箸・スプーンなしの弁当・ケーキを買った想い出。同年齢の既婚子持ちの思い上がり。無神経が「売り」の営業

[第649回] 営業と会社の話(153)
   スーパー・コンビニ・ほかほか弁当店などでお弁当を買うと、普通は黙っていても割り箸をつけてくれるか、もしくは、あらかじめついている。 ケーキ・プリンなどを買った時はプラスチック製のさじ(小さなスプーン)をつけてくれるものだ。 しかし、時々、店員が意地悪をするのか、不注意なのかつけてくれないことがある。その思い出を、今回、述べる。

1.  1980年代後半、私は大学4年の時だが、すでに20代の後半になっていたので、「誰もが行きたがる超有名大企業」は応募しても無理だと思われたが、朝日新聞社と毎日新聞社は応募の年齢制限が高かったので、何の準備もしていなかったが、ともかく、受けてみた・・・が一次の筆記試験で落ちた。うちは無理だなと実感した。受けに来ている周囲の人間を見ると、小学校の時も中学校の時も高校の時も私よりも成績が悪かったのではないかと思える人間が多かったが、朝日新聞社・毎日新聞社の一次(筆記)試験で出題されるのは、高校および大学受験で問われるような問題と「マスコミ」向け試験と言われるような問題で、前者については、大学受験時から年数が経って忘れてしまったものが多く、かつ、在学中は父から「あるばいとお、アルバイトオ、あるばいとお、アルバイトオ!」と言われ、「大学は勉強する所とは違うねんぞ。心得違いを起こすなよ、チャンコロ! 甘ったれておってはならんぞ、チャンコロ。アルバイトを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気にかかっている人間です。慶應大学の小此木啓吾先生というえらいエライえらいエライ先生がそうおっしゃってる!」と言って、あるばいとおアルバイトオあるばいとおアルバイトオとさせられてきて、そのアルバイトオに行った先、行った先で、「なんで、慶應の学生がこんな所にアルバイトに来るのお~お?」と言われ、少人数の授業の時に、夏休みに何をやっていたかと助教授からきかれて、箱根の保養所で2カ月間ずうっ~と泊まり込みで雑務のアルバイトをやってましたあ~と言うと、「きみ、そんなことやってたのでは勉強できんだろお」と言われたものだったが、我が家はそういう家庭だったので、一次で学科試験があって学科試験に合格した者だけが二時の面接試験に進むことができるという新聞社は無理だと思ったが、ともかく、受けた・・・が情けない思いをしただけだった。小此木啓吾は、私みたいに、あるばいとおアルバイトオあるばいとお・・とさせられていたかというと違うと思うぞ。おのれはけっこうな学生生活を送らせてもらっておきながら、ひとにはそういった態度をとる小此木啓吾内部進学塾風独善主義は許しがたい。
   毎日新聞社の一次試験はお茶の水の明治大学であったが、朝日新聞社の一次試験は大井の東京モノレール「流通センター」駅のそばの「東京流通センタービル」であったように記憶している。

(↑流通センタービル。)
川崎市幸区のアパートに住んでいた私は、川崎駅までバスで行った後、JRで「大森」まで行ってバスに乗ったか、京浜急行で「平和島」まで行ってバスに乗ったかどちらかの経路で行ったと思うが、バスがけっこう時間がかかったのを覚えている。付近には何もない所で、アパートの近所の川崎市幸区古市場のサークルKでお弁当を買って持って行ったのだが、昼休みにお弁当を食べようと思うと、割りばしが入っていない。情けなかった。付近にコンビニでもスーパーでもホームセンターでもある所なら、割りばしもしくは普通のお箸でも急遽買って使用するという方法もあるが、周囲は倉庫ばっかりという場所で、どうしようもないので、手づかみで食べたのだが、ごはんとおかずがはいったお弁当を手づかみで食べるというのは情けなかったし悲しかった。 購入したサークルKは住んでいたアパートの近くで、普段から買い物をしばしばしていた店で、次にそこでお弁当を買った時、今さら言ってもしかたがないとは思ったものの、「この前、ここでお弁当を買った時、お箸が入ってなかったんですよお」と言ってみたが、そうすると、サークルKの店員はどうしたかというと、「そうですか」と言って、割りばしを2つ入れたのだった。 お弁当を買った時に割りばしをつけてくれずに、しかたなしに手づかみで食った後、その何日か後で別に買い物をした際に、今さら、割りばしをもうひとつもらってもしかたがないのだが、私としては割りばしを後から余計にもうひとつ欲しかったのではなく、「すいませんでした」と一言くらい言うかと思ったのだが、店員としては「すいませんでした」と言うよりも、「ああ、そうですか」と言って割りばしをもうひとつ入れる方を選択したようだった。


2.  そして、今年。
  『旧約聖書 ヨブ記』には、財産を失い、子供を失い、健康を失ったヨブに、ヨブの妻は「あなたはまだ自分を全きものにしているのですか。神を呪って死んだらいいのに」と言う。そして、ヨブはついに口にする。
≪滅びよ、わたしが生まれた日。男(お)の子がはらまれたと言ったその夜。その日には――暗闇あれよ。上なる神その日を忘れ 光その上に照るな。 暗きと闇とそれを取り返せ。昼間の暗黒その日を驚かせよ。その日は年の日の中に加わるな。月の数の中にもはいるな。その夜は――真っ暗闇がこれをとらえよ。・・・・・≫
≪ 何故わたしは腹から出て死なず 胎から出たまま息絶えなかったか。何故わたしは死産の子のように 光を見ない赤子のようにならなかったか。何の故に膝があってわたしを受け、乳房があってわたしは吸ったのか。 でなければわたしは安らかに伏し 眠りに入って安きを得たろう。 ・・・・ ≫
(『旧約聖書 ヨブ記』第3章 関根正雄訳 岩波文庫)
  「誕生日を祝う」という意味を、ひとつ、大きくなったということを祝うと子供の頃は思っていたが、たしかに、子供の頃は、親にとっては子供がひとつ大きくなりふたつ大きくなったというのは祝いたいものであっただろうけれども、本来は「誕生の日を祝う」というのはそういう意味ではなく、自分自身が生まれてきたということについて、これまでの人生にいいことがあったかというとそれほどなかったかもしれないし、嫌なことは相当あったかもしれないし、今後もいいことがあるかどうかわからない、今後もいいことはないかもしれないけれども、たとえ、そうであっても、自分が誕生したということを祝おうではないか・・・というのが「誕生の日を祝う」という意味ではないかと思うのだ。 ヨブは言った。「滅びよ、わたしが生まれた日。男(お)の子がはらまれたと言ったその夜。・・」と。そのヨブの言葉のように「滅びよ、わたしが生まれた日」と考えるのではなく、いいことはあんまりなかったかもしれないけれども、それでも、とりあえずは、本日限定で自分の誕生の日を祝おう・・と今年もとりあえず、誕生の日の1日限定で考えた。そして、船橋市の近くのスーパー マミーマートに行って、自分で自分にプレゼントとしてケーキを買おうと考えた・・・が、スーパーでケーキを買おうとすると、たいてい、“2個パック” なんだわ。かつて、2個パックのケーキをローソンで買って、片方はお嫁さんの分だと思って自分で2人分食べてみたところ、ケーキというのは1人分食べるとおいしくても2人分も食べるとかえって気分が悪くなってくるもので、もうやらんと思ったことがあった。「ブルータス、お前もか」て感じで、「ああ、ケーキ、お前もか」と情けなくなった。お前も俺を見捨てるのか・・・と思って捜したところ、1個で売っているモンブランがあったのでそれを買ってきた・・・・が、いざ、食べようと思うと、スーパー マミーマートのレジのにーちゃんはプラスチック製のさじ(小さいスプーン)をつけていない。やっぱり、「ケーキ、お前もか」だった。情けなかった。 「お菓子ちゅうもんはスーパーでまとめて買うもんやないで。お菓子ちゅうもんは駄菓子屋でひとつひとつ買うもんや。ガキらの夢つぶしたんはわしらやない。ガキらの夢つぶしたんは森永や」と怪人二十一面相も言っていたが、「ケーキちゅうもんはスーパーで買うもんやないで」てことだったのか。もう、二度とマミーマートでケーキなんて買わんわ。「ケーキちゅうもんは、マミーマートで買うもんやないで」てことだ。


3. 『旧約聖書 ヨブ記』では最後の最後、
≪ヤハウェはヨブのすてての持物を二倍にして返された。彼の所にそのすべての兄弟たち、すべての姉妹たち、以前のすべての知人がやって来て、彼の家で彼と一緒に食事をし、悔みを述べ、ヤハウェが彼の上にもたらされたすべての不幸について彼を慰めた。そして彼に一人一人一ケシタと金の輪とを贈った。ヤハウェはヨブの終わりをその始め以上に祝福され、彼は羊一万四千頭と駱駝六千頭と牛千軛とを与えられた。また彼に七人の男の子と三人の女の子が与えられた。・・・・≫
(『旧約聖書 ヨブ記』第42章 関根正雄訳 岩波文庫 )
というが、私の所にはそういうことはなく最後の最後まであほくさい役まわりばかりかもしれないけれども、それでも、まあ、誕生の日にはケーキでも自分で買って祝おう・・・などと考えたことが2002年にもあった。
  その時は山梨県の上野原町(今は上野原市になっている)に住んでいたが、上野原の不二家 上野原店に行ったが店のおばさんは奥の部屋でテレビを見ているようで、私がドアを開けて売場に入ったのはわかっているはずだがテレビに熱心で出てこない。陳列棚を見て、これを買おうと決めて、奥の部屋に向かって「すいませ~ん!」と何度も声をかけるが、信念もって出てこない。そこへ、私よりひとまわり若い母親が小さい女の子2人を連れてドアを開けて入って来たが、子供づれが入ってくると、それまで、私が入るのにドアの音が聞こえてもテレビを見続け、私が何度も何度も「すいませ~ん」と声をかけても出てこなかった店のおばさんは、子供連れが来たと思うと即座に出てきて、そして、前から待っていた私を無視して、子供連れに愛想を始めたのだった。何、このおばさんは・・と思ったが、そんなところで怒るのも大人げないかと思って我慢していたが、しかし、店の人間も店の人間だが、その母親もまた母親である。「子供帝国主義」というのか、「子供づれは天下無敵」とでも思っているのか、まあ、昔からの言い伝えにもあるように、「女は弱し、されど、おばさんは強し」「泣く子もおばさんには勝てない」「おばさん通れば道理ひっこむ」てことであり、毛沢東主席は「強大さを誇る帝国主義者と反動派はハリコの虎である。見かけは恐ろしいがその実力はたかがしれており、やがて打倒される」とおっしゃったけれども、「ヒトラーはハリコの虎ではなかったか、日本軍国主義はハリコの虎ではなかったか。アメリカ帝国主義は今も存在し原子爆弾という恐ろしい武器をもっているが、これもまたハリコの虎であって、やがて打倒される」とおっしゃった・・けれども、唯一、オバサン帝国主義という帝国主義だけはこれだけはハリコの虎ではなく牙を持った恐ろしい本物の虎であって永遠に不滅! 世の中、何が強いといって、オバサンほど強いものはない! 男なんて勝てるわけがない! 子供を連れておれば水戸黄門の印籠でも持ってるみたいに思ってる女、「私は子供があるんですから」と言えばどんな不合理もまかり通ると確信している女・・・というのは、こういう女というのは、とうてい、男なんて太刀打ちできない。そこで、我慢したのだ。「子供帝国主義」「オバサン帝国主義」には勝ち目がないと思って。そうすると、上野原市の不二家の店員のおばさんは、先から来て待っていた私を無視して子供2人を連れた母親の相手をして愛想をし、母親は(前から来ていてすでにどれにするか決めて待っている人間がおり、自分たちはこれからどれにするか決めるのだから、前から来て待っている人間に先に店員に対応してもらって、自分たちはその間に選んでもなんら困ることはないはずであるにもかかわらず、)前から来て待っている人間をまるでそこにいるのが見えないかのように(まさに「傍若無人」、傍らに人無きがごとく)、「パパのお誕生日にどのケーキを買おうかなあ」とこれもまた私を無視して子供に話しかけて、そして、子供がパパのためのケーキを選ぶと、店員のおばさんというのかおばあさんというのかは、「ケーキに名前を入れることができますよ。何と入れましょうか」と言い、子供2人が「なんて入れたらいい~い」と言うと、母親は「それじゃ、『「パ~パ』と入れてもらおう」と言い、子供が「パ~パ」と言うと、店員おばさんは、前からずう~っと待っている私を完全に無視して「パ~パ」と札に入れてケーキに置いて手渡した。私がずう~っと待っていても、それでも店員おばさんは買い物を終えた子供と母親に愛想を続け、その3人連れが出ていって初めて私に「何でしょう」と言ってきた。感じ悪い店やなあ、感じ悪いおばさんやなあと思ったが、上野原なんて所にはケーキ屋というのは何軒もないのだ。だから、我慢して不二家で買ったのだが、ところが、先の子供連れと同じようなものを買っているのに、私には「名前を入れることができますよお」とは言わないのだ。何、この差別は! この店の子供帝国主義の態度はいったい何!?! と思ったが、まあいいわと思って代金を渡した。購入したのは今と同じ11月。店の棚には「クリスマスケーキの予約受つけます」といったチラシが載っていた。それを見て私が「このクリスマスケーキの予約ですが・・・」と話しかけたのだが、そこへ次の客がドアを「からんからんからん」と鳴らして入って来たところ、子供づれには私がずう~っと待っていても私を無視して愛想しつづけたおばさんが、私が話しているのに無視して次の客を相手しだしたのだ。気分を害して帰ったが、こんな店、二度と買わんわと思い、クリスマスにもケーキを買うことは考えてはいたのだが、やめた。
※ ぼうじゃくぶじん【傍若無人】 かたわらに人がいないように勝手気ままにふるまうこと。人を憚らずにふるまうこと。
保元物語「幼少より不敵にして、兄にも所を置かず、傍若無人なりせば」
( 新村 出 編『広辞苑 第二版』1969.第二版 岩波書店 )

( ↑ 不二家 上野原店は、たしか、このあたり、これも今は無くなったダイエー・グルメシティーの少し南にあったはずである。)
  ≪ 朝早く都へもどられる時、彼(イエス)は飢えられた。そのとき一本のいちじくの木を道ばたに見受けてそのほうに行かれたが、葉のほかに何も見えなかったので、それにいわれる、「もはや永久におまえには実が出来ないように」と。するとたちまちいちじくは枯れた。それを見て弟子たちはおどろいていう、「どうしてたちまちいちじくが枯れたのですか」と。イエスは答えていわれる、「本当にいう、もしあなた方が信仰を持って疑わなければ、いちじくのことを行なえるばかりか、この山にむかって『立ちあがって海に入れ』といってもそうなろう。すべて祈りのうちに信じて求めるものは受けるであろう」と。 ≫
(『新約聖書 マタイ福音書』21章 前田護郎訳。 『世界の名著 聖書』1978.9.20.中央公論社 所収)
 ≪ あくる日、彼らがベタニアから出てくると、イエスは空腹であった。葉のあるいちじくの木を遠くから見て、何かあろうとそこに行かれた。しかしそこへ行かれると、葉のほかに何もなかった。いちじくの季節ではなかったのである。そこで木にいわれた、「これから永遠にだれもおまえの実を食べないように」と。弟子たちはそれを聞いていた。・・・・
   翌朝早く、彼らは通りがかりにいちじくの木が根元から枯れているのを見た。ペテロは思い出して彼にいう、「先生、ごらんください、お呪いになったいちじくの木が枯れています」と。イエスは答えられた、「神を信じよ。本当にいう、だれでも、この山に向かって、立って海に飛び込め、といって、心に疑わず、いうことが成ると信ずるものは、そのとおりかなえられよう。それゆえわたしはいう、祈り求めるものは皆得たと信ぜよ、そうすればそのとおりかなえられよう。・・・・ ≫
( 『新約聖書 マルコ福音書』11章 前田護郎訳。 『世界の名著 聖書』1978.9.20.中央公論社 所収 )
   その2年くらい後だったか、インターネットで、不二家 上野原店が閉店したというのが掲載されていた。ざまーみろ! ・・・と思ったが、これは、私が「これから永遠にだれもおまえの店のケーキを食べないように」「もはや永久におまえの店からケーキは売れないように」とイエスのごとく呪いの言葉を浴びせたから・・というわけでもないと思うが、閉店したようである。不二家 上野原店は存続する資格がない店であったから、閉店するべき店であったから閉店した。閉店して良かったと思う。

   自分の誕生日に自分のためにケーキを買うのはもうやめようと思う。どうも、「お誕生日ケーキ」とは相性が良くないようだ。 それにつけても、不二家上野原店は気分が悪い。


4.  高校生くらいの時には、20代前半のうちには結婚するつもりで、20代のうちには子供ができているつもりでいたが、ところが、とかくこの世は思うようにいかないものだ。 それはしかたがないことかもしれないが、しかし、自分が結婚できて子供もできたとなると、まだ、結婚できずにいる者に対しては、その人もまたふさわしい相手とめぐりあうことができて子供にもめぐまれますようにと祈る・・・までしなくても、そういう気持ちで接するのが好ましいのではないかと思うのだが、逆の態度をとる人がいる。
   1992年4月に(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ に入社した時、私は「浅見光彦が『後鳥羽伝説殺人事件』で最初に登場した時の年齢」だった。 浅見光彦とは内田康夫の推理小説に登場する「本職はルポライター」とおっしゃるがそれは世を忍ぶ仮の姿であって、実は「兄上は警察庁刑事局長さまであらせられる」お方で、内田康夫の友人の「名探偵」という浅見光彦のことだが、最初に登場した『後鳥羽伝説殺人事件』の時に32歳、その翌年の『平家伝説殺人事件』の時に33歳になり、それ以降、何十年間と33歳を続けたが、内田康夫が完成した最後の作品の『遺譜 浅見光彦最後の事件』で34歳の誕生日を迎えた・・・という男であるが、最初に『後鳥羽伝説殺人事件』で登場した時は32歳だったのだ。『遺譜 浅見光彦最後の事件』で内田康夫は、浅見光彦が何十年間と続けてきた33歳というのは「青年として通じる最高年齢」で、「もはや、大人として生きるしかない、もう青年では通じない年齢」が34歳だと言う。ともかく、32歳・33歳というのは「青年として通じる最高年齢」であり、さっさと結婚しないと、油断してると「寅さんみたい」になってしまうおそれのある年齢ということだ。
   (株)一条工務店という会社は、課長・係長や所長という名称の役職を付与した従業員にその役職にあたるだけの役割を果たすように求めない、片方で、特に役職をもらっていない従業員に「リーダー」だと言って展示場の頭の役割をさせるという会社だった。私が最初に配属された今はなくなった東京都江東区潮見のウッディランド東京にあった東京展示場では、M崎さんという男性(当時、32歳。既婚・子持ち)が「主任」で「リーダー」になっていた。 営業本部長の天野隆夫から「宮崎くんの指示に従ってやってもらう」と言われたので、私は、当時、私と同年齢(「浅見光彦が『後鳥羽伝説殺人事件』で最初に登場した時の年齢)であったM崎さん(男。当時、32歳。名古屋の私立なんとか大学の建築学科卒。一級建築士。)の指示に従って営業職として仕事をすることになった。
   宮崎さんは私と同年齢であったけれども、(株)一条工務店には私よりも先から入社していた人間で、同社の業務については親切に教えてもらい感謝している。しかし、営業としてはそれほどものすごい実績を残していたわけでもなく、もともと工事課にいた人であったことから、営業と工事課でそれぞれの立場によって主張が異なるような場合、営業の立場にありながら工事課の側に立った発言をすることもある人だった。 工事課から営業に変わった人には工事についてわかっているという点が営業として生きることもあり、営業から工事課に変わった人には営業経験が工事課の仕事をする上で生きることもあるようだが、片方で、営業と工事課でそれぞれの立場によって主張が異なるような場合、営業ならば営業の立場で発言して主張するべきところで、相手の立場の側に立った発言をしてしまうことがあるというマイナス面もあるようだった。そのあたりは、多少はしかたがないといえばしかたがない面もあるかもしれないが、営業の立場で発言するのであれば、たとえ、工事課にいたことがある人であっても工事課の側に立った発言ではなく営業の立場での主張をきっちりとしないといけない。
   1992年、江東区潮見にあったウッディランド東京という林野庁が国産材の使用を推進するために作った施設の中に(株)一条工務店 東京展示場はあったが〔その後、ウッディランド東京 はなくなり、後ろ半分はマンションになり、手前はヤマダ電機の潮見店になったが、ヤマダ電機の潮見店も閉店した。〕、ウッディランド東京では、毎日、一番最後まで残っている(株)一条工務店の従業員が門を施錠していたが、営業の社員が門の外に出て閉めようとしても、服部(男。当時、20代後半。入社1年目)が、なかなか、出てこないで何人もで長く待つということが何度もあったが、いったい、ひとを待たせて何をやっていたのかというと、ウッディランド東京の敷地でラジコンを走らせて遊んでいた・・といったことが複数回あった。「いくらなんでも、夜遅い時刻に、ひとを待たせてラジコン走らせて遊ぶことないでしょう」と苦情を言いたいところであったが、「リーダー」の宮崎さんがいる以上、「リーダー」が言うべきことであるので私は黙っていたが、私は「リーダー」の宮崎さんの顔を立てて黙っていたのであるから、当然、宮崎さんは「リーダー」である以上は、それを言わないといけないはずであったが、「言わない」人であり「言えない」人であった。(株)一条工務店は、そのあたりも見て人を評価しないといけないはずであるが、「見れない」「見えない」経営者の会社であった。

( ↑ かつて、ウッディランド東京 があった場所。)
   営業としてはそれほど長い期間やったわけでもなく、ものすごい実績を残したわけでもなく、東京展示場は新人だらけの展示場だったので、そのために「リーダー」の役を割り振られたようで、それほど実績のない営業が新人何人もを世話させられるというのは大変だったのではないかとも思う。 しかし、同時に、「営業としてはそれほど実績はない」という人だと思われるところは、個人的につきあっていて感じるものもないわけではなかった。彼は自分と同年齢の私に、自分は既婚で子供も2人すでにあったと思うのだが、未婚の私に「おじさん」と呼ぶのだった。失礼な話である。私は宮崎さんの伯父さんでも叔父さんでもないし、「おじさん」呼ばわりされる筋合いはない。イエスは「何を食べようか、何を着ようかと思い煩うな。それらはすべて神が用意される」というようなことを述べていたと思うが、「誰と結婚しようかと思い煩うな」とは『聖書』には書かれていない。早く結婚して「大人として」生きる人生に進まないと、もう少しで「青年として通じる最高年齢」になり、さらに「青年として通じる最高年齢」を越えてしまう・・・という意識の者に向かって、既婚・子持ちの男が「おじさん」などと言うのだ。私は彼にそういう呼び方をしてよいと認めた覚えはない。たしかに、新卒入社したばかりの従業員も東京展示場にはいた。そういう人間は22歳か23歳かだろう。22歳か23歳かの人間と比較すれば32歳の人間は年上であろう。 しかし、年齢がいくつかは関係ないと思うのだ。 たとえ、比較的若くても、すでに結婚して配偶者に恵まれて、子供もできて、子供にも恵まれた・・という人間になら「おじさん」などと呼んでもいいかもしれないし、すでに子供に恵まれたという男は「おじさん」になってもいいかもしれない。しかし、これから結婚しないといけないという人間は「おじさん」になるわけにはいかない。 男性でも女性でも結婚して子供ができたなら、少しくらい、「おじさん」「おばさん」になって「青年」と決別してもいいかもしれない。しかし、まだ、しかるべく結婚相手に巡り合えない者は、年齢にかかわらず、「おじさん」「おばさん」になるわけにはいかないし、また、しかるべく結婚相手に巡り合えずにいる者に向かって、幼稚園児や小学校低学年の子供が言うのなら、幼稚園児からすれば中学生でも「おじさん」「おばさん」かもしれないくらいだからしかたがないかもしれないが、同年齢の者がそういう口をきいてはいけないはずである。特に、営業という職種の人間は、営業とは何かというと、「ひとの気持ちを理解すること」であると考えるならば、「青年として通じる最高年齢」に近づいてきたがふさわしい結婚相手に巡り合うことができずにいる人間に向かって「おじさん」などと言うのは、それは「喧嘩売ってるのか?!?」ということになる。宮崎さんは「喧嘩うってる」つもりはまったくなかったようで、そうでありながらそういう口をきくというのは、それは、そのあたりは「営業としてマイナスの評価」を受けざるをえない。
   21歳の時、ポピーという幼稚園児と小学校低学年(1・2年)向けの教材の訪問販売の仕事をアルバイトでやったことがある。その時、幼稚園児から「おじさ~ん」と言われてショックだったが、これを友人に話すと、「幼稚園児からすれば、中学生でも『おじさん』じゃないの」と言われ、そうかもしれないと思った。21歳の人間が幼稚園児から「おじさん」と言われるのは、ショックだけれどもしかたがないのだろう。親しみをこめてそう言って寄って来てくれたことだし。『ドクタースランプ』の則巻千兵衛みたいに「誰が『おじさん』だ。『おにいさま』と言うまでは返事をしてやるものか」と言うこともない。 もっとも、片方で、小学校の1年生の女の子から友達みたいな対応をされたりもしたので、そのあたりの年齢の子供の感覚はなんだかよくわからない。 又、小学校くらいの時のお勉強の話をすると、すでに子供が2人か3人あってもうひとり腹の中にいるらしい奥さんから、「私たちの頃は・・」と言われて、私の場合、2浪もしてしまったので21歳といっても18歳くらいの意識でいたようなところが、その時、結婚して子供が2人か3人あってもうひとり腹の中にいるらしい奥さんから「私たち」と仲間にされたというのもショックだったが、仲間にしてもらって文句を言うこともないだろう。契約してもらったし。しかし、幼稚園児から「おじさ~ん」と言われるのはしかたがないとしても、同年齢で既婚・子持ちの人から同年齢であって未婚・子なしの者が「おじさん」呼ばわりされる筋合いはない。そういう発言は失礼であるということくらいは、営業を仕事とする者なら理解しても良さそうなものであるし、営業でなくても社会人として認識するべきであろう。


5.  もっとすごいのは、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の営業本部長の天野隆夫(男。当時、40代? 最終学歴:中卒)である。この後、福島県いわき市の展示場に赴任した後、1990年代中頃、私が在籍した展示場にいきなり電話をかけてきて、なんら話の脈絡もなく、彼はこう言ったのだ。「まだ、結婚相手、決まらんのか」と。大きなお世話である! もしも、「もし、まだ、結婚相手が決まらないようなら、私の知り合いでこういう女性がいるんだけれども、一度、会ってみませんか」といった話をするために「まだ、結婚相手決まらないのか」と尋ねるのなら尋ねてもいいが、そうでもないのに、いきなり、「まだ、結婚相手、決まらんのか」とは失礼でもあり、大きなお世話である!!!
   そして、彼はこう言ったのだ。「まだ、結婚相手、決まらんのか。男が好きなのか!」と。 彼は、いったん、従業員として雇えば、社長の義理の弟であるとして営業本部長になっている自分は「何を言ってもいい」と思っていたようで、実際、天野隆夫は私に「女の子は、気をつけて気をつけてしてやらないと辞めるからな」と言うとともに、「その点、男は辞めないから男には何を言ってもいいんだけどな」と言ったのだが、「男には何を言ってもいいんだけどな」というのは、それは天野隆夫が勝手に思っていたことであって、言っている側は「何を言ってもいい」と思っていたらしいが、言われている側は何を言われてもいいとは少しも思っていない。又、私は天野隆夫の言動を我慢はしてきたが、何を言ってもいいなどと認めた覚えはない。むしろ、私は天野隆夫が何を言ったか、地獄の底まで決して忘れはしない。(株)一条工務店は会社として天野隆夫に天野のこのような言動を注意しないといけないはずであるが、「保護義務違反の(株)一条工務店」は対処しない。天野隆夫は「ぼくなんかは学校でてないから、だから、気さくで人間味があるんだ。そう思うだろ」と私に言い、黙っていると、「おい、思わないのか。思うだろう。『思います』と言え。思わないのか。思うだろって。『思います』と言え」と言って無理矢理、「思います」と言わせた。無理矢理、「思います」と言わされてしまった。 そういうことを、上役の立場を悪用して、従業員に、無理矢理、「思います」と言わすような男のどこが「気さくで、人間味がある」のかよくわからないが、天野隆夫という男はそういう男だった。 私が、なぜ、(株)一条工務店に応募したかというと、それは、ミサワホーム・パナホームなどは「代理店制」であって、売る会社と本体の会社が別会社であるのに対し、(株)一条工務店は「売る会社」も本体の会社も同じ会社であり、慶應大学商学部の卒業生として5年も10年も一線の営業をやるつもりはなかったし、慶應あたりの大学の卒業生を採用しにくい会社が採用したのに、5年も10年も一線の営業をさせたのでは何のために採用したのかわからないはずであり、そうであるから、「売る会社」と本体の会社が同じ会社である(株)一条工務店に、会社としての社会的位置づけは下の方の会社ではあったが応募して入社したのであり、それとともに、「青年として通じる最高年齢」に近づいてきた者として、早く結婚したいと思えば、慶應大学商学部卒と書いた履歴書を提出して入社した以上は転勤はできませんと言うわけにはいかないとしても、あまりにも転勤が多い職場は結婚してからならともかく結婚するまでは転勤ばかりでは成る話もならなくなってしまうので、それで、求人募集に「転勤はありません」と記載していた(株)一条工務店に応募して入社したのだった。ところが、入社2年目に、福島県いわき市に転勤してくれと天野隆夫は言い出したのだった。そういう人の都合を考えない会社・ひとの都合を考えない人間が、「ぼくは学校でてないから、だから、気さくで人間味があるんだ」などと言い、「そう思うだろ。『思います』と言えよ」などと言って、無理矢理、「思います」と言わそうとするのであった。

  これらは誕生日が来るたびに思い出すことだ。時々、「彼は結婚してますからしっかりしてます」などと勝手なことを言う人間がいる。 結婚すれば、どう考えても「しっかり」していると思えない人間でも、「結婚してますからしっかりしてます」と言ってもらう権利があるみたいに思っている人間がいるようであるが、あつかましい。そもそも、後先考えずに性交やってできちゃった婚やる人間というのは「しっかりしている」から「できちゃった」のか? 後先考えない人間だから「できちゃった」のではないのか? 後先考えないで性交する人間が「しっかりしている」のか? ち~が~う~だ~ろ。 むしろ、10代後半や20代前半で老け顔の人間に「おじさん」などと言ってからかうのはまだいいとしても、自分は結婚できて子供もできたという者が、30過ぎてまだ結婚できずにいる者に向かって「おじさん」などと言ったり、自分の知り合いの女性と会ってみないかという話でもするわけでもなく、「まだ、結婚しないのか」などとひとの気持ちを土足で踏みにじる発言をし、さらに、「男が好きなのか」などといきなり言う男、その男が「ぼくは学校でてないから、だから、気さくで人間味があるんだ」などと勝手な主張をする男。そういう男が、早婚で子供も早くできたからといって(一般に、低学歴の人は早婚の人が多い)、「結婚しているから、しっかりしている」かというと、そういいう主張は、このうえなくあつかましい。むしろ、30代に入って結婚が決まらない人間の気持ちを自分が土足で踏みにじっているということに気づくこともできない無神経さを認識できていない、というのは人間としてマイナスの評価であり、営業としても当然のことながらマイナスの評価であるはずだ。
   営業とは「ひとの気持ちを理解すること」「ひとの心を読み取ること」という考え方があるが、同時に「無神経だがそれを補って余りあるくらいにふてぶてしい」というタイプの営業もいる。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫などは後者、「無神経だがそれを補って余りあるくらいにふてぶてしい」というタイプである。

   私は、彼らが言ったことやったことを決して忘れない・・というよりも、忘れることができないのだ。特に、誕生日が来ると、強く思い出す。 不二家上野原店の対応もまた、決して忘れはしない・・というよりも、忘れることができない。「パ~パ」という私より一回り若い父親のための誕生日ケーキを買いに来て、先から来て待っている私を無視して「パ~パ」のための誕生日ケーキを買っていった母親(30代?)と女の子2人のことも決して忘れない・・というよりも、忘れることができないのである。 先から来て待っていた私を無視して「パ~パ」のためのケーキを嫁と娘に買ってもらった「パ~パ」は、忘れる忘れない以前に、そういうことがあったことを知りもしないだろう。そして、「◇◇ちゃん。パパにケーキ買ってくれたんでちゅね。ありがとう~♪」とかアホなこと言って大喜びしていたことだろう。
   ≪朝早く都へもどられる時、彼(イエス)は飢えられた。そのとき一本のいちじくの木を道ばたに見受けてそのほうに行かれたが、葉のほかに何も見えなかったので、それにいわれる、「もはや永久におまえには実が出来ないように」と。するとたちまちいちじくは枯れた。
( 『新約聖書 マタイ福音書』21章 前田護郎訳。 『世界の名著 聖書』1978.9.20.中央公論社 所収 )

  (2018.11.24.)

☆ 営業と会社の話
(152)[第647回]加圧注入後、乾燥させる期間をおかずに建築現場に注入処理材を送りつけて、薬剤が液体状態で付着した木材で作業させる「安全衛生保護義務違反」の(株)一条工務店。奈良公園の加圧注入材。住友林業と一条工務店の嘘。注入直後の木をさわるのは非健康的。https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_20.html
(151)[第619回]猫の死骸をかわいそうと思うか気持悪いと考えるか。ひとが耕した所に後から来て営業させてもらった男、クルマで隣に女を乗せて、大変な思いをしている同僚を見物に来る男。「準備と片付けをせざる者、接客するべからず」という認識が欠落している女。https://shinkahousinght.at.webry.info/201807/article_9.html
(150)[第615回]注入防蟻木材と滝野川公園。医者はいい身分。(株)一条工務店は「江戸時代以前」の状態の会社。https://shinkahousinght.at.webry.info/201807/article_5.html

(149) 資格取得の為に労力・年月を費やす是非
1.[第608回]資格の分類。「いっきゅうけんちくしい」と言いたがるアホ。従業員をバカにする資格取得要請。https://shinkahousinght.at.webry.info/201806/article_1.html
2.[第609回]変な社員教育。「学習法は人それぞれ」を理解できない人。http://shinkahousinght.at.webry.info/201806/article_2.html
3.[第610回]おのれの立場をわきまえない縁故従業員に振り回されるな。社長の嫁の友人は社長と違うと理解できない女とそれを注意できない社長 http://shinkahousinght.at.webry.info/201806/article_3.html
4.[第611回]野村克也『弱者の流儀』から学ぶ、資格試験に通る可能性が高い人・通る可能性が低い人 https://shinkahousinght.at.webry.info/201807/article_1.html

(148) [第607回] 母の日に思う―女性はカーネーションを他人からもらうとうれしいだろうか。物をあげたがる営業は・・ https://shinkahousinght.at.webry.info/201805/article_2.html
(147) [第606回]母の日に思う―親は子から何かをもらったり何かしてもらった時、気持ちに喜ぶか?馬鹿馬鹿しい「社員教育」https://shinkahousinght.at.webry.info/201805/article_1.html
(146) [第605回](株)一条工務店のファミレス食い逃げ女。「食い逃げ」すると「お里が知れる」 https://shinkahousinght.at.webry.info/201804/article_18.html
(145)[第597回]「(スプルースの)集成材はムク材の1.5倍強い」て誰が言った?https://shinkahousinght.at.webry.info/201804/article_10.html
(144)[第596回]コンパネはぬるま湯ではがれるか?釘と接着剤の接合の違い。建築専門学校は役立つかhttps://shinkahousinght.at.webry.info/201804/article_9.html
(144) [第595]浜松の都合に合わせて構造基準を変える会社、2階追焚有浴室と耐力壁配置https://shinkahousinght.at.webry.info/201804/article_8.html
(143) [第587回]「受験英語」で学ぶ 「セクシュアルハラスメント行為」。「求婚する」は英語で何と言うか? https://shinkahousinght.at.webry.info/201803/article_1.html

(142) 「先輩社員のクルマはタクシーではない」という常識を理解できない女
1.[第583回]電車・バスでの営業とクルマでの営業の経験で身につけた視力―先輩社員の車はタクシーではないhttps://shinkahousinght.at.webry.info/201802/article_1.html
2.[第584回]稀に見るバカ女 http://shinkahousinght.at.webry.info/201802/article_2.html
3.[第585回]首都圏不動産公正取引協議会とは。関東整備局・県庁不動産課は役立たず。http://shinkahousinght.at.webry.info/201802/article_3.html
4.[第586回](本論)「先輩社員のクルマはタクシーではない」という常識を理解できない「異星人」 http://shinkahousinght.at.webry.info/201802/article_4.html

(141)[第581回]あけおめ。放生寺(新宿区) 参拝。お地蔵さん、「子供帝国主義」の女とそのオットを懲らしめてください https://shinkahousinght.at.webry.info/201801/article_2.html
(140)[第580回] 職場学校鳥獣戯画巻。イヌ・ブタ・サル・・・ https://shinkahousinght.at.webry.info/201801/article_1.html
(139)[第575回]祐天寺(目黒区)参拝【3/7】職場の我儘女と「少子高齢化対策」に殺れた我が子。かさね塚と絵。https://shinkahousinght.at.webry.info/201712/article_7.html

(138)看板に偽りある予備校・内容に虚偽のある求人票
1.[第566回]「進学指導は高校の教師の仕事と違う」か? http://shinkahousinght.at.webry.info/201711/article_11.html
2.[第567回]京大・東大の文系学部試験対策のない「京大東大文系クラス」http://shinkahousinght.at.webry.info/201711/article_12.html
3.[第568回]「4年制大学法・経済・商学部卒」を高卒以下扱いhttps://shinkahousinght.at.webry.info/201711/article_13.html

(137) 「パワハラ」・暴行を社長は許可できるか
1.[第572回]セクシュアルハラスメントには「精神適応」か改善要求か。http://shinkahousinght.at.webry.info/201709/article_1.html
2.[第573回]応募条件にはずれた人を会社は採用してよいか http://shinkahousinght.at.webry.info/201709/article_2.html
3.[第574回]勤務時間中にハイキングする銀行からきたおっさん  http://shinkahousinght.at.webry.info/201709/article_3.html
4.[第575回]チラシは会社・商品のイメージがどうなるか考えて入れるもの  http://shinkahousinght.at.webry.info/201709/article_4.html
5.[第576回]労働時間制限違反は犯罪。遵法精神の欠落した「法学士」。  http://shinkahousinght.at.webry.info/201709/article_5.html
6. 会社としてのマナー欠落の富士銀行出身役員 http://shinkahousinght.at.webry.info/201709/article_6.html
7.[第577回]何の為の法学士?何の為の銀行元支店長? http://shinkahousinght.at.webry.info/201709/article_7.html
8.[第578回]高卒1年目と大卒1年目を同じ処遇?経済学部しかという認識 http://shinkahousinght.at.webry.info/201709/article_8.html
9.[第579回]営業妨害 富士銀行は営業の基本の「き」を知らない http://shinkahousinght.at.webry.info/201709/article_9.html
10.・・・ 

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