光明寺(鎌倉市)参拝【7/11】「鎌倉アカデミア」。「『教育』する側」の論理・「される側」の論理

[第594回] 鎌倉シリーズ(3)‐7
   開山堂の左手前に「鎌倉アカデミア」の碑が立っています。↓
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( ↑ 背後の建物が開山堂。 左手前が「鎌倉アカデミア」の碑。 )
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(↑「ここに 鎌倉アカデミア あり」 と書かれています。)
   「鎌倉アカデミア」とは、いったい何なんだ? というと、《光明寺HP 「境内のご案内」》http://komyoji-kamakura.or.jp/%e5%a2%83%e5%86%85%e3%81%ae%e3%81%94%e6%a1%88%e5%86%85/ には、
≪  〈これからの教育は、自分の頭で考える人間づくりにある。教育に携わる人間は、大胆に思い切った教育を進める野人の中から選び、学校は寺子屋でもいいから、文部省の中央集権的な教育統制は無視すべきである〉(一部略)
鎌倉アカデミアは、こんなコンセプトをもとに昭和二十一年(一九四六)、材木座の光明寺を使用して開校されました。
   学長の哲学者・三枝博音をはじめ、作家・高見順や演出家・村山知義といった個性あふれる教授陣は、教育の理想を求めて、ユニークで自由な実践を大胆に押し進め、「楽しい学園」を目指し、作家・山口瞳、作曲家・いずみたく、映画監督・鈴木清順など多くの逸材を輩出。その先駆性がいま改めて見直されています。≫
と出ており、鎌倉商工会議所 監修・かまくら春秋社 編『鎌倉観光文化検定 公式テキストブック』(2007.4.3.かまくら春秋社)には、
≪ 1946年(昭和21)、新しい時代の教育を目指して材木座の光明寺に開設された「鎌倉アカデミア」には高見順や吉野秀雄ら鎌倉在住の作家、文化人が教授陣に名を連ねた。≫
と出ているが、今はどうなったかというと、《ウィキペディア―鎌倉アカデミア》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%82%A2 には、
≪ 第二次世界大戦終結後の1946年5月、鎌倉で開校した高等教育のための私立学校。財政難のため1950年9月、わずか4年半で廃校となったが、映画・演劇界などに多くの人材を輩出した。≫
と出ており、廃校になって今はないようです。
≪ 戦火を免れた材木座の光明寺を仮の校舎として開講し、のちに横浜市栄区小菅ヶ谷の旧日本海軍燃料廠跡へ移転した。当時は大船駅が最寄り駅だったため通称「大船」校舎と呼ばれた。≫
≪ 1996年に創立50年を記念して光明寺の一角に記念碑を建立する。≫と、《ウィキペディア―鎌倉アカデミア》に出ていますので、↑の石碑は1996年(平成8年)に建てられたもののようです。

   ↑に名前が出ている人の中では、私は詩人の高見順になじみがあります。 内田康夫『「萩原朔太郎」の亡霊』(2014.8.15.徳間文庫)では、登場人物の女性が萩原朔太郎の詩を「あんな、愚痴ばっかり言ってる詩のどこがいいのか、気が知れない」と言っていますし、そう言われればそんなところもあるかもしれないとも思うし、『「萩原朔太郎」の亡霊』の作者 内田康夫も萩原朔太郎の詩はよくわからんと書いている。私は萩原朔太郎の詩は好きなのですが、しかし、すべてのものが好きというわけでもなく、実際、「よくわからん」詩も多い。 それに対して、高見順の詩はわかりやすい。 そして、私のような者には、共感を覚えるものが多い。
  又、内田康夫『イーハトーブの幽霊』(2004.7.20.光文社文庫)では、岩手県一関市の喫茶店での客とマスターとの会話で、「おれは賢治は嫌いだ」という客に、マスターが「岩手では、賢治の悪口は言わない方がいいんじゃないですか」「・・・一応、地元のヒーローですからね。言われたほうは気分がよくないでしょう」と言い、「あんたもそうかい」「私は・・・まあ、そうですね」という会話の後、客の男が「おれは違う」と言って立ち上がる場面がある。萩原朔太郎は群馬県の前橋あたりでは地元出身の偉人の扱いを受ける反面、若い頃から周囲より冷たい扱いを受けてきたことに対して地元の人間への恨みが詩にも出ており、地元ではうれしくない面もあるのに対し、宮沢賢治は岩手県では「地元の英雄」らしく、内田康夫もけっこう好きらしいのだが、しかし、「雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ」(「十一月三日(雨ニモマケズ)」 谷川徹三編『宮沢賢治詩集』岩波文庫 他 所収) 、耐えがたきを耐え忍び難きを忍び、安い給料でもせっせせっせと滅私奉公し、労基法違反にも文句を言わず、「ホメラレモセズ」、そのあげく、オーナー経営者だけが儲けまくって得して、滅私奉公破私奉公して体を壊して、あげくのはてに滅私奉公して尽くした会社から追い出され、滅私奉公して尽くした会社のオーナー経営者から誹謗中傷を受けるような「サウイフモノニ ワタクシハナリタイ」か というと・・・、あんまりなりたくないなあ、そんなものに・・・・、というより、心ならずも「サウイフモノニ」結果としてならされてしまって、もううんざりしてるんだわ、もう、うんざりと。
   それに対して、高見順の詩はなかなかいい。『高見順詩集』〔1977.9.1. 思潮社 現代詩文庫(14)〕に所収の詩では、たとえば、
   おれの期待 一
脂ののりきった時に
おれは屠殺された
それはまあいいさ
それは我慢する
おれの肉が
小さく切り刻まれて
店にさらされて
売れないでいる
これはいやだ
貧しい女の子が
金を手に握りしめて
おれの前に立った
おれは期待した
しかし肉屋のおかみが
ほかの安いコマ切れを売った
これはおれに我慢がならない


   歌
花ガ咲イタ
実ガナラナイ

花ガ咲イタ
実ガナラナイ

俺ハ花モ実モイラナイ
ソノカハリ

歌ッテハイケナイ歌ヲ往来ノドマンナカデ銅鑼声ハリアゲテドナラセテクレ
政府ガイケナイトイフ歌ヂャナイヨ
道徳ガイケナイトイフ歌ヂャナイヨ
誰モ知ラナイ
俺モ知ラナイ イケナイ歌!


  そして、

   猫
わたしを愛してくれた者たちよ さよなら
わたしが愛した者たちとも別れて
わたしは森に死にに行く
森のけものの約束を守って
わたしはひとりで死ぬであらう
森のけものの血が おお その時
わたしのなかでよみがへるだらう
人間にならされる前の野獣として
ならした人間どもにベロをだして
ならされた屈辱をベロで舐めおとして

莞爾としてわたしは死ぬであらう

なんて、いい詩だなあと思います。 他にも、『高見順詩集』〔1977.9.1. 思潮社 現代詩文庫(14)〕には共感を覚える詩がいくつも掲載されていますが、それは、同書をお読みくださるのが筋でしょうから、ここでの引用はこれまでにとどめますが、高見順の詩は、共感を覚えるものが多い。
   大中 恩(おおなか めぐみ)という日本型トルストイみたいな安っぽい作曲家が、この「猫」というおのれの骨と肉のきしみと引き換えに高見順が作った詩をもとに混声合唱曲を作曲しており、「その詩の意味もわからずに声を出すのが好き」というタイプの合唱団員が、私なら違和感を覚える曲を平気で歌っていたのだが。 1981年、慶應大学の大学生協が、遠藤周作の小説『沈黙』を篠田なんとかさんが映画化した映画『沈黙』の上映会と遠藤周作の講演会を開催したのだが、私はそれを視聴することができなかったが、大学生協の月刊誌なのか季刊誌なのかで遠藤の講演記録の方を読んだのだが、そこで、遠藤周作が、篠田なんとかいう映画監督が映画にした映画について、遠藤周作の小説の『沈黙』とはまったく別の話にされてしまっているので、あれは篠田の『沈黙』であって遠藤の『沈黙』とは別物であると述べ、小説家が自分の小説を映画なりにされて内容を変えられてしまうのは、これは大事に育てた娘を嫁にやった父親が、その娘が嫁入り先の家風に染められてしまうようなものであって、実の父親としては大変面白くない、気分が悪い!・・・・が、まあ、しかたがない・・・というそんなものだ、と書いていたのを読んだ。 詩人が、自分の詩を「作曲家」に歌にされるのは、これも、小説家が自分の小説を映画にされるのと同様に、納得のいくものにされる時もあれば、納得いかないものにされてしまうこともある、というのは、結婚した娘が嫁入り先の家風に染められてしまうようなもので、父親としては極めて不愉快だ!・・・が、しかたがない、というようなもの(?) なのかもしれない・・・が、やはり、日本型トルストイみたいなあほくさい歌の作曲が多い大中恩が、なぜ、高見順の詩を作曲するのか・・・という気はやはりする。 北野高校の音楽の先生だったN先生は、そのあたりに気づいたらしく、「なぜ、大中恩が高見順の詩を作曲するのか、というところはあるのだけれども」と言われたことがあった。N先生はそのあたりに気づかれたようだった・・・・が、まったく、気づかない人もいたようだし、「なんで、そんなもの、気にするの」と思う人もいたようだった。今もいるだろう。私が高見順なら、特にこの「猫」というおのれの骨と肉の軋みとひきかえに書いたような詩、おのれの血と引き換えに書いたような詩を、日本型トルストイみたいな大中恩なんかに曲にしてもらいたくない・・・と思うが、作曲は高見順の死後であるし、まあ、小説が映画になったり劇画になったりテレビドラマになったりした際、もとのものよりも、質の悪いものにされてしまうということは「あること」だから、やむをえない面もあるのかもしれない。

   中原中也も私の好きな詩人の1人だ。中原中也の名前は↑の「鎌倉アカデミア」のメンバーの中にはないが、中原中也は、晩年、鎌倉に住んだらしく、鎌倉と縁のある詩人である。 中原中也(「なかはら ちゅうや」と読む。「なかはらなかや」ではない)の詩では、
   つみびとの歌  阿部六郎に
わが生は、下手な植木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!

由来わが血の大方は、
頭にのぼり、煮え返り、滾り泡だつ。

おちつきがなく、あせり心地に、
つねに外界に索(もと)めんとする。
その行ひは愚かで、
その考へは分かち難い。

かくてこのあはれなる木は、
粗硬な樹皮を、空と風とに、
心はたえず、追惜のおもひに沈み、

懶惰にして、とぎれとぎれの仕草をもち、
人にむかっては心弱く、諂(へつら)ひがちに、かくて
われにもない、愚事のかぎりを仕出かしてしまふ。
( 中村稔編著『中也のうた』現代教養文庫、 河上徹太郎編『中原中也詩集』角川文庫 他 所収)
という詩が私は一番好きです。

    1970年代後半から1980年代前半にかけて、慶應大学の入学試験の科目は、学部によって異なっていた。
経済学部と文学部・・・・英語 と 数学
商学部・・・・英語 と 数学 と 日本史か世界史のどちらか1科目選択
法学部・・・・英語 と 数学 と 国語 と 日本史か世界史のどちらか1科目選択、
工学部→理工学部・・・英語 と 数学 と 物理1・2と化学1・2
慶應大の場合、経済学部・商学部・法学部・文学部でも受験科目に必須科目として数学があるという点が、他の多くの私立大学と異なった。 特に、「早慶」とセットみたいに言われる早稲田大学では、
法学部・政治経済学部政治学科・政治経済学部経済学科・商学部・教育学部は、いずれも、英語 と 国語 と 社会科1科目か数学から1科目選択 で、理工学部以外は数学なしで受けることができて、かつ、学部による合格難易度はそれほど大きくなかったので、早稲田大の場合は、国立大を受けないか「オリンピック」(「参加することに意義がある」。 受けるけれども、最初から通ることは考えていない)という人がけっこういて、東大・京大あたりを第一にする受験生は、早稲田大はけっこう落ちることがあったのに対し、慶應大は、試験科目に数学があることから、国立大学への進学は考えず、私立大学の試験科目だけ学習した人には受けにくく、なおかつ、学部によって試験科目が異なったので、慶應大は昔から医学部と経済学部が看板学部で、「慶應の法学部には不定冠詞の a がつく」とか「政治学科には丁寧語の お がつく」とか、「法学部政治学科は、略して、法政」とか言ったけれども、それなら、看板学部の経済学部に通る人間は、科目数が多い法学部や商学部には絶対に通るのかというと、そうでもなかった。 早稲田大の場合、理工学部以外は試験科目が同じで、合格難易度もそれほど大きく差がないので、複数学部を受けた人の場合、「全勝ち」か「全負け」の可能性は十分あった(「全負け」するとショックだと思うが、それは実際に「あること」であり、ショック受けるような問題ではない)のに対し、慶應大は、学部ごとに試験科目が異なったので、片方に通ったが他方には落ちた、というケースはけっこうあったようだ。「1浪で経済学部に入った」という人間には、自分は「商学部より上の経済学部に入った」みたいなツラした男がけっこういたが、実際は試験科目の多い商学部は受けても落ちるから(もしくは、落ちたから)、試験科目の少ない経済学部の試験科目のみ学習して通った、という人間が多かった。そういう人間は「俺は、国立は一橋の経済学部を受けた」と主張するのが常だったが、慶應大の経済学部の試験科目の英語と数学しか学習していない人間が、試験科目の多い一橋大など国立大の経済学部や商学部を受けて通るとは考えにくい。・・・まあ、なんだかんだ、カッコつけたい年ごろなのだろうから、好きに言うとれ! てところかもしれんが、「しょーもないこと言い」がけっこう多かった。
   慶應大の場合、経済学部・商学部・法学部・文学部でも数学が試験科目に必須科目としてある、ということから受験を敬遠する人が私学のみを目指す受験生にはあり、その結果、「業者」がおこなう模擬試験で表示される難易度は早稲田大などより低い位置に表示されることになってしまい、「受験生になめられる」結果となって、年々、受験生・合格者の学力レベルが下がってしまう結果になった、慶應大の教授先生が言われるには「早稲田と慶應と両方通って、それで早稲田大に行くなんておかしな人間が最近はいるんだねえ。なんで、そんなバカなことをするのか」というそういう人が増えた結果、慶應大でも早稲田大など多くの私立大学に試験科目を合わせようということになって、1980年代の半ばに試験科目が変った・・・が、その後、どうなったのかはわからない。最近、インターネットで検索すると、私が受けた頃の↑の学部ごとに異なる試験科目みたいなものが書かれていたのを見たような気がするので、もしかすると、また元に戻ったのかもしれない。
   私は、1970年代後半から1980年代前半の学部によって異なる慶應大の試験科目と、どの学部でも試験科目が同じで、なおかつ、合格難易度がそれほど大きくは変わらないという早稲田大の試験科目では、慶應大の試験科目の設定の仕方の方がいいように思っている。 ひとつには、どの学部も試験科目は同じであれば、複数学部を受験したいという人には受けやすいかもしれないし、受験料で儲けようと思うならその方がいいのかもしれないが、それでは、入試の難易度によって、学部に「序列化」がされてしまうことになりがちである。 慶應大のように学部ごとに試験科目が異なると、自分が経済学部に入ったということから、「慶應では医学部と経済学部がエリートなんだ」とかなんとか勝手なことをぐじゃぐじゃ言うヤカラはいるとしても、それでも、試験科目が異なる以上、入試の難易度はどちらが難しいかなんてわからないわけであり、「序列化」はその分だけされにくい。本来、大学進学においては、自分はどういう内容を学びたいのかという点から行き先を決めるべきであり、複数学部を受けて複数の学部に通った場合、通った学部の中で最も入試難易度が高いとされる学部に行く・・なんて、ナンセンスである・・・が、受験生の気持ちとして、複数学部に通ったという時に、入試難易度の高い学部の方を放棄して難易度の低い方に行くという選択はしにくい面もあるはずだ。 だから、せめて、学部ごとに試験科目を変えておいた方が、どちらが上か下かという見方はしにくくなるので、その方がいいと思う。
   もうひとつ、進学先の学部によって、高校までの学習でその学部に進学してからより必要とされるものは何かというのは学部によって異なると思うのだ。 だから、その大学のその学部が、自分のところの学部に入学する学生は、特にこの科目についてはきっちりと学習してきてほしいというものを入学試験の科目に選ぶのが本来であって、他の大学がどうしているからとかそんな「独立自尊の精神」に欠けた試験科目の選び方はおかしいと思うのだ。1970年代後半から1980年代前半の慶應大の試験科目において、文学部が数学と英語という理由はよくわからんが、経済学部が数学と英語の2科目というのは、それは、慶應の経済学部は、実際のところ「近代経済学部」であり、近代経済学というのは、「数学を多用する」経済学だと言われるし、他にも統計学であるとか、数学に近い科目が経済学部や商学部には配置されている。 森川英正『日本経営史』(1981.1. 日経文庫)では、1878年(明治11年)に慶應義塾を卒業した村井保固という人が、森村組という会社に応募した際、≪森村組の条件は、「第一健康、第二英語の達者なこと、第三簿記ができること」の三つでした。村井は、「語学と簿記は不得手の方です」と言って、福沢から「馬鹿野郎、実業家を志して居るものが、其辺の支度が、出来ていないとは言語同断だ」と大喝され、悄然とします。≫と出ています。後に、≪村井は、あらためて福沢を訪ね、「森村さんは偉い人と聞くが、英語と簿記を条件に人を採用するとはおかしい、小手先の利く小者がほしいのか、将来森村組を背負って立つ大黒柱になる人がほしいのか」と反論します。福沢も村井の意気込みを評価し、あらためて森村と交渉した結果、村井の森村組入社が決まったのでした。≫となったそうですが、その当時、「英語と簿記」というものを森村組は重視し、福沢諭吉も「実業家を志す者」にとって大事であると考えたらしく、今現在、日本の高校では普通科では簿記は扱っていないので大学入試で簿記の試験はしないとして、大事な科目として、第1・第2としては、英語と数学ということで、経済学部ではその2科目が試験科目。 商学部の場合、それに第3としては世界史(日本の歴史を含めた世界の歴史)か日本史(日本を中心とした日本と世界の歴史)のいずれかが大事と考えて、英語と数学と社会科を世界史か日本史の1科目 としたのでしょう。 法学部の場合、法律となると文章を読んで書いてしなければいけませんから、国語がそこに入る、という判断かと思います。ですから、どの科目を試験科目とするか決める際、その頃の慶應大の試験科目は、学部ごとにその学部でより重要性が高いものを選んで決められたものであり、その点で他の私立大学に合わせる決め方ではなく、「独立自尊の精神」をもったもの(そこまで大袈裟なものでもないかもしれないが)であったと思います。
   しかし、矢内原忠雄『イエス伝』(角川文庫)のあとがきに息子で慶應大名誉教授の矢内原勝が、矢内原忠雄の経済学は、「マルクス経済学」を基本とするが、マルクスをまるのみしたようなものではなく、その点を友人であった大内兵衛から批判されたりしたそうで、近代経済学については「技術的」という印象をもっていたと述べている。近代経済学について「技術的」で親しみを持てないというのは、実は私もそのように感じたし、小学校から高校まで真面目に勉強してきたのに真面目に努力してきたのに、なんで、こんなもの、勉強しなければならないのか、という印象を持った。特に、高校まで、文学や哲学・宗教学・人類学・社会学など、高校までの科目名で言えば、「国語」や社会科の「倫理社会」などを真面目に学習してきた者からすれば、近代経済学というのは「技術的」というのか、「単なる商人の技術」、もしくは「ブタ商人の学問」という印象を受けるのではないかと思う。 むしろ、高校までの科目名でいえば、「英語」と「数学」はちっとは勉強してきたが、「国語」や「倫理社会」、あるいは「音楽」や「美術」などはちっとも勉強してこなかった人間の方が、「慶應タイプ」の近代経済学は馴染みやすい・・・ような面があるのではないかと思う。 だから、慶應の経済学部も商学部も入学試験には「国語」がなく、慶應大の学生、特に経済学部の学生には、「ブタ人間」みたいな人間が多い。要するに、消費にしか関心がないような男が多い。 《ウィキペディア―矢内原忠雄》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%86%85%E5%8E%9F%E5%BF%A0%E9%9B%84 によると、矢内原忠雄は、東大でポポロ事件があった際には、≪ 学生劇団「ポポロ」公演にて摘発された私服警官のメモから警察による系統的な学内スパイ活動が露見し、東大側と警察が全面対立したが(東大ポポロ事件)、矢内原は総長として大学の自治と学問の自由を守るために毅然とした態度を取った。≫というように、時として権力・体制とも、警察とも闘う姿勢をとる人であった。 「国語」や「倫理社会」、「音楽」や「美術」なんてまったく関心がない「ブタ人間」「ブタ商人」の方が「慶應タイプ」の経済学部・商学部には「向いている」面もあるかもしれない。 私が卒業した大阪府立北野高校は、昔から、「京大志向」もしくは「京大阪大志向」の高校で、「全科目学習型」の高校だった。だから、どちらが鶏でどちらが卵かわからないが、試験科目が多い京大・阪大には有利だが、試験科目の少ない早稲田大などは落ちることもけっこうあったはずである。私が北野高校の2年の時、「倫理社会」のA先生は「プラトンの『ソクラテスの弁明』、太宰治の『人間失格』、夏目漱石の『こころ』、三木清の『人生論ノート』、ドストエフスキーの『罪と罰』、アルベル=カミュの『異邦人』、こういったものを1冊も読んだことがないような高校生なんて、僕は高校生として欠陥があるのじゃないかと思うわ」と授業中に言われたことがあったが、慶應大の経済学部・商学部にはそういう「高校生として欠陥があるのじゃないか」というタイプの人間が多く、そういう人間のことを慶應義塾では「スマート」とか「思考が柔軟」とか「独立自尊」とか「福沢精神」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」と言うのだった。 私は、心ならずも、2年も浪人したあげくに慶應大商学部に入学してしまったというのかさせられてしまったのだが、東京の神田神保町の名曲喫茶に行ってきたという話を、同じ年齢で、同じ中学校から同じ北野高校に行って、そして、現役で慶應大経済学部に入学したS本に話したところ、私としては、大学生というものは、神田神保町に行ったら書店に入ったり名曲喫茶に入ったりするものだと思いこんでいたのだが、S本はそれを聞いて、「名曲喫茶なんて、そんなもの、入ったこと一度もないわ。 おまえ、なんか、東大の学生みたいやな。 慶應に入ったら慶應の学生らしくしろよ。 慶應の学生なら、慶應らしく、神田神保町に行ったら、芳賀書店に行くもんだろが。」と私に言ったのだった。 「芳賀書店」を知らない人のために説明すると、芳賀書店というのは、「専大前」交差点の南東のカド、都営新宿線「神保町」駅の西側の出口を出てすぐの場所にある、1つのビル全体がポルノショップになっている「書店」である。 S本は、キルケゴール『反復』『死に至る病』とか、ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』とか読むのは「東大の学生みたい」であり、慶應の学生なら、芳賀書店に行って、ビニ本を買うものであり、それが「慶大生らしい思考の柔軟さ」であり、「慶大生らしいスマートさ」であり、それが「塾風」であると言うのだった。名曲喫茶なんて行くのは「東大の学生のやることだろうが」というのがS本の主張だった。 私は、もし、S本の言う通りであるならば、慶應というのは、なんとも、程度の低い学校だと思ったが、それはS本とその同類の認識であって、慶應義塾に何かそういう規則があるわけではないはずだった・・・・が、「作家で精神科医」の なだ いなだ が『人間、この非人間的なもの』(ちくま書房)で、戦中、「どうも、日本は負けそうだな」と口にしたところ、「おまえはそれでも日本人か」と怒られたことがあったが、「おまえはそれでも日本人か」と言われても、それでも、日本人なんだから、しかたがないじゃないかと思ったが、この「おまえはそれでも日本人か」という言葉には、自分が気に入る「日本人」は認めるが、自分が気に入らない人間は「日本人」として認めないという排他的な態度とファッショ的な姿勢があると述べていたのだが、慶應大学という大学、慶應という学校では、「おまえはそれでも慶大生か」という言葉を口にする慶大生が大変多かった。私は、この なだ いなだ の『人間、この非人間的なもの』のこの部分の文章を高校の「現代国語」の教科書で読み、後に、単行本を買って全文を読んだのだが、こいつらは、「国語」の勉強してきとらんのだな、と思ったものだった。 慶應大の学生にはそういう人間が多かった。 私は、S本が言った、「東大の学生なら名曲喫茶に行ってもいいけれども、慶應の学生なら慶應らしく芳賀書店に行くべきだ」という発言について、ひどいことを言うヤカラだと思い、慶應大学の「学生相談室」という所に行って、「カウンセラー」で慶應大の心理学の「講師」だというT橋という女に話したのだ。慶應大の教員になっている人なら、慶應大卒の中ではある程度以上の人であろうと期待し、そして、この内容を話せば、「それはひどいですね。 そういうのは、東大か慶應かという問題ではありませんね。 慶應の学生でも教員でも、名曲喫茶に行く人はあるはずですし、ポルノショップに大学生が行くのはどこの学生であれ、好ましいことではないですね」と言ってくれるであろうと期待して言ったのだった・・・・・が、高橋が口にした言葉はそうではなかった。「なるほど。慶應義塾のアイデンティティーを持て、とそういうことを言われたわけですね」と、高橋たまき という女はそう言ったのだった。 ええ~え? 慶應大学の講師になっている人がそんなことを言うのお? とびっくりした。 又、芳賀書店が「慶應義塾のアイデンティティー」なのかあ????? と驚いた・・・・が、その程度の人が「カウンセラー」で慶應の「心理学」の「講師」だったのだ。
   「アタマが芳賀書店」の人間の方が、《「慶應タイプ」の近代経済学》には馴染みやすいようである。 「ならした人間どもにベロをだして ならされた屈辱をベロで舐めおとして」なんて詩を読んで感動して、そして、自分でもそういう詩をうまいかどうかはさておき、作ってみたりするような人間というのは、慶應大学においては、「おまえ、慶應らしくないぞ」とか「おまえはそれでも慶大生か!」とか罵られるのである。 アンドレ=ジッドの『狭き門』やロスタンの『シラノ=ドゥ=ベルジュラック』を読む人間は「おまえ、東大の学生みたいだなあ。慶應の学生なら、慶應の学生らしく、『プレイボーイ』とか『平凡パンチ』とか見るものだろうが。反省しろ。反省して、慶大生らしく『プレイボーイ』とか見て、芳賀書店とかピンク映画の映画館に行け」とS本は言うのだった。それが「慶應のアイデンティティー」だと慶應大学の「学生相談室」の「カウンセラー」で慶應大学の「心理学」の「講師」は言うのだった。 そういう「アタマが芳賀書店人間」の方が「慶應タイプ」の近代経済学や「慶應タイプ」の「心理学」には適合しやすいのだろう・・・・けれども、たとえ、そうであったとしても、「旧約聖書」の「箴言」には「智恵を売ってはならない。むしろ、智慧と教訓と悟りを買え」と書かれている、「新約聖書」の「福音書」には、「ひとはパンのみで生きるものではない。神の口からでる教えによって生きるものである」と書かれている・・・はずであり、学問はパンのために役立つ時もあるかもしれないが、学問ゆえに生活の手段を失う可能性だってないわけではないのであり、学問は「買うもの」であって「売るもの」ではないはずである・・・と思い、S本にそう話したことがあったのだが、そうすると、S本は「おまえ、頭、かたいな」と言うのだった。「学問は売るもの」と考えるのが「思考が柔軟な慶應ボーイ」の考え方らしかった。そして、S本から言われたのだ。「おまえは、アーメンか!」と。さらに、「おまえは共産党か!」と。 「慶應タイプ」であるS本からすれば、「智恵を売ってはならない。むしろ、智慧と教訓と悟りを買え」という「聖書」の教えに基づき、学問とは「買うもの」であって「売るもの」ではない、と主張するような人間というのは、「おまえはアーメンか!」で「おまえは共産党か!」ということになるようだった。つくづく、「慶應タイプ」の人間というのは腐った連中であると、その時は思ったものだったが、S本が言うには「そういう人間の方が社会で役に立つ」と言うのだったが、その場合、「社会」とは何のことを前提して言っているのか・・と言うと、またもや、「おまえ、頭、固いな」とか言い出すので、この男とは、小学校の時も同じクラスにいたことがあったが、いつしか、まったく別の人格の人間になったということのようだと思い、ともかくも、「慶應タイプ」のS本が慶應大学の中でも「慶應的」な経済学部に行ったのだから、「似合い」であり、良かったのではないかとも思った・・・が、それが「慶應タイプ」と判断していいのかどうかは、今もよくわからない。 私は、「慶應と取るか高見順や中原中也をとるか」と言われれば、もちろん、高見順や中原中也をとると思ったのだが、S本などは、「おまえ、そんなこと、言ってると、就職先、なくなるぞ」と言うのだった。 高見順や中原中也の詩を読んで、いい詩だなあと感動するような人格の人間は、「慶大生らしくないぞ」と罵られ、「そんなもの、読んでるヤツなんて、慶應の学生で見たことない」と言われ、「なんか、まるで、東大の学生みたいなこと、おまえ、やるなあ」と文句を言われるのだった。慶應という大学はそういう大学だった。

   1994年のこと。 「会計学総論」という講義で、黒川行治という助教授(男。慶應中等部→慶應義塾高校→慶應大工学部→慶應大商学部助教授。 当時、30歳)が、教壇で、「この僕は中等部から慶應に行ってるんだぞお。わかってんのかあ!」と怒鳴りだしたことがあった。(そんなこと、言われても、彼が「中等部から慶應」という話は、その時、初めて聞いたことであり、「わかってるのかあ!」と言われても、「わかってる」わけないではないか。「知りまへんなあ」てとこだ。) 「われわれ、内部進学の人間は、おまえら、外部の者とは違うんだあ! わかってんのかあ!」と。 「おまえら、外部の者は、自分たちは模擬試験で高い偏差値をとった優秀な人間だとか思ってるんだろう。 そんなものは何の価値もあるもんか! 小学校から高校までの勉強は害があるんだ! わかってんのかあ! その点、われわれ、内部進学の人間には『塾風』というものがある。われわれ、内部進学の人間は、おまえら外部の者とは違うんだ! そのあたりをわきまえなさい! 中等部から慶應に行っているこの僕が、おまえら外部の者に話をしてやってるんだぞ。わかってんのか。この僕は内部進学なんだぞ。おまえら外部の者とは違うんだぞ。わかってんのか。経済学部なら、内部進学の人間が多いから、外部の者(「慶應義塾の外部の者」という意味。内部進学の人は、大学だけ、慶應に行った人間のことを「(慶應義塾の)外部の者」と言う)は内部進学の人間に教育してもらうことができるんだけれども、商学部の場合は内部進学の人間の割合が小さいから、内部進学の人間に教育してもらえないから、だから、中等部から慶應に行っている内部進学のこの僕が、おまえら外部の者を教育してやってやろうと言ってるんだ。わかってんのかあ。内部進学のこの僕がおまえら外部の者を教育してやろうとしてるんだから、もっと、畏まって聞きなさい! わかってんのかあ!」と絶叫された、ということがあった。 そのへんにファーストベースでもあれば、投げてやりたい気持ちだったが、あいにく、ファーストベースはなかった。〔⇒《YouTube-【ブラウン監督退場!】ベース投げ!ベース埋め!》https://www.youtube.com/watch?v=QBvG_1qkK-w 〕 なお、私は高校から大学受験にかけて、「偏差値」なんて考えたことはほとんどない! そもそも、「偏差値」というのは平均からどれだけずれているかという数値であり、模擬試験でも受験生のレベルが低い試験を受ければ「偏差値」は高くなるが、「東大オープン」「東大模試」「京大オープン」「京大模試」などの模擬試験を受ければ「偏差値」は高くならない。高い「偏差値」を取得したければ、受験生の層が低い模擬試験を受ければいいわけだが、そんな模擬試験で高い「偏差値」を取得しても意味はないし、東大や京大に行くためには、そんな「偏差値」なんて役に立たない。
   教授・助教授だけではない。慶應の内部進学の人間は、学生でも、「外部の連中を教育してやらんといかんからなあ」と平気で口にするのだ。こいつら、いいかげんにしろよ、と何度も思ったものだ。私などは、公立の小学校で、先生から「食事は、好き嫌いをせず、何でも食べましょう」と教えられたものである。それに対して、私が会ったある「幼稚舎から慶應」の男は、種無しブドウは食べれない、蜜柑も食べれない人間だった。そして、それを誇りにしていたのだ。「種無しブドウ(デラウエア)なんて、よく、そんなもの、食べるなあ。ひとに皮むいてもらって、お皿に盛ってもらって、スプーンですくってなら食べるけれども、自分でひとつひとつちぎって口に入れるなんて、そんなめんどくさいこと、そんなこと、できるかあ! 蜜柑もそうだ。蜜柑も、ひとにカラスにしてもらってなら、食べないこともないけれども、自分でひとつひとつ口に入れて食べるなんて、そんなおかしなこと、できるかあ。よく、そんなもの、食べるなあ」と言い、そして、自分で皮むいて、内皮とともに蜜柑を食べる私なんかを、軽蔑したような眼で見るのだった。そういう男のことを「本物の慶應ボーイ」とか「思考が柔軟」とか「ギャルにもてもて」とか言うらしいのだ。最後のヤツは、たぶん、自分で勝手に言ってるか、もしくは、似た者同士でくっついているかどちらかだと思うけれどもな。 私は、その「幼稚舎から慶應」の男を見て、「かわいそうになあ~あ」と思ったし、そして、「こいつ、かわいそうな教育うけてきてるなあ~あ」と思ったのだった・・・・が、そう思っていると、その種無しブドウをひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うという「本物の慶大生」「本物の慶應ボーイ」「ギャルにもてもて」がこう言ったのだ。「外部の連中を教育してやらんといかんからなあ」と。 こいつ、いいかげんにしろよ! と思った。なんだか、慶應大学という学校に行くと、内部進学の「ほとんどビョーキ」人間から病気うつされそうで、気持ち悪いから嫌だ!と思った・・・・のだが、ところが「内部進学の黒川行治」は、「内部進学のこの僕が、おまえら外部の者を教育してやろうと言ってやってるんだ。もっと、感謝しなさい! わかってんのかあ!」と主張するのだった。 この「ほとんどビョーキ」の授業は受けたくないなあと思った。「なんか、ビョーキ移されそうで嫌だ!」 と思った。 しかし、それが「慶應義塾」であり、そういう態度のことを「塾風」と言い、「福沢精神」と言い、「独立自尊」と言うのだった。慶應の内部進学の人達というのは、「教育」は自分たち内部進学の人間がそうでない人間に対しておこなうものであり、自分たちは常に「『教育』する側」であり、慶應義塾においては「外部の者」(大学だけ慶應に行った者)というのは死ぬまで「『教育』される側」であるという認識であり、彼らは、小学校・中学校・高校と通じてそのように「教育」されてきた、そういう「教育」を受けてきたのである。考えようによっては、かわいそうな人達である。
   ところで、種無しブドウをひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う男というのは、「外部の連中を教育してやらんといかんからなあ」と主張するのだったが、種無しブドウ(デラウエア)というものは自分でひとつひとつ房からちぎって口に入れるようなことはしてはいけません、ひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンで食べるのが「慶應タイプ」なんです、と「教育してやる」つもりだったのか、それとも、内部進学の自分のために、皮をむいてお皿に盛ってスプーンを用意しろと言いたいのか、どちらの「教育」をするつもりなのだろう? と思ったものだった・・・・が後者のようです。彼は言ったのです。私に。「こらあ! むけえ!」と。 どうも、慶應の内部進学の教授・助教授とか内部進学の学生とかは、「外部の連中」(大学だけ慶應に行った人間)、特に公立高校出身の人間というのは、慶應義塾の支配階級である自分たちと対局の「ドジン」みたいな存在であって、自分たちに仕えるのが慶應義塾の掟みたいに思っているようでしたが、しかし、「外部の連中」(大学だけ慶應に行った者)といえども、慶應大学には、あくまでも、「カネを払って行っている」のであって、「内部進学者様から報酬を払ってもらって慶應大学に行っている」わけではないのです。どうも、そのあたりを、慶應大学の内部進学の教授・助教授や内部進学の学生は勘違いされているようでしたが、こういうことを言うと、「こういうやつを教育してやらんといかんからなあ」とか言われますから、怖いから、できるだけ、相手にしない方がよろしい。 慶應大学の広告研究会の学生が、1年生の女子学生を輪姦して、「無期休学」処分になるということがありましたが、慶應の内部進学の人間というのは、彼らは、自分たち内部進学の人間のことを植民地の支配者の白人か何かのように思っており、支配階級の白人が植民地のドジンを強姦していったい何が悪いか! みたいに思っておるわけです。そういう意識の人間、そういう人達の大学において発生したのが、あの輪姦事件です。 そういう人達のことを「スマートな慶大生」とか「本物の慶應ボーイ」とか「ギャルにもてもて」とか「福沢精神」とか「独立自尊」とか「思考が柔軟」とか「自我が確立さている」とか「アイデンティティーを身につけている」言うのです。こういう批判をすると、「おまえはそれでも慶大生か」とか「自我が確立されていない」とか「アイデンティティーを身につけていない」とか「モラトリアム人間病にかかっている」とか言われるのです。
    東京都大田区の日本キリスト教団のD教会に行ったことがあります。教会員の人から「ここの教会には、慶應の先生も見えてますよ」と言われたのですが、慶應の教授みたいなもんになっておきながら、「キリスト教徒」「クリスチャン」を名のるとは、チャンチャラおかしい! そんな「塾風教徒 キリスト派」みたいなへんてこりんな似非キリスト教の人間が「クリスチャン」とは、おもろい連中だこと・・・オホホ! とか思ったものでした。

  私は、名曲喫茶なんて行くのは「東大の学生みたいや」と主張し、「慶應の学生なら芳賀書店に行くべきだ」と主張する「慶應タイプ」の人間を見て、たとえ、近代経済学を学ぶのには数学の素養が求められ、「会社」に勤めた場合、語学が重視されるとしても、かつ、「ブタ商人経済学」を学ぶには詩人の心や文学者の魂は邪魔であったとしても、それでも、やっぱり、「国語」や「倫理社会」、「音楽」や「美術」の素養は必要ではないか、それでもやっぱり、詩人の心・文学者の魂は捨てて良いものではない、思ったのだが、慶應の教授・助教授にとっては「そんなものは受験勉強だ。害があるんだ」という認識だったようだ。

   カール=マルクス『ドイツイデオロギー』には、「人間による人間の加工」という言葉が出てきます。 「鎌倉アカデミア」の考えは、これからの教育は、「人間による人間の加工」ではなく、自分自身で自覚して自分の精神を形成していく教育であるべきだ、というものではないかと思います。 「われわれ、内部進学の人間は、おまえら外部の者とは違うんだぞ。わかってんのか。 わかったら、もっと畏まって聞きなさい。」とかそういう思想の人間には、一生、理解できない考え方でしょう。慶應の内部進学の人というのは、↑の黒川行治の発言のような思想のことを「福沢精神」と言うのですが、福沢諭吉という人がそういう人であったのか、というと、私は違うように思うのですが、それを慶應の内部進学の人にわからせようなどとすると、なにしろ、彼らは「教育する側」は自分たち内部進学の人間であり、「外部の者」というのは常に「教育される側」であるという信念をもっていますから、わからせてあげよう、などという不遜な考えをする者は彼らは決して許しません。 ですから、そういう思想の人には、このようなことは言わない方がよろしい。 
   私は「鎌倉アカデミア」の思想・姿勢と「塾風教徒」の思想・姿勢とでは、「鎌倉アカデミア」の思想・姿勢の方が好きですし、その方が民主主義の姿勢であり、その方が学問的であると思います。内部進学の黒川行治さんなら、おそらく、「そんなものは受験勉強だ。害があるんだ。わかってんのかあ!」とおっしゃるでしょうけれども。

  ↑の「鎌倉アカデミア」で名前があがっている人で有名人というと、作曲家の いずみ たく が最も有名かと思います。いずみ たく というと、歌謡曲とかテレビアニメのテーマソングを多く作曲した人で、俗っぽいイメージがあり、あまり、「鎌倉アカデミア」という印象でもないのですが、テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』のテーマ曲などは、迫力があります・・・・が、作詞は いずみ たく ではなく漫画の作者の水木しげる です。(《ウィキペディア―ゲゲゲの鬼太郎 (曲)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%81%AE%E9%AC%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E_(%E6%9B%B2) )
  水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』の前身の『墓場の鬼太郎』では、幽霊族最後の夫婦の女が妊娠中に死亡して、死んで墓場に埋められた母親の腹から生まれたのが鬼太郎で、相当おどろおどろしい話で、鬼太郎はもともとは「正義の味方」でも何でもなかったのですが、テレビアニメになって、相当、俗化してしまいました。水木しげる 『へんらへらへら』という漫画では、病院の医師や製薬会社によって薬漬けにされて殺された子供と、それを嘆いて死んだ両親が「へんらへらへら」という妖怪になり、医者屋や製薬会社に恨みを晴らすという話で、警察は当然のように医者屋や製薬会社を守ろうと「正義のために」妖怪を退治しようとしますが、「へんらへらへら」はすでに死んでいますから、「ゲゲゲの鬼太郎」の歌〔《YouTube-ゲゲゲの鬼太郎[OP-1/ED-1/ED-2] 》https://www.youtube.com/watch?v=qYZ5ps8k0tE 〕で、「楽しいな。お化けは死なない~。病気も何にもない」と歌われるように、すでに死んでいるお化けはもう一度死んだりはしません。

   (2018.4.10.)

  次回、 http://shinkahousinght.at.webry.info/201804/article_8.html

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