祐天寺(東京都目黒区)参拝【1/7】祐天寺商店会・表門・仁王門。警察は犯罪者の味方。内田康夫の変節?

[第573回]
   東京の渋谷から東急東横線の各駅停車に乗ると3つ目に「祐天寺」という駅があります。 駅の目の前にお寺があるわけではありませんし、駅から周囲を見まわしても見えませんが、それほど遠い場所ではない。 今は昔、1980年代前半、「大学生」であった時、家庭教師を紹介する店の紹介で、この近所の家に週に2回、高校3年の息子の家庭教師に訪問していたことがありました。 あんまり、勉強しない息子で、私もそれなりに努力したつもりでしたが、行くと、遊びに行っていないとかいうことが何度もあり、「代わってやりたい」気持ちになったりもしました。その頃、相撲中継で、ずるずる負けてしまった力士の相撲を見て、解説の玉の海梅吉さんが「なんですか。この相撲は。こんな相撲なら私でも勝てますよ。代わってやろうかて気になります」と話したのを聞いたことがありましたが、そんな気持ちになったこともありました。ともかく、何度も通った場所なので、祐天寺駅周辺には思い入れがあります・・・・が、何十年ぶりかで下車してみますと、駅の東側にあったロータリーは今もあり、駅から東に伸びる祐天寺商店街も今もありますが、ずいぶんと雰囲気が変りました。 訪問していた家は、祐天寺通りで店をされていたのですが、息子に継がせたいという気持ちは特になかったみたいでしたが、実際、継がなかったのか、その店は見当たりません。 駅前に中華料理屋があって、「半チャンラーメン」(チャーハン半盛+ラーメン)を何度か食べましたが、その店も見当たりません。
   駅名になっている寺社としては、東急の沿線では大井町線の「九品仏(くほんぶつ)」があります。 東京では、他に、駅名になっている寺社としては雑司ヶ谷の「鬼子母神前」とか船橋の「大神宮下」とか、関西では兵庫県宝塚市の「中山寺」「中山観音」、「清荒神」、「売布神社」、西宮市の「門戸厄神」、大阪府豊中市の「服部天神宮」、大阪市の「住吉大社」、「今宮戎」、阪急京都線の「総持寺」、嵐山線の「松尾大社」、京阪の「清水五条」など思い浮かびます。駅名になるくらいだから、相当規模が大きい寺社か、現在の敷地や建物はそれほど大きくなくてもけっこう由緒があるかだろうと思いがちなのですが、面白いのが、千葉県鎌ケ谷市の新京成電鉄「鎌ヶ谷大仏」駅のそばにある鎌ヶ谷大仏。悪いとは言いませんが・・・、悪いとは決して言いませんが、鎌ヶ谷大仏さんの前の道をクルマで通りますと、いつ行っても、「ええ、これえ~え?」みたいな顔したにーちゃん・ねーちゃんがいたりします。だって、ちっちゃいんだもん。大仏さんが悪いのではないのですが、駅名になっているくらいだから、奈良の大仏とか千葉県の鋸山の大仏とかほど大きくないとしても鎌倉の大仏くらいの大仏さんがおられるのではないか・・・と思って行くと、悪いとは言いませんが、ちっちゃいんだもん。で、「祐天寺」はどうなのか・・・・。 本山とか大本山とか総本山とかいったお寺ではない。作られたのは江戸時代。奈良・平安・鎌倉の時代からあるお寺ではないし、歴史の教科書に名前が出てくるお寺ではないし、始めた坊さんの名前も中学校の歴史・高校の日本史の教科書に名前が出ている人ではない・・・・が、《ウィキペディア―祐天寺》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%90%E5%A4%A9%E5%AF%BA を見ると、本堂・書院・地蔵堂・地蔵堂門・表門・水屋が「国の登録有形文化財」に指定されているらしい。「祐天寺」という名前は、「祐天」という坊さんの名前からつけられたらしく、祐天は江戸時代の人らしい。
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( ↑ 祐天寺 本堂。 祐天上人像を安置。 国登録有形文化財。)
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( ↑ 祐天寺 阿弥陀堂。 阿弥陀如来像を安置。 目黒区指定有形文化財。)

   建物の規模・敷地の広さなどから考えると、中規模のお寺のようです。その宗派の主要な仏さんを祀るのが本堂で、開山とかを祀るのは開山堂かと思ったのですが、ここでは、本堂で祐天上人を祀り、阿弥陀堂で阿弥陀像を祀っているようです。

   祐天寺駅を出て東側にロータリーがあります↓・・・・が、今回、祐天寺駅は工事中。
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今は昔、このロータリーに面した場所にあった中華料理屋で「半チャンラーメン」や「チャーハン+餃子セット」を食ったことがあったのですが、その店は見当たりません。
  そのロータリーの真ん中あたりを東に進む商店街が「祐天寺商店会」の通りです。↓
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↑の「祐天寺商店会」の通りを進むと、都道416号(駒沢通り)に出ます。 

   都道416号(駒沢通り)を都心方面に少し歩くと、「祐天寺 表門」↓ が見えてきます。
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↑ 「祐天寺 表門」 ウィキペディアによると、国の登録有形文化財に指定されているらしい。
  「新東京八名勝」と書かれた石碑が表門の右手前に建っていますが、「新東京八名勝」とは何ぞや? ・・・インターネットで検索してみたところ、《都内散歩 散歩と写真 新東京八名勝》http://blog.goo.ne.jp/benten439/e/7eb414135b696a54626137f8fead7c28 に載っていました。≪ 1932年に報知新聞社が東京市拡張を記念する目的(隣接五群八十二か町村の編入によって、東京市はこれまでの十五区から三十五区になった。この時の人口は約500万人)と報知新聞社の新聞発行二万号の記念とを兼ねて行った≫ものだそうです。1932年(昭和7年)といえば、「ひどく災」(1931年)の満州事変の翌年。
池上本門寺(大田区)、
洗足池(大田区)、
北品川 天王社(品川神社)(品川区)、
西新井大師(足立区)、
日暮里 諏訪神社(荒川区)、
赤塚の松月院(板橋区)、
亀戸天神(江東区)
と 祐天寺(目黒区)の8つらしい。 私は、このうち、池上本門寺・西新井大師・洗足池・亀戸天神と今回の祐天寺の5カ所に訪問したことがあります。
  池上本門寺は、1990年、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホームhttp://www.sxl.co.jp/ 〕に在籍した時、目黒区の自由が丘住宅公園という総合住宅展示場〔今は総合住宅展示場はなくなり、マンションになっています。〕に出展していた自由が丘展示場に勤務してくれと転勤辞令を受けて、「この漫才で田園調布に家が建つ」というフレーズがあり、王貞治とか国松とかいった有名人の家が近くにあるような高級住宅街にある住宅展示場に通える場所でアパートを借りるのに、まだ、クルマの運転に慣れていない人間がクルマで通勤できる範囲で、高級住宅街にある店に勤めるとしても自分は高級住宅街の住人のような給料をもらえるわけでもない人間が住める場所として捜してなんとか見つけたのが大田区上池台のアパートで、そこから最寄駅の都営浅草線「西馬込」駅が最寄といってもそれほど近くはないけれども、頑張れば歩いてでも行けないことはない場所にあったので、行ってみたことがあります。力道山のお墓があるというので有名ですが、実は日蓮宗の本山であり、相当由緒のあるお寺です。
  洗足池は、大田区の上池台に住んでいたことがあり、池の近くに洗足池図書館があって何度か通いました。1990年代初め、父が危篤になった時、父は大阪の病院に住んでいたため、夜、危篤だから来てくれと言われたものの、いったい、どうやって行くのか、新幹線は最終の電車に間に合わないし、それより、お金を銀行から出してこないといけないが、今のようにコンビニにATMなんてありませんし、銀行のATMももうしまっている、どうしようと思ったのですが、義兄がクルマで大阪まで乗せてくれて、その時は助かりました。 それ以来、もしもの時のために、その時に使う必要はなくても、何万円かは常に持っておくようにするようにしました・・・・が、そうやっていくらかのお金を持っていると、1990年代終わり、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ に在籍した時、栃木県佐野市の営業所に在籍した時、営業所の人間で忘年会として近所のスナックに行った時、帰り、スナックの暗い場所で、それぞれの人間の支払い額を計算していても、わかりにくいので、私がたてかえて支払って、その後、営業所(展示場)にいったん戻る予定でしたので、「俺が立て替えて払うから、展示場に戻ってから、各自の分を払って」と言って私が立て替えて払ったところ、私は高齢の母と離れて暮らしていたので、もし、母に何かあった時には大急ぎで母の所に行かないといけないし、入院費などとりあえずいくら払ってくださいと言われることがあるので、そういうことのお金として持っていたものから立て替えたにもかかわらず、所長の五十嵐のお気に入りらしい上岡(男。当時、40代前半)が、どうやら、嫁に隠れてスナックのホステスと旅行に行ったりしていたようで、そういうカネが必要であったらしく、こちらはカネを貸してやったつもりはなく、あくまで、スナックから展示場の事務所までの間だけ立て替えたつもりでしたが、いつまで経っても払わず、そのうち、「今、給料日前だからお金ないから後にしろ」などと、自分の倍ほど在籍している先輩社員で実績も上の私に対してそういう口をきき、「給料日前だと言われても、同じ会社に勤めている以上、私も給料日前なので、返してもらわないと困るんです」と言うと、「うるせえ。この野郎」と言って、蹴りかかってきたということがありました。さらに、上岡は、自分が私に暴力をふるって怪我をさせておきながら、佐野警察署http://www.pref.tochigi.lg.jp/keisatu/hiroba/sano/ に私から暴行を受けて怪我させられたと訴え、佐野警察署刑事課の「長井」は私の自宅に電話をしてきて、「上岡さんに怪我させたんだろうが。ごらあ! 傷害罪で送検していいのか、おらああ!」と恫喝を加えた、ということがありました。上岡が人間として程度の低い人間であることはあきらかですが、それと仲がいい五十嵐もまた所長として程度の低い人間ですが、それ以上にけしからんしなんとも怖い存在が佐野警察署です。警察は犯罪者の味方です。
〔この件については、
[第173回]《「誤認逮捕」で警察が「謝罪した」ケースと謝らないケースはどこが違うの? 及、職場の「ひまわり」の傲慢》http://shinkahousinght.at.webry.info/201303/article_6.html の 2.
[第214回]《職場で他の従業員からカネを騙し取るのは「営業力」だろうか?【上】新聞代、人が買った切手、飲み会代金》http://shinkahousinght.at.webry.info/201312/article_2.html の【2】、
[第416回]《本当にあった笑えない話―「休日出勤」と嫁には話してホステスと出かける男。本当にあった怖い佐野警察署》http://shinkahousinght.at.webry.info/201606/article_1.html 【2】、
でも述べました。 〕
〔「推理作家」の内田康夫の作品はなかなか面白く、他の大部分の推理作家と違って「推理小説」というよりも「純文学」としても通じるのではないかと思えるものが少なくないし、「浅見光彦シリーズ」では、浅見光彦が警察から因縁つけられたりするあたりのいきさつについては、内田康夫は、実際に警察と関わったことがある人で、警察の嫌らしさ汚さというものをある程度以上知っている人ではないかとも思ったのですが、しかし、『孤道』〔2017.5.20.毎日新聞社〕という未完成作品において、浅見光彦が、「おれだって警察は苦手だ。高速道路でパトカーや警察官を見るとゾ~ッとするよ。しかし違反や後ろ暗いことがなければ、警察は頼りになる存在であることは間違いない。いや、弁護するつもりはないけどさ」という発言をしているのを見て、浅見は転向したのか?!? あるいは、このあたりが「警察庁刑事局長さまの弟ぎみ」という水戸黄門の印籠みたいなもの持った男の限界だったのか、という気がしました。内田康夫も、結局、浅見にこういう発言をさせるような人間だったのだろうか・・などとも思いました。「違反や後ろ暗いことがなければ、警察は頼りになる存在である」などと言うというのは、やっぱり、浅見光彦は「警察庁刑事局長の弟ぎみ」なんだな、そういう男だったんだなという気がして、がっかりしました。実際には、「違反や後ろ暗いことがなければ、警察は頼りになる存在」かというと、決してそうではありません。警察は犯罪者の味方であり、警察は被害者の敵であり、警察は被害者にとっては凶悪なゴロツキです。 警察こそ「反社会的勢力」です。かつ、検察はその下請け、裁判所は孫請けです。弁護士は、「〇日までに〇十万円振り込んでください」と要求して振り込ませて、振り込んだが最後、働かないという、「振り込め詐欺」「着手金泥棒」です。
  警察は犯罪者の味方・被害者の敵です。浅見光彦は、内田康夫『孤道』より前の作品においては、警察が犯人を見逃して犯人でもない者をいじめる姿勢、頼りにならない点を述べてきたのに、脳梗塞になってしまったらしい内田が復活できなければ、最後の作品になる『孤道』において、これまでの支持者を「排除」するかのような発言をしてしまっている。これまでは、その直前の作品『遺譜 浅見光彦最後の事件 上』(2016.7.31. 角川書店)においても、≪ 「・・・警察としても、この際は表立った動きはしないで、むしろ浅見さんをサポートする役に回るようにとのことです。」・・・・ ありがたい申し出だが、本当にそういう事態が生じるものかどうか。現実に生じたら、警察がうまいこと対処してくれるものかどうか、頼もしいというより、にわかに心もとない気分になってきた。≫と書かれているように、警察は頼りにならん、警察は加害者でもない人間ばっかりいじめる、ということを浅見はいやというほど見てきた・・・はずなのに・・・この変節は何だろうか・・・・。若い頃、ベトナム戦争はアメリカ合衆国の白人が始めた侵略戦争で黒人が協力する理由はないとしてベトナム戦争従軍を拒否してチャンピオンのタイトルを剥奪されたモハメド=アリは、晩年、パーキンソン病になって気が弱くなったのか、いくらか権力寄り・体制よりになったとか言われたりしたが、内田康夫も脳梗塞になって気が弱くなってしまったのか・・・・。
   いざと言う時、警察が頼りにならない例としては⇒[第130回]《110番通報すると警察は来てくれると思いますか? 何分以内に来れば「来た」と言えると思いますか? 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201209/article_4.html 〕
   2000年代初め、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の佐野営業所(展示場)〔当時は、栃木県佐野市浅沼町にありましたが、今は浅沼町の総合住宅展示場はなくなり、佐野展示場は佐野市の南部に移転したようです〕にいたとき、新聞屋の集金のおばさんが来て、近くにいた佐野営業所で最も在籍年数が長く歳も上である高木義夫〔男。当時、50代。創価学会員〕に、「新聞代をお願いします」と言ったところ、高木のおっさん(創価学会員)は、なんと言ったかというと、「あっ、財布、クルマの中においてきた」とナマ言ったのです。 あきれた。 そして、私に「新聞代、立て替えられる?」と言うので、情けない男だな、あきれた男だなと思いながらも、立て替えてあげました。 ここまでは、「あきれたオヤジだな」「困ったおっさんだな」で許せます。しかし、私が立て替えたところ、「おっ、さすがっ、独身貴族! さすがっ!」などと言って茶化したのです。いいですか。20代なかばくらいの年齢では、すでに結婚したが子供はまだという人もおり、結婚して子供もできたという人もおり、まだ、結婚していないという人もいるという年代においては、結婚して子供ができると、家族手当がもらえるとしても、それでも、家族手当より実際に子供にかかる費用の方が多く、独身の人間は給料の使い道を自分で決められるのに対して、結婚すると家族とともに考えないといけないという点で、独身の人間の方が自由に使えるお金があるということで「独身貴族」ということはありうるのですが、すでに40を過ぎて独身でいる人間というのは、その後、結婚して子供を持つ場合、結婚はするが子供はできないという場合、その後も結婚できずに一人で過ごすという場合、そのいずれを考えても、むしろ、かえってお金はいるのであり、決して、絶対に「独身貴族」ではありません。すでに40を過ぎて独身でいる人間に対して、こういう口をきくというのは、これは、「喧嘩を売っている」と理解するしかないのです。私は「慶應義塾の卒業生として」、高木義夫のような「高卒のしょーもないおっさん」の言うことやることにいちいち腹を立てるのは大人げないと思って我慢してきたのですが、我慢すると、我慢するのが当然、「底辺の高校卒の人間」は「慶應大卒の人間」には我慢させる権利がある・・・・みたいに思うようになっていたのです。そんな「権利」なんか、ありませんからね。 そもそも、「あっ、財布、クルマのなかに置いてきた」というセリフは、これは、本来なら自分が立て替えるべきものをひとに立て替えさせよう、本来なら自分が払うべきものをひとに払わせようとする人間が口にする「定番」の文句なのです。そんなもの、財布などというものは、クルマに置いておくものと違います。 ま~た、このくそオヤジ、カマトトしてからに、と思いましたが、はい、はい、この人はそういう人なんだと思って、我慢して私が立て替えてあげたのです。そして、会社というのは、本来、そういう時に、ひとがしない我慢もする人間をリーダーにして、役職手当をつけるものですが、ところが、(株)一条工務店という「学歴コンプレックスの塊の経営者の会社」では、逆に、そうやってひとに我慢させた人間の方を、営業成績にかかわらず、「リーダー」にならせるのです。(株)一条工務店というのはそういう会社でした。私は、高木義夫のこういった態度についても、会社に言いましたし、対処してほしいということも訴えましたが、何もしません。又、高木のような態度をとる人というのは、本来、そういう態度をとってはいけませんと従業員に指導するのがリーダーですから、そういう態度を自分が撮っている人はリーダーにはならないものだと思いますが、ところが、そういうおっさんが「リーダー」になりたがるのです。なりたいなら、「リーダー」として、そういう高木のような態度をとる人間に注意しないといけないはずですが、ところが、自分がそれをやるのです。そして、営業本部長はそういうおっさんの味方なのです。
〔この件については、
[第214回]《職場で他の従業員からカネを騙し取るのは「営業力」だろうか?【上】新聞代、人が買った切手、飲み会代金》http://shinkahousinght.at.webry.info/201312/article_2.html 【1】
でも述べました。 〕
   1990年代なかば、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ で福島県いわき市の営業所にいた時、同じ営業所にいた自称「父親は入墨を入れている。父親は暴力団小名浜一家の組長。自分は中学生時代に同級生を殴って失明させたことがある。高校生時代は暴走族のリーダー。極真会空手の有段者。傷害罪の前科がある。いわき市の高校を卒業した後、千葉工大に行って4年で中退したが、千葉工大在学中、ホストクラブにアルバイトで勤めていて、その時、覚せい剤をあつかったことがあり、ヤクザともつきあいがある。」というM上(男。当時、20代後半)は、サラ金でカネを借りまくって、スナックやクラブのホステスに「いい顔」をしようとする男でしたが、私が、翌朝、早朝から見込客を案内しないといけないという前夜に、私が断っているのに自宅まで押しかけてきてあがりこみ、カネを貸してくれと言って帰らず、「あした、朝、早くからお客さんを案内しないといけないので、きょうは帰ってください」と言っても帰らず、根負けして、貸すと返さない。 そういうことが複数回あり、さらに、私が客宅から帰ってくるのが遅いと怒り、「おまえからカネをかりて◇◇さんと飲みにいってやろうと思ったのにいけなくなったじゃないか。どうしてくれるんだ、こらあ」と怒鳴りつけ、「ヤクザもんに、そういう態度とってどうなるか、わかってんのか。ごらあ。俺のような暴力団関係者にそういう態度とるとどうなると思ってんだ。おまえ、帰ってきたら、締めてやるから覚えて置け。指つめんのか、ごらあ」とか言って脅されるということが何度もありました。金属製の椅子で殴られて怪我させられるなど何度も何度も怪我させられました。営業本部長の天野隆夫と会った時に、当然のことながら、それを話すと「申し訳なかった」くらい言うものだと思って話したところ、「おまえ、独身だから、カネいらんだろうが。同じ営業所の同僚のためなら、家を売ってでもカネつくって渡すものだろうが。何、考えてんじゃ、おまえはあ!」と怒鳴り付けられました。 怖い会社です。私が親から相続した家を売って、サラ金からカネを借りてホステスに「いい顔」をしようとする男にくれてやれと(株)一条工務店の営業本部長は言うのです。(株)一条工務店というのはそういう恐ろしい会社なのです。(株)一条工務店は、継続的に何度も何度も「保護義務違反」を繰り返してきた不良企業です。
  亀戸天神は、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ に在籍した時、亀戸駅と錦糸町駅の中間あたりに城東ホームセンターという総合住宅展示場があって(今はショッピングセンターになって住宅展示場はそこにはありません)、その中に展示場を出展していて、1992年、工事中から、工事の手伝いにも行き、土日に工事中建物の前に立って前を通る人に誘いかけたりなどもしました。日曜日、工事中建物の前で建って、見学を誘っていたところ、夕方、三井ホームのおばさんが、帰りがけに、「浜松からこんな所まで来て大変ね。頑張ってね」と、浜松出身でもない私に言って帰ったなんてこともありました。なんだか、格下の会社の人間に哀れみをこめて言うような言い方で、なんとも、つらい思いをしました・・・・が、(株)一条工務店の遠州人は、東京地域の営業がそういった苦労をして営業やっているなんて少しも認識しておらず、浜松駅からタクシーに乗って、「倉松町の一条工務店」と言えば、道順を説明しなくてもタクシーの運転手は誰もが知っている、(株)一条工務店はそういう会社だ! と心の底から思い込んでいたのです。まったく、つくづく、遠州人〔(株)一条工務店の遠州人〕というのは独善的で自分たちさえよければいいという身勝手、思い上がりの塊の人種でした。亀戸天神はそこから遠くない場所です。(株)一条工務店の遠州人というのは、ともかく、「一条工務店」という名前さえ出せば、それで信頼してもらえて住宅について相談に乗ってもらおうとしてもらえるというそういう場所でのみ仕事をしてきた人間で、「知っている人は知っているけれども、知らない人は知らないというくらいの知名度の会社かと思います」と言うと、「そうかしら。全然しらないわ。一条工務店なんて知っている人なんて誰もいないわよ」と言われる場所、三井ホームのおばさんから、私は浜松出身でもないのに「浜松からこんな所まで来て大変ね。頑張ってね」とバカにしたような言い方で言われる場所で仕事をしたことはないし、絶対にそういう場所には自分は勤務しない、それでいて、えらそうな口だけきくというそういう連中でした。

   表門を入って正面にあるのが、「仁王門」で、目黒区指定有形文化財に指定されているらしいのですが、工事中。↓
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   さて、祐天寺というお寺ですが、祐天寺でいただいたリーフレットというのか由緒書というのかによると、浄土宗のお寺で、「明顕山 祐天寺」と言うようです。
   「祐天(ゆうてん)」というのは、江戸時代のお坊さんの名前で、お坊さんの名前が寺の名前にもなっているくらいで、存在感のあるお坊さんだったようです。 但し、真言宗とかなら特に問題もなかったのかもしれませんが、浄土宗のお坊さんでありながら、呪術師というのか、魔よけみたいなこともしていたことから、異端の扱いを受けたりもした・・・・と何かの雑誌に載っていたのを見た記憶があるのですが、その雑誌がどこかにいってしまって見つからないのですが、載っていたのはたしかです。
   祐天寺でいただいたリーフレットによると、「祐天(ゆうてん)」というお坊さんは、江戸時代中期の浄土宗の僧で、1637年、今の福島県いわき市四倉(よつくら) で生まれ、江戸(東京)の港区芝の増上寺で修行をしたらしく、50歳の時に増上寺を離れて、墨田区の牛島に草庵を結んで念仏三昧の生活をしたが、1711年に、六代将軍家宣から増上寺36世住職を命じられた。 一度、引退した身から、増上寺住職へと出世をとげたのは前代未聞のことであった。1714年に増上寺を退隠した後も念仏と名号書写の生活を送り、1718年に、82歳で「遷化」したらしい。
   祐天寺は、「念仏の道場を建ててほしい」という祐天上人の遺命を受け、弟子の祐海上人が享保3年(1718年)に建立した。当時は新しい寺院の建立は禁止されていたが、八代将軍吉宗の「お取り計らい」(忖度?)により、善久院(ぜんきゅういん)という小庵に祐天寺の名を付す形で建立が特別に許可された。 将軍家から寄進された諸堂宇によって伽藍が整えられ、多くの参詣人で賑わう念仏道場として発展したが、1894年(明治27年)〔日清戦争の年〕に火災により、本堂などを焼失した。 1898年(明治31年)に境内にあった将軍家代々の御霊殿を本堂として曳き移し、そこへ内陣・外陣を増築して復興した。 その後も増改築をおこない、2007年(平成19年)から2017年(平成29年)にかけて免震工事が施され、現在に至る・・・ということのようです。
   しかし、「祐天(ゆうてん)」というお坊さんは、それよりも、むしろ、茨城県常総市の鬼怒川の累ヶ淵(かさねがふち)という所で、「怨霊調伏」をした人として有名で、これが「呪術師」として評価されるとともに、又、密教ならともかく、浄土宗の僧としては異端であるとしてマイナスの評価を受けたりもしたようです。
   「累ヶ淵」とは、《ウィキペディア―累ヶ淵》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AF%E3%83%B6%E6%B7%B5 によると、≪ 茨城県常総市羽生(はにゅう)町の法蔵寺裏手辺りの鬼怒川沿岸の地名 ≫らしい。常総市とはどこかというと、つくば市の西隣り。 鬼怒川が南北に流れており、法蔵寺は鬼怒川の西側(右岸)にあり、鬼怒川の東側(左岸)を関東鉄道常総線が南北に走っており、法蔵寺の鬼怒川を隔てた東のあたりに「中妻」駅がある。「中妻」駅のひとつ南側の駅が「北水海道」、その南が「水海道」で、常総市というと聞きなれないけれども、「水海道市」というと、はあん、あのあたりか・・・と思うのではないかと思う。常総市には長塚節の生家があるらしい。
※《ウィキペディア―常総市》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E7%B7%8F%E5%B8%82

( ↑「i」マークが、法蔵寺。 )
   仁王門から本堂に向かう途中の右手に「かさね塚」があり、本堂の左手にある「仏舎利殿」の前に、祐天が累ヶ淵の怨霊となっていた「累(かさね)」を成仏得脱させる絵が描かれている。

   この続きは、次回
《 2.地蔵堂・地蔵堂門・子守地蔵・水子地蔵。「寅さん」「鬼太郎」「マグマ大使」「パンダ」浅見光彦論。》 http://shinkahousinght.at.webry.info/201712/article_6.html


※ 祐天寺HP http://www.yutenji.or.jp/index.asp
 《ウィキペディア―祐天寺》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%90%E5%A4%A9%E5%AF%BA

   (2017.12.24.)

孤道
毎日新聞出版
2017-05-12
内田 康夫

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↑ 内田康夫の『孤道』(2017.毎日新聞社)は、これまでの内田康夫の作品と比較しても、相当の大作となりそうな気配を感じさせる「書き出し」部分でしたが、残念ながら、内田康夫が脳梗塞に倒れ、執筆が困難になったらしい。 その後を引き継いで小説を完成させる人を募集しているということですが、この毎日新聞社から『孤道』として発行された部分は、起承転結の「起」くらいでしかなく、しかも、内田康夫が相当の量の作品を書いた年の大量生産作品などと違って、相当に凝ったものであり、これからの展開を作り上げるのは簡単ではなさそうです。インターネットで見ると、33歳を続けてきた浅見光彦が、『遺譜-浅見光彦最後の事件』で、34歳の誕生日を迎え、「青年」として通じる最高齢であった33歳を超えて、「大人」として生きるしかない年齢の34歳に入ったらしいのですが、これは、作者としては一大決心だったのではないかと思います。 33歳の青年、浅見光彦という設定で事件を書き続ける限り、おそらく、作品は「売れる」でしょう。 金田一少年はいつまで高校生やってるのかとか思いますが、高校生をやめてしまうと、金田一少年でなくなってしまうわけで、浅見光彦も「青年」で通じる最高齢の33歳だから浅見光彦であり、34歳という「大人」として生きるしかない年齢になってしまうと、「浅見光彦シリーズ」はその後も通じるのかどうかわからないわけですが、それでも、浅見光彦を34歳にならせて、新たな展開に挑戦しようとした作者の姿勢については、成功するか失敗するかにかかわらず、評価したいと思います。そして、34歳の浅見光彦が取り組んだのが、もしかすると、内田康夫の最大の傑作になったかもしれないと思える『孤道』でしたが、起承転結の「起」の部分だけで、他の誰かに続きを書いてもらおうということになってしまいました。内田康夫は『汚れちまった道』の中で、中原中也のファンクラブの人たちが山口県にいっぱいいるらしいけれども、はたして、その人たちは本当に中原中也の詩を理解しているのだろうかと疑問を述べていますが、これは、同時に、浅見光彦倶楽部というありがたい存在ができても、ありがたいことは間違いないとしても、はたして、浅見光彦倶楽部の人たちは、内田康夫と浅見光彦について十分に理解してくれているのだろうかという不安もまた感じたのではないでしょうか。 私は少なくとも、内田康夫の作品の「解説」に人畜無害なことを書いている人よりも、内田康夫を評価して理解していると思ったので、もし、なんなら、私が『孤道』の続きを書いてやろうかと思ったりもしましたが、アマゾンで購入して読んでみると、これは、そう簡単ではない。 内田康夫以外の人間が、この続きを書くというのは、並大抵のことではないだろうと思いました。「内田さんあっての浅見さん」「浅見さんあっての内田さん」という部分については、私はよく理解して、そこの部分なら書けるだろうと思ったが、この『孤道』は内田康夫のこれまでの作品と比較しても、相当の大作を作ろうとしたもので、並みの作品を完成させる能力でできるものではなさそうに思えます。もし、このまま、未完成で終わったとしても、それでも、浅見光彦最後の事件として価値があるのではないかと思うし、内田康夫も、『孤道』の著者紹介によると、1934年生まれで、2017年現在、83歳。今回、脳梗塞になったとしても、命に別状があるわけではないとしても、この後、いくつまで生きられるか、いくつまで執筆できるかわからない年齢になってきたわけで、その年齢において、浅見光彦という内田康夫が作り上げた「33歳の青年」というキャラに誕生日を迎えさせて、「青年では通じない年齢の34歳」にならせて新たな展開を始めようとした、というのは、成功するか失敗するかにかかわらず、その精神は評価したいと思います・・・・が、↑に引用した浅見光彦の発言に見られる、警察に対する評価の「変節」「転向」には疑問を感じます・・・。 
 (2017.12.24.)

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