三十三間堂は木造の基本。梁と桁。身舎と庇。オバタリアンは不動産業にいい?ー妙法院・蓮華王院【6/6】

[第655回]
   三十三間堂の中央の千手観音坐像は≪作者は大仏師湛慶(たんけい)で小仏師康円康清を率いてことにあたった。≫ ≪湛慶は運慶の長男で、鎌倉中期を代表する彫仏師であった。父運慶の作風に一段と洗練の度を加えた気品あふれるもので、この中尊を作ったときすでに82才の老齢だった。 中尊は、単に湛慶の傑作であるばかりではなく、鎌倉彫刻の最後を飾る本格的な作品として美術史的にも重要な意味をもつといえるだろう。≫(『国宝 三十三間堂』2017.6. 発行:三十三間堂本坊 妙法院門跡。 制作:株式会社飛鳥園。)「本尊」ではなく「中尊」という表現がされているというのは、「本尊」は中央の大きな千手観音坐像と両側と背後の千住観音立像とを合わせた観音像で、その中の中央にある像ということで「中尊」という表現なのかと思います。その中尊はいいといたしまして・・・。
   この「とにかく長い三十三間堂」というお堂に、≪金色の千手観音立像が整然と立ち並ぶ。1001体のうち、124体が創建当初の像で、876体が鎌倉時代の再興像。1対が室町時代のものである。≫という1001体もの重要文化財指定の像が立っておられるわけです。東大寺の大仏なんてのは、年末に大掃除・すす払いをする姿がテレビなんかに出るのを見ることがありますが、東大寺の大仏さんはでっかいけれども1体ですからまだいいといたしまして、この三十三間堂の1001体もの像、いったい、どうやって掃除すんの? 特に奥の方なんて、どうやって入って行くの? 裏側からも入口が1か所あったように思いますが、その程度でなんとかなるものじゃないと思うのです。それも、丸みを帯びた体ならいいのですが、細長いのがいっぱい出てますでしょ。うかつに間を通ろうとするとひっかけて折ってしまいそう。掃除機をつっこんで吸い込むか? しかし、うかつに掃除機で吸うとくっついてる小さい仏さんとかを吸い取ってしまいそう。掃除機あけて中から出しても、それをこそっとボンドでくっつけようなんて思っても、どれについてたものかわからんで、困ったな、この際、適当にどれかにくっつけとくか・・なんてわけにもいかんだろうし・・・て、冗談みたいな言い方してますが、冗談やないで、ほんま。実際問題として、これ、いったい、どうやって掃除すんの? 
   さらに。 もしも、地震で揺れた時、これ、倒れてきたらどうしよ???  
≪ この千手観音坐像を中心にして、両側に各500体の千手観音立像(りゅうぞう)が、10段の壇上に50体ずつ、さらに本尊の真後ろに1対配され、合計1001体の千手観音立像が安置されている。
   また千体仏の前に、千手観音の眷属(けんぞく)、ほぼ等身大の二十八部衆が並ぶ。いずれも写実的で躍動感にあふれている。≫
( 『古寺を巡る26 妙法院 三十三間堂』2007.8.7.小学館 )
と、中央の千手観音坐像の右側・左側に千手観音立像が500体ずつ、中央の千手観音坐像の後ろにも1体。千手観音坐像の四方に二十八部衆のうちの4対が配置され、左右に12体ずつが立っている。さらに、その両側に雷神と風神。これだけの仏像があるわけです。ここに。
   端の雷神・風神と中央の千手観音坐像はまだいいといたしまして、右側、50体ずつが10段の壇の上に載り、左側にも50体ずつが10段の壇の上に載っておられるわけです。これ、もしも、地震が来て揺れた時、どうなるんだろ? お堂は倒壊とかせずに立っていたとしても、中の仏さん、倒れないだろうか?  ドミノ倒しみたいに、いずれかの千手観音立像が前に倒れてきたら、それに連動してバタンばたんバタンと倒れていく・・・なんてこと、ないだろうか?  そうなったらどうしよ? ・・・これ、考え出すと、今晩、寝られなくなっちゃうね。
   しかも、細長いのがいっぱいついているし、それも、1001体の千手観音立像て、ぼけっと見ているとみんな一緒みたいに見えるけれども、よく目を凝らして見ると、ひとつひとつ、少しずつ違うんだわ。 だから、どれかに付いていた小さいの・細長いのがとれたとして、それをくっつけようと思ったとしても、どれにくっつけるべきなのかわかりにくい。「適当にくっつけとけ」てわけにもいかないだろうし。
   ・・・これ、なんか、冗談みたいな表現していますが、冗談じゃないですよ、ほんと。どうするんだろ?

   さて、皆さん。 ↓ のように、蓮華王院本堂(三十三間堂)というのは、「なが~い」のです。
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( ↑蓮華王院本堂(三十三間堂)。 南東から見て。)
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( ↑南西から見て。)
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( ↑北東から見て。)
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( ↑北西から見て。 手前は「参進閣」と名づけられた「参拝者が進む経路」。)

( ↑ 蓮華王院本堂(三十三間堂)。 航空写真。 )
   ↑のように、上から見た平面で、長方形でも、短辺と長辺であまりにも長辺の方が長く、長辺に比べて短辺が短い建物というのは、ある程度以上の地震が発生した場合、長辺方向の揺れには強くても短辺方向の揺れには弱いということはないだろうか・・・などと思いませんか。高さの方は平屋であってそれほど高い建物ではないとしても、それでも、短辺方向の揺れには強くないのではないか。
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↑ の図で、(A)の場合。隙間家具というのでしょうか、本棚でも、幅が狭くい本棚てありますでしょ。40cmとか50cmとかの幅の本棚を持っていたが、それを部屋においていると、わずかに隙間があってそこも活用したいという場合のための幅の狭い本棚というのが販売されています。私もそれを持っていたのです。しかし、購入した時に住んでいた部屋では、その幅のものがあればちょうど隙間が埋まったけれども、引っ越すと「ちょうどいい」わけではなくなった。しかし、こういう幅が狭くて縦が長いという本棚というのは安定が悪いのです。それで、とりあえず、普通の幅の本棚と壁との間に幅が狭くて高い本棚を配置することにしました。片方に壁を持ってこれない場合、幅が狭い本棚しかなくても、それを横に2つ以上つなげれば、横幅が通常の幅になるので、幅が狭いものよりは安定します。
   それに対して、もともと、ある程度の幅があるものの場合。それをさらに横につなげたとしても、それほど意味はありません。地震で揺れた際に、本棚が手前に倒れてくるのを防ごうという場合、横方向につないでも、これはあまり意味がありません。それが(B)です。2015年、フリーダムアーキテクツデザイン(株)〔本社:東京都中央区〕https://www.freedom.co.jp/ で、地震で揺れた際に書棚が倒壊しないようにしたいという話が出て、幹部社員らしいアフター課の山本大輔(男。当時、20代前半。「建築専門学校卒」)が、どうしたかというと、(B)のように本棚の後ろに合板を打ちつけて横につないだのです。もしも、横幅が狭い本棚であったのなら、横方向へ倒れる可能性は小さくなるでしょうけれども、横方向につないでも手前に倒れてくるのを防ぐことができるかというと、あまり意味はない。このくらい、わかるだろうが・・と思ったのですが、どうも、わからないようでした。 三十三間堂の形状というのはそれに似たところがあるように思うのです。
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   もし地震で建物が揺れた際に書棚が手前に倒れてこないようにしたいということなら、方法としては↑の(C)のように書棚を背後の壁と接合するか、もしくは天井と接合するか、床と接合するか、その複合型にするか。
   あるいは↑の(D)のように床に書棚の平面よりも広い平面の板を設置して書棚と接合することで倒れにくくするか。私が産まれた日、母が祖母(母の母)と一緒に家に帰ってきたところ、11月のことで寒く、部屋は冷え切っていて、その冷え切った家に入ったとたん、赤ん坊は顔色が真っ青になっては母はどうしたものかと思ったそうで、祖母が近所の内科医院に行って「今すぐ来てください」と頼み込んで医者に往診に来てもらったが、部屋を暖めると徐々に顔色が戻ってきてほっとしたと今も話します。「その時、うちのお父さんはどうしてはったの?」と訊くと、「ゴルフに行ってはった」と言うのです。「出産というのは病気ではないとはいえ、何があるかわからないのだから、病院から子供を連れて帰る日くらいは、夫は一緒に帰るようにするか、そうでなくても家で受け入れられるように準備して待機するかするものだと思うけれども」と言うと、「休みの日だったけれども、それでも、ゴルフに行ってはった」と言うのだった。何もゴルフに行くことないだろうが・・と思うのですが、あのおっさんならそんなものだろうなという感じがします。父からすれば「子供は女が産んで育てるものなんやぞ。甘ったれておってはならんぞ、甘ったれておっては」というところだったのだろう。そういうおっさんだった。そういうことがあって、スウェーデン製だったかのPODという石油ストーブを購入したらしい。それは直方体型をしていたが、その何年か後、さらにおなじPODを購入したところ、新しく購入したものの方には、床の上に設置する石油ストーブの床面よりもひとまわり広い金属製の板状のものが附属されていて、それを石油ストーブの床面にとりつけることで倒壊しにくくするという工夫がされていた。(D)はそれである。もしも、書棚が手前に倒れてくるのを防ぎたいということなら、すでに横幅はある書棚をさらに横につなげてもあまり意味はない。そうではなく、やるとすれば、背後の壁か天井か床と書棚を接合するか、さもなくば、書棚の床面より広い面積の板状の物を床の上に用意してそれを書棚と接合するか、どちらかだろう。山本がやったことは、「何かやった」という実績は残せたかもしれないが、手前に倒れるのを防ぐためにはあまり意味はないことであり、そのくらいわかるだろうと思ったが、わからないようだった。「建築専門学校」というのは、私が高校を卒業する年、京大の建築学科とか東大の理科一類を受けたとして通ったかどうかというと、ある程度手ごわい相手を受ける以上は「絶対に通る」などということはありえないことだが、ともかく国立大学の建築学科というくらいなら合格できる所は間違いなくあったはずだが、それでも、父は「うちは工学部になんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言って絶対に行かせてくれなかった。「国立の場合は何学部でも学費は一緒や」とも私は言ったが、母は「100%絶対に通ると決まってるわけじゃないでしょうが。落ちたら私立に行かないといけないんだから工学部なんて受けたらいかんでしょうが」と言って受けさせてもらえなかった。ましてや建築の専門学校なんてそんなもの、行きたいなどと思ったことは一度もないが、もし行きたいと言ったとしても、「ふざけるな!」と言われるか冗談としか受け取ってもらえなかっただろう。ところが、建築業界に勤めると、そもそも、専門学校というのは予備校が学歴にならないのと同じで学歴ではないはずなのだが、又、予備校という専門学校に卒業はないのと同様に専門学校にも「卒業」というものはないのではないかと思うのだが、「建築専門学校卒」と称する人というのは「建築専門学校卒」が学歴になると思っているらしく、かつ、相当値打ちのあるものを「卒業」してきたように思っているらしい・・のだが、その内容はどうかというと、↑のように、義務教育修了以前のところがある。そんな専門学校はすべてぶっ潰した方が世の為ではないかと思うのだが、「実質、義務教育修了以前」の専門学校に行きたい人がいるから存在するようである。三十三間堂も、長い方向にさらにつないだとしても、理屈からいって、短い方向の揺れには強くはならないはずである。

   三十三間堂は、長辺方向の揺れには比較的強くても短辺方向の揺れには弱そうな感じがしませんか。ところが、13世紀、鎌倉時代、1249年(建長1年)に火災で焼失して、1266年(文永3年)に復興したということがあったものの、それ以外は災害で失われることはなく今日までこの建物は存在し続けたのです。
   『国宝 三十三間堂』(2017.6. 発行:三十三間堂本坊 妙法院門跡。 制作:株式会社飛鳥園。)には、
≪ 三十三間堂は長大な建物であるにもかかわらず、四度の大修理があったものの八百年近く現在の美しく荘重な形を保っている。これは建築史上でも特筆すべき事である。・・・
   ・・・時の工人たちは、天災に耐えうる建築工法を工夫した。先の得長寿院等を手本とした三十三間堂には工法上、基礎となる地盤は砂と粘土を何重にも層状に重ねて地下振動を吸収する「版築(はんちく)」が用いられ、構造材である柱や長押は、揺れが生じることを予測した構架になり、板壁も材を横にもちいた羽目板として土壁面積を極力少なくするなど様々な免震的工夫を施されている。≫
と記載されている・・が、「版築」はわかったが、板壁を材を縦ではなく横に用いて、横方向の力に抵抗できるようにしたというのはわかるとして、≪土壁面積を極力少なくする≫のがプラスなのかマイナスなのかはよくわからない。

   「建築探偵団」としてはおもしろい話が、坂本功『木造建築を見直す』(2000.5.19.岩波新書)に掲載されています。
≪ さてそれでは、三十三間堂の長辺は、ほんとうに33間なのでしょうか。観光客として行くと、建物の横(建築用語では「妻」「妻面」「妻側」などといいます。「つま」とは、もともとは「端」を意味する言葉だそうです)から中に入るようになっているので、外からのように、全体を一望するわけにはいきません。しかし、廊下(じつはこの「廊下」があることが、これからの説明と関係があります)を歩きながら柱と柱のあいだの数を数えることができます。答えは、33間よりも2間多い35間です。そうだとすれば、なぜ三十五間堂と呼ばないのでしょうか。
   それは、日本の木造建築の架構(かこう)の発達のしかたと密接な関係があります。「架構」とは、屋根や床を支えるしくみというほどの意味で、骨組とほぼ同じ意味です。その架構は、「軸組」「小屋組」で構成されています。軸組は、柱や梁〔はり〕(あるいは桁〔けた〕)で構成される骨組です。それに、屋根を支える骨組である小屋組が載ります。専門的には屋根組という言葉は使いません。また、体育館のような大きな屋根を支える骨組でも、「小」屋組と呼びます。
   さて、日本の木造建築の場合、架構の基本的な単位は、二本ののあいだの「梁」をかけわたして、それに小屋組を載せたものです。この柱と柱の間隔、つまり梁の長さを梁間(はりま)と呼びます。梁間は張間とも書き、英語ではスパンといいます。これをひとつの単位として、直交方向につないでいくと、長方形の平面をおおうことができます。
   ここで基本的な単位を構成する二本の柱の立っている方向(つまり梁のかかっている方向)を、梁間方向と呼び、それと直交方向(基本単位が並んでいる方向、つまり、桁がかかっている方向)を、桁行方向と呼びます。「梁間」と「桁行」とで表現が対応していないのは、すでに述べたように、架構におけるそれぞれの性格が異なるからです(もっとも、梁間方向のことを、梁行と呼ぶこともあります)。
   また、梁や桁などのように、水平になっている部材のことを「横架材(おうかざい)」と呼びます。
   このようなやりかたで木造建築をつくる場合、桁行方向にはいくらでも長いものができます。二本柱の基本単位をどんどん横に並べて建てていけばよいからです。法隆寺などの寺院の回廊はまさにそのとおりです。
   しかし、梁間方向の長さの限界は、梁として入手可能な木材の長さで決まるので、むやみと長くはできません。これでは梁間方向に広い空間をもつ建物はできません。そこで、梁間方向に広い建物を建てようとする場合、柱の外側にもう1本別の柱を立てて、それらの柱のあいだに別の梁をかけわたすのです。この部分を庇(ひさし)とも書きます)と呼んでいます。これに対して、もとの部分は身舎(もや)母屋とも書きます)と呼びます。つまり、建物の平面は「身舎」と「庇」で構成されることになります。
   庇は、身舎の一面(たいていは前面)につくこともあり、二面・三面・四面につくこともあります。梁間方向に庇があれば、それと同じように桁行方向の端、つまり妻側にも庇をつけることがあります。このような架構を前提として、建物の大きさをあらわすのに、身舎の桁行の間数と庇のとりついている面の数であらわすことにしたのが「間面(けんめん)記法」です。
   三十三間堂にもどると、もうおわかりと思いますが、三十三間堂は、33間の身舎の四面に庇がとりついた「33間4面」の建物なのです。本尊の十一面千手観音坐像と1001体の千手観音立像は、身舎の部分にいらっしゃり、わたしたちは庇の部分である廊下を通って礼拝します。
   日本の民家、とくに農家では、上屋(じょうや)下屋(げや)から構成されているものが多数ありますが、その架構も三十三間堂と同じで、上屋が身舎に、下屋が庇に対応しています。
   このように、日本の伝統的な木造建築は、広い空間の屋根を支えるための合理的な構造をもっているわけですが、西洋のキリスト教会の身廊・側廊からなる三廊式も、同様な考え方でできています。洋の東西を問わず、建物の構造の発達には、共通点が見られます。
   日本の伝統的な木造建築には、柱があります。柱のある構法を「軸組構法」と呼んでいます。・・・ ≫
( 坂本功『木造建築を見直す』2000.5.19.岩波新書 「2 天平の甍の秘密―日本の伝統構法のしくみ―」 )
    「在来木造」「伝統構法の木造」を考える時、梁(はり)と桁(けた)というのは、いったい、どっちが梁(はり)でどっちが桁(けた)なんだ? 梁間方向と桁行方向というのは、いったい、どっちが梁間方向でどっちが桁行方向なんだ? と、けっこうよく思案します。理解したつもりでも、そのうち、頭がこんがらかってきて、結論として、まあ、どっちでもいいや・・みたいになったり。屋根が寄棟屋根で、平面で見て正方形とたいして変わらないような長方形の平面の建物ですと、特にわかりにくい。切妻屋根の建物ですと、「平(ひら)」側と「妻(つま)」側がはっきりしますが、「大屋根」と言って、あえて、短辺側から長辺の方向に屋根をかける場合もありますし、いったい、どっちが梁でどっちが桁なんだ? いったい、どっちが梁間方向でどっちが桁行方向なんだ? ・・・と思案します。 そういう際ですが、↑の三十三間堂を思い浮かべて考えるとわかりやすい。なにしろ、「なが~い」ですから、短辺方向と長辺方向がはっきりしています。三十三間堂では、短辺方向が梁間方向、長辺方向が桁行方向、短辺方向にかかっているのが梁で、長辺方向にかかっているのが桁。 考えてみると、三十三間堂というのは、巨大な回廊みたいな造りと言えるかもしれませんね。

   中央の本体の部分、三十三間堂で仏さんがいらっしゃる部分を「身舎(もや)」もしくは「母屋」と呼び、その周囲、人が歩き参拝する部分を「庇(ひさし)」「廂(ひさし)」と呼ぶということですね。慶應義塾においては、内部進学の人たちがいらっしゃる所が「身舎(もや)」もしくは「母屋(もや)」で、私のような大学だけ行った人間がいる所が「庇(ひさし)」もしくは「廂(ひさし)」・・「わしぁ、庇の月見草」・・と、こう覚えるとわかりやすい・・かな・・・。
   「身舎」はともかく、「母屋」と書いて「もや」と読むこの用語ですが、「母屋(もや)」の方は、現在、一般に木造建築で読んでいる「母屋(もや)」とは違います。現在、一般に、母屋(もや)というのは、小屋組みで垂木(たるき)が上に乗っかる横方向の細長い木を言います。(株)一条工務店では、上棟の際には、営業は朝から作業服を着て工事現場に行き、大工と一緒に柱を運んだりしていました。私が同社に入社した1992年時点では営業は男性の仕事でしたが、途中から女性でも営業をやる人を採用するようになりましたが、女性でも上棟の際には朝から手伝いに行っていました。そうは言っても、梁などは重いですから女性には持てませんので、そういう重い物は男性が運びましたが、大引き・根太は小さくて軽く、この「母屋(もや)」や垂木といったものは細長いですから、女性でも持てます。大工というのは男の仕事のように思ってきましたが、西岡常一『木に学べ』(1988.3.1.小学館)を読むと、
≪  わたしは朝は6時半に起きます。起きたら煎茶を呼ばれます。それで気持ちを落ちつけて、それから洗面です。その後、背骨が歪んでいますので15分間、首をひっぱります。昭和35年(1960年)に福山の明王院五重塔をやりにいったときに痛めたものです。職業病みたいなもんですな。
   あのへんは力仕事もほとんど女の人がします。男は漁師ですから海に出てますな。女の人ばかりで芯柱をかついでよろよろして危ないんで、それで助けに行ったんですが、向こうはかなわんというので降ろしたのと、わたしが肩を入れたのと一緒でボキッと音がしましてな、背骨が少しズレたらしいですな。首ひっぱりますとラクになるんです。それから朝ごはんです。・・≫
という話が出ています。広島県の福山市のあたりでは女性が大工仕事をするそうです。そこまでいかなくても、工事現場に行って、男性の従業員が重い物を運んだりしているのなら、女性でもお客さんではなく従業員ならば「何なとするもの」ではないかと思います。2008年、東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市。「東海住宅(株)」という名称でも、静岡県・愛知県では営業はしていない。茨城県の東海村でも営業はしていない。創立者だという会長は山形県の出身であって、静岡県や愛知県の出身ではないらしい。〕http://www.10kai.co.jp/ の千葉市花見川区の花見川店(最寄駅は京成電鉄本線「八千代台」)の店長だった「大友ゆうこりん」(仮名)(女。当時、50代)が、冬場、私に雪かきをしてくれというのでやりました。店の前と店の駐車場の雪かきをやりました。さらに、八千代市で建売・建築条件付きで販売していた3区画の分譲地の前の道と進入路も雪かきを私がやりました。やって悪いとは言いませんが、しかし、男性に雪かきをやってくれと言うのなら、女性は女性で「何なとやる」ものと違いますか。ところが、「ゆうこりん」(仮名)は部屋中に入って座ってコーヒー入れて飲むのです。この話、建築業界で勤めてきた男性にしますと、「いるいる~う。そういうのお」と言ってうなづく人が少なくありません。男性が雪かきやったなら、女性もお客さんじゃなくて従業員であるならば、「何なとやる」ものと違うのでしょうか。部屋中に入って座ってコーヒー飲むのが「女性の仕事」でしょうか? それが「男女平等」でしょうか? それが「女性の社会進出」でしょうか? それって、「進出」ではなく「侵入」か「侵略」かではないでしょうか。そんな「進出」されたのでは男性は迷惑なんですけどね。東海住宅(株)では80代の会長(男)が「不動産業には女性がいい」と言い、そして、「女性は土日は遅刻してきてもいい」と言ったということで、「大友ゆうこりん」(女。当時、50代)は土日になると、朝は始業時刻よりも40分ほど遅れてきて、帰りは終業時刻より前に帰ります。「女が働くのは大変なんだからねえ」と言って。私は始業時刻より30分ほど前から行っていますから、だから、「ゆうこりん」(仮名)よりも1時間少々早く行っていることになります。オープンハウスとか開催する場合、私が鍵を開けて、雨戸を開けて、部屋の掃除をして、石油ストーブに灯油を入れて点火して部屋を暖めて、前の道を掃除して、幟を立て万国旗を張り、案内板を立てて、来客用駐車スペースにしていた更地の雑草を抜いて、カタログを並べてしたころに「ゆうこりん」はやってきます。そして、雑巾1枚とって玄関の下駄箱の上を1回さすって、そして、「私がここまでやった」と口にします。この女、女でなかったら殴られるぞ! ということを毎回やるのです。客が来ると、「店長だから」ということで準備も掃除もしなかった女が先に接客します。「ゆうこりん」が接客している間、私は客の子供の相手をしたりしますが、「ゆうこりん」は自分が接客すると次の接客順位は私でしばらく来客はないだろうと思うとさっさと出かけて行きます。夕方になると終業時刻よりも前に電話してきて、「私はこれから帰るから、あと、片付けておいてねえ。女が働くのは大変なんだからねえ」と言って終業時刻より前に帰ります。「ゆうこりん」(仮名)はそういうことを「やったことがある」ではなく、毎回それをやるのです。それが「女性の権利」のように思っているようで、「会長が女性はそうしていいと認めている」と言うのですが、会長が認めたのであれば、そういう女性のしわよせは会長が負担するべきではないでしょうか。なにゆえに、周囲の男性従業員が犠牲にされなければならないのでしょうか? 管理する立場の役職の人間というのは「ゆうこりん」のようなことをする人に注意するのが仕事のはずで、東海住宅(株)の会長のように逆をされたのでは困ります。こういう「女性の社会進出」は男性にとって迷惑なんです。東海住宅(株)で建設部担当の役員であったその頃は常務取締役で後に社長になった大澤(男。当時、50代)は「不動産業というものは、きのうまで単なる家庭の主婦だった人が売れたりする業界なのです」と言っていたが、それは、長くやることで少しずつ仕事を覚えて少しずつできるようになっていく仕事もあれば、そうではない、長くやればできるようになるというものでもないという仕事もあるわけで、不動産業の営業というのは長くやればできるようになるものでもなく、「きのうまで単なる家庭の主婦だった人が売れたりする」という方の仕事だと言いたいようでしたが、不動産業というものは長くやれば売れるようになるものでもないとしても、しかし、「昨日まで単なる家庭の主婦だった人」というのは、売れても売れなくても、たとえ売れた場合でも、やっぱり、「昨日まで単なる家庭の主婦だった人」ではないか。「昨日まで単なるオバタリアンでしかなかった人」というのは、売れても売れなくても、たとえ売れても、それでもやっぱり、「単なるオバタリアンでしかない人」ではないか? 当時、建設部担当の役員で後に東海住宅(株)の社長になった人相の悪いヤクザ顔の大澤(男。当時、50代)は、人相と眼つきが悪いだけあってそのあたりを理解できていなかったようであった。上棟の工事現場に行って、男性が梁を運んだら、女性は客じゃなくて従業員であれば大引・根太か母屋・垂木でも運んだらどうかと思うのだ・・が、「男がやるもんでしょ。女が働くのは大変なんだからねえ」と言って部屋中に入って座ってコーヒー飲む女・・というのが不動産屋にはけっこう多いようであり、東海住宅(株)ではそういう女性の態度を「会長が認めている」ということだった・・が、その耄碌爺、そのうち殺されるぞ!・・という態度を東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕の会長は取っていたのであった。男でも、「設計」という職種についてきた人間には、「設計はシャープペンシルより重いものは持ってはならない」という信念もっている男がいて、そういう人間は建築現場に行って、他の従業員がどんなに大変な思いをして重い物を運んだりしていても指一本動かさない。そういう人間は「持たない」のだから、それがどのくらいの重さなのかも知らない。(株)一条工務店 では、営業本部長の天野隆夫が「営業は設計にはどんなことでも服従しろ」と言い、「バカでも入れる私大の建築学科」でてきた20代の設計は自分たちは特権階級だと思いあがっているため、天野隆夫の指示に従って建築現場に行くことがあっても、シャープペンシルより重いものは絶対に持たない。ゆえに、世の中には、「地方」に行くと「大工さま」の評価が高く、都市部では「設計士さま」の評価が高いのだが、実際問題として、ほかの従業員が手を動かし足を動かし汗を流して働いている時に、ぼけっとつっ立って見物していたヤツというのが建築工事についてよくわかっているかというと・・・・、実はそうではない。「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間を増長させるというのが(株)一条工務店のオーナー経営者の趣味らしいのだが、私はそういうのがいいとは思わない。又、営業でも、新華ハウジング(有)〔建設業。千葉市中央区鵜の森町1。2013年11月に正式に倒産。〕にいた かじ〇(男。当時、40代前半)などは、2010年11月、東金市の工事現場で、現場見学会の準備のために、ほかの従業員が会場を用意するために材木を運んだりしていても、ポケットに手をつっこんでふんぞりかえって見物していたので、「こいつ、建築屋じゃないな」と思った、ということがあった。東海住宅(株)の耄碌した会長が「不動産業には女性がいい」と言ったというのだが、男性従業員が雪かきすると部屋中に入って座ってコーヒー飲むヤツが「不動産業にはいい」かというと、私は違うように思うのだが・・、爺さんからすると50代の下品なおばさんというのが「女」に見える、ということなのかもしれない。で、その「女性は梁は持てないということなら、それでもともかくまがりなりにも従業員なら、せめて、母屋(もや)でも運んだらどうなんだ!?!」という「母屋(もや)」は小屋組みで、垂木が棟木の位置から下に下がってきたその下に横に配置して垂木を受ける木材のことであり、坂本功『木造建築を見直す』(2000.岩波新書)の「2 天平の甍の秘密」で三十三間堂の本体部分として述べられているものとは別で、坂本功『木造建築を見直す』でも、「3 在来木造工法―そのなりたちとしくみ―」の部分に掲載の「在来軸組構法」の図にも示されている。
※明王院HP http://www.chisan.net/myooin/

   「庇(ひさし)」「廂(ひさし)」も、一般には、屋根が外壁から外に出た部分を言うことが多いかと思います。坂本功『木造建築を見直す』(2000.岩波新書)で、三十三間堂の本体部分の「身舎(もや)」「母屋(もや)」に対して、その脇に設けた部分を指す「庇(ひさし)」「廂(ひさし)」とは用語の使い方が違います。

   「上屋」「下屋」の「下屋」ついては、坂本功『木造建築を見直す』(2000.岩波新書)「2 天平の甍の秘密」では、三十三間堂の「身舎(もや)」「母屋(もや)」の部分を「上屋」、「庇(ひさし)」「廂(ひさし)」の部分が「下屋(げや)」としていますが、小堀住研(株)では、1980年代後半に同社に入社した際の新卒社員研修では、「小堀住研では」≪2階建ての建物で、1階だけの部分≫を「下屋(げや)」と言っていると言われ、「これは、あくまで、小堀での言い方ですが」と言われたので、そういう用語の使い方をする人もあるが、違う使い方をする人もあるということなのかと思いましたが、≪2階建ての建物で、1階だけの部分≫を「下屋(げや)」と言う表現は小堀住研(株)以外でもその用語の使い方をする人はあったように思います。1間(けん)=1818mmの半分、半間(はんげん)=909mm を「1P」、1間(いっけん)=1818mmを「2P」という表現も、「これは、小堀住研だけの使い方ですか」と言われたのですが、これも、住宅建築業の会社においてはけっこうよく使っているようで、「正式」なものではなく、法律で定められたものとかではないのかもしれないが、1社だけで使っているのではなく、何社もでけっこう使っているように思われます。

   キリスト教の教会堂で、「三廊式」は身廊(しんろう)側廊(そくろう)の2つだと「二廊式」と違うのか、なぜ「三廊式」と言うのだろう・・なんて思いませんか? 《キリスト教会堂建築について》http://deo.o.oo7.jp/construction/study/Europeanchurch.html を見ると、「バジリカ式」では、中央の身廊の両側に側廊がつくとともに、全体が十字型で横に出た部分があって、これを「袖廊(しゅろう)」と言うらしく、身廊と側廊と袖廊で「三廊式」なのかな・・と思ったのですが、そうではなく、中央の身廊と両側の側廊とで、身廊1+側廊2=3 ということで「三廊式」のようです。
※ 《ウィキペディア―身廊》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BA%AB%E5%BB%8A
《ウィキペディア―側廊》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%B4%E5%BB%8A
《キリスト教会堂建築について》http://deo.o.oo7.jp/construction/study/Europeanchurch.html

  「とにかく明るい安村」という芸名の裸芸のおっさんがいましたが、蓮華王院本堂(三十三間堂)は「とにかく長い三十三間堂」
 「柱2本とそれに架かる梁」×34 の身舎(もや)+ 四方の庇(ひさし)
でできた三十三間堂というのは、木造建築、軸組構法の基本的な構造を考えるにはいい建物ですね。

  (2018.12.18.)

☆妙法院・三十三間堂・南大門
●妙法院門跡
1表門・フォーシーズンズホテル京都の側・土塀 https://shinkahousinght.at.webry.info/201812/article_1.html
2宸殿・普賢堂ほか https://shinkahousinght.at.webry.info/201812/article_2.html
3大玄関・庫裏 https://shinkahousinght.at.webry.info/201812/article_3.html
●智積院。南大門、法住寺、養源院と位置関係。https://shinkahousinght.at.webry.info/201812/article_4.html
●蓮華王院(三十三間堂)
1東大門・廻廊・蓮華王院本堂(三十三間堂)・鐘楼・庭園・西門 https://shinkahousinght.at.webry.info/201812/article_5.html
2三十三間堂は、木造軸組構法の基本。〔今回〕

木造建築を見直す (岩波新書)
岩波書店
坂本 功

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↑坂本功『木造建築を見直す』(2000.岩波新書)↑は、木造建築について的確に説明された本だとは思うが、しかし、最近の大規模木造建築の例として、≪ ・・都会にもそれにふさわしい木造建築が建てられるようになっています。ごく最近、東大のキャンパス内に完成した東京大学弥生講堂(通称一条ホール、香山壽夫、2000年)は、ガラスの箱に入った現代木造建築です。≫などと、東京都文京区の東京大学弥生キャンパス(農学部)内に、(株)一条工務店が従業員の給料をへつって貯め込んだカネから売名行為のために費用を出して建てた建物のことを、国が費用を出して設立した東京大学という国立大学において、1企業の名前を入れた売名行為につながる建物をそこに建てて良いのか? 東京大学は(株)一条工務店が費用を出して建てたといったことも東京大学のホームページに掲載し、東京大学のホームページから(株)一条工務店のホームページにリンクさせているが、国立大学である東京大学が大学のホームページを1営利企業のホームページにリンクさせて良いのか?  労働基準法違反の常習犯・札付き企業からカネをもらうということは、東京大学は労基法違反に加担していることにならないのか!?! ・・といったことを何ら触れることなく、称賛するかのように記述しているというあたりについては、「学者」としての責任感の欠如が感じられます。

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