社会科学系学部卒・男性が会社から求められてインテリアコーディネーターを取得するとどうなったかというお話―「ベルニーニはお好き?」からの引っ越し掲載

[第704回] 「ベルニーニはお好き?」からの引っ越し掲載[第2回]
  「ヤフーブログ」で、「ベルニーニはお好き?」と題して公開していたブログを、ヤフーブログが閉鎖されるということで、こちらに引っ越し掲載の作業をしていますが、その[第2回]です。
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ベルニーニはお好き?
社会科学系学部卒・男性が会社から求められてインテリアコーディネーターを取得するとどうなったかというお話

https://blogs.yahoo.co.jp/berniniwaosuki/64797606.html
  千葉県インテリアコーディネーター協会の会員名簿における自己紹介として、下記のものを考えた。
《年代》 どこかの大学の教授で『ゼロから始める木造建築入門』『ゼロから始めるRC造建築入門』『ゼロから始めるS造建築入門』(彰国社)などの著者の原口秀昭さんと同年代でアカの他人。

《インテリアコーディネーター資格 https://www.interior.or.jp/ic/
 1997年登録。(1996年の試験で合格)

《その他の住宅・建築・インテリア関係の保有資格》
キッチンスペシャリスト(インテリア産業協会)https://www.interior.or.jp/ks/
2級建築施工管理技士
宅地建物取引士
建築CAD検定2級(建築CAD連盟)http://www.aacl.gr.jp/
Word文書処理技能2級(サーティファイ)http://www.sikaku.gr.jp/ns/wd/
Excel表計算処理技能3級(サーティファイ)https://www.sikaku.gr.jp/ns/el/
住宅ローンアドバイザー(住宅金融普及協会)https://www.loan-adviser.jp/HlaCmnTopAct.do?top


《職歴》 戸建住宅建築請負業を中心として、営業・施工管理その他。

《学歴》(高校)ウチワとアクビの松嶋みどり・城崎温泉竜太郎と同じ大阪府立北野高校卒。世の中には「国公立系族」と「私立族」の2つの人間がいるという話が何かの雑誌に載っていた。北野高校というのは大阪府立、筋金入りの「国公立」であり、慶應大の教授から最も嫌われている高校らしい。慶應という大学は、講義の最中に「北野高校の人間というのは、『どうして、私学だったらいいんですかあ?』なんて言うでしょう。バカか! 私学だってことは、いいってことじゃないか。北野高校の人間はこの程度の常識もわからんのかあ!」と固有名詞をあげてひとの出身校の悪口を言われる教授先生とかおられる大学ですが、そう言われると、「せえ~んせえ~え。どうして、『私学だってことはいい』って『常識』なんですかあ~あ?」と言いたくなる「国公立系族」です(逆らうとうるさそうなので、言いませんけどね・・・)。
(大学) スキンヘッド山下大輔と同じ 慶應義塾大学商学部卒。
年収では山下大輔には勝てない! しかし、髪の毛では絶対に負けない。この点には自信がある(^^♪ 世の中には、経済学部と商学部の違いがわからない人がいるようですが、慶應の場合は、商業学・経営学・会計学なども扱うが経済学に比重があるのが経済学部で、経済学も学ぶが商業学・経営学・会計学などの方に経済学部に比べて比重があるのが商学部です。もうひとつ、慶應独自の違いとして、内部進学の人の割合が大きいのが経済学部で、大学から入った人間(内部進学の人が言うところの「外部の者」「途中から入ってきた人」〔えらい悪かったなあ!〕)の割合が慶應の社会科学系学部の中では最も大きいのが商学部です。「慶應の理財課」が経済学部に名称変更をして、戦後、その経済学部が経済学部と商学部の2つに分かれたのであって、経済学部が理財課の後身で商学部は新しく作った学部というわけではないのですが、「名前をとる」人にとっては「慶應の経済」の方が「聞こえがいい」ということから、東大の経済学部では、社長の息子とかは、経済学部経済学科よりも経済学部経営学科に行く人が多いようですが、慶應の場合は、社長の息子は、東大だと経済学部経営学科に該当する商学部ではなく、東大なら経済学部経済学科に該当する方の経済学部に行く人が多いようです。
私の場合、もともとが哲学徒で、社会科学系学部に行くのであれば法学部にと思っていた人間が、何の因果か商学部に行ってしまい、卒業させてもらったという者なので、卒業証書には「商学士」と記載されていますが、
「(商学部+法学部+哲学・心理学)÷3」のような「商学士」です。
  愛知産業大学造形学部建築学科の通信課程に入学させていただいたのですが、仕事をもちながら通信課程を学ぶのは思った以上に大変。又、通学過程なら同じクラスの人と情報交換しながら助け合いながらやっていくということもできても、通信課程はそうはいきません。それで、3分の1程度履修したところで「中退」しました。残り、3分の2を学びたい気持ちもあるのですが、他にも学習しないといけないものもあり、中途で止まっています。

《愛読書》大塚久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』(みすず書房)他

《建築に関する愛読書》杉山英男『デザイナーのための木構造』(彰国社)
ブルーノ=タウト『日本美の再発見』(岩波新書) 他

   なにゆえ、インテリアコーディネーターhttps://www.interior.or.jp/ic/ の資格を取得しようと考えたのかというと、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ に入社して2年目の1993年、営業本部長からインテリアコーディネーターを取ってくれと言われたので、会社の上役がある資格を取ってくれと言う以上は、その資格を取得した人間としての仕事をさせたいという考えがあるのだろうと思って、上役が取ってくれと言う以上は、何としても取らないといけないと思って、片方で営業としての仕事をこなしてある程度以上の契約実績を残しながら、大変な努力と工夫によって、なんとか合格することができた・・・・というものだった。
   キッチンスペシャリストhttps://www.interior.or.jp/ks/ は、なぜ、取ろうと考えたかというと、最初、実際よりも簡単かと思ったのだ。ひとつには、ハウジングエージェンシー(株)の社長 三島俊介さんの著書『インテリア・建築業界でゼッタイ有利な資格の本』(1993.5. こう書房)に、インテリアコーディネーター・インテリアプランナー・キッチンスペシャリスト・宅地建物取引主任者・2級建築士・照明コンサルタント・消費生活アドバイザー・商業施設士・DIYアドバイザー・マンションリフォームマネージャーの10資格について、「取得が比較的楽」かどうかについて、◎、〇、表記なし の3種類に分けて書かれており、照明コンサルタントに◎、DIYアドバイザーとキッチンスペシャリストに〇がついていたので、キッチンスペシャリストは「取得が比較的楽」なのかと思ってしまったのだ・・・・が、実際に受けてみると、キッチンスペシャリストはちっとも「取得が比較的楽」なんてことなかった。三島さん、ええかげんなこと書いたらあかんで。

   キッチンスペシャリストは、学科試験と製図試験からなり、インテリアコーディネーターは1次が学科試験で、1次の学科試験に合格した者が2次の製図と論文の試験を受けることができたが、キッチンスペシャリストはそうではなく、同日の午前に学科、午後に製図の試験が実施され、学科に合格かどうかにかかわらず製図の試験を受けることができた。私がインテリアコーディネーター試験を最初に受けたのは1993年、キッチンスペシャリスト試験を最初に受けたのはその翌年の1994年。 インテリアコーディネーター試験は最初に受けた1993年のみ大妻女子大が試験会場で、インテリアコーディネーター試験の2回目以降とキッチンスペシャリスト試験はすべて青山学院大学で受験した。何がなんでも通らないとと最後は意地で通ったが、青山学院は自分が卒業した学校ではないが、10月にインテリアコーディネーター試験の1次、11月にキッチンスペシャリスト試験、12月にインテリアコーディネーター試験の2次があって、最初にインテリアコーディネーター1次とキッチンスペシャリストを受けた1994年からキッチンスペシャリストの製図に合格できた2001年まで、なんと8年間、普通に大学から入学して留年・休学せずに卒業した人間の倍、もちろん、学生のように毎日行っているわけではないが、それだけそこに通ったことから、母校ではないのだが、なんだかなつかしい思いがする場所になった。
   厳密には私にとって青山が「なつかしい場所」であるのはもう1つ理由がある。今は昔、1980年代だが、新帝国警備保障(株)から交通誘導のガードマンの仕事で青山の小原流会館の近くのビル建築の現場に行ったことがあったのだ。その際、生コン車のおっさんが、 「なんだか、このあたりを歩いているやつを見ると、なんか、青山て顔してるよなあ」と言われ、「その点、俺たちは葛西か江戸川の顔だもんなあ」と、「俺たち」の仲間に入れていただいたのだが、その時の意識が今もあるので、「青山を歩いているやつ」を見ると、そいつらは「青山て顔のやつ」で私などは「葛西か江戸川の顔」の人間なのだろうなあと思ったりする。青山学院あたりの大学に行ったやつが、近所の「名店」でクロワッサンか何か食ってる時に、こちらはコンビニ弁当食って交通誘導していたわけだ。そういう経験をずいぶんとしてきた。ロシア民謡に「ドゥビヌーシカ」という歌があるが、これはロシア語の歌詞と日本語訳として作られたものが異なり、「日本語訳」は実は訳ではなく作詞されたもののようだが、その「日本語訳」の方に「イギリス人は利巧だから水や火などを使う。ロシア人は歌を歌う。それは仕事の歌」というくだりがあったが、なんか、そんな感じ。青山あたりにしか行けない、小学校から高校までその程度の勉強しかしてきていない人間がけっこういい服着てクロワッサンでもかじっている時に、私は建築現場の交通誘導をしていたのだ。
〔 ロシア民謡の「ドビヌーシカ」、日本では「仕事の歌」として歌われる歌は、日本語の「対訳」とロシア語の歌詞とで歌詞の内容が違う。私は、このブログを最初に「社会科学系学部卒・男性のインテリアコーディネーター」2016.11.27.と「ベルニーニはお好き?」で公開した2016.12.20、日本語の「対訳」は歌の節に合わせて歌いやすいように「対訳」の「訳者」が作成したものかと思っていた。それで、その前提でここに書いたが、その後、田中克彦『「シベリアに独立を!」 諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす』(2013.6.18.岩波現代全書)を読むと、そうではなく、この「ドビヌーシカ」には何通りかの歌詞があって、ロシア語のものにも、日本語の「対訳」で歌われる「イギリス人は利巧だから水や火などを使う。ロシア人は歌を歌う、それは仕事の歌」というものに該当するそれに近い歌詞のものがあった、ということを知った。それを、↓ の方に書いたので見ていただければと思う。〕
  父は「神さまは人間を支配する民族と支配される民族に2つに分けてお造りになっている。わしいはドイツ人でアメリカ人。わしは支配するための民族。あんたあはロスケでイタコでチャンコロ。あんたあは支配されるための民族。あんたあは常に人から命令されてせっせせっせと働くための民族」と毎日毎日私の鼻の頭を指さして言っていたが、おかげで、ドイツとアメリカ合衆国はあんまり好きでなくなり、イタリアとロシアと中国には親しみを感じるようになった。たしかに、青山あたりをけっこういい服着て歩いている連中を見ると、「ドイツ人」か「アメリカ人」て感じがする。その点、わたしらは「ロシア人」なのかもしれない。なにしろ、「ロスケじゃ、おまえは」と毎日のように言われて来たのだから。(⇒《YouTube-仕事のうた》https://www.youtube.com/watch?v=6GRUhyhiKjY

   キッチンスペシャリストが「取得が比較的楽」なんて、とんでもない! と私は思う。 取得が大変なのは理由が3つある。
1つは、もともと、そんなに取得が楽な試験じゃないこと。
2つ目は、試験の内容、特に製図の方が製図でも特殊なもので、キッチン製図のテキストがあまり販売されていなかったため、学習しようとしても学習しにくかった。(今は、ハウジングエージェンシーから、中原章『キッチン製図入門』が出ている。) 
3番目は、キッチンスペシャリストの試験対策の講座を受講しようとしても、東京か大阪でしかやっていない。その為、「地方」に勤務している人間にとったは通いにくかった、ということがあった。 2級建築士なら、地方都市でも、日建学院とかが学科試験対策も製図試験対策も講座を持っている。 インテリアコーディネーターは日建学院は製図だけ講座を持っていたという話を聞いたが、受講する人があまりないのでなくなったという話も聞いたが、今はどうなっているかわからない。ハウジングエージェンシー他、何社がインテリアコーディネーターは1次対策も2次対策も講座を持っていて、東京・大阪などで実施している。ところが、キッチンスペシャリストになると、東京か大阪で実施されることはあるが、企画しても応募する人が多くないとかで中止になってみたりする。
私は、ハウジングエージェンシーのキッチンスペシャリストの製図講座に通って、最後は何とか合格できたが、1.もともと、簡単じゃない。2.製図は特殊で私が受験を始めた頃はテキストがあまりなかった。3.(株)一条工務店で会社都合で「地方」に勤務していた私にとって、地方都市では試験対策の講習をやっている所はないのは条件が悪かった・・・といったことで、キッチンスペシャリストは決して「取得が比較的楽」な試験ではない・・・にも関わらず、簡単なのかと思って受験を始めてしまった。
   かつ、最初に受けた1993年では、学科と製図を同時に合格しないといけなかったが、2回目の受験の1994年から、学科だけ合格の場合、翌年から3年間は「学科免除」で製図だけ受験することが可能になってしまった。その結果、「せっかく、学科に通った以上は製図も通らないと」という気持ちになってしまったのだ。しかし、キッチンスペシャリスト試験が「比較的楽」なのは、あくまで、学科に合格することについてであって、製図試験は決して「比較的楽」ではないのだ。学科も、あくまで、インテリアコーディネーター1次とか宅地建物取引主任者〔→宅地建物取引士〕試験などとくらべれば「比較的」楽かもしれないというくらいで、何もしなくても通るというほど「楽」であるわけではない) かつ、学科試験にぎりぎり合格できるレベルの学科の能力では製図試験に合格するのは難しいので、結果として、学科も決して「比較的楽」ではないことになる・・・
(学科と製図の両方合格で「キッチンスペシャリスト1級」、学科のみの合格で「キッチンスペシャリスト2級」となっているとかならば、2級は「取得が比較的楽」とかあるかもしれないが、そういうものはない。学科だけ合格しても向こう3年間学科免除で製図試験だけ受けることができるというだけで、4年目には失効する。学科に通れば製図試験はその後3年間学科免除で製図だけ受けることができるが、キッチンスペシャリストの製図試験は学科合格の年と合わせて4回受ければ必ず通るという試験ではない。4回とも落ちる可能性は十分ある・・・というより、私は1回目に学科に通った年から製図に計6回落ちたのだ〔文字通り「自慢じゃないが」、学科だけ合格という制度がなかった最初の受験年を合わせると7回落ちたのだ〕。雇用能力開発機構の「就職コンサルタント」のおっさんは「インテリアコーディネーターやキッチンスペシャリストなんて、誰でも名前と受験番号さえ書けばずえったいに間違いなく通る試験だ」などと暴言を吐いたがとんでもない! キッチンスペシャリストは相当難しい! その雇用能力開発機構(現 高齢・障害・求職者雇用支援機構)の「就職コンサルタント」のおっさんは「私は石原慎太郎都知事の知り合いなんだけれども」と言っていたが、雇用能力開発機構の就職コンサルタントこそ「石原慎太郎都知事の知り合い」なら「ずえったいに」なれるのではないのか?)
が、「比較的楽」なのかと思って、インテリアコーディネーター試験に合格できるなら、キッチンスペシャリスト試験も「ついでに」みたいに合格できるのか・・・みたいに思ってしまって、受験を始めてしまって・・・・・、「いったい、どこが『取得は比較的楽』やねん! と思い知らされた。 ちっとも楽じゃない。 むしろ、インテリアコーディネーターの2次の製図は、三角定規やコンパスを使用しての製図で、キッチンスペシャリストの製図はフリーハンドで書けというもので、キッチンスペシャリストの製図試験というのは、「キッチンを中心としたキッチン・ダイニング・リビング」が出題対象となることが多いので、インテリアコーディネーター試験と出題対象がかぶることが多く、似た対象の製図を異なる手法で書くというのは、同時にやると頭が混乱する・・という事態になってしまい、その結果、両方の合格が遅くなってしまったようなところがあった。人によっても違いはあるのかもしれないが、これから受けようという人は、より大事と思う方を先に合格して、その後、もう1つ取得するべきか必要ないか考えて決めた方がよいと私は今は思う。
   ちなみに、私のインテリアコーディネーター(I.C.)とキッチンスペシャリスト(K.S.)の試験の受験歴は、
1993年 I.C. 1次不合格。
1994年 I.C. 1次不合格。 K.S. 不合格。
1995年 I.C. 1次合格。 K.S.学科合格、製図不合格。
1996年 I.C. 1次免除、2次合格。 K.S. 学科免除、製図不合格。
1997年 K.S. 学科免除、製図不合格。
1998年 K.S. 学科免除、製図不合格。
1999年 K.S.学科合格、製図不合格。
2000年 K.S.学科免除、製図不合格。
2001年 K.S.学科免除、製図合格。
受験会場は、1993年のインテリアコーディネーターのみが大妻女子大で、他は青山学院大学でした。 ちなみに、大妻女子大というのは、女子大なのに男性用トイレがある!!! すごい!と思いませんか? ・・・そんなことに感動するのは私だけか? 実際、受けに行く前、男が女子大なんて所に入っていいのか? 女子大に男性用トイレはあるのだろうか? も~しも、なかったら、どうしよっ・・・・とか考えたものだ。 もっと、試験問題について考えればよかったのにね・・・・。

   (株)一条工務店に入社した時、営業本部長のA野は「慶應大学の卒業生がうちの会社に来てくれるのかと思ってびっくりした」と言って喜んでくれた・・・・はずだ。 だから、それだけ、喜んでくれるのなら、ここに勤めて悪くないのではないかと思ったし、それだけ、喜んでくれるなら、慶應義塾の卒業生としての仕事をさせてもらえるのだろうと思った・・・・が、(株)一条工務店の中卒や高卒のオーナー経営者が考えることはそうではなかったようだ。 「うちの会社にも慶應でた人間いるんですよお」と言うのに使える! とか思っただけで、活用しようという気持ちはなかったようだ。
    私は、最初、東京営業所に入社したが、私が入社した時に見た「ビーイング」には「転勤はありません」と書かれていたが、それにもかかわらず、2年目に福島県いわき市の営業所に行ってくれと言われた。 「〇〇くんは、慶應大学の出身の人ですから、他の人とは違っていろんな所を経験してもらおうと思いました」と言ったはずだ。 それはおかしな話ではない。 求人広告に「転勤はありません」と書かれていたとしても、慶應義塾大学商学部の卒業証書を手にした時から、「一般職」とか「地方限定社員」としての採用はないと考えるしかないと私は認識してきた。 あるのは「総合職」「全国社員」として採用か不採用かどちらかである、と。だから、「〇〇くんは、慶應大学の出身の人ですから、他の人とは違っていろんな所を経験してもらおうと思いました」と口に出して言おうが言うまいが、そういう内容のはずだ・・・が、  「転勤はありません」と求人広告に掲載している以上、それもまた無視して良いはずはないが、そういうことを考える会社ではなかったようだ。 なにしろ、カタログに「(株)一条ヨーロッパ(バルセロナ)」と書いていて、ヨーロッパからの輸入家具を扱う会社を持っていて、バルセロナに駐在所があると言っておきながら、実際にはバルセロナの駐在所なんてそんなもの何もない「エアーフローシステム(壁体内換気)」とカタログ書いて図を表記して壁体内の結露を解消するシステムを設けていると言いながら、実際にはそんなシステムなんて建物にない! むしろ、その頃、室内側から壁体内への湿気の進入を防ぐために設けられている壁用断熱材グラスウールの室内側防湿層を筋交いやドア枠・巾木などを突き刺して必ず破っている、 柱・梁・土台の外側に窯業系サイディングを「直貼り」することで枠組壁構法(ツーバイフォー工法)と同じく壁体内に外側からフタをする状態の施工をしていた会社、工場見学会に行くと、独自に開発した「木口を叩いて音の伝わり方から梁材の強度を調べる検査機」で、おもむろに、お客様の前で「コン」と叩いて見せて、緑のランプがついて、「あ、これは目が詰まった強い木だということですね」とおもむろに言い、黄色のランプがつくと「これは少し心もとない」、赤のランプがついて「ブー」とブザーがなるものがあると「こういう木は梁としては使わず、もっと力が加わらない場所で使うようにするわけです」とか説明係がもったいつけて言いながら、そんな「検査」は工場見学会の時だけ限定でやる大道芸であって、実際に梁桁材を加工して出荷する際には音の伝わり方から強度を調べる機械でおもむろにコン!と木口を叩いて検査するなんてそんなことしてまへ~ん! という会社、その頃は土台には「注入土台」(「ボリデン」。べいつが〔ヘムファー〕に防腐防蟻剤を加圧注入したもの)を使っていたが、「他の会社でも土台に注入土台を使っている会社はありますが、そういう会社は注入されたものを買って来て、それから土台の継手を加工するので、せっかく防腐防蟻剤を注入された土台でも、一番よく注入された外側の部分を削り落としてしまうことになりますが、一条工務店では自社で加圧注入の設備をプレカット工場に持っていますから、土台はプレカットしてから注入するということができる。一番よく注入されているところが外側に残ることになります」などと工場見学会などで説明しておきながら、実際は、柱や筋交い・大引き・根太などは自社で注入していたようだが、土台に関しては注入されたものを買ってきて、注入されたものを加工していたにもかかわらず、嘘を話していた会社であり、鉄骨造の工場の防火材の吹付鉱物繊維が剥落してボトッと落ちて来る、粉塵が舞いまくる工場で、運送屋のトラックは路駐しまくりの工場に、「ISO9001取得工場」とでっかい看板を工場の門の脇にかかげて、つるんつるんの溝がまったくないタイヤのフォークリフトに「ISO9001対象車」と大書きしたシールを貼っていた( ISOとは、「いいかげんそう」の略だっけ?)という会社でしたから。
  いずれにせよ、私は慶應義塾大学商学部の卒業生として、大学卒業までに、経済学やマーケティングなどを学んできた者であり、商学部卒とはいえ、もともと、商学部に行きたいと思って行ったのではなく、心理学などに関心があって、社会科学系学部なら法学部の方がいいと思っていた人間で、その結果、労務管理論や労働法・労働経済学などと法律科目を多く履修してきた者で、前職として勤めた会社で人事総務部にいたこともあるという者であり、慶應クラスの大学の卒業生をなかなか採用できない会社としては、採用した場合にはそういったものを生かすべきであったはずである・・・が、今、考えてみると、「うちの会社に慶應大学の卒業生が来てくれるのかとびっくりした」と言った営業本部長のA野が何かそれを生かしたかというと、フィリピンパブに連れて行ってくれて、フィリピーナのおねえちゃんに「〇〇くんは慶應大学の出身なんだぞお。すごいだろお。(で、俺はその上役なんだぞお)」と、言っても、何を言われているのか意味がわからない相手に話した・・・・という、そんな使い方しかしなかった。今、考えると、そんなあほくさい情けない泣きたくなるような使い方しかできない人、その程度の人だったのかもしれない。

   慶應大学の商学部の卒業生を採用したいと思ってもなかなか採用できないくらいの会社が採用できた以上は、それを生かすべきであり、5年も10年も一線の営業をさせていたのでは、何をやっていることかわからない。 マーケティングなり商品開発なり、新規出店計画を担当させるか、あるいは、人事総務でもいいだろうし、(株)一条ヨーロッパは嘘っぱちだったらしいが、海外から輸入しているものもあったわけだから、語学力も少なくとも(株)一条工務店の中卒や高卒のおっさんと比べればずっと上であったはずなのだから、海外との取引の担当をさせるとか、そういう使い方があったはずだ。 その為には、全国一の営業成績を上げるとかいうことよりも、複数地域で「ある程度以上」の成績を残す経験を積み、二級建築士の資格の取得は受験資格として大学の建築学科卒か7年以上の実務経験が必要なので、学歴関係なく受験できるインテリアコーディネーターの資格を取得して資格取得の過程で身に着ける知識・能力・技術とを合わせて、そういった仕事を担当させようというのは、大いに理解できることだった。
   だから、私は他の従業員よりも負担を払って「居住地の変わる転勤」もしたし、条件の悪い営業所でも奮闘して営業活動をして歯を食いしばって実績を残した。そして、苦労と努力と工夫を重ねてインテリアコーディネーター試験に合格した。 キッチンスペシャリストも取得しようとしたのは、会社という所において、上役から10のことをやってくれと言われれば、10のことをする人もおれば、7か8くらいしかできない人もおり、12か13のことをやる人もいる。だから、インテリアコーディネーターを取得してくれと言われたのだから、インテリアコーディネーターを取得するという「10のこと」ではなく、「12か13のこと」として、インテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストを取得しようと考え、少々、時間はかかったが、その2つの試験に合格し登録した。 会社が、上役が取ってくれと言った資格を取得したのだから、当然、その資格を取得した人間にさせる仕事をさせようということになるはずだ・・・・と私は思ったし、普通は思うと思う・・・・が、私にインテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言った営業本部長のA野T夫に合格しましたと言うと、彼はどう言ったかというと・・・→「おめでとう。さ~すがやなあ~あ」と。それだけ。何、それ??? 馬鹿にしてんのか!?!

   そして、その後、栃木県佐野市の営業所に転勤で移った後、2001年、栃木県南部の営業所長(職名は「副所長)になった私と同年代のK下が私に言った文句は、「あんたはインテリアコーディネーターでも簡単に通る。ぼくらはどんなにしても通らないのに、あんたは通るというのはずるい!」・・彼はそう言ったのだ。 私は、インテリアコーディネーターにしてもキッチンスペシャリストにしても、裏口で通ったのではない。 又、会社によっては、従業員に取得させたいという資格があった時、仕事をしなくてもいいからその資格試験の勉強させすれば一定期間給料を払うといったこをとする会社もあるようだが、私はそんなことをさせてもらって合格したのではない。 福島県いわき市の営業所にいた時、第一設計部の松本と一緒に図面打ち合わせをやり、次回の打ち合わせ日を決める際に、松本に「〇日はどう?」と言うと、松本は「〇日は、ぼく、日建学院」と言い、「それじゃ、▽日は?」と言うと、「その日も日建学院」と言い、「それじゃ、◇日は?」と言うと、「その日はちょっと」と言うので、「ちょっと、何?」と言うと、「だから、ちょっと」と言い・・、こいつ、いったいいつ働くんだ・・と思ったことがあった。いわき市の営業所のもう一人の設計の春田靖は私がいわき市に赴任した1993年に一級建築士に合格したらしかったが春田も同様に、勤務時間外とはいえ日建学院を仕事より優先していた。私はインテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストもそんなことをして通ったのではない。(株)一条工務店の営業は「ぼく、日建学院」なんて松本みたいなことやっていてこなせる仕事ではない。片方で、営業として過酷な勤務をこなし、実績を残しながら学習し、涙ぐましい努力をして苦労して工夫して、石にかじりつくようにして通ったのだ。「ぼくらはどうやったって通らないのに、あんたは簡単に通るじゃないか」という発言は大変失礼である。 そもそも、「ぼくらはどうやったって通らない」て、あんた、何やったんだ? 何もやってないじゃないか!勝手なこと言うな!

   さらに、2001年のこと。総務部長の天野雅弘から「だいたい、おまえが慶應でてるというのが、それがなにより気に食わんのじゃ。それが何より腹立つんじゃ。こう考えるのが常識じゃ」と。彼はそう言ったのだ。そして、「俺は正直に何でも言う方だからこういったことも口に出して言うが、口に出さない人間だって、みんな、そう思ってるんだからな。常識で考えろ」と。 常識で考えるならば、慶應クラスの大学の出身者をなかなか採用できないというくらいの会社が採用したならば、それを生かそうと考えるのが「常識」ではないのか。 会社の上役からインテリアコーディネーターをとってくれと言われれば、努力して精進して取得することができる人間というのは、会社としてその能力と姿勢を生かそうとするのが「常識」と違うのか。「腹が立つ」というのが「常識」か? 上役がインテリアコーディネーターをとってくれと言ってもとれない人間、合格しようという努力すらしないくせに努力して苦労して取得した人間に向かって「不公平だ」だの何だの言う勝手な人間の方には腹立たないのか?
   総務部長のA野M弘から「人事総務なんて、そんなもの、一族でもない者にさせるわけないだろうが。何、考えてんだ、おまえはあ」と、そう言われたのだ。もしも、浜松地方の工務店であるならば、「総務の責任者はO社長の義理の弟である営業本部長のA野T夫さんの嫁さん、経理の責任者はO社長のやはり義理の弟である企画室のS木室長の嫁さん」というのでもやっていけるかもしれないが、全国企業としてやっていこうということになれば、それでは無理なはずだ。旧帝大系国立大学か早慶くらいの社会科学系学部出身の人間を1人は人事総務や経理に配置して仕事をさせるようにしないと、「一族」の高卒か中卒、もしくは、高卒か中卒とかわらない「大卒」の人間にさせるというのでは、それでは全国企業としてやっていけないでしょう。「何、考えてんだ、おまえはあ」という文句は総務部長になっていたA野M弘の方が言われなければならない文句であろう。

   その後、(株)一条工務店をやめたが、同社に在籍中にインテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストを取得した。 2級建築施工管理技士も同社在籍中に取得した。 在籍中に取得した資格はいくつかあるわけだが、結局、「中程度の難易度の資格」を複数取得したが、やめてみると、中程度の難易度の資格をいくつも取得するよりも、弁護士とか公認会計士とか税理士といった「相当難関と言われる資格」だが、取得すれば「特に高収入かどうかはさておき食べていける可能性が高い」と考えられる資格を1つ取得した方がよかったのではないか と思われた。
   特に、インテリアコーディネーターは取得はけっこう大変であるにもかかわらず、一級建築士・二級建築士に比べて評価が低い。又、女性の場合はインテリアコーディネーターの資格を取得すると「インテリアコーディネーター」という職種名での仕事で採用してもらえる可能性が開けるが、男性が「インテリアコーディネーター」という職種名で募集しているものに応募しても採用される可能性は極めて低い。 「キッチンスペシャリスト」は合格は相当難関であり、知っている人は知っているのだが、一般の人の間での認知度が低く、「なめられている」ところがある。
   次回、そのあたりの経験について述べてみたいと思う。

   (株)一条工務店は、1.慶應義塾大学商学部卒の人間としての経済学・マーケティングなどについての知識・認識・発想。 2.複数地域で、決して条件が良い方ではない営業所で奮闘して営業の実績を残してきた人間の能力。 3.インテリアコーディネーターその他の資格取得の過程で身に着けた知識・技術、 4.同社の古くからいる高卒や中卒の従業員などよりははるかに上の語学力、5.なにより、上役が「取ってくれ」と言ったなら、なんとしても取得しようとして、きっちりと取得してみせる精神態度、片方で相当過酷な仕事をこなしながらでも資格試験に合格してみせる精神面の強さ、 といったものを持った従業員は、もっと大事にして活用するべきだったのではないかと思うが、フィリピンパブに行って、フィリピーナのおねえちゃんに「〇〇くんは慶應でてんだぞお。ずごいだろお。(俺はその上役なんだぞお)」と言うなどというあほくさい利用法しかできないというのは、愚かというしかない・・・・が、その愚かなヤツの会社に滅私奉公して人生を無駄にしてしまった男はもっと愚かなのかもしれない・・・。

   (株)一条工務店では、今、宮地某さんという慶應大学卒の人が社長になっていますが、この人は、最初から(株)一条工務店に入社して同社で努力して実績を残した人ではありません。私が11年余り在籍した時にはいなかった人です。 1996年8月まで社長になっていた大澄賢二郎は、『水滸伝』が好きだということで「梁山泊の精神」といったことを言っていたのですが、1996年8月に、息子が「刃物で女性を刺し殺し、官憲に追われ逃げる」というまさに『水滸伝』の登場人物 宋江(そうこう)みたいな行為、まさに「梁山泊の精神」を実行し、週刊誌やスポーツ新聞などで報道された際に、名目上、社長を辞任し、代わりに社長室長であった大澄の子供の頃からの友人だという山本庄一が影武者としての社長に就任しましたが、高齢になったので、代わりの影武者としてどこやらの会社から連れてこられたのが宮地某さんのようです。 初代社長の大澄賢二郎は、最初から、社長のくせに「専務」と称したりしていました。『水滸伝』で、梁山泊で実質上、首領として動いていた宋江(そうこう)が、初期においては、晁蓋(ちょうがい)を首領としながら実権を握って動かし、晁蓋が敵の矢に射られて他界した後は、副首領であった宋江が首領につくのが妥当と思われたにもかかわらず、蘆俊義(ろしゅんぎ)なる男をよそから無理矢理つれてきて首領につかせて、自分は「副首領」として陰から操ろうとしたという話があるごとく、初期においては社長のくせに「専務」などと言い、息子が女性を刺し殺したのを機会に社長を退いて「竹馬の友」の山本を社長にして影であやつり、山本が高齢になると、宮地某をどこやらから連れてきて、(株)一条工務店の仕事などそれまでやっていないのに社長に名目上つかせて操るという、まさに「梁山泊の精神」を実行してきたのですが、実質、社長ならはっきりと社長になった方がすっきりするし、息子が人を殺したということで名目上社長を退くにしても、実質上退くのでないなら、会長か相談役か何かになっておけば良さそうなものですが、名目上、晁蓋(ちょうがい)や蘆俊義(ろしゅんぎ)を影武者の社長につかせる、というあたりが「梁山泊の精神」なのかおのれの懐を肥やす為ならどんなことでも「やらまいか精神」なのか・・・・・。
   2016.11.27.作成
   2016.12.20.修正・加筆公開

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  なお、「資格」については、この後、
住宅販売士(全国住宅営業認定協会)
リフォーム提案士(全国住宅営業認定協会)
住宅建築コーディネーター(住宅建築コーディネーター協会)
を取得しました。

  原口秀明氏は「ミカオチャンネル@建築×不動産」https://mikao-investor.com/ によると、現在は、東京家政学院大学生活デザイン学科教授らしい。前は、どこだったか、もうちょっと有名な大学の教授だったような気がしたのだが、もしかすると、定年になって大学を変わったのかもしれない。どっちにしても、赤の他人だけどね。
  原口秀明氏のブログ「原口秀昭≒原田ミカオの建築×不動産日記」https://plaza.rakuten.co.jp/mikao/diary/201911170000/ は、なかなか、使えます♪ 「原口秀明≒原田ミカオ・・・」と書かれていたので、ダンナの名前が秀明、嫁はんの名前がミカオで、夫婦でブログを公開しているのか? と最初は思ったのですが、そうではなく、どっちが本名か知らんが、同じ人間で片方はペンネームみたいですね。

  ロシア民謡の「ドビヌーシカ」は、ロシア語では「棍棒(こんぼう)」という意味らしく、これは、ヴォルガ川の船曳人夫が船を曳く際に、綱をくくりつけて引いた樫の木の棍棒のことらしく、ドビヌーシカ(棍棒)を持って船を曳いたが、もしも、労働争議が実力行使に至ったような場合には、それが労働者の武器ともなったものらしい。日本では「仕事の歌」という題名で紹介されているが、「仕事の歌」では勤労感謝の日みたいなイメージ、頑張って一生懸命働きなさいよお~お・・みたいな印象を受ける題名だが、そんな簡単な内容ではない。
  たとえば、岸本力編『ロシア民謡集』(2003.11.20.全音楽譜出版社)に掲載されているロシア語の歌詞および伊東一郎の対訳と、『ダークダックスのレパートリーから コーラスへの招待1』(1974.7.25.全音楽譜出版社)に掲載されている津川主一の「訳詞」とでは歌詞が違う。ひとつには、慶應大学ワグネルソサエティー出身のダークダックスというグループは「ブルジョワ的」というのか何なのか、内容がない。私も子供の頃はダークダックスの歌というのが好きだったのですが大人になるとともにあんまりいいと思わなくなってきたのですが、このグループが歌うと、「ドビヌーシカ」のような恨みがこもったような歌でも「楽しい歌」にされてしまうようなところがあります。森鴎外『青年』に登場する平田附石という文学者が講演で「日本に持ってくると何でも小さくなる」と言い、イプセンも小さくなる、ニーチェも小さくなる、相当偉大な文学者・哲学者でも日本に持ってくると矮小化されてしまうと述べている場面がありますが、まさに、その類で、外国のいい歌でもダークダックスに歌われてしまうと、「日本的たのしいみんなの歌」にされて矮小化されてしまうところがあり、この「仕事の歌」もまたその傾向があったかと思います・・・が、この「仕事の歌」はダークダックスだけが歌っていたわけでもなく、津川主一訳の歌詞で歌う人はダークダックスだけではなかったはずです。津川主一訳の「2番」には、「イギリス人は利巧だから、水や火などを使う。ロシア人は歌を歌う。それは仕事の歌」というくだりがあるのだが、ロシア語の歌詞のものにはそれは見当たらない。外国の歌に「日本語訳」を作る時に、内容を変えてしまった「日本語訳」が作られて、それが日本人の間に普及してしまっているというケースはあるが、これもそのひとつか、それにしては、なかなかの歌詞、ロシア民謡にありそうな歌詞だと思っていた。このブログを「社会科学系学部卒・男性のインテリアコーディネーター」「ベルニーニはお好き?」で公開した時点ではそう思っていたので、↑にもその前提で書いたが、ところが、実は、この歌詞は、もともとのロシア語のものにも似たものがあったらしい。それが、田中克彦『「シベリアに独立を!」 諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす』(2013.6.18.岩波現代全書)に出ていたのだ。
《 ポターニンは1868年、自由剥奪と5年間の懲役刑を受けてスヴェアボルク要塞監獄の懲罰中隊に送られる。スヴェアボルクはフィンランド湾、ヘルシンキ沖にある小さな島で、今日では、もちろんフィンランド領になっていてスオメンリンナと呼ばれる。フィンランド語で、「フィンランド城(リンナ)」といったような意味である。ポターニンはここでの生活を出獄後、ヤドリンツェフに次のように書き送っている。

  スヴェアボルクでのくらしがどんなものだったか、書きたくないのだが、きみのたってもの求めに応じて、簡単に述べてみよう。最初の1年半は広場で働いた。斧で石を砕き、のこで薪を引いた。そして「ドゥビヌーシカ」をうたった。(シロフスキー103)
  「ドゥビヌーシカ」とは、日本では「仕事の歌」と訳され、戦後間もなくは、たぶん、シベリア帰りの捕虜たちが持ち帰ってよくうたわれたロシア民謡の一つである。私が高校生のときに聞いて、強く心引かれた二番目の、次のような一節がある。
  イギリス人は利口だから
  水や火などを使う
  ロシア人は歌をうたい
  自らなぐさめる
というのであるが、いかにもロシア人が好きそうなせりふではないか。しかし原文をいろいろとさがし出してしらべてみたけれども見つからない。そこで、これは日本人捕虜が、おもしろがって勝手に作って、つけ足したのかもしれない、とすれば、何としゃれた日本人がいたものだと思っていた。ところが、原文が見つかったのだ。
  私はロシアの歌集を買い集めたり、ロシアの人から歌集をもらうと大切にとっておく。その中にただ一つ、1993年にカルムイク共和国エリスタで出版されたのには、10番まであるドゥビヌーシカが含まれている。その4番目にあるのを、だいたい直訳するとこうなる。
  イギリス人はずる賢いから、仕事を楽にしようと、
  次から次へと機械を発明する
  ところが我がロシアの百姓ときたら、
  仕事がやり切れなくなると
  あのなつかしいドゥビヌーシカをうたうんだ

このような歌はほんとうは合唱するには向かない。ドストエフスキーも囚人の歌が「合唱でなく」、「もの思いにしずみながら」「一人でうたうのである」と記している。私も、ロシアの録音で、荒くれ男が、泣き叫ぶようにしてうたったようなドゥビヌーシカが一番好きである。まるで自分をどこまでも絶望に陥れて、身の置き場もなくしてしまうような歌い方である。・・》
(田中克彦『「シベリアに独立を!」 諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす』2013.6.18.岩波現代全書)
  「ロシア民謡」という言葉も、「日本民謡」の「五木の子守歌」とか「デカンショ節」とかと比較して考えると、ずいぶんとイメージが違うのだが、これも、本来は「五木の子守歌」とか「デカンショ節」とかの「民謡」とは違ったらしく、もともとは、「人民大衆の歌」だかそういう意味だったらしく、それを日本に紹介する際に「ロシア民謡」と表現してしまったようで、そこから、日本の「民謡」とはずいぶんと異なるものを「民謡」という言葉で表現されるようになったらしい。  

※ 《インテリアコーディネーター インテリア産業協会》https://www.interior.or.jp/ic/
  《キッチンスペシャリスト インテリア産業協会》https://www.interior.or.jp/ks/

 (2019.11.19.)
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