真宗本廟(東本願寺)参拝【2/4】阿弥陀堂門・阿弥陀堂、御影堂門・御影堂、鐘楼、手水屋形。正門はどちらか・・。裏口入学する者は正規に入試に合格しようとする者を妨げる。

[第800回]
  (真宗大谷派本山)真宗本廟〔東本願寺〕は、(浄土真宗本願寺派本山)本願寺〔西本願寺〕と同じく、東側から入って西側にお堂があって、人が西に向かって参拝するように配置されていますが、本願寺(西本願寺)の場合は、西に向いて左側に御影堂、右側に阿弥陀堂があるのに対し、真宗本廟(東本願寺)では逆で、左側に阿弥陀堂、右側に御影堂があります。
   本願寺(西本願寺)でも、御影堂の前に御影堂門、阿弥陀堂の前に阿弥陀堂門があって、真宗本廟(東本願寺)でも同様に、阿弥陀堂の前に阿弥陀堂門、御影堂の前に御影堂門があるのですが、真宗本廟(東本願寺)の場合、御影堂門がでっかいのです。 どんな感じかというと、
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 ↑ 阿弥陀堂門
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 ↑ 御影堂門
  阿弥陀堂門もなかなかのものですが、大きさからすると御影堂門の方が明らかにでっかい。
  阿弥陀堂門を入った正面に阿弥陀堂、御影堂を入った正面に御影堂があるのですが、阿弥陀堂はその名前の通り、阿弥陀如来を祀るお堂で、御影堂は親鸞を祀るお堂ですから、どちらが本堂かといえば、阿弥陀堂の方が本堂であろうと思うのですが、お堂の方も御影堂の方がでっかい。
  さて、まず、大きな問題は、阿弥陀堂門の方から入るべきか、御影堂門の方から入るべきか。
  私は、この世の中で何が嫌いかというて、裏口入学ほど嫌いなものはおまへん。 裏口入学は人間のすることやない。 1970年代後半、私が浪人中のことだが、うちの父親の「親友」で「医者屋の民族」で「ドイツ人の民族」らしいM川という男(当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住。勤務先も豊中市。)が、「わしなんかは思考が柔軟なもんじゃから、うちの息子は関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させたんじゃ。そのあたりが、わしがきみとはちごうて思考が柔軟なところなんじゃ。どうか、わかったかあ!」とか言って自慢しおった。 なんで、「思考が柔軟」ならば、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯め込んだ汚れたカネで、私立金権関西医大などというどこの馬の骨かわからん私立医大に、裏口入学なんて汚らわしいもんをせんといかんのですかいのお???  そんなに「思考が柔軟」ならば、その「柔軟な思考力」を活かして、狂徒大学医学部でも頭狂大学理科三類でも、さっさと実力で現役で合格して行けばええのと違いますのんかいねえ??? ・・・と思ったのだが、それを言うと、「そのあたりが、きみの思考が堅い所なんじゃい。わしは思考が柔軟なもんやから、そやから、息子は関西医大裏口入学なんじゃ。わかったかあ!」と何度も何度も言うておった。
  それを言われて、うちの父親は「そうです、そうです。先生のおっしゃる通りです」と言い、私に「先生のおっしゃる通りや。そのあたりがおまえは思考が堅いんじゃ。おまえは思考が柔軟やないから、先生のおっしゃることが理解できんのじゃあ。思考が柔軟な人間なら、先生のおっしゃることが理解できるはずや。先生は思考が柔軟なもんやから、そやから、息子さんは関西医大に裏口入学をされたんや。おまえは思考が堅いから高校も公立の北野高校に行ったんじゃ。その点、M川先生の息子さんは高校も、わたくし立やぞお。わかっとんのか、おまえは!!! 裏口入学した人の爪の垢を飲みなさい」と何度も何度も言ったものだった。 「なんで、裏口入学した人がえらいんですかあ?」と言ったのだが、「わからんかあ? おまえは、そんなこともわからんのか!」とうちの父親が言うのでしたが、考えても考えてもわかりませんでした。 M川の息子が、M川が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯めたカネで私立金権関西医大に裏口入学したというのは、それは、結論として、「思考が柔軟なもんじゃから」・・・ではなく、結論として、ズバリ、「できが悪いから」、および、「勉強しよれへんかったから」であり、父親が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りしてカネを稼ぐというそういう男なものだから、「親の因果が子に報いた」結果として、裏口入学せんと大学に行けない息子になった、「親の因果が子に報いた結果」であった、ということであろう。それを「医者屋民族の用語」で表現すると、「なにしろ、思考が柔軟なもんじゃからなあ」という文章になるようだった。
  うちの父親から、「おまえは思考が堅いから、そやから、M川先生の息子さんが思考が柔軟なもんやから関西医大に裏口入学されたということがわからんのじゃ。よく反省しなさい、チャンコロ!」・・と、毎日毎日、耳鳴りがするほど言われ続けてきた。「裏口入学した人の爪の垢を飲みなさい」と、毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきた。それで、裏口入学なんて、私がやる可能性があったかというと、うちの親には裏口入学なんてそんなものをやるようなカネもコネもなかったし、何より才覚がなかったし、私はそんなものをしなくても大学に行けたので、裏口入学なんてやって大学に入学する可能性はなかったが、そうすると、「そのあたりが、きみの思考が堅いということを表しとるんじゃ。わからんか!」とM川にどやされるのであった。 ・・それ以来、もともと、裏口入学なんて嫌いだったが、それ以上に嫌いになった。裏口入学する人間・裏口入学させる人間というのは、自分が裏口で大学に入るだけではなく、正規の入試を経て入学しようとする人間の足を必死で引っ張ります。 その点で、裏口入学する人間・裏口入学させる人間というのは「反社会的勢力」と言えます。
  M川は「東大に行った人間が優秀とは限らんじゃろ」とか言うのですが、その点については私もそう思いますが、しかし、だからと言って、私立金権医学部に裏口入学した人間が優秀なのか? ・・・というと、違うと思うぞ。「ち~が~う~だ~ろ!!!」てものです。
  だから、寺でも神社でも、2回目以降の訪問では、どこから入ってもいいが、「初回の訪問は正門から入る」というのが私にとってのポリシーです。 真宗本廟(東本願寺)は、私が小学校高学年の時に、京阪バスの観光バスで一度来たことがあったはずですが、どうも、その時の記憶と印象がずいぶんと違いますし、又、観光バスで来た場合と、自分自身の足で最寄駅から歩いて行くのとでは印象がずいぶんと違うということもあります。自分自身の足で最寄駅から歩いて行くのは今回が初めてということを考えると、やはり、最初に境内に入る時には正門から入りたいものです。
  ・・・それで、真宗本廟(東本願寺)では、阿弥陀堂門と御影堂門では、どっちが正門なのか? ・・・?

  東大の本郷キャンパスの赤門と正門では、どっちが正門なのか? 赤門というと「元加賀前田家の赤門」であり、「おそれ多くも国の重要文化財に指定されている赤門」ですが〔⇒東京大学HP 「国の重要文化財指定」https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/campus-guide/b07_04_a.html 〕、正門の方は「建築家 伊藤忠太設計による」というフレーズがつくブランド門(ブランドも~ん♪)でもあるのです。 なんだかんだ言っても、「赤門」は東大の本郷を象徴する建築ですし、三四郎池とともに史跡ですから、赤門 対 正門 では、赤門の勝ち・・て感じがするのですが、正門の方が、名前からして正門ですから、正門が正門・・・というよりも、内部の建物の配置を考えると、正門を入って直進した所に安田講堂、「国の登録有形文化財に指定されている」、東大闘争の時に安田講堂にたてこもった人たちがいたという安田講堂が正門を入った突き当りにあり、内部の通路を見ると、正門が正門だということで配置されていますから、だから、「建築家 伊藤忠太設計の」の正門が正門のようです。〔⇒東京大学HP 「本郷キャンパス キャンパスマップ」https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/campus-guide/map01_01.html 〕 もっとも、だから、赤門から入ると裏口入学か? ・・・というと、そうでもないとは思うのです。たいていの人間は、最初に東大の本郷に行くと、赤門の方が有名ですから、赤門の方に行くと思うのです。
  私立金権 関西医大に入るのに「正門」から入ったとすると、それで正規入学かというと、ああいう私立金権医大というのは「全体が裏口入学みたいなもの」らしい。寄付金を払わない限り、その私立医大の受験生の中では少々いい成績を入学試験で取っても、未来永劫、通らないらしい。だから、ああいう私立医大の場合は「裏口が普通」ということのようだ。私ら庶民、もしくは、無産市民とは感覚が違います。実際の建築としての門をどこから入るかの問題ではなく、私立金権医大なんてのはどこから入っても「裏口」みたいなもので、東大は赤門から入っても正門から入っても、ポポロ事件などで知られる本富士署の近くのなんとか門から入っても、裏口てことはないでしょう。
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  真宗本廟(東本願寺)ではどうか?
  阿弥陀堂の方が御影堂よりも建物の大きさは小さいとはいえ、たとえ、宗祖親鸞とはいえ、阿弥陀如来の方が本尊のはずですから、阿弥陀堂の方が本堂と考え、阿弥陀堂門の方が、たとえ小さくとも「正門のようなもの」と仮定し、今回は阿弥陀堂門から入らせてもらいました。
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↑ 阿弥陀堂門から見た 阿弥陀堂です。
私、けっこう、こういう「額縁撮り」好きです。阿弥陀堂の方は、門を額縁にした「額縁撮り」をしなくとも、全体を撮影することはできましたが、↓
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「額縁撮り」もまた悪くないと思っています。

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↑ こちらが、御影堂門から見た 御影堂です。

  阿弥陀堂門をくぐって入った左側に、鐘楼があります。↓
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  阿弥陀堂と御影堂では御影堂の方がでっかいのですが、阿弥陀堂だけを見ると、阿弥陀堂もけっこう大きい。 この2つの外観の違いというと、まず、屋根が一重の建物が阿弥陀堂で、屋根が二重になっているのが御影堂です。
  門の方は、でっかいのが御影堂門ですが、大きさだけではなく、屋根材が瓦屋根なのが御影堂門で、阿弥陀堂門は茅葺なのか、ともかく、草系統の屋根です。御影堂門には「真宗本廟」と書かれた額が掲げられています。↓
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  手水舎は、阿弥陀堂の前にあるのか、御影堂の前にあるのか・・・と思って見ると、
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↑ 手水舎(手水屋形)は阿弥陀堂と御影堂の中間くらいの位置にありました。現在、コロナウイルスの問題から、柄杓(ひしゃく)は撤去されていました。なるほど、それはやむをえないことでしょう。

  『仏教新発見21 西本願寺 東本願寺』(「週刊 仏教新発見」2007年11月11日号。2007.11.11.朝日新聞社)に掲載の本願寺(西本願寺)と真宗本廟(東本願寺)の境内地図を見ると、本願寺(西本願寺)では、
黒書院・北能舞台・書院・唐門と飛雲閣 が、国宝、
阿弥陀堂(総御堂)・御影堂・鐘楼・南能舞台・虎の間・浪の間・太鼓の間・黄鶴台(浴室)が、重要文化財の指定を受けていますが、
真宗本廟(東本願寺)では、建築で国宝・重要文化財の指定を受けているものはないように記載されていましたが、『仏教新発見21 西本願寺 東本願寺』が発行された2007年11月においては、国宝・重要文化財指定の建築はなかったけれども、「真宗大谷派 東本願寺」HP の「東本願寺の見どころ」https://www.higashihonganji.or.jp/about/midokoro/ を見ると、《 2019年に、境内にある「御影堂」「阿弥陀堂」「御影堂門」「阿弥陀堂門」「鐘楼」「手水屋形」の6棟が重要文化財に指定されました。》ということです。
(1)御影堂 ↓
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(2)阿弥陀堂 ↓
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(3)御影堂門 ↓
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(4)阿弥陀堂門 ↓
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(5)鐘楼 ↓
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(6)手水屋形 ↓
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・・の6点が、国の重要文化財に指定された、というようです。

  『仏教新発見21 西本願寺 東本願寺』(「週刊 仏教新発見」2007年11月11日号。2007.11.11.朝日新聞社)を見ると、
《 東本願寺(ひがしほんがんじ) 真宗大谷派本山。 真宗本廟。 通称「東本願寺」「お東(ひがし)」。・・・》と書かれているのですが、「真宗本廟」が正式名称とはいえ、多くの人間は「東本願寺」と呼んでおり、「真宗本廟」という本名を知らない人の方が多いのではないか・・・と思ったのですが、御影堂門には「真宗本廟」と書かれた額が掲げられており、又、阿弥陀堂門・御影堂門の前には、
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《「不安や苦悩や悲しみは
私を育ててくださる御縁です」
    真宗本廟(東本願寺)》
( 右側の建物は、阿弥陀堂門。)
・・・と、「真宗本廟」と記載されています。
  「不安や苦悩や悲しみは私を育ててくださる御縁です」という考え方は・・・、それが間違いとは言いません。間違いとは言いませんが、特にそう言われなくても若い頃はそう思うことができたのですが、しかし、そう思えない年齢になってきてしまいました。

  御影堂門の前から京都駅の方を見ると、↓
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↑ 正面に京都駅。その右に京都タワー。 かつては、京都駅は場所は今と同じでもこれほど大きい建物ではなかった。
こうやって見ると、京都駅の建物の中央にぽっかりと穴があけられていて向うが穴から見えるのがわかります。


  次回、境内から、阿弥陀堂門・阿弥陀堂、御影堂門・御影堂など。

  (2020.10.22.)


  お寺では、最も主要なお堂を「本堂」と言いますね。そうすると、真宗本廟では阿弥陀堂と御影堂ではどちらが「本堂」なのだろうか・・なんて考えるのです。真宗本廟(東本願寺)と本願寺(西本願寺)はいずれも阿弥陀堂と御影堂が左右に並んでいるのですが、真宗本廟(東本願寺)では、門をくぐって入ってお堂に向かって、阿弥陀堂が西(南)で御影堂が右(北)にあるのに対して、本願寺(西本願寺)では御影堂が左(南)で阿弥陀堂が右(北)にあるという違いはありますが、どちらも阿弥陀堂と御影堂が左右に並んでいて、どちらも御影堂の方が大きい。
  阿弥陀堂で祀られているのは、真宗本廟では阿弥陀如来が中央で、左に法然(源空)・源信(恵心僧都)とあと2人、右に聖徳太子と龍樹(ナーガルジュナ)とあと2人。(すいません、「あと2人」て失礼でしょうけれども、よく知らん人です。) 御影堂は中央に親鸞、右に蓮如と『教行信証』、左には歴代門主。もっとも、御影堂ではあくまでも親鸞の「御影」が掲げられているのであって、阿弥陀如来を別にすれば「祀られている」と表現するのが適切ではないのかもしれません。
  奈良仏教とか真言宗とかのお寺に行きますと、金堂・講堂・食堂(じきどう)というお堂があって、どう違うかというと、金堂は「仏様がおられる所」で講堂は「人間がいる所」。講堂は人がそこで仏教について学ぶ所ということでしょう。食堂(じきどう)は言葉の通り、もともとは食堂(しょくどう)であって、食事する所であったけれども、今、お寺に行ってみると、金堂も講堂も食堂(じきどう)も、仏像がいっぱいで、どこもが金堂みたいな感じ・・であることが多いと思います。しかし、本来の言葉の意味からすると、金堂が「仏様がおられる所」で講堂は「人間が仏教を学ぶ所」という意味のはずです。ですから、大きさとしては、講堂が一番大きいというお寺はありますね。人がいっぱい入る必要があるお堂が必要に応じて広い面積を確保して作られているわけです。
  日蓮宗のお寺に行くと、日蓮の像が矢鱈とでっかくて存在感があり、祖師堂が本堂と同じかそれ以上に大きい場合がありますが、浄土真宗では「御影堂」が大きくても意味は違うはずです。
  最初、阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂と親鸞の御影を掲げる御影堂とで、御影堂の方が大きいというのは、それはいいのだろうか・・なんて考えたのです。「弥陀の本願」によって救われるのであり、「我が弟子、ひとの弟子という争論のさふらふらんこと、もてのほかの子細なり」という浄土真宗ですから、親鸞よりも阿弥陀如来の方が大事ではないのか・・と。
  神社では、御本社と摂社・末社では、御本社の方が社殿は大きいし、摂社・末社でも大きい社殿の摂社・末社の方がその神社においては優先的位置づけにあるのではないでしょうか。 しかし、神社とお寺では意味は違う。神社の場合、本殿に神さまがおられるという考え方ですから、御本社と摂社・末社とでは御本社の方が本殿が大きいのが自然ですし、摂社・末社では大きい社殿の摂社・末社の方が優先的位置づけと考えていいと思うのですが、お寺の場合は、お堂の中に人が入るわけですから、より大人数が入ることが想定されるお堂の方が広く大きく作るということがあるのではないか。 神社ですと、拝殿と本殿では、拝殿は人がそこで参拝する場所、本殿は神様がおられる所で、拝殿の建物の方が大きいことがありますが、拝殿の方が何人もの人がそこに来るから広くて大きいということがあるのではないか。お寺の場合、お堂が2つ以上ある場合、より大人数が入るお堂の方が広くて大きいということがあるかもしれない。
  そして、本多彰『歎異抄入門』(1964.7.1.光文社カッパブックス)に書かれていたことを思い出したのです。親鸞てすごい人だなあと、ここに書かれていたことを読んで思ったのです。
《 如来は、色も形も持たぬ真理であり、光明なのだから、その像を刻もうとしても刻みようがない。 それだから、親鸞は仏像を作ったり、その仏像をおさめる寺院を造ることは、弥陀の本願にはない行ないであって、念仏の行者は、これを企ててはならない、と戒めている(『改邪抄』第九章)。 そこで、彼の在世中は、直弟子たちは寺を建てることはしなかった。ただ、おたがいに法話をしたり念仏をとなえたりするための道場の建築は、親鸞もこれを認め、しかし、それは、ふつうの住家と少し区別して「小棟(こむね)をあげて作るように。」と言っている
  いちばんたいせつなことは、親鸞の教えが現世のためのものであったということだが、それはあとでのべるとして、いま言った仏像を刻まないということと、寺院を建てないということとの二つから言っても、彼の宗教が葬式仏教でなかったことは明白だが、さらにもう二つの証拠をあげたら、いくら意地悪の人でも、親鸞教を葬式仏教と呼ぶことはできなくなるであろう。その二つとは、親鸞が読経(どきょう)を廃したことと、葬式を禁じたこととである。まさかと考えられる読者もあろうから証拠をお見せしよう。
  親鸞が読経を廃したことは、彼の妻 恵心尼(えしんに)の手紙に書かれている。それによると親鸞は寛喜(かんき)3年4月4日の午(うま)の刻から風邪の気味であったが、その夕方から急に重体になった。しかし、腰や膝をさすらせるでもなく看病の人も寄せつけず、ただ一人ふせっていた。恵信尼が手で彼の体をさぐると熱いこと火のごとく、頭の痛みもひどいようであった。寝ついて四日めの明け方に「さあ、もうよかろう。」と親鸞が言うので、恵信尼が「うわごとをおっしゃっているのかしら。」と言うと、「いや、うわごとではない。寝込んで二日めから無量寿経(むりょうじゅきょう)を始終読んでいて、目をふさぐと、経文が一字残らず、はっきりとまのあたりに見えるのだ。はて、合点がいかぬこと、念仏の信心よりほかには何事も心にかからぬはずなのにと、つくづく考えてみると、この十七、八年もむかし、衆生利益(しゅうじょうりやく)のためと考えて、いっしょうけんめいに三部経を千べん読むつもりで始めたけれども、途中で、これは何ごとであるか、みずから信じた人にも教え信じさせること(自信教人信)こそは仏の恩に報いることだと信じている身が、念仏の他に、何の不足があって経を読もうとしたのか、と思いかえして、その後は読まなかったが、それでもまだ心に少し残っていたものか、人間の執心、自力の信は、よくよく気をつけねばならぬと思ってからは、夢の中で経を読むことも止んだ(やんだ)ようである。さて寝てから四日めの明け方なので『さあ、もうよかろう。』と言ったのだった。」と語った。そうしてやがて汗が出て、彼は全快した。
  この手紙は後にもう一度思い出していただかなければならぬものをふくんでいるが、今はそれはおくとして、ここでは親鸞がはっきりとした理由をあげて読経をやめた事実にだけ注目していただくことにしよう。親鸞の教えは、弥陀の本願を信じて、念仏を唱える、ということにつきるのであって、読経は必要ではない。三部経(無量寿経はその一部)は彼の教えの典拠であるから、それを読むことは禁ずべきことではないが、念仏だけでたくさんである
  仏像を作ることもお寺を建てることもお経を読むことも、みんな必要ではない。念仏ひとつでことたりる。だのに、念仏の真義もわきまえず、ただ習慣的に念仏を口ずさみ、広壮な寺院を建て、金ぴかの仏像を造って、そのまえで長々と読経し、それによって死者を極楽に送りこもうとすることが、どんなに親鸞の教えから遠いか、ということは、もうよくおわかりであろう。 》
と出ていたのだ。
歎異抄入門―この乱世を生き抜くための知恵 (カッパ・ブックス) - 本多 顕彰
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  浄土真宗の寺では、その寺にもよるけれども、「御朱印」はないという寺があり、真宗本廟(東本願寺)でも本願寺(西本願寺)でも「御朱印」はないらしいが、それは、「御朱印」というのは、本来、お寺に「納経」をして、それに対してお寺が受け付けましたということで「御朱印」を押すというものだから、《 親鸞の教えは、弥陀の本願を信じて、念仏を唱える、ということにつきるのであって、読経は必要ではない 》とする浄土真宗では「納経」という考え方もないので、それに対して「御朱印」を交付することもない・・ということではないか。もっとも、「納経」という行為はない神社でも「御朱印」というのか神社によっては「御神印」と言っているようだが、交付している神社がいくらでもあるわけで、そう難しく考えなくても、お寺に参拝した者が参拝したということで何か持ち帰りたいということで「御朱印」をいただいて帰ってもそう悪いことでもないと考える考え方もあるのではないかとも思うし、浄土真宗の寺でも、神社でも「御朱印」を交付していることだしそう難しく考えなくてもいいのではないかと考えて「御朱印」を用意している寺もあるのではないかと思うが、真宗本廟(東本願寺)や本願寺(西本願寺)では、おそらく、この理由で「御朱印」はないようだ。
  そして、考えてみると、真宗本廟(東本願寺)にしても、本願寺(西本願寺)にしても、本山にしては仏像が少ないように思ったのだが、それも、《 如来は、色も形も持たぬ真理であり、光明なのだから、その像を刻もうとしても刻みようがない。 それだから、親鸞は仏像を作ったり、その仏像をおさめる寺院を造ることは、弥陀の本願にはない行ないであって、念仏の行者は、これを企ててはならない、と戒めている 》ということを読むと、なるほど、そういうことかとわかる。それから考えると、阿弥陀堂というお堂をあまりにも大きく作って阿弥陀如来の仏像を刻んで配置するというのは浄土真宗の考え方に沿わない、ということか。
  《 彼の在世中は、直弟子たちは寺を建てることはしなかった。ただ、おたがいに法話をしたり念仏をとなえたりするための道場の建築は、親鸞もこれを認め、しかし、それは、ふつうの住家と少し区別して「小棟(こむね)をあげて作るように。」と言っている 》という点から考えると、《おたがいに法話をしたり念仏をとなえたりするための道場の建築》として御影堂を設けるのは親鸞も認めたことであったと考えると、門徒が集う場所としての御影堂が大きくても、何らおかしなことではない・・ということだったのか。
  そう言われてみると、御影堂では正面中央に親鸞、右に蓮如、左に歴代門主であり、御影堂は《おたがいに法話をしたり念仏をとなえたりするための道場》なのだと考えるならば、なるほどそういうことか・・とも思えてくる。
  この考え方が最適なのかどうかわからないが、こう考えると、阿弥陀堂と御影堂では御影堂の方が広くて大きいとしてもおかしなことではなく、別に親鸞を阿弥陀如来よりも優先的な立場につけたわけでもなく、阿弥陀堂と御影堂はどっちが本堂というものでもなく、もとより、浄土真宗の寺は《 金ぴかの仏像を造って 》というものではなく、御影堂が《おたがいに法話をしたり念仏をとなえたりするための道場》なのだと考えるならば、阿弥陀堂門と御影堂門も、阿弥陀堂の前の門が阿弥陀堂門で御影堂の前の門が御影堂門であって、どちらが正門というものでもない・・と考えて良さそうだ。 ・・仏教でも宗派によってずいぶんと違いがあるようだ。
  (2020.11.5.)

1.京都駅から北に歩けば、真宗本廟(東本願寺)。京都駅から程よい距離。東本願寺の前の道はトラックの休憩所ではない。使用者はトラック運転手の休憩場所・待機場所をきっちりと確保せよ。https://shinkahousinght.at.webry.info/202010/article_7.html
2.阿弥陀堂門・阿弥陀堂、御影堂門・御影堂、鐘楼、手水屋形。正門はどちらか・・。裏口入学する者は正規に入試に合格しようとする者を妨げる。〔今回〕 
3.境内から阿弥陀堂門・阿弥陀堂、御影堂門・御影堂。「法話」。「しんらん交流センター」。https://shinkahousinght.at.webry.info/202010/article_9.html
4.大寝殿・菊門・玄関門。「ギャラリー」。 街の景観との調和は悪くはないが、交番は交番とわかりやすい意匠にする必要はないか。https://shinkahousinght.at.webry.info/202010/article_10.html 

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