加茂家住宅(掛川市)(4)加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業―加茂花鳥園訪問【6/7】

[第778回]
  右側の、家族・小作人が出入りする入口を入ると土間があります。↓
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  右の向こう側に竈(かまど)があって、その上に神棚が見えます。
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  江戸時代の建物としては立派な家だとは思ったのですが、南に面して何部屋も畳敷きの座敷があるものの、江戸時代から建っている部分の床の間は広い座敷の方にではなく、その背後にあり、仏壇は、けっこう立派な仏壇が設けられてはいましたが、場所としては、床の間が配置されていた部屋の東隣の4畳の部屋に設けられていました。 仏壇というのは、家族みんながいる場所に御先祖様もいるのがいいという考え方と、御先祖様と静かに対話できるように仏間としての別室が設けられているのがいいという考え方の両方があるらしいのですが、加茂家住宅の場合、仏間は南側の座敷とは別、又、東よりの「おえ」とも別の部屋に設けられていますが、通り抜けられる部屋で、背後は壁で左右は別の部屋であって、自然な採光がない部屋に設けられており、仏壇そのものは立派なものが置かれているものの、床の間とともに、家族だけの場所としてなのか、ひっそりとした位置に配置されています。
  神棚や仏壇の設け方というのは、それがいいとか悪いとかいうことではなく、それぞれの地域によってやり方が違いますし、仏壇の場合は宗派によっても違いはあるでしょう。 それで、神棚の方ですが、結局、神棚はどこにあったかというと、土間の北よりの上の方に、それほど大きくない神棚が配置されていたのです。 ↑

  2000年頃、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の福島県いわき市で1997年に契約いただいたて建てていただいた入居者の方の親戚の方で、その入居者の方を構造現場見学に私が案内した時に一緒に来られた方だと思うのですが、自分の所も(株)一条工務店で建てたいと考えられて、「うちも一条工務店で建てたいのだけれども、どうしたらいい?」と入居者の方に言われ、私がそのままいわき市の営業所におれば、私にご連絡いただき、「入居者紹介」として紹介者・被紹介者ともにわずかなサービスをさせていただき、営業担当は入居者の担当営業の私ということになったはずですが、1998年に、営業本部長の天野隆夫から頼まれて、「会社都合の転勤」で栃木県佐野市の営業所に私が移動し、その契約客の方は、契約客で引き渡しまですんでいない方でしたので、同じ展示場にいたK野T夫さんが引継ぎ、その後、K野T夫さんが退職したことから、さらにK井さんが引き継いで引き渡しまで至ったという経緯があったので、それで、入居者の方としては、 営業担当者に言うとしても、私に言うべきなのか、いわき市の営業所にいるK井さんに言うべきなのか困って、それで、建てていただく時にお渡ししていたカタログを親戚の方にあげていたらしく、「(その)カタログに載ってる所の電話にでもかけてみたら」と言われ、それで、親戚の方は、(株)一条工務店の「本社」に電話されたらしい。 入居者の紹介であれば、いくらかの優遇があるということは、たいていの人は知っているので、それで、直接、展示場に行くのではなく、入居者の方に「どうしたらいい?」と言われたのだと思うのです。 (株)一条工務店は静岡県浜松市発祥の会社ですが、「本社」は、この時点では、形式上、東京都江東区木場 の「一条ビル」にありました。 「本社」に福島県いわき市の方から、「一条工務店で建てたいのですが、どうすればいいですか」と電話をしてきた方があったとすると、「本社」の人間ならば、いわき市の営業所長、もしくは、「所長」が不在の営業所ならば、副所長など「リーダー」に該当する人に電話で連絡をして、所長もしくは「リーダー」が担当となるか、「一条工務店で建てたい」とまで言ってくれる人がなぜ「本社」に電話されたかを調べると、入居者の親戚の方で、入居者が構造現場見学に行かれる際にも一緒に見学に行かれた人だとなると、それならば、その入居者の担当営業を営業担当として訪問させるようにするか、でしょう。ところが、その時、(株)一条工務店の「本社」の電話を取った人間はどうしたかというと、東京の営業所の営業に福島県いわき市まで行かせて契約させたらしいのです。これは、「掟破り」のはずです。そうでしょ。その方は「本社」に電話をされたのです。東京の営業所(展示場)に電話をされたのではなく、「本社」に電話されたのです。 「本社」の人間が電話を取ったからには、東京に住まれているか東京で建てられる方の所に東京の営業所の人間に行かせたのならそれでいいでしょうけれども、その方は福島県いわき市に住まれていていわき市で建てる方で、いわき市で建てていただいた入居者の親戚の方(で私が構造現場見学に入居者の方を案内した時に一緒に見学された方)ですから、入居者が契約された時の営業担当の私でもなく、その後、引き継いだいわき市の営業所の営業でもなく、その時点でのいわき地区の「リーダー」でもない、まったく、別の地域の営業に行かせるというのはおかしいのです。
 「本社」の人間は、なぜ、そういうおかしなことをしたのか。ひとつ、考えられることとして、(株)一条工務店は、1997年だったか、脱税で名古屋の国税事務所から100億円の追徴金を取られたことがあり、その後、「浜松みたいな場所に本社を置いていたのでは目立つ」ということで、商業登記簿の上での「本社」を東京都に移したものの、実態としては浜松に本社の機能はあって、東京都江東区木場の「本社」というのは本社というほどのものはなく、実質、「東京事務所」であって、工務課(工事担当)と「コーディネーター」がいる場所で、時々、東京地域の営業が顔を出している場所であったので、それで、その時、「本社」に来ていた東京地域の営業が電話を取って、「一条工務店で建てたいのですがどうすればいいですか」と、まるで、鴨がネギしょってきたみたいな電話がかかってきたので、それで、東京から福島県いわき市まで契約書を持って行って契約してもらった・・・ということか、もしくは、実質、東京事務所の工務課か「コーディネーター」が東京地区の営業にその話をして、東京地区の営業が「掟破り」を承知の上で、鴨がネギしょってきたみたいな電話をくれた人の所に東京から嬉々として訪問して契約してもらった・・か。そういうことでしょうけれども、たとえ、営業の職種の人間が、「本社」にその時にいて電話を取ったとしても、「本社」で電話を取った時には、その人間が営業の職種の人間であっても、電話交換手の役割で電話を取っているのであって、その人が在籍している営業所でその人が在籍している展示場にかかってきた電話を取ったのとは違うのですから、電話交換手の役割で取った人は、福島県いわき市の営業所の「リーダー」に連絡していわき市の営業所の「リーダー」に対処させなければならないはずでした。ひとのカネを預かってそれに手をつけたら「泥棒の始まり」ですからね。自分が追客する立場でもないのに、「一条工務店で建てたいのですけれども」と言う人があると知って東京から福島県いわき市まで契約してもらうために行ったのでは、泥棒とたいして変わらないことになります。そうでしょ。こういう「掟破り」は認めてはならないはずですが、それをきっちりと管理しないのが(株)一条工務店でした。

  その「東京の営業」も「ええ根性してる」と言えます。私は、栃木県の営業所に移った頃、栃木県の営業は60人ほどいたのですが、古い方から5番目の営業でしたからね。引き継いだK井さんは私よりなお古くて「副所長」でしたからね。在籍年数で古い方から1割以内の人間が担当で契約した入居者の親戚の方で、「副所長」が引継いだ営業だというお客様の親戚の人に、そういうことをした「東京の営業」というのは、誰なのか? 「ええ根性してる」ね。そう思いませんか。
  福島県浜通りの入居者の親戚で、入居者の家を見せてもらい、その入居者が構造現場見学に行く時に一緒に見学に行った人で、入居者からカタログとかももらって見て、それで、自分の所も(株)一条工務店で建てようと思ったけれども、「どうすればいい?」と思って、それで、「本社」に電話したという人というのは、それは、「入居者の紹介みたいなもの」であり、入居者の担当営業が在籍すれば担当営業、在籍していなければその地域の「リーダー」が担当するものです。東京のその営業が在籍している営業所への電話ではなく「本社」への電話に対して、そのお客様の地元でもない営業所の人間が、「鴨がネギしょってきた」みたいに思って駆けつけるというのは、それは営業の世界ではやってはいけないことのはずなのです。

  それで・・・・。 その入居者の親戚の方は、結局、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で契約されたけれども、いわき市および福島県浜通り地区においては、神棚というのは、1間半くらいの幅で、3尺の奥行で鴨居の上の天袋の位置に設けるか、あるいは、天袋の位置には2尺くらいの奥行にして、その手前に1尺くらいの出の桧のムク板を設置するか、それを「仏壇の真上から右にかけて」がいいという地域と「仏壇の真上は避けて、仏壇の右上の位置」がいいという地域があるようでしたが、ともかく、そのくらいの大きさの神棚というのが、いわき市および福島県浜通り地区では普通だったのです。 もちろん、そこまでの大きさのものを設けることができないという場合もあるわけで、1間半までは取れないので1間にしたとかいうことはあります。そう大きく取れない場合もあるけれども、ともかく、東京あたりの分譲地に建てる家の神棚とか「浜松流の神棚」とかよりも、「いわきの神棚」というのはでっかいのです。金持ちの家だからでっかいということではなく、相当広い家だからでっかいとかでもなく、それほど広い家でなくても、ともかく、福島県浜通り地区の神棚というのは、東京あたりの分譲地に建てる家とかの神棚や「浜松流の神棚」とかよりもでっかいのです。それが普通なのです。
  1993年5月に名古屋南営業所の所長だった近藤路夫が「浜松でいいものは東京でも大阪でもいいに決まってるんだ。八寸角の大黒柱は東京でも大阪でもいいんだ。二間続きの和室は東京でも大阪でも20坪の敷地でも延べ床面積30坪の家でも絶対に必要なんだ。こんな常識がわからんのか」と非常識な発言を大声でしましたが、この話を東京圏在住の人間、何人かにしたところ、「その人、頭おかしいのと違うのお?」「その人、酔っ払いか何かなのお?」と全員から言われましたが、近藤路夫は「年中、酔っ払い」「酒、飲んでなくても酔っ払い」で「おかしい」のですが、「静岡県中西部および愛知県」地域においては、「特に広い家でなくても、二間続きの和室は必要」という認識の地域が多かったのではないかと思います。東京圏においては、二間続きの和室というのは「和風が好みの人で、相当広い家を建てる人は設けることがある」というものでしたが、福島県においては「(福島県においても、好みの違いはあるし、人によって違いはあるけれども)どんなに小さい家でも、二間続きの和室は絶対に必要なんだ」という意識の人が多いのです。いわき市で建てていただいた契約客の方から「このあたりでは、どんなに小さい家でも、二間続きの和室は作っておかないと、『何やってんだ』と言われるんだ」と言われたことがあります。但し、いわき市で建てる人でも、分譲地のような所に立てる人で二間続きの和室を設けない人はいますし、あくまで、二間続きの和室というものを必要とする度合いが東京など都市圏に比べて強いということで、やはり、それほど広くない家を建てる人には優先順位を考えて二間続きの和室を造れない場合もあるし、いわき市で建てる人でも好みがいわき市の住人にしては東京型の人もあったし、いわき市の営業所にいた時に(株)一条工務店の従業員で同じ営業所にいた人で(株)一条工務店で建てた人がありましたが、その人の家も二間続きの和室はなかったと思いますが、「二間続きの和室は絶対に必要なんだ」という意識の人が静岡県中西部・愛知県と同様に福島県においても多かったのです。1992年に東京営業所に入社した時、江東区潮見の東京展示場には二間続きの和室があって、「親戚中が集まった時にも対応できる」とか浜松出身の人は来場客に言っていたのですが、一般に、東京圏の住人にそういうことを言うと「そ~んなの、『親戚中が集まる』なんて、ないわよねえ~え。やっぱり、お宅は浜松ねえ」とか言われるのでしたが、その「親戚中が集まる」というのは、東京ではなくても福島県ではあったのです。 神棚もまた、茨城県北部から福島県、宮城県にかけては、関東以西に比べて大きいのが普通で、それは広い家だから大きいというわけではなく、それほど広くない家でも神棚はけっこう大きいのが普通だったのですところが、「浜松中心主義・浜松独善主義の(株)一条工務店」「遠州人中心主義の(株)一条工務店」「『東海を制する者は天下を制する』などと言って浜松流を全国に押しつける(株)一条工務店」においては、「二間続きの和室は絶対に必要なんだ」という意識の人が静岡県中西部・愛知県においては多いということから、東京圏の分譲地の狭い敷地に都市型住宅を建てようという人や東京の江東区・墨田区・江戸川区といったあたりの20坪から30坪くらいの敷地に建てる人にまで「二間続きの和室は絶対に必要なんだ」「八寸角の大黒柱はいいに決まってるんだ」という「ご高説」を押しつけようとする一方で、福島県の神棚は関東以西よりずっと大きいのが普通の地域の人には、それを「必要なんだ」と認めない。「ええ~え、これが神棚~あ?」と福島県人が言うような「浜松流の神棚」を造ろうとするのです。この「浜松独善主義」、なんとかならんもんか、と思うのですが、この会社が存続する限り、そう簡単には変わらんようです。
   ・・・(株)一条工務店の「東京の営業」は、東京から福島県いわき市まで、「契約したい」というお客さんだと思うと駆けつけていって契約してもらって自分の営業成績にした上で、施主の要望に反して、幅3尺の板を取り付けた神棚を、(株)一条工務店ではこういう神棚ですと言って取り付けた、というのです。(株)一条工務店のカタログには、幅3尺の板を鴨居の上の高さに取り付けた神棚の写真が掲載されていましたが、それしかできないのではないのですが、カタログに掲載されているような「浜松流」の神棚を施主の希望に反して取り付けたようでした。
  私からすれば、入居者の親戚の人が契約してくださるということなら私が担当したいところですが、栃木県佐野市に移動する際に、営業本部長の天野隆夫が、会社の規定からすれば、200㎞以内の場所への転勤の場合にはその後も契約時の営業が担当するということになっていて、私が知っている人でもいわき市から福島市の営業所に転勤した人は転勤後も契約客の仕事を自分でやっていましたし、そのルールに基づけば、いわき市から佐野市までは200㎞以内でしたから佐野の展示場に移動後も私が担当するはずでしたが、営業本部長の天野隆夫が、いわき市の営業に引き継いでもらえと命令したので、会社のルールでは200㎞以内の転勤の場合は引き継がずに自分でやることになっているのに、なぜ、この人は会社のルールに反する命令をするのかと思ったが、それでも、天野隆夫の言うことに従って、K野T夫さんに引き継いでもらい、その後、K野T夫さんが退職したことで、K井さんが引き継いだのでしたが、そうなると、入居者の紹介というと、私ではなくK井さんが営業担当ということになりそうでした。 入居者から有望な見込客(というより、「うちも一条工務店で建てたい」と言われる方)を紹介してもらえるということは、それだけ、努力したから紹介してもらえるのであり、それを自分ができないというのは情けないことでしたが、会社のルールからいくと、K井さんが営業担当ということになりそうでしたから、それを私がやったのでは、引き継いだ人間は引き継いだことにならないでしょうから、もしも、K井さんが営業担当として契約してもらったということならば、入居者宅について今まで以上にきっちりと対応してもらうということと、「せっかく入居者から紹介もらえたのに」という気持ちに該当するくらいの「超豪華な昼飯をごちそうしてもらう」というぐらいで我慢するしかないか・・・というあたりか・・・と思いましたが、しかし、何の関係もない東京の営業が契約するというのは理屈が通らないし、いわき市から佐野市の距離といわき市から東京までの距離は同じくらいか、東京の営業所までの方がいくらか遠いくらいで、「本社」への電話でいわき市まで行ったという東京の営業は、その営業がいた営業所によっては200㎞を越えている可能性があるのです。入居者の担当営業が200㎞未満の所へ転勤して、会社のルールなら引き継がずにそのままやることになっていたのに、それを営業本部長がルールに反する命令をして引継ぎをさせた上で、転勤した営業よりも遠い営業所にいる営業に紹介客を担当させて契約させるというのは、それはどう考えてもおかしいはずなのです。

  もしも、私が営業を担当するか、もしくは、引き継いだいわき市の営業であるK井さんが営業を担当するか、どちらかしておれば、入居者の親戚の方で契約いただいた方にも、その方の希望に沿って、「いわき流の神棚」を造ることができたはずです。 それを、なにゆえに、その東京の営業は「浜松流の神棚」を施主の希望に反して造ったのか? ・・「浜松流は日本全国どこでも正しい」というような思想の持主だったというのが1つの可能性としてあります。 どうも、浜松近辺の神棚というのは、東北の方とは違って、3尺幅の板1枚というのが普通らしく、「浜松流の(株)一条工務店」はそれをカタログの写真に載せていたのです。 又、小堀住研(株)は積算は各支店ごとにおこなっていたが、(株)一条工務店は浜松の積算部が全国の見積もりを作成していたので、浜松の積算部に「神棚を造るのに、どのくらいかかりますか」と質問すると「浜松流の神棚」の値段を答えたのです。浜松の積算部に「いわき流の神棚」の値段を算出してもらおうとすると、こういう内容のもので・・と図を書いて指定しないといけません。ところが、こういう内容でと図に書いて示すくらいたいしたことないはずですが、その「たいしたことない」ことを省きたがるやつというのがいます。
  聞くところによると、浜松の積算部というのは、それほど人数がいないらしく、積算部というよりも計算部で、積算部の人間がこういうものはどうかと提案する能力も余裕もないらしい。しかし、いわき市にずっといる営業ならば、いわき市の神棚というものは、東京の分譲地に新築する家みたいな神棚とは神棚が違うし、「浜松流の神棚」とも神棚が違うということを知っているし、福島県あたりの人間にとっては、床の間・仏壇・神棚というのはこれは相当大事なもの、相当重要なもので、たとえ、施主がよくても、変な物を作ったら親戚や近隣の人間が来た時に、「なんだべ、これはあ!」と言われることになるもので、住宅建築業の会社の人間はそれを認識して対処しないといけないもので、いわきの住人はそれを知っているしいわきの営業である程度以上在籍している人は知っているはずでした。
  それを、全然、何の関係もないのに、東京からいわき市までかけつけて行って契約してもらい、そして、施主の希望に反して「いわき流の神棚」ではなく「浜松流の神棚」を造ったその東京の営業は、どう考えても良心的ではありません。 私が思ったのは、営業担当が「いわき流の神棚」を知らなかったとしても、いわき の設計担当は知っているはずで、営業の方がよく認識している問題か設計の方がよく知っている問題かというと、営業の方がより知っている問題ですが、設計の人間でも、いわきの設計はわかっているはずで、図面は営業だけが担当して決めるのではなく、営業と設計が担当して打ち合わせをおこなっているはずで、営業担当者がわかっていなくても、設計がわかっているはずでしたが、なぜ、施主が希望した「いわき流の神棚」ではなく、「浜松流の神棚」を施工したのか、不思議に思ったのでしたが、ひとつの推測として、その「東京の営業」は、いわきの設計に依頼していわきの営業所(展示場)で打ち合わせをやれば、自分が変則的なこと本来的でないことを強引にやったということを、いわきの営業にわかってしまい、「あいつ、やってること、おかしいじゃないか」とわかるので、それで、東京の設計をいわき市の客宅まで連れていったか、もしくは、いわき市のお客さんを、はるばる東京まで来させて東京の設計に担当させたか、どちらかではないのか・・・、というその可能性が小さくないということに気づいた。誰だ、その悪質なことをやった「東京の営業」は? 「遠州人」か?

   そして、(株)一条工務店の「設計」は、ほとんどが「かけだしの設計」です。ほとんどが「半人前の設計」です。 野村克也が「ろくでもないピッチャーの球ばっかり受けてきたような気がする」などとどこかで書いていたが、設計を投手、営業を捕手とたとえるならば、私も(株)一条工務店においては、新人か二流以下の設計の球ばっかり受けてきたような気がする。もっとも、「新人か二流以下」の設計でも、誰もが不真面目とかいうわけではなく、「新人か二流以下」でも人によって真面目に努力する人とそうでない人があるわけですが、ともかく、野村克也のじいさんは、「ろくでもないピッチャー」の球を多く受けてきたという意識があるが、すべてのピッチャーがそうだったわけでもなく、全盛期の杉浦なんてのは、キャッチャーが特に何も考えなくても、バッターがこういう球が来るだろうと予測しているところにその球を投げてもそれでも打てないという投手で、そうなると、キャッチャーは受けてるだけで、なんかかえって面白くなかったり・・というピッチャーだったらしいが〔 《YouTube-1959年 南海ホークス選手名鑑 (南海野球株式会社)日本シリーズ優勝》https://www.youtube.com/watch?v=W3B9G95uzdc 〕、(株)一条工務店の設計に投手の力だけで抑えることができる投手(営業が何の努力もしなくても設計の能力だけで契約客が満足できる図面を作れる設計)、いわば「全盛期の杉浦のような投手」のような設計がいったい何人いたか・・というと、ほとんどいなかったはずで、これは私だけが言うことではなく(株)一条工務店にある程度以上在籍した営業でそう言う人は多かったはずで、又、私は入社以来、経験のある設計と新人がおれば常に新人をまわされてきて〔⇒[第718回]《経験のある設計を「譜代」の所長の営業所の担当に、新人設計を遠隔地で新人営業だらけの営業所の担当にする会社――「一条工務店の建物は完璧にすばらしい」の反証》https://shinkahousinght.at.webry.info/201909/article_3.html 〕、それを「わしぁ、日陰の月見草」てなもので、「長嶋みたいなやつ」に負けないように、苦労して努力して、新人や二流以下の設計に同業他社の「一流投手」のような設計に負けない図面をいかにして書かせるか・・という努力をしてきたのでした・・・が、会社というものはそういう涙ぐましい努力をしてきた者には、「ありがとう」の一言くらいは言うべきものではないか、と思ったのですが、1998年、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は私に何と言ったかというと・・・、「余計なことすんなあ」・・とそう言ったのです。人間、言って良いことと悪いことがあります。入社以来、天野隆夫の暴言には我慢を続けてきましたが、人間、言って良いことと悪いことがある。営業本部長であろうが最終学歴中卒であろうが許されることと許されないことがある。天野隆夫は「初代社長の義理の弟」だということで営業本部長になっていたわけですが、そして、営業の仕事についていた従業員から「天野部長って、営業やったことあるのかなあ?」と言われていたのですが、20代の頃に浜松で「特別扱いの営業」をちょろっとやっただけの男のようですが、その程度の経験しかない男だからということもあるでしょうけれども、そういう人間として、普通、いくらなんでも、そういう口をきいてはいかんだろう、という口を平気できくというのは、「親の顔が見たい」というのか、「育ちが悪い」というのか、この場合、「育ちが悪い」というのは金持ちとか貧乏とかいうことではなく、金持ちか貧乏かとは別の問題として「育ちが悪い」と判断せざるをえない人であり、そういう人が営業本部長になっていたので、そうでない場合以上に、設計のレベルは高くならなかったのです。

  (株)一条工務店の「設計」というのは、多くが「バカでも入れる私大の建築学科」出たばっかりという人間だったのですが、全員が「バカでも入れる私大の建築学科出たばっかり」であったのではなく、「ある程度以上の年数を在籍していた人」もいたわけで、そういう人は、自分がどの場所にいるかにかかわらず、全国的視野を持って学ぶべきで、又、他の地域で仕事をしている設計とも連絡をとって、互いに情報交換をするべきで、そうすれば、自分が勤務している場所とは異なる場所で建てる人の家の設計をすることになっても、ある程度以上、対応できたのではないかと思うのです・・・が、国家公務員のキャリアは東大法学部卒の人の割合が大きすぎるとか、裁判官は上級審に行けば行くほど東大法学部卒の人の割合が大きくなるとか、三越は慶應大卒の人間の割合が大きすぎるとか言われ、そういうのは良くないのではないかと言う人もあるようですが、(株)一条工務店の場合は、会社の上の方の役職には「中卒高卒の人の割合が大きすぎる」会社で、「静岡県中西部・愛知県出身者の割合が大きすぎる」会社であり、「静岡県中西部・愛知県出身」の「中卒高卒」の人の頭の中の世界観で会社が運営されている会社でしたので・・・・、結論として「アタマが浜松」だったのです。
   かつ、小堀住研(株)は、1989年に初代社長でその時点では相談役だった小堀林衛が他界した後に1990年にエスバイエル(株)と名称変更をした後、一時は「大卒しか採らない会社」だったはずがだんだんと「レベルが低くなった」が、その頃くらいまで、たしか、会社案内に掲載されていた「採用実績校」には「神戸大・新潟大・関西大・甲南大」というくらいの大学が書かれていたように記憶しているのですが、さすがに東大・京大の出身者はいないとしても神戸大とか地方国立大学とか関関同立とかの出身の人の勤め先か・・・と思わせて実際はそれより下の大学の出身の人もいたけれども、それでも、「神戸大とか地方国立大とか関関同立とかの出身の人の勤め先ですよお」というスタイルでやっていたところがあり、「大卒しか採らない会社」「神戸大とか地方国立大学とか関関同立とかの出身の人間の勤め先の会社」というスタイルの会社の営業というのは、営業が「学ぶ営業」で「住宅・建築について学ぶ営業」だったのに対して(株)一条工務店の場合は営業本部長の天野隆夫が「営業は頭のないやつがええんや、頭のないやつが」「営業は学校なんて出てない人間がお客さんに喜ばれるんや、営業は」「営業は、頭をモヒカン刈りにしてるヤツとか、暴走族みたいな羽根のついたクルマに乗ってるやつとか、女の子のスカートめくりにいくヤツとか、そういうのんが営業に向いてるんや、そういうのんが。そういう人間がお客さんに好かれるんや、そういう人間が」「ぼくなんかも、学校でてない(最終学歴:中卒)だから、気さくで人間味があって人間性が優れているから、だからお客さんに好かれるんだ、このぼくは」などと言っていた会社であり、かつ、「おい、そう思うだろ。思わないのか。ぼくが思いますと言えと言ってるんだぞ。思いますと言え」と言われて無理矢理言わされる会社だったが、その最後の「ぼくなんかも、学校でてない(最終学歴:中卒)だから、気さくで人間味があって人間性が優れているから、だから、お客さんに好かれるんや、ぼくは」というやつについては、「だ~れが、そんなわけのわからんこと言ってるんだ、誰があ! あの人のいったいどこが『気さく』でどこが『人間味がある』んだ、どこがあ? あの人のいったいどこが『人間性が優れている』んだ、どこがあ? いったい、どこの誰がそんなわけのわからんおかしなこと無茶苦茶なこと言ってるんだ、誰があ!?!」と社歴の長い従業員が言っていたという会社だった。営業は「神戸大くらいか地方国立大学か関関同立かくらいの大学卒の人の仕事」という位置づけの会社においては、設計は学歴としては営業と同格か営業の方が上であり、「バカでも入れる私大の建築学科卒」の設計が営業に対して超ド級にえらそうな態度をとるというわけにもいかず、「学ぶ営業」が捕手であれば、設計も「学ぶ営業」の捕手に対してはいいかげんなことはできないという結果になる傾向があったのです。それに対して、「営業は頭のない人間がええんや」とか「営業は学校でてない人間がお客さんに喜ばれるんや」とかそういうことを言っている男が営業本部長の会社においては、そういう会社のそのタイプの営業は、《「バカでも入れる私大の建築学科」出たばっかり》の「設計」を、「うちの設計士が」とかいった感じで持ち上げて、「嘘でも百回言えば真実」みたいにアホをヨイショよいしょヨイショよいしょヨイショしまくり・・・という態度に出て、それでお客さんに「言うことをきかせる」という態度で営業する・・という人がいたのではないか。 特に、天野隆夫はそのスタイルだったはずで、「嘘でも百回言えば真実」みたいに三流以下のヘボ設計をヨイショしろ! みたいな言動があった。 私は営業本部長の天野隆夫から「営業は口きくな」だの「営業は、設計にはどんなことでも服従しろ」だのと、人権侵害と思われる発言を何度もされた。[第702回]《「一条の家は完璧にいい」の反証9-出過ぎた口きく設計、学んだ者に学んでいない者に服従しろと言う本部長》https://shinkahousinght.at.webry.info/201905/article_4.html 《14》で述べたように、大学の社会科学系学部において民法をある程度学んできた者で、その問題について関係のある資格である宅地建物取引士の資格を持っていた私に対して、民法なんてちっとも学習してきていないバカ大学建築学科卒の男で何の資格も持ってない男のデマカセ・デタラメに「何でも言うことをきけ」と「命令」し、契約客に無茶苦茶な内容を言えと指示した、ということもあった。いくらなんでも、そんなこと言うわけにはいかんぞ・・と思って説明しようとしても、「中卒が自慢の天野隆夫」「遠州人の天野隆夫」は説明を聞かないし、「設計の言うことはどんなことでもきけ」「設計にはどんなことでも服従しろ!」と人権侵害の発言を繰り返すばかりだった。
  1993年に福島県いわき市の営業所に赴任した時には、東洋大建築学科卒で入社3年目の春田靖が、工務課・営業課は1部屋と駐車スペース1台分、設計課は1部屋の割り当ての寮において、不当に「2部屋と駐車スペース2台分」を占拠していたため、私が住む場所を奪われており、私は、自分のクルマに荷物を積んでいったにもかかわらず、それを降ろすことすらもできなかったが、春田靖に注意して不当な占拠を戒め、1部屋分以外からは撤去するように命令するべきであるにもかかわらず、天野隆夫は職責を果たさなかった。これは私に対する人権侵害であるが、今日に至るまで天野隆夫から私に対して、一言として謝罪の言葉がない。 私などは、東大理科一類に通ったか・京大工学部建築学科に通ったかというと、それはわからないが、どこでもいいから国立大学の建築学科というくらいならどこか通る所はあったと思うが、それでも、うちの親は「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言い、「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずや」と言っても、「100パーセント、絶対に国立大学に通るという保証はありませんでしょ。たとえ、0.1パーセントでも落ちる可能性があれば工学部なんて受けてはいかんでしょうが。何を甘ったれてますのん、何をお!」と言われて工学部だの建築学科だのなんて受けさせてもらえなかったものだが、又、うちの父親は「東大にでも行くのなら、もしくは、せめて慶應か早稲田にでも行くのなら東京で下宿してでも大学に行くべきやけれども、明治やたら法政やたら専修やたらポン大やたら何たらそんなアホ大学に行くようなやつ、大学に行く必要あらへん。そんなやつ、全員、自衛隊に入れてやるべきや、自衛隊に。甘ったれとってはいかん、甘ったれとっては。自衛隊に入れ、自衛隊に! たとえ、アホ大学に行くにしても、アホ大学に行くようなヤツなんて下宿してまで大学に行かんでもええ。地元の大学に行けばええんや、地元の大学にい!」と言ったものだったし私もそんな感じで考えていたが、春田靖というのは静岡県出身なのに東洋大学(「東京大学の東大」ではなく「東洋大学の東大」)の工学部建築学科になんて下宿して行ったようで、しかも、新卒入社3年目でしかないのにけっこう高そうなオフロードカーになんて乗っていた。この男の親は何やってる人間なんだ・・と思うと、中学校の校長先生だと聞いたのだが、中学校の校長先生というのは相当給料高いということのようだ。 日本の中学校は校長先生に給料を出し過ぎではないか。「中卒の営業本部長」からすると、「バカでも入れる私大の建築学科」出たばかりという人間というのは、「相当えらい設計士さま」みたいに感じるのかもしれない。だから、「設計士さま」みたいな意識を持った男は、相当高そうなオフロードーカーなんてものに20代前半から乗っていたが、普通、新卒入社3年目の男に、「2部屋と2台分の駐車スペース」なんて無料で提供する会社なんてないし、(株)一条工務店も会社の規定では認めていなかったはずだが、それを会社のルールに反して実力で占拠して、それを会社の経営者は「会社のルールでは、あなたにそれだけのスペースを提供することにはなっていないはずですから、不当に占拠している場所のものを撤去して明け渡しなさい」と命令しないといけないはずで、その命令に従わないならば、それに見合ったペナルティーを課さないといけないはずだったが、春田靖はその後も不当占拠を続け、(株)一条工務店は何ら不当占拠者に苦情も文句も言わず、その後、いわき市の営業所に転勤してきた人がいて、本来なら春田靖が不当占拠している部屋に入居できるはずなのにできないということで、展示場に布団をしいて寝ていた。
  (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の営業本部長というのは「バカでも入れる私大の建築学科」出たばっかりという人間、いわば、「自衛隊に入れたったらええねん、そんなやつ、自衛隊に!」と言われるようなヤツ、「ウルトラ甘ったれたやつ」というものが、矢鱈ありがたいらしいのだが、そのおかげで、私は住む場所すらも奪われたのであり、天野隆夫は「バカでも入れる私大の建築学科でたばっかりをありがたがるのと引き換えに、私から最低限のものを奪い取ったのである。私はこの会社でされたことを決して忘れはしない。私はこの会社と天野隆夫にされたことを地獄の底まで忘れはしない。・・そういう会社におけるそういう設計というのは、「その程度のもの」であり、本来なら、まがりなりにも「設計」という職種の人間ならば、神棚とか仏壇とかいったものは、それぞれの地域によってやり方は違うのであり、福島県いわき市のものを扱うのが初めての設計であっても、その地域の神棚というのはどういうものだろうか・・ということを、最低一回は考えるべきであり、考えないといけないはずであり、考えないような設計を設計と言えるかという問題でありするのだが、その程度のことも考えない設計が東京の営業所にいて、そういう設計にその「東京の営業」は担当させた・・ということが可能性として考えられる。「その程度の設計」が(株)一条工務店は多いというのは最初からわかっていることだが、「その程度の設計」は、おかしな図面を書いたり、おかしなことをしたならば、営業の方で、「なんだ、これは」と言ってやるべきはずだが、ところが、営業本部長が「営業は設計にはどんなことでも服従しろ」とかそういったことを言うような男が営業本部長になっていたために、アホ設計・ヘボ設計が、「ウルトラの母」ならぬウルトラのバカ設計になってしまっていた、ということが考えられる。
  (株)一条工務店の総務部長(その発言をした時点においては、企画室課長)の天野雅弘は「所長の仕事は売るのが仕事であって、管理したり指導したりするのは所長の仕事と違います」と言うのだったが、もしも、「管理したり指導したりする」のが福島県浜通り地区の所長の草野さんの仕事ではないというのであれば、春田靖が会社が認めてもいないのに、実力行使で2部屋と2台分の駐車スペースを不当に占拠してそこから退去しないことについて注意し、本来、設計課の人間に会社が認めているのは1部屋であるから、その後も2部屋と2台分の駐車スペースを占拠し続けるのであれば、1部屋分と2台分の駐車場代を会社は春田靖に請求すると警告する役割を、誰か所長以外の人間がやらないといけないはずである。誰がやるのか? 誰もやらずに、その結果として、「いわきでは寮に入ってもらう」と営業本部長の天野隆夫から言われて、そのつもりで いわきまで来たら、春田靖が占拠していて泊まる場所がない、ということにされて私に犠牲を払わせたのであり、その事態については総務部には責任があるはずである。そんな能無しの総務部長にペナルティーは課されないのか? そんな能無しの総務部長に「イエローカード」は出されないのか? ・・というよりも、すでにそんな総務部長は「レッドカード」と違うのか?
  春田靖は、いわき市の春田靖が勤務していた営業所(展示場)に、毎日毎日、朝から晩まで四六時中、「佐藤さん」という女性からひっきりなしに電話が入り、私はその電話を何度も何度も取らされたのだが、どう考えてもあれは営業妨害である。世の中には、役員か何かで、ほとんど仕事しないで給料もらっているような人もいるのかもしれないが、普通、「バカでも入れる私大卒」で新卒入社3年目の人間で朝から晩まで何度も何度も四六時中、嫁でも親族でもない女性からひっきりなしに職場に電話が入って、他の従業員の業務の影響を与えているようなそんな男に対しては、会社として「いいかげんにしなさい」と注意するものであるし、注意するのは「所長の仕事とは違います」と言うのであれば、それなら誰の仕事なんだ? ということで、誰がその役割なのか、役割である者がきっちりと職責を果たさないといけない。「管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違います」と言いながら、それなら誰の仕事なのか明確にすることもしないような総務部長というのは、そんな総務部長は総務部長の仕事を果たしているとは言い難いことになる。その発言の時点では、天野雅弘は、企画室課長で、「総務部の責任者」は営業本部長の天野隆夫の嫁の天野順子であったが、ともかく、経営者は「管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違います」と言うのであれば、それなら誰の仕事なのか、きっちりとしないといけないし、毎日毎日、朝から晩まで四六時中、嫁でもなければ親族でもない女から職場に電話がかかり続けて営業妨害を平気で起こしているという非常識な男には、会社として対処しないといけないし、それをできない経営者は経営者としての役割を果たしているとは言えない。息子がそういうことをやっていることについて、何とも思っていないらしい「中学校の校長先生」というのも、いったいどんな先生なんだ? その先生、いったいどんな教育受けてきたんだ? ということになる。(「先生の息子」というのは、教えるのが仕事の人の息子なのだから、普通、東大とか京大とかに行くものかと思っていたのだが、東洋大工学部なんてのに行かれたのでは、「その先生に習ったのでは、成績、下がりそうやな」ということにもなる。)春田靖が行った東洋大の工学部建築学科のゼミの教授というのは、会社に就職したらそういう態度を職場で取れと指導しておったのか? いったいどういう教授なのか、一度、顔を見てみたいように思うのだが、どんな人間なんだ? 「設計は新卒入社したその日からお殿様」という(株)一条工務店の第一設計部の認識も大いに問題がある。「『バカでも入れる私大の建築学科』出て新卒入社したその日から設計はお殿様」というそういう認識では、住宅建築業の仕事をする上においても、いい仕事をする結果にはつながらないはずで、そのあたりについて、(株)一条工務店の第一設計部の責任者には猛省が必要である。私は在籍の終わり頃、そういうアホ設計なんか要らないから、私には「営業兼設計」として仕事をさせてもらいたいと会社に訴えたが、返答はなかった。

  もうひとつ、考えられることとして、(株)一条工務店の採用方針ですが、小堀住研(株)では「建築の営業と不動産の営業は違う」と言っていたのですが、(株)一条工務店では、中途入社で前職として営業をやっていた人の勤め先としては、クルマ屋・不動産屋・サラ金というのが三大前職で(言っちゃなんだが、なんか程度低いな・・て感じ)、保険の営業という人もいました。
  クルマ屋の営業と不動産屋の営業というのは、基本的には私はあまり好きではなかったのです。 どこがかというと、
1. まず、「ガラが悪い」人が多い。
2. それから、「住宅・建築について、学習意欲がない人」が多い、という点。
クルマは、オプションとしてあらかじめ設定されたものを付ける、もしくは、変更してグレードアップするかどうか、ということはあっても、オプションとして設定されていないものをつけるということはほとんどないのです。それに対して、戸建住宅建築業においては、「規格住宅」とされているもので、あらかじめ、設定されているオプションを付けるか変更するか以外のことはできません、ということで割安にしているというものもありますが、そうではなく、「自由設計」とか「注文住宅」と言っているものではオプションとして設定されていないものでもつけられるし、建築というのは、もともと、地べたに新たに造っていくのが建築です。ところが、元クルマ屋の人には、前職のくせが抜けない人がいるように思われます。もちろん、人によっても違いはあるので、決めつけすぎてはいけませんが、どうも、そういう傾向がある。 元不動産屋の人にも、「新たに造っていく」ということをめんどうがる人がいる。 「マンションの販売」やってたとかいうような人だと、「規格住宅」だとよくても、新たに造っていく「自由設計」「注文住宅」のやり方を嫌う人もおり、そういう人は、できても、「このやり方しかできません」などと言って、「このやり方」を施主に押しつける人がいるようなのです。
  私が入社した1992年にはなかったが、その方がいわきで建てられた頃には、「営業用 積算マニュアル」という冊子を営業に配布されていて、そこに、主要なオプション項目についての金額が掲載されていたのですが、それはあくまでも「主要なもの」についてで、神棚については「浜松流の神棚」の値段しか掲載されていなかったのです。その「営業用 積算マニュアル」を見て、「このやり方しかできません」と実際はそれ以外のやり方もできるのに言うヤツというのがいたかもしれません。 こういう内容でと指定すれば、積算部ではそれに対しての見積もりを出してくれたのですが、その「こういう内容で」というのを指定するだけの労力を省きたがる「骨惜しみする人間」というのもいたでしょう。

  入居者の方がいい家ができたと喜んでいただいて、それで、親戚の人も、「うちも一条工務店で建てよう」と思っていただいたのに、それを、いわき市および福島県浜通り地区の人間にとっては相当重要なものである神棚を「いわき流の神棚」ではなく「浜松流の神棚」にされた、というのは、それは、私の営業成績になるかならないか、引継ぎをやってくれた人の営業成績になるかならないかよりも、入居者の親戚のいわき のお客さんに良心的でない対応をした、という点により不快感を覚えます。   だいたい、もともとの入居者の営業担当者がいわき市の営業所から栃木県佐野市の営業所まで移動した時、いわき市から佐野市までと、いわき市から東京の営業所までとでは、いわき市から佐野市までの方が直線距離でも、クルマで実際に走る距離ででも、いわき市から佐野市までの方が近いのです。 なんで、より近い人間から担当を奪って、より遠い人間に担当させないといけないのか? おかしいでしょ。

  後から考えたのですが、もしかすると、それは、営業本部長の天野隆夫がそうさせたのではないのか? ・・その可能性は十分ありうる・・と思いました。あの男の性格なら、その場所の土地柄を知っているより近い場所の営業から奪ってより遠い場所の全然その場所と土地柄を知らない営業に行かせる・・ということは、平気でやるだろう・・・、会社のルールに反することでも、「俺がルールブックだ」てなもので、あの男なら十分やるだろう・・・と思いました。あの男はそういう男です、営業本部長の天野隆夫という男は、会社の利益よりもおのれの気まぐれを優先する男で、会社のルールよりもおのれの気まぐれを優先する男です。会社のためにならないことでも平気でやるのが天野隆夫です。

  それで・・・、「浜松流」「遠州好み」(この場合、「小堀遠州が好んだ」という意味の「遠州好み」ではなく、「遠州人の好みに合わせた」という意味での「遠州好み」)はどうなのか、「(株)一条工務店の浜松流」「(株)一条工務店の遠州好み」ではなく、遠江地方の比較的古くからの家屋の神棚はどうなっているのか、それを見てみたいと思い、遠州地方の江戸時代くらいからの家屋で公開されている家屋を見学したいと前々から思ってきて、今回、掛川市の加茂家住宅を訪問したのでした。
  加茂家住宅において、仏壇は、客間の裏手にあたる4畳の部屋に配置されていて、仏壇自体は立派な仏壇だったが、仏間は広くない部屋で、御先祖様と対話をする部屋という意味合いの部屋なら広くない部屋でいいのかもしれませんが、左右は別の部屋で背後は壁の窓がない部屋であり、この家の中ではあまり条件のいい方ではない部屋に配置されていたので、客間の方を優先して、仏間や床の間は、ひっそりとした場所に家族だけの場として設けられていたということなのだろうか・・と思ったのでした。それで、神棚はどこだろうか・・・と思って見たのですが、結局、土間の奥の竈の上の神棚のみでした。↓
DSC08597.JPG
福島県浜通り地区では、神棚は「仏壇の真上から右上にかけて」か「仏壇の右上」かに設けられることが多いのですが、こういったことはそれぞれの地方によって異なります。 高さについては、家相の上では、別に「上の方」「鴨居よりも上の場所」にないといけないということはないらしく、小堀住研(株)に在籍した際に、お施主様と一緒に東京都内の「家相と気学の専門家」を訪ねた際、その「家相と気学の専門家」が言われるには、「大人の人間が立った眼の高さより少し上」の位置がいいといい、鴨居より上の高さに神棚を設けているのは、あれは「邪魔だから上の方に上げている」のだと言われたのです。なるほど、そういう考え方もあるようでした。その方の考え方によれば、神棚は大人の人間が立った眼の高さより少し上あたりに神棚はあるのがいいそうですが、東京など都市圏においては、その「専門家」がそう言われるからということで、その説にそった神棚にしてもいいのでしょうけれども、「地方」にいくと、そういう「説」があると言われれば、「はあ、そうですかあ」とお説はお伺いするとしても、その地域において、神棚というのはこういうように作るものなんだ・・という考え方があるわけで、福島県浜通り地区の人間が、神棚を「仏壇の真上から右上にかけて」か「仏壇の右上の位置」かの「天袋の場所」か「天袋からその前に板を設けて」かに設置したとしても、別に「邪魔だから上の方に上げている」というつもりはないはずで、やはり、その地域の伝統的な考え方にのっとった造り方をするべきでしょう。
  又、「邪魔だから」かどうかはともかく、「上の方にあげている」というのも、神さんというものは、普段は上の方から見守っていてもらえばいい存在で、いざという時に、「神さん、よろしくお願いします」と拝めばいいものであって、普段からいつもいつも「神頼み」するべきものではない、という考え方だってあるのではないか。『聖書』には「みだりに神の名を唱えてはならない」という言葉があるが、あまりにも、いつでもいつでも、神さん神さん・・と言うべきものではなく、普段は「上の方」にいてもらって、「上の方」から見守ってもらえばいいことだ、という考え方もあるのではないでしょうか。 又、福島県浜通り地区では、「仏壇の上から右上にかけて」か「仏壇の右上の位置」かに神棚が設けられるのは、「ほとけさま」はそのうち、出世して「神さん」になるという考え方の地域もあるらしく、だから、仏壇の上に神棚は配置されるべきなのだ、という考えの地域もあるらしい
  「ほとけさま」がそのうち「神さん」になるというのは、福島県浜通り地区のある地域における考え方らしく、他の地域では、そうは考えない地域もあるわけで、こういった考え方というものは、正しいとか正しくないとか科学的に判断できるものではないので、それぞれの地域の風習・伝統を尊重して決めるしかないでしょう。 岐阜県高山市の民家を何軒か見てきましたが、高山市の民家では、仏壇と神棚は別の部屋に設けられていることが多く、福島県浜通り地区のような考え方とは違うようでした。 神棚の大きさは、やっぱり、福島県浜通り地区のようなでっかい神棚ではなかった。何の雑誌だったか忘れてしまったが、仙台の伊達家の神棚の写真が出ていたのだが、伊達家というと仙台の殿様であり、殿様の家の神棚がでっかい神棚であったとしても当たり前みたいな感じがするかもしれませんが、茨城県北部から福島県浜通り地区を経て宮城県にかけての地域においては、殿様の家でなくても神棚は比較的大きい神棚の方が普通だったのであり、その神棚を見慣れた者からすると、高山市の大旦那の家の神棚を見ると「え、こんなに小さいの?」なんて思ってしまいますが、それはそれぞれの地域によって考え方は違うのであって、どっちがいいとか悪いとかいうものではないわけです。
  (株)一条工務店というのは「いなかが得意の会社」であったのです。一般に、ハウスメーカー、それも「一流ハウスメーカー」とか「全国メーカー」とか言われる会社でも、結局、それらの会社は、たいてい、都市圏会社なのです。「東京と関西を中心としてそれ以外の地域でも建てています、という会社」が多く、比較的大きい所で地方中心というと、土屋ホームあたりが北の方中心かもしれませんが、「大手ハウスメーカー」というのは、実質、「都市圏ハウスメーカー」みたいなところがあった。 1980年代後半、小堀住研(株)に入社してすぐの新卒社員研修で聞かされた話では、その頃、小堀住研(株)と旭化成(株)は施工棟数としては同じくらいだったが、旭化成(株)はほとんどが都市圏であるのに対して、小堀住研(株)は「沖縄をのぞく全国」で建てていた・・というのですが、それでも、小堀住研(株)もまた都市圏中心で、地方にいくと、「ハウス55」という「高品質低価格」タイプはある程度建ててもらえても、「新桂」という高級志向の自由設計タイプはなかなか建ててもらえないようでした。それは、特に「新 桂(しん かつら)」は都市圏向けの商品だから、ある程度はやむをえないでしょう。三井ホームなども都市圏中心会社で、又、最近は関西でも三井ホームは建てていますが、先日、大阪府で三井ホームが建てたと思われる家を見て、「やっぱり、三井ホームは東京圏会社だなあ」と思ったのは、東京圏で三井ホームの家を見るとそれほど違和感はないのに、関西で三井ホームの家を見ると、どうも「東京もんのすかしたやつの建てる家」みたいなイメージがあったのです。それで、(株)一条工務店は最近では都市圏でもある程度建てているようですが、基本的には「地方都市を得意とする会社」だった。それなら、茨城県北部から福島県・宮城県のようなでっかい神棚というものもカタログにも掲載しても悪くなさそうにも思えたのですが、掲載はない。それはなぜかというと、「地方」にいくと、どこでも神棚はでっかいわけではなく、「地方」でもそれぞれの地域によって違うわけで、茨城県北部から福島県を経て宮城県にかけての地域はでっかいようですが、関東よりも西は「地方」でもそう大きくない地域が少なくないようなのです。 (株)一条工務店は「いなかが得意の会社」であるだけではなく、 「浜松中心主義の会社」「遠州人中心主義の会社」であり「静岡県中西部・愛知県を本国とする外資系企業みたいな会社」であったのです。何でも「本国」を優先して決める会社、何でも本国の利益を優先する会社だったのです。だから、カタログに掲載されていた神棚も「浜松流」だったのではないか。

  加茂家住宅における神棚は、この竈の上の神棚がそうかと思ったのですが、係員の方に「このおうちの神棚は、これがそうですね」と訊いてみたところ、「これは、竈(かまど)の神さんじゃないかしら」ということでした。 そうかもしれません。
  道塚元嘉(みちづか もとよし)『民家のこころ』(1999.1.25.鹿島出版会 )では、「【カマドと母の生まれた家】―荒神様に守られて―」の項に、日本民家園の「素朴なカマド神」の写真が掲載されていますが、位置から考えて、↑ の加茂家の神棚も「カマドの神さん」でしょう。
  加茂家は遠江地方の庄屋でも大きい方の庄屋だったようですが、神棚はこの竈の上のものは、これは「竈の神さま」であって神棚は別なのか・・・といっても、他の場所に神棚は見当たらなかったのですが、1軒だけで判断もできませんので、遠江地方で公開されている民家は、他にも何軒かあるようですので、機会がある限り、訪ねてみたいと思います。

  ・・次回、加茂家住宅(5)、格子について、味噌蔵・米蔵など・・・

  (2020.7.9.)

☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(掛川市)見学
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://shinkahousinght.at.webry.info/202006/article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://shinkahousinght.at.webry.info/202006/article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。https://shinkahousinght.at.webry.info/202006/article_4.html 
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡れ縁、廊下交差箇所の納まり、差鴨居。https://shinkahousinght.at.webry.info/202007/article_1.html
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。 https://shinkahousinght.at.webry.info/202007/article_2.html
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業。〔今回〕
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。https://shinkahousinght.at.webry.info/202007/article_4.html
民家のこころ - 道塚 元嘉
民家のこころ - 道塚 元嘉
日本の家 (2) 中部 - 藤井 恵介, 和田 久士
日本の家 (2) 中部 - 藤井 恵介, 和田 久士
( ↑ 藤井恵介『日本の家(2) 中部』2004.5.28.講談社 の表紙の写真は、加茂花鳥園の花菖蒲園と土蔵の写真のはずです。 )
弱者の流儀 野村克也31の考え - 野村克也
弱者の流儀 野村克也31の考え - 野村克也
《 私にはもともとキャッチャーに向く性格的な素地があった。だからキャッチャーを続けていくうちにそれがより深まり「キャッチャーらしく」なっていった。
  逆に、普段の性格は大雑把で思慮深さには程遠い者でも、なぜかキャッチャーをする時は、「キャッチャーらしい」性格になる者もいる。これはこれでもちろん問題ない。何かスイッチが入るのだろう。
  こういう意味で私は、役割やポジションには、少なからず「向き不向き」があると思っている。
  この話をすると、すぐに思いつくのは田淵幸一だ。私が西武に在籍していた頃、田淵とチームメイトだった。ある試合で田淵がマスクを被り、特大のホームランを打たれてベンチに戻ってきた時に「田淵、あのホームラン、最後ピッチャーに何を投げさせた?」と聞くと「えっと、ストレートです」と即答する。それで「いや、何であの場面で真っ直ぐなんや?」と聞いたら、「んっ? ノムさん、投げているのはピッチャーじゃないですか」と返してくるのだ。私は「サインを出したのは誰や?」と突っ込みたかったが、それを言っても分かり合えないだろうと思って話を打ち切ったことを覚えている。「投げているのはピッチャー」という考え方では、キャッチャーとしての反省もないし成長もしない。そういう意味で、田淵はキャッチャーというポジションをしていたにもかかわらず、キャッチャーらしい性格にはならなかったのだ。》
( 野村克也『弱者の流儀 野村克也31の教え』2017.6.8.ポプラ社 ↑ ) 

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