あけおめ。今年の干支(えと)は牛(マザー牧場〔富津市〕)。「あんなけ出すのにどれだけきついか~あ♪」の牛。「わしに感謝せえよお」と言いまくり、「わし、感謝せえなんて言うたことないやろ」と言う父親の話。

[第811回]2021年(令和3年)の あけおめ。 干支(えと)は牛の年。
  今年もどうぞよろしくお願いいたします。
  2021年(令和3年)の干支(えと)は牛。 牛というと・・・。
(1) 牛というと、天神・天満・菅原・北野系神社の社殿の前に鎮座している動物。
(2) 近鉄バファローズの「バファロー」は水牛だったが、「バファローズ」でなくなった。
(3) なにより、「あれだけ出すのにどんなけきついか、きついか、きついか~あ♪」の牛。「やーれん、そーらん、ほっかいど~お♪」の牛。
・・・で、年賀状用に、牛というと・・、焼き肉屋の前に鎮座している牛の像を使うわけにもいかんだろう。 といって、亀戸天神とかそういう天神社の社殿の前の牛というのは宗教色があるので、万人向けではないという問題がある。

  となると・・・、実際の牛をといっても、上野動物園とかにはパンダとか虎とか「禿げたか」とかはいても、牛はいない。 千葉県市川市と松戸市の境目の市川市にある市川市動物園なんてのには、羊・山羊(やぎ)・豚〔子豚〕といった動物が人と同じ空間を歩いているのだが、牛はいない。 けっこう、牛というのは難しそう。
  (株)一条工務店で福島県いわき市の営業所にいた時、福島県双葉郡大熊町 というと福島第一原発がある場所だが、その大熊町の見込客宅にアポなし訪問で行った時、その見込客宅のそばに牛舎があったのだ。訪問しようとすると、牛舎の牛がけげんそうに「んむお~お!、んむおお~お!」と言って、不機嫌そうに鳴くのだ。 犬ならば、少々吠えられても平気なのだが、牛というのは、機嫌をそこねると怖そう・・だった。
  やはり、(株)一条工務店で栃木県佐野市の営業所にいた時、群馬県館林市の契約客宅の近所にも牛舎があった。夜、訪問した時、牛舎の前あたりの道がクルマを停めるのによさそうで何度か停めさせてもらったのだが、昼間ならよくても、日没後、前の建物に牛がいるのが様子でわかるというのは、なんか、気色悪かった。

  2000年、ロシア連邦のイルクーツク州に行った。 新潟からアエロフロートに乗って約5時間でイルクーツク空港に着く。 ヨーロッパのパリとかミラノとかに行こうとすると、成田から12時間くらい飛行機に乗ってないといけないが、イルクーツクだと新潟空港から約5時間で、「このくらいの時間がちょうどいいな」と思ったものだった。 東京ー大阪間だと、すぐに着くし、新幹線「のぞみ」だとほぼ10分ごとに発車するし、予約しなくても乗れるのに対して、飛行機は30分以上前に搭乗口まで行かないといけないし、手荷物検査とかわずらわしいし、飛行機は「お子様向け」におもちゃとか渡しよるのに対して、俺には何もないのんかい?・・とか思うと気分悪いし・・てところだが、12時間も乗ると、いいかげん疲れるが、5時間くらいだと「ちょうどいい」。
  同じ飛行機に乗って、新潟からイルクーツクまで行った日本人の男性が、アエロフロートに乗ってイルクーツクまで行くと職場で話すと、「大丈夫か? 撃墜されるのとちゃうか?」と言われたそうで、「それは大丈夫でしょう。撃墜されるのは大韓航空で、撃墜する側ですから大丈夫でしょう」と言ったのだが。 アエロフロートの飛行機というのは、けっこう「くろうと好み」みたいな感じがしたのだが、少々古そうな感じはした。 イギリスやフランス・イタリアなどと違って、ロシア連邦の場合は、空港や駅は軍事施設の扱いなので空港や飛行機内での写真は不可だと『地球の歩き方』に書かれていたのだが、飛行機に乗ってみると、日本人客で隣のロシア人と意気投合したのか平気で一緒に写真撮っている人がいて、乗務員も見ても何も言わなかった。 普通に見て、「スパイ」とかであるわけない「ただの観光客」には、どうも言わないのかもしれない。 名前をきかれて、「デューク=東郷」とか答えると、「ちょっと、こちらへ」とか引っ張っていかれるかもしれないが、そんなこと言わないから大丈夫だろう。
  イルクーツクで宿泊して、その後、バイカル湖畔のリストビャンカ村に行き、リストビャンカで宿泊し、又、アンガラ川の水中翼船に乗ってイルクーツクに戻り、また、イルクーツクで泊まり、6泊7日で帰ってきた。 行ったのは夏だったので、日本より涼しく、昼間が長く快適だった・・・が、バイカル湖畔の道を歩いていると、50mほど向うに見えるのは放し飼いにされている・・犬じゃなくて・・道を歩く牛・・だった。 大丈夫かいやあ・・と思い、まわりのロシア人が普通に歩いているので大丈夫なのだろうとは思ったが、「安全第一」から、牛のすぐ近くには行かなかったが、牛が普通に普通の道を歩いていた。
※ 《YouTube-ロシア語】聖なる湖バイカル (Славное море – священный Байкал) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=BpuuLeTxfQI
 《YouTube-По диким степям забайкалья Xор им. Пятницкого Pyatnitsky Choi》https://www.youtube.com/watch?v=jB5MMfCpj88

  もしも、リストビャンカ村に住んでおれば、道を歩いている牛という手もあるかもしれないが、東京から千葉県北西部にかけてでは、犬ならともかく牛は道を歩いていない。

  それで・・・、「あれだけ出すのにどんなけきついか、きついか、きついくゎぁ~あ~あ♪」という歌を知らん人も中にあるかもしれんので説明すると、たしか、1989年の初めくらい、テレビでしょっちゅう流れていた「牛の歌」である。
⇒《YouTube-ヤーレンソーラン北海道》https://www.youtube.com/watch?v=TBLQUhY9s44
《ウィキペディアーパオパオチャンネル》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AA%E3%83%91%E3%82%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB によると、テレビ朝日で放送されていた「パオパオチャンネル」という番組で流された歌らしい。
  
  牛って、どこにいるといるのだろうか?  ・・とりあえず、マザー牧場にはいるようだ・・・ということで、千葉県君津市と富津市の境目の富津市にあるマザー牧場に行きました。
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※ マザー牧場HP http://www.motherfarm.co.jp/
《ウィキペディアーマザー牧場》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B6%E3%83%BC%E7%89%A7%E5%A0%B4

  京葉自動車道 の延長の館山自動車道を南に進み、木更津ジャンクションを過ぎ、木更津南ジャンクションも過ぎ、君津インターチェンジを過ぎて、君津パーキングエリアに入ります。 「サービスエリア」と「パーキングエリア」はどう違うかというと、いろいろ、いっぱいあるのがサービスエリア。 中央道の諏訪サービスエリアなんてスーパー銭湯まであるし、東名高速道路の富士川サービスエリアなんて観覧車まである。 それに対して、それほど、いろいろないのがパーキングエリア。 但し、サービスエリアにしてはたいしてないサービスエリアもあれば、パーキングエリアと言うけれどもサービスエリアと言ってもよさそうなパーキングエリアもある。 ところが・・・、この君津パーキングエリアてのは、な~んもない。 何があるかというと、トイレ。そんなけ。清涼飲料水の自販機くらいあったかな。
  普通、パーキングエリアでも、うどん屋かそば屋かカレー屋の1軒と、ミニコンビニみたいな店くらいあるものではないかと思ったのだが、君津パーキングエリアは、ほんと、何もない。だから、サービスエリアとパーキングエリアの2分ではなく、いろいろ、いっぱいあるサービスエリアと、サービスエリアほどはないパーキングエリアと、トイレしかない「う〇こ どころ」と3分するならば、君津パーキングエリアは、「君津 う〇こ どころ」・・・。 君津市に恨みはない。恨みはないが、ほんと、「う〇こ どころ」以外は何もないのだ。

  その「君津 う〇こ どころ」から外に出入りする「君津パーキングエリア スマートインターチェンジ」というETCカード専用のインターチェンジ(無人インターチェンジ)があって、東京・千葉の方から南下して行き、スマートインターチェンジで出て左に行き、出会った道をまた左折し、まっすぐ行って、信号のある三差路を左折する(ここまで、左折が3回)。 この道が県道163号(小櫃佐貫停車場線)で、これを道なりに進むと、東の方に進むことになる。しばらく、進むと、もう、そろそろ、右折する道があるのとちゃうかいなあ~あ・・と思いだした頃、右折する道が見えるが、マザー牧場に行きたければ、そこを右折せずに直進しろみたいな看板が立っている。
  それで、右折せずに直進すると、なかなかマザー牧場につかない。それで、やっぱり、さっきの道を右折(南下)すべきだったのじゃないかと思い直して引き返し、そこを右折しろというのかするなというのかわかりにくい看板の所を右折して行くと、道の片側の崖っぷち が崩れていて、パイロン(赤帽)が置いてある。 そっち寄りを走ったら危ないでえ・・という表示だと思う。 そういう危ない方は走らずに、崖よりでない方を走って行くと、信号がある交差点で左右のまあまあ広い道にぶつかる。それが県道93号(久留里 鹿野山 湊 線)で、『県別マップル 千葉県道路地図』では、県道163号(小櫃佐貫停車場線) は黄色だが、県道93号(久留里 鹿野山 湊 線)は緑色なので、こっちの方が格上の道みたい。
  この信号のある交差点を左折して東に進むと、右側にマザー牧場の駐車場と入口がある。 「マザー牧場の駐車場」と言うからには、マザー牧場利用者は無料だろうと思うと、甘い! マザー牧場の入場券とは別に駐車場代が要る。 さらに、入ったら入ったで、別料金のものがあるし、売店があって、何か買ったり食べたり飲んだりすると、さらに別料金が加算される。・・なんや、ポッキリ料金とちゃうんかい・・と言ってもだめ。 まあ、クルマで行かない場合は、駅からバスに乗るわけだから、バス代の分だけ駐車場代を払うと思っておくか。しかし、それだと、高速道路代とガソリン代はどうなるんや・・とか、考え出すとようわからんのだが、こんな山の中だと、たいして土地の値段だって高くないだろうし、駐車場でも用意しないと来る人間ないだろうに、えらい、ぼりよんのお~お・・・などと言うのは、今年の干支(えと)だから、今回はあまり言わないことにしよう。

  県道163号(小櫃佐貫停車場線) で、右折すべきか否か迷ったT字路だが、看板はそこを右折しないで直進して行くと、やはり、県道93号(久留里 鹿野山 湊 線)とぶつかるので、そこを右折して西に進んでマザー牧場に来てくれという看板だったようだ。 私のように、リーズナブルな普通乗用車に乗っている場合ならば、崩れている崖の側でない方を走ってマザー牧場まで来ることもできるし、私が行った日のように晴れた日ならばいいが、もうちょっと大きなマイクロバスくらいの自動車とかだと少々怖いだろうし、大型のバスとかだと危ない。 そこからバックして戻ろうとしても、カーブもあるし大変。「もお~お!」て気持ちになる。 だから、そこは右折しないで、直進して県道93号(久留里 鹿野山 湊 線)にぶつかる所まで行って、そこを右折して西に戻って、マザー牧場まで来てくれ、という意味だったようだ。
  県道93号(久留里 鹿野山 湊 線)にぶつかった所を、右折してマザー牧場の方に行くのではなく、左折して東に進むと、鹿野山 神野寺 がある。神野寺は修験道の寺で、《ウィキペディアー神野寺》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%87%8E%E5%AF%BA_(%E5%90%9B%E6%B4%A5%E5%B8%82) によると、真言宗智山派に属するらしい。 鹿野山神野寺HP の「台風15号の被害」https://jinyaji.web.fc2.com/typhoon2019.html によると、表門が重要文化財に指定されていたが、2019年9月の台風15号で倒壊してしまったらしい。本堂が千葉県指定有形文化財に指定されているらしい。 かつて、神野寺 では住職が動物を集め、神野寺動物園として公開していたらしいが、1979年8月に虎脱走事件があり、今は神野寺に動物園はないらしい。
※ 鹿野山 神野寺 HP https://jinyaji.web.fc2.com/
君津市 経済振興課 鹿野山 神野寺 https://www.city.kimitsu.lg.jp/site/kanko/2231.html
《ウィキペディアー神野寺》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%87%8E%E5%AF%BA_(%E5%90%9B%E6%B4%A5%E5%B8%82)
  マザー牧場は君津市と富津市の境目付近の富津市にあるが、鹿野山 神野寺は君津市と富津市の境目付近の君津市にあるようだ。

  あの看板は意味がわかりにくい。 道の崖側が崩れてきていても、崖でない側を普通乗用車なら通れたのだけれども、崖側が崩れるということは、続いて逆側までそれが波及する可能性もないとはいえないのだから、早めに補修・補強した方がいいだろうし、看板はもっとわかりやすく表示した方がいいと思う。

  それで、マザー牧場に牛はいた♪
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↑ 牛の白黒というのは、どの牛でも同じように白黒なのかと思ったらそうではなく、それぞれ、白黒の配置が違うようだ。
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  マザー牧場は牛のほかにも、
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↑ 羊 とか・・
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↑ 山羊(やぎ)とか・・・
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↑ 豚さんとか・・・います。 市川市動物園でも思ったのですが、こういう所にいる豚って、「ぶ~」て言いませんよね・・。なんでか・・。
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↑ これは、カピパラ というやつかな・・・。
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↑ これは、兎(うさぎ)・・ですよね・・。兎にしては後ろ脚が伸びているようにも思ったけれども・・・。
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↑ 馬もいるのですが・・・、
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↑ こいつは、一見、牛みたいですが、馬ですよね・・・、たぶん・・・。

  遊園地ゾーンもあるのですが、
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↑ やっぱり、ジェットコースターというのは、こういう、「昔ながらの」やつ、子供が乗って楽しむようなジェットコースターがいいですね。  1970年、大阪万博の時、エキスポランドにダイダラザウルス という過激なジェットコースターが登場して以来、「年齢は大人だけれども、そう文化的水準は高くない」みたいな人が好む「過激タイプ」のジェットコースターが全国にできましたが、ああいうのは好きじゃない。

《1》  子供の頃、大阪市の心斎橋の百貨店 大丸の屋上に「昔ながらの」「子供向け」のジェットコースターがあって、親が買い物に行くのについていくと、1回だけ乗せてもらったということがありました。 何回か行き、何回か乗せてもらったのですが、私の場合は、1回に1回、一度の訪問では1回だけでした。周囲を見ていると、「もう1か~い♪」と親にせがみ、2回とか3回とか乗せてもらっている子供もいましたが、我が家は絶対に1回だけでした
  ところが、私が20歳の時、うちの父親が「こいつには、子供の頃から、どんなもんでも、欲しいというものは、何でも何でも、どんなもんでもどんなもんでも、ええもんばっかし、何でも何でも、こうてきてやってやってやって、やあってやってやってきたから!」と言うので、
「絶対に違う!」と言ったところ、「はあん! こいつ、こんなこと言いよるわ。 こりぁ、こいつ、病気やわ、こいつ。こいつ、絶対に病気やわ、こいつ! こりぁ、薬のませて治療したらんとあかん! それも、ちょっとではあかん。相当いっぱい薬のませたらんとあかん。病気や、こいつは!!! 薬だけではいかん。電気ショックとかロボトミーとかやって、こいつに二度とこういう口をきけんようにしたらんといかん!」と言うのでした・・・・が、大丸の屋上のジェットコースターにしても、よその子は2回乗せてもらったり3回乗せてもらったりしていても、私は常に1回だけでしたし、「よそ」と比べると、私は買ってもらえるものは少なかったし、安かったし、ジェットコースターなども乗せてもらえる回数は少なかった。 うちの父親こそ、「病気やわ、こいつは!」と言われる必要があったのではないか。少なくとも、あのおっさんは、そのあたりは、間違いなく「病的」だった。
スタンガン
スタンガン
( ↑ 「電気ショック療法」 )

《2》  母が90代まで生きてくれたおかげでわかったことがいくつかある。 90代の母が「大丸に行くのをあんたが嫌がって困った」などと言うので、「はあん?」と思ったのだ。 あれだけ、ききわけの良かった子供を何を言うか!?!・・・と思ったのだが、なんで、そんなこと言うか・・・と思って、それで、とうとう、思い出した。
  それで、母に話したのだ。夏目漱石『吾輩は猫である』に出てくる「お地蔵様を動かす話」というものを。 ある道の真ん中にお地蔵さんがいらっしゃった。かつては、それほど人通りも多くない道だったので、お地蔵さんが道の真ん中におられても困ることはなかったのだが、そのうち、荷車も通る、馬も通るということになると、道の真ん中にお地蔵さんがおられたのでは通行の妨げになる。それで、お地蔵さんに道のどちらかに寄ってもらえないかと考えた。 それで、最初、力自慢の男がお地蔵さんを持ち上げて動かそうとしたが、お地蔵さんは重くて、力自慢の男でも持ち上げることはできなかった。 次いで、「頭のいい人」が来て、お地蔵さんにお札とか贋金とかを見せて、「お地蔵さん、どうじゃ、欲しいじゃろ。欲しかったらこっちこい。欲しいじゃろ、こっちこい」とやったがお地蔵さんは誘惑に乗らなかった。 ついで、ヤクザもんが来て、お地蔵さんのまわりで怖そうな態度を取って、「こら、お地蔵さん、動かないと怖いぞ、怖いぞ」とやったが、それでも、お地蔵さんは動かなかった。 力の強い人でもだめ、「賢い人」でもだめ、ヤクザもんでもだめとなって、次に、実業家がやってきて、お地蔵さんのまわりでパイプをくわえて、パイプで煙草をふかしてプカプカと煙をだしたが、それでもお地蔵さんは動かなかった。・・この実業家がやったことって何なんだというと、モデルは岩崎弥太郎だそうで、岩崎弥太郎の三菱というのは、海運業から財閥になったと言われるが、岩崎弥太郎はなぜ船を持っていたのか・・・というと、幕末の頃、土佐藩が船を調達したのだが、明治維新になり廃藩置県がおこなわれ、藩がなくなった時に藩の財産はどうなるか・・・という時に、岩崎弥太郎が「うま~くやって」その船を手に入れて、そこから海運業をやって儲けて「三菱」になったらしい。これは、明治の時代の人間で知っている人間は知っていたことらしく、夏目漱石はそのあたりを知っていたので、それで、「実業家」というものを胡散臭い存在と見ていて、『吾輩は猫である』でも「くしゃみ先生」という夏目漱石自身がモデルと言われる男は、近所にいる「実業家」の奥さんが「うちは実業家ざんす」という態度をとっても、「実業家」よりも中学校の先生の方がえらいと思っている人だった・・らしい。〔ただし、廃藩置県の時に、「藩のもの」をうまく手に入れたのは三菱だけというわけでもないようで、慶應義塾は最初は築地鉄砲洲という所にあったが少々手狭だったので、もう少し広い所に転居したいと考え、それで廃藩置県の際に島原藩下屋敷だったものを「うま~く」安く手に入れたのが今の慶應義塾の三田キャンパスらしく、これは福沢諭吉が『福翁自伝』(岩波文庫)に正直に自分で書いている。〕 その胡散臭い存在である「実業家」がお地蔵さんの近くに来て、パイプをくわえて煙草の煙をプカプカとふかした・・・というのは、「ケムに巻く」という実業家の得意技を実行した・・ということだったらしい・・が、それでもお地蔵さんは動かなかった。 困ったものだ、力の強い人でもだめ、頭のいい人でもだめ、ヤクザ者でもだめ、実業家でもだめとなると、いったいどうすればいいんだ・・・と皆が困っていた時、「バカ竹」と言われて皆からバカにされていた少々精神薄弱の男が来て、「俺ならお地蔵さんに動いてもらうことができる」と言い出した。 何を言うか、力の強い人でもだめ、頭のいい人でもだめ、ヤクザ者でもだめ、実業家でもだめだったものを、「バカ竹」なんかに動かせるわけないだろうが・・と人びとはバカにしたのだが、しかし、どうせ、だめなら、一度、やらせてみればどうだ、という話になった。「バカ竹」はどうしたかというと、お地蔵さんの所に行き、「お地蔵さん、すいません。お地蔵さんが道の真ん中におられるものだから、皆が道を通るのに通りにくくて困っています。申し訳ありませんが、道のどちらかに寄っていただくことはできませんでしょうか」とお地蔵さんにお願いした。すると、お地蔵さんは「なんだ、そんなことか。それならそうと、もっと早く言ってくれればいいのに」と言って、すたすたと歩いて道の端に移動してくれた・・・という話。
吾輩は猫である (上)(下)巻セット (集英社文庫)
吾輩は猫である (上)(下)巻セット (集英社文庫)
  これを話せば、母はわかってくれるかと思い、それで、この話をしたのだが、「どういうことやのん。それは」と言って理解できないようだった。 母親が90代の後半まで生きたということは、娘も息子もそれなりの年齢になっているということで、これから先はどちらが先に死ぬかはわからない。私の方が母より先に死ぬかもしれないが、おそらく、母は死ぬまで、この話の意味を理解できないだろう、理解しないだろう。
  1960年代前半、私が幼稚園児だった時ではなかったかと思う。もしかすると、まだ幼稚園に行っていない時だったかもしれないが、幼稚園に行っていた時のような気がする。母は「大丸のおもちゃ売り場に行けへんか」と私に行ったのだ。そう言われて私は、おもちゃ売り場に行くからには、そこで何か買ってもらえるということだろう・・と思い、「行く」と答えて、それで、その頃は大阪市南区、今は大阪市中央区の心斎橋の大丸に行ったのだが、「おもちゃ売り場に行けへんか」ということで行ったので、「おもちゃ売り場に行こう♪」と言ったのだが、母は「後や」と言って、それ以外の所で買い物をしたりそれ以外の何だかわからない手続をしたりしまくったのだ。特に、バーゲン会場では、台の上に載っている衣類を何人もの女性がひっくり返して見ていたのだが、母は「そこで、気をつけして立ってなさい」「きおつけ!」と私に行って、その台の脇で「きおつけ」させられたのだが、大人にとっては台の上というのは、手元、胸より低く腰より少し高い位置だが、子供にとっては顔の位置であり、鼻とか眼とか口とかの位置で、埃も舞う所で、決して快適な高さではなかったのだ。そこで、「きおつけ」させられて立っているのは相当苦しかったのだ。 それよりも、「おもちゃ売り場に行けへんか」「おもちゃ売り場、行こう」と言われてきたのに、なんで、おもちゃ売り場でない所に長々といるのかわけがわからなかった。 何か所もでずいぶんと我慢をして「きおつけ」していた。そして、最後の最後、とうとう、おもちゃ売り場に行くことになった。 それまで、さんざ、我慢しまくってきたことでもあり、本題のおもちゃ売り場に行ったら間違いなく何か買ってもらえるだろうと思っていた。我が家は幼稚園や小学校の同級生の家と比べて、よその子が買ってもらっているものでも買ってもらえないものが多かったが、今回は「おもちゃ売り場に行こう」と言われて行ったのだから、よそよりも安い物かもしれないけれども、買ってもらえるだろう・・・と思って、おもちゃ売り場に行ったのだ。ところが、おもちゃ売り場に行き、なんだか魅力ありそうな物の方を見て「あれ」と言って見に行こうとしたところ、母は「いけません!」と言って私の腕を引っ張り、「急いで帰らんとあかん」と言って速足で歩き、腕を引っ張られて、おもちゃ売り場の真ん中を通り過ぎて帰ってきたのだった。
  「おもちゃ売り場に行こう」「おもちゃ売り場に行きたいやろ」「おもちゃ売り場に行けへんか」と言われて、そう言われるからには、おもちゃ売り場で何か買ってもらえるものだろうと思って言ったら、結局、「きおつけ」とか言われて埃がもうもうと舞っているバーゲン会場なのか何売り場なのかで長く立たされ、何をやってるのかわからんが、おもちゃ売り場でない所にあっちやらこっちやらに行き、あげくのはてに、おもちゃ売り場の真ん中を突っ切って帰ってきたのだった。・・これはないだろ、いくらなんでも・・と思った。「そりぁ、ないだろう~お」「いくらなんでも、それは無茶苦茶じゃないか」「それは、いくらなんでもないだろう~お!」と思った。
  そして、母が言う「大丸のおもちゃ売り場に行こう」「大丸のおもちゃ売り場に行きたいやろ」「大丸のおもちゃ売り場に行けへんか」という言葉の意味がわかった。うちの父親が、勤め先の社長だったか取引先の社長だったかが言っていた文句として「1回、騙されたというのなら騙した方が悪い。しかし、2回も3回も騙されているようでは、騙されている方も悪い」とよく言っていたのだ。私はそれを聞いて、なるほど、それはそうだよなあ・・と思ったのだ。だから、「大丸のおもちゃ売場に行けへんか」と、さも、おもちゃ売り場で何か1つ買ってもらえるかのように言われて、何かおもちゃ売り場で買ってもらえるんだ♪・・と思いこんで大丸に行ったあげく、おもちゃ売り場ではない所に、あっちに行き、こっちに行き、その度に、「きおつけ!」とか言われて立たされて長時間我慢させられ、バーゲン会場なのかでは目の前・口の前・鼻の前で埃が舞いまくる所で「きおつけ」させられて立たされて我慢させられまくった末、おもちゃ売り場の真ん中を腕つかまれて高速で突っ切って帰ってくる・・というのを一度やられてつらい思いをしたというのは、それをやられた側が悪いのではないが、同じことを2度も3度もやられているようでは、やられている方も悪い! ・・とその勤め先の社長だか取引先の社長だかが言った文句のように思ったのだ。同じことを2度も3度もされているようでは、2度も3度もされる方もよくない。だから、同じことを2度も3度もされるようなことは決してあってはならないのだ、と思ったのだ。
  それで、その後、「大丸のおもちゃ売り場に行きたいやろ」と問われると、「行きたくない」と正直に答えたのだ。「なんでやねん。行きたいやろうが。大丸のおもちゃ売り場に行きたいやろ。行こうや、おもちゃ売り場に」と母は言うのだが、行きたくないのだ。だから、正直に「行きたくない」と答えたのだ。 「なんでやのん。この子はもう。行きたいやろうが、おもちゃ売り場に」と母は言うのだったが、絶対に行きたくなかった。長々とおもちゃ売り場でない所をあっちやらこっちやらに連れていかれて、「きおつけ」とか言われて立たされて、あげくのはてに、おもちゃ売り場の真ん中を突っ切って帰って来る・・・という、そういう「おもちゃ売り場」に行きたいかというと、行きたくなかったので、それで、「大丸のおもちゃ売り場に行きたいやろ」ときかれた時に正直に「行きたくない」と答えたのだった。「なんでや?!? なんで、行きたくないんや? 行きたいやろ、おもちゃ売り場に」と母は言うのだが、嘘を言うわけにはいかないし、母は私に「嘘をついてはいけません」と教えてきたので、それで、嘘は言ってはいけないと思って、正直に「行きたくない」と自分の気持ちを述べたのだった。「なんでやねん。行きたいやろうが。おもちゃ売り場に」と、執拗に母は言うのだったが、いくら、執拗に言われても、そう言っている母が私に「嘘はつきなさんな」と教えたのだから、その指示に従って、正直に「ほんまに行きたくない。本当に行きたくない」と自分の正直な気持ちを答えたのだった。母はずいぶんとしつこかったのを覚えている。それを、私が還暦近い年齢になり、母は90代も後半になって、「あんたが大丸に行くのを嫌がって、ほんまに苦労したわ。この子は大丸に行くのを嫌がって苦労させた子やった」などと言うのだった。 あれだけ、ききわけのいい子だったのに、なんで、そんなこと言われなければならんのか・・と最初は思ったのだが・・・、そういえば・・・と思いだしたのだった。
  いくらなんでも、それはないだろう・・・と思い、夏目漱石『吾輩は猫である』の中の「お地蔵さんを移動させる話」をすれば、わかってくれるのではないか・・・と思って話したのだが、母は理解しなかった。 お地蔵さんに移動してもらおうとすれば、力づくで動かそうとしたり、「お地蔵さん、これ、欲しいじゃろ」とか言ってお札やニセ札を見せて誘惑したり、ヤクザ者が脅したり、実業家が「ケムにまく」ようなことをしたりしてもだめで、そうではなく、正直に「お地蔵さん、すいませんが、お地蔵さんが道の真ん中におられるので、皆が通りにくくて困っています。どうか、道のどちらかに寄っていただけませんか」と話せば、「なんだ、そんなことか。それならそうと言ってくれればよかったのに」とお地蔵さんは言って、すたすたと移動してくれた・・・のと同様に、「大丸のおもちゃ売り場に行きたいやろ、あんた」などと言ってだますのではなく、「大丸でやらなきゃならない用事があるので、行かないといけないので、あんたに一人で家に置いておくわけにいかないから一緒に来てもらいたい」と話せば、そういうことか・・と思っただろうし、そのつもりで母の用事を待ったと思うのだ。それを、「おもちゃ売り場に行きたいやろ」「おもちゃ売り場に行こうや」とそういう言い方をするから、おもちゃ売り場で何か買ってもらえるものだと思いこんで、それで、結局、おもちゃ売り場の真ん中を突っ切って帰ってきただけ・・というのは大変なショックであり、そういう経験をまたもやしたいだろうと言われてもしたくないのであり、正直に「行きたくない」と答えたのだ。嫌だったのは、「おもちゃ売り場に行きたくないか」と言われ、そういう言い方ならおもちゃ売り場で何か買ってもらえるということだろうと思いこんで行ったのに買ってもらえなかった、ということだけではなく、そういうやり口をされた、ということが嫌だったのであり、その後も、執拗に同じやり口をやろうとしてくることが嫌だったのだ。

  男性で20代前半までで結婚した人には、十分に成熟しないままに結婚してそのまま年齢をいく人というのがいると思う。 「自分は自分で守らないと誰も守っちゃくれないぞ」ということを教えることができれば成功した教育だ・・と、ジャン=ジャック=ルソーが『エミール』で述べているらしく、慶應大学の「近代思想史」という講義で教授がそう話されたのだが、できれば、『エミール』のどこにそれが書いてあるか確認したいと思ったのだが、なにしろ、『エミール』というのは岩波文庫で3分冊でけっこう量があるので、同書は我が家の書棚にあるけれども、最初の第1冊目の最初の方だけ読んでそのままになってしまっているので、『エミール』のどこで述べているのかわからないが、教授先生が話されたことなので、無根の話でもないだろう。しかし、そのルソーの見解は正しいかどうかというと、「自分は自分で守らないと誰も守っちゃくれないぞ」というのは間違っていないだろうけれども、しかし、それは学校教育とか教室とかそういう場所で教えること・学ぶことかな・・とも思うのだ。 それは、学校で授業とかいった場で学ぶことではなく、本を読んでそこに書かれていても、それで「わかった」つもりになったとしても、それはあくまでも理屈でわかった・・ような気になったということであって、そういうものは、実際に自分が人生を生きて痛い目にあって、それで「わかる」ことになるのではないかと思う。 だから、学校教育でそういったことを教えるのが無駄ということではないだろうけれども、理屈で「わかる」のと「おのれの骨と肉のきしみで理解する」のは同じではない。
  そして、結婚して夫婦でともに経験して学ぶものと、独身の間に自分ひとりで学ぶものとは、学ぶ内容が質的に違うように思うのだ。女性の場合は20代前半で結婚しても、相手の男性が20代の後半か30代の前半くらいならば、結婚した男性が身に着けたものを女性も身に着けるという場合があると思う。しかし、結婚した相手の男性も20代前半とかであると、結婚した男性からその男性が学んで身に着けたものを見につけようとしても、男性がそういう認識を持っていないのだから学びようがない。 もっとも、それなら、男性は20代後半か30代前半で結婚するのがいいのか・・。しかし、30代前半の男性が20代前半の女性と結婚するのが一番いい・・としても、そんなこと言っていたら、30代前半はすぐに30代後半になってしまうし、30代後半になるとすぐに40代前半になってしまう。又、ちょうどいい年齢の相手と結婚できるという保証はない。 だから、「株の格言」として「頭と尾っぽはくれてやれ」というものがあるようで、一番低いところで買って、一番高いところで売って・・と思っていると、まだ下がるだろうと思って待っていた間に上がってしまい、まだ上がるだろうと思って待つと下がってしまうということがあり、株の売買は、「一番低い所」で買うのではなく低めのところで買う、「一番高い所」で売るのではなく高めのところで売る・・というのでいいことにした方がいい・・ということのようだが、それと同じで、最高を求めてしまうと、逆に失敗することがある。
  内田康夫の推理小説の浅見光彦シリーズの浅見光彦は、最初に登場した『後鳥羽伝説殺人事件』では32歳で、翌年、『平家伝説殺人事件』で33歳になり、その後、33歳を何十年間と続け、最後、内田康夫の晩年の作品、『遺譜ー浅見光彦最後の事件』で34歳の誕生日を迎えたと思ったら、作者がその後すぐに他界してしまった。作者としては、この浅見光彦という登場人物をいつまでも33歳・独身にしておくのがかわいそうになったみたいだったが、内田康夫が書いていたのは、33歳というのは「青年」で通じる最高齢で、34歳からは「青年」では通じない、「大人」として生きるしかない年齢だという。 そうかもしれない。浅見光彦はなぜ33歳だったのか。もともとは、廣済堂書店の担当者の男性で、外見と年齢のモデルになった男性がいたらしいのだが、それだけではなく、浅見光彦および内田康夫の推理は動機から考えるもので、これは内田康夫自身が書いていたことだが、人を殺す人間というのは、うまいトリックを考えついたから人を殺すのではなく、怨恨や利害関係があるからであり、特にその怨恨については、「被害者」は殺されたことで「被害者」という立場を手に入れたが、殺されなければ加害者であって、「加害者」こそ被害者であったというケースもある。そのあたりの人間の苦しみを理解できるのは、やはり、30代の前半にならないとだめで、又、相当に巧妙な犯人や、又、相当に陰湿な警察を相手にまわして渡り合えるとすれば、30代の前半にならないと、20代なかばまででは無理で、そして逆に、相当年齢をいってしまうと、強敵に対して立ち向かう「元気」がなくなってしまう可能性がある。〔10代から40代までの女性を相手に、毎回、「恋愛、一歩手前」みたいなことを繰り返すには、その年齢でないとだめということもあったかもしれないが。〕そういったことを考えた時に、適切な年齢としては、浅見光彦の年齢は32~33歳である必要があった、ということだと思う。
平家伝説殺人事件 (角川文庫) - 内田 康夫
平家伝説殺人事件 (角川文庫) - 内田 康夫
  もしも、浅見光彦のように30代前半で判断力を身に着け、同時に「青年」としての「元気」を持っている者と、20代前半の女性が結婚したならば、20代前半の女性は、約10歳年上の男性がそれまでに身に着けてきたものを夫から学んで身に着けることができる・・という場合がある。 しかし、20代なかばに近い前半の男性と20代前半の前半の女性が結婚した場合には、その女性は結婚した男性からそういったものを学んで身に着けることができない。 うちの母親はそれだったのではないか・・という気もする。うちの父親みたいなああいうおっさんからは学べない。 但し、30代前半になった男性は誰もがそういったものを身につけているかというと、そうでもない。いくつになっても身につけていない人はいる。 だから、ここで述べたようなものは、あくまでも一般論であって、あてはまらない人もいる。
  ・・結婚した女性を見ると、その相手の男性に似ている人というのがけっこういる。 いいところを似ればいいのだが、よくない所を学んだのか、よくない思考を押しつけられたのか、あまり良くないところが似ている人というのもいる。

《3》  小学校1年の時のことだ。担任の先生が、算数の「足し算」「引き算」「掛け算」「割り算」を面白く学ぶために・・ということでだと思うが、隣の席の人間と並んで立ち、先生が問題を出して、早く正答を答えた者が勝ちということで、勝ち抜き戦、トーナメント大会を実施した。優勝者と準優勝者は、「連絡帳」に先生が、それを記入してくれた。うちの父親が「次、優勝したら、プラモデルを買ってやる」と言ったのだ。そして、次、優勝した。優勝はしたけれども、「プラモデルを買ってやる」とおっさんが言ったとしても、我が家はいつもよその子が買ってもらえている物を買ってもらえない家庭であったから、よその子が買ってもらっているプラモデルでも我が家で買ってもらえるとは限らないと思っていた。 その時、住んでいた家から小学校までの間にあったプラモデル屋の陳列ケースに置かれていたゴジラとバラゴンのプラモデルは小学校1年生にとって魅力的で、いいなあ~あ・・と思いながらいつも見ていた。同級生でその片方を買ってもらって持っていた者がいたし、両方買ってもらって持っていたものもいた。しかし、買ってもらって持っている者に「いくらしたの?」と尋ねたところ、「4000円」ということだったので、よその子は買ってもらえても、我が家は無理だとあきらめていた。あきらめていたけれども、同級生が持っている物を見て、いいなあ~あ・・とずっと思ってきたし、プラモデル屋の前を通るたびに、いいなあ~あ・・とずっと思ってきた。

《4》  その頃、家から小学校に行く途中にあったプラモデル屋のショーケースに、「ゴジラ」と「バラゴン」のプラモデルが陳列してあった。同級生で、トーナメント大会で優勝も準優勝もしなくても、その片方を買ってもらって持っていたやつがいたし、両方とも買ってもらって持っていたやつもいた。いいなあ~あ・・・と思って、「いくらだった?」と尋ねると、「4000円」ということだった。その頃、1960年代半ば過ぎの4000円は、今の4000円よりもはるかに高い。いいなあ~あ・・とは思ったが、同級生で買ってもらった者がいても、トーナメント大会で1回線負けでも両方とも買ってもらっていたやつがいたが、我が家は優勝しても絶対に無理だと思いあきらめていた。 トーナメント大会で優勝した後、うちの父親が「よっしゃ、そしたら、プラモデル、買ってやろ。どういうのが欲しいか?」と訊いたのだが、4000円のゴジラとか、同程度の価格のバラゴンは我が家では絶対に無理だと思っていたが、ともかく、言うだけ言ってみようと考えた。それで、「ゴジラが欲しいのだけれども、4000円もするから無理だと思う」と、そう言ったのだ。小学校1年生がそう言ったのだ。
  そう言えば、うちの父親は、おそらく、「そりぁ、4000円もするものは買えんわ。残念やけど、それはあきらめて。もうちょっと安いものはないのか。何百円というくらいのものなら買ってやるけれども、そのくらいの値段のものはないのか。一度、一緒にプラモデル屋に行って、何百円というくらいのものはないか、訊いてみようや」とでも言うのではないかと、小学校1年生はそう考えて言ったのだった。ところが、予想ははずれた。うちの父親はそれを聞いて、「なんで、無理やねん、なんで。 こうたるがな! なんで、4000円したら無理やねん。こうたるがな、そんなもん! 何をアホなこと言うとんねん、何を! そんなもん、怪獣のプラモデルが4000円もするかいな」と言うので、「するよ。本当に4000円するよ。某くんが買ってもらって持ってるけど、いくらしたか訊いたら4000円だと言っていたもの」と言ったところ、「大丈夫や。たとえ、4000円したってこうたるて。何をわけのわからん心配しとんねん。他でもないこのわしがこうたると言うておるんやぞ。このわしが、買ってやると、いったん、口にしたからには、な~にがあっても絶対に買ってやるがな。何をわけのわからん心配しとんのじゃ。こうたるがな。心配いりません。絶対に買ってあげます。4000円しようがいくらしようが、このわしが、いったん、買ってやると口にしたものは、絶対に買ってあげます」・・・と、そううちの父親は言ったのだった。うれしかった。まさか、買ってもらえると思わなかったものを、「そんなもん、4000円がなんやねん。こうたるがな。他でもないこのわしが、いったん、買ってやると口にしたからには、絶対に買ってやるがな」と、そううちの父親は言ったのだ。買ってもらえるんだ、よそは買ってもらえてもうちは買ってもらえないということが多かったが、今回はうちも買ってもらえるんだ♪・・・と、夢みたいだが本当みたいだと思ってうれしかった。そして、プラモデル屋へうちの父親と一緒に行ったのだ。店に入り、店の奥さんに、うちの父親が「あの、ゴジラいうの、ありますなあ。あれ、いくらしますのん?」と言うと、店の奥さんは「4000円です」と答えた。同級生から聞いていた通りだった。すると、うちの父親はどうい言ったかというと、「ふええ~え。ぎょええ~え。ひいえええ~え!!! 4000円やてええ~え! 冗談やないわ、冗談やないで、ほんまあ!!! 怪獣のプラモデルが4000円やなんて、そんなもん、絶対にこうたらいかん! そんなもんに4000円なんて、絶対に出せません。怪獣のプラモデルに4000円なんて、絶対に出したらいかん! 冗談ちゃうで、ほんま。そういうものは絶対に買ってはいかん!」と言いまくるのだった。「ふええ~え」「ぎょええ~え」「ひいいえええ~え」と言いたいのはこっちだった。小学校1年生は、我が家の状況を考えると、たとえ、同級生が1回線負けでも買ってもらえていても、私の場合は優勝しても、4000円するゴジラやバラゴンは買ってもらえないだろうと見通しを立てていたのだ。それで、「4000円するから無理やと思う」と小学校1年生ははっきりと言ったのだ。それを、おっさんが「な~にをわけのわからん心配しとんねん、おまえはあ! こうたるがな。 4000円しようがいくらしようが、このわしがこうたると言うたからにはこうたるがな。心配いりません。アホな心配するんやない! 他でもない、このわしが、いったん、買ってやると口にしたからには、絶対に買ってやるがな。アホな心配はやめなさい!」と、おっさんはそう言ったはずだったのだ。・・貴闘力がYouTubeで「貴闘力部屋」https://www.youtube.com/channel/UCNxyWUfEIBTV4I1C9E4OyCg というのをやっていて、これがなかなか面白いのだが、元朝青龍のマネージャーの吉田さんとの対談《YouTube-【告白】朝青龍 元マネージャーが語る!高砂親方問題 その一日に何があったのか?》https://www.youtube.com/watch?v=SIt7vfN7oMg で、高砂部屋の後継を前高砂親方(元 大関朝潮)(長岡。「大ちゃん」)が、朝乃若に後継は朝乃若にすると約束した翌日になって、後継は朝赤龍にすると発表して、びっくりした朝乃若が「きのう、男同士で話し合って決めたことじゃないですか」と抗議したところ、元朝潮(長岡。「大ちゃん」)は何と言ったかというと、「俺、男じゃないから」・・・と、そう言ったというのだが、「なんじゃ、そりぁ」と貴闘力も言っているが、ほんと、「なんじゃ、そりぁ」て感じ・・・だが、それと似ているといえば似ているが、それよりひどい・・・というのか、普通、子供にそういうことするかあ~あ? 普通、親が子供にそんなことするかあ~あ??? ・・と思うのだが、うちの父親はするのだった。「なんじゃ、そりぁ」て感じだった。
  その4000円のゴジラは、同級生で親に買ってもらって持っていた者は何人もいた。その頃の4000円というのは今の4000円よりはるかに高いから、たとえ、よそが買っていても、子供にそこまで高いプラモデルを買ってやるのがいいかどうかという問題もあるし、親のふところ具合はその家庭によって違うし、「よそはよそ、うちはうちです」という場合もあるだろう。よそが買っていたからといって、自分の所も買わないといけないというものでもない。小学校1年の時の私もそう理解していた。しかし・・・だ。「このわしが、いったん、買ってあげますと言うたからには、絶対に買ってやるがな」と、「他でもないこのわし」というおっさんが言ったからには、買ってもらえるものだと思うではないか。あんた、嘘つきだな!・・・ということになる。普通、そんなことするかあ~あ・・・と思うのだが、それをうちの下の姉に話すと、「あんた、うち、普通の家と違うでしょう。あんた、そんなこともわからんのお?」と言うのだったが、小学校1年生の時はわからんかったのだ。
  4000円という値段を聞いて、「ふええ~え」「ぎょええ~え」「ひいいええ~え」と絶叫したうちの父親は、「あんた、ゴジラでないとあかんのか。他のではあかんのか」と言うので、「そしたら、バラゴンでもいい」と言うと、店の奥さんは「バラゴンはもっと高いですよ。バラゴンは4200円です」だったか言った。「そりぁ、あかん。冗談やない」とうちの父親は言い、「バラ何、バルゴン?」と父が言ったので、小学校1年生は「違う。バルゴンじゃなくて、バラゴン」と横から訂正したのだが、店の奥さんは「バルゴンやったら200円です」と言うと、小学校1年生が「バルゴンじゃなくてバラゴン」と言っても無視して、「それがええわ、それが♪ そのバルゴンください、バルゴン。それがええ、それが♪ 怪獣のプラモデルなんて、200円くらいのもんでええんや。4000円もするような怪獣のプラモデルなんて、そんなもん、絶対にこうたらいかん! 冗談やないで、ほんまあ!!!」と言いまくり、私が200円のバルゴンでいいとは言っていないにもかかわらず、200円のバルゴンを購入した。

《5》  そして、店の外に出ると、そこから家までの道々、「あんた、バルゴン、買ってもらった。よかったねえ~え。あんた、お父ちゃんにバルゴン、買ってもらって、幸せやねえ~え。あんた、うれしい、うれしい。バルゴン、買ってもらって、あんた、うれしいねえ~え。あんた、ええお父ちゃんもって幸せ、幸せ。あんた、ものごっつい、うれしいねえ。あんた、ものごっつい、恵まれてるねえ~え♪ あんた、バルゴン、買ってもらって、よかったねえ~え! あんた、よかった、よかった、よかったね♪ よかった、よかった、よかったね♪」と、はてしなく言い続けたのだった・・・が、喜べなかった。もしも、家を出る時から「4000円するものは買えないけれども、何百円というくらいのものなら買ってやれるから、そのくらいの値段のものはないか、プラモデル屋に行って訊いてみよう」と言われてプラモデル屋に行って200円のバルゴンを買って帰ったのなら、よその息子は1回線負けでも4000円のゴジラも4200円のバラゴンも買ってもらっていても、うちは優勝してもどちらも買ってもらえず、200円のバルゴンだったとしても、それでも喜んだと思うし、それでも喜べたと思う。しかし、家を出るまでは、「大丈夫や。たとえ、4000円したってこうたるて。何をわけのわからん心配しとんねん。他でもないこのわしがこうたると言うておるんやぞ。このわしが、買ってやると、いったん、口にしたからには、な~にがあっても絶対に買ってやるがな。何をわけのわからん心配しとんのじゃ。こうたるがな。心配いりません。絶対に買ってあげます。4000円しようがいくらしようが、このわしが、いったん、買ってやると口にしたものは、絶対に買ってあげます」と言われて出て、プラモデル屋にいくと「ふええ~え」「ぎょええ~え」「ひいええ~え」というのは、いくらなんでも、そりぁないだろう、「ぎょええ~え」「ふええ~え」「ひいえええ~え」とこっちが言いたかった。200円のバルゴンが嫌なのではなく、うちの父親のそういう態度が嫌だった。

  うちの母親が、大丸に買い物とそれ以外に、お中元かお歳暮を贈る用事だったのか何だったのかはっきりわからないが、用事で行かないといけないことがあったようだが、それをそのまま言えば、子供も協力したと思うのだが、それを「おもちゃ売り場に行きたくないか」とか「屋上のジェットコースター、乗りに行こう」とか言うから、また、嘘やな、実際は、おもちゃ売り場でもなく屋上の遊園地でもない所をあっちやらこっちやらに連れまわされて、「きおつけ!」とか言われて苦しい思いをさせられたあげく、おもちゃ売り場の真ん中を突っ切って帰って来るというそういうことやな・・と思い、「大丸のおもちゃ売り場に行きたくないか」と質問されると、正直に「行きたくない」と答えることになり、「大丸の屋上のジェットコースター、乗りに行きたくないか」と言われると、これもまた、実際には屋上の遊園地と関係ない所を連れまわされて、最後に屋上まで行って、「いけません」と言われてそのまま大急ぎで帰るということやな・・と思い、「行きたくない」と答えることになったのだったが、うちの母親のああいうやり方というのは、20代の前半の前半で結婚した女性が、結婚時、20代のなかばに近い前半だったうちの父親のやり口の影響を受けたものだった、と考えてよいと思う。そのやり口は似ている。
★★★★★  そして、うちの父親は、毎年のようにそういうやり口を続けてきたにもかかわらず、私が20歳になった年、「こいつには、よそとは違って、小さい頃から、欲しいというものは、どんなもんでも、何でも何でも、ええもんばっかし、買ってきてやってやってやってやったってきたから!」などとふざけた口をきくので、「絶対に違う。絶対にそんなことない!」と言ったところ、「はあん! こいつ、こんなこと言いよる。このチャンコロ、こういう口をききよる。これは病気がこいつにこういうことを言わせてるんや、これは絶対に病気や、これは。 こいつ、薬のませて、こういうことを言わんように治療したらんとあかん。それも大量に飲ませてやらんとあかん! 少々の量ではあかん。いや、薬やのうて、電気ショックとかロボトミーとかそういうのをやって、このチャンコロが二度とこういう口をきけんようにしてやらんとあかん。ロボトミーとか電気ショックとかこいつにやったるべきや。電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック 電気ショック♪」と言いまくったのだった。 ★★★★★
スタンガン
スタンガン
( ↑ 「電気ショック療法」 )
※《YouTube-揺れよ幌馬車 Swing Low, Sweet Chariot  The Robert Shaw Chorale》https://www.youtube.com/watch?v=ngWYB_50AFQ
 《ニコニコ-Soon-ah will be done(もうすぐ私は終わりだ)》https://www.nicovideo.jp/watch/sm8509594
 
  そういうおっさんやった、うちの父親は。おっさんこそ、「電気ショック療法」でも受けて「治療」してもらった方がええのと違うんかい・・という気がしないでもない。そういう「ショック療法」でも受けるかしないと、「このビョーキは簡単には治らない」と思われる。 それが「わしは英雄で聖人でキリストで聖徳太子でドイツ人でアメリカ人で慶應の人間やねん、わしはあ」というおっさんやった。言われてみると、うちの父親は小学校も中学校も高校も大学も慶應には行っていないが、人間のタイプとして、たしかに、明らかに「慶應タイプ」やった。そういうのを「慶應ボーイらしいスマートさ」とか「塾風を身に着けている」とか「思考が柔軟」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「自我が確立されている」とか「社会性がある」とか「アイデンティティーを持っている」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか「ギャルにもてもて」・・とか「慶應心理学」では言うらしい。うちの父親は慶應そのもの、まさに「精神の慶應」という感じの男だった。強姦はさすがにしてないのではないかと思うが、「強姦まではしていない『慶應タイプ』」やった。

  何年か前、大阪市中央区の心斎橋の大丸心斎橋店に行ったが、大丸の心斎橋店はウィリアム=メレル=ヴォーリズ設計の建物で、それを見学に行ったのだったが、大丸の屋上にかつてあったジェットコースターなどは、もうなかった。心斎橋には村野藤吾 設計の「そごう」と、ウィリアム=メレル=ヴォーリズ設計の大丸が南北にあって、百貨店というのはそういう建物のものかと、子供の頃、思っていたのだが、日本キリスト教団 南大阪教会 の礼拝堂・尖塔の設計者の村野藤吾が設計した「そごう」の建物は解体されて高層ビルになり、さらに「そごう」は心斎橋から撤退して建物は大丸の建物になった。

  そういえば、私が幼稚園に行くか行かないかの頃、柴犬を飼っていた。 幼稚園に行くか行かないかの子供が、「怪獣退治」とか言ってプラスチックの刀を振り回しても、遊んでもらっていると思ってにこにこしてじゃれついていた犬だった。 犬に「ねこ」と名前をつけて猫に「いぬ」と名前をつけて飼ったらややこしくてかなわん・・という漫才があったが、その犬は犬であって熊ではないのだが名前は「くま」だった。ある日、突然、「くま」がいなくなった。 「くま、どうしたの?」と母親にきくと、「病気になったから、獣医さんに預けた」と言うのだったが、前日まで、どこか悪いようには見えなかった。「どこが、悪いの?」ときいても、母は答えてくれなかった。 しばらくして、近所のペットショップに、「クマが治ったかききに行こう」と言われたので、くま の病気が治ったので連れて帰れるものだと思って行くと、母がしばらくペットショップの親爺と話をした後、「帰ろう」と言うので、「くま は?」と言うと、「まだ、治らんのや」と母は言うのだった。 そして、くま は二度と帰ってこなかった。
  今から考えてみると、おかしな点がある。 あの柴犬は大丸のペットショップで買ったはずだった。その頃は今のように動物病院というものがあちらこちらになかったので、ペットショップに頼んで獣医に取り次いでもらおうとしたようだったが、大丸のペットショップで買った犬なのに、なんで、近所のペットショップに頼むのか。 いなくなる前日まで、特にどこか悪いように見えなかったのに、私がいない間に、いなくなってしまった、どこかに連れていかれたというのは、どういうことだったのか。
  もしかして、あのおっさんが、犬に犬が怒るようなことした・・ということはないか。 それで、おっさんは、「こいつ、故障しよった」と言って、「故障を直してください」と大丸のペットショップに言ったが、大丸のペットショップでは、犬というものはそういうものです、直せと言われても直せませんとでも言われて、それで、近所のペットショップに連れて行き、近所のペットショップが獣医に渡したが、獣医もどうもできなかったので、それで「廃棄処分」されたか、もしくは、「電気ショック療法」でもされたか・・。 違うかもしれないが、可能性としてはありそうな感じがしないでもない。あのおっさんなら、やりそうな感じがする。
  その時の私が思ったのは、もしも、動物病院で治療を受けても治らない病気ならば、最期は我が家で見送ってあげたいと思ったし、いなくなる前日まで、少なくとも見たところはどうもなかったのだから、治療しようがないのなら、我が家で、できるだけ健康になれるように世話してあげて、それでもだめだったのなら、最期は我が家で見送ってあげるようにしたかったのだが、病名も教えてもらえず、「死んだみたいや」とそのうち言われておしまいになってしまった。もしかして、あの柴犬も「電気ショック療法」とかやられて、おっさんが気にいらないことをしないように「治療」されたのか・・・どうかはわからないが、ありそうな感じがしないでもない。

  マザー牧場には「ドッグラン」もある。 犬を連れてきている人もあった。 もう、働かなくていい年齢になったら、「くま」みたいな柴犬を飼えたらいいなあ・・とか、ふと思ったりもしたのだが、これはあくまでも「ふと思った」のであって、実際に犬を飼うとなると、毎日、きっちりと世話できるかどうかとか、問題はあるのだけれども、飼えたらいいなあと「ふと思った」のだ・・・が、大阪府富田林市で「噛む犬」とかの「リハビリ」をやっている北村さんという男性が「ポチパパ」と称してYouTubeで「保護犬たちの楽園」https://www.youtube.com/channel/UC9zvmoZU_THNz6poFiukxcA というチャンネルを開いているのだが、そこで、北村さんが「犬というのは10年は生きますから、犬を飼うのなら、45歳までの人にしてください。それより年上の人は犬は飼わないでください」と話していたので、へえ~え、そういうことだと、俺はもう、犬すらも飼えないということか・・・と思った。「会社のためにい、会社のためにい」と滅私奉公を続けてきて、もう、働かなくていいという年齢になったとしたら、その時には、犬も飼えないということか。 『聖書』には、「ある者はさらに与えられ、持たぬ者はさらに奪い取られるであろう」と書かれた文句があったが、そんなものか・・・。

  母が90代まで生きてくれたおかげで知ったこともある。「犬というのは、買う時はそう高くなくても、病気になると治療するのに、新しい犬を買う値段より高い治療費が要る場合もあるけれども、冷蔵庫か洗濯機とか電気製品が故障した時に『修理代がそんなにかかるなら、新しいのを買った方がいい』と考えるみたいに、『そんなに治療費がかかるのなら、新しい犬を買った方が安いから、新しい犬を買った方がええ』というそういう発想をするのなら、犬は飼わない方がいいと思う」と、どういう話の中でだったか、一般論として話したところ、「うちのお父さんがそれや」と言うのだった。なるほど、あの柴犬は、そういう扱いを受けたということだったのか・・・。 もっとも、高齢のおばあさんの言うことを百パーセント信じていいのかどうかわからない。 母はうちの父親が生きている間は「夫に逆らえない女」だったが、うちの父親が他界すると、徐々にマインドコントロールがはずれていったのか、うちの父親が生きていた時には言わなかった(言えなかった?)ことを言うようになったが、今度は逆に、いったいどっちが本当・本物なんだ? ・・ということにもなってくる。 実際にどうだったのかはわからないが、うちの父親は、小学校1年の息子にでも、「4000円したって買ってあげます。このわしが買ってやると言うた以上は買ってやるがな」と言ってプラモデル屋に行くと「ふええ~え」「ぎょええ~え」「ひいええ~え」とやるおっさんだったから、柴犬が病気になったなら、その時もまた、「ふええ~え」「ひええ~え」「ぎょええ~え」とやったということは、可能性として考えられるし、「そんなに治療費がかかるのなら、新しい犬を買った方が安い」とか言いよった可能性も可能性として十分考えられる・・と思う。

  1980年代前半、大学生だった時に、2月、大阪の万博会場跡地のエキスポランドで、ジェットコースターのペンキ塗装の作業の「手伝い」のアルバイトをやった。今はなくなったエキスポランドは、毎年、2月が休園で、その間に、各施設のペンキ塗装などをやっていた。 ジェットコースターのペンキ塗装の作業の「手伝い」だったが、ジェットコースターの横には鉄の網になった「通路」が一応ついているのだが、ジェットコースターの乗客からの視界を妨げないようにその手すりは極めて低く、片側はレールでレールの下には電車の線路のような路盤はなく、足場用の丸太を本職のとび職は3本かついで登ったがアルバイトの人間は2本だったが、それでも、ジェットコースターの一番高い所まで丸太をかついで歩くのは本当に怖かった。 「世界の丹下健三」とかは奇妙な変わった建物を作りたがるが、その建物のメンテナンスや清掃は誰がやるのか? 丹下健三はまずやらない。 中学校しか出てないとび職のおっさんとか、アルバイトの大学生とかがやるのだろう。 そういう人間が落ちて死んでも「世界の丹下健三」は知ったことじゃない! というものなのだろう。だから、私は「世界的建築家」および””「世界的建築家」のエピゴウネンになりたいなりたいシンドローム”” の にーちゃんねーちゃんおっさんおばはん というのがあまり好きになれない。その無神経さ。一回、自分で丸太かついてジェットコースターの一番高い所まで登ってみろ。その場合の「ジェットコースター」というのはマザー牧場にあるような「昔ながらの」「子供向けの」ジェットコースターのことではなく、「最近型」「絶叫型」の心臓に悪いタイプの「ジェットコースター」のことである。 私が行った年にはジェットコースターの上から下に落下する人はなかったが、これは「聞いた話」だが、前年、ジェットコースターの一番高い所から落下した人があったそうで、死にはしなかったが半身不随になった・・・らしい。あくまで、「聞いた」話だけれども、 「世界の丹下健三」というのは、そういったことをちっとも考えないのではないか。そういうメンテナンスする人や清掃する人のことなんてちっとも考えないで変てこりんなもの作るの大好き人間症候群を「世界的建築家」とか言って””芸術家””扱いしている最近の「建築家」業界て、おかしくないか?
※ 《YouTube-This Ol' Hammer》https://www.youtube.com/watch?v=6WPW-92GSG0

  そして、↑ に写真を掲載した、マザー牧場のジェットコースターとか、ほかでは、浅草の花屋敷だったかにあるらしい「昔ながらのジェットコースター」「子供と親が楽しめるジェットコースター」と、「絶叫型ジェットコースター」とは、ジェットコースターと言っても、別の物だと思うのだ。 「昔ながらのジェットコースター」「子供が楽しめるジェットコースター」というのは、別に悪いとは思わないが、「絶叫型ジェットコースター」というのは、あれは野蛮だと思う。 野蛮で悪趣味だと思う。あんなものを喜ぶ人間というのは、文化的に質が低い人間だと思う。 なにより、その「絶叫型ジェットコースター」の一番高いところの作業がどれだけ怖いか・・ということを考えもしないで、それに乗って喜んでいる人間というものを、人間として高く評価したくない

  マザー牧場は、子供をつれてくると、いろいろな動物を身近に見ることができていいのではないかと思う。 但し、別料金がけっこう多いので、子供を連れてきて、別料金のものにひとつひとつ払っていくと、けっこうカネかかりそうな感じもする。

  君津パーキングエリア スマートインターチェンジに入るには、出る時よりも曲がる回数が少なく入ることができる。 入り口の道の脇で山羊を見た。 マザー牧場で山羊を見た直後だったが、スマートインターチェンジの近くの家で山羊を買っている家があったのだろう、と思う。

  「4000円したって、このわしが買ってやるといったん口にしたからには買ってあげますて」と言ってプラモデル屋に行くと「ふええ~え」「ぎょええ~え」「ひいえええ~え」と言い出したおっさん、うちの下の姉にこの話をしたところ、「あんた、なんか私とよく似た経験してるねえ~え」と言うのだった。 「4000円のゴジラ」が「お人形さん」に変わり、「200円のバルゴン」が「チョコレート」に変わっただけで、他はほとんど同じことを下の姉も経験したらしかった。 やっぱり、おっさんは「ふえええ~え」「ひええ~え」「ぎょええ~え」と言いよったらしい。そして、やっぱり、帰り道々、「よかったねえ、よかったねえ♪ よかった、よかった、よかったねえ♪」と言いまくりよったらしい。
   自分に子供ができたら、絶対にああいうことはやらないようにしよう・・・と思ったが、いつまで経っても子供ができないわ・・・。イタリア映画『恋愛マニュアル』で、小児科医が「人の子供ばっかり見ていたら、ふと気づくと自分に子供がなかった」と語る場面があったが、
イタリア的、恋愛マニュアル [DVD] - ジョヴァンニ・ヴェロネージ
イタリア的、恋愛マニュアル [DVD] - ジョヴァンニ・ヴェロネージ
住宅建築業の会社に勤めて、人の家ばっかり建てて、人の家庭の世話ばっかりして、人の子供の世話やって、そして、子供の世話がいつしかけっこううまくなって・・・、ふと気づくと自分に子供がなかった・・・。そして、「犬を飼うなら、45歳までの人にしてください。それより年上の人は犬は飼わないでください。もしくは、お子さんがあって、自分が亡くなっても子供が犬の世話をできる人が飼ってください」とポチパパに言われることになった。 犬って、そういう動物だったのか。 子供に恵まれた人間は飼えるが、子供に恵まれない人間は飼えない動物だったのか・・・。
  最近、ヤフーニュースを見ていたら、河川敷でパピヨンだかいう犬をリードをつけないで散歩させていた人がいて、「リードをつけろ」と言うとともに、その犬を蹴り飛ばした人がいて、蹴られた犬が死亡したという記事が出ていたが、結婚もできて子供にも恵まれた人間は犬も飼うことができるのに対して、そうでない者は犬も「飼わないでください」と言われるに至る・・となると、「なんじゃ、(子供だけで気がすまずに)犬まで飼いやがってからに」と思って、蹴り飛ばしてやりたい気持ちになる人の気持ちもわかる。

  今年も、あんまりいいことなさそうだ・・・。

   大学生の時、うちの父親が、「わし、あんたに大学の学費がいくらかかるとか、アパート代がかかるとか、そんなこと、今まで一切、口にしたことないやろ」などと言うのだったが、はあ? はあ~あ? と思ったものだった。あんた、「あんなけ出すのにどんなけきついかきついかきついかあ~あ♪ あーめん、そーめん、ほっかいど~お♪ あーめん、そーめん、ほっかいどお~お♪」と言いまくってきたし、まさに今も言ったばっかりじゃないか・・と思ったのだが、それで、「わし、あんたに大学の学費がいくらかかるとか、アパート代がかかるとか、そんなこと、今まで一切、口にしたことないやろ」とおっさんが言いよった時に、「さあ・・・」と口にしたところ、おっさんは、「わしは聖人であって、今まであんたに学費がどんなけかかるとか、アパート代がかかるとか、一切、口にしたことはないはずやのにからに、こいつ、そんなこともわからんのんか。これは絶対に病気やわ、これは病気。まちがいないわ、病気やわ。薬、いっぱい飲ませらんとあかんわ、これは」と言うのだった。「あーめん、そーめん、ほっかいどお~お♪ あーめん、そーめん、ほっかいどお~お♪ あんなけ出すのに、どんなけ、きついか、きついか、きついかあ~あ♪」と言いまくってきたおっさんが、「わしに感謝せえよお、わしに感謝♪ わしに感謝じゃ、わしに感謝あ~あ!!!」と言いまくってきたおっさんが、そういうことを言いよった。 そういうおっさんやった。
   私は、東大の試験に落ちてしまったが、ともかく国立大学でというくらいならどこか通る所はあったと思う。慶應は「国立大学よりは高いが私立大学の中では安い方」の学費の大学である。「私立大学の中では安い方」の大学の学費でも出したくない、国立大学の学費も出したくないということならば、せめて、高校1年の時にそれを言ってくれておれば、日本育英会奨学金はうちの父親の年収が日本育英会奨学金が規定する「親の年収」を上回っていたので受給できなかったが、たとえば、自治医大は卒業後に出身地の都道府県のへき地の診療所に何年か医師として勤務するという条件で学費はタダ・全寮制で寮費もタダという大学であり、防衛大学校は幹部自衛官を育成する学校で入学した時から公務員の扱いで、タダであるだけでなく給料をもらえるという「大学校」であり、防衛医科大学校は自衛隊の医官を育成する学校でこれも給料もらえる「大学校」であり、ほかにも気象大学校とか職業訓練大学校とか「大学校」があるが、これは調べていないが「大学」ではなく「大学校」になっているものはおそらく防衛大学校と同様に公務員扱いで給料もらえるというものではないかと思う。そういった所に行くという方法もある。もちろん、自治医大はけっこう難易度は高いし、防衛大・防衛医大も易しいわけではないが、又、私が高校を卒業した頃の自治医大の試験科目は数学・英語と物理と化学であり、私が行っていた北野高校は全科目型のカリキュラムの高校でそういう高校の卒業生は京大・阪大などの全科目型入試の大学に有利で、早稲田大理工学部・慶應大医学部など数学・英語と物理と化学といった試験科目の大学学部にはあまり有利ではない傾向があり、自治医大も早稲田大理工学部・慶應大医学部などと同じ試験科目であったので、全科目型高校出身者には有利でなかったと思うが、それでも高校1年の最初にでも、「うちは大学の学費と大学生の時の生活費は出したくない」と教えてくれれば、その前提で計画すれば合格できた可能性は十分あったはずだ。それを「できれば、国立大学に行ってほしいんやけど」と言い、「下宿して大学に行くのなら京都で下宿して京大に行くのも、東京で下宿して東大に行くのも一緒や」と言い「下宿は嫌やなどと甘ったれたことを言うておってはいかん」と言い、「東大に行くのに東京で下宿して行くのは行ったらいいし、慶應・早稲田でも下宿して行く価値はあるけれども、法政やたら専修やたらポン大やたら明治やたら東洋大やたら亜細亜大やたら拓殖やたら、そんなアホ大学に行くのに下宿してまで行く必要はあらへん。アホ大学に行くやつは地元のアホ大学に行けば十分や」と言っていた。私も同様に思い、早稲田だの慶應だのなんてそんなもの行くやつなんて大学行く必要ないと思っていた。その前提で考えていたら、高校3年の時、うちの母親が「こいつ、現役で大学に通ったら、うちのお父さんみたいに思いあがった人間になって女を泣かせよるから、こいつ、絶対に落してやらんといかん。落ちろ、こいつう~う!」とやりだしたのだった。父親ならば、母親に「そういうことはやめてやってくれないか」「俺が気にいらないなら俺に言ってくれないか。息子にあたるのはやめてくれないか」と話すべきではないかと思うが、そういう父親ではなかった。そして、高校卒業時に落ちてしまうと、「こいつ、現役で東大に通ったら思いあがった人間になって女を泣かすことになるから、こいつ、絶対に落したるう! 落ちろ、こいつう! 落ちろお~お! 絶対にこいつ、落してやるう~う!」と言って妨害を加えまくった母親は、「こいつが大学に通ったら離婚しようと思っていたのに、こいつのおかげで離婚できんようになった」と言い出し、父親は「そうじゃ。その通りじゃ。悪いのんは、すべてこいつや!!!」「こいつのおかげでえらいめに合わされた」と言って、離婚するとか言っていた話は「大団円」になった。「なんじゃ、そりぁ!」と思ったが、うちの親はそういう親だった。特にうちの父親はそういう男だった。そして、浪人したからには「こいつ、現役で東大に通ったら思いあがった人間になって女を泣かすことになるから、こいつ、絶対に落したるう! 落ちろ、こいつう! 落ちろお~お! 絶対にこいつ、落してやるう~う!」というのはなくなるかというと、そうではなく、その後も続いた。結局、2浪もしてしまってそれでも東大の試験に落ちて・・というよりも、実際のところ、種々様様な悪質な妨害を受けうちの親に落されて、慶應にともかく入学すると、今度は「あーめん、そーめん、ほっかいどお~お♪ あーめん、そーめん、ほっかいどお~お♪ あんなけ出すのに、どんなけ、きついか、きついか、きついかあ~あ♪」と言い出しよったのだ。「それじゃ、やめますわ。慶應みたいなもん、行きたいと思ったことなど一度もありませんし、行きたくありませんから、あんなもの。なんで、あんなもの、行かされなきゃならんのだ、あんなもの! 女たらしの大学に行きたいなどと思ったことは一度もありませんから。やめます」と言ったのだが、そうすると、「何を言うとるんじゃ、このチャンコロはあ! あんた、頭おかしいのとちゃうかあ」と言うのだった。「頭おかしい」のは、あんたと違うのか? と思ったが、少なくとも、私ならば、自分の嫁が「こいつ、現役で東大に通ったら思いあがった人間になって女を泣かすことになるから、こいつ、絶対に落したるう! 落ちろ、こいつう! 落ちろお~お! 絶対にこいつ、落してやるう~う!」と言って妨害を加えまくって、それが直接の原因であってもなくても、そういったことがあって息子が大学に落ちたなら、父親として「申し訳ない」の一言くらいは言うと思うが、私が父親でそういうことがあったら「申し訳ない」の一言くらい言うが、ところがうちのおっさんはそうではなく、「こいつが悪いんや。すべて悪いのんはこいつや」と言い、母親もそれに同調して、それで離婚するとか言っていた話は「解決」させたのだった。それで、離婚するとか言っていた話は「大団円」となり、「なかったこと」になった。「なんじゃ、そりぁ」て感じだったが、離婚するとか言っていた話を「解決」するための人身御供として私は使われたのだ。離婚を避ける方法として、そういうウルトラCがあったようだった。「なんじゃ、そりぁ」と思ったが、我が家はそういう「なんじゃ、そりぁ」ということがある家庭で、うちの父親というのはそういう男やった。「あーめん、そーめん、ほっかいどお~お♪ あーめん、そーめん、ほっかいどお~お♪ あんなけ出すのに、どんなけ、きついか、きついか、きついかあ~あ♪」と毎日毎日叫びまくった上で、「わし、あんたにわしが学費とか出してやってやってやったったことに感謝せえなんて、一言でも言うたことはないやろ。そのくらいのことはわかってもらわんといかん」と言うので、「はあ~あ???」と思ったものだったが、そういうおっさんやった・・。「わし、あんたにわしが学費とか出してやってやってやったったことに感謝せえなんて、一言でも言うたことはないのにからに、おまえは、そんなことすらもわからんカス人間なんか」と言うのだったが、そんなこと言われても、あんた、まさに今、言うたばっかりやろうが・・と思ったのだが、そういうおっさんやった。「わし、あんたにわしが学費とか出してやってやってやったったことに感謝せえなんて、一言でも言うたことはないのにからに、おまえは、そんなことすらもわからんカス人間なんか」と言われても、まさに今、言うたばっかりやろうがと思った。「おまえが産まれなければよかったのに産まれてきおったおかげで、おまえを育てるカネがかかってわしは迷惑しとるんじゃ、このチャンコロめが、よくも産まれやがってからに、このチャンコロ、ロスケ、イタコ!」と、あんた、毎日毎日、言うてきたやろうが、と思い、「おまえさえ産まれてこなかったら、優秀なT子さん(3人の兄弟の中でうちの父親のもっともお気に入りの姉)に家庭教師を全科目つけて毎日家庭教師に来てもらうようにすれば優秀なT子さんは絶対に奈良女子大に通ったのにからに、おまえが産まれたおかげで、T子さんは奈良女子大をおまえに落されたんじゃ。おまえがおらんかったらもっと応援してやることができて優秀なT子さんは奈良女子大に通ったのにからに、おまえにT子さんは落されたんじゃ、このチャンコロ浪商!!! わからんのか。おまえにT子さんを奈良女子大を落とされたおかげでわしは迷惑しとるんじゃ、わしは。おまえのおかげで、ほんまやったら奈良女子大に通ったT子さんやのに奈良女子大を落とされたんじゃ。よくも、T子さんを奈良女子大を落しやがったな、このチャンコロめが! 『T子さんを奈良女子大落して申し訳ございませんでした』と言うてわしに土下座して謝らんかあ! わしに『T子さんを奈良女子大落して申し訳ございませんでした』と言うて土下座して謝らんか、このチャンコロめがあ!!!」と毎日言ってきたはずなのにと思い(だいたい、T子さんが奈良女子大を受けて落ちた時、私は小学校1年だったわけで小学校1年の人間が何やったのかというと何もやってないはずだが、そいつがいた! というのがけしからんそうで、その小学校1年生がいたというおかげで「優秀なT子さん」は落ちたそうだ)、「さああ?・・・」と言うと、「わからんのか、こいつはあ。こいつ、これは間違いなく病気やわ、これは。わしは今までこいつに出した学費やら何やらについて、わしに感謝せえとかそういったことを言うたことは一切ない人間で、わしはキリストで聖人で聖徳太子やのにからに、こんなこと言いよるというのは、これは、間違いなくこいつは病気やわ。薬では治らんで、これは。電気ショックとかロボトミーとかやって、こいつにこういう口をきけんようにしてやるべきや、こいつ。ロボトミーやったるべきや、ロボトミー! 電気ショックやったるべきや、電気ショック! 電気ショック♪ 」と言いまくるのだった。そういうおっさんやった。
  今年は、その「牛の歌」の年である。 「あーめん、そーめん、ほっかいどお~お♪ あれだけ、出すのに、どんなけきついか、きついか、きついかあ~あ♪」という「牛の歌」の年である。〔⇒《YouTube-ヤーレンソーラン北海道》https://www.youtube.com/watch?v=TBLQUhY9s44 〕
  (2021.1.1. あけおめの日。)
アメリカは歌う。――歌に秘められた、アメリカの謎 - 東理夫
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好き? 好き? 大好き?―対話と詩のあそび - R・D・レイン, 村上 光彦
好き? 好き? 大好き?―対話と詩のあそび - R・D・レイン, 村上 光彦
《 きみの困ったところは
  ねじが1本抜けちまっていることさ

  お気の毒ながらそれがきみなんでね
  だが手の打ちようがなにもありやせんで

  いなくなってどうということもなかろうし
  取り替え用の部品もないことだし

  大騒ぎするんじゃないよ
  ただ言いなよ さよならを

  きみを助けられなくて気の毒だがね
  きみを作り直すとなると費用がかかりすぎるんで

  きみは廃棄されなくてはならない
  叩き毀されるために出頭せい 》
( ロナルド=レイン『好き? 好き? 大好き?(Do You Love Me?)』村上光彦訳。1978.2.25.みすず書房 ↑)

《 この錠剤をのみたまえ
  叫ばないですむようにしてくれるよ
  そいつはいのちを奪い去ってくれるよ
  いのちがなければ きみはもっと楽な身になるさ 》
( ロナルド=レイン『好き? 好き? 大好き?』村上光彦訳。1978.2.25.みすず書房 ↑) 

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