「社長が歌う演歌集」を会社のカネで出す会社・「バカでも入れる私大の建築学科」卒を清原化させたい症候群の経営者の会社・子供の頃から音楽の勉強させて「歌え、チャンコロ、黒田節!」は残酷と私は思うが・・・。

[第487回]
  「毛沢東は3歳から孔子を憎んだ」そうだが(本で読んだ話だが、どの本だったかその箇所が見つからない。もしかすると「3歳から」ではなく「5歳から」だったかもしれない)、私は「6歳から慶應が嫌いだった」。私が小学校の低学年の頃から、父は「そんなもん、結婚相手なんて、一流大学に行って一流企業に勤めとったら、な~んもせんでも、『もろてくれえ』『もろてくれえ』と言うてきよるわ」と、しばしば、言っていたので、それを聞いて、何が何でもそんな女とだけは結婚させられたくないと思ったし、何が何でも「一流大学」という所には行きたくないと思ったし、何が何でも「一流企業」というものには勤めたくないと思ったものだった。小学校の1年から私はそう心に思ったのだった。学校の成績はまあよくできたし、学校の勉強は嫌いではなかったが、父のそういう発言を聞いて、「一流大学」というものにだけは行きたくない、「一流企業」というものにだけは勤めたくないと思ったものだった。
毛沢東 (文庫クセジュ) - フランソワ・マルモール, 杉辺利英
毛沢東 (文庫クセジュ) - フランソワ・マルモール, 杉辺利英
  「一流企業」というのはどこなのか・・というと、父は「東京海上火災、東京海上火災・・」と毎日、言っていた。「飛雄馬、あの夜空に輝く星座が東京海上火災だ。あの星座の中でもひときわでかく輝く星になれ! おまえは東京海上火災の星になるんだ! 東京海上火災養成ギプスだ。月夜の千本ノックだあ!」とか・・そんな感じ。〔⇒《YouTube-【公式】巨人の星 第1話「めざせ栄光の星」"THE STAR OF THE GIANTS" EP01(1968)》https://www.youtube.com/watch?v=btfA9kankQ4 〕 「すべてをすべてをわしのために、すべてをすべてをわしのために」・・というのは私が高校を卒業するかどうか位の頃から言い出したが、うちの父親はそういう男だった。私は小学校低学年の時から、東京海上火災にだけは勤めたくないと思い続けてきた。そのあたりが「慶應タイプ」とは正反対だった。〔2004年に、東京海上火災は日動火災海上保険と合併して、東京海上日動火災保険 になったようだ。《ウィキペディアー東京海上日動火災保険》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E6%97%A5%E5%8B%95%E7%81%AB%E7%81%BD%E4%BF%9D%E9%99%BA 〕 星飛雄馬は小学生の時から「俺は、とうちゃんをこんな人間にした野球が憎い」とつぶやいていたが、私は小学校の低学年の時から「うちのおっさんをこんな人間にした会社というものが憎い」と思っていた。だから、大学でこういう勉強をしたい、こういうことをやりたいということはあったが、それと別に、就きたくない方の仕事・職場として、ともかく、「会社」という所には勤めたくない、「会社」と「会社」でない所では「会社」でない所の方がいいと思い続けてきた。たとえば、高校や中学校の教諭の資格を取得して「中学校」「高校」といった「学校」という所に勤めるか、大学に残って研究者になって「大学」という所に勤めるか、司法試験に合格して裁判官になって「裁判所」という所に勤めるか、弁護士になって「法律事務所」という所に勤めるか、公認会計士試験に通って公認会計士になって「会計事務所」という所に勤めるか、国家公務員試験・地方公務員試験を受けて、国家公務員か地方公務員になって「官庁」「役所」という所に勤めるか、もしくは、医師になって「病院」という所に勤めるか、ともかく、「会社」という所でない方がいいと小学校の低学年の時から思い続けてきた。母は「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けて、やりたい勉強をして就きたい仕事につけるようにと思って、それで、無理にでも勉強させようとするものなんや」と私が小学生や中学生の頃、言い続けていて、私は愚かにもその話を本気にしてしまった。ところが、それは嘘だった。実際に大学に行く時になると話は正反対になった。うちの父親は「すべて応、すべて王、わしのために。すべて翁、すべて欧、わしのために。わしのために」と言い、「朕思うに、我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝にわしに孝にわしに孝に、わしにわしにわしにい~い♪」と言い、そして、言うのだった。「会社という所に勤めるのを嫌がる人間は、モラトリアム人間病という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~い♪という先生がそうおっしゃってる。とってちってたあ~あ♪」と言うのだった。・・しかし、それなら、誰よりも小此木啓吾こそ、モラトリアム人間病ではないのか!?! 小此木啓吾こそ、「会社という所に勤めるのを嫌がるモラトリアム人間病」であろう。小此木啓吾こそ、「会社という所に勤めるのを嫌がるモラトリアム人間病という病気にかかっているから、だから、会社という所に勤めずに、慶應大学医学部助教授などというものになって、『大学』と『病院』に勤めているモラトリアム人間病の重症患者」であろうが! 小此木啓吾こそ、「治療」を受ける必要があるはずだ。小此木啓吾こそ、「入院療法」(=拉致・逮捕監禁)・「薬物療法」(=薬漬け・毒盛り)・「作業療法」(=強制労働・労働搾取・無賃労働)・「カウンセリング」「心理療法}(=詭弁・言いくるめ・精神支配〔マインドコントロール〕)、それに、「電気ショック療法」とか「ロボトミー」「精神外科療法」とかにより、「治療」してやる必要があるはずである。 私が大学に行く時になって、うちの父親は親友の医者屋のM川とその同僚のK田から言われて、「義務教育は小学校と中学校であって、高校は義務教育ではないんやから、おまえは高校には行くべきではないんじゃ。おまえは高校に行くべきではないのにからに、それをおまえが北野高校に行ったというのは、それはおまえが甘ったれとるからなんじゃ。高校行くな、チャンコロ! おまえは高校には行くべきではないんじゃ、チャンコロ、浪商! おまえは北野高校に行ったと思っておるかもしれんけれども、たとえ、北野高校に行ってもおまえは浪商なんじゃ、この浪商めが浪商!!! 浪商は高校行くな、浪商のくせして北野高校に行くなちゅうとんじゃ、この浪商!!! 高校に行くな、この浪商チャンコロ浪商チャンコロ、ちゃん高楼!!!」と毎日言い続けたのだったが、小学校・中学校は義務教育とは言っても、それは公立の小学校・中学校のことであり、小此木啓吾が行った慶應幼稚舎とか慶應中等部とかいうのは、それは義務教育ではないはずである。 小此木啓吾は小学校行くな、小此木啓吾、甘ったれるな、小此木啓吾! のぼせあがるな、小此木啓吾! ウルトラつけあがるな、小此木啓吾!  慶應内部進学は小学校行くな! 小此木啓吾! ・・と言うべきもののはずである。アルマーニの制服でも着て小学校に行ったのか、小此木啓吾!!! 「これがアルマーニか!」小此木啓吾!!! 小此木啓吾が小学校に行ったというのは、それはウルトラ甘ったれとるから小学校に行ったのであって、小此木啓吾は小学校に行くべきではなかったはずであり、それを小此木啓吾が理解できていなかったというのは「病識がない」という状態であり、「入院療法」で拉致・逮捕監禁した上で、「薬物療法」で毒盛りし、「電気ショック療法」とか「ロボトミー」「精神外科療法」とかやってやるべきであったはずである。慶應大学医学部や慶応病院には小此木啓吾の同類が今もいるのではないか・・。「電気ショック療法」とか「ロボトミー」とかやってやった方が本人のためという人間が今も「医師」として勤務して高給盗っているであろう。
狂気の思想―人間性を剥奪する精神医学 (1975年) - トーマス S.サズ, 広田 伊蘇夫
狂気の思想―人間性を剥奪する精神医学 (1975年) - トーマス S.サズ, 広田 伊蘇夫
( ↑ トマス=サズ『「精神医学」という狂気の思想』新泉社 )

  東京海上火災は私が小学生の頃から言っていたように記憶しているが、固有名詞としては、東京海上火災ともうひとつ、「阪急、ええぞ、阪急」と、阪急電鉄、今は阪急阪神ホールディングスになったと思うが、経営者は阪急阪神ホールディングスでも、入社する時は阪急電鉄とか阪神電鉄とかになるのか。それを聞いて、阪急も首をもがれても勤めたくないと思った。
  小学校の頃、「世界の偉人伝 誰それ」といった本を何冊か読んだというのか読まされたのだが、「偉人伝」ではどういう人が「偉人」とされていたかというと、エジソン・パスツール・キュリー夫人・ベートーベン・トルストイ・リビングストン・ナポレオン・福沢諭吉・新井白石・菅原道真、それから、キリストなんてのもあった。さすがに、キリストにはなれないだろうけれども、パスツールとかキュリー夫人とかいった自然科学者、エジソンのような発明家(もっとも、「エジソンの発明」というのは実はイカサマで、有益な発明をする人があるとエジソンの手下がかけつけて、「エジソンの発明」にさせてくれと言って、ひとの発明をカネで買っていたとかいう話もあるらしいが。「偉人」というのは私らとは違ってやることが「異人」だこと、おほほ・・)・・・とか、トルストイのような文学者とかベートーベンのような音楽家とか、そういう人が「偉人」なのかと思ったものだった。
※ 広瀬隆『東京が壊滅する日 フクシマと日本の運命』(2015.7.16.ダイヤモンド社)によると、「良い子の偉人伝・エジソン」という人は、実は・・・、
《 そうした19世紀末のことだったが、1895年12月28日に、ドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンが、実験装置から目に見えない光が放射されていることに気づいた。そして、それが多くの物体を透過する能力を持った光(放射線)であることを発見し、”未知なるものX”の意をこめて「X線」と名づけた。そしてX線を使って、人体の骨を撮影できることを明らかにしたのが、翌年の1896年1月23日であった。
  この驚くべき発見を伝え聞いたのが、アメリカのトマス・エジソンであった。彼は、蓄音機を発明し、白熱電球(電灯)を発明し、発電機も製造し、1882年にはニューヨーク中央発電所の大規模発電に成功して、1913年にはトーキー映画の映写機を発明して、発明王と呼ばれていた。しかし「天才は1%のインスピレーションに頼り、99%の発汗に泣く」と自ら語っていた”発明王エジソン”は、偉人伝に書かれているこの言葉とは、かなり性格が違う人物であった。
  その本性を知る人のあいだでは、東部ニュージャージー州にある彼の本拠地の名を借りて”メンロー・パークの魔法使い”と呼ばれていた男で、発明品は「金の卵を産むガチョウ」であると心得ていた。他人が何かを発明すると、直ちにエジソンのお使いが飛んでゆき、「エジソンの名前をつければ売れる。世界はエジソンの発明を待っているのだ」、このひと言で名誉を奪い去り、特許を取り、「エジソンの新発明」を売り出していた
  実際には、”ロール・フィルム”を開発して映画を成功に導いたのはジョージ・イーストマンであり、映画に必要な連続写真の高速撮影機を可能にしたカメラ”写真銃”の発明者はフランス人のエティエンヌ・ジュール・マレーだった。暗箱をのぞくと秘めやかなシーンが見られるエジソンの映写機”キネトスコープ”は、エジソンの助手ローリー・ディクソンの発明品で、これをスクリーンに映写したのはフランス人のリュミエール兄弟だった。エジソン名義のもうひとつの映写機”ヴァイタスコープ”は、トマス・アーマットとC・フランシス・ジェンヌの発明を盗んだものであった。1902年、1906年と立て続けに特許権の裁判を起こしたエジソンだったが、その度に発明王の化けの皮が剥がされてゆき、敗北に次ぐ敗北を記録した。
  それでも彼には、全米最大の「金融と鉄道の財閥」であるジョン・ビアモント・モルガンという人物が、この発明王エジソンの製品を事業化する後盾としてついていた。・・・
  やがて、電信から電話、発電所まで支配したモルガン商会が、白熱電球を発明した発明王のために「エジソン電灯」という会社を設立してやり、その後、この会社を基盤にして1890年には”エジソン電気何でも会社”(エジソン・ゼネラル・エレクトリック社)が設立された。さらに2年後には、これを別の競争会社と合併させて、1892年に「ゼネラル・エレクトリック(GE)」が設立されたのである。のちに、全世界に”原子力の帝国”を築き、同時に核兵器を握る”原水爆の総本山”となる巨大企業であった。・・・》
・・というそういう人だったらしい。考えてみれば、「世界の偉人伝」に出ていた人でも、トルストイなんてのは、大文豪ということになっていたが、今、読んでみると、この男、よくもまあ、これだけ、クズみたいな本ばかり書いたものだと思うし、リビングストンは実はイギリス帝国主義によるアフリカ侵略の手先だったとか言われるらしいし、ベートーベンが日本で他の作曲家よりも特別扱いされてきたのは、歌詞がない交響曲が多く、かつ、ベートーベンの交響曲というのはモーツァルトの交響曲などと違って、行進曲調・軍歌調のものが多いことから戦中に歓迎されたのではないかと思われるし、「世界の偉人伝」にでている「偉人」が必ず偉人かどうかは疑わしい。福沢諭吉にしても、その時代においては進歩的な人であったとしても、『脱亜論』の作者でもあり、羽仁五郎は『白石・諭吉』(岩波書店)で、福沢諭吉は、やはり、武士階級の出身であり、必ずしも万民平等の思想家ではなかったのではないかと述べているようであるし、「良い子の偉人伝」はマユにいくらかツバをつけて読んだ方が良さそうであった・・・。
東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命 - 広瀬 隆
東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命 - 広瀬 隆
  ・・『フランダースの犬』では、貧乏な子供が、絵を描いて絵描きとして評価されたいという話だったので、画家というのも「偉人」なのかと思った。ベーブ=ルースなんてのも「世界の偉人伝」には入っていたが、それほど、体育のできる方ではなかったので、野球選手というのは考えなかった。落ち着いて考えると、トルストイなんてのは、「文学者」ではあっても、今、トルストイの作品を読むと、この男、よくもまあ、これだけ、クズみたいな本ばっかり書き連ねたものだとあきれるし、日本では、ベートーベンが他の作曲家と違って別格の扱いのようになっていたのは、それは、戦前戦中、音楽でも、バッハ・ヘンデルとかだと宗教音楽が多く、その「宗教」はキリスト教であるし、シューベルトなどの歌曲には歌詞がある。オペラにはモーツァルトの『フィガロの結婚』なんてのは、部下の婚約者に手をつけたろという上役に対しての「抗議抵抗の文学」と見ることもできるし〔⇒《YouTube-*♪モーツァルト:歌劇≪フィガロの結婚≫ K.492-序曲 / カール・ベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団 1977》https://www.youtube.com/watch?v=bQ1jLQ9XiZI 〕、プッチーニの『トスカ』なんてのは、もともとは、進歩派・改革派と見られていたナポレオンと手を組んでローマを「解放」しようとしていた者の1人のアンジェロッティの友人であったマリオ=カバラドッシを、オーストリアと手を組む守旧派のナポリ王国の女王からローマに派遣されてきていたスカルピアが弾圧するという話だったわけだし、ベルディの『ナブッコ』の「ナブッコ」は「ネブカドネザル」で、バビロン捕囚を扱った話であり、バビロンに連れ去られたエルサレムの民が「行け、黄金の翼に乗って」と歌う合唱〔⇒《YouTube-ヴェルディ ナブッコより 「行けわが想いよ、黄金の翼にのって」》https://www.youtube.com/watch?v=aYgyz5ptzDw 〕・・・なんてのは、専制的抑圧的支配者としては歌わせたくない音楽だったのではないか。その点、ベートーベンというのは、歌曲は少なく、交響曲は第6番「田園」以外は、第5番「運命」とか第3番「英雄」とか、行進曲調のものが多い。第9番「合唱つき」には歌詞があるといっても、「晴れたる青空、漂う雲よ。小鳥は歌える、林に森に」なんて、こんな文句にベートーベンは「感動した」とかいうのだが、人畜無害でほとんど意味のない文句であろう。ベートーベン自身はそういうものを作ろうと考えてやったわけではないと思うけれども、ベートーベンが日本で他の作曲家より別格扱いして高く評価されてきたのは、そのあたりに理由があると思う。ナポレオンが「偉人」でヒトラーは「最悪の人間」という評価というのは、この2人はどう違うのか? どっちも外国に攻めて行って、最後はモスクワあたりまで行って撤退して負けた、という点で共通するのと違うのか? とか思ったりもしたのだが、外国に攻めていって最後は負けたという点は共通しているが、それまでの経緯に違いがあるようだが、そもそも、生身の人間であるからには、「偉人」の中に入れられていても、なんでもかんでも、常に正しい判断をしていない場合はあって不思議ではない。
  ともかく、そういう人を「偉人」だと言われて育ったし、夏目漱石『三四郎』など読むと、東大に入学した三四郎(小宮豊隆がモデルと言われる)は文学部の生徒で、東大では野々宮さんという自然科学を扱っている寺田寅彦がモデルとされる人が登場する。井上靖『夏草冬濤』『あすなろ物語』とかは井上靖自身がモデルの話が出ているが、井上靖は京大の文学部卒である。そういう人の話を読んで育ったので、文学部で文学・哲学を学んだり、理学部に行って、純粋学問的な研究をおこなう学者になるのならなりたいものだと思った。又、我が家は、母方の親戚は学校の先生が多い家系であり、あのおっさんが学校の先生になっているのなら、私だって学校の先生になっても悪くないはずだとも思ったのだ。母方のイトコは、私より10歳前後上の年代に女性が5人、私くらいの年代に男が5人と女が1人、その中間の年代に女が1人いたのだが、私と同年代の人間の中では私が学校の成績は一番よくできたので、親戚のおじさん・おばさんと会うと、「うちの親戚は学校の先生はいっぱいいるから学校の先生はもういいわ。あんた、医者か弁護士になるといいわ」とそれほど真剣でない調子で言われたことがあったので、そうかいなあと思ったこともあった。又、私の名前は日本のある哲学者と同じ名前がつけられていたので、そういう哲学者になれば、うちの親は喜んでくれるのではないか・・と思っていた。「戦前は、学校の先生になるには師範学校といって、学費がかからない学校に行ってなったので、勉強はよくできたけれども家が金持ちではない人が学校の先生になることが多かった」と母から聞いたしするので、学校の先生というのは、金持ちでなくてもなれる仕事なんだなと思った。小学校の高学年の時の担任の先生は、大阪府立池田高校卒⇒大阪教育大卒で、中学校の1年の担任の先生も大阪府立池田高校卒⇒大阪教育大卒 だったので、北野高校から京大なり東大なりに行けば、高校か中学校の先生になれるのではないか、なって悪いことはないのではないかと思った。
  親戚で学校の先生になっている人が何人もあるのだから、私が学校の先生になっても悪いはずはないと思ったし、親戚のおじさん・おばさんが、「あんた、医者か弁護士になったらどう」とか私に言うのを横で聞いていても、それを悪いとは父も母も言わなかったので、それも悪いとは思っていないようだと思い込んでいた。小学生の時、ピアノを習いに行かされて、その際、母から「先生の息子になんて負けてはいけません」と言われた。もうひとつ、「女の子になんか負けてはいけません」とも言われたのだが、「女の子になんか」というのは、「女の子」というのは「習い事」としてやっているのであって、ピアノを学んで音楽の道を究めたいと思ってやっている人ではないのだから、そんな人に負けてはいけません、という意味だと理解していた。元阪神の桧山選手が、高校野球で京都の平安高校にいた時、京都府の予選の1回戦で進学校の洛星高校に負けた、ということがあり、「恥知らず」と言われた、とどこかで語っていたが、それは、平安高校とかスポーツ専業高校の野球部の人間というのは、プロの野球選手になりたいという人間がやっているのに対して、洛星高校のような進学校の野球部の人間というのは、文武両道とか、体力づくり・健康増進・気分転換・リフレッシュとかそういうもので野球をやっているのであって、いわば、プロ候補生が趣味で野球やっている者に負けてどないするねん・・てことだったのではないかと思うのだが、相撲なら初日に負けても残りの14日間勝って優勝することもあるし、東京六大学野球なら法政や明治が東大に負けることだって百回に一回くらいあるのだが、高校野球というのはトーナメント方式なものだから、野球学校が進学校の野球部に初戦負けるなんてことがあると、「恥を知れ」とか言われることになるのだろう。まあ、「人生、まことにつらいですなあ」てものか・・・。「女の子になんか、負けてはいけません」という文句は、「ピアノが趣味ですう」と言えば嫁入り道具としていいだろうとか、その程度のことでやっている「女の子になんか負けてはいけません」という意味だったと解釈していた。「先生の息子になんか負けてはいけません」とも言われたのだが、「先生の息子」は「ピアノの先生の息子」だけあって、なんらかの音楽の道で食っていこうとしている人だったから、そういう人に「負けてはいけません」と親が言ったのだから、だから、私は世界的音楽家を目指して精進したならば、親は喜んでくれるものだろう・・と思ってしまった。父は言っていたのだ。「なんとかは(誰だったか忘れたが世界的ピアニストだ)が言うには、ピアノの練習を1日さぼると自分がわかる、2日さぼると先生がわかる、3日さぼるとみんながわかる、とこう言うておった」と、どこかで仕入れた話を私にしていた。そういえば、私は小学校の1~2年にかけて、ヤマハのオルガン教室に通い、毎日、我が家にあった足踏み式のオルガンで練習し、練習後はそのオルガンを布で拭いてきれいにしていたのだったが、私が小学校1年のある日、突然、「オルガンをもらいにきた」という人がクルマでやってきて、私が「なんで、オルガン、持っていくのお?」「ぼく、そのオルガンで、毎日、練習してるんやでえ」と言っても有無を言わさず持ち去った、という人がいたのだが、どうも、父が「オルガンみたいなもん、いら~ん!」と言い、どうやら、たまたま入った喫茶店か何かにたまたま近くにいた人か何かで、オルガンを欲しいという人があったようで、それで、「オルガン、あげまっさあ」と言って「ええかっこ」してあげることにしたようだった。父は時々そういうことをする人だった。もらった人は、私が、毎日、練習して、練習後は布で拭きあげてきれいにしていたオルガンを持ち帰って、その人の息子か娘にやって練習させようとしたのではないかと思うが、おそらく、その息子か娘はオルガンをもらってもちっとも練習しよらんかったあ・・・のではないかと思う。『シベリア物語』に登場するピアノの師匠が言う言葉に、「ルビンシュタインはピアノがない場所では板の上で指を動かして練習した」そうで、父も私にはルビンシュタインのように、板の上で指を動かしてオルガン教室の課題を練習させようとしたのだった・・のかもしれない・・・が、いや、たぶん、そうではなく、あのおっさんのことやから、そこまで考えとれへんかった・・のではないかと思う。・・ともかく、私の親は、ルビンシュタインのレベルの努力をして、「女の子になんか負けてはいけません」「先生の息子になんか負けてはいけません」と言ってピアノの練習をさせたのだから、私が音楽家になりたいと言っても嫌がらないであろうと考えたのだった。なにしろ、「先生の息子になんか負けてはいけません」のだから。しかし、「先生の息子」は世界的音楽家にはならなかったが、中学校か高校の音楽の先生だかになったようだが、私には「うちは芸大だの音大だのになんて行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と父は言うようになったのだった。それなら、なんで、「先生の息子になんか負けてはいけません」なのか、さっぱりわからんのだが、我が家はそういう家だった。小学校の中学年の頃、習いに行っていたピアノの先生というのは、ごく初歩的な練習曲集を終えると、次はまたもや同様の初歩的な練習曲集をさせようとしたので、小学生だった私は、ええ~え? せっかく、この本をマスターしたのに、なんでまた、そんなものをやらないといけないのお? と思ったし、思うとそれが顔に出たようだった。テニスでも壁打ちばっかりやっていたのでは嫌になる。野球でも、野村のじいさんは素振りが大事と書いとるけれども、だからといって、素振りばっかりやるのがいいとは書いてはおらん。素振りをある程度以上やったら、実際の球を打ってみたいし、次は試合もやってみたいはずだ。相撲取りは四股を踏むのが大事といっても、四股ばっかりえんえんと踏まされたのでは嫌になる。ところが、そのピアノの先生は初歩の初歩みたいな練習曲集ばっかり何冊も別の本でやらそうとするのだった。不満そうな顔を子供がしたと思ったのか、「こういう基礎的なことをきっちりとやっておくのが大事だから」と言い訳みたいなことを言ったのだったが、今から思うと、あの先生はその程度のことしか教える能力のない人だったのだと思う。高校の音楽の教育実習に来た人なんかは、突然、楽譜を目の前に出されても、何でもすぐにひいてみせたりしていた。私は、けっこう努力したのになぜそうなれなかったか・・というと、小学校の6年の時にやめさせられたからということが第一だが、それもあるが、ついた先生の違いというものがあると思う。毎日、毎回、テニスで言うところの壁打ち、野球の素振りかキャッチボールばっかりやらされたのでは、いいかげん、嫌になった。姉2人は、どの程度の人か知らないが、ともかくも「プロのピアニスト」という先生についてピアノを習っていたというのだが、「なんで、私にその先生に習わせてくれなかったの?」と母に言うと、「あんたは男やから、どうせ、中学校に行く時にやめさせるのやから、だから、ええかげんな先生でいいと思ったんや」と言うのだが、私には、その「やめさせるためにさせる」という考え方が理解できない。たとえ、小学生の時からピアノの練習をやったとしても、誰もが「世界的ピアニスト」になれるものではないし、そこまでいかなくても、「プロのピアニスト」になれる人は少数派であろうし、別の道に進む人もいるだろうけれども、そうであっても、「やめさせる予定でさせる」というその考え方が私には理解できない。そんなことなら、させなければいいのと違うのか。「ID野球 弱者の戦術」としての「戦力の集中」という考え方からすれば、「うちは芸大だの音大だのに行かすような金持ちとは違います」ということなら、「先生の息子になんか負けてはいけません」というレベルでまでピアノの練習なんてやる必要ないのと違うのか、と思うのだが、そこは、親としてよその親からほめられたいという欲求があったのではないか。そんなチンケな欲求のために、息子はピアノの練習をせっせとさせられたようだった。
  音楽家とか画家・彫刻家とかになるとかいう話ならともかく、そうでない仕事ならば、母は私が小学生や中学生の時、「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたい大学の行きたい学部に行って、やりたい勉強をして、つきたい仕事につけるようにと思うものやから、だから、無理矢理にでも勉強させようとするものなんや」と私に何度も何度も言ったものだった。私は、そんなヨタ話を本気にしてしまった。なんとも、愚かだったと思う。 中学生の時、「近視が進まないように、睡眠時間をきっちりととって」と言うと、母は「受験がすべてや。眼みたいなもん、つぶれてもかまわ~ん!」と、そう言ったのだった。そして、結果はどうなったかというと、眼だけつぶされた。眼だけ奪われた。母は「この子は、五体満足でどこも悪くない子供に産んでやってやったったんや」と何度も言うのだったが、産まれた時はそうだったかもしれないが、その後、あっちこっちつぶされた。特に、「眼、みたいなもん、つぶれてもかまわん」と言われて、眼だけつぶされた。
  私が20歳を過ぎた頃、うちの父親は言い出した。「おまえ、歌、うまい。おまえ、宴席で黒田節、うたえ」と。・・はあ( 一一) 
 「チャンコロ、黒田節、うたえ、黒田節!」
 「うたえ、チャンコロ、黒田節!!!」・・・と。
 私は、小学生の時から、オルガンの練習をさせられてピアノの練習をさせられて、「先生の息子になんて負けたらいけません」と言われて、ピアノの先生の息子に負けないように練習させれれて、腹筋運動やって発声練習やってコールユーブンゲンやって・・・そして、「歌え、チャンコロ。黒田節!!!」・・・と。「わしはあんたのために言うたってんねん。感謝しろ、チャンコロ!」と。私は黒田節を歌わされるために、オルガンの練習やってピアノの練習やって腹筋運動やってコールユーブンゲンやってきたのか・・・。そうか、そういう人生に「天の神さま」というやつは私を産んだのか・・・。
「 われらバビロンの河のほとりにすわり シオンをおもひでて涙をながしぬ。
 われらそのあたりの柳にわが琴をかけたらい。 そはわれらを虜(とりこ)にせしもの われらに歌をもとめたり。
 我儕(われら)をくるしむる者 われらにおのれを歓ばせんとて シオンのうた一つうたへといへり。
 われら外邦(とつくに)にありていかでエホバの歌をうたはんや。
 エルサレムよ もし我なんぢをわすれなば わが右の手にその巧(たくみ)をわすれしめたまへ。
 もしわれ汝を思ひいでず もしわれエルサレムをわがすべての歓喜(よろこび)の極(きわみ)となさずばわが舌をわが腭(あぎ)につかしめたまへ。
 エホバよねがはくはエルサレムの日に エドムの子輩(こら)がこれを掃除(はらひのぞ)け その基(もとい)までもはらひのぞけといへるを 聖意(みこころ)にとめたまへ。
 ほろぼさるべきバビロンの女(むすめ)よ なんぢがわれらに作(なし)しごとく汝(なんぢ)にむくゆる人はさいはひなるべし。
 なんぢの嬰児(みどりご)をとりて岩のうへになげうつものは福(さいは)ひなるべし。 」
( 『旧約聖書』「詩編」第137章1―9節 日本聖書協会文語訳。)
※ 《YouTube-ヴェルディ ナブッコより 「行けわが想いよ、黄金の翼にのって」》https://www.youtube.com/watch?v=aYgyz5ptzDw 
文語訳 旧約聖書 III 諸書 (岩波文庫)
文語訳 旧約聖書 III 諸書 (岩波文庫)

  小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) の2代目の社長の中島昭午(会社をつぶしたアホの2代目)は、1989年に初代社長でその時点では相談役だった小堀林衛が他界した後、会社名をエスバイエル(株)に変更して会社名から「小堀」を取り除き、「これまで、宣伝下手やった会社だけれども、これからは逆に広告のうまい会社にしていく」と称し、そうして何をしたかというと、
1. 中島昭午自身が経済関係の雑誌などあっちやらこっちやらに登場して、「最低価格帯のカテゴリーキラーをめざす」などと言いまくり・・、そういうことをすると会社はつぶれるのと違うか・・・と思うと、案の定、つぶれた・・・。 小堀住研(株)は1960年代から「高級住宅の小堀」として売ってきた会社であり、1970年代に建設省・通産省の「ハウス55プロジェクト」に入選したという「高品質・低価格」の「ハウス55」という企画住宅を始めて、その2本立てになったが、「最低価格帯」の商品なんて持っていないし、そういったものをやりだすと、特に社長があっちやらこっちやらでそういったことを言いまくり書きまくりしたのでは、「小堀ならではの家」の高級住宅は売れなくなるし、「ハウス55」にしても、あくまでも「高品質低価格」タイプのものであって「最低価格帯」の商品ではないわけで、それを社長があっちやらこっちやらで、「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」などと叫びまくると、それは要するに「うちの商品は安もんですよお」と叫びまくっているのと同じであり、そうなると、「高品質低価格」タイプの商品を「最低価格帯」商品の値段で売らされることになっていき、もともと、「高品質低価格」タイプの商品というのは利益率は他の商品に比べて大きくない(原価率は他社の商品・他の商品に比べて大きい)はずで、それをさらに安く売らされるということは、利益があがらなくなる。 又、「小堀住研は大卒しか採らない会社」と言ってきたはずで、「小堀の営業とミサワの営業は営業でも営業の質が違います」と言ってきたはずだったが、ところが、それも、「最低価格帯」会社に合わせるようなことをしたようだった。そうなるとどうなるかというと・・・・⇒つぶれた。
  結局、中島昭午は何をやりたかったのか・・・というと、会社をつぶしたかったようだ。結果から見ると、そういうことになる。 中島昭午は初代社長の小堀林衛の「甥っ子」と言っていたのだが、実際は「メカケの子」という説と「メカケの娘の婿」という説があって、どちらかだったらしく、小堀東(あずま)という初代社長の弟が専務でいたのだが、なぜ、名字が同じ弟よりも名字が違う「おいっこ」が優先して2代目になっているのか・・と、たいていの人間は思うのではないかと思うが、それは「おいっこ」ではなく「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかだったかららしかったが、中島昭午は、比較的若い頃から2代目の社長に就任して、そして、テレビの広告に2代目社長自身が出て「『住研(じゅうけん)』とは? 『住研(じゅうけん)』とは、住宅を建築ではなく研究すること」とか言っていたのだが、後から考えると、タレントを使わずに2代目の社長がテレビの広告に出てボソボソ話すというのは、それは、初代社長は、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかの男を比較的早くに2代目社長にならせた上で、テレビの広告にも2代目社長を出して、それで、この男が2代目ですと世間に言って、それを既成事実として広めたかったのではないか。・・ところが、その結果、その2代目は、「宣伝下手の会社をやめて、宣伝上手な会社にする」と初代が他界するとともに言い出し、そして、経済雑誌などに「社長登場」とかいうことで出まくって(どうせ、そんな記事は、カネ払って掲載してもらっている、「実質、宣伝」ではないか)、そして、そこで「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」などとアホなことを言いまくり、要するにそれは「うちの会社は安もんですよお」と社長が叫びまくっているわけであり、そういう営業妨害のおかげで、会社はつぶれた。中島昭午はおのれがそういう雑誌などに登場したがり症候群のおかげで、会社をつぶした。
2. そして、「アホちゃうか」・・と思ったのだが、「中島昭午が歌う演歌集」などというCDまで、エスバイエル(株)発売として出した。もはや、精神病理学上の問題ではないか・・・とも思えるが、「社長、それはやめておいた方がいいですよ」と言う人間はいなかったのか・・・というのか、いると追い出されるか疎外されるか・・という態度に出たのか。逆に、「アホばっかり大事にした」・・・ということか・・・。
  野村のじいさんが書いておったが、巨人の川上が監督を辞任して長嶋が新監督になる時、川上は長嶋が監督になっても急に成績が低下しないようにと、ヘッドコーチの牧野・ピッチングコーチの藤田は役に立つから残しておけ、森は役に立つからコーチに使えと言い、長嶋の後の三塁手には「1番 富田」として南海ホークスからトレードで富田を獲得しておいたが、ところが、長嶋は、牧野・藤田は解任し、ヘッドコーチに関根、ピッチングコーチに宮田を呼び、森には「おまえは要らんよ」と言ってコーチにならさず、富田を嫌ってジョンソンを獲得し・・・て最下位になった。(なかなか難しいところで、前任の監督としては、後輩が監督になった時に困らないようにと配慮するのも仕事と考えたかもしれないが、もしかすると、後任の監督としては、前任の監督にそこまで決められたくない、ということもあったのかもしれない。)小堀住研(株)の2代目も、もしかすると、先代の時代からいたある程度は役に立つ人間を追い出した・・・とかあったのかもしれない。・・あれ、もしかすると、俺も追い出された人間の1人か・・?
  中島昭午は、住宅についての本も出したようだが、住宅に関する本を出すというのは、それは悪くはないと思う。私がこうやってインターネットでブログを公開していても、本という形で出した方が、より信頼性が出て評価は高いのではないかと思う。だから、住宅建築業の会社が、住宅についての本を出すというのは悪くはないだろう。しかし、その出し方だが、自分の会社のスタッフ何人かと外部の専門家との合同での本とかならいいと思うのだが、中島昭午個人の出たがりでの本になっているように思われる。会社のそれまでの蓄積を生かして、会社の評価を上げることを考えての本の出版なら悪くないが、そうではなく、中島昭午個人の「出たがり」からのものになってしまっていた。 初代社長が、この男が2代目ですということを広めるために、テレビやら何やらに出したのを覚えて、中島は「出たがり」になってしまったようだ。だから、その本も成功していないようだ。
  それにしても、普通、「中島昭午が歌う演歌集」なんて、会社のカネつかってCDなんてだすか~あ?・・・
  「会社のカネ」というのはどうやってできたカネかというと、それは従業員・元従業員が「夜討ち・朝駆け」やって稼いだカネ、「滅私奉公」やって稼いだカネである。そうやって稼いだカネで「中島昭午が歌う演歌集」などというCDを作って発行してやろうと考える社長というのは、すでに社長の値打ちがないのではないか。『ラーメン発見伝』で従業員が必死で働いてて稼いだカネを持ち出す社長を見て従業員が愛想をつかす話が出ているが ↓ 、中島昭午がやっていたのはそれと同じではないか。
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( 『らーめん発見伝』「第百九十一杯 「花輪つけめん亭」騒動(後編)」 『ラーメン発見伝(10)看板を賭けた戦い!!』2017.1.1.小学館 My First WIDE 所収。)
ラーメン発見伝 10 (My First WIDE) - 河合単 久部緑郎
ラーメン発見伝 10 (My First WIDE) - 河合単 久部緑郎
 「私は、今までからこの人のことを『特別に賢い』とかいういようには思ってなかったけれども、しかし、ここまでアホとは思わんかった」・・・( 一一)
※ [第540回]《小堀住研(エスバイエル)社長中島昭午が作ったお笑いCD-「バッカじゃなかろかルンバ」+「私バカよね」》https://shinkahousinght.at.webry.info/201704/article_6.html
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( 『旅情ミステリースペシャル<3> 浅見光彦&十津川警部』2018.5.2.実業之日本社
  西村京太郎 原作・苑場凌 作画『母の国から来た殺人者』より ↑ )
  1.の方、「経済誌」「財界誌」に社長が出るというのは、それは、その内容が良ければ「パブリシティー広告」となるだろう。「パブリシティー広告」とは、はっきりと広告の形を取っていないが、実質的に、広告になるというものだ。「財界誌」の記事というものは、雑誌の側が取材を申し込んで掲載しているものも中にはあるかもしれないが、多くは、企業側がカネを出して書かせて掲載させているチョーチン記事のはずだ。エスバイエル(株)〔←小堀住研(株)〕が掲載させていたものも、その類であろうが、そういうもので「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」だのと社長に言いまくられたのでは、「うちの会社の商品は安もんですよお」と社長が言いまくっているのと同じであり、それがなければ、10の値段で売れたものが8か7の値段でしか売れなくなる、10の価格帯の人が見込客になったものが5から7くらいの人が見込客になり、その見込客の想定している値段で売ったのでは利益はでないような値段で売らないといけないことになってしまう。なぜ、社長がそんなことをするのか? なぜ、中島昭午はそんなことをするのか? ・・というと、結論として、「アホやから」だろう。その出方ならば出ない方が会社のためなのに、なんで、カネ出してそんな出方を社長がするのか?・・・というと、おそらく、中島昭午は、若い頃から、初代がこの男が2代目ですと世間に認知してもらうために、「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかの中島昭午を、普通ならタレントを使ってやるようなテレビ広告に中島昭午に語らせるというテレビ広告を流させたりしたことを覚えていて、そのために、そういう場に「出たがり」になってしまったのだろう。だから、それが、会社の経営にプラスになるのなら出て悪いことはないのだけれども、会社にプラスになるかマイナスになるかにかかわらず出たがる・・・という習癖になってしまったのだろう。要するに、「結局、アホはあかんいうこっちゃな」ということのようだった。 考えようによっては、会社のイメージを低下させるようなことを「財界誌」でしゃべられるよりは、「中島昭午が歌う演歌集」でも作っていてもらった方が、会社にとっては「まだまし」・・だったかもしれない。
3. この1.と2.は別のもののように見えて実は関係ある。 1.はどう考えてもアホでしかない。花登筺『銭の花』では、大阪の宗右衛門町に「南地楼」という高級料亭を作った ゆう が孫娘の加代に「店の格というのは上げるのは大変なものやけども、下がるのは簡単に下がるもんだすで」と語る場面があったが、小堀住研(株)もまた、せっかく得た「高級住宅の小堀」としての評価を2代目の社長がせっせとドブに捨てただけでなく、「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」などとアホなことを言い、又、「建売はやらない会社」として会社の格を保ってきたはずで、実際には阪急不動産などそういった会社と一緒にやる建売のみやっていたらしいが、それを逆に、全国の「見るからにガラの悪い」「見るからに胡散臭そう」という「不動産屋のおっさん」と提携しての建売をやりだしたのだが、それをやると、それで得るものがたとえあっても、失うものは相当大きいはずだ・・と私は思ったが、思った通りになった。 1990年代の終わり頃だが、(株)一条工務店の2代目の社長の山本が、社員総会で「いいお客さんをうちで取ろう。よくないお客さんはよそで建ててもらうようにしよう」と発言したことがあったが、それは正しいと思う。どうせ、その業界の見込客を全部は自分の所で契約してもらうことはできないのだから、比較的、客室のいいお客さんに自分の所で契約してもらうようにして、あまり客室の良くない人はよそで建ててもらうようにするというのは、商売のやり方として正しい。この考え方はそんなに難しいものではなく、普通に考えたらわかりそうなものなのだが、ところが、小堀住研(株)の「アホの2代目」はわからなかったようだ。 1990年前後の小堀住研(株)の問題点として、高級住宅の「新 桂(しん かつら)」(及び、それに該当する価格帯の在来木造)と「高品質低価格」タイプの「ハウス55」との2本立てになってしまっていた、という点がある。この2つのタイプは売り方が違うのだ。なおかつ、営業社員に、両方とも売れる人と、「高品質低価格」タイプは売れても高級住宅は売れない人とがいた。1990年、東京支店自由が丘営業課の営業課長にならせてもらっていた高橋賢一郎(男。当時、30代半ば過ぎ。東京電機大卒)などは「高品質低価格」タイプは売れても高級住宅は売れない人間だった。なおかつ、高橋のような「高品質低価格」タイプは売れても高額物件は売れない人を、なぜ、高価格帯の見込客ばかり来る展示場だった自由が丘展示場の課長に配属するのか、「高品質低価格」タイプは売れても高級住宅は売れないタイプの人は「高品質低価格」タイプの客は来るけれども高級住宅の客は来ない展示場に配属してあげて、高級住宅が売れる人を高級住宅の客層が多い展示場に配属してあげるべきではないのか・・というと、それは支店長の高倉にそういったことを考えて誰をどこに配属するか判断する能力が欠けていた、高倉は営業課長ならばなかなかもっともなことを言える営業課長で、営業担当なら見込客から見て悪くない営業担当者だったかと思うが、支店長としてはしばらくつきあうと、つきあえばつきあうほど「お里が知れる」ようになり、「やっぱり、高卒の支店長なんだなあ」と思わされる人であり、なんで、高橋が課長なんだ??? まず、小堀住研(株)の「営業系」の応募資格は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で「普通自動車第1種免許取得者」であったはずなのに、高橋賢一郎は東京電機大学の工学部建築学科卒であって「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」という条件を満たしていないし、「普通自動車第1種免許取得者」でもなく、すでに30代の半ばを過ぎていたにもかかわらず、普通自動車第1種免許を持っていなくて、営業課長というのは、新人でクルマを持っていない人間が配属された時や、新卒入社の人間は最初の1年間は電車・バスで営業をすることと会社がしていたことから、クルマで行かないとできない仕事の場合には営業課長のクルマに課長と一緒に新人は乗って行って仕事をすることにしていて、課長の役職手当というのは自分自身が担当でない仕事についてもクルマを使用しクルマを運転していくということで、それに対しての手当でもあったはずなのに、普通自動車第1種運転免許を30代の後半になっても持たず、クルマを持たない高橋のために、課長の役職手当をもらっていないヒラの営業社員が高橋を乗せて高橋が担当の客の所に行っていたのだが、まず、それでは課長の役職手当を受け取るべき人間が逆のはずだ。まず、「営業系」の応募資格である「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」と「普通自動車第1種免許取得者」の2つともを満たしていない人間をなぜ採用したのかという問題もあるが、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」という条件を満たしていないがそれでも採用したということは、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」という条件を満たしていないがそれと同等の能力があると判断したのか? どう見てもそうは見えないのだが。何よりも、「普通自動車第1種免許取得者」というのが応募条件なのに、その応募条件を満たしていない人を採用したのなら、「営業系社員」から営業課長に昇進させるのはその応募条件くらいは満たしてからにするべきではなかったのか!?! なぜ、「営業系社員」の応募条件も満たしていない人を営業課長にならせるのか? 営業課長というのは、営業課の従業員が業務でクルマを運転することについて、円滑におこなえるように助力するのも仕事のはずであり、自分自身が運転免許すらも持っていない人間が課長になったのでは、むしろ、その課長が妨害することになる。 なんで、高橋が自由が丘展示場の課長なんだ? 1996年に、オリックスが日本シリーズで巨人を4勝1敗で倒して優勝した時、オリックスの仰木監督に「なんだか、のびのびとやっていますね」と記者が言ったところ、「アホ言え。必死でやっとるわ」と仰木監督が言ったそうで、新聞に出ていた仰木監督の話として、巨人のようなチームは一流選手ばかりをそろえることができるだろうけれども、オリックスはそうはいかないが、「2流選手」といってもすべての部分が2流であるわけではなく、ある部分は2流・3流であっても、別の部分で1流・超1流の部分を持っている選手がいる。そういう選手を、その1流・超1流の部分を発揮して、2流以下の部分が出ないように、相手に気づかれないように使えば、1流選手だらけのチームを相手にしても勝つことは可能なのだ、と話していた。高橋のような、「高品質低価格」タイプなら売れるが高級住宅は売れないというタイプの営業、高価格帯の見込客ばかりの展示場に配属されると「ろくな客が来ない」と言いまくる男は、そういう男が向いている展示場に配属してあげるべきで、そうすれば、高橋は数字の上で成果が出たように見えて、本人も喜ぶであろうし、会社にとってもプラスになる。なぜ、そういう男を高価格帯の見込客の多い展示場に配属するのか? ・・野村克也のじいさんが「理由のないことをするな」と言っていたが、小堀住研(株)の東京支店長の高倉は、まさに「理由のないこと」をやっていたのであり、何よりも、それだけ、会社に「人材が不足していた」のである。我が家は1960年代後半に小堀住研(株)で在来木造の家を建てたのだが、その時、すでに「小堀住研は大卒しか採らない会社なんです」と営業は言いまくっていたはずで、母が言うには、営業担当は関大卒で新人だったらしいが、営業課長は神戸大卒だった・・・というのだが、その神戸大卒の人って、いったい、どこに行ったのか? どこに消えたのか? ・・考えられる可能性としては、「悪貨は良貨を駆逐する」として、駆逐されたのか。 もしくは、もともと、「神戸大卒」とかいう話は嘘だったのか? うちの父親というのは、普通、会社員をある程度以上の年数やれば、世の中には学歴詐称の人間なんていっぱいいるということくらい経験して理解するものだと思うのだが、それをわかっていない男で、簡単に騙される男であり、母はそういう男の嫁であるから、普通なら、たとえ、専業主婦でも夫から学ぶことができるものを夫から学ぼうと思っても夫にそういう認識が欠けている夫の場合には学べないという嫁だったから、そして、昔から、「京都の大学」を京都大学のように言う人、「神戸の大学」を神戸大学みたいに言う人というのがけっこういるのだが、そういう話にひっかかっていたのか? ・・1980年代終わり、小堀住研(株)に入社した時、千葉県松戸営業課にいた7年目のAさん(男。20代後半)が営業課長のUさんを「営業課長としては実力のある人だから、いいと思うよ」と言ってくれたことがあったのだが・・・、そうだとすると、「実力のある人」でない営業課長もいるということなのか?・・・と、その時はその意味がよくわからなかったのだが、そのうち、意味がわかるようになった。 「実力のある人」でない営業課長はおり、「実力のある人」でない支店長もおり、営業課長なら悪くないかもしれないが支店長ではという支店長もいたのだった。それを私は2年目あたりからだんだんと見えるようになりわかるようになったのだが、「アホの2代目」の中島昭午は見えていなかったのではないか。もしくは、見たくなかったのではないか。 「ベンチがアホやから野球ができん」と言いたくなる会社というのは、実はけっこういっぱいあるようで、かつ、そうはいっても、どこかに勤めて食っていかないといけないと思うと、「ベンチがアホ」であっても、それでも、そこに勤めていかないといけない、そうも言ってられない、ということはしばしばあるのではないかと思う。「問題だらけの会社」というのは、いっぱいあるから、だから、問題があっても、よそだって問題はあったであろうとは思う。しかし、1.と2.の関連性なのだが、2.で述べたように、「アホの2代目」が「中島昭午が歌う演歌集」などというみっともないCDを会社のカネで発行するなどということに、「社長、それはやめておきましょう」と言える従業員が社長のまわりにいない・・・というのは、最初からいなかったのか? ・・そのあたりが問題だ。そうではあるまい。「思っていることをすべて言え」と言うだけの人というのはいるのだが、言うだけではなく、実際に言ったとして、それに耳を傾けてくれる社長と、「社長、それはやめておきましょう」と言うと怒りよる社長がいるのだ。怒られるのなら、あほくさい、言うことないわ・・・と思う人間は少なくないと思う。私なども「ベンチがアホ」の会社に相当勤めたので、そして、だんだんと口をきかなくなってしまう自分自身が哀しかった、情けなかったのだが、そのくらいならまだいいのだ。そうではなく、本来なら、「社長、それはやめておきましょう」と言うべきところで、「それは、よろしいでんなあ」と同調して喜ばしてやろうと考える節操の無い人間、もしくは、同調するだけしか能のない人間というのが世の中にはけっこういるのだが、中島昭午のまわりには、そういう人間が集まってきていたのではないか。
  普通に考えて、「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」などと社長に言いまくられたら、「高級住宅の小堀」の家を建てた入居者宅はその家の財産価値が下がる。 何、やってくれるんだ! ・・ということになる。そんなこともわからんのか・・ということを「アホの2代目」はやらはったんや・・・ということだ。 それだけではない。「最低価格帯のカテゴリーキラー」などというものは、普通は目指さない。アイフルホームでも最初は「最低価格帯」で売り出したが、そのうち、それより高価格帯に移っている。「最低価格帯」で売れても、それを基にそれより上の価格帯になる会社はあるのに、なんで、逆をやりたがるのか? ・・それは、「最低価格帯」が売りやすい人がいたからだろう。「社長、それはやめておきましょう」と言うべきところで、「それは、よろしおまんなあ」と言うようなヤツというのは、人間としての程度が低い人間であり、そういう人は、高級住宅は売れないし、「高品質低価格」タイプよりも「最低価格帯」の方が売りやすい売れやすいのだ。普通に考えたら、「高品質低価格」タイプの客層と、「最低価格帯のカテゴリーキラー」の客層ならば、「高品質低価格」の客層の方が客質はいいはずなのに、なぜ、いい方をドブに捨てて良くない方を取りたがるのか・・・。その理由の1つとして、社長のまわりにアホが集まっていた、ということはないか? この場合の「アホ」とは、単に無能であるだけではなく、社長に「社長、それはやめておきましょう」と言うべきところで、「それはよろしおまんなあ」と言うような人格的に節操の無い人間という意味である。2.みたいなことをやる社長、それをさせているような人間しか社長の周囲にいない状態から1.は出てきた。
  ・・小堀住研(株)がつぶれた理由の1つには、銀行が「自分の所では要らない人間」を取締役として送り込んだ、という点がある。小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の「有価証券報告書」を見ると、取締役の半分・監査役の半分が「銀行から来た人間」で、いくら何でも、そこまで銀行から来た人間が多いということは、銀行に弱みがあるということではないかと普通は考えられるのだが、銀行から来た人間というのは、取締役の半分・監査役の半分だけかと最初は思っていたのだが、そうではなく、それより下の役職でも、たとえば、総務部で、ぬけた感じの人間で、この会社はこの程度の人が「次長」にならせてもらえる会社なのか・・ということは、小堀住研(株)の「次長」というのは普通の会社ならせいぜい主任程度か・・と入社直後の研修の時に見た時から思っていた前野なども、実は太陽神戸銀行から出向で来ていた人間で、銀行から出向で来ていた人間だから、そのまま銀行にいた場合の銀行での役職より相当高い役職につかせてもらっていたようだった。そういう人間は前野だけではなく、他にも何人もいたようだったのだ。なんだ、この会社は!・・という感じだった。単に、銀行から出向の人間が小堀住研(株)に来ただけではなく、それらの人間は、そのまま、銀行にいた場合のその人間の役職よりも高い役職になって小堀住研(株)に来ていた。なんで、この人がそんな役職をもらえるの? という役職になってきており、小堀住研(株)で出世したければ最初から小堀住研(株)に入るよりも富士銀行なり太陽神戸銀行なりに入って出向で小堀住研(株)に行った方が間違いなく得! という状態だった。まず、そのことからして、小堀住研(株)で実際に働いている従業員にとっては「あほくさい」状態であり、「やる気をなくす」状態であった。そして、従業員の間では「ま~た、銀行から何もわかってないやつが取締役にくるのか」と言われていた。『会社四季報』(東洋経済新報社)・『会社情報』(日本経済新聞社)を見ると、富士銀行(現 みずほ銀行)他の銀行は、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)で上位の株主に名前が出ていたのだが、自分の所が出資している会社をつぶす人材を送り込んで、それがその銀行にとってどういうメリットがあったのか? そのあたりは、どうもよくわからない。
※ [第524回]《人をほめたい時、「なぜ」「どこが」を述べる男・述べられない男-部下を指導できない課長≪1≫》https://shinkahousinght.at.webry.info/201703/article_2.html
[第573回]《「パワハラ」・暴行を社長は許可できるか【3】勤務時間中にハイキングする銀行からきたおっさん》https://shinkahousinght.at.webry.info/201709/article_3.html
[第576回]《「パワハラ」・暴行を社長は許可できるか【6】会社としてのマナー欠落の富士銀行出身役員 》https://shinkahousinght.at.webry.info/201709/article_6.html
  ともかく、社長のまわりに、
(1)本来なら「社長、それはやめておいた方がいいですよ」と言うべきところで、「それは、よろしおまんなあ」とか言うようなヤカラばかりが集まり、
(2)銀行から、派遣先の会社のために働こうという意欲はまったく存在せず、銀行にそのままいた場合の役職よりも高い役職につかせてもらって無能なのに優遇してもらえるという人間が相当の量やってきて・・・、
そういう、どいつもこいつも座敷牢に叩きこんでやりたいような人間だらけ・・になった会社というのは、「おまえは・・、すでに・・、死んでいる」という状態の会社だった、ということか・・・。 そんな会社に滅私奉公して尽くした者としては、なんとも悲しいが、銀行から送り込んでもらっていい思いをした役立たずの取締役や銀行から出向で行ったことから身の程より高い役職につかせてもらった男(そういうのが、入社する前は気づかなかったが、実は相当いたようなのだ)などにはそういう思いはないだろう。

  私はオルガンの練習させられてピアノの練習させられて、母は「先生の息子になんて負けてはいけません」などと言って必死で練習させておいて、腹筋運動やって発声練習やってコールユーブンゲンやってきた私に、うちの父親は「歌え、チャンコロ。黒田節!!!」などと言ったのだが・・・、よく、そんなこと言うなあと思う。私が親ならば、いくらなんでも、かわいそうで、そんなことよう言わんわ。
  世界的音楽家・・といったものになれるかというと、なれない人の方が多いのだが、それでも、「先生の息子になんて負けてはいけません」と言われた、その「先生の息子」は「世界的音楽家」にはならなかったようだが「音楽の先生」か何かにはなったようだ。私のように、「歌え、チャンコロ。黒田節!」などとは、その「先生の息子」は言われなかったはずだ。
  慶應大学の文学部の中野博詞教授は『西洋音楽史』という本を書かれていて、慶應大学の一般教養課程の人文化学分野の「音楽」を担当されていたが、一般教養の「音楽」では、毎回、レコードでそれぞれの作曲家の音楽を聴かせてもらった上で、その作曲家と曲についての解説を聞かせてもらえるというものだったが、実際の演奏家になる場合には、たとえば、ハンス=ホッターはミュンヘン大学の哲学科を卒業した後に、ミュンヘンの音楽大学に行って声楽家になったとか、岡村喬生(たかお)は早稲田大学に行ってグリークラブに入ったのが縁で東京放送合唱団に就職して、後にローマやウイーンの音楽学校に行ったとか、朝比奈隆は京都大学のオーケストラの指揮者を経て大阪フィルハーモニーの指揮者になったとか、作曲家ではチャイコフスキーはロシアの役人で作曲家兼業だったとか、ボロディンは化学者で医者で、作曲家は副業で、オーケストレーションの技術はそれほど優秀ではなかったので、オペラ『イーゴリ公』は未完成で他界後にリムスキー=コルサコフが完成したとか、そういった話はあるけれども、一般的には、旧帝大系国立大学や早慶卒の人間よりも東京芸大や国立音大・武蔵野音大・桐朋学園などに行った人がなるものという感じで、又、野球選手などでもプロ野球の選手になるなら法政大とか明治大とか卒でなる人がいっぱいいても、中学校や高校の体育の先生になろうとすると、法政大卒・明治大卒ではなれず、筑波大の体育専門学群とか大阪教育大とか日体大とかそういった体育教諭を育成する過程の大学に行かないとなれないように、中学校・高校の音楽の先生には旧帝大系国立大学や早慶卒ではなれないが、中野博先生みたいに大学の文学部で「音楽史」の研究をする人の場合には、東京芸大の音楽学部や国立音大・武蔵野音大・桐朋学園など卒ではなく、旧帝大系国立大学や早慶の文学部卒でなる人がいるようだった。
西洋音楽史 - ヴァルター コルネーダー, 中野 博詞, 樋口 隆一, 美山 良夫
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  だから、そういう道だってあったわけであるし、フリードリヒ=ニーチェは『悲劇の誕生』などで音楽についても述べているし、哲学者の和辻哲郎は『古寺巡礼』『イタリア古寺巡礼』(岩波文庫)など書いており、亀井勝一郎は『大和古寺風物詩』を書いており、音楽・美術というのは、哲学・倫理学の対象でもあるはずだ。「大学入試の対策として読んでおいた方がいい本」として『蛍雪時代』に載っていた家永三郎『日本文化史』(岩波新書)は高校3年の時に読んだのだが、音楽史・美術史は歴史の一部分である文化史の一部分である。 建築史は建築学科で扱うことが多いかもしれないが、文化史の一分野でもあり、文学部史学科でも扱う。
日本文化史 第2版 (岩波新書) - 家永 三郎
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古寺巡礼 (岩波文庫) - 和辻 哲郎
古寺巡礼 (岩波文庫) - 和辻 哲郎
  ふと、気づくと、日本語での「モスクワ放送」というのがなくなっていた。 私は、かつて、モスクワ放送の「音楽の時間」というのが好きだったのだが、なんで、ソ連さんは日本向けにコマーシャルもない日本語放送をウラジオストクから流してくれていたのかというと、それは、チャイコフスキーとかショスタコービチとかの交響曲やロシア民謡とかを日本人の皆さんに聴いてもらおうということが主たる目的ではなく、ニュースの時間として「アメリカ帝国主義は・・・」というそういうニュースを日本人の皆さんに聞いてもらおうということでやっていたのであって、ソビエト連邦が崩壊した今、タダでチャイコフスキーの音楽とか流してられるか、あほくさい・・と思うようになった、ということかもしれない。覚えているものとしては、アメリカ合衆国やそのメカケの日本などがモスクワ五輪への不参加をした後、ソ連がロサンゼルス五輪へ不参加にした理由として、アメリカ合衆国はこんなことをした・・という話が放送されていたのを覚えている。今では、もう昔のことになってしまった。・・そのモスクワ放送で、ブラト=オクジャワの音楽というのを聴いた。ブラト=オクジャワは、もともと、音楽大学などに行って音楽を勉強した人間ではないが、自分で作った詩にギターで旋律をつけて歌った、というところからオクジャワの音楽は始まった。こういうことを言うと、「慶應タイプ」はモスクワ放送で流されていたような音楽だから、オクジャワはソ連礼賛音楽家だと決めつける「慶應ボーイ」「慶應ギャル」がわんさと湧いてきそうだが、オクジャワはそうではない。ブラト=オクジャワの父親はグルジア人で母親はアルメニア人だったらしく、父親は第二次世界大戦の独ソ戦の最中、グルジアのソ連からの離脱・独立の運動に加わり、「人民の敵」として銃殺され、母親は長く収容所に入れられた。ブラト=オクジャワの「紙の兵隊」という歌、この世を正しくしたいと思って、自分が紙だということをすっかり忘れて炎に向かって突き進み、焼かれて灰さえも残らなかったという「紙の兵隊」という歌は、父を想って作られた歌ではないか、とも言われるらしい。又、「青い風船」という歌、「女の子が泣いている。風船逃げた。慰めたけど、泣き止まない、風船はどこへ」「娘さんが泣いている。恋人いない」「お嫁さんが泣いている。亭主の浮気」・・そして、「おばあさんが泣いている。はかない人生・・・。でも、ほら、もどってきたよ、青い風船」という歌は、長く収容所に入れられて、出てきた時にはおかあさんがお婆さんになっていたオクジャワの母親を想って歌った歌だとも言われるらしい。オクジャワは、何も反政府的は活動をおこなったわけでもなく、日常の思いを歌った詩を作って歌っていたが、それにもかかわらず、スターリン政権から上演禁止を言い渡される。その後、ブレジネフからアンドロポフ・チェルネンコの時代においてはもう上演禁止ではなく、モスクワ放送でもオクジャワの歌は流されていたのだが、オクジャワの歌はいい歌だと思う。
※ 《YouTube-「真夜中のトロリーバス」 ブラート・オクジャワ》https://www.youtube.com/watch?v=fsAsXOPfQO4
紙の兵隊 - ブラート・オクジャワ
紙の兵隊 - ブラート・オクジャワ
 ブラト=オクジャワは音楽大学などを出たわけでもなく、本格的に音楽の勉強をしたわけでもなく、自作の詩に節をつけて歌ったものが評価されたというものだが、私がうちの父親に言われたように、「歌え、チャンコロ、黒田節!」などと言われたのでは、やはり、嫌がったのではないかと思う。「歌え、チャンコロ。黒田節」と言われて嫌がる者を、野蛮人・内部進学小此木啓吾は「モラトリアム人間病」と「診断」するであろうけれども。そういう小此木人間のことを「思考が柔軟」「独立自尊の精神がある」「企業はそういう人間を喜ぶ」「ギャルにもてもて」とか「慶應タイプ」は言い、「自我が確立されている」「アイデンティティーをもっている」と「慶應心理学」は「診断」するであろうけれども。小此木型野蛮人心理学は害がある。

  『新約聖書』の翻訳者の前田護郎さんは、最初、大学を受ける時に、聖書の研究をしたいと思って文学部を受けたいと思ったが認めてもらえず、入学試験では試験会場で白紙の答案を出してきたそうで、実は私も似たことをやったことがあるのだが、似たことをやっても、それで、翌年は希望の通り、東大の文学部を受けさせてもらって聖書の研究者にならせてもらった前田護郎さん(もちろん、コメディナンバーワンの前田五郎とは別人)と私とは人生が違った。「てってこっこ、てってこっこ♪ てってて~い、てってて~い♪ 撃ちてしやまん! い~ちおく、火の玉あ~あ! とってちってたあ~あ!」と毎日毎日言われてきた私からすると、前田護郎さんはうらやましい限りである。

  「学歴は人に言わない方がいいと思って経験2例。」を述べるつもりで、その前段を述べているうちに、前段が長くもなり、前段だけで独自の話になった。
  何の因果か、建築業界に勤めたが、趣味として彫刻を作るのならば、彫刻家が芸術として作りたいものを作っていいと思うが、建築の場合は、美術の一分野という性質もあるとしても、彫刻や絵画とは違って建築はその用途にそって使えてこそのものであり、独りよがりで、費用ばっかりかかる、「建築家」はそれがいいと思っているのかもしれないが、一般人の感覚では街の景観にそぐわない、そういったものを得意がって作るのが「建築」なのか? 「ゼネコンの能力を使った巨大な彫刻」を作るのなら、その「建築家」が購入した土地に「建築家」の費用で作ってもらいたいものだ。というよりも、そんな「巨大な彫刻」は「資源の無駄遣い」であろう。「彫刻」作るのなら、せいぜい、広隆寺の弥勒菩薩像くらいの大きさまでのものにしてもらいたいと思う。 建築は、使えてこそ建築である。 商業建築は、客が来てくれる建物であってこそ商業建築であるはずで、「有名建築家」「世界的建築家」がなんとかかんとか講釈たれても、客の来ない閑古鳥の泣く建物では、そのビルの運営者にとってはたまったものではない。 やはり、建築は、工学部的発想でおこなうものではなく、商学部的発想でおこなうべきもののはずである・・・のだが・・・、
レビットのマーケティング思考法―本質・戦略・実践 - セオドア レビット, Levitt,Theodore, 坤, 土岐, DIAMONDハーバードビジネスレビュー編集部
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ところが、どうも、建築業界においては、建築学科卒の人間がえらそうにしており、建築学科卒が優遇される傾向がある。
  病院においても、医師とそれ以外の職員とは、これは役割を分担しているのであって、本来はどちらが上とか下とかではないはずで、学校という所においても教職員と事務職員は役割を分担しているのであってどちらが上とか下とかではないはずなのだが、どうも、病院という所では医師が他の職員より優先的な立場にあり、学校においては教職員の方が事務職員よりも上のように事実上なっていることが少なくないように思われる。 私の中学校の同級生で、お父さんが、「◇◇技師」という職種で病院に勤めてきた人だったらしいが、病院という所では医者がえらそうにしており、病院に勤めるのなら医者で勤めないとあほくさい、と思うようになったそうで、それで、息子2人のうちの兄貴の方は、医学部に行くことを考えたらしかったが、結局、国公立の医学部に合格できずに他の学部に進学したそうだったが、建築業界というものも、どうも、そういった所があって、「バカでも入れる私大の建築学科」出ただけ・・という人間がえらそうにしている業界であり、あほくさいなあ・・とずっと思ってきた。
  又、資格についても、小堀住研(株)に入社する時に、宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士 の資格を取ってもらうといいと言われて、それから3年後に合格し、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で営業本部長からインテリアコーディネーターの資格を取ってもらいたいと言われて、営業本部長が取ってくれと言うのなら取らないわけにはいかないだろうと思い、又、会社という所においては、上役が10のことをやってくれと言っても7か8しかやらない人もおれば、10やってくれと言われると12か13のことをやる人もいるわけであり、営業本部長がインテリアコーディネーターを取ってくれというのなら、インテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストを取ろうと考えて、インテリアコーディネーター資格を取得するとともに、キッチンスペシャリスト資格も取得した。 いずれも、けっこう、難しい試験だった。・・・合格してから考えると、インテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストも、難易度としては二級建築士よりも難しいのではないかと思う。二級建築施工管理技士も取得したが、「インテリアコーディネーター、兼、キッチンスペシャリスト、兼、二級建築施工管理技士、兼、宅地建物取引士」と「バカでも入れる私大の建築学科卒で、二級建築士」となら、建築業界においては、「バカでも入れる私大の建築学科卒で、二級建築士」の方が評価が高いのだ。あほくさいこと、このうえないのだが。 それなら、もっと早い時期に、「バカでも入れる私大の建築学科」なんて行く気になれなかったかもしれないけれども、東大の理科一類に通ったか、京大の工学部建築学科に通ったかというと、それはわからないが、どこか国立大学の建築学科で・・というくらいの条件なら通る大学はあっただろうから、ぎりぎり生活できる程度の仕事をしながらそういう所に行って、インテリアコーディネーター・キッチンスペシャリスト・二級建築施工管理技士・宅地建物取引士と4つも資格を取得する間に、二級建築士1つを取得するようにすれば、その方がよっぽど評価は高くなった・・・・、というよりも、 「バカでも入れる私大の建築学科」卒だと矢鱈とありがたがるが、慶應大学商学部卒だと中卒以下の扱いにするような会社に10年超えて勤めて滅私奉公・破私奉公を続けたヤツがアホだったのかもしれない。
  小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」と昔から言っていたはずで、研修の時にも複数の講師役従業員がそう言ったのだったが、実際には、新卒入社で入った人を見ると、女性で短大卒の人が何人かいたが、男性の場合でも、「技術系」(設計・工事管理・積算・アフターサービスなど)に入った人には、建築の短大卒という人がいた。中途採用では高卒の人を採用していて、また、そういう人間がえらそうにしているということで、「話が違う」と大学新卒で入った人間は怒っていたのだったが、新卒採用については、「技術系」(設計・工事管理・積算・アフターサービス)は「バカでも入れる私大」とはいえ大学卒と短大卒がいたのに対して、「営業系」(営業・人事・総務・経理)は「バカでも入れる私大」が多かったとはいえ大卒だけだったことから、「営業系」と「技術系」では小堀住研(株)では「営業系」の方が学歴は上だったのだ。 だから、「営業系」の人間は「技術系」の人間よりも自分たちは下だとは思っていなかったし、「技術系」の人間にも、それはおかしいと思うことばあれば思ったことを言っていたのだった。 ところが、(株)一条工務店では、営業本部長の天野隆夫が「営業は頭のないヤツがええんや、頭のないやつが。ぼくなんかも学校出てない(最終学歴:中卒)だから、だから、気さくで人間味があって人に好かれるんや。営業はそういう人間がええんや、そういう人間が」と言っていた。ベテランの某さんにその話をすると、「はあ??? いったい、どこの誰がそんなこと言ってるんだ、どこの誰が!!!  天野部長が『気さくで人間味があって人に好かれる』て、あの人のいったいどこが『気さく』でいったいどこが『人間味がある』んだあ??? どこの誰がそんなわけのわからんこと言ってるんだ、誰があ???」と言うのだったが、誰が言ってるかというと御本人であって御本人以外には「そんなわけのわからんこと」言っている人間は1人としてなかった・・・のだが、営業本部長がそういうことを言う会社であり、営業本部長の天野隆夫はそれだけではなく、「営業は設計にはどんなことでも服従しろ」などとまで言い、その結果、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間は新卒入社したその日からお殿様!!! という会社になり、特に「設計」の職種の人間はヘボ設計がウルトラのお殿様になってますますバカになってしまっていた。一般のお客様には、地方にいくと「大工さま」の評価が高く、都市圏では「設計」を「設計士さま」などと言って持ち上げたがる人がいるのですが、又、そう言われたがるやつがいるのですが、「バカでも入れる私大の建築学科」出ただけで、建築現場に行くと他の従業員が何かやっていても、「設計」はシャープペンシルより重い物は持ってはならないという戒律があると心得て自分だけ何もしないで見物する男および女というのは、その建築現場で何なりと持ったり運んだりした者ならば、それだけでも「うわっ、重いな」とその木材は重いということを体で知るところを、シャープペンシルより重いものは「設計」は持ってはならないという戒律を守って見物していた男および女というのはそういうものも学ぶことはないのであり、一番何も知らないやつをありがたがる人というのは「バッカじゃなかろかルンバ♪」という感じがします。・・・そういうのはよくないと思うよ、そういうのは・・・と思うのだが、営業本部長の天野隆夫はそうしたかったようだった。 野村のじいさんが、森に「清原をあんなにしたのはおまえだぞ」と言ってやったというのだが、(株)一条工務店のオーナー経営者一族というのは、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間を「清原みたい」にしたいしたいしたくてたまらないシンドロームの「患者」のようである。

  《 学歴は人に言わない方がいいと思って経験2例。》の前段の話を述べるつもりで、前段だけでそれなりの分量になった。 《 学歴は人に言わない方がいいと思って経験2例。》は次回にまわすこととして、「前段」のつもりで作成した話だけを先に公開する。
  「バカでも入れる私大の建築学科」でたばっかりの人間を増長させるのが趣味の経営者というのは、そういう態度は絶対にいいことないと思う・・・が、 しかし、その《「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間を増長させたいシンドローム》の「患者」「病人」というのは、「そのビョーキは簡単には治らない」かもしれない・・・。・・まあ、世の中、座敷牢に叩きこんでやりたい経営者の会社・・というのは、実はけっこうあるのかもしれないけれども・・・。
  オルガンの練習させてピアノの練習させて、「先生の息子になんて負けてはいけません」なんて言って練習させて、腹筋運動やって発声練習やってコールユーブンゲンやった息子に、「歌え、チャンコロ。黒田節!」なんて言う父親は、それは人間ではなく鬼だと思う。人間の言うことではないと思う。 少なくとも、私が親の立場なら、そんなかわいそうなことはよう言わんわ・・・・。そうでない親の子供に生まれた者がうらやましかった。 私が親ならば、息子が、毎日、それで練習しているオルガンを、練習後、毎日、それを布で拭いて大事にしているオルガンを「オルガンみたいなもん、要ら~ん」などと言って、よその人間に「オルガン、あげまっさあ」などと言ってあげる・・などということはしない。(母が言うには、うちの父親は母が「嫁入り道具」として持ってきた長持ちを「こんなもん、要ら~ん」と言って会社の部下の人にあげたというのだが、私が夫ならばそんなことはしない。) 北野高校の2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。神戸大文学部卒)が「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのを最大の自慢にしていたのだが、そういうのは自慢にすることと違うと思うのだが、世の中、「自慢にすることと違うと思う」ことを自慢にする人というのは時々あるのだけれども、父親というのはあった方が常に有利ということはない、という事実も理解できないようなバカ女には高校の教諭にはならないでもらいたいものだと思うが、なにしろ、「親方日の丸」で賃金未払いとかはないし、勤務時間は短いし、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間を大学新卒で入社したその日からお殿様にする会社と似ていて大学新卒したその日から「先生、先生」言うてもらえますし、その結果、職業が「先生」だというのはいいとしても人間としても「先生」になったみたいに勘違いすることができますし、夏休み・春休みがあって、それと別に有給休暇も取れて、入学式の日に有給休暇とって海外旅行に行くとかもできまっさかいに(営業担当者が自分は有給休暇とって休みながら、客にその日に来てくれなんて、普通は言わないと思うのですが、高校の先生というのは、生徒には入学式に来させておいて、生徒の親には有給休暇とって会社を休ませて入学式に来させておいて、それで、自分は有給休暇とって海外旅行に行く・・なんてこともできますので・・、考えてみたら、「ええ仕事でんなあ」・・と思います)、そういうええ仕事♪につきたいと思う女性はいるらしい。高校の先生なんて「その程度」だと思っておくべきだったが、そう思えなかった、それ以上のものだと勘違いしていた、という点が高校生および高校卒業直後の私の欠陥だった。
  1980年代、丸の内の中国銀行に会社訪問で行った時、会っていただいたMさんは、三井銀行から顧問で行っていた人だったらしいが、自分と同じ大学の学生だということで、その会社とは直接には関係のない話も聞かせてもらったのだが、Mさんは会社で友人から「おまえ、そんなに嫌われるようなこと言わなくても黙ってればいだろうが。どうせ、たいして高い給料もらってるわけでもないのだから」と言われたことがあったそうだが、「私はそうは考えなかった。そうではなくて、どうせ、たいして高い給料もらってるわけでもないのだから、だから、会社のためを思って、それは違うぞと思ったならば、言わせてもらおうではないか、とそう考えた」そうである。「それで、嫌われもしたし左遷もされましたよ」ということだったが、それでも、結果としては、けっこう昇進もされたようだし、定年後も顧問として来てもらいたいという外資系の銀行があったようだ。三井銀行は会社が大きいだけあって、会社のためを思って言って、その結果として一時的に嫌われてしまうことがあっても、追い出されることもなく、結果としては、ある程度以上評価してもらえて昇進もする、ということで、ちっぽけな会社に勤めると、ちっぽけな会社では、「悪貨が良貨を駆逐する」ことになって駆逐されてしまう・・・ということもあるのかもしれない。「中島昭午が歌う演歌集」なんて、そんなものを会社のカネでCD作って発行する会社て、「アホと違うか」「バッカじゃなかろかルンバ♪」というのか、それを、「社長、それはやめておきましょう」と言う人間はいなかった・・・ということならば、その時点で、その会社はすでに「おまえは、すでに・・・死んでいる」・・という状態の会社だったのかもしれない・・・。案外、そういう会社は日本にけっこうあるのかもしれんけどな・・・・( 一一)
※ 《 [Fist of the North Star] お前はもう死んでいる (You are already dead)》https://www.youtube.com/watch?v=-kPII561-GY 


(前段) 「社長が歌う演歌集」を会社のカネで出す会社・「バカでも入れる私大の建築学科」卒を清原化させたい症候群の経営者の会社 〔今回〕
自分の経験[1] 「大卒しか採らない会社」と言っていて底辺の高校卒の人がいた状況が顧客の評価を下げた小堀住研(株)https://shinkahousinght.at.webry.info/202009/article_1.html
自分の経験[2] よっぽど自分はえらいみたいに思っている不動産三田会の不動産屋のじいさん  https://shinkahousinght.at.webry.info/202009/article_2.html 
ひとを見て思った話[1]「ラーメンは地球を救う」みたいなことを言わそうとする営業課長。 
 [2]「東京大学経済学部卒」なんて履歴書をその地域の家全体にポスティングなんてやめた方がいいと思うぞ。
 [3]ポン大の建築学科でてるのよお(あんたとは違うのよお)・・なんて不動産屋のおばさんに言われても・・・
 https://shinkahousinght.at.webry.info/202009/article_3.html 

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