「口答えすんなあ」と言う会社にどう対処すべきか。長時間遅刻してきて早弁する女に謝らないといけないのか? 土曜昼間、住宅展示場を空にする営業課長は「大変優秀な営業課長」なのか? 「日本国憲法で言論その他、表現の自由は認められてますう」

[第869回]会社と営業の話
【A】  会社に入社してみたら、「なんか、思っていたよりも程度の低い会社だった」・・・ということがある。 この場合「程度の低い会社」という意味は何通りかあるのだが、1980年代後半、戸建住宅建築業の小堀住研(株)〔本社:大阪市。当時は一部上場〕〔後に、1990年、初代社長の「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい2代目社長の中島昭午が会社名から「小堀」を取り除きたかったのか、ツーバイフォー工法で建てているわけでもないのにツーバイフォー工法を思わせる「エスバイエル」という名称に会社名を変更して「バッカじゃなかろかルンバ♪」て感じの「安物路線」に走って崩壊して倒産し、(株)ヤマダデンキに「いぬき」で買い取られ、(株)ヤマダエスバイエルホームとなった後、同様に(株)ヤマダデンキに買い取られた「リフォームのナカヤマ」と合わせて(株)ヤマダホームズになり、(株)ヤマダホームズhttps://yamadahomes.jp/ は今も存在しているがかつての小堀住研(株)とは別の会社でしょう。〕に入社した時、「思っていたより程度の低い会社だった」のは、
【1】(1)従業員数千人超、
(2)一部上場、
(3)本社はJR「大阪」駅の目の前、地下鉄谷町線「東梅田」駅の上という超一等地にある。
(4)早川和男『日経産業シリーズ 住宅』に掲載されており、施工棟数が全国で10位以内の会社。施工棟数で見ると、当時、旭化成と同じくらい。
というわりには、入ってみると、「ええ? これが一部上場?」「え? 『日経産業シリーズ 住宅』に掲載されている施工棟数上位1桁の会社がこれえ~え?」というもの。

【2】 うちの父親の勤め先の会社にアルバイトで何度か働きに行ったことがあるのだが、うちの父親の勤め先も「あんな会社・・」と思っていたのだったが、小堀住研(株)と共通点があって、
(1)社長は2代目、
(2)従業員数千人超、
(3)関西発祥、
(4)初代社長は西日本の他の地域から大阪に出てきて創業した人、
〔うちの父親の勤め先の初代社長は鹿児島県から、小堀住研(株)は滋賀県から、〕
(5)本社はJR「大阪」駅・阪急「大阪梅田」駅から徒歩圏。
(6)東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者はなかなか採用できないという程度の会社。
(7)知名度としては、知っている人は知っているが知らない人は知らないという程度の知名度。
というあたりは共通していて、
異なる点は、
(A)小堀住研(株)は一部上場だが、うちの父親の勤め先は未上場。うちの父親の勤め先の初代社長のおっさんは「竹中工務店とヤンマーディーゼルとうちの会社で『上場してない三大いい会社』と言うんや」とか言うとったらしいが、出光とか朝日新聞社とかもっと他にあるような気もしたが、なんかそんなこと言うておったようだ。〔「『上場してない三大いい会社』と言うんや」て誰が言ってるのかというと、おっさんが自分で言うとるんやろうが・・と思うが(^^)/ 〕
(B)うちの父親の勤め先の二代目社長は東大経済学部卒だが、小堀住研(株)の二代目社長は高卒(長浜北高校卒http://www.n-nagakita-h.shiga-ec.ed.jp/ )。
(C)小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社です」と何十年も前から叫びまくってきたが、うちの会社の勤め先は大卒の人もおれば高卒の人もいるし、工場などは中卒の人もいて「大卒しか採らない会社」といったことは言っていなかった。
これら3点が違った。
だから、私は小堀住研(株)に入社する前、小堀住研(株)は(A)の上場している・・という分だけ、うちの父親の勤め先よりもわずかに上か・・と思い、そのくらいの会社で採用してもらったと思って喜んで入社したのだった・・が、入社してから周囲を見ていると、逆ではないか・・、小堀住研(株)の方が下だろう・・と思うようになった。なんじゃ、こりぁ~あ・・というものをいっぱい見せられた。
  就職活動中において、「うちは一部上場ですからね」などと言う企業担当者がいたのだが、上場というのは株式についてのことであって、上場しているからいい会社で、上場していないからなってない会社とは決まっていないのに、その言い方はどうなのだろう・・と思ったことがあったのだが、
(1)「上場している会社」が「未上場の会社」「非上場の会社」(「上場していない会社」)よりいいところとしては、「会社を設立するための条件」と「会社を上場するための条件」では、会社を上場するための条件の方がひと回り厳しい基準が求められるということがあるようで、その点では上場している会社の方がいいという「場合はある」ようだ。だから、上場会社は、上場する過程で、会社の状態を整えたという会社があるようで、その点では上場企業の方が勤める者にとってもいい・・という場合はあるようだ。
(2)上場した会社は『有価証券報告書』というものを作成して、大蔵省⇒財務省に提出しなければならず、『有価証券報告書』は大規模書店に行くと一般に販売されていて誰でも購入して見ることができるので、上場している会社は、その分だけ、未上場の会社よりも会社の内容が公開されている・・と思ったのだが、又、証券市場で株が売買されているからには、一般株主も株を持つことになり、創業者といえども会社を「私物化」しにくいのではないか・・と考えたのだが、小堀住研(株)などはそうでもなかった。
  1980年代後半から1990年代初めにかけて、小堀住研(株)の株主は『会社四季報』(東洋経済新報社)・『会社情報』(日本経済新聞社)に掲載されていたものを見ると、二代目社長の中島昭午と他に銀行の名前が何社か出ていたのだが、私は最初、銀行が上位の株主になっているということは、個人株主と違って、個人がやりたい放題ということにはならないのではないか・・と思ったのだが、入社してみるとそうではなく、取締役の半分・監査役の半分が「銀行から来た人」だっただけでなく、(私は最初、「銀行から来た人」というのは取締役の半分・監査役の半分だけだろうと思い込んでいたらそうではなく)取締役未満の役職にも「銀行から来た従業員」というのがいて、それも「ごく少数」ではないようで、それらの人は「その人がそのまま銀行にいた場合の役職」よりも高い役職、「その人が最初から小堀住研(株)に入社した場合の役職」よりも高い役職(要するに、その人の身の程より高い役職)についており、いわば、「銀行家のバカ息子」が大量に会社の上の方の役職についているみたいな感じだった。そういう人間は自分たちは「上級国民」みたいな意識を持っており、戸建住宅建築業についてなど何もわかっていない人間に最初から小堀住研(株)に入社した従業員は支配されているみたいな状態になっていた。「銀行から来た人」というのはその銀行にいる限りにおいては労働者・従業員・勤労者であっても小堀住研(株)に来ると「資本家」の立場であり、「資本家」のバカ息子として来ていた。
  しかし、その後、(株)一条工務店に勤めたら、「未上場」というより「非上場」の会社(「いまだ、上場していない」会社ではなく「上場してなるものかと創業者が考えている会社」)には(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ のように上場しようと思えば上場できるのに上場しない会社というのは、オーナー経営者が上場しても「うまみがない」と思っている、上場しない方がオーナー経営者がやりたい放題できるから上場しないという会社があるので、その分だけ、やっぱり、上場している会社の方が「まとも」な部分はあるかもしれないし、非上場の会社は『有価証券報告書』なんてなく、『未上場会社版 会社四季報』(東洋経済新報社)に掲載されるくらいの会社になっても、『役員四季報』(東洋経済新報社)に掲載されるくらいの会社になっても、(株)一条工務店なんて卑怯者の会社は、『未上場会社版 会社四季報』に掲載されるかされないかくらいだった時期には「株主」は「大澄賢次郎 100%」だったか記載されていたが、ところが、『未上場会社版 会社四季報』に間違いなく掲載されるくらいになると、「株主」は「一条メガソーラー 100%」なんて、「そんな会社、あったんかい」みたいな「関連会社」「グループ会社」で事業としては本体でない方の会社が大株主だということにしているそれならその「一条メガソーラー」の大株主は誰なんだ? それを記載してもらわないと株主を記載したことにならないではないか!
会社四季報 未上場会社版 2022年版 - 会社四季報未上場版編集部
会社四季報 未上場会社版 2022年版 - 会社四季報未上場版編集部
・・
となるのだが、最近では「◇◇ホールディングス」という名前の持株会社があって、その会社がいくつかの事業会社を所有しているというケースが出てきたが、(株)一条工務店の場合は会社のブランド名としては「一条工務店」でも持株会社・「ホールディングス」の会社は(株)一条工務店ではなく「一条メガソーラー」の方らしい。ところが、『未上場会社版 会社四季報』にはその「一条メガソーラー」の方は記載がないのでわからない。そうやって、株を持たれている方の会社が『未上場会社版 会社四季報』に掲載されて、株を持っている方の会社は『未上場会社版 会社四季報』に掲載されないようにして、会社の構造をわかりにくいようにしているのであり、そのあたりを見ると、上場さえすれば良心的などということはないが、やっぱり、上場している会社の方が公開されているところはある・・と言えるだろう。
(3) 3番目として、これは私は小堀住研(株)に入社する時点でははっきりと理解できていなかったのですが、小堀住研(株)は大株主上位に銀行が何社も入っていて、かつ、取締役の半分・監査役の半分が「銀行から来た人」だった。かつ、これは入社する時点では気づいていなかったのですが、「銀行から来た人」は取締役の半分と監査役の半分だけではなく、その下にも「銀行から来た人」がいて、それらの人というのは「その人がそのまま銀行にいた場合の役職」よりも高い役職、「その人が最初から小堀住研(株)に入社した場合の役職」よりもずっと高い役職をもらって来ていた・・という点があった。その業界で一から仕事をしたこともないような男が役職ばっかり高い役職でいっぱいいる・・となるとどうなるか・・というと、⇒ 結局、つぶれた!・・・のだが、銀行って、自分の所が融資したのか出資したのかの会社をつぶすための「人材」を送り込んで、それが何かその銀行にとって得するのだろうか・・と思うのだが、現実に「つぶすための人材」が何行もの銀行から送り込まれていた。
  それら、「銀行から来た人」というのは、その銀行に勤めている限りは「従業員」「労働者」「勤労者」であるのだが、小堀住研(株)に来ると、銀行という「株主」「資本家」から送り込まれた者として「大株主」「資本家」の立場でそこにいることになる。それら「銀行から来た人」というのは最初から小堀住研(株)に入社した人間とは違って特権階級であり「上級国民」であり、「『オーナー社長のバカ息子』が何人もいるみたいなもの」だった。最初から小堀住研(株)に勤めた従業員と「銀行から来た人」とでは立場が違うのであり、いわば「上級国民」みたいなものなのだ。そういうのが大量にいたのだ。
(4) もうひとつ、これは小堀住研(株)に入社する時点では気づいていなかったのだが、二代目社長の違いとして学歴の違いだけではなく、もっと大きな違いがあって、うちの父親の勤め先の会社の二代目は「正妻の子」だったのに対して、小堀住研(株)の二代目社長の中島昭午は「甥っ子」と言っていたがそれは嘘で、実際は初代社長の「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があったが、いずれにしても「メカケ系」だった・・という点がある。これは、実際問題として相当大きな違いがある。
  「奥さん」と「メカケ」は似ているようで大きく違う。社長というのはいつでも常にいい思いばっかりしているかというと、いい思いをする時もあるだろうけれども、片方で社長だから大変な時だってあるのではないかと思う。これは「社長の奥さん」も同じだと思うのだ。まず第一に社長にしても「社長の奥さん」にしても、社長と従業員なら社長の方が立場は強いのは間違いないのだけれども、だからといってあまりにも無茶苦茶やって、従業員に全員辞められたら会社は成り立たない。
  2005年、千葉市のリフォーム会社の(株)ウッディホームhttps://www.woodyhome.com/ で見せられた「研修用ビデオ」で、滋賀県の大店(おおだな)の息子の話、なんだか花登 筺(はなと こばこ)のテレビドラマみたいな話なのだが、まだ、小学生くらいの大店(おおだな)の息子に親戚の叔父さんだかが「おい、おまえ。大店の跡を継ぐということを、なんか、ひとりだけ、楽してええ思いをする立場を継ぐみたいに思っとりぁせんか」と言う場面があった。「そうじゃないんだぞ。大店の跡を継ぐということは『自分だけ楽してええ思いをする』ということではなく、『他の人間がせんような努力をして、他の人間がせんような苦労をして、他の人間がせんような我慢をする』という、そういうことなんやぞ。わかってるのか」と言う。「なんや。それやったら、ええこと何もないやないか」と息子は言うのだったが、「ええこと」はないわけではなく、間違いなくあるはずなのだが、片方で大変なものもあるはずだったのだ。これが「社長の奥さん」も「社長」と同様のところがあると思うのだ。だから、私がこれまで会った「社長の奥さん」でもけっこう腰の低い人がおられる。
  しかし、「メカケ」は違うのだ。「メカケ」というのは「奥さん」とは違って社長からカネを出させればいいのだ。お水・お風の女性が社長専属の””オンリー””になったものだ。お水・お風の女性だって人によって違うかもしれないが、基本的には社長からカネを出させるのが仕事であり、「奥さん」が社長とともに会社が発展するためにはと考える・・「奥さん」もまた「他の人間がせんような努力をして、他の人間がせんような苦労をして、他の人間がせんような我慢をする」なんてことを「メカケ」はしない。「メカケ」がそんなこと考えるわけがない。そして、「メカケの子」なのか「メカケの娘の婿」なのかも思考は「メカケ型思考」であり、会社から「いい思い」を巻き上げる。そして、「メカケ型思考の男」の取り巻きになるような男というのもまた「それに準ずる」ような人間が取り巻になる。
  そういう男が二代目になった会社、「高卒のメカケ系男」が社長になった会社は、初代が他界した後、どうなったかというと・・⇒あっと言う間につぶれた( 一一)
まあ、そういう違いがあった。
  戦国大名の話として、「豊臣を滅ぼしたのは大坂にあらずして関ケ原、関ケ原にあらずして小牧長久手」なんて文句がありますでしょ。大坂の陣で豊臣家は滅びたけれどども、それより前、関ケ原での西軍の敗戦があり、さらに前、小牧長久手の戦いで豊臣は勝てなかった・・というのが「豊臣を滅ぼしたもの」だと言うのだ・・が、小堀住研(株)がつぶれた・・後継会社はヤマダ電機が「いぬき」で買い取って(株)ヤマダエスバイエルホームにして、さらに同様に買い取ったリフォーム部門の「リフォームのナカヤマ」と合体させて(株)ヤマダホームズ https://yamadahomes.jp/ として後継会社は存在するが会社名としては「小堀」も「エスバイエル」も消えた。 最後に、「メカケ系」の二代目がエスバイエル(株)という「ツーバイフォー工法で建てているわけでもないのにツーバイフォー工法の会社みたいな名前」の「あほみたいな名前」に名称変更した会社がつぶれたのが大坂の陣だとすると、(A)「メカケ系」が「程度の低いの」を取り巻きにして高い役職につけたの、及び、(B) 銀行から住宅建築業の経験なんかまったくない人間が「資本家」「上級国民」「オーナー社長のバカ息子」として大量にやってきたのが関ケ原で、そして、「メカケ系」が二代目社長になったのが小堀住研(株)にとっての小牧長久手だったのかもしれない。
※ 《YouTuve-国盗り物語 オープニング》https://www.youtube.com/watch?v=cJtbsOVKHA4

  そういうことはあるのですが、小堀住研(株)の場合は「創業40年少々の会社」だけあって同じ頃に「創業20年未満の会社」だった(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ などよりも年数の分だけ整っていた部分はあったけれども、「一部上場」であったわりに、入社してみると「ええ~え? これが『一部上場』なのお~お?」とびっくりすることがいっぱいあった。もっとも、「これが一部上場かあ?」という会社は日本にはけっこうあるみたいだけれども・・・。
  それで、上場している分だけ小堀住研(株)の方がいくらか上かと思ったが、そうではなかった。小堀住研(株)の方が下だった。

【3】  それから、もうひとつは「採用実績校」だが、小堀住研(株)は慶應大学に出していた求人票には、「応募条件」として「学歴」は
「営業系(営業・人事・総務・経理など)・・4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人、
技術系(設計・工事・工務・アフターサービスなど)・・4年制大学の建築学科もしくは土木学科卒の人」
と明記していたはずで、それに「資格」として、
「普通自動車第一種免許」
を持っていることが「応募資格」だった・・はずだった。
かつ、これは小堀住研(株)の会社案内で見たように思うのだが、「採用実績校」として、
「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったか、そんな書き方、要するに、東大・京大以外の「十大国立大学」から1校、関関同立から2校、「関関同立のすぐ下」あたりの関西系私立大学から1校が記載されていた・・ように記憶している。
・・ところが、入社式の日に行くと、「ええ~え? そんな大学の人が入社してきてるのお~お?」というような大学卒の人が多かったのだ。
はあ~あ?  「嘘でも百回言えば真実」・・になるかというと、ならんだろうな・・( 一一)
同じ時に入社した人間では、自分を別にすると、国立大学卒の人間としては、新潟大卒の男が1人いただけで、関関同立は「営業系」では関西大法学部卒の男が1人、立命館大理工学部建築学科卒の男が1人、女性で関学大卒の人が1人いて、立命館大卒の人が1人いたように思うが、それだけで、他はみんな、「ずう~っと下」の大学卒の人ばっかりで、女性は4年制大学卒の人もいることはいたが短大卒の人の方が多く、女性の場合は仕事の内容が違ったようだが、男性で「技術系」には、短大というのは女性のものかと思っていたら建築については男性の短大があるらしく、「技術系」では短大卒の男性がいた。「小堀住研は大卒しか採らない会社なんですう」と言いまくってきた会社のわりに、新卒入社で建築の「短大卒」の男性社員がいた。
  さらには、千葉支店に配属されてみると、「小堀住研は昔から一貫して大卒しか採らない会社なんです」と言いまくってきたはずだったが、千葉支店には「なじかは知らねど」高卒の男がいた。なんでえ???⇒《YouTuve-ローレライ (歌詞つき) 鮫島有美子 Die Loreley sung by Yumiko Samejima》https://www.youtube.com/watch?v=zbJy_EuY-mE

   会社によっては、その会社の「応募条件」を満たしていない人でも、この人は役に立つと思えば採用するという場合はある。公務員の場合は「応募条件」を満たしていない人を採用すると「違法」になってしまうが、民間企業の「採用条件」は「目安」であるから、「採用条件」「応募条件」と異なる人でも法律上は採用していけないということはない。
  たとえば、私が過去に勤めたことがある某社では東大中退の人がいたのだが、その会社では「大卒に準ずる」という扱いにしていた。その人は中退でも東大卒の人に劣らないだけの仕事ができたらしい。中小企業ではそういうことをする会社があるようだ。実際、大学を卒業しなくても、「大卒に準ずる」もしくはそれ以上の能力がある人はいると思う。又、大学卒に何を期待するのかという問題で、「一般的学力」「一般的学識」を期待するのなら、「しょーもない私立大学」卒の人間よりも、各地域のトップクラスの進学校卒で何らかの理由で大学に行かなかったという人の方がよっぽど学力・教養はある
  弁護士芸人の岡野武志というおっさんは「高卒」から司法試験一次試験合格を経て司法試験二次試験合格で弁護士になったらしいが、アトム法律事務所のYouTuve https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A0%E6%B3%95%E5%BE%8B%E4%BA%8B%E5%8B%99%E6%89%80 を見ると、「高卒でも司法試験に合格できるでしょうか」という質問をコメント欄に入れている人があったように思うのだが、「高卒でも」という場合、旧帝大系国立大学ぐらいに合格できる可能性があるような人が大学に行かずに高卒から司法試験一次試験合格から司法試験二次試験に合格するということは可能かという話と、「しょーもない私立大学」すらも通らないような人間でも司法試験二次試験は合格できますかという話は同じではない。実は私も大学には行かないことにして、司法試験一次試験を経て司法試験二次試験に合格して弁護士になろうかと考えたことも20代の頃にあったのだけれども、アトム法律事務所の弁護士芸人のおっさんにしても、大学に行かなかったといっても、「まあまあの私立大学」に通っていたらしいし、もしも、「教養水準の高い人」を採用したいということならば、「しょーもない私立大学」卒の人よりも、各地域の進学校の高校卒で大学には行かなかったという人、もしくは大学中退の人の方がかえって「教養水準の高い人」の条件を満たす場合が多い。そういう場合に「大卒に準ずる」として採用する会社があるようだ。
   小堀住研(株)の場合、「営業系(営業・人事・総務・経理など)」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人で、普通自動車第一種免許取得者」というのが応募条件だったが、「4年制大学の建築学科もしくは土木学科卒の人で、普通自動車第一種免許取得者」は「技術系(設計・工事・工務・アフターサービスなど)」の応募資格は満たしていても「営業系(営業・人事・総務・経理など)」の応募資格は満たしていないのだけれども、私と同じ年に入社した人間で、立命館大学理工学部建築学科卒の男で、「設計とか工事管理とかよりも営業の方の仕事をしたい」と言って「営業系」で応募したら採用されたと言っていた男がいたが、彼などは「『4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人』に準ずる」という扱いにしてもらったのでしょう。「作家で精神科医」の なだ いなだ が書いていたが、なだ いなだ の家系は医者の家系だったのだが、なだ いなだ の親の代で医者がとだえたそうで、お母さんは3人いた息子のうち1人は医者にしたいと思っていたが、上の2人は大学に進学する時に医学部以外に行ってしまい、3人目の なだ いなだ に医学部に行かそうとしたが、本人は他の学部に行きたかったのだが、「医学部を出たからといって医者にならないといけないということはないじゃないか」と言われて、そうかな・・と思って医学部に行ったけれども、卒業する時になって、医学部を卒業して医者以外の職業につくということは極めて難しいということに気づいた・・と書いていた・・が、
野越えやぶ越え『医車』の旅 (文春文庫 113-3) - なだ いなだ
野越えやぶ越え『医車』の旅 (文春文庫 113-3) - なだ いなだ
建築学科卒の場合は、医学部卒に比べると柔軟性があるようで、本人に法学部・経済学部・商学部でやっているようなことを入社後に学んでいこうという意志がある人間ならば建築学科卒でも「営業系」で採用されたようだった。しかし、彼の場合は「営業系」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のコースで「技術系」は「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」のコースと考えて、技術的な仕事よりも会社を経営するような業務につきたいと思って「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のコースに応募したらしかったが、東京支店自由が丘営業課の課長になっていた東京電機大学建築学科卒だという高橋賢一郎(男。当時、30代後半)はそうではなく、建築学科卒は法学部・経済学部・商学部卒よりエライとお客様から思ってもらう権利があるみたいに思っている人間で、この意識は小堀住研(株)の会社の方針・指針に反するものであり、会社の方針・指針に反する意識の人をそのコースの条件を満たしていないのに採用すると、その職種はこういう人で運営していきますという会社の方針・指針が成り立たなくなる危険があった。
  又、1990年、東京支店自由が丘営業課にいた「近藤すしいち」(仮名)はお客様宅で見込客に「私、宅建主任もってますから」と言うので宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士 の資格を取得したのかと思ったら、「そんなもん、持ってません。ぼくは大学は近畿大学しか出てませんし、学部も建築学科とかではなく経済学部しか出てませんから、だから、取り柄がないから『宅建主任もってます』ということにしてるだけです。宅建主任なんか持ってません」と言うのです。しかも、それは入社1年目に配属された営業課の課長からそうしろと指示されてやっているのだと言うのです。まず第一に「経済学部しか」とは何だ、「経済学部しか」とは。そもそも、小堀住研(株)は「小堀住研は大卒しか採らない会社なんですう」と何十年間にわたって叫びまくってきた会社だったはずだが、「大卒」のいいところとしては、そういった資格について、もしも、「☆☆の資格を持ってます」と言いたいのならその資格を取得すればいい・・と考えるのが「大卒」と違うのか? 宅建主任(宅地建物取引主任者)⇒宅地建物取引士 なんて、2004年、雇用能力開発機構千葉センターの「就職コンサルタント」のおっさんは「宅建主任なんて、試験会場に行って名前と受験番号さえ書けば誰でも通る資格だ」などと暴言を吐いたが、決してそんなことはなくて、私も2回目の受験で通ったけれども1回目の受験では落ちたし、もしも「試験会場に行って名前と受験番号さえ書けば誰でも通る資格」であるなら私だって1回目で合格したはずだが落ちたし、小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも私の周囲にいた人で、宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士 の試験を「受けた」という人はけっこういて、「取りたい」と言っていた人もいっぱいいたのだけれども、「通った」という人はあんまりいなかったのだが、だから、柴田孝之が『司法試験 ゼッタイ合格の秘訣』の付録のDVDで「宅建主任というもんのすごい簡単な試験がある。もんのすごい簡単、もんのすごい簡単」とか言っていたが、そこまで簡単ではないと思うし、そんなこと思っていたら落ちるぞ・・と私は思うのだが、しかし、司法試験とか公認会計士試験とかのような難関と言われる試験ではなく、学歴でも高卒くらいのおっさんが通っている試験であり、クルマの運転をしたかったら無免許運転するのではなく普通自動車第一種免許を取得して運転すればいいのと同じく、「ぼく、宅建主任もってますから」と言いたいのなら試験を受けて通って登録して言えばいいだろうがと思うのだが、それに小堀住研(株)は「建築の住宅」の会社で「不動産の住宅」の会社ではないから宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士 の資格を持っていないのに「宅建主任もってます」と言っても宅地建物取引業法違反として処罰されることはないかもしれないが、軽犯罪法第一条の
《 第一条 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。
十五 官公職、位階勲等、学位その他法令により定められた称号若しくは外国におけるこれらに準ずるものを詐称し、又は資格がないのにかかわらず、法令により定められた制服若しくは勲章、記章その他の標章若しくはこれらに似せて作つた物を用いた者 》
に該当すると思うのだ。軽犯罪法違反のはずなのだ。1990年前後、小堀住研(株)の千葉支店柏展示場にいた犀川(男。当時、30代後半)が日大芸術学部しか出てないくせに「私、早稲田の建築でてますから」とかお客さんに言っておったらしいのは、早稲田大学は私立であって「早稲田大学卒」は国の「法令により定められた称号」ではないから軽犯罪法違反には該当しないだろうけれども、だから言いたい放題? ・・かどうかはさておき・・というのか、「早稲田の政経」というのは昔から「学歴詐称の定番」だし「早稲田の建築」というのは「建築業界限定での学歴詐称の定番」なので、私なんかは「早稲田の政経」と「早稲田の建築」と言われると「ははあ~ん( 一一)」と思うのだが・・、宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士というのは国家資格であるから、軽犯罪法第1条第15号の「法令により定められた称号」に該当すると思うのだ。かつ、「宅建主任もってます」と持っていないのに言えと指示したという営業課長の某もまた、軽犯罪法の
《 第三条 第一条の罪を教唆し、又は幇助した者は、正犯に準ずる。
に該当するはずなのだ。
※ 《法令検索 軽犯罪法》https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=323AC0000000039
・・そんなことよりも、まず第一に、クルマを運転したいのなら無免許で運転する技術を磨くのではなく運転免許を取れよお~お( 一一) ・・というのと同じく、宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士 の資格なんて、雇用能力開発機構の「就職コンサルタント」のおっさんが言うような「受けさえすれば誰でも間違いなく通る」だの「試験会場まで行って名前と受験番号さえ書けば絶対に誰でも通る」だのというようなそこまで易しい試験ではなく、落ちる人はいるのだけれども、司法試験や公認会計士試験みたいな難関と言われる試験ではないのだから、「宅建主任もってます」と言いたいのなら取得して言えよお~お・・・と思うが( 一一)
( 一一)( 一一)
  ・・・それでだが、小堀住研は「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社なんですう」と何十年間にわたって叫びまくってきた会社なんですう・・というはずだったのだが、「大卒」というのは「『バカでも入れる私大の建築学科』でましたあ、『バカでも入れる私大の建築学科』卒ですから一級建築士はもちろん二級建築士も未来永劫絶対通りませ~ん♪」とか、「実際はニチゲーですけど『わたし、早稲田の建築でてますから』」とか、そういうのを「大卒」と言うのではなく、まず第一に、もしも、その業界で仕事をする上で何らかの評価を得られるであろうと思う資格があったなら、その資格を取得することで評価してもらおうと考えるのか、持ってないのに「持ってますう」と詐称することで評価してもらおうと考えるのか・・どちらかという問題において、前者、その資格を取得することで評価してもらおうと考える人のことを「大卒」と言うのではないのだろうか。もしも、後者、持ってないのに「持ってますう」と詐称することで評価してもらおうと考える方の人の「大卒」を「大卒しか採らない会社」と言い出したなら、「大卒」の意味ないやんけ!・・・ということになる。そう思いませんか?

  「応募条件」を満たしていない人でも、会社としてこの人なら役に立つだろうと判断した人なら採用するということは会社という所においてはあることだけれども、あまりにも条件をはずれた人を採用してしまうと、その「応募条件」ていったい何だったんだ・・ということになるし、「応募条件」を満たして入社した人の間で不満がたまることになる。実際、小堀住研(株)では「『大卒しか採らない会社』のはずなのに、なぜか、高卒の人間がいる」というのは、大学新卒で入社した人間の間では不満の声として出ていた。又、その高卒の人間というのが「その高卒のやつがえらそうにしている」というのも大学新卒で入社した人間は多くの者が怒っていた。「なんで、あいつ、いるんだ!」という言葉が従業員の口から出ている・・ということは使用者は認識しておかないといけないはずだが、「メカケ系」は「そんなの社長の自由だ」みたいに思っていたのではないか・・( 一一)
  千葉支店でも高卒の男性社員がいたが、私などにもえらそうな口をきいていたのだが、なんだか、自分は「先輩社員」だと思っていたのかもしれないが、高校卒業の年からすると私の方がよっぽど先であり、「慶應大学卒」で入社した者が高卒の人間がやることに腹を立てるというのは大人げないと思って我慢してきたが、私よりよっぽど後で高校を卒業した高卒の人間が、よくまあ、ここまでえらそうな口をきくものだと思っていた。
  小堀住研(株)はうちの親が大阪府の北摂地区で1969年に戸建住宅を建てた頃からすでに「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社なんですう」と言いまくってきていたはずだった・・が、「なじかはしらねど」、入社してみると「高卒のおっさんがえらそうにしている会社」だった。 又、会社案内にだったと思うのだが「採用実績校・・・神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったか記載されていたはずだったが、入社してみると、神戸大が卒の人なんてどこにもいなくて、関関同立卒もほとんどいなくて甲南大学卒もいなくて、「それよりずうう~っと下」が多かった。東京支店自由が丘営業課の課長の高橋賢一郎なんて東京電機大学卒で、「は~あ? そんな『大学』卒の人間なんて採ってる会社だったのお?」とびっくりした。たしか、小堀住研(株)の「採用実績校」は「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったかそんな感じの記載がされていたはずで、そういう会社で採用してもらったと思って入社したのだったが、いくらなんでも東京電機大学なんてそんな「大学」の卒業生がいるとは思わなかった。

【4】 それから、小堀住研(株)で驚いたのは人事部長の高田だった。私は小堀住研(株)に入社するまで、もし、会社という所に勤めるのであれば人事総務関係の仕事につきたいと思っていた。そして、人事部長とかいった職種に就く人というのは、旧帝大系国立大学か早慶くらいの大学の法学部卒で労働法などを学んできた人か、商学部・経営学部で労務管理論・労働経済学などを学んできた人か、文学部心理学科か教育学部教育心理学科卒で心理学・教育心理学などを学んできた人かで、大学で学んできた専門は労働法なのか、労務管理論なのか労働経済学なのか、心理学・教育心理学なのかにかかわらず、それ以外のものもある程度以上学んできた人間・学ぼうという姿勢がある人間が会社に勤めて一線の仕事もある程度経験して、その上でなるものだ・・・と思い込んでいた・・のだが、小堀住研(株)の人事部長の高田はまったくそういう人間ではなかった。どういう人間かというと、要するに「単なる程度の低い教養のない専門知識もない下品な高卒のおっさん」だった。はあ~あ? ええ~え? この人が人事部長なのお~お???・・と思ったのだが、おそらく、「一族」なのだろうと思うが、しかし、「一族」であったとしても、「従業員数10人程度の工務店の人事部長」ならば、その程度の人でもいいのかもしれないけれども、ええ~え? この人が「一部上場企業の人事部長」なのお? この人が「従業員数千人以上の会社の人事部長」なのお~お? はあ~あ? この人が「『日経産業シリーズ 住宅』にも掲載されている施工棟数全国10位以内 という会社の人事部長」なのお~お? ええ~え? はあ~あ? ええ~え??  という人だった。そういう「新人類」か「異星人」かというような人が人事部長になっている会社だった。他にもそういう人がいた。
  今から考えると、私は入社時において小堀住研(株)という会社を買いかぶっていた・・ということだと思う。

  それから、「学歴による差別はけしからん」と言う人というのがあります。1970年代後半、北野高校の3年の時の担任だったO谷郁三という男(当時、40代)がそれだったのですが・・で、大谷郁三や遠山啓(とおやま ひらく)がずるいと思うのは文学部史学科卒で高校「社会科」の教諭の資格を取得して高校の「日本史」の教諭にならせてもらっている人が史学科卒でない人と異なる扱いを受けるのはかまわなくて、理学部数学科卒の遠山啓がそうでない人と異なる扱いを受けるのはかまわなくて、経済学部・商学部・経営学部など卒の人間については高卒・中卒と同じ扱いにしないと不公平だという主張をするところで、大谷は遠山啓『競争原理を越えて』(太郎次郎社)の受け売りのようだったが、大谷のような文学部史学科卒の人とか遠山啓のような理学部数学科卒の人は大学でやってきたことは役に立つから高卒・中卒の人と「区別」するのは当然で経済学部・商学部・経営学部卒の人間は高卒・中卒と同じ扱いにしないと不公平だという主張というのは、そのあたりは遠山啓も大谷郁三も認識がおかしい・・し、なによりズルイ! と私は思うようになったのだが、日本の小学校から高校まででやっていること、大学でやっていることというのは、そんなに有害無益なものだと思いますか?
  もしも、小学校から高校まででやっていることと大学でやっていることが有害無益ならば、「単なる程度の低い教養のない専門知識もない下品な高卒のおっさん」でも「旧帝大系国立大学か早慶くらいの大学の法学部卒で労働法などを学んできた人か、商学部・経営学部で労務管理論・労働経済学などを学んできた人か、文学部心理学科か教育学部教育心理学科卒で心理学・教育心理学などを学んできた人かで、大学で学んできた専門は労働法なのか、労務管理論なのか労働経済学なのか、心理学・教育心理学なのかにかかわらず、それ以外のものもある程度以上学んできた人間・学ぼうという姿勢がある人間が会社に勤めて一線の仕事もある程度経験して、その上でなった人事部長」と同様のことができるはずですよね。・・できると思いますか? もしも、「従業員数10人程度の工務店の人事部長ならわからないこともないが従業員数千人超の一部上場企業の人事部長になるような人ではない」という人が「従業員数千人超えの一部上場企業の人事部長」になったら「単なる程度の低い教養のない専門知識もない下品な高卒のおっさん」が「従業員数千人超えの一部上場企業の人事部長」になると思いますか? ・・バカ言ってんじゃないわ~あ♪ なるわけないだろうが! ・・そうではなく、「従業員数千人超えの一部上場企業」の方が「従業員数十人程度の工務店」になるか、もしくは、つぶれるか・・・でしょう。・・で、結局、つぶれたのです( 一一)
  「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)で書いていたのですが、「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ」と。「単なる程度の低い教養のない専門知識もない下品な高卒のおっさん」が高い役職についたらその人の値打ちも高くなるかというとそうではなく、むしろ、その役職の値打ちの方が下がる。
娘の学校 (中公文庫 A 14) - なだ いなだ
娘の学校 (中公文庫 A 14) - なだ いなだ


【B】  それで、ここからが今回の本題。
《1》  1990年(平成2年)の6月のことだ。東京支店自由が丘営業課(東京都目黒区 自由が丘展示場)でのことだ。〔小堀住研(株)の自由が丘展示場があった自由が丘住宅公園は今はなく、マンションが建っている。〕私は千葉県松戸市の松戸営業課(松戸展示場)から4月に転勤して自由が丘営業課に赴任していたが、3月に松戸展示場にて接客した有望見込客の方との話が進み、契約してもらえそうな状況になった。
  ビジネスであるからには価格交渉が入るのは当たり前であるとして、戸建住宅建築業の会社の中には大幅な値引きをする会社もあったが小堀住研(株)は「値引きは(たいして)しない」という会社だった。なぜかというと、「値引きは(たいして)しない」ということで会社としての「格」を下げないようにしていたということもあるが、その頃、木質パネル構法による高級住宅志向の完全自由設計の「新 桂(しん かつら)」と「高品質低価格」タイプで建設省・通産省の「ハウス55」計画から生まれたという「企画住宅」の「小堀ハウス55」のシリーズの二本立てで、それに東京都と関西では創業以来の在来木造での建物も建てていて、在来木造での建物は価格帯としては「新 桂」以上のものだったので、価格帯とシステムから考えると《「新 桂」と「小堀の木造住宅」》と「小堀ハウス55」シリーズの二本立てになっていたのだが、商品の性質として、《「新 桂」と「小堀の木造住宅」》は「うちは安くないですよ。しかし、間違いなくいいものを作りますよ」という性質の商品で、大幅な値引きはしないということで商品の値打ちを下げないようにしていたという面もあり、「そんなに値引きしてほしいなら、どうぞ、よそで建ててください」というくらいの性質の商品で、それでも契約したいと思ってもらうことで契約にもっていくようなそういう商品であり、「ハウス55」シリーズは、これは「高品質低価格」、その値段から考えると高品質、その内容から考えると低価格というのを「売り」にしていた商品なので、最初の出発点において低めの価格を提示している商品なので、そこからさらに引けと言われてもできないようにできていたのであり、戸建住宅建築業の会社でも、最初に高めの値段を提示して、そこからドカンと値引きをすることで「お買い得感」を持たせて契約させるという作戦を取っていた会社もあるようだが、「小堀ハウス55」というのはそうではなく、最初の時点で低めの値段を提示することで見込客を掴んで、そこから契約に持って行くという作戦のものだったので、提示した金額から値引きをするとしても「おあいそ」程度のもの、「3%の時点での消費税分程度のもの」だった。まあ、施主としては「得な買い物をしたと思いたい」という心情はあるし、そもそも、ビジネスであるからには価格交渉が入るのは当たり前であるのだが、そういう事情がある商品だったので、大幅な値引きは不可能というものだった。
〔 1992年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の東京営業所(江東区潮見)で、8月に本人の希望で浜松の営業所から東京営業所に転勤してきた小野田くん(男。新卒入社1年目)が「エスバイエルなんかはいっぱい値引きする」と言うので、「そんなことないよお」と教えてあげたのだが、ところが、小野田くんは自分が真面目に他社について学ぼうとせずにデタラメ言っておきながら、私が親切で本当のことを教えてあげると怒るのだ。怒られてまで教えることはないか・・と思ったのだが、「浜松帰り」というのが(株)一条工務店社内では「ブランド」というのか、遠州人[(株)一条工務店の遠州人]はそれを自慢にしていたのだが、浜松のいいかげんな営業がデマカセ・デタラメ言ったものを学習して、それで浜松で学んできたのだから絶対に正しいと信じていたようだったが、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) の建物は、完全自由設計の高級志向タイプの「新 桂」と「小堀の木造」については、もともとが「うちは高いですよ。しかし、いいものを作りますよ」という姿勢の商品であり、「高品質低価格」タイプの「小堀ハウス55」については、これは最初に高めの金額を提示してドカンと引いて「お買い得感」を持たせて契約に持って行くという作戦の商品ではなく、「国家商品として、『昭和50年の物価で延べ床面積100㎡の高品質な住宅を500万円台で供給する』という趣旨から生まれた高品質・低価格な商品」という「売り」のものなので最初の時点で「その内容から考えると低価格」という価格をプラン集に掲載している商品であり、最初に低めの金額を提示しているのでそこからさらに引こうと思ってもたいして引けないという性質のものだったのだ。だから、住宅建築業の会社でも、最初に高めの金額を提示して、そこからドカンと引くことで「お買い得感」を持たせて契約に持って行くという作戦をとっていた会社もあったようだけれども、小堀住研(株)は《「新 桂」および「小堀の木造」》にしても「ハウス55」シリーズにしても、そういうやり方はとっていない商品だったのだが、ところが(株)一条工務店の小野田くんはまだ20代前半であったにもかかわらず思考が硬く、素直さに欠けるところがあり、浜松で浜松の程度の低い「一条浜松流」営業から嘘を ” O J T ” されてきたのに、それを自慢していたのであり、なんとも愚かなことだったが、(株)一条工務店の「浜松帰り」の人間というのは「浜松は間違っていても正しい」という信仰を植えつけられてきているので、実際と違うことを信じていたのではいいことないと思って親切心から教えてあげると怒るのだった。世の中には嘘を教える相手をありがたがって、本当のことを言ってくれる人間に怒る人というのは時々いるが、小野田くんもそのタイプだったようだった。又、小野田くんがお客さんに話をするのを聞いていると何かと「『よそ』はね・・」とかいう言い方が多い。 小野田くんの住宅建築業観では住宅建築業の会社は(株)一条工務店と「よそ」という会社の2社しかないみたいな感じ住宅建築業の会社は何社もあって、(株)一条工務店はそのうちの1社であるはずなのだが、そうではなく、(株)一条工務店と「よそ」の2社しかないみたいな信仰を持っているようだった。そういう信仰を浜松で植えつけられてきたようだった。(株)一条工務店の「オリジナル営業」、特に静岡県中西部・愛知県の営業にはそういう「天動説」思考の人が多く、同業他社から転職で入った従業員にはそれを不思議に思う人が多かったようなのだが、そうなると「オリジナル営業」としては同業他社の経験がある従業員というのがおもしろくないらしかった。自分の方がおかしいのだろうが!・・と思っても、「オリジナル営業」の方がその会社では「主流」であり「譜代」であり「『一条工務店の土台を築いてきた人たち』と自称している人たち」だった。
  小野田くんは浜松の営業所で1992年の時点で(株)一条工務店で「通算契約棟数全国2位」だった浜松営業所の所長の平松さんの隣の席に座っていたということから、同時期に入社した東京営業所の人間に向って通算契約棟数ゼロ棟の新入社員が「営業のやり方を教えてやる」という文句を何度も何度も口にしていたのだったが、平松さんは「通算契約棟数全国2位」の人であったのなら、新卒新入社員に対して「通算契約棟数全国2位の人間の隣の席に座っていても『通算契約棟数全国2位の人間』と『通算契約棟数全国2位の人間の隣の席に座っていた通算契約棟数ゼロ棟の人間』は違うんだよ」と教えてあげる方が親切というものだったのではないかと思う。それを教えないというのは、平松さんはもしも無能でなかったのなら不親切というものだったであろう。 小野田くんは「浜松帰り」で、浜松の営業所で実力もない程度の低い経験年数も浅い浜松営業が、その場所においては(株)一条工務店の商品がそこに合うことと、浜松の営業は(株)一条工務店は東京都では坪55万円に設定しているものを浜松・掛川では坪48万円、名古屋では坪49万5千円とウルトラのダンピング販売をしていたことから、同業他社の商品では東京都で競合になる商品よりもひと回りか二回り下の商品と競合になって売っていた、いわば、東京都の営業は「浜松向けのクラウン」をクラウンの値段で他社の「東京向けのクラウン」との競合で売らされていたのに対して、浜松・掛川の営業は「浜松・掛川向けのクラウン」をカローラの値段で他社のカローラとの競合で売っていたこと〔普通に考えて、クラウンをカローラの値段で売ったら売れるよなあ・・( 一一) 〕、「見せるための工場」も浜松に作るし、静岡県以外の地域でも営業・施工していたにもかかわらず、カタログも静岡県向け・浜松向けのカタログを作るし、静岡県中西部・愛知県のみテレビ広告を””ドカンと一発♪””やりまくるは、浜松・掛川の営業所では展示場1店舗あたりの営業の数が東京営業所よりも少なく、多いπ(パイ)を少ない人数で分けるということをしていたことから、それで浜松の実力もない経験も浅い営業が「売った」のではなく「売れていた」ということから、そうやって「売った」のではなく「売らせてもらった」営業からデタラメばっかりの「社員教育」「営業指導」””OJT”” を受けて、それを得意がっていて、そういう「浜松流」の程度の低いデタラメ営業の物真似ができるようになったから、だから、自分は「売れる権利がある」みたいに強く信じていたのだったが、小野田くんが信じていた、「浜松流」の程度の低い営業の物真似を学習した者は他の地域で「売れる権利」などというそんな身勝手な「権利」なんか、申し訳ないけれども、ない! 平松さんはまがりなりにも「所長」だったのなら、まがりなりにもその時点で「通算契約棟数全国2位」の人であったのなら、小野田くんに「そんなものではないんだよ」ということを教えてあげるべきであり、それを教えずに、「浜松流」の物真似を学習した者は「売れる権利」があるみたいな傲慢な意識を新卒新人が持つようになっていたことに対して注意もしなかった・・というのは、その点においては評価できない。私は一度だけ、平松さんに平松さんの「構造アプローチ」のやり方を教えてもらったことがあり、親切に教えてもらったと思っているし、誰にでももったいつけずに教えてくれる人のようで、そういう人ならば、そういうことができる人であるならば、新卒新人が間違った意識を持っているのなら、隣に座っていたのなら教えてあげれば良かったのではないのか・・と大変残念に思う。「アホの物真似」を学習したから「売れる権利」があるなどといったん信仰しだした者に「それは違うんだよ」と教えるというのは、これはなかなか難しい。最初の時点で「浜松流」を学んだ者は、そのまま永遠に浜松にいて「浜松流」を続けるのでないなら「浜松流」は学ばない方がいいし、最初に「浜松流」を学んだ者は永遠に「浜松の中のカエル」として「浜松の中」から外に出ないようにして、他地域には行かないようにした方がいいだろう。〕
  しかし、「相場」というものがある。小堀住研(株)の営業誰もがこのくらいの値引きをして契約してもらっているという価格があって、それが実際の「相場」であり、それより安い価格で契約してもらおうとする見込客には、営業担当者は無理に契約してもらうよりも断った方がいいという場合もあり、無理な要求を通そうとする見込客に対処できない営業というのは営業として困ったものだったのだが、片方で、最初に提示した見積額からこの程度の値引きをして最終契約額を決めて契約するというのが「相場」になっているのに、それをまったく値引きせずに「定価販売」みたいなことをすると、これは逆に自分が営業担当のお客様に実質的に「水増し」の金額で契約させたことになってしまう最終的にはこのあたりが契約金額の着地点と想定して、それより少し高めの額を見積額として出しているのに、その見積額のままで契約させてしまうというのもまた良心的と言い難いもので、そんなことやっている営業なんてなかった。
  ところが・・・。 私は入社して1年目、松戸展示場に松戸営業一課と松戸営業二課と2チームあって、それは市川展示場がオープン予定だったので、市川展示場がオープンすると松戸営業二課が市川営業課として行く予定になっていたからだったが、そこで、入社7年目のAさん(男。当時、20代後半)が入社2年目のMさん(男。当時、20代なかば)に話していたのだが、「何棟か契約してもらったら、だいたい、どのくらいの値引きならしてもいいかわかるだろう。俺、入社2年目の時、課長に同行してもらわずに、いくらか値引きして契約してもらって、『このお宅、契約いただきました』と課長に報告したら、課長は『おめえに値引きする権限なんてないだろうが』とか言いながら、『よくやった』と言ってひとりで契約できたということを喜んでくれたよ。そりぁ、課長がどのくらいの値引きをするか考えて、それよりはるかに大きな値引きなんて勝手にやったらいけないけれども、このくらい引いて契約してもらうものだとわかっていたら、もう、その金額で契約してもらえばいいと思うんだよ。いつまでも課長に同行してもらってやるよりも、いつまでも課長に手取足取りやってもらうより(おんぶにだっこしてもらっての営業やるよりも)一人で契約してもらうことができたら、課長は喜んでくれるよ」と話していたのを横で聞いた。私が松戸営業課から自由が丘営業課に転勤した時、松戸営業課の課長だった石井が「(新卒入社して1年経った営業でも自立して営業の仕事ができていない人が多いけれども、)〇〇くんは、3月にKさん宅をひとりで行って契約してもらってきましたし、一通りのことを自分でできる営業です」と言ってくれたのだが、報告はしておくべきだが、課長に何でも頼らなくても自分でできるものはやった方がいいし、契約してもらえるように一通りの段どりをした上で、契約してもらう時に課長に同席してもらって挨拶してもらった上で契約書に署名捺印してもらうようにすればいいと考えて、それで、見込客だって「小堀さんは、あんまり引いてくれないという評判だ」と言われていたように、知り合いで建てた人とかから「相場」を聞いておられて、そして、「相場」程度の値引きをしてもらえないかと話されて、私は「考えさせていただきたいと思います」という返事をして帰り、自由が丘営業課の課長の高橋賢一郎(男。当時、30代半ば過ぎ。東京電機大学卒)に「このくらい引いてもらえたら契約したいという話ですので、それで契約してもらってよろしいでしょうか」というように話をしたのだ。松戸営業課のAさん(1990年においては30歳。入社8年目)が「そのように持っていけば課長は喜んでくれるよ」と言ったように持っていったのだ。契約予定金額は小堀住研(株)の「相場」として妥当なものであり、そこまでお膳立てをして、了解の返事さえもらえばそれで契約してもらえる・・というところまで持っていったのだった。
  しかし、世の中には変な男もいるものだ。ところが・・自由が丘営業課の課長の高橋賢一郎は「だめだ。〇〇くんは値引きなんかしなくても契約してもらえる人間のはずだ。値引きなしで契約してもらえ」と言うのだ。それで、決まりかけた話がいったん停止した。
  「値引き」という言葉には二通りの意味がある。
(1)「相場」の金額よりも低い金額で契約してもらうという「値引き」と、
(2)「相場」よりも高い金額を提示した上で「相場」まで引くというものとである。

もし、私が「相場」よりも安い金額で契約してもらおうとしていたのなら、「だめだ、そんな安い金額で契約してもらわなくても普通の金額で契約してもらえるはずだ」と言うのはわかる。しかし、高橋賢一郎はそうではなく、東京支店の他の営業担当者や自由が丘営業課の他の営業担当者、入社6年目の長橋(男。当時、20代後半)や入社3年目の近藤(男。当時、20代前半)には認めていたもの、何より高橋賢一郎自身がそのくらいの金額で契約していたものを私ひとりだけにだめだと言って契約させなかったのだ。 会社が定めた見積もり内容によって計算した金額は、最終的な着地点を想定した上でそれよりいくらか高い金額になっている。だから、その差額分を引いて契約してもらっていいのです。しかし、中には本当に予算がきついという人もあるかもしれないが、口でそう言っても実際にはより多くの値引きをしてもらいたいだけという人の方が多い・・といよりも、まがりなりにも家1軒建てることができる人が、そんなミミッチイ値引きをしてもらえなければ建てられないというのはおかしい。
  しかし、
(1) 自分が担当の見込客だけ、他の営業よりもひと回り高い金額で契約させられるというのは、それでは自分を信頼して契約しようと言ってくださっている見込客を裏切る行為であるし、
(2) 自分が担当の見込客だけ上乗せの金額で契約させられるみたいな話であり、他の営業も「定価販売」しているのならまだしもそうではないのに、私ひとりだけが「定価販売」でないと契約してはだめだと言われて他の営業よりも高い金額で契約しないといけないとなると、営業は他の営業との比較で営業成績を見られるのだが、その他の営業と比べて不利な条件で営業させられているということになる。

だいたい、高橋賢一郎はそういったことを言うのであれば、まず、自分自身が「定価販売」するべきだし、又、私がそんな高めの金額で契約しなければならないのでは他の営業と比べて従業員として不公平でもある。
  それで、これは結果としてどうなったかというと、高橋賢一郎は私に、その「相場」での契約を断らせた上で、「ぼくが一緒に行く」と言って同行した上で、私には「だめだ。そんなもの、引いては」と言った金額を引いただけではなく、そこからさらに、施主が要求してもいないのに「照明器具サービス」なんてものまでやって契約したのだ。何、この人?
  ・・私は小堀住研(株)の「相場」から考えて、そのくらいの金額が最終着地点として妥当だろうというところで契約してもらえるように持っていったのだったが、ところが課長の高橋賢一郎はそれを「だめだ」と言って断らせて、それで自分が同行した上で、「課長同行」すると言うから、課長としてその「相場」の値引きもしないで契約してもらう方法を見せるのかと思ったらそうではなく、私に断らせた「相場」の値引き(提示額から予定最終着地点までの額の値引き)をするだけでなく、必要でもないのに、そこからさらに「相場」をはるかに超えて「照明器具サービス」なんてものを施主が特に要求してもいないのに約束してしまったのだ。何、この人? 何のつもりなの? いったい、何考えてんの?

  そして、同行した際、高橋賢一郎は「うちのインテリアコーディネーター(といっても、インテリア産業協会が実施して当時は「通産省認定国家資格」だったインテリアコーディネーターの資格は持っていない女性社員)に照明器具を選ばせてもらえるなら、照明器具をサービスさせてもらいます」と返事したはずだったが、私が「照明器具を選んでもらうようにインテリアコーディネーターの人に頼んだ方がいいですか」と言うと「ぼくが頼んでおくから」と言って頼まない。営業課長の役職を持っている者が「ぼくが頼んでおくから」と言ったなら頼んでおかないといけない。なぜ、高橋賢一郎は「ぼくが頼んでおくから」と言って頼まないのか? 頼まないなら、なぜ「ぼくが頼んでおくから」と言うのか。
  そのうち、契約してもらうために契約書を作成して持参しなければならない日が近づいてきて、私が「照明器具を選んでもらうように頼んでもらいましたか」と言うと、「設計の☆☆くんに選んでもらうように頼んでおく」と言う。ところが、その東京支店設計課の「三流大学の建築学科」卒の20代のなんとかくんに「照明器具は選んでもらえましたか」と私が言うと、「そんなもの、おまえが選べよ」と言うのでした。
  これですけれども、入社して10年の経験がある営業か、もしくは松戸営業課の課長だった石井のように元 設計事務所で設計やっていたとかいう営業が営業担当ならば、「元設計の営業」とか「十年選手の営業」とかが営業担当の場合は「営業が選べばいいでしょうが」というものでも悪くはないでしょうけれども、その時、私は新卒入社2年目に入ったばっかりだったのです。新卒入社2年目に入ったばっかりということは「しろうと」とほぼ一緒なのです。営業でも10年もやっている人ならば「入社1年目の設計みたいなもんに負けてたまるか」というところでしょうけれども〔この「入社1年目の設計みたいなもんに負けてたまるか」という文句は、2001年、(株)一条工務店に在籍した時、戸建住宅建築業の会社の「トップセールス」とか営業部長とかに話を聞いたビデオを販売している会社があって、そういう会社から購入した営業ビデオで、東日本ハウス(現 日本ハウスホールディングス)の「トップセールス」というおっさんがその「研修用ビデオ」で言っていた文句ですが・・〕、「建築学科卒でもない者が新卒入社2年目に入ったばっかり」というのは照明器具については「ほぼしろうと」ですからね。「しろうと」に選ばせるというのは無茶です。
  それで、私はその設計担当者に「ええ? 私が選ぶのですか?」と言ったのですが、設計担当者は「そうだよ。おまえが選べよ」と言うのです。それで、「どういうように選んだらいいのでしょうか」と言ったところ、「そんなもの、カタログ見て選べばいいだろうが」と言うのです。
  しかたなしに私は小泉産業のカタログから、その部屋ならこういうデザインのものが合うかと考えて、そして明るさについてはカタログに6畳の部屋なら「6~8畳」と書かれているものか「4.5畳~6畳」と書かれているもののどちらかから、デザインが合いそうなものを選んで、それで、設計担当者に「これでいいでしょうか」と言って見てもらおうとしたところ、設計担当者はそれを見もしないで「いいよ、それで」と言うので、無責任な男だなあと思ったものでした。 たとえば、『味いちもんめ』という板前を描いた漫画がありますが、そこで新宿の「割烹 藤村」では、経験が浅い板前がダシを作ったりすると、板長の熊野さんに「あたり、お願いします」と言って小皿に入れたものも持って言うと、板長の熊野さんは味見をして「ええやろ」と言うか、もしくは「もう少し、塩を足せ」とか指示をしたりします。小堀住研(株)でも、千葉支店の設計は設計課長の I さんを含めて5人の設計がいましたが、設計担当者は自分で図面を作成したなら営業担当に図面が完成したと連絡する前に、設計課長の I さんに見せて、I さんはそれを一通り見て、「うん。いいだろ」と言い、設計担当者はそれから営業担当に図面が完成したという旨の連絡を入れていたのです。東京支店のその設計担当者も入社2年目に入ったばかりの時の私に「おまえが選べよ」と言って入社2年目に入ったばかりの者が、とりあえず選んだなら、自分でそれを見て、そのままでいいかどうか確認する作業をしないといけないはずです・・・が、まったく見もしないで入社2年目に入ったばかりの者が仮に選んだものを「ああ、それでいいよ」と言ったのです。「バカでも入れる私大の建築学科」卒の若造に下手に出てきたのは、私が担当のお客様の仕事をきっちりとやってもらおうということで下手に出てきたのですが、これでは下手に出てきて「バカでも入れる私大の建築学科」卒の男にえらそうな態度を取らせただけ、やらずぶったくりになってしまいました。小堀住研(株)は営業の方が設計・工事・工務課の従業員よりも給料はいいと言われていたのですが、営業より安かったとしても、それでも、設計担当者というのは給料もらっていたはずなのです。タダで仕事していたのではないはずなのです。こんな対応で給料もらっていいのでしょうか。
   完成後、御施主様に聞いたところ、「あの照明器具もデザインばっかりで、暗い」と苦情を言われましたなぜ、「暗い」ことになったかというと、一般に照明器具のメーカーのカタログに記載されている「4.5畳~6畳用」というのは4.5畳用だと考えるべき、「6畳~8畳用」は6畳用と考えるべき、「8畳~10畳用」は8畳用と考えるべきで、「4.5畳~6畳用」と書いてあるからには4.5畳から6畳までの部屋に向いていると考えてよいのだろう、「6畳~8畳用」と書いてあるからには6畳から8畳までの間の部屋に使用してよいのだろう、「8畳~10畳用」と書いてあるからには8畳から10畳の部屋に使用するのが適している照明器具なのだろう・・と考えて「4.5畳から6畳用」を6畳の部屋に選んだり、「6~8畳用」を8畳の部屋に選んだりすると暗いのです。その時の私はそれを知らなかった。 だから、私は営業課長の高橋賢一郎にも設計担当者の男にも「私が選ぶのですか。誰か、照明器具についてわかっている人に選んでもらえないのですか」と何度も何度も言ったし、私が一通り選んだものを設計担当者に「これで、どうでしょうか」と意見をきいても、まったく見もしないで「いいよ、それで」とうるさそうに言うので、それも営業課長の高橋賢一郎に言ったのです。なんか知らんけど、自分が担当のお客様の仕事をきっちりとやってもらおうと思えばこそ下手に出ているのに、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の若造がえらそうにするだけでやることやらないのでは、下手に出ただけ損みたいでした。
  営業課長の高橋賢一郎にも、「設計担当の◇◇さんに照明器具を選んでくださいと言ったのですが、『おまえが選べよ』と言われたので、それで私が一応選んで『これでどうでしょうか』と言って見てもらおうとしたのですが、『それでいいよ』と言うだけで見てもくれなかったのですが、このままでいいのでしょうか」と話したのです。小堀住研(株)という戸建住宅建築業の会社として契約しているのですから、「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」と言いまくっている会社が会社として契約してもらったからには、それぞれの問題についてわかっている者が見て判断して、わかっている者の判断でやらないといけないはずです。その前年、千葉支店に行った際、千葉支店の設計課は設計課長の I さんとその他に設計担当者が4人いて、図面作成の依頼はどの営業の担当のお客様の仕事でも「営業課長が・設計課長に」依頼するということになっていて、設計課長がそれぞれの設計に割り振って図面の業務をさせていて、見ていると設計担当者が図面を作成すると設計課長の I さんに「これで、いいでしょうか」と言って図面を見せて、それを I さんは一通り見た上で「うん。いいと思うよ」と言って、そう言われて後に、設計担当は営業担当に図面が完成しましたと連絡をしていた。同様に入社2年目に入ったばっかりの営業に「おまえが選べよ」と言ったなら、言われた者が一応選んだ上で「一応選んでみましたが、これで、どうでしょうか」と言ったら、普通は目を通してそれでいいかどうか見るものでしょう。それを見もしないで「うん。いいよ」て、それが小堀住研(株)の東京支店の設計なのか? 小堀住研(株)の東京支店の設計課長は設計担当者にそんなことをさせているのか?!? 東京支店長の高倉は支店長なのに、設計担当者がそんなことをしているのを知らないのか??? そんな人間が小堀住研(株)の支店長なのか?
  又、もしも、その後、数年後の私が営業課長であったなら、自分の営業課の若手の経験が浅い営業が担当のお客様の照明器具を設計担当者に見てもらうように頼んでいたのに、設計担当は「しろうと」に選ばせて自分は見もしないで「それでいいよ」などといいかげんなことを言いやがったとなると、営業課長としてその設計担当者に「どうして、見てくれないんだ」と苦情を言うくらいのことはします・・が高橋賢一郎はそれもしない。 又、それから数年後の私が営業課長であったなら、もしも設計担当が言ってもいいかげんなことしかしないのであれば、「それなら、俺が見るよ」と言って営業課長がその内容でいいか見るようにします。ところが、高橋賢一郎はそれもしない。 もしかして、課長の給料タダ取り???

  照明器具というものは、会社の照明器具についてよくわかっている人がお施主様と打合せをしながら決めるもののはずで、それを会社の方で一方的に決めて良いなら照明器具の値段をサービスしますと高橋賢一郎は言ったのですが、それならそれで、照明器具についてわかっている人間が選ぶべきです。新卒入社2年目に入ったばっかりの人間は、小泉産業とか照明器具のメーカーのカタログで「4.5畳~6畳向け」と書かれているものを6畳の部屋に使ったり「6畳~8畳向け」と書かれているものを8畳の部屋に使うと暗くてたまらないなんて知りませんよ。なんで6畳の部屋に使うと暗いものを「4.5畳~6畳向け」と書くのか、なんで8畳の部屋に使うと暗いものを「6畳~8畳向け」と書くのか・・と思うのですが、小堀住研(株)で契約するお客様というのは会社と契約しているのであり、それも「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」と叫びまくり、「技術系の会社」とか言っている会社と契約するのですから、当然、照明器具についてわかっている人間が選んでいると思うはずなのです。誰も、「しろうと」が選んでいるとは思ってないはずなのです。
  それで、「しろうと」が選んだ照明器具をつけて引き渡したところ、「暗い」特に「専門家が選んだわりに暗い」というお施主様の評価は悪かった・・・が、それだけではないのです。私が小堀住研(株)を離れた後、引き継いだ高橋賢一郎は何をやったかというと・・・。何やったと思いますか?  これは推測ですが、最終的契約金額には「相場」があるわけで、私が最初にこのくらいの金額でと話を持って行った金額は「相場」のものでしたから、それで契約してもらえば問題なかったのですが、ところが、高橋賢一郎は営業担当の私が「相場」で契約しようとすると「だめだ」と言って契約させないようにして、その上で自分が「営業課長」として顔を出すと「相場」の金額を引いただけではなく、そこからさらに「照明器具サービス」なんてものまでやってしまったために、「相場」よりはるかに安い金額で契約した形になり、粗利益額も少なくなり、会社から高橋賢一郎は「なんで、この家はこんなに安い金額で契約してるんだ」と責められたのではないか‥と思います。それで、この男はどうしたか? どうしたと思いますか? その分を取り返そうとして、オプションに上乗せして高い金額を施主から取って「差し引きゼロ」のように持って行こうとしたみたいです。汚い男です。この男の父親はラーメン屋のおやじ をやっていたということですが、こういう不潔な男の親がやってるラーメン屋なんかでは食いたくありません。まったく汚い男ですし、そもそも、このお施主様はそんなに難しい人でもなく、普通にやったら普通に契約してくれて、普通に建ててくれるいい人なのです。それを、わざわざ、ぐちゃぐちゃにしてしまう男。アホと違うか・・という男が営業課長だったのです。
  さらに言いますと、東京支店長の高倉が「高橋課長は大変優秀な課長だ。▽▽くんと☆☆くんを育てた」とか言ってましたが嘘です。なぜ、嘘かというと、その「▽▽くん」も「☆☆くん」も高橋賢一郎に育ててもらったなんて言っていないし、むしろ、高橋賢一郎のことを「あいつのおかげで」とはっきりと言っていた人間がいたくらいで、なによりも、高橋賢一郎に営業としての実力がないのであり、当人に営業としての実力がない男で、しかも、「なんか、変なことやらないとおれない習性がある男」で、しかも、それについて自覚がない、「病識がない」男であり、そんな男に「育てる」なんてできるわけないのです。

  そもそも、小堀住研(株)は「営業系」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で「普通自動車第一種免許保持者」が採用条件で、この場合の「4年制大学」は「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」といった《「十大国立大学」・地方国立大学・関関同立・関関同立のすぐ下くらいの私立大学》のことを指すはずですから、高橋賢一郎は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」という条件を二重に満たしておらず、かつ、「普通自動車第一種免許取得者」というのが「応募条件」の会社で普通自動車第一種免許も取得していない人間で、小堀住研(株)では新卒営業は最初は電車・バスで営業をやり、クルマで行かないとできないものは課長が課長のクルマを運転して新人を乗せて行くということになっており、営業課長は自分以外の営業担当者の為にも自分のクルマを使用してクルマを運転する労力をはらうということから、その分も含めて課長の役職手当が支払われていたにもかかわらず、高橋賢一郎はクルマを持たず運転免許を持たず、課長のくせして高橋賢一郎が担当の見込客・契約客の仕事の為に、課長の役職手当をもらっていないヒラ営業担当者にクルマに乗せてもらって仕事をしていたのであり、本来は「クルマに乗せる側」がもらう課長の役職手当を「クルマに乗せてもらう側」の高橋賢一郎がもらっていたという「やらずぶったくり」をやっていたのですが、小堀住研(株)の営業はタクシーの運転手とか運送屋の運転手のように「運転すること自体」が仕事ではないけれども、クルマの運転をよくする仕事ですから、営業課長というのは自分の営業課の営業担当者がクルマの運転において支障が出ないように配慮するのも課長の仕事のうちのはずですが、自分自身が普通自動車第一種免許も持っていない・普通自動車も持っていないというようなそんな男に、営業課の従業員が業務においてクルマを運転するにおいて支障が出ないように配慮する・・なんてことが普通自動車第一種免許も持たない・普通自動車も持たない高橋賢一郎にできるかというと・・そんなものできるわけないのであり、できていなかったのです。東京支店長の高倉は何を寝言を言ってるのか。「高橋課長は課長として大変優秀な課長だ」て、あんた、眼ついてる~う?  その眼は見えるのお???  高倉はぴしっとしたきっちりとした服装をしており、営業担当者としては悪くなかったかもしれないし、営業課長としても悪くない営業課長だったかもしれないし、私も営業について教えてもらったものはあるのだけれども、支店長としては、つきあえばつきあうほど、「やっぱり、高卒の支店長やなあ」と感じるものが出てくる男でした。
  「普通自動車第一種免許取得者」というのが「応募条件」の会社が運転技術・運転経験がどうこう以前に普通自動車第一種免許も持たないような人を「特別扱いで」採用したからには、それは「選考進級」みたいな採用なのだから、入社後にさっさと普通自動車第一種免許を取得して、なおかつ、免許を取得するだけではなく人並みに運転できるようになるべきで、それが営業担当者としての条件であるのに、その営業担当の上の営業課長にならせるというのは、それは不適切であるはずです。「営業担当」になるのに「選考進級」である人は、その不足しているものを早急に補うべきで、その上の役職に昇進するかしないかは「選考進級」でなくなってからの問題であるはずなのです。「営業系」の従業員として「選考進級」で入社し者は最低でもその「選考進級」の条件は満たしてからでないとその上の役職にはついてはならないはずで、「選考進級」の条件を満たしていないのに、その上の営業課長になるというのがおかしいのです。
  私は小堀住研(株)に入社する前から普通自動車第一種免許は取得していましたが、普通自動車の運転経験はなく乗用車は持っていませんでした。入社2年目に入る頃、入社1年目に得た歩合給と賞与で中古の乗用車を購入しようと考えたのですが、うちの母親が、初めてクルマを運転するのだから、特に高級車でなくてもいいから中古ではなく新車を買うようにしてほしいと言って費用を出してくれたので、自由が丘展示場に赴任して1か月少し経った頃に、目黒区のトヨタカローラのディーラーでカローラの新車を購入しました。自由が丘展示場に勤務する際にアパートを捜すのは大変でした。住宅建築業の営業は深夜まで動くことがある仕事で、クルマで移動しますから勤務場所に近い場所に住まないといけませんし、「乗用車持込」での仕事なので住居だけでなく駐車場が必要です。「この漫才で田園調布に家が建つ」という田園調布の隣の駅が自由が丘で、自由が丘展示場は、東急の自由が丘・都立大学・緑ヶ丘・大岡山の4駅の中間あたりにあったのですが、家賃は安いわけがないという場所で、そこでそう高くない家賃のアパートと月極駐車場を捜さないといけないというのですから、そして、小堀住研(株)は会社で転勤させておきながら、そういった作業について会社として協力しませんから、本当に大変でした。私の場合、大変な理由がもうひとつあって、自動車の運転をするのが初めてなので、最初は運転にそう難しくない経路で展示場までそう長くない時間で往復できる場所という条件で捜さないといけないという問題があったのです。私は苦労して苦心して、電車でなら遠回りになるけれども、自動車でなら片道10分程度で通えるであろう所を大田区上池台で見つけてアパートと駐車場を借りたのです。その上で、トヨタカローラの店でカローラを購入することにして、そして、カローラの営業に、住宅展示場の駐車場に平日の夕方に持ってきてもらうようにお願いしたのです。なぜ、アパートの近所の駐車場に週休日に持ってきてもらうのではなく総合住宅展示場の駐車場に平日の夕方に持ってきてもらうようにしたかというと、総合住宅展示場の駐車場は土日祝日の来場客を想定して設けられているので平日はすいているのです。特に、夕方になると、来場客が昼間にあっても帰宅した後で、来場客のクルマはほとんどなく、営業のクルマも少ないのです。だから、総合住宅展示場内の駐車場で少しだけ運転の練習をすることもできたし、そこには人はほとんどいませんから、万一、運転ミスをしても人を殺したり大怪我させる可能性は小さいし、物にぶつける可能性も小さいと思われたのです。ですから、平日の夕方に展示場に持ってきてもらえば、終業時刻後に、運転席に座って、ハンドルはこうで、アクセルペダルはこうでブレーキはこうでギアはこうでと確認をして、それから総合住宅展示場の駐車場の中で少々運転の練習をしてみて、それからならば、自由が丘住宅公園から大田区上池台のアパートの近所で借りた月極駐車場までくらいなら、なんとか運転できるだろうと考えたのです。そうやって、最初はクルマで片道10分程度の所をアパートの近所の駐車場から展示場までの間の往復で乗り、そこから少しずつ距離を延ばしていって運転できるようにしようと考えたのです。ところが、トヨタカローラの人がクルマを持ってきてくれた後、営業課長の高橋賢一郎が「それじゃあ、そのクルマで僕を緑ヶ丘の駅まで今から送ってくれ」と言い出したので、「それは無理です。これから運転席に座ってクルマの運転する装置を確認して、駐車場内で少し運転の練習をして、それからならアパートの近所までくらいなら運転できるだろうと考えて、この時間にここに持ってきてもらったのです」と言いましたが、高橋は「大丈夫だから乗せていけよ」と言ってきかないので、「教習所でも、最初に運転する時は人を乗せないで自分ひとりで運転して、人を乗せるのはある程度以上運転に慣れてからにするようにと言われたのです」と言っても、高橋は「大丈夫だって言ってるだろ、そんなもの」と言ってきかないのです。私は「それは危険です。展示場の駐車場で少し練習して、それからならアパートの近所までくらいならなんとか運転できるだろうと思って、それでこの時間にこの場所に持ってきてもらったんです」と言い、
緑ヶ丘の駅は歩いてもたいして遠くない距離ですから、歩いて帰ってください。どうかお願いします」と言っても、「俺がクルマに乗せて行けって命令してんだよ。おまえは課長の命令がきけんのかあ!」と言うのです。「ですから、本当に危ないですから、どうかお願いします」と何度も何度も懇願し哀願したのですが、高橋は「だ~から、課長が乗せて行けって命令してんだ。課長の命令がきけないのかと言ってんだよ。課長が乗せていけと命令してんだから乗せて行け」と言って高橋はどうしてもきかず、しかたなしに練習することもなく、初めて届いたクルマでそれぞれの装置がどこにあるのかも確認できずに運転して緑ヶ丘駅経由でアパートまで帰りましたが、本当に怖かった。あの時、自分も怪我せず、人も傷つけずにアパートの近所の駐車場まで行けたのは、あれは運が良かったと考えるしかない。本当に恐ろしかった。そもそも、自分自身が運転免許も持っておらず、クルマの運転をしたことがない人間が「大丈夫だって課長が言ってるのがわからないのか」だの「課長が乗せていけと命令してるんだ」とかそういったことを言うというのが異常です。小堀住研(株)の営業は運転そのものが仕事ではありませんが、業務でクルマの運転をする仕事であり、営業課長というのは、むしろ、この時の高橋賢一郎のような言動を取る従業員がいたならば、「おい、そういうことはやめておけ。緑ヶ丘の駅までなんてすぐなんだから、今日くらいは歩いて行け」と言うのがそれが小堀住研(株)の営業課長の仕事のはずなのです。それを高橋賢一郎は逆やっているのです。 又、クルマの助手席に乗ろうとするので「すいません。運転に慣れていない者は、人を乗せる時は後ろの席に乗せるようにと教習所で教えられていますから後ろの席に乗ってください」と言ったのですが、それでも高橋賢一郎は「大丈夫だよ。なんで、後ろに乗らなきゃならないんだよ」と言ってきかず、前の席に乗ってしまったのです。あの時は本当に恐ろしかった。
  さらに、クルマが届いてからしばらく、私がこわごわ運転していると、なんと、「おい。ぼくがそのクルマ、運転してやろうか」などと非常識なことを言ってきたのです。高橋賢一郎は「応募資格」が「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で「保有資格:普通自動車第一種免許」である仕事にそのどちらの条件も満たしていないのに採用してもらって入社して、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」はそう簡単に達成できませんが、「保有資格:普通自動車第一種免許」は取得すればいいのですから入社後、さっさと取得するようにすべきであったはずでしたが、それを長く取得しなかったのですが、私が自由が丘営業課の勤務になった頃、自動車教習所に通っていたらしかったのですが、教習所に通い出すとクルマの運転をしたくなるみたいでしたが、しかし、高橋賢一郎は自動車教習所に通っていても運転免許はまだ取得できていない人間であり、そういう人間がひとのクルマを路上で運転してのでは、まず第一にそれは「無免許運転」というものになります。自動車教習所には学科講習と実技講習があったはずですが、高橋賢一郎が通っていた教習所では学科教習でそういったことを教えていないのでしょうか。普通は、運転免許を取得していない者が路上で運転すると無免許運転になる、そういうことはやってはいけませんということは早い時期に教えるはずですが、高橋賢一郎は自動車教習所に通っておきながら学んでいなかったのでしょうか。
  又、この前年、千葉県松戸市の展示場に勤務していた時、同じ展示場に勤務していた営業の人で「俺のクルマを練習で運転してみる?」と言ってくれた人もあったのですが、私は、せっかく親切で言ってもらったことではあるけれども、人さまのクルマを運転がある程度以上慣れている人間ならともかく、運転免許は持っていても路上で自分だけで運転した経験がない者が乗って傷つけてはいけないと思い、断りました。ところが、高橋賢一郎は運転免許すらも持っていない男が「おい、その新車、おれが運転してやろうか」などと非常識なことを言ってきたのです。そのクルマは私が小堀住研(株)に入社して1年目に得た歩合給と賞与で中古車を購入しようとしていたところ、うちの母親が「離れて暮らしているのだから、運転が初めての者が運転するのだから、せめて、クルマだけでも問題がない新車に乗るようにしてほしい」と言って新車を買う費用を出してくれて購入したクルマなのです。それを運転免許も持っていない男が「おい、そのクルマ、おれが運転してやろうか」とは、非常識であるだけではなく「アタマおかしいのじゃないか」という感じですし、まず、「この人は育ちが良くないな」という印象を受けました。この場合、「育ちが良くない」というのは金持ちか貧乏かとは関係ありません。金持ちか貧乏かとは別の問題です業務でクルマを運転しない仕事なら別ですが、小堀住研(株)の営業職はクルマの運転そのものが仕事ではなくても業務でクルマを運転する仕事ですから、営業課長というのは、本来、この時の高橋賢一郎のような口をきく人間がいたら、「おい。そういうことはやめておけ」と注意するもので、それが営業課長の仕事のはずです。ところが、高橋賢一郎は営業課長の高橋がそういう口をきいたのです。
  さらには、それから1か月ほど経った時ですが、桜上水展示場で打ち合わせをおこなった後ですが、その頃になると、ある程度は運転できるようになっていて、自由が丘展示場から桜上水展示場までの往復くらいならなんとか運転できるようになっていたのです。それで、私は自動車で桜上水展示場まで行った後、高橋賢一郎が自由が丘展示場まで帰るというので、親切で「それなら、私のクルマで自由が丘展示場まで乗せていきましょうか」と私が言ってあげたところ、高橋はどう言ったか。どう言ったと思いますか? 「そんなもの、〇〇くんの運転のクルマみたいなもん、危なくって乗れるかあ、そんなもん」と、こう言ったのです。別に嫌なら乗らなきゃいいのですが、そういう口のきき方はないでしょう。だいたい、営業課長にまでならせてもらっている高橋が運転していないというのがおかしいのであって、私は乗せてあげなきゃならない筋合いはないのです。あくまでも、親切で言っているのです。何よりも、トヨタカローラの営業に自由が丘住宅公園までクルマを持ってきてもらった時には、それまでクルマの運転を自分自身で路上でしたことがない人間が、初めてクルマに乗るのですから、総合住宅展示場の駐車場でしばらく練習した後なら、自由が丘展示場から大田区上池台のアパートの近所までの間くらいならなんとか運転できるだろうと考えてそこに持ってきてもらったのであって、届いたばかりで、まだ、運転装置がそれぞれどこについているかも確認できていないクルマを初めて自分自身で路上を運転する者が運転できるとは思っていなかったのです。それを高橋は「課長の命令がきけないのか」などと言って無理に運転させて無理に助手席に乗ったのです。それに対して、1か月ほど経ったその時は、自由が丘展示場と桜上水展示場の間くらいなら、なんとか運転できるであろうと自分自身で認識していたのです。だから、その場合でも前ではなく後ろに乗ってもらいたいと考えていましたが、自分で、このくらいなら大丈夫だろうという判断のもとに言っていたのです。それでも、乗りたくなければ無理に乗らなくてもかまいませんが、しかし、新車が届いたばかりで、総合住宅展示場の駐車場でしばらく練習してからならアパートまでの間くらいなら、かつ、人を乗せずになら、なんとか運転できるだろうと考えていた者に「課長の命令がきけんのかあ」と言って、練習することもなく無理矢理運転させて、「最初は人を乗せずに運転して人を乗せるのは慣れてからにしてくださいと教習所で言われているんです」と言っても言っても「課長が乗せろと言ってんだ。課長の言うことがきけんのかあ」と言って無理に乗り込み、それも「乗るにしても後ろに乗っていただけませんか」と私が言っているのに前に乗り込んだのであり、そういうことをした人間が、1か月ほど運転の経験を経てこのくらいなら運転できるだろうと本人が判断しているものについて「〇〇くんの運転のクルマみたいなもん、そんなもの、乗れるかあ~あ」などという口をきいたのですが、こういう口をきくというのは人間として許されることでしょうか。営業として許されることでしょうか。営業というのは「人の気持ちを理解すること」だと考えるならば、高橋賢一郎という男は営業課長よりも営業の仕事を辞めた方がいいのではないでしょうか。
  だいたい、小堀住研(株)では営業課長は自分自身が契約を取るのではなく、営業課の運営とその営業課の営業担当者の営業活動を助けるのが仕事と位置づけられており、乗用車を持っていない営業や運転が未熟な営業には課長が課長のクルマに乗せてお客様の所や敷地に行くということになっていて、それに対しての報酬も兼ねて課長の役職手当が支払われていたのに、高橋賢一郎の場合は、課長の高橋賢一郎が営業課の課長でない営業担当者にクルマに乗せてもらい運転してもらって仕事をしていたのであり、「〇〇くんのクルマみたいなもん、乗れるかあ」などと言うのであれば、自由が丘営業課の他の長橋か近藤のクルマに乗ると言いたいみたいでしたが、人に乗せてもらう側の人間が、そういうえらそうな贅沢な口をきいて許されるものなのか。高橋は、本来、そういう口をきける立場ではないはずなのです。
  私は、自由が丘営業課で高橋賢一郎のこういった態度・言動に4月に自由が丘営業課に赴任して以来、苦労させられていたのです。ところが、そういった苦労をさせられてきた者に向って、東京支店長の高倉はこう言ったのです。「高橋課長は課長の中でも大変優秀な優れた課長だ」と。あんた、眼、ついてる~う? あんた、視力悪いのなら眼科の診察受けた方がいいのじゃないのお??? 眼が悪いのか頭が悪いのか精神がおかしいのか、どっち~い? 眼科か精神科の診察受けた方がいいてことない~い? 支店長て、ここで述べた高橋賢一郎みたいなことをする従業員がいたら注意するのが支店長の仕事と違いますのお???
  高橋は自由が丘営業課の長橋か近藤にクルマに乗せてもらっていたのですが、どちらかというと、近藤の方が高橋にとって頼みやすいのか、近藤に乗せてもらうことが多かったようですが、近藤は特にはっきりと口に出して文句は言っていませんでしたが、しかし、小堀住研(株)では、営業課の構成員に新人がいた場合などは営業課長が営業課長のクルマに課長が運転して乗せてお客様宅に言ったり、敷地測量の時に敷地に言ったりすることになっていたのであり、そういったことで他の営業の仕事にクルマを使ったりクルマの運転をする労力を払ったりするということで、課長の役職手当が払われていたのであり、又、「他の営業の仕事」と言っても、営業担当者は同じ営業課の営業が契約を取ってもマイナスにはならないとしても特に評価されませんが、営業課長の場合は営業課長自身が担当で契約を取らなくても、営業課としての契約の粗利益額で評価が決まっていましたから、営業担当者にとっては他の営業や営業課長が担当のお客様というのは他の営業の担当の仕事ですが、営業課長にとっては自分の営業課の営業の仕事というのは営業課長の仕事でもあったのです。ところが、一回二回ならともかく、毎度毎度、高橋賢一郎が担当の仕事の為に、課長の役職手当ももらっていないのに、高橋の為に自分のクルマを使われてクルマの運転をさせられて・・というのでは、しかも、高橋は乗せてもらって当たり前みたいに思っていますし、そういう態度ですし、実際のところ、近藤にしても、その点についてはあまり面白くはなかったはずです。高倉は支店長ならば、そのあたりについても考える必要があったはずで、支店長というのはそういうことを考える人が支店長のはずでしたが、「高橋課長は課長として大変優秀な課長だ」とか、ここで述べたようなことをされまくってきた者に向って言ったのです。高倉さん、あんた、眼、ついてんのお? あんた、眼が悪いのか頭が悪いのか、それとも心が悪いのか、どっちなのお???

  戸建て住宅建築業の営業は1軒、契約していただければそれでいいというものではありません。1軒、契約いただくとともに次に別の契約もいただかないといけないという職業です。同時に2軒以上の見込客を追客し、契約客の仕事とともに見込客に契約いただくための仕事もしないといけません。 自分の持ち時間を考え、どこでどの方の仕事をするか配分して仕事を進めないといけません。
  ここで、締め日というものが関係してきます。「お客様にとっては締め日なんか関係ない」と小堀住研(株)での最初の研修で言われたのですが、これは、お客様の都合よりも営業にとっての締め日を優先して考える営業がいたことから、それはいけない、それは良心的な態度ではないとともに、営業の成果がでるかどうかという点から見ても、それはプラスにならないということを言ったのでしょう。 それはもっともなことです・・が、しかし、片方で「お客様にとっては締め日なんか関係ない」けれども、営業にとっては締め日は関係あるのです。

  営業の仕事をしていると、この見込客はいつ頃までに契約していただけるかどうか・・といったことがある程度わかってきます。1990年6月に、松戸営業課にいた時に接客させていただいた見込客の方に契約いただけそうなところまで持って行ったにもかかわらず、営業課長の高橋賢一郎にそれを停止させられて、その後、高橋賢一郎が一緒に行くというので行くと、私に「(『相場』からさらに安い金額への「値引き」ではなく見積額から「相場」までの)『値引き』なんかしなくても、契約してもらえるはずだ」と言うので、高橋賢一郎は私と同行してお客様宅に行って、高橋賢一郎が「定価販売」での契約をしてもらえるようにするのかと思ったらそうではなく、なんと、高橋賢一郎は見積額から「相場」への「値引き」だけでなく、見込客から特に要求されてもいないのに「相場」からさらに安い金額への値引きまでやったのです。高橋賢一郎としては私が営業担当として独り立ちして契約に持っていったというのではなく、営業課長の高橋賢一郎が契約させたということにしたかったのかもしれません・・・が、厳しいことを言うと、小堀住研(株)では見積額から「相場」への「値引き」も「相場」からそれより安い額への値引きも、どちらも営業課長にやる権限があるわけではなく支店長に許可を得ないといけないものだったかもしれないが、実際問題として見積額から「相場」までの間の金額変更については、それもやってはいけないと言われたのでは「仕事にならない」のです。又、営業担当でありながら見積額から「相場」までの金額変更すらもさせてもらえないとすると、はたして、それでは営業と言えるのか? 営業である限りは価格交渉の際にいくらかの権限は持たせてもらえないと、いちいち支店長まで問い合わせないといけないのでは、そんなことでは営業にならないことになります。
  但し、見積額から「相場」への「値引き」については、これは「メーカー希望価格」から実際の「相場」の販売額への差額を引いているようなものであって「メーカー希望価格」で買う人なんてほとんどないのですから、見積額から「相場」への「値引き」については、それをいけないとは支店長は言わないのです。松戸営業課のAさんが課長に同行してもらわないで自分で契約してもらってきた時に、課長は「勝手なことしやがって」と言ったけれども「よくやった」と言って喜んでくれたというように、「相場」の範囲内でやるものについて、それをいけないとは言わないし、「だめだと言うのなら『それなら、この契約、返してきましょうか』と言ったら『返してこい』とは言わないから」とAさんは言うのです。しかし、「相場」よりもさらに安い価格で契約していいかということになると話は違います。そんなことをする権限が営業課長にあるかというと、ないはずなのです。それをやっていいかどうかは支店長に申し出ないといけないはずなのです。高橋賢一郎はそれを支店長に申し出ることなくやったのです。越権行為をやったのです。東京支店長の高倉はそのあたりを見ていないといけないし、支店長というのはそのあたりを見るのが仕事のはずなのです・・が、「見れば見るほど高卒の支店長」「つきあえばつきあうほど高卒の支店長」の高倉にはそのあたりを見る能力が欠落していたのです。だから、「高橋課長は大変優秀な課長だ」とか、バカ言ってんじゃないわあ~あ♪ てことを言っていたのです。私は高倉に言ってやりたい。「あなた、眼ついてる~う?」と。

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  ↑ 私が小学校低学年だった1960年代後半くらいにおいては、ノートでも裏面に「定価 ◇0円」といった表記がされていて、一般小売店は「定価」で販売していたが、私が小学生だった途中頃からスーパーマーケットなるものが登場して、スーパーマーケットでは「定価 ◇0円」と書いてある横にそれより安い価格を記入したシールを貼って販売するということがされてきた。スーパーマーケットというのはすごいなあ・・と思ったものだが、そのうち、「定価」という表記は見られなくなり、かわりに「メーカー希望価格」という言葉が登場した。希望するのは自由だけれども、誰も希望通りには売らないし買わない。たいてい、「メーカー希望価格」よりもいくらか安い価格で売られている。
  書籍だけは「再販価格制度」というものが認められていて、どの書店で購入しても同じ価格で販売されているが、大学生協だけは対象外らしくて5%引きだったか10%引きだったか忘れたが、一般の書店より安い価格で販売していた。あれは学生が入学した時点で1口1000円で8口の加入金を払って生協(生活協同組合)の組合員になり、卒業時に利息なしでそれを返してもらうということで、その間の利息分の費用を払うことで組合員への販売ということでの特例だったようだ。
  大学の「経済学」の講義では、「西川俊作の『経済学 第二版』(東洋経済新報社)」という本、これが慶應大学の商学部の必修科目の「経済学」の「教科書」だったのだが、これに、価格は需要曲線と供給曲線が交わった所で決まる・・みたいな需要供給曲線なるものが書いてあった・・のだが、実際に買い物をする際に、買い手と売り手とで自分はこの価格なら買う、この価格なら売るといった交渉をやって売買価格が決まるかというとそうではなく、スーパーでも百貨店でも売り手が価格を決めているけれども、売り手が価格を決める前の段階で、このあたりの価格なら売れるだろうというところを売り手が想定してその価格を決めているはずだ。「メーカー希望価格」というものがあっても、希望通りにはなかなかいかない。だから、たいていは、↑ の図のように「メーカー希望価格」から実際の一般的な販売価格まで値段を下げて売られている。別の見方をすると、その前提で「メーカー希望価格」は実際にこのあたりで売ることになるであろうと思われる価格より高めにつけられている。
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  私は戸建住宅建築業の会社に勤めるまで、住宅設備機器メーカーのカタログに掲載されている価格というのは、それが「正規価格」であって、一般消費者はその価格で買うしかないが、「業者」、大手ハウスメーカーであれ工務店であれ、「業者」にはそれよりも安い価格で販売しているのであろう・・と思っていた。 小堀住研(株)に入社1年目、松戸営業課の課長だった I さんが客宅で「お客さまが住設メーカーから買われるならカタログ記載の価格で買われることになりますが、小堀住研はカタログに掲載の価格より安い価格で買いますが、そのかわり、取りつけ費がかかりますから、差し引きすると、お客様が小堀住研に払っていただく金額は取り付け費を含めると、カタログに載っている価格くらいの金額になることになります」とお客様に話すので、そういうものかと思い、その後、しばらく、私もお客様に何度かそう話した・・・のだが、何年か住宅建築業の業界に勤めていると、どうも、違うみたいなのだ。どう違うかというと、ハウスメーカーであれ工務店であれ「業者」が住設メーカーから買う金額というのは、カタログに掲載されている金額から1割引きとか2割引きとかいうようなそんなものではないみたいなのだ。それよりはるかに安い金額で買ってるみたいなのだ。「お客さまが住設メーカーから買われるならカタログ記載の価格で買われることになりますが、小堀住研はカタログに掲載の価格より安い価格で買いますが、そのかわり、取りつけ費がかかりますから、差し引きすると、お客様が小堀住研に払っていただく金額は取り付け費を含めると、カタログに載っている価格くらいの金額になることになります」というのは、それはひとつの言い回しであって、取りつけ費用分くらいではなく、それよりずっと安い価格で買ってるのだ。・・というよりも、実際の購入価格を知ってしまうと、へえ~え、こんなに儲けてやがったのか・・という気持になる。
  それで、カタログ掲載価格の何割で売るかという率を「掛率(かけりつ)」と言う。その率が住設メーカーによって違うらしい。 又、住設メーカーの営業担当者と話すと、その建築会社で建てるお客様の家に取りつけるものを、すべてその住設メーカーのものとしてくれるなら〇割にします・・とかいったことを言う。さらに、その住設メーカーのものでも、その住設メーカーのどれかというのではなく、たとえば、洗面台ならこれかこれかこれというくらい、2つか3つくらいのどれかにあらかじめ決めてくれるなら何割引きにします・・とかいったことを言うようだ。そして、一般には大手ハウスメーカーと工務店となら大手ハウスメーカーの方が多く買うことになるから、「掛率」も低めで売ってくれる場合が多いらしい。・・そういうのを知ってしまうと、このカタログに載ってる価格ていったい何なんだ・・・という気持になってくるが、どうも、「そういうもの」らしい。 最近はインターネットで「業者」と同じような価格でメーカーから購入して、それを一般消費者に業者が販売する価格より安い価格で売るような者が登場してきてリフォーム屋はけっこう苦労している。建築屋は取り付け費だけで食べているのではなく、取り付け費とモノを売る際の利益との両方で食べているのに、モノを別の業者から買われて、「これ、取りつけてちょうだい」とやられたのでは苦しい。
  ともかく、住宅設備機器のメーカーの営業としては、「メーカー希望価格」からハウスメーカーなり工務店なりに販売する際の「掛率」というものはあらかじめ決まっていて、その掛率まで「メーカー希望価格」から引くのは普通のことで、特に「上役の許可を得て」とか「会社に伺いを立てて」とかではなく一線の営業が普通にやっている。それでいいのです。
  戸建住宅建築業の会社においても、これと似たところがある。「経済学」の「教科書」に掲載されている需要曲線と供給曲線との交点で・・とかいうほどのことまではいかないとしても、「こちらの金額でご契約いただけますでしょうか」と売り手の営業は提示して、買い手はそれで承諾して契約するか、「この部分、サービスにしたら」とか言ったりして、それを受け入れたり断ったりして最終的な金額は決まる・・・が、ハウスメーカーの「商品」の場合は、そのメーカーによっても違いはあるかもしれないが、小堀住研(株)の場合は、だいたい、このくらいで契約していただくという「相場」の金額というものがあったのだ。↓
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↑ だから、その「相場」の金額まで下げて契約したとしても、それは文房具とかを「メーカー希望価格」から一般的な販売価格まで下げて売っているようなもの、住宅設備機器メーカーがハウスメーカーや工務店に販売するのに一般的な「掛率」でカタログ掲載価格よりも安い価格で販売するようなものであり、「メーカー希望価格」よりも「値引き」していたとしても、「相場」の金額での契約であれば、それは「メーカー希望価格」より「値引き」のように見えても、実質は「相場」の価格での契約であって、実質的には特に「値引き」ではないのです。それに対して、「相場」の金額よりもさらに安い価格で販売していいか?・・・ということになると話は変わってきます。
  小堀住研(株)では「値引きを許可する権限は支店長にある」ということになっていたようなのですが、実際には客宅に「概算見積書」と称する契約前の見積書を持参した上で、価格交渉をおこない、この金額で契約しましょうという返事をもらったら、工務課の人間が「本見積書」と「契約書」を作成して、それを持参した上で署名捺印してもらっていたのです。ですから、「概算見積書」を持参してから「本見積書」と「契約書」を持参するまでの間に支店長に許可を得るようにしてもいいのですが、実際には「概算見積書」の金額から「相場」の金額までの「値引き」は、これは「メーカー希望価格」から一般的販売価格まで価格の変更みたいなもの、住宅設備機器メーカーの営業がカタログ掲載価格から一般的掛率による販売の契約をしたようなものであって、そんなもの、「概算見積書」の金額なんて「メーカー希望価格」みたいなもので、メーカー希望価格で契約する客なんてないのです。・・しかし、「相場」よりさらに安い金額で契約しなければならないというのであれば、これは支店長に相談して、そこまで値引きをして契約してよいかどうか検討して、そんな値段でないと契約してもらえないなら断ってくれと言われれば断るしかありません。「相場」より安い価格まで勝手に値引きする権限は営業課長や営業担当者にはありません。
  ところが、1990年6月、私が私の担当見込客に、「相場」の値段まで「メーカー希望価格」より引いてもらえば契約しましょうというようなところまで持っていった上で、営業課長の高橋賢一郎にそれを話して、それで契約に持って行こうとしたところ、高橋賢一郎は「だめだ。〇〇くんは値引きなんかしなくても売れるはずだ」などと言って私ひとりだけ、「メーカー希望価格」で売らないとだめだと言い出したのです。それで、いったん、契約しようという話は停止してしまった。
  そして、その後、高橋賢一郎は「ぼくが一緒に行って話すから」と言うので、「メーカー希望価格」で契約してもらうように話すのかと思ったら、そうではなく、高橋賢一郎は私には「だめだ」と言った「相場」までの価格の変更をするだけではなく、お客さんは特に要求してもいないのに、さらにそこから「照明器具サービス」なんてものまでやったのです。いいのか、そんなことして?・・と思いましたが、だめです。だめなことを高橋賢一郎はやったのです。営業課長の高橋賢一郎にそんなことする権限はありません。越権行為です。
  「値引き」と一言で言っても二通りあるのです。「メーカー希望価格」というのはあくまでも「希望」であって誰もメーカーの「希望」通りなんか契約しないのです。ですから、「メーカー希望価格」から「相場」まで価格を修正して契約するのです。その「値引き」は支店長に相談してもいいけれども、実際には各支店の契約はいっぱいあって、いちいち支店長に相談なんてしてられない、営業担当者もしてられないし、支店長もいちいち聞いてられないので、営業担当者は営業課長と工務課担当者と相談した上で「相場」くらいの価格で契約書を作成して契約してもらっていたのです。しかし、「相場」よりも安い金額で契約したいというのであれば、営業課長にそういう実質的な値引きをする権限はないので支店長に相談しないといけません。それを高橋賢一郎は自分に権限なんかないのにそれをやった、「越権行為」を高橋賢一郎はやったのです。

  さらには、「うちのコーディネーターの方で照明器具を選ばせていただけるのならば」とお客様には言い、営業担当の私には「ぼくの方でコーディネーターに選んでもらっておくように言っておくわ」と言いながら、その「コーディネーター」に言わない。さらに、「コーディネーターの人に言ってもらいましたか」と私が言うと、今度は「設計の◇◇くんに頼んでおく」と今度は東京支店設計課の20代のにーちゃんに選んでもらうように言っておくと言い、そして、実際にはその話も通っていない。何、この人は? こんな営業課長あんの?

   ひとつには、小堀住研(株)はヒラの上が課長で、係長とか主任とかはなかったのですが・・そして、「小堀住研の課長なんて、普通の会社なら主任程度のもんだ」と従業員の間で言っている人がいたのですが・・、それよりも「小堀住研(株)の部長とか支店長なんて普通の会社なら主任か副主任程度のもんだ」というような人が部長・支店長になっていたのですが・・・、入社して1か月目くらい、同じ営業課だったAさん(男。新卒入社7年目)が松戸営業一課の課長のUさんのことを「U課長は営業課長の中でも実力のある課長だからいいと思うよ」と言ってくれたことがあったのですが、その言い方だと「実力のない課長」もいるのか?・・みたいな感じの言い方で、それで、Aさんに「あまり実力のない課長もおられるのですか?」と尋ねたところ、「うん、中途入社で入った人で、前職の役職が高いものだから、小堀住研(株)の仕事についてはそれほど実力ないうちに課長になってしまったみたいな人もいるんだ」という返事だったのです・・が、そういうケースもあるでしょうけれども、特に営業の場合、営業担当者がいて、その上の役職の者の肩書が「主任」とか「係長」よりも「課長」の方がお客様と会った時に印象がいいということで「課長」にしていたみたいなところがあって、実力からすると主任か係長くらいなのに「課長」になっていた人もいたのでしょう。Aさんは松戸営業一課の課長だったUさんは「課長」の実力がある課長だと思っていたようでしたが、そうでもない人もいると見ていたようでした。高橋賢一郎は課長の実力はない課長だったようです・・・というよりも、係長でも主任でも越権行為はやっちゃいかんだろうが!!!・・・と思うのだが、そのあたりがきっちりと認識できていない男でした。

  しかも、営業は1軒、契約いただけばそれでいいというものではなく、1軒契約いただけば、次の別の契約もいただかないといけないのであり、その為には、契約客との打ち合わせはどの曜日のどの時間に入れて、見込客との契約の予定もどの日に入れてということを考えてやらないといけません。基本的には土日・祝日の昼間は住宅展示場に詰めて勤務し接客して新規見込客をつかもうとするべきものです。ですから、私はその時の見込客の方は平日の夜でも時間を取っていただけるようでしたので、見積書を作成する時間をいつ取るかといったことも考えて、その翌週の半ば過ぎの平日を考えていました。ところが、お客様宅で、私が「相場」の金額で契約してもらえるように設定して、そのまま進めておけば何の問題もなかったのにそれをだめだと言って延ばした高橋賢一郎が、今度は土曜日の夜に持って行くようにしようと言い出し、「それでは書類を作れません」と私が言うと、高橋賢一郎は「少しでも早く契約した方がいいから、土曜の昼に作ればいい」と言い、「土曜の昼は展示場で新規客を接客する時間でしょう」と私が言うと、「新規客の接客は長橋くん(男。新卒入社6年目)もおれば近藤くん(男。新卒入社3年目)もいるし、ぼくもいるからいいよ」と言うのでした。「長橋くん」とか「近藤くん」とか「ぼく」とかに接客されても私の見込客にならないのですが、営業課長の高橋賢一郎が言うことなので、それに従いました。課長になっている人が言うことなのでそれに従いました・・が、住宅建築業の営業は1軒契約とればそれでいいというものではなく、次の見込客もつかんで契約に持って行かないといけないという点から考えると高橋賢一郎の指示した内容は不適切なものです。そのあたりの判断能力が高橋賢一郎はおかしいのです。
  ところが、その土曜日、高橋賢一郎の指示にしたがって、展示場の事務所で見積書など作成しようとすると、あきれたことに、入社6年目の長橋も入社3年目の近藤も契約客との打ち合わせの予定を入れて外の場所で打ち合わせをおこない、自由が丘展示場に来ないのです。それだけではなく「ぼくもいるし」と言った高橋賢一郎も契約客との打ち合わせを他の場所で入れて自由が丘展示場に来ないのです。私が展示場を開けて接客したのでは、その日の夜に見込客の所に契約書類を持参して行くことはできません。それで、高橋賢一郎の所に電話をして「どうすればいいですか」と言ったのです。営業課長というのは、小堀住研(株)では営業担当ほど契約とらなくていいことになっていました。そのかわり、営業担当者への応援と営業課、営業チームの運営が仕事とされていたのです。土日祝日に契約客との打ち合わせを入れたいという営業がいても、全体としては土日祝日の昼には展示場に勤務して接客できる要員を確保しておかないといけませんし、その為の交通整理をするのは営業課長の仕事のはずで、それをできないのでは課長の仕事を怠っていることになります。 小堀住研(株)の営業課は営業課長と営業担当者2名の計3人の営業チームが多かったのが、自由が丘営業課は4人もいたのに土曜日の昼間に展示場に勤務して接客する営業がいないなどというそんなおかしな話はないのです。会社は費用をかけて住宅展示場を作り、総合住宅展示場運営会社に費用を払って出展していたのです。それを土曜の昼に店を閉めているというそんなおかしな話はない。土曜の昼に接客する営業がそこにいないなんて、そんなおかしな話はない。
  まがりなりにも営業ならば、土日・祝日の昼は展示場で接客して新規客を相手にするもので、契約客や折衝中の見込客との話はそれ以外の時間帯・曜日にしてもらうようにするのが基本です。しかし、そうもいかない場合も時としてあります。そういうどうしても土日祝日の昼に契約客との打ち合わせを入れないとしかたがないという場合には、営業課長に「〇日の昼、◇時から▽時くらいにかけて、☆☆様との打ち合わせで展示場を空けたいと思いますが、よろしいでしょうか」と営業課長に話をして、営業課長は自分を含めて営業社員が4人いるなら、新規客との接客をしない営業は半分の2人までになるようにして、最低でも半分の2人は展示場で新規客を接客できるようにしておくべきです。そういう「交通整理」をするのが営業課長の仕事であり、それを怠り、長橋と近藤の予定を把握していないだけでなく、自分自身もまた土曜の昼間に契約客との打ち合わせを平気で入れていたのです。営業課長のやることではありません。

  高橋賢一郎は1990年5月のゴールデンウイークにも、その直前に書店で「折り紙の折り方」とかいう本を買ってきて、そして、「鶴」とか「やっこ」とかではなく、相当変わったもの、誰でも折れるわけではない折り紙の作品の作り方をその本で見て、そして何をやったかというと、ゴールデンウイークの最中、総合住宅展示場がキャンペーンをやり多くの見込客が来場して、私と長橋と近藤の3人で接客しても、接客する営業がいなくて誰も相手をしないで帰られてしまった来場客が何軒もあった最中、営業課長の高橋賢一郎は何をやっていたか? ・・事務所に戻ってみたところ、営業課長の高橋賢一郎は営業事務の女性社員の小宮山(女。当時、20代後半)と2人で折り紙を折って遊んでいた・・( 一一)  この二人、いったい何やってんの? アホか、こいつら!!!( 一一)( 一一)( 一一)
高橋賢一郎としては、特殊なものを折り紙で折って、それを来場客に贈呈すると来場客が喜ぶだろう・・と考えたらしいのですが、しかし、来場客に何かをあげたいと思って用意するのなら、それなら、ゴールデンウイークのキャンペーンの日のお客さんが来場する前にやることであって、今まさにお客様が来場している最中にやることではないでしょうよ! アホか、この二人・・・と思いました・・が高橋賢一郎にはそういう認識はなかった、「病識がない」状態だったようでした。
  又、営業の中には「見込客に物をあげたがる営業」というのがいますが高橋賢一郎はそれです。1979年、NHKの朝のテレビドラマで花登 筺(はなと こばこ)『鮎のうた』が放映されたのですが、大阪船場の糸問屋の糸原商店をつぶしてしまった原田三之介と鮎は行商に出るがなかなか買ってもらえないでいたところ、宿屋にいた男で相当売っていた男がいたので、その男に「どうやったら売れるのか教えていただけませんでしょうか」と頼むが、男は「わしは商売なんか、ちっともうもうないぞ」と言い、「そやかて、相当売ってはるやないですか」と鮎が言ったのに対して、「わしは子供の頃から、うちの親父から『おまえは愛想も何もできん男や』とずっと言われてきた男で商売なんかちっともうもうない。そやけど、何とか売らんといかんと思うてな。それで考えたんや」と言い、「何を考えたんですか」と鮎が言うと、「おまけや」と言い、鮎が「おまけって、値段を下げて売るいうことですか」ときくと、その男は「アホか。値段を下げたのではこっちの負けやろうが。そうやのうて、お客さんに負けてもらうんや」と言う。「え? お客さんに負けてもらうんですか?」と鮎が言うと、「ええか。ここに千円の商品があったとする。お客さんに買ってもらおうと思うて100円の物を土産に持って行ったとする。そしたら、その商品はすでに千円では売れんということや。それではいかんのや。そうやのうて、千円の商品をお客さんに喜んで千円で買ってもらえたら、そしたら、こっちの勝ちでお客さんの負けや。そやから、お客さんに千円の商品を大喜びで千円で買ってもらうようにするんや。たとえ、同じ物を値引きして売るやつがおっても、それでも『あんたから買いたい』とお客さんに言ってもらえるようにする。それが『おまけ』いうもんや」と言う。鮎が「そんで、いったい、どうやったら、そう思ってもらえるんですか」ときくと・・・、「それは・・自分で考え」と言う場面があった。高橋賢一郎がやりたがるのはその男の言うことと正反対だった。
鮎のうた〈上〉 (1979年)
鮎のうた〈上〉 (1979年)
鮎のうた〈下〉 (1980年) - 花登 筐
鮎のうた〈下〉 (1980年) - 花登 筐
  住宅展示場ではハウスメーカーが「来場記念品」を配ったりすることもあり、絶対にそれがいけないとまでいうものではないだろうけれども、しかし、見込客は「物もらい」ではないのであり、あまりそういうものを重視すべきではないし、そして、営業担当者で見込客に物をあげたがる人というのは、性格・人間性に問題があるから物で人の気持ちを引こうという意識があって、それで物をあげたがるという人がいる。何かと「着ぐるみ」を着たがる営業というのも同類の場合がある。大人の見込客は気づかなくても、その人間の卑しい根性に子供が気づく場合というのがあり、それを気づかれないようにするために「着ぐるみ」を着たがる営業というのがいる。高橋賢一郎が何かと見込客に物をあげたがるというのも、性格の卑しさに原因がある・・・と考えて良いと私は見ている。

   それで・・・。 もともとは、私は土日・祝日の昼間は新規来場客を住宅展示場で接客する為に展示場に勤務して、折衝中の見込客の書類の作成などは平日の昼、もしくは新規来場客がすべて帰られた後の夜に作業をする予定にして、それで作成して持参できる日となると、その翌週の半ば過ぎかと考えて予定を組んでいたにもかかわらず、高橋賢一郎は土曜の昼に作成して夜に持参するというように必要もないのに予定を早めたのでした。
  私は3月まで在籍した千葉支店松戸営業課で、営業課長の石井から「土日・祝日の昼間は新規来場客の接客をするもので、契約客との打ち合わせや折衝中のお客様との話はそれ以外の曜日か夜にやるものだ」と言われてきて、それでも土日・祝日の昼にやるしか予定を取れないお客様があったら例外としてしかたがないけれども、それは営業課長に断ってやるものだと認識していました・・し、入社2年目に入ったばかりの私が認識していて、入社6年目の長橋がそれを認識できていないのはおかしいし、近藤も入社3年目でしたからそのくらいは認識していていいはずですし、何よりも高橋賢一郎は営業課長なのにそれを認識できていないというのは異常だったのです・・・ができていない人間だったのです。 何、この人たち・・・と思いました。
  「この3人、いったい何なの?」・・と思いましたが、ともかく、その日の夜に書類を持参しないといけないので、その為には私は昼の間にその書類を作らないといけません。それで、高橋賢一郎に「どうしたらいいですか。展示場、接客する営業がいませんけれども」と言ったのです。すると、高橋賢一郎は「新規客の接客は小宮山さんにやってもらえばいいから」などと言うのです。小宮山さんというのは「営業補助」として勤務していた女性ですが、あまり印象の良くない人ですし、平日なら「営業補助」の女性が「お留守番」をしている展示場もありますが、土日・祝日に営業担当者が不在で「お留守番」の女性しか接客する従業員がいない展示場なんて「見たことない」・・と言っても住宅建築業の会社には同様の程度の低い会社はあるかもしれませんが、本来的でないのは明らかです。
   高橋賢一郎は「小宮山さんに接客してもらえばいいから」と言うのですが・・・、ところが、その「小宮山さん」というのが来ないのです。 始業時刻の午前9時30分を過ぎても、住宅展示場の一般的な会場時刻の午前10時を過ぎても無断で来ないのです。高橋賢一郎に電話を入れて「小宮山さん、来ないのですけれども」と言うと、「来るから」と言うのですが、「しかし、来ませんけれども」と言うと、「そのうち、来るから」と言うのです。「そのうち、来る」と言っても始業時刻に遅刻するのであれば従業員は連絡くらい入れるべきです。5分程度の遅刻なら連絡なく行って「すいません」というのもあるかもしれませんが、始業時刻を1時間過ぎても2時間過ぎても連絡なく来ないのです。営業課長というのは、小堀住研(株)では「応援する役」兼、営業課を管理する役であって、営業課長自身も契約取っていいけれども、課長の評価は課長が営業担当としてどれだけ契約取ったかではなく営業課としてどれだけの営業成績が残ったかで判断されることになっていたのです。ですから、営業担当の長橋も近藤も展示場で接客せずに契約客の打ち合わせを他の場所でやる予定にしていたというのを把握していなかったというのは、高橋賢一郎は営業課長として「職務怠慢」であり、営業課長としての役割を果たせていないことになりますし、又、「営業補助」の小宮山が来ないのなら来ないで、あらかじめ、営業課長はそういったことを聞いていないといけないはずでした・・が、それも把握できていなかったのです。

  それで、「営業補助」の小宮山(女。当時、20代後半)は、いったい、いつ来たかというと、始業時刻を2時間半過ぎた午前11時過ぎた頃に来ました。事務所に入ってくると、「なんか、展示場、しまってましたねえ」と2時間半も遅刻してきた女が、その女のおかげで、高橋賢一郎にどうするのか何度も電話したり余計な仕事をさせられた私に文句を言うのでした。この女は「新人類」なのか?
  もともと、小宮山は東京支店の男性従業員から「変わってる」と思われていて、また、言われていた人でした。私もそういう印象を受けていましたが、「その日になってみないと来るかどうかわからない」という人だったようなのですが、私はそこまでは知らなかったのです。〔さらに考えてみると、もしかすると、いわゆるひとつの「縁故入社」だった・・という可能性もあるかもしれませんね。〕

  そして、午前9時30分が始業の職場で、午前11時過ぎに来た女は来ると何をやったと思いますか?
  私が机に向かって書類作成業務をおこなっていたところ、「ボリッ、ボリボリボリッ!」と前から轟音が聞こえるのです。いったい、何の音かと驚いて見ると・・・・・( 一一)
  何の音だったと思いますか? 2時間半遅刻してきた女が来るなり弁当箱広げて早弁していたのです( 一一)
  「ボリッ、ボリボリボリボリッ!」というのは、タクアンをかじっていた音でした。 「新人類」というのか「会社に異星人(エイリアン)がやってきた」と言うのでしょうか。普通、あんまりこんなことする人ないと思うがなあ~あ・・・と思うのですが、「変わってる」と東京支店の従業員の間で言われていた人だけあって、小宮山としてはそれが普通だったのかもしれませんが、一般の会社員の基準では普通ではありません
会社に異星人(エイリアン)がやって来た!―新人類現象を読む - 中野 収
会社に異星人(エイリアン)がやって来た!―新人類現象を読む - 中野 収
( 『会社に異星人(エイリアン)がやってきた』 )

  普通、無断で始業時刻を2時間半も遅刻してやってきて、それで「すいません」も言わず、それだけならまだしも、いきなり弁当箱広げて「ボリッ、ボリボリボリッ!」と轟音たてて早弁するかあ~あ???( 一一)

  そのうち、高橋賢一郎から電話がかかってきて、新宿センタービルの東京支店に来て、東京支店で見積書など作成しろと言ってきたので行きました。「設計の◇◇くんに照明器具を選んでおいてもらうように言ってあるから」と高橋賢一郎は言っていたのですが、ところが、その「設計の◇◇くん」に「照明器具は選んでいただけましたか」と言うと、「やらねえよ、そんなもの」と言うのです。はあ?
  「そんなもの、営業が選ぶんだよ。ほれ」と言って小泉産業の照明器具のカタログを渡すのでした。しかし、私が営業でもその時点で「10年選手」であるか、もしくは卒業した大学が照明器具などについて学んできたような学科であったなら「営業が選ぶんんだよ」でもいいでしょうけれども、私は慶應大学商学部卒でその時点では入社2年目に入ったばかりです。「どうやって選んだらいいのですか」と言うと、「自分で考えて選べよ」と言うのです。なんか、私立五流大学建築学科卒の若造がえらそうにしやがってからに・・と思いましたが、それ以上、言ってもしかたがない人だと思ったので、しかたなしに、とりあえず、私が一応のものを選んだ上で「これで、どうでしょうか」と見てもらえば、まがりなりにも「設計担当者」ならば自分が担当の家のものを無責任なことはしないだろうと思い、それで、小泉産業のカタログで見て、6畳の部屋には「4.5~6畳用」と記載されているものか「6畳から8畳用」と記載されているもののうち、デザインがその部屋に合いそうなものを選び、8畳の部屋には「6~8畳用」か「8~10畳用」と記載されているものの中からデザインがその部屋に合いそうなものを選んだ上で、その設計担当の私立五流大学建築学科卒の若造の所に持って行って「これで、どんなものでしょうか」と下手に出て言ったのでした。そう言えば、私が仮に選んだものを見て、「これはいいと思う」「これはこの場所にはだめだ」とか指摘してくれるのだろうと思ったのです。なにしろ、小堀住研(株)は「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」と言っていた会社でしたから、「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」の設計担当者が見て審査してくれるのだろうと思ったのです。・・・ところが、私が「これで、どうでしょうか」と私が仮に選んだものを持って行って言うと、まったく見もしないで「ああ、いいよ」と言うのでした。何、こいつ!・・なんか、下手に出ただけ損みたいな・・・。

  小堀住研(株)は「小堀住研は大卒しか採らない会社なんです」と随分前から言いまくってきた会社でした。どのくらい前からかというと、少なくとも1960年代後半には言っていた。1960年代後半、うちの親が大阪府の北摂地区で小堀住研(株)で在来木造の家を建てた頃、すでに「小堀住研は大卒しか採らない会社なんですう」と叫びまくっていた。「ミサワなんかとは違って木造のきっちりとした家を作る会社ですう」とも言っていたが、「ミサワあたりとは違って大卒しか採らない会社なんです」とも言っていたはずだった。
  その時の営業担当者は後に取締役になって『役員四季報』(東洋経済新報社)にも氏名他が掲載されていたので、「関西大学法学部卒」というのは嘘ではなかったようだが、一緒に来ていた営業課長は「神戸大卒」だということになっていたのだけれども、その神戸大学卒の課長というのはいったいどこへ行ったのだろうか? いったいどこへ消えたのだろうか?
  うちの親というのは「信じやすい人間」であり、小堀住研(株)の初代社長の小堀林衛は「竹中工務店で設計をやっていた」というお話とか、2代目社長の中島昭午は初代社長の小堀林衛の「おいっこ」だというお話とか、本気で信じていて、小堀住研(株)で住宅を建てて入居した後、勤務先の会社が竹中工務店で社屋を建てた際に、竹中工務店の担当者に「小堀の社長も竹中工務店で設計やっていた人らしいですなあ」と言ったらしいのだ。本気で・・・。そうすると、「はあ~。なんか、そんなこと、言うとるらしいですなあ~」という返事が返ってきたらしい。落ち着いて考えてみたら、小堀林衛さんが「竹中工務店で設計やってた」というのはおかしい。北野高校の1年上の学年の人で京都大学工学部建築学科に行った人がいて竹中工務店の設計室に就職したのだけれども、その人にきいてみたところ、竹中工務店の設計室というのは京都大学工学部建築学科でも「修士卒」くらいで勤めるのが普通で「学部卒」ではなかなか採ってもらえないらしく、それをゼミの先生が「学部卒でもいいみたいだよ」と話をしてくれたので、それで、大学院の修士課程に行くつもりだったのを竹中工務店の設計室で採用してもらえるなら大学院に行くのはやめて学部卒で就職しようと決めた・・そうだったのだ。だから、京都大学工学部建築学科卒でも「修士卒」くらいで勤めるのが普通で「学部卒」ではなかなか採ってもらえないという所だそうなのだ。それを高卒の小堀林衛さんが勤めていたというのはおかしいのだ。高卒でも優秀な人はいるだろうけれども、それは話は別だ。落ち着いて考えてみると、「よく言うわ~♪ いつも、だましてばかりね~え♪」てものだ。「バカ言ってんじゃないわ♪」「わたしが何も知らない・・とでも思っているのね~♪」〔⇒《YouTuve-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g 〕
  それから二代目社長の中島昭午は「初代社長のおいっこ」と言っていたけれども、「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があってどちらからしい。「おいっこ」ではないようだ。普通に考えて「名字が同じ弟」の小堀 東(こぼり あずま)が会社にいるのに「名字が異なるおいっこ」の方が「名字が同じ弟」より役職が上というのも奇妙な話なのだ。そのうち、1990年初め、二代目社長の中島昭午は社内報に「『一国一条の主になるんや』という叔父の言葉に動かされて、向学に燃えた大学進学の志を私はあきらめた」とか書いていたのだが、それも変な話で、「一国一城の主になるんや」と言って会社を創設するのなら、それならなおのこと、慶應大の経済学部か商学部、一橋大の経済学部か商学部、神戸大の経済学部か経営学部・・には通らんとしても、滋賀大の経済学部でも同志社の経済学部か商学部にでも行っておくべきもののはずで、なんで「一国一城の主になる」のなら大学進学をやめなきゃならんのだ? 変でしょ。だから、従業員の間で言われるのでした。「天婦羅ばっかりの高卒 昭午」と。念のため、断っておきますけれども、これ、「天婦羅ばっかりの高卒 昭午」というのは私が言ったのじゃないですからね。従業員の間で言われていたのですからね。
  1990年に「これまでの小堀住研は宣伝べた・広告べたの会社だったが、これからは逆に宣伝上手・広告上手な会社として発展するように、これまでの小堀住研のイメージとは一新して」とか中島昭午が言って「エスバイエル」という安物くさい名前に会社名を変えたが、「小堀」というのは初代の名字だけれども、この名字は「中島」とか「高倉」とか「高橋」とか「渡邊」とか「増田」とか「松川」とかそんなどこにでもある、どうでもいい苗字ではなく、滋賀県長浜市生まれの「建築家」にして「茶道家」とされる小堀遠州の名字であり、和風の粋な住宅を作る会社にとっては「小堀」と会社名に入っていると、小堀遠州と関係あるのか? と客の側で勝手に考えてくれる名前であり、会社名からはずして得するとは思えない・・のをはずしたがるというのは、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかが初代の名字を会社名から取り除きたかったのではないか・・・。
小堀遠州 綺麗さびの極み (とんぼの本) - 小堀 宗実, 熊倉 功夫, 磯崎 新
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  そんなもので、世の中、学歴を詐称する人なんていっぱいいるのです。特に「京都の大学」のことを「京都大学」みたいなニュアンスで言ったり、「神戸の大学」を「神戸大学」みたいなニュアンスで言ったりする人というのがいるのです・・・が、私も最初はわからなかったけれども、人生の道のりで何度も痛い目にあわされて、何度も「しょーもない嘘つき」に出会って、それで、そういう嘘つきは世の中にはゴマンといる!・・・ということを実感したのでした・・・が、うちの親というのは、特に父親は会社員を何年もやってきたわりに、すぐに信じ込む男で、あのおっさん、もしかしてアホとちゃうか・・・という気がします。
  但し、家の仕事をしてもらう場合には、「京都大学」ではなく「京都の大学」、「神戸大学」ではなく「神戸の大学」卒の人でも、その仕事をきっちりとやってくれれば、それでいいのですけれどもね。但し、うちの家を建てた時に来ていた営業課長が「神戸大学卒」だったというのは、「ほんまかどうかわからん」・・・と今は思う。
  1970年代後半、隣家が我が家との境界に接して堀込車庫を作ると言い出して、その際に来てもらった小堀住研(株)の工事担当者がしっかりしていたと母は高く評価していたのですが、母が「あなた、どこの大学、出てられるの?」と尋ねたら、「神戸大卒」だという話で、「神戸大でてるだけあって、しっかりしてるわあ」と言って母は喜んでいたのだけれども、高校はどこか尋ねたら報徳学園だという話だったので、報徳学園卒で神戸大なんて行けるのかあ?・・と思ったのだが、「神戸の大学卒」だったのかもしれない。施主の立場からすれば、「神戸大卒」でも「神戸の大学卒」でも自分の家の仕事をきっちりとやってくれたらそれで良いのだけれども、あんまり高い評価ではない方の大学卒の人には出身大学がどこかきかれるのを嫌がる人がいて、私なら、きかれたくない人もいるわけだから、あんまり、ずけずけとどこの大学でているのかときくのはどんなものかと思うのだけれども、うちの親はそういうのを配慮なくずけずけときくようなところがあったので、だから、余計に「神戸の大学」を「神戸大学」みたいに言う人が出たのかもしれない・・けれども、小堀住研(株)の場合は「小堀住研は昔から大卒しか採らないという会社なんですう」と叫びまくってきたので、そして「社長は竹中工務店で設計をやっていた」とか「小堀住研は技術系の会社で””設計の小堀””と言われる」とかそういうことを言いまくってきたので、大阪駅の目の前に本社ビルがあって「うちは一部上場ですから」とか言いよるし、それで、うちの親は小堀住研(株)はそこまで言うからには小堀住研(株)の従業員というのは国立大学か最低でも関関同立くらいまでの大学を出た人ばっかりだろう・・・と思い込んでいたみたいで、国立大学か最低でも関関同立くらいまでの大学卒の人ばかりの会社ならば、「あなたはどこの大学を出られたんですか」と尋ねても、その人は国立大学か早慶・関関同立くらいの大学卒の人なのだろうから、尋ねても悪いことはないだろう・・と思ったのかもしれない。ところが、入社してみると・・・、「大卒しか採らない会社」のはずなのに、二代目社長が高卒なのは特別としても高卒の人間はいないはずなのに「なじかは知らねど」高卒の人間がけっこういるし、「大卒」と言っても日東駒専よりまだ下みたいな大学卒ばっかりで、国立大学卒や関関同立卒の人間なんて珍しい・・、あれえ~え??? という会社だった。もしかして「嘘でも百回言えば真実」と思って言いまくったけれどもちっとも真実にならんかった・・みたいな会社だったのか???

  実際、自分自身が小堀住研(株)に入社してみると、「神戸大学卒」の人なんて、そんな人、いったいどこにいるんだよ・・・? たしか、「会社案内」には「採用実績校」として「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったか記載されていたと思ったのだが、そういう会社だと思って入社したのだったが、どこにいるんだよ、神戸大学卒なんて?!? いないじゃないか、同志社大学卒なんて!
言っちゃなんだが、「大卒」と言っても亜拓大東帝国か関東上流江戸桜かそこらクラスの大学卒か高卒ばっかりやないか・・・・。
千葉支店の設計課長の I さんだって東海大学工学部建築学科卒て、普通、設計課長というのは旧帝大系国立大学か早稲田大の建築学科卒くらいの人がなるもんと違うんかい・・・と思っていたら、東海大卒の人が設計課長か???
嘘つき小堀やろうが、嘘つき小堀!!! だいたい、何が「『一国一城の主になるんや』という叔父の言葉に動かされて、向学の志に燃える大学進学の夢をあきらめた」じゃ、何が! 単にできが悪いものだから行ける大学がなかっただけやろうが!!! だいたい、父親ならまだしも、なんで、叔父にそこまで義理立てしなきゃならんのだ。なんで、叔父が独立して自営業やるからといって大学進学をやめなきゃならんのだ? 普通に考えたらおかしいだろうが! 「バカ言ってんじゃないわ♪」「よく言うわ~あ♪ い~つ~も、だましてばかりねえ~え♪」
「竹中工務店の設計室にいた」て・・・( 一一)( 一一) 「よく言うわ♪」「バカ言ってんじゃないわ♪」

   東京支店長の高倉は、支店長ならば営業課長の高橋賢一郎がこういうおかしなことをやっている・・ということは把握していないといけないはずだ。そうでなければ、それで支店長と言えるのか!?! ということになるはずだ・・・が、高倉は何と言っていたかというと「高橋課長は大変優秀な営業課長だ」とかマヌケ言っていたのだった。マヌケ! 魔的抜け作!!!

  自由が丘営業課 課長の高橋賢一郎は、
(1) 「インテリアコーディネーター」に照明器具を選んでもらうように言っておく・・と私に言っておきながら言わない。
(2) 「設計の◇◇くんに、照明器具を選んでもらうように言っておく」と私に言っておきながら◇◇くんに言わない。
・・・その点について、「申し訳なかった」くらい課長なら言ったらどうかと思うが、言わない。

[1]  土日・祝日は営業社員は展示場に詰めて新規客の接客をするのが基本のはずであるにもかかわらず、自由が丘営業課の長橋(男。新卒入社6年目)・近藤(男。新卒入社3年目)ともが、土曜日の昼に契約客の予定を勝手に入れて営業課長に相談も報告もしていなかった。それについて高橋賢一郎は営業課長として把握もしていなかった。
[2]  土日・祝日は営業社員は展示場に詰めて新規客の接客をするのが基本のはずであるにもかかわらず、自由が丘営業課 課長の高橋賢一郎は、わざわざ、そういう日に契約客の打ち合わせを入れて展示場にいなかった。「ぼくもいるし」と私に言っていたにもかかわらず、高橋賢一郎は展示場にいなかった。
・・・この2点について、高橋賢一郎はそれが原因で対処に困った私に対して「申し訳なかった」の一言くらいは言うもののはずだったが、一言も言わなかった。

《1》  そして、営業課長の高橋賢一郎は「小宮山さんに接客してもらえばいいよ」と、営業ではなく「営業補助」の職種の女性社員に接客させようとした。これは営業として非常識である。
《2》  高橋賢一郎はその「小宮山さん」が「変わってる」人で、その日になってみないと来るか来ないかわからない人だということを営業課長なら、又、私と違って前から東京支店にいた従業員ならわかっていないといけないはずだったが、それを認識していなかった。認識せず、私が「長橋さんも近藤さんも契約客の打ち合わせだということで展示場に来ませんけれども、どうしたらいいですか」と私が言ったのに対して、「小宮山さんに接客してもらえばいいよ」と、「その日になってみないと来るか来ないかわからない人」に接客してもらえと言い、実際には小宮山は午前9時30分始業時刻の会社で午前11時過ぎまで来なかった。かつ、来ると即座に弁当箱を広げて「ボリッ、ボリボリボリッ!」と轟音を立てて早弁をしたが、営業課長でありながら高橋賢一郎は小宮山のそういう行動を把握していなかった。そういう行動をする人だと認識できていなかった。
・・・・この2点について、高橋賢一郎はそのおかげで予定が狂い、本来なら必要がない問い合わせの電話を高橋に私の方からして気を揉まないといけないことになったという点に「申し訳なかった」くらいは言うのが営業課長というものであり、営業課長でなくても、社会人として「申し訳なかった」の一言くらいは言うのが常識のはずだが、一言としてなかった。
  こんな課長あるか?  たとえ、小堀住研(株)の課長というのは、主任・係長・課長を合わせて「課長」という名称にしていた””バブルの課長”” であったとしても、それでも、こんな課長あるか?


  さらに。1990年7月頭、自由が丘営業課 課長の高橋賢一郎は私に謝るのではなく、逆に、高橋賢一郎が長橋・近藤が土曜日に展示場を空けて他の場所で契約客との打ち合わせをやっていたことを高橋賢一郎が把握もしていなかった、課長の高橋賢一郎までも土曜日の昼に契約客との打ち合わせを他の場所でやっていた、そうであるにもかかわらず私に「長橋くんもいるし、近藤くんもいるし、ぼくだっているから」と嘘を言って混乱させたことを謝るのではなく、又、小宮山が2時間半も無断で遅刻してきて、遅刻して来るなり轟音を立てて早弁したことについても、「小宮山さんに接客してもらえばいいから」と言った小宮山が無断で2時間半も遅刻してきたことを謝りもしなかった。
  そして、それだけではなく、私に「この間も、展示場で接客する人間がいなかったのは、おまえがなんとかしないからいけないんだろうが」と逆に文句を言ってきた。びっくりした。
  それで私は言ったのだ。「私は、最初から土日・祝日の昼は営業は展示場で新規客の接客をするのが基本だと認識して、それで折衝中の某さんのお宅に訪問するのは平日の夜にさせてもらう予定にしていましたよね。高橋課長がそれを土曜日の夜に行けと言って、土曜の昼にその書類を作成しろと言ったんですよね。私は土日・祝日の昼に事務作業をするべきではなく、土日・祝日の昼は新規来場客の接客をするものだと認識してそうする予定にしていたのを高橋課長がそうではなく土曜の昼に事務作業をするように私に命令したのですよね。そうでしょ」と言いました。そして、
「だいたい、なんで、長橋さんも近藤さんも高橋課長も土曜の昼に契約客との打ち合わせを入れているのですか」と言ったところ、高橋賢一郎は「そんなもの、その日しか予定がつかないのだからしかたがないだろう。何、言ってんだ」と言うのです。
「それは違いますでしょ。中には、土日・祝日の昼以外に打合せの予定を組みたいと言っても、そうしてもらえない契約客はあると思いますよ。しかし、自由が丘営業課の営業が私以外に3人もいて、3人ともが契約客の打ち合わせを土曜日の昼にやっているというのは、おかしいでしょう。契約客との打ち合わせは、できるだけ土日祝日以外に入れるようにしておれば、3人とも土曜日の昼間に契約客の打ち合わせが入っているということにはならなかったでしょう。土日・祝日の昼以外、平日か土日・祝日でも夜に打ち合わせを入れてもらえるように努力していないから、だから、3人ともが土曜日の昼に契約客との打ち合わせを入れることになったのです。 
又、営業課長はその営業課の営業担当者がどういう予定にしているか、把握しておくものですね。営業課長というものは、自分の営業課の営業担当者がどういう予定を組んでいるか把握した上で、土日祝日の昼には営業が4人いたなら、最低でも2人は展示場に詰めて新規客の接客をできるように交通整理するものですよね。どうして、長橋さんと近藤さんの2人が展示場外で契約客との打ち合わせを予定に入れているというのを把握していなかったのですか。 私に土曜日の昼に事務作業をやるように営業課長として命令しておいて、それで、どうして自分もその日のその時間に契約客との打ち合わせを入れるのですか? その日のその時間に長橋さんと近藤さんも契約客との打ち合わせを予定に入れているというのをどうして営業課長として把握していないのですか?
営業課長ならば、そのあたりの交通整理をして、私に土曜日の昼に事務作業をやれと言ったなら、自分も含めて3人のうち、契約客との打ち合わせをその日のその時間に入れていいのは1人までとして、他の2人には契約客との打ち合わせは他の日にしてもらうように言うべきでしょ。それが課長の仕事でしょ」と言いました。そして、
「それに、小宮山さんに接客してもらえばいいと言われましたけれども、その小宮山さんが来なかったじゃないですか。小宮山さんが来たのは午前11時過ぎですよ。2時間半も無断で遅刻してきたのですよ。課長として小宮山さんが遅刻してくるということを聞いていないというのはおかしいでしょう。どうして、小宮山さんに『遅刻してくるのなら、前日までに課長に申告してください』と言わないのですか」
と言いました。そうすると、高橋賢一郎は、
「小宮山さんは自律神経失調症なんだから、しかたがないだろう」
と言うのです。しかし、高橋は当日はそうは言わなかったはずなのです。それで、
「いや、高橋課長はそうは言われませんでしたでしょ。そうではなく、『小宮山さんが来るから、小宮山さんに接客してもらえばいい』とそう言われましたよね。『小宮山さんは自律神経失調症だから遅刻してくる』とは言われませんでしたよね」
と言いました。
「だいたい、遅刻してくるのならそれならそれで、電話の1本くらい入れるものと違うのですか。電話の1本も入れずに2時間半も遅刻してきて、来るなり弁当箱広げて早弁する人は何の問題もなくて、それをされた者が文句言われるのですか。なぜ、無断で2時間半、遅刻してきて、来るなり弁当箱ひろげて早弁食った人に文句を言わずに、その人のおかげで迷惑こうむった私に文句言われるのですか?」
と言いましたところ、

「小宮山さんは自律神経失調症だからしかたがないって言ってるだろうが。わからないのか、おまえはあ!」
と言うのです。しかし、高橋賢一郎は、当日、そう言ったのならともかく、当日ははそうは言っていないのです。
「高橋課長は、その日はそう言われませんでしたよね。小宮山さんは自律神経失調症だから来ないとか遅刻してくるとかいうようには言われませんでしたよね。小宮山さんが来るからと言われましたよね。どうして、当日に言われたことと違うことを言われるのですか。それに、たとえ、自律神経失調症でも電話の1本くらいかけられますでしょ。」
と言いました。
  「寝返りも打てないほど」という表現がありますが、それはひとつの言い回しだと思っていたのですが、2014年、アーキマインド(株)〔”本社”:東京都北区〕という会社の求人募集を見て、「施工管理」という職種で佐藤秀工務店・大和ハウスなどの仕事をしていると出ていたので、戸建住宅建築業の下請けをしている会社だと思って応募したら、ゼネコンへの派遣業で、しかも、建築業では「施工管理」以外の職種では「下請け」は認められていても「派遣」は認められていないので、それで実質「雑役労務者」を「施工管理」だと称して派遣している、違法なことを脱法行為としておこなっている会社で、ひっかかってしまったのですが、「労務者」とか「人夫」といったものは誰でもできると思っている人がいますが、そうではなく、若い頃からそういった仕事をしてきていない人間がある程度以上の年齢になってやろうと思っても体が動きません。それまで建築業の会社で営業の仕事はしてきても、ゼネコンの現場作業員なんてやってきていない者にはできません。はめられてしまったようでしたが、そのアーキマインド(株)から埼玉県川口市の川口土木建築工業(株)https://www.kawado.co.jp/ という会社の埼玉県のマンション工事をおこなっている工事現場に勤務した時のことです。この川口土木建築工業(株)という会社がずるいのは脱法行為をおこなっておきながら、アーキマインド(株)という派遣元会社をダミーとして表に立てて、取り締まりを受けるなら・処罰されるならその時はアーキマインド(株)の方ということにして逃げている点です。〔 住友不動産(株)・三菱地所レジデンス(株)とかマンションを建てていましたが、住友・三菱のマンションだと確かだろうと思う人がいるようですが、「住友のマンション」「三菱のマンション」というのは川口土木建築工業(株)なんていいかげんな会社が建てているんですよ・・( 一一)  〕 ある朝、起きると全身の筋肉が硬直して動けないということがあったのです。どう考えても、勤務場所まで行けないと思い、それならそれで、工事現場の所長に連絡しておかないとと思い、電話がある所まで行こうとしても、言い回しとしてではなく正真正銘「寝返りも打てない」のです。その時、「寝返りも打てない」というのが本当にあるのだと知りました。それで、昼近くまで経って、やっと、転がることができるようになって部屋の隅においていた携帯電話の所まで行って電話することができた・・ということがありました。たとえ、脱法行為をおこなっているいいかげんな会社であれ、安全対策無茶苦茶な会社であれ、募集していた時の内容・面接であった時の話と内容が違ったとしても無断で休んではいけないと思い、電話をかけようと思ったのですが、本当に寝ていた部屋の電話がある場所まで動くことができなかったのです。小宮山が自律神経失調症というのは、これはおそらく「精神科」の「病気」の場合には世間に対して比較的穏便な印象を与える「病名」にしておいた方がいいということから「自律神経失調症」ということにしているということで実際は他のものでしょうけれども、自律神経失調症なのか他の「病気」なのか「病気」ではない何ものかなのかにかかわらず、私が川口土木建築工業(株)の工事現場に通った時に全身の筋肉が硬直して本当に「寝返りも打てない」状態になって電話がある場所までもたどりつくことができなかったという時とは違って、小宮山はともかく2時間半遅れて出勤してこれたのですから、遅れたら遅れたで途中から電話することだってできたはずなのです。それを途中から電話の1本もかけなかったというのは、それは自律神経失調症どうこうの問題とは違うでしょう。
  自律神経失調症という「病気」は、これは不可解な「病気」とされているようですが、ある日、突然、無断で2時間半も遅刻して出勤して、昼休みは午後0時から午後1時の1時間であって午前11時からしばらくは昼休み時間ではないにもかかわらず、来るなり弁当箱広げて「ボリッ、ボリボリボリッ!」と轟音を立てて早弁する・・・というのは、自律神経失調症という病気にはそういう「症状」はありません。 小宮山は「精神科」にかかっていた人だったようで、東京支店の従業員から「変わっている」と見られていて言われていた人でしたが、無断で2時間半遅刻してきて、来るなり弁当箱ひろげて「ボリッ、ボリボリボリッ」と轟音を立てて早弁をするというのはそれは自律神経失調症とはまず関係ないでしょうもしも、小宮山のそういう行動が「精神科」の「病気」によるものであるのなら、それは自律神経失調症ではなく他の「病気」によるものでしょう。小宮山のそういう行動を「精神科」の「治療」で治せるものかどうかわかりませんが、もしも「精神科」の「病気」であるのなら、そういう行動は自律神経失調症とは別の「病気」によるものでしょう。
自律神経失調症の謎―医師も説明に困る病気の正体 (有斐閣新書) - 鈴木 修二
自律神経失調症の謎―医師も説明に困る病気の正体 (有斐閣新書) - 鈴木 修二
  普通、これだけ、きっちりと言われたら、「申し訳なかった」くらい、高橋賢一郎は言っていいはずです・・・が、ところがそうではなかった。そうではなく、高橋賢一郎(男。当時、30代半ば過ぎ。福島県喜多方市出身。東京電機大学建築学科卒)は、
「おい。このぼくは課長なんだぞ。わかってんのか、おまえはあ」
と言うのです。
「課長に逆らうなつってんだよ、おまえはあ。
このぼくは課長なんだぞ。わかってんのかあ~あ!
ぼくは課長でおまえはぼくの部下なんだよ。
ぼくが課長でおまえがぼくの部下である以上は、このぼくが『申し訳ございませんでした』と言えと言ったら『申し訳ございませんでした』と言え~え! おまえは俺の部下なんだよ。口答えすんなてんだよお、この野郎!」
と言うのです。
「申し訳ございませんでしたと謝れえ!」
と言うのです。
「何が、申し訳ないのですか?  私は、営業として折衝中の見込客との打ち合わせは平日の夜にまわしてもらおうとして、その準備は平日にやる予定にして、土曜の昼は展示場で新規客の接客をする予定にしていましたよね。それを高橋課長が土曜の夜に打ち合わせをやるようにさせて、土曜の昼に事務作業をやれと命令されたんですよね。私はそれはおかしいと思ったけれども、課長が言われることだからと指示に従いましたでしょ。その時に、高橋課長が『展示場の接客は長橋くんと近藤くんにやってもらうから』と言われたのに、その二人は展示場外で契約客との打ち合わせを予定に入れていたのですよね。高橋課長も『ぼくもいるから』と言ったにもかかわらず、契約客との打ち合わせを予定に入れて展示場にいなかったのですよね。なんで、『ぼくもいるから』と言っておきながら、その日のその時間に契約客との他の場所での打ち合わせを予定に入れるのですか」
と言いましたところ、高橋は
「だ~から、口答えすんなっつってっだろ、おまえはよお。口答えすんなあ~あ!!!」
と言うのです。
「このぼくは課長なんだよ。課長のこのぼくが『申し訳ございませんでした』と言えと命令してんだよ。課長の命令がきけないのか、おまえは。課長が『申し訳ございませんでした』と言えと命令してんだから、『申し訳ございませんでした』と言え。言わないのか、おまえはあ!」
と言うのです。
「何が申し訳ないのですか。それを教えていただけませんか」
と私は言いましたところ、高橋賢一郎は、
「だ~から、このぼくは課長だと言ってるだろうが。ぼくが課長である以上は、このぼくが『申し訳ございませんでした』と言えと言ったら、おまえは『申し訳ございませんでした』と言うんだよ。言えっつってんだよ、この野郎!」
と言うのです。それで、
「はあ、それはどうも申し訳ございませんでした。・・それで、どこが悪いのですか」
と言いましたところ、高橋賢一郎は
「だから、口答えすんなあ~あ!!!
口答えすんなっつってんだろ~が。おまえはあ!
ぼくが課長である以上は、おまえはぼくから『申し訳ございませんでした』と言えと言われたら『申し訳ございませんでした』と言うんだよお。言え~え! 言わないのか、おまえはあ!」
と言うのです。
「はあ、それはどうも申し訳ございませんでした。・・それで、どこが申し訳ないのですか」
と言ったところ、
「口答えすんなあ~あ! おい、口答えすんなと言ってるだろうが、この僕が口答えすんなと。わからないのかあ。
わかんねえのか、おまえは。俺は課長なんだよ。俺が課長でおまえは俺の部下なんだよ。
ぼくが課長だと言ってるだろうが。ぼくが課長でおまえは俺の部下なんだよお! だったら、このぼくが『申し訳ございませんでした』と言えとおまえに命令したんだから『申し訳ございませんでした』と言えよ。おい! こら! 言わないのか! 『申し訳ございませんでした』と言え~え!」
と言うのです。さらに、
「小宮山さんにも謝れ! 小宮山さんにも『申し訳ございませんでした』と言え」
と言うので、
「何を謝るのですか。始業時刻が午前9時半の会社で無断で遅刻して午前11時過ぎに出てきて、来るなり音立てて早弁した人に、なんで私が謝るのですか」
と言いましたところ、
「だ~から、口答えすんなと言ってるのがわからねえのか、おまえはあ~あ! いいかげんにしろよ、おまえは。このぼくは課長だとさっきから言ってるだろうが。課長が『申し訳ございませんでした』と言えと命令してるからにはおまえは『申し訳ございませんでした』と言うんだよ。おまえは課長の命令がきけないのか! 『申し訳ございませんでした』と言え~え! こらあ!」
と言うのです。
「で、何が申し訳ないのですか。教えていただけませんか」
と言いましたところ、
「口答えすんなあ、おまえはあ~あ! 口答えすんなと言ってるだろうが、おまえはあ。
だいたい、おまえのそういう態度が気に食わないんだよ、おまえの態度が」
と言うのです。
「だ~から、俺は課長なんだよ。俺は課長でおまえは俺の部下なんだよ。おまえは俺の命令をきかなきゃならないんだよ。だから、俺が『申し訳ございませんでした』と言えと命令しているからにはおまえは『申し訳ございませんでした』と言うんだよ。こら、さっさと言え、こらあ!」
と言うのです。
「ですから、先ほどから『申し訳ございませんでした』と何回か申しておると思うのですが、課長が『申し訳ございませんでしたと言えと言ってるんだから、ともかく申し訳ございませんでしたと言え~え』とおっしゃいましたので『申し訳ございませんでした』と言ったのです。それで、大変申し訳なかったと思い、今後はそういうことがないようにしたいと思いますので、それで、課長にどこがどう申し訳なかったのか、今後はそういうことがないようにしたいと思うのでご指導いただきたいのですよ。いったい、私のどこが申し訳なかったと言われるのですか」
と言いましたところ、
「つべこべ言うなあ、おまえはよお! 口答えすんなっつってんだろうが、おまえはあ!」
と言うのです。どうも、高橋賢一郎という男は「課長」という役職に「営業系」としての応募条件すら満たしていない、営業力のない男がならせてもらったことから、その「課長」という役職を課長の役割を果たすべき仕事とは考えないで、「つべこべ言うなあ」「課長が『申し訳ございませんでしたと言え』と言ったら申し訳ございませんでしたと言え~え!」と人に怒鳴りつける権利みたいに考えていたようです。
課長という役職にそういう「権利」があるのかというと、ありません。たとえ、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) の2代目社長の中島昭午がそのような「権利」を「社長が認めた」としても、そのような「権利」を与える権利は社長の中島にはありません。むしろ、社長・代表取締役の中島昭午には、課長に任命された男がそういう態度を取らないように配慮する義務があります。それを怠っている中島昭午は「保護義務違反」として債務不履行責任を問われるべきものです。

  中島昭午は自分が「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかとして、従業員に対して「メカケ」の態度を取る権利があると思っていたようで、従業員の中にもそれに習って「俺は課長なんだから」と課長未満の従業員に対して「メカケ」が使用人に対して横暴を働くような態度・言動を取る権利があると思っている者がいたようですが、高橋賢一郎はその一人だったようです。メカケはしょせんメカケであり、「メカケの子」もまた、しょせん「メカケの子」だったということでしょうか。社長がお水かお風の女性をメカケにして、それを従業員にしている会社というのが時々ありますが、そういうメカケは一般従業員に対して人格的に支配する権利があるみたいな意識でいる場合が多いようですが、中島昭午もその類で、そういう男、いわば「メカケ男」が二代目社長になった会社では、その小型みたいな人間が従業員に出てくるようですね。

  一番の問題としては、高橋賢一郎が課長になっているのが間違っています。
  東京支店長の高倉は「高橋課長は課長の中でも大変優秀な課長だ」などと寝言を言い、「長橋くんを育て、それから、☆くんを育てた」と言うのでしたが、その「長橋くん」は高橋賢一郎に育ててもらったとは言っていないし、「☆くん」も高橋賢一郎に育ててもらったとは言っていない。むしろ、逆に高橋賢一郎を「あいつのおかげで・・」とはっきり言っている者がいる。私も高橋賢一郎を「あいつのおかげで・・」と思っている。
  何より、「育てた」と言うのなら、土曜日の昼に展示場を空けて契約客との打ち合わせを入れるのはやめなさい、土曜日の昼は展示場で新規客を接客するための日ですと指導しないといけないにもかかわらず、それができていない。それができていないことから私が迷惑した直後に「高橋課長は大変優秀な課長だ」などと寝言を言うというのはおかしい。 又、それでも、その日、その時間に契約客との打ち合わせを入れざるをえない事情があったなら、その時にはあらかじめ、課長にそれを話して許可を得るようにしてくださいと高橋賢一郎は長橋に言ってないといけないはずなのに、それも指導できていない。なにより、高橋賢一郎自身がそれをできていない。

  東京支店長の高倉は支店長なら、いくらなんでも、もうちょっとよく見ないといけません。まず、「適材適所」という配置を考える必要があります。松戸営業一課の課長だったUさんなどは高額物件をやりたい営業でした。松戸営業課の石井さんも高額物件は歓迎する人でした。それに対して高橋賢一郎は高額物件の対応はできない営業で、自由が丘展示場というのは、近くに王貞治の家とか国松の家とかがあるような場所で、周囲はけっこうお金持ちが多い場所であり、「この漫才で田園調布に家が建つ」という田園調布も近くであり、そういう所の来場客というのは高額物件のお客さまが多いのです。ですから、そういう高額物件の見込客が多い展示場というのはUさんとか石井さんとかなら喜ぶのではないかと思います・・・し私もそういう展示場は好きでしたが、ところが高橋賢一郎は逆で、ある程度以上の金額で考えている見込客、小堀住研(株)の建物なら完全自由設計の「新 桂」か「小堀の木造」で建てるお客様が来場すると「ろくな客が来ない」と言い、たまに「ハウス55」の見込客が来ると「やっと、いいお客さんが来た」と言うのですそういう安い価格帯の商品しか売れない男を高額物件の見込客が多い展示場の営業課長にして高額物件の来場客が多い展示場に配属しているというのは、それはおかしい! 高橋賢一郎のような安い建物のお客さんしか契約できない営業は、「ハウス55」の展示場に配属してあげるようにするべきです。 そうすれば、高橋賢一郎でも契約を取れる「ハウス55」のお客さんばっかり相手にして高橋はなんとかやっていくでしょう。支店長というのは、そのあたりを見ないといけない。 高倉さ~ん、あなた、眼、ついてるのお~お??? 見えてますかあ~あ?・・というのか、そのあたりが高倉の「やっぱり『高卒の支店長』だなあ」というところ、「やっぱり『だめなものはだめ』」というところなのです。
  そして、見ていると、私が担当だった↑で述べた見込客に対してもそうでしたが、高橋賢一郎という男は、特に難しい人でもない、普通にやったら普通に契約してくれるのではないか・・というような相手に、何かと細工したがる、何か変なことしたがる・・という営業なのです。正攻法でやれば成功する相手に細工して変なことをしたがる。たしかに、営業というのは駆け引きもあるでしょうけれども、しかし、そこでは別に駆け引きなんかしなくても、普通にやったら普通に契約してくれる・・というような相手に、必要ない駆け引きをして、かえってややこしくしてしまうという傾向がある男だったのです。それは、この男の性格・人間性に由来するものだと思われます。

  そんなことよりも、小堀住研(株)は「営業系」(営業・人事・総務・経理など)の「応募条件」は
(1)「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で
(2)「資格:普通自動車第一種免許保持者」というのが条件だったはずなのに、
高橋賢一郎はそのどちらも満たしていないのです。
  会社は、この職種はこういう人でやりますと宣言したなら、その条件は無暗に崩してはいけません。小堀住研(株)の営業は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で、その場合の「4年制大学」とは「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったか、そんなことが「会社案内」に書いてあったはずで、「小堀住研(株)の営業は大卒の営業です」と言っていたのです。「ミサワあたりの営業は高卒の人が多いようですが、小堀の営業は全員、大卒の営業です」と言っていたのです。かつ、その「大卒」というのは「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」というそのくらいの大学であったはずなのです。誰も、東京電機大学卒の人が営業やってますなんて言ってないはずなのです。
  どのくらいの大学卒の人でやるのかという問題もありますが、一般に戸建住宅建築業の営業は、「建築学科・土木学科卒の人」の方がいいのか、「法学部・経済学部・商学部卒の人」の方がいいのかというと私は後者だと思います。「法学部・経済学部・商学部卒の人」の方が向いていると思います。「建築学科・土木学科卒の人」と言っても人にもよるのですけれども、「バカでも入れる私大の建築学科卒」の人というのは、その「バカでも入れる私大の建築学科」を出たということで、それで、「先生」になったみたいな気持ちになる人が多いのです。かつ、「バカでも入れる私大の建築学科」出たというだけで二級建築士すらも通らないやつが、それで「先生」になったみたいな意識のやつに、その意識を変えさせようとしても、極めて困難。それに対して、「法学部・経済学部・商学部卒の人」はそんなこと思いません。あくまでも「社会科学系学部卒の大卒の営業」のスタイルです。むしろ、「法学部・経済学部・商学部」卒の者は入社後にその会社とその業界とその会社の商品にとって必要な知識を学びますが、「バカでも入れる私大の建築学科卒」の人は自分は「先生」だと思っていますからあまり学びませんし、もともとが「バカでも入れる私大の建築学科」しか入れない程度の学力の人ですから、「学ぶ」ということがもともと苦手です。設計とか工事とかの仕事はどちらかと言えば「建築学科・土木学科卒の人」の方がいいでしょうけれども、営業は「建築学科・土木学科卒の人」はあんまりよくないと思います。小堀住研(株)では、そういったことを考えて、営業は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」でやると決めたはずなのです。
  しかし、中には建築学科卒だけれども設計や工事の仕事ではなく営業の仕事をやりたいという人もいます。私と同じ年に入社した男で立命館大学理工学部建築学科卒だけれども、設計とか工事の仕事ではなく営業の方をやりたいと言って「技術系」ではなく「営業系」に応募して、この人ならいいだろうという判断をされて「営業系」に入社した人がいましたが、彼の場合は自分で「技術系」よりも「営業系」の方をやりたいと言って「営業系」を応募しており、「営業系」が「技術系」に劣るなどとは考えていないし、自分は建築学科卒でも、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」が持っているような能力も身に着けたいという意識は持っているように見受けられましたので、そういう人ならば「法学部・経済学部・商学部卒」ではなく建築学科卒でも採用していいかと思いますが、高橋賢一郎の場合はそうではなく、「バカでも入れる建築学科卒」というのを人はありがたがるだろうと信じていて、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」が持つような能力を自分も努力して見につけようなどという意識はカケラも持っていない男でしたので、そうなると、そういう人はこの《「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で小堀住研(株)の営業はやっていこうという会社の方針》に反する人ということになりますから、この点で「採用しない方がいい人」ということになります。
  そして、「資格:普通自動車第一種免許保持者」という条件を高橋賢一郎は満たしていないにもかかわらず採用されて入社しているのです。いわば、この部分は「選考進級」みたいなものです。「選考進級」で採用してもらったなら、採用してもらった者は早急に「選考進級」の状態を解消するようにしないといけない・・はずなのに、営業課長にならせてもらっておきながら「選考進級」を解消できていない。そういう態度というのは会社に対しての誠実さに欠けるものであり、会社をなめていると見られても文句を言えないものです。

  高橋賢一郎のこういった態度を見ても、それは小堀住研(株)の二代目社長の中島昭午が「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしいという点と傾向が共通している。メカケは「奥さん」とは違う。社長は社長だからいい思いをする時もあるだろうけれども、社長だから会社を運営していく上で苦労する時だってあるはずで、「奥さん」もまた社長と共通しているところがあると思うのだが、ところが「メカケ」はそうではなく、社長から吸い取るのがメカケの仕事であり、会社や従業員に対しても、「メカケの態度」というのはその傾向のものになる。従業員にはいかにして気持ちよく働いてもらうかと考えるのではなく、メカケの””権利””のようなものを主張することになり、その態度は中島昭午の態度と共通しているものがある。そして、社長がそういう男であると、従業員にもそれに準ずるような人間が出てくる。

  私などは、高校卒業時に東大の試験に落ちてしまった後、うちの父親から「おまえは産まれてくる時点において、『天の神さま』というお方から浪商の階級でチャンコロの民族と決められて産まれてきた人間やねんぞ。わかっとんのか。義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育とは違うねんぞ。義務教育ではない! ということは、おまえは高校には行ってはならないんやぞ。わかっとんのかチャンコロ! わかっとんのか浪商! 浪商は高校には行ってはいかんねんぞ、浪商! それをおまえが北野高校に行ったというのは、それはおまえが甘ったれておって、のぼせあがっておって、つけあがっておるからやねんぞ。浪商のくせしやがってからに北野高校に行くな、浪商。浪商の分際で北野高校に行くなちゅうとんのんじゃ、この浪商! このチャンコロ! ロスケ! イタコ! ましてや、おまえは大学には行ってはならないんやぞ」と言われたものだった。
  それから考えると、高橋賢一郎は東京電機大学https://www.dendai.ac.jp/ なんて、そんなどこの馬の骨かわからんような私立大学に、なぜ行くのだろうか? 高橋賢一郎は義務教育であろうがなかろうが、中学校行ったのは余計ではないだろうか。
〔なお、東京電機大学というのは、かつて、千代田区の小川町の南あたりにあったような気がしたのだが、同大学のホームページを見ると、足立区千住と埼玉県比企郡鳩山町と千葉県印西市の3か所に今はあるらしい。〕
  又、私はうちの親から「うちは工学部になんか、行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われた。私は小学生の頃からうちの母親から「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたい勉強をやって、つきたいと思う仕事につけるようにと思うから、だから無理にでも勉強させようとするんや」と言われ、そういうものなのだろうと勘違いして勉強したのだが、実際に大学に進学する時になると正反対になった。「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に。わしにわしにわ、し、にい~い! すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてを犠牲にしてわしのために捧げ尽く~す! とってちってたあ~あ! あ~、いらいらしてきたあ、いらいらいらいらイッライラ♪」と毎日毎日、朝から晩まで言われることになった。
  又、私はうちの父親から「おまえが産まれてこなかったら良かったのに産まれてきたおかげで、わしはおまえを育てるのにカネかかって迷惑なんじゃ。そやから、これからおまえに働いてそれをまどてもらわんといかんのじゃ。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとってはチャンコロ! ロスケ! 誰が工学部みたいなもんに行かすか、このチャンコロ! このロスケ! このイタコ!」と毎日毎日言われたものだった。なんで、高橋賢一郎は東京電気代みたいなものにしか行けないのに工学部みたいなものに行くのか? 東京電気代みたいなものに行くようなやつが工学部なんかに行く必要ないだろうが!!!
  うちの父親は私に「うちは工学部になんか、行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言うのだった。話が違うじゃないか。 私は「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずや」と言ったのだ。東大の理科一類・理科二類に通るか、京大の工学部何学科に通るかというと、それはわからないが、ともかく国立大学でというくらいなら、私は工学部建築学科でも何学科でも合格できた可能性が高い。しかし、それでも、うちの場合は「受けてはいかん」ということだのだ。「国立大学なら何学部でも学費は一緒であっても、100%絶対に通るとは限らないでしょうが。たとえ、0.1%でも落ちる可能性があったら国立大学でも工学部なんか受けてはいかんでしょうが」とうちの母親は言うのだった。さらには、うちの父親の弟(叔父)の息子(私からするとイトコ)が京都工芸繊維大学の工学部土木学科なんて所に行きよったのだが、「・・の子は工学部に行ったでしょう。なんで、・・は良くて私は工学部に行ってはいかんのですか」と言ったのだが、「あの子は、あんたと違って小さい頃から苦労してきたから、だから、工学部を受けさせてもらえるんやわ」と言うのだったが、そいつが私よりも「苦労してきた」というのはどうも不可解だった。そうやって、私は国立大学でも工学部建築学科であれ工学部何学科であれ受けさせてもらえなかった。東大の理科一類に通ったか、理科二類に通ったか、京大の工学部建築学科に通ったかというと、それはわからないが、ともかくも国立大学の建築学科でというくらいの条件ならば、十分合格できた可能性がある大学はあったはずだが、受けさせてもらえなかった。日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくないと小学校の低学年の時から思っていた大学学部に暴力と脅迫で行かされた。なんで、高橋賢一郎は東京電機大学などというわけのわからん・どこの馬の骨かわからん私立大学しか行けないのに工学部建築学科みたいなものに行かせてもらってるんだあ? おかしいじゃないか!
  私が高校3年の時、うちの父親は「もしも、東大に行くというのなら東京で下宿してでも行くべきやし、下宿は嫌やなどと言うて甘ったれておってはいかんし、東大でなくても慶應か早稲田に行くというのなら東京で下宿してでも行く値打ちはあるけれども、そんなもん、法政やたら専修やたら明治やたら東洋大やたらポン大やたら、そんなアホ大学に行くのに下宿してまで大学に行くことあらへん。大学に行きたいなら、せめて国立の大学に行けるくらいに勉強して行くもんや。私立のアホ大学に行くやつなんて、大学に行くのが間違ってる。法政やたら明治やたら専修やたら東洋大やたらポン大やたらそんな大学に行くようなやつが大学に行くのが間違ってる。そういうやつは自衛隊に入れるべきや、自衛隊に! 甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては! 自衛隊に入れろ、そういうアホ大学のやつは!」と言っていた。東京電機大学なんてわけのわからん私立の大学に行った高橋賢一郎は、福島県の会津地方、喜多方市の出身だというのだが、福島県喜多方市の人間が、東大に行くのならともかく、な~んで東京電気代みたいなもんに行くのに東京で下宿までして行かんといかんねん! よっぽど甘ったれておって、よっぽど金持ちなのではないか。高橋賢一郎の親は離婚して父親の方についていったと聞いており、父親は「ラーメン屋のおやじ」やっていたそうだが、「ラーメン屋のおやじ」て相当儲かるのか? 両親が離婚した人って金持ちなのか? 1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。当時、20代)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのが最大の自慢で「私は家が貧乏だったから」というのも自慢だったようだが、そう言われて私は最初は「はあん、そうかいなあ」みたいに思ったのだったが、高橋賢一郎など見ると「両親が離婚した」人というのは大金持ちとしか思えない。なんで、会津の人間が、東大か慶應・早稲田に行くのならともかく、東京電気代みたいなものに行くのに下宿までして行くのか? まったくつくづく摩訶不思議であり、理解不可能である。
  東京電機大学みたいなものに行くようなやつが大学に行くというのが根本的におかしい・・と私は思っていたが、今も思う。

  1979年にNHKの朝のテレビドラマで放映された、花登 筺(はなと こばこ)原作『鮎のうた』で、大阪の船場の糸問屋「糸原商店」に「おなごし」として入った鮎(あゆ)は「おゆう どん」という名前をつけられて一番下の「おなごし」として勤めるが、「おなごし」としては、なまじ他の「おなごし」よりも教養があることや、「おなごし」として勤めて独身のまま歳をいった女性が多い中で鮎が若いことから先輩の「おなごし」からいじめられたりしていたところ、「ごりょんさん」から、「船場の店では、月に2回、お休みがあるんやけど、おなごし は下の2人はお留守番であって、外に出られるわけやないんやで。その時やけど、あんた、お咲どんと2人で留守番してたらな。お咲どんに『わてが見てますから、お咲さん、わてが見てますから、少しの間だけ、外出てみられたらどうですか』言うて、少し、機嫌とってみたらどうや」と知恵をつけるが、おゆうどん(鮎)がお咲どんにその通り言うと、「あんたも、ちょっとはしおらしいとこあるんやな」と言って喜んで少しの間だけ外に出て戻ってくるが、それにとどまらず、「ごりょんさん」や店の多くの者が留守の間、もうそろそろ、「ごりょんさん」が帰ってきそうな時に「ごりょんさん」の部屋に入って「ごりょんさん」が持っていた菓子入れから「おかき」を持ち出して食べた上で、その容器を「おゆうどん」(鮎)がいた部屋の鮎「おゆう どん」(鮎)のそばにこそっと置いていき、「おゆうどん」(鮎)が「ごりょんさん」の部屋に無断で入って「ごりょんさん」の持ち物であるお菓子を持ち出して食べたという濡れ衣を着せようとまでする。帰ってきた「ごりょんさん」が「おゆうどん」(鮎)に「おゆう どん、わてのおかきを持ち出して食べたのは、あんたか」ときくと、「おゆうどん」(鮎)は納得いかないままに、「・・へ、へえ・・・」と答えるが、「ごりょんさん」は「嘘つきなさんな」と言う。「わてが帰ってきた時に飛び出してきて出迎えたお咲どんの口から、おかきの匂いがぷう~うんと匂ってきた。あんたの口からはおかきの匂いはせん。あんた、わてがそのくらいのこともわからんとでも思ってるのか」と。〔そういうものをきっちりと見抜くのが、それが船場の「ごりょんさん」の仕事や・・ということらしい。〕「ええか、おゆう どん。わては、あんたにな、お咲どんを喜ばすために、ちょっと機嫌をとってみたらどうや・・とは言うて知恵つけたけれども、何も自分がやってもおらん濡れ衣を着ろなんて、わてはあんたにそんなこと言うてへんで。自分がやってもおらんことを『やりました』なんて言わんでもよろしい」と。・・《小堀住研(株)の「お咲どん」》の高橋賢一郎と糸原商店の「ごりょんさん」は能力も人格も違ったようだ。又、糸原商店の「ごりょんさん」と小堀住研(株)の「メカケの子」とは経営者としての能力も人格も違ったようだ。小堀住研(株)がつぶれた原因のひとつ、大きなひとつは「初代の奥さんの子(『ごりょんさん』の子)」ではなく「初代のメカケの子」が二代目社長になった、”人格がメカケ”の男が二代目社長になった、という点がある。「戦国大名の話」で言えば、本来、家臣になっている者が殿様になったみたいな状態だったのだろう。
  滋賀県立長浜北高校http://www.n-nagakita-h.shiga-ec.ed.jp/ の応援部のホームページだかブログだかのコメント欄に、中島昭午のことを「錚々たるメンバー」などとをコメントを入れていた人がいたが、「会社をつぶしたアホの二代目」を「錚々たるメンバー」とは笑止である。「バッカじゃなかろかルンバ♪」という感じがする。
  老舗ではあるが店の状況が思わしくない糸原商店は、新興で勢いがある八田商事の娘を糸原商店三代目の原田三之介の嫁に向けたところ、八田商事から来た嫁は八田商事から「おなごし」を2人連れてきて、糸原商店に元からいる「おなごし」何人かの上につけてしまっただけでなく、八田商事から支配人まで連れてきてしまった。糸原商店に何年も務めた支配人は「やめたる。こんな店、やめたる」と言って退職する。「おなごし」でも、「もう、我慢できん」と言って辞めていくものがでる。その後、「ごりょんさん」が亡くなった時の葬式に来た元 支配人は「ごりょんさん、わてははように辞めさせてもろうて良かったと思ってます」と仏壇の前で言い、後まで残った番頭さんは「わては、長くいすぎました」とその隣で言う。その店の為と思うて勤めてきたのに、よそから来た者にいきなり上の立場に立たれたりえらそうにされたり・・て、これ、小堀住研(株)にも似たところがある。銀行から来てその会社の実際の仕事なんてやっていない能力もなければ気概もない男どもが来るなり高い役職について「上級国民」のようにふるまう。八田商事が糸原商店に送り込んできた従業員は、経験のない「おなごし」を長く糸原商店に尽くしてきた「おなごし」の上につけるといったものばかりではなく、「八田の中川と言うたら、『はったけんの中川』言うてな。犬でも秋田犬は特に頭がええと言うやろ。それから来た名前や。八田の中でも頭が切れる言うて、あの若さで八田四天王の1人やがな。八田商事はそれを糸原に送りよったのか」と「船田のおじさん」が鮎に話したように有能な人材も送りこんでいたのだったが、銀行が小堀住研(株)に送り込んだのはそうではなかった。銀行は小堀住研(株)をゴミ箱かわりに使ったのだった。そいつらが最初から小堀住研(株)に入社して「滅私奉公」し「夜討ち、朝駆け」して過酷な勤務をしている者より上の役職につかせてもらっていたのだった。・・で、どうなったかというと・・⇒つぶれた。銀行からゴミ箱かわりにされて投げ込まれたような人間が「上級国民」になったり、《小堀住研(株)の「お咲どん」》が支店長から称賛されたり・・、「その程度の人」が支店長だったり・・では、あかんやろうなあ・・・( 一一)
  糸原商店で、前からいる営業の者が八田商事から来た者より成績を残せずにいただけでなく、糸原商店の「ごりょんさん」や若旦那を裏切って八田商事から来た者の側につこうとしてそちらの側に入れてもらえず、元いた側に戻らせてもらおうとしてきた時に、「ごりょんさん」に鮎は「どうか、この人たちをおいてあげてください。この人たちは、若旦那さんの指にならはる方ですから」と言ったのに対して「ごりょんさん」は「ゆび~い?」と首を傾げて言う。「へえ。手足ほども役に立たん方ですから指です。指としてなら若旦那さんの役に立ってくださるでしょう」と。小堀住研(株)は銀行からゴミ箱かわりに送り込まれてきた者が最初から小堀住研(株)に勤めて努力している者より上の役職について殿様になってしまっていたという問題点があったとともに、「指」ぐらいの人間を支店長とか人事部長とかにならせていた・・というのがつぶれた一因・・と考えて良いのではないか・・と思う。・・・まあ、手足ではなくせいぜい「指」ぐらいでしかない人間が高い役職についている会社というのは日本にはけっこうあるかもしれないけれども・・・。
※ 《NHKアーカイブズ 連続テレビ小説 鮎のうた》https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010240_00000

   ・・それで、今回、弁護士芸人 岡野武志氏とアチョム法律事務所の動画で、会社という所において、こういう小堀住研(株)の東京支店 自由が丘営業課 課長の高橋賢一郎のような男から、
実際にはこちらはちっとも申し訳ないことはなく逆なのに「申し訳ございませんでいしたと言え~え」と怒鳴りつけられたり、
「口答えすんなあ」と怒鳴りつけられたり、
「つべこべ言うなあ」と怒鳴りつけられたりした場合に、
どうしたらいいのか・・というものがあったので、それを紹介する。
⇒ 《 岡野タケシ弁護士【アトム法律事務所】 Q:口答えするなって言われた時の対応教えてください。A:結論・・・》 
https://www.youtube.com/watch?v=eAHh-fAhohU
「日本国憲法で、言論その他一切の表現の自由が認められてますう~う!」

※ 法令検索 日本国憲法 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321CONSTITUTION#66
日本国憲法 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

  但し、私がこれまで勤めてきたような三流以下企業で、岡野武志氏が言うように言ったならば、「何かと法律を持ち出して反論する」というのが「懲戒事由」だと言って懲戒解雇等にされる危険がある・・。

  (2021.9.19.)
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