長谷川新二と嫁の河野利華(女。当時、40代前半)、それに、やはり、社長の嫁の河野利華の友人だとして縁故入社し、縁故入社であるから特に経理の経験があるわけでもなく会計系統の資格を持っているわけでもなく建設業の会社の経験があるわけでもないにもかかわらず、私の倍ほどの給料を受給し、事務員として、私が時間外労働をしても当然のようにサービス残業の扱いにしておきながら、自分自身にはきっちりと時間外手当をつけて受け取っていた大竹加代子(女。当時、40代前半)は、「子供」を大義名分におのれがそれに対して報酬を受け取っている仕事を残して定時に帰ったために、滝口が報酬を受け取っている仕事を労基法違反の時間外労働、労基法違反の無賃労働で相当やってあげたにもかかわらず、滝口恵も滝口恵のオットも、すでに「世話のかかる子供」ではなく「多少は役に立つ年齢の子供」になったのではないかと思われる私に世話になった子供も、「子供のある者は子供のない人間に何でもやってもらうのが当然じゃないかあ。子供のない人間は子供のある者のために尽くすのが当たり前だろうがあ」と暴言を吐いた長谷川新二とその嫁の河野利華もその母親も、滝口恵とそのオットと子供は私にずいぶんと世話になったはずであり、そうであれば、長谷川新二は「これまで、『子供』を大義名分にして、滝口さんや滝口さんのオットや子供は〇〇さんにはずいぶんと世話になってきたんだから、〇〇さんが足を怪我して生活するのに困っているという時には、何なりと協力するのが当たり前じゃないかあ!」と滝口恵とそのオットと子供、大竹加代子、それに長谷川新二の嫁や母親に言うべきであるはずであり、何より、長谷川新二は滝口恵やそのオット、その子供のために相当協力してあげた私が骨折して困っているのなら、長谷川新二こそ何なりと協力するのが「当然じゃないかあ」「当たり前だろうがあ」ということになるはずだが、この「新人類」「異星人」はまったく何もしない。私は彼らのこの態度は許せないと思っているし、許してはならないと思っている。
それはそれとして、その足を骨折した時のことだが、療養中、骨折した方の足は極力動かさないようにしないといけなかったのだが、そんなこと言っても、買い物にも行かないと食事もできないわけで、最寄のスーパーやコンビニに買い物に行ったのだが、どうしても、移動しないといけない時は、松葉づえで移動したのだが、松葉づえというのは移動するのに健常者が単に歩くよりも幅が必要で、スーパーやコンビニの通路で狭い所は極めて通りにくい。 又、両腕で松葉づえをつくとともに、スーパーやコンビニの買い物籠を持とうとすると、片手で松葉づえを支えながら買い物籠も持つことになり、買い物籠も持つ腕で松葉杖をつくことにもなり、大変であるとともに、それだけに幅が必要にもなるが、なかなかその幅がない所が多かった。 そして、階段とスロープだとスロープの方が足の悪い者にはいいのかと思っていたが、実はそうではなく、2段や3段の階段を松葉づえで上がる降りるはそう大変ではなく、逆に、勾配がきつい坂道を松葉づえで登ったり下りたりの方が大変だった。千葉県船橋市の我が家は坂の中腹のような位置にあり、最寄のスーパーに行くにもコンビニに行くにも坂道を昇り降りしないわけにはいかず、苦労した。そして、最寄のコンビニに行くには、車道は自動車の通行量が多い道の歩道を行かなければならず、その歩道は幅が狭く、かつ、半分はU字溝の上に蓋をしたエセ「歩道」であり、目の粗い鋼製の蓋の上は松葉づえをつくのはやりにくく、車道優先になっている道の狭い歩道で松葉杖をついて移動するのには苦労した。そうやって苦労している所に、向こうから自転車が歩道を走ってくると、自転車の運転者は松葉づえをついている者はよければいいと思ったようだが、よけようと思っても松葉杖をついている者はすばやく動けないのだ。ただでさえ狭い歩道で、自分だけが松葉づえで移動するのも狭いような所で自転車をよけようとしても、自転車だけが走るにも広くない歩道であり、そこをすれ違うのであれば、せめて、松葉杖をついている者とすれ違う時だけでも自転車を降りて通ってくれたらと思ったが、そういう感性はないようで、そのまま、スピードを落とさずにさっさとよけろという感じで突っ込んでこられて怖かったことがあった。
↑のように、自転車用の歩道と歩行者用の歩道とはっきりと分けるというのは、ひとつの方法ではないかと思う。 但し、すべての場所でこのように自転車用と歩行者用の両方のスペースを確保できるわけではないだろう。 基本的には「歩道」というのは歩行者が通る所であるから、歩道を自転車が走る場合は、自転車は歩行者を配慮して徐行するべきで、2014年に私が足を骨折して歩道を松葉づえで通っていた時に、向こうから来た自転車のように自転車でかなりのスピードを出して走りたいのなら、その場合は車道を走るようにしてもらった方がいいと思う。
パリのシャンゼリゼ通りがいいと思ったのは、全体の道幅が広いだけでなく、歩道の幅が広いという点だ。歩道は「なんとか歩ける幅」があればいいという発想だと、だんだんと人は歩かなくなる。 そうではなく、「歩ける道」であり、さらに、「歩きたい道」であれば、ひとはそこを歩くようになり、その結果として、その付近は自動車で移動する人より歩いて移動する人の割合が大きくもなり、その歩道に面した商店なども営業がしやすくなり栄えることが考えられる。
大阪府箕面市の箕面郵便局というのは、昔は駅から遠い便利が悪い場所というイメージがあったのだが、最近はそれほど駅から遠いようにも思わなくなった。どうしてだろうか・・・と思ったのだが、ひとつには、箕面郵便局の前の府道豊中亀岡線を車道部分を狭くして歩道部分を広げたらしい。 歩道を「なんとか苦労すれば歩ける歩道」ではなく「悠々と歩ける歩道」「散策ででも歩きたい歩道」「ぶらり歩きでも歩きたい歩道」に変えることで、その道に面した商店にも歩いて来る人の来客数が増え、「歩きやすい歩道」になれば、実際の距離が短くなったわけでもなくても、人間の感覚として「遠くない」ように思うようになったようだ。
( ↑ 「旗」マークが、箕面郵便局。 )
車道をできるだけいっぱいの広さにとり、それまで、U字溝であったところに蓋をしてそれを「歩道」だと詐称したような「歩道」の道がけっこう多いが、そういうことをすると、ひとはそれまで以上に歩かなくなり、それまで以上にクルマに乗るようになってしまう。考え方を変えて、歩道を広げるという思考もあっていいのではないかと思う。 ↑の東京都府中市の「馬場大門欅並木」通りの歩道も、自転車用の歩道と歩行者用の歩道に分けているが、それもひとつの考え方であろうけれども、歩道はすべて歩行者用の歩道として、自転車は歩道を通りたい時は自転車を降りて押すか、もしくは車道よりを最徐行することとして、速く走りたいなら車道を走ってくれということにしてもいいのかもしれないと思う・・・が、ここは自転車で駅のあたりまで移動する人が多いからこうしているということなのだろうか・・・。
川口土木建築工業(株)https://www.kawado.co.jp/ は、工事現場で私に骨折させたことについて、「申し訳なかった」というひとことがない。もしも、「申し訳なかった」と言うと、自分の所が悪いということになるのでそれで「申し訳なかった」と言いたくないということであるならば、それならそれで、せめて、「謝罪」ではなく「お見舞い」の言葉くらいは言うのが社会人としての常識ではないかと思われるが、ホームページhttps://www.kawado.co.jp/ の冒頭に「あたりまえを大切に」と書いてる川口土木建築工業(株)は、その社会人としての「あたりまえ」ができていない。 工事部長の加賀美は「謝罪」するのが嫌ならせめて「お見舞い」の言葉くらいは言うのが会社員としての「あたりまえ」だというそのくらいのことも理解できない白痴のようである。 派遣会社のアーキマインド(株)の社長の鈴木は、川口土木建築工業(株)の工事部長の加賀美のことを、「あの人は高卒で、たたき上げの人で」などと言っていたが、高卒の人間で社会人として「あたりまえ」のことができない人間のことを「たたき上げ」と言うということか。「たたき上げ」とは何とも便利な言葉である。 川口土木建築工業(株)という不良会社は、住友不動産(株)・大京(株)・三菱地所レジデンス(株)といった「住友」「三菱」「大京」というブランドのマンションを建設していたが、「住友」「三菱」「大京」といった名前を聞いて、「名前の通った会社のマンションだからきっちりしているだろう」などと思って買う人がいるらしいが、実際に施工しているのは、ちっとも「きっちり」していない会社であるということは認識しておいた方がよい。私は、最初、川口土木建築工業(株)の工事部長の加賀美を見て、「こんな人が工事部長になっている会社が住友不動産(株)のマンションなんて作ってるのお?」とびっくりしたのだが、作っていたのだ。「最終学歴:高卒」で「あたりまえのことを」できない男が「最終学歴:高卒」だからという理由で「たたき上げ」と称する権利があるみたいに思っているおっさんが工事部長やってる会社が「住友」「三菱」「大京」のマンションを建設している。これは事実である。「三菱のマンション」というのは決して「三菱ってのが造ったんだぜ♪」ではない。川口土木建築工業(株)なんていいかげんな会社が造っているのである。認識を間違えてはいけない。
建設業においては、下請けは認められているが、「施工管理」以外の職種での派遣は認められていない。それにもかかわらず、川口土木建築工業(株)は、雑役労務者を派遣で雇いたいらしく、建設業の派遣会社 アーキマインド(株)をダミーとして使い、「施工管理」の名目で雑役労務者を雇い、危険な業務をさせている。自社で直接、雇っている「施工管理」の職種の人間がいるのに、なぜ、別に派遣で「施工管理」という名目で人を雇いたいのかというと、自社で雇った人間が「施工管理」で派遣で「施工管理」の名目で雇った者は実質雑役労務者であり、違法行為をごまかすためにそれをやっているのである。私は川口土木建築工業(株)で間違いなくトンを超すであろう鉄の塊をレッカー車で吊っている真下で作業をするように、川口土木建築工業(株)が直接雇っていた「施工管理」の人間から命令されてさせられた。私は過去に、交通誘導警備の会社2社、施設警備の会社1社で警備員の仕事をしたことがあるが、新帝国警備保障(株)では、レッカー車で荷を吊っている場合は、吊荷の真下に入ってはいけないのは当然のことであるが、レッカー車の作業半径内立入禁止であり、もし、作業半径内に立ち入る人があれば、制止してくださいと教えられたものであり、又、大手ゼネコンの工事現場に行くと、「重機の作業半径内立入禁止」と書かれた札が掲示されていたが、川口土木建築工業(株)では、同社の工事監督が吊荷の真下で作業をするように命令していたのであり、私は吊荷の真下で作業させられた。川口土木建築工業(株)https://www.kawado.co.jp/ はホームページに「当たり前をたいせつに」などというコピーを入れているが、同社にとって「当たり前」とは違法とされている「雑役労務者の派遣」を「施工管理」の名目で雇い、レッカー車の吊荷の真下で作業をさせるということが、それが川口土木建築工業(株)の「当たり前」ということのようである。 川口土木建築工業(株)の工事現場では、いずれ、死人が出るであろう。住友不動産(株)などはそういう会社でマンションを建てて販売している。
武蔵府中郵便局の南のあたり、「いかめしい感じの建物」があったが、「府中市役所府中駅前第二庁舎」だそうだ。↓
↑ 1階部分の石張りは、「馬場大門欅並木」通りの、樹木が植わっている部分の石積みと同じ石ではないか。
次回 https://shinkahousinght.at.webry.info/201901/article_3.html 、欅並木通りから、大鳥居へ
(2019.1.8.)
☆ あけおめ。 大國魂神社。
1.北府中駅から。表から入ろう、神社も大学も。「刑務所の塀」は外から見れる。分譲マンションより居住性は良さそうな刑務所職員宿舎。https://shinkahousinght.at.webry.info/201901/article_1.html
2.幸町から国分寺街道、欅並木通。鉄人風屋上。司祭館は教会のそば。広い歩道と自転車 〔今回〕
3.欅並木通。大鳥居。突けば転びそうな警官。屋台の食べ物はばっちいか。デマカセ心理学 https://shinkahousinght.at.webry.info/201901/article_3.html
4.手水舎・随神門・鼓楼・宝物殿・神楽殿。「軍艦多摩慰霊碑」、慰霊はあくまで慰霊で。https://shinkahousinght.at.webry.info/201901/article_4.html
5.中雀門・自然石風の上の狛犬・おみくじ箱・拝殿・本殿 https://shinkahousinght.at.webry.info/201901/article_5.html
6.「仕事人の神社」東照宮・北を向く天神社、御旅所。府中競馬場のアルバイトの想い出 https://shinkahousinght.at.webry.info/201901/article_6.html
JR武蔵野線「北府中」駅の東口から少しだけ北に行って右折、府中刑務所職員宿舎の南側の道を東に進みますと、 「幸町一丁目」という交差点で国分寺街道(都道133号)にぶつかります。
( 「幸町一丁目」交差点。南から北を見たもの。 「幸町一丁目」「Saiwaicho 1」 と書かれています。)
( 「幸町一丁目」交差点から、国分寺街道(都道133号)の南側を見たもの。 標識には「都道 133」「国分寺街道」と書かれています。)
「幸町(さいわいちょう)」という地名は、日本全国に何か所かある地名で、川崎市には「幸区(さいわいく)」があります。 川崎市幸区は工場がいくつかありますが、川崎区の臨海地帯とは違って工場ばかりがある所ではなく住居もある場所で、言っちゃ悪いが、そう裕福でもなさそうで教養水準も高くなさそうな人が多い地域で、そういう所だから家賃も高くないわけで、だから、私が住んでいたのですが、いつであったか、ある食堂で食事をしていた時、前の道路を日本共産党のクルマが「核兵器廃絶」を訴えて走っていたところ、その食堂で食事をしていたにーちゃんだったかおじさんだったかが、「平間の住人に核兵器廃絶なんて言ってもわかるわけないだろうが」なんて言ったりしていたことがありましたが、もしかして、東北方面から中学校を卒業してすぐに集団就職で出てきた人たちが住んだ場所で、ここで「幸せ(しあわせ)」があったらいいのになあという気持ちから「幸区(さいわいく)」という名前がついた・・ということだろうか・・などと考えたりもしましたが、川崎市幸区の国道1号沿いの多摩川に近い場所に御幸(みゆき)公園というのがあり、そこには、かつて、ここに天皇へーかがいらっしゃったことがあり、その「御幸」を記念して「御幸公園」と名づけられ、幸区の地名の由来になりました・・とか書いてあったように思います。しかし、それなら、日本全国にある「幸町」「幸区」はすべて天皇へーかがお越しになった場所なのでしょうか。東京都港区の都営三田線の「日比谷」のひとつ南側の駅は「内幸町(うちさいわいちょう)」。あれはどこからきた名前でしょう。この府中市の「幸町(さいわいちょう)」は、府中刑務所の東あたりの地名で、『あしたのジョー』では山谷の泪橋(なみだばし)を丹下段平のおっさんが「この橋を、ひと呼んで泪橋という。この世を流れ流れて落ちぶれて、とうとうこの街まで流れてきた人間が、涙を流しながら渡る橋だから泪橋と言う。だが、ジョーよ、この橋を俺とおまえとで逆向きに渡ってやろうではないか」と語る場面があったと思いますが〔⇒《YouTube-ジョーの子守唄.mp4》https://www.youtube.com/watch?v=1v0DkrnILrg 〕、もしかして、府中市の「幸町」も、流れ流れて、とうとう刑務所に入るようになってしまったが、それでも、この後、人生に何か「幸い」があればいいのになあ・・という気持ちから「幸町(さいわいちょう)」と名づけられた・・・とかありそうな感じがないでもないのですが、しかし、《ウィキペディア―府中刑務所》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9C%E4%B8%AD%E5%88%91%E5%8B%99%E6%89%80 を見ると、府中刑務所の住所は幸町ではなく、府中市晴見町なのです。 《ウィキペディア―府中刑務所》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9C%E4%B8%AD%E5%88%91%E5%8B%99%E6%89%80 を見ると、府中刑務所というのは、≪日本最大の刑務所≫だそうで、かつて、入所していた有名人としては、≪大久保清 安部譲二 田代まさし 司忍 高山清司 ≫などの名前が出ており、そういうのを見ると、なんか「ブランドもお~ん!」て感じが・・・、そういうもんでもないか・・・。
国分寺街道を南に向かって歩くと、左側(東側)に、なんだか、屋上に鉄人28号の頭みたいのが載った建物があります。↓
↑ 府中市立府中第一中学校 だそうですが、あの鉄人28号の頭みたいのは、あれはいったい何だろうか?〔⇒《YouTubbe-鉄人28号 op 》https://www.youtube.com/watch?v=j_UYgWhmuZs 〕
※ 府中市立府中第一中学校HP http://www.fuchu01c.fuchu-tokyo.ed.jp/
南に向かって歩いていくと、ついに見えてきました。「馬場大門欅並木」と言われる、道の両側に欅の木が植わった並木道が。↓
で、左側(東側)に、なんだか、甲子園球場みたい・・な建物、もしくは、「つたの絡まるチャペルでえ…♪」みたいな建物が・・・↓
※ 《YouTube-六甲おろし 唄:立川清登》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE
《YouTube-学生時代(昭和39年)ペギー葉山》https://www.youtube.com/watch?v=UEnsPCL9bAY
よくわからんが、「BUGS EYE」というカウンター式の酒を出す店らしい。
さらに南に進むと、左側に十字架のある建物が、↓
↑ イエスとその両親、マリアとヨセフの像が立つ・・・ということはキリスト教の教会でもカトリック系のものか・・・↓
↑と思って見ると、「カトリック教会 ミラノ外国宣教会」というプレートが出ています。↓
↑ 右側の白い建物が、司祭館らしい。やっぱり、司祭館とか牧師館というのは、教会堂のすぐ脇にあってこそ、司祭館・牧師館だわなあ・・・・。 東京都大田区田園調布の日本基督教団 田園調布教会の「牧師館」は教会堂から徒歩圏の場所で、教会堂よりも駅に近い、それもどこの駅かというと、東急東横線・目黒線「田園調布」駅から徒歩5分以内という一等地に戸建住宅が用意されている・・・て、なんか、けっこうな「牧師館」になっているが・・・、そういうのは、あくまでも、「牧師の社宅」であって、「牧師館」とは言わないのではないか。 お寺の「本坊」という住職の住居は本堂に近いお寺の境内にあってこそ「本坊」であり、そのお寺に徒歩圏で別の場所にあったのでは、それは「坊さんの社宅」であってそういうものを「本坊」とは言わないと思う。 田園調布教会の「牧師の社宅」は「この漫才で田園調布に家が建つ」というフレーズで有名な田園調布の田園調布駅から徒歩5分以内なんて一等地にあり、私なんかも、そんな所に一回、住んでみたいわ・・・て気がするが、・・・・ともかく、あんな「牧師館」ないわ、というのか、あんなものを「牧師館」とは普通は言わんわな。
「ミラノ外国宣教会」とは、《ウィキペディア―ミラノ宣教会》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%8E%E5%AE%A3%E6%95%99%E4%BC%9A によると、≪ 北イタリア・ロンバルディア州のミラノ教区による外国宣教会。1926年からは発展し、イタリア全土からのPontificio Istituto Missioni Estere(教皇庁立外国宣教会)となる。 ≫
※ カトリック・ミラノ外国宣教会(教皇庁立外国宣教会) https://www.pimejp.com/
↑ グーグル地図には、単に「カトリック府中教会」と書かれている。
※ カトリック府中教会 HPhttp://tokyo.catholic.jp/archdiocese/church/tama/16290/
グーグル地図に、「カトリックミラノ外国宣教会」と入れて「検索」すると、東京都多摩市の京王帝都電鉄相模原線「若葉台」、小田急多摩線「はるひ野」の北のあたりの山の中に、「カトリック・ミラノ外国宣教会」という広い敷地で大きな建物があるようだ。
さらに南に進むと、左(東)に、「国分寺街道」の石碑が立っている。↓ 国分寺に至る道であるから「国分寺街道」・・・・とかいった説明書きが別の面に書いてある。
そして、ついに、「馬場大門欅並木(ばばだいもんけやきなみき)」が始まる。↓
↑ 交差点の名称は、「けやき並木北」と書かれている。
大國魂神社HP の「馬場大門欅並木」https://www.ookunitamajinja.or.jp/meguri/keyaki.php によると、この欅並木は≪頼義・義家の父子が奥州征伐(前九年の役 1051~62)の途中当社に戦勝を祈願し、凱旋時に苗木1000本を奉樹したのが府中の欅並木の発端である。≫という話であるが、≪並木の欅で当時の欅は全く残っていない。≫そうだ。
↑ 相当太いもので伐採されたものが見られる。
大國魂神社HP の「馬場大門欅並木」https://www.ookunitamajinja.or.jp/meguri/keyaki.php に、≪現在源義家の銅像が建っている処に古木が有ったが殆ど枯れていたために、昭和56年(1981)12月4日伐採した。・・・≫と書かれているのだが、その源義家の銅像というのがどこにあるのか、わからなかったが、↓
↑ 「フォーリス」という商業ビルの西側、欅並木の東側、京王帝都電鉄の線路の高架より南、大國魂神社の大鳥居より北にあるらしい。
【受験生のための日本史】
源頼義 988~1075 1051年、前九年の役に子義家とともに陸奥守、鎮守府将軍として討伐、清原武則の援をえて平定。
源義家 1039~1106 八幡太郎という。前九年の役を平定。私財で賞を与え、関東の武士の信望を高めた。
前九年の役 1051~62 陸奥の土豪 安部頼時が国司に反抗、朝廷の命で源頼義・源義家が清原氏の援をえて平定。源氏の東国における勢力確率の礎となる。
後三年の役 1083~87 清原氏の相続争いに陸奥守として赴任した源義家が介入、藤原清衡を援けて清原氏を滅ぼす。源氏の信望が東国に高まり、武家の棟梁の地位を確立。
( 全国歴史教育研究協議会『日本史用語集』1975.新版 山川出版社 )
↑ 郵便局の横の歩道。 広い歩道の道路側を自転車用、道路から遠い側を歩行者用としている。
この郵便局、東京都府中市の、京王帝都電鉄「府中」駅の北西、「馬場大門欅並木」通りの西側の本局は、府中郵便局と言うのかと思ったら、広島県府中市の府中郵便局と紛らわしくないようにか、「武蔵府中郵便局」と言うらしい。
※ 武蔵府中郵便局 https://www.post.japanpost.jp/cgi-shiten_search/shiten.php?id=6705
私が子供の頃は、自動車が走っているといっても量がそれほど多くなかったし、私が小学校の途中まで住んだ角地だった家の前の道も、片側はアスファルト舗装されていたが、片側は土の道で、アスファルト舗装の道といえども自動車の量はそれほど多くなく、土の道は自動車は入ってこなかったので、そのあたりを自転車で走ることに問題はなかったのだが、今では自動車の量も多くなり、道は自動車が主として走る場所みたいになってしまって、歩行者が気を使って端を歩いているような状態で、歩道のある道でも、「歩道」というとU字溝の上に蓋をしてその上を「歩道」だなどと詐称しているようなエセ「歩道」があったり、そして、自転車はいったいどっちを走るべきなんだ・・・となると、けっこう難しい。
2014年、川口土木建築工業(株)https://www.kawado.co.jp/ の工事現場で足を骨折して、3ヶ月ほど療養したが、たとえ、足を骨折しても、洗濯も買い物も料理も自分でやらざるをえない。 2011年、新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕の社長の長谷川新二(男。当時、40代前半)は、縁故入社で入れた長谷川新二の嫁の友人だという4月に入社したばかりの滝口恵(女。当時、30代)が、毎度毎度、自分がそれに対して報酬を受け取っている仕事を残して定時に帰り、担当外の従業員に毎度毎度それを押しつけて時間外に、労基法違反の時間外労働、労基法違反の無賃労働でさせていることについて、「滝口さんは子供があるんだから、子供がある者が子供のない者に何でもやってもらうのが当然じゃないかあ。子供のない人間は、子供がある滝口さんのために尽くすのが当たり前じゃないかあ。子供のない者が悪いんだ。子供のない者は何でも子供のある者のためにやって当然じゃないかあ」と暴言を吐いたが、社長がそういう暴言を吐くのであれば、とりあえず、その「滝口さん」のために時間外労働をしたものについて、新華ハウジング(有)の社長・代表取締役であった長谷川新二は、時間外手当をきっちりと支払うべきであり、労基法違反の無賃労働をさせておいて、労基法違反の無賃労働を「やって当然じゃないかあ」というのは、それは不良経営者のテカで労基法違反の味方である労基署と労働基準監督官は認めるであろうが、日本国民として認めるわけにはいかない・・・が、それはそれとして、縁故入社の滝口恵は、入社早々、おのれがその行為に対して報酬を受け取っているものを残して定時に帰り、担当外の従業員に毎度毎度させて、それに対して、「すいません」も「ありがとうございます」も一度として言ったためしがない、この女の辞書には「すいません」「申し訳ありません」「ありがとうございます」という言葉は存在しないという「新人類」および、その「新人類」なのか「異星人」なのかを縁故入社させた社長の長谷川新二と嫁の河野利華(女。当時、40代前半)、それに、やはり、社長の嫁の河野利華の友人だとして縁故入社し、縁故入社であるから特に経理の経験があるわけでもなく会計系統の資格を持っているわけでもなく建設業の会社の経験があるわけでもないにもかかわらず、私の倍ほどの給料を受給し、事務員として、私が時間外労働をしても当然のようにサービス残業の扱いにしておきながら、自分自身にはきっちりと時間外手当をつけて受け取っていた大竹加代子(女。当時、40代前半)は、「子供」を大義名分におのれがそれに対して報酬を受け取っている仕事を残して定時に帰ったために、滝口が報酬を受け取っている仕事を労基法違反の時間外労働、労基法違反の無賃労働で相当やってあげたにもかかわらず、滝口恵も滝口恵のオットも、すでに「世話のかかる子供」ではなく「多少は役に立つ年齢の子供」になったのではないかと思われる私に世話になった子供も、「子供のある者は子供のない人間に何でもやってもらうのが当然じゃないかあ。子供のない人間は子供のある者のために尽くすのが当たり前だろうがあ」と暴言を吐いた長谷川新二とその嫁の河野利華もその母親も、滝口恵とそのオットと子供は私にずいぶんと世話になったはずであり、そうであれば、長谷川新二は「これまで、『子供』を大義名分にして、滝口さんや滝口さんのオットや子供は〇〇さんにはずいぶんと世話になってきたんだから、〇〇さんが足を怪我して生活するのに困っているという時には、何なりと協力するのが当たり前じゃないかあ!」と滝口恵とそのオットと子供、大竹加代子、それに長谷川新二の嫁や母親に言うべきであるはずであり、何より、長谷川新二は滝口恵やそのオット、その子供のために相当協力してあげた私が骨折して困っているのなら、長谷川新二こそ何なりと協力するのが「当然じゃないかあ」「当たり前だろうがあ」ということになるはずだが、この「新人類」「異星人」はまったく何もしない。私は彼らのこの態度は許せないと思っているし、許してはならないと思っている。
それはそれとして、その足を骨折した時のことだが、療養中、骨折した方の足は極力動かさないようにしないといけなかったのだが、そんなこと言っても、買い物にも行かないと食事もできないわけで、最寄のスーパーやコンビニに買い物に行ったのだが、どうしても、移動しないといけない時は、松葉づえで移動したのだが、松葉づえというのは移動するのに健常者が単に歩くよりも幅が必要で、スーパーやコンビニの通路で狭い所は極めて通りにくい。 又、両腕で松葉づえをつくとともに、スーパーやコンビニの買い物籠を持とうとすると、片手で松葉づえを支えながら買い物籠も持つことになり、買い物籠も持つ腕で松葉杖をつくことにもなり、大変であるとともに、それだけに幅が必要にもなるが、なかなかその幅がない所が多かった。 そして、階段とスロープだとスロープの方が足の悪い者にはいいのかと思っていたが、実はそうではなく、2段や3段の階段を松葉づえで上がる降りるはそう大変ではなく、逆に、勾配がきつい坂道を松葉づえで登ったり下りたりの方が大変だった。千葉県船橋市の我が家は坂の中腹のような位置にあり、最寄のスーパーに行くにもコンビニに行くにも坂道を昇り降りしないわけにはいかず、苦労した。そして、最寄のコンビニに行くには、車道は自動車の通行量が多い道の歩道を行かなければならず、その歩道は幅が狭く、かつ、半分はU字溝の上に蓋をしたエセ「歩道」であり、目の粗い鋼製の蓋の上は松葉づえをつくのはやりにくく、車道優先になっている道の狭い歩道で松葉杖をついて移動するのには苦労した。そうやって苦労している所に、向こうから自転車が歩道を走ってくると、自転車の運転者は松葉づえをついている者はよければいいと思ったようだが、よけようと思っても松葉杖をついている者はすばやく動けないのだ。ただでさえ狭い歩道で、自分だけが松葉づえで移動するのも狭いような所で自転車をよけようとしても、自転車だけが走るにも広くない歩道であり、そこをすれ違うのであれば、せめて、松葉杖をついている者とすれ違う時だけでも自転車を降りて通ってくれたらと思ったが、そういう感性はないようで、そのまま、スピードを落とさずにさっさとよけろという感じで突っ込んでこられて怖かったことがあった。
↑のように、自転車用の歩道と歩行者用の歩道とはっきりと分けるというのは、ひとつの方法ではないかと思う。 但し、すべての場所でこのように自転車用と歩行者用の両方のスペースを確保できるわけではないだろう。 基本的には「歩道」というのは歩行者が通る所であるから、歩道を自転車が走る場合は、自転車は歩行者を配慮して徐行するべきで、2014年に私が足を骨折して歩道を松葉づえで通っていた時に、向こうから来た自転車のように自転車でかなりのスピードを出して走りたいのなら、その場合は車道を走るようにしてもらった方がいいと思う。
パリのシャンゼリゼ通りがいいと思ったのは、全体の道幅が広いだけでなく、歩道の幅が広いという点だ。歩道は「なんとか歩ける幅」があればいいという発想だと、だんだんと人は歩かなくなる。 そうではなく、「歩ける道」であり、さらに、「歩きたい道」であれば、ひとはそこを歩くようになり、その結果として、その付近は自動車で移動する人より歩いて移動する人の割合が大きくもなり、その歩道に面した商店なども営業がしやすくなり栄えることが考えられる。
大阪府箕面市の箕面郵便局というのは、昔は駅から遠い便利が悪い場所というイメージがあったのだが、最近はそれほど駅から遠いようにも思わなくなった。どうしてだろうか・・・と思ったのだが、ひとつには、箕面郵便局の前の府道豊中亀岡線を車道部分を狭くして歩道部分を広げたらしい。 歩道を「なんとか苦労すれば歩ける歩道」ではなく「悠々と歩ける歩道」「散策ででも歩きたい歩道」「ぶらり歩きでも歩きたい歩道」に変えることで、その道に面した商店にも歩いて来る人の来客数が増え、「歩きやすい歩道」になれば、実際の距離が短くなったわけでもなくても、人間の感覚として「遠くない」ように思うようになったようだ。
( ↑ 「旗」マークが、箕面郵便局。 )
車道をできるだけいっぱいの広さにとり、それまで、U字溝であったところに蓋をしてそれを「歩道」だと詐称したような「歩道」の道がけっこう多いが、そういうことをすると、ひとはそれまで以上に歩かなくなり、それまで以上にクルマに乗るようになってしまう。考え方を変えて、歩道を広げるという思考もあっていいのではないかと思う。 ↑の東京都府中市の「馬場大門欅並木」通りの歩道も、自転車用の歩道と歩行者用の歩道に分けているが、それもひとつの考え方であろうけれども、歩道はすべて歩行者用の歩道として、自転車は歩道を通りたい時は自転車を降りて押すか、もしくは車道よりを最徐行することとして、速く走りたいなら車道を走ってくれということにしてもいいのかもしれないと思う・・・が、ここは自転車で駅のあたりまで移動する人が多いからこうしているということなのだろうか・・・。
川口土木建築工業(株)https://www.kawado.co.jp/ は、工事現場で私に骨折させたことについて、「申し訳なかった」というひとことがない。もしも、「申し訳なかった」と言うと、自分の所が悪いということになるのでそれで「申し訳なかった」と言いたくないということであるならば、それならそれで、せめて、「謝罪」ではなく「お見舞い」の言葉くらいは言うのが社会人としての常識ではないかと思われるが、ホームページhttps://www.kawado.co.jp/ の冒頭に「あたりまえを大切に」と書いてる川口土木建築工業(株)は、その社会人としての「あたりまえ」ができていない。 工事部長の加賀美は「謝罪」するのが嫌ならせめて「お見舞い」の言葉くらいは言うのが会社員としての「あたりまえ」だというそのくらいのことも理解できない白痴のようである。 派遣会社のアーキマインド(株)の社長の鈴木は、川口土木建築工業(株)の工事部長の加賀美のことを、「あの人は高卒で、たたき上げの人で」などと言っていたが、高卒の人間で社会人として「あたりまえ」のことができない人間のことを「たたき上げ」と言うということか。「たたき上げ」とは何とも便利な言葉である。 川口土木建築工業(株)という不良会社は、住友不動産(株)・大京(株)・三菱地所レジデンス(株)といった「住友」「三菱」「大京」というブランドのマンションを建設していたが、「住友」「三菱」「大京」といった名前を聞いて、「名前の通った会社のマンションだからきっちりしているだろう」などと思って買う人がいるらしいが、実際に施工しているのは、ちっとも「きっちり」していない会社であるということは認識しておいた方がよい。私は、最初、川口土木建築工業(株)の工事部長の加賀美を見て、「こんな人が工事部長になっている会社が住友不動産(株)のマンションなんて作ってるのお?」とびっくりしたのだが、作っていたのだ。「最終学歴:高卒」で「あたりまえのことを」できない男が「最終学歴:高卒」だからという理由で「たたき上げ」と称する権利があるみたいに思っているおっさんが工事部長やってる会社が「住友」「三菱」「大京」のマンションを建設している。これは事実である。「三菱のマンション」というのは決して「三菱ってのが造ったんだぜ♪」ではない。川口土木建築工業(株)なんていいかげんな会社が造っているのである。認識を間違えてはいけない。
建設業においては、下請けは認められているが、「施工管理」以外の職種での派遣は認められていない。それにもかかわらず、川口土木建築工業(株)は、雑役労務者を派遣で雇いたいらしく、建設業の派遣会社 アーキマインド(株)をダミーとして使い、「施工管理」の名目で雑役労務者を雇い、危険な業務をさせている。自社で直接、雇っている「施工管理」の職種の人間がいるのに、なぜ、別に派遣で「施工管理」という名目で人を雇いたいのかというと、自社で雇った人間が「施工管理」で派遣で「施工管理」の名目で雇った者は実質雑役労務者であり、違法行為をごまかすためにそれをやっているのである。私は川口土木建築工業(株)で間違いなくトンを超すであろう鉄の塊をレッカー車で吊っている真下で作業をするように、川口土木建築工業(株)が直接雇っていた「施工管理」の人間から命令されてさせられた。私は過去に、交通誘導警備の会社2社、施設警備の会社1社で警備員の仕事をしたことがあるが、新帝国警備保障(株)では、レッカー車で荷を吊っている場合は、吊荷の真下に入ってはいけないのは当然のことであるが、レッカー車の作業半径内立入禁止であり、もし、作業半径内に立ち入る人があれば、制止してくださいと教えられたものであり、又、大手ゼネコンの工事現場に行くと、「重機の作業半径内立入禁止」と書かれた札が掲示されていたが、川口土木建築工業(株)では、同社の工事監督が吊荷の真下で作業をするように命令していたのであり、私は吊荷の真下で作業させられた。川口土木建築工業(株)https://www.kawado.co.jp/ はホームページに「当たり前をたいせつに」などというコピーを入れているが、同社にとって「当たり前」とは違法とされている「雑役労務者の派遣」を「施工管理」の名目で雇い、レッカー車の吊荷の真下で作業をさせるということが、それが川口土木建築工業(株)の「当たり前」ということのようである。 川口土木建築工業(株)の工事現場では、いずれ、死人が出るであろう。住友不動産(株)などはそういう会社でマンションを建てて販売している。
武蔵府中郵便局の南のあたり、「いかめしい感じの建物」があったが、「府中市役所府中駅前第二庁舎」だそうだ。↓
↑ 1階部分の石張りは、「馬場大門欅並木」通りの、樹木が植わっている部分の石積みと同じ石ではないか。
次回 https://shinkahousinght.at.webry.info/201901/article_3.html 、欅並木通りから、大鳥居へ
(2019.1.8.)
☆ あけおめ。 大國魂神社。
1.北府中駅から。表から入ろう、神社も大学も。「刑務所の塀」は外から見れる。分譲マンションより居住性は良さそうな刑務所職員宿舎。https://shinkahousinght.at.webry.info/201901/article_1.html
2.幸町から国分寺街道、欅並木通。鉄人風屋上。司祭館は教会のそば。広い歩道と自転車 〔今回〕
3.欅並木通。大鳥居。突けば転びそうな警官。屋台の食べ物はばっちいか。デマカセ心理学 https://shinkahousinght.at.webry.info/201901/article_3.html
4.手水舎・随神門・鼓楼・宝物殿・神楽殿。「軍艦多摩慰霊碑」、慰霊はあくまで慰霊で。https://shinkahousinght.at.webry.info/201901/article_4.html
5.中雀門・自然石風の上の狛犬・おみくじ箱・拝殿・本殿 https://shinkahousinght.at.webry.info/201901/article_5.html
6.「仕事人の神社」東照宮・北を向く天神社、御旅所。府中競馬場のアルバイトの想い出 https://shinkahousinght.at.webry.info/201901/article_6.html














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