何人もの女と性関係を持つと「女の気持ちがわかる」ようになるか? 女性が「いや」と言ったら「うれしい」という意味か? 総務部長による人権侵害。

[第485回]
  三流以下企業にばかり勤めてくると、あほくさい話をいっぱい聞かされるようになります。もう、何と言うのか、うんざり・・・う〇こ まみれのザリガニで「うんざり」。

【1】  昨年だか一昨年だか、もうちょっと前だったか、慶應大学の広告研究会の部員が1年生の女子部員を輪姦したいう事件があり、慶應の塾長なら「慶大生らしい思考の柔軟さ」とか言って称賛するのかと思ったら、そうではなく、清家塾長は犯人には「無期限停学」、広告研究会には解散命令を出したようで、ほう~、慶應らしくない対応だな・・と思ったものでした。そういう人が少なくないというのは、私は、ひとつには、最近はどうなっているのか知りませんが、慶應大学という大学が「入試に国語がない大学」だから、ということが一因としてあると思っていました。福沢諭吉が言ったところの「実学」という言葉の意味を取り違えている大学だ、という点に問題があったと思います。福沢諭吉は文学や哲学、詩などを「虚学」だと言って、簿記や語学を「実学」と言ったのかというと違うはずです。森川英正『日本経営史』(日経文庫)では、慶應義塾の出身の村田保固という人が森村組に応募した時、森村組の採用条件として、1に健康なこと、2に英語と簿記ができること、ということであったが、この方は応募に行って、「語学と簿記は不得手の方です」と言ってしまい、不採用にされた、それを福沢諭吉に話したところ、「実業家を志す者が、語学と簿記は苦手の方ですとは言語同断だ」と福沢諭吉から怒られた・・という話が載っていますが、たしかに、福沢諭吉は、実業家を志す者にとっては、語学と簿記は必要だと考えていたようですが、だからといって、文学・哲学を虚学だと考えていたのではないはずです。そうではなく、文学や哲学にも虚学である文学や哲学があり、実学である文学や哲学があると考えていたのではないか。ジャン=ポール=サルトルは『(鼎談) 反逆は正しい』(上下、人文書院)の中で、読書サークルなどというものができても、そこで取り上げられるものが、意識を眠らせるような書物であれば、そのような本を読んでも「読書」したことにはならない、ということを述べ、そんなものを読んでも意味のない作家と小説してサガン『ブラームスはお好き』をあげています。私はサガンの『ブラームスはお好き』はそんなに悪いとは思わないのですけれども、「読書」にも、それを読むことで読者の思考力があがりより意味のある人生を送ることができる「読書」とそうではなく、逆の効果があるものがあると思っています。庄子薫『赤ずきんちゃん気をつけて』だったか『白鳥の歌なんか聞こえない』だったかで、登場人物の「庄子薫」が菊池寛の小説などというものは通俗小説だと語る場面があります。「通俗小説」というのは、『父帰る』だとか『恩讐の彼方に』だとか、そういうものをいいと思う人もいるのかもしれないけれども、しょせんは、そんなものは「通俗小説」でしかない、と。勝手なことやって出て行った親爺が歳いって戻ってきたとして、「お父ちゃん、ようお戻りやすう」て、簡単に解決するというものでしょうか? なんか、しょーもない「通俗小説」でんなあ・・て思いませんか。菊池寛の小説なんて通俗小説だと、言われてみるとそうかもしれないと思うようになりました。似たものに、芥川龍之介『杜子春』とか太宰治『走れメロス』なんてものがあります。あんなもの、読んでも、骨にも身にもならない。むしろ、害がある。太宰治『人間失格』では太宰治自身がモデルで、かなり太宰治自身の話がそのまま書かれているけれども、すべてそのままというわけではないらしいのですが、その『人間失格』に登場する、人間としては失格ですね・・と言いながらも、しかし、文学者としてはいい文学者だったと思うのですけれどもねえ・・という主人公が、生活のために通俗小説に手を出した、というくだりがありますが、太宰治の作品では『人間失格』であり『津軽』であり、太宰治としては人生をかけて書いているような小説と逆の立場にあるのではないかと思われる、本人は書きたくなかったのではないかと思われる「通俗小説」として『走れメロス』があったのではないか。トルストイの小説なんて、『人は何で生きるか』とか、10代の頃、いいと思った時があったのですが、歳をいくとともに、このトルストイという男、よくもまあ、クズみたいな小説ばかり大量に書きまくったものだなあ・・と思うようになりました。 魯迅は、日本に医学生として留学していたが、その時代の中国の人間にとってより必要とするものは体を直すことよりも、むしろ、心を直すことではないか、と考えて、医学よりも文学がより必要とされていると考えて、それで、医学の道に進むのをやめようと考えて日本で世話になった藤野先生にそれを話しに行くと悲しそうな顔をされたという話を『藤野先生』に書いていた。魯迅が体を直すことよりも心を直すことの方がより必要だと考えた「文学」というのは、決して虚学である文学ではなく、実学である文学であったはずです。毛沢東は『湖南省農民運動視察報告』で、《我々の使命は「刺繍に花をつけたすこと」ではなく「雪に閉じ込められた地方に石炭を送ること」である》と述べていますが、文学・哲学にも「刺繍に花をつけたす」ような文学・哲学もあれば、「精神的に雪に閉じ込められた人々に精神的石炭を送る」ような文学・哲学もあるはずで、社会と人間を進歩させるような文学・哲学もあれば、社会と人間の進歩を妨げるような文学・哲学もある。福沢諭吉が言う「実学」と「虚学」というのは、文学・哲学でも「刺繍に花をつけたす」ような文学・哲学は虚学であり、「精神的に雪に閉じ込められた人々に精神的石炭を送る」ような文学・哲学こそ実学である、と考えたのではないか。もしくは、社会と人間を進歩させるような文学・哲学は実学であり、社会と人間の進歩を妨げるような文学・哲学は虚学であると考えたのではないか。・・・ところが、慶應の人には、その意味を取り違えた人というのがいたのではないのか、と思えてしかたがないのです。「精神的に雪に閉じ込められた地方に精神的石炭を送るような文学・哲学」を虚学だとして罵って否定し、文学・哲学でも「刺繍に花をつけたす」ような文学・哲学のみを愛好する人間のことを「思考が柔軟」とか「スマート」とか「塾風を見につけている」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とかなんとかかんとか言いまくる「塾風タイプ」、いわゆる「ギャルにもてもて」とか自分で言いまくっている連中が慶應という学校には大変多い。
  実学である文学・哲学を学び志す者が女性を輪姦しますか? 女性を輪姦するのが「独立自尊」ですか? 女性を輪姦するのが「慶大生らしい思考の柔軟さ」なのか? そこまでいかなくても、それに近いことを言う人が慶應義塾にはわんさといたのです。私は、そういうのは良くないと思ってきましたが、そういうことを口にすると「思考の硬さが気にかかります」とか「受験勉強の悪影響だ」とか「自我が確立されていないからそういうことを言うのだ」とか「独立自尊の精神がないからそういうことを言うのだ」とか「アイデンティティーがないからそういうことを言うのだ」とか、なんとかかんとか言われることになります。「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言うのだ」とか「診断」されます。電気ショックとかロボトミーとかされそうで、もう、怖いこわい怖いコワイ・・もう、何されるやらわからん。どうも、「塾風を身につけている」とかいうタイプの人にとっては、女子大生を集めて強制猥褻やったりするのが「慶應タイプ」で「思考が柔軟」で「福沢精神」で「独立自尊」で「自我が確立されている」でなんたらかんたらで・・ということらしいのですが、「なんでやねん!」と言うと、もう、「モラトリアム人間病にかかっている」とか「自我が確立されていないからそういうことを言うのだ」「独立自尊の精神がないからそういうことを言うのだ」とか「受験勉強の悪影響だ」とか「そんなことでは勤め先なくなるぞお」とか「結婚相手なくなるぞお」とかなんたらかんたら言われることになります。なだ いなだ『人間、この非人間的なもの』では、戦中、「どうも、日本は負けそうだなあ」と口にしたところ、「おまえは、それでも日本人かあ!」と言われたが、この「おまえは、それでも、日本人か」という文句には、日本人にもいろいろあらあな・・という考え方を認めない、自分とは違ったタイプの人間の存在を認めない偏狭な意識があるということを「作家で精神科医」の なだ いなだ氏は指摘しているのですが、そして、この文章は私が高校3年の時だったかの「現代国語」の教科書に採用されていたものでもあったのですが、ところが、慶應大学の学生というのは、この「おまえはそれでも日本人かあ」という文句の同類、「おまえはそれでも慶大生か」という文句を口にするのが大好き! という人が大変多かった。自分とはタイプが違う人間の存在を許さない偏狭な姿勢。そういう姿勢のことを「自我が確立されている」とか「塾風を見につけている」「スマート」とか「思考が柔軟」とか「アイデンティティーを持っている」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか「ギャルにもてもて」とか慶應の人は言うらしいのですが、なんで、そういうのが「自我が確立されている」なんだ? なんでそういうのが「独立自尊の精神」なんだ? 逆と違うのか? 「ギャル」とかいうやつてのは変な男が好きなんだなあ・・とか私などは思うのでしたが、そういうことを言うと、「自我が確立されていない」とか「独立自尊の精神がない」とか「受験勉強の悪影響だ」とか、さらには、「東大の学生みたいなことを言う」とか「東大病だ」とか言われ、「モラトリアム人間病にかかっている」とか言われ、なんたらかんたらくんたらこんたら症候群だ! なんじゃもんじゃシンドロームだ! とか「レッテル」貼られることになります。ロボトミーとか電気ショックとかされる危険もあります。危ない危ない、怖いコワイ怖いこわい、本当に怖い!!!
  なんで「塾風タイプの強姦魔」が「独立自尊」なんだ? なんで「慶應タイプの女たらし」が「福沢精神」なんだ? なんで「塾風翼賛主義」が「自我が確立されている」なんだ? ・・と思うのですが、慶應という学校はうかつなことを言えない学校でした。そこで、何年か暮らした結果、慶應の学生や教員にはうかつなことは言わない方が良さそうだ、本音をうっかり口にしないように気をつけた方が良さそうだ・・と思うようになりました。特に、「心理学者」に警戒せよ! という戒めを持つようになりました。ほんと、良心的な人は、この戒めは心に持っておいた方がいいですよ。「心理学者」に警戒せよ! と・・・。
  大学の入試は、高校までで学ぶとされたものを十分に学習できているかを判断するような試験にするべきなのか、そうではなく、その大学のその学部で扱う内容を学べる力があるかを判断する試験にするべきなのか。京大・阪大などは試験科目が多く、前者の考え方をとっていたのではないかと思いますが、慶應の場合は後者の考え方をとっていたのではないか。だから、今は変わっているかもしれませんが、私が高校を卒業した頃は、慶應大学の入試は、経済学部は「数学と英語」、商学部は「数学と英語と、日本史か世界史のどちらか」で、法学部は「数学と英語と国語と、日本史か世界史のどちらか」としていたのだと思います。その大学学部で学ぶ内容から試験科目を決めるという考え方は、片方で、「高校の勉強は高校の勉強だ」という考え方から京大・阪大などは高校までで学ぶ内容を十分に学べているかという視点から判断するというのも一理ありますが、高校までで何を学ぶことになっているかと別にその大学学部で学ぶものを学べる学力があるかの方から入試の内容を決めるというのもひとつの考え方でもあると思います。しかし、その結果、慶應は「入試に国語がない大学」になり、骨のある文学・哲学の作品を大学入学までに読んで考えてきていない人間の入る大学になり、その結果として、「強姦魔の大学」になってしまった。誰もが強姦しているわけではない・・というのはそうなのですが、私だって強姦なんてやったことはないし、おそらく、死ぬまでやることはないと思いますが、しかし、そういう人が出てくるというのは、それは慶應という大学が「国語が入試にない大学」だった、ということと関係がないことはないように私は思いますね。文学・哲学は決して虚学ではなく、人間にとって必要なものだと思います。
  ・・そして、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/  の営業本部長の天野隆夫さんは、「僕なんかは学校出てないから(最終学歴:中卒)、だから、人の気持ちがわかるんだよ。ぼくは学校出てないから、だから、気さくで、人間味があって、人に好かれる人間で、人間性が優れているんだ。」などちおっしゃるのでしたが、そして、「おい。そう思うだろ。思わないのか。『思います』と言え。ぼくが『思います』と言えと言ってるんだ。言わないのか。『思います』と言え」と言われ、無理矢理、「思います」と言わされたのでしたが、そして、その話を(株)一条工務店の某営業所長にすると、「あの人の、いったい、どこが『気さく』で、どこが『人間味がある』で、どこが『人間性が優れている』だあ? いったい、どこの誰がそんなおかしなこと言ってるんだあ、どこの誰があ???」と言うのでしたが、誰が言ったいたのかというと御本人であり、御本人の他には誰もそんなこと言ってないのでした。だいたい、文学・哲学・詩といった、人間についてのものを学んできたものと、そういうものを学んでいない者では、なんで、学んでいない者の方が、「人間味がある」だの「人間性が優れている」だのということになるのか? さっぱりわからんのでしたが、御本人は「ぼくは学校でてないから、だから、人間性が優れていて、気さくで人に好かれるんだ」と言われまして、営業本部長という立場のもとに、「『そう思います』と言え」と命令されるのでした。そんなことを、「『そう思います』と言え」などと言って無理矢理言わす人というのを「気さく」とか「人間味がある」とか「人間性が優れている」とか言うのか? と思うのですが、なにしろ、営業本部長がおっしゃることですから、実際のところ、「逆らうとうるさい」ので、「はい、そう思います」と言わないとうるさいですから、「はい、そう思います」と言うと、「そうだろ。そう思うだろ。そう思えよ」とおっしゃるのでしたが・・・、なんか、違うように思います・・・。「『そう思います』と言え」などと言って無理矢理言わせる人間というのが、「人間味がある」とか「人間性が優れている」とか言うのか・・というと・・・、まあ、世の中いろいろ、人間いろいろ・・なのかもしれませんが、私なら、実際にどうかにかかわらず、無理矢理言わせてもしかたがない・・と思うところですけれどもねえ・・・・。

【2】(ア)  1990年代前半からなかばのこと、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の福島県いわき市の営業所にいた時のことです。同じ営業所の男性社員に、仕事とは関係のない問題で女性から電話がしばしばかかってくるという男性が3人いました。 既婚の人で、緊急に連絡しないといけない用事が出たということで嫁さんからたまにかかってくるというのはかまいませんよ。しかし、嫁でもない、母親でも娘でも姉・妹でも姪でもない女性から、頻繁に勤務時間中に業務と関係のない用件で電話がかかってくるというのは困ったものでした。
  1人目は、設計(第一設計部)の春田靖(男。当時、20代前半)で、「佐藤さん」という女性から、朝から晩まで毎日毎日四六時中、電話がかかってきた。この女、おかしいのじゃないか? ・・同時に、この男、社会人として会社員として、どう考えてもおかしい! ・・と私は思ったし、普通の社会人ならそう思うはずである。 会社の電話というものは、会社の業務をおこなうための電話であり、基本的には、会社の業務と関係のないものに使用するべきものではない。「基本的には」というのは、たとえば、親が危篤だとか、子供が交通事故にあったとか、自宅が火事で燃えたとか、そういった緊急事態の場合に、やむをえず、会社に電話をして連絡をとるということは悪くはない。それは認められるべきである。又、(株)一条工務店の営業の職種の人間は、毎日、夜、遅くまで客宅に訪問する仕事なので、私にしても、母が親戚の結婚式に出てもらいたいと電話をしてきた時、親戚のじいさんが他界したので葬式に出てもらいたいと電話をしてきた時、自宅にいくらかけても、まだ、帰宅していないということが続いて、やむをえず、遠慮しまくりで展示場の事務所に電話をしてきた、ということがあったが、そういうものも認められるべきである。但し、春田靖など設計の人間は、私など営業の職種についていた者とは違って、退社時刻がそう遅くないので、自宅の方に電話をしても連絡は取れる場合が多いので、営業の職種の人間ほどは認められないはずである。又、展示場にかかってきた電話は、基本的には営業が取っていたので、営業の職種の人間は、他の営業に電話を取ってもらっても、お互い様であるが、設計の職種の春田靖は自分は電話を取らないのだから、お互い様にはならない。そういう者が営業の職種の人間に電話を取ってもらったならば、やっぱり、「すいません」「ありがとうございました」という言葉を言うのが礼儀であり、社会人としてのマナーであろう。たとえ、営業の職種の人間が営業の職種の人間に電話を取ってもらった場合でも、私用の電話の場合には、「どうも、すいません」「ありがとうございます」ということを言うべきであるし、私は、母が親戚の結婚式に出てもらいたいと電話をしてきた時、親戚のじいさんが他界したので葬式に出ないといけないと電話をしてきた時も、電話を取ってくれた人に「すいません」「どうも、ありがとうございます」ということを言ったはずである。
   春田靖と「佐藤さん」は異常でした。又、それを注意しない(株)一条工務店の使用者も異常でした。いったい、どんな女なんだ・・と思いました。この場合、「どんな女なんだ」というのは、どういう魅力的な女かという話ではなく、男性の自宅に電話をかけるのなら、別にいくらかけてもいいけれども、男性の職場に勤務時間中に何度も何度も、毎日毎日、朝から晩まで電話をかけまくるというのは、あれは、まともな状態ではないのではないか。社会常識が欠けていると判断するしかないし、又、それをやめてくれと言わない男もまた、社会常識が明らかに欠けていました。会社という所においては、社長とか重役とかであれば、社長室とか役員室とかの電話に私用の電話が入ってもまかり通るということは現実にあるかもしれませんが、春田靖は、1993年の時点で、東洋大の工学部建築学科などという「カネのかかる私立大学」「バカでも入れる私大の建築学科」卒で新卒入社して3年目でしかない男であり、普通、「バカでも入れる私大」新卒3年目の男がそういうことをやってまかり通る会社というのは、「世の中いろいろ、会社もいろいろ」であったとしても、あんまりないと思うのだけれどもなあ~あ・・・と思いました。そう思いませんか? かける女も女ならば、かけさせている男も男です。この男、いったい、どんな教育うけてきたんだ? ・・この男の親はいったいどんな親なんだ?・・・と思いませんか? 私は思いました。何やってる親なんだ? ・・とも思いませんか? 中学校の校長先生だそうです、この非常識な男の親は。なるほど~お。なるほど、中学校の校長先生というのは息子にそういう教育をするのかあ~あ? なるほど~お。そういう親が、「君が代」「日の丸」の強制とか、「口元チェック」とかやる、ということでしょうか。昔、高校の時、クラブのOBで京都大学に行った人たちが、京都大学の教育学部に行った人を、「教育学部というのは、教育される必要がある人間が行くところなんだ」などと冗談で言っていたことがありましたが、中学校の校長先生というのは、教育される必要がある人がなる職業だということでしょうか。
  実際のところ、「佐藤さん」という女性から春田靖にかかってくる電話は営業妨害であり、それをやめさせるように注意しない(株)一条工務店の使用者というのは、管理者としての責任を果たしていない。管理者責任を放棄していると言わざるをえません。その頃、企画室課長で後に総務部長になった天野雅弘が「所長の仕事は売るのが所長の仕事であって、管理したり指導したりするのは所長の仕事と違います」と言うのでしたが、それなら、「管理したり指導したりするのは」誰の仕事なんだ???  毎日毎日、会社の電話に私用の電話を四六時中かけてくる女がいて、それをやめるように言わない男に対して、注意するという「管理する仕事」は「所長の仕事とは違います」と言うのなら、誰の仕事なんだ? その電話を私は、毎日毎日、何度も何度も取らされてきたわけだが、春田靖からは今に至るまで、「すいませんでした」の一言もないが、これは社会人として非常識ではないか。中学校の校長先生というのはそういう教育をしているのかもしれないが、その教育は間違っているのではないか。
  家族の場合、親・兄弟姉妹・息子娘・配偶者などが、緊急の連絡の場合に会社の電話にかけるというのは、それはやむをえないと思いますが、「佐藤さん」という女性は春田靖の親でも子でも兄弟姉妹でもなければ嫁でもないのです。嫁でもない女から、会社に勤務時間中に四六時中、電話がかかってきて業務妨害やる男に対して、何ら注意しない会社経営者というのは、それはいったい何なんだ?!?
  「佐藤さん」は春田靖の嫁ではない。嫁の場合でも、勤務時間中に男性の職場に仕事と関係のない電話を毎日毎日何度も何度も四六時中かけまくっていいというものではない。今から考えると、あの「佐藤さん」という女性は「病的」だったのではないか、という感じがするが、私の感覚では「病的」な行為でも春田靖にとっては普通だったのかもしれないが、普通は・・・といっても何が「普通」かという問題があるかもしれないが、普通は、男性の職場の電話に勤務時間中に朝から晩まで毎日毎日四六時中電話をかけまくるというのは、それは会社という所で通じることではないし、あんまりそんなことする人間ないと思うがなあ~あ・・という行為だった。
  何月何日に結婚式をあげますとか、何日に入籍する予定ですとかいう婚約者ならどうなのかというと、婚約者であっても、仕事と関係のない電話を毎日毎日朝から晩まで職場の電話にかけまくるというのは認められることではない。私が春田靖の親ならば、「おまえ、そんな非常識な女とつきあっていいのか」と一言は言いますし、「まともに勤めようと思うのなら、その女に『電話をするのなら、職場にかけずに自宅にかけるようにしてくれ』と言いなさい」と注意しますが、春田靖の親というのは息子を教育できない親のようで、その程度のことも息子に言わない言えない親だったようである。「親の顔が見たい」気がしないでもないが、「親の顔が見たい」という言葉には2通りの意味があるが、実物を見せられてもどうしようもない。
  さらには、春田靖はその電話魔の「佐藤さん」とそのうち、絶縁したらしく、そうなると、それまで、「婚約者もどき」であるから会社に私用の電話を頻繁にかけてきても認められるみたいな態度を春田靖はとってきたはずだったが、「婚約者でもなんでもないバカ女」から会社に私用の電話がかかってきていた、ということになる。野村のじいさんがどこかに書いていたが、野村のじいさんが選手であった時、一軍の試合に出してもらえるようになったきっかけはというと、野村じいさんは高卒でテスト生として南海ホークスに入団したけれども、1年後に解雇と言われ、それでは生きていけません、解雇されるのなら南海電車に飛び込みます・・と言って、それで、もう1年置いてもらえることになった、南海電車に飛び込むなどと言ったやつは初めてや・・ということでもう1年置いてもらえて、2年目、二軍の監督がよくめんどうみてくれる人で、バッティングはいいが捕手としては肩が弱いので一塁手をやってみろと言われて一塁手をやると、二軍では打撃成績の方はそこそこの成績を残せて、捕手としての送球が良くなる工夫をやり、2年目の終盤に捕手にもどしてほしいと二軍監督に言うと、「おまえは肩が弱いからだめだ」と言われたので、「まあ、見てください」と言って二塁への送球を見せると、二軍監督はその上達に驚き、2年目の終わり、南海ホークスが優勝した「御褒美」の意味もあってハワイでのキャンプが実施されたが、それに二軍から捕手を1人連れて行くことになった時に二軍監督が野村を推薦してくれて、ハワイには捕手は3人行くことになったが、一軍のレギュラー捕手が怪我をしたということがあり、それでも、3番手の野村ではなく2番手の捕手が試合には出るものだと思っていたら、2番手の捕手はハワイに行くと、毎夜、遊びまくり、南海の宿舎にまでハワイの若い女性が「ハ~イ!」と言ってやってくるという状況で、監督の鶴岡はそれを見て激怒し、1番手の捕手が怪我をして試合に出れないとなった時に、2番手の捕手ではなく3番手の野村に「野村、出い」と言って試合に出してくれたところ、ハワイのチームは野球のレベルはそれほど高くなかったこともあって試合で成果を出すことができて、日本に戻ってからも一軍の試合に出してもらえるようになった・・・と書いておった。春田靖に毎日毎日、勤務時間中に四六時中、電話がかかってきた「佐藤さん」という女性は、嫁でなかっただけでなく婚約者でもなかったわけで、結局、「嫁でも婚約者でも何でもない女」から毎日毎日、勤務時間中に、朝から晩まで四六時中、営業妨害・業務妨害おかまいなしで、電話がかかってきたのであったが、春田靖は別の女性と結婚すると言い、私にも「結婚式の二次会」に出てくださいと言ってきたので、そんなものに出たのでは筋金入りのアホだと思い「用事で断った」のだが、そうすると、春田靖は「どうして、出てもらえないんですか」と何度も言ってきたのだったが、出てもらえると思う方がどうかしているのであり、「どうして出てもらえないんですか」と考えるおまえの頭の構造はいったいどうなっているんだ? ということであった。結局、春田靖がやったことというのは、鶴岡監督が激怒したという、毎夜、門限を破って遊び歩き、南海の宿舎にまでハワイの若い女性が「ハ~イ!」と言って押しかけてきた、というのと、やっていることは一緒であろう。それにしても、「中学校の校長先生」というのは、息子になんかユニークな教育やってるもんだと思う。
  ついでに、私が行った北野高校の物理のF先生の娘は私と同年齢だったが天王寺高校から京都大学の医学部に現役で行ったそうで、父の知り合いだった豊中高校の某先生の息子は私より少し年上だったが北野高校から大阪大学の医学部に現役で合格して行ったが、又、母の叔母の旦那は小学校の先生をやっていたが息子(母のイトコ)は天王寺高校から1浪したけれども東大の文科二類に進学したが、学校の先生というのは「教える仕事」であり、学校の先生の息子というのは現役で京大の医学部とか阪大の医学部とか、もしくは東京大学とか京都大学とかに行ったりするものかと思っていたのだったが、春田靖は中学校の校長先生の息子なのに、なんで、東洋大なんてものに行っているのだろうか。その先生に習ったら、なんだか、成績下がりそうやな・・・。
  私は、うちの父親から「うちは工学部になんか、行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と、毎日、指で私の眼を突き刺すようにして言われてきたものだったが、「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずや」と言ったのだが、それでも、母は「100パーセント国立大学に通るという保証はないでしょうが。落ちる可能性がたとえ0.1パーセントでもあるからには国立大学でも工学部なんて受けたらいかんでしょうがあ」と言ったのだった。又、私が高校3年の時には父は「国立大学かせめて慶應・早稲田くらいに行くのなら大学も行ったらいいし行くべきやけれども、明治やたら法政やたら専修やたらポン大やたらそんな私立大学に行くやつなんて、大学行くことあらへん。そんなやつはどいつもこいつも自衛隊に入れてやるべきや。甘ったれとってはいかん。自衛隊に入れてやるべきや、自衛隊に! 又、東大にでも行くのなら、もしくは慶應か早稲田に行くのなら東京で下宿してでも行ったらいいし、行くべきやし、下宿すんのは嫌やなどと甘ったれたこと言っておってはいかんが、そんなもん、明治やたら法政やたら専修やたらポン大やたら何たらそんな私立のアホ大学に行くのに東京で下宿してまで大学に行くことあらへん。アホ大学に行くやつなんて、たとえ行くにしても地元の学校で十分や。甘ったれとってはいかん。甘ったれとっては」と言っていた。なおかつ、私が浪人すると、「高校は義務教育ではないんやから、おまえは高校には行くべきではないんや。それをおまえが北野高校に行ったというのは、それは甘ったれとるから北野高校に行ったんや。お~ま~え~はあ~あ、高校行くなちゅうんじゃ、高校行くな、チャンコロ! 高校行くな、浪商! おまえは北野高校に行ったと思っておるかもしれんけれども、たとえ、北野高校に行ってもおまえは浪商じゃ、浪商! おまえは『天の神さま』が、この人間は浪商! とお決めになってこの世に産まれてきた人間なんじゃ。この浪商めがあ、この浪商! 浪商は大学なんか行くことないんじゃ、浪商! 浪商、大学行くな、浪商! 大学行かんでええんじゃ、浪商めが、このチャンコロ、浪商! 浪商!、なみしょう!、ナミショウ!、浪商!!!」と言ったものだった。それから考えると、春田靖なんか、どう考えても、義務教育であろうがなかろうが、中学校行ったのはどう考えても余計であって、中学校なんか行くべきではないし、小学校行ったのも余計じゃ! ということになるはずであった・・・が、なんで、静岡県の人間が東洋大学なんて私立大学に東京で下宿して行ったのだろうか? なんで、自衛隊に入らないのだろうか? まったく、わけわからんなあ、ほんと・・・。又、東洋大なんて大学しか行けないような人間が、私立大学でなおかつ、学費が高い工学部になんか行く必要はないし、行くべきではないはずであるのだが、なんで、学費の高い工学部になんか、東洋大しか行けないような甘ったれたヤツが行ったのだろうか? 中学校の校長先生というのは、無茶苦茶、給料高いということか??? 中学校の校長先生というのには給料やりすぎと違うか??? 春田靖はかなり高そうなオフロードカーになんぞ乗っていたが、私立バカ大学出て3年目の男が、そういうクルマに乗っているというのも私には理解できない。

(イ) 2人目は、営業のM上(男。当時、20代後半)だった。彼は、自称、
「暴力団住吉連合系小名浜一家の組長の息子、
中学校時代に同級生を殴って失明させたことがある、
高校時代は暴走族のリーダー、
極真会空手の有段者、
大学は千葉工大の建築学科に行って4年で中退したが、
千葉工大に行っていた時、アルバイトでホストクラブに勤めていてナンバーワンホストだった。
ホストをやっていた時、覚せい剤を扱っていたことがあり、
ヤクザに押しかけられて、極真会空手で撃退した。
傷害罪の前科がある。
父親は入墨を入れている。」
という話だったが、いわき中央警察署で聞いた話によると、「小名浜にはM上という名前のヤクザはおらん」ということで、住吉連合系小名浜一家の組長というのはM上の父親ではなくまったく別人で、M上には前科はないらしく、高校までの同級生が言うには、千葉工大なんて最初から行っていないそうで、↑のうち、本当の話は「父親が入墨を入れている」というものだけだったらしい。
  その「入墨」も「ヤクザの入墨」ではなく「職人の入墨」だという話がある。但し、たとえ、そうであっても、職場で「うちの父親は入墨いれてる」だの「うちの親は住吉連合系小名浜一家の組長だ」とか「俺は傷害罪の前科がある」だの「俺は極真会空手の有段者」だの「高校時代は暴走族のリーダーだった」だの「中学校時代に同級生を殴って失明させたことがある。俺は切れたら止まらない」だの何だのかんだの言って脅すというのは、それは「カタギのやることではない」し、そういうことをやる人のことを警察は「ヤクザではない」と言うらしいが、推測するとそれはおそらく警察が持っている「暴力団構成員」のリストに名前が入っていないという理由で「ヤクザではない」と言うのであろうけれども、警察の分類では警察の「暴力団構成員」のリストに名前が入っていないという理由で「ヤクザではない」という分類になったとしても、一般の用語ではそういう人を「カタギ」とは言いません。又、「職人の入墨」であったとしても、職人でも「入墨を入れている人」というのは、それだけ、ヤクザに意識が近い人と一般に判断されるもので、(株)一条工務店のようないいかげんな会社ですら、その後、「どんなに腕のいい職人でも、入墨を入れている人間は使うな」と指示を出したはずである。逆に、2011年、千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング(有)〔建設業。2013年11月に正式に倒産〕では、自称「工事責任者」の植草A二(男。当時、30代なかば)が、同社で仕事をしていた職人の某さんを「某さんは親がヤクザですが某さんは入墨いれてますけどヤクザじゃないです。入墨いれてますけど、いい人ですから」などと言っていたので、実際、「入墨いれてる人」が誰もが「悪い人」ということではないだろうし、そもそも、ヤクザやってる人でも、個人的につきあえば人情味のある人もいるのかもしれないが、「ヤクザでさえなければ、いい人」もいるかもしれないが、たとえ、「ヤクザでなければ、いい人」であったとしても、それでも「ヤクザ」であるという点が問題であるのであり、それを自称「工事責任者」が「入墨いれてますけど、いい人ですから」とかそういう口をきいているというあたりが、「レベル低い」のであり、自称「工事責任者」がそういう口をきいているというあたりは、新華ハウジング(有)は(株)一条工務店なんていいかげんな会社よりもまだ「レベルが低い」と考えるしかない状態だった、ということである。清原がテレビで「入墨は犯罪ではありませんから」とか発言していたが、たしかに入墨はそれ自体は犯罪ではないだろうけれども、しかし、それを入れたがる人間というのは、やはり、ヤクザさんに意識が近づいていたのであり、清原が覚せい剤に手を出したというあたりを考えても、そういった方向に進んでいた兆候と考えられるのではないか。「入墨」にも「ヤクザの入墨」と「職人の入墨」があるとはいっても、入墨自体は犯罪ではないとしても、やっぱり、「入墨いれている人」というのはそういう方向にいくらか近い人と考えるしかないであろう。2011年、(株)一条工務店の総務部長の天野雅弘が「入墨くらい入れたっていいだろう。なんで、入墨いれたらいかんのじゃあ。なんで、入墨いれたらいかんのか説明しろ」と私に言ったことがあったのだが、(株)一条工務店はそういう人が総務部長になっている会社だった。いつだったか、千葉県船橋市のあるスーパー銭湯に行ったら、入口に
「入墨を入れている方の入場はお断りいたします。 船橋警察署」
と書かれた紙が貼られていた。(株)一条工務店の総務部長は、「なんで、入墨いれたらいかんのじゃあ」と私に質問するのではなく、「なんで、入墨いれたらいかんのじゃあ」と警察署にききに行った方がいいのではないか? この天野雅弘の発言をある知人に話したところ、「それ、その人も入墨いれてるのと違うのお?」と言われたのだが、そう言われれば、可能性としては考えられないこともなさそうな感じがする。
  M上は「K成とS本がうちの小名浜の実家に来た時に親爺が風呂から出てきて、入墨が入ってるのを見て、2人でびびっていた」とも話していたのだが、S本さんにきくと、びびるもびびらないも、「私、M上さんの実家に行ったことなんて一度もありませんよ」ということだった。次から次へとよく言うと思う。
  世の中、学歴を詐称する人、職歴を詐称する人、資格を詐称する人などはけっこうあって、1970年代後半、大阪府高槻市のYMCA予備校高槻校(とうにつぶれて、ない。YMCA予備校高槻校があった場所は、大阪医大 本部北西部キャンパス になっており、建物は今もその場所にあって大阪医大が使っている。)の「主事」というよくわからん職種の藤井という男は、1日最低3回は「ぼく、早稲田の政経でてるんだけどな」と何度も何度も繰り返し繰り返し、「もう、それ、聞いたよ」という文句を反復学習として言いまくっていたが、その時は、この男を見て、早稲田大学というのはくだらん大学なんだなあ、と思ったのだが、そういう問題ではなく、まず、あれは学歴詐称であろう。貧乏人のことゆえ、あまり高いものは賭けられないが、カツ丼か牛丼、もしくは天津丼くらいなら賭けてもいい(なんなら、親子丼でもいい)。あれは絶対に学歴詐称である。いくらなんでも、あんな早稲田ないわ! 万一、詐称でなかったとしても詐称みたいな人間だったが、まず、あれは学歴詐称である。その「早稲田の政経」というやつは、「学歴詐称の定番」「学歴詐称の王道」であり、又、1980年代後半、小堀住研(株)の千葉支店柏営業課(展示場)〔その後、松戸展示場に移ったとも聞くが〕にいた犀川(さいかわ)(男。当時、30代)は「私、早稲田の建築でてますから」とお客様に話していたというが、おまえ、「早稲田の建築」みたいな顔してないだろうが! という男で、実際はニチゲー(日大芸術学部)卒だそうで、元マンション屋の営業だったらしいが、なんか、マンション屋の営業が言いそうなこと・・という感じがしないでもないが、この「早稲田の建築」というやつは建築業界限定で「学歴詐称の定番」「学歴詐称の王道」ともいうべきもの、「オーソドックスな詐称」である。こんな具合で、「早稲田の政経」が学歴詐称の定番、建築業界においては「早稲田の建築」というのが学歴詐称の定番で、そういう詐称をする人間、そういう「おまえ、早稲田の建築みたいな顔してないだろうが!」て感じの男というのはゴマンといるのだが、親が暴力団の組長だとか傷害罪の前科があるとか、そういう詐称してもマイナスになってもプラスになることはないと思われることを実際は違うのに詐称する人なんてあるわけないだろう・・と思っていたら、あったのだ( 一一)
  他にも、「俺は二級建築士の資格を持ってるから、インテリアコーディネーターは受ければ間違いなく通るけど、受けないんだ」とか言っていたが、「ああ、そうですかあ」と適当に返事しておいたが、インテリアコーディネーターと二級建築士は出題傾向が異なり、いくらか出題分野も異なるので、どちらが難しいとはいちがいに言えない試験で、インテリアコーディネーターの方が難しいのではないかと言う人もいるが、そのあたりはよくわからない。いずれにしても、何でそんなこと言うのかなあと言う意味がよくわからなかったのだが、後から考えてみると、「受ければ通るんだけど」と言えば、ひとはプラスに評価するだろうと思っていたらしかったが、私などは「受験のベテラン」ですから、「受ければ通りそうに思う」と「受けて通った」とは似ているようでも全然違う、ということを知っている。「そんな所、落ちたら、眼かんで死なんといかんわ」なんて思ってると、それだって絶対に通るとは限らない。 「受ければ通りそう」なんて思っている所を実際に受けたら落ちた・・なんてことはいくらでもあることであり、「受けたら通るんだけど受けないんだ」などと言われても、「ああ、そうですか」と言うしかないし、「ああ、そうですか」で終わりの話である。その後、2008年、千葉市の東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕https://www.10kai.co.jp/ の花見川店の店長になった田中(男。当時、60歳)という目つきが悪く人相が悪い男もまた、「俺は宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)の資格は受ければ通るんだけど、あんなもの、とってもしかたがないから受けないんだ」と言うので、はあ、なるほど、通らないということですな・・と思った、ということがあった。そういう人って、けっこういるみたい・・・( 一一)  (株)一条工務店では、1990年代なかば、ベテランの「木南さん」(仮名)が「私は、本当はもっと契約とれるんですけど、わざと取らないようにしてるの」とか言うから、もっと取れるのなら取っていただいてもかまいませんねんけどねえ、私、取らないでくださいなんてお願いしてませんでしょ・・・と思った、ということもあったが、(株)一条工務店には「私は本当はもっと契約取れるんだけど、わざと取らないようにしてるんです」とか言う人というのも何人かいたが、別に取らないでくださいなんてお願いしてませんでしょ、取れるのなら取ればいいでしょうが・・と思ったものです。そういう人はけっこういました。
  M上は「千葉工大の建築学科に行って4年で中退した」と称していたので、「それはもったいない。4年まで行ったのなら、ともかく、卒業しておけば良かったのに。卒業した場合に比べて中退はどうしても不利ですからね」と私はM上に言ったのだが、M上の場合は、中退も何も、4年まで行くも行かないも、最初から千葉工大なんて行ってなかったらしい。いわき市の工業高校の建築学科を卒業していわき市の地元の会社に就職したらしい。(株)一条工務店に勤めたのも、ミサワホームの中央設計室にいて、かつて、ミサワホームが(株)一条工務店を買収しようかと考えたことがあって、その際に、ミサワホームから派遣されて浜松の(株)一条工務店の本社に行った時に、(株)一条工務店の大澄賢二郎社長からひとりだけ別室に呼ばれて、「M上くん、ぜひ、うちの会社に来てくれないか」と言ってスカウトされて、それで、どうしようか迷ったけれども、社長から直々に熱烈にスカウトされたので、社長から頼まれるのならと思って(株)一条工務店に入社した・・と言っていたのであるが、私はその話を一時は本気にしてしまったのだが、それも嘘で、だいたい、M上はミサワホームの中央設計室になんて勤めてないし、そもそも、ミサワホームに勤めてないらしかった。「よく言うわ~♪ いつも、騙してばかりね~え♪」・・・というのか、実際には5のものを6みたいに言うというくらいなら、そういう言い方をする人はあると思うし、それならわからないこともないし、いいように思ってもらえる話し方をするというのは、そのくらいなら営業的能力と考えることもできるのではないかとも思うが、「よく言うわ♪」「バカ言ってんじゃないわ♪」・・というのか、もう、あきれた! ・・東海住宅(株)の花見川店の店長の目つきが悪く人相が悪いヤクザ顔の田中は「(千葉県立)佐倉高校を出て明治大学に行って明治大学を中退した」と称していたのだが、佐倉高校というのは野村のじいさんに「わしぁ長嶋大好きや♪」とか言われてバカにされまくりの長嶋茂雄の出身校・・と考えるとあんまり進学校という感じはしないのだが、千葉県の北東部においては進学校らしく、「明治大学中退」なんて詐称しても自慢になるような学歴ではないので、本人がそう言うのならそうなのだろう・・と思っていたら、「ええ~え? あんなヤツ、佐倉高校だの明治大学なんて行ってるわけないだろ~う」と言う人がいて、そう言われると、そうかもしれんなあ・・と思うようにもなった。田中は不動産業の会社の東海住宅(株)に長く勤めてきたらしいが、宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士の資格は持っておらず、「俺は宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)は受ければ間違いなく通るんだけど、あんなもの、取らない方がいいから取らないようにしているんだ」などと言っていたのだが、たしかに、「不動産屋」でも、「三井」「三菱」「住友」「野村」といった名前が会社名の一部に入っているような不動産会社ならば宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士の資格は持っていた方がいいであろうけれども、東海住宅(株)とかその程度の会社に勤めるならば、むしろ、持ってない方がいいくらいみたいなところがあるのは事実であるのだが、しかし、一般に、大学入学・卒業において、行きたいと思った大学に行かなかった行けなかった人、入学はしたけれども卒業しなかった人というのは、資格試験などについては、思い通りに入学して卒業した人以上に、何が何でも合格しようという気持になる場合が多く、もしも、本当に県立佐倉高校から明治大学に進学したが中退したのであれば、普通に卒業した人間以上に資格試験などは合格しようという気持になることが多いはずで、それは、実際にその資格を取得したとして、それが勤務先で役に立つかどうか、勤務先で高く評価してもらえるかどうかとは関係ないものであり、そして、旧型司法試験とか公認会計士試験とかになるとそういう気持で取り組んだとしてもだから通るとは限らない試験であるが、宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士というのは受けさえすれば通るような易しい試験ではないけれども、旧型司法試験のような東大・京大あたりの学生や出身者が計画を立てて学習して通るか通らないかというような難易度の試験ではなく、明治大学に入学したというくらいの人ならば、本気で学習すれば合格できていい試験のはずであり〔私が合格した時の経験から言うと、《仕事をしながら学習して受験する場合、「1年で通る」という気持でやって、結果として3年以内くらいで合格できれば、まあ、悪くないか》というくらいの試験〕、それを「俺は受ければ通るんだけど、わざと取らないようにしてるんだ」とか言うあたりは(私は取らないでくださいとお願いしたことはないし、別に、わざと取らないようにしてもらわなくてもいいのだけれども)、なんか、その経歴て詐称っぽ~いような・・という感じがするし、ある程度以上の大学に行った人間は自分の経歴を詐称している人間と一緒にされたくないと思うものだから、勤め先の仕事と関連のある国家資格になると、それがどれだけ役立つかにかかわらず、意地でも取ってみせようではないかと考えるもので、それを「明治大学中退」だと言いながら「宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)は俺は受ければ通るんだけど、わざと取らないようにしてんだ」とか言うというあたりは、「受ければ通る」と言う人というのは実際に受けると落ちることがしばしばあるのだけれども、「明治大学中退」の方も怪しそうだな・・という感じがしてくる。又、かつて、お茶の水のJR「お茶の水」駅の西側の南北の通りを南に行った西側のカドに明治大学の生協があって、私が慶應大学の学生であった時に、一度、立ち寄ってみると、明治大の生協というのは生協でも慶應の生協とはずいぶんと感じが違ったのを覚えていて、その後、勤めた会社に明治大卒の人がいたのでそれを話してみたところ、「そりぁ、明治の生協はブントがやってるもの」という話で、なるほど~お・・・西武セゾングループがやってる・・のかどうか知らんがそんな感じの慶應の生協とは違うわけだあ~あ♪ と思ったものだったが、田中にその話をしても田中は知らなかったので、あれ? と思ったということもあった。詐称なら詐称で、M上の「千葉工大建築学科中退」にしても、田中の「明治大学中退」にしても、学歴詐称するのならそれならそれで、「中退」なんて言わずに卒業したことにすればいいのではないのか・・と思ったのだったが、ところが、卒業したことにすると、もしも、卒業証明書を出してくれと言われた時に実際に卒業していない人は出せないし、大卒が受験資格の資格試験を受けてくれと言われたり、「大卒+〇年の実務経験」で受講できる講習を受講してくれと言われた時に受講できず、学歴詐称がばれることがあるが、「4年で中退した」ということにしておけば、卒業証明書は最初からないし、ばれるおそれが小さくなる・・ということがあったようだ。なかなか、芸の細かいところだった・・ということか・・・。もっとも、詐称するためにそれだけの工夫と努力をするのなら、合格して卒業するためにその努力をしたならどうなんだ、という気持もしないことはない。1990年、小堀住研(株)の東京支店自由が丘営業課にいた「近藤すしいち」(仮名)(男。当時、20代前半。近畿大学経済学部卒)が「ぼく、宅建主任もってますから」と大声でお客さんに言いまくっていたのだが、本人が言うには「最初に配属された営業課の☆☆課長が『おまえは、大学も近大しか出ていないし、学部も経済学部しか出ていなくて取り柄がないから、だから、お客様に評価してもらうために、宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)の資格を持っていることにしろ』と言われて、それで『宅建主任もってます』ということにしているのであって、ほんとは持ってません」と言うのだったが〔まず第一に、その「経済学部しか」というその言い草は何だ! 「経済学部しか」というその認識は何だ!〕、しかし、弁護士とか公認会計士とかそういう資格なら合格・取得するのもけっこう大変だが、宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)というのはそこまで難しい試験ではないのだから、「宅建主任もってます」と言いたいのなら、持ってないにもかかわらず「持ってます」と言って詐称がばれないようにする工夫・努力をするくらいなら、合格するための工夫・努力をして合格・登録して「持ってます」と名のった方がいいのではないのか・・と私は思ったのだったが、世の中には持ってない資格を「持ってます」ということにする工夫・努力はしても、それほど難易度が高いわけでもない資格を取得するための工夫・努力はやってたまるか! という人というのがいるようだった。 1991年だったか、テレビで、ワシントン条約で国際間の売買が禁止されている絶滅危惧種だかの熱帯魚を密輸しようとした人が捕まったというニュースが出ていて、密輸するためにものすごい工夫をその人はしていたのだったが、筑紫哲也が「密輸するためにここまでものすごい努力と工夫をするのなら、その努力でこの魚を養殖する技術を開発したらどうかと思うのですが」と話していたのだが、私もそう思った。そこまでものすごい努力をして詐称がばれないようにする工夫をするのなら、いっそ、その努力でその資格を取ったらどうなんだ・・と思うのだが、なぜか、詐称がばれないようにする努力なら涙ぐましい努力と工夫をするけれども、実際に合格するための努力は信念もってやらない、という人がいるようである
  M上の場合、その後、展示場のテレビで高校サッカーの中継をやっていた時、市立船橋高校のエースストライカーという選手を、「あいつ、俺が昔、サッカー教えてやったやつだ」とか言い出し、M上が出て行った後、「あいつ、よく言うよなあ。ほんとに」とみんなで笑った・・ということもあったが、そういう「虚言壁」というのか、その「ビョーキ」は簡単には治りそうにないようだ。
  M上は、いわき市平 田町(たいら たまち)のクラブに勤めていたホステスの「T木」という女と同棲していて、毎夜、送り迎えしていたという話だったが、その「T木」という女、店での源氏名は当たり前のことだが本名とは異なるものを名のっていたが、その女から、展示場の事務所の電話に「M上さん、いますか」と、おのれの名前も名乗らずに、当たり前みたいに、おまえはいったい何様だ?!? という調子で電話が何度も何度もかかってきた。私は、M上がその女が勤めている店に行こうと言うので言ったことがあるのだが、その店も店で、自分の店の女が客の勤め先に、自分の名前も名乗らずに、「M上さんいますか」と何度も何度も電話をかけているということに対して注意もしない、というのは問題である。
  そもそも、その「T木」という女とM上とはアパートの同じ部屋に住んでいたはずであり、同居している者に、何も職場に電話しなくても、自宅で話をすればいいことであり、何か言わないと気がすまないと思うと、個人の電話ではなく会社の電話であろうが、勤務時間中・営業時間中であろうが、相手の会社の従業員にとっては営業妨害・業務妨害になろうがおかまいなしに電話しないとおれない、という、なんというのか、「自己チュー症候群」というのか、「『佐藤さん』(女性)みたいや・・・」て感じだったが、春田靖に電話かけまくってきた「佐藤さん」と違うところとしては、その「T木」という女は、口のきき方からして横柄であり、自分の名前も名乗らない、「どちらさまでしょうか」と言っても、「M上さんはいますか」と言い、「どちらさまでしょう?」と言っても、「M上さん、いますかと言ってるんです」とか、こいつ、何様なんだ・・という調子で電話しまくる、この女、「普通の女じゃないなあ」という感じの電話のかけ方をしてくる女だった。
  そのうち、同棲関係を解消して、M上も退職したようで、T木という女からも電話がかかってくることもなくなったが、非常識な女だった。いわき市平(たいら)田町のクラブ某も、従業員にもう少しまともな社員教育をした方がいいと思う。
  (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の、その頃は企画室課長で後に総務部長になった天野雅弘は「管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違います」と言うのだったが、しかし、職場にその会社の業務と何の関係もない用事で何度も何度も、おのれの名前も名乗らずに「M上さん、いますか、M上さん」と、お前はいったい何様なんだ・・という調子で電話かけまくってくるバカ女に対して・・というよりも、そのバカ女に職場に電話させている男に対して、(株)一条工務店の使用者は「私用の電話は自宅でやってくれ。会社の電話に私用でかけさせるのはほどほどにしなさい」と注意しないといけないはずであり、それが「所長の仕事とは違います」と企画室課長⇒総務部長の天野雅弘が言うのであれば、それなら、そういうバカ女に何度も何度も会社に電話させている男に注意するのは誰の仕事なんだ? ということを、会社としてはっきりとさせる必要がある。そういうバカ女の電話に被害を受けて来た者に対して、「管理するのは所長の仕事とは違いますから」と言うだけで、誰の仕事なのか言わないというのでは、それでは、天野雅弘は企画室課長⇒総務部長としての仕事をしていることにならない。それで、企画室課長⇒総務部長として悪くないと思っているのなら、それは「ち~が~う~だ~ろ! このハゲぇ~え!」という問題であろう。〔⇒《YouTube-素材】このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4 〕 

(ウ)  3人目は(ア)(イ)の2人とは事情が違う。営業のSさん(男。当時、20代後半)は既婚・妻帯者だったが、そうであるにもかかわらず、いわき市平(たいら)田町のスナックに勤務していた女性に孕ませたらしく、その女性から、妊娠したけれどもどうしようと相談したいということらしい電話が、何度も何度もかかってきた。(ア)の「佐藤さん」は何を勘違いしているのか、取り次いでもらって当たり前みたいにかけてきたし、(イ)の「T木」さんは、(株)一条工務店の展示場の電話に、(株)一条工務店の業務と何の関係もない電話をかけてくるのに、おのれの名前も名乗らずに、「M上さんいますか」と横柄な口のきき方でかけてきて、こんな女の店なんて行かない方がいいなあ・・・という気持にならせたものだったが、Sさんにかけてきた女性はそうではなく、「お仕事中、誠に申し訳ありませんが、Sさんはおられますでしょうか」と言ってかけてきたのだ。
  Sさんには、その都度、「◇◇さんから電話がかかっていますが」と伝えたのだが、その都度、「『いない』って言って」とか、それだけではなく、「『いない』と言え」などと言うのだった。私は、既婚・妻帯者なのに独身の女性に孕ませた男に、その女性が悲壮な声で電話してくる電話を取るのは(株)一条工務店の私の仕事ではないし、「すいません。外出中だと言ってもらえませんか」と言うのならまだしも、「『いない』と言え」などと言われる筋合いはないのだが、そう言うのだった。その女性は(ア)(イ)とは違って、Sさんの携帯電話にすでにかけたが出てもらえないので、それで、(株)一条工務店のSさんの所属の展示場の電話にかけてきたようだった。
  何度もかけてきて、そのたびに、Sさんは平気で居留守を使うのだったが、(ア)(イ)のバカ女には、いいかげんにしろよといいかげん頭にきたものだったが、この人の場合は、悲壮な声でかけてくるのであり、その声を聞くとかわいそうで、ともかく、おのれが孕ませたのなら、電話に出るくらいは出て何なりと対応するべきではないのか、と思ったが、無責任な男は一貫して「『いない』って言って」と言って逃げまくるのだった。
  お水とお風とを一緒に思っている人がいるが、そうではないようで、スナックのホステスをやっている女性には、しろうととほとんど変わらないような人もおり、ソープランドの「嬢」は性交するのが仕事となっているようだが、スナックのホステスには片方でソープランドに勤めて片方でスナックに勤めているような人もいるらしいが、そうではなく、「普通の女性」の方にずっと近い人がおり、客として来た男性とも、本気でつきあう気持になる人がいるらしい。そういう人の方が「プロ」の女を相手にするよりも遊ぶのにいい・・みたいに思う男がいるらしいのだが、そういうことはするものではないと思う。相手の女性がどういう気持でいるのか、考えてみるべきだと思う。本気でつきあっているつもりの女性に、本気でつきあうつもりもないのに、その気にならせて、悲壮な声で電話させて、その電話にも出ない男というのは私は好きになれない。(株)一条工務店のアホ経営者には、そういうことをやって「遊ぶ」男がえらいみたいに思っているヤカラがいるようだが、それはとんでもないことだ。
  今は昔、元巨人の河原投手が元ソープランド嬢と結婚したとして批判されたことがあったが、河原投手はその女性がそういうことをやっていたことを承知の上でその人と結婚しようと決めたのだと言っていたわけで、本人が承知の上で結婚したのなら、その点では、他人がそれをいいだ悪いだ言う必要のないことであったはずで、むしろ、スナックに勤めていても、「普通の女性」の方に近い人に、本気でつきあうような態度で接して孕ませて逃げる男の方がよっぽど卑怯で問題があるのではないか。
  私はあの悲壮な声を聞いて、ああいうことはやりたくないものだと思った。(株)一条工務店の企画室課長⇒総務部長の天野雅弘は「管理するのは所長の仕事とは違います」と言うのだが、それなら誰の仕事なのか? むしろ、そういう女性からかかってくる電話を取るのは、それこそ、私の仕事とは違うはずなのだが、会社にかかってくる電話は営業は取らないわけにいかないので取るのだが、なんで、私はそういう電話を取らされなければならないのか? (株)一条工務店の企画室課長⇒総務部長の天野雅弘は「管理するのは所長の仕事とは違います」と言うのなら、所長以外の誰が担当なのかはっきりとさせた上で、展示場にかかってくる電話について、「おまえ、どういうことがあったのか知らんが、自分にかかってくるものについては、電話に出るくらい出てきっちりと対応したらどうなんだ。同じ営業所にいる従業員は何の関係もないだろ」というくらい言うべきもので、それを「所長は管理するのは仕事と違いますから」などと言って、私に私の仕事でもないものをさせてきたのであるが、なぜ、私に私の仕事でもないものをさせてきたのか、(株)一条工務店と企画室課長⇒総務部長の天野雅弘はきっちりと説明してもらいたいものである。「所長は売るのが仕事であって管理するのは仕事とは違います」と企画室課長⇒総務部長の天野雅弘は言うのだったが、私は、既婚・妻帯者でその相手と結婚する気もないのに肉体関係もって孕ませて、会社に電話がかかってくるというそういう電話を、私が孕ませたわけでもないのに取らされるのは、そっちの方こそ私の仕事とは違います。会社は、所長の仕事ではないのなら誰の仕事なのか、はっきりとさせるのが、使用者・経営者の仕事であり義務のはずです。

  Sさんについては、所長の草野さんは、少々、言いにくかったようで、それは、(株)一条工務店では福島県浜通り地区の所長に草野さんがなっていたが、福島県中通り地区の所長に「大澄社長の腰巾着」と言われていた片山がなっており、Sさんはいわき市の営業所にいた時から中通り地区の所長の片山とつながっていて、後に、Sさんは自分から希望して片山が所長を担当している福島市の展示場に転勤したが、中通り地区の営業から「片山所長のイヌ」と見られていたらしく、Sさん自身は「俺は片山所長のイヌじゃねえぞ」と言っていたそうなので、本人はそういうつもりはなかったらしいが、人からはそう見られていたところがあったようで、浜通り地区の所長の草野さんとしても、「大澄社長の腰巾着のイヌ」・・というつもりは本人はなかったらしいが、そう感じる人もあったらしい人間には言いにくかった、ということもあったのではないか・・・とも思えないこともない。しかし、春田靖に「佐藤さん」から毎日毎日朝から晩まで四六時中電話がかかってくるのも、M上に「T木」という女から何の遠慮もなく、おまえは何様だ! という態度でしょっちゅう電話がかかってくるのも、草野さんは、自分が所長として担当している営業所(展示場)ではあっても自分自身が在籍している営業所(展示場)ではないと思うと、まったく、何もしなかった、ということは、Sさんが「腰巾着のイヌ」であるかないかの問題ではなく、自分自身の営業に影響がなければ、自分が所長になっている営業所(展示場)に勤務している営業社員に対して営業妨害になっても関知する気持ちはなかった、ということのようだった。それって、所長なのか? 「売るのが仕事であって、管理したり指導したりするのは所長の仕事ではありません」と言うのなら、そういう人は「所長」ではなく、「スーパー営業」とか「営業スペシャリスト」とかそういう名称にして、所長は管理者的能力がある者に別に任命するべきではないのか。
  野村克也のじいさんは、晩年、「阪神の監督なんかやるんじゃなかった」と言っていたが、野村のじいさんが書いていたものによると、ヤクルトではミーティングをすると選手は真面目に話を聞いたが、阪神では真面目に話を聞かない選手が多く、それだけではなく、ほとんどの選手が別々の阪神のOBとつながっていて、中には「野村の言うことなんか、きくな」と選手に言うOBもいたようだ、という話だった。「大澄社長の腰巾着」の片山は、自分は福島県中通り地区の所長にならせてもらっていたのであって、浜通り地区の所長は別の人なのだから、たとえ、自分が「大澄社長の腰巾着」であったとしても、浜通り地区の従業員に「野村の言うことなんか、きくな」みたいなことを言ってはいかんのではないか・・・という思慮がない男だったようだ。初代社長の大澄賢二郎は、「腰巾着」にする人間をもう少し選んだ方がいいのではないか、という感じがする。
  1993年9月にいわき市草木台のK様邸で屋根屋が墜落して死亡した事件で、社長の大澄賢二郎がいわき労働基準監督署から呼ばれて行くのに、郡山まで東北新幹線で来て、中通り地区の所長の片山が郡山からいわきまでクルマで送って来たが、それはおかしい。浜通り地区の労働基準監督署に社長が行くのに、中通り地区の所長がクルマで浜通り地区まで送迎するというのは、それはやるべきことではないのではないか。社長は、上野から特急「スーパーひたち」に乗って、いわき市まで来るか、東北新幹線で郡山まで行ったのなら、郡山地区の従業員で誰かいわきまでの道を知っていて運転が未熟ではない従業員にいわきまで送らせるべきで、中通り地区の所長が社長を乗せていわきまで行ってはいかんだろう・・と思ったものだったが、それだけではなく、片山は、いわき市の私がいた展示場の事務所に、「こんにちわ」も言わず、「郡山の営業所の片山です」と名乗ることもせず、黙ってずけずけと上がり込んできたのだが、自分が所長になっている営業所(展示場)の事務所でも黙ってあがるのではなく何か言って入るようにした方がいいが、ましてや、他の人が所長になっている営業所(展示場)に行って、おのれの名前も名乗らず、「こんにちわ」も言わずに黙ってずけずけと上がり込むというのは、それは社会人として非常識な行為であり、「なんだ、こいつ」と私は思い、「いったい、誰なんだ、この非常識な男は」と思ったらそれが福島県中通り地区の所長の片山だった。こんな男が所長なのか? (株)一条工務店はこんな男を所長にならせているのか? とあきれた。慶應大学の商学部の先生で「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者ばかりという会社に勤めるよりも、そういう大学の出身者をなかなか採用できないという会社に勤めた方が、活躍する場があっていい」と言う方があったが、たしかに、たしかに、こんな男しか所長になる人間がない会社なら、こんな男では話にならんなあ・・と思った・・が、とりあえず、他の人が所長になっている営業所(展示場)の事務所に、「こんにちわ」も「失礼します」も言わず、「△△営業所の☆☆です」と名乗ることもせず、黙ってずけずけ上がり込むというのは、私は、「すいません。どちら様ですか。こちらは従業員専用の場所ですから、出ていただけませんか」と言おうかと思ったのだが、言っても出て行かないなら不法侵入罪・不退去罪で110番通報するべきかな・・と思ったのだが他の人間が所長になっている営業所(展示場)の事務所に、おのれの名前も名乗らず、「こんにちわ」も「失礼します」も言わずにずけずけ上がり込むというのは、その営業所(展示場)の所長になっている人の顔を土足で踏みつけるような行為でもあり、そういうことを「腰巾着」にさせていた初代社長の大澄賢二郎という人は、そのあたりのおのれの「腰巾着」に対する対応について、考え直した方がいいのではないか・・と思いますね。もともと、「社長の運転手」程度の人間が福島県中通り地区の「所長」になっていたから、だから、片山は、身の程の通り、運転手やっていわきまで来たのかもしれませんけれども。

  (株)一条工務店の職場に、(株)一条工務店の業務と関係のない用件で、嫁でも母親でも娘でもない女が頻繁に電話をかけてくる男には、一般には所長は注意するべきですが、所長がその役ではないというのなら、その役の人間は誰なのかきっちりと指定して、注意させるようにするというのは会社使用者の義務、会社経営者の業務です。春田靖に「佐藤さん」から電話がかかってくるものを取るのは私の業務ではありません。M上に「T木」から電話がかかってくるのを取るのも私の業務ではありません。さらに、毎月、給料日になるとM上に朝から晩までサラ金からの督促の電話がかかってくるのを取るのも私の業務ではなく、(株)一条工務店と私との労働契約にM上にサラ金からかかってくる督促の電話を取るという仕事は含まれていません。私に私の業務ではないものを何度も何度もさせてきて、それを防止する措置をとらなかった、というその点において(株)一条工務店は使用者としての義務を果たしていない、ということになります。

【3】  (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ のような三流以下企業に勤めると、「ち~が~う~だ~ろ! このハゲぇ~え! はげ、ハゲ、禿、ハゲぇ~え!!! 違うだろ、違うだろ、違うだろお! ハゲぇ~え!」と言いたくなることが何度もある。
  (株)一条工務店という会社は奇妙な会社で、縁故入社(「紹介入社」)で入った人間を優遇する会社で、一般入社で入った人間は、年齢や職歴・学歴などにかかわらず、中途入社で入ると一番下の扱いにされたのだが、ところが、たとえば、1990年代なかばに福島県いわき市の営業所に副所長のK井さん(男。当時、30代後半)の縁故入社で中途入社したK井さんの中学校の同級生だったらしいAは、副所長の縁故入社で入ったものだから、自分も副所長・・みたいなツラをしていた。 (株)一条工務店はそういうことを認める会社だった。
  2000年頃、(株)一条工務店は、従業員に「紹介」で入社させれば、その入社した従業員が契約を何棟だったか獲得した時点で縁故入社させた従業員にも報酬を払うということをやりだした。なぜ、そうしたかという説明として、「紹介で入った営業社員はそうでない営業社員よりも営業成績がいい場合が多く、それは、紹介した従業員がその仕事に適した人を紹介しているからである」などとアホなことを書いてきていたが、それは明らかに違う。そうではなく、「(株)一条工務店は営業所による条件の違いが甚だしい」と言われる会社だったが、縁故入社で入った人間は優先的に条件がいい営業所に配属されることが多かったし、他の営業と追客中の見込客が「バッティング」した時には、たいてい、新入社員は先輩に遠慮して譲歩させられることが多かったのだが、縁故入社で入った人間はそうではなく、逆に先輩社員の方が譲歩させられるということがあった。2001年、東日本ハウス(現 日本ハウスホールディングス)の「トップセールス」だというおっさんの講演のビデオを見せられたのだが、東日本ハウス(現 日本ハウスホールディングス)の「トップセールス」だというおっさんが語っていたものに、
 営業能力 × 営業所の市場性 =営業成績
という話があった。これは、東日本ハウス(現 日本ハウスホールディングス)だけにあてはまることではなく、戸建住宅建築業の会社全般で言えることで、(株)一条工務店でもあてはまる問題であり、特に「一条工務店の場合は、営業所による条件の差が甚だしい」と言われてきたのであり、縁故入社で入った者は条件がいい営業所に配属されることが多く、他の営業と追客中の見込客が「バッティング」した時には縁故入社が優先されるとしてきた(株)一条工務店においては、縁故入社(「紹介入社」)の従業員の入社後の営業成績がそうでない営業社員よりも全般的に良かったとしても、そんなことは、当たり前であり、(株)一条工務店の本社の誰やらが「通達」に書いてきたものだったか所長の五十嵐さんが伝えたものだったか、「紹介で入った営業社員はそうでない営業社員よりも営業成績がいい場合が多く、それは、紹介した従業員がその仕事に適した人を紹介しているからである」という寝言・戯言はチャンチャラおかしい! と言うしかないものだった。
  2001年、栃木県の小山展示場に所属の営業の某さんの縁故入社(「紹介」)で佐野展示場に入社した小嶋(男。当時、40代前半)は入社した時からおかしな人間だった。 (株)一条工務店の初代社長の大澄賢二郎は「一条工務店は大企業になった、人みたいなもん、求人広告さえ出せば、いくらでも採用できる。求人広告にはいくらでもカネをかけて、中途採用の従業員はどんどん採って、片っ端から辞めさせろお」と叫んでいたそうであるが、「人みたいなもん、・・いくらでも採用できる」というのは、それは、あくまでも、生物学上の「人」についての話であるはずだ。高神覚昇『般若心経講義』(角川文庫)に出ている話だが、アテネの街でソクラテスが周りを見回しているので、弟子が「先生、何か、お捜しでしょうか」ときいたところ、「人間を捜してお~る」とおっしゃったそうで、「人間なんて、そのへんにいくらでもいるではありませんか」と言ったところ、ソクラテスは「あんなものは人間ではない」と答えた、というのだ。 求人においても、ともかく、生物学上の「人」でさえあればいいという基準で考えるのならば、大澄賢二郎が言ったというように「人みたいなもん、求人広告させ出せば、いくらでも採用できる」ということになるかもしれないが、そうではなく、自分の所の会社で入社後に十分に役に立ってくれる人、と考えて見るならば、そんなにいくらでもはいないはずなのだ。実際、2001年、栃木県南部の「責任者」である「副所長」になった木下はある部分において正直な男で、「求人広告を出しても、あんまり、いい人、応募してくれないんだあ」と言っていたが、実際はそんなものだろう。《 求人においても、ともかく、生物学上の「人」でさえあればいいという基準で考えるのならば、大澄賢二郎が言ったというように「人みたいなもん、求人広告させ出せば、いくらでも採用できる」ということになるかもしれないが、そうではなく、自分の所の会社で入社後に十分に役に立ってくれる人、と考えて見るならば、そんなにいくらでもはいないはずなのだ》ということを理解できていないようならば、初代社長の大澄賢二郎さんこそ、「生物学上の人」ではあっても「経営者として優秀な人」ではない、ということになるであろう。
  小嶋は入社以来、おかしなことばかりやり続けたが、それを列挙しようとすると大変であり、それは別の機会にするとして、まず、
1. 総合住宅展示場に出店している展示場の事務所、ガラス扉1枚向こう側には、いつ、来客があるかわからないという事務所内において、住宅展示場の営業時間中に、パソコンのDVDで、轟き(とどろき)わたる大音量でアダルトビデオを視聴し、先輩社員の私からいいかげんやめるようにと注意されてもやめなかった。
2. 会社として、仕事を覚えられるようにと、実力はたいしたことないが、社歴が古い営業社員であった「高木のおっさん」の隣の席に配置したにもかかわらず、勝手に席を移動して、「営業補助」の女性社員(女。当時、30歳)の隣りの席に勝手に移動して、そして、横から手を伸ばして尻を撫でて、女性社員に大声をあげさせる。
3. 日曜日、展示場の入口に「受付」として「営業補助」の女性社員にいてもらったところ、小嶋は、特に用事もないのにそこに行って、何かしたようで、住宅展示場の入口で女性に大声をあげさせる。
4. さらに、事務所内において、(株)一条インテリア に所属の須藤雅美(女。当時、20代後半)の尻を撫でて、須藤が「いやあ~あ! お尻さわったああ~あ!」と絶叫する。
   ・・・小嶋のおかしな行動は、これだけではなく、他にもいっぱいあるのだが、それらを列挙して述べるときりがないし、それは別の機会にまわすとして、とりあえず、1~4 というようなことを入社早々やる男だった。会社という所においては、ある程度以上の役職についている人が、その役職を悪用して勝手なことをするとか、営業の職種の人間の場合で、全国一の成績をあげた人などが、自分は営業成績を残したのだからと勝手なことをする、といったことは話として聞くことはあるし、実際にそういうことはあるようだけれども、小嶋の場合は、中途入社して早々にそういうことをやり続けていたのであり、アホと言うしかないものだった。アホというのか、異常というのか。 (株)一条工務店という三流以下企業に勤めて以来、「宇宙人」みたいな人と同じ営業所に配属されて、びっくりさせられることだらけで、も~う何があっても驚かないぞ・・・などと思っていると、ま~だまだ、びっくりさせられることに遭遇する。(株)一条工務店はそういう会社だった。
   小嶋とはどういう人間か。野球選手にたとえると・・・「キンケード」。 2004年、阪神タイガースに入団したキンケード内野手とは、得意技は「わざとぶつかるデッドボール」・・・て、しょっぱい・・。 テレビの野球中継で、阪神対横浜の試合で、横浜の監督のスキンヘッド=山下大輔が、「あれは、自分からぶつかりにいったのではないか」と審判に抗議していたのを見たが、子供の野球ならともかく、プロの野球で自分からぶつかりにいくデッドボールが得意なんて、しょっぱい・・・。そのキンケードは、開幕当初は3番を打っていたのだが、俊足の赤星が塁に出て、好スタートを切って盗塁成功か・・という場面で、キンケードが球に手を出して赤星の盗塁を消してしまう・・という場面が何度もあった。小嶋はそれ。 小嶋が営業成績が出なくても、それはそういう人を採用したアホが悪いのだから、それはしかたがないとして、佐野展示場の営業では私が「芯」だったのだから、野球で言うところの「エース」「4番」の邪魔するのはやめてもらいたいものだった・・・が、野球にたとえれば「中心選手」の邪魔をするために入社したような男であり、それ以外の何物でもなかった。
   佐野展示場にいた須藤雅美(女。後に結婚して小林雅美。その後、さらに離婚したかどうかは、それは知らん)は、元、クルマ屋のディーラーの(株)ネッツトヨタ栃木https://www.netztochigi.co.jp/ の足利市の営業所に勤めていた人で、応募してきた時、栃木県地域の営業所長だった五十嵐さん(男。当時、50くらい?)が「あれは、いいわあ」などと言うので、そうかな? ・・と私は思ったものだった。五十嵐さんの場合、「あれは、いいわあ」と言う人間というのは、要するに自分と経歴が似ている人間だと、「あれは、いいわあ」と言うのであり、そんな思考しかできない人というのは、五十嵐さんは「浜松流」とは違って、栃木県地域で努力して営業成績を残してきた人だけあって、「営業の基本」が身についている人で、それぞれの地域によって状況は違うという事実を理解できている人であり、又、(株)一条工務店の営業についての考え方については私とけっこう認識が共通しているところもある人だと思っていたのだが、しかし、他方において、「やっぱり、高卒の営業所長だなあ」と思わされる部分もあった。そのひとつが、自分と経歴が似た人間だと、「あれは、いいわあ~あ」とよく考えもせずに判断する、という点であった。
  須藤雅美が最初に出勤した時に、私は、須藤のクルマに羽根がついているのを見て、「?」と思ったが、五十嵐さんはそのあたりを見ただろうか? ・・・というと、おそらく、前職がクルマ屋というのを無茶苦茶プラスに評価した、というだけで、それ以外は何も見えなかったようだった。やっぱり、この人も「高卒の営業所長」だなあと思った。 クルマに羽根がついていても、そのこと自体は犯罪でも何でもない・・というのはそうだろうけれども、それだけか?  須藤は「セクハラというなら、私の前の会社、ネッツトヨタなんてすごいですよお。朝、来て、『おはよう』と言うと同時に、おっぱいもみもみい~い! ・・て、それが普通ですよ。私もつかみにいってましたしい。同意の上だからいいんですけどお」などと言うのだった。やっぱり、元クルマ屋だなあと思ったが、私は、「それは、もしも、勤務時間外に職場外でやるのなら、『同意の上だからいい』ということもあるかもしれませんが、勤務時間内・職場内でやるのならば、たとえ、直接やっている人・されている人が『同意の上』であったとしても、職場にそういうことが嫌な人もいるかもしれないし、職場でそういったことがおこなわれていたならば、そういうことが嫌な人も似た扱いを受けることになっていくのだから、だから、勤務時間内や職場内では、たとえ、直接やっている人・されている人が『同意』していたとしても、『同意の上だからいい』ということにはなりませんよ」と言って教えてあげた、ということがあったが、この人は、このように言ったとしても、それでわかっただろうか・・・と思ったのだが、「アタマがネッツトヨタ」の人は、理解しなかったようである。「セクハラ」という用語は私はできるだけ使用しないようにしている。その理由は、そういった問題がないということではなく、「セクシュアルハラスメント」という言葉はまだいいが、その略語としての「セクハラ」という言葉は、本来の意味を離れて、むしろ、エロおやじがその行為を正当化したり、バカ女がそれを広めたりする職場環境破壊において、この用語の使用がかえってマイナスになっていると思われるからである。〔「ストーカー」という言葉も、そういう問題がないということではなく、その用語を使って表現することで、それぞれ、内容は異なるものを、ステレオタイプ化、画一化して考えるようになってしまって、かえって物事の理解を妨げるようなところがあるように思っています。〕そして、セクシュアルハラスメント行為においては、女性は常に被害者であるわけではない。女性が加害者になる場合もある。須藤雅美は、「同意の上だからいいんですけどお」などと言っていたのだが、その認識では、須藤が加害者になることは十分に考えられた。
  佐野展示場には、もうひとり、愛称「高木のおっさん」(男。当時、50代。創価学会員。「聖教新聞を購読しろお」と言って追いかけてくるのが得意技。)が元クルマ屋で、「高木のおっさん」は「俺なんか、トヨタカローラにいた時、会社に出勤すると、会社中の女の子の尻をなでまわしていたぞお。俺は、会社の女の尻を撫でまわさないと、会社に来たという気持になれない人間なんだ」と公言していた。この「高木のおっさん」と須藤雅美(結婚して、小林)との元クルマ屋コンビは、その点で意気投合したようで、「高木のおっさん」がそう言うと、須藤は「そうそう。それが会社の常識よお。会社である以上、それが常識よ、常識!」などと佐野展示場の事務所内で叫んでいた。 須藤雅美の問題点として、男性はそういった言動をとることで問題となる場合があるが、女性はそういった言動をとってもいっこうにかまわないはずだ、と勝手に決めつけていた、という点である。私は須藤雅美に「もしも、勤務時間外に職場外でやるのなら、『同意の上だからいい』ということもあるかもしれませんが、勤務時間内・職場内でやるのならば、たとえ、直接やっている人・されている人が『同意の上』であったとしても、職場にそういうことが嫌な人もいるかもしれないし、職場でそういったことがおこなわれていたならば、そういうことが嫌な人も似た扱いを受けることになっていくのだから、だから、勤務時間内や職場内では、たとえ、直接やっている人・されている人が『同意』していたとしても、『同意の上だからいい』ということにはなりませんよ」と、きっちりと・わかりやすく・論理的に説明して、女性が加害者になることもあるのですよ、ということを教えてあげたはずだったが、須藤雅美はせっかく私からきっちりと教えてもらっても理解しない・理解できない人だった。私は、須藤雅美が入社した時、そのあたりを心配したので、それで、栃木県地域の営業所長で須藤雅美を面接した五十嵐さんが、元クルマ屋だということで、営業の経験があるからいいだろうと思ったようだけれども、たしかに、元クルマ屋の人の中には、クルマ屋で「営業の厳しさ」を学んだ人もいると思ったけれども、しかし、ちっとも学んでいない人もいるし、一般に、クルマというのは、それぞれのシリーズごとに標準仕様が決まっていて、それにオプションを取り付けるか、標準仕様のものをオプションでグレードアップするか、というくらいのもので、戸建住宅のように地べたに新たに造っていくものではないので、戸建住宅に比べて学習するものが少なく、「営業の厳しさ」はクルマ屋で学んだ人であっても、一般に元クルマ屋の人には住宅・建築について学習しない人が多い傾向があるし、それ以上に評価できないのは、人によっても違いはあるだろうけれども、現実問題として、クルマ屋のディーラーというのは「ガラが悪い人が多い」という点、まさに須藤雅美が言ったような「私の前の会社、ネッツトヨタなんてすごいですよお。朝、来て、『おはよう』と言うと同時に、おっぱいもみもみい~い! ・・て、それが普通ですよ。私もつかみにいってましたしい。同意の上だからいいんですけどお」というようなそんな人、「高木のおっさん」のような「俺なんか、トヨタカローラにいた時、会社に出勤すると、会社中の女の子の尻をなでまわしていたぞお。俺は、会社の女の尻を撫でまわさないと、会社に来たという気持になれない人間なんだ」というようなそんな人間が多い業界であり、又、「高木のおっさん」にしても高卒、須藤雅美にしても短大卒で、あまり高学歴でない人が多い業界・教養水準があまり高くない人が多い業界であり、「朝、来て『おはよう』と言うと同時におっぱいもみもみい~い」というのを「それが普通よ、それが会社の常識よお」と学んでしまうと、その世界観が固着してしまって、他の会社・特に他の業界の他の会社に勤めても、前職でしみついたその認識が取れない人が多い・・・という点で、私は元クルマ屋という人は、もちろん、その人にもよるけれども、あまりいいとは思っていなかった。そういう人を職場に入れると「腐ったリンゴ」を入れたようになる、ということが考えられた。須藤雅美も、五十嵐さんは「あれは、いいわあ~あ」などとノー天気なことを言っていたが、私が採用担当であったならば、不採用にした可能性が小さくなかった。
〔 どのクルマ屋がどうということではなく、全般にクルマ屋というのはガラが悪いという印象がありましたが、それでも、「ネッツトヨタ」と「トヨタカローラ」については、そこにいた人からはっきりとそういう話を聞いたわけですから、私としては、そういう会社の商品は買わないようにしたいと考え、運転免許を取って普通自動車を運転するようになって、1台目・2台目のクルマはトヨタのクルマに乗りましたが、3台目は、そういうことをやっている会社に利益を与えるのは日本国民としての義務に反すると考えて、トヨタ以外のクルマを購入することにしました。〕 
  須藤は、そういう人だったから、だから、須藤にとっては小嶋みたいな人間が入ってきても別に良かったのかもしれないが、しかし、↑ の1~4のようなことを職場でされたのでは、これは、職場環境破壊であり、業務妨害・営業妨害であった。須藤を採用に決めたのは、栃木県地域の営業所長だった五十嵐さんだったが、小嶋を採用に決めたのは、その後、営業所長の担当地域が変わって、栃木県南部営業所の「副所長」という肩書だが役割としては所長の役割に就任した木下(男。当時、40代前半)だった。木下は「小嶋さんは、水戸証券にいたんだ」と言って、水戸証券という「地方証券会社にいた」ということに対して、私ならば、野村證券などの「一流証券屋」であっても、「しょせんは、株屋」だろうが・・という感覚があって、さらに、水戸証券なんて、野村證券などと違って「地方の証券屋」だろうが・・ということで、別に悪いとは言わんが、それでどうとは別に思わないところを、木下はその「水戸証券」という「トップグループでない方の株屋」というものに対して卑屈な事大主義の意識を持っていた。そんなおかしな意識を持つあたりが、「やっぱり、高卒のおっさん」やなあ・・・て感じがした。
  木下(きした)は、役職名としては「副所長」、役割としては、所長がいた上でのサブとしての副所長ではなく、所長の役割の「副所長」であり、栃木県南部の責任者という立場であったのだから、あまり、変な人を採用したのでは、本社の経営者から「おまえ、何やってんだ」ということになるはずである。だから、私は、木下に、親切で、佐野展示場の状況を教えてあげたのだ。佐野展示場で小嶋が何をやっているか、教えてあげたのだ。かつ、そのままの状態では、佐野展示場の中心である私の営業活動の妨げになるので、私の営業活動の妨害をしないように、《所長の役割の「副所長」》として、きっちりと対処してもらいたいと求めたのだ。
  ところが、木下は、「あんた、注意しろ」と私に言うのだった。 (株)一条工務店は、私に注意してもらいたいのなら、私を営業所長にならせるべきであり、私に営業所長にならさずに他の人にならせたのなら、営業所長になった人が注意するべきものであろう。だから、私は「嫌です」と言ったのだ。「私が営業所長ならば私が言いますが、私ではなく他の人が営業所長になっているのなら、営業所長になった人が言ってください」と。 木下は「そりぁ、言うけれども。しかし、あんたも、もう、入社して10年になる人間なんだから、そんなに遠慮しないで、思ったことを言っていいと思おうよ」と言うのだった。それは、確かにそうだ。確かにそうだけれども、いくら、もっともなことを言っても、私が言うと、営業本部長の天野隆夫が「余計なことすんな、おまえはあ」と文句を言うので、文句言われてまで言うことない、会社のためを思って貢献しているのに、それを「余計なことすんな」だの言われたのではあほくさい。そんなこと言われるのなら、やらねえよ。そんなこと言われるのなら、言わねえよ、と私は思うようになったのだ。
  そう思っていたところで、またもや、小嶋は、↑ の4の行為を働いた。事務所内において、小嶋は、(株)一条インテリア に所属の須藤雅美(女。当時、20代後半)の尻を撫でて、須藤が「いやあ~あ! お尻さわったああ~あ!」と絶叫する。もはや、職場ではないぞ、これは。 木下が言うように、私だって10年選手であり、10年選手が入社したばかりの新入社員にふりまわされて営業活動を妨害されるというのは、これはおかしい。小山展示場の某さんは、縁故入社で小嶋を入れたといっても、小嶋がそういう人間だということは知らずに「紹介」入社させたらしかった。やはり、会社として言うべきものは言わないといけない。注意するべきものは注意しないといけないし、そもそも、入社早々、↑のような非常識な行為を繰り返す人間を採用しているということが、まずおかしい。
  それで、私は小嶋のような異常な人間に言うのは嫌だったのだが、しかたなしに、「小嶋さん。あなた、そういうことをやっていると、そのうち、会社におれなくなるよ」と注意したのだ。そうすると、やはり、異常な人は、その程度、言ったからといって反省するような人間ではなく、逆に、「なにおお。このお。こいつう~う」と言ってすごんできたのだ。 だから、私は言うのが嫌だったのだ。小嶋はそういう人であり、それより前にも、小嶋は、住宅展示場に一番多くの来場客がある日曜日の午後に、佐野展示場の目の前の来客用駐車スペースに、小嶋のクルマを、わざわざ、斜め停めにして2台分占拠して停めて来場客が停められないようにするという異常な行為をやっており、その際、私が「小嶋さん、あの場所は来客用の駐車スペースで、従業員用のスペースは向こう側ですから、クルマを移動させてもらえませんか」と、なんで、10年選手が新人にそこまでへりくだった言い方をしないといけないのか、という言い方で、又、なんで、そんな言われなくてもアホでもわかるようなことがわかっていないどうしようもないアホに言ってあげないといけないのか、と思いながら、説明してあげたことがったのですが、私がせっかく言ってあげても、小嶋はどうしたかというと、「なんでええ~え!」と言ってきかないのでした。「なんでええ~え」などと言われても、日曜日の午後という来場客が一番多い時には、自分の所の展示場の前の駐車スペースはできるだけ空けておいて、来場客に停めてもらって、その前の展示場である自分の所に入場してもらおうと考えるのは当然のことで、そこにわざわざ斜め停めにして2台分を占拠して停めさせないようにする、というのは、それが「水戸証券にいたんだ」という人のやり方なのかもしれないが、それだとすると、水戸証券というのはアホや! ということになるのだが、そういう、本来、言われなくてもわかって当然であることを先輩社員に指摘されても、それでも、「なんでええ!」などと言うような、そんな人には私は言いたくなかったのだが、「副所長」の木下が「あんた、注意しろ」と言うし、私が言わないと、小嶋の異常な行為はなくならず、小嶋の営業成績なんてちっとも心配しないけれども、私の営業成績にマイナスになるので、それで、しかたなしに注意したのです。そうすると、10年選手の先輩社員から注意されて、新入社員の小嶋はどうしたかというと、「なにおお~お。このお。こいつう~う!」と言ってすごんできたのです。怖かった。
  ところが。 副所長の木下という男の人間性がこうい所で出てきます。木下は、自分自身が私に「あんた、注意しろ」と《所長の役割である「副所長」》として命令したはずであるにもかかわらず、その後、営業本部長の天野隆夫あたりから、「なんで、女性社員の尻をさわったらいかんのだ」とか言われたのだと思われるのですが、それまでと正反対のことを言い出して、「職場内・勤務時間内に女性社員の尻をなでるのはまったく悪くない。来客が最も多い日曜日の午後に展示場の目の前の駐車スペースに斜め止めして来場客に停めさせないようにするのはいっこうにかまわない。あんたは勝手なこと言っちゃいかん。もしも、あんたが、職場内・勤務時間内に女性社員の尻をさわらない、ということを人に認めてもらいたいと思うならば、職場内・勤務時間内に女性社員の尻をさわりたいと思う人間もまた認めないといけない。それが民主主義だ。勝手なこと言うんじゃない。あんたのおかげで迷惑した。あんたには責任とってもらうからなあ」と、そう言ったのでした。この木下の発言については、佐野労働基準監督署の総合労働相談員の方に話しましたが、木下の発言内容を聞いて、「はあ? はあ~あ? いったい、どこから、そういう理屈がでてくるんですか。はあ~あ?」とあきれられました。
  私は、木下に、「しかし、『副所長』の木下さんが、私に注意するように命令されたのですよね。違いますか」と言いましたところ、木下は「ぼくが言っても、ぼくは高卒だ。ぼくは高卒だから、そんなもの知らない」と言うのです。それで、私は「高卒であろうが何であろうが、木下さんが栃木県南部の責任者だということで『副所長』になっているのですよね。会社が栃木県南部のことについては、この人の指示に従ってくださいと言って木下さんを指名したのですよね。その栃木県南部の責任者である木下さんが私に指示されたことですね」と言いましたところ、木下は「それでも、ぼくは高卒だ。ぼくはサラリーマンだ。ぼくはサラリーマンだから、そんなこと知らない」と言うのです。それで、私は「サラリーマンならば、サラリーマンとして給料もらっているのですから、責任ある対応をしないといけませんね。サラリーマンというのは、そんなにいいかげんな態度でいいのですか? サラリーマンというのは、そんなに無責任な対応でいいのですか?」と言いました。すると、木下は「ぼくは高卒だ。ぼくは高卒だから、そんなもの、わかるわ~けがない! ぼくは高卒だから、そんなこと言われても知らない。ぼくは、何と言っても高卒なんだから、そんなもの、絶対にわかるわ~けがない!」と言うのです。 「高卒であろうが何であろうが、『栃木県南部の責任者』なのでしょ。栃木県南部の責任者だということで『副所長』になっているのでしょ。違うのですか。木下さんは『高卒だから、一線の営業の仕事はできても営業所長は無理だと判断されて所長にならなかった人』ではなく、『高卒だけれども所長になってやっていける人』だと判断されて所長になった人ですよね。そうと違いますか。 『高卒だからわかるわ~けがない』からと『栃木県南部の責任者』は無理だと断ったのですか? 違いますでしょ。引き受けたのでしょ。高卒であろうが何であろうが、いったん、その役職についたのならば、その役職の人間としての役割を果たさないといけませんね。違いますか?」と言いましたが、木下は「そんなこと言われても、ぼくは高卒だ。ぼくは高卒である以上、そんなこと言われてもわかるわ~けがない。高卒のぼくにそんなもの、できるわ~けがない!」と言うのです。
  さらには、木下(きした)は「だいたい、あんたはずるい。」と私に言うのです。「何がずるいのですか。自分が副所長として指示・命令しておいて、『ぼくはそんなもの知らない』だの『ぼくは高卒だからわからない』だのと言い出す人の方こそずるいのと違うのですか?」と言いましたが、木下は「だいたい、あんたは、インテリアコーディネーターにしても、宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)にしても、何の努力もしていないのに簡単に通る。ぼくなんかは、どんなに努力しても絶対に通らない。ずるい!」と言うのです。私は、インテリアコーディネーターにしても宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)にしても、「何の努力もしていないのに」通ってなどいませんし、「簡単に」など通っていません。特に、インテリアコーディネーターは(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫が取ってくれと言うから、だから、片方で営業の仕事をこなしながら、大変な努力と苦労と工夫をしてやっと合格したのであり、「何の努力もしていないのに簡単に通る」とはよくも言ってくれたものです。私はインテリアコーディネーターにしても宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)にしても、決して、裏口入学や縁故入社で合格させてもらったのではありませんし、「ずるい」などと言われる筋合いはありません。
   それだけではないのです。その後、総務部長の天野雅弘から呼ばれて浜松の本社まで行くと、天野雅弘は「須藤がいいと言っているのに、おまえがいかんと言うのがおかしい」などと言いだしたのです。須藤は「いやあ。お尻さわったああ」と大きな声で・はっきりと・わかりやすく、言ったのであり、「いい~い」なんて言ってないのです。「須藤は『いやあ』と言ったのであり、『いい』なんて言ってないでしょ」と私は言いました。「それに、たとえ、須藤さんが、『いい』と言っても、そんなことは関係ないでしょ」と言いました。
   総務部長の天野雅弘は「須藤がいいと言ってるんだから、男のおまえがいかんと言うのはおかしいだろうが。女が『いい~い』と言った以上はいいんじゃ」と言うのです。この天野雅弘という男は従業員から「髪の薄い天野」と言われていて、「頭の薄い天野」と言われる営業本部長の天野隆夫と区別されて言われていたのでしたが、薄いのは髪だけではなく頭も薄いようだ、とわかりました。
   「ち~が~う~だ~ろ、このハゲぇ~え!!!」てものです。 須藤雅美さんという人が、「頭がネッツトヨタ」の人で、「『朝、来て『おはよう』と言うと同時におっぱいもみもみい~い』というのが、それが会社の常識よお。会社の常識。会社である以上は、それが普通よ、普通。それが会社というところの常識ですよ、常識」と何度も口にしていた人であり、そういう発言自体が職場環境破壊であり、須藤雅美は自分が女性であるから、セクシュアルハラスメント行為の加害者になることはありえないと勝手に決めつけていたのですが、すでに、その部分において須藤雅美ははっきりと加害者になっています
  須藤雅美はそういう人ですが、そういう人が「いい」と言ったら、天野雅弘が言うように「女性がいいと言うんだから、職場で尻をなでまわしてもいいということだ。いかんと言うのはおまえだけだ」などという身勝手な主張は通じません。ある男性が「いい」と言ったら、職場環境破壊・営業妨害・業務妨害やってかまわないことにはならないのと同じく、ある女性が「いい」と言ったら、職場環境破壊・営業妨害・業務妨害やっていいということにはならない、というのは当たり前のことです。 須藤雅美が「いい」と言ってもだめです。当たり前でしょうが!
  又、須藤雅美は「いやあ」と言ったのであり、「いい」とは言っていないのですから、天野雅弘が「女性がいいと言うんだから、職場で女性社員の尻をなでまわしてもいいということだ」などと言うのはおかしいのです。ところが、天野雅弘は何と言ったかというと、「『嫌よ、嫌よもいいのうち』ということを知らんのか。女が『いやあ』と言ったなら、それは『いい~い♪』てことだ。おまえはそんなこともわからんのか」と言うのです。このハゲ、いいかげんにしろよ・・と思いました。 「なんで、『いや』と言ったら『いい』という意味なんですか? 『いい』のなら『いや』と言わずに『いい』と言えばいいでしょう。違うのですか。『いい』のなら『いや』と言わずに『いい』と言ってくださいよ」と言いましたところ、天野雅弘は「ほら。おまえは、いつでも、筋が通ったことを言うだろ。だから、むかつくんじゃ。だいたい、何が気に入らんと言って、おまえが慶應大学を卒業してるということが、それがなによりむかつくんじゃ。わしら、高卒じゃい。木下も高卒じゃい。高木のおっさんももちろん、高卒じゃい。おまえが慶應大学を卒業しているというのが、それがなによりも気に入らんのじゃあ」と言うのでした。世の中、ヒラの従業員ならば、「おまえが慶應大学を卒業しているというのが何より気に入らんのじゃあ」と思う人がいても、世の中にはそういう人もあるでしょう。しかし、総務部長といった役職についた人間はそれではいけないはずであり、それは総務部長といった役職についた人間の思考ではない。総務部長といった役職についた人間が口にする文句ではないはずです。そういう思考をしたいのなら総務部長は辞めた方がいいでしょう。
  天野雅弘は「カーネギーが言うところの『清濁併せ飲む』という言葉を知らんか。小嶋のような入社早々、何の実績も残さずに職場内勤務時間内に女性社員の尻をなでまわす男というのもまた認める、というそういう姿勢のことをカーネギーは『清濁併せ飲む』と言っておるんじゃ。カーネギーの本を読め。わかったな。カーネギーの本を読めよ」と言うのでした。そのカーネギーというおっさんは、入社早々、何の実績も残さないで、職場内・勤務時間内に女性社員の尻をなでまわす男を認めろ、来場客が最も多い日曜日の午後に自分の所属する展示場の目の前の駐車スペースに自分のクルマを斜め停めにして2台分占拠しれ来場客に自社の展示場の前に停めさせないようにしろ、とそういうことを言っているそうです。そういうアホの本が書店の「自己啓発コーナー」とやらにけっこう置かれていますが、かつて、岩波書店のブックカバーにアナトール=フランスの言葉が書かれていましたが、「人生は短い。くだらない本なんか読んで時間をつぶしたくない」というもので、それは、「本を読む」という「くだらない」行為で時間をつぶしたくないという意味ではなく、本には「くだらない本」と価値がある本があり、岩波書店の本のような価値がある本を読むべきで、そのためには「くだらない本」なんて読んで時間をつぶしたくない、という意味らしいのですが、アナトール=フランスが言うように、「人生は短い。『くだらない本』なんて読んで時間をつぶしたくない」というのは正しい考え方であり、カーネギーなどというくだらない男の「くだらない本」なんて読んで時間をつぶしたくないものです。

  そして、天野雅弘の言動で、何よりこれは許せないと思ったのは、天野雅弘が「須藤がいいと言っているのに、おまえがいかんと言うのがおかしい」と言うので、
第一に、職場環境破壊営業妨害業務妨害を須藤が「いい」と言えばいいものではないのは当然のことであり、もしも、須藤がいいと言うのであれば、須藤は職場環境破壊・営業妨害・業務妨害の加害者であり、須藤が「いい」と言ったからいいことになる性質のものではないのは当然のことであり、須藤が「いい」と言ったのならば、会社は須藤に対して、何らかのペナルティーを課す必要があるはずであり、
第二に、須藤は「いやあ」と言ったのであって、「いい」とは決して言っていないのであり、「須藤がいいと言っているのに」という天野雅弘の発言は事実に反するものだったので、それを言ったのです。天野雅弘は「『嫌よ嫌よもいいのうち』て言うだろ」などと言うのだったが、「バカ言ってんじゃないわ♪」
  ところが、天野雅弘は「『嫌よ、嫌よもいいのうち』というのをおまえはわからんのか」「女が『いやあ』と言ったということは、それは『うれしい~い♪』という意味だ。おまえはそんなこともわからんのか!」と言うので、「なんで、『いや』と言ったら『うれしい』のですか。『うれしい』のなら『うれしい』と言うべきでしょ。」と言いました。
  天野雅弘は、「『いや』と言ったということは『うれしい』という意味だ」と言うので、「違うでしょ。『いや』と言ったら嫌という意味でしょ。何を言ってるんですか。『うれしい』のなら『いや』と言わずに『うれしい』と言ってくださいよ」と言ったのでしたが、そうすると、天野雅弘は「なんで、おまえにそんなことがわかるんじゃ」と言うのでした。「わかりますよ。そのくらいは。わかるでしょうよ。」と言いました。すると、天野雅弘は「おまえ、いったい、何人、女、知っとるんじゃ。答えろ! 何人、女、知っとるんじゃ」と言うのです。この””お下劣マン””はどうしようもありません。
  「そういう発言は私に対する人権侵害ですよ」と指摘しました。すると、天野雅弘は「なんでじゃ。おまえが、女が『いや』と言ったら嫌という意味だとわかると言うから、だから、何人、女、抱いたんじゃときいておるんじゃ。答えろ! 今までに、何人、女、抱いたんじゃ?」と総務部長の天野雅弘はそう言ったのです。 私は「セクシュアルハラスメント」という言葉、及び、それ以上にその略語としての「セクハラ」という言葉は、最初に私がこの略語でない方の言葉を見たのは1983年に「朝日ジャーナル」誌上で見たと思うのですが、その頃はこの用語には、職場その他の有利な立場を悪用して、弱い立場の者に性的に侵害行為をおこなうこと、として意味のある用語でしたが、その後、この言葉が普及するにしたがって、むしろ、この用語を使用することで、かえって物事の理解を妨げるようになってきたと思われるので、それで、基本的にはこの用語の使用はできるだけ避けています・・が、あえて、略語でない方の「セクシュアルハラスメント」という用語を使用するならば、「セクシュアルハラスメント」は男性が被害者になる場合もありますし、女性が加害者になる場合もあります。2001年、栃木県佐野市の営業所(展示場)においては、須藤雅美(女。当時、20代後半)が「ネッツトヨタなんて、朝、来て、『おはよう』と言うと同時に、おっぱいもみもみい~い、てそんな感じでしたよ。私もつかみにいってましたしい。会社である以上、それが常識ですよ、常識。それが会社の常識よお」と事務所ないで発言し、「高木のおっさん」(男。当時、50代)とともに、職場の環境を悪化させていた、という問題においては、その部分において、須藤雅美は「セクシュアルハラスメント」の加害者です。須藤は自分は女性であるから加害者として扱われることはないと勝手に決めつけていましたが、そうではありません。天野雅弘が私に対して、「おまえ、何人、女、知っとるんじゃ。何人、女、抱いたことあるんじゃ。答えろ」といった暴言を浴びせた、という問題は、言われた人間が男性だから「セクシュアルハラスメント」にならないなどということはないのであり、これは天野雅弘による私にたいする「セクシュアルハラスメント」行為であります。 総務部長というのは、そういった認識をきっちりと持っている人間がなるべき職種ですが、(株)一条工務店ではそういった認識が欠落している人間がなっていました
  私は天野雅弘に「だから、そういう発言は私に対する人権侵害だとお話しましたよね。わかりませんか」と言ったのですが、天野雅弘は「なんでじゃ。なんで、人権侵害なんじゃ。おまえが、女が『いや』と言ったら嫌という意味だと言うから、だから、何人、女、抱いたことがあるんじゃときいとるんじゃ。何人、経験あるんじゃ。答えんか。おまえが女の気持ちがわかると言うから、だから、何人、女、知っとるんじゃ、何人、女、抱いた経験があるんじゃ、ときいとるんじゃ。答えんか」と言うのでした。皆さん、これ、できる限り、原文に忠実に復元した文句ですからね。(株)一条工務店という会社は、そういう人間として程度の低い男を総務部長にならせていたのです。そういう会社なのです。
  (株)一条工務店から、総務部長の天野雅弘によるこれらの暴言について、今日に至るまで一言として謝罪はありません。初代社長の大澄賢二郎は、全国から集めた「利益」から浜松市にのみ、300億円を寄付するというパフォーマンスをやりましたが、カッコマン大澄賢二郎は、そういう「ええかっこしい」やる前に、とりあえず、総務部長の天野雅弘による私に対するこういった暴言について謝罪するべきではありませんか。

  2001年の時点で総務部長だった天野雅弘は、その後、「非営業職の部長を営業にする」という指針から、ずいぶんと長くやっていなかった営業の職種になるという話になったので、それは大変だな、前に営業をやったことがあったとしても、十年を超えて営業以外の職種についていた人が、突然、営業の仕事をするというのは大変なことだと思い、いくらか力になってあげようか・・などとお人よしなことを思ったものでしたが、ところが、天野雅弘は営業は営業でもどういう営業になったかというと、「浜松営業所の所長」だそうで、そんなものは「アホでもできる」。 自分が営業やらずに、営業社員に「おい、おめえ、契約あがったのかあ。契約あがらないとイエローカードだぞお。どうだ、契約あがったんかあ」と言うだけの仕事であり、そんなものは「アホでもできる」。 なかなか、営業成績が出ない営業に、「なぜ、売れないのか」「どうしたら売れるのか」という点を指摘して指導して売れるようにしてみせてこそ、営業所長ですが、ところが、(株)一条工務店の営業所長というのは、「おい、おめえ、契約あがったのかあ。契約あがらないとイエローカードだぞお。どうだ、契約あがったんかあ」と言うだけであり、それなら、天野雅弘が企画室課長としてやっていたことと一緒なのです。自分は売るため売れるための努力なんて何ひとつとしてしないのですから。
  そして、天野雅弘は「ぼく、売れるもん」などと言うので、この人は本当にわかっていない人だとあきれました。それは「売れる」のではなく、「売れる」場所におらせてもらった、「売れる」ようにしてもらった、ということであって、「一族」の人間が「一族」としての特別扱いの営業で「売れる」ようにしてもらった、というのは、それは、一般入社従業員が、苦労して努力して売った、というのとは全然性質が違う。 他の場所よりも売れやすい条件を整えてもらった営業所の「所長」にならせてもらって、「売った」ということにしてもらう、などという八百長みたいな「所長」では、所長の価値はありません。

  総務部長の天野雅弘は「小嶋のような人間が一条工務店を支えてきたんだから、何としても小嶋を守らんといかん」などと言うのだったが、小嶋も「小嶋のような人間」も(株)一条工務店を支えてきていません。入社以来、10年を超えて(株)一条工務店のために、自分を犠牲にして尽くしてきた私に向かって何をぬかすか! 小嶋のようなちっとも会社を支えてなどいない者ではなく、入社以来、10年を超えて自分を犠牲にして会社のために尽くしてきた私をちょっとは守ってくれ。
  (株)一条工務店では、まだ、会社ができて浅かった頃、(株)一条工務店では「売春の手引きをやっていた」とか「覚せい剤を扱っていた」とかそういう人が入社して営業として実績を残した・・・という話が広まっていたが、ベテランの「木南さん」(仮名)にその話について訊いてみたところ、「売春の手引きをしていた」とか「覚せい剤を扱っていた」とかそんな人はいないそうで、その話は正しくないそうで、そんな人はいないけれども、入社する時点で、それまでの経歴はあまりいい経歴ではなかった人で、(株)一条工務店に入社してから営業で成績を残したという人がいた、ということだそうで、しかし、「木南さん」(仮名)が言うには、「でも、そういう人は一条工務店に入社してからは努力したんですよ」ということで、「そういう人」というのは、あくまでも、(株)一条工務店に入社するまでの経歴はあまり高く評価される経歴ではなかった人だったということで、入社後も不真面目な勤め方であったわけではなく、入社前はあまりいい経歴ではない人でも、(株)一条工務店に入社後は真面目に努力したから成果を出せたのだ、ということだった。そうだとすると、総務部長の天野雅弘が言うところの「(株)一条工務店は小嶋のような人間が支えてきたんだから」というのは事実に反するわけであり、入社早々、何の実績も残さず、会社が仕事を覚えられるようにとベテランの従業員の隣の席に配置したにもかかわらず、勝手に女性社員の隣の席に移動して横から手を伸ばして尻をさわったり、日曜日に受付にいる女性社員の所に行って何かしたらしく展示場の玄関で大声あげさせたり、展示場の営業時間中に展示場とはガラス扉1枚の場所にある事務所内で轟き(とどろき)わたる大音量でパソコンのDVDでアダルトビデオを視聴したり、日曜日の午後、来場客が最も多い時間帯に、わざわざ、自分の会社の展示場の入口の目の前の来客用駐車スペース(従業員は駐車禁止のスペース)に自分のクルマを斜め停めにして2台分占拠して来場客に停めさせないようにしたり、事務所内で女性社員の尻をさわって大声あげさせて業務を妨害し、先輩社員から注意されても、「なにおお~お。このう、こいつう~う!」と新入社員が10年越社員に向かって言ったり・・という、そういう人間が(株)一条工務店を支えてきたわけではないわけで、総務部長の天野雅弘は、総務部長のくせして、(株)一条工務店を実際に支えてきた人がどういう人かということを理解していなかった、ということになる。やっぱり、天野雅弘には「ち~が~う~だ~ろ! このハゲぇ~え!」と言ってきかさないといけないのかもしれない。〔⇒《YouTube-このハゲ~ 豊田真由子》https://www.youtube.com/watch?v=vGMd4AdES6Y 〕

  なによりあきれたのは、「おまえ、女、何人、知っとるんじゃ」「おまえ、何人、女、抱いたんじゃ」などというそういう発言です。もしも、何人もの女性と性交渉すれば、女性の気持ちがわかるようになるということならば、それなら、毎週、土日ごとにソープランドに通えば、7日あたり2人、月に9人程度、100人少々の女性と性交渉を持つことになるわけで、それを10年続ければ、1000人を越える女性と性交渉を持つことができて、 祝「千人切り」達成・・・などと、2014年、川口土木建築工業(株)〔本社:埼玉県川口市〕https://www.kawado.co.jp/ にいた人が、半分、冗談で言っていたことがありますが、もしも、それを実行したとすれば、そうすれば、「女性の気持ちを理解できるようになる」か? 毎週土日はソープランドに通うことにすれば1年で100人の女を相手にすることになり、それを10年続ければ ””祝「千人切り」達成”” で天野雅弘が言うように「女性の気持ちを理解できる」ようになるのか?・・・天野雅弘の理屈からいくと、そういうことになるのですが、なると思いますか? ・・・ならんだろ。なんで、こういう下劣な男を相手にしてやらなければならないのか、と情けなくなりました。

  私は、「だいたい、私は、『副所長』の木下(きした)さんが私に『注意しろ』『あんたが言え』と言うから、だから、いやいや、小嶋に注意したのですよ。それを、後になってから、気に入らないというのなら、それなら、私に『注意しろ』『あんたが言え』と指示した栃木県南部の責任者である『副所長』の木下さんに、文句を言うべきものであって、なんで、私に言うのですか」と言いましたが、そうすると、総務部長の天野雅弘は「木下は高卒だから、しかたがない」と言うのです。私は「高卒であろうが何であろうが、木下(きした)さんは会社が栃木県南部の責任者として指名した人でしょ。会社は『高卒だからしかたがない』人を『栃木県南部の責任者』に指名したのですか。高卒だけれども栃木県南部の責任者としてやっていける人であろうと判断して責任者に指名した人ではなかったのですか。『高卒だからしかたがない』人ならば、『栃木県南部の責任者』に指名しないでいただけませんか高卒であろうが何であろうが、会社がこの人が栃木県南部の責任者です、この人の指示にしたがってやってくださいと従業員に指示した人の指示にしたがってやったものは、後から、それを気にいらないと思うようになったのなら、その指示を出した栃木県南部の責任者に文句を言うべきことであって、私に文句を言うのは筋違い(すじちがい)でしょ」と言いましたが、総務部長の天野雅弘は「木下は高卒なんだから、しかたがない。おまえが慶應でてるんだから、慶應でてるおまえが責任とるのが当たり前だ」と言うのです。「私に責任とらせたいのなら、どうして、私を営業所長にならせてくれないのですか? どうして、私に栃木県南部の責任者にならせてくれないのですか? 私に栃木県南部の責任者にならせたのなら、良くても悪くても私が責任を取るべきでしょうけれども、私ではなく他の人に栃木県南部の責任者にならせたのなら、栃木県南部の責任者にならせた人が責任を取るべきですね。違いますか」と言いました。

  上記↑ の【2】(ウ)の話で、女性と性交渉を持って妊娠させて逃げた男というのは、その女性が悲壮な声でかけてきた電話には結局出なかったのです。だから、その声を聞いていないのです。毎度、その電話をとって、その声を聞いて、ああ、こういうことはするべきものではない、と思ったのは私。 こんなことはしたくないものだ、と思ったのは私。
  女性と性交渉を持って孕ませて逃げたなら、「女性の気持ちを理解できる」ようになると思いますか? 違うと思いますよ。自分が孕ませたわけでもないのに、そういう電話をとって、その人の悲壮な声を聞いた者の方が、「女性の気持ちを理解できる」ようになる要素はあると思います。(株)一条工務店の総務部長の””お下劣マン”” 天野雅弘は、それが理解できない男だったのです。「髪の薄い天野」は薄いのは髪だけではなく、頭も薄そうでした。 天野雅弘には、言ってやるべきではないでしょうか。
「違うだろ、違うだろ。ち~が~う~だ~ろ! このハゲぇ~え! ハゲ、はげ、禿げ、ハゲ、はげ、ハゲぇ~え!!! 違うだろ、このハゲぇ~え!!!」と。
〔⇒《YouTube-このハゲ~ 豊田真由子 》https://www.youtube.com/watch?v=vGMd4AdES6Y 〕

 (2020.8.7.) 

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