近所の閉店した店に思うー自社の商品の性質を理解できない人たちー会社をつぶしたい症候群の社長がつぶした小堀住研(株)。趣味で商品を作る小堀住研の専務。どこでも浜松と思ってる(株)一条工務店の遠州人社長。ボリュームのある食事の店とファーストフードの区別もつかない(株)チムニーの社長。

[第816回] 会社と営業の話
  我が家の近所の食べ物屋で、最初、食べに行ったけれども、そのうち、行かなくなったという店が何軒かあり、そのうちの何軒かはつぶれたか、閉店したか、撤退したかしました。「つぶれた」と「閉店した」と「撤退した」はどう違うかというと、「つぶれた」のは利益をあげることができず、店の経営が成り立たずに「つぶれた」で、「閉店した」は個人経営の店で店主が高齢になって息子が跡を継がないので閉めたとか、店主が交通事故にあって一時的に休業して「閉めた」場合とか、その場所より他の場所でやった方がいいと判断してその場所の店は「閉めた」とかそういったもので、「撤退した」はチェーン店などでその場所の店は利益があがらないので「撤退」するがチェーン店としては会社は存続しているというケースです。
 「撤退した」ケースでは、その店は「撤退」したとしても、全体としては「勝ち組」に入っているというケースもありますが、(株)チムニーhttps://www.chimney.co.jp/ にいた時、社長の 和泉 さんが「(チェーン店が)新規に出店する場合、最低でも『8勝2敗』でないといけない、『5勝5敗』なら衰退する、『7勝3敗』でもだめ」と言っていたことがありましたが、私も、実際、そうだと思います。ですから、「撤退した」は「つぶれた」とは同じではなく、その場所の店は「撤退した」だけであって全体としては「勝ち組」に入っているというケースもあるのですが、「撤退した」でもイメージが良くないので、簡単に撤退するくらいなら、むしろ、最初からその場所には出店しない方がいいくらいです。
  (株)チムニーの場合、2005年、「ファーストグルメ」という外観はファーストフードの店でありながら、相当ボリュームのある料理を出していた店を始めて、東京都の平井と神奈川県の大船とどこだったかもう1か所、出店したものの、うまくいかずにさっさと「撤退した」ということがありましたが、私ならこう改善する・・というものがありましたが、社長の和泉さんは「なんで、うまくいかないんだろうなあ」などと不思議なこと言っていましたので、この人、社長なのにわからんのかあ?・・・と思ったのですが、わからんかったようです。1980年代、阪神タイガースがCクラスを低迷していた年、ラジオの野球中継でアナウンサーが「きょう、試合前に阪神の球団の方と話してましたら、『今年は甲子園球場のお客さんの入りが良くないんですよ。いったいどうしたのでしょうねえ』と言われてました」と発言したのに対して、解説者の江本孟紀が「は~あ? 球団の方が『今年は甲子園球場のお客さんの入りが良くないんですよ。いったいどうしたのでしょうねえ』なんて、そんなこと言われましたか? ほお~お。ぼくは、今年、何で甲子園球場のお客さんの入りが悪いか知ってますよ。それを球団の経営者の方が『いったいどうしたのでしょうねえ』なんて、そんなこと言われてましたか。わからんのでしょうかねえ・・。案外、球団の内部にいるとわからんもんなのかもしれませんねえ。教えてあげましょうかね~え。そんなもん、いくらなんでも、こんなけ、ボロクソに負けまくったらもう、ええかげん、見に行くのん嫌になるわ!」と話したのを聞きました。さすがは江本♪ ええこと言う(^^♪ ・・と思いましたが、そんな感じ。(株)チムニーの社長はわからんのでしょうかねえ。教えてあげると怒ると思うが、メカケ(しょーもない下品おばはん)の言うことなら何でも言いなりになるくせしてからに、私の言うことならきかんようだが、まず、第一に、「ファーストグルメ」という店舗の名称はファーストフードの店を思わせる名称で、店の外観も内装も店員の服装も、ファーストフードの店のようで、それでいて、そこで出される料理はかなりボリュームのある肉料理・・というのでは、和泉さんはファーストフードの店を始めようとしてのか、それとも、ボリュームのある肉料理を高くない値段で提供する店を出そうとしたのか、いったい、どっちなのか?・・というと、社長自身がきっちりと認識できていなかった。それではだめだろう・・、どういうコンセプトの店を出そうと社長は考えているのか、それも社長自身が認識できていないようでは、それではだめになる要素がまずそこにあるということだろう。その程度のことも社長はわからんのか?・・と思いましたが、和泉さんはわからんようでした。あるいは、実際に、昼時でも、自分が食事をしようという客の立場で(株)チムニーの「ファーストグルメ」の店に行ってみればわかることだが、それをやってみようとしない。建設部長の大木さんも、建設部長なのに仕事が雑な業者に言えない人間であるとともに、自分の所の店「はなの舞」「花の舞」「炎」が「『民家風』の酒と料理を楽しむ店」なのか「暴れて壊してもいい酒飲みの店」なのかどちらなのかという意識ができていない
  夏の暑いさかりにボリュームのある肉料理ばっかりの店というのは飲食移転としてつらい。夏になると、「冷やし中華はじめました」なんて店頭に貼り紙を出す店があるが、「ファーストグルメ」でもそれをやるとけっこう売れたかもしれん・・が、「冷やし中華」でなくても、冬向きのメニューばっかりで夏向きのメニューのない食べ物屋というのが夏場は苦しいというその程度のことも考えつかない社長・・て、あんた何屋の社長さんなの?・・メカケの言いなりになるのが社長の仕事と違うでしょうが・・と思うが、メカケの言うことならきいても私の言うことはきかん男というのは困ったおっさんだな・・と思ったが、(株)チムニーは今もあるが「ファーストグルメ」はさっさと撤退した。私は飲食店のチェーン店の社長ならわかってるだろうと思いこんでいたのでしたが、そうではないようでした。俺の言うことをちょっとは聞けばちょっとはマシになったと思うのだが・・と思うが、メカケの言うことしかきかん男というのは、「しょせん、関大の法学部しか出てないおっさん」やったようだ。

  こういう問題は分析してみると、なかなかおもしろい。 つぶれかけの店の店主からすると「おもしろい」なんてものではないかもしれませんが、事例研究として考えると「おもしろい」。 『らーめん発見伝』で「まじめなラーメンマニアの藤本さん」を主人公に描いた同作品の作者は、次いで、かなりお笑い型キャラの汐見ゆとり を主人公にして『らーめん才遊記』を書き、さらに、うまくいかないラーメン屋を腹の底で笑うというキャラの芹沢を主人公にして『らーめん再遊記』を書きだしたが、同書を見ると、「芹沢」はよく見てると思う。
らーめん再遊記(2) (ビッグコミックス) - 久部緑郎, 河合単, 石神秀幸
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  我が家の近所の店で、一時は行ったが、そのうち、行かなくなった店でも、最寄りの「すき家」は行かないが、その次に近い場所にある「すき家」は今も行っているので、「すき家」そのものがいい悪いの話ではない。最寄りの「すき家」は行かなくなった理由は、一人で行った客と子供づれとに対しての対応があまりにも差があり過ぎる、という点で、この店は一人で来る客は来るなと言っている店なんだなと判断して行かなくなったのだ。普通に考えて、これは「すき家」だけではないが、同じ料金なのに、子供づれで行った客には愛想して、一人で行くと単に食事を出すだけという店があるが、それだけでなく、一人で行くと、カウンターの席は隣の席との間隔が狭くて肘があたりそうになるし、隣との間隔が狭いカウンターの席は丸椅子であるのに対して、子供づれで行った客にはテーブル席に座らせて、テーブル席は十分な広さと隣との間隔があり、椅子も大きくて背もたれがある椅子を用意している。そして、カウンターに座った客には、食い終わったらさっさと帰れという態度をとるのに対して、テーブル席に座った子供づれには、食べ終わっても「レストラン」で食事をした場合のように長々とおらせる。「すき家」の芝山店は特にそれが徹底していて、しかも、混んでいる時に一人客にカウンターの丸椅子に座ってくれというのはしかたがないとしても、すいていてがらがらの時間帯に行った時に背もたれのある椅子に座らせてもらおうとすると、断固として相当強い調子で丸椅子に座れと命令するように店員が言うので、感じ悪いな、こいつ・・と思って名札を見ると「店長」と書いてあったので、この人が、一人客は来るなという態度を取るように店員に「指導」していたのかと思い、こういう店には子供づれでない者は行くべきではない、一人で食べに行くのにこの店に入るのは「反社会的」であると判断して行くのをやめた。それから、すでに何年か経つので、今もその状態かどうかはわからないが、あんな店、二度と行かない。 「すき家」でも船橋市場店はそうではないので、テーブル席は背もたれのある椅子で、カウンター席は丸椅子だが、それでも、今も利用している。 イタリアで、「バール」という店に入ってサンドイッチとか菓子パンみたいのを注文して食べようという場合、「シッダウン?」と店員がきくのだが、そこで席に座って食べる場合と、受け取って外で食べる場合とで値段が違うのだ。日本では「すき家」にしてもそれ以外の店にしても、子供づれで行くとテーブル席に座るように指示して、背もたれがあって座面も大きい椅子で、隣との間隔も広い席に座らせて、一人で食べに行くと、丸椅子で隣との間隔が狭い席に座るように指示し、食べ終わるとさっさと帰れという態度をとる、それで料金は同じというのはおかしいと思うのだ。背もたれのある座面が広い椅子に座って、食べ終わった後も「ゆっくり」して帰る客が座面が小さい背もたれのない丸椅子で、隣との間隔が狭いカウンター席に座らされて大急ぎで食べさせられる客と同じ料金というのは、どう考えてもおかしいはずだ。それがわかっていない経営者が多く、むしろ、子供づれ帝国主義を助長するのが店員の役目みたいに思っている店員、および、「すき家」芝山店の店長のような女がいる。・・断っておくが、「すき家」芝山店は、ここ数年、行ってないので店長は変わってる可能性もあるが、あんな店、二度と行かない! その店が「この店は、子供づれの人は来てください。一人で食べに来る人は来なくてよろしい」という態度をはっきりと取っていたのだから、店にそういう態度を取られてまで無理に行く必要があるとは思えない。
  来客誰もに隣との間隔が狭い丸椅子に座らせて食べさせる店なら、ゆったりとしたい時は他の店に行くとしても、急いで食べたい時にはそういう店に行って食べることもあると思う。誰もに対してそういう扱いならそういう店もあると思う。しかし、払っている金額に違いはないのに、ある客にはゆったりした背もたれ付きの椅子に座らせて、食後もゆっくりと時間を過ごさせて、私には隣との間隔が狭い背もたれのない丸椅子に座らせ、食べ終わるとさっさと帰れという態度をとる店というのは、そういう店を利用するのはそれは「反社会的」であると考える。だから、「すき家」芝山店を利用するのは「反社会的」であり、「反社会的勢力」にならないためにはそんな店は利用するべきではないと考える。だから、私はこの店は「あっても、ないもの」と考えている。
※ 「すき家」芝山店 https://maps.sukiya.jp/jp/detail/121.html

( ↑ 「すき家」芝山店 )

  船橋市の県道船橋我孫子線(通称「ふなとり線」)の地図を見ると「芝山団地入口」と書かれている交差点の南西側、福一という中華料理屋があったが、ここも何度も食べに行ったのだが、ある時から行かなくなった。『美味しんぼ』では海原雄山が「冷やし中華なんて料理じゃない」と言っていたが、山岡がそうではないと「思い知らせてやる」とやる場面があったが、私は海原雄山とか大原社主とか食通のなんとかさんとかが好きそうな「ふかひれ」とかそんなもの、食ったことはないし、食いたいとも思わないし、逆に「冷やし中華」というのは、あの時、冷やし中華を食ったよなあと思いだす「過去に思い入れのある食べ物」で好きなのだが、ある時、その「福なんとか」いう中華料理屋で冷やし中華を食べた時、そこにセロファンだかなんだかが混じっていたのだ。そういうのがあった時、店主に「これは何?」と抗議して、それ以降は食べずに、料金は払わずに帰る人もいるらしいが、なにしろ、私は気が弱いものですから、そういうのをよう言わんのです。・・だから、自分でそのセロファンを取り除けて、残りを食べて代金も通常の代金を払い、そのかわり、それ以降、その店には二度と行かないことにしました。・・私が食べに行かなくても、他の人は行くでしょうから、その後も、何年もその店はそこでやっていましたが、最近、取り壊しているのを見ました。今はありません。「大衆食堂なんてそんなもの」かとも思ったのですが、そうでもないのではないか。たとえ、「高級店」でなくても、食事の中に異物を入れて客に出してはいかんのではないか。だから、あの店に食べに行くのをやめたのは正解だったと思っています。
※ インターネットで検索すると、「福一 飯山満本店」という店で、船橋市馬込町で新規オープンするらしい。セロファン入りの冷やし中華を出された店には私は食べに行かない。
《手打ちラーメン福一飯山満本店が移転のため閉店 → 2月上旬に馬込町で新店舗オープン予定》https://atari-kamafuna.com/2020/01/14/cl_fukuichihasama/

  ・・・もっとも、そういうのをあまり言いすぎると、食べることができる店というのが次々になくなっていき、どこも食べに行けなくなってしまうので、ほどほどのところにしておかないとしかたがない。

  最初、よく食べに行ったけれども、そのうち、あまり行かなくなったという店には、店の方に理由があるわけではない場合もあります。「かつ屋」はよく食べに行ったのですが、2019年の夏に、腹に激痛がして入院し、胆嚢炎で胆嚢を摘出する手術を受けて以来、胆嚢を失っても生きていくことはできるらしく、今も生きているのですが、厳密には、「胆嚢は私ではなく胆嚢以外が私」ということではなく「胆嚢と胆嚢以外との両方が私」でしたので生きているのは「胆嚢以外の部分の私」であって「胆嚢の部分の私」は死亡してしまったのであり、私が滅私奉公・破私奉公を繰り返して尽くしてきたにもかかわらずそれに報いなかった経営者の会社に「胆嚢の部分の私」は殺されたのですが・・・(ほんと、そうですよ。私みたいに滅私奉公・破私奉公なんてしない方がいいですよ。バカ見さされるだけで、ろくでもない経営者に得させてでかいツラさせるだけですよ)、胆嚢を失ってから、どうも、カツというものが食べられなくなってしまい、それまで、特に「ソースかつ丼」というのが好きだったのですが、それもあまり好みでなくなってしまい、それで「かつ屋」はあまり食べに行かなくなりました。たしかに、今も生きてはいるのですが、「胆嚢以外の部分の私」が私であって胆嚢は道具でしかなかったわけではなく、「胆嚢の部分の私」もまた私であり、労基法違反どころか、従業員の健康なんか考えてたまるか!・・という姿勢の経営者に私の一部分は殺されたのです。・・で、「かつ屋」はあまり食べに行かなくなりましたが、これは店がどうこうの問題とは別です。

  我が家の近所の店について、私は、なぜ、この店に食べに行くのをやめたか、というのを述べるとけっこう面白いかもしれませんが、それは他の機会にまわすとして、今回は、「芝山団地入口」から北東に行く道の「高根木戸」駅に近いあたりで、いくつも店が入れかわっている所について述べます。

  ふと、気づくと、少し前まで、「うま煮らーめん醤」だった所が、餃子屋になっていた。↓
DSC09784.JPG
  店の名前が見当たらないと思っていたら、写真をよく見ると「餃飯軒」と書いてあります。餃子と炒飯(チャーハン)とから揚げの店になったようです。 「うま煮らーめん醤」の人が商売替えしたのではなく、やっている人も変わったようです。
  この店については後にして、それまでの店について述べます。

  かつて、ここには「ウエスト」という うどん屋がありました。その前も食べ物屋があったのかもしれませんが、「ウエスト」の前はわかりません。 「ウエスト」というのは、英語で「西」という意味です。 今も、「ウエスト」というチェーン店と会社はあるようで、ホームページも出ています。〔⇒https://www.shop-west.jp/store/ 〕
  「ウエスト」「西」というのは関西風という意味かと思っていたら、創業は福岡県らしい。 西日本では「ウエスト」でもいいのですが、「東京もん」にはアンチ関西・アンチ大阪・アンチ阪神のおっさん・おばはんというのが多いので、東京で商売しようとしたなら「西」のニオイは持たない方がやりやすいようなところがありますが、それでも、東京圏の「ウエスト」はけっこうはやっていたように思います。私は、特に、「ウエスト」の「いわしだんご」が好きでよく食べました。
  ちょっと話がそれますが、「東京もん」が作ったテレビドラマでは、失恋した人間とか事業に失敗した人間とかが旅に出るというと、たいてい、上野駅から列車に乗って降りる駅は東北本線の終点の青森駅で、青森駅のプラットホームに降り立って「とうとう、こんな所まで来てしまったんだ」とかつぶやく・・・・てパターンが多いが、これ、青森県人には相当失礼な話だと思うのです。そう思いませんか? 「こんな所」て何じゃい、わしら、そこで生活しとるんじゃ、そんなに嫌なら来るな!!!・・・と思いません?
  「東京もん」にとっては、「北」というのはそういうイメージなのです。本当に「北」の方の人間、青森県人からすると、無茶苦茶失礼な話なのですが、「東京もん」は「北」という方角にそういうイメージをもっておって、それゆえ、居酒屋とかで「北の・・・」とかいう名称をつけた店だと、そういった「東京もん」が持つ「北」に対する郷愁のようなイメージから受け入れられる場合があるようです。「庄屋」が「日本海庄屋」という店で出していますが、この場合の「日本海・・」というのも、「北の・・」と共通したものがあるかもしれません。
  ところが、「西」は「東京もん」にはなかなか受け入れてもらえないのです。なにしろ、「東京もん」には関西に対して、敵意をもってるようなおっさん・おばはんが多い、「敵意」なのか「コンプレックス」なのかわからんが、あらかじめ、そういう意識をもっており、あんたのそういう意識は間違ってますよと言ってあげようと思ってもそういう人は受けつけないのです。そういう傾向が「東京もん」の中でも強い人てのは、たいてい、巨人ファンですしね・・(^^)/ (そういう巨人ファンというのは、かつて、阪神がCクラスを続けていた時なんか、うれしくって楽しくってたまんな~い♪・・て感じでしたでしょ。その時の巨人ファンと東京もん の態度に対して、恨みを抱きしめて生きてきた阪神ファンと関西人は決して少なくないはずです。)
  だから、関西系の会社が東京に進出していくというのは、そのあたりでけっこう大変な所があります。 住友銀行ですら、そのあたり、東京では苦戦するところがあったようで、頭に「三井」とつけるという「究極の作戦」にでたみたいです・・が、住友銀行の経営者にはそのあたりを考える頭があったのかもしれません。
  「ウエスト」も福岡県や関西ではその店名は悪くないのですが、東京圏ではどうかなあ・・とも思ったのですが、東京圏でも「ウエスト」の店はけっこうはやっていたと思います。 ・・先ほども言いましたが、私は特に「いわしだんご」というのが大好きだったのです。そして、この船橋市の芝山、駅では新京成電鉄「高根木戸」駅の南西、東葉高速鉄道「飯山満」駅の北東の方向あたりにある店には何度も行ったのです。
  でも、ある時から行くのをやめました。 ある時、行くと、いつまで待っても、「お冷」を出してくれないのです。注文した料理が届いても、それでも「お冷」を出してもらえないので、それで、女性の店員さんに「すいません。お水、もらえませんか」と言いました。・・すると、その店員はどういう対応をしたか。
  「そこにあるでしょお!」と言って、あごをしゃくって、冷水器を示したのでした。それまで、店員が「お冷」を持ってきていたのを、冷水器を客席の側に置いて、客に自分で入れてもらうようにしたようでした。 しかし、それならそれで、「すいません。お冷はお客様で入れていただくようにさせていただいたのです。そちらに冷水器がありますから、そこで入れていただけますか」と言えばいいし、言うべきです。 それまで、何度もその店に食べに来ていた常連に対して、その店員も顔を覚えているはずの人間に対して、「そこにあるでしょお!」と言ってあごをしゃくってみせる・・というのは、それはないのではないか。そう思いませんか? おまえの給料は誰が払ったカネから出てると思ってるんだ? ・・と思いませんか? 株式会社ウエスト の社長さん、そう思いませんか?
  そういう店で、あえて食事をして、そういう店にカネを落としてやる必要はないのじゃないか。 そんな店にカネを落とすのは、それは「反社会的勢力」だと判断したのです。そういう「反社会的勢力」はしてはならないと判断し、それで、特に「いわしだんご」が好きだったのだけれども、そのくらいは我慢して食べないことにして、「ウエスト」は利用しないことにしました。 新京成電鉄「高根木戸」駅の南西にあった「ウエスト」の店以外の「ウエスト」の店についてどうかは、それはまた別の話として、その場所の店は利用するべきではない、そういう接客をされてまでそんな店を利用したのではアホや! そんな店を利用するのは「反社会的」であると判断して利用しないことにした・・・ところ、不思議なもので、そう思ったのは私だけではなかったのか、けっこう流行っていたと思ったのですが、私が行かないようにしてから、それほど経たないうちに、「ウエスト」の高根木戸駅の南西の店は閉店しました。 私がこんな店は行くべきではないと判断したその理由から閉店に至ったのかどうかは知りません。しかし、あれはマイナスの要因だったと思いますよ。
  2006年、(株)エイブル https://www.able.co.jp/ の海浜幕張WBG店にいた時・・・この「WBG」て何なんだというと、「ワールドビジネスガーデン」という雑居ビルの中に入っていたので、それで、こういう名称にしていたようですが、電話に出て言おうとすると「かみやすい」。「海浜幕張店」ではだめなのか・・というとだめだと同社の人間は言うのでしたが、「海浜幕張店」で良かったのじゃないかと思うのですが、そこに、息子が千葉工大に入学したというお母さんがバカ息子を連れてきて、息子が一人暮らしをしたいと言うからアパートを借りたいと言って来店されたことがあったのです。 私などは、高校生の時、うちの父親が
「東大とか京大とかに行くのなら下宿してでも行く値打ちはあるけれども、しょーもない私立大学に行くのに下宿まですることあらへん。甘ったれとってはいかん。しょーもない私立大学に行くようなやつは家から通える大学に行けばええことや。」
「同じ下宿して大学に行くのなら、京都で下宿して京大に行くのも東京で下宿して東大に行くのも同じようなものや。」
「東大にでも行くのなら東京で下宿してでも行く値打ちはあるし、下宿は嫌やなどと甘ったれたこと言うておってはいかん。東大でなくても、慶應か早稲田なら下宿してでも行けばいいけれども、法政やたら明治やたらポン大やたら専修だの東洋大だのなんてアホ大学に行くやつが下宿までして行くことあらへん。法政やたら明治やたらポン大やたら専修だの東洋大だのというようなアホ大学に行くようなやつなんて、たとえ、大学に行くにしても家から通える所に行けばええことや」
と言っており、私もそう思っていたのです。ですから、東大・京大もしくは慶應・早稲田くらいに行くのに下宿して行くのならともかく、千葉工大なんて行くようなやつが下宿してまで行くことあらへん・・と思っていたし、ましてや、習志野市の住人が習志野市のJR「津田沼」駅の南側にある千葉工大に行くのに一人暮らしをしたいなんて、何をわけのわからんこと言うとんねん・・・という感じがしました・・・が、(株)エイブルの店舗にいると、そういう人がけっこう来店します。その人だけではないのです。私などは、東大を落ちて浪人すると、「で~んたく、電卓う! でんたく、電卓、デンタックぅ♪ おまえが落ちたおかげで、試験を受けに行く時の電車賃が〇円、受験料が〇円、願書を出す時の切手代が〇円、封筒代が〇円・・・、おまえが浪人したおかげでわしは・・だけ損させられた」とうちの父親は計算したものでしたし、「浪人に小遣いはいらん」と言われて、それで、鉛筆やノートを買うお金ももらえませんでした。それに対して、千葉工大やなんて、そんなものに大威張りで行くやつて、私には理解できなかったが・・・、そういう私立大学に大威張りで行く人、そういう私立大学に地元の人間が行くのに一人暮らしをしたいとアパートに住もうという人、息子・娘が一人暮らしをしたいと言うのでアパートを借りようと(株)エイブルなどの店に来る父親・母親というのが現実に今はけっこういます。千葉工大だけではない。(株)エイブルの勝田台店にいた時も、八千代市だったかにある「聞いたこともない私立大学」で「今では名前も忘れてしまった私立大学」に行くのにアパート借りて一人暮らしをしたいと娘つれて来た親がいましたが、なんか、もうわけわからん・・・。
  それで、その千葉工大に入学して息子が一人暮らしをしたいというからアパートを借りると言って息子と一緒に来たお母さんに、次長の門倉という男(当時、30代なかば)が、「おっ、千葉工大ですか。すごいですね、すごいすごい♪ さすがですよ、さすがさすが♪ すごいすごい、凄い凄い、さすがさすが、さっすっがっ! さすがさすが、すごいすごい、さすがさすが、すごいすごい! さっすっがっですよ、さっすっがっ♪」などと言いまくるのを見て、店長のO野がその来場客も門倉も帰った後で、「東大にでも通ったというのなら、『さすがですよ』と言うのもわかるが、千葉工大みたいなもんに行ったようなやつを『さすがですよ』て、よく言うなあ」と私に言うのでしたが、たいていの人間がそう思います。私も思いました。・・しかし、そんなことよりも、私も「千葉工大みたいなもんに行くようなやつなんて大学行く必要ないだろうが」と思っていました。私はうちの父親から毎日、言われてきたのです。「ええか、わかっとるか、ええか。高校は義務教育ではないんやぞ! 義務教育ではない以上は、おまえは高校には行ってはいかんねんぞ、チャンコロ! わかっとんのか、チャンコロ! 義務教育ではない以上はおまえは高校には行ってはいかん人間やのにからに、それをおまえが北野高校に行ったというのは、それはおまえが甘ったれておるからやねんぞ、おまえが! 義務教育ではないからにはおまえは高校には行ってはいかんのにからに、それを北野高校に行ったというのはおまえは甘ったれておるということやねんぞ、おまえは。ましてや、おまえは大学には行ってはいかんねんぞ、おまえは」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきました。だから、ましてや、千葉工大みたいなもんに行くようなやつなんて、義務教育であろうがなかろうが、中学校に行ったのは余計であり、ましてや、そんなやつが大学になんて行く必要あらへん!・・と思います。・・・ましてや、何が「さっすっがっ♪」じゃ、何があ~あ!!! と思いますが、そんなことよりも、そのあたりがどうであるかにかかわらず、その人は、曲がりなりにも(株)エイブルの店を利用してアパートを借りてくれる人であり、(株)エイブルに仲介手数料やらその他なんやらかんやら・・要するに、(株)エイブルは借主側の仲介手数料をそれまでは多くの不動産屋は家賃1か月分としていたのを(株)エイブルだけは半月分だとしたかわりに、火災保険料・引っ越し代・鍵交換代だのなんだのかんだのと取って儲けるということをしていたのであり、それはひとつの商売方法だとして、ともかく、その人に(株)エイブルを仲介業者としてアパートを借りてもらって住んでもらうおかげで、おカネをいただき、そこから、門倉らの給料が出ていたのであり、その人のおかげで飯を食えていたのであるのに、そういう人に対して、心の中では「千葉工大やなんてアホ大学行きやがってからに」と思いながら、「おっ、さすが千葉工大♪ さすがですね、さすがさすがさすが♪ すごいですよ、すごいすごい、すごいすごい♪ すごいすごい、さすがさすがさすがさすが♪ さっすっがっ! さすがですよ、すごいすごい♪」と言いまくって茶化す・・・というそういう卑しい態度というのは、それは営業の職種についている人間として評価できない態度であり、門倉の上役の支店長だか部長だかは「ちょう」という男だったと思いますが、「ちょう」も門倉に注意する能力がない男だったようですが、私が賃貸住宅を借りる立場、もしくは、持家を貸す立場であったなら、店員が門倉のような態度の店員ならば、「不動産屋なんてそんなもの」という面もあるので、あまりにも厳しいことを言うと頼める所がなくなってしまうという面もあるけれども、少なくとも、門倉のような態度をとる店員というのは、マイナスの評価です。
  慶應大学の商学部の講義で何の講義でだったか忘れてしまったが、教授が「コンビニのような店ですらも、レジにいる店員によって売上が変わる」という話をされたことがありましたが、「ウエスト」の高根木戸駅の南西にあった店、(株)エイブルの千葉支店内の店は、店員の ↑ に述べた態度は間違いなくマイナスになっているはずです。門倉は、門倉が客を「茶化している」ということに私は気づいていても、客は「茶化された」ということに気づいておらず、ほめられたと思って喜んでいると思っていたようですが、その人がその時に気づかなかったとしても、そのうち、気づく時が来るかもしれないし、その人が気づかなくても、私が気づいたということは客でも気づく人はいるということで、自分が茶化された当事者でなくても、門倉のそういう態度を見て、「なんだ、この男は」と思う人はいるはずで、そこから「なんだ、この店は」と思う人は出てくるはずであり、会社のためにいい態度でないのは明らかであり、そういう男に注意する上役がいないというのは(株)エイブルという会社を高く評価できない要素です。もし、(株)エイブルの経営者、この点について、何か文句があるならぜひとも聞いてみたいものです。どこか、違いますか? 違うのなら、どこが違うか言ってみればいい。違わないはずですよ。

  「ウエスト」が撤退した後、もつ煮込み屋が入りましたが、もつ煮込みはあまり好きではないので、行かなかったが、ふと気づくと、もつ煮込み屋も「閉店」か「撤退」かしたようで、「煮込みラーメン 醤」という店ができました。今、ヤフー地図で見ると、今も「煮込みラーメン 醤」と出ていますが、今は、「餃子・炒飯・唐揚げ」の店に変わりました。
  この「煮込みラーメン 醤」は、けっこうおいしかった。 だから、何度も行きました。 しかし、ラーメンはおいしいのですが、接客は今一つ。 店主は厨房にいて、接客の状況がわかっていないのではないか、と思い、又、開店したばかりで、こういう食べ物屋というのは、アルバイト・パートの店員が占める割合が大きいので、まだ、経験未熟なアルバイト・パートの店員が対応に慣れていないのかと最初は思ったのでしが、しばらくしても、それは変わりませんでした。
  ラーメンはけっこうおいしいのですが、けっこうカロリーがありそうなラーメンで、麺類はご飯ものにくらべて満腹感がない場合が多いけれども、この「煮込みラーメン 醤」のラーメンは満腹感があるけれども、しかし、カロリーがありそうで、毎日、食べるとカロリー過多になりそうでしたが、けっこうおいしいので、やみつきになりそうなところがありました。それで、けっこうよく食べに行きました。
  何度か行くと、スタンプがたまると、それで、「もう1品」サイドメニューをつけてもらえたのでしたが、そのあたりについては、もしかすると、このラーメン屋の店主は考え方が違っていたかもしれません。 カロリー少な目で、量が少なく、サイドメニューを加えて食べるとちょうどいい量の店ならば、サイドメニューをサービスしてもらえるというのは客にとって魅力がありますが、ラーメン1杯だけでも相当のボリュームがある食事を出している店で、サイドメニューをサービスしてもらっても、あまりありがたみがない。 ・・サービスしてもらって食べたことがあるのですが、これは少なくとも私には要らないなと思ったのです。
  けっこうおいしいラーメンだったと思うのですが、コロナウイルスがどうこう言う前から、営業時間を短縮して、営業している時間としていない時間ができてきました。 それで、せっかく行ったのに、閉まっていた・・ということが何度もあった。 そして、やっている時に入店しても、「けっこうおいしいラーメンなのに、客が少ないなあ」と思うことが何度かあり、そのうち、コロナウイルスの問題が出てきて、ふと気づくと、「餃子・炒飯・唐揚げの店」に変わっていました。 私の場合は、2019年に胆嚢を摘出する手術を受けた後、どうも、カロリーが多い食事というのが苦手になり、「煮込みラーメン 醤」のラーメンも、「こってり系」のラーメンなので胆嚢を失う前はおいしいと思ったけれども、胆嚢を失った後には「苦手な部類」に入ってしまい、あまり行かなくなって、ふと気づくと、別の店になっていたのです。
  どこがだめだったか。
1.ラーメンの味は悪くないと思ったが、いつまで経っても接客は「もうひとつ」だった。店主は気づいていないのか? ・・と思った点。
2.なかなかおいしいけれども、「こってり系」のラーメンで、「あっさり系」のラーメンで量が少なめのものなら、何度か来てくれた人にはサイドメニューをサービスというのはいいが、「こってり系」でラーメンだけで満腹感が十分すぎるほどというラーメンの場合には、サイドメニューをサービスというのは、それほど魅力がない、という点に気づいていなかったか?・・と思われる点。
3.営業時間を短縮するのなら、営業している時間・営業している曜日を明確にして常連客にわかりやすいように明示し、また、この店は道路沿いでクルマで来店する人が多い店ですから、歩いてくる人の場合は店の前まで来て「あ、きょうは閉店か」ですんでも、クルマで来る人の場合には、そこの駐車場に入ろうとする人はある程度手前から減速して駐車場に入るはずなので、ある程度遠くからでも、その時、やっているのかやっていないのか、わかりやすいようにするべきだったと思うが、やっているのかやっていないのかわかりにくかった。 だから、やっているのなら食べに行こうと思っても、行ってもやっているかやっていないかわからない・・と思うと、間違いなくやってそうな店に最初から行く・・ということになった・・ということがあったと思う。 営業時間の明示と、営業している時と営業していない時をある程度離れた場所からでもわかりやすいように何らかの方法で示す、ということができていなかった・・という点。
この3点がマイナス点だったのではないか、と私は思う。

  今度、できた「餃子・炒飯・唐揚げ」の店が、これからどうなっていくかはまだわからない。 餃子は「生(なま)風」・・、「生(なま)」では食べられないが、内部が「生(なま)風」で、ひとつひとつが大きい。 そういった他とは違う特色を出しているというのはいいと思うのだ。 炒飯もなかなかおいしい。値段も高くない。 ただ、2回目からはいいかもしれないが、最初に行った時には、メニューを見ると、「餃子 3個」と「ライス(小)セット(ごはん と、スープ・漬物)」「チャーハン(小・中・大)」と、これは食べたことはないのでどういうものかわからないが、唐揚げが2種あるらしいのだが、「餃子 3個」というと、多くの店の餃子はこの店の餃子よりもずっと小さいので、「3個なら足らない」と思って、その倍の6個とか注文しそうになるのだが、この店の餃子はひとつあたりの大きさが多くの店の餃子の2.5倍ほどの大きさがあるので、3個でもけっこうあるのだ。 それを知らずに多く頼んでしまいそうになる。 又、チャーハンを頼もうと思った時、小・中・大とあっても、この店の「中」はどのくらいなのかわからない。 だから、小・中・大のどれを頼むべきか迷う。 そのあたりに、メニューの書き方が必ずしも親切ではない・・ので、そのあたりはできれば改善した方がいいかもしれない・・と思う。

  ところで、私は、こういった思考を20代からずっとやってきた。 慶應大学の商学部で2年に配置されていた「商業学総論」という講義で、M教授が「私は、たとえば、近所にパン屋が新しく開店したというチラシが入ったら、すぐに見に行くようにしている。新規開店なのに、客が来ていない。店の親爺に、『売れてるか』ときくと、『売れてない』と言う。どこが悪いかと考えた」それで、「品ぞろえを見て、『それ、ひとつずつ、売ってくれ』と何パン・何パンと全部ひとつずつ買いたいと言ったら、店の親爺が言ったのは・・『あんた、いったい何者だ?』・・と」。 それで、「買ったパンを持ってゼミに行き、ゼミの学生に『これだけの品ぞろえの店だが、はやっていなかった。どこが悪いと思うか』と議論した」・・といった話をされた。 その話を聞いた時から・・なのか、私は自分で何か買い物をする時でも、そのM教授と同様の思考態度で見るようになった。見るようにした。 但し、そういう視点というのは、その「商業学総論」の講義に出て話を聞かなかったなら、そういう思考・そういう視点はゼロだったかというと、そういうことはないと思うのだ。そういう話は「肥し」にはなったと思うし、マイナスになっていないと思うが、もしも、そういった話を聞いていなければ、ゼロだったかというと、ゼロということではないと思っていた。あくまで、40が60になったか、50が60になったか70になったかということで、程度の問題であって、ゼロが百になるとかいったことではないと思っていたのだ。・・・ところが、会社という所に勤めてみると、不思議なことに、ゼロの人というのがいるのだ。別名「アホちゃうかという人」が。それも、社長とかそういった役職の人でいるのだ。「アホちゃうか」という人が。
  セオドア=レビット『マーケティング発想法』(プレジデント社)に、アメリカ合衆国の化粧品会社のレブロンというのは何を売っているのか・・という話が出ている。レブロンが売っているのは「化粧品」ではない。そうではなく、「それまでとは違った自分になれるという希望」であり「魅力的な女性になって幸せな生活を営めるようになるという夢」であったり、そういうものを売っているのだ・・というのだ。これなども、なるほど・・と思うけれども、これだって、もしも、この本を読まなかったなら、そういう思考は私はゼロだったかというと、そんなことはないと思ったのだ。あくまでも、40が60になるかといった話であって、ゼロか百かではないと思ってきたのだ。ところが、会社という所に勤めてみると、世の中には、ゼロの人というのが現実にいるのだ。「ゼロの人」というのは、別名《「アホちゃうか」という人》である。ほんとにいるのだ、ほんとに!!!
レビットのマーケティング思考法―本質・戦略・実践 - セオドア レビット, Levitt,Theodore, 坤, 土岐, DIAMONDハーバードビジネスレビュー編集部
レビットのマーケティング思考法―本質・戦略・実践 - セオドア レビット, Levitt,Theodore, 坤, 土岐, DIAMONDハーバードビジネスレビュー編集部
  実は、うちの父親というのは化粧品屋に勤めていたのだが、1970年代の初め頃だったと思うのだが、「歌手」の安西マリアを使ったコマーシャルと「プロゴルファー」のローラー=ボーという白人の女性プロゴルファーでゴルフの成績は今一つだが、「親爺殺し」というのか「おっさん好み」というのかで水着写真を撮ったりしておっさんにアピールする女を使ったコマーシャルを作成して、どちらをテレビで流したかというと、「おっさん殺し」の方を流し、うちの父親は「上品でええわあ」などと言っていたので、「安西マリアの方がいいと思うけどなあ」とその時、小学生だか中学生だかだった私は言ったのだが、「安西マリアの新曲がはやらんかったから」とか言い訳みたいに言っていたが、その商品はいったい誰に売るのか? その商品は誰に買ってもらおうという商品なのか? ・・ということを考える必要があるのではないか・・と私は思ったのだ。 「おっさん」に売る商品ならば、「おっさん殺し」の色気女を使ったコマーシャルでもいいかもしれないが、そうではないだろう。女性向けの化粧品のコマーシャルに「おっさん殺し」を使ってもしかたないだろうが! 「アホちゃうか!」と思ったのだが、うちの父親がそれなりの役職につかせてもらっていたような会社がやることなんて「そんなもの」かとも思ったのだ。そういうのを見て、私は大学卒業後に勤めるならば、「会社ちゅうところ」でない所の方がいいと思うようになったのだ。
  10年ほど前だったか、書店の棚で『女が嫌いな女』(文春新書)という新書本を見た。
女が嫌いな女 (文春新書) - 週刊文春編集部・編, 週刊文春編集部
女が嫌いな女 (文春新書) - 週刊文春編集部・編, 週刊文春編集部
そこに、まだ20代前半だった小倉優子が上位の3番目だか4番目だかに入っていたのだが、著者は「そもそも、小倉優子は男に好かれようとは考えていても、女に好かれようとは最初からまったく考えていないのであり、小倉優子にとっては、『女に嫌われる女』として上位に入選したというのは、むしろ、ほめられたようなもののはずだ」と書いてあったのだが、そうだと思う。 それに対して、三井ホームは、今ではあまり見かけなくなったが、1990年代においては、展示場の入口に吉永小百合の等身大のはりぼてを出していて、「三井ホームで家を建てて住めば、私も吉永さゆりさんみたいになれるのじゃないかしら♪」と主婦に思わせて建てさせるという作戦(・・その結果、住んでみて、やっぱり、家の問題じゃなかったと気づかせるという作戦?)をとっていたのだが、吉永小百合という女優は、ある程度の年齢からは、むしろ、「女性にも好かれる女優」になり、「女性から『私もあんな感じになりたい』と思われる女優」になったのだ。だから、その吉永さゆりを使ったというのは、三井ホームはその選択は正しかったと思う。 やっぱり、そのあたりが、うちの父親の勤め先とは三井ホームは違ったのだ。 おっさんに売る商品を売っているのなら、「親爺殺しのセクシー女」を使ってもいいけれども、そうではなく、買い手は女性である場合には「おっさん殺し」なんて使わない方がいい、女性はむしろ敵意を持つのではないかと思われるような女をコマーシャルに使うというのは、やっぱり、そのあたりが「おっさんの判断力の限界」だったというのか、そんなことは「小学生でもわかる」ということだったが、「おっさん」はわからんようだった。「アホちゃうか」て感じだが、「おっさん」はわからんようなのだ。うちの父親から聞いた話では、「色気が売り物の女子プロゴルファー」というのは、「サービス」でコマーシャルのスポンサー会社の役員と一緒にゴルフをまわったりするらしかったが、それって、「枕営業の手前」とちゃうんかい?・・と、「枕営業」という用語を知った最近思うのだが、「おっさん」というのは、そういうのに簡単にひっかかるようだった。「その程度の人」がやってる会社だから「その程度の会社」なのだろう・・・と思う。「もっともっと下の会社」は世の中にはあるので「その程度の会社」でも決して「一番下の方の会社」ではないのだが、その商品を売ろうとする相手は男なのか女なのか、女に買ってもらおうとするのなら「女に嫌われる女」の上位に入選しそうな女をコマーシャルに使うのではなくてえ・・・と私は思うが、「おっさん」にそれをわからせようと思っても、それは簡単ではない。 慶應大学で「近代思想史」という講義で、教授が「私のゼミの人で、ナチスのようなああいうものは悪くないと思うと言う人がいたので、私は『あなた、ナチスのようなものが悪くないと言うのなら、それは、自分がユダヤ人の立場でガス室に送られて殺されるのが悪くないということですよ。わかっていますか。自分がナチスの親衛隊か何かになるのが悪くないとか思っていませんか。そうじゃないんですよ』と話してあげたのです」と話されたことがあったのですが、これなども、その教授が話されたことというのは、わかっている人間にとっては当たり前のことで、「何を今さら」ということですが、わかっていない人にわからせるのはこれは相当難しいことです。それと同様というのか、違うところもあるかもしれないが、わかっていない人にわからせるのはそれと同程度に難しいのが、その商品の買い手である人に受け入れられる人をコマーシャルに使うべきではないか、という問題。わかっている人にとっては「何を今さら」というものだけれども、わからないおっさんにわからせようと思っても、これは極めて難しい。 だから、「親爺殺し」が棲息するのかもしれないが・・( 一一)  それにしても、たとえば、マンダムのような男性化粧品を主として扱っていて男に売ろうとする会社なら「親爺殺し」を使ってもいいだろうし、ローラー=ボーのような「実質、水着グラビアタレント」でありながら「プロゴルファー」だということにしている女を使用するのは、実際は女の水着姿に魅かれているにもかかわらず自分自身がそうだと認めたくないおっさんに「この女はプロゴルファーなんだ、女の水着姿を見ているのではなくプロゴルファーを応援してるんだ」ということにする「言い訳要素」(なんとも、くさい言い訳要素)を入れてやるというのもいいかもしれないし、「ゴルフは”紳士のスポーツ”だけあってゴルファーというのは女性でも上品やわあ」とかいう屁理屈を入れてやるといいかもしれん・・・が〔『らーめん才遊記』で「おしゃれな奥さん」が多い地域の飲食店では、「おしゃれな要素」を入れるとともに、実は「食いしん坊」である奥さん向けにボリュームもあるものにしながらも「健康にいい」とか「ダイエットに配慮している」といった「言い訳要素」を入れてあげるとなおいい・・という話が出ていたように〕化粧品会社といっても男性用化粧品中心のマンダムなどと違って女性用化粧品ばかりの会社が「女に嫌われる女」の上位に入賞しそうな「親爺殺し」なんてコマーシャルに使って、いったい、どうすんだろ?・・て考えんかなあ・・、もし、「若い女性」に買ってもらおうと考えるなら、「若い女性」が仲間意識を持つような女性、自分もあんな感じで使おうかいう気持になってくれそうな女性を使うといいのではないか、それから考えるならば、その時期においては、ローラー=ボーと安西マリアなら、どう考えても安西マリアではないか・・と思ったが、おっさんというのは、そういうのを考える頭を持っていないらしいし、そういう思考を失った男性のことを「おっさん」とか「オヤジ」と言うのかもしれない。〔・・まあ、なにしろ、「おっさん」てのは「バブル経済」のことを「バルブ経済」言いよるしなあ・・( 一一) 〕
オヤジにならない60のビジネスマナー お客様・女性・部下に愛される具体例 (PHP文庫) - 中谷彰宏
オヤジにならない60のビジネスマナー お客様・女性・部下に愛される具体例 (PHP文庫) - 中谷彰宏

  1989年、小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)・・→(株)ヤマダエスバイエルホーム⇒(株)ヤマダホームズ〕でのこと。同社は、もともと、関西地方を中心に「高級木造住宅の小堀」として売ってきた会社で、それを1970年代の途中から木質パネル構法を始め、1980年代後半においては、在来木造(木造軸組構法)よりも木質パネル構法の方の比重が大きくなっていたが、木質パネル構法においては「高級住宅の小堀」の系統をひく完全自由設計の「新 桂」(「桂離宮のようなすばらしいデザインを現代に」という趣旨で「桂」という商品を作り、その改良版として「新 桂」)と、通産省・建設業の「高品質な住宅を低価格で」という趣旨の「ハウス55」計画から産まれた「高品質低価格」タイプの「ハウス55」との2系統で、在来木造(木造軸組構法)によるものも東京都と関西では残していた。 9月頃だったと思ったが、7月1日からの辞令で千葉支店長になったが7月の下旬になってやっと千葉支店に来た渡邊士直が、「ハウス55」の安売りセールという新聞折込チラシを作って、それを新聞折込に入れて契約獲得を増やそうということをやりだしたので、私は松戸営業課長の石井に、「これは、おかしいのではありませんか」と言ったのだ。
  戸建住宅建築業においては、契約はあげなければならない・・というのは間違いないとしても、「その後、ぺんぺん草の1本も生えなくしてしまうような、むしり取るだけむしり取る営業」ではいけないはずだが、中にはそんな感じの営業をやる人もいる。 そして、新聞折込チラシの場合、総合住宅展示場でも新聞折込チラシを入れるのだが、どっちの会社の人だったか、総合住宅展示場の人から聞いた話だが、総合住宅展示場が入れる折込チラシには、ここに総合住宅展示場がありますよお~おとアピールして、そこにあることをその地域の人に認知してもらうことを目的とするチラシと、そのチラシを見て来てもらった人に契約してもらおうというチラシと2種類あるというのだ。 又、リフォーム屋が、定期的に新聞折込チラシを入れたりしているのは、そのチラシで来店して契約してもらうことができればいいけれども、そうでなくても、定期的に新聞折込チラシを入れることで、その会社とその店が存在することをその地域の人に認知してもらい、その後、どこかリフォームする必要があるという時に、頭に思い浮かぶようにということで入れる場合がある。
  1989年頃、小堀住研(株)は、「高級住宅の完全自由設計の 新 桂」と「高品質低価格のハウス55」の2本立てになっていたが、「2本立てになってしまっていた」という面もあり、人によっては「高品質低価格のハウス55」を「ともかく安い」タイプのものと勘違いしていた人もいたのです。 そういう状況で「高品質低価格タイプのもの」だけを掲載したチラシを作製して新聞折込で入れて、しかも、それを「大安売り」みたいな調子のコピーで入れるということをすると、どうなるか?  ・・どうなると思いますか?
  「安物の会社」という印象が広まれば、そのチラシを入れた時には「高品質低価格タイプ」のものがいくらか契約につながったとしても、それが原因で「完全自由設計の高級住宅」は売れなくなります。「高級住宅の小堀」というせっかく得た評判を下げます。
  滋賀県出身の花登筺(こばこ)の『銭の花』(テレビ番組としては『細うで繁盛記』)で、主人公の加代の祖母で大阪ミナミの宗右衛門町に高級料亭「南地楼」を築いた ゆう が孫娘の加代に「加代ちゃん、店の格というものはな、上げようと思うとなかなか上がらんもんやけれども、下がる時には簡単に下がるもんなんですで」と語る場面があったが、小堀住研(株)はそれをやっていたのだ。せっかく得た「高級住宅の小堀」という評価をドブに捨てるような行為であろう。
※ 《YouTube-銭の花 細うで繁盛記 旅館山水館》https://www.youtube.com/watch?v=jlipoy1IH4U
  又、「ハウス55」というのは「高品質低価格」タイプの商品であり、「高品質低価格タイプ」というのは「『ともかく安い』タイプ」とは違うのです。「高品質低価格タイプ」というのは、あくまでも、「その内容から考えると安い」「その価格から考えると高品質」という意味で、「ともかく安い」タイプの商品と比較すると、安くないのです。それを「安売りキャンペーン」をしてしまうと、「ともかく安い」タイプと勘違いされてしまう危険があります。現実に、1989年、松戸展示場に来場した延べ床面積20坪くらいの家を建て替えたいという人で、「小堀は安いと聞いたので」と言われたので、私は「その内容から考えると低価格」という意味を言われているものと思いこんでいたら、そうではなく、どう考えても、他社と比べて安くない「新 桂」でキリン住宅より安くできると思いこんで来場した人だったようで、延床面積20坪ならどのくらいでできるか教えてもらいたいと言われたので、「調べてお伝えします」と答えて、会社の担当部署に問い合わせて、その金額を次週に来場された時に話したところ、「冗談じゃない。問題外だ」と言われたのだが、その文句はこっちが言う文句でした。小堀の自由設計住宅というのは、他社と比べても高いのは当たり前であって、それが安いわけないのですが、それを「安い」とどこかで聞いてきたようでしたが、そういう「風評」が広まってしまうと、せっかく、「高級住宅」を作る力があるのにそれが売れなくなってしまいます。又、「高品質低価格」タイプの「ハウス55」にしても、あくまでも「高品質低価格」であって「ともかく安い」ではないのに、「ともかく安い」かのような「風評」が立ってしまうと、「高品質低価格」の見込客が来場しなくなり、「ともかく安い」を求める客層が来場することになる。そうなると、せっかく来てもらっても、その人には契約できないか、もしくは「高品質低価格」タイプのものを「ともかく安い」タイプの金額で売らされることになるか・・ということになる。
  ・・だから、「高級住宅の小堀」の「新 桂」を掲載せず、「高品質低価格」の「ハウス55」を「ともかく安い」タイプかと誤解させるようなチラシというのは、それを入れてしまうと、それが1回だけならまだしも、何度もやると、そのたびに自社の評価を下げることになり、特に「高級住宅タイプのもの」は売れなくしてしまうことになります。
  それで、私は「このチラシはおかしいのではないかと思います」と松戸営業課長の石井さんに話したのです。ところが、石井さんは「なんでだよ。東部営業本部の許可を得てやっているから、いいんだよ」と言うのでしたが、しかし、その「許可を得てやっているから」という「東部営業本部」というのはどういう人間がやっているのかというと、増田和二という富士銀行でどこかの支店の支店長を2年ほどやっただけのお年寄りが、出向で小堀住研(株)に来て、住宅建築業のことなんて何もわかってないのに、いきなり、「常務取締役」「東部営業本部長」にならせてもらったという男で、小堀住研(株)の従業員から「頭ぼけてる」と言われていた人で、増田和二は、あくまで、自分の顔を立ててくれたかどうかしか見ていないのであり、自分の顔を立てたかどうかしか見る能力がない人間でした。そんな人間に「許可を得てやって」いても、意味ありません。 やっぱり、会社というのは、自分の所の会社のイメージはどうあるべきか、その商品のイメージはどうあるべきか、そのために、そのチラシは入れていいものか良くないものかといったことを考えて判断する私のような人間がいないといけません。そういう判断をする人間に許可を求める必要があるはずで、そんな能力などない渡邊士直さんがそれに輪をかけて能力がない増田和二さんに「許可えてやってる」などと言うこと自体がおかしいのです。石井さんは高校卒業後に建築の専門学校に行って一級建築士の資格を取得し、その後、設計事務所に勤めた経験がある人だったらしく、図面の書き方などについて、私も教えてもらったし、そういう能力は小堀住研(株)の営業および営業課長の中ではある方の人だったようですが、こういった判断力は欠けており、その自覚がない人であり、そのあたりは「やっぱり、高卒の営業課長だったということかなあ」という印象を受けました。
  やっぱり、新聞折込のチラシというものは、それを入れることで、その時、契約が出ればそれでいいというものではなく、それを入れることで、会社のイメージにどういう影響を与えるか、その商品のイメージにどういう影響を与えるか・・といったことを考えて入れるか入れないかを判断しないといけません。 そういう判断能力というものは、「底辺の高校卒の痴漢人間の渡邊士直さん」に期待しても無理です。又、銀行と戸建住宅建築業は仕事の内容が違いますから、たとえ、銀行で優秀であった人でも戸建住宅建築業では別で、特に、それを自覚できていない増田和二のような思いあがった男には「東部営業本部長」といった仕事は無理です。小堀住研(株)は富士銀行などの銀行に負い目があるから、それで、銀行から役員を送り込まれて、「銀行にとってのゴミ箱」状態にされていたようですが、「底辺の高校卒の痴漢人間」がその時の契約さえあがればいいということで考えた新聞折込チラシを、銀行を定年の後の「二度のおつとめ」として自分が得すればそれでいい、出向先会社がどうなろうがかまわないという増田和二がハンついて進めたのが、その折込だったのです。そんなことではだめです。そうではなく、私のように、これからの会社のイメージはどう持っていくべきか、どうあるべきか、これからのその商品のイメージはどうあるべきか、どう持っていくべきかといった視点から、そのチラシはプラスになるかマイナスになるか・・といった思考・視点で考える人間が判断するようでないといけません。小堀住研(株)の社長はそのくらいのことがわからんのか!?! ・・と思ったのですが、「天婦羅ばっかりの高卒昭午」と従業員に言われていた中島昭午はわからんかったようです。「アホと違うか?」て感じですが、「違うか」ではなく、「アホやった」みたいです。
  さらに、その後、1989年にその時は相談役だった初代社長の小堀林衛が他界した後、1990年に初代社長の「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい2代目社長の中島昭午が、会社名から初代社長の名字である「小堀」を取り除きたかったのか、エスバイエル(株)〔S×L〕というツーバイフォー工法で建てる会社ではないのにツーバイフォー工法〔2×4〕を思わせる名称に会社名を変更した後、中島昭午は「これまでは宣伝べた・広告べたやった会社を、これからは広告上手・宣伝上手の会社にして」とか言って、メディアに社長の中島昭午がでて「最低価格帯のカテゴリーキラーをめざす」とか、あっちやらこっちやらで言いまくり・書きまくりして、その結果、「最低価格帯の安物会社」というイメージを売り込み、もともと、そういう「最低価格帯の商品」を持っていたのならまだしも、持っていた商品というと、「高級住宅の新 桂」「高級木造住宅」「高級志向のツーバイフォー工法の住宅 サンタバーバラ」と「高品質低価格のハウス55」であって、「ともかく安い」タイプ・「最低価格帯の商品」なんて持っていないのに、それを「最低価格帯のカテゴリーキラーをめざす」などと、あっちやらこっちやらで社長が言いまくり書きまくりすると、それによって「高級住宅の新 桂」「高級木造住宅」「高級志向のツーバイフォー工法住宅 サンタバーバラ」は売れなくなりますし、「高品質低価格タイプのハウス55」も、「ともかく安い」タイプの商品かと思われ、「高品質低価格」の客層に逃げられ、「ともかく安い」タイプの客層からは、「高品質低価格」タイプが高く思われて契約してもらえないか、もしくは、「高品質低価格タイプ」を「ともかく安いタイプ」の値段で売らされることになるかであり、その結果・・・・⇒予想通り、つぶれた。予想以上に早くつぶれた。「バッカじゃなかろかルンバ♪」ということを社長がやった会社は、思いのほか、早くつぶれた。〔⇒《YouTube-野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り)》https://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs 〕 今、ヤマダ電機に買収された(株)ヤマダエスバイエルホームをやはりヤマダ電機が買収した「リフォームのナカヤマ」とくっつけた(株)ヤマダホームズという会社があるが、いったん、つぶれたエスバイエル(株)を「いぬき」でヤマダ電機が買収した会社であり、小堀住研(株)・エスバイエル(株)はつぶれた。「つぶれた」というよりも、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい中島昭午が意図的につぶした。中島昭午が「必死になってつぶした」のである。
  小堀住研(株)は「小堀は大卒しか採らない会社です」と1970年の大阪万博より前から言いまくってきたはずなのに、1980年代後半、入社してみると、なぜか、高卒の人がいた。大卒にしても、会社案内だったかに「採用実績校」として「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったか、そんな書き方、「東大・京大以外の””十大国立大学””から1つ」「地方国立大学から1つ」「関関同立から2つ」「関関同立の下から1つ」という掲載だったので、そのくらいの大学の出身者の勤め先かと思って応募して入社したら、そんな大学の出身の人間なんてごくわずかで、同期入社の人間で神戸大卒の人間なんて一人もいなくて、「下の方」の大学卒の人間だらけだったが、その「大卒」の人間が、「『大卒しか採らない会社』のはずなのに高卒の人間がいる」ということ、しかも、「高卒の人間がえらそうにしている」ということを怒っていたのだった。さらに、しかも、「天婦羅ばっかりの高卒昭午」と言われていた2代目社長の中島昭午は、それを理解できていなかったようだった。なんで、「大卒しか採らない会社」に「底辺の高校卒の痴漢人間の渡邊士直」がいるのだ? 
  人事部長の高田も高卒の人間で、しかも、それが「顔に書いてある」人間で、私は、人事部長というのは、旧帝大系国立大学か早慶くらいの大学の法学部で労働法・会社法などを学んできた者か、商学部・経営学部で労務管理論・労働経済学などを学んできた人間か、文学部か教育学部の心理学科・教育心理学科で心理学やカウンセリングなどを学んできた人間か、それらの人間がなるものであろうと思いこんでいたら、「高卒の下品なおっさん」が小堀住研(株)では人事部長になっていた。なんだ、こりぁ・・と思った。

  「やっぱり、『高卒のおっさん』が社長ではあかんようだな」と小堀住研(株)の中島昭午を見て思った。 初代の小堀林衛は、比較的早い時期に社長を中島昭午に譲り、1970年代の前半から、テレビ広告に芸能人を出すのではなく、2代目社長の中島昭午が出て「住研とは? 住宅を建築するのではなく研究する」と語るというコマーシャルをやっていた。 そういった場に中島昭午を出すことで、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい中島昭午を「この人が2代目の社長です」とアピールしておきたかったのかもしれないが、その結果、中島昭午はテレビやメディアに「出たがり」の人間になり、初代が他界した後、タガがはずれたようにそれが過激になり、あっちやらこっちやらで、「最低価格帯のカテゴリーキラーをめざす」などとアホなこと言いまくるようになった。「バッカじゃなかろかルンバ♪」・・ということをやった。「私は今までからこの人のことを『特別に賢い』とは思ってなかったけれども、ここまでアホとは思わんかった」て感じやった・・。

  それから、1989年の後半、社長の中島昭午の次の副社長の次の役職の専務の小堀東(あずま)という初代社長の小堀林衛の弟だという日大建築学科卒の男が、「社命」でアメリカ合衆国西海岸に出張して、帰ってきて作ったのが「サンタバーバラ」という地名をつけた「高級志向・高価格帯のツーバイフォー工法住宅」だったが、それで何をやりたいのか不明確だった。今から考えると、「趣味」やっとったのと違うか・・というものだ。 もともと、在来木造で始めた会社で、関西地方を中心に「高級木造住宅の小堀」という評価を得たが、その後、木質パネル構法に重心を移したというのは、在来木造では、できばえに差が出ることから、「坪80万円以上」くらいのものならいいものができるが、それより安い値段では、在来木造ではいいものはできないということで木質パネル構法にシフトしたはずだったが、その時点で、木質パネル構法が中心で、在来木造も東京都と関西のみで残していたという会社が、「ツーバイフォー工法の作品」を作って、それでどうすんの? どれを売っていきたいと考えてるの?・・・というと、小堀東はそこまで考えていなかったのではないか。
  そのあたりが、「建築学科卒」の人の限界というのかビョーキというのかでもあると思う。「建築学科卒」の人というのは、自分が魅力を感じたものを造りたがるが、そうではなく、商品として作るのであれば、どういうものがどういう客層に売れるか・・という視点で考えなくてはいけない・・が、それを考えられない人というのがいるのだ。
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( 久部 緑郎 作・河合 単 画・石神秀幸 協力『らーめん再遊記 (2)』2020.12.30.小学館 ビッグコミックス)
↑ 『らーめん再遊記』で芹沢が指摘している加納(「麺房かのう」)の問題点、特に思考の問題点と似たものが、小堀住研(株)の専務取締役の小堀東にあったのではないかと思う。 その頃の小堀住研(株)というのは、「一応、一部上場」で「一応、従業員数千人超えの会社」で「一応、戸建住宅建築業界で施工棟数上位10位以内」の会社で、本社は大阪駅前の超一等地に自社ビルがあり、一見、良さそうに見えましたが、しかし、取締役の半分・監査役の半分を銀行から送り込まれていたというかなり問題のある状況の会社で、「木質パネル構法」というものの位置づけですが、これを「在来木造とツーバイフォー工法の両方を参考にして作ったそのいずれよりも優る構法」として広めることができればいいのですが、扱いを間違えると「安物のプレハブ」のように思われてしまう危険があるもので扱いには慎重にしないといけないもので、「高級住宅の小堀」の流れを木質パネル構法で実現した「新 桂」があって、他方で「通産省・建設省のプロジェクトから産まれた」という「高品質低価格」の「ハウス55シリーズ」があり、その両方があるのはいいような悪いようなで、売り方も異なる2つのタイプがあることから、営業には両方を売れる営業と「高品質低価格」の「ハウス55」しか売れない営業がおり、営業課長でも「ハウス55」しか売れないタイプの営業課長(たとえば、東京支店自由が丘営業課の高橋賢一郎のように)・・というのか、本来なら営業課長になろうとするなら両方を売れないといけないはずなのに「ハウス55」しか売れない人間なのに営業課長になってしまっている営業課長がおり、支店長というのはそのあたりを見抜いて配属も決めないといけないはずだが、それを見抜けない・考えることができない支店長(たとえば、東京支店の高倉のように)がおり・・というのか、そういう支店長の方が多かったのではないかと思われるが、そういう状態であった。「木質パネル構法」は在来木造のような仕上がりの「バラツキ」はなくなったが、しかし、大工の立場からすると、在来木造かツーバイフォー工法(枠組壁工法)の仕事をすれば、それが経験になって、たとえ、その会社の仕事をやめても、その後も、在来木造かツーバイフォー工法(枠組壁工法)の仕事をできるが、木質パネル構法で建てている会社は限定され、かつ、木質パネル構法でも小堀住研(株)の木質パネル構法とミサワホームの木質パネル構法は違いがあり、小堀の木質パネル構法の仕事を覚えても、他の会社の仕事をしようとした時に役立つかどうか微妙であることから、在来木造やツーバイフォー工法(枠組壁工法)に比べて大工の確保に苦労していた・・という状況があった。 そういった状況を改善しようとした時に、必要とするものは、その時点では、建てていたのは木質パネル構法による「完全自由設計の高級住宅」と「高品質低価格タイプ」と在来木造による高級住宅の3つであったところに、さらに、ツーバイフォー工法によるアメリカ西海岸型の高級住宅というものを「建築学科卒」のおつむで考えたとして、それが現状改善にどう役立つというのか? ・・・単に、アメリカ西海岸の住宅を見学してきて、「趣味的に作っただけ」と違うのか?・・・と言うと言いすぎかもしれないが、又、「サンタバーバラ」は東京の百合丘・関西の芦屋に展示場を作ったが、私はそれを見る機会がなかったが、カタログで見ると良さそうではあったけれども、これも、「麺房かのう」の「期間限定ラーメン」みたいなもので、「なかなか、おいしい」という点では「よくできている」としても、その時点の小堀住研(株)という会社の内容をそれまでよりよくするためにどのように役立つのか?・・・というと、それを考えた小堀東さんは、その時点で専務取締役であるはずだが、何も考えてなかったのではないのか?・・・という感じだった。 たとえ、商学部・経営学部卒でなく建築学科卒であっても、専務取締役なら、こういったことを考えるべきではないのか? こういったことを考えてこそ専務取締役ではないのか?・・・と思ったのだが、そうではない人だったようだ。「麺房かのう」と似たようなことをやっていたのではないか? カタログなど見ると、価格も高価格帯のものだとしてもなかなか良さそうであったとしても、その「商品」をどういう位置づけで作っているのか、どういうつもりで作っているのかという意識が明確でないなら、「つぶれそうな『麺房かのう』の趣味的な期間限定ラーメン」とたいして変わらないことになる。・・・「サンタバーバラ」はカタログで見ると良さそうではあったけれども・・、「麺房かのう」の「期間限定ラーメン」の「きのこづくしラーメン」がなかなか良くできていたというのと同様に。

  そして、従業員数50人未満くらいの会社の人事部長ならともかく、「従業員数千人超えの会社」「一応、一部上場の会社」「戸建住宅建築業の業界で施工棟数10位以内の会社」「大阪駅の目の前の超一等地に本社を持つ会社」の人事部長だと思って見ると、「ええ~え? この人が人事部長なのお~お?」と、びっくらこっこするような男、高田が「上役にはどんなことでも絶対服従というのが、それが中島社長が一番重視されることなんや」と言い、そして、「渡邊支店長が会社の女性社員の尻をさわったなんて、いったい、なんで、いかんのだ? ヒラの人間ならいかんかもしれんけれども、支店長なら女性社員の尻をさわってもかまわんはずだ。それをいかんと言う人間こそ、会社として絶対に許すわけにはいかん! それは中島社長が一番嫌われることや。何があっても絶対に許すわけにいか~ん!」と体をぶるぶるふるわせて言ったのだったが、そういう社長と人事部長の会社がどうなるかという点についても、『らーめん再遊記』の芹沢は語っている。↓
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( 久部 緑郎 作・河合 単 画・石神秀幸 協力『らーめん再遊記 (2)』2020.12.30.小学館 ビッグコミックス)
 ↑ この『らーめん再遊記』の芹沢の発言を聞かせてやりたい人間、いっぱいいるのだが、これもまた、わかっている人間にとっては「何を今さら」というくらいのものだが、わかっていない人間にわからせようとしても、これは極めて難しいであろう。小堀住研(株)の2代目、中島昭午が卒業した長浜北高校の応援部の人のホームページだかのコメントには「そうそうたるメンバー」などと記載されていた「会社をつぶしたアホの2代目」中島昭午は、これに該当していた。
  人事部長の高田はこう言ったのです。「支店長の命令にはどんなことでも絶対に服従するというのが、それが中島社長が一番重視されることや!」と。 「支店長が女性社員の尻をなでまわすのをいかんと言うようなやつというのは、それは中島社長が最も嫌われる人間や!」と。「なんで、支店長が女性社員の尻をさわったらいかんのや。いかんと言う人間がどうかしている。支店長なら女性社員の尻をさわってもかまわんはずや。それをいかんと言う人間こそ、会社として絶対に許すわけにいかん! 支店長が女性社員の尻をさわるのをいかんと言うようなやつというのは、中島社長が最も嫌われる人間なんや!」と。
  そういえば、小堀住研(株)の部長だったSさんから、《社員旅行の時に、女性社員の下半身を丸裸にして舞台でひきずりまわしたやつがいて、された女性社員がわんわん泣きわめいて、それを見たある男性社員がいくらなんでもひどすぎると、「どうして、そんなことをさせるんだ」と支店長に怒ったところ、その支店長だったSさんが「ひとが酒飲んで楽しんどるんじゃ。がたがたぬかすな、あほんだら」と言った・・が、それは間違っていたと思う》・・という話を聞いたのだが、社長の中島昭午は、《それは間違っていた》とは1990年の時点においても認識していなかったようで、「それをいかんと言う人間こそ、中島社長が最も嫌われる人間や。会社として絶対に許すわけにいかん!」と考える人間だったようだ。そういう会社はどうなったかというと・・⇒つぶれた。
  私は、千葉支店長の渡邊士直と常務取締役・東部営業本部長の増田和二、それに松戸営業課長の石井の3名に密室に連れ込まれて、渡邊から「ごらあ! この俺は中島社長から、会社の女である限り、誰であれ好きなだけ尻をなでまわしていいと許可されとるんじゃあ、ごらあ! それをいかんと言うやつが会社を辞めんといかんのじゃあ。小堀住研はそういう会社なんじゃあ! それが中島社長の考えなんじゃ、ごらあ! 俺はこれからも間違いなく絶対に会社の女性社員の尻をなでまわすが、それは中島社長から認められとるんじゃあ。中島社長がお認めになったことをいかんと言うやつは会社を辞めんといかんのじゃあ。ごらあ、会社やめろ、ごらあ! ごら、土下座しろお、ごらあ~あ! この俺は中島社長から、いつでも好きな時に好きなだけ、おまえに土下座させる権利を認められとるんじゃ、ごらあ! この俺に『支店長様が女性社員の尻をなでまわしたことをいかんと申したことを謝罪します。今後は絶対にそのようなことは申しませんから、お許しくださいませ』と言って土下座して謝れ、ごらあ! 小堀住研では支店長が女性社員の尻をなでまわすのをいかんと言うようなやつは決して許されんのじゃあ。ごら、土下座しろと業務命令しとるんじゃ、ごらあ! おまえは支店長が『支店長が女性社員の尻をなでまわすのをいかんと言って申し訳ございませんでした』と言うて土下座して謝れと業務命令しとるのに、その業務命令をきけんのかあ!!! 業務命令をきけんやつは会社やめろ、ごらあ~あ!!!」と、延々と長時間にわたって怒鳴りつけたのでした。 これ、増田和二と渡邊士直とどちらが主犯でどちらが従犯かといっても、どちらも主犯でしょう。渡邊士直は「俺は中島社長から認められとるんじゃあ」と言っていたわけですから、中島昭午にも当然責任があります。増田和二は富士銀行から出向で来ていた人間ですから、富士銀行とその時の富士銀行の頭取には使用者責任があります。その時の渡邊士直の態度ですが、神奈川県人権啓発センターhttps://www.youtube.com/channel/UCzzBHOwE9DN8zSHw_4Y5ITQ という方が、三重県津市での「動画」をYouTube で出しておられるのですが〔《YouTube-津市役所
【報道】同和問題を理由に恫喝する様子【公益】》https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=1nhoBi75Sb0&t=89s 〕、渡邊士直の調子はそんな感じでした。1人の従業員を密室に連れていって、3人で取り囲んで何時間にもわたって、「ごらあ。この俺が女性社員の尻をなでまわしたのをいかんと言うやつは、中島社長が絶対にお許しにはならんのじゃあ、ごらあ~あ! 土下座して謝れえ! 『今後は支店長さまに対して、女性社員の尻をさわるのをいかんとは決して申しませんのでどうかお許しくださいませ』と言うて土下座しろ、ごらあ! ごら、支店長様が『支店長さまに対して、支店長が女性社員の尻をさわるのをいかんなどと言って申し訳ございませんでした。今後は二度と申しませんのでお許しくださいませ』と言うて土下座して謝れと業務命令しとるんじゃ。おまえは業務命令がきけんのかあ! ごらあ! 土下座しろと業務命令しとるんじゃ、ごらあ、ぼけえ、この俺に『支店長が女性社員の尻をなでまわしたらいかんなどとは二度と申しませんのでお許しくださいませ』と言うて土下座して謝れ、ごらああ~あ!」と何度も何ども、逃げられない状態で1人を3人で取り囲んで長時間にわたって大声で怒鳴り続けたわけですが、渡邊士直や増田和二は、そういったことをするのが「支店長の権利」と思っていたようですが、そんな「権利」はありませんし、又、刑法上、暴行罪というのは相手の体にふれなければ成立しないと勘違いしている人がいますが、違います。そうではなく、1人を密室に連れこんで3人で取り囲んで、長時間にわたって、「この俺は中島社長から、渡邊は会社の女性社員である限り、どの女でも、いつでも、どこでも、好きな時に好きなだけ、尻をなでまわしてもかまわんと許可されとるんじゃ、ごらあ! 社長から許可されとることを、それをいかんと言うおまえは業務命令違反なんじゃあ! 業務命令違反の人間は会社、辞めろ、ごらあ! 社長の言うことがきけんのか、ごらあ!」 「ごらあ! 『今後は、支店長さまが女性社員の尻をなでまわすのをいかんなどとは決して申しませんから、どうかお許しくださいませ』と言うて、土下座して泣いてあやまれ、ごらあ~あ!」「土下座しろと支店長様が業務命令しとるんじゃあ。おまえは業務命令をきけんのかあ! 業務命令をきけんやつは会社、やめろお! ごらああ!」・・と延々と逃げられない状態にして長時間、至近距離から大声で怒鳴り続けるというのは、これはすでに暴行罪が成立しています。私は自分が勤める会社におけることだと思って、我慢してきましたが、我慢するべきではなかった。暴行罪で増田和二・渡邊士直の2名従犯として石井、それに、社長の中島昭午と富士銀行の頭取について、暴行罪で告訴するべきでした。 増田和二は、渡邊士直が女性社員の尻を撫でまわしても「された人間がはっきりと訴えて、それで社会的に問題になったのでなければ、どうってことない」と発言したのですが、そういう認識の男を富士銀行から送り込まれているということは小堀住研(株)にとっては「どうってことない」ことなかったようです。そんな人間を常務取締役だの東部営業本部長だのにならせていたから、だから、小堀住研(株)はつぶれたのです。中島昭午が意図的につぶしたのです。 渡邊士直は「この俺は、いつでも、好きな時に、好きなだけおまえに俺に土下座させる権利というものを、中島社長から認められておるんじゃ」と言うのでしたが、私が中島昭午にそのような「権利」など認めていない以上は、中島にそのような「権利」を渡邊に認める「権利」はありません。 そうではなく、中島昭午は渡邊士直に対して、中島がそういったことを言った、少なくとも渡邊がそう理解するようなことを言ったということについて、私に謝罪する義務があります。 インターネットで見ると、中島昭午が最近他界したようですが、中島の子孫は中島に代わって私に今からでも謝罪すべきです。 増田和二は「された人間がはっきりと訴えて、その上で社会問題になったというのでなければ、どうってことない」と発言したわけですが、その発言からすれば、「はっきりと訴えて」「社会問題に」しなければならない、「はっきりと訴えて」「社会問題に」するべきだ、そうしてくれと言っていることになります。 そうなると、渡邊士直と増田和二、それに中島昭午と富士銀行およびその時の頭取に対して、私は、彼らにそういったことをされたということを、はっきりと訴えて社会問題にしないといけない、とうことになります。増田和二は富士銀行から出向で来た人間としてそう発言したのです。・・小堀住研(株)の入社式の後の立食パーティーの時、太陽神戸銀行から出向で来て、いきなり、常務取締役・西部営業本部長になった大野が「小堀住研は無借金経営です。銀行から人が来ているのは、銀行に借金があるからではないんです。人材が不足しているから来ているんです」と私に発言したのですが、増田和二のような非常識な人間を送り込まれているという実状を踏まえた上で、まだ、そういう発言をしているようでは、大野もあんまり有能とは言えません。そもそも、戸建住宅建築業と銀行業では業務の内容は全然違いますし、それを、銀行に勤めてきたから戸建住宅建築業で有能だという主張は思いあがりです。そういう思いあがった人間を有能とは言えませんね。
  それから、女性社員というものを、渡邊士直が尻をなでまわすための存在と考えているようでは、優秀な人はいなくなり、そうでない方の人が残ることになるでしょう。私が不思議に思うのは、富士銀行は小堀住研(株)をつぶすための「人材」を「常務取締役」「東部営業本部長」として送り込んだのですが、そういったことをやって、それが富士銀行にとって得することになるのでしょうか? それが、富士銀行(現 みずほ銀行)にとって何のメリットがあるのか? 富士銀行て何か変なことやってますよね。 そう思いませんか?
  「小堀住研は大卒しか採らない会社なんです」と1960年代から言いまくってきたはずでしたが、それなのに、1970年代の半ば過ぎくらいだったか、「底辺の高校卒の痴漢人間の渡邊士直」が入社していたのです。なんで? 「大卒しか採らない会社」のはずなのに、なんで?  それなのに、その後も「小堀住研は大卒しか採らない会社です」と言いまくってきたし、小堀住研(株)の研修でも複数の講師役従業員が「小堀住研は昔から、大卒しか採らない会社としてやってきました」と発言したのですが、それなのに、なんで、「底辺の高校卒の痴漢人間の渡邊士直」がいるんだあ???  おかしいと思いませんか?
  「松下幸之助は小学校しか出ていない人なのに一流大学卒の人を使った」と言われ、それがエライと言われてきたのですが、私はその話を最初に聞いた時には、そんなもの、当たり前じゃないか、何がえらいんだ? ・・と思ったのです。実際、私なら、部下に東大出た人間が配属されても使ってみせますよ。しかし、「高卒の中島昭午」とかからすると、そうではないようです。そうではなく、「天婦羅ばっかりの高卒昭午」と言われる中島昭午にとっては「底辺の高校卒の痴漢人間」の方がいいのでしょう。「そういう人間、底辺の高校卒の痴漢人間の会社」に会社をした方が中島昭午にとっては居心地よかったのでしょう。
  「家族的経営の社長は、『親の言うことを聞く子が良い子だ』とばかりに おべんちゃらがうまいだけの無能社員を重用し、耳の痛いことを言う有能社員を遠ざけがちだ。」という芹沢の発言のように、中島昭午は「底辺の高校卒の痴漢人間」の方を重用した、ということのようです。そういうことをするとどうなるかというと・・・⇒つぶれた! 要するに、中島昭午という男は会社をつぶすために社長に就任した、ということのようですね。
  人事部長というのは、社長に「そういうことではいかんのと違いますか」と言えないといけない、それを言ってこそ人事部長のはずでしたが、高田は「社長の言うことをきくだけ」の能力しかない人で、それを得意にしていた人でしたので、彼に期待しても無理でしょう。人事部長というものは、法学部で労働法などを学んできた人間か、商学部・経営学部で労務管理論・労働経済学などを学んできた人間か、文学部心理学科・教育学部教育心理学科で心理学・カウンセリングなど学んできた人間かがなるものであろうと思っていたら、小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」と言い、「一部上場」で「従業員千人以上の会社」でありながら、こんな高卒のおっさん、見ただけでも下品そうで、頭悪そうなおっさんが、なんで、人事部長になってんだ・・・と思いました・・・が、たぶん、「一族」だったのでしょう。労働法の勉強しなくても労務管理論の勉強しなくても、労働経済学の勉強しなくても、教育心理学の勉強しなくても、アホでも「一族」だったら人事部長になれる・・・て、なんだか、あほくさいなあ・・て感じがします。

  その後、人事部長の高田から呼び出されて、「ちょっと、きみに訊きたいんやけどな」と言うので、「何ですか」と言うと、「きみは、マスターベーションをしたことがあるか」などと言うのです。「どういうことですか」と言うと、「だから、人事部長としてきいとるんだろうが」と言うのです。「それは、いったい、どういうことですか」と言ったのです。千葉支店長の「底辺の高校卒の痴漢人間の渡邊士直」は「この俺は、中島社長から、会社の女性社員である限り、渡邊はどの女でも、いつでも、どこでも、好きなだけ尻をなでまわしてもかまわんと許可されとるんじゃあ」と発言したのですが、もちろん、社長の中島昭午にそのような「許可」をする「権利」はありませんし、小堀住研(株)の女性社員と小堀住研(株)との労働契約において、そのようなものは認められていませんし、又、たとえ、そのようなことを本人が「認めた」としても、それは民法90条、「公序良俗違反」に該当し、そのような許可は無効です。高田もまた、私に対して、「ちょっと、きみに訊きたいんやけどな」「きみは、マスターベーションをしたことがあるか」などと言う権利が人事部長というものにあると思っていたようですが、そのような「権利」はありません。私は高田にそういった口をきくことを認めた覚えはありませんよ。「神奈川県人権啓発センター」の方のYouTube での動画に、どこだったかの施設に「言った側は忘れても、言われた側は覚えている」と書かれた看板がかかっているのが出ていましたが、実際、「言われた側」の私はこの高田が言ったことを何十年経っても覚えています。忘れはしません。
  よく、学校教育や家庭の教育において、「叩いてわからせないとだめよ」とか言う人がいるのですが、私は、どのような場合においても、「殴る」であれ、そこまでいかない「叩く」であれ、好ましいことではない、それこそ、『毛沢東語録』の「三大規律・八項注意」に、「殴らない、怒鳴らない」「話は穏やかに」「捕虜を虐待しない」「婦人をからかわない」・・といったものがありますが、これは基本だとずっと思ってきたのです。
毛沢東語録 (平凡社ライブラリー) - 毛 沢東, 実, 竹内
毛沢東語録 (平凡社ライブラリー) - 毛 沢東, 実, 竹内
しかし、実際問題として、会社という所に勤めると、「話せばわかる」ではなく「話したってわからない人間」というのが現実にいるのです。この高田とかこういった人間を見ると、こういう人間を教育しようとしても、「話せばわかる」かというと、こういう人間というのは、話してわからせようとしても無理だ、と思うようになったのです。もっとも、「殴られなきゃわからない人間」だからと言って、「殴る役」をさせられるのは嫌なので、誰かその役をやってくれないかな・・というと、おそらく、誰もが嫌がるのではないかと思うのですが・・・、そうなると、いつまでも、こういう「ほとんどビョーキ」というのか「病的」な人は、そのビョーキが治らないのです。 まず第一に、たとえ「一族」でも、「あまりにもアホ」は人事部長とか総務部長とかそういった役職にはつけない方がいいと思うのです。そう思いませんか?

  最初の方で述べた、「ウエスト」「煮込みらーめん 醤」などについての分析を、私は私的な時間にどの店に入ってもしてきたし、そういったことを常に考えてきた。 そして、それも、慶應大学の「商業学総論」「商業学」といった科目を履修した、又、セオドア=レビット『マーケティング発想法』とかそういった本も読んだというのはプラスになったとしても、もしも、そういった講義を履修しなかったなら、そういった本を読まなかったなら、それならゼロだったかというとそうではなく、あくまでも、40が60になったかもしれない・・といったものであって、ゼロか百かではなかったはずなのですが、ところが、「底辺の高校卒の痴漢人間」のおっさんとかになると、それがゼロなのです。 なんで、ゼロになるかなあ~あ・・・と思うのですが、そういう人はゼロなのです。
  それから考えると、私を採用した会社は、もっと、私を活用してくれれば会社に役だったのに・・・と思いますが、「ベンチがアホやから」と言いたくなるような、たとえ、言わなくても、実質、そういう会社においては、「高卒のおっさんの経営する会社」では「高卒のおっさん」か、銀行からゴミ箱かわりに送り込まれたおっさん の方が似合いだったのかもしれません。

  1993年1月に、東京都江東区亀戸の総合住宅展示場 城東ホームセンターに、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ は新しい展示場をオープンし、それまでからあった、江東区潮見のウッディランド東京内の東京展示場を「東京東展示場」に改名し、亀戸の展示場を「東京展示場」と名付けましたが、ところが、亀戸の展示場がオープンしても、それほど、契約が出ない。 それについて、その時、社長だった初代社長の大澄賢二郎が「普通、新しくオープンした展示場というのは、爆発的に契約が出るものだが、なんで、東京展示場は契約があがらないんだ」と言っていると、亀戸の東京展示場に勤務していた服部(男。当時、20代後半)が言うので、まさか、社長の大澄賢二郎は「なぜ」なのかわからないのか? ・・と思い、又、服部もそれをわからないのか? ・・と思ったのですが、彼らは「なぜ」なのか、わからなかったようです。
  (株)一条工務店の初代社長の大澄賢二郎が言うところの、「新しくオープンした展示場というのは、爆発的に契約が出るものだ」というのは、亀戸の東京展示場のようなケースとはまったく状況が違う展示場のことです。その程度のこともわからないというのは、やっぱり、大澄賢二郎は「高卒の遠州人」だなという感じがします。
   1994年の中頃だったと思いますが、福島県会津若松市に、会津若松展示場がオープンしましたが、それからしばらく、会津若松では「けっこう売れた」ようです。 しかし、「売れた」かどうかの基準ですが、営業ひとりあたり何棟売れたか、営業ひとりあたりの平均契約棟数で見ると、会津若松展示場は他の展示場と比べて多く売れていた・・というのはどういうことか、それを考えてみる必要があります。
   福島県では、いわき・郡山・福島・会津若松の4市が人口10万人以上の市でしたが、いわき市が一番多いとはいえ、面積も広く、会津若松市がこの4市の中では一番少ないとはいえ、会津若松市の外側の町村にも人は住んでいるのであり、その地域の人口として見ると、同じようなものだったのではないかと思います。 同じような市場の地域に、いわき市では展示場が4つあって、営業の数も4展示場分いたのです。郡山市はその頃は3展示場で、やはり、営業の数も3展示場分いました。 人口では いわき市の方が郡山市より多いとはいえ、その地域の状況を考えると郡山市の方がいわき市よりも開けているといわき市の住人は言います。郡山市は3展示場でしたが、南側の白河市にも展示場がありましたし、北側の福島市にも展示場がありましたから、その地域の人口に対しての営業の数としては、中通り地区と浜通り地区は同じようなものだったのではないかと思います。  家を建てるにおいては、やっぱり、おカネのある人でないと建てられませんから、その点では、中通りの方が浜通りよりも有利だといわき市の営業は言っていました。 会津地方はどうかというと、会津若松とその周辺というのは、いわき市などと比べて変わらないくらいの人は住んでおり、その地域の住民は(株)一条工務店の建物のようなものを好む人かそうでないかというと、浜通り地区・中通り地区と同様に、けっこうその地域に受け入れられる商品でしたから、そうなると、新規に出店した会津若松展示場では契約は出てくることになりました。そして、いわき市なら4展示場と4展示場分の営業がいた、郡山市は3展示場と3展示場分の営業がいたのに対して、会津若松市はそれなりの人口もあり需要もあるにもかかわらず、1展示場で営業の数も1展示場分となると、営業1人あたりの契約棟数で見ると、そういう見方をするならば多くなって当然です。 (1)その地域で(株)一条工務店のような建物を建てる人が何人いるかといったこをと考えて、それを多い人数の営業で分けるのか、少ない人数の営業で分けるのかということを考えると、少ない人数で分ける営業所(展示場)の方が、多い人数で分ける営業所(展示場)よりも営業1人あたりの契約棟数で見ると多くなって当たり前です。
  もうひとつは、その地域で(株)一条工務店のような建物を建てたいという人がある程度以上いる地域においては、それまで出店していなかった地域に新しく出店した場合、需要がある所に出店したのですから、売れます。 特に、それまでからある地域は、それまでから契約も獲得してきていますが、新しく出店した地域では、「需要があるのにその需要を食っていなかった地域」であり、出店する前から獲得していてもよかった分まで契約を獲得することができることで、他の地域よりも多くの契約を得ることができる・・ということになる場合があったはずです。 住宅金融公庫があった時代、住宅金融公庫の金利は景気が良くなると上がり、景気が悪くなると下がるという措置をとっていたことから、戸建住宅建築業は景気の影響を受けにくいと言われていたのですが、ところが、不景気が長く続くと、景気の回復のために家を建ててもらおうと考えて住宅金融公庫の金利を下げ続けると、もはや、業界全体で「需要の先食い」をしてしまったような状態になり、なおかつ、家というものは、そう何軒も建てるものではないので、「需要の先食い」をしてしまった戸建住宅建築業界は、長く不況が続きそうだと言われたことがありました。 (2)その地域にその会社の建物の需要がありながら出店していなかったことで建てたいと思う人も建てることができなかったという地域に出店した場合には、「需要の先食い」の逆の状態になって契約が多く出やすい状況になることがあります。 会津若松展示場ができてすぐの頃は、そういう状況があったと思います。
  大澄賢二郎さんが「新しく展示場ができた所というのは、契約が爆発的に出るもんだ」と言ったというのは、そういう状況の展示場のことを言っていたようです。 たしかに、そういう展示場はあったのです。しかし、亀戸の東京展示場はそういう状況とは違ったのです。大澄賢二郎さんは社長なのに、こんなこともわからんのか?・・・と思ったが、わからんようです。服部は江東区潮見の東京展示場に入社した人間の中では彼が一番多く売っていたにもかかわらず、こんなこともわからんのか?・・・と思ったのでしたが、わからんかったようです。
  なんで、わからんかなあ・・と思いますが、わからん人にはわからんようです。

   亀戸の展示場を工事中の時、江東区潮見の展示場に所属の者が、土日は交替で工事中の建物に勤務したのですが、その時、前を通るおばさんに声をかけて見学してもらいましたが、「一条工務店て聞いたことないけど」と言われるので、「知っている人は知っているけれども、知らない人は知らないというくらいの知名度の会社かと思います」と言ったところ、「そうかしら。全然、知らないわ。一条工務店なんて知ってる人いないでしょ」と言われたものでした。今は違いますよ。
   やっぱり、その会社の存在が世間によく知られているというのと、浜松近辺では知られていても、東京圏ではほとんど知られていないというのとでは、営業のしやすさ・しんくさは大きく違います。1993年5月でしたでしょうか。松戸展示場で、どうやら、娘夫婦が柏の賃貸マンションに住んでいて、奥さんの親夫婦が住んでいる横浜の家を建て替えて二世帯住宅にしようという計画らしい方が、二世帯住宅ということで「二世帯住宅」を売りにしていた旭化成、戸建住宅の施工棟数1位の積水ハウス、親は木造志向であろうということで在来木造の施工棟数1位の住友林業と、木造でも和風ではなく洋風で建てたいということで三井ハウス(三井木材工業)の4社の展示場にいって、その4社から選んで建てようと考えておられたようでしたが、向かいの住友林業の展示場を出た後、男の子が、順番に展示場に入って行くものだと思って、住友林業の向かいの一条工務店の展示場に入ってきたのです。すると、母親が玄関の所から中に向かって、「ちょっと、◇◇、出てきなさ~い。ここ入らないのお! ここは入っちゃだめな所なのお! 入っちゃだめえ~え! 早く、出なさ~い! ここは入っちゃだめな所よお~お! 早く出てきなさ~い!」と叫んだ・・・ということがありました。「まあ、そんなこと言わないで、ここまで来られたことですから、奥さん、入って見て行ってくださいよ」と私が話したところ、その奥さんも入場して見ていただけましたが、それでも、最初に4社の中から決めようという考えでいた人に、その4社を否定して、「無名の浜松の工務店」が契約してもらうのは難しかった。
  同様のことが、亀戸の東京展示場でもあったようで、東京展示場に入社した人は、江東区潮見のきったない展示場に入社した人間よりは得していたはずでしたが、それでも、「セゾン」という商品名の建物の玄関を入った三和土(たたき)の所まで「ここは西武か」と言いながら入ってきて、「一条工務店」と書いてあるのを見て驚き、「おい、こんな所、入っちゃだめだ。早く、出ろ、出ろ! こんな所、入っちゃだめだ。ここは西武じゃねえぞお。『一条工務店』なんて書いてあるぞ。入っちゃだめだ、こんな所!」と叫んで家族の手を引っ張って出て行った・・・という人があったらしい。「西武のパチモンみたいな名前」を商品名につけていると、ただでさえ、「東京で家を建てるのに、何がうれしゅうて浜松のえたいの知れない工務店で建てなきゃならんのだ」と思われるところを、「西武のパチモンの会社」と思われると、余計に「こんな所、入っちゃだめだ」ということになったのでしょう。
  そういう状況においては、それを何とかする方法を考えないと、単に新しく展示場ができたというだけでは、それで「爆発的に売れる」などということはありません。これは、その展示場に勤務している営業のせいではありません。 大澄賢二郎という人は社長のくせして、まさか、このくらいのこともわからんのか?・・・と思ったのですが、わからん人のようでした。
  その「東京で家を建てるのに、何がうれしゅうて浜松のえたいの知れない工務店で建てなきゃならんのだ」という点と、「西武のパチモンみたいな名前の会社」という点とともに、会津若松では、(株)一条工務店の商品というのは、その地域の人たちに受け入れられやすい商品であったのに対して、東京圏においては「東京で売ることを考えていない商品」でした。 但し、東京圏の外側、千葉県ならば千葉市よりも東・南、埼玉県ならば大宮より北・西、神奈川県ならば相模線よりも西の地域においては、(株)一条工務店の建物のようなものを求める客層はあったし、又、「地方」出身の人で東京圏で勤務してきたが、退職後に地元で家を建てて住むか、東京圏にその後も住む息子夫婦と一緒に住むか・・という人が東京圏の方で建てる場合があり、そういう人には、都会型の家と「地方」型の家の折衷様の家を建てる人がおり、そういう人が東京圏の分譲地のような場所で建てるという場合には、(株)一条工務店は検討対象としてもらえることがありました。そのあたりを考えて営業すれば、契約はあげられる可能性はあったでしょうけれども、少なくとも、新しい展示場を作ったから「爆発的に売れるはずだ」というような状況ではなかったはずで、このくらいのことは、まがりなりにも戸建住宅建築業の会社の社長ならば理解できていて当然のはずでしたが、初代社長の大澄賢二郎さんは、「やっぱり浜松」の人で「やっぱり高卒」の人だったようで、理解できなかったようです。
  それならそれで、私にきいてくれれば説明して教えてあげるのに・・・と思ったのですが、こういうタイプの人は、教えられても理解しない。「高卒の社長症候群」のおっさんというのは、教えてあげてもだめみたいです。だいたい、そういうおっさんというのは、「病識がない」という特徴がありますし、「この病気は簡単には治らない」という状況がありました。

  会津若松展示場がオープン後、近隣の他の展示場と比べて「1人あたりの営業成績」「在籍営業の平均契約棟数」があがっていて、亀戸の東京展示場はそうならなかったのは、
(1)  その地域に(株)一条工務店の建物のようなものを建てたいという需要がある地域に新規に出店した場合、すでに何店舗も出店している所と違って、1店舗出店し、営業の数も1店舗分の数であれば、その地域で(株)一条工務店で建ててくれる可能性がある見込客を少ない営業で分けることになるので、πを多人数で分ける地域・展示場に比べて、少人数で分ける展示場の方が、「営業1人あたり」で見ると「売れる」ことになる。会津若松展示場がオープンした時はそうだった。
  それに対して、1993年1月に亀戸展示場がオープンした時、東京圏においては(株)一条工務店は「無名の浜松の工務店」であり、会津若松のような需要はなかったのだ。「遠州人」はその地域の住民の人口から考えて、それに見合って売れるはずだと主張するのだが、東京の人口がいくら多くても、「イナカ向け住宅」を得意とする会社で、わざわざ、東京の人間が東京で建てるのに頼む必要はない、と考える人口が多く、(株)一条工務店を本命と考えてくれる人口が大変少ない地域で、その地域の人口が多くても、その人口に見あって売れるということにはならない。
  1992年~1993年初め頃にかけて、静岡県発祥で東京圏でも建てていた戸建住宅建築業の会社では、静岡県清水市発祥の菊池建設と静岡県浜松市発祥の(株)一条工務店があったが両社は極端で、菊池建設は最近は変わってきているが、その頃は住宅雑誌の「各社寸評」といった欄を見ても、「発祥の地の静岡県清水市では相変わらず不調であるが、東京圏では好調」と書かれたりしていたように、「元 宮大工」というのを「売り」にして、東京圏の富裕層に純和風の高級住宅をアピールして、東京圏で純和風の高級住宅を建てたいという人には人気があり、会社として東京圏の純和風を建てたい富裕層に評価されようという姿勢を取っていたのに対して、(株)一条工務店は「浜松でいいものは東京でも大阪でもいいに決まってるんだ。東京でも大阪でも八寸角の大黒柱は絶対にいいんだ。20坪の延べ床面積の家でも30坪の敷地の家でも二間続きの和室は絶対にいいんだ」と主張する「ほとんどビョーキ」という姿勢を断固として主張する会社であり、「やっぱり、お宅は浜松ねえ」と来場客何人もから言われまくる会社・展示場だった。江東区潮見の展示場は「三世代がゆったりのびのび住める家」というコピーをつけていたが、来場客から「これのいったいどこが二世帯住宅なんですかあ?」と言われたが、「お母さんとお嫁さんが一緒に調理することができる広めのシステムキッチン」とか「親戚中が集まった時も対応できる二間続きの和室」とか「人が多く集まった時には補助席にもなるベイウインドウ」とか、「うち、浜松で建てるんじゃないですよお」「一条工務店て、いかにもイナカ、徹底的にイナカて感じですね」とか言われまくる会社だった。会社の姿勢として、その頃の菊池建設は清水市で売れなくても東京圏で売れればいい、清水市は「宮大工としての発祥の地」ということで東京圏で売るための道具として使えればいいという姿勢であったのに対して、(株)一条工務店は「浜松よければすべてよし」という姿勢の会社、あえて意図的に、浜松・掛川で坪48万円、名古屋南営業所では坪49万5千円で売っていたものを東京都では坪55万円で売らせて、「これ、東京では坪55万円で売っているものなんですよ」ということで浜松・掛川・名古屋の営業が売れやすく・売りやすくするための道具として(もしくは、噛ませ犬として)東京圏を利用していた、という大きな違いがあった。会社として、東京圏は浜松・掛川・名古屋が売れるための道具(噛ませ犬)になればいいという姿勢を会社としてとっていた会社の社長が、「オープン直後は爆発的に売れるはずなのに、なんで、売れんら」て、アホか! 一回、便所の水で顔あらってこい! てものだ。もしくは、自分自身が1年でも東京の展示場に営業として勤務して東京の展示場の営業の経験をしてみるべきだ。「遠州人」がずるいところは、浜松・掛川には東京圏よりもはるかに安い坪単価を設定してダンピング販売をして、テレビ広告しまくって、その上で「価格がどうかなんて関係ない。テレビ広告なんて関係ない」と言いまくるのだが、それなら、東京都と同じ価格で売るのか、静岡県中西部・愛知県のみドカンとやりまくってきたテレビ広告をやめるのかというと、決してそうはしない。もしくは、自分自身が東京都の展示場に来て売って見せるのかというとやらない。まったくつくづく、「遠州人」(あくまで、「(株)一条工務店の遠州人」のことで「遠州人一般」のことではないが)というのは、根性ババである。「遠州人」は根性がう〇こでできている。
(2)  住宅金融公庫の金利を長く下げまくると、住宅建築業の業界全体で「需要の先食い」をしたような結果になり、長くその業界の不況が続くことになるが、(株)一条工務店の建物がその地域の人のニーズに合っている場合には、そういう地域に新規に出店した場合には、それまでから展示場がある地域と比べて、新しく展示場ができた所は、「前の需要も残っている」ようなケースがあるので、「定期的に需要を食ってきた」地域よりも、オープン直後は契約が多くあがるということがある。会津若松展示場などはそれに該当した。
  それに対して、1993年1月にオープンした亀戸の東京展示場付近においては、もともと、「(株)一条工務店が得意とする『イナカの家』もしくは『イナカモンの家』というものの需要」があまりないのだ。だから、もともと、需要がない地域に出店しても、「新規に出店したから爆発的に売れる」というような条件には該当しない。
(3) (株)一条工務店では、実際にその地域にいる人が営業所長になっていた営業所(展示場)と、グラフの記載で見ると、「所長 《天野隆夫》」として、営業本部長の天野隆夫が営業所長を兼任としていた営業所(展示場)があったが、実際に自分自身もその場所で営業をやる人が営業所長になっている営業所(展示場)に比べて、「所長 《天野隆夫》」となっていた営業所(展示場)では、1展示場あたりの営業の人数が「所長 《天野隆夫》」となっていた営業所(展示場)は営業の数が多い傾向があった。それは、自分自身もそこで営業をやる人にとっては、営業の数が矢鱈と多くなると、その地域で(株)一条工務店で家を建ててくれる可能性がある人の数というのはそれほど変わらないならば、営業の数が多くなると、1営業あたりの契約棟数は少なくなってしまうので、又、営業本部長が「なんで、売れんら」と言う場合、営業所長は言われる側の立場になるので、それで、自分自身もそこで営業をやる人が営業所長になっている営業所では、営業の数を多くしないのに対して、「所長 《天野隆夫》」の営業所においては、天野隆夫は自分自身では営業やらないので天野隆夫の契約棟数というものはグラフに計上されないし、営業本部長が「なんで、売れんら」と言う場合、「所長 《天野隆夫》」の営業所においては「所長 《天野隆夫》」は「なんで、売れんら」と言う側であって、言われる側にならない、決して自分には言わない、言うとすると、個々の営業に言うか、もしくは、「リーダー」だとしてグラフで「所長 《天野隆夫》」のすぐ下に氏名が掲載されている主任かそこらの人間に言うかであるから、だから、「所長 《天野隆夫》」の営業所(展示場)では、「営業1人あたりの契約棟数」を求めるか「営業所(展示場)全体の契約棟数」を求めるかというと、後者で営業の数を多く配属することになり、その結果として、「所長 《天野隆夫》」の営業所(展示場)は「営業1人あたりの契約棟数」は少な目になる傾向があった。私が入社した1992年、静岡県掛川市の掛川展示場が「営業1人あたりの契約棟数」で見て「最も売れる展示場」と同社で言われていたが、そんなに「売れる」のなら営業の数を増やせば営業所(展示場)あたりで見るともっと売れることが考えられたが、そうすると「1人あたりの契約棟数」で見ると数値は下がる可能性が考えられたので、それで、所長の近藤正夫は営業の数を増やさなかったのだ。掛川営業所の所長の近藤正夫は「通算契約棟数1位」ということになっていたが、そのあたり、ずるかったのだ。
 そして、会津若松の所長は「大澄社長の腰巾着」と言われる片山で掛川営業所の所長は近藤正夫であったのに対して、亀戸の東京展示場は、「所長 《天野隆夫》」だったのだ。
  大澄賢二郎は、まがりなりにも戸建住宅建築業の会社の社長ならば、この(1)~(3)くらいは理解できていなければおかしい。まがりなりにも戸建住宅建築業の会社の社長でありながら、この(1)~(3)も理解できないようでは、社長として””レッドカード””と判断されるべきものであろう。もっと、くだけた表現をするなら、「アホちゃうか!」というものであった。そうでないと言うなら、どう違うのか説明してもらいたいものだ。だいたい、浜松・掛川で48万円、名古屋南営業所で49万5千円でテレビ広告付きで売っているものを東京都で55万円で売らせてやろうという発想からして、「遠州人」の思考は””根性ババ””である。「(株)一条工務店の遠州人」という民族は骨の髄から””根性ババ””である。・・来場客・見込客でも、そのあたりに気づく人は気づくわけで、「何も東京圏で建てるのに、浜松という後進国の外資系企業に頼む必要はない。東京の会社に頼めばいい」と考える人が多かった。おそらく、今でも「浜松という後進国の外資系企業」という会社の体質は変わっていないのではないか。そもそも、全国から利益をもらってきた会社が、「お世話になった浜松市に恩返しをしたい」などと寝言を言って浜松市にだけ300億円を寄付するというあたりからして、「浜松という後進国の外資系企業」という性格・性質を表している
  亀戸の東京展示場の配属にしてもらった服部(男。当時、20代後半)は、1992年に東京都江東区潮見の東京展示場に入社した人間の中では一番多く契約を獲得していたのですが、それなら、この(1)~(3)くらいはわかっていていいはずですが、もしも、わかっていなかったのならば、契約を獲得するという能力においては優秀でも、このあたりについて理解する能力については相当劣っていたということになります。 わかっていないというのはおかしいのですが、わかっていたのならば、「遠州人」で高卒の社長が都市圏でのことについて理解できない浜松頭で、本来、社長ならわかっていないといけないことを理解できていないのであれば、亀戸の東京展示場の「リーダー」として、「社長が言われているのは、『地方』の展示場の場合であって、東京都内に出店した場合には、事情は違いますよ」ということを、きっちりと述べるのが、それが会社と社長に対して誠実な態度であり、それを言わずに、同調しているようでは、会社と社長に対して誠実さがないということになります。 世の中には、「社長、それは違いますよ。・・・」と説明すると怒る社長というのもいるでしょう。何でも、「はい、はい」と同調するだけしか能のない従業員の方を喜ぶ社長というのもいるでしょう。たとえ、そうであったとしても、それでも、「リーダー」なら言わないといけない。そうでなければ、「リーダー」の資格はない。
  阪神タイガースが1985年(昭和60年)に吉田義男が監督で優勝して2003年(平成15年)に星野が監督で優勝するまでの間、1992年(平成4年)に中村勝広が監督で2位になった年以外はCクラスを長く続けた時期、1980年代後半だったと思うが、ラジオの野球中継で、アナウンサーが「きょう、試合前に阪神の球団の方と話していましたら、『今年は甲子園球場のお客さんの入りがよくないんですよお。いったい、どうしたんでしょうねえ』と言われてました」と言ったのに対して、解説者の江本孟紀が「はあ~あ? 『今年は甲子園球場のお客さんの入りがよくないんですよお。いったい、どうしたんでしょうねえ』て、そんなこと言われてましたかあ~あ。ほお~お。今年は甲子園球場のお客さんの入りが悪いて、何ででしょうねえて、わかりませんかねえ。ぼくはわかりますよ、ぼくは、何で、お客さんの入りが悪いかわかりますよ。そんなもん、いくらなんでも、こんなけ、ボロクソに負けまくったら、もう、ええかげん、見に行くのん嫌になるわ! わかりませんかねえ、そんなことが。 案外、球団の内部にいる経営者てのはわからんもんなんかもしれませんねえ。教えてあげましょうかねえ~え」と発言。さすがは江本(^^♪ ええこと言う(^^♪・・と思ったものだった・・が、(株)一条工務店の初代社長の大澄賢二郎さんは「普通、新しくオープンした展示場というのは、爆発的に契約が出るものだが、なんで、東京展示場は契約があがらないんだ」と言っているたというのだが、それは(1)~(3)がその理由だと、普通、そのくらい、まがりなりにも戸建住宅建築業の会社の社長ならわかると思うし、そういったことをわかる人間が社長になるものだと思いこんでいたら、(株)一条工務店の初代社長の大澄賢二郎さんは、そのくらいのことがわからんようだった。森川英正『日本経営史』(日経文庫)では、日本の会社というのは、江戸時代から明治初期にかけての商店で、その商店の主人とは別に「番頭さん」にかなりの権限を持たせて店を運営するということがされており、その後、明治になってから「学識者」の採用がおこなわれ、岩崎弥太郎は「俗子弟を教化して学者書生の気概を養わしむるは難し、学者書生をその外面を俗化させるは易し」と語り「学識者」の採用に熱心であったという話がでている。江戸時代から明治初期にかけての「番頭さん」、その後の「学識者」を採用し、「株主経営者」とは別に大株主ではない「プロ経営者」にある程度以上の権限を持たせて会社を運営するということが日本の会社ではおこなわれてきたということが指摘されており、「株主経営者」(オーナー経営者)と「プロ経営者」とどちらがいいかというと、「株主経営者」(オーナー経営者)にも有能な人はいるかもしれないが、「株主」が常に有能とは限らず、その点で「プロ経営者」を活用する会社か否かでその会社が発展するか否かに影響が出た、ということを指摘している。 (株)一条工務店の初代社長の大澄賢二郎さんもまた、「オーナー経営者」として「中卒高卒のおっさん」「遠州人のおっさん」ばっかりを自分の周りに集めてやってきた人間として、「プロ経営者」の活用をできない男であったから、だから、(1)~(3)のような、「普通はわかると思いますけどねえ」ということを理解できず、かつ、それを言ってくれる従業員が周囲にいなかった・・というよりも、言ってくれる従業員を遠ざけてきたようだった。
日本経営史 (日経文庫 519 経営学入門シリーズ) - 森川 英正
日本経営史 (日経文庫 519 経営学入門シリーズ) - 森川 英正
  教えてあげましょうかねえ~え・・・というよりも、その会社の従業員ならば、社長が気づいていないことならばそれを指摘して理解してもらうようにするのは従業員の役目であり義務のはずで、それを言わずにいた亀戸の東京展示場勤務の服部は不誠実だった、ということになる。不誠実だったのか、服部もわかっていなかったのか。
  雁屋 哲 作・花咲 アキラ 画『美味しんぼ(おいしんぼ)』(2003.5.16.My Ferst BIG)に、何代も続く老舗の和菓子屋の主人が息子と結婚しようという娘と母が始めた「甘いもの屋」で汁粉を食べて、「どこがいけないか 正一が言わなかったということは、正一にはそれがわからなかったのか。 もしそうなら、正一は『さいか屋』十五代目を継ぐ資格もない、無能な男ということになる。 わかっていて、言わなかったのなら、正一はあんたたちに不誠実な男ということだ」と語る場面がある。↓
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「どこがいけないか 正一が言わなかったということは、正一にはそれがわからなかったのか。もしそうなら、正一は『さいか屋』十五代目を継ぐ資格もない、無能な男ということになる。
 わかっていて、言わなかったのなら、正一はあんたたちに不誠実な男ということだ」

この文句を、(株)一条工務店の1992年の亀戸の東京展示場にあてまめるなら、↑ の(1)~(3)をわかっていなかったのなら、服部は入社1年目について一線の営業として他の人間より多くの契約をあげたという点においては優秀であったとしても、(1)~(3)という当然気づいていたいいはずのことを気づくことができなかったという点で、その部分においては無能な人間だったということになる。わかっていてそれを社長に言わなかったのなら、会社員として従業員として、会社に対して社長に対して不誠実な人間だということになる。・・もっとも、案外、その点において不誠実な従業員の方を喜ぶオーナー経営者(森川英正『日本経営史』日経文庫)で言うところの「株主経営者」)はいるわけで、(株)一条工務店のオーナー経営者もそちらのタイプだったようであり、その点では「見ても見ざる、聞こえても聞かざる」で、何より「言うべきことでも言わざる」の人間がこの(株)一条工務店という会社で生きていくには正しい生き方だった・・ということかもしれないが。私自身、この会社で勤めて、だんだんと口をきかなくなってしまう、言うと怒られるのなら言わない方がいい・・と口をきかなくなってしまったが、情けなかった。せっかく、会社のためを思って言っても、軽佻浮薄なクズを大事にして喜ぶ経営者の会社では、「この程度の経営者の会社にはこの程度の人間」というのが評価されるようだった。『会社四季報 未上場会社版 2021年版』(2020.11.10.東洋経済新報社)を見ると、(株)一条工務店は《 戸建て住宅業界で2位。・・》などと書かれており、そういうものを見ると、最近はずいぶんと調子がいいようだが、その原因のひとつには「従業員の給料が安いから」だから、「利益」が出ていることになる、ということがあるはずで、もうひとつは、たとえば、銀行でも「大手有名銀行」というと良さそうに思うかもしれないが、「都市銀行」というのは実際問題として「東京圏関西圏銀行」であって地方に行くと、県庁所在地に1か所か、福島県では郡山市に1か所とか県庁所在地よりも人口が多い都市が他にあるような県ではそちらに1か所、支店があるだけという銀行であるのと似て、戸建住宅建築業の業界においても「大手ハウスメーカー」というのはその多くが「東京圏関西圏会社」(東京圏中心都市圏会社か関西圏中心都市圏会社)であって地方ではなかなか建ててもらえないというケースが多く、地方に行くと、「家というものは柱があって梁があってという在来木造で建てるものだ。ムク材で国産材で建てるものだ」という意識の人が今でも多いはずで、外来の構法であるツーバイフォー工法(枠組壁工法)の会社や「工業化住宅」の会社は都市圏(東京圏・関西圏など)では建ててもらえても、地方ではなかなか建ててもらえないということがあり、又、旭化成が使用している「へーベル板」(ALC板)(オートクレーブド ライトウェイト コンクリート)(大成パルコンでは「パルコン板」と言うらしい)は日本語では「軽量気泡コンクリート」と言うが、温暖地では良くても寒冷地ではその「気泡」の部分に水がたまると気温が低い時に凍結するので寒冷地での建築に不向きだという話があるなど建てている「商品」によっては温暖地には向いていても寒冷地に向かない商品とかもあって温暖地の都市圏でしか営業できないタイプの商品の会社もあり、都市圏中心の「大手ハウスメーカー」は何社もあっても、(株)一条工務店のように地方都市中心の「ハウスメーカー」というのは少なく、地方でも「本当に地方」では「大工さま」の世界であって地縁血縁で「大工さま」に頼むことになり、そうではなく、「地方」でも分譲地のような場所や県庁所在地など地方都市で地縁血縁がそれほど強固でない地域において「地方向け」のものを建てる会社となると、その地域限定会社でなければ(株)一条工務店くらいのもので「地方都市中心のハウスメーカー」というものが他にあまりないことからそのタイプに「競合が少ない」ということもあって《 戸建て住宅業界で2位。・・》になったということであって、都市圏限定で見て「都市圏中心ハウスメーカー」との比較で2位ということではないのではないかと思われるが、それにしても、『会社四季報 未上場会社版 2021年版』(2020.11.10.東洋経済新報社)などに《 戸建て住宅業界で2位。・・》と書かれるとそれを見て都市圏の住人でも頼もうかと考える人が出てくることも考えられ、何年か前に我が家に来たリフォーム屋のおっさんなどは「天下の一条さん」などと言うので、「あんた、いくらなんでも、そりぁ、言い過ぎだろ」と思ったものだったが、あんな会社がずいぶんとでかい態度を取りだしたものだ・・と思う・・が、野村克也のじいさんが「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」とか言うておったように、会社についても「勝ちに不思議の勝ちあり」のようなケースは現実にある。
美味しんぼ 歴史が創る味!伝統の和菓子編 (My First Big) - 雁屋 哲, 花咲 アキラ
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  もしも、(株)一条工務店が静岡県中西部・愛知県のみで営業する会社であり続けるならば、すべてにおいて「浜松流」でやっていけるかもしれない。箱根の関より東、鈴鹿の関・不破の関より西でもやるとしても、あくまで、「地方」だけでやっていくのなら「準浜松流」でやっていけるかもしれない。関東地方でも、千葉県はJR千葉駅付近より東・南、埼玉県はJR大宮駅より北・西・北東、神奈川県はJR相模線あたりから西のみで、それより内側は対応外とするのなら、JR千葉駅付近より東・南、JR大宮駅付近より北・西・北東、JR相模線あたりから西の地域では「準『準浜松流』」で通じることがけっこうあるかもしれない。しかし、JR千葉駅より西側、JR大宮駅より南側、JR相模線より東側にも展示場を出して、都心に近い地域でも契約してもらって建てていこうということならば、「浜松流はそこには合わない」ということをきっちりと認識して、その場所にはその場所で売れる方法を考えないといけない。まがりなりにも、戸建住宅建築業の会社の社長がこの程度のことも理解できないというのはおかしいし、又、本来、このくらいのことは理解できる人間が社長に就任するべきもののはずなのです。・・こういうことを言うと(株)一条工務店のオーナー経営者というのは怒るのですが、なんで怒るのか? 「空の広さは浜松の広さと同じだ」と言うと喜ぶらしいが、たとえ、そう言ったら喜ぶとわかっても、慶應義塾の商学部の卒業生として入社した者としてはそんなことを言うわけにはいかない。 「『空の一部分の広さは浜松の広さと同じだ』と言うのならそれは正しい。しかし、『空の広さは浜松の広さと同じだ』と言うのならそれは間違っている」ときっちりと言わないといけない。  ↑ の(1)~(3)くらいは、まがりなりにも戸建住宅建築業の会社の社長ならわかって当然のことで、それを理解できないというのは本来おかしいのだが、社長がそれを理解できていないのなら、それはこうこうこういうことですよ・・と説明するのが従業員の仕事であり役割のはずだ。それを言わないで同調するような軽佻浮薄なクズが大好き♪・・という社長ならば、その部分においては優秀とは言えない。 「その言うべきことを言わないで同調するような軽佻浮薄なクズ症候群」みたいな人間が、この会社にはわんさといたし、そういう人間は優遇してもらっていたようだったが・・・、なんか、あほくさいなあ・・と思った・・・( 一一)
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 《 マルクス主義者は問題を見る際、問題の部分だけでなく、全体をも見なければならない。井戸の中の蛙が「空の広さは井戸と同じだ」というなら、それはまちがっている。空の広さは井戸どころではないからだ。蛙がもし「空のある一部分の広さは井戸と同じだ」というなら、それは正しい。事実に合っているからだ。
 ( 毛沢東<日本帝国主義とたたかう戦術>(1935.12.27.)
  『毛沢東語録』和田武司・市川宏訳 1972.11.25.改訂2版。 河出書房新書 所収。 )
  《 浜松の中の蛙が「日本全国どこでも浜松と同じだ」と言うなら、それはまちがっている。それぞれの地域によって異なり、特に箱根の関より東、不破の関・鈴鹿の関より西においては浜松と同じではない地域だらけだからだ。浜松の中の蛙がもし「日本のある地域では浜松とほぼ同じだ」と言うなら、それは正しい。事実に合っているからだ。》・・と教えてあげたいように思うのだが、ところが、「浜松の中の蛙」「遠州人」というのは、これを言うと怒りよるんだわ。何で怒るのかと思うのだが、「浜松でいいものは東京でも大阪でもどこでもいいに決まってるんだ。東京でも大阪でもどんなに小さい家でも二間続きの和室は絶対に必要なんだ。20坪の延べ床面積の家でも30坪の敷地の家でも二間続きの和室は絶対に必要なんだ。20坪の延べ床面積の家でも八寸角の大黒柱はいいに決まってるんだ。こんな常識もわからんのかあ~あ!」「東京の街中でも大阪の街中でも、野物(松丸太梁)は絶対にいいんだ。こんな常識もわからんのかあ~あ!」と、ひきつけ起こして叫びよるんだわ、「遠州人」というのは( 一一)
てんかんが怖くなくなる本 - 泰介, 大槻
てんかんが怖くなくなる本 - 泰介, 大槻
 「浜松でいいものは東京でも大阪でもどこでもいいに決まってるんだ。東京でも大阪でもどんなに小さい家でも二間続きの和室は絶対に必要なんだ。20坪の延べ床面積の家でも30坪の敷地の家でも二間続きの和室は絶対に必要なんだ。20坪の延べ床面積の家でも八寸角の大黒柱はいいに決まってるんだ。こんな常識もわからんのかあ~あ!」「東京の街中でも大阪の街中でも、野物(松丸太梁)は絶対にいいんだ。こんな常識もわからんのかあ~あ!」と、ひきつけ起こして叫ぶ人というのは、それは医学上の病気なのだから、「それは違いまっせ」と話してわからせようとしても不可能なことであり、不可能なことを無理にやろうとはしない方が良さそうだ・・( 一一) その人は医学上の病気なんだ・・と理解してあげるようにしないといけないようだ。
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  私は今でも不思議に思うのです。慶應大学の商学部の「商業学総論」「商業学」とかそういう科目を履修して教授の話を聞いたり、セオドア=レビット『マーケティング発想法』とかマルコム=マクネア『小売りの環はまわる』とか、そういった本を読むのは、それはプラスになるとしても、もし、そういった講義を聞かなかったならゼロか、そういった本を読まなかったらゼロかというと、私の場合は違ったと思うのです。あくまでも、40が50、50が60になったかという話であって、ゼロか百かではないはずだったのですが、不思議なことに、ゼロの人というのが、会社という所には棲息しておられるようなのです。

  それから、慶應大学の商学部の教授先生で「『マーケティング』というのは、これは、『マーケティング』とアクセントは頭にありますからね。アクセントは頭にあって、『ケ』の後に小さい『ッ』は入りませんからね。決して、『マーケッティング』ではありませんからね。慶應義塾の商学部の卒業生で『マーケッティング』なんて言ったら恥ですからね」と言われた方がありましたが、そういうものだと思っていたら、会社という所に入ってみると、「マーケッティング」と言う人が多いこと多いこと( 一一) ・・・、なおかつ、そういう人というのは、親切のつもりで、「マーケッティングじゃなくて、マーケティングです」と教えてあげると怒りますからね。
  又、「責」という字も、法律用語では「せめ」と読むのであって「せき」と読んだら恥ずかしいと思っていたのですが、(株)一条工務店のような会社で上の方の役職についている人というのは、それを「せき」と大威張りで言いますから。なおかつ、それを指摘すると怒ると思うのです。怒られてまで教えてあげることないわなあ・・と思うと、いつまでも、「せき」と言います。永遠に言っていることでしょう。
  2002年、(株)一条工務店の工場部門、(株)日本産業の生産事業部の「責任者」になった高橋という男が山梨県上野原市の工場に来て、何だったか、制度について読み上げたのですが、その際、「責(せめ)」を何度も大きな声で「せき」と読むので、ああ、ま~た、こんな人間を「責任者」にならせやがった・・とあきれたものでした。高橋はおそらく今も法律用語の「責(せめ)」を「せき」と読んでいるのではないでしょうか。
 (株)一条工務店は、法律用語の「責」を高橋みたいに「せき」と読まずに「せめ」と読む人間で、「マーケティング」を「マーケッティング」ではなく「マーケティング」と発音する私をせっかく採用したのに、なんで、法律用語の「責」を「せめ」と読まずに「せき」と読むようなアホを重用するのか・・と思いましたが、そういう趣味というのかビョーキというのかの経営者の会社でした。
  さらに、「バルブがはじけたからなあ」と言う人も、「会社のえらい人」にはいっぱいいます。 「バルブちゃいまんがな、バブルでっしゃろが」と言うと怒りますから、怒られてまで教えることないわ・・と思って言わないでいると、何度も何度も「バルブがはじけたからなあ」と得意になっておっしゃいます。
  さらに、1993年、(株)一条工務店の営業本部長で松戸営業所長・東京営業所長を兼任していた天野隆夫は、松戸営業所(展示場)の事務所で、「渋谷といったら、小岩の東の方だらあ。新宿といったら平井の北の方だら。そうだら。ぼく、東京はよく知ってるんだから。そう思うだら」と何度も何度も言うので、「ちゃいまんがな、ちゃいまんがな・・」と教えてあげたい気持ちになったのですが、教えると怒るでしょうから、怒られてまで教えることないわ・・と思い、誰か教えてやれよお~お・・と思っていると、誰もが「誰か、教えてやれよお」と思って黙っていたのか、誰も教えないでいると、その後も、「渋谷と言ったら小岩の東の方だらあ。新宿と言ったら平井の北のほうだら。そうだら、ぼく、よく知ってるだら。そう思うだら」と何度も何度も言いまくるのでした。「こういう人がこの会社では東京営業所長になってるだら」と思いました。
  さらには、1992年、(株)一条工務店で静岡県地域で営業課長になっていた石橋さんだったと思うのですが、東京都江東区潮見の東京展示場に電話をしてきて、東京駅から江東区木場の東京事務所に行く方法を教えてくれとおっしゃるので、「新幹線で東京駅に尽きましたら、進行方向に向かって右側、八重洲口で改札を出まして、そこを北の方、新幹線の進行方向の方に向かって歩きますと、東京メトロ東西線の大手町駅がありますから、東京メトロ東西線の大手町駅から東向き、西船橋行などに乗りまして、門前仲町の次の木場(きば)という駅で下車して地上に出ていただきますと、すぐその付近の北側にあります」と説明したところ、「東京駅からその大手町駅まではタクシーに乗ればいいだら?」とおっしゃるので、「タクシーに乗らなくても、東京駅から大手町駅まではすぐですから歩いていただければいいと思います」と言うと、「なんでら。なんで、タクシーに乗ったらいかんら!?! タクシーに乗るのが一番いいら。なんで、タクシーに乗ったらいかんら」と不満そうにおっしゃるので、こちらとしては親切で説明してあげているのであって、”タクシーに乗りたい乗りたいシンドローム”の人に何がなんでも乗せたくないというわけでもないので、そんなにタクシーに乗りたいなら、もう、「乗りたきゃのれば!」て感じ・・というか、むしろ、おもしろいから新幹線の東京駅から東京メトロ東西線の大手町駅までタクシーに乗せてあげた方がよかったのかもしれません。
  どうも、「会社っちゅうところ」では、こういうことがけっこうあるみたいですね( 一一)

  「地方」で、その地域の人にとって(株)一条工務店の建物のようなものが受け入れられやすいという地域に、それまで出店していなかった場所に出店したという場合と、東京など都市圏において、「浜松のえたいの知れない工務店」で「”セゾン”などと西武のパチモンみたいな名前」を商品名にしている会社というのが新しく出店したという場合では、事情は違う・・ということくらいは、まがりなりにも社長ならわかって良さそうなものだと思ったのですが、「やっぱり、遠州人のおっさん」で「やっぱり高卒のおっさん」の大澄賢二郎さんは理解できなかったようでした。

  こういった思考ができない経営者は、私のようにそういう思考のできる者をもっと活かしてくれればいいのに・・と思いましたが、活かしてなるものかあ!・・・と考えるのが「高卒のおっさん」で「遠州人のおっさん」だったのかもしれません。

  近所の食べ物屋については、まだまだ、論評するものはありますので、また、別の機会にも述べたいと思います。

  (2020.1.10.)

  「餃飯軒」はけっこうおいしくて値段も高くないのですが、テーブルで1か所、凹凸があって、料理の入った皿を置くと傾く箇所があった。出過ぎたことかとも思ったのだが、かつて、(株)チムニーで飲食店の内装の仕事についていたことがある者として気になったので、「これ、業者に言って直させた方がいいと思いますよ」と言ったところ、無視されるかと思ったらそうではなく、それからしばらくして行ってみると、私が指摘した所は修正されていた。
  2005年、(株)チムニーの建設部長の大木さんは、施工の問題点について私が指摘して「これ、私が業者さんに言ってもいいですか」と言っても、「居酒屋の場合はいいかげんでいいんだ」などと言っていいかげんな施工のままで済ませようとしたのだが、この店はそうではなかったようで、その席でも食べやすくなった。飲食店の施工は「いいかげんでいい」というのはおかしいし、居酒屋の内装の施工は「いいかげんでいい」という姿勢は、それは居酒屋というものは「壊されてもいい」という意識からきているものだ。 (株)チムニー の大木さんなら、業者がいいかげんな施工をやっていても気づかず、気づいた私が「この部分、直してもらうように言った方がいいと思いますが、私が言っていいですか。部長が言われますか」と私が指摘して言ってもそれでも、「飲食店の場合は施工ははいいかげんでいいんだ」などと言って言わなかった・・のか言えなかったのかだったが、「餃飯軒」は大木さんとは違ったようだ。その分、好感が持てるし、その分、食べやすい。
  ファミリーレストランの調度・備品を「壊してもいい」と思っている客は多くないのだが、「はなの舞」「花の舞」「炎」「チムニー」といった居酒屋になるとヨッパラーは居酒屋というものは「壊してもいい」と思っている人間がけっこういるようなのだ。しかし、居酒屋の側では「壊されてもいい」と思っているわけではなく、2005年、(株)チムニーの社長の和泉さんが「どうすれば、壊されないようにできるかなあ」と頭をひねっていたのだが、和泉さんは
(1) 「頑丈に作るしかない」とひとつその対策をあげたが、
私は少なくとも他に2つは対策が頭にあった。
(2) ひとつは「きっちりと作る」というもの。人間の心理として、あらかじめ、いいかげんに作られているものを見ると、そういう店なんだと思い、ヨッパラーは「壊してもいい」と思いがちだが、そうではなく、あらかじめ、きっちりと作っておくと、「壊してもいい」と思いにくい。もうひとつは、
(3) 「静かに酒と料理を楽しむ」という客層に来てもらうようにするか、「壊すことを前提に酒を飲む」という客層に来てもらうか、前者の方の客層に来てもらい、後者の客層には他の居酒屋に行ってもらうようにすれば、壊されないようにすることができる。そのためには、この店はデストロイヤーのヨッパラー向けの店ではなく「落ち着いて静かに酒と料理を楽しむ店」なのですよと言外に認識させるような内装にすることで、そのためには「いいかげんでいい」などという施工ではいけない。大木さんは、その程度のこともわからんかなあ~あ・・と思ったがわからんようだった。社長の和泉さんも、その程度のことがわからんかなあ~あ・・と思ったがわからんようだった。やっぱり、関大の法学部しか出てないような男はあかんいうことか・・・と考えるべきものかどうかわからんが、和泉さんはまがりなりにも社長なのにその程度のこともわからんのか・・と思ったが、わからんようやった。それならもっと私を大事にして意見をきけば良さそうなものだが、わかってない社長というのは人にきくというのが嫌というおっさんがけっこう多いようだ。そういう人は日本の会社にはけっこういる。
   (2020.3.3.)

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