「木の神様」公智神社(兵庫県西宮市山口町)参拝【1/2】ククノチノカミ とは。公智神社の由来。公智神社への道。

[第780回]
  「木の神さま」、兵庫県西宮市山口町下山口 の公智神社(くちじんじゃ、こうちじんじゃ)に参拝してきました。
  木の神さま・・というと、『古事記』『日本書紀』二系統あるらしい。
1.五十猛(イソタケル)・大屋都姫(オオヤツヒメ)・ツマツヒメという、スサノオの息子・娘の3人、
2.久久能智神(ククノチノカミ)
スサノオもまた、『日本書紀』では、桧は何に使え、槙は何に使え・・と指示したくだりがあるから、スサノオも木の神さまと考えることができるかもしれない。
  イソタケルを祀る神社というと、和歌山県の伊太祁曽神社(イダキソじんじゃ)・静岡県熱海市の来宮神社(きのみやじんじゃ)などがあるのにたいし、ククチノカミを祀る神社というと、兵庫県西宮市山口町下山口 の 公智神社(くちじんじゃ、こうちじんじゃ)・・。

( ↑ マーカーが 公智神社。 兵庫県西宮市山口町下山口3-14-30 )
  西宮市とはいっても、毎年、阪神タイガースが年始に参拝して、「どうぞ、今年も優勝はせんでもよろしいから甲子園球場にお客さんがいっぱい入りますように」と祈願していている(?)、「商売繁盛の神さん」である「えべっさん」はその願いに律儀に応えて、毎年毎年、優勝はちっともしないけれどもそれでも甲子園球場は大入り満員、「阪神ファンは一番やあ~あ♪」・・と阪神球団の経営者は思っておるだろう・・・というあの西宮戎神社があるあたりとは違って、北西部、西宮市と神戸市北区との境目あたりの西宮市側。大阪から神戸への阪神本線・JR東海道本線・阪急神戸線の沿線ではなく、電車の路線でいえば、神戸電鉄の三田線の沿線、「田尾寺(たおじ)」という駅の東のあたり。 クルマなら、中国自動車道の「西宮北」インターチェンジを出て南東のあたりにあります。
  「三田」は東京では港区の三田、慶應義塾の三田キャンパス(経済学部・商学部・法学部・文学部の専門課程)とか、怪人二十一面相のお友達の森永がある三田(みた)で、東京人は「みた」と読みますが、関西人は「さんだ」と読み、兵庫県三田(さんだ)市の三田(さんだ)、三田牛(さんだうし)の三田(さんだ)です。「三田線」は東京都営地下鉄の「三田線」は「みたせん」ですが、神戸電鉄の三田線は「さんだせん」です。
  なお、阪神タイガースが優勝しないにもかかわらず甲子園球場にはお客さんがいっぱい入るというのは、これは、毎年、西宮神社に参拝しているが、西宮神社の神さんの「えべっさん」というのは商売繁盛の神さんであって戦いごとに勝つ神さんではないので、それで、「えべっさん」は一生懸命努力してくださってその結果だという説がありますが、阪神タイガースは「商売繁盛の神さん」の西宮神社とともに、アマテラスの荒御魂を祀る広田神社にも参拝していたはずで〔⇒[第274回]《住宅屋必見!切妻 正面平入り 神明造の拝殿・廣田神社(西宮市)―阪神タイガースの里(1)》https://shinkahousinght.at.webry.info/201407/article_2.html 〕、商売繁盛の神さん「えべっさん」を祀る西宮神社と、闘う神である荒魂の広田神社と両方参拝していたはずです・・・が。トマス=サズ『「精神医学」という神話』(岩崎学術出版社)で、サズが引用していたアインシュタインの言葉「彼らが言っていることを聞くのではなく、彼らがやっていることを見るべきだ」という基準から見て、阪神タイガースというのは、「商売繁盛の神さん」に8割、「闘う神さん」には2割くらいの割で参拝しとったんと違うんかい・・て感じがしないでもない。もしくは、今は昔、やく みつる が4コマ漫画で、阪神のオーナーが初詣に行って「どうか、最下位だけはなりませんように」と祈願しているという漫画を描いていたが、なんか、本当にありそうな感じがせんでもない。
※ 公智神社HP http://kuchijinja.jp/
《ウィキペディアー公智神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%99%BA%E7%A5%9E%E7%A4%BE
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( ↑ 公智神社 拝殿。 )
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〔 ↑ 公智神社。 拝殿(左)・幣殿(中)・本殿・・の覆屋(右) 〕

  伊太祁曽神社の祭神のイソタケルというのは、スサノオの息子ということになっている。戸部民夫『日本の神さまがわかる本』(2005.1.5.PHP研究所)には、
《 イソタケル命はスサノオ尊(のみこと)の子で、『日本書紀』によれば、高天原(たかまがはら)を追放された父神スサノオ尊とともに、朝鮮半島の新羅(しらぎ)へ天降り、ソシモリ(現在の韓国江原道春川郡の牛頭山(ごずさん)とされる)とされる)の地に住んだ。天から降るとき、イソタケルは多くの木種をたずさえていたという。
  その後、スサノオ尊が新羅で暮らすことを嫌ったため、一緒に日本に渡ってきた。このときイソタケル命は、もっていた木種を新羅で植えることなく、そのまま日本にもってきた。そして国土全体にその種を植えたので、日本の山々に青々とした樹木が茂るようになったという。・・・
  全国を巡って植林事業を終えたイソタケル命は、その後、紀伊国(きいのくに)(和歌山県)に住んだとされている。紀伊国といえば、日本でも有数の木材の生産地である。その意味では、木材の祖神とされるこの神が住むにふさわしい場所であり、そこに伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)がある。
・・・
  また、妹神はオオヤツヒメ命(のみこと)ツマツヒメ命といい、ともに植樹の事業を行ったことから、神社に一緒に祀られることが多い。 ・・》
と出ている。

  それに対して、ククノチノカミはというと、
《 ククノチ神は、木の神である。
  山や森の木々、鎮守の森や通りの並木などの樹木もみんなこの神様が支配しているということになる。ただ、その基本的な性格は、単に木の精霊というだけでなく、もっと根源的な樹木を生えさせる大地の生命力の神格化である。
  『古事記』では、イザナギ命(のみこと)・イザナミ命(のみこと)が自然の神々を生んだときに現れたのがククノチ神で、つづいて山の神オオヤマヅミ、野の神カヤノヒメが生まれたという。この神が山や野の神に先立って生まれたことには重要な意味がある。つまり、まず山を緑で覆うための生命力が、大地に満ちることを象徴する神格であることを表しているのである。
  ククノチ神のククは、草木の茎や幹が、すくすくと立ち伸びる様子を表し、チは男性的な「霊(ち)」を意味している。
  これは男根が膨張して立ち伸びて立派な姿になるところを連想させる。つまり、勢いのいい生命力の様子を表しているのである。そこから、ククノチ神は樹木を勢いよく育成する霊力を発揮するということになる。
  日本中に木々の緑をあふれさせる神様であるククノチ神は、木種の神でもあるスサノオ尊(のみこと)や、その御子神(みこがみ)であるイソタケル命、オオヤツヒメ命、ツマツヒメ命とともに、民間では山林業の祖神として信仰されている。・・・ 》
とあり、日本の神様を考える会編『日本の神々のすべてがわかる』(2018.3.30.日本文芸社 )では、
《 『古事記』では、伊邪那岐命と伊邪那美命が次々と『神生み』したときに現れた神で、続いて大山祇神(山の神)、鹿屋野比売野神(かやのひめのかみ)(野の神)が生まれたという。この順番で生まれたのは、じつは意味がある。山にはどの木を植えればいいのか、野にはどの木がふさわしいのか、先に1本1本の木の種類・特徴を把握しておく必要があったからだ。大地の未来を見据えて登場したのである。
  神名の「久久」は、木がまっすぐに立ち伸びる様を形容する言葉とも、木木(キキ・キギ)が転じてクク、クグとなったものともいわれている。「ノ」は助詞の「の」、「チ」は迦具槌神と同じく神霊を表す接尾語であるので、「久久能智神」は「木の神」という意味になる。・・・。》
と出ている。

  大三島の大山祇神社は木の神さんとは違うのか・・・というと、日本の神様を考える会編『日本の神々のすべてがわかる』(2018.3.30.日本文芸社 )によると、大山祇神社など三島系の神社というのは「山の神」らしい・・が、御神徳としては林業の神さんでもあるらしい。

  同じ「御神徳」(御利益)の神さんが2人というのか2柱というのか、いらっしゃる場合があり、防火の神さんというと、静岡県の秋葉神社と京都の愛宕神社があり、それぞれの地域によって、どちらの神さんを祀るか変わるようで、岐阜県高山市に行くと、市街には秋葉神社を祀った祠があちらこちらにある。高山市は秋葉神社の方らしい。 木の神さんでも、イソタケルとオオヤツヒメ・ツマツヒメは兄妹の関係なので同じグループとして、イソタケルとククノチはライバルなのか・・・? もしかして、商売敵なのか・・?
  日本の神様を考える会編『日本の神々のすべてがわかる』(2018.3.30.日本文芸社 )によると、
《 久久能智神は、木を支配する神だが、植樹をする神は別にいる。須佐男命の子、五十猛命(いそたけるのみこと)だ。
  新羅から須佐之男命と一緒に日本に渡ってきた五十猛命は、持っていた木種を九州からはじめて日本の全土に植えた。それがゆえに、日本の山々に青々とした樹木が茂るようになったという。
  植林事業を終えた五十猛命は、その後、紀伊国(「木の国」を表す)に住んだとされる。紀伊国といえば、いうまでもなく全国有数の木材の生産地。当然のことながら、そこに住む人々は五十猛命のことを”林業の神”として信仰している。
  結論をいえば、久久能智神は五十猛神の助けを借りて、つまり、タッグを組むようにして日本中に豊かな緑を巡らせたのだ。》
とある。 なるほど、ククノチは《樹木を生えさせる大地の生命力の神格化》で、イソタケルは日本中に木を植えてまわった神さんらしい。競合関係ではなく協力業者の関係らしい。警察と検察みたいなもん? 検察と裁判所みたいなもん? もしくは、刑事事件における検察と「(闘ってるふりして闘わないようにして報酬を被告人の方から盗る)弁護士」の関係みたいなもんか・・? もしくは、労基法違反の不良企業の不良経営者と労働基準監督官みたいなもんか・・?

  『日本書紀』には、スサノオが桧は何に使え、杉は何に使え、槇は何に使え・・・と言ったという話があったはずだ。西岡常一・小原二郎『法隆寺を支えた木』(1978.6.20.NHKブックス)には、
《 『古事記』および『日本書紀』の中にあらわれる樹木の種類を調べてみると、53種もあり、27科40属に及んでいる。この中にはヒノキ、マツ、スギ、クスノキをはじめ、有用樹種といわれるものが十数種もある。その中で興味深いのは『日本書紀』の素戔嗚尊の説話である。それによると、
 「日本は島国だから、舟がなければ困るだろうといわれて、ひげや胸の毛を抜いてまき散らしたところ、ヒノキとスギとクスノキとマキが生えた。そこで尊はそれぞれの用途を示して、ヒノキは宮殿に、スギクスノキは舟に、マキは棺の材に使え
と教えたことが書かれている。
  ここで大変興味深いことは、以上の記録が考古学的な立場からの調査とよく一致することである。まずヒノキであるが、この木が太古以来建築の用材として使われて来ていることは、伊勢神宮の例を見てもわかることである。次はスギだが、この樹で舟をつくったことが『古事記』にも書かれており、また登呂の遺跡から発掘された田舟もスギであった。クスノキも同様で『古事記』にクスノキ舟をつくった記録があるし、現在までに大阪を中心とする地域から発掘された古墳時代の舟もほとんどクスノキである。最後にマキだが、近畿地方の古墳から出土した木棺の材は、そのほとんどがコウヤマキでつくられていることを、故尾中博士は明らかにしている。以上は紀記の中の説話についてであるが、そのほかの古墳や遺跡から発掘された出土品を調べてみると、それぞれの道具ごとに、ほぼ一定の樹種によってつくられていることがわかって来ている。・・・・》
と出ている。 これから考えると、イソタケルやククノチノカミとともに、スサノオもまた、「キングギドラと戦う神さん」ではなく〔⇒《【公式】「ゴジラVSキングギドラ」予告 ゴジラがキングギドラと1対1の闘いを繰り広げる唯一の作品。ゴジラシリーズの第18作目》https://www.youtube.com/watch?v=2GWl-wrwN2g 〕、木の神さんと考えても良さそうにも思えるのだが、日本の神様を考える会編『日本の神々のすべてがわかる』(2018.3.30.日本文芸社 )には、
《 なお、須佐之男命も木の神である、という見方をする人もいる。『日本書紀』の「一書に曰く」のなかに、異説としてだが、こんな例が挙がっているのだ。
「韓郷の島には金銀がある。わが子が治める国に船がなかったら困るだろう」といってひげを抜いて放つと、そのひげがの木になった。さらに胸毛を抜いて放つと眉毛は尻毛はになったという。 》
と出ている。

  スサノオを祀る神社というと、京都の八坂神社、愛知県の津島神社、埼玉県さいたま市の氷川神社など、祇園・津島・氷川系の神社がスサノオを祀る神社で、けっこうあちらこちらにある。 イソタケルを祀る神社というと、和歌山県和歌山市の伊太祁曽神社があり、静岡県熱海市の来宮神社(きのみやじんじゃ)もイソタケルを祀っている。八坂神社のホームページの御祭神http://www.yasaka-jinja.or.jp/about/saijin.html を見ると、八坂神社でも西御座でイソタケルを祀っているらしい。 しかし、ククノチノカミを祀る神社となると、少ない。
  兵庫県西宮市山口町下山口 の公智神社は、どういう由緒でククノチノカミを祀っているかというと、公智神社でいただいた由緒書には、
《 当神社は延喜式内社にして御祭神は木の祖神「久久能智神」です。 創立年月日は不詳ながら、孝元天皇の皇子 大彦命の後裔 久々智民族が山口荘内の最も適当な丘を選び氏神として奉祀したのが始まりです。》
と書かれています。公智神社という名称は、
《 その後 大化三年(西暦647年)冬、孝徳天皇が有馬温泉に行幸せられた際、行宮造営の御用材を当神社地よりお採りになり、その良好なことを喜ばれ「功地山」(功ある山の意)の山号を賜り、当社を厚く崇敬祈願されました。》
ということから名づけられたという。
《 又 貞観年中に「健速須佐之男命」「奇稲田姫命」の二神を配祀して以来、祇園牛頭天王又は天王宮と呼ばれていました。》
ということで、今も、スサノオとクシイナダヒメを合祀しているようです。
  孝徳天皇というと、乙巳の変で蘇我入鹿が謀殺されて皇極天皇が退位した後に即位した皇極天皇の弟。中大兄に謀殺された有間皇子の父親。難波長良豊碕宮を造営して都とした、という天皇の中でもけっこう有名人の方の天皇。
  孝元天皇はというと、第8代天皇ということになっているが、「欠史八代」の1人で、実在していない天皇ではないか、と見られている天皇である。・・しかし、《 孝元天皇の皇子 大彦命の後裔 久々智民族が山口荘内の最も適当な丘を選び氏神として奉祀した 》という話が、この公智神社にはあるわけです。
  「孝元天皇の皇子」の後裔であったのかどうかはさておき、公智神社は、「久々智」という人たちが、この山口町のあたりの丘に氏神を祀った、ということが始まりらしい。
  神社名の「公智(コウチ、クチ)」は、久々智(ククチ)⇒公智(クチ) と変化した、ということかと思ったが、「功ある地」ということで「功地(コウチ)」⇒「公智(コウチ)」 と変化した、というルーツもあるらしい。
  「貞観」というと、《859年から877年までの期間を指す。この時代の天皇は清和天皇、陽成天皇。》(《ウィキペディア―貞観(日本)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9E%E8%A6%B3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC) )ということですから、スサノオとクシイナダヒメを合祀したのは最近ではなく、相当古くからということのようです。
※ スサノオを祀る神社・・
八坂神社 http://www.yasaka-jinja.or.jp/
津島神社 http://tsushimajinja.or.jp/
氷川神社 http://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/
※ イソタケルを祀る神社
伊太祁曽神社 http://itakiso-jinja.net/
来宮神社 http://www.kinomiya.or.jp/#id0
※ ククノチノカミを祀る神社
公智神社 http://kuchijinja.jp/
※ 《ウィキペディア―孝徳天皇》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87
※ 《ウィキペディア―孝元天皇》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E5%85%83%E5%A4%A9%E7%9A%87

  『古事記』(倉野憲司校注。 1963.1.16.岩波文庫)には、
《 既に国を生み終えて、更に神を生みき。・・・・
  ・・次に風の神、名は志那都比古(しなつひこの)神を生み、次に木の神、名は久久能智(くくのちの)神を生み、次に山の神、大山津見(おおやまつみの)神を生み、次の野の神、名は鹿屋野比売(かやのひめの)神を生みき。亦の名は野椎(のづちの)神と謂ふ。・・・》
と出ている。

  公智神社は、社務所でいただいた由緒書にも「くちじんじゃ」「こうちじんじゃ」と2通りのふり仮名が書かれており、現地の説明書看板にも、「くちじんじゃ または こうちじんじゃ」と書かれており、
ククチ(久々智)⇒クチ⇒公智(くち)
功ある地⇒コウチ⇒公智(こうち)
の2説とも、捨てがたいようである。
私が思うには、あくまで、推測だが、ククチ(久々智)⇒クチ⇒くち神社 に、「公智」という漢字をあてて表記したところ、それを「こうち」と読む人が出てきて、「くち神社」「こうち神社」の2つの読みがされるようになり、その「こうち神社」の読みに合わせて、なんたら天皇からおほめの言葉をいただきまして・・・というお話が作られたか、もしくは、お話自体は創作ではなく、実際に似たものがあったとしても、後から、そのお話が接着された・・ということではないか・・な、と思うのだが、どうだろうか。
  しかし、「功ある地」とおほめのことばをのたまわれたという孝徳天皇の皇子が、中大兄に謀殺された有間皇子で、孝徳天皇が公智神社の社地から行宮造営の用材を取ったのは、有馬温泉に訪問した際のことだったと、有馬温泉と有間皇子と「ありま」が共通しているのは偶然なのか、何か理由があるのか。・・・中大兄との勢力争いを考えると、有馬温泉なんて行ってる時と違うんじゃないかて感じもせんでもないが。もしくは、だから、城崎温泉なんて行けないから有馬温泉にしたのかもしれんが・・。

  兵庫県西宮市というと、南東側の広い平野の部分は開けているが、北西側の山地というと、かつては西宮市といえども田舎だったと思う。西宮市は海に面した市ではあるが、北西側の部分については、私が子供の頃、1960年代後半から1970年代前半にかけては、東は宝塚市、西は神戸市北区で北側は三田市と山の中・・・というものだったように思うのだ。旧国鉄(現 JR)の福知山線は、かつては、宝塚駅から三田駅にかけての部分は、宝塚から生瀬(なまぜ)・武田尾(たけだお)・道場(どうじょう)と武庫川の渓流に沿って走り、その景観はすばらしいものだった・・けれども、曲がりくねっていて時間がかかり、単線の非電化区間で、山陰方面へ特急「まつかぜ」・急行「大山」に乗っていくには使えても、通勤用には不便な路線だった。その「生瀬(なまぜ)」は西宮市で、「武田尾」は宝塚市で、「道場」は「みちば」ではなく「どうじょう」と読んで神戸市だった。 それが、国鉄の分割民営化なるものが決行されて、JR西日本の社長になったお方が「羊羹の切り方と饅頭の切り方は切り方が違うはずだ。うちの饅頭(路線)は餡(黒字路線)が少ない。誰だ、こんな切り方をしたのは!?!」とおっしゃったそうで、そこから、赤字路線を黒字路線に変えるべく、「仁義なき戦い」を繰り広げ、山陰本線の京都駅に近い部分を複線電化、福知山線は阪急伊丹線・宝塚線の客をぶんどるべく、複線電化するとともに名称も「JR宝塚線」なんて名づけて、さらには、安全無視の高速運転で尼崎の大事故までおこした。まさに「仁義なき戦い」て感じ・・・。 そのJR西日本が福知山線の大阪寄りの部分を複線電化した際、宝塚駅から道場駅までの間で武庫川に沿って走っていた窓からの景観はいいけれども曲がりくねって走りにくい部分を、トンネル掘って直線化して、宝塚と生瀬(なまぜ)の間に造った駅が「西宮名塩(にしのみやなじお)」駅だった。 1980年代後半、小堀住研(株)に新卒入社してすぐの本社での研修の際に、たしか、小堀住研(株)が建築中の建物で骨組み段階のものを見学に滋賀県の湖西線「堅田」だったか「雄琴」だったかの山側に行き、敷地調査の際に気をつけることの学習として福知山線「西宮名塩」駅の近くの分譲地に行った記憶がある。 かつては「山の中」だったところが、大阪駅まで一本の電車の駅に至近で自然環境もいい相当条件のいい分譲地に変身していた。
  さらには、中国自動車道が通り、さらには最近は新名神自動車道なんてのまで通り、三宮から新神戸経由で六甲山をトンネルで通って谷上駅まで行く北神急行なんてのも通り、福知山線「三田(さんだ)」駅までは大阪駅から快速が走り、「山の中の不便な所」ではなく、けっこう便利な場所になってきた。
  しかし、便利な所になったからいいかどうかはわからない面もある。公智神社は中国自動車道の「西宮北」インターチェンジの近くなので、クルマで行くにはけっこう行きやすい所になったが、インターチェンジのすぐ近くというと、いわゆる「ラブホテル」なんてのができる。 公智神社のすぐ北にも「ホテルアイアンプレミアム」という「ラブホテル」があった。 公智神社の西には西宮市指定天然記念物の公智神社社叢があるが、その西は、「阪神総合卸商業団地」といって倉庫がいっぱい。 周囲には戸建住宅の造成団地もあればマンションも見える。 地図を見ると、住宅でない場所にはゴルフ場がいっぱい。今ではあんまり自然環境のいい場所ではなくなったみたい。
  今では、そんなに「山の中」ではなくなったし、不便な場所でなくなったとともに、そう自然環境のいい場所でもなくなってきたようですが、かつては、森林が広がる場所だったのではないかな。だから、公智神社は、ククチ一族の氏神を祀った神社だったかもしれないが、かつては木の神様が鎮座していた場所として不思議でない場所であったのではないか、と思う。

  もう一方の「木の神様」のイソタケルだが、「五十猛」とは、「50代の猛烈おさかんなおっさん」だったのか? 「タケル」は盛んな者・勢いのある者の意味だとして、「イソ」だが、もしかして、「木曽(キソ)」が「イソ」になったということはないか?
  長野県南西部の木曽(きそ)地方は、「木曽はすべて山の中である」と島崎藤村『夜明け前』にも書かれているように、山の中で森林の中だが、「木曽(きそ)」という地名は長野県南西部だけではなく、岐阜県の今は高山市の一部になった高山市国府町のJR[国府」駅の東北東あたりにも「木曽(きそ)」という地名がある。「きそ」は「木曽」であるとともに「木祖」ではないのか? ・・・と考えると、「イソタケル」は「木祖タケル」だった・・という可能性はありそうな気がする。和歌山県の伊太祁曽神社(イダキソ神社)の「イダ木祖神社」の可能性もありそうな・・。だが、そうなると、「イダ」て何なんだ? 「木ダ木祖神社」か? となると「ダ」は何だ?

  現地の説明書に、
《 その後、当地に鎮座されますが、社伝によると「堀河天皇の御代、承徳元年(1097年)の大洪水によって有馬温泉が潰泉した頃、霊夢ありて移遷す」とあります。 》
と書かれており、公智神社でもらった「さくらやまなみバスで行く やすらぎの奥西宮・山口町 ぶらあるき 山口エリア」の地図の説明書きを見ると、
《 (公智神社は)1000年ほど前には今の北六甲台にあった向山(お天上山)にあったと伝えられています。・・》
と書かれている。
  北六甲台 というのは、公智神社の東に小川が南北に流れていて、その東に有馬川というもうちょっと大きい川が南北に流れていて、その有馬川の東側の山地が住宅地に造成されていて、それに「北六甲台」という地名がつけられているようだ。

↑ マーカーは、西宮市北六甲台 の 「向山公園」↑ の場所だが、かつて、公智神社があったと言われる「向山」が現在の「向山公園」の場所付近なのかどうかはわからない。北六高台には、他に「天上公園」もある。↓

  西宮市北六甲台でも、向山公園と天上公園は離れている。《 今の北六甲台にあった向山(お天上山)にあったと伝えられています。》と言われても、北六甲台のどのあたりなのかは、わからないが、ともかく、公智神社から東側を南北に流れる有馬川をはさんで東側の今は造成された住宅地になっている山地にあったらしい、ということだろう。

 公智神社でもらった由緒書によると、《中世以降、山口荘を支配した山口五郎左衛門は当社を深く崇敬祈願し、その子孫が寄進した手水鉢が現存》しているらしい。
 《 現在の本殿は文政年間に再建、拝殿・覆殿・社務所は昭和49年(1974年)に改築されました。 旧 神楽殿は室町時代の建立に当たり、西宮市の文化財に指定されています。》
ということで、現地の説明書き看板では、
《 現在の本殿は文政年間(1818~1830年)に再建されたもので、拝殿・覆殿・社務所は昭和49年(1974年)に改築されました。》
と書かれている。
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拝殿(左)は、「木の神さま」の社殿のわりに鉄骨造なのか鉄筋コンクリート造なのかで1974年築(野村克也のじいさんが南海ホークスの選手兼任監督で唯一、パリーグ優勝した年の1973年の翌年。1970年の大阪万博の4年後)。 本殿(右)も、江戸時代からの建物という感じはしなかったが、↑ に見えるのは本殿ではなく、1974年築の本殿の覆殿ということらしい。

  現在の公智神社の場所は ↓

↑ 航空写真で見ると、公智神社のすぐ西は公智神社の社叢が西宮市指定天然記念物として残っていても、周囲の森林はなくなってしまっているようですね。
  
  公智神社でもらった由緒書に《 その後 大化三年(西暦647年)冬、孝徳天皇が有馬温泉に行幸せられた際、行宮造営の御用材を当神社地よりお採りになり、その良好なことを喜ばれ「功地山」(功ある山の意)の山号を賜り、当社を厚く崇敬祈願されました。》と書かれている「行宮」ですが、「さくらやまなみバスで行く やすらぎの奥西宮・山口町 ぶらあるき 山口エリア」の地図の説明書きに、「御旅所」というのが書かれている。公智神社の正面を東に進んで南側、たいして遠くない場所であるが、それが、
《 敷地には「御旅所」「孝徳天皇行在所址」「旌忠(せいちゅう)」と刻まれた3基の石碑が建っています。山口村誌によると、大化3年(647年)に有馬温泉に行幸された第36代・孝徳帝の行幸の跡地とされ、孝徳帝を奉祀した奉奠堂の跡地が、後に御旅所となったようです。 毎年10月の秋祭りには、公智神社の御神輿がここまで巡幸し祭礼が執り行われます。》
と出ています。 《 有馬温泉に行幸せられた際、行宮造営の御用材を当神社地よりお採りになり 》というからには、もっと有馬温泉に近い場所に行宮が設けられたのかと思ったら、公智神社からすぐの場所でした。↓

帰ってから、この地図を再度よく見て、しまった、こんなに近い場所だったら見に行くのだった・・と思ったが遅かった。

  クルマで中国自動車道経由で行く場合の行き方ですが、「西宮北」インターチェンジが一番近い。なお、阪急神戸線・今津線の「西宮北口」駅と名称が似ていますが、中国自動車道「西宮北」インターチェンジと阪急神戸線「西宮北口」駅は場所は全然違います。 「西宮北」インターチェンジで降りて、南に向き、東西のけっこう広い道で東に出るルートと西に出るルートがありますが、東に出るルートを選びます。曲がる所はすぐですから、減速して右寄りの車線に移ります。右に曲がる最初の道ではなく、2番目の右に曲がる道、信号がある交差点を右折します。右折する右角にファミリーマートがあります。 ファミリーマート 西宮北インター店 https://as.chizumaru.com/famima/s/sphDtl?acc=famima0&bid=36588 のようです。
  ファミリーマート西宮北インター店 の東側を南下します。右手に「ホテル アイアンプレミアム」という「連れ込みホテル」、最近の呼び名では「ラブホテル」がありますが、その前をそのまま南に進むと右手に 公智神社が見えます。 社務所の前も駐車できたようですが、神社の前を通り過ぎてすぐ左手に参拝者用駐車場がありますので、私はそこに停めさせてもらいました。 それほど、広い駐車場ではなく、区画にロープが張ってあるわけでもなんでもなく、東側は小川が流れているので、「本に載っているような神社だから、駐車場もものすごいものがあるだろう」などと勝手に思い込んで突き進んで小川に落下しないよう、運転は丁寧にゆっくり進んだ方が良さそうです。ゴルゴさんも、カバンから物を出す場合には、「ゆっくりだ」と言ってゆっくりと出すように言われますでしょ。初めて停める駐車場では、「ゆっくりだ」ですよ。急がなくても、神さん、逃げませんから(^^♪
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( ↑ 公智神社 参拝者用駐車場。 道路を隔てた左向こうが 公智神社。 )

  高速道路のインターチェンジとしては、公智神社の北北西のあたりに中国自動車道の「西宮北」インターチェンジがあり、南東あたりの方角に阪神高速7号北神戸線「西宮山口南」インターチェンジがあり、こちらもそう遠くありません。帰りは、この阪神高速7号北神戸線「西宮山口南」インターチェンジから帰ってみましたが、「西宮山口南」インターチェンジから高速に乗って北に進んで「西宮山口東ランプ」で中国自動車道に入ると、ごく短い1区間が別料金なので、もったいないだけですから、一度、乗ってみれば、次回からは、大阪府の豊中市・池田市付近から中国自動車道を西に進んだ場合、および、その帰りは「西宮山口南」インターチェンジからではなく「西宮北」インターチェンジからにした方がよさそうです。
  「西宮山口東ランプ」の少し東に「西宮名塩」サービスエリアがあります。地図で見ると、JR福知山線「西宮名塩」駅の西のあたりに「西宮名塩」サービスエリアがあるようです。「西宮名塩」サービスエリアを過ぎたあたり、進行方向に阪神方面の平野が広がる景観は素敵です。自分でクルマを運転して行くと、同乗者が「あそこ、きれい♪」なんて言っても、運転中の者はそれを見ると事故を起こしますから見ることができませんが、ここでは正面に見えますから、運転中でも見えます。  

  鉄道では、神戸電鉄の「田尾寺(たおじ)」という駅が最寄駅です。「田尾寺」駅の周囲は住宅地で、「田尾寺(たおじ)」駅の東側には「いかり」があります。すげえ! 「いかり」がある~♪ ・・て、なんか、感動しました。 「いかり」というのは、いまや、「芦屋 いかり」ですからね。私が子供の頃、阪急神戸線の「塚口」駅の北側あたりに祖父母が住んでいまして、塚口駅の北側にスーパー「いかり」があって、それで、「いかり」には親しみを感じていたのですが、塚口店に次いで、芦屋に店を出した後、阪急沿線に店舗を広げて、今では、新大阪駅とか大阪伊丹空港とかの売店で「芦屋 いかり」というブランド名で高級洋菓子なんて売ってますから、そんじょそこらのスーパーとは格が違う。ブランドもんですよ、ブランドもん♪・・。 「塚口 いかり」ではなく、なんと言っても「芦屋 いかり」なんです。 雰囲気からして「芦屋」みたいな雰囲気で、高いけれどもいいものを置いている・・が、スーパーだと思って買い物かごに入れてレジに持って行って値段を聞くと、「ええ~え!」とびっくりするという店です。それが、田尾寺(たおじ)駅の東側にあるのです。今や、関西では「いかり」がある!・・というのは、””高級住宅地の目安””みたいなものですから、「いかり」があるって、なんか、この街、すんご~い♪・・・て、そんな感じがして・・(^^)/ ・・とそこまではいかんかもしれんが、神戸電鉄「田尾寺(たおじ)」駅の東のあたり、南北の道路の東側に「いかり」があります。「いかり」田尾寺店かと思ったら、「いかり」がある場所は住居表示としては神戸市北区有野中町 になるようで、店名は「いかり」有野店https://www.ikarisuper.com/author/arino/ らしい。
  ところで、最近、政府がスーパーやコンビニのレジ袋を有料にしろと「命令」したのか「指示」したのか「自粛要請」したのかで、有料になりましたが、そんなもの、政府が決めるというのはおかしいと思うのですよ。 「いかり」は、けっこういい紙袋と、普通のビニルというのかプラスチックというのかの袋かのどちらかを選ばせてくれたのですが、無料でしたが、今、どうしたでしょうね。 無駄にしているかというと、そうではなく、いかりの紙袋はけっこう頑丈なので、買って帰れば、その後も再利用していたし、ビニルの袋はゴミ袋として燃えるゴミを入れて使用していたし、そんなに無駄にしてなかったはずなのです。 スーパー・コンビニで、レジ袋を有料にするかどうかといったことは、政府が有料にしてくださいと決める性質のものではなく、それぞれの店が決めることではないか、と思うのだ。これまでから有料だった店もあるし、「有料」ではないがレジ袋不要と言えばポイントがつくという店もあった。資源の無駄遣いは慎むべきではあるだろうけれども、政府が一律に決めるというのは、あまりいいとは思わない。実際問題、スーパーやコンビニのレジ袋というのは、無料で入れてもらっても、たいてい、燃えるゴミを入れて出すのに使っているから、そんなに無駄遣いはしていないと思う。 もし、無駄な袋は省くべきだというのなら、三越の包装紙とか、シャネルの紙袋とかも有料にするのか? ・・化粧品なんて、おしゃれな瓶に入って化粧箱に入っているから売れるところがある。昔から「贈答品に、同じものでも、ダイエーで買って持って行くのと三越の包装紙で巻かれたものを持参するのとでは大きく意味が違う」と言うが、包装紙も省くのだろうか。資源節約・環境保護には賛成だが、あまりにも一律にどうしろと政府が命令してそれが実行されるというのは、国民の自由が損なわれ、民主主義に逆行する流れにならないか、心配だ。
  「自粛要請」にしても、「自粛要請」に応じずに営業していたパチンコ屋がけしからんとか、アントニオ=猪木が怒っていましたが、でも、あくまでも、「自粛」の「要請」のはずですから、応じない業者がいたとしても、「できたら、・・お願いします」と「お願い」しているのだから、それを激怒して「非国民」みたいに罵倒するというのは、それは少々違うのではないのか。 アントニオ=猪木は、なんだか、「ダア~ッ!」とか言って襲撃してきそうな感じで、怖いおっさんやな・・て感じがしましたけれども、猪木の方こそ、その怖い態度、「自粛」してほしいんですね。 まず、「自粛」というのは自分で「粛」するから「自粛」であって、強制するなら「自粛」と違うはずなのです。絶対に営業を停止しないといけないということならば、「自粛」ではなく、もっと強制力のあるものにするべきでしょう。「自粛」の「要請」であるからには、その「要請」に応じなかった者を、まるで、「非国民」みたいに罵って襲撃でもしかねないような態度はやめてほしいと思いますね。自粛はしていいと思いますが、「自粛」しない者の所には「非国民」をやっつけろみたいな感じで襲撃に押しかけそうなアントニオ=猪木の態度はコロナウイルスと同程度に恐ろしい。
  神戸電鉄「田尾寺(たおじ)」駅の付近に田尾寺という名前のお寺があるのか・・と思って地図を捜すが見つかりません。インターネットで検索すると、《元漫才「すもーるのっぽ」平岡りっきいのブログとお店》https://ameblo.jp/fusigidoweb/entry-12337337158.html に、「田尾寺(たおじ)」は、もともと、「東尾路」が変化して「たおじ」になったもので、田尾寺というお寺はない、ということが書かれていました。田尾寺という寺はないそうです。

  阪急神戸線「西宮北口」・JR東海道線「西宮」・阪神本線「西宮」・JR東海道線「さくら夙川」・阪急「夙川」駅から「さくらやまなみバス」というバスが出ているようで、「下山口」か「山口センター前」もしくは「西宮北インター」というバス停が公智神社には最も近そうですが、本数はそれほど多くないようです。
※ 西宮市 さくらやまなみバス https://www.nishi.or.jp/kotsu/sakurayamanamibus/jikokuhyo.html

  「西宮北」インターチェンジを出て右に行き、信号がある交差点、南東の角にファミリーマートがある交差点で右折して南に進むと、右手(西側)に「ホテル アイアンプレミアム」がありますが、「さくらやまなみバスで行く やすらぎの奥西宮・山口町 ぶらあるき」によると、その後ろあたり(西側)に、光明寺(こうみょうじ)という浄土宗の寺があり、新有馬郡西国三十三カ所霊場の第十三番札所らしい。

  その光明寺の東側で、小川にかかる橋の名前が「駅前橋」と言うそうで、かつて、有馬鉄道⇒国営の鉄道の「有馬口」駅があり、《 かつてJR三田駅から有馬温泉までを結んでいた鉄道の駅で、1943年に廃止されましたが穀類や特産の竹籠、寒天を運ぶのに役立っていました。・・》(「さくらやまなみバスで行く やすらぎの奥西宮・山口町 ぶらあるき」)という駅だったらしい。
  「有馬口」という名称の駅は、今も神戸電鉄にあります。神戸高速鉄道「新開地」駅から北に「湊川」駅を経て神戸電鉄が進むと、「鈴蘭台」駅で北西と北東に分かれ、北西に行くと、三木・小野から粟生に至りますが、北東に進む路線はさらに途中で2つに分かれ、片方は「三田」駅に行き、他方は「有馬温泉」駅に行きますが、その「三田」と「有馬温泉」とに分岐する駅が神戸電鉄「有馬口」駅です・・・が、公智神社の北、光明寺の東にあったという「有馬口」駅とは場所はまったく違います。 《ウィキペディア―有馬口》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A6%AC%E5%8F%A3%E9%A7%85 によると、神戸電鉄「有馬口」駅は、1928年に神戸有馬電気軌道が開通した際に、最初は「唐櫃(からと)」駅として開業したが、1951年に「有馬口」駅に改称したらしい。
  西宮市山口町下山口、光明寺の東、公智神社の北にかつてあった「有馬口」駅は、《ウィキペディアー有馬口駅(国鉄)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A6%AC%E5%8F%A3%E9%A7%85_(%E5%9B%BD%E9%89%84) によると、 かつて、福知山線「三田」駅から、有馬鉄道⇒鉄道省有馬線 が「有馬」駅まで走り、「有馬口」駅と名づけられたが、山口村としては「山口」駅としての開業を希望したらしいが「有馬口」駅としての開業になったらしい。
  インターネットで検索すると、過去においては、「有馬口」駅はもうひとつあったらしく、現在のJR福知山線「生瀬(なまぜ)」駅は、かつて「有馬口」駅と言っていた時期があったらしい。 《ウィキペディア―生瀬駅》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%80%AC%E9%A7%85 によると、
《 1898年(明治31年)6月8日 - 阪鶴鉄道が宝塚駅から延伸した際に、その終着駅である有馬口駅として開業。旅客・貨物の取り扱いを開始。
1899年(明治32年)1月25日 - 阪鶴鉄道が三田駅まで延伸し、途中駅となる。
 3月25日 - 生瀬駅に改称。
1907年(明治40年)8月1日 - 阪鶴鉄道が国有化され、帝国鉄道庁の駅となる。 》
ということで、生瀬駅は1898年6月(日清戦争の1894年の4年後)から1899年3月までの9か月間、「有馬口」駅だったらしい。
生瀬から有馬温泉なんて、その間は山で、そんなの、行けるのか? ・・て感じがしたのですが、地図を見ると、県道51号(有馬街道)という道が通っています。 阪急電鉄の前身の箕面有馬電気軌道は、大阪から箕面と有馬という2つの観光地を結ぶ鉄道として計画されたが、有馬の方は、有馬温泉に大阪から直通の電車が通ったのでは日帰りで帰られてしまうと有馬温泉から反対の声が出て、又、宝塚から有馬温泉までの工事は大変であることから宝塚止まりになって、有馬温泉の代わりの役を宝塚温泉が果たすことになった・・とかいう話がありましたが、宝塚から有馬温泉の間なんて、現在ならトンネルを掘るとかできるかもしれないけれども、かつての技術でそんなものできるのか・・・と思いましたが、生瀬から有馬温泉まで有馬街道という道が通っているというあたりから考えると、箱根登山鉄道とか南海高野線の橋本から極楽橋の間の区間とかのように、えっちらおっちら山を登る鉄道を走らせるということも、可能性としてありえたのかもしれません。

  公智神社とククノチノカミは、日本の神様を考える会編『日本の神々のすべてがわかる』(2018.3.30.日本文芸社 )によると、
神徳  国土開発、農林殖産、山林業・木材業守護など。
と出ており、戸部民夫『日本の神さまがわかる本』(2005.1.5.PHP研究所)では、
山林業、木材業守護など
と出ています。
  ・・・ということは、木質系建築業のろくでもない不良経営者を懲らしめる神さま でもあるはずですよね。決して「不良経営者を守る神様」ではないはずですね。そのあたりは、やっぱり、神様は労働基準監督官なんかとは違うはずです。不良経営者の守り神みたいな労働基準監督署とは、神さんは違うはずですから、だからこそ、神さんですから、賽銭箱には多めにお賽銭を入れて、御朱印もいただいてきました。きっと、神さまは不良経営者にいじめられた庶民の力になってくださることでしょう。

  次回、公智神社 境内を歩みます。

※ 公智神社HP http://kuchijinja.jp/
《ウィキペディア―公智神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%99%BA%E7%A5%9E%E7%A4%BE
西宮山口 公智神社 https://nishinomiya-yamaguchi.jp/?p=422
フェイスブック 公智神社 https://ja-jp.facebook.com/kuchijinja

  (2020.7.14.)

☆ 「木の神さま」ククノチノカミ 公智神社(兵庫県西宮市山口町下山口)参拝
1.ククノチノカミ とは。公智神社の由来。公智神社への道。〔今回〕
2.社殿、室町期の建物らしい神輿殿(旧釈迦堂)、竹籠業者守護・塩津神社、境内摂社末社。神社はそこで時間を過ごしてこそ。https://shinkahousinght.at.webry.info/202007/article_6.html

日本の神々のすべてがわかる―八百万の神や神道からみる日本人の精神と原点 (日文新書) - 日本の神様を考える会
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「日本の神様」がよくわかる本 八百万神の起源・性格からご利益までを完全ガイド (PHP文庫) - 戸部 民夫
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法隆寺を支えた木 [改版] (NHK BOOKS) - 常一, 西岡, 二郎, 小原
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古事記 (岩波文庫) - 倉野 憲司
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