奈良女子大学の想い出。お年玉は「親がもらったもの」か?―東大寺【10/10】

[第648回]
   転害門の西側の南北の道、国道369号を南に進み、「西大門跡」を過ぎたあたりで横断して、そこから西に入る道を適当に進むと、右側(北側)にNHK、左側(南側)に奈良文化会館というのがあった。さらに進むと、右側(北側)に奈良女子大学の「南門」という通用門があった。↓
画像


↑ 奈良女子大学 南門
  クリックすると大きくなるので大きくして見てください。よく見ると、「防犯カメラ作動中」なんて書いた札があるのです・・・ということは、こっちが撮影しているつもりでも、こちらも撮影されていたということになります。怖いな・・・ほんま。
  で、クリックしたついでに、門の右手の看板見てください。 放送局なんちゃらの看板、「チーム イモの極み乙女」・・・ぷふふ・・・。ええ名前やなあ(^^♪ よく考えた(^^)/
  「生放送@ステージ・・」とか書いてあるということは、そこにステージが設けられて、「イモの極み乙女」なるチームが登場する・・てことか? ・・と思うと、どんな「イモの極み」が出てくるのか、見てみたいような・・て気になりませんか? でも、ここは女子大だから男は入れてもらえないんですよね。入れてもらえないとなると、なんだか、余計にその「イモの極み乙女」て見てみたくなるのが人間の気持ち♪ ・・・だけれども、でも、入っちゃだめなんですよね。なにしろ、「防犯カメラ作動中」ですから。怖い、怖い。
画像

画像


↑ 奈良女子大学 西門
「国立学校法人 奈良女子大学」という文字が壁面に書いてあります。

  奈良女子大学の西門の前の南北の通りは、「やすらぎの道」と名前がついているらしい・・・が、「やすらぎの道」にしてはクルマの通行量が多いように思う。↓
画像


   南門は、あんまり大きな入口ではないし前の道も広くない道なので通用門でしょう。東側の道もそれほど広い道ではなく、北側の西よりは川なので、西側に「正門」があるのかと思ったのですが、西門は南門よりは大きい門で、すぐ右の建物に「国立学校法人 奈良女子大学」と大きく出ているのですが、「正門」という感じではありません今となっては50年以上前、奈良女子大学には来たことがあるのです。小学校の1年生の時、姉がここを受けるというので「下見」についてきたのです。上の姉は父が「しっかりしたお姉さん」と言い、父にとっては我が家のエースであり、父は「T子さんはしっかりしたお姉さん」と言い続けてきましたので、そういう「エライ人」ならおそらく通るのだろうと思っていたら、落ちよった・・・。
   父にとってはつらかったようで、そして、私は言われたのです。「おまえがT子さんを奈良女子大を落としてんぞ、チャンコロ! ひとのせいにするなよ、チャンコロ! ほんまやったら、T子さんは絶対に奈良女子大に通る人やったのにからに、それをおまえが落としてんぞ、このチャンコロめが、このチャンコロ、よくも生まれやがってからに、このチャンコロ! チャンコロのおかげでドイツ人のT子さんがほんまやったら絶対に通っている奈良女子大を落とされてんぞ、このチャンコロ、生まれなければよかったのに、よくも生まれやがってからに、チャンコロめが、このチャンコロ!」と、鼻の頭を指さされて、毎日毎日言われ続けたのでした。その奈良女子大て、どんな感じだったかな・・・と思い、東大寺に来て、すぐ近くのはずなので寄ってみたのですが、どうも、南門も西門も、小学校の1年の時に来た時の感じと違います。 そもそも、ここの学校は、どこに「正門」があるのだろう・・・と思い、自宅に帰ってから、奈良女子大学のホームページhttp://www.nara-wu.ac.jp/ の、「大学案内 キャンパスマップ」http://www.nara-wu.ac.jp/nwu/intro/access/campusmap/index.html を見ると、西側に西門・南側に南門があり、東側の北よりに北門があり、東側の南寄りに「正門」があるらしい。
   正門を入った正面に「記念館」があり、「正門・守衛室」と「記念館」が重要文化財に指定されているらしい。なるほど、東大の本郷も、「正門」と「赤門」と並んでいて、「正門」と「赤門」とどっちが正門なんじゃろ・・とか思うが、「正門」のつきあたりに安田講堂があって前が広場みたいになってるから、やっぱり、「正門」が正門なんだろうなあ・・とか思うわな。 ここも、ホームページの地図を見ると、「正門」を入った正面に「記念館」があり、その前が広場みたいになっているようだ。 たしか、私が小学校の1年の時に行ったのはそこだったのではないかと思う。
   私は、大学の構内というのを歩くのがけっこう好きなので、ここが女子大でなければ、入らせてもらって散策したいところだが、男がうかつに女子大なんて所に入ると、単に「進入」しただけでも「侵入」と評価されてしまうおそれがある。そこで、だ。何しろ、私は「建築探偵団」であるから、ここは、「すいませ~ん。私、建築の仕事をしている者なんですけれども、こちらの重要文化財に指定されている記念館を見学したいのですが、外観だけでよろしいので、構内に入らせていただいてよろしいでしょうかあ・・」なんて言って入る方法がないことないみたいな気もしないでもないが・・、うかつにそんなこと言おうものなら、なんか、余計に怪しい♪、いかにも怪しい♡、なんてったって怪しい(^^♪・・て思われそうで・・、もういいよ、もう・・。で、前の道は公道なので、公道を歩いて文句を言われる筋合いもないだろうから、正門の前まで行って、その「記念館」とその前の広場のあたりを門の外から肉眼で見せていただいてくるくらいは悪くもないと思うが、今回は、「なにしろ、でっかい東大寺!」を歩き回ってきたので、疲れた。 だから、今後も春日大社とか興福寺とかを訪問することはあると思うので、その際にでも正門側は見せていただくことにして、今回は、南門側と西門側を道から見ただけで帰ることにした。「イモの極み乙女」のステージは、なんか見たい誘惑にかられるが、「すいませ~ん。イモ乙女見たいんですけどお~お」なんて言って、「へんた~い♪」とか言われるのも嫌だから、もう、帰る! 栃木県では、栃木県産のイチゴに「とちおとめ」という名前をつけて売り出しているのだが、「イモ乙女」てのも、けっこう良さそう(^^♪
※ 奈良女子大学HP キャンパスマップ http://www.nara-wu.ac.jp/nwu/intro/access/campusmap/index.html

   それにしても、「お~ま~え~が、T子さんを奈良女子大を落としてんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ。このチャンコロめが、生まれなければよかったのに生まれおってからに、チャンコロ!」と私は父から毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けたのだが、小学校の1年の時の私がいったい何をしたのか? 小学校の1年生の弟は、姉が奈良女子大を受けると言うから、通ればいいなあとずっと思ってきたのに、いったい何が悪かったのか、いったい何をしたというのか・・というと、「生まれてきた」のがいかんというのだ。私が生まれてこなければ、私を育てるの手がかからなければ、もっと「応援」してやることができた、というのだ。はて、いったい、どんな「応援」してほしかったのだろうか? 私自身の大学受験の経験から考えると、別に特別な「応援」なんてしていらんけどな。私が高校3年の時、母は「こいつ、東大に現役で通ったら思い上がった人間になって女を泣かすから、こいつ、絶対に現役で合格させてなるものか、こいつ、絶対に落としてやるう、こいつう~う!」と言って、私が家で学習していると、「絶対にこいつ、落としてやる、こいつう、こいつめえ~え!」と叫びながら後ろから箒でボコボコ殴りつけたり、襟のあたりとかを掴んで後ろにひっくり返したり、私が使用している部屋の電気のブレーカーを落として照明がつかないようにしたり、あるいは高校から家に帰るとインタホンのコンセントを抜いて鳴らないようにして家に入れてくれなかったりといったそういう「応援」をやりまくったのだが、そういうことをしてほしかったということだろうか?  私が高校3年の時、母は父が母のことを女中さんみたいに考えていると言い、だから、離婚すると言い出して、離婚したいなら好きに離婚すればいいことだけれども、「こいつがお父さんに似てくるからだから離婚するんじゃあ」と言って、箒でボコボコ殴ってきたり、さらには、「こいつ、夕食時間になったらテーブルの前に来て座りよるんや、こいつ。こいつも私を女中さんと思っとる」とか言い出し、そんなこと言っても、夕食時刻になれば、言われなくてもダイニングルームに来て待つようにしろと私に言ったのは母のはずだったのだが、そして、「こいつ、私に皿洗いさせよる」と言うので、それで、食事の後の食器を私が洗おうとすると、今度は「あんた、何をやってますのん。何、そんなもん、洗ってますのん、こいつう~う!」と言って怒るし、いったいどうすればいいのか往生したが、そういう「応援」をしてほしかったのだろうか。
  それとも、《YouTube-コンバットマーチ【6人】早稲田大学応援2013 》https://www.youtube.com/watch?v=waiBBVjToXAみたいな「応援」をすれば「ドイツ人のT子さん」は奈良女子大に通ったのだろうか? やってほしかったのなら言ってくれればよかったのに。そんなの、やってほしかったのなら、小学校の1年生でも、やってやったのに。 俺なら、そんなもん、やって要らんけどな、そんなもん。
  だいたい、ひとに「応援」してもらったらできるが「応援」してもらえないならできない・・なんて、そんな人間、できなくてよろしい・・と私なら思うがな。本多勝一『冒険と日本人』(1983.集英社文庫)所収の『太平洋イカダ横断に失敗した金子健太郎に忠告する』で本多勝一は、「・・もうちょっと深く、「なぜ俺はやるのか」という、そこんところを確信持ってほしいと思ったわけですよ。それには一応冒険論も考えなきゃならんな、という意味で、いろいろ言ったわけですが、そのとき、「一人でも反対者がおればできない」なんて言ってたら、これはとても不可能ですね。」と本多勝一は語っている。自分がどうしてもやりたいと思ったことなら、少々反対する人間がいてもさっさとやってしまうという姿勢がないと、それこそ、何もできませんよ。「応援」してもらえないならできないなんて、そういう人間は難関校には行かなくてよろしい、通らなくてよろしい。私が慶應大学に在学していた時、千葉県の方の高校の出身の女性で、高校の時の担任の先生から「おまえ、女なんだから、東大なんか受けるのはやめてお茶の水女子大くらいにしておいたらどうだ」と言われたので、それで、絶対に東大に言ってやると思って受けたが落ちてしまったので慶應に来た、と言っていた人がいました。「おまえ、女なんだから、東大なんか受けるのはやめてお茶の水女子大くらいにしておいたらどうだ」と言われて、そうだなと思うなら東大なんてやめればいいじゃん。それもひとつの考え方です。そうではなく、そんなこと言われるなら絶対に東大に言ってやる・・・と思う人間こそが東大に行けばいいのだ。みんなよって「応援」してもらえるなら行くが「応援」してもらえないなら行かない、行けない・・なんてそんな人間、東大に限らず難関校には行かなくてよろしい! 私ならそう考える。東大とか京大とかいうのは、「たとえ、百万人から罵声を浴びせられても東大に行ったる!」とか「百万人から石を投げつけられても、絶対に京大に行くんじゃ、俺はあ」というそういう根性の人間が行くところであって、「応援」してもらえたら行けるけれども「応援」してもらえないならいけない・・なんてそんな人間の行く所ではない! 奈良女子大というのは東大や京大ほどではないとしても、本多勝一が言っているように、《「一人でも反対者がおればできない」なんて言ってたら》、そんなもの、何もできませんよ! 「応援」してもらえないならできない・・・なんてそんな人、通らなくてよろしい、落ちればよろしい、そんな人!・・と私なら思うがな。

   父は「T子さんは、おまえさえ産まれてこなければ絶対に奈良女子大に通った人やねんぞ、T子さんは。わかっとんのんか、チャンコロ! わかっとんのんか、チャンコロ!」と言い続けるのだった。そして、「T子さんは、たとえ、奈良女子大に落ちたとしても、おまえさえ産まれてこなければ、私立の四年制大学に行かせてやることができたんやけれども、おまえが産まれたおかげで、おまえを育てるカネがかかったために、そのために四年制大学に行かせてやることができんと短大にしかやることができんかってんぞ。おまえが悪いねんぞ、おまえが。おまえが産まれてきたのがいかんねんぞ、チャンコロ! 反省しろよ、チャンコロ! 産まれてきたことを反省しろよ、チャンコロ! 産まれなければよかったのに! 産まれなければよかったのに! 産まれなければよかったのに!」「地面に頭すりつけて、『生まれてきて申し訳ございませんでした』と言ってT子さんに謝りなさい」と毎日毎日耳鳴りがするくらいにぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうほど言い続けた。しかし、だ。父は私には言ったのだ。「何でもカネを出す者に決める権利があるんじゃ。そやからやな、おまえがどこの大学のどの学部に行くか決める権利は親にあるんじゃ、甘ったれるなよ、チャンコロ、このロスケ! 増長するなよ、イタコ! わかっとんのんか、ニグロ! わかっとんのんか、このプエルトリコ!」と。なんでも、私は「ロスケでイタコでニグロでプエルトリコでチャンコロ」だそうだ。「おまえはなあ、慶應大学に行ったと思うておるかもしれんけどなあ。おまえが何か努力したから行けたのとは違うねんぞ、チャンコロ! おまえは何一つ努力しとらんねんぞ、イタコ! わしがえらいからおまえは慶應大学に行けたのであって、おまえはほんまは拓殖やねんぞ、この拓殖!」と言うのだが、この言い回しは、父が「尊敬」していた「聖人」であるらしい医者屋のM川が「わしはうちの息子に言うたりますねん」と言って言った言い回しの真似である。医者屋のM川はドバカ息子に「おまえが関西医大に行ったのはおまえが努力したからとは違うねんぞ。心得違いをおこすなよ。わしがえらいからおまえは関西医大に裏口入学させてもらえてんぞ。勘違いすんなよ」と医者屋のM川はドバカ息子に「言うたりますねん」と父に教えたのだ。それは正しくないはずだ。M川がエライからではなくM川に薬漬け・検査漬け・毒盛りされたかわいそうな「患者」とその家族のおかげでM川のドバカ息子は金権関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学できたのである。「患者」とその家族のおかげであって、M川がエライからではなく、むしろそんな父親の息子に生まれたから裏口ででも大学に行くしかない息子になってしまったのであり、「親の因果が子に報いた」のである。父はそれを聞いて、「そうや。わしもその言い方をしたろ♪」と思ったらしいのだ・・・が、しかし、私は慶應大学に裏口入学で入れてもらったのではない。うちの父親には慶應大学に裏口入学させてくれるようなコネもなければカネもない。私は入学試験で合格最低点を上回る点数をとって合格したのである。さらに父は「おまえはなあ、北野高校に行ったと思うておるかもしれんけどなあ。おまえはほんまは浪商じゃ、おまえはこのチャンコロ!」と言うのだった。「おまえが何か努力したから北野高校に行けたのとは違うねんぞ、浪商! 浪商の分際で北野高校に行きおってからにこの浪商! わしがえらいからおまえは浪商のくせして北野高校に行かせてもらえてんぞ、心得違いを起こすなよ、この浪商、なみしょう、浪商、ナミショウ、浪商、なみしょう、浪商! わかっとんのんか、浪商、このチャンコロ! 人格者で謙虚なこのわしのおかげで北野高校におまえは行かせてもらえたのであって、ほんまはお~ま~え~はあ~あ、浪商じゃ、この浪商めが、よくも産まれおってからに、産まれなければよかったのに、浪商! このチャンコロ!」と言うのだった・・が、灘高校出身の人に聞いた話では、灘高校というのは東大などに進学する受験校ではあるが私立なので、毎年、「あ、この人は裏口だな」とわかる人が何人かいるらしい・・・のだが、私が行った北野高校というのは大阪府立であり、裏口入学なんてないし、うちの父親にどこであれ高校に裏口入学させるようなコネもカネもない! 私は合格最低点を上回る点数をとって北野高校に合格して入学したのである・・が、父が言うには私は「人格が浪商」で「精神が拓殖」であり、「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で浪商の民族で階級」だそうだ。父は「わしは天高(天王寺高校)やぞ、わしはあ。わしはおまえとは違って天高やねんぞ。わかっとんのんか、浪商! わしは慶應やぞ、わしはあ。わしはおまえとは違って慶應の民族やねんぞ、わしは、わしは、わ、し、はああ~あ!」と言うのだった。たしか、明星高校から同窓会の案内が来ていたように思うのだが、それでも、「わしは天高やぞ、わしはあ~あ! んが、んが、んがあ~あ!」ということらしい。かつ、たしか、昔は「わしは同志社大学という立派な立派な大学を出ています」と言うておったはずなのだが、いつのまにか、「わしは慶應やぞ、わしはあ。わしはおまえとは違って慶應やねんぞ、慶應! わかっとんのんか」と宗旨替えしたようだった。実際にどこに行ったかの問題ではなく、父は「精神が慶應」なのだ。たしかに、慶應の内部進学の教授とか見ると、こんな感じの人が多い! ほんと! 父は慶應に行っておけば良かったのだ。たしかに、「慶應タイプ」だと思う。私なんかは、ともかく、慶應大学の卒業証書を持っているもののあんまり「慶應タイプ」ではないし人からも「慶應卒」とは見られない人間だけれども、それに対して父は「いかにも慶應」て感じがするし、だからこそ、私は慶應が嫌いだったのだ。そして、父は私には言ったのだ。「なんでも、カネを出す者に決める権利があります。もしも、自分が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行こうと思うなら、新聞配達をやって行きなさい」と。だから、私は言ったのだ。「それなら、新聞配達をして行きます」と。だから、上の姉も、私立の四年制大学に行きたかったら新聞配達をして行けばよかったのだ。
   上の姉は「ほんまやったら絶対に奈良女子大に通った人」だそうで、かつ、私が産まれてこなければ、「私立の四年制大学に行かせてやることができた人」だったらしいのだが、私が長年、不思議に思ってきたのは、上の姉が大学を受けた頃は、国立大学は一期校と二期校というものがあって2つ受けることができたのだから、「奈良女子大にほんまやったら天地がひっくり返っても通る人」であったのなら、天地がひっくり返ってしまって奈良女子大に落ちてしまったとしても、二期校で奈良女子大よりもひと回り合格難易度が低い国立大学、具体的には大阪教育大とか和歌山大とかでも受ければ、それこそ、天地が2回か3回ひっくり返っても通ったはずなのに、なんで、受けなかったのだろう・・と思ってきたのだった・・が、我が家はお姉さんが2人いて、女性の兄弟が2人いると、片方が他方の嘘をばらしたりすることがある。下の姉が教えてくれたのだった。「あの人、私立の四年制大学も片手以上は受けてるよお~お」と。・・で、思い出した。父は小学校の1年の時のことなんて覚えてないだろうと自信を持っていたようだが、覚えているのだ。思い出したのだ。上の姉は「学大を受けた時・・」とか言っていたが、「学大」とは大阪教育大のことだ。二期校では大阪教育大を受けて、それも落ちよったのだ。さらに、私立の4年制大学も、たしか、神戸女学院・神戸松蔭・プール学院・武庫川女子大・大阪樟蔭・・といった名前が家で出ていた。ほかに相愛学園とか大阪音大も名前は出ていたような気がする。そのうち、どこを受けてどこは受けなかったのかはわからないが、ともかく、武庫川女子大は受けたはずだ。奈良女子大に通ればいいけれども、落ちた時でも武庫川女子大には通るだろうから、その時は武庫川女子大・・みたいなことを言うておったはずだったのだ・・が、それも落ちよったのだ。「天地がひっくり返っても奈良女子大に通る人」なら天地が5、6回ひっくり返っても武庫川女子大なんて落ちんだろう~お・・なんて思っていたら、落ちよったのだ。奈良女子大を私が落としたのかと思ったら、なんと、武庫川女子大やなんてそんなのまで私が落としたらしかった。なんとも、悪魔のような弟である。つくづくけしからん弟である。それも、何かやったというならともかく、なんにもしてないのに、何もしなくても、奈良女子大だけでなく武庫川女子大なんてそんなものまで落とすことができるとは超能力でもあるみたい。
   それにしても、妨害するようなことなんて何ひとつしてないのに、「お~まえがあ、大事なT子さんを奈良女子大を落としたんやぞ。ひとのせいにするなよ、チャンコロ! 何があったとしても、受けて落ちたのなら落ちた人間が悪いんやとかおまえみたいなことを言う人間のことを、心理学では『外罰的性格』と言うねんぞ、チャンコロ!」と言うのだった。結論として、「心理学」にかかったが最後、私は、全世界の罪を背負って十字架につけられるかしないことには「外罰的性格」と「診断」されてしまうということだ。
≪ 子羊が川で水を飲んでいるのを狼が見つけ、もっともらしい口実を設けて食べてやろうと思った。そこで川上に立つと、お前は水を濁らせ、俺が飲めなくしている、と子羊に言いがかりをつけた。子羊が、ほんの唇の先で飲んでいるだけだし、それでなくても、川下にいて上流の水を濁すことはできない、と言うと、この口実が空を切った狼は、
「しかしお前は、去年俺の親父に悪態をついたぞ」と言った。
一年前はまだ生まれていなかった、と子羊が言うと、狼の言うには、
「お前がどんなに言い訳上手でも、俺としては食べないわけにはいかないのだ」
悪事を働くことが決まっている人の所では正当な弁明も無力である、ということをこの話は説き明かしている。≫
(『イソップ寓話集』「狼と仔羊」 中務哲郎訳 1999.3.16. 岩波文庫 P.128~129)
「心理学」にかかったが最後、何が何でも「外罰的性格」とか何とか「診断」されることになる。「心理学」というのはまさにこの狼みたいなものである。「お前がどんなに言い訳上手でも、俺としては食べないわけにはいかないのだ」というように、「どういう状況であったとしても、お前が悪いということにしてやるのだ」というのが「心理学」である。だから、「心理学」を相手に矛盾をついて論破しようなどと思っても無駄である。

   父は「わしとかT子さんはなあ。おまえとは違ってドイツ人やねんぞ、ドイツ人」と言っていた。「ドイツ人」というのは「常に人を支配しなければならないと神さまから命じられて産まれた民族」だそうだ。それに対して、私は「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で浪商の民族」らしい。「ロスケ」というのはロシア人のことで卑怯者を意味し、「イタコ」はイタリア人のことで根性無しを意味し、「チャンコロ」は中国人のことで「常にひとに支配されるための民族として神さまから造られた人間」のことを意味するそうで、それが私だと父は言うのだった。「民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな!」と父は言い続けた。そう言われると、「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)、階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と言いたくなるのだが。
※父は、ドイツ人」⇒《YouTube-ワルキューレの騎行 》https://www.youtube.com/watch?v=0EUckxAgZ_E
※私は、「ロシア人」⇒《YouTube-Song of the Volga Boatmen(ヴォルガの舟唄)- Red Army Chorus - Leonid Kharitonov - Леонид Харитонов》https://www.youtube.com/watch?v=uNb54rwDQJM
「イタリア人」⇒《YouTube-Canto delle lavandaie del Vomero(ヴォメロの洗濯女) 》https://www.youtube.com/watch?v=7wWWVspNPRY&feature=share
「ニグロ」⇒《YouTube-Nobody Knows the Trouble I've Seen(誰も知らない我が悩み), performed by Chor Leoni Men's Choir 》https://www.youtube.com/watch?v=wCQyqnldBQQ
「プエルトリコ」⇒《YouTube-ウエストサイド物語~アメリカ(America) 》https://www.youtube.com/watch?v=qFw6yyZD_i4

   1960年代前半、私が幼稚園の年少組であった時の正月のことだ。親や親戚からお年玉をもらった。我が家は幼稚園の同級生などと比べると、これ欲しい・・とか言ってもなかなか買ってもらえない家庭だったし、まず、「それ欲しい」と言うことを許してもらえない家庭だった。お年玉をもらったので、これで、これまでよその子供は持っていても自分は買ってもらえなかったものを買える・・と喜んだのもつかの間、父は「あんた、それ、使ったらもったいない。それ、全額、貯金しなさい」と言い出した。無茶苦茶である。「いやや」と言ったのだ。「いやや、せっかく、もらったのに取られるのはいやや」と。ところが、父は「取られるのと違うねん。貯金すると利子がついて得するねん」と言うのだ。5年の定期預金に全額入れろと父は言うのだが、貯金をすると利子がついて5年後には額が増えるなんてことは、今さら説明してもらわなくてもわかる。しかし、5年経って、得するかというとそうではない。5年後に、「それで、勉強の物を買いなさい」と言われるか、それとも、さらに5年の定期預金に預けさせられるかどちらかであろう。そして、いつしか、どこかへ消えてなくなるか、「勉強のもの」を買わされるかどちらかであることははっきりしている。要するに、「取られる」のだ。だから、「いやや。絶対いやや。せっかくもらったのに、いやや」と幼稚園児は何度も言って頑張った。ところが、そこに「しっかりしたお姉さん」という上の姉がさりげなくそばに寄ってきて言ったのだ。「取られるのと違うねん。増えて得するねん。貯金すると増えて得するねん」と。父は「ほらほらほらほら。しっかりしたお姉さんが言いはった、言い張った。ほらほら、しっかりしたお姉さんも言いはったやろ。貯金すると得するねんがな。しっかりしたお姉さんも言うてはるやろうが」と言うのだった。そして、結果として、お年玉は「貯金」という名目のもとに全額とりあげられた。1月になって幼稚園に行くと、クラスでお年玉の話題になり、「〇〇くんはお年玉で何を買ったあ~あ?」と訊かれたものだった。「ちょき~ん」などと答える幼稚園児はクラスで私ひとりだけだった。悲しかった。「貯金て、それいったい何やあ~あ?」と何人もから言われた。
   我が家の近所にアイスクリームなどを売っている店があり、そこでは、その頃、10円のアイスクリームと20円のアイスクリームを売っていて、我が家では10円のアイスクリームは時々買ってもらったが、20円のアイスクリームは絶対に買ってもらえなかった。一度でいいから20円のアイスクリームを食べてみたいなあと思ったもので、幼稚園の同じクラスの人間に、よそも同じようなものだろうと思って、「あれ、一度でいいから、20円のアイスクリームを食べてみたいなあ」と言ったところ、「なんでえ。ぼく、そんなん、何度でも食べたでえ~え」と言われた。シスコーンだったかの箱には大きな箱と小さい箱があり、大きな箱には「おまけ」がついていたが小さい箱にはついていなかった。シスコーンは嫌いではなかったが、「おまけ」とシスコーンとどちらがより欲しかったかというと「おまけ」の方だったが、お菓子屋に行った時、「あれ、欲しい」と言うと母は必ず小さい方を買おうとし、「大きい方が欲しい」と「おまけ」が入っている方を欲しいと言うと、母は必ず、「いけません」と言って小さい方を買うのだったが、一度、幼稚園の同級生の家に遊びに行った時、そこのお母さんが買い物に行くというので一緒についていったところ、同級生が「あれ、欲しい」と言うと、そのお母さんはシスコーンの大きい方の箱を「はい」と言って買い与え、そして、私にも同じ物を買ってくれたのだった。え? ここの家は大きい方の箱を買ってもらえるの? と驚いたが、すべてにおいてそんなものだった。幼稚園の同級生の誰と比べても、我が家はよそよりも買ってもらえるものは少なかったし、買ってもらえないことが多かった。お年玉をもらって、これで今までよその子は買ってもらえていたけれども、自分は買ってもらえなかったものが買える♪ と思ってうれしかったが、ところが、「それ、使ったらもったいない。あんた、それを全額貯金しなさい」と父は言いだしたのだった。悲しかった。
   父は上の姉のことを「ドイツ人」と言い、「しっかりしたお姉さん」と言い、「わしとT子さんは、おまえとは民族が違うねんぞ、階級が違うねんぞ。民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな!」と言うのだったが、その時、上の姉は高校生だったのだが、もしも、私が高校生の時、幼稚園児の弟か妹があって、父が同じことをやろうとしたならば、「いくらなんでも、せっかくもらったお年玉を『貯金』なんて言って全額とりあげるというのは、それはかわいそうだよ。もし、あまりのも多い金額をもらったという時に半額を貯金しなさいというのならまだわかるけれども、せっかくもらったお年玉を、全額、貯金しなさいというのは、それはあんまりだと思うよ」と一言は言います。さりげなく寄って行って、「取られるのと違うねん。貯金すると得するねん」などとナマ言って幼稚園児からお年玉を取り上げてやろうとする父に加担するなどということは、今の私でもやらないし高校生の時の私でも絶対にそれはやらない。いくらなんでも、かわいそうすぎると思うのだ。
   母は「お年玉というのは、子供がもらったのとは違うねん。子供にお年玉をくれる人というのは、実際には相手の親に渡してるねん」と言うのだった。相手にも子供があるという場合、お互いにお年玉をあげあいすることになるので、実際には、自分の親が子供にお年玉を渡しているのと変わらないというのだ。たしかにそういう面はあるだろう。子供のない人からお年玉をもらった時には、そういう場合には、お年玉以外のもので、何か「お返し」をするもので、それが礼儀だというのだった。これも一理あると思う。1990年代、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ で、福島県いわき市の営業所にいた時だが、同じ営業所にいたS藤さん(男。当時、40代)が、1月の初めに「俺は子供を作ってその子供がまだ10代なのに子供を作って、少子高齢化対策に貢献してお国にの為に尽くしている。それに対して、おまえは30過ぎているのに結婚せずに子供を作らない非国民だ。非国民はお国のために尽くしている俺にお年玉をよこせ」と言って手を出して、「何を言ってるんだ」と言っても、「年玉よこせ、年玉よこせ」と言ってストーカーとなって執拗に後を追いかけてきたが、もってのほかである・・・が、佐藤K二さんは「もってのほか」とは考えず、「子供のない者は子供を作った俺に年玉よこすのが常識だ。年玉よこせ、カネよこせ。年玉よこせ、カネよこせ」と言って執拗に追いかけてきたのだが、そういうことをされる筋合いはないし、もしも、子供のない人から自分の子供にお年玉をもらったなら、それほど変わらない金額の物を何らかの形で「お返し」するのがマナーであるはずであり、そういうマナーを守れない人は「そういう人」という評価になるであろう。母が言うように、お年玉というものは、親同士のつきあいから渡しているという面はあるわけで、その意味で「親に渡している」という性質はあると思う・・が、しかし、子供に渡しているという面だってないわけではないと思うのだ。私がよその子供にお年玉をあげる場合でも、親とのつきあいという面もあるかもしれないが、その子供とのつきあいという面だってないわけではないと思う。又、「親に渡している」のならお礼は親が言えばいいことであって、私がお年玉をもらった時、母は「『ありがとう』と言いなさい」と言い、私は「ありがとう」と言ったのだが、「親に渡しているものや」ということなら、「ありがとう」は親が言えばいいことで子供が言う必要はないことになったはずである。
   よその誰かからお年玉をもらったとして、それは「親がもらったもの」だから、どうするかは親が決めていいものかというと、そうでもないと思うのだ。「親がもらったもの」だから、「それ、全額、貯金しなさい」と親が決めるのが当然かというと、そんなお年玉ならない方がいいと思うのだ。私が5年の定期預金に入れさせられたお年玉は、5年後に利子がついて返ってきたが、「ほらほら、増えた増えた。あんた、増えて得したねえ~え」と父は言い、そして、「それ、また、定期預金に入れなさい」と言われて、それをまた5年の定期預金に入れさせられた。そして、最終的にそれがどうなったかというと、どうも、はっきりとした記憶がない。たとえ、相当の利子がついて「得した」としても、幼稚園児にとっては大金でも、ハタチを過ぎたような人間にとっては、どうでもいいような金額ではないかと思う。むしろ、幼稚園の同級生がお年玉で欲しい物を買わせてもらっているのに、自分ひとりだけが「ちょき~ん」などという大義名分で全額取り上げられた、という思いが深く残ることになった。上の姉とは11離れていたので、生駒山とか玉手山の遊園地とか弁天町の交通博物館とかに連れて行ってもらったことが何度もあった・・・が、片方において、せっかくもらったお年玉を「あんた、それ、使ったらもったいない。それ、全額、貯金しなさい」と父が言い出した時、高校生の時の私なら「それはいくらなんでもかわいそうだよ。お年玉は使わせてあげて、何か欲しい物を買わせてあげないと」と一言は言うところを、「違うねん、違うねん。貯金すると利子がついて得するねん」などと言って父に加担した、ということもまた忘れられるものではない。上の姉はそういうことをすることによって、「しっかりしたお姉さん」「ドイツ人」という称号を得たのである。
   小川三夫『宮大工と歩く奈良の古寺』(2000.文春新書)の「第1章 斑鳩の里 法隆寺」の「対談 大野玄妙(法隆寺管長)×小川三夫」で、法隆寺管長の大野玄妙氏の発言の中に、
「西岡棟梁が手がけた昭和の大修理のときの五重塔に、素屋根がかかってた記憶がありますよ。まだ子どもでしたが、西岡棟梁とはいろいろ話しました。昔のお正月は、大人はポチ袋を沢山懐に準備していて近所の子どもを見たら、どの子にもお年玉をくれるんですよ(笑)。西岡棟梁は鬼のように恐い人だって言われてますが、そうではなかったです。」というものがある。たしかに、お年玉というのは相手の親とのつきあいから渡すという面もあるだろうし、自分の子供にもらっておきながら相手の子供に渡さないというのはマナーに反するし、自分に子供があるからといって子供のない人にはもらって当然というのは間違いで、子供のない人から自分の子供にお年玉をもらったなら、何らかの形で「お返し」をするのがマナーであるが、一方で、権力者や経済力がある親の子供にならお年玉を渡すが貧乏人の子供には渡さないというものでもなく、「近所の子どもを見たら、どの子にもお年玉をくれる」という風習は尊重されていいものではないかと思う。その場合、やっぱり、お年玉は子供がもらったのだと思う。それは「貯金」を名目にして取り上げていいものではないと私は思う。 一度、渡して、それを「貯金」を大義名分に再度、取り上げるようなお年玉なら、そんなお年玉はない方がいいと思うし、横から「違うねん、違うねん。貯金すると利子がついて得するねん」などと口を出すことで、「しっかりしたお姉さん」「ドイツ人」という称号をもらうような人というのは、他の部分はどうかは別として、その部分については、あんまり「しっかりしたお姉さん」ではないと思う。高校生の時の私なら、「それは、いくらなんでもかわいそうだよ。せっかくもらったお年玉は使わせてあげないと」と最低一言は言ったと思う。

   一度、渡したお年玉を「貯金」を名目に取り上げた父は、私が20歳の時、「あんたには、よそとちごうて、欲しいというものはどんなものでも、何でも何でもどんなもんでもええもんばっかり、いつでも何でも何でもいつでもこうてきてやってやってやってやったったから」などと言い出したので、「絶対に違う!」と言ったのだが、「はあ! わからんか、こいつ。難儀やな、こいつは。 こいつ、ビョーキやな、絶対に。薬飲ませた方がええな、こいつ。相当多く飲まさんとあかんで、こいつは」と父はそう言ったのだ。そして、「わしいみたいな偉人・英雄にこういうカスが生まれるというのは、これは間違いなく生物学上の突然変異学説やな、間違いなく」と、そう言ったのだった。父はそういう男、即ち、「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」だった。たしかに、父は慶應タイプである。たしかに、「精神が慶應」である。一度、渡して「ありがとう」と言わせ、ぬか喜びさせたあげく、取り上げて、「やってやってやったった」と言うようなお年玉なら、最初から渡さない方がむしろいいと私は思う。私は「ドイツ人」ではないし「精神が慶應」「慶應の民族」ではないので、子供に渡したお年玉を、「それ、使ったらもったいない。全額、貯金しなさい」などと言ってとりあげるなどというかわいそうなことはできないし、女をたぶらかすためならカネを出すが男になら出すべきものも出さないKOボーイみたいな真似は人間としてやりたくない。

画像

↑「村田珠光旧跡」「稱名寺」というのが、この石碑のある交差点を右(西)に入っていったあたりにあるらしい・・が、そのあたりはまたの機会に。
≪ 村田珠光  1432~1502 茶道の開祖。彼より紹鴎・利休と発展。一休に参じて神旨をえ、茶会を茶道にまで高めた。義政の茶道師範というが不明。≫
(全国歴史教育協議会編『新版 日本史用語集』1875.新版 山川出版社)

   春日大社なり興福寺なり、もしくは東大寺の三月堂(法華堂)なりに行くことがあったなら、その際には奈良女子大の「正門」と「記念館」も公道から見せていただきたいと思う。そこは、かつて、小学校1年の時の私が、奈良女子大を受けるという姉を、通ればいいね・・と思って訪ねた思い入れのある場所だから・・。

   (2018.11.15.)

☆ 東大寺参拝
1.南大門〔1〕 近鉄奈良駅から南大門へ。知識で物を見ないで。https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_12.html
2.南大門〔2〕 挿し肘木・通し肘木。鉄骨の貫は見えない。背割りはない。https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_13.html
3.大仏殿〔1〕 中門・西楽門・廻廊・大仏殿。https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_14.html
4.大仏殿〔2〕 鉄釘と銅輪で締めた柱。鉄骨製トラスは見えない。大仏殿は「伝統構法による木造建築で世界最大級」  https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_15.html
5.大仏殿〔3〕 花頭窓と観相窓。優婆塞を体制にとりこんだか反体制が手を組んだのか。「東大の日本史」と「京大・阪大の日本史」の問題 https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_16.html
6.大仏殿〔4〕 横方向の太い材が多い大仏殿。 東大の入試の科目を知らなかった進学校の3年担任の教諭 https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_17.html
7.正倉院  校倉造の原理と言われていたものは実は・・なんて、今さら言われてもなあ・・ https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_18.html
8.転害門  「木は生育のままにつかえ」を実践した柱 https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_19.html
9.奈良公園の加圧注入材。注入直後の木材にさわるのは非健康的。https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_20.html
10.奈良女子大学の想い出。お年玉は「親がもらったもの」か? 〔今回〕

☆ 「飛鳥・白鳳・天平の建築」シリーズ
法興寺〔飛鳥寺〕〔安居院〕
上 本堂、塔跡 https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_9.html
下 思惟殿、鐘楼、蘇我入鹿首塚、西門跡 https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_10.html
山田寺跡・飛鳥資料館 https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_11.html
飛鳥坐神社 https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_12.html
「孝元天皇陵」 https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_13.html
飛鳥の街並み https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_14.html 

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック