加茂家住宅(掛川市)(1)正玄関・土間・大黒柱・梁・池・亀島と花-加茂家住宅・加茂花鳥園(掛川市)見学【3/7】

[第775回] 加茂荘加茂花鳥園第3回 加茂家住宅(1)
  加茂家住宅・加茂花鳥園(掛川市)見学の3回目。今回の訪問の最大目的だった加茂家住宅 ↓ の第1回 です。
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《 加茂家は桃山時代からの庄屋であり、・・・ 慶長9年(西暦1604年)の検地帳によれば、当地(遠州佐野郡桑地村の過半を占める、極めて有力な庄屋であったことがわかります。・・・》と、入口の説明書き、及び、現地でもらった「加茂荘の今昔」という「説明書きと間取り図」に書かれています。
 栃木県佐野市小仲町に田中正造旧宅がありますが、

( ↑ 栃木県佐野市小仲町。 田中正造旧宅。 )
行ってみると、床の間の掛軸に「愛」と書かれたものがかかっていたと思うのですが、庄屋さんの家の床の間にかかる掛け軸にしては変わっているように思ったのですが、布川清司『人と思想 田中正造』(清水書院 センチュリーブックス)によると、田中正造は比較的若い頃、冤罪を着せられて留置所に入れられたことがあり、その際、『福音書』を読んでいたそうで、他界した時もわずかな所持品の中に『福音書』があったそうで、そこから掛け軸にもキリスト教的な文句が書かれたものがかかっていたようでしたが、建物については、小作人の家なら悪い家ではありませんが(私の家なら悪い家ではありませんが)、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で福島県いわき市の営業所に在籍した時に、元庄屋だったというお宅を建て替えさせていただいた際に見せてもらったそれまで住まれていた家などと比較しても、庄屋の家と思って見ると、実際のところ、「え、これが庄屋さんの家なの?」という感じでしたが、布川清司『人と思想 田中正造』(清水書院 センチュリーブックス)によると、田中正造自身が「庄屋といっても中の下くらいの庄屋で」と話していたそうでしたが、その田中正造旧宅などと比較してみても、加茂家住宅の方が立派な建物であるのは間違いないでしょう。おそらく、加茂家は、庄屋の中でも「中の下くらい」ではなく、上の方の庄屋だったのではないかという印象を受けます。
※ 《佐野市観光協会 田中正造旧宅》http://sano-kankokk.jp/guide/458/
  左側の ↓ が来客用玄関だったらしい。
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車寄せがある「正玄関」
  そして、今現在、訪問者が出入りしている入口でもある ↓
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↑ が、家族や小作人が出入りした所だったらしく、庄屋とはいえ農家だけあって、土間になっています。
  「庄屋とはいえ農家」で「農家とはいえ庄屋」の建物ですが、「庄屋とはいえ農家」にしては武家の住宅みたいなところもあるような印象を受けます。
  今現在の建物は、
長屋門、厩、納屋、母屋階下の大部分(手前の部分)・・・1773年(安永2年)築。
2階、母屋の後ろの部分・・・1884年(明治17年)増築。
土蔵・・・明治になって建替え。
のようで、屋根はもともとは草葺きだったらしいが、1884年(明治17年)に2階を増築した際に瓦葺きになったらしい。
  ですから、江戸時代までの建物そのものではないらしいのですが、それにしても、「庄屋とはいえ農家」の建物であるけれども、農家といっても武家の家みたいなところもあるように感じられる建物ではないでしょうか。 まず、「玄関」というのは、今では、戸建住宅においては「主たる出入り口」のことを「玄関」なんて言っていますが、江戸時代から明治の初めあたりまでは、「玄関」というのは武家の家のものであって、農家には「玄関」はなかったはずなのです。私も、最初、玄関がなかったらどうやって入るんだ・・なんて、この話を学んだ時に思ったのですが、「玄関」ではなく、農家の場合、建物の内部まで土間があって、その土間から板貼りの部屋や座敷にはいったようで、式台があったりする「玄関」というのは武家の家のもので、農家には「出入口」はあっても「武家のような『玄関』」はなかったのです。

  1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時に建て替えさせていただいたお宅で、「インタホンなんてつけても、誰も押してくれない」と言われ、さらに、「◇◇さんなんて、きっと、玄関からなんて入ってくれないわあ。『廊下』(広縁)からあがろうとするから、『ちょっと、玄関から入ってよ』と言っても、『やんだ、そんなの』て言って、どうしても、『廊下』(広縁)から入ってしまうから」と言われたことがあったのだが、それなども、「農家に玄関はない」という「伝統」というのか、その家は今は農家でなくても、周囲も農家といっても兼業農家が多くなっても、それでも、農家的発想が残っていて、「玄関」なんて所から入るものではなく、広縁に腰かけて、よっこいしょと入るという方が普通・・という感覚があったのではないか。
 (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で、通算契約棟数2位だという浜松の営業所長だった平松さんが「インタホンなんて押さないで、ガラガラツと引戸を開けて三和土(たたき)の中まで入ってから、『こんにちわ』と言う」と言っていたのだが、私は平松さんが説明してくれた《「構造アプローチ」のしかた》というのは、それは、多くがもっともなものだったと思っているのだが、「インタホンなんて押さないで、ガラガラツと引戸を開けて三和土(たたき)の中まで入ってから、『こんにちわ』と言う」なんて言われても、東京圏で「ガラガラッと」開けるような引戸の家というのがどれだけあるか・・というと、たいしてないのです。だいたい、福島県でもそうでしたが、「地方」に行くと、「地方」の家というのは、昼間、玄関の戸は開いていることが多いのです。「ガラガラッ」となんて言って開けなくても、最初から開いていて、最初から引戸は開いている家がけっこう多かったし、特に、昔からの農家の建物に住んでいる人は、もともと、開いているのです。だから、三和土(たたき)の部分までは入って「こんにちわあ」と言うというのも、そう不自然ではなかったのです。それに対して、東京圏や関西圏の専用住宅において、そういうことをやると警察呼ばれる可能性がある・・というより、東京圏・関西圏においては、ついている場合は家の建物の入口についている「地方」とは違ってインタホンは門扉の位置についていて、門扉から玄関扉までの部分に黙って入ることはできないのが普通であり、「ガラガラッとあけて」三和土(たたき)の部分まで入ってなんて言っても、引戸より片開ドアの家の方がずっと多いし、ドアに鍵はかかっているし、どないしてそんなもん、やるねん?!? て感じがしたし〔千葉県船橋市の我が家に来る人間で、黙って門扉を開けて門扉より内部に入りこんで玄関扉をガチャガチャやったことがあるのは、読売新聞の拡張員と品の悪いリフォーム屋と近所の「体だけ元気な年寄」の3者だけです。その3者が来て玄関扉をガチャガチャやっても絶対に開けません。デジカメでその写真を撮影して警察に不法侵入罪で告訴状か被害届を出すかどうか、です。〕、「そんなもん、東京でやろうと思っても無理に決まっとるやろうが」・・と思って、「浜松流はここには合わない」なんて言うと、(株)一条工務店という会社は、「売れない営業のグチ10箇条」などと書いたものを「プラスチックの用紙」というのか、けっこうカネかかっているような台紙に印刷したものを全国の営業所に送りつけてそれを事務所の壁に貼っておけと命令してきたのだが(そんなものを作るカネがあるなら、従業員にもっとまともな給料払えば良さそうなものなのだが)、「見込客の家に行くと、インタホンは押さずに、ガラガラッと引戸を開けて三和土の中に入ってから『こんにちわ』と言う」なんて言われても、それは遠州地域の農村部においては、それが通じても、東京でそれをやれと言われても、もしも、玄関扉に鍵がかかっていない家があったとしても、だからと言って黙って三和土(たたき)まで入ったのでは泥棒と間違えられて警察呼ばれる可能性があるし、普通は鍵かかっているし、「ガラガラッ」と開けるような引戸の家は少ないし・・ということで、「浜松流はここには合わない」から東京では東京流を考えてやるしかない!・・・と言うと、「売れない営業のグチ10箇条」だと「浜松流」から言われる・・・というそういう会社だった。難儀な会社やで、ほんま・・( 一一) ( 一一) ( 一一)  難儀な連中やでえ、「遠州人」というのは、「(株)一条工務店の遠州人」のことやけども・・・。ほんま、難儀やでえ、「遠州人」てのはあ・・。そのうち、「あなたが営業をやる上で気をつけているものは何ですか」なんてアンケートが浜松の本社から来たことがあったのだが、そこに「〔営業をやる上で気をつけていること〕 浜松流はここには合わないと書いて送り返してやろうか・・と思ったことがあったのだが、本当に書いてやればよかったなあ、と後悔している。
  1993年8月、その年の新卒入社で入って浜松営業所に配属され、浜松営業所長の平松さんの隣の席に座っていた「平松所長の直弟子」という小野田くん(男。当時、20代前半。通算契約棟数ゼロ棟)が本人の希望で東京営業所に転勤できて、その「通算契約棟数ゼロ棟の男」が「営業のやり方を教えてやる」と言い〔(株)一条工務店の浜松地方の営業というのは多くの人間が非浜松地域の人間に向かってこういう口のきき方をする)、「平松所長の訪問のしかた」として、「お客さんの家に行ったら、わざと煙草に火をつけて吸いながら入って、『お~くさん、お~くさん、煙草の灰が落ちちゃう、灰が落ちちゃう』と言って、奥さんに、そんな所に煙草の灰を落とされたら困ると思って灰皿を取りにいかせて、その間に、靴を脱いで框から上に上がって茶の間まで入り込んで座ってしまう、というそういうやり方ですね」と、そういう「営業法」を教えてもらったと得意がって言っていたのだったが、その話を母にしたところ、「うわあ~あ。そんな人、来たら、すぐに110番通報するわ、そんな人、来たら」と言うのだった。我が家にそんな人が来たら、どんなにいい物を売っている人でも、まず、買わない。「担当を変えてくれ」と言うか、その会社そのものを「切り」にするか、どちらかである。浜松営業所長の平松さんは「直弟子」に、そんなことをすると、少なくとも東京圏においては、それが原因で断られるというやり方を教えていたのだった。これを指摘すると「売れない営業のグチ10箇条」だと言われることになる。(株)一条工務店というのはそういう会社だった。営業本部長の天野隆夫から「そんなこと言うなら、エスバイエルに行けよお。おまえはあ」と言われる会社だった。なんで、そんな話になる?!? そんなことしたら、110番通報されるか、そうでなくても、それが原因で断られる可能性が大きいやり方を新人に教えている人にこそ、注意するべきではないのか!?! それがわからんような営業本部長なら営業本部長を辞めた方がいいのではないのか!?! 営業本部長の天野隆夫こそ、エスバイエルでもどこでも行った方がいいのではないのか!?!
  実は、1992年、(株)一条工務店に入社する前、同社と提携していた大阪のクリヤマハウスという会社の面接を受けたことがあったのだが、その際、クリヤマハウスの専務が「まだ、本当に始めたばかりの会社で、(株)一条工務店という『浜松の市場しか知らないような会社』に指導を受けてるような会社です」と言われたのだが、クリヤマハウスの専務は浜松の(株)一条工務店〔実質、(株)一条工務店浜松〕が「浜松の市場しか知らない会社」だと理解していた、理解できていたのだった。ところが、(株)一条工務店の社長や営業本部長は自分たちが「浜松の市場しか知らない」という状況を認識できていなかった。「病識がない」状態だった。1993年、名古屋南営業所の所長の近藤路夫が「東京でも大阪でも、敷地面積20坪の家でも延べ床面積30坪の家でも絶対に二間続きの和室は必要なんだ。東京でも大阪でも20坪の土地の家でも30坪の延べ床面積の家でも八寸角の大黒柱はいいに決まってるんだ。こんな常識もわからんのかあ」と絶叫したのだが、そして、この話を東京圏在住の友人知人何人かに話したところ、「その人、頭、おかしいのと違うのお~お?」「その人、酔っ払いか何かなのお~お?」と全員から言われたのだが、近藤路夫が絶叫した発言内容のようなことを思っていたのは近藤路夫だけでなく「一条オリジナル」の従業員にとっての「常識」だったようで、彼らは自分たちが「浜松の市場しかわかっていない」人間だという自覚がなく、「病識がない」状態だったのである。天野隆夫は営業本部長ならば、近藤路夫のような「浜松の市場しかわかっていない」人間、「浜松という井戸の外のことはおよそ理解できない人間で、理解できるようになる見込みはまったくない人間」に、非浜松の人間を対象とした「研修」の講師役をさせるべきではない、ということを理解するべきで、その程度のことも理解できないような営業本部長は営業本部長を辞めて、天野隆夫こそエスバイエルでもどこでも行くべきであったであろう。
  野村克也が『負けを生かす極意』(2017.5.15.SBクリエイティブ(株) SB新書)で
《 そして最後に、梨田には2つばかり注文をつけたいことがある。1つは、若い有望な選手を甘やかすことなく、厳しく鍛えてほしい。今年の春季キャンプ早々に、2年目のオコエ瑠偉(るい)がケガで沖縄を離れたときに、「彼は野球をなめている」と非難した。私も同感だ。
  球団はオコエを将来の屋台骨を背負わせるべく、ドラフト1位で指名したにもかかわらず、さして一軍で実績を残していないうちから、天狗になったような振る舞いをしている。若いうちに甘やかしたら、歳を重ねたときにロクなことにならなくなる。昨年2月、覚せい剤の使用で逮捕された清原和博がその最たる例だ。今のうちから厳しく自らを律するように指導してもらいたい。・・・ 》
と述べている。野村克也は『最強の組織を作る 野村メソッド』(2017.1.27.彩図社)で、
《(清原は)プロに入ってからも堤義明オーナーに寵愛され、監督だった森衹昌にも甘やかされた。私は森に「お前の教育が悪かったんだ」と苦言を呈したこともある。・・》
と書いている。PL学園ではあんなにすごい選手だったのに、プロ入り2年目だったか、ロッテの平沼投手から死球をぶつけられて、バットを投手の方に投げつけて膝蹴り、さらに、「この僕はそんなにものすごい選手か」と叫んだ・・というあたり、私なども大阪出身の人間として清原は応援していたのにがっかりした。やく みつる が、清原が平沼から死球をぶつけられて怒り、「この僕はそんなにものすごいバッターか」と叫んだところ、アンパイアが清原の頭めがけてボールを投げつけて「なんか、俺まで向かっ腹立ってきた」と叫ぶという4コマ漫画を描いていたが、そんな感じ。但し、清原は西武入団1年目・2年目については「高卒新人としては」相当の成績を残していたのだったが、それに対して、小野田くんは通算契約棟数ゼロ棟である者であって入社1年目に成績を残したわけでもないのに、「浜松の市場しか知らない人」から指導を受けたのだということで、「営業のやり方を教えてやる」といった口をきき、自分が努力して苦労して身につけたやり方でもなく、ひとのやっていたものを見た、聞いたというものでしかないものを、得意がって話し、通算契約棟数ゼロ棟の入社1年目の従業員がなぜか通算契約棟数2位の人と同様の扱いをしてもらう権利でもあるかのような態度を取りまくっていたのだが、天野隆夫は営業本部長兼東京営業所長ならば、そういう勘違いした新人にこそ、きっちりと注意するべきであったはずだが、それができない天野隆夫は「清原をあんなにしたのはおまえやぞお」と言われるべき男であった、ということになる。そもそも、「お客さんの家に行ったら、わざと煙草に火をつけて吸いながら入って、『お~くさん、お~くさん、煙草の灰が落ちちゃう、灰が落ちちゃう』と言って、奥さんに、そんな所に煙草の灰を落とされたら困ると思って灰皿を取りにいかせて、その間に、靴を脱いで框から上に上がって茶の間まで入り込んで座ってしまう、というそういうやり方ですね」というものにしても、多くの見込客に対してそういうことをやっていたのか、「そういうことはしない方が普通だが、特に、そういうことをやってもいいような人間関係ができていた人に対して一度やったことがある」ということなのかによっても違う。小野田くんは、「平松所長のやり方」というものを、実際は後者であるのに勘違いしている可能性は十分にある。又、「トップセールスの人が書いた本」というのを読んで役に立つかどうか、ということがよく言われるのだが、読んで悪いことはないが、実際に自分自身が営業の仕事をやってみて、その上で自分なりにその意味を考えて、それで初めて実行できるというものもある。自分が実際にやってみて、それでうまくいったか、実際に自分でやってみたらうまくいかなかったか、そういう経験もない者が、おのれは通算契約棟数ゼロ棟なのに、「平松所長のやり方」だと言って「営業のやり方を教えてやる」などと傲慢な口をきいていたその状態を見て、それを注意できない営業本部長の天野隆夫という男は、「あんた、営業やったことあんのお?」という感じである。 「天野部長て、営業やったことあんのかなあ?」と従業員の間で言われていたが、実際は、20代の若い頃に、浜松地方で初代社長の義理の弟としての「特別扱いの営業」をちょろっとやっただけの営業経験がある人だったようだが、「浜松でだけ営業やったことがある」「特別扱いの営業の経験がある」というのは、考えようによってはまったく経験がないよりも害があるかもしれないくらいであるが、「営業のやり方を教えてやる」とか叫んでいる通算契約棟数ゼロ棟の男に注意することもできないような営業本部長では営業本部長としての価値はない、営業本部長であっても《「営業やったことあんのかなあ?」と言われるような営業本部長》だった、ということである。
  平松さんは、「通算契約棟数2位の人」の営業所長であったのならば、「お~くさん、お~くさん、煙草の灰が落ちちゃう、落ちちゃう」なんて、新人にそんなアホなことを教えるのではなく、「通算契約棟数2位の人間と、『通算契約棟数2位の人間の隣の席に座っていた人間』は別だぞ」ということこそ、教えるべきではなかったのか、と思う。それを教えることができないようでは、「通算契約棟数2位の人」であっても「天野部長の竹馬の友」でも、「清原をあんなにしたのはおまえだぞ」と言われる類の営業所長だった、ということになる。
  小野田くんは「俺は新卒入社だから、何の努力もしなくても出世できるんだあ~あ♪」などとも叫んでいた。(株)一条工務店の浜松での「研修」でそう教えられたらしい・・・が、(株)一条工務店の新卒社員向け研修というのは「アホちゃうか」という内容のものだったようだ・・・。小野田くんは浜松の生まれではなかったはずだが、そのわりに「空の広さは浜松の広さと同じだ」という世界観を植え付けられていたが、それも浜松での「研修」で「教育」されたようだった。教育される必要がある人間が教育すると、そうなるようだ・・。

  加茂家住宅の場合、家族や小作人の出入口と別に、「来客用の玄関」があって、「来客」として絵師とかが宿泊したことがあるらしい。「庄屋とはいえ農家」であっても、「農家とはいえ庄屋」で、「玄関」があったということは、武家にいくらか近い扱いを受けていた庄屋だった、ということだろうか。

  右側の家族と小作人の出入口の方から屋内に入ると、土間があって、土間の左手に板貼りの部分と畳敷の部分がある。↓
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小屋組みの架構が見える。
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↑ 大黒柱はらしい。 それに対して、
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↑  梁桁材は、の丸太梁を使用。 上に凸に曲がったものを使用することで、屋根の荷重が上から下にかかった際に強いということを目的に松の曲がったものを使用しているようだ。
  2005年、チムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ の建設部にいた時、チムニー(株)が居酒屋として内装工事を完成した店舗を見に行くと、なんと、継手・仕口の跡が刻まれた松丸太の梁の古材を縦にして柱みたいにつけていたので、「これは変だ」と思い、チムニー(株)の「デザイナー」に「普通、ああいうものを縦にしてつけませんよね」と言ったのだ。私は、そう言うと、「そうですよね」という答えが返ってくるものだと思い込んでいたのだったが、ところが、「デザイナーの先生」「1000万円越プレーヤー」は、「いやあ、曲がっているのがそれがいいんですよお」などと言ったので、こいつ、絶対、アホや! と思った、ということがあった。 柱と梁とでは事情は違うのです。梁の場合は、上からの荷重を受けるので、上に凸に曲がったものを使用すれば、まっすぐなものを使用するよりも、元に戻ろうとする力が働くので強い、曲がったものを角材に加工したものを使用するよりも曲がったものを曲がったままで使用した方が、繊維がとぎれていないから強い、ということはあるとしても、柱は上からの鉛直荷重を受けるもので、柱はまっすぐに立っていてこそ柱として役立つのであり、柱に「曲がっているのがいいんですよ」などとアホなことを言って曲がったものを使用していたのでは、上から下への荷重を受けて折れてしまうことになります。「1000万円プレーヤー」だという「デザイナーの先生」というのは、「バカ、言ってんじゃないわ♪」て感じです。チムニー(株)の工事は、居酒屋として「民家風」の内装を鉄骨造か鉄筋コンクリート造の建物の内部に作っているというもので、木造風であっても木構造として建物を支えているものではないのですが、木造としてありえないようなものを作って、「この曲がっているのがいいんですよお」などとアホなこと言っているようでは、建築についてある程度以上わかっている人が来店した時や、自分自身が今も「古民家」に住んでいる人、「地方」出身で実家は「古民家」の建物である人などが来店した時、「なんだべ、これはあ?」と思われ、店と会社の評価を下げることになるでしょう。そのくらい、わからんのか、と思ったのですが、チムニー(株)の「デザイナー」や社長の和泉さんはわからんようでした。

  それにしても・・「(株)チムニーの『1000万円越プレーヤーのデザイナーの先生』て面白いこと言うねえ」
⇒《YouTube-バッカじゃなかろかルンバ! 》https://www.youtube.com/watch?v=Cz7M4FQinUM

  柱にしても梁にしても、こげ茶色をしていますが、これは、竈のススだけでついた色ではないと思うのです。何で着色されたものでしょうか。

  土間をつきぬけた先に庭があり、池があって、鯉や鴨が泳いでいます。↓
DSC08602.JPG
DSC08579.JPG
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↑ 中ほどの島は亀の形をしており、手前の石が亀の頭らしい。 この亀の頭が東の方角を向いているように作られているそうです。

  池の島の木の上の方に白い花が咲いていると教えてもらったのですが、残念ながら、咲いているのは上の方だけらしく、土間のあたりからは花は見えない。
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↑ 花菖蒲園の側から見たものですが、土蔵の左のあたり、上の方に白と黄色の間くらいの色の花が咲いているのが見えますが、これのことでしょうか・・・。


( ↑ 加茂花鳥園・加茂家住宅。)

  ・・・次回、加茂邸内部。 座敷・床の間・神棚などについて・・

  (2020.6.17.)

☆ 加茂荘花鳥園・加茂邸(掛川市)見学
1.「森掛川」I.C.より加茂荘花鳥園。温室と鳥舎。https://shinkahousinght.at.webry.info/202006/article_2.html
2.花菖蒲園と長屋門。https://shinkahousinght.at.webry.info/202006/article_3.html
3.加茂家住宅(1) 正玄関、土間、大黒柱・梁、庭の池と亀島と花。〔今回〕
4.加茂家住宅(2) 座敷、広縁・濡縁、廊下交差箇所の納まり。「差鴨居」「本鴨居」「胴梁」https://shinkahousinght.at.webry.info/202007/article_1.html?1594081790
5.加茂家住宅(3) 床の間 2か所。一般の柱と同材同寸法の床柱と長押の関係。床の手前の横の位置の付書院。きれいな襖絵。https://shinkahousinght.at.webry.info/202007/article_2.html
6.加茂家住宅(4) 加茂家住宅の神棚は「竈の神さま」なのか。「浜松流神棚」を他地域に押しつける一条の営業 https://shinkahousinght.at.webry.info/202007/article_3.html
7.加茂家住宅(5) 窓の格子。「理由のある」桟の作りと「理由のない」作り。味噌蔵・米蔵。https://shinkahousinght.at.webry.info/202007/article_4.html 

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