祐天寺(目黒区)参拝【3/7】職場の我儘女と「少子高齢化対策」に殺れた我が子。かさね塚と絵。

[第575回] (会社と営業の話(139) )
   2011年4月、千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕〔どう考えても逆じゃないかて名前〕で、社長 長谷川新二の嫁 河野利華の友人だという滝口恵(女。当時、30代前半)が縁故入社してきたが、住宅建築業の営業というものは、特に新華ハウジング(有)のような規模の小さい工務店というのは、種まき・集客から契約・引渡しまで営業はやらないといけないもので、チラシを印刷したならば、それをポスティングするなら営業の仕事である。ところが、滝口は有効期限が翌日に迫ったチラシが床の上に何千枚と積みあがっていても、さっさと定時に帰る。労基法と就業規則から考えて定時に帰っていいはずだというのが言い分らしいのだが、たしかに、労基法と就業規則から考えたならば終業時刻に帰って悪いことはないのだが、しかし、それなら、滝口らのために会社が費用をかけて印刷屋に頼んで印刷したチラシを何千枚と紙屑にしてもよいということになるのだろうか。 それを紙屑にしないために、担当外の従業員が毎度毎度滝口のために、労基法違反の時間外労働・無賃労働をさせられるのが当然だというのか・・・・というと、滝口恵とそのオットは当然だと思っていたようだ。 私は住宅建築業、特に、戸建・新築・木構造・請負の建築業の営業においては大関クラスの人間であり、滝口は序の口ですらない。大関としては、入門したての困った者がおかしなことをしても、我慢して育ててあげないといけないと思って、滝口が残していったチラシを、担当外の私がずいぶんと無理をして、勤務時間外に無賃労働でポスティングをしてあげたものだ。 又、昼間、大工仕事をしている工事部の人たちに、夕食時間より後の時間帯に、労基法違反の時間外労働・無賃労働で滝口のためにポスティングをしてもらうように社長の長谷川が頼み、それをやるつもりで来てくれたのに、滝口は入れるチラシも用意せずにお殿様みたいにさっさと帰ったということもあり、その人達の機嫌を損ねないようにと、担当でもない私が滝口のために、無理をして、勤務時間外に労基法違反の時間外労働・無賃労働でチラシを用意してあげたことも何度もあった・・・・が、普通、住宅建築業の営業の経験がなくても社会人ならそういう場合、「どうも、すいませんでした」とか「ありがとうございました」くらい言うもののはずであるし、そのひとことすら言えないようなら、そんな人間のためにやってやるのはもうやめだ・・・ということになる可能性が考えられる。 滝口のオットもまた、社会人として異常である。 やっぱり、子供を作るのなら、作る男と女が人並みに大人になってから作ってもらいたいものだが、滝口も滝口のオットも、十分に大人と言える条件を満たさないままに、十分に社会人と言える条件を備えないままに、子供を2人も作っていた。こういう人間がよく言うのが「少子高齢化対策に貢献してるんです」という文句であるが、別に貢献してもらわなくていいですけど。 そういうバカ女とアホ男を拡大再生産するような「少子高齢化対策」なんてやってもらわなくていいですけど。それで、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の滝口に対する従業員の間でも不満の声は出ていたので、私は社長の長谷川新二(男。当時、40代前半)にそれを言ったのだ。ところが、長谷川は「滝口さんは子供があるんだから、子供がある人間は子供のない人間に尽くしてもらうのが当然じゃないかあ。子供のない人間は子供のある人間のために尽くすのが当たり前でしょうがあ。〇〇さんが子供がないのがいけないんだ。子供がない人間が悪いんでしょうがあ。子供がある滝口さんは何でも子供のない人間にやってもらうのが当然の権利じゃないかあ!」と、そう暴言をはいたのだ。私はこの長谷川新二の暴言を決して許すつもりはないし、その暴言を利用して、先輩社員に自分が担当で自分がそれに対する報酬を盗っている仕事を担当外の人間に労基法違反でやってもらうのが当然であるという態度を取り続けた、どうかんがえてもカタギの態度でない態度を取り続けてきた滝口恵とそのオット及び、滝口夫婦の子供を許すわけにはいかない。彼らは「反社会的勢力」である。
   新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)には、もうひとり、縁故入社の女性がいて、社長 長谷川新二の嫁 河野利華(女。当時、40代前半)の中学生の頃からの友人だという大竹加代子(女。当時、40代前半)は、特に会計関係の大学学部を卒業しているわけでもなく、会計関係の経歴があるわけでもないにもかかわらず、縁故であるということで、私などの倍くらいの給料を盗っていて、なおかつ、大竹が時間外手当の計算をする係であったのだが、大竹は自分については時間外手当・休日出勤手当を計上しながら、私には時間外手当・休日出勤手当を計上せずにサービス残業にしていたのだが、その大竹加代子が「滝口さんは子供があるんだから定時に帰って当たり前でしょおおおおおおお! 滝口さんは子供があるんだから、子供のある滝口さんは滝口さんの仕事を子供のない人にやってもらうのが当然でしょおおおおおおお! 〇〇さんは子供がないんだから、時間外でも子供のある滝口さんの仕事をやってあげるのが当然でしょおおおおおお!」等々と暴言の限りをはきまくった。許しがたい。 「法は眠ると言えども死なず」、労働基準法という法律はあっても実際には守らない会社だらけであり、なによりけしからんのは労働基準監督署と労働基準監督官で、労働基準監督署と労働基準監督官は、労基法違反を取り締まっているふりをしながら実際には断固として取り締まらないことにより不良企業の不良経営者を必死に守ろうとしている・・・・・のであるが、そうであっても、労働基準法という法律は「眠るといえども死なず」であり、おのれが報酬を受け取っている仕事をせずに担当外の人間にやってもらうのが当然と主張するようなバカ女の仕事をやるために労基法違反をするわけにはいかないことになる。労働基準法は、その構成要件について述べた条文と罰則規定の条文があり、罰則規定の条文は使用者に対して適用されるが、構成要件について述べた条文については、使用者と労働者の双方が守るべきものとして規定されており、使用者だけに守ることを要求する法律ではない。日本国民として、労働基準法を守るのは、使用者のみならず、労働者・従業員・勤労者にもまた守るのが義務であり、労基法違反の労働をおこなう者は国民の義務に反しているのであるから、滝口と滝口のオットと子供・大竹加代子・長谷川新二らの労基法違反で「子供のある者」のために「子供がない者が悪いんだ」と悪者呼ばわりした相手を犠牲にしてやろうとするヤカラどもに協力する筋合いはないし、日本国民としての遵法精神として協力してはならないものである。
   《「少子高齢化対策のために」子供のある人間のために子供のない人間は尽くすのが当然じゃないかあ!》と長谷川新二みたいなことを言う人間というのが、時としてあるが、それは根本的におかしい。 結婚していていい年齢であるにもかかわらずふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる男女、結婚はできたが子供にめぐまれない男女を、すでに結婚もできて子供も複数できたという男女のために犠牲にするのが「少子高齢化対策」になるかというと、ならない。 むしろ、逆に、すでに結婚もできて子供もできた人間は、少しくらい、まだ、ふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる人間、結婚はできたが子供にめぐまれない人間に、結婚できて子供もできるように協力してもいいはずである。 それを、すでに結婚して子供も複数できた滝口恵とそのオットのために、まだ結婚できずにいる人間から「婚活」の時間を奪い、結婚はできたが子供はまだできない人間から「妊活」の時間を奪って、「子供がある滝口さんのために尽くすのが当然じゃないかあ!」と暴言をはいて滝口とそのバカオットのために犠牲にならせる結果、まだふさわしい相手とめぐりあえずにいる男女・結婚はできたが子供にめぐまれない男女には子供ができなくなる。一方で、滝口恵は「滝口さんは子供があるんだから、子供のない人間に尽くしてもらうのが当たり前じゃないかあ」という長谷川の主張を実行して、おのれが担当でおのれがそれに対する報酬を盗っている仕事を担当外の従業員に時間外に無賃労働でさせた上、まさにその時間に定時に退社した上で、オットと3人目の子供を作るべく「妊活」(性交)して3人目をはらんで出産した。 その子供は呪われた子供である。 その子供は他人を犠牲にして作られた子供である。そんな子供が仕合せになるようなことがあれば世も末である。 滝口はおのれが担当の仕事を担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・無賃労働でさせてあけた時間に子供の小学校のPTA役員をやり、そればかりか、会社のホームページとリンクしたブログに「PTA役員やってます。PTA役員も悪くないかと思いました」などと、アタマおかしいのじゃないかと思われる内容を書き込んだ。 普通、おのれが担当でおのれがそれに対して報酬を受け取っている仕事を担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・無賃労働でさせて空けた時間にPTA役員なんてやったならば、せめて、こそっとやるものであって、わざわざ、会社のホームページとリンクしたブログで「PTA役員やってます。PTA役員も悪くないかと思いました」などと書き込むなんて、そんなことする人、あんまりないと思うがなあ~あ・・・と思うが、それをやるのが滝口恵とそのオットだったのだ。 滝口から婚活・妊活の時間を奪われることがなければ、生まれていたかもしれない私の子供は、滝口恵と滝口のオットと滝口夫婦の子供に実質殺されたのである。 私に生まれていたかもしれない子供は、滝口恵と滝口のオットと滝口の3人の子供、それに長谷川新二とその嫁の河野利華、大竹加代子らによって実質殺されて「水子」にされたのである。 お地蔵さん、水子地蔵さん、子守り地蔵さん、私に生まれていたかもしれない私の子供の恨み、どうか、晴らしてください。お地蔵さん、お願いします・・・と拝んできた。お地蔵さんは弱い者の味方である。子供を大義名分にして勝手放題する者の味方ではないはずだ。 賽銭も入れてきた。

   地蔵堂の左に「海難供養碑」(目黒区指定文化財)が二基建っている。↓
画像

↑ 中央にある説明書きには
≪ 灘目の海難供養碑
   白子組の海難供養碑 ≫
≪ 江戸時代に灘の樽廻船と、関西の木綿問屋仲間白子組の廻船が江戸に向かう途中、それぞれ相模灘や駿河湾、遠州灘で大風などに遭い、屡々沈没しました。
  この2基の海難供養碑は、その遭難者の慰霊のために江戸の商業問屋仲間が建立したものです。いずれも祐天寺住職であった祐全・祐東自筆の名号が刻まれた碑文により、度重なる海難の事実を知ることができます。またそれぞれの廻船および海難については、船籍所在地の史料からも史的事実の裏付けがなされています。祐天寺の海難供養碑2基は近世における商業経済史、海上輸送史、海難史研究において貴重な資料です。
    平成21年(2009年)3月 目黒区教育委員会 ≫
と書かれています。
  左側の台石に「白子組」と書かれていますので、左側が木綿問屋「白子組の海難供養碑」、右側が「灘目の海難供養碑」ということなのでしょう。 「白子」と言えば、『仕掛人藤枝梅安』に「暗黒街を牛耳る香具師の元締め」白子屋菊衛門というおっさんが登場したと思いますが、ここの海難供養碑の「白子組」は香具師ではなく木綿問屋のようです。

   祐天寺は浄土宗の寺。 「東急東横線の駅名にもなっている」というのは、「世界4大がっかり」のひとつ、鎌ヶ谷大仏を考えると、駅名はあんまり関係ないとしても、東横線沿線住民にとっては、駅名になってるところからも名前は知れている。〔このブログでも何度か述べたが、「世界三大がっかり」というのが『地球の歩き方 シンガポール』だったか『地球の歩き方 北欧』(いずれも、タイヤモンド社)のどちらかに載っていたのだが、それは、コペンハーゲンの人魚姫の像・ブリュッセルのションベン小僧・シンガポールのマーライオンの3つで、悪いということではないのだが、知名度が高いので、相当ものすごいものがあるのだろうと思って訪ねると、ええ、これえ・・・て感じがするというのが「世界三大がっかり」・・・なのだが、私はそれにもうひとつ、鎌ヶ谷大仏を加えて、「世界四大がっかり」と命名したい・・・わけだ。鎌ヶ谷大仏も決して悪いわけではないのだが、新京成電鉄の駅名になっているくらいだから、奈良の東大寺の大仏とか千葉県の鋸山の大仏よりは小さいとしても鎌倉の大仏くらいの大きさの大仏さんがいらっしゃるのではないか・・・・と思い込んで訪問すると、ちっちゃいんだもん・・・。〕
   祐天(ゆうてん)という江戸時代のお坊さんの名前からつけられた寺名だが、祐天(ゆうてん)というお坊さんは何で有名なのかというと、茨城県常総市〔平成の大合併より前においては、水海道市〕の鬼怒川で、累(かさね)という女性の怨霊を成仏得脱させた・・・というので有名な人で、それだけ優れた人だとプラスに評価されることもあれば、密教の坊さんなら問題はなかったのかもしれないが、浄土宗の坊さんなので、浄土宗としてはそういった呪術師としての働きは異端であるとしてマイナスの評価を受けたりもした人らしい。
   怨霊といってもさまざま。 ヨーロッパの「妖怪」でも、たとえば、狼男というのは、妖怪は妖怪でも、なんともずいぶんとかわいそうな話。 子供というものは、両親がそろって愛情を注ぐことでまともな人間に育っていく。しかし、世の中には両親が離婚してしまった子供や小さい頃に片方の親が何らかの事情で他界してしまった子供もあるが、そういう子供には残った方の親が十分に愛情を注げば立派な人間になることができる。しかし、世の中には、小さい頃に親が両方とも亡くなってしまう場合や、両親ともにいなくなってしまう子供というのもいるが、しかし、そういう子供はまともな人間になれないのかというとそうではない。そういう子供は必ず神さまが守ってくださる。しかし、イエスが十字架につけられてから復活するまでの3日間の間に生まれた子供については、神さまの力は及ばない。その3日間に生まれた子供の両親が小さい間に他界するかいなくなった時でも、青年になった頃、異性を愛して、その異性との愛が結ばれるなら、異性との愛によって救われる。しかし、イエスが十字架につけられてから復活するまでの3日間に生まれた子供が、小さい間に両親ともに失い、異性との愛も結ばれなかった時、その時、満月の夜、恐ろしいことが起こる・・・・というのが狼男だそうで、自分が満月の夜になると体に変調をきたすのを感じるようになり、自分で自分を恐ろしいと感じ出した男は、愛した娘と引き離され、そして、ついに、満月の夜、狼男に変身する。鉄砲で打っても狼男は不死身で効かない。しかし、最後、牧師が妻が祈ってきた銀の十字架をつぶして作った弾丸を銃にこめて打ち込んだところ、狼男は絶命する。・・・いやあ、しかし、妖怪と言いましても、ドラキュラとかフランケンシュタインなんかと違って、狼男というのは、なんだか、かわいそうな感じがしますねえ~え・・・、いやあ、映画って、いいですねえ~え!!! というのを「水曜ロードショー」だか「金曜映画劇場」だかで、昔やっていた。 いやあ、映画って、いいですねえ~え! と。 「累(かさね)が淵」の「累(かさね)」もまた、「怨霊」といえども、むしろ、かわいそうなお話のようです。

   祐天寺では、表門をくぐり、その奥の仁王門・・・は今は工事中なのでその下は通れないので、左側なり右側なりをまわって仁王門の奥に行くと、その右に「かさね塚」がある。↓
画像


( ↑ 「 i 」マークが「かさね塚」 )
「浄土宗 明顕山 祐天寺」の由緒書というのかリーフレットには、≪ この塚には法蔵寺(茨城県)にある累一族の墓土が分祀されています。≫と出ています。
   「かさね塚」の前を本堂に向かって進むと、本堂の左に「仏舎利塔」↓があり、その前に祐天による累(かさね)の成仏得脱の絵が描かれている。↓
画像

画像


( ↑ 「仏舎利殿」 「 i 」マークが仏舎利殿。 )
画像

( ↑ 仏舎利殿 の 「祐天上人 かさね済度」の絵。 )
《ウィキペディア―累(かさね)が淵》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AF%E3%83%B6%E6%B7%B5 によると、「累(かさね)が淵」は≪茨城県常総市羽生町の法蔵寺裏手辺りの鬼怒川沿岸の地名≫で、≪江戸時代、この地を舞台とした累(るい、かさね)という女性の怨霊とその除霊をめぐる物語は広く流布した≫そうで、≪この物語を題材にとり、四代目鶴屋南北作の『色彩間苅豆』(いろもようちょっとかりまめ)をはじめとした累物(かさねもの)と呼ばれる一群の歌舞伎作品がうまれたほか、三遊亭円朝は怪談噺『真景 累ヶ淵』を作り上げた≫という。
   ≪ 累の物語が最初に知られるのは、元禄3年(1690年)に出版された仮名草子本『死霊解脱物語聞書』である。『聞書』によれば、慶長17年(1612年)から寛文12年(1672年)までの60年にわたって繰り広げられた実話に基づくとされている。≫ ≪ 下総国岡田郡羽生村に、百姓・与右衛門(よえもん)と、その後妻・お杉の夫婦があった。お杉の連れ子である娘・助(すけ)は生まれつき顔が醜く、足が不自由であったため、与右衛門は助を嫌っていた。そして助が邪魔になった与右衛門は、助を川に投げ捨てて殺してしまう。あくる年に与右衛門とお杉は女児をもうけ、累(るい)と名づけるが、累は助に生き写しであったことから助の祟りと村人は噂し、「助がかさねて生まれてきたのだ」と「るい」ではなく「かさね」と呼ばれた。両親が相次いで亡くなり独りになった累は、病気で苦しんでいた流れ者の谷五郎(やごろう)を看病し、二代目与右衛門として婿に迎える。しかし谷五郎は容姿の醜い累を疎ましく思うようになり、累を殺して別の女と一緒になる計画を立てる。正保4年8月11日(1647年)、谷五郎は家路を急ぐ累の背後に忍び寄ると、川に突き落とし残忍な方法で殺害した。その後、谷五郎は幾人もの後妻を娶ったが、尽く死んでしまう。6人目の後妻・きよとの間にようやく菊(きく)という名の娘が生まれた。寛文12年1月(1672年)、菊に累の怨霊がとり憑き、菊の口を借りて谷五郎の非道を語り、供養を求めて菊の体を苦しめた。近隣の飯沼にある弘経寺(ぐぎょうじ)遊獄庵に所化として滞在していた祐天上人はこのことを聞きつけ、累の解脱に成功するが、再び菊に何者かがとり憑いた。祐天上人が問いただしたところ、助という子供の霊であった。古老の話から累と助の経緯が明らかになり、祐天上人は助にも十念を授け戒名を与えて解脱させた。≫というお話らしい。 だから、「怨霊」といっても、もし、この話の通りであったとすると、「怨霊」よりも人間の方がよっぽど悪いのであり、怨霊は怨霊でも、なんとも、かわいそうなお話なのです。
   但し、歌舞伎とかに取り上げられると、取り上げて悪いということはないのですが、『菅原伝授手習鑑』にしても佐倉惣五郎にしても、歌舞伎としての面白さを追求するあまり、話が大げさになったり実際になかった話が付け加えられたりといったことがなされて、それが原因で実際の話はどうであったのかわかりにくくなってしまう場合もあるように思えます。

( ↑ 「 i 」マークが、法蔵寺。 )
   ≪ 法蔵寺には累を弔った墓があり、常総市の指定文化財になっている。また、法蔵寺には祐天上人が解脱に用いたという数珠・累曼陀羅・木像なども保存されている≫(《ウィキペディア―累ヶ淵》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AF%E3%83%B6%E6%B7%B5 )らしい。
※ 《ウィキペディア―累が淵》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AF%E3%83%B6%E6%B7%B5
《ウィキペディア―祐天》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%90%E5%A4%A9
《常総市観光物産協会 法蔵寺》http://www.joso-kankou.com/page/page000043.html
《常総市 累(かさね)の墓》http://www.city.joso.lg.jp/shigai/isan_bunkazai/shishitei/shiseki/1420434339773.html

   仏舎利殿には、免震構造が施されている。↓
画像

画像

↑ 免震構造では、地盤の揺れを建物に直接伝わらないように、地盤と建物との間に、特によく揺れる層を意図的に作るわけですが、その結果、地震時、その部分で建物が移動することになるので、建物のすぐそばにいた時に、突然、大地震が来ると、揺れのためにそこから離れようとしても離れることができず、同時にその場所に建物が動いてくるということになり、すぐそばにいると、耐震構造の建物(免震構造でない建物)よりもかえって危険な面もあります。 ↑で≪あぶないのでみぞのなかにはいってはいけません。≫と注意書きが出ていますが、私のように建築屋の仕事をしてきた者、特に(株)一条工務店の免振体験装置というものを見て、自分が体験してみた人間は、免震構造の建物が地震時にどう反応するかある程度以上わかりますが、免震構造を知らない人は、「あぶないからみぞのなかにはいってはいけません」と言われても、どう危ないのか、なかなか、実感として理解できない人もいるのではないかと思います。特に、子供はわからない子供が少なくないのではないでしょうか。自分が子供の頃の経験から考えても、子供というのは、「あぶないから・・・はいってはいけません」なんて言われると、余計にはいってみたくなったりする、なんてこともありますからね。
   説明書きを見ていると、地蔵堂と阿弥陀堂は地震時に40cm動き、本堂・書院と仏舎利殿は45cm動くそうです。 本堂・書院と仏舎利殿の方が地蔵堂・阿弥陀堂より、いくらか建物が大きいので、その分、移動する幅も大きいということでしょうか。
画像

↑ の中央の石段1枚が、実際に大地震が来た時にどう反応するのか、そこがよくわからないのです。 建物と一緒に動くのか、地盤側に固定されるのか、それとも、その中間の動きをするのか。

  (2017.12.24.)

 次回、 《 4.鐘楼堂・阿弥陀堂・五社稲荷。お堂の免震構造の問題。》 http://shinkahousinght.at.webry.info/201712/article_8.html

道ありき―青春編 (新潮文庫)
新潮社
三浦 綾子

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 道ありき―青春編 (新潮文庫) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

≪ 「綾ちゃん、お互いのために、ひとつ北大病院に行って、二人の体を徹底的に診断してもらいましょう」
と誘ってくれた。・・・・・
 ・・・しかし三十を過ぎた彼が、まだ大学に籍があると言いながらも、いつ復学できるかわからないのだ。彼の心中はどんなであろうかと、思わず涙がこぼれたのである。特に悲しかったのは、胸部の断層撮影のためレントゲン室に入った時だった。教授か講師かわからないが、たくさんの学生たちに何かを説明していた。前川正を見ると、いい材料があるとばかりに、彼らの前で裸にし、講義をつづけた。柔和な彼は、ニコニコと笑って学生たちの前に上半身を裸にされたまま、おとなしく教材になっていた。無論学生たちは、彼を自分たちの先輩と知るはずもない。
「わたし、あの時 正さんの代りに、あそこに立ってやればよかったわ」
 怒りに似た気持でわたしがそう言った時、彼はいつものおだやかな口調で言った。
「綾ちゃん、人間はね、一人一人に与えられた道があるんですよ。綾ちゃんは、ぼくの友人たちが一人前の医者になっているのを見て、少し感情的になっているのではないですか」・・・・
   北大病院における診断は、二人ともとりたてて変わったことはなかった。ということは、彼にとって決して喜ぶべき診断ではなかったということである。手術もできない、マイシンも大した効果がない。時が来れば死ぬだろうということなのだ。・・・・≫
( 三浦綾子『道ありき 青春篇』1980.3.15. 新潮文庫 ↑)
   私も高校生くらいの時には、20代前半で結婚するつもりだった・・・・が、30代のなかばになっても独身でいることになってしまった・・・「人間はね、一人一人に与えられた道があるんですよ」ということかもしれない・・・と考えるしかないかと思っていたところに、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の営業本部長の天野隆夫が営業所に電話してきて、そして、何の脈絡もなくこう言ったのだ。「まだ、結婚相手決まらんのか。男が好きなのか!」と。 よくもまあ、そういう口をきけたものだと思う。 天野はこうも言ったのだ。「ぼくなんかは学校でてないから(最終学歴:中卒)、だから、気さくで人間味があるんだ。そういうところがお客さんは喜ぶんんだ、お客さんは」と。ああ、そうですか・・・と思って黙っていると、「おい、そう思うだろ。『思います』と言え!」と言われた。そして、無理矢理、「思います」と言わされた。突然、電話してきて、「まだ、結婚相手決まらんのか。男が好きなのか!」などと言う男から。 「男が好きなのか」などという発言は言語同断・人権侵害であるが、その文句がなくても、「まだ、結婚相手決まらんのか」などとは大きなお世話である。 もし、「まだ、結婚相手が決まらないなら、俺の知り合いでこういう女性がいるんだけれども、会ってみないか」という話でもしようと思って、「まだ、結婚相手決まらないのか」と尋ねるのなら尋ねて悪いということはないが、そうでもないのに、「まだ、結婚相手決まらないのか」などとは大きなお世話であり、「使用者の従業員の私生活への介入」という不法行為である。 (株)一条工務店の天野隆夫は「女の子は気を配って気を配ってしてやらないと辞めてしまうから。男は何を言っても辞めないから何を言ってもいいんだけれどもな」と、そうも言ったのだが、天野はそう思っていたらしいが、言ってる側は「何を言ってもいい」と思っていたようだが、言われていた側は決して何を言われてもいいとは思っていない。むしろ、天野が私に何を言ったかは地獄の底まで決して忘れはしない。そういう発言について(株)一条工務店が放置していた「保護義務違反」についても決して忘れはしない。
   (2017.12.24.)

小樽殺人事件―浅見光彦×日本列島縦断シリーズ (光文社文庫)
光文社
2012-08-08
内田 康夫

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 小樽殺人事件―浅見光彦×日本列島縦断シリーズ (光文社文庫) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


≪ 「それはまだ分かりません。遺書だとか、そういったものは残していないし、家人の話では思い当たることはないと言っておるのですが、しかし、もうじき四十になろうというオールドミスですからね。人知れぬ悩みを持っていたとしても不思議はないでしょう」
  鳥羽は無意識に喋っているが、浅見はオールドミスという言葉が嫌いだ。男性でも女性でも、結婚しないことについては、それなりに事情があるだろうし、人によっては主義でそうしているケースもあるにちがいない。それなのに、世間は「オールドミス」という、一種、侮蔑的な意味をこめた言葉でレッテルを貼ろうとする。・・・≫
( 内田康夫『小樽殺人事件』2012.8.20. 光文社文庫 ↑)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック