トランスコスモスは「将軍さま」を称賛翼賛させられる会社。イズミヤは八百屋と一緒。「大卒しか採らない」小堀住研は底辺の高校卒の男の会社。「大学の先生てアホなの?」他・・

[第483回]
  コンピュータの会社には、ハードの会社とソフトの会社がある。 「コンピュータ、ソフトなければ、ただの箱」などと言って、ソフトが大事だと言う人がいるのだけれども、しかし、ハードの会社というのはどういう会社かというと、IBM・富士通・日立・東芝・NEC(日電)といった会社がコンピュータのハードの会社であり、ソフトの会社というと、メーカー系・ユーザー系・独立系の3タイプがあって、メーカー系というのは、IBM・富士通・日立・東芝・NEC(日電)の系列のソフトの会社で、ユーザー系というと、それぞれの産業分野の会社が自社のコンピュータのソフトを扱うために設立した会社であり、独立系というのは、「独立系」と言うと聞こえはいいが、特に優秀なシステムエンジニア・プログラマーを集めた技法者集団・・・ならいいのだけれども、実際には、メーカー系・ユーザー系の会社で人が不足している時に、そこにシステムエンジニア・プログラマーを派遣する会社、いわば、メーカー系・ユーザー系の下請け、もしくは、落穂ひろいをしている会社・・である場合が少なくなかったはずだ。だから、「コンピュータ、ソフトなければただの箱」なんて言って、それだけ、ソフトが大事なんだ・・なんて言っても、実際にはハードの会社は大企業であるのに対して、ソフトウェアハウスというのは、中小零細企業、それも、システムエンジニア・プログラマーを集めて、きょうはこっちの会社に行ってくれ、明日はそっちの会社に行ってくれ・・ということをやってコウセン取ってる会社であり、派遣されて行くシステムエンジニア・プログラマーにしても、その会社から派遣されて行かなくても他の会社から派遣されて行ったっていいわけですから、あんまり安定しない会社で、「コンピュータ、ソフトなければただの箱」なんて言っても、ハードの会社の方が主の業界だったのです。何より、「ハードの会社」というのは、たいてい、系列で「ソフトの会社」を持ってますから、「コンピュータはハードだけではただの箱であって動かない」としても、会社としては「ハードの会社」と「ソフトの会社」があるのではなく、「ハード+ソフト」の会社か、「他業界の会社+ソフト」の会社か、ソフトだけの会社かというものだったのです。

  最近、コロナウイルスに関する給付金委託問題で、新聞の1面に、ある意味で「なつかしい」会社名を見た。↓
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↑ 《 中小企業に最大200万円を支給する持続化給付金で、一般社団法人サービスデザイン推進協議会から事業の再委託を受けた広告大手の電通がさらに、人材派遣のパソナIT業のトランスコスモスに業務を外注していたことが分かった。法人の設立に関与したこの三社が給付事業の大部分を担っており、実態に乏しい法人を経由して、国の委託費を身内で分け合う不透明な構図が浮かんだ。》
《 経済産業省が1日、国会の野党合同ヒアリングで明らかにした。法人の職員全員が、三社を含む設立に関与した企業からの出向者であることも判明。・・・・
  法人から749億円で業務の大部分の再委託を受けた電通は、給付金の申請の受け付け業務を405億円でパソナに外注、トランスコスモスにもコールセンターの運営を任せていた。・・・》
( 「東京新聞」2020.6.2.朝刊。 ↑)
 ↑ 「電通」という会社の名前は、東大・京大や慶応・早稲田あたりの卒業生なら、少なくとも会社名くらいは知っているはずだが、パソナは人材紹介業の会社で比較的大手の会社として知っている人は知っているだろうが、トランス・コスモスになると知らない人も少なくない会社だろう。《ある意味で「なつかしい」会社名》というのは、「トランスコスモス」のことだ。《IT業のトランスコスモス》と書かれていますが、コンピュータのソフトの方の会社です。

  《 東大・京大や慶応・早稲田あたりの卒業生なら 》という言い回しだが、小堀住研(株)〔2代目社長の中島昭午が、会社名から初代の名字である「小堀」を取り除きたかったのか、1990年にエスバイエル(株)と改名した頃から、それまでの「高級住宅の小堀」をドブに捨てて安物路線に走って会社をだめにして倒産させ、ヤマダ電機に「いぬき」で買い取られて、(株)ヤマダエスバイエルホームになり、さらに、やはりヤマダ電機に買収されたリフォーム会社の「リフォームのナカヤマ」とともに、(株)ヤマダホームズhttps://yamadahomes.jp/ となり、マイナスのイメージしかない「エスバイエル」(S×L)というツーバイフォー工法(2×4)の会社かと「名前つけ屋」が勘違いして名づけたかと思われる変てこな名称は消えた。逆に、2代目の中島昭午が消した「小堀」という名称は、創業者の小堀林栄が滋賀県の出身で数寄屋風の現代的和風住宅を得意とする会社として小堀遠州と関係あるのか?・・と客の側で勝手に想像してくれる名前であり、ヤマダ電機はかかつて「小堀の家」として評価された高級住宅の代名詞として復活させたようだが、中島が一度、ドブに捨てたものをもう一度拾おうとしても、すでに、かつて「小堀の家」を高く評価して魅力を感じた年代は家を建てる年代ではなくなっており、なおかつ、「小堀の家」を建てた入居者は、中島昭午が「小堀の家は安物ですよお」とあっちやらこっちやらで言いまくって書きまくってした結果、中島昭午のおかげで入居者は家という財産の財産価値まで低下させられてしまった被害者であり、又、エスバイエル(株)となってからはかつての小堀住研(株)のいいところはなくなったと実感した顧客が多く、一度、入居者宅の財産価値まで低下させるようなそういうことをやった会社に、その客層が戻ってきてくれるか、中島が自分からドブに捨てたものが復活するかというと、かなり厳しいのではないかという感じがする。〕に在籍した時、東京都目黒区自の東京支店自由が丘営業課に1990年4月から、千葉支店松戸営業課から転勤してくれと3月31日に言われて、「それで、何日から行けばよろしいか」と、松戸営業課の課長の石井さんに言い、東京支店長の高倉さんに言い、自由が丘営業課課長の高橋賢一郎に言い、東京支店業務課長の江間にも言ったのだが、「4月1日から」と言うので、「それは無理でしょう。たとえば、千葉支店の松戸営業課から柏営業課への転勤とかならば、居住地はそのままで、通勤時間もどちらに行くにも似たようなものですから、きょう言って明日からということも可能でしょうけれども、もしくは、小堀住研(株)は、その頃、東京都は新宿の東京支店と池袋支店に2つにエリアによって分かれていて、東京支店は東京の都心から見て南部に晴海展示場があった以外は都心よりも西側にのみ展示場があり、池袋支店も都心よりも西側にのみ展示場があったが、葛飾区水元あたりにも総合住宅展示場があり、ハウスメーカーによっては葛飾区水元の総合住宅展示場に出店していた会社があったが、もしも、小堀住研(株)も葛飾区水元あたりの総合住宅展示場に出店していて、東京支店でも葛飾区水元の展示場へ千葉県の松戸展示場からの転勤であったならば、きょう言って明日からということもありえたかもしれませんが、私は、千葉県流山市に住んでいて、松戸展示場まで片道1時間かけて通勤してきたのですが、東京支店がある新宿センタービルまで、月に1回だけ来てくれということなら頑張っていくということもできるかもしれませんが、自由が丘展示場というのは、東急東横線「都立大学」、東急東横線・大井町線「自由が丘」、東急大井町線・目蒲線(現 目黒線)「大岡山」、東急大井町線「緑ヶ丘」の4駅のちょうど真ん中あたりにあり、私の自宅から片道2時間以上かかりますし(2時間半くらいかかったと思う)、戸建住宅建築業の営業の仕事というのは、お客様宅に訪問して、夜、遅くまで商談することもあり、小堀住研(株)では勤務時間は相当長時間に及んでいて、松戸展示場から帰る際にも、終バスがなくなって松戸駅まで30分ほど歩いて、松戸駅の終電に乗って帰るということを何度もやってきたのであり、流山市に住んでいる者に、きょう言って明日から東京都目黒区の展示場に勤務してくれというのは、それは無理でしょう。いつから、行けばいいですか」と石井・高倉・高橋・江間に言ったのだが、「だから、明日から」と言って、「それは無理でしょう」と言っても、誰もが対処しなかった。「居住地を変わらなくてもいい転勤ならば、まだしも、きょう言って明日からどこそこに勤務してくれというのも考えられるかもしれませんが、居住地を変わらないと通勤できない場所への転勤ですから、4月1日から自由が丘で勤務してもらいたいということならば、3月の前半くらいには言うべきで、3月の31日に言うのならば、5月1日からとか、そのようにするべきでしょう」と言ったのだが、石井・高倉・高橋・江間、いずれもが、その役職の人間としての役割を果たさなかった。特に、東京支店業務課課長の江間は、業務課というのは各支店における人事・総務・経理を担当する部署であり、業務課長が何ら対処しないということは「業務課長としての仕事をしていない」という評価になる。 千葉支店の業務課長であった越智(おち)もまた同様である。こういう転勤のさせかたは、人権侵害である。会社は従業員に転勤をさせることができるとしても、その人事権の行使は信義に基づき誠実におこなう必要があり、こういう転勤のさせかたは、民法上「信義則違反」と評価されるものである。
   特に、東京支店の業務課長の江間(えま)と千葉支店の業務課長の越智(おち)の2名は、業務課というのは、名称としては「業務」といえば営業でも設計でも工事管理でも住宅建築業における業務であって、「業務課」という名前では何やってる部処かわからない名称だが、要するに、本社における人事部・総務部・経理部といった部処に該当する仕事をすべてまとめて担当するのが各支店における「業務課」であり、それを専門の職種としている人間で、課長の役職をもらい課長の役職手当をもらっている人間ならば、居住地変更・転居を必要としない転勤ならば、転勤してくれと言ってから1週間以内での移動を求めても可能であるとしても、居住地変更・転居を必要とする転勤ならば、基本的には1か月前、そうでなくても、3週間程度前には言うべきもので、何か会社の方がに不手際があってそうできなかった場合でも、「きょう言ってあしたから」というのはこれは物理的に不可能なことであるということは「アホでもわかる」ことであり、それを対処するのが業務課長の仕事であり、特に、東京支店の業務課長の江間はきかれもしないのに「ぼくは、法政大学の法学部でた」と自分から言っていたのだから、自分から法学部を出たと言うからには、「法学部を出た」という人間としての対応をしないといけないはずであったが、江間(えま)という男には完全に「法的認識」というものが欠落しており、結論として「アホでしかない」男で、よく、「卒業した大学によって人を差別してはいけない」などと言う人がいるが、江間などを「法学部でた」と本人が言うからと言って、旧帝大系国立大学の法学部卒の人間と同じに扱えと言うのなら、そちらの方こそ、よっぽど、「差別」であろう。江間の場合は、「ほう学部」は「ほう学部」でも法学部ではなく呆学部であろう。放精大の呆学部なんて法学部と言えるかと私は最初から思っていたが、江間を見て、まさにその通りだと思った。私は、うちの父親から「高校は義務教育ではないんやから、あなたは高校には行くべきではないのにからに、それをおまえが北野高校に行ったというのは、それはおまえが甘ったれとるから北野高校に行ってんぞ。おまえは高校行くな、おまえはあ!! おまえは高校に行ったのは余計なんじゃ、おまえは高校に行ったのは余計じゃ! ましてや、おまえは大学なんて行くべきではないんやぞ、おまえは。わかっとんのか、チャンコロ。わかっとんのか、浪商! おまえは北野高校に行ったと思っておるかもしれんけれどもなあ、おまえはたとえ北野高校に行ったとしても、それでもおまえは浪商やねんぞ、浪商! 『天の神さま』はおまえが産まれる時点で、『この人間は浪商であ~る』とお決めになっておまえは産まれてきた人間やねんぞ、おまえは。浪商は高校行くなちゅうんじゃ、浪商! 高校行くな、浪商! 高校行くなちゅうんじゃ、浪商! 浪商のくせして北野高校に行くなちゅうとんのじゃ、この浪商めがあ!」と毎日毎日、眼を指で突きさすようにして言われてきたものだったが、それから考えると、江間なんて、義務教育であろうがなかろうが、絶対に、中学校に行ったのは余計じゃ! 小学校も行く必要ないのじゃないかと思われるくらいである。ましてや、江間が大学に行くなんて、いったい何を心得違いを起こして思いあがってのぼせあがって甘ったれていたのかと思う。よくもまあ、江間なんて男が、一人前にふんぞりかえって「大学」に行くものだと思う。その結果、「法学部卒」だ「法学士」だと言うものの、いったい、どこが「法学士」なんだ? 何か、学んだものはあるのか? ・・というと何もない。よく、「卒業した大学によって人を差別してはならない」などと言う人があるが、なんで、江間なんて男を旧帝大系国立大学の法学部もしくはそれ以外の学部卒でも法学部卒の人間と変わらないくらいに法律について学んできた者と同じ扱いにしないといけないのか。あんな男をまともな大学の法学部卒の人間と同じに扱うなら、そちらの方がよっぽど「差別」であろう。江間なんかが「大学」に行くというのが何より間違っている。江間みたいな人間が「法政大学法学部卒」であるのなら、法政大学の法学部は「呆学部」と名称を訂正した方がよいであろう。あれが「法学士」とは、あきれます。
  各支店の「業務課」というのは、本社であれば、人事部・総務部・経理部に該当するものを、各支店では「業務課」として扱っていたのであり、私が千葉支店松戸営業課(松戸展示場)から東京支店自由が丘営業課(自由が丘展示場)に転勤してくれと言われたのは、私の個人的な事情での転居ではなく、会社都合での転勤であったのですから、千葉支店の業務課と東京支店の業務課は、円滑に転勤できるように、円滑に転居できるように配慮するのは仕事のはずで、それを、千葉支店業務課長の越智(おち)も東京支店業務課長の江間(えま)も、まったく何もしないで、本人にまかせきりでいたのですが、これは、業務課長の態度としておかしいのではないか。業務課長としての仕事をしているとは言えないのではないか。特に、江間はそれが当たり前みたいな顔をしていたが、当たり前みたいな顔をしているというのでは業務課長としておかしいはずである。法政大卒の男なんて「そんなもの」なのかもしれないが、世間では「そんなもの」ではないはずである。業務課長としての仕事をその部分でやっていないわけですから、その部分について「給料返せ」と言われておかしくないものではないか。
  千葉支店支店長の渡邊士直と東京支店支店長の高倉は、いずれも高卒の人だったようだが、高卒であろうが支店長にならせてもらい、支店長の役職手当をもらっていたのなら、「居住地が変わらない転勤なら、きょう言ってあしたからということもありえても、居住地を変わらないと勤務できない場所への転勤を、きょう言って、あしたから勤務しろというのは、それは無理です」と会社に対してきっちりと言わないといけないはずで、それを言えないようでは支店長としての仕事をしていることにならない。特に、千葉支店長にならせてもらっていた渡邊士直は、自分自身が1989年7月に大阪支店から千葉支店に転勤する際に、辞令が出てから1ヵ月近くも経ってから赴任しており、それはいくらなんでもかかり過ぎであるが、「居住地転勤を必要とする転勤は、きょう言ってあしたからというのは無理」ということについては自分自身が直近に経験しているはずであるのだから、それをきっちりと言わないといけないはずであり、言えない言わないのなら支店長としての仕事をしていないことになる・・・が、渡邊さんにはそれを期待しても無理であろう・・とは思うが、「渡邊さんにはそれを期待しても無理であろう」と認めるのならそれは「渡邊さんには支店長は無理であろう」と認めることになるはずで、認めたくないのなら支店長としてやるべきことをやらないといけないはずであったが、「支店長としてやるべきことをやる」ということを「底辺の高校卒の下品なおっさん」に期待しても期待する方が間違っている・・のかもしれないが、そうなると、「支店長としての役割を果たすことを期待しても無理なおっさん」を支店長にならせていることが間違っている・・ということになる。
  小堀住研(株)は昔むかしその昔から「大卒しか採らない会社」と言いまくっていたはずだった。どのくらいの昔からかというと、1970年、「せんきゅう~ひゃくう~ななじゅう~うねんの、こ~んに~ち~わあ~あ♪」の大阪万博の年よりも前、1960年代後半の後半に大阪府北部でうちの親が我が家を小堀住研(株)で在来木造で建てた時、小堀住研(株)の営業担当者(後の営業部長)は「小堀住研は大卒しか採らない会社なんです」と言いまくっていて、うちの父親なんてのは信じやすい人間なので、そのまんま、信じていた。〔もっとも、それぞれの人の学歴というのは、その後、取締役になった人は『役員四季報』(東洋経済新報社)や『有価証券報告書』に役員の学歴が掲載されているので、嘘ではないだろうけれども、それ以外の人の学歴が詐称でないという保証はないが。〕しかし、「小堀住研は大卒しか採らない会社なんです」という話は、1960年代の後半の後半にうちの親が大阪府で家を建てた時だけではなく、1980年代後半に私が小堀住研(株)に新卒入社した後の大阪駅前の本社での新卒社員研修においても講師役で来た人が「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社です」と話し、芦屋市の施設での営業社員の合宿研修においても、講師役で来たTQC推進本部営業部会の課長の川崎(愛称「デブの川崎」「肥満体の川崎」)が「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社としてやってきました。住宅建築業の会社でも、ミサワホームあたりは高卒の人が多い会社ですが、そのあたりが、小堀住研とミサワホームでは営業の質が違います」と話しており、うちの親が担当営業から聞いた話だけではないはずだった。もっとも、小堀住研(株)の初代社長の小堀林衛は「竹中工務店で設計をやっていた」という話も何人もから言われたし、うちの親も家を建てた時に担当営業からそう聞いたようだったが、その後、うちの父親の勤め先が竹中工務店で社屋を建てた際に、竹中工務店の担当者に「小堀住研の社長は竹中工務店で設計をやってたらしいですなあ」と言ったところ、「はあ。なんか、そんなことを言うとるらしいですなあ~」という返事だったらしく、実際は違ったらしい。落ち着いて考えてみると、小堀住研(株)の初代社長の小堀林衛は高卒の人で、竹中工務店の設計部というと、北野高校で私の1年上の人で京都大学の工学部建築学科に行って竹中工務店の設計部に就職した人がありましたが、その人から聞いた話では、京都大学の工学部建築学科でも、学部卒では竹中工務店の設計部に就職するのは難しいらしく、大学院修士課程修了の必要があるらしいが、その時は、ゼミの先生が「学部卒でもいいらしい」という話をしてくれて、それで、学部卒で竹中工務店の設計部に就職できたらしいが、普通は京都大学の工学部建築学科でも学部卒ではなかなか入れないらしいということだった。そういう所に、高卒の小堀林衛さんが勤務していたという話は、落ち着いて考えてみるとおかしな話であったのだが、「ボケっと聞いてると、はあん、そうかいなあ」と思いそうになる話ではあったのだが、違ったようだ。そんなことで嘘なんてつくかなあ~あ・・と思う人間もいるわけだが、そういう嘘をつく会社はつくのだ。二代目社長の中島昭午のことを「初代社長の小堀林衛の甥っ子」と研修で教えられたのだが、初代の弟で名字が同じである小堀東(あずま)というおっさんが専務取締役になっていたのだが、名字が同じ弟よりも名字が異なる甥っ子の方が優先されるというのはなんでだろうなあ?・・なんて思っていると、あれは「甥っ子」ではなく「メカケの娘の婿」だと教えてくれた人があった。さらにその後、「メカケの子」だという話も聞いた。「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があったわけだが、いずれにしても、「初代社長の甥っ子」ではなかったようだ。そういう具合に嘘の話はけっこうあった・・のだが、「大卒しか採らない会社」という点については、慶應大学に小堀住研(株)が出していた求人票に「応募資格」として、「営業系(営業・人事・総務・経理)・・・4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人、技術系(設計・工事・工務・アフターサービス)・・・4年制大学の建築学科・土木学科卒の人。」と明記していたはずであり、そう明記して募集していたからには、そうでないといけないはずであり、「応募資格」を満たしていない人を採用する場合は、よほど、特別の条件がある場合以外は認めてはならないはずだった。「余程、特別なケース」としては、小堀住研(株)に入社する前に正社員型で勤務していたコンピュータ関連の会社において、東大中退の人がいたようだが、その人は、その会社にいる限りは「大卒に準ずる」という扱いを受けていたようだった。大学を卒業した人としての学識があるかどうかという点で見ると、東大中退の人というのは、「しょーもない大学」を卒業した人よりよっぽど「学識」も学力もあるはずであり、その会社ではその会社にいる限りは「大卒に準ずる」ということにしていたようだった。うちの父親の勤め先の会社が、1970年代初めに九州に工場を作った際に、採用条件として「公立高校出身者に限る」としたが、町会議員のおっさんから「うちの娘は私立高校ですが、採ってもらえませんでしょうか」と言われたらしいが、いったん、「公立高校出身者に限る」としたからには町会議員の娘であろうが何であろうが私立高校卒の人を採用するわけにはいかないと断ったらしいが、町会議員の娘くらいは、私立高校とはいえ「高校卒」での新卒社員という点では同じであるからそのくらいの特別扱いはいいのと違うのかと思わないこともないが、そういうので、「採用条件」「応募条件」としたものと異なる条件の人を採用することはありうる。何よりも、小堀住研(株)の2代目の社長の中島昭午は最終学歴は「高卒」であり、「大卒しか採らない会社」なのになんで高卒の人が社長になってるんだ、といっても「メカケの子」説が正しいのか「メカケの娘の婿」説が正しいのか、ともかく、「一族」らしいから「一族」の場合は例外だったのだろう。そういう「例外」を特別に認めるということは会社という所においてはあるようだが、しかし、「大卒しか採らない会社」とあっちやらこっちやらで言いまくってきた会社で、何よりも、大学に提出した求人票に「応募条件」として、「営業系(営業・人事・総務・経理)・・・4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人、技術系(設計・工事・工務・アフターサービス)・・・4年制大学の建築学科・土木学科卒の人。」と明記しており、「会社案内」にも「採用実績校」として、たしか、「神戸大・新潟大・同志社大・関西大・甲南大」だったか、東大・京大や慶応・早稲田の名前はなかったが、神戸大と地方国立大学と関関同立から2校と甲南大の名前が掲載されていたはずで、そのわりには、入社してみると、「それよりもずっと下の大学」の出身者だらけだったのだが、それにしても、そのように明記してきたからには、高卒に人はいないはず・・・・だったが、なぜか、配属されると、高卒の人がいたのだ。なんで? これは、同じ時期に新卒入社した人間と話しても、「大卒しか採らない会社」で応募条件は「営業系」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」であったはずなのに、なぜか高卒の人間がいて、しかも、その高卒の人間がえらそうにしていると、大学新卒で入った人間は全国で多くの人間が怒っていたのです。「大卒しか採らない会社」なのに、なぜか、高卒の人がいる。しかも、その高卒の人がえらそうにしている。千葉支店でも、高卒の人がいましたが、もしも、大卒の人間と高卒の人間を「同じ扱い」にするということならば、「高卒で5年目と大卒の1年目が同じ扱い」のはずですが、ところが、小堀住研(株)は高卒で入った人というのは、「高卒で1年目」が「大卒で1年目」と同じという態度を取っていたのです。小堀住研(株)より前に勤務したコンピュータ関連の会社において、東大の大学院卒で入社した人が、入社すると高卒の人間の下に置かれたというので、怒って2週間で辞めてしまった・・と聞きましたが、私は辞めなかったけれども、この会社は、どうも、そのあたりが変だなと思いましたし、高卒で入った人間が、高卒3年目とか高卒4年目は大卒1年目よりも上みたいな態度・口のきき方をしているというのは、それはいかんのではないか、と思いました。高卒の人に、いちいち、そんなことで文句を言ってもめるのも大人げないと思って我慢もしてきましたが、実際、相当気分を害することはありました。
 ・・特に、千葉支店の支店長に1989年7月1日からなることになった渡邊士直(男。当時、40代)は、1989年7月1日から千葉支店の支店長になるということで辞令を出されておきながら、いつまでも千葉支店に来なくて、千葉支店の従業員から「支店長はいつになったら来るんだ?」と言われたが、7月1日に辞令がでておきながら、渡邊士直が7月の下旬にならないと赴任しないというのは、それは業務命令違反と評価されるのものではないか
  そして、「支店長はいったいいつになったら来るんだ」と千葉支店の従業員から言われていた渡邊士直(男。当時、40代)は7月の下旬になってやっと千葉支店に来たと思うと、千葉支店に赴任すると最初にやったことというと、千葉支店の従業員の某女性社員の尻を「なでたいと思うお尻をしているというのは大変いいことだねえ」と言って、何人もの目の前でなでまわした、ということだった。渡邊士直は、最終学歴は「熊本県の底辺の高校卒」であり、まず第一に、なんで、「大卒しか採らない会社」なのに、「底辺の高校卒」の人がここにいるんだあ??? と大いに疑問に思った。高卒の人でも、公立伝統校卒の人で、高校までの成績は「大学」に行ったような人よりもずっと良かったけれども「大学なんか行くかあ」と思っていかなかったという人というのが時々あり、又、旧帝大系国立大学などに行ったがどういう理由か中退したとかいう人で「大学中退」というのか、「中退」という学歴はないと考えると「高卒」になる人というのがいて、そういう人には、学識・学力という点では「しょーもない大学」卒の人よりも上という人がおり、そういう人を「大卒に準ずる」ことにして採用したということならわからないこともないが、渡邊士直の場合は「大卒に準ずる」ような人ではなく明らかに「底辺の高校卒の痴漢人間」であったわけであり、採用する理由がないはずだった。なんで、この人がここにいるのだあ? 渡邊士直は小堀住研(株)が「大卒しか採らない会社」になる前に入社したというわけではないはずです。私の親が小堀住研(株)で在来木造の家を建てたのは1960年代後半で、その時点では渡邊士直はまだ小堀住研(株)には入社しておらず、私が小堀住研(株)に入社した1980年代後半との中間あたりで入社しているはずですから、すでに「大卒しか採らない会社」であったはずの小堀住研(株)に「底辺の高校卒」でありながら「裏口入学」みたいに入社しているのですが、おかしいでしょ、それは。
  ・・・たとえば、1989年、8月だったか9月だったか、私が千葉支店にいた時、渡邊士直が私に「〇〇くん、小堀住研のお客さんとの契約は、請負契約なんだ。請負契約というのは、この仕事をやりますという契約であって、お客さんから家を建ててくださいと言われて請けおったのだから、柱を買いますから柱の代金ください、梁を買いますから梁の代金を払ってくださいとお客さんに、その都度、材料費をもらって仕事をするものなんだよ」などとアホなことを言うので、あきれて、「はい、はい」と言って渡邊から遠ざかるようにすると、まるで、ストーカーのようにしつこく後をつけてきて「〇〇くん、わかってるか。請負契約なんだから、その都度、柱の材料代ください、梁の材料代くださいとお客さんに言うものなんだ」とアホなことを繰り返し繰り返して言うので、かんべんしてくれよお~お・・・と思い閉口したことがあった。民法上、典型契約というものがいくつか定められていて、そこに「請負」というものが掲げられているが、民事上の契約はどういう内容の契約をしてもいいわけであり、小堀住研(株)がお施主様との間でしていた契約は、契約書には「請負契約書」と書かれていたものの、実際には請負契約と売買契約との中間のような契約であり、小堀住研(株)の木質パネル構法で使用していた木質パネルであり、集成梁であり、そういったものは、小堀住研(株)がお施主さんから渡されてそれを使用して建てるわけではなく、小堀住研(株)が用意したものを建ててそれをお施主様に売却するという契約で、その内容は契約書の条文と約款の条文に記載されていたはずであり、契約書の冒頭に「請負契約書」と記載されていても、その内容は請負契約と売買契約の中間のような契約であるのであり、まがりなりにも「大卒しか採らない会社」で、特に「営業系」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」に限るという会社において、民事上の契約というものは、民法の典型契約として記載されているものそのままではない、というその程度のことも理解できていない渡邊士直のような人に、私がそんな程度の低いことまで教えてあげないといけないというのはおかしいし、もう、いいかげんにしてくれ・・と思って「はい、はい、はい、はい」と言って逃げたのだが、逃げるとストーカーのように後を追いかけてくるのだった。
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 ・・契約自由の原則は、当然のことながら契約についての原則であり、当事者が外部からの規制を受けることなく、自由に契約の内容を定めることができる(契約内容の自由)というものである。・・・
〔 四宮和夫・能見善久『法律学講座草書 民法総則 第九版』2018.3.30.第9版 弘文堂 〕
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典型契約(有名契約) 非典型契約(無名契約ー混合契約)
(1)意義  民法の定める13種類の契約(売買・交換・贈与・消費貸借・使用貸借・賃貸借・雇雇・請負・委任・寄託・組合・終身定期金・和解)を典型契約という。名称が与えられているという意味で有名契約ともいう。そうでない契約を非典型契約あるいは無名契約という。典型契約の内容をいくつか合わせたような内容をもつ契約を混合契約という。たとえば、洋服を注文してつくるような場合は、売買と請負の両方の性質が備わっている混合契約といえる
(2)非典型契約の解釈  非典型契約・混合契約の内容は、契約自由の原則が支配する結果、まったく千差万別である。社会が進歩し、取引が複雑化した現状からいって、当然の現象といえよう。これらの契約として、たとえば、斤先堀(きんさきぼり)契約(鉱業権を第三者に賃貸し、生産高の一部または一定の金額を受け取り、その第三者をして鉱業を管理せしめる契約)、出版契約、ラジオ・テレビの放送出演契約、野球選手の専属契約、広告放送契約、ホテル・旅館宿泊契約、分収林契約(他人の所有地に造林し育成した樹木を伐採してその収益を造林者と土地所有者が分収することを内容とする契約)、預金契約などさまざまである。非典型契約の解釈にあたっては、無理に近似した典型契約の規定を適用すべきでなく、当事者の意思や慣習を尊重する態度が必要である
〔 遠藤浩 編集『新版 民法(5) 契約総論』1981.2.15.新版初版 有斐閣双書。
  森泉 章(もりいずみ あきら)「序論 5 契約の種類」 〕
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  《 洋服を注文してつくるような場合は、売買と請負の両方の性質が備わっている混合契約といえる。》のと同様、戸建住宅建築業の会社、特に、「工業化住宅」の会社に、戸建住宅を注文して建てるような場合は、売買と請負の両方の性質が備わっている混合契約といえる、と考えられるでしょう。 この程度のことも理解できないような人間が、なにゆえに支店長などというものになっているのか? 小堀住研(株)の場合、「技術系(設計・工事管理・積算・アフターサービス)」は「4年制大学の建築学科もしくは土木学科卒の人」が応募条件で、「営業系(営業・人事・総務・経理)」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」が応募条件であったはずですが、入社してみると、新卒入社した人には、中に、文学部卒で「営業系」に入社していた人もいように思うし、建築学科卒で「営業系」の方をやりたいと希望して採用されたと言っていた人もいたが、基本は「技術系(設計・工事管理・積算・アフターサービス)」は「4年制大学の建築学科もしくは土木学科卒の人」、「営業系(営業・人事・総務・経理)」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というものであり、《 戸建住宅建築業の会社、特に、「工業化住宅」の会社に、戸建住宅を注文して建てるような場合は、売買と請負の両方の性質が備わっている混合契約といえる》というくらいのことも理解できず、「請負契約なんだから、請負契約というものは、その都度、柱の材料代ください、梁の材料代くださいとお客さんに言うものなんだ」などとアホなことを言って、私があきれて「はい、はい、はい、はい」と言って逃げても、執拗に後を追いかけてくるようなおかしな人は、《「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」に準ずる》と解釈することは、どう考えても、無理です。やはり、そこまでレベルの低い人を、《「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」に準ずる》という「営業系」に採用してはいけないはずなのです。
  私が「私は、何も、渡邊さんを最初から否定するようなことはしていませんよ。むしろ、私は『営業系』として採用されて入社したけれども、最初に配属された松戸営業一課の課長だったUさんは土木学科卒の人で、次に松戸営業課の課長になった I は、高校出た後、建築の専門学校に行って一級建築士の資格を取ったという人で、2人とも、営業の仕事をしていても、最初から『営業系』で入社した人ではない人で、そういう人のやり方も参考になりますから、悪くはありませんが、最初から『営業系』として入社した人は、どういう勤め方をしているものか、と思い、『営業系』の支店長が赴任するという話でしたから、むしろ、私は期待していたのですよ」と人事部の課長の賀満(がま)さんに話したところ、賀満さんは「そうやなあ。そうやったのに、期待を裏切られたんやなあ」と言うのでしたが、しかし、その時の私は「採用実績校」は「神戸大・新潟大・同志社大・関西大・甲南大」だったかと「会社案内」だったと思うが記載されていた会社の「営業系」、即ち、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の勤務状況を見たいと期待したのであり、「国立大学か関関同立くらいの大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」に期待してのであり、渡邊さんのような「底辺の高校卒の痴漢人間の人」に期待したのではないのです。小堀住研(株)では、支店長になる人は、営業課長だった人がなる場合と工事課長だった人がなる場合があり、1989年6月まで千葉支店長だった長谷川さんは工事課長から支店長になった人だったのに対して、営業課長から支店長になった人もあったのですが、「営業系の支店長」という言葉を、松戸営業課の課長だった石井さん(男。当時、30代なかば)は、「営業担当者から営業課長になって支店長になった人」という意味で使っていたが、私はそういう意味で「営業系」という言葉を使っていたのではなく、小堀住研(株)は慶應大学に提出していた求人票に「営業系」としての「応募資格」として「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」と明記していたはずで、「会社案内」だったと思うのですが、「採用実績校」としては「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったか、そのように記載していたはずであり、そういうコースに応募して採用してもらったと思って喜んでいたし、そういうコースに入社したはずであり、女性で短大卒の人もいたけれども、そういう人は職種も別であり、「底辺の高校卒」である渡辺士直は、それと同様に、私とは別のコースで入社した人であるはずで、「営業系」(=4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人)ではないはずでした。「戸建住宅建築業の会社、特に、「工業化住宅」の会社に、戸建住宅を注文して建てるような場合は、売買と請負の両方の性質が備わっている混合契約といえる」というその程度のことも理解できていないような人なんかと一緒にされる筋合いはありません。
  「営業系」というのは「神戸大・新潟大」など国立大学か「同志社大・関西大」など関関同立くらいの私立大学の「法学部・経済学部・商学部卒の人」のはずで、そういう人が支店長として来るものだろうと思って期待していたら、そうではなく、「底辺の高校卒の痴漢人間」の人が、なぜか、「支店長だ」と称して来たのであり、なんで、この人が支店長なの? ・・・と驚いていたのでした。私は《「底辺の高校卒の痴漢人間」の渡邊さん》になんか、最初から期待していませんよ。短大卒の女性が同じ時期の入社でいても、そういう人は職種からして別になっており、渡邊さんも、当然、そうであるはずなのに、この人は何を勘違いしているのだろうか・・と思っていたのです。
  「大卒しか採らない会社」のはずで「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というのが応募条件の会社のはずで、「採用実績校」は「神戸大・新潟大・同志社大・関西大・甲南大」だったかそんな感じの会社だったはずなのに、なんで、「底辺の高校卒の痴漢人間」の渡邊士直がそこにいるのか??? 渡邊士直さん(男。当時、40代)は支店長は無理な人だったが、支店長は無理であるだけではなく、まず、渡邊さんがそこにいるというのが、それがおかしいはずなのだ。なぜ、その人がそこにいるの??? よく、「ひとを学歴で差別してはいかん」とか言う人がいるが、しかし、それなら、「底辺の高校卒の渡邊士直さん」に「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」と同じことができるか? できたか? できるようになる可能性があったか? ・・・というと、ないでしょ。まったく、ないでしょ。 ないのは明らかでしょ。もしも、あったなら、千葉支店の所属していた私が東京支店の営業所(展示場)に転勤するのに、「同じ居住地から通勤できる場所への転勤ならば、きょう言ってあしたから勤務ということもできるかもしれませんが、居住地を変わらないと通勤できない場所、転居先を探して転居しないと勤務できない場所への転勤をするのなら、1ヵ月か、そうでなくても3週間程度前に言うようにしないといけないでしょう」と会社に言うはずであり、それが支店長の仕事であるはずで、それをできていないわけです。できていないということは、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」であれば、「おまえ、大学出てきた人間なのに、何やってんだ」ということになるはずであり、支店長としては降格されても文句なんて言えないはずのものであったはずです。それを「底辺の高校卒」の渡邊さんは、当たり前のようにできていないのです。できない人を、なぜ、できる人と同じ扱いにしないといけないのですか? その人のおかげで迷惑を被る人間は、なぜ、その人に我慢させられなければならないのか? やはり、支店長というのは、支店長の能力がある人がなるべきもので、支店長の能力がない人をならせるべきではないはずです。
  小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」なのに、「営業系(営業・人事・総務・経理)」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」が「応募資格」である会社なのに、「採用実績校」は「神戸大・新潟大・同志社大・関西大・甲南大」だったかの会社のはずだったのに、会社はこういう人を採用します、この条件を満たしている人というのが応募条件ですと言ったならば、その条件からはずれた人を無暗に採用したのでは、その条件のものだと思って応募した人・入社した人にとって、おかしいじゃないか! ということになるはずで、無暗に応募条件からはずれた人を採用してはならないはずなのに、なにゆえ、「底辺の高校卒」の渡邊士直を、「痴漢人間」なのに採用しなければならなかったのか、何を考えているのか、そのユニーク(unique)・・というよりエクセントリック(eccentric)な思考は、マカ不思議とでも言うしかありません。
  東京支店長の高倉は、服装などきちっとした格好をして、そのあたりは営業経験者としてのものが身についていたようで、小堀住研(株)の営業については適格なことを言う人だったと思うが、一方で、話せば話すほど・つきあえばつきあうほど、「やっぱり、高卒の人やなあ」と感じるものが出てくる人だった。営業課長ならば悪くない営業課長の人だったかもしれないが、支店長の役割は厳しい人だったかと思う。入社式の後の「立食パティ―」で常務取締役だった向後さんが、「うちの会社もまだまだ人材が不足してますから」と言うので、その時はそうであるのかないのかわからなかったが、入社してみると、まさに実際そうだなあ・・と思うようになった。
  人事部長の高田も、「なんで、こんな人が人事部長なんてやってるのお?」て感じの男でした。私は、人事部長というのは、旧帝大系国立大学か早慶くらいの大学の法学部で労働法などを学んできた人間か、商学部・経営学部で労務管理論や労働経済学・労働法などを学んできた人間か、教育学部などで心理学・カウンセリングなどを学んできた人か、そういった人間が会社に何年か勤めて職場経験を積んでなるものだろうと思っていたのでしたが、高田はおよそそんな人間ではなく、学歴としては「高卒です」と顔に書いてあった人であり、「なんで、こんな人が人事部長になんてなってるの?」と思ったのでしたが、それは「一部上場企業の人事部長」と思って見るから、もしくは「従業員数千人超の会社の人事部長」と思って見るからであって、実際には「見てくればっかりいい会社」「外面ばっかりいい会社」の人事部長としては「そんなもの」で、逆に「その程度の人」が人事部長になっている程度の会社・・だったのかもしれません。結論として、高田は「一族」だったのではないか・・・と思うが、「一族」でも旧帝大系国立大学か早慶くらいの大学の法学部か商学部・経営学部・経済学部か教育学部などで労働法・労務管理論・労働経済学・心理学などを学んできた人がなればいいのではないのか・・・と私は思いこんでいたのでしたが、世間一般には《旧帝大系国立大学か早慶くらいの大学の法学部か商学部・経営学部・経済学部か教育学部などで労働法・労務管理論・労働経済学・心理学などを学んできた人》というのはある程度以上いても、《「一族」の会社》では、「一族」には《旧帝大系国立大学か早慶くらいの大学の法学部か商学部・経営学部・経済学部か教育学部などで労働法・労務管理論・労働経済学・心理学などを学んできた人》なんていなくて、「大卒しかとらない会社」においても「高卒のおっさん」が多かった・・・のかもしれません。 「ええ~え? なんだ、その程度の会社だったのか・・」なんて思うかもしれませんが、実は日本の会社には「その程度の会社」というのが、けっこう多いみたいで、大学を卒業してそれほど経っていない時期の私はそのあたりがよくわかっていなかったところがあったかもしれません。
  小堀住研(株)は「主任」とか「係長」はなく、ヒラの上が「課長」だったので、課長になっていた人には「小堀の課長なんて、普通の会社なら主任みたいなもんだ」とか言っている人もいたが、そういう面もあったであろうけれども、「作家で精神科医」の なだ いなだ が「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人が受賞しているかで賞の値打ちが決まるのだ」と『娘の学校』(中公文庫)で述べていたが、同様に「どのような役職についているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人がその役職についているかで役職の値打ちが決まるのだ」という視点で見ると、小堀住研(株)では「部長」と「支店長」が同格だったのだが、小堀住研(株)の部長・支店長などというものは、どういう人がなっているかという点から見ると「普通の会社なら、せいぜい主任か副主任くらいのもの」だった。もっとも、そんな感じの会社というのは、日本にはけっこうあるようだけれども。「一部上場」で「従業員千人超の会社」で「ある程度以上の知名度がある会社」で「戸建住宅建築業の業界では上位10位以内の会社」で、その会社の部長・支店長が「普通の会社なら、せいぜい、主任か副主任くらいのもの」ということはないだろう・・と私は入社前には勝手に思い込んでいたのだったが、その思い込みが間違っていた。
※ 民法第1条第2項 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
《ウィキペディア―信義誠実の原則》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E7%BE%A9%E8%AA%A0%E5%AE%9F%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%89%87
  又、1989年7月、7月1日から千葉支店支店長に赴任するという辞令を受けた渡辺士直は、千葉支店に赴任したのは7月も終わりになってからだった。これはいくらなんでも遅すぎる。やはり、会社員というものは、転勤辞令を受けたならば、さっさと移動するべきもので、渡辺士直が転勤をいつ聞いたのかわからないが、渡辺士直の場合は遅すぎるが、渡辺士直の場合は、小堀住研(株)の従業員全員に、7月1日からと公開されていて、6月末まで千葉支店長だった長谷川さんは、7月1日からの勤務場所である東京都新宿区の新宿センタービル内の部処に7月1日から勤務して千葉支店には出社していなかったのだから、いくらなんでも7月の終わりまで千葉支店に来ないというのは、会社員として、その勤務態度はいただけない・・が、会社は従業員に対して公平でないといけない。渡邊士直には、7月1日からという辞令で、実際に赴任したのは7月の末というのを認めておきながら、私には3月31日に辞令を渡して、「あしたから自由が丘に行って」と、それ、いったいどうやって行けばいいの?・・・ということを言ったのであり、人権侵害であり信義則違反であるとともに、「公平性の欠如」と評価されるものでもあった。
  小堀住研(株)は、入社式とその後の大阪駅前の本社での研修に参加するために、東京から大阪まで行く際の交通費も、千葉工大のやつには新幹線の乗車券の費用を出しながら、私には普通運賃しか払ってくれなかった。これもまた、 「公平性の欠如」と評価されるものであり、小堀住研(株)は、そのあたりについての会社の対応には問題がある。
  小堀住研(株)は「うちは一部上場ですからねえ」などとお客様には言っていたが、「一部上場ですから」とか言うのなら、それに見合った対応を従業員にもするべきものであるはずで、たとえば、すぐ近くに、翌日から住めるような社宅を会社で用意した上で、明日からそこに勤務してくれと言い、その上で、気に入ったアパートは自分でじっくりと探してもらえば借り上げ社宅とするからと言うのならまだわかるが、それもしなかった。普段、大阪の本社にいる人事課長の賀満(がま)さんと新宿センタービル内の東京支店で会った際にも話したが、東京都町田市にオリックスからリースで借りている社宅があるから、そこに住んだらどうだと言うので、「町田から自由が丘までは、片道2時間以上かかるんです」と言って、冗談にもならない話だと話したが、そうすると、賀満さんは「そんなん、きょうび、東京のサラリーマンは片道2時間くらいかけて通ってるでえ~え」などと言ったので、その発言については、バカにされたとわかった。本当に「九時五時みたいな仕事」、始業時刻直前に出勤して終業時刻と同時に退社することができるような仕事についているのなら、一時的に片道2時間かけて通うということも可能性としてありうることかもしれないが、小堀住研(株)の営業の仕事は、労基法違反の長時間労働であり、松戸展示場に勤務していた時も終電で帰ることはしょっちゅうあったのであり、そういう過酷な仕事の人間に「きょうび、東京のサラリーマンは片道2時間くらいかけて通ってるでえ~え」とよくもぬけぬけと言うというのは、まともに物事を考えていない、相手を馬鹿にしているとしか思えない発言である。私は、東京圏において、通勤時間は「電車通勤で片道1時間20分まで、クルマ通勤で片道1時間まで」が限度だと思っている。クルマ通勤の場合の方が時間が短いのは、道の混雑状況によって予想よりも長くかかってしまうという可能性が考えられるからで、都会の電車は1本乗り過ごしたとしても、すぐに次の電車は来るので、乗り過ごした場合のことを考えて余裕を見るとしても、それほど大きく余裕を見なくても良いが、クルマ通勤の場合には電車通勤の場合よりもはるかに長い時間の余裕を見る必要があり、電車は延着すると延着証明書というものを出してもらえるがクルマの場合には道路が超人的に混んでいても延着証明書は出してもらえない。又、観光でクルマに乗って行く場合は予定よりも時間が遅れたなら遅れたでそれだけのことだから別に道路が予定よりも混雑していた場合の余裕を見なくてもいいが、通勤の場合には遅刻しないで行くようにしないといけないので余裕をみないといけない。だから、クルマ通勤や仕事で行く場合には、観光でクルマで行く場合とは違ってある程度の幅の余裕を見て行かないといけないし、電車通勤の場合よりも見なければならない余裕の幅は大きくなる。なにより、大学生の時からマイカーを乗り回していた人も中にはいるようだが、私は大学生の間に普通自動車第1種免許は取得したが、原付の運転はしても、自動車の運転は経験がなかったので、展示場までの通勤をクルマで行くとすると、クルマでの所要時間が10分程度の場所に住んで、最初はその10分程度の通勤にのみクルマの運転を使用して、それから少しずつ遠距離を運転できるようにしていく必要があったので、それまで自分でクルマを運転したことがない人間が片道2時間以上もの長距離をクルマで通勤しないといけないという「オリックスからリースで借りていた町田の寮」というのは、建物はきれいな建物で部屋も悪くない部屋だったようで食事も用意されたようだったが、そこに入居するというのは、最初から選択枝としてありえない話であり、それは自明のことであったはずで、それをわかった上で、「きょうび、東京のサラリーマンは片道2時間くらいかけて通ってるでえ~え」などという口をきくというのは、その発言はひとを馬鹿にした発言と考えようがない。その点については、バカにされたとよくわかった。 よく、そういう口をきけたものだと思います。

( ↑ かつて、総合住宅展示場「自由が丘住宅公園」があった場所。今は「大岡山マンション」というマンションが建っている。向かいの消防署は今もある。)

  ・・・それで・・・、なんと言いましょうか、「日本的会社員の鑑」というのか「鹿取のように働くジャパニーズビジネスマン」「リゲインのように働くジャパニーズビジネスマン」というのか〔⇒《YouTube-24時間戦えますか?》https://www.youtube.com/watch?v=VHYFDipo5Kc 〕、私は、翌日の4月1日から、流山市から東京都目黒区まで片道2時間を超える電車通勤をしながら、付近の不動産屋に行って、目黒区の自由が丘展示場にクルマで通勤のできるアパートと月極駐車場を一生懸命探したのだった。〔まったく、ろくでもない会社と不良経営者のために、よくまああそこまで滅私奉公・破私奉公して働きまくったものだと思う。〕
  その際、東急東横線「都立大学」駅の近くの不動産屋で、自由が丘に、クルマで片道30分くらいまでの所で、比較的安くて、月極駐車場も借りることができる所ということで話すと、どう言われたかというと、「こんな所で、安い所なんてあるわけないでしょう」とこれは最初からわかっていた。なにしろ、自由が丘というのは「この漫才で田園調布に家が建つ」という田園調布の1駅隣りだから、安いわけはない。それはわかる。しかし、次におばさんが何と言ったかというと、「それよりも、小堀住研なんて、そんな会社に勤めている人なんて、大家さんが嫌がると思うわ」と。それで、「どうしてですか?」と私は言ったのです。
  不動産屋のおばさんは「どうしてって、小堀住研なんてそんなわけのわからない会社に勤めている人なんて、普通、大家さんは嫌がるわよ」と言うのです。「どうして、わけのわからない会社なんですか? それなら、どういう職業の人がいいのですか? 医者とか弁護士とかがいいのですか?」と言うと、「弁護士はあんまり良くないわねえ。やっぱり、いいのは、一流企業に勤めている人よ。大企業に勤めている人がいいわ」と言うので、「それなら、小堀住研(株)は、一応、一部上場企業ですけれども、いけませんか。従業員数も千人を越える大企業ですけれども」と言ったところ、「そうなの? 知らないわねえ。聞いたことないわ。建売でもやってんの、その会社」と言うのでした。「建売はやってませんね。戸建住宅建築業の会社でも、請負と建売と両方やっている会社も建売の方が中心の会社もありますが、小堀住研(株)は請負だけで建売はやらない会社です。小堀住研を『聞いたことない』のですか? 普通、名前くらいは知っていると思いますけれどもね。『ハウス55』は通産省・建設省が実施した国の企画によるものですし。一部上場の会社で、従業員数は千人以上の会社で、戸建住宅建築業の業界では上位10社以内に入っている会社ですが、聞いたことありませんか? 住宅雑誌にも毎号出ていますし、日経産業シリーズの『住宅』にも記事が載っていますし、ダイヤモンド社から出ている『利益上位の会社一覧』にも出ていましたし、上場企業ですから『会社四季報』(東洋経済新報社)とか『会社情報』(日本経済新聞社)とかにも出ていますし、新聞の株式欄にも出ていますし。住宅展示場にも沖縄以外の全国の総合住宅展示場にあちらこちらに出店していますし。見られたことありませんか。総合住宅展示場の新聞折込チラシなどにも出ていますでしょ」と私は言ったのです。そうすると、普通は・・・というのか、慶應義塾の経済学部・商学部・法学部の卒業生のレベルであれば、特にいい会社かそうでない会社かにかかわらず、まがりなりにも一部上場の会社、まがりなりにもその業界で上位10位以内の会社を「聞いたことない」というのでは、「聞いたことない」人間は恥だ、情けない、慶應義塾の経済学部・商学部・法学部の卒業生として、「聞いたことない」とは何事だ!?! ということになる話だ・・と私は思ったのですが、「不動産屋のおばはんのレベル」においては、「聞いたことない」というのが普通だったようでした。 この下品なおばはんに、こういう話をしても、「レベル的に無理や」と思いました。
  他の不動産屋にも何軒か言って話を聞いたのですが、他のある不動産屋では、勤め先の会社の規模が大きいか小さいかの問題ではなく、建築屋はいいけれども不動産屋は嫌がられることがあり、弁護士も嫌がる家主がけっこうあると聞きました。要するに、退去する際に、敷金というのは基本的には返すものだけれども、それをもらっておこう・・とした時に、「職業が弁護士」とかだと「何でやねん!」と言い出される場合が考えられるからでしょう。不動産屋は又貸しされる可能性を考えて嫌がられるようでした。さすがに、その「都立大学」駅近くの不動産屋のおばはんほど感じの悪いおっさん・おばはんはいませんでしたが、それでも、不動産屋というのは感じ悪いなあ~あ・・と実感しました。会社都合での転勤なんだから、会社は、それも「うちは一部上場ですからねえ」とか言ってる会社ならば、もうちょっと、会社として協力してもいいのではないのか、と思いましたが、「うちは一部上場ですからねえ」と言っても「見てくればっかりいい会社」「外面ばっかりいい会社」で中に入ると、「ええ? こんな会社だったのお」て感じの会社でしたから、「そんなもの」だったのかもしれませんが・・、話が遠回りになりましたが、「電通」なんて会社は、「その会社の内容をどれだけよく知っているかはさておき、まがりなりにも慶應義塾の卒業生なら会社の名前くらいは知っている会社」であったはずです。「不動産屋のおばはんのレベル」だとどうかわかりませんけれども。

  「電通」という会社については、その内情を良く知っているか名前を知ってるだけかはさておき、「不動産屋のおばはん」のレベルならわかりませんが、「慶應義塾の卒業生ならば」どれだけ知ってるかはともかく名前くらいは知ってる会社ですが、「パソナ」と「トランス・コスモス」については、「電通」よりも知名度は下がります。
  「パソナ」は、人材紹介業の会社として、2000年代、登録したのですが、結局、しかるべく所に話がまとまるということはありませんでした。
※ パソナ〔(株)パソナグループ〕https://www.pasonagroup.co.jp/

  「トランスコスモス」については、正直なところ、「え、あの会社の会社名が新聞の1面に載るのお?」「あの会社が、新聞の1面に載るように出世したのお?」・・・てそんな感じ。
  1980年代後半、私は人よりも歳をいった大学を卒業したので、就職には苦労しましたが、慶應大学4年に在籍した時に、会社の人の方から電話をもらったという会社が何社かあったのですが、その1社がトランス・コスモス(株)という会社でした。
※ トランス・コスモス(株) HP https://www.trans-cosmos.co.jp/

  会社の方から電話をもらえた・・としても、だから、採用してもらえると決まったわけでもありません。プロ野球の「スカウト」とかですと、球団から連絡をもらったというと、後は、契約金が多いか少ないかくらいのもので、たいてい、採用してもらえるようですが、最近、転職サイトで「スカウトを受ける」とかいうのがありますが、「スカウト」というからには、面接であって、よっぽど何かなければ採用しれもらえるものか・・と思うと、ちっともそんなことない。あくまでも、「応募しませんか」という「応募の呼びかけ」「応募のお誘い」であって、「スカウト」してもらえるのなら・・なんて思うと、「スカウト」している側にはそんな意識はない。 ひどいのは、インターネット上に公開している経歴を見て「スカウト」したはずなのに、その「スカウト」に対して応募すると、「書類選考に入らせてもらいます」と言って、すでに見た上で「書類選考」をして「スカウト」したはずの、インターネット上に公開していた「書類」を再度見て、それで、「今回は、書類選考の結果、見送らせてもらうことになりました」などと言ってくる会社があるのですが、「書類選考」した上で「スカウト」したはずなのに、なんで、同じ「書類」を再度見て、「書類不採用」にするのか? ・・・というそういうことをする会社がある。これは、私は、インターネット上の転職サイトの会社に苦情を言ったこともあるのだが、すでに公開している書類を見て「スカウト」しておきながら、再度、まったく同じ書類を見て「書類不採用」というのはおかしいはずなのです。その「書類」を見て「書類不採用」ならば、なぜ、同じ「書類」を見て「スカウト」するんだ? ・・・てことでしょ。そう思いませんか?
  推測で言うと、「スカウト」する際には、インターネット上に公開していた経歴は、真面目に見ていなかったのでしょう。インターネット上に公開していた経歴のうち、何か1つか2つ、条件に該当した人には、片っ端から「スカウト」をして、そうでなければ応募しない会社だけれども、せっかく「スカウト」してもらったのなら・・などと思って応募すると、会社の採用担当者の方では、その時点から、まともに、インターネット上の経歴を見て、それで「書類選考」をして「書類選考合格」か「書類選考不合格」かを決めていたのではないか。応募する側からすると、すでにインターネット上に公開していた経歴を見て「スカウト」してきた会社に応募したのに、新たに別の履歴書・職務経歴書を提出したわけでもなく、インターネット上に公開している経歴を見て「スカウト」してきた会社が、さらに同じ「書類」を見て不採用にするというのは摩訶不思議というのか、「そんなアホなことがあるか!」と思うのですが、「ともかく、応募させて」という考えで「スカウト」している会社は、「スカウト」した時点ではインターネット上に公開していた書類はまともに見ていないので、それで、そこから「書類選考」を始めるようだった。「スカウト」という言葉は良くないと思う。あくまでも、「応募の呼びかけ」「応募のお誘い」であり、プロ野球選手の「スカウト」か何かそういうものを発想する「スカウト」という言葉を使うのは、実態からかけはなれており、不適当であると思う。

  私は、「応募する側」だけではなく、「採用する側」もやったことがあるのですが、会社の方から大学生に電話をすると、中には、「しょーもない大学」の学生のくせして、もしくは、「しょーもない大学」の学生の親のくせしてからに、なんか、よっぽど、売り手市場で、ふんぞりかえっても採用してもらえるみたいに勘違いする人もあります。
  1980年代後半の後半、ある会社の人事総務部で、大学生に応募の呼びかけの電話をかけたところ、父親が出て「私どもの会社は・・の分野の会社なのですが」と言うと、その父親が「上場はあ?」などと言うので、こいつ、アホや・・・と思ったということもありました。それが、たとえば、頭狂大学とかそんな大学に行ってる息子の親ならまだしも、そうではなくて、その逆の方の大学、「バカでも入れる私大」の学生の親がそんな口をきくんですよ。1980年代の終わりというと、「バブル経済」という時期、就職市場は「売り手市場」なんて新聞に出たりしていたのですが、しかし、「売り手市場」なんて言っても、それでも、雇う側と雇われる側では、どっちが立場は強いかというと、当たり前のことですが、雇う側の方が立場は強いし、「売り手市場」なんて言っても、誰もが均等に「売り手市場」であるわけではなく、そのおっさんの息子が「売り手市場」であるわけではないのです。そもそも、その電話にしても、「こんな大学の学生なんて、採用したくないんだけどなあ。まあ、贅沢も言ってられないから、電話してみるかあ」とか上役から言われてかけたものだったのです。それを、新聞に「売り手市場」なんて文字が出ていると、まるで、自分のところのバカ息子まで「売り手市場」であるかのように勘違いしているアホ親がいたのです。アホちゃうか・・・・というよりも、「どう考えてもアホ」だったのですが、そんな相手に、へこへこして来させてもしかたがない・・という考え方もあったのですが、それでも、中小企業は「贅沢言ってられない」ので、会社の方からかけたりもします。
  1980年代後半、在籍したコンピュータ関連の会社では、大学の学生部や先生の所にも行きましたが、東京都内のある「言っちゃなんだが、下の方」の私立大学では、教授なのか助教授なのかの先生が「今の学生さんの考えとして、大企業を志向する傾向があります」とか言って、おまえの所なんて中小企業だろうがという態度で、ずいぶんとえらそうな口のきき方で、私立大学でも早慶くらいの大学の先生が言うのならまだしも、「言っちゃなんだが、下の方」の私立大学・・・、早慶の下に、JARK(上智・青山・立教・国際基督教大)とかMARCH(明治・青山・立教・中央・法政)とかSMART(上智・明治・青山・立教・東京理科大)とかいうのがあって、その下に日東駒専(日大・東洋大・駒沢大・専修大)があってとか言うらしいが、その下よりもま~だまだ下の方の私立大学ですよ。ともかく、試験会場まで行って受験番号と氏名さえ書けば誰でも通るという私立大学ですよ。そんな「大学」に行くやつなんて高校行く必要ないだろうが・・て感じの「大学」ですよ。〔「高校は小学校・中学校で勉強した者が行くものだ」「大学は小学校から高校まで勉強した者が行くものだ」と私などはうちの親から言われてきたものでしたが、自分でもそんな感じに思っていたのですが、その基準で考えるなら、その先生の「大学」というのは「高校行く必要ないだろうが」て人の行く「大学」ですよ。もっとも、最近はそういう「大学」が増えてきて、必ずしも、「大学」は「小学校から高校まで勉強した人が行く所」でもなくなってきまして、なおかつ、そういう「大学」の人が「同じ大卒なのに大学によって差別するのはおかしい」とかふんぞり返って言うようですが。〕そんな「ま~だまだ下の私立大学」「そんな『大学』に行くやつなんて高校行く必要ないだろうがて感じの私立大学」の先生が、そういう口をきくんですよ。私は大学の先生というのは研究者だと思っていた。大学の先生というのは、研究者で知識人だと思い込んでいたが、ちっともそうじゃない。上役と一緒に行って、それで、面と向かって言うわけにもいかないから言いませんが、「なんだ、こいつ」て感じがしました。 「バカでも入れる私大」の教授だか助教授だかが、何をわけのわからんねむたいこと言うとんねん・・・て感じですが、それでも、一緒に行った上役の人事課長が「はい、はい」と言って聞いていましたが、そこを出てから、「今の先生、ちょっと感じ悪くなかったですか」とその課長に言ったところ、「ちょっとなあ」ということでしたが、「でも、もっと感じの悪い人いるよお」ということでした。新聞の1面に「売り手市場」なんて文句が出ると、自分の所のバカ息子も「売り手市場」であるかのように勘違いするバカ親、たとえ、どんなに「売り手市場」であってもそれでも雇う側と雇われる側では雇われる側の方が立場は弱いのだということも理解できないアホ父と同様に、その先生も「勘違いしている人」だったかもしれません。「今の学生さんの傾向としまして、大企業を志向する所があります」などと言うのですが、そんなことは「今の学生さん」でなくても、昔から「大企業を志向する傾向」はあったでしょうし、志向しても、誰もが志向した所で採用してもらえるわけではないし、その先生の大学の学生が、そんなに「大企業」にどんどこ採用してもらえるとはとうてい考えられないし、なにより、一緒に行った人事課長は応募してもらおうと思って、えらそうな口をきかれても「はい、はい」と言って聞いていたけれども、だからといって、その大学の学生が応募すれば必ず採用するわけではなく、不採用にする可能性だってあったのであり、その先生はそのあたりをわかってない人なのかなあ・・・という感じがしたというのか、その人なんか見ると、「大学の先生」て、もしかして、アホなのお? て感じすらしました。私が大学の先生になっていたならば、別に企業の人事部の人間にへこへこすることもないとは思うが、一方で、自分の大学の卒業生を採用してもらわないといけないという面だってあるわけで、相手の会社が中小企業であっても、それでも、雇う側と雇われる側であれば雇われる側の方が立場は弱いし、たとえ、中小企業であっても、だから、採用してくれると決まっているわけでもないし、へこへこするものでもないけれども、えらそうにするものでもないはずだ、と思うのですが、 「大学の先生て、もしかして、アホなのお?」て感じの先生、新聞の1面に「売り手市場」という文句が出たのを見ると、まるで自分の所のバカ息子までが「売り手市場」であるかのように勘違いするバカ親・アホ父とたいして変わらないみたいな先生・・・というのがいらっしゃるようでした。

  「いずみや」というスーパーがあった。今、インターネットで検索してみると、今でもあるらしい。会社名としては、イズミヤ株式会社とカタカナになったらしい。
※ イズミヤ https://www.izumiya.co.jp/
  今となっては30年以上前の話だが、その「イズミヤ」の人事部の人から電話をもらって、電話で「うちは一部上場ですから」とおっしゃるその「一部上場のイズミヤ」に行ってみました。スーパーに買い物に行ったのではなく、履歴書持って行きました。
  最初、会社紹介のビデオを見せられたのですが、「いずみや」とその頃はひらがなだったと思うのですが、創業者は「クリスチャン」で、商売でどのくらいの利益を取っていいかというのを神に問うたところ、神はけっして大幅な利益をとっていいとは言われなかった、ということから、薄利でのスーパー経営をおこなうようになった・・・という「お話」でしたが、どうも、無理無理こじつけたみたいな感じの話でした。
  結局、訪問したその日に、あなたは「流通」には不向きですと言われたのです。「流通」てどういう意味なんだ? 「スーパー」と違うのか、なんで「スーパー」と言わずに「流通」なんて言うんだ・・と思いませんか? ・・これ、うちの父親が言うには、今はそうでもなくなったけれども、かつては、「スーパー」というのは小売店の業界でも百貨店などと比べて、格下みたいな評価があったので、それで、「スーパー」と言わずに「流通」と言うのだろう、と言うのでしたが、おそらくそうでしょう。「スーパー」が百貨店などより格下に見られているという意識があるので、それで、「流通」なんて、なんだかややこしい表現をしていたようです。
  その人事部のおっさんは、「『流通』というのは、あそこにいる男みたいに、体育会系の勢いのある人間がいいんだ」と言うのです。「体育会系」の人間が「勢いのある人間」かというと、私は違うと思いますけれどもね。まあ、会社に訪問して、人事部のおっさんと議論してもしかたがないので言いませんでしたが、私は、もともと、スポーツは好きだけれども「体育会系」というのはあんまり好きではないし、「体育会系」の人間がいいという会社なら、もっと先に言ってくれれば、行かなかったのに・・・と思ったくらいでした。「体育会系」て野蛮人でしょ。私、野蛮人は嫌いなんです。たとえば、「体育理論」という名前の講義が慶應大学の必修科目としてあって、「体育理論」が担当の慶應の体育会の教授は、「最近、おかしなやつが増えて困ったもんだ。『殴った』じゃないかとか言って文句言うやつがいるんだけれども、『殴った』からどうだってんだ。スポーツなんだから殴るてのは当たり前だろうが! 『殴ったから怪我したじゃないか』なんて言ってからに、頭おかしいんじゃないか! 殴ってんだから怪我するのは当たり前だろうが、当たり前! 何をわけのわからんこと言ってんだ、何を! 殴ってんだよ、怪我するのは当然だろうがあ! わけのわからんこと言うなってんだよ、わけのわからんことを! だいたい、殴らないスポーツなんてあるわけないじゃないか。スポーツなんだから殴るというのは当たり前だろうが。『殴らないスポーツ』なんてあるわけないだろうが! わけのわからんこと言うなってんだ。一回、病院に入院しろお!」とかおっしゃるのでした。「特に、女子バレーがすごいんだよ。女子バレーだと、男性のコーチが女子選手の髪の毛つかんでコートの中をひきずりまわしたりするんだよ。それがスポーツなんだよ、それでこそスポーツなんだ。そういうものをスポーツて言うんだよ。そういうことをするのをスポーツて言うんだよ。それを、いかんとか言う頭のおかしなやつが最近いて困る。そういうわけのわからんこと言うような頭のおかしいやつは、一回、入院しろお!」とおっしゃるのでしたが、私はそのお方のお話をきいて、「あんたこそ、一回、入院しろお!」と思ったのでした。私が考える「スポーツ」と体育会の教授が考える「スポーツ」とは、スポーツはスポーツでも内容が全然違うのでした。毛沢東は『体育の研究』(『毛沢東の体育の研究』ベースボールマガジン社)という本を書き、スポーツを奨励し、それまで、中国においては、「頭のいい人は体が弱い、体力が優れている人は頭が優秀ではない」というように中国では考えられてきたが、これからはそういう考え方ではだめで、そうではなく、すべての国民が自ら体を鍛えるスポーツマンであるとともに、すべての国民が自ら考える哲学者である国になるべきだ、と主張します。『毛沢東語録』(和田武司・市川宏訳。1972.改訂2版。河出書房新社)には、「三大規律・八項注意」という《 1928年春、井岡山で定められて以来、赤軍内で実施され、大きな役割を果たしてきた、内容が各地、各軍、各時期によって多少異なっていたため、あらためて統一規定をおこない公布した。66年の紅衛兵運動にさいしては、これを踏襲して倫理規定とするよう指導した。》というものが掲載されているが、そこには、
三大規律
(二)大衆からは針一本・糸一本取らない。
(三)捕獲品はすべて公のものとする。
八項注意。
(一)話は穏やかに。
(二)取引は公正に。
(三)借りたものは返す。
(四)こわした物は弁償する。
(五)なぐらず、どならず。
(六)農作物を荒らさない。
(七)婦人をからかわない。
(八)俘虜を虐待しない。
・・・毛沢東が言っていることと、慶應の体育会の教授とでは、考え方が正反対でしょ。こういうことを言うと「慶應タイプ」の人は、な~んとかして、「殴る」という「慶應タイプ」を正当化しようと必死になるのですが、そういう「殴る」の大好き人間というのが私は嫌いなのです。ですから、結論として、私は「慶應タイプ」が嫌いです。私は「殴る」のも「殴られる」のも嫌いですから、ですから、「殴る」のが好きという「慶應タイプ」は嫌いなのです。又、「殴らないスポーツなんてあるわけないじゃないか」という認識も私の認識とは正反対です。 《自ら体を鍛えるところの「自ら考える哲学者である人間」》同士の間で「殴る」とか「殴られる」とかいったことが必要ですか? 必要ないじゃないですか。「殴らないスポーツなんてあるわけないじゃないか」という「慶應タイプ」の人の思想というのは、いわば、「ハリコの虎」であった日本軍国主義の思想です。その「ハリコの虎」がなつかしくてたまらないという人が「慶應タイプ」には多いのです。私はそういう人は嫌いです。三井系の会社で、東大出身者と慶應大出身者を同数ずつとるという伝統がある会社があり、そういう会社では、入社後、課長から部長あたりまでは東大出身者と慶應大出身者の割合は同じくらいらしいが、それよりも上になると東大出身者の方が多く、慶應大出身者は少なくなるという傾向があるらしく、『現代の眼』という雑誌で、それは、慶應という学校は「使いやすい、使われやすい」という人間であって、指導者にはなることができない人間をわざわざ育成している大学だからだ、と書かれていた、と慶應大学のある助教授が講義の中で話されたことがあったのだが、「殴る」というのを肯定するような「体育理論」を正規の講義・必修科目だとして実施しているような大学だから、「自分自身がトップになって指導力を発揮することはできないという人間をわざわざ育成している大学」と言われるような傾向を持つようになるのではないか、と思う。(もちろん、「人にもよる」であろうし、私などは慶應大学の卒業証書をもらったけれども、良きにつけ悪しきにつけ「慶應タイプ」ではないから、この論評の対象にはあてはまらないと思っている。)
  又、私は小学校の1年の時に、担任の先生から、「男の子が男の子に暴力をふるうというのもいいことではないけれども、女の子は男よりも力が弱いのだから、男の子が女の子に暴力をふるうというのは、力の強い者が力の弱い者に暴力をふるうというのは、それは卑怯だ」と教えられて、もっともなことだと思い、それ以来、そういうものだと思ってきた。だから、慶應の体育会の教授が得意がって言われる、「男性のコーチが女子選手の髪の毛をつかんで、コートの中をひきずりまわすんだ」とかそういうのを得意にする男というのは、そういう人のことを「慶應ボーイ」とか「スマート」とか「思考が柔軟」とか「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神を持っている」とか「アイデンティティーを持っている」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「ギャルにもてもて」とか「慶應心理学」は「診断」するらしいが、私はどうしてもそういう人とそういう行為は好きになれなかった。男性として、女性の髪の毛をつかんでひきずりまわすとか、そういうことをする男というのは私は好きになれないし、ましてや、「それがスポーツなんだよ」などと言ってそういう態度を肯定し称賛するような「慶應体育会」の態度・考え方は人間として認めるわけにはいきません。
  現在の日本のスポーツ業界もまた、その「殴るの大好き人間」がやってるのかと思っていたので、それで、私はスポーツは嫌いではないが、スポーツ選手は嫌いだったのですが、スポーツ選手にもいろいろな人がいるようで、野村克也のじいさんは、なぜ、西本監督は日本シリーズで優勝できなかったのか・・という問題として、西本監督は、大毎・阪急・近鉄とそれまで優勝したことがなかったチームの監督となって、ことごとく優勝させたというすばらしい監督であり、選手を愛する監督で、選手からこれほど慕われた監督はないと思われる監督だったけれども、しかし、西本監督が選手を殴って指導するところを何度も見ていて、そういう殴って指導された選手、殴られて上達した選手というのは、日本シリーズやプレーオフなどの短期決戦になって、いざという時に自分で判断できない選手になってしまうのではないか・・・といったことを書いていた。西本監督が優勝は何度もしたけれども日本シリーズでは結局一度も勝てなかったというのは、日本シリーズに強い川上監督の巨人のV9時代と西本監督が阪急で何度も優勝した時期が重なったという不運もあり、そうでなければ一度くらいは日本シリーズで勝ててもおかしくない監督であっただろうけれども、それでもやはり、鉄拳指導といったそういう指導で上達した選手は、上達はしても自分で考えて判断できない選手になってしまう・・・といったことを書いていたが、私もそうではないかと思う。
  野村克也『短期決戦の勝ち方』(2018.10.10.祥伝社新書)には、
《 同時に、西本さんはときには鉄拳も辞さないスパルタ主義の人であった。私は熱くなった西本さんが勢い余って選手を殴る場面を何度も目撃している。・・・
  半世紀近く前には、プロ野球界も鉄拳制裁や精神野球がはびこっていた。その精神野球、根性野球で南海を常勝軍団にしたのが、私の恩師である鶴岡一人さんである。鶴岡さんもよく選手を殴った。一番近いところでは星野仙一だろう。
  西本さん、鶴岡さん、星野――3人の名前を並べて、気づいたことが二つある。
  ひとつは、3人とも東京六大学野球の出身であることだ。西本さんが立教大学、鶴岡さんが法政大学、星野が明治大学。高校しか出ていない私は大学卒と聞くと、コンプレックスを抱くのだが、当時の大学野球は精神野球の色が濃かったと推測している。そこで育ち、自分が監督になると、精神野球や鉄拳制裁が顔を出すのは当然とも言える。
  もうひとつは、西本さんを筆頭に、鶴岡さんも星野も日本シリーズの成績が芳しくないことである。鶴岡さんは9回出て2回しか日本一になっていない。星野も4回出て日本シリーズに勝ったのは楽天の1回だけ。
  しかも鶴岡さんが宿敵・巨人を倒したのは、シーズンで34勝4敗の成績を残した杉浦忠が4連投4連勝した1959年だけである。星野も、24勝無敗の田中将大(たなかまさひろ)を擁した2013年に、中日と阪神では叶わなかった日本一をやっと達成した。失礼を承知で言うのだが、監督の手腕でもぎ取った日本一という気がしないのだ。
  こうした事実から何が導き出されるか。賢明な読者は、もうお気づきかもしれない。精神野球、根性野球は長期戦には向いているが、短期戦には通用しない。つまり、選手を引っぱたいたり、大声で怒鳴ったりしても、大事な試合には勝てないということだ。
  野球の原理原則にもとづき、緻密な戦略・戦術を立て、準備万端で臨んでこそ日本一という果実を得られるのだと私は確信している。》
と野村じいさんは書いているが、私もそうではないかと思う。
だから、「慶應タイプ」は運動選手としてもその点でだめだと私は思う。だから、「流通」がどうかは別として、「いずみや」の経営者が、そういう「体育会系」がいいという思想を持っているのなら、それは私とは経営思想が正反対なので、一緒にやろうと思ってもお互いにいいことはないと思うから、早めに縁が切れて良かったのではないか、と思った。
  その時、向う側の部屋にいた男性は、顔は見えなかったのだが、大きな声を張りあげるような話し方の人で、言ってみれば、「八百屋の出前みたいな話し方の人」だったのだが、なんで、そういうのがいいのかと私は思ったし、あえて、そういう話し方をしてほしいのなら、一時的にやらないこともないが、むしろ、そういう上品でない、大声張り上げれば、「勢いがある」とか「威勢がいい」とかいうのは、何と言いましょうか、「アホと違うか」て感じがしたのですが、そして、その業界でも違いがあるのかもしれませんが、小堀住研(株)の研修では、「小堀住研の営業というのは高額物件の営業であって、八百屋の出前とは違うんだから、八百屋の出前みたいに『こんちわあ』とか大声張り上げるようなことすんなよ」と言われたものでしたが、「いずみや」の人事部の人なのか、経営者なのかは、片方で「うちは一部上場ですから」とか言いながら、「一部上場ですから」にしては「八百屋の出前みたい」な態度を好むようで、変なこと言う人だなあ・・・と思ったものでした・・・が、今、考えてみると、要するに、「いずみや」というのは《「八百屋の出前」と一緒》の会社だったのではないか、と思うのです。要するに、《「八百屋の出前」と一緒の会社》が「ちょっと、大きくなった」という会社・・でしょ。「スーパー屋」の「いずみや」というのは。だから、本質は《「八百屋の出前」と一緒》なのです。 《「八百屋の出前」と一緒》の会社が「ええかっこ」して「うちは一部上場ですからねえ」とか「流通」とか言ってみせたとしても、しょせんは、本質は《「八百屋の出前」と一緒》の会社なのです。《「八百屋の出前」と一緒》の会社・・に、「八百屋の出前じゃあろまいし」なんて言ってもだめです。そういう会社なのですから。なんで、そんなこと言うのかなあ・・・なんて、その時は思ったのでしたが、それは「流通」だとか「一部上場」だとか言われて、そうかいなあ・・とか思うから、「なんで、そんなこと言うかなあ」という気持になるのであって、もともと、《「八百屋の出前」と一緒の会社》なんだ・・・と考えれば、ちっとも不思議じゃない。 「流通」だの「一部上場」だの「『聖書』を読んで、どのくらいの利益をいただいていいかと神に語りかけたところ」とか「ええかっこ」言っていても、本質は《「八百屋の出前」と一緒の会社》だったのです。 「八百屋のおっさん」について、「八百屋の出前じゃあろまいし」なんて考える方が間違っていたのでした、もともと、その会社は「八百屋みたいな会社」なのですから・・・。要するに、「いずみや」というのは、「一部上場」とか「流通」とか「『聖書』を読んで考え、神に語りかけたところ」とか何とかかんとか「ええかっこ」して言っても、結局、「八百屋のおっさん」なのですよ、「八百屋のおっさん」。そう考えると、意味がわかりますでしょ

  トランスコスモス株式会社の人事部の人からも、会社説明会に来ませんかという電話をもらったのです。会社の方から電話をもらえるというのは、ありがたいことです。しかし、その頃の私からすると、そういう「聞いたこともない会社」で「上場もしてない会社」なんて、なんで、俺が応募せんといかんねん・・・というくらいの気持ちだったのですが、実際のところ、どうでもいいわ・・くらいの気持ちで、会社説明会に行ったのです。
  トランスコスモス株式会社のホームページを見ると、今は、本社は東京の渋谷にあるように出ていますが、その頃は、たしか、赤坂のあたりにあったような気がします。
  トランスコスモス(株)というのは、コンピュータのソフトの会社だったようですが、「入力やってる」会社だそうでしたが、その頃は、電通との関係なんてまったく聞かなかったが、コンピュータの「システムエンジニア」ではなく「プログラマー」を抱える会社なので、女性社員が多い会社でしたが、前年に入社した女性社員に書かせたという社員の「社長へのお礼」だかいう文集を見せられたのだが、「トランスコスモス(株)に入社して、この会社のおかげでこんなに良かった」「会社の経営者にこんなにお世話になりました」・・・といった類の文章を次から次へと書かされたものが掲載されていて、その最後に、署名させられて、ハンコまで押さされていたのでした。「うわっ」と寒気がしました。まるで、ネトウヨ的マスコミが伝えるところの北朝鮮の「将軍さま」にお礼を述べさせられている北朝鮮人民みたいな感じでした。 ”””気色の悪い会社””という印象の会社でした。

  私はそれを見て、この会社は嫌だな・・・と思ったのでした。それで、それでも、どこかに勤めないといけないのだけれども、な~んだか、感じの悪い、個人崇拝を従業員に強要するファシズム国家の支配者みたいな経営者の会社のようだと思っていい印象を受けませんでした。
  それで・・・、ともかく、どこかに勤めないといけないのだけれども、どう考えてもいい印象の会社ではないと思って、その時は、あくまでも、「会社説明会」だったのですが、もしも、トランスコスモス株式会社の人事部の方から、面接に来ませんかという誘いの電話が来たならどうしようか・・・と思ったのでしたが、人間の関係というのは、相互に影響を及ぼすようで、向うさんもまた、私の方からアプローチがあったならどうしようか・・・というくらいに思ったのか、それ以上、向うさんから連絡はありませんでした。おそらく、私の方から、アプローチをしたならどうなったかはわからないが、向うさんの方からそれ以上のアプローチをしようという気持にはならなかったのでしょう。今から考えると、「ファシズム国家の専制的支配者が国民に個人崇拝を強要しているようなそんな会社」に対して、私がいい印象を受けなかったのに対して、「ファシズム国家の専制的支配者が国民に個人崇拝を強要しているようなそんな会社」の経営者もまた、いい印象を受けなかった者に対して、《「将軍さま、ばんざ~い♪」と喜んでは叫ばない男》に対して、「?」と思ったのではないかと思います。 たぶん、そんなところではないか・・・、おそらく、それで間違っていないと思います。

  やく みつる(はた山 ハッチ)がプロ野球選手をネタにした漫画を描いていたところ、その選手のファンから苦情・・ですんだらいいが、その程度ではなく、怒りというのか抗議の手紙が来たりしたそうですが、誰だったか忘れてしまったが、あるプロ野球選手が、「ぼくはプロの選手なので、どんな書き方でも、ともかく、ぼくのことを書いてもらえるというのはうれしい」と話していたというのを見て、そういう選手だと、応援したくなるなあ・・と思ったことがありました。
  それと、多少、似ているかと思うのですが、会社でも、小規模な会社の場合は、「しょーもないこと」やっても新聞の1面に出たりはしませんでしょ。トランス・コスモス株式会社なんて、新聞の1面に出るような会社ではないと思っていたのでした・・・・が、出たがな、あんな会社が・・・。

  「悪名もまた有名のうち」なんて言葉があって、たとえ、けなされた話であっても、無名の会社にとっては、会社名が新聞の1面に出たなら、それは、「悪名」であってもかえって会社経営にプラスになる場合だってありそうです。
  ・・・しかし、そうなると、私もまた、日本国民として、何らかの形で、一言は言わせていただかないといけません。 今はどうなっているか知りませんが、かつて、1980年代後半において、トランスコスモス株式会社というのは、「なんだか、ファシズム国家の専制的支配者が国民に専制的支配者を称賛・翼賛するような行為を強要していたかのように、入社して社歴がそれほどない従業員に、この会社の経営者に対する『お礼』『恩』を文章で書くように強要されて、それに署名させられて、ハンまでつかされていた」という事実を、どこかで何らかの形で公表しておかざるをえません。それは日本国民としての義務でしょう。・・・ということで、とりあえず、ここで、それを述べておきます。
  日本では、ネトウヨと言われる人たちが、北朝鮮などをボロクソ、くそみそに言いたがるのですが、私は、北朝鮮の状態は、中には不正確な情報もあるかもしれないけれども、どう考えても、いい状態ではなさそうだと思っていますが、只管、くそみそに言うのを趣味としているような人を見ると、日本にもそんな感じの会社はあるということを知っていて言っているのか、知らずに言っているのか、この人はどちらなのだろうか・・・と思います。トランスコスモス株式会社の従業員は、””北朝鮮みたいに””、「将軍さま、ばんざ~い!」みたいな文章を、強制的に書かされて書名させられてハンコまでつかされていたのです。そういう会社でした。これは、日本国民として、知っているからには、黙っていてはいけない問題であると思うので、ここで公開します。今もその頃と同じ状態かどうかはわかりませんけれども。

  電通って、大企業・優良企業でいいと思っている人がけっこうあるようですが、広告代理店最大手であり、少なくとも私が勤めてきた三流以下企業よりは勤めるにはいいのではないのかと思うのですが、広告代理店というのは、「えげつない」とか何とかいう話もあり、「冒険家」の植村直巳が、最後、遭難死したのも、最初は植村直巳は個人の費用で趣味・生きがいとしてやっていたものを、広告代理店の電通が費用を出すようになって、それで、個人の費用ならできないような「冒険」をできるようになったけれども、他方で、本人としてはやりたくないようなものまでやらざるをえなくなってしまい、それが、事故死につながったのではないのか・・とかいう話もあると、たしか、本多勝一の本のどこかで見たような気がします。そのあたりが広告代理店という業界の「えげつない」ところだとかも言われるらしいが、大企業・優良企業ではあるでしょうし、私が勤めてきたような三流以下企業などよりも、勤めるのなら絶対にいいだろうと思いますが、「いいことばっかり」というわけではないみたいです。・・まあ、「いいことばっかりではない」というのは、それは、たいていの所がそうでしょうけれども・・・。

  (2020.8.2.) 

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