「前期高齢者」は、なぜか礼を言わない人が多い。駐車場の精算機は年寄に使えるようにしてあげてほしい。

[第612回]
   何年か前、自民党の麻生太郎が東京都府中市での街頭演説で「『体だけ元気な年寄』て困りますよね~え。府中にもいませんか? 永田町にもいるんですよねえ、『体だけ元気な年寄』が」と話したと何だったか忘れたが雑誌に出ていた。 実際のところ、「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」にはうんざりさせられることが現実にある。 我が家の近所でも、自治会は「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」の会 になってしまって、最初は顔を出したが、そのうち、あほくさくなって、会費だけ払って総会にも出ないことにした。 年に1回、「クリーン船橋の日」なんてのがあって、それも、一度、出たのだが、自治会のみんなでU字溝の掃除をするというのだが、我が家なんかは道路に面した部分がそれほど長くないし、たいしてすることはない。それに対して、溝が相当深い所があるらしく、かつ、道路に面した部分の長さが長い家がある。そういう家の人は「私ところなんかは、掃除するのが大変なので、ぜひ、皆さんでやっていただきたい」などと言われるのだが、大変なのはわかるが、しかし、考えてみると、なんで、よその家の前の溝の掃除を無料でさせられなければならないのか? ・・・てことにもなる。接道距離が長い家というのは、「敷地延長」「旗竿地」でもないのに接道距離が短い我が家なんかよりもよっぽど広い土地に建っている家だということであり、麻生邸より小さいとしても我が家より豪勢な家に住んでいるということで、なんで、貧相な家に住んでる人間が「クリーン船橋の日」とかいって豪勢な家の前の溝を掃除せにゃならんのだ?
    で、総会で言ったことがあるのだ。「もし、溝が深くて掃除しにくい所があるということなら、市役所の道路管理課に言って対処してもらったらどうなのでしょうか。市役所で対処してくれないということなら、自治会の会計には少々余裕があるようですし、あえて、クリーン船橋の日なんてことで暇でもないのに休みの日に労力払ってやらなくても、たとえば、この近所にも大学がいくつかありますから、そういう所にアルバイトの募集を出して、1日いくらと払って大学生にアルバイトでやってもらうとかいう方法もあるのと違いますか」と。しかし、「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」は反対するのです。「クリーン船橋の日は、せっかく、みんなが出て親睦をするための日なんだから、そんなことしちゃだめだ」と。「みんなが出て親睦をする」ということなら、そのお宅も現役世代の人に出てもらいたいわけです。我が家は現役世代の私が出ているのに、そのお宅は私と同年代の息子やその嫁は出てこず、その親である「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」を出して、自分の家の年寄をよその家の現役世代の人間に「お守り」してもらっているのです。その「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」を私に「守り」させる私と同年代の息子は私の親(「後期高齢者」)のために何かしてくれるのかというと、何もしてくれないのです。そして、「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」は、クリーン船橋の日は喜び勇んで出てきますが、そういう人というのは何かあると、「若い人にやってもらって」とか言い出して、自分は指示する役、やるのは「若い人にやってもらって」となるのです。「若い人」と言ったって、私ら、会社では真ん中より年寄の側になってしまったような人間を「若い人」なんて言うのですよ。あほくさいから、出るのやめました。船橋市役所に言って、「あの『クリーン船橋の日』てのは、なんで、あんなものあるのですか? 溝掃除の必要があるのなら、自分の家の前の溝は自分でやればいいし、一般の人間には掃除が困難なほど深い溝になっている所は市役所でやってもらうことはできないのですか」と尋ねてみたのですが、船橋市役所http://www.city.funabashi.lg.jp/ のクリーンなんとか科だったかの職員が言うには、市役所としては別に溝掃除をしてくださいとは言ってませんということでした。船橋市民の皆さんに年に一度、船橋市をきれいにすることに関心を持ってもらって何かやっていただければというだけであって、溝掃除してくださいと市役所で言ったことはないのですがということでした。
   山梨県上野原市に1年4カ月ほど住んだのですが、上野原市に昔々から住んでいる“原住民”に、冬、「ここは寒いですね」と言いますと、「いや、寒くない。夏、暑い」と言う人がけっこうありました。「寒くない」かというと、そんなことない。まず、冬、夜に風呂に入った後、換気のためと思って窓を開けてしばらくすると、凍ってしまって窓が閉まらない。 雪が降ると、東京とか大阪とかで暮らしてきた人間はそのうち溶けるだろなんて思うのだが、そんなこと思っていると、そのうち、凍る。 凍ったが最後、春まで解けない。これを称して「永久凍土」と言う。だから、冬、雪が降ったら、出入口の前、駐車場の前、ともかく、大急ぎで雪かきしないと、「永久凍土」になってしまってスコップで叩いても割れない。東京や大阪で雪が積もっても、1日か2日残ることはあっても、いずれは無くなるが上野原では春まで無くならない。東京や大阪で雪が凍った時は、玄翁で叩けば割れるが山梨県では雪が凍ると玄翁なんかで叩いても割れない。で、ホームセンターで「塩化カルシウム」なんてのが売ってる。山梨県に住むまで塩化カルシウムなんて知らなかったが、これを撒くと溶ける。実際には上野原市は、けっこう、冬、寒いのですが、生まれてから以来の上野原市民が言うのは、冬よりも、夏、暑いというのだ。たしかに、夏になってみると、冬、寒い分だけ夏は涼しいかというとそうではなく、夏、暑いのだ。で、冬は比較的暖かいというわけでもないのだが、「甲府とか大月とか山梨県の他の地域と比較すると、冬はそれほど寒くない」という意味らしい。たしかに、上野原の夏は暑いは。特に、山梨県てのは冬は寒いが夏は涼しいだろなんて先入観を勝手にもってると、夏、暑いのに閉口する。
※ 《ウィキペディア―塩化カルシウム》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E5%8C%96%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0
   で、千葉県船橋市でも、年に1度か2度、雪が積もる年がある。かつ、山梨県と違って、「いずれは溶ける」わけで「春まで溶けない」なんてことはない・・・のだが、車庫の前は大急ぎで積もった雪をのけないと、「日常・レジャー」でしかクルマに乗らない人はまだいいのだが、「業務用」か「通勤・通学用」でクルマを使う者は、積もった翌日でもクルマで通勤しなきゃならないことがある。広い道は雪はなくなっていても、我が家の前の細い道なんて自分でのけないと誰ものけてくれないし、凍るとクルマが出れない。だから、私も椎間板ヘルニアなんてのに苦しんだりもしているのだが、そんなこと言ってられないので、大急ぎで雪かきをする。・・・と出てくるのだ、「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」が。「子供たちが転ばないように、道のまん中の雪をのけてちょうだい」と言って。「道のまん中」に雪を出せば、そのあたりなら日が差すので溶けるだろうと思ってこちらはそこに我が家の前の雪を移動させているのだ。ところが、「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」は「そんな所に出したのでは子供たちが転ぶから出してはだめだ」と言うのです。そうなると、隣のアパートは角地で我が家の側には出入口はないのでそちらの前に寄せて出させてもらおうと考えるのです。すると、「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」は「よその家の前に雪を出しちゃだめだ。そんなことしちゃ」と怒るのです。自分の家の前に出されたのなら自分の家の前に出してもらいたくないと言うのはまだわからないことはないのですが、自分の家の前じゃないのです。そうなると、我が家は雪を移動させる場所がないのです。そして、「ちょっと、待ってちょうだい」と言って自分の家の中に入って再度でてきたのですが、何を持ってきたかというと、私が使っていたような「普通のスコップ」ではなく「雪かき用のスコップ」です。「これ、貸してあげるから、そこの雪をよけてちょうだい」と言うのです。「子供たちが転ばないように、道のまん中はあけなきゃだめなんだ」と言うのですが、子供がいない我が家がなんでよその子供のために道のまん中の雪を我が家の駐車場の前に移動させなきゃならんのですか? 「子供たちのために」と言う以上は、その「子供たち」の親が我が家の前まで来て道の雪かきをするべきでしょう。違いますか?  しかも、「子供たちのためにやってちょうだい」と言うのですが、それなら自分がやったらどうかというと、「体だけ元気な年寄」はそういう時は元気でなくなるのです。それなら、私と同年代の息子や息子の嫁や娘にやらせればいいのではないのかと思うのですが、私と同年代の息子はやらないのです。その息子はあまりにも卑怯です。だから、雪かきには相当苦労します。やらないとクルマを出せなくなってしまいますし、「日常・レジャー」ではなく「業務用」や「通勤・レジャー」で使う者はクルマを出せないのは困るのです。
   「自治会の次期役員の候補者が決まりました」と回覧板でまわってきて、総会に行くと、「承認をお願いします」と持っていかれるのですが、「候補者」に出てもらった方が悪いということではないのですが、やっぱり、先に知らない場所で「候補者」が決められて「承認をお願いします」てのはおかしいのではないか。立候補する人があるかないかにかかわらず、「候補者が決まりました」と回覧板で言うのではなく、その前に、「次期役員をやろうという方はありませんか」という通知が先にあるべきではないのか。それがなかった時に、現役員が誰かやってくれませんかと「根回し」をするのはいいと思いますが、「役員をされる方はありませんか」という通知なしに先に「候補者が決まりました」と言って「承認お願いします」というのはおかしいのではないか・・・と、そう総会で言ったのです。すると、「承認をお願いしてるのじゃないのよ」と「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」のおばさんが言うのです。「候補者じゃなくて、もう、決まってるのよ」と。はあ? 自治会というのは自治会員の総会で役員を決めるのではなく、それと別の場ですでに決められているのですか? 何、それ? 別の場ですでに決められていて、それでも総会で「承認」の儀式をすることになっているけれども、それは「承認をお願いしてるのじゃないのよ。もう、決まってるのよ」と言うのです。おばさんは。そして、さらに別の「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」のおじさんが言ったのです。「あんたがやってくれるんだったらいいけど、そうじゃないだろうから、だから、私たちがやってあげているいるんだよ」と。 はあ? 何?
   実は、その時、私、役員をやったっていいと思っていたのです。厚生労働省委託で東京リーガルマインドが実施していた「求職者支援セミナー」というので講師の男性が話していたことですが、「『私、ひとの奥さんと仲良しになるのが得意なんです』と言われた男性があったんです」と。「ひとの奥さんと仲良しになるのが得意」て何やねん、間男かいな?・・・というと、そういう意味ではなく、その人は保険のセールスの仕事をしていたそうなのですが、PTA役員とかを積極的にやるそうなのです。そして、そういう場で「ひとの奥さん」と知り合いになって、そこから保険の契約をいただくというのが得意だったそうなのです。 私は保険のセールスなんてやってませんが、でも、ひとのつながりはあっていいと思うのです。 「人的つながり」があれば、そこから何か契約につながるということもあるかもしれないし、なかったならなかったでいいじゃないですか。よっぽど変なつきあいでなければ、得に「御利益」がなくても、又、「特別にエライ人」とかが相手でなくても「人的つながり」はあっていいと思ったのです。
   ところが・・・。 自治会に現役世代の人達が出てきているのなら、現役世代の人間が役員やれば、よその家の現役世代の人間と知り合いになり、それで何か「いいこと」があったらあったでいいし、なかったらなかったでそれも別にいいと思うのです。しかし、「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」≒「引退世代」ばっかりが出ている会に出て役員なんてしたあかつきには、自分の親(「後期高齢者」)をほっぽらかしにしてよその「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」の世話させられる・・・ということと変わらないわけです。 そんなことしたのではアホです。・・・となると、できないわけです。 やったらアホですよ。 となると、自治会は「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」≒「引退世代」の会 になってしまうのです。 その「前期高齢者」のじいさんは、現役世代の人のために自分は出て「あげている」と思っていたようですが、そうでもないのです。その人達が出るから現役世代の人間がその会を敬遠することになっている、という面もあるのです。 じいさんはそれがわからないのです。
   それだけでなく、「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」≒「引退世代」のじいさんてのは、現役世代の人間に相手にしてほしいらしく、家の前の道を行ったり来たりしている人というのがいるのです。 かかわらんようにと思って、「あ、向こうに行ったな」と思って逆の道を通って行こうとすると、なぜか、逆の方に行ったはずなのに出会ったり・・・ということがあるのです。こちらは「あ、向こうに行ったな」と思って逆の側の道を通って行こうと考えたけれども、もしかすると、向こうは向うで「あ、向こうに行ったな」と思って、ぐるっとまわってこちらが向かうような場所から出てきているのではないか・・・・・。で、なんで、自分の息子がいるのによその息子に相手にしてもらおうとするのか・・・? そこの息子、自分の親の相手をせずによその現役世代の人間に自分の親の相手をさせようというのは、あまりにも卑怯じゃないか!・・・と思うのですが、もしかするとですが、自分の息子が相手にするのを嫌がるからよその息子に相手にしてもらおうとするのかも・・・しれませんね。

   ・・・・てことで、なんだか、「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」≒「引退世代」のじいさんてのは苦手! です・・・・が、スーパーに買い物になんて行っても、けっこうよくいるのです。かつ、私の親みたいな「後期高齢者」と違って「体だけ元気」ですからクルマも運転します。 で、最近、駐車場が自動化して、パネルを操作して長時間の駐車でなければ無料てスーパーの駐車場があるのですが、「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」≒「引退世代」のじいさんてのは、タッチパネルの操作が出来ない。 できないのか、めんどくさいからやりたくないのか微妙です。私だって1回目はめんどくさかったしわかりにくかった。でも、1回やればそんなに難しいことでもないし、できるわけですし、できなきゃその機械は意味ないことになります。
   私、その操作を「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」≒「引退世代」のじいさんに3回、教えてあげて、そして、3回とも「ありがとう」も言ってもらえずにふてくされて行かれてしまいました。 別に、特別にものすごいことしてあげたわけでもないのですが、そうであっても、そこの店の店員でもない人間に教えてもらったのなら、かつ、そのじいさんがさっさと操作しておれば、次に操作したい人間はさっさと操作して余計な時間を取られずに出れたのにそのじいさんのおかげで時間を取られた者には、「ありがとう」なり「すんません」なり、一言くらい言ったっていいのじゃないかて思いませんか?
   2001年のこと、パリのモンパルナス駅で切符を自動販売機で買おうとしていた時、扱い方がよくわからずにもたもたしていた時、後ろにいたフランス人の若い女性が、英語で尋ねてくれてやり方を教えてくれました。日本では「フランス人は英語が話せても英語で話してくれない」というお話があって、実は私も昔はその話を信じていたのですが、違います。フランス人には英語を話せる人が多く、かつ、こちらが日本人だと思うと、日本人はフランス語は話せないが英語なら「話せる」とまではいかないとしてもフランス語よりはわかる人間が多いと考え、そして、フランス人には日本語を話せる人は少ないが英語を話せる人は多いので、英語で話してくれる人がけっこういます。又、けっこう親切な人も多い・・・のですが、その時は親切心から教えてくれたのか、それとも、前にいる人間がもたもたしていると自分がなかなか買えないのでじゃまだから教えてくれたのか、たぶん、両方じゃないかと思いますが、ともかく、教えてもらい、助かりました。で、私は言いました。「サンキュー」と。そして、そうだ、ここはイギリスじゃなくてフランスだったんだと思い、「メルシー」と言いました。やっぱり、言うべきじゃないでしょうか。それほど、特別のことではないかもしれないけれども、教えてもらったなら、「ありがとう」か「すんません」か一言くらい言ってもバチ当たらんと思うのですよね。・・・でも、「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」≒「引退世代」のじいさんてのは言わないのです。 気分悪いけど。
    1ヶ月ほど前だったか、近所のスーパーの駐車場で、私がクルマを出すために「精算機」を操作しようとすると、「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」≒「引退世代」のじいさんが悪戦苦闘しとるのです。そのため、主婦らしい女性が捜査できずに待っていました。私は順番からいくとその後ですが、じいさんは誰かが教えてあげないと操作できないらしく、それで、御親切に教えてさしあげました。・・・すると、「ありがとう」の一言を言って喜んでクルマの方に行く・・・・だろうなんて思いませんか? ところが、じいさんはこう言ったのです。「ええい、もう! ややこしいなあ~あ」と、そう言って文句を言ったのです。なんで、教えてあげて文句を言われなきゃならないの? あんたがもたもたしているおかげで、こちらは、そうでなければさっさと出れるのに余計な時間をとられて迷惑してんだよ・・・と思うのですが、じいさんは天下無敵!  世の中、何が強いかというと、《「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」≒「引退世代」のじいさん》と、おばさん。 昔から言いますよね。「女は弱し。されど、おばさんは強し」て。 「おばさん通れば道理ひっこむ」て。「そこのけ、そこのけ、おばさん通る」て。「泣く子もおばさんには勝てない」て。 言いますでしょ!!!  で、私、思ってたのです。世の中、何が強いて、おばさんほど強いものはない・・・と。 「子供」を大義名分にすれば何でもまかり通るみたいに思ってるオバタリアンていますでしょ。「子供帝国主義」みたいな怪物が。 そういうオバサンが、世の中、一番強いと思っていたのですが、実はそれと双璧て感じのがいて、それが、《「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」≒「引退世代」》のじいさん。こちらは店員でもないのに、なんで、教えてやって文句言われなきゃならんのだ、まったく。
   さらに、その後。半月ほど前でしたでしょうか。 同じスーパーの駐車場で私が精算機で精算しようとすると、「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」≒「引退世代」のじいさんが2人並んでいて、どっちも扱えないみたいで、先にいたじいさんが悪戦苦闘していたのです。 後ろに2人並んだと思うと、プレッシャーを感じたみたいで、「先にやってください」と譲ったのはいいが、もう1人も扱えないのです。だから、しかたがないから、またもや、教えてあげました。・・・で、またもや、「ありがとう」も言わずに行ってしまいました。じいさんはしかたねえな・・・と思いましたが、その前の時みたいに文句言われなかっただけましかもしれません。 で、自分は扱えないと思って順番を譲った方のじいさんは、前のじいさんが終わったのを見て自分も扱えると思ったみたいで、私には順番を譲ってくれませんでしたが、それなら扱えるのかというと扱えないみたいで、しかたないから教えてあげました。で、やっぱり、「ありがとう」も言わずに行きました。これもまた、文句言われなかっただけマシかもしれませんけどね・・・・。
   「まったく、困りますよねえ。体だけ元気な年寄はあ。府中にもいませんか? 永田町にもいるんですよ、永田町にも。体だけ元気な年寄があ!」と麻生太郎が言っていたというのですが、いますよ。我が家の近所にも、いっぱい。 もっとも、麻生太郎も「前期高齢者」の年齢じゃないのかと思いますが、もっともっと高齢でありながら「体だけ元気な年寄」がいるのでしょうね、永田町には。

   「ありがとう」の一言くらい言ったって、別に大金失うわけでもないのだから、「ありがとう」なり「どうも、すんません」か何か言えばいいと思うのですが、「前期高齢者」≒「体だけ元気な年寄」のじいさんてのは断固として言わない・・・てのはなんでだろうなあ・・・と考えたのですが、もしかすると、「年寄はプライドが高い」ために、「教えてもらった」「自分は教えてもらわないとできなかった」という事実を認めるのが嫌なのかもしれませんね。

   その点、「子供を持った女」というのは、子供を抱えると「『子供』を大義名分にすれば何でもまかり通る」なんて考えだすおばはんも出てきますが、これは「ひとにもよる」ようで、そうではない人もいます。 別に年寄でなくても操作法がわからないとかいう場合があるかと思いますが、「子供を持つ女」の場合は、教えてあげると、「どうも、ありがとうございます」と言う人もいます・・・・というより、言う人の方が多い。 その点、やっぱり、老化してないのでしょうね。又、あくまでも、それについてわからなかっただけだという意識でいるのに対して、「体だけ元気な年寄」てのは、教えられるとプライドを傷つけられたみたいに思うのかもしれません・・・が、それなら、さっさとやってくれよ、後つかえてんだよ・・・と思うのすが、プライドはあってもじいさんはできないのです。
   2011年、千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも、2013年に正式に倒産)に社長 長谷川信二(男。当時、40代前半)の嫁の河野利華(女。当時、40代前半)の友人だということで縁故入社した滝口恵(女。当時、30代前半)は「子供」を大義名分にして、おのれが担当でおのれがその仕事に対して報酬を受け取っている仕事を残して定時に退社し、そのおのれが担当でおのれがその仕事に対して報酬を受け取っている仕事を、担当外の従業員に労働基準法違反の時間外労働・労働基準法違反の無賃労働でさせて、そして、それに対して、「すいません」も「ありがとうございます」も、一言として言ったことがなかったが、あれは、どう考えても異常である。普通、負担をかけた相手には「どうも、すいません」なり「どうも、ありがとうございます」なりそのくらいは言うものと違うのか!!! 「異常」もしくは「ビョーキ」である。滝口の親は私と同年代かと思ったが私よりわずかに年上らしいが、まず、親の教育が悪い。もしかすると、その親もまた「親の教育が悪い」人間だったのかもしれないが。次に、前職の会社の社員教育が悪い。その次に、オットが社会人として非常識である。 4番目に、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長と社長の嫁がおかしい。会社は従業員を守らないといけない。滝口1人が入社したために、ほかの従業員が迷惑しているということを社長と社長の嫁は理解しないといけないし、理解できないようなら社長と言えない。滝口を守るために他の従業員を犠牲にするのが当たり前というように長谷川新二は考えたらしいが、そういう身勝手な認識を従業員は認めるわけにはいかない。「新人類」だか「エイリアン(異星人)」だか知らんが、そんなバカ女を職場に入れられたのでは迷惑である・・・し、そういうことでは会社は発展しない・・・・と思ったら、つぶれた・・・のだが。
  「おばさん」「オバタリアン」も「オヤジ」と一緒で、その年代のその性別の人が「おばさん」「オバタリアン」であるわけではなく「おばさん」「オバタリアン」と言われることをする人間が「おばさん」「オバタリアン」だと思う。そのあたり、自覚のない人というのがいあるが、滝口は人並み外れている。いくらなんでも、滝口の親は親としての役目を果たしたと言えないし、滝口のために新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)がやったことははっきりと大きく労基法違反であり犯罪である。

   1990年代、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の福島県いわき市の営業所にいた時、同じ営業所に「アルツハイマー」だと言われている男性Sさん(当時、40代)がいたのだが、Sさんは同じ営業所(展示場)の他の営業にその営業が担当のお客さんから電話があった場合など、普通なら伝言を書いてその営業担当者の机の上に貼っておくなりするものだが、頻繁に忘れる。「戻ったらかけさせますから」とSさんが言っておきながら電話がない。お客さんは、その後、電話してきて、いつまでたっても電話がないと怒るが担当営業はそのお客さんから電話があったということを聞いていないので、びっくりする。で、「Sさん、◇◇さんから電話があってとったのなら、どうしてそれを教えてくれないの!」と苦情を言うと、「おめえがきかないからいけねえんだ」とか言って居直る。自分が伝えるべきものを伝えずにミスしたのなら、「申し訳ない」とか何かそういう言葉を言えばいい、言うべきだと思うのだが、Sさんは信念もって言わない。 又、大部分の人間よりも忘れやすい人は、担当営業が外出中にお客様からかかってきた電話をとった時には、他の人間以上に、すぐにメモに書き留めて担当営業の机の上に貼り付けるようにするとかするべきだと思うのだが、ところがどっこい、そういう人に限って、電話をとったらメモを書くよりも前に、「どおれ、トイレ行ってしょんべんでもしてくべえ」とか考えるわけだ。・・・で、トイレ行ってしょんべんして戻ってくると、もう、その時点では自分が電話を取ったことなんて忘れているわけだ。「忘却とは忘れ去ることなり」という文句の映画だったかテレビドラマだったかが昔あったらしいが、それは私より上の世代が知っているもので私なんかは見たことがないが、その「忘却」である。 どうも、S藤さんは他の営業のその営業が担当のお客さんから電話がかかってきてその電話をとると、「パブロフの犬」みたいに条件反射でその直後にトイレに行きたくなるらしいのだが、そして、「鶏は3歩あるくと前のことを忘れる」と言われるように、トイレに行くと、その前に他の営業に電話がかかってきて自分が取ったことを忘れるらしいのだ。
   自分が担当のお客さんからの電話について伝言してもらえずに困った営業は怒るのだが、怒ってもS藤さんは絶対に謝らない。私もやられたことがあるのだ。いいかげん、頭にくるし、このくそじじい、絞殺されるぞ!と思うが、だからといって本当に絞め殺すわけにもいかない・・・と思って我慢すると、S藤さんは我慢してもらうのが当たり前と思うわけだ。このアルツハイマーめ! この狂牛病め! と思うのだが、ところが、従業員の中にS藤さんを弁護してあげようと考える人間がいるわけで、そういう人間が「S藤さんはアルツハイマーで頭が悪いのだからしかたがない。気持ちは悪くないんだ」と言う人がいるわけだ。しかし、「気持ちは悪くない」のなら、伝え忘れたのならそれならそれで、「申し訳ない」の一言くらい言ったらどうかと思うのだが、信念もって言わない。そして、「気持ちは悪くないから」と言って弁護してくれる人がいるのをS藤さんは知っているようで、そして、自分で「気持ちは悪くねえんだ!」とふんぞりかえって言うのだ。ふんぞりかえって自分で言うものとは違うように思うのだが、しかし、言うのだ。ふんぞりかえって。で、言われた者は言う。「そうなんだ。気持ちは悪くないんだ。頭が悪いんだな、頭が」と。そう言われるとS藤さんは怒るのだが、なんで、怒るんだ? 狂牛病のおかげで脳みそが海綿状のスカスカになってるのか、アルミのお鍋を使用したためにアルミニウムが脳に行って脳の回路がおかしくなったからか、それが原因で、お客様から電話があっても担当営業が外出中の時に「戻り次第、電話させます」とお客様に言った上で伝言せずに、お客様から担当営業が怒られても、「そんなもの、おら、知らね」と言ってふんぞりかえって通じると自分の方が主張しているのであるから、なおかつ、「気持ちは悪くねえんだ」と自分で主張するわけだから、「気持ちは悪くない」のにそういうことをするということは「頭が悪い」ということになるはずで、自分の方ががそういう主張をしたはずであり、だから、「頭が悪いんだ、頭が」と言われて文句を言うのは筋違いのはずなのだが、ところが、「アルツハイマー」なのか「狂牛病」なのかのおっさんは文句を言うのだ。
   2002年、(株)一条工務店の総務部長の天野雅弘と話した時、どういう経緯でだったか、S藤さんの話になって、「あのアルツハイマーのじいさんには困ったものですが、ずいぶんとめんどう見てあげたんですよ」と私が言ったところ、天野雅弘から「アルツハイマーとは何だ!」と怒鳴りつけられたのだが、「『アルツハイマーとは何だ』とは何だ!」と私は言いたい。同じ営業所に「アルツハイマー」なのか他の病気なのかわからないが、そういうじいさん・・・といっても40代だったのだがを配属されて、私も私あてのものの伝言を忘れられて困った経験をしているし、ずいぶんと負担をかけられ、ずいぶんとめんどう見てきてあげたのであり、ずいぶんと負担をかぶってずいぶんとめんどう見てきてあげた者が「このアルツハイマーめが!」と言ったからと言って何を文句言われなきゃならんのだ。なんで、負担かぶってめんどうみてきてあげた者が何もしていない者から「アルツハイマーとは何だ」とか怒鳴りつけられなければならないんだ! 天野雅弘は何もしていないではないか。会社は自分ひとりで自立して仕事ができない人がいたならば、他の従業員に迷惑がかからないように配慮するべきもののはずであるのに、(株)一条工務店も総務部長の天野雅弘も何もせずに私などに負担をかけてきたのである。本来、何らかの対処をするべきであるのに対処してこなかったものが、「アルツハイマーとは何だ」とは何だ! その言い草は! 総務部長なら、SさんをかばってあげてS藤さんを長く助けてきてあげた者に対しては「ありがとう」なり「申し訳ない」なり言うべきところと違うのか!?! 総務部長がその態度は何だ!?!・・・と思うが、(株)一条工務店はそういう会社で、(株)一条工務店のオーナー経営者一族というのはそういう人間どもだった。

   S藤さんのあだ名だった「ジーバカ(爺バカ)」を「ホーリーネーム」としたオウム真理教の遠藤某が、昨日、7月6日(金)、死刑を執行されたらしい。

   (2018.7.7.) 


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