東大寺【8/10】転害門。「木は生育のままに使え」を実践した柱。門はやはり「外から中」が主。

[第646回] 飛鳥・白鳳・天平の建築シリーズ
   さて、「くろうと好みの転害門」「違いがわかる男の転害門」です。 最初は、南大門から大仏殿、正倉院まで行った後、もう一度、南大門まで戻って、東大寺の西側の南北の通り、国道369号を北上して、転害門(てがいもん)の西側に行くつもりでした。 なぜなら、やっぱり、門というものは外から中にはいるのが基本だと思うのです。 私は、世の中、何が一番嫌いかといって裏口入学ほど嫌いなものはない! 今となっては40年近く前、父の友人で医者屋やっていたM川という男が、ドバカ息子を関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に金権裏口入学させたと自慢しておったのですが、裏口入学って自慢するもんかあ~あ???  裏口入学てのは、たとえ、やるにしても、「こそっと」「恥ずかしそうに」するもんと違うんかあ~あ??? 1990年代のこと、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ で福島県いわき市の営業所におりました時、従業員同士で「できちゃった婚」で結婚したのがいまして、それが結婚式します、二次会しますから来てください~い・・・とかみんなに言うてきた時、ある男性従業員が「できちゃった婚で結婚するようなやつ、大威張りで結婚式なんてすんな。結婚するにしても、もうちょっと、恥ずかしそうにしろ」と言ったのですが、「古い男とお思いでしょうが」、私もそう思いましたね。 それと同様・・というよりも、「できちゃった婚」はまだしも、裏口入学て、そういうのは、たとえ、やるにしても、「恥ずかしそうに」「こそっと」やるものであって、「わしなんかは思考が柔軟じゃからな。わしは思考が柔軟じゃから、だから、息子は関西医大裏口入学なんじゃあ!」と言って自慢するものとは違うのじゃないかあ? 裏口入学てM川みたいに威張ってやるもんかあ~あ??? なんか、大変なカルチャーショックを受けました。医者屋業界の「常識」てのはわたしらの常識とは常識が違うみたいです。で、父はそれを言われて、「なるほど。さすが、M川先生は思考が柔軟なんや。思考が柔軟やから裏口入学なんですなあ。さすがですなあ!」とか言うて感心していたのです。そして、父は私に言ったのです。「わかっとんのんか。M川先生はおまえなんかと違って思考が柔軟やねんぞ。思考が柔軟やから、息子さんは裏口入学やねんぞ。わかっとんのんか、おまえは。わかっとんのんか、おまえは!」と。 英語その他の語学の学習はなんといっても「繰り返し繰り返し反復学習すること」が大事・・・とリンがフォンだったかどこだったかが言うておったと思うのですが、父はそれを理解していたのか、その後も、父は私に何度も何度も、「わかっとんのんか、チャンコロ! M川先生は思考が柔軟やねんぞお~お。思考が柔軟やからM川先生の息子さんは関西医大裏口入学やねんぞ、わかとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ! おまえとは違うねんぞ、わかっとんのんか、チャンコロ!」とまさに「語学の学習」はこうするべきだとリンガフォンだったかどこかが言っていたように何度も何度も繰り返し繰り返し繰り返し、私の鼻の頭を指さしながら叫び続けたものでした。それで、私は言ったのです。 「なんで、思考が柔軟やったら裏口入学なんてせんとあきませんのお?」と。「そんなに思考が柔軟なら、その柔軟な思考力を生かして、狂徒大学医学部でも頭狂大学理科三類でも実力で現役でさっさと通りはったらよろしいのとちゃいますのおん? 狂大でも犯大でもさっさと現役で実力で通ったらよろしいでしょう。 なんで、思考が柔軟な人が関西医大なんて、そんなどこの馬の骨かわからん私立の医大なんて裏口入学やなんて汚らわしいもんせんとあきませんのおん? なんでですのおん? なんでえ~え?」と。 父は「そういうところが、おまえは思考が硬いんじゃ、おまえは。その点、M川先生はおまえとはちごうて思考が柔軟やから、息子さんは関西医大裏口入学なんじゃ。おまえとは違うねんぞ、チャンコロ! おまえとは違うねんぞ、チャンコロ! わかっとんのんか、チャンコロ! わかっとんのんか、チャンコロ!」と何度も何度も繰り返し繰り返し言うのでした・・・が、「わからんのか、おまえは!」と言われましても、「はあ、どうも、ぼく、頭わるいからなんか、ようわかりませんねえ~え。なんで、思考が柔軟やったら、関西医大に裏口入学せんとあきませんねんやろうねえ。思考が柔軟なら狂大医学部でも犯大医学部でも実力で現役で通りそうなもんですけどねえ~え。ぼく、頭わるいのんか、さっぱりわかりませんねえ」と言ったのだが、父が他界してすでに25年以上経ったが、ぼく、頭わるいからか、なんで、思考が柔軟な人が関西医大なんてものに裏口入学なんてせんとあかんのか、今もって、さっぱりわかりません。父はその医者屋のM川から、セデスだのアリナミンだのPLだのうがい薬だのなんだのかんだのを処方されて、それで、「M川先生、こんなにいっぱい薬くれはった。ええ人や。これ、みんな、タダやで、タダ! タダでくれはった」とか言って喜んでいたが、父は「タダでもらった」と思っていたようだが、それはすべて健康保険からカネは出ていたのだ。健康保険組合から「ものすごい金額を請求されていますが、いったい、どんな病気でかかってるんですか」と問合せが来ていたのだ。父は「タダでくれはった」などと言っていたがM川はそうではなくカネとって売りつけていたのだった。そのカネがドバカ息子が金権裏口関西医大に裏口入学するカネに化けたのである! そうやって裏口入学して医者屋になったやつが、また、薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いで、そのカネでまたドバカ息子のドバカ息子を関西医大に裏口入学させるのであろう。裏口入学⇒薬漬け・検査漬け・毒盛り⇒裏口入学⇒薬漬け・検査漬け・毒盛り⇒裏口入学・・・と輪廻はまわる風車! 関西医大のホームページhttp://www.kmu.ac.jp/ には、「未知を行く、道の先へ」などと冒頭に出るが、何が「未知」なものか。関西医大の行く先は、裏口入学の拡大再生産であって、それしかない!!!
    父は「M川先生は、おまえなんかと違って思考が柔軟やから裏口入学やねんぞ、わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ!」と何度も何度も言うのでしたが、しかし、私の場合は、まず、裏口入学やなんて、そんな汚らわしいもんするくらいなら大学行くことないと思っていたし、それよりも何よりも、我が家は裏口入学やなんて、たとえ、やりたいと思っても、そんなものさせてもらえるようなコネもカネもありませんから、やりようがないのです。ロシア民謡で「ドビヌーシカ」という歌があり、ロシア語の意味としては「棍棒」という意味の題名ですが、日本では「仕事の歌」という題で歌われてきた歌で、これはロシア語の歌と「日本語訳」だとして歌われてきた歌とは歌詞が異なるようなのですが、その「日本語訳」の歌詞の方では、「イギリス人は利口だから水や火などを使う♪ ロシア人は歌を歌う。それは仕事の歌♪」という部分があります。それと似たところがあります。「医者屋族は利口だから♪ 裏口入学で金権医学部に入る。私は努力して合格最低点以上の点数を取って大学に入る。それが庶民の入学のしかた~♪」・・・てそんな感じ。〔⇒《YouTube-仕事のうた》https://www.youtube.com/watch?v=6GRUhyhiKjY 〕
   東大寺の場合、どの門が正門かというと、やっぱり、南大門が正門ではないかと思うのだ。だから、今回はすでに正門にあたるのであろう南大門から入ったので、出る時はどこから出てもいいと思うし、転外門に行くには、外から来ようが、中から行こうが、それは「裏口入学」ではないと思うが、それはそれはそれとして、やっぱり、門というものは、二度目以降に行く時はどちらから行ってもいいけれども、最初に行く時は、できれば外から中に入る方向で行きたいように思ったのだ。 東大の赤門にしても、すぐ横に正門があるから、正門から入って赤門から出てもいいけれども、やっぱり、二度目以降はどちらから行ってもいいけれども、一度目は赤門は外から中に入る方向で行きたいものだと思う。 で、転外門もそう思ったのだ。 又、正倉院付近から転外門付近に行く途中に、ぱとかーと覆面ぱとかーが停まっていて、中に、あんまり感じの良さそうでないおっさんが何人かいたので、「善良な市民」としては「安全第一」「君子危うきに近寄らず」でそういう場所は通りたくなかったのだが、なにしろ、東大寺は思っていた以上に広いのだ。 予定の時間は過ぎてしまっていたし、この後、かの有名な・・・て、我が家にとっては有名なだが、奈良女子大の前まで行ってみたいとも思っていたので、ここは、やむなく、中から外に進む方向で転外門に行った。 ぱとかー の横とおって。 「さりげなく」「関わらんように」気を配りながら。

   建築というものは、「昼の建物」と「夜の建物」の両方を考えるべきであろうが、少なくとも過半数の建物は昼の方が主だと思うが、門という建物は「外から中」と「中から外」の両方を考えるべきであろうけれども、外から中の方がやっぱり主だと思うので、今回は、転害門には中から外に行ったけれども、写真の掲載は外から中に掲載することにする。
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↑ 転害門(てがいもん)。 西から(道路側から)見たもの。
   やっぱり、南大門とか大仏殿みたいな派手さはないね。 「違いがわかる男のネスカフェゴールドブレンド」ですな、やっぱり。 〔⇒《YouTube-違いがわかる男 》https://www.youtube.com/watch?v=fYd2qsugZx4 〕
≪ この威厳のある門はいいですなあ。奈良時代のものです。
   壇正積(だんじょうづ)みの基壇の上に堂々と建ってます。
   正面3間、側面2間、天平尺で、正面が20尺、脇間が18尺、ですから正面は56尺。側面も14尺あります。メートルに換算して正面が約17メートル、奥行きが8.5メートル。
   太く立派な柱が表に4本。裏側に4本。八脚(やつあし)門として最大です。
   柱間が広い分だけ、がっしりした柱と貫で支えていますね。・・・・ ≫
( 小川三夫『宮大工と歩く奈良の古寺』2010.文春新書 )
≪脇間が18尺・・≫てことは、左右にくっついている部分も、“おまけ”ではないのですね。

   この転害門で、何よりも「見どころ」というのが、西側の一番南の柱です。↓
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↑  小川三夫『宮大工と歩く奈良の古寺』(2010.文春新書)には、
≪  柱間が広い分だけ、がっしりした柱と貫で支えていますね。その柱がいいんです。宮大工の口伝に『木は生育の方位のままに使え』というのがあります。
    木を使うときに、南向きに生えていた木は南向きに、山に生えていた方向のまま据えなさいという意味です。一本の立木をよく見ますと南側に太陽の光を求めてたくさんの枝が出ます。それは材になったときに節になります。ですから南側をそのまま柱に据えますと節がたくさんある方が表に出てきます。
   転害門の表の一番右(門に向かって)の柱を一度見てください。
   長い年月と風に晒されて枯れた木の肌をしています。風雪に耐えた木の味というのはそのままでも心をうつものがありますが、そこに浮かび出ている節が幾つもありますね。その節を取り巻く、木の繊維が急流の渦のようにも見えます。そうした節が幾つも飛び出しているのがこの柱です。木の意志が伝わってくるような柱です。
   何でこんな無骨な節のある柱をと思いますが、口伝のとおりに使っていたのだと思うのと同時に、穿った見方をすれば、腕の立つ工人がこの暴れん坊な木をうまく納めたその腕を「どうだ」と見せたかったのかなとも考えました。
   現代の電動工具がたくさんある時代でも節の処理は大変です。当時の未熟な道具で、節を処理するのは並大抵なことではなかったのだと思います。そんな木に挑む工人の気持ちも思い浮かばせる柱なのです。・・・ ≫
とあります。 その柱が↑です。 たしかに、節だらけです。
   この転外門は、西から入る門ですから、表側は右側が南です。 「木は生育の方位のままに使え」という口伝の考えによると、右側には南に生えていた木を使えということになり、右端に特に節の多い柱が使われているようです。

   この「木は生育の方位のままに使え」という言葉は、西岡常一さんの本には何度も出てきました。
≪ 木のくせはまず、ねじれと「反り」です。おなじ種類の木でも、山の頂上、中腹、谷、斜面の角度、北および西側、南および東側、風当たりの強弱、植生の疎密などで、反り、硬さ、軟らかさはもとより、材質はさまざまです。右にそる木に、おなじ力で左に反る木を組み合わせれば、左右に働く力が釣り合って、塔がねじれたり、傾くことはありません。これが木組みの基本です。
   力のかかるところや軸部材には、ひねくれねじれて、節のある木を持って来ます。そういう木は、山の頂上の南あるいは東側の、強い風あたりのところに生えたものです。北側、西側、谷筋に育った木は、素直でおとなしく、材質もやわらかです。だから力も弱く長持ちしません。人間でいったら温室育ちでしょう。力のかかる軸部材には向かないが造作材にはなります。
   北あるいは西側に生えた木は、根元から末口まで太さに差がありませんから、大きな材料がとれます。しかし南あるいは東側の木は、根元は太いが先細りになるものが多いようです。
   一本の木でも、樹心を境にして南側と北側では、材質にこれまで述べたような差が見られます。枝は南東側に多く出ますから、節が多いわけです。ですから、大木を芯から四つ割にして使う場合には、南東側の二本を柱などにし、北西側の二本は材質を見て、軸部材にするか造作材にするかをきめます。四本とも柱にする場合でも、南東側の節くれ立った二本は建物の南東側に、北西側の素直な二本は北西側に使わないといけません。建物の木になっても、育った山の条件によるくせを持ち続けるからです。そうしないと木のくせを狂わせ、建物をゆがめたりすることになります。これはあとの、木の「日面」と「日裏」でもう一度述べるつもりです。
   ところが古代建築の南側は正面玄関になります。そこは節のない柾目の通ったきれいな北西側の木で飾りたいのが人情です。それなのに、法隆寺では金堂でも、南側の正面に節くれだった肌ざわりのよくない南東側の木を使っています。ここにも木を知り、木を生かして、自然に逆らわない飛鳥工人のたくましさと知恵を見ることができます。
   堂塔だけではなく住宅などにも、こういうことが守られていれば、木の反りによる壁のヒビ割れ、建具の狂いなどはかなり防げるでしょう。しかしいまは木のくせを読めません。まだくせを出し切らない木を寸法に合わせて、柱や板に製材してしまい、大工が木のくせを読みたくとも読ませない状態です。むかしは割って使いましたから、生木でも木目を見れば、どちらに反るくせがあるか見分けがつきました。・・・・ ≫
( 西岡常一・小原二郎『法隆寺を支えた木』1978.6.28.日本放送出版協会 NHKブックス。
 西岡常一「1.飛鳥と木」 )

≪ 飛鳥建築や白鵬の建築は、棟梁が山に入って木を自分で選定してくるんです。それと「木は生育の方位のままに使え」というのがあります。山の南側の木は細いが強い、北側の木は太いけれども柔らかい、陰で育った木は弱いというように、生育の場所によって木にも性質があるんですな。山で木を見ながら、これはこういう木やからあそこに使おう、これは右に捻じれているから左捻れのあの木と組み合わせたらいい、というようなことを山で見わけるんですな。これは棟梁の大事な仕事でした。
   今はこの仕事は材木屋まかせですわ。ですから木を寸法で注文することになります。材質で使うということはなかなか難しくなりましたな。材質を見る目があれば、この木がどんな木か見わけられますが、なかなか難しいですな。・・・ ≫
≪ そうした木の性格を知るために、木を見に山に入って行ったんです。それをやめてどないするかといいましたら、一つは木の性格が出んように合板にしてしまったんですな。合板にして木の癖がどうのこうのといわないようにしてしまったんですわ。木の持つ性質、個性を消してしまったんです。
   ところが、癖というのはなにも悪いもんやない、使い方なんです。癖のあるものを使うのはやっかいなもんですけど、うまく使ったらそのほうがいいということもありますのや。人間と同じですわ。癖の強いやつほど命も強いという感じですな。癖のない素直な木は弱い。力も弱いし、耐用年数も短いですな。
   ほんとなら個性を見抜いて使ってやるほうが強いし長持ちするんですが、個性を大事にするより平均化してしまったほうが仕事はずっと早い。性格を見抜く力もいらん。そんな訓練もせんですむ。それなら昨日始めた大工でもいいわけですわ。 ・・・・≫
≪ 木を生かす。無駄にしない。癖をいいほうに使いさえすれば建物が長持ちし、丈夫になるんです。私らはそのために技術を伝え、口伝を教わってきたんですからな。もう少しものを長い目で見て、考えるということがなくてはあきませんな。今はとにかく「使い捨て」という言葉が基本になってしまっているんですな。 ≫
( 西岡常一『木のいのち木のこころ (天)』1993.12.3.草思社 )

≪  鵤寺工口伝
   ・・・・・
  一、堂塔の建立には木を買はず山を買へ
  一、木は生育の方位のままに使へ
  ・・・・ ≫
( 西岡常一『木に学べ』1988.3.1. 小学館 )

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↑ 転害門(てがいもん)、東面。
   やっぱり、門は、外側が主で、中側が従 ですよね・・・。

   現地の説明書きに、
≪  轉害門  国宝 奈良時代
   轉害門は、もと平城左京一条大路に西面して建立され、佐保路門ともよばれた。
   中世の修理を受けているが、東大寺の伽藍における天平時代唯一の遺構で、その雄大な姿は創建時の建築を想像させるに十分である。
・・・・
   基壇中央には、神輿安置の小礎四個が据えられ、天井も格天井に改められ、現今も川上町の有志により大注連縄が中央の二柱に懸けられている。
   京街道に面していたために、平安時代末期から民家が建ち並び、中世以降には東大寺郷の一つである轉害郷(手貝郷)が生まれ、江戸時代には旅宿として発展した。 ・・・ ≫
と書かれています。

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   天平期の建築で今も残っているものとして、三月堂(法華堂)の正堂の部分と正倉院、それにこの転害門だという本があるが、転害門の現地での説明書きには≪東大寺伽藍における天平時代の唯一の遺構≫とある。 『古寺を巡る2 東大寺』(2007.2.13.小学館)には、転害門は≪創建当時の建造物≫と書かれている。 

   「てがい」は「害を転じる」の「転害」なのか、「手貝」なのか。 門の名前は、どの本を見ても、「転害門」になっているが、町名表示では、転害門の前のあたりは、「奈良市手貝町」らしい。

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( ↑ クリックすると大きくなるので、大きくして見てください。 )
↑  ≪ この門の良さは側面の妻飾りにもあります。
  天辺をまるく削った柱の上に頭貫(かしらぬき)が通っていますね。柱の上には枯れた大斗(だいと)が乗り、底に桁の尻が三本ずつ伸びて重なっています。その尻は木鼻になっていて上ほど長い。頭貫の上に一本のが通り、その上を二つに分けて二個の虹梁(こうりょう)が。虹梁の上に面白い形の板蟇股(いたかえるまた)が乗り更に虹梁を重ね、その虹梁の上に板蟇股が来て棟木を持ち上げてます。
  年月に晒された虹梁の枯れ味、老いながら筋を張った力。蟇股の功名さ、剽軽(ひょうきん)さと相まっていい味です。
  突き出た木鼻、どれも簡素ながら時代の美を表しています。・・・・ ≫
( 小川三夫『宮大工と歩く奈良の古寺』2010.文春新書)
   この本の記述と写真を照らし合わせて見ると、なるほど、これがこれで・・・とわかります。 言われてみると、たしかに・・・と思えてきますが、ここを通っている人で、そこまで気づいている人がどれだけいるかというと、気づいていない人の方が多いのではないでしょうか。

   南大門は門の下を通ることができるのに、転害門はなぜ下を通ることはできないのだろう・・・と、ふと思いました。 思いませんか?  転害門を東に入ってすぐ北に鼓阪小学校という小学校があり、転害門から東に入ったあたりにそのの入口があります。 南大門の付近は東大寺の境内であるのに対し、転害門の周囲は、かつては東大寺の境内だったのかもしれませんが、今は民家が建っており、転害門の内側は東大寺の通路なのか一般の道路なのかわからない感じで、内側に小学校の入口がある。 もし、門の下を通行できるようにしたならば、クルマやバイクで通る人も出てくる可能性があるし、南大門付近と違って人通りが多くないので、傷づけたりする人がいてもわかりにくいからということでしょうか。 本来、門は人がその下を通ってこそ門として生きているのであり、加賀前田家屋敷の赤門が東大の赤門に変わっても門として使われているからこそ、史跡として門だけぽつんと保存されている門よりも生気があるように思いますが、せっかくの由緒ある門の下を通れないという点は残念です。

   転害門の前の南北の道、国道369号を北に進むと、東に行く月ヶ瀬街道(国道369号)と北北西に行き木津に至る県道754号に分かれるが、その分起点の西のあたりに、内田康夫『平城山を越えた女』(講談社文庫)に登場する夕日地蔵般若寺がある・・・はず。 「はず」というのは、行って確認していないから、あくまで、「はず」。
   般若寺は『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック [改訂版]』(2007.9.20.山と渓谷社)にも掲載されている。 山号は法性山で、真言律宗の寺で、本尊は文殊菩薩らしい。 夕日地蔵は記載はない。内田康夫の小説に登場する史跡は、必ずしも、その地域で知名度がトップクラスのものとは限らない。よく、こんなの捜してきたな・・なんてのも出てくるが、≪この作品はフィクションです。実在する人物、団体とはいっさい関係ありません。≫なんて書いてあるが、夕日地蔵さんは、どこか国道369号と県道754号が分岐する所の西側あたりにいらっしゃるのではないか・・な。 

   『古寺を巡る2 東大寺』(2007.2.13.小学館)に掲載の「東大寺境内地図」を見ると、西側に北から、転害門があり、それより南に「中御門跡」、さらに南に「西大門跡」があると記載されています。 ということは、その3つの門を結ぶラインより東側は、今は民家が建っていますが、かつては東大寺の境内だったのでしょうか。「中御門跡」にあたる場所に、グーグル地図では「焼御門跡」と書かれています。 転害門の西側から国道369号を南に進んだところ、「西大門跡」に出会いましたが、その途中の「中御門跡」には気づかずに進みました。「中御門跡」と「焼御門跡」が同じ場所ということは、「中御門」は焼けたということなのでしょうか。
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↑ 「東大寺 西大門跡」と彫られています。

   ちなみに、グーグル地図で住所の欄に「東大寺」と入れてクリックすると、大仏殿の位置を指した地図がでますが、「上宮天満宮」と入れてクリックすると、大阪府高槻市の上宮天満宮の本殿ではなく社務所の位置を示した地図が出てきます。な~んでか? 東大寺はそれだけ大仏殿の存在感が強く、寺務所てどこにあんねん・・て感じなのでしょうか。 それなら、上宮天満宮は本殿は影が薄いのか? ということにもなりますが。ヤフー地図では、東大寺でクリックすると本坊(旧東南院)の位置を指し、上宮天満宮でも社務所の位置を指します。

   なお、今回の東大寺の写真は、2018年10月後半に撮影したものです。

   (2018.11.12.)

   次回、9.奈良公園の加圧注入材。注入直後の木材にさわるのは非健康的。https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_20.html


☆ 東大寺参拝
1.南大門〔1〕 近鉄奈良駅から南大門へ。知識で物を見ないで。https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_12.html
2.南大門〔2〕 挿し肘木・通し肘木。鉄骨の貫は見えない。背割りはない。https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_13.html
3.大仏殿〔1〕 中門・西楽門・廻廊・大仏殿。https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_14.html
4.大仏殿〔2〕 鉄釘と銅輪で締めた柱。鉄骨製トラスは見えない。大仏殿は「伝統構法による木造建築で世界最大級」  https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_15.html
5.大仏殿〔3〕 花頭窓と観相窓。優婆塞を体制にとりこんだか反体制が手を組んだのか。「東大の日本史」と「京大・阪大の日本史」の問題 https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_16.html
6.大仏殿〔4〕 横方向の太い材が多い大仏殿。 東大の入試の科目を知らなかった進学校の3年担任の教諭 https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_17.html
7.正倉院  校倉造の原理と言われていたものは実は・・なんて今さら言われてもなあ・・ https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_18.html
8.転害門  「木は生育の方位のままに使え」を実践した南西の柱 〔今回〕
9.奈良公園の加圧注入材。注入直後の木材にさわるのは非健康的。https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_20.html
10.奈良女子大学の想い出。お年玉は「親がもらったもの」か? https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_21.html

☆ 「飛鳥・白鳳・天平の建築」シリーズ
法興寺〔飛鳥寺〕〔安居院〕
上 本堂、塔跡 https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_9.html
下 思惟殿、鐘楼、蘇我入鹿首塚、西門跡 https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_10.html
山田寺跡・飛鳥資料館 https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_11.html
飛鳥坐神社 https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_12.html
「孝元天皇陵」 https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_13.html
飛鳥の街並み https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_14.html 


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