内田康夫 追悼【5/5】死因は誰でも「心不全」「心筋梗塞」。犯罪犯す者はたいてい多少は「心身耗弱」

[第603回]
12. 「医師の鑑定」についての疑問も指摘されている。実際、「医師の診断書」というもの自体、相当いいかげんであるし、「医師の鑑定」も絶対に信頼できると言えない、下山事件で2通りの鑑定がだされて、いずれも政治的意向の影響が考えられたが、政治的な関係がなくても信頼しすぎてはならない。
(1) 「心不全」「心筋梗塞」
  「死因」として発表されるものに、「心不全」というものがあるが、しかし、たいていの人間は死ぬ時は「心不全」だ、と言う。言われてみれば、そうかもしれない。「心不全」になった原因というのがあるはずで、それを言わずに「心不全」と言ってもほとんど意味はない、と内田康夫は指摘する。「心不全」「心筋梗塞」は原因ではなく結果であって、そうなる原因が他にあるはずだと。
  『浅見光彦殺人事件』では、
≪ 「医師の死亡診断書は、心筋梗塞だったそうです」
「そう・・・ですか」
 詩織の頭の中には、恐ろしい想像が黒雲のように広がりはじめていた。最近、沖縄で起きた、保険金目当てに妻を殺害した事件のことをすぐに連想した。その事件で、夫はトリカブトを妻に服用させ、医師は心筋梗塞と診断したということであった。詩織の父親の事件でも、死因について似たような判定が出されたと聞いた。しかも、毒物が何であるのか、はっきりと断定することは難しいという話だ。・・・・
「彼女の死は、添島氏にしてみれば、きわめて幸運だったことになるでしょうね」
 浅見は、詩織の頭の中を見透かしたように、皮肉な笑みを口元に浮かべながら、そう言った。
「それって、まさか、あの、殺されたなんてこと、ありませんよね」
 詩織は遠慮がちな言い方をした。
「殺されたのだと、僕は思っています」
 浅見はあっけなく断言した。≫
   『薔薇の殺人』では、
≪ 新聞などで報じられる、著名人の訃報に多く見られる死因は「心不全」だ。しかし、じつは「心不全」という発表は眉つばであるケースが少なくない。
  人間が死ぬときは、そこに至るまでの原因が、どんな病気であろうと事故であろうと、ほとんどの場合、最後の直接的な死因は「心不全」に決まっている。したがって、公式に死因を「心不全」と発表しても、嘘をついたことにはならないわけだ。
  綾野千帆の死亡の直接的原因は、もちろん心不全――心臓停止にはちがいないが、遠因は拒食症による栄養失調natationかもしれない。拒食症――ノイローゼ、という連想はごく常識的な流れだ。
  だとすると、ノイローゼの原因が何なのか、それを知りたくなる。・・ ≫
  『熊野古道殺人事件』では、
≪ 「松岡夫人の病名は何だったのですか?」
「ああ、たしか心不全だったはずだ。もっとも、人間、死ぬときは誰だって心不全に決まってるけどね
  内田は冗談のように言ったが、そうなのだ。大抵の場合、死因は究極的には心不全なのだ。「腹上死」などという死因はない。・・≫
≪ 岳野春信の死因について、現場での医師の診断は「急性心不全」であった。
   新保たちが証言した、死亡の際の状況からみても、そう思われた。その上、岳野がここ数日間、精進潔斎の断食行に入っていたことが分かると、なおさら「心不全」の心証が強まった。・・≫
≪ 磯島部長刑事は事務的に、まもなく、遺族の手に遺体が返されることを伝えてから、浅見に言った。
「解剖所見の結果は、やはり急性心不全であったそうです」
「それ、間違いありませんか?」
 浅見は証券会社の営業マンに対するよりも、疑いをこめて、訊いた。
「自分は知りませんよ。そういう所見が出たと報告を受けたのです」 ≫
≪ 「いま、再度の調査結果がでました。岳野さんの死因は、神経性の毒物による心不全だそうです。ただし、缶コーヒーからは毒物は検出されなかったということです。」 ≫

(2) 「心身耗弱」
   同様に、「心身耗弱」というのも、けっこう怪しい概念である。 「犯人は心神耗弱状態にあって」といった表現がされる時があるが、しかし、殺人を犯すような人間は、たいてい、多かれ少なかれ「心身耗弱状態」だ、というのだ。
  『津和野殺人事件』では、
≪ 「あなたが、なぜ朱鷺勝蔵さんを殺さねばならなかったのか、その理由がよく分かりません」
「狂ったのだよ。狂気の沙汰だ」
「・・・・」
「警察用語で言えば心身耗弱ってやつかな。もっとも、人を殺すようなときは、誰だって頭がおかしくなっているだろうがな」
 竹内は「くくく・・・」と、低く笑った。・・・≫
  「医師の診断書」というのは相当怪しいものが多いが、「精神医学」の場合は身体医学よりはるかに怪しい。「心神喪失」「心身耗弱」というものがないということではないとしても、その「診断」については、かなり怪しいところがある。

(3) 「死亡推定時刻」
  『シーラカンス殺人事件』では、殺人の後、犯人が遺体を冷凍庫に入れることで、「死亡推定日時」を実際とは異なる日時に設定させる話が出ている。
≪ ――たしかに、低温冷蔵された肉は細胞内の水分が失われて、著しく変質しますが、摂氏マイナス五、六度程度でなら、それほど変質しないでしょう。それに、かりに低温冷蔵されたものであっても、解凍後まもなくなら変質の状態がはっきりしますが、一条のように二ヵ月以上も経過して、腐乱が進んだような場合には、組織そのものが完全に破壊されていますから、もう分析のしようがありませんよ。
  監察医はそう言っていた。
  要するに、四月初めに『殺された』のか、或いはすでに死亡していて、冷凍保存されていたものを、その時点になって『放置した』のか、見分けが付かないと言っているのだ。・・≫

・・他の多くの「推理小説家」の「推理小説」とは異なる。


  問題点もないわけではなく、
1. 浅見光彦シリーズでは、毎度毎度、浅見光彦と恋愛一歩手前というのか恋愛関係というのかになりながら最後の一線を越えないという女性が登場し、その結果、浅見光彦という男は「寅さんみたい」になっていたのだが、実際問題として、世の中の女というものは、そんなにけっこうな女ばっかりか? というと、そうでもなく、ひどい女もいると思うのだ。だから、あれだけ、毎回毎回、「浅見さ~ん、助けてえ」て感じで女にすがられて、それに対して、とるものとりあえず駆けつけて行くなんてことしていたのでは、何割かの確率で「恩を仇で返される」ことになると思うのだが、そうなったケースがまったくないというのは、「最後の一線を越えようとしないから」ということもあるだろうし、「そうなっては浅見光彦シリーズの存在が崩れてしまうおそれがあるから」ということもあるかもしれないが、その点については、非現実的とも言える。

2. 推理小説でない小説も少しは書いており、『靖国への回帰』は「推理小説」ではなく「SF」とかいう分野になるかもしれないが、靖国神社参拝を肯定し、反対している人間というのは屁理屈をこねているかのように描いている点については、いかがなものか。
   もっとも、太平洋戦争末期において、月光という夜間用戦闘機の「偵察員」であった男が、現代にタイムスリップして、かつて恋愛関係にあった女性の孫娘から好意を寄せられるものの、結局、本人は、もう一度タイムスリップして戦中に戻り米軍機B29に向かって死をかけて突進していくしかないという結末は、1945年、太平洋戦争末期に生きて「英霊」とされた男が、今、若い年齢で生き返ることができたとしても、もう今の時代には生きていけない存在であるということを示しているのかもしれない・・。

3. 『靖国への回帰』では原子力発電所についての指摘もあるが、1点、認識を間違えている。
≪ ・・たとえば原子力発電所の問題だ。武者がマスコミの餌食になりかけた頃、中越地震が発生した。新潟県柏崎にある原発が破壊され、運転休止に追い込まれた。その時、だから原発には反対なのだとする声が高まった。そのとおりだ――と武者も思った。そんな危険なものはないに越したことはない。
   しかし、反対派にしても、原発に代わるエネルギー源をどうするか――についての知恵はないらしい。電力不足に見合う消費の緊縮を行なうなど、そんな「覚悟」は到底、できそうにない。だからといって、石油などによる火力発電に依存することも、原油の高騰や、資源の枯渇を考えると、先行き不安である。ならば、原発に頼るほかはないではないか――という意見と堂々巡りだ。・・・≫
と書かれているが、小出裕章『原発のウソ』などを読むと、今現在のペースで電力を消費したとしても、今現在、日本に存在する火力発電所・水力発電所のみの稼働で、十分、現在の電力はまかなえるらしく、原発をすべて停止して今後も原発を作らなくても特に電力に困ることはないらしい。
   1980年代前半、私が慶應大学の教養課程の「物理学」の講義の際に聞いた話では、他に考えられる発電方法としては、風力・太陽光発電・潮力発電などあるが、まず、電気の消費量として日本では最も多いのは、夏の高校野球の甲子園大会の決勝の時だそうで、それなら、決勝戦を秋にやるかナイターでやるかすればいいわけで、野球は冬のスポーツか夏のスポーツかといえば夏のスポーツであるとしても、真夏の暑いさなかに拷問のように高校生にさせるより、実施する季節を今より前か後にずらしてもいいわけだ。最近は決勝戦をナイターでやったりしているようだ。
  電力の場合はガスなどと違って発電したものを貯めておくということができない。特に原子力発電は動かしたり止めたりということを頻繁にすることはできない。その点、ガスは貯蔵しておいて必要な時に必要なだけ使うことができる。電気の場合は、電力会社は停電を防ぐためには、1年中で最も電力消費が多い季節の多い時間帯に合わせて発電せざるをえない。となると、夏の昼間、高校野球の決勝戦の頃、ガスでできるものはガスでやるようにすれば、電力の最大発電量は今よりも小さくてもすむはずである。とりあえず、考えられるものとして、冷房を電力でおこなっているものが多いが、冷房はガスででもできる。それなら、電気による冷房ではなくガスによる冷房を普及させればいいのではないか・・といった話を「物理学」の講義で聞いた。そして、1980年代後半、小堀住研(株)に入社して1年目、私が担当したお宅で、ガスによる冷房設備をつけていただいた。その頃の雰囲気としては、一般家庭でもガスによる冷房は徐々に普及していくのではないか、ガスによる冷房を設置する過程は増えていくのではないかという雰囲気であったが、ところが、その後、一般の戸建住宅においては、冷房はたいていが電気で、今、インターネットで検索しても、ガスによる冷房はある程度以上大規模な建物においてのみ考えられるような状況のようだ。 なぜ、ガスによる冷房を普及させないのだろうか? さらに、「オール電化住宅」というものが出現して、ガスでもできるものを電気でやろうとしだした。ガスでもできるものを電気でやると、それだけ電磁波の発生も増えて電磁波による健康被害も増える。電力消費量が増えると、電力の稼働必要量も増えることになる。なぜ、ガス冷房の普及は止まり、「オール電化住宅」だの電磁波による健康被害を招く要素となる I Hクッキングヒーターだのが幅をきかすようになったのだろうか。「電気ではなくガスでもできるものはガスで」という姿勢が欠落している。内田康夫の作品は好きなのだが『靖国への帰還』でのこのあたりについては記述については首を傾げさせられる。

4. 内田康夫の最後の完成作品は『遺譜-浅見光彦最後の事件』で、浅見光彦が「探偵」をやめると登場人物の「内田康夫」に宣言し、内田康夫が浅見ちゃんにやめられてはぼくが困ると言うのに対し、浅見が「浅見光彦の事件簿」として3つ残っていると述べ、とりあえず、3つは、浅見光彦が34歳の誕生日を迎える前におこなった「事件簿」を内田康夫は執筆する予定で、その1つの『孤道』を執筆しかけたところで脳梗塞になってしまったらしい。
   内田康夫は、自分の作品の中でも最も愛した登場人物である浅見光彦を「青年として通じる最高年齢」の33歳から「青年としては通じない、『大人』として生きるしかない年齢の34歳」にならせるとともに、毎度「寅さん」みたいなことやってきた男に、特定の結婚相手を指定し、同時に、これまでほとんど恋愛関係のように登場した女性に再登場してもらって、浅見が他の女と結婚しそうであることを恨むのではなく祝ってもらうとともに、『高千穂伝説殺人事件』の女性には、バイオリニストとしてバイオリンに打ち込むようにしてもらい、『平城山を越えた女』の女性には他の男性と結婚することにしてもらい、そして、毎度、奥さん代わりみたいに登場したお手伝いの須美ちゃんには、悲しそうに見送ってもらうという、「須美ちゃん」だけはかわいそう過ぎるのではないかという結末を示して、中には浅見が他の女と結婚しそうになることを寂しく思う女性もいることを示し、その3通りを書いたが、誰もが浅見を恨んだりはせずに見送ってくれるという話にしたようだが、実際には、何十人もの女に「寅さんみたい」なことやってきた男が誕生日を迎えるからといって、他の女と一緒にそれを祝ってくれるかというと、そうはならんと思うがな。だから、『遺譜-浅見光彦最後の事件』は、「推理小説」としては面白いとしても、そのあたりについては失敗作と思うが、失敗作であったとしても、浅見光彦という作者が最も愛した登場人物で、ある部分においては作者の分身であった登場人物を「永遠に33歳」で「永遠に独身」状態で作者が他界してしまうことなく、ともかく、「大人として生きるしかない34歳」になり特定の女性と結婚しようという結末を示すというのが作者として最も大事な登場人物の浅見光彦への贈り物であったのだろう。
   そうであったとしても、小説の設定では浅見光彦が32歳から33歳になり34歳の誕生日を迎えるまでの1年以上2年未満でしかないのかもしれないが、読者からすれば何十年間も浅見シリーズにおいて奥さんかわりのように浅見を支えてきた「須美ちゃん」がかわいそう過ぎるように思えるのだが、何十作と浅見と結ばれてもおかしくない女性を登場させてしまった以上、登場した大部分は「かわいそう過ぎる」立場になるか、もしくは「浅見さん、結婚したの? ああ、そう」みたいにとうにさめているか、どちらかになってしまうだろう。

5. 警察について内田康夫は多くの推理小説かと違ってある程度以上実状を知っているらしい人で、かつ、作品を書く際に「公務執行妨害」で逮捕される危険を冒してでも警察に取材して書こうとしたらしい点は評価するが、この点はどうかと思うものもあった。
(1) 留置所
   警察署の1階に入ったあたりには交通課があって、車庫証明の受付とかしている。そのあたりは比較的平穏な場所のような感じでもあるが、2階から上はどうなっているのか。あんまり、関わらん方がいいのかもしれないが、上の方の階に留置所があるようだ。内田康夫『伊香保殺人事件』では、浅見家のお手伝いさんである新潟県出身の須美ちゃんが、里帰りして戻る際に、群馬県で乗っていたクルマがエンストして停まったすぐ前に犯罪被害者のクルマがあったことから警察に疑われて留置され、浅見光彦が助けに駆けつけたのはいいが浅見もまた留置されてしまうという話がある。須美ちゃんが何をしたのかというと、犯罪被害者のクルマのすぐ後ろでエンストを起こしたことと、その際、免許証不携帯だったこと。しかし、免許証不携帯は良くないが、だからといって、一般に留置所に入れられるほどの問題ではないはずで、浅見光彦もまた大いに憤る。
≪ 「そんなこと・・・・第一、彼女を連行したのは免許証不携帯という、単なる道路交通法違反容疑にすぎないのでしょう。それが解決して、彼女が出鱈目を言っているのでないと分かったのに、なぜいつまでもこんなところに留置しておくのですか? いささか職権濫用じゃありませんか」
 浅見は、顔には笑みを浮かべているけれど、なかば本気で腹を立てた。
「とにかく一刻も早く彼女を開放してください」 ≫
しかし、浅見のその態度に刑事はさらに腹を立てて、ついに、警察庁刑事局長 浅見陽一郎の弟 浅見光彦もまた、留置所の須美ちゃんが入れられている「部屋」の隣の「部屋」に入れる。浅見としては、須美ちゃんの隣の「部屋」に入れられることで、須美ちゃんからどういう経緯だったのか聞くことができると大歓迎だったのだが、そのうち、浅見陽一郎刑事局長から、自分の所のお手伝いの吉田須美子と弟が行っているはずのでよろしく頼む、という電話が署長に入り、署長は大慌てで2人を釈放するという話なのだが、この話については、少々、問題がある。
   まず、警察の留置所に入れられたとした時、男性の留置所と女性の留置所は別の場所になっているはずで、自分の家のお手伝いさんの女性が留置所に入れられたのでどういうことだったのか話を聞きたいと思って自分も留置所に入ったとしても、隣の「部屋」に入れてもらえるという保証はない、というより、隣の「部屋」に入れてもらえる可能性は小さいだろう。 かつ、警察の留置所というものは、『鬼平犯科帳』か何かに出てくるような、廊下との間は格子になった「部屋」ではないと思う。むしろ、『あしたのジョー』にでてくる鑑別所の部屋の方が『鬼平犯科帳』よりも近いのではないか。その警察署によっても違いはあるかもしれないが、簡単に破って出るようなことはできない壁と扉でできていて、隣の「部屋」の「住人」と話をしようと思ってもできないと思う。同じ「部屋」に入れられた人間となら、口をきくなといちいちとがめられるということはないはずだが、男と女を同じ部屋に入れることもないはずで、須美ちゃんが留置所に入れられてしまったので、それを助けるために自分も留置所に入って、隣の「部屋」にいる須美ちゃんから話を聞いたり、須美ちゃんを励ましたり・・というのは、実際問題としては、やろうと思ってもできない、と思う。話ができるとすれば、同じ「部屋」の住人か、もしくは、弁護士を依頼すれば弁護士と話をするのを警察は妨げることはできないはずだ。内田康夫の「推理小説」は実際にあったとしてもおかしくないと思える話が多いのだが、この点は違うと思う。

(2) 110番専用電話
   110番とか119番の電話をかけた時、その電話がどこにつながっているか知らない人の方が多いと思う。私は、若い頃、110番はその電話をかけた場所から最も近い警察署、119番はその電話をかけた場所から最も近い消防署にかかると思いこんでいたが、実はそうではなく、110番・119番はいずれもその都道府県の都道府県庁所在地の警察・消防の中心となる機関、警察なら県警本部になるのでしょうか、そういう場所にかかるらしい。私は、なぜ、知ったかというと、警備員の仕事をアルバイトでだがやった時、警備員は仕事につく前に4日間の研修を受けないといけないことになっており、その研修の際に、自称「元 警察のエライ人」という講師役の人が教えてくれたのだ。だから私は知ったが知らない人の方が多いと思う。
   『後鳥羽伝説殺人事件』で、
≪ ・・1階にある110番専用電話に重大事件の発端となる通報が入ってきたのである。
   通報者は三次消防署の救急隊員だった。
「いま三次駅で女性の変死がありました。収容する前に、一応、検視をしていただこうとおもいます」
 電話を受けたのは刑務課の巡査であった。110番の受け専用電話は1階のフロアの中央にあって、特定のオペレーターがいるわけでなく、近くに居合わせた者が受話器を把ることになっている。
「病死ですか」
「たぶんそうじゃろ、思いますが、一応、長谷川先生に来てもらった方がいいでしょう」
長谷川というのは警察医で、三次署の裏手に医院を開業している。
「事件か」
1階フロアの正面に陣取る、次長の佐香警部が声をかけた。・・・・≫
という場面がある。警察署に「110番の受け専用電話」というものがあるのかないのか私は知らないが、一般に、電話で、110を押した場合、その電話は「三次警察署」にかかるのではなく県警本部にかかるはずなのだ。但し、110番を受けた県警本部の警察官が、最寄りの警察署に電話をする際に、それを受ける専用電話というものが警察署にあるということなら、ありえそうである。↑の『後鳥羽伝説殺人事件』では、「消防署の救急隊員」が「110番の受け専用電話」にかけてきた、ということだが、実際問題として、火災が発生した時に、気持ちが動転して119番ではなく110番にかけてしまう人、強盗に襲われたなどあった時に、119番にかけてしまう人というのもいるだろうし、傷害事件を目撃したという場合なら、警察と救急の両方が必要なので、119番と110番の両方にかける必要があるが、現場にいる人間に両方かけてもらうよりも、片方にかけたなら、受けた片方が他方にも連絡するというようにした方がうまくいく場合もあるかもしれない。そういう時のために、消防・救急の側から警察への連絡を受ける専用の電話・・という意味なのだろうか。『後鳥羽伝説殺人事件』を見る限りでは、その意味なのか、そうではなく、110番の電話が各警察署にかかるものだと思いこんで書かれたものなのか、判断に迷うところがある。

(3)  戸籍(本籍)を未婚の人間が親の戸籍から独立させて別の場所に移すことはできるか。
  『平家伝説殺人事件』に、
≪ 萌子の結婚前の住所『渋谷区桜丘町―ー』は、萌子の生来の本籍地ではなかった。多岐川萌子は、静岡県島田市から、本籍地をいったんそこに移してから結婚している。それはなんと、結婚のわずか半月前のことであった。
  「なぜこんな面倒なことをしたのでしょうかねえ・・・」
 区役所の戸籍係も首をひねったくらいだから、浅見にはいよいよ不可解だ。・・・≫
という部分があるのだが、実は、私も本籍を移そうとしたことがあるのだが、住民票と戸籍(本籍)では事情が違い、住民票はともかく引っ越せば移すことができる。公立高校の進学校に行くために、実際には学区外に住んでいるのに、あえて、隣の学区の進学校に行くために、実際に住んでいる場所と異なる場所に住民票を移した、なんて人もけっこういるはずだ・・が、戸籍(本籍)はそう簡単ではない。移すこと自体はできるのだが、戸籍筆頭者というのがいて、そのもとに各家族がその戸籍に所属している。もしも、その戸籍から自分の戸籍を抜きたいと思った時、どうすれば抜くことができるかというと、結婚すると、自分が戸籍筆頭者として親の戸籍と別の戸籍を作ることになるらしい。「本籍」の住所はどこでもいいことになっているので、実際に住んだ場所を戸籍にしている人もあれば、東京駅とかを戸籍(本籍)の住所にしている人もあるらしく、何十年か前に新聞で読んだ話では、当時の滋賀県彦根市の市長は井伊家の子孫だそうで、彦根城が戸籍の上での住所(本籍)になっていたそうだ。戸籍の上での住所をどこにするかは自由なのだが、独身の人間が親の戸籍から独立することはできない。なんで? と私は思った。しかも、父親が他界したなら、戸籍は別にすればいいではないかとも思ったのだが、父親が他界しても、それでも、戸籍筆頭者は故人の父親で、結婚しない限り、親の戸籍から離脱することは認められないらしい。 本籍地も戸籍筆頭者の本籍地が本籍地にされてしまうらしい。これは、私が、かつて、自分の戸籍を親の戸籍と別にしたいと思って、住民票を移す際に市役所に行った時、戸籍も独立させたいと言うと、結婚しない限り、戸籍を親と別にすることはできないことになっています、と市役所職員から言われたのだ。選択できるのは、結婚してしばらく暮らしていた夫婦が離婚する場合、妻の側は元の親の戸籍に復帰するか、別の戸籍を新たに作るか、どちらか選択できるらしい。親が離婚した場合、未婚の子供はどちらの戸籍に入るかは、これも父親の方の戸籍に入るか母親の方の戸籍にはいるか、選択できるらしい。
   私が、市役所で聞いたこれらの話については、市役所の職員はでまかせ言ったわけではないはずなので、間違いではないはずだが、もし、何らかの細工をするなり、「保守系政治家」のコネがあるとかいった場合に、例外的になんとかできるのかどうかは、私は知らない。内田康夫が、そのあたりについて、例外的になんとかできる方法を知っていて、↑のように書いたのか、そうではなく、住民票と同じように、戸籍(本籍)もまた、親の戸籍から自由に離脱できるものだと思いこんで↑のように書いてしまったのか。もし、不注意で書いてしまったのなら、その点はミスであり、その点についてはマイナスの評価になる。

(4) 敬礼・挙手
   『ユタが愛した探偵』では、
≪ 式香桜里は斎場御嶽にはパトカーに乗って来たのだそうだ。ここで警察の連中とは別れて、帰りは比嘉の車に聡子と同乗することになった。大城は「いずれまた連絡します」と挙手の礼で送ってくれた。 ≫
という記述があるが、これは、浅見光彦が、「警察庁刑事局長さまの弟さま」ということがあるからなのかもしれないが、一般に、警察官は「挙手の礼」など、しない。
  私は、ガードマン(警備員)の仕事を、交通誘導警備の仕事を2社で、施設警備の仕事を1社でやったことがあるのだが、いずれの会社でも、市民・一般人に話しかける時には、まず、敬礼をして・・・・と教えられた。その際だが、「こういったことは、警備員の研修は4日間でしかありませんが、警察官は警察学校に1年間かけて行きますから、警察官は、警察学校で1年間かけて、びしい~っと叩き込まれています」と教えられたのだ。 「警察官や消防士が通れば、敬礼してください。敬礼すれば、彼らは、必ず、敬礼を返してくれるはずです」と教えられた・・・・が、それは嘘だ。 ガードマン・警備員は敬礼をするが、警察官は敬礼なんか、しない。ガードマン・警備員が敬礼をした場合、それに対して敬礼を返す警察官は時々いるが、ガードマン・警備員が敬礼をしても敬礼を返さない警察官も少なくない。「おう」とか言ってあごしゃくってみせたりとか。こいつ、いったい何さまじゃ! て感じ 「警察学校で1年間かけてびしい~っと叩き込まれてます」というのは笑止である。 私服の警察官の場合は、服装が一般人と同じであるから、敬礼ではなく、一般の会社員と同じように、おじぎをしたりすればいいわけで、制服の上に制帽をかぶっている制服の警察官と同じ形式の挨拶をする必要はないが、制服の警察官というのは、帽子を被った状態が正装であり、帽子を被った状態で頭を下げても礼にならないので、右手を肘を曲げて指の先を顔の方に向けて「敬礼」をするのが防止を被った状態の警察官の挨拶であるはずだが、警察官は一般市民にそういう挨拶はまずしない。「あるべきもの」と「あるもの」は同じではない。相手が「警察庁刑事局長の弟」とかだと違うのかもしれないが、そうでないならば、↑の記述のような「挙手」「敬礼」なんてする警察官なんて、まず、いない。「おお~お」とか「なにい~い」とかそういう口をきくのが普通である。市民に対してはそういう口をきくように、警察学校で1年間かけてびしい~っと叩き込まれている・・のかどうかはともかく、「おお~お」とか「なにい~い」とかいうのが普通の警察官の態度である。
   『平家伝説殺人事件』では、
≪ 九時少し過ぎにホテルを出て、愛知県警本部へ向かう。 名古屋城に近い官庁街の一角の、ゆったりした敷地に建つ八階建てのビルだ。玄関を入ろうとすると、立哨の巡査が挙手の礼をして、「おはようございます。失礼ですがご用件は何でしょうか」と訊いた。≫
という部分があるが、まず、「立哨の巡査」は市民にこのような丁寧な口のきき方なんて、しない。又、県警本部の前にいる者は、多少、違うのかもしれないが、警察署の前に立っているやつなんて、「警乗」という長い棒を持ちながらそれを地面に突きながらスキップしたりケンケンしたりして暇そうに右に行ったり左に行ったりしているというのを、時々、警察署の前で見ることがある。 あんなの、あそこにおらせても、みっともないだけと違うのか? とか思うが、うかつに指摘すると怖いから指摘できない。

(5) 警察の決めつけ
   『ユタが愛した探偵』には、
≪  やがて聡子は顔を上げて、思い切ったように言った。
「浅見さん、部長が犯人なんですか?」
「えっ・・・・驚いたなあ、いきなり結論を出したのですか」
さすがの浅見も、聡子がそこまで言うとは予測していなかった。
「警察だってそんな目茶苦茶な即断はしませんよ」
「でも、疑わしいことは事実でしょう?」
「それはたしかに、あなたがいま言ったようにおかしな点は沢山あります。それに風間氏が滋賀県に来た目的や、誰と会ったかがいまだに分かっていないのも、その相手が越坂さんだったかもしれないと仮定することは可能です。しかし、そんなあやふやな証拠だけで、いきなり犯人よばわりをするのはいけませんよ」
「それはそうですけど・・・・・」 ≫
という場面があるが、しかし、この「警察だってそんな目茶苦茶な即断はしませんよ」という部分だが、すると思うな。 警察は「目茶苦茶な即断」を平気ですると思う・・。

   『遺譜 浅見光彦最後の事件』で、浅見光彦は「青年として通じる最高年齢」の33歳で独身から「大人として生きるしかない」34歳の誕生日を迎え、『平家伝説殺人事件』の登場人物の女性と結婚することをにおわせた上、探偵はやめると宣言して、これまでとは異なる人生を歩むことになったが、3件だけ、過去の「事件簿」が残っている、ということで、3件は「浅見光彦の事件簿」の小説が書かれることになっていたが、その1つの『孤道』が書きかけの状態で内田康夫は他界してしまった。もしかして、実は他殺であるのに、犯人グループと結ぶ病院によって「病死」と「診断」されたのでは・・・? とか、もしかして、犯人は、警察の内部事情を暴露して警察批判の小説を書きまくった内田をうとましいと考えた警察?・・であるのかないのかなんて、私は知らないが、「寅さんみたい」な生き方とは決別して、今までと異なる人生を歩むことにした浅見光彦について、少しは書いてほしかった気もするが、しかたがない。『孤道』は、後半部分の作品を募集して、優秀作を選ぶということだったが、内田康夫が他界してしまった以上、誰が選ぶのかという問題もあり、一生懸命、書いた人が何人かいるとは思うが、それは、あくまでも「続編的作品」であって、残念ながら「続編」「完結編」とは別のものではないかと思う。
   内田康夫の小説は、すべてにおいて賛成できるものばかりということではないが、多くの「推理小説」と異なり、対警察防衛法として、「善良な市民」は何冊か読んで参考にするようにした方がいい作品であると私は思う。但し、「善良な市民」の対警察防衛マニュアルとして使えそうな話もあるが、「兄上が警察庁刑事局長さま」という「水戸黄門の印籠」を浅見が持っているから通じるのであって、そうでない者はあまりやらない方がいい行為もある。

   アメリカ合衆国の心理学者 T=W=アドルノらにより『権威主義的パーソナリティー』という第二次世界大戦中のドイツを対象として分析された、ファシズムにつながる「人格」の研究があり、アドルノらは、「ファシズム人格」「権威主義的パーソナリティー」「サド・マゾ人格」には相関性があることを指摘しているが、人間を「いいもん」と「悪もん」にはっきりと2つに分けて、「悪もん」には必要以上に過酷な攻撃を加えずにはおれない人というのは、「ファシズム人格」「権威主義的パーソナリティー」「サド・マゾ人格」の傾向が強いと思われる。多くの「推理小説」やテレビの「刑事ドラマ」が好きな人というのは、この「ファシズム人格」「権威主義的パーソナリティー」といった傾向が比較的強い人が多いのではないかと私は感じている。実際、「悪人にも三分の理」という言葉もあり、「衣食足りて礼節を知る」というのが毛沢東が好きな言葉だったとか言われ、又、「犯罪」とは何か? という問題で、「社会の矛盾が個人を通じて表出したもの」という考え方もある。もっとも、「社会の矛盾が個人を通じて表出したもの」と決めつけ過ぎると、それなら、犯罪を犯さない者が犯人を追い詰めた悪者だということなのか? 犯罪を犯した方がいいということになるのか? ということにもなってしまうのだが、それはさまざまな面があるわけで、ひとつの面だけで考えるわけにもいかないと思う。「その人の存在が意識を規定するのか、意識がその人の存在を規定するのか」という問題において、マルクスさんは「存在が意識を規定する」と判断するが、それは、あくまでも、両方の面があったとしても「究極的には」「存在が意識を規定する」ということであって、意識が存在を規定する面がまったくないということではない。
   「推理小説」や「刑事ドラマ」が好きな人、特に、犯人がぎったぎたにやっつけられるのを大喜びする人、刑事ドラマの刑事に無条件に憧れる人、というのは、むしろ、私なんかは「怖そ~」な人と思う。T=W=アドルノらの用語によれば、「ファシズム人格」「権威主義的パーソナリティー」「サド・マゾ人格」の傾向のある人ということになるのではないか。 悪人にもそれなりに事情はあったわけだ。 殺人事件の犯人には、事情があったからそれを認めていいということではないとしても、もしも、その人の人生で何かがひとつかふたつ変わっておれば、その行為を人生でするに至らなかったかもしれない。犯人をあしざまに罵っている人にしても、たまたま、犯行をおこなうような立場に立たされなかっただけという人だっているかもしれない。内田康夫の小説は、多くの「推理小説」と違って、そのあたりについても述べられている。浅見が、最後の最後、犯罪を解明しながらも犯人を追い詰めきれず、結果として、犯人が自殺するに至るという小説がけっこう多いのだが、それは、職業としてそれをおこなっている警察でもない者が警察まがいのことをしてしまった結果であるとも言える。
  内田康夫の作品については、内田作品の愛読者というのは、「権威主義的パーソナリティー」「ファシズム人格」につながる傾向の強い人かというと、そうではないと私は思う。むしろ、「権威主義的パーソナリティー」「ファシズム人格」の傾向は弱い方の人が多いのではないかと思う。内田康夫のデビュー作『死者の木霊』の結末部分で、犯人として逮捕された沢藤が護送車の中で、刑事の竹村に、「あんた、気分がよかろう」「誰がほんとうの被害者か、考えもせんで」とつぶやく場面がある。そんなこと言ったって、沢藤は犯人であり、逮捕されてもしかたがないのだが、犯人にも犯人なりに事情はいくらかはあったわけだ。竹村は刑事なので、たとえ、犯人になんらかの事情があったとしても、刑事を職業としてやっている人間である以上は、犯罪者は逮捕せざるをえない。『名探偵コナン』や山村美紗の作品のキャサリンというバカ女などは、刑事を仕事としているわけでもないのに、犯罪者には犯罪者なりに事情もあったかもしれないし、「被害者」も部分的には加害者的な面もあった場合もあるにもかかわらず、それが仕事でもないのに、しゃしゃりでて行って、「正義の味方」ヅラするのとは大きく違う。
  『平家伝説殺人事件』では、高知県藤の川から大阪・名古屋へと出て行った10代の2人の1人が伊勢湾台風で死に、生き残ったもう1人と、静岡県島田市から女優になりたいと東京に出たがなれずに水商売のホステスになった女と、長野県から東京の早稲田大学に行って卒業したものの大成できずに埋もれている男の3人が、協力して保険金詐欺を働き、一時は成功したかに見えたものの、藤の川から出てきた男が殺され、次いで、静岡県島田市から出てきた女が殺され、最後、長野県から出てきた男が逮捕される。長野県から出てきた男は、故郷にはしばらく帰っていなかったらしく、父親が帰ろうとする浅見に「善幸に会ったら、いつでも帰ってこいと伝えてくださいや」と話す・・・が、浅見は≪「お伝えします、きっと」と答えたけれど、伊藤善幸がこの故郷に還る日があるのかどうか、浅見には自信がなかった。坂道を下り、林の角を曲がる時、振り返ると、老人はまだ、そこに立って見送っていた。≫ 犯罪の謎を解明した後、山村美紗の「推理小説」のキャサリンというバカ女とか、『名探偵コナン』とかは、大得意でいるが、浅見はそうではない。むしろ、解明できた後には、その犯罪に関わった人間の悲劇を思い知らされる。犯人にしても、なにゆえ、そうなってしまったのか、『平家伝説殺人事件』では、高知県藤の川から大阪・名古屋を経て東京に来た男も、静岡県島田から東京に出た女も、長野県から東京に出た男も、誰も故郷を離れる時点では犯罪をおこないたいと思って出たわけではない。希望をもって都会に出たものの、藤の川から出て伊勢湾台風で死亡した男も含めると、1人の男は台風で死亡し、1人の男と1人の女は殺され、1人の男は殺人罪他で逮捕される。なぜ、こんなことになってしまったのか・・。解明した「名探偵」浅見光彦は、犯行を解明したことを得意に思ったりはしない。むしろ、そこにある現実の悲しさを実感する・・・。内田康夫の小説は大部分がそういった展開であり、それゆえ、「権威主義的パーソナリティー」「ファシズム人格」の傾向が強い人間ではなくそういう傾向は弱い人間の方に支持され受け入れられるものだと思うし、純文学としても通じるところがあり、純文学なら読みたいが「推理小説」のようなものは好きではないという人にも受け入れられる。
   『浅見光彦殺人事件』の「あとがき」で内田康夫は、
≪ 最初に僕の原稿を読んだ担当編集者は、最後の最後まで真相を見極めることができずに、結末を読んで「あっ」となったのだそうです。あなたにもそんなふうに驚いていただけたなら、著者としては満足しなければならないのでしょう。
  しかし、かりに読者を驚かせ、悲しませ、また喜んでいただけたとしても、僕はとてものこと「してやったり」という気分にはなれそうにありません。それは、この作品の犯人が、かわいそうでならないからです。「伊香保殺人事件」(光文社刊)の中で、僕は「日なた道、日かげ道」といったことをテーマの一つにして書きましたが、「浅見光彦殺人事件」の犯人が生まれながらにして背負わなければならなかった宿命は、あまりにも悲しい日かげ道でした。この作品を書き終えたいま、僕は彼が気の毒で、涙に咽びながら、追悼すべき言葉も見つかりません。≫
と述べるが、実際、私もこの作品を読んで、内田が「あとがき」で述べるような気持になったが、他にもそういう内田の作品はある。『名探偵コナン』にはそのようなものはないし、西村京太郎のほとんどの小説にもない。
  もっとも、『浅見光彦殺人事件』を発行した講談社の編集者は浅見光彦シリーズの本を読んだことがない人だったらしく、「浅見光彦シリーズを3冊以上読んだ読者」であれば、読み進めるうちにこの小説に登場する浅見光彦をかたる偽者が本物の浅見光彦とは違う点に気づくはずで、作者はこれでもかというくらいにヒントを示して読者に気づかせようとしており、編集者が気づかないというのはその作家の本を読んでいないからでその点でその作家の担当編集者として怠慢でしょう。

   内田康夫の小説のいいところとして、大変読みやすいという点がある。わざわざ難しい理解しにくい文章を書くと評価されるとでも思っているのか? みたいな人もいるのだが、内田康夫の文章は読みやすいわかりやすい文章である(たまに、変換ミスが修正されていな箇所があるが)。内容もまた、読みやすい内容である。松本清張の『わるいやつら』なんてのは、ろくでもないのばっかり出てきて、頑張って最後まで読んだけれども、疲れた。その点、内田康夫の小説は、疲れる小説ではない。

   浅見光彦が結婚する相手の女性として、浅見光彦シリーズとしては2番目の作品の『平家伝説殺人事件』に登場する女性が選ばれた、というのは内田としては、浅見光彦は『後鳥羽伝説殺人事件』と『平家伝説殺人事件』の登場人物として出したのであって、それ以降の作品は、いわば、浅見光彦シリーズの「外伝」みたいなものという位置づけだったからかもしれないが、それにしても、特に、お手伝いの須美ちゃんはあまりにもかわいそうという気がするが、2人以上の女と結婚させるわけにもいかないから、どうもできないのかもしれない。

   浅見光彦の学歴は、「三流私大卒」「有名三流私大卒」「一浪で私大卒」「駅弁大学卒」と作品によって、微妙に異なる。最初、兄が現役で東大法学部入学・卒業で国家公務員1種合格で警察庁に入庁という「エリート」であるのに対して次男坊は「私大卒」という話なので、どの大学か固有名詞は出ていないが、慶應とか早稲田という感じではないし、あえてピッタシカンカンで言うと立教あたりかと考えたのだが、「駅弁大学」となると北区西ヶ原から通える「駅弁大学」となると埼玉大あたりか? ・・とも思ったが、作品によって表現が異なることから考えても、作者自身、それほど、きっちりとモデルとなる大学を想定して書いたものでもなさそうである。
   《ウィキペディア―内田康夫》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E5%BA%B7%E5%A4%AB によると、内田康夫自身の学歴は、≪ 埼玉県立川越高等学校卒業、東洋大学文学部国文学科中退。≫らしいが、大学を卒業していない人には、高学歴の人間に対して敵意を持っているような人も中にあるが、内田の場合は、浅見光彦の兄の陽一郎を、東大法学部卒でキャリアで警察庁に入った人間と設定した上で、優秀で良心的な人間と描いており、又、警察官でも、比較的評価の高い大学を卒業したが、ノンキャリアで警察官になる人間もいるらしく、そういう警察官がその警察官が卒業した大学よりも評価の低い大学しか出ていない上役の警察官にいじめられて苦労するといった話も描くなど、内田康夫自身は最終学歴としては「東洋大学文学部中退」であっても、高学歴の人間を悪者としてやっつけるというような書き方はない。
   浅見光彦の学歴について、「三流有名私大卒」だったり「駅弁大学卒」だったり「一浪で私大卒」だったり、作品により一定しないのと同様、浅見の先祖も、作品によって、静岡県出身だったり「長州閥」だったり、これも一定しない。「旅と歴史」の藤田編集長も作品によっては「副編集長」になっている。どうも、この作者は、書いているうちに、自分が前の作品で書いたことを忘れてしまう傾向があるようで、たいして重要なものでもないと思うからかもしれないが、自分でも自覚があるらしく、『熊野古道殺人事件』の中で、浅見光彦に登場人物の「内田康夫」のことを「アルツハイマーのけがある」と言わせている。

   内田康夫の小説は、
「浅見光彦シリーズ」と ・・・『後鳥羽伝説殺人事件』『平家伝説殺人事件』『白鳥殺人事件』『砂冥宮』『汚れちまった道(上・下)』ほか多数。このうち、早いうちから浅見が登場する小説と、後半になって登場する小説がある。
「浅見が登場するが、主たる語り手は浅見ではない作品」と ・・・『萩殺人事件』
「浅見の登場しない推理小説」と・・・『死者の木霊』『シーラカンス殺人事件』『追分殺人事件』など
「推理小説以外の小説」 ・・・『靖国への回帰』
の4つに分けられる。初期の作品には、浅見の登場しないものの割合が大きく、最初の作品の『死者の木霊』では、刑事の竹村・岡部は登場しても浅見は登場しない。『後鳥羽伝説殺人事件』でも、犯罪を解明するのは、半分が刑事の野上で半分が浅見光彦という感じ。徐々に浅見の占める部分が大きくなっていったようだ。浅見は、毎度毎度、10代から40代前半までの女性から頼られて、女性のために頑張るが、男にはけっこう冷たいところがあるものの、男性からも嫌われないというキャラクターで、うまく作られたものだと思う。

   ピエトロ=ジェルミ監督のイタリア映画『呪われた混乱(Un maledetto imbroglio)』(日本では『刑事』)は、犯人は誰なのかという推理も話の一部分を構成するがそれが本体ではなく、その過程での人間関係や登場人物の思いが主として描かれる純文学的映画である。内田康夫の「推理小説」もそのようなところがあり、読後感も、映画『呪われた混乱』と似たところがある。〔この映画では、刑事はあくまでも狂言回しのような役割であって主役ではなく、日本での『刑事』というタイトルは最適なものではない。〕
※ 《 Sinno me moro 死ぬほど愛して ( Un maledetto imbroglio〔呪われた混乱〕 刑事 )》https://www.youtube.com/watch?v=j3r_nFK-NPE

   内田康夫の小説の文庫本の巻末には、多くのものに山前譲氏の「解説」がついているが、山前氏には申し訳ないが山前氏の「解説」はたいした解説になっていない。むしろ、内田康夫自身による「自作解説」の方が読者としては興味深い。ここで私が述べた「内田康夫・浅見光彦論」は、山前氏の「解説」よりずっと内容はあると自負している。山前氏の「解説」は内田康夫の作品にどういうものがあるかを知るためには役立つかもしれないが、「解説」として期待すると、山前氏には申し訳ないがそのレベルにはないように思う。

  (2018.4.20.)

☆ 内田康夫 追悼
1.http://shinkahousinght.at.webry.info/201804/article_12.html
2.http://shinkahousinght.at.webry.info/201804/article_13.html
3.http://shinkahousinght.at.webry.info/201804/article_14.html
4.http://shinkahousinght.at.webry.info/201804/article_15.html
5.〔今回〕




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内田 康夫

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