熊谷俊人氏に千葉県知事になってもらいたくない理由。「信教の自由」を侵害する団体に顔を出す男に投票はできない。

[第798回]
  「千葉日報」2020.9.20.<朝刊>の1面に、
 《 来年(2021年)4月の任期満了に伴う千葉県知事選に、千葉市長の熊谷俊人氏(42)が出馬する意向を固めたことが19日、関係者への取材で分かった。熊谷氏は同日、記者団の取材に応じ「自分の思いは固まりつつある。知事選に期待を頂いている方々と意見交換をしているのは事実」と述べ、出馬への意欲をにじませた。一方、現職の森田健作知事(70)を支援してきた自民党県連幹部陣は同日、森田氏の4選不出馬を見越して鈴木大地スポーツ庁長官の擁立を進める意向を強調。「ポスト森田」を巡る動きが風雲急を告げる。・・》
と、来年2021年4月、森田健作千葉県知事の任期満了に伴う千葉県知事選に、「千葉市長なのに熊谷とはこれいかに・・・、船橋市長なのに松戸と言うが如し・・・、船橋選挙区なのに野田と言うが如し・・」の千葉市長の熊谷俊人氏が出馬する・・という記事が出ていた。↓
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↑  この新聞記事は9月20日のもので、もっと早くにこの稿を公開したかったのだが、他にも公開したいものがあり、今に至った。
《ウィキペディアー熊谷俊人》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E4%BF%8A%E4%BA%BA によると、
(1) 熊谷俊人氏は「くまがい としひと」と読むそうで、千葉市長だけれども千葉市生まれではなく、埼玉県熊谷市生まれでもなく、奈良県天理市生まれらしい。
(2) 早稲田大学政治経済学部経済学科卒で、
(3) 現在42歳で、2009年6月の市長選挙で当選して千葉市長になったが、31歳5か月と、ずいぶんと若い年齢での市長就任だった。最初に出た選挙は千葉県市会議員らしく、2007年、千葉市会議員選挙で稲毛選挙区から出て当選したらしい。29歳での市会議員当選だったようだ。
(4) ずいぶんと若い年齢で市会議員になり市長になっているが、ウィキペディアを見る限り、国会議員の息子とかではないらしい。
(5) イメージとしては、自民党か維新の会か希望の党か・・というイメージなのだが、千葉市会議員には民主党から当選したらしく、千葉市長選挙には、《民主党・市民ネットワーク千葉県・新社会党の推薦を得て立候補》して当選したらしい。
  ふと気づくと、私が高校を卒業した後で産まれた男が、県庁所在地の市の市長になったのか・・と思ったら、今度は県知事の選挙に出ると言っているらしい。ずいぶんと若いが、若いからだめということはないが、同時に、若いからいいということもない。 小泉純一郎が「刺客」とか言って女性候補者を大量に選挙に出した時、田中真紀子さんが「なんで、女ばっかり出すのでしょうねえ。男でも女でも優秀な人が出ればいいのと違うのですか。まったく、小泉さんも山拓と一緒で女好きですねえ」と発言したが、たしかに、「男でも女でも優秀な人が出ればいい」のであり、女性が選挙に出て悪いことはないが、「女でも出しておけばいいだろう」みたいに女性が大量に選挙に出るというのがいいとは思わない。 同様に、「若手」とか「最年少」とかを「売り」にする人がいるが、そういうのも、あまりいいとは思わない。「男でも女でも優秀な人が出ればいい」のと同様に、若手でも年配の人間でも優秀な人が出ればいいのだ。

   若いということは、それ自体、いいということでも悪いということでもない。それはかまわないのだが、私が熊谷俊人氏に千葉県知事になってもらいたくない理由が1つある。
   彼は早稲田大学卒だということだが、早稲田大学は私が高校を卒業した頃は、政治経済学部・法学部・商学部・第一文学部(現 文学部)・教育学部は、英語と国語と社会科1科目で受けることができ、理工学部は英語と数学と物理と化学で受けることができる、東大・京大など旧帝大系国立大学とは異なり、少ない試験科目で受けることができる大学だったが、人によって考え方は違うかもしれないが、高校卒業する頃の私の印象としては、「なんだか、精神的にカタワみたいな大学」という印象があった。但し、物は考えようで、高校時代に専門と関係のない科目に力を入れて学習するよりも、少ない科目に集中した方がいいという人もおり、いちがいにどちらがいいとは言えないのかもしれない。 慶應大は「数学が試験科目にある大学」で「法学部以外は国語が試験科目にない大学」だったが、経済学部・商学部などは国語・社会科よりも数学が必要な学部ではないかという視点からいくと慶應大の試験科目の方が適しているようにも思えたが、片方で、最近も慶應大の広告研究会のアホが女子学生を輪姦したという事件があったが、そのあたりについては、ひとつには「国語が試験科目にない」ということにも原因があるのではないのか、と私は感じた。私が慶應大学に入学した時の試験科目では、法学部以外の学部では国語は試験科目にはなく、私の印象として慶應は「ブタ商人の大学」という印象があったのだが、その犯人どもが入学した時の試験科目がどうだったのかはわからない。私は自分が大学に進学する頃、および、その後しばらく、大学は少ない科目だけしか入試にない大学よりも、広い範囲について高校までは学んできた者が大学で専門科目を学ぶという方が良いと思っていたので、試験科目が多い旧帝大系国立大学の方がいいのではないか、と思っていたのだが、卒業して出会う人を見ると、実際、あまり関係ないのかもしれない・・と思うようになった。早稲田大学の人には、早稲田大学は東大の次の大学だと思っている人がいるらしいが、関西の人間は、「早稲田みたいなもん」、関関同立と同程度か、もしかすると、関関同立よりちょっとだけ上かもしれん・・くらいにしか思っていない・・と言われるが、私は関西人なので、後者の感覚があったが、まあ、そのあたりはどうでもいい。たとえ、底辺の大学しか出ていない人でも、高卒の人でも、市長や知事としていい成果を出してくれそうな人なら、なって悪いことはない。
   私が、熊谷俊人氏に千葉県知事になってもらいたくないと思う理由は1つ。 2010年、彼が、倫理研究所(=倫理法人会)の集会に出席した、という点である。 私はそれを聞いて、前日だったか前々日だったか、千葉市役所に電話を入れて、そのような「反社会的勢力」の会合に市長が出席するのは、やめてもらいたい、とお願いした。 後援会の会員とかそういう人間でも何でもない、又、その当時、千葉市内の会社に勤務していたとはいえ、千葉県民だが千葉市民ではない者が言うことに対しても、秘書だという方が電話に出られて、丁重に応対された、という点は評価したいが、しかし、私がその団体は反社会的な団体であるから、市長が集会に参加するのはやめていただきたい、と言ったのだが、しばらく待ってくださいと言われ、少々、時間を空けた後、「特に問題がある団体とは思えませんので」ということで、市長が参加するのはやめていただきたいという私の願いは拒絶された。 この点で、私は熊谷俊人氏を評価できないのである。

  評価できないのは、「反社会的勢力」の集会に参加したことであるが、それとともに、倫理研究所(=倫理法人会)が反社会的だということを認識できない・・という点で、早稲田大学という大学を「一流大学」と評価するのか、「入試の科目が少ない精神的にバランスの良くない人が入学する大学」と評価するのか、もしくは、「フライデー」の記事によると、松島みどりさんは、かつて、『東大入試合格作戦』(エール出版社)に1浪で東大に合格した時に体験記を書いて、そこで、早稲田大学の試験に落ちた時、私は絶対に東大に通ってこの早稲田大学という大学を軽蔑してやるんだと心に誓った・・・と書いておられたらしいのだが(そんなもん、書くから何十年も後になって、引っ張り出されて、東大卒だと自分はよっぽどえらいみたいに思いやがってからに・・・という調子で「フライデー」に書かれるのだ、合格体験記を書のならば将来のことも考えて書いた方がいい)、そういう軽蔑してやるのだという大学なのか、「関関同立と同程度」なのか・・・、私が会ったことがある人をもとに判断すると、早稲田大学という大学は「玉石混交の度合いが大きい大学」という印象がある。又、「反権力」とか「野人」とか早稲田の人は言っているらしいが、慶應大学のある教授が「早稲田の人が言う『反権力』とかいうのは、あれは嘘です。実際には早稲田大学ほど権力志向の大学はない。しかし、早稲田大学よりもより強力な権力志向の大学として東大があって、東大にはかなわないので、それで、結果として『反権力』みたいになっているだけで、本来、早稲田大学という大学の体質は『反権力』ではないです」と話されたことがあったのだが、言われてみるとそういうところはあるのかもしれない。早稲田大学を「私学の東大」なんて書いていたものを、私は自分が高校を卒業した頃、けっこうあちらこちらで見たのだが、慶應大学は「私学の東大」とは言わない、書いているものを見たことはないが、その違いは何だろうか・・と思ったのだが、それは、慶應の方が「あっちはあっち、こっちはこっち」みたいなところがあって、早稲田大学を「私学の東大」と言うのをほめ言葉だと思っている人がいるが、実は半分はけなし言葉で、早稲田大学という大学は「私学のくせして東大の後ばっかり追いかけている独立自尊の精神に欠ける大学だ」というけなし言葉であり、言われてみると、そうかもしれん・・というようなものを感じる。但し、「嘘から出た誠」というものがあり、「嘘でも百回言えば真実」なんて言葉もある。もともとは、早稲田大学が「反権力」などというのは嘘っぱちであったとしても、加藤裕治『弁護士をめざして 56歳からの挑戦 司法試験一発合格』(2014.5.5.法学書院)では、早稲田大学法学部卒の加藤裕治氏が、反権力の伝統のある早稲田大学を出たということが自分に影響を残しているということを書かれており、もともとは権力志向が強い大学が、その前により強力な権力志向の強い大学である東大があることから、結果として「反権力」みたいになっているだけの大学・・だったとしても、「嘘から出た誠」のように、「反権力」と思ってそこを卒業してその姿勢で生きてきたという人だったいるのではないかと思う。・・・それで、私も自分が高校を卒業する時には、国立大学に行くつもりだったので、「早稲田みたいなもん、誰が行くか」と思っていたが・・・、実際、そこを出た人が優秀か優秀でないか、反権力か権力志向か・・といっても、人によると思う・・・のだが、倫理研究所(=倫理法人会)などというものを「特に問題がある団体とは思えない」と認識しているのでは、この人はアホやな・・・と判断せざるをえない。その程度のことも認識できない人間なのか・・・ということである。

   倫理研究所(=倫理法人会)とは、どういう団体か?  「週刊ダイヤモンド 2009.9.12. 新宗教」(2009.9.12.発行。ダイヤモンド社)に、「20大新宗教全データ」という記事の中に「分派・分裂を繰り返す新宗教 20大新宗教の歴史」という表が出ている。↓
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↑ 1882年にできた 御岳教 の流れを引いた 徳光教 が1912年(1910年の日韓併合の2年後)にでき、そこから、人道徳光教が1918年(「行く行く、ベルサイユ」のベルサイユ条約の1年前)に分かれて、人道徳光教が1930年(満州事変の1931年の前年)、「ひとのみち」になり、それが、「ピーエル教団」(1946年)・倫理研究所(1947年)・実践倫理宏正会(1961年)の3つに分かれ、「ピーエル教団」は1974年に「パーフェクトリバティー教団(PL)教団」になり、人道教団が1963年に「ピーエル教団」から分かれた・・・という分派の図が書かれている。
  村上重良『日本の宗教』(1981.発行。 2009.改版 岩波ジュニア新書)には、
《 ひとのみち は、1924(大正13)年、大阪で黄檗僧出身の御木徳一(みき とくはる)(1871-1938)と子の御木徳近(みき とくちか)が開いた新宗教です。ひとのみちは、大正初期に関西でさかんだった金田徳光(かねだ とくみつ)(1863-1919)の徳光教を受けついで、太陽神・天照大神信仰をかかげ「教育勅語」を教典としました。ひとのみち では、商売繁盛、家内和合などをもたらす実利的な生活訓を説き、病気なおしの「お振替え」などをつうじて、都市の中間層と中小企業者の間に広がり、昭和初期には、信者100万と称するほどの発展をとげました。1936(昭和11)年、政府は大本教につづいて、ひとのみち に弾圧をくわえ、禁止しました。ひとのみち は、天皇崇拝を強調し、国家神道に忠実でしたが、皇祖神天照大神を太陽であるとし、「教育勅語」に卑俗な解釈をくわえたとして、徹底的な弾圧をうけました。》
と出ている。
  「ひとのみち」は、
(1) 太陽神・天照大神の信仰をかかげた。
(2) 皇祖神 天照大神を太陽であるとした、という点が、戦中、弾圧された理由の1つ。
(3) 「教育勅語」を教典とした。
(4) 都市の中間層と中小企業者の間に広がった。
(5) 天皇崇拝を強調し、国家神道に忠実だった。
・・・戦中、「ひとのみち」は「徹底的な弾圧をうけ」た・・が、決して、反権力とか反体制の団体ではなかった。むしろ、「天皇崇拝を強調し、国家神道に忠実」な団体だった。戦後も、「ひとのみち」の後継団体の倫理研究所(=倫理法人会)は、決して、反権力・反体制の団体ではなく、「国家神道に忠実」な右翼系・神道系の団体である。
  アマテラス=太陽=皇祖神 という解釈が、戦中、弾圧を受けた理由の1つらしいが、「思想・良心の自由」「信仰の自由」の戦後の認識からすれば、そういった解釈を理由として弾圧されるのは不当と思われるであろうけれども、だからといって、それが、アマテラスについてや、神社についての解釈として正しいということではない。民間での議論としてであれば、「ひとのみち」⇒倫理研究所(=倫理法人会)の解釈は、正しいとは言い難いものがある。

  PL教団・倫理研究所(=倫理法人会)・実践倫理宏正会の3つに分かれ、PL教団から人道教団が分かれたようだが、PL教団といえば、PL学園高校が、かつては高校野球の最強チームとして甲子園大会で何度も優勝した高校で、1980年代なかば頃、テレビのバラエティー番組で、芸人が「野球チームの力として、ぼくはスカウトの力というのが大きいと思います。それで、日本で最も優秀なスカウトを持っている球団というと、なんと言ってもPL学園」と言っていたのを覚えています。又、「阪神はPL学園に勝てるだろうか」などと言われたりもしました。PL教団とはそのPL学園の教団ですが、PL学園の場合は、戦後、神道色を薄めたようですが、倫理研究所(=倫理法人会)は戦後も薄めることはなく、「太陽を拝みなさい」というのを続けているようです。

  村上重良氏による『新宗教-その思想と行動』という本が岩波現代文庫から発行されているが、題名が「新興宗教」ではなく「新宗教」となっているのは、それは「新興宗教」とすると、その言葉にはマイナスのイメージがあるので、それで、特にプラスのイメージもマイナスのイメージもない「新宗教」という言葉を使っているのではないかと思います。実際には、古くからのものだからいいということもなく、新興だから悪いということはないはずなのですが、「新興宗教」という言葉を使いますと、怪しげな・・とか、金集めの団体・・とか、胡散臭い・・という印象があり、実際、そういう団体はあるでしょうけれども、「新興」だから悪いとは本来は決まっていないのです。
  又、「新宗教」と言っても、天理教などは江戸時代からのものですから、そう「新興」でもありません。中山みき さんという人は《 現世中心、人間本位の救済の宗教として》 《その教えは、人間はみな神の子として平等な兄弟であり、死は「出直し」にすぎず、家は夫婦が中心であるとし、祖霊崇拝や家父長制の家族道徳を否定》 《高山(権力者)の没落と谷底(民衆)のせり上げを予言》(村上重良『日本の宗教』岩波ジュニア新書)という、その時代においてはすばらしい思想家だったと言えるでしょう。 私は、「旧宗教」でも「新宗教」でも、その宗教を信仰したいと思う人が進行するのは自由であり、他人がどうこう言う必要のないことだと考えています。しかし、倫理研究所(=倫理法人会)については、そうはいきません。

  倫理研究所(=倫理法人会)の大きな問題点として、
1.中小零細の企業経営者に取り入り、「社長の命令」だとして倫理研究所(=倫理法人会)に従業員を強制的に参加させることで、倫理研究所(=倫理法人会)の拡張・拡大をはかっている団体であり、もとより、「信教の自由」を侵害することによって存在している団体であること。
2.明らかに宗教の団体であり、又、日本会議に所属し、「戦前型の天皇を中心とする人物中心の日本史」の採択を要求したり、首相の靖国神社公式参拝を要求したりしている右翼系政治団体でもありながら、それを認めず、「あくまでも、倫理・道徳の団体なんです」といったことを言って隠蔽している団体であること。
3.倫理研究所(=倫理法人会)の理事長の丸山に「親孝行を教えてもらいなさい」とか言い、「倫理」を教える側の人間と教えられる側の人間に分けて、理事長の丸山は勝手に「教える側」についており、国民が「倫理」「親孝行」といってものについて自分自身で考えることを妨げる団体であり、又、倫理研究所(=倫理法人会)とその同調者がやることが倫理だという傲慢な姿勢であり、結論として自分たちは何をやっても「倫理」だという主張の団体であること。
・・・この3点が大きな問題です。

   中小零細の企業経営者に取り入り・・・という点については、倫理研究所(=倫理法人会)の前身の団体である「ひとのみち」もまた《 商売繁盛、家内和合などをもたらす実利的な生活訓を説き、病気なおしの「お振替え」などをつうじて、都市の中間層と中小企業者の間に広がり、》と、村上重良『日本の宗教』(岩波ジュニア新書)に出ていますが、中小零細企業の経営者に取り入ることに「ノウハウ」を持っていたようで、又、「ひとのみち」の信者であった人が今も倫理研究所(=倫理法人会)の会員になっているケースがあるでしょう。
   私自身の経験としては、2005年、千葉県のリフォーム会社で千葉県内に5店舗を持っていた(株)ウッディホーム〔会社名は「ウッディ」だが木質系の建物のリフォーム専門ということでもない〕https://www.woodyhome.com/ に在籍した時、社長のH木さんが倫理研究所(=倫理法人会)の熱心な会員で、千葉県での役員もやっていたらしかったのですが、
  日頃、忙しく動いている従業員に、週休の日に、倫理研究所の「研修」に行けと社長のH木さんが言うのです。それで、私は、「せっかくですが、私はそういった宗教には参加させていただきたいとは思っておりませんので、せっかくのお誘いですが辞退させていただきたいと思います」と丁重にお断りを伝えたのです。 ところが、言ってもきかないのです。
  細木さんは「倫理研究所は宗教ではないんです。宗教の団体ならば、参加を強制すれば『信教の自由の侵害』になるでしょうけれども、宗教じゃないんですよ。あくまでも、倫理の団体なんです。倫理研究所では『親孝行しなさい』とか『太陽を拝みなさい』といったことを教えているんです。そういったことを研修で教えてやってあげようと言ってあげてるんでしょうが。『太陽を拝みなさい』というのが、いったい、どこが宗教なんですか。宗教なわけないじゃないですか。誰でもやって当たり前のことを、やりなさい、と言ってるんでしょうが。『親孝行』のどこが悪いんですか。『親孝行』しなさいと教えてあげようと言ってるんでしょうが。丸山先生に『親孝行』を教えてもらいなさい、と言ってあげてるんでしょうが。何が悪いんですか。どこが宗教なんですか。宗教なわけないでしょうが」と言うのです。
  ↑ の文章をよく読んで考えてください。これは(株)ウッディホームの従業員でも言っている人がありましたが、「太陽を拝みなさい」というのを、細木さんは「いったい、どこが宗教なんですか」と言うのですが、どう考えても、きっちり宗教でしょう。どこが宗教じゃないんですか、どこが。「ひとのみち」では《太陽神・天照大神信仰をかかげ》 《皇祖神天照大神を太陽であるとし、》(村上重良『日本の宗教』)という団体でしたが、倫理研究所(=倫理法人会)もそれを継承しているということです。
  『旧約聖書 ヨブ記』では、
《 もしわたしが日の光の輝くのを見
  月の光がいよいよ明るくなるのを見て
  わたしの心がひそかにさそわれ
  わたしの手をわたしの口につけたことがあれば、
  それもまた裁かるべき咎である。
  わたしは上なる神を裏切ったことになるからだ。

( 『旧約聖書』「ヨブ記」第31章26-28 関根正雄訳。『旧約聖書 ヨブ記』岩波文庫より )
  また、『旧約聖書 出エジプト記』では、
《 神は次のような言葉をみな語って言われた、「わたしは君をエジプトの地、奴隷の家から導き出した神ヤハウェである。
わたしのほかに君は他の神々を持ってはならない。
君は上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの彫像、いかなる像も作ってはならない。
彼等を拝んではならず、これに仕えてはならない。何故なら君の神であるわれヤハウェは妬む神であり、わたしを憎む父たちの咎をその子らに罰して三、四代に及ぼし、わが誠命を守る君のためには恵みを施して千代に及ぼすのである。》
( 『旧約聖書』「出エジプト記」第20章1-6 関根正雄訳。 『旧約聖書 ヨブ記』岩波文庫より )
  聖書には、神(ヤハウェ)以外の者を拝んではならないと書かれているのです。 それを、細木さんは「太陽を拝みなさいと教えてやってるんだあ。おまえは、社長が太陽を拝みなさいと言ってるのに、社長の言うことがきけんのかあ~あ!」と言って拝ませようとするのです。倫理研究所(=倫理法人会)というのはそういう団体なのです。かつ、「宗教じゃないんです。あくまでも、倫理・道徳を教えてやってあげてやろうと言ってあげているんです」と言うのですが、そういう屁理屈によって自分たちが「信教の自由」を侵害することを正当化しているのです。
   家にいると、一軒一軒、インタホンを押して、「・・の教えをお話した」と言ってまわっている宗教団体の人が来ることがあります。駅前で勧誘の演説のようなことをやっている人がいます。郵便箱に、そういった新宗教の冊子が入れられていたこともあります。「ひとのみち」の後継団体では、実践倫理宏正会の冊子が郵便箱に入れられていたのを見た記憶があるように思うのですが、そうやって、個人に勧誘するのならば、勧誘して悪いということはないのです。しかし、倫理研究所(=倫理法人会)の場合は、個人に勧誘するのではなく、中小零細の企業経営者に取り入って、「社長が倫理研究所の研修に行けと命令してるんだあ~あ」ということにして倫理研究所(=倫理法人会)に加入させようというそういう手法をとっているのです。それをやってこそ倫理研究所であり、それをやらなければ倫理研究所は存在しなくなる可能性が大きい。そういう団体なのです。ですから、倫理研究所(=倫理法人会)というのは、もとより、「信教の自由の侵害」によって成り立っている団体であり、「信教の自由の侵害」をやめれば倫理研究所(=倫理法人会)の存在自体がなくなる可能性があるという、そういう団体なのです。
  人間にとって「信教の自由」というのは大変大事なものです。人間の存在の根幹にかかわる問題です。慶應大学に在学中、ある教授が「『信仰の自由』というのは、日本国憲法の第19条に《思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。》と規定されているから思想・良心の自由は守られないといけないというものではなく、日本国憲法の第20条に
《 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
》と規定されているから「信教の自由」は守られないといけないというものではなく、それは憲法に規定があろうがなかろうが守られないといけないものであって、それを憲法の条文に明記して確認しているのであり、憲法に規定があるからという理由で守られないといけないものだ、と考えるのなら、考え方を間違えているのだ」と話されたことがあったのですが、その通りです。そういう人間にとって最も大事なものを侵害しないとおれない人というのが倫理研究所(=倫理法人会)の人たちなのです。

  『旧約聖書 出エジプト記』には、
《 安息日を憶えて、これを聖とせよ。六日の間働いて、君のすべての業を終えるがよい。七日目は君の神、ヤハウェのための安息であるから、なんの業もしてはならない。君も君の息子・息女も、君の奴隷・女奴隷も、君の家畜も、君の門の中にいる気味の寄留者もそうである。何故なら六日の間にヤハウェは天と地と海と、その中のすべてのものを造られ、七日目に休まれたからである。それ故ヤハウェは安息日を祝して、これを聖別された。》
( 『旧約聖書』「出エジプト記」第20章8-11 関根正雄訳。 『旧約聖書 ヨブ記』岩波文庫より )
とも書かれている。 日本国の労働基準法では、週休を規定して使用者は従業員に週に1回は休ませないといけないことになっている。それを、週休の日に、「倫理研究所の研修に行って、丸山先生のお話を聞いてきなさいと社長が言ってるんだあ」などと言って、安息日を奪うということは、経営者はやってはならないことである。

  そして、細木さんは「丸山先生に、『親孝行』を教えてもらいなさい、と社長が言ってるんだあ」と言うのですが、「親孝行」とかそういうものについて、社長に口出される筋合いはないものです。ましてや、倫理研究所(=倫理法人会)の理事長の丸山なんとかさんに口出される筋合いは毛ほどもありません。
  私は高齢の母がおり、週休の日は母のために動かないといけないのです。「週休」と言っても遊んでいるのではないのです。それを「丸山先生のお話を聞いて親孝行を学びなさいと言ってるんだあ」などと言われて、週休を奪われたのでは、「親孝行」ができなくなるのです。もしも、社長が従業員に「親孝行」をさせたいと思うのならば、もっと給料を払って、もっと休日をきっちりと取らせるようにするべきです。そうすれば「親孝行」できます。従業員に「親孝行」できないようにするのが社長の役目ではないはずですし、ましてや、倫理研究所(=倫理法人会)と丸山なんとかさんのおかげで親孝行できなくさせられるというのは、これは迷惑なのです。
  丸山なんとかさんは、「親孝行」をひとに「教えてやってやろうと言ってるんだあ!」などと言うくらいなら、まず、御自分が「親孝行」されたらいかがなものでしょうか。それとも、「親孝行」をネタにして倫理研究所(=倫理法人会)という商売やって金儲けすることで「親孝行」している、ということでしょうか。

  「ひとのみち」は《「教育勅語」を教典とし》 《「教育勅語」に卑俗な解釈をくわえたとして、徹底的な弾圧をうけました》という団体だったのですが、倫理研究所(=倫理法人会)で「親孝行を教えてやろうと社長が言ってるんだあ~あ」とか「親孝行を丸山先生に教えてもらいなさい、と言ってるんだあ」とかいうあたり、「親孝行」というのが出てくるところ、さらに、それを「教えてやる」「教えてもらいなさい」という言葉が出てくるというあたり、そのあたりは””「教育勅語」もどき”””の思想です。
   「教育勅語」というのは、どういう文章かというと、
《 朕惟フニ 我カ皇祖皇宗国ヲ肇ルコト宏遠二徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ・・・
 臣民 父母ニ孝二 兄弟二友二 夫婦相和シ 朋友信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学を修メ業ヲ習ヒ・・・・》
( 福尾猛市郎監修『日本史 史料集成』第一学習者 より )
といった文章で、読みにくくてわかりにくい文章だが、
「朕惟フニ」の「朕」とは天皇のことで、天皇がこう思いました・・ということだ。
「父母二孝ニ」とは、「親に孝行しよう♪」とテレビで笹川良一さんが言うとった、あれだ。
「兄弟(けいてい)ニ友二」とは、「兄弟は喧嘩すんなよ」と言いたいわけだ。
「夫婦愛和シ」とは、「夫婦は仲ようせえよお」という意味だが、なんか、うるさいなあ、ほっといてくれ・・て感じ。
なんで、夫婦の仲がいいだ悪いだ、口出されなきゃならんのだ・・て、思いませんか?
・・「教育勅語」というものは、そういう文章で、そして、最初に「朕惟フニ」とあるように、天皇へーか が、こう思われました・・ということになっているものだ。 そして、最後に「御名 御璽」があり、天皇へーか が臣民に与えたというものなのだ。
  それを、戦後、何十年も経ってから、またもや、引っ張り出して、「親孝行を教えてやろうと言ってるんだあ」とか「親孝行を丸山先生に教えてもらいなさい、と社長が言ってるんだあ」とか言い出すという倫理研究所(=倫理法人会)というのは、アナクロニズムというのかなんというのか・・と思う人もあるかと思うが、倫理研究所(=倫理法人会)が言う「親孝行を教えてやろうと言ってるんだあ」というのはそれなのです。
   そういえば、うちの父親も、毎日、私に言ってました。「朕思フニ、わしに孝に、わしに孝に、わしにわしにわしにわしに、わしにい~い♪」と。 それを聞いて、うちの姉は、「あの人、自分の親が生きている間は、そんなことちっとも言わないで、自分の親は両方とも死んでいなくなった。息子はいるとなると、突然、『親孝行やがながなあ~あ。親孝行せんとバチあたるぞ、親孝行親孝行、まんまんまんまんまんまん・・』とか言い出すというのは、あれは、どう考えても、ずっこいのとちゃう?」と言っていたのでしたが、私もそう思いました。自分の親が生きている間は「親孝行」なんて一言も言わないで、自分の親は両方とも他界した、息子はいる・・となると、突然、「朕思うに、わしに孝に、わしに孝に、わしにわしにわしにわしにい、んが、んが、んがぁ~あ!」て、あれは、絶対に、ずっこい!
  2011年、千葉市の工務店 新華ハウジング(有)〔2013年11月に正式に倒産〕で、またまた、社長の長谷川新二が倫理研究所(=倫理法人会)にはまってしまい、従業員を勧誘して、倫理研究所の「研修」だか「集会」だかに行ってきた I (男。当時、30代前半)が、「教育勅語って、もっと問題のあるものかと思ったら、決して悪くないものだと思った」などと言うので、若い人・・といっても30過ぎたらそう若くないかもしれないが、私より若い人で、こんなことを言う人がいるんだあ・・と思った。又、倫理研究所(=倫理法人会)のおかげで、こんなことを思うようになる人がいるんだあ・・と思った。
  「親孝行しようなんて、悪くないと思う」と Iは言うのです。別に、親孝行して悪いとは言いませんよ。(株)ウッディホームの社長の細木さんも「親孝行のどこが悪いんですか」とおっしゃるのですが、別に親孝行したい人はしていいと思いますよ。しかし、「親孝行を丸山先生が教えてくださるというのだから、それを教えてもらいなさいと言ってるんだあ」となると、それは違いますでしょ・・となる。なんで、その「丸山先生」に教えられなきゃならんのだ? その「丸山先生」というのはいったい何様なんだ???
   その「丸山先生」というのは、ひとの週休を奪って、高齢の母のためにやらなければならない用事をできないようにして、いったい何が「親孝行」なんだ? その丸山という男、のぼせあがるのもたいがいにしろ!!!
   それで・・・、「教育勅語」の問題として、「夫婦は仲ようせえよお」とか、うるさいわ、ほっといてくれ・・て文句やら、「兄弟は喧嘩すんなよ」とか、大きなお世話じゃ・・というものもあるのですが、一番大きな問題は、そういった、「親孝行」だとかそういう問題というものを、天皇が決めて臣民に命じるということになっている点です。「親孝行」とか、そういった倫理・道徳というものは、そういったものは、それは、「国」「国家」「政府」や「天皇」に決められる性質のものではなく、「国」「国家」「政府」や「天皇」が決めて国民にそれを命じるといったことについては、国民は断固として拒否しなければいけません。
  福沢諭吉は「学問の独立」という文章を書いて、学問は「国」「国家」「政府」から独立したものでないといけないという主張をしていたのですが、学問だけではなく、倫理・道徳といったものもまた、「国」「国家」「政府」から独立したものでないといけないし、「天皇」に決められる性質のものでもないのです。 「教育勅語」の一番大きな問題は、「親に孝行せえよお」「夫婦は仲ようせえよお」「兄弟は喧嘩すんなよ」といったものがいいか悪いか・・ということよりも(「寝る前に歯みがけよ」・・はなかったか・・)、倫理・道徳といったものを「天皇」が思ったことにして、「国」「国家」「政府」が国民に押しつける・・・というその点なのです。それを、30過ぎた者がわからないというのは、その点において、少々情けないのですが、誰かが誰かに教えるという性質のものではないものを、「丸山先生に教えてもらいなさいと言ってるんだあ」とかいう倫理研究所(=倫理法人会)の思想というのは、それは””「教育勅語」もどき””であり、そういう倫理・道徳を誰かが誰かに教えるという思考というのは、それは民主主義に敵対するもの、 「倫理・道徳を教える側の人間」と「倫理・道徳を教えられる側の人間」を作るという思考というのは、T=W=アドルノらが『権威主義的パーソナリティー』(青木書店)で、「ファシズム人格」と呼んでいるものでもあります。
  細木さんは「親に孝行しようというのが、どこが悪いんですか。悪くないでしょ。倫理研究所はそういうことを言ってるんです」と言うのですが、それは「話のすりかえ」というもので、「親に孝行したら悪いと言うのか」と言うことで相手に否定できないようにして、それで、「親孝行を教えてあげてやろうと言ってるんだあ」と勝手に教える側になってしまうということを認めさせようとしているのです。
  そして、倫理研究所(=倫理法人会)は「ひとのみち」の後身だけあって、「ひとのみち」が戦中、弾圧された理由もまた継承しているのです。 戦中、弾圧された団体でも、「ひとのみち」は反権力・反体制とか平和・反戦の団体ではなかったのです。むしろ、《ひとのみち は、天皇崇拝を強調し、国家神道に忠実でした》(村上重良『日本の宗教』)という団体で、その体質は戦後の倫理研究所(=倫理法人会)にも引き継がれて、権力迎合・体制従順の体質でそれを中小零細企業の従業員に「教えてあげてやってやろう」と言う団体なのですが、しかし、戦中、弾圧されたのは、《皇祖神天照大神を太陽であるとし》という点と《「教育勅語」に卑俗な解釈をくわえた》という点があったからなのです。 落ち着いて考えてみると、「教育勅語」の思想を継承した「親孝行を教えてやってあげてやろうと言ってるんだあ」「丸山先生に親孝行を教えてもらいなさいと言ってるんだあ」というのは、「教育勅語」の思想から考えても変でしょ。 「教育勅語」というのは天皇が臣民に下したものなのです。教えるのは「天皇」であって「丸山先生」ではないのです。その丸山なんとかいう男は、自分が天皇になったつもりなのか? 結論として、倫理研究所(=倫理法人会)の理事長の丸山なんとかいう男というのは、自分が天皇の立場に立っているのです。そうなると、戦中の軍国主義政権としては、いかに《天皇崇拝を強調し、国家神道に忠実》な団体であっても、認めがたいということになるはずです。倫理研究所(=倫理法人会)の運営者は、戦前戦中の「教育勅語」の思想を現在に復活させようとしているように見えて、かつ、おそらく、やっている者はそのつもりでいるのではないかと思うのですが、実は「教育勅語」の思想とは少々ずれているのです。

  そして、倫理研究所(=倫理法人会)は、「宗教の団体ではないんです。あくまでも倫理・道徳の団体なんです」とか言うけれども実際は明らかに宗教の団体であるとともに、理事長の丸山なんとか が、日本会議のメンバーに名をつらねていて、「戦前型の天皇を中心とする人物中心の日本史」の教科書を採択させようと働きかけ、首相の靖国神社公式参拝を働きかけるといった活動をおこなっている右翼系の政治団体、いわゆる「宗教右翼」と言われる団体でもあるのです。
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  ↑ 上杉聰『日本会議とは何か―「憲法改正」に突き進むカルト集団』(2016.5.15.合同出版)に掲載されている 日本会議のホームページをもとに作成されたという「日本会議役員名簿」にも、「代表委員」として「丸山俊秋 (社)倫理研究所 理事長」の名前があります
  靖国神社というものは、神社でも特殊な「神社」であり、一般人が、「天神さん」とか「えべっさん」とか「お稲荷さん」とかに参拝するのとは意味が違うのです。 総理大臣になった人でも、それぞれの人に信仰する宗教があって、その宗教の施設に訪問して悪いことはないのですが、靖国神社というのは他の宗教とは性質が異なり、靖国神社へ「公人」が「公人」としての参拝を認めたならば、それは国民の信教の自由を認めないことにもつながります。倫理研究所(=倫理法人会)は前身の「ひとのみち」の時代から、体制迎合・権力追随の団体であり、部分的に権力・体制に都合が悪いという点があって弾圧されたことがあっても、それでも、体制迎合・権力追随の体質は変わらない。

  そして、倫理研究所(=倫理法人会)の言う「倫理」とは何なんだ? という問題もあります。 私は倫理研究所(=倫理法人会)の倫理なんて、ニセモノだと思っています。 2005年、(株)ウッディホーム におりました時、取引先の社長が亡くなったということがありましたが、葬式の日は、倫理研究所の泊りがけの「研修」の日と重なりました。すると、従業員で倫理研究所の会員だったおばさんは、こう言ったのです。「社長は葬式には行けないわ。行っちゃだめよ。倫理研究所の研修に行かなきゃならないんだから、葬式なんて絶対に行ってはだめよ」・・・と。 倫理研究所(=倫理法人会)の「倫理」とは、倫理研究所(=倫理法人会)が「倫理・道徳を教えてやってあげてやろうと言ってやってるんだあ」という「倫理」とはそういうものなのです。 「はあ、倫理研究所というのはそういうことを教えるのかあ」と思いましたし、中小企業の経営者が、取引先の社長の葬式に出ないで、どうして出なかったかというと「倫理研究所の泊りがけの研修があったから」て、そういうことをするのかあ・・・と思っていたら、結局、社長の細木さんは葬式の方に出たようでしたが、倫理研究所(=倫理法人会)の「倫理」というのは、そういうもののようでした。
  社長の細木さんが、最終的には取引先の社長の葬式の方に出席したのですが、倫理研究所(=倫理法人会)の前身の「ひとのみち」は《商売繁盛、家内和合などをもたらす実利的な生活訓を説き、・・・都市の中間層と中小企業者の間に広がり 》(村上重良『日本の宗教』)という団体であり、「商売繁盛」を説いて「中小企業者の間に広が」ったものですから、その中小企業が成り立たなくなるようなことはないように妥協もするのでしょう。
  中小企業者がその企業が成り立たなくならないように、取引先の葬式には出るという妥協はしても、そういう事情がなければ、親戚・友人・知人の葬式よりも倫理研究所(=倫理法人会)の「研修」「集会」の方を優先的に考える思考というものが、倫理研究所(=倫理法人会)にはあるようです。

  うちの父親が、会社がひとを採用する場合には、勤め先の会社などは、応募者がどういう宗教の信者かということは会社としては特に関心はないけれども、「実際問題として、創価学会の人というのは歓迎しないなあ」と言っていたことがあったのですが、それは、創価学会の人というのは、「学会」の行事と会社の用事がぶつかったという場合、必ず、「学会」の方を優先するからだというのです。そうかもしれません。
  そういえば、(株)一条工務店で福島県いわき市の営業所に勤務していた時、1月初めになると、「すいません。私、出初式なんですう」と言う人があったのですが、「出初式(でぞめしき)」て何なんだ・・というと、「地方」では消防団というものがあって、1月には「出初式(でぞめしき)」というのがあり、出ないわけにはいかないらしい。消防団の用事に出ないと、「会社の用事と消防団と、いったいどっちが大事だと思ってるんだ」と言って怒られるそうで、「会社です」と言いたいのだけれども、言うと怒られる・・そうだった。
  私は、職場の同僚がどういう宗教に入っていようが、関知しない、どうでもいい、入りたい人は何でも好きに入ればいいでしょ・・・と思っていたのだけれども、「創価学会のおっさん」には閉口したことがある。2001年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で栃木県佐野市の営業所にいた時だが、創価学会員の愛称「高木のおっさん」(男。当時、50代)が、「こらあ。聖教新聞を購読しろお~お!」と言ってストーカーとなって追いかけてくる。・・あの「聖教新聞」の押売りには閉口した・・・。
  (株)一条工務店では、1994年頃、福島県いわき市の営業所で、霊友会の会員の愛称「佐藤のじいさん」(男。当時、40代)がいて、霊友会というのは、やはり、「宗教右翼」と言われる団体の1つだが、それだけに、「非国民」といった用語がしばしば口に出る人で、正月になると、「おまえは、30を過ぎているのにまだ子供を作らない。俺の息子はまだ十代なのに子供を作ってお国のために貢献しているんだ。子供を作らない非国民は、子供を作って少子高齢化対策に貢献してお国のためにつくしている俺に年玉よこせ。年玉よこせ、非国民! こら、非国民、年玉よこせ、年玉」と言って手を出して追いかけてくる。逃げても逃げても追いかけてくる。ああいう「宗教右翼」には閉口する。ああいうおっさんのクローンみたいな息子の息子を拡大再生産しても、「お国のため」ではなく、むしろ、「はた迷惑」ではないかという気もするのだが、「宗教右翼」に入っているおっさんというのは、そういう人が多い。
  1980年代、慶應大学の日吉キャンパスで、学部掲示板の所で、課題の掲示、「・・・について、原稿用紙〇枚までで述べて、〇日までに提出せよ」といった掲示を見てそれを書き留めていると、横から、原理研究所の人間が話しかけてきて、うるさいうるさい・・ということがしばしばあった。原理研究所(=国際勝共連合)の人間が勧誘するのがいかんと言う人もあったが、私は、別に、誘うのはかまわんと思っていたのだが、しかし、誘われた者がお断りの意思表示をしたならばそれを理解してほしいと思ったし、又、学部掲示板で課題・レポートについての説明を書き移しているしている者には、それを邪魔するように話しかけるのではなく、書き写し終わってからにしてもらいたい・・・と思ったものだったが、彼等としては、書き終わってから話しかけたのでは、断られて他に行かれてしまう・・と考えたのだったと後からわかった。お茶の水の明治大学は、かつては、東大の本郷・駒場、慶應の日吉・三田、早稲田大などと同じように、ある程度以上の敷地があって、そこに大学の建物がいくつか建っているというものだったが、何年か前から、オフィスビルみたいな高層ビルに変わってしまったのだが、変わる前、1980年代、明治大学の前の道を歩いていると、構内で、「電車ごっこ」みたいに紐を腰のあたりにまわして、何人かで、笛を吹きながら「ピッ、ピッ、ピッ、ピッ」と「ゆっくりとした駆け足」のようなことをしている人たちがいた。あの人たち、何やってるんだろうなあ・・と思ったが、デモの練習でもしていたのかもしれない。なんか、あんまり意味のないことやっているような感じがしたのだが、それでも、「原理研と浄霊ばっかりの慶應」よりはよっぽどいいかもしれん・・・とも思った。明治大学がお茶の水キャンパスを、高層ビルにしてしまったというのは、ああいうことをさせないようにするというのが目的だったのか?・・・大阪大学が、大阪外国語大学と合併して大阪大学外国語学部となった大阪府箕面市粟生間谷東 の外国語学部の箕面キャンパスを、北大阪急行電鉄を千里中央駅から北に2駅延伸する工事をおこなっている1駅目の「箕面船場阪大前」駅の近くに高層ビルを建てて移転するという計画を立てているらしいが、それも、広い敷地の中に大学の建物が何棟か建っていて、広い大学の敷地があるという昔からの大学のキャンパスのあり方をやめてオフィスビルみたいな高層ビルにしてしまうというのは、明治大でやっていた人がいた「ピッ、ピッ、ピッ、ピッ」とかああいうのをさせないようにしようという動きの一環か?  箕面市には高層ビルは似合わないと思うが、「似合わない場所に高層ビルを建てたがるシンドローム」の人間というのがいるということか? 高層ビルを建てなくても、箕面市粟生間谷東 に、大阪モノレール彩都線「彩都西」駅からすぐの場所に自然環境のいい場所に箕面キャンパスがあるのに。
   慶應大の日吉キャンパスでの原理研のしつこい勧誘にはまいったが、(株)一条工務店の佐野営業所の愛称「高木のおっさん」の「聖教新聞を購読しろお」とストーカーとなって追いかけてくる・・というのは、自宅に来るのなら、「うちはけっこうです」と言って出ないということもできるのだが、会社でやられると、会社に出勤しないわけにはいかないので、おっさんはそれを利用して「聖教新聞を購読しろお」とやるわけであり、あの創価学会のおっさんは、その点で原理研より往生した。会社は、本来、そういったことはやめるように注意しないといけないはずだが、それを注意しない保護義務違反の会社が(株)一条工務店だった。

  倫理研究所(=倫理法人会)というのは、前身の「ひとのみち」が、《商売繁盛、家内和合などをもたらす実利的な生活訓を説き、・・・都市の中間層と中小企業者の間に広がり》という宗教で、現在も中小零細企業の経営者を取り込んで、「社長が倫理研究所の研修に行けと命令してるんだあ~あ」と言わせて参加させるという拡張方針をとっているので、中小零細企業の経営が破壊されるようなことがないように妥協はするが、基本的には、親戚・友人・知人の葬式よりも倫理研究所(=倫理法人会)を優先しろという「倫理」を教えている団体で、それが倫理研究所(=倫理法人会)の「倫理」なのです。
  (株)ウッディホームの社長が私に週休の日に、倫理研究所の「研修」に「参加しなさいと社長が言ってるんだあ」と言った時も、「私は休みの日はうちの母の世話をしないといけないので、そういうものに行くことはできないのです」と言っても、「丸山先生に親孝行を教えてもらいなさいと言ってるんだあ」と言い、「そういうものに参加したのでは、親孝行できないのですよ」と言ってもきかない。倫理研究所(=倫理法人会)が言う「親孝行」というのはそういうものなのです。

  2011年、新華ハウジング(有)〔建設業。千葉市中央区鵜の森町。2013年11月に正式に倒産。〕で、自称「工事責任者」だが工事現場を見に行かない、工事の進捗について責任を持たない植草A二(男。当時、30代なかば)が、「幕張の工事現場に急いで行かないといけないので、クルマで送ってください」と私に言い、私のクルマに乗せると、「高速道路を使ってください。高速代は出しますから」と言って私に立て替えさせて、それで、幕張の工事現場にちょろっと寄ると、「海浜幕張の駅に行ってください」と言うのでJR京葉線「海浜幕張」駅まで行くと、そこに普段は会社に出勤しない社長の長谷川がいて、どうやら、社長の長谷川と一緒に倫理研究所の集会に行ったらしかった。海浜幕張にホテルニューオータニができていて、どうも、そこで倫理研究所(=倫理法人会)の会合があったらしい。
  しかし、私からすれば、建築現場に行くのにクルマで送ってほしいということならば、それは仕事かもしれないが、植草が倫理研究所(=倫理法人会)の会合に出席するのにクルマで送らされるというのは、それは新華ハウジング(有)の従業員としての業務ではないはずなのだ。従業員として業務ではないことをさせられる筋合いはないはずなのだ。
  そして、植草A二は「高速道路代は出しますから、高速道路を使って行ってください」と私に言ったにもかかわらず、今に至るまで、その高速道路代を払わない。今に至るまで、私が建替えさせられた高速道路代はそのままになっている。倫理研究所(=倫理法人会)が「倫理を教えてあげてやってやろうと言ってるんだあ~あ!」という「倫理」とはそういうものである。そんなリンリでマンマが食えるか?・・・というと食えないから、だから、新華ハウジング(有)は倒産した。
  倫理研究所(=倫理法人会)の人間は、「倫理を教えてやろうと言ってるんだあ」とか言いまくるのならば、とりあえず、その時の高速道路代を払ってほしいんですよね。倫理研究所(=倫理法人会)の人間というのは、「倫理を教えてやる」というのは好きでも自分が倫理を実行するというのは大嫌いのようですが、倫理研究所(=倫理法人会)というのは、そういう団体です。

  (株)ウッディホーム では、時々、早朝に、付近の道路掃除というのをさせられたのですが、それも、倫理研究所(=倫理法人会)の教えだそうでした。しかし、社長が付近の道路掃除を「倫理」だと考えてやりたいと考えて、従業員にそれをやってもらいたいということで依頼したのであれば、その時間の時間外賃金は当然支払わないといけないはずなのです。時間外労働をしているのですから。ところが、細木さんはそれを払わないのです。「社長がやりなさいと言ってるんだあ」と言ってさせたのですから、そうであるからには、時間外労働としての時間外賃金を払わないといけないはずですね。 それを払わないというのが倫理研究所(=倫理法人会)の「倫理」らしい。 「法は最低限の道徳」と、中学校の「公民」とか高校の「政治経済」の教科書に載っていましたでしょ。大学の「法学」の教科書にも載っていたのではないでしょうか。「法は最低限の道徳」ならば、労働基準法という法は「最低限の道徳」として守っていただかないと困りますね。 従業員に早出残業させて付近の道路掃除をさせて、それに対する時間外賃金は払わずに、それが倫理研究所が教える倫理だと主張するのですが、倫理だと主張するのなら「最低限の道徳」として時間外賃金を払ってもらわないといけません。
  又、会社の前の道くらいは掃除した方がいいと思いますが、よその店の前を掃除するというのが好ましいかどうかという問題もあります。『味いちもんめ』という板前を描いた漫画で、京都の料亭で、伊橋くんが店の前を掃除していると、女将さんが、その掃除のしかたではだめだと言う場面がありました。自分の店の前だけ掃除して、隣との境界線ぎりぎりまでしかやらないというのは良くない。下品だ。しかし、隣の店の前を全部掃除したのでは、隣の店の人間が掃除しないと言っているようなもので失礼だ。だから、境界線ぎりぎりまでではなく、少しだけ向うまで掃除するというのがいい・・というのです。その考え方からいくと、細木さんが従業員にさせていた、近所中、掃除してまわるというのは、それらの前の店に対して失礼で、かえって良くない・・ということになります。
  ・・どっちにしても、従業員に無賃労働で早出残業させて道の掃除して、それで「倫理」だと思っている社長と倫理研究所(=倫理法人会)というのは、根本的に倫理というものの理解を間違えていると言わざるをえません。

  細木さんは私にこう言ったのです。
「社長が『太陽を拝みなさい』と言ってるんだあ。それを拝むことができないと言うおまえは人間として欠陥があるんだあ!」と。
倫理研究所(=倫理法人会)が考える「倫理」とはこういうものなのです。
倫理研究所(=倫理法人会)が考える「人の道」とはこういう言動のことなのです。
言った側は、もしかすると忘れているかもしれませんが、言われた側はそう簡単に忘れはしません。

  2005年、(株)ウッディホーム (本社:千葉市稲毛区)https://www.pref.chiba.lg.jp/koyou/worklifebalance/portalsite/ikiiki/h31/19-68.html   で倫理研究所(=倫理法人会)というものがあると知って、そういうややこしいものにこっている中小零細企業の経営者がいるのかあ・・と思ったものだったが、同社を離れて、これで倫理研究所(=倫理法人会)とも関係なくなった・・・と思うと考えが甘かった。 転職した会社で、知り合いが(株)ウッディホームにリフォームを頼んだことがあるという人がいて、「リフォームの仕事は悪くはなかったけれども、倫理研究所を進められたのには、まいった・・」と話していたという。
  そして、2010年、新華ハウジング(有)では、またもや、社長の長谷川が倫理研究所(=倫理法人会)にはまってしまった。どうも、倫理研究所(=倫理法人会)は逃げると追いかけてくるようだ。

   倫理研究所(=倫理法人会)は、
(1) 実際には「太陽を拝みなさい」といったことを言っている明らかに神道系の宗教の団体で、又、「戦前型天皇を中心とする人物終身の日本史」の教科書の採択を求め、首相の靖国神社公式参拝を求めるなどしてきた右翼系の政治団体でもあるにもかかわらず、「宗教の団体ではないんです。政治団体ではないんです。あくまでも、倫理の団体なんです」とカマトトやっている団体であり、
(2) 宗教を拡張しようと思うのであれば、個人に勧誘するべきものであるにもかかわらず、中小零細企業の経営者に取り入り、「社長が倫理研究所に行きなさいと言ってるんだあ」と社長に言わせて従業員を加入させるという最初から「信教の自由」を侵害することによって成り立っている団体で、宗教のあり方としてあってはならない手法で拡張をおこなっている団体であり、
その点で「反社会的勢力」と考えるしかない団体なのです。 警察の「反社会的勢力」の対象には宗教団体も入っているらしいが、旧来の浄土真宗とか曹洞宗そういうものは警察は「反社会的勢力」の対象には入れていないらしく、宗教団体なら何でも「反社会的勢力」ということではないらしいのですが、「新宗教」の場合、どこが入っていてどこが入っていないのかは不明ですが、警察がどう言うかは知りませんが、(1)(2)の団体は「反社会的勢力」だと私は認識しています。
  とりあえず、「高速道路代、出しますから、高速道路で行ってください」と言って私に高速道路代を立て替えさせて、払わない・・というヤカラというのは、そういう態度というのは、倫理に反する態度であり、従業員に早出残業させて道路掃除させておいて、残業代を払わないというのも倫理に反する態度です。

   熊谷俊人氏について、よくわからないのは、私は、「宗教右翼」の倫理研究所(=倫理法人会)の集会に参加したりするということは、この人は、自民党か維新の会か、そういう党の人なのだろう・・・と思いこんでいたら、《ウィキペディアー熊谷俊人》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E4%BF%8A%E4%BA%BA を見ると、自民党でも維新の会でもなく、最初に千葉市会議員になった時は民主党からで、千葉市長選に最初に出た時は《民主党・市民ネットワーク千葉県・新社会党の推薦》で当選したそうだ。新社会党に推薦してもらって、片方で「宗教右翼」の集会に顔を出して、あんた、いったい、どっちなの? ・・・て感じがする。・・しませんか?
   所属は、かつては「民主党」だったが、今は「無所属」らしい。 民主党という政党からして、態度不鮮明なところのある政党だった。設立時には、鳩山由紀夫ら自民党内のリベラル派(自民党内の比較的良心的な方の人)と旧社民党の人と社会民主連合の菅直人らが合体してできた政党で、両方のいいところを合わせた政党になれば、けっこういい政党になるのではないか・・と少しは期待もしたのだが、そのうち、非自民でさえあれば誰でも入れる・・みたいになって、結局、政権獲得だけを目指す党になり、党の目指す方向も何もなくなってしまった。かつて、小泉純一郎が「自民党をぶっこわす」と言い、そのくらいの姿勢で改革する・・・という意味を言って、結局、「郵政民営化」以外何やったかようわからんかったのだが、民主党にしては右(自民党より右)の前原誠一は「民主党をぶっこわす」と小池と組んで本当にぶっこわしてしまった。もともと、前原誠一というのは、民主党よりも自民党右派か維新の会かの方が似合っている人間で、なんで、この男が民主党なんだ・・という感じの男だったが、「自民党から公認もらえなかったから民主党」みたいなその程度の人間だったのだろうが、そういう人間や、橋下徹が言うところの「政界ちょろねずみ」、選挙に当選するために、あっちに行ったりこっちに行ったりするような節操の無い人間・・が民主党にはけっこういたのではないか。 この熊谷俊人という人は、いったいどういう人間なんだ? 当選できれば何でもいいのか? どう考えても、新社会党と「宗教右翼」とは相容れないはずなのだが、新社会党から推薦もらったり、「宗教右翼」の会合に顔だしたりと、その節操の無い態度はなんだ?  熊谷なのか千葉なのかどっちやねん・・・というのは、それはまあいいが・・。
  とりあえず、そのあたりの態度をきっちりとしてもらわないと、なんか、「宗教右翼」の方に軸足が行ってそうな印象を受けるのだが、行き過ぎると自民党の候補者と変わらなくなって特色がなくなってしまうから、不鮮明な態度にしているのか?

  私が、倫理研究所(=倫理法人会)の会合に顔を出すのはやめてほしいと言った時には、秘書の男性は、「問題のある団体とは思えませんので」と、なんで思えんのだ? ・・と理解に苦しんだが、丁重に応対してくれた。応対は丁重だったが、しかし、片方で新社会党から推薦してもらって、他方で「宗教右翼」の会合に顔だしている・・というのは、やっぱり、おかしいと思うよ。
  宗教の拡張に、個人に勧誘するのではなく、中小企業の経営者を取り込んで、「社長が倫理研究所に行きなさいと命令してるんだあ」などと言わせて従業員に参加させるというそういう手法は「反社会的」であるのは明らかであるし、どう考えても宗教なのに「宗教じゃないんです。倫理・道徳の団体なんです。宗教の団体じゃないから、だから、従業員に参加させても信教の自由の侵害にはならないんです」などとカマトトというのかアホなこと言っている団体であり、そのあたりは反社会的だと思いますよ。そのあたりを理解できないということならば、熊谷俊人氏は、あんまり賢くないなあ・・ということになる。

  私は千葉市民ではないので、選挙で熊谷俊人氏に入れるも入れないもなかったが、千葉県民だから、知事選に出るとなると、入れるか入れないかという立場になる。 倫理研究所(=倫理法人会)の会合に顔を出しているような男には投票するわけにはいかない。 だから、対立候補がいいのかどうかは別だが。

  ブログが新華ハウジング(有)のホームページとリンクしていた時、ブログに倫理研究所(=倫理法人会)の問題点を指摘する文章を少し入れたところ、新華ハウジング(有)の社長の長谷川が「会社のホームページとリンクしたブログで倫理研究所を批判するのはやめてください」と言ってきたのだが、それでいて、自分は「倫理研究所の千葉県の役員になりましたあ」などと新華ハウジング(有)のホームページとリンクした長谷川のブログで書いていた。 それではいかんだろうが。 従業員は、私はこう考える・・とある程度以上、骨のある内容を述べてもいいはずだ。そういったことを述べることで、私はこういう考えをしている人間ですと述べているのであり、そういう人が嫌なら別の従業員に依頼すればいいことなのだから。それに対して、社長というのは、うかつな態度を示してはいけない。「倫理研究所という神道系宗教団体で右翼系政治団体の役員になりましたあ」などと、会社のホームページとリンクしたブログで社長に述べられたのでは、そういう会社なのか・・ということになって、営業上、マイナスになる。 会社をつぶしたいのか?・・・というと、つぶしたかったのかどうかわからないが、さっさとつぶれた。
  社長がどういう宗教団体に加入しているか・・などということは、あまり大っぴらに言わない方がいいと思うのだが、それも、キリスト教のカトリックか日本キリスト教団か、仏教の昔からの宗派かということなら特に問題はないだろうが、倫理研究所(=倫理法人会)といった新興宗教の場合は、営業上、社長が加入してもそれを誰にでもかれにでも言わない方がいいはずだが、わからんのか・・・というと、わからんようだった・・・からつぶれたのか、そうでなくてもつぶれたのか、つぶれた。

  新華ハウジング(有)の社長の長谷川は、かつて、創価学会員だったそうだが、創価学会では、やめた人間に対する悪口というものがものすごいそうで、それは矢野絢也とか有名人だけかと思ったらそうではなく、「普通の人」でもやめた人に対する悪口がすごいそうで、そういったことが嫌で創価学会をやめたらしい。そうか・・、そうか、そうか・・と思ったのだが、なるほど、私も昔は創価学会は別に好きでも嫌いでもどっちでもなかったのだが、2001年、(株)一条工務店の栃木県佐野市の営業所で、会社に「聖教新聞を購読しろお」と叫んで追いかけてくるおっさんがいたおかげで、なんか、好きでなくなった。聖教新聞の押売りは、もう、かなわん! ・・・で、創価学会をやめた長谷川さんは、それでどうしたかというと・・・、かわりに、倫理研究所(=倫理法人会)に入った。又、マルチ商法のアムウェイにも入ったらしい。ひとつの新興宗教の団体を脱退しても、結果はどうなったかというと、別の新興宗教の団体に加入し、マルチ商法にも加入する・・とは、なんだか、人間の精神構造というのは、なかなか、簡単には変わらんもののようだ。 精神構造が変わらなければ、やることはたいして変わらないが、その精神構造を変えるのは簡単ではないようだ。ある新興宗教団体をやめても、別の新興宗教団体に入ったり、マルチ商法に入ったり・・・、人間の精神構造は簡単には変わらんものなんだなあ・・と思った。

   熊谷俊人氏は、自分でも自分がどういう立場なのか、わかってないのかもしれない。 定年退職して、仕事をしなくて良くなったから、何か趣味をやろうと考えて、カメラを趣味にしよう・・・なんて考え出すじいさん・・ているみたいなのですが、そういうじいさんて、何を写したがるかというと・・・、たいてい、女の写真です。できれば、裸の女の写真を撮りたいみたい。 なんだか、かわいそうな人だなあと思う。写したいものがあって、それを訴える手段として、文章に書くのか、絵に描くのか、写真に撮るのか・・ということで、写真に撮るのが有効なのでその技術を磨きたい・・ということならいいが、訴えたいもの、撮りたい対象がなくて、手段であるカメラの方を趣味にすると、撮りたいものというと、女の写真しかない・・・て、なんだか、人生の終わりに近づいて、もはや、精神的に残骸しか残っていないみたいな感じ。そういうじいさんて、いますでしょ。そういう「前期高齢者」のじいさん、麻生さんが言ったところの「体だけ元気な年寄」ていますでしょ。
   熊谷俊人さんは、何かを訴えたかったのか、それとも、何でもいいから「政治家」になりたかったのか?  かえって橋下徹の方が、「一貫して右翼」として立ち位置が一定している。だからいいというものでもないとしても、指示してもらえそうな所ならどこでも行く・・ということでは、節操がない。写真で撮影するか文章で書くか絵で描くかしてアピールしたい対象があって写真を選んだのか、対象はなくてカメラを趣味にしようと考えて、対象は何もない・・という結果、女しか求めるものがないことになったじいさんと同様、「ともかく政治家になればいい」という人という、そんな感じの人というのもいるようだが、そういう人間だったのか? 一般にそういう人は体制側・権力側にいくのだが、中には、「自民党から公認もらえなかったから民主党」なんて人もいるようだが。 熊谷俊人さんはどちらだったのか?

  「自ら虫けらとなる者は後で踏みつけられても文句は言えない」。自分の「信教の自由」を捨てる者は自分が人間であることを捨てる者です。又、ひとの「信仰の自由」を踏みにじる者は、自分が人間であることを捨て、鬼畜となる道を歩む者です。

  千葉県民として、今現在の認識として、倫理研究所(=倫理法人会)を「特に問題がある団体とは思えません」と言う人には、投票するわけにはいきません。

  (2020.10.11.)

☆ 千葉県知事選 熊谷俊人シリーズ
[第798回]《熊谷俊人氏に千葉県知事になってもらいたくない理由。「信教の自由」を侵害する団体に顔を出す男に投票はできない。》 〔今回〕
[第804回]《倫理研究所の集会に参加する熊谷俊人氏には千葉県知事にはなってもらいたくない! 従業員の給与未払いの会社からカネをもらう団体とそれに支持してもらう議員ども。》https://shinkahousinght.at.webry.info/202011/article_1.html  

日本の宗教: 日本史・倫理社会の理解に (読みなおす日本史) - 重良, 村上
日本の宗教: 日本史・倫理社会の理解に (読みなおす日本史) - 重良, 村上
週刊ダイヤモンド 2009年9/12号 [雑誌] - ダイヤモンド社, 週刊ダイヤモンド編集部
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旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4) - 関根 正雄
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日本会議とは何か: 「憲法改正」に突き進むカルト集団 (合同ブックレット) - 聰, 上杉
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教育勅語 (朝日選書) - 山住 正己
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現代社会学大系 12 権威主義的パーソナリティ - T.W.アドルノ, 田中 義久, 矢沢 修次郎
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