学校で学ぶものは役に立つのか立たないか。「内部進学」VS「私立受験校卒」VS「公立伝統校卒」VS・・

[第586回] 会社と営業の話(138)‐1
   1989年(平成1年)に小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)http://www.sxl.co.jp/ 〕に入社した際、1988年(昭和63年)に慶應義塾大学に同社が出していた求人票には「応募条件」として、
営業系(営業・人事・総務・経理など)・・・4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人
技術系(設計・工事・工務〔積算〕・アフターサービスなど)・・・4年制大学の建築学科・土木学科卒の人
と記載されていたはずだ。 慶應義塾大学には建築学科や土木学科はその頃も今も存在しないので、この求人票の記載は、慶應義塾大学に出すため特定の表記ではなく、すべての大学への共通の表記であったと考えられる。 又、同社は、大阪万博があった1970年(昭和45年)より前から、「小堀住研はミサワあたりとは違って大卒しか採らない会社なんです」と言いまくってきた。 1989年(平成1年)に同社に入社すると、新卒入社社員向けの本社研修において、講師役できた社員が「小堀住研は、昔から大卒しか採らない会社としてやってきました」と話し、営業系と技術系に分かれての合宿研修での営業系合宿研修においても、「住宅建築業の会社でも、ミサワあたりでは高卒の営業が多いのですが、小堀住研は昔から大卒の営業の会社で、ミサワあたりとは小堀住研は営業という職種の社会的位置づけが異なります」と教えられた。 そして、顧客から「小堀さんは営業が違いますね」と言われた時に、「うちは一部上場ですから」という文句を言うと効果があるとも言われた。そして、経歴を印刷して見込客に渡すというのを営業の作戦として教えられたが、そのあたりも、「高卒の営業の会社」に対して「大卒の営業の会社」として差別化をはかろうという意図があったらしかった・・・・が、その割に、入社して配属されてみると、なぜか、高卒の人がいた。 かつ、新卒入社で同期入社の人間と会った際に出た話では、そういう「高卒の人間が矢鱈とえらそうにしている会社」だということで不満の声が出ており・・・というより、大卒の新卒で入った人間は少なくない人間が怒っていたのだ。私も不快に思うことはあったのだが、ともかくも、「慶應義塾大学商学部の卒業生として入社」した人間が、高卒の人間にいちいち腹を立てるのは大人げないと思って我慢してきたのだが、それにしても、限度を超えているのではないかと思うことはあった。

   日本の小学校から大学までの学校では何を学んでいるか。 遠山啓『競争原理を越えて』(1976.1.31.太郎次郎社)では、小学校から中学校にかけて、「術」的なものを学び、その「術」を使って、中学校から高校・大学にかけて「学」を学び、その「学」から「観」が形成されていくといったことが述べられている。 末川博『法律』(岩波新書)では、大学の一般教養課程において「すべてについて何か」を学び、専門課程において「何かについてすべて」を学ぶ、といったことが述べられている。
   遠山啓『競争原理を越えて』(太郎次郎社)については、部分部分について(各論について)はもっともな記述もあるが、全体としては(総論としては)賛成できかねると私は思っているが、「術」⇒「学」⇒「観」 という考え方については、すべて理想的かどうかはさておき、公立小学校→公立中学校→公立高校→国立大学 と進む者の場合、基本的にはこの構図になっていると思う。 しかし、慶應の内部進学の人たちの場合はそうではないようだ。慶應の教授はこう言われるのだ。「小学校から高校までの勉強は害があるんだ。わかってんのかあ」と。「おまえら学部の者は、自分たちは勉強ができる優秀な人間だとでも思ってるんだろお。そんなものは何の価値もあるものか。それに対して、我々内部進学の人間には、『塾風』というものがある」と、そうおっしゃるのだ。で、その「塾風」て、そりぁ、いったい何なんだ? というと、結論としては「慶應の内部進学の人が持っている何か」で、戦中、「やまとだましい」なんてことを言われたもので、最近でも、豪栄道なんてのが「やまとだましい で勝つ」なんてことを口にするもんだから、だから、よう負けよる・・・・。 後半になって3差のリードしていても、それでも、「やまとだましい」なんてもので勝とうなんて考えるものだからかどうかわからんが、日馬富士に逆転負けする。慶應の内部進学の人が持っているらしい「塾風」というものは、その戦中の「やまとだましい」みたいなものらしい。又、彼らは「我々は塾風というものを持ってるんだ。おまえら外部の者とは違うんだ」という特権意識を持ち、公立高校出身の人間はドジンであるから、植民地のドジンに対しては支配者である内部進学の人間は何をやっても正義であるという意識のもとに、強姦・痴漢その他やりたい放題で、それに異を唱えると「受験勉強の悪影響だ」とか言い出すわけである。遠山啓は『競争原理を越えて』で、「観」というものは、「術」を身につけた上で、その「術」を使って「学」を身につけていくことにより、その「学」から生まれでてくるものであって、「術」→「学」というものなしに、誰かが作り上げた「観」を注入するということは絶対にしてはならないことであると述べているのだが、その遠山啓が決してやってはならないと言う「観の注入教育」をおこなっているのが慶應の内部進学の学校である。
   慶應の教授というのは、彼らが言うところの「外部の者」「外部の連中」に対して(失礼な言い方だと思うが。中国は日本に対して「支那」と言うなと要求するのだが、慶應義塾においては大学から入学した人間の社会的地位は高くないために、「外部の者」だの「外部の連中」だのと言うなと教授に求めることはできず、たぶん、今でも、慶應の教授は講義の最中に教壇で「おまえら外部の者は」とのたまわれていることであろう)、「受験勉強の悪影響だ」と何かと言うのが好きで、「我々内部進学の人間は受験勉強の悪影響を受けていないから」とか言うのであるが、そのひとつとして、どの大学に行くかといったことを考えないという点を彼らはあげる。 これは、私は逆ではないのかと思ったのだ。 どういう学問を大学で学びたいと思うのか、学びたいと思うものを先に決めて、それを学べる大学として最適な所はどこかと考え、できればその最適な大学に行こうとし、もしも、試験の成績を考えてそこが厳しそうであれば、それに準ずるところを選ぶという思考は「受験勉強の悪影響」だそうで、そうではなく、どの大学がいいかという思考は最初から存在せず、行く大学というものは慶應義塾大学と先に決まっていて、学部は何を学びたいかから決めるのではなく、経済学部が一番エライ、その次が法学部で、一番できの悪いのが商学部という思考をする人間というのが「受験勉強の悪影響を受けていない」という思考らしいのだ。なんか、逆と違うのかと思ったが、口に出して、「それは逆と違うのですか」と言うと、「受験勉強の悪影響がそのあたりに出ていると思います」とか「診断」されるので、怖いですねえ~え・・・・・ということになる。 ドジンは支配者に逆らえないということだ。彼ら慶應義塾の支配階級は、自分たちが「『塾風』という『観』の注入教育」を受けてきた人間であるだけでなく、「外部の連中を教育してやらんといかんからなあ」と言うのである。種無しブドウを自分で皮をむいて食べるということができず、人に皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う男が。agriculture を agriculture と読むと、「フン、そんなものは受験勉強の悪影響だ」と言い、おのれは、 agriculture  と発音するヤツが。 要するに、自分たちのそのビョーキをひとにも移したいということらしい・・・。

   末川博が『法律』(岩波新書)の中で述べている、大学の一般教養課程において「すべてにおいて何か」を学び、専門課程で「何かについてすべて」を学ぶという思考は、これは、公立小学校→公立中学校→公立高校→京都大学などの国立大学 と進んだ人間の思考・思想である。それに対して、慶應の内部進学の人たちや慶應の教授はそうは考えない。彼らは、「塾風というもの」を持っており、その「塾風」なるものの上に「が~くもん」という専門分野をのっけるのである。 だから、私のように、公立小学校→公立中学校→公立高校 と進んで、国立大学に行くつもりであった人間からすると、慶應の教授の学問観というものには違和感を覚える。
   私なんかは、慶應の教授や内部進学の人間と関わると、なんか、ビョーキ移されそうで嫌やなあ~あ・・・と思いながらも、結局、嫌々卒業した、というのか、させてもらったというのかで、ともかく、「商学士」の称号を取得した。悪影響うけるからあんまり関わりたくないなあ、なんか、ビョーキ移されそう・・・・とか思いながら、結局、今から考えると、けっこう影響を受けたが、それでも、公立小学校→公立中学校→公立高校・・・→国立大学に行くつもりだったが、何の因果か慶應大学に行ってしまった・・・という人間なので、「このぼくは、中等部から慶應に行ってるんだぞお。我々内部進学の人間は、おまえら外部の者とは違うんだあ。わかってんのかあ!」と講義の最中にお叫びになる慶應の教授先生なんかとは人格が違う。 どんなに頑張って無理しても、雨ニモ負ケス風ニモ負ケス、堪え難きを耐え忍び難きを忍びしても、一緒にはなれん。

   慶應の教授や内部進学の人たちのそういう「塾風」を、下男・婢のごとく彼らに服従することで「学ぶ」ようにすれば、就職に有利なのか? というと、そうとも決まっていないみたいで、私が慶應義塾大学の4年であった時、会社の方から電話をしてきていただいたある会社の人事部の担当者は、「〇〇さん、私はねえ、世の中で、どういうヤツが嫌いと言って、慶應の内部進学のヤツほど嫌いなものはない。まったく、甘ったれたねえ。自分たちは特別だと思いあがったねえ。私はあいつらほど、この世の中で一番嫌いなものはない。 あなたは内部進学と違いますでしょ。あなたは大阪の出身だということだから、だから、この人は慶應大学の学生でも内部進学ではないと思って、それで、こちらから電話させてもらったんですよ」と言われたことがあった。

   『週刊ダイヤモンド 特集 慶應三田会 2016.5.28.第104巻21号』2016.5.23. ダイヤモンド社)という本が出ていて、そこに、「王国の序列」という稿で、「序列化」として、「大学入学組」がカーストの最底辺にいて、その上に「中高入学組」がいて、さらにその上に「幼稚舎入学組」が位置している図が描かれている。
   新しくできた「湘南藤沢キャンパス」(SFC)の総合政策学部・環境情報学部は、昔からある経済学部・商学部・法学部とは「何らかの隔たり」があり、「内部生からは人気がない」とされる。そりぁ、そうだろう。たぶん、内部進学の人たちからすれば、あんなもの、「藤沢慶應大学」だろうが・・・みたいに思われているのではないか。「キャンパスの距離と意識の隔たり」なんて書いてあるが、そんなものだろう。
   そして、片方で、「大学入学組」というカーストの最底辺の階級の上に「中高入学組」があって、その上に「幼稚舎入学組」という頂点がいらっしゃるという「序列化」が存在すると書かれているのであるが、「大学入学組」にもまた、“派閥”があって、「開成・麻布など有名私立高校から流入」という連中がおって、こういう連中は、結局、東大おちたか断念したかのくせして、それでも、自分らは東大受験校出身だ・・・みたいに思うておるわけだ。そして、他方において「トップ公立高校から流入」というのもいて、このタイプはまた、「開成・麻布など有名私立高校から流入」の連中なんか、あんな変な学校の出身の人間よりも自分たちの方が上だとか思うておるわけだ。
   まあ、慶應大学の場合、出身高校で分類すると、「慶應内部進学」VS「外部の連中」 という構図もあるのだが(この場合、「外部」というのは「慶應義塾の外部」という意味合いであり、内部進学の人たちは「最低でも高校から慶應に入った人間が本物の慶大生」などと言い、大学から入学した人間というのは慶應義塾の「外部の人間」という認識なのだが、その基準からいけば、私なんかは筋金入りの偽物! ということになる)、「外部の連中」の中でも、慶應は国立大学よりも試験科目が少なく、試験科目も東大・京大などよりずっと易しいので、「底辺の高校から1浪して浪人中に入試科目だけちょろっと勉強して合格した人たち」というのがおり、「開成・麻布など有名私立高校から流入」対「トップ公立高校から流入」対「底辺の高校から1浪で入学」という構図が存在するのだ。 昔、私が小学生の頃、「南海の大決闘 ゴジラ対エビラ対モスラ」なんて映画があったが、なんか、そんな感じ・・・・・? 片方で、「開成・麻布など有名私立高校から流入」の人間と「トップ公立高校から流入」の人間は、自分らの方が上だとか何か思うておるわけだが、他方において、「底辺の高校から1浪で入学」の人間を見ると、「なんで、あんな奴らと一緒にならんといかんねん」なんて、口に出すかどうかはさておき、心の中では思うておるわけだ。その点において、「開成・麻布など有名私立高校から流入」の人間と「トップ公立高校から流入」の人間は、時として、小異を捨てて大同団結してみたりもするわけだ。
※ 《YouTube-ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘》 https://www.youtube.com/watch?v=OCqAv7jBHk0
   それにしても、「外部の人間は」という表現だが、内部進学の人たちばかりで飲み屋にでも行って話す時にそういう表現をするのならともかく、大学の正規の講義の最中に教壇の上で、教授がそういう表現をするというのはいかがなものか・・・・とか思ったりもするのだけれども、そういう人というのは、10代の時代にそういう教育をされてそういう意識を叩きこまれて来た人たちであり、心の底からそういう人間なので、それを変えろと言っても変わらないし、変えろなどと言うと激怒するであろうし、それが正しいと心の底から信じている人たちであり、「三つ子の魂百まで」というように、死ぬまでその調子で人生を生きていく人たちであり、塾風独善主義は絶対に正しいと信じて「揺りかごから墓場まで」生きていく人なのだから、逆らっても、うるさいだけであるから、逆らわない方がいい・・・・と思う・・・・のだが、百回に一回くらい、どうも、ポロっと口にだしてしまったりするあたりが、私なんかはどうも人間できてないということかもしれない・・・・。 

   慶應の内部進学の人たちを見ると、私のような公立小学校→公立中学校→公立高校 と進んだ人間は、「あの人たちって、かわいそうな人たちだなあ」なんて思うわけだ。 種無しブドウ(デラウエア)を自分で房からちぎって口に運んで食べるということができない、ひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくってしか食べられない人、かつ、それがまともであって、自分でひとつひとつ房からちぎって食べる人間というのは異常な人間だと教育されてきた人たち・・・て、「かわいそうな人たちだなあ」と思うのだが、彼らはそうは思っていないのだ。種無しブドウ(デラウエア)はひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食べるというのが、それが正しい食べ方だと思うておるわけだ。 それが「慶大生らしいスマートさ」であり「塾風を身につけた本物の慶大生」であり、「独立自尊」で「福沢精神」で「ギャルにもてもて」とか思うておるわけだ。
   このうち、「ギャルにもてもて」とかいうやつについては、人間、男と女というのは、似た者同士がくっつく傾向があるので、そういう男はそれに対応するような「ギャル」に「もてもて」になるのではないかと思う。だから、そういう男がいいと思う女には、私なんかは好かれないはずだから、好かれなくていいし、好かれたいとも毛頭思わない。

   ↑ で述べた遠山啓や末川博の学問感については、その認識が最も強いのは「トップ公立高校から流入」の人間で、その前提で身につけてきた学力・学識も「トップ公立高校から流入」のタイプの人間が最も身につけたものが充実していると思う。 それに対して、「開成・麻布など有名私立高校から流入」のタイプの人間には、入学試験ではそれなりの点数を取ったのかもしれないが、そのわりに、小学校から高校までのものを学んだことから身に着いたはずのものが身についていないという人が少なからずいる。 これは、私が、公立小学校→公立中学校→公立高校・・・ときた人間だからそう思うということでもなく、同じように思う人はいたようで、『週刊 東洋経済 2016.10.15. 第6688号 特集 高校力』(東洋経済新報社)に掲載の溝上憲文「人事部は出身高校もチェックしている」には、
≪ 加えて人事担当者によっては出身大学だけではなく、出身高校も指標の一つにしている。ある総合商社の人事担当者はこう説明する。
「名門高校を出ている学生であれば、二流といわれる大学であっても、MARCH(明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学)クラスの中堅大学より底力は上と見ますね。当社は地方の伝統ある高校の出身者をわりあい多く採用していますが、いい意味でのプライドを持っているし、会社に入ってからも、頑張って結果を出している人が多い」 ・・・・・
  一口に名門高校といっても、公立の伝統校もあれば有名大学への進学率が高い私立高校もある。IT関連メーカーの人事担当者は同じ有名高校でも違った見方をしている。
「同じ東京大学や早稲田大学、慶應義塾大学の学生の中でも、どちらかといえば地方の公立伝統校出身者のほうが使える人材は多い。一方で東京の有名私立高校の一部は一流大学に合格するための受験予備校的な勉学システムが確立しており、ある程度のポテンシャルがあれば、そこに乗るだけで結果が出やすい面がある。私から見ればセルフマネジメントを発揮せずに大学に入った人で、受け身の学習能力だ。そういう意味では同じ有名大学でも公立の伝統校を出た学生のほうが活躍してくれるのではという期待感があります」・・・・≫
   もちろん、人間は学校だけで決まるわけではないので、それぞれの学校を出た人の中でも、人それぞれではないかと思うが、一般的傾向として、↑みたいなことはあると私は思っている。

   私の場合は、大学入試において失敗したので、そこで、受験についての認識を新たにしたが、公立高校と私立受験校であれば、もともとは進学校でなかったのが進学成績を伸ばしてきた私立受験校の方が、受験への対策をきっちりととっているというケースがあり、伝統名門公立高校出身者というのは、そのあたりにおいて、私立受験校出身者において甘い部分というのもあるかもしれないとも思うようになった。実際問題として、1970年代後半、私が言っていた頃の北野高校というのは「企業努力が不足している」という面があったと今は思っている。私は、大学入試に失敗した過程においてそのあたりを学んだが、大学に現役でさっさと通った方がいいか浪人した方がいいか2年以上浪人した方がいいかというと、さっさと現役で通った方がいいに決まっているのだけれども、しかし、浪人したことにより、そこで認識の甘さを知る場合もある。
   1981年、私が21歳の時のことだが、東京大学医学部付属病院(俗に、「東大病院」と言われる)http://www.h.u-tokyo.ac.jp/ に医者屋として勤務していた当時30歳だというF山からこう言われたことがある。
「このぼくは、現役で東京大学理科三類に通った人間なんだぞお。きみは東大を落ちたんだろうが。通ったのか。落ちたんだろうが。それも2回も3回も落ちたんだろうが。2年も浪人しても、それでも、文科三類でさえも通れなかった最低のカスだろうが、おまえはあ。違うのか。通ったのか? 通ったのなら通ったと言ってみろ。まさか、このぼくが理科三類にぎりぎり通ったとか思ってないだろうな。このぼくは東京大学の理科三類にゆうゆうと高得点で通ったんだぞお。ぼくときみとは能力が違うんだ。このぼくは、能力が優秀で人格がすばらしくって、何よりこのぼくは謙虚なんだ。 きみとは能力も違えば人格も違うんだ。 わかってんのかあ。能力が優秀で人格がすばらしくて謙虚なこのぼくが、2浪しても東大に通らない、慶應みたいなもんに行ったような最低のカスに言ってやってるんだぞお。わかってんのかあ。きみは慶應しか通らなかったんだろうが。違うのか? 東大に通ったのか? 通ったのなら通ったと言えよ。 どうなんだ? 通ったのか? 2浪してもそれでも東大に通れなかったクズのカスの人間だろうが。慶應にしか通らないようなカスだろうが。 ぼくは能力が優秀で人格がすばらしくって、なにより謙虚な人間なんだ。 能力が優秀で人格がすばらしくて謙虚なこのぼくと、最低のカスのクズのおまえとは人間が違うんだ。自覚しなさい。人間の違いを。わかってんのかあ! 人間の違いを本当に自覚しろ。おまえは慶應にしか通らないような最低のカスのクズの人間だろうが。わかってのかあ! このぼくは東京大学の理科三類に現役でゆうゆうと優秀な点数で通ったんだぞお。ぎりぎり通ったなどと思ってないだろうな。ぼくはきみなんかとは違うんだぞお。このぼくは東京大学の理科三類にゆうゆうと優秀な成績で現役で通った秀才できみとは能力も人格も違うんだ。わかってんのかあ。それをもっと自覚しなさい。自分のことをカスだ、クズだ、どうしようもない最低のカスだともっと思いなさい」と。 そう言われたのだ。
   彼について、私は、最初、彼が自分で、東京大学理科三類(医学部医学科に進学するコース)に現役で通って、理科三類から医学部医学科に進んで卒業したと言っていて、それで、東京大学医学部付属病院(俗に言う「東大病院」)に勤務していたので、それで、本人がそう言うからにはそうなのだろうと思っていたのだ・・・が、彼の↑のような発言を聞いているうちに、なんか、どうも変だと思うようになったのだ。その理由だが、
(1) 私が卒業した北野高校からは、京大や阪大の医学部に行く人はいたが、東大の理科三類に進学する人はあまりなかったし、親戚や知人でも東大の法学部や経済学部に行った人はいても東大の医学部医学科に行った人はいなかったのだが、北野高校から東大に行った人の友人とかそういった人で東大の理科三類の学生の人などに会ったりする経験はあったのだが、そういう人というのは、↑の東大病院に勤務していたFなんかとは感じが違ったのだ。 そういう人というのは、まず、↑みたいなことは口にだして言わないのだ。 「プライド」は持っているだろう。しかし、「開成・麻布など有名私立高校から」の人間にしても、「トップ公立高校から」の人間にしても、「プライド」は持っていると思うが、その「プライド」は↑のF山が口にした言葉のようなものとは、「ちょっと違う」のだ。 それで、「あれっ」と思ったのだ。
(2)  それ以上に、「ええ?」と思ったのは、彼が、「このぼくは東京大学の理科三類の現役で、ゆうゆうと高得点で通ったんだぞお。ぎりぎり通ったのじゃないんだぞお。わかってんのかあ」と言った部分である。
  なぜ、「ぎりぎり通った」のか「高得点でゆうゆうと通った」のかわかったのか?  わからないはずなのだ。 なぜなら、私が高校を卒業した頃も彼が高校を卒業して東大を受けたと自称していた頃も、京大・阪大・神戸大は合格した場合も不合格であった場合も、何点だったかを出身高校の担任の先生に通知してくれたので、通った場合も落ちた場合も、ぎりぎり通った、ぎりぎり落ちたか、ゆうゆうと通った点数だったか、合格最低点に相当差があって落ちたかということがわかったのだが、東大は、京大・阪大・神戸大と違って、通っても落ちても、何点で通った、何点で落ちたというのを教えてくれなかったのだ。 だから、あくまで、「合格」か「不合格」しかわからなかったはずなのだ。それを、なぜ、彼は「このぼくは、東京大学理科三類に、現役で、それも相当高得点で通ったんだぞお」なんて、「現役で」の部分はともかく、「相当高得点でゆうゆうと」通ったなどとわかるのか?  おかしくないか?・・・・と思ったのだ。
(3)   さらに、それ以上に、これは絶対におかしい! と思ったのは、「相当高得点でゆうゆうと通った」としても、だから、何なんだ? それがいったいナンボのもんや? という点である。 私は2年浪人して、その認識を身につけたのだ。 1989年に藤田元司が2度目に巨人の監督に就任した時、「読売新聞」のスポーツ欄で、「『ボロ勝ち、せり負け』は弱いチームのやること」と述べていたのを見た。 山田久志『プロ野球 勝負強さの育て方』(PHP文庫)では、阪急ブレーブスの投手であった山田が、1971年の日本シリーズで巨人と対戦し、1勝1敗の第3戦で先発して、1-0 でリードしていたにもかかわらず、最終回、王に逆転サヨナラスリーランホームランを打たれた場面のことを書いていたが、「王がなんじゃい」と思って投げ込んだ球は、王が苦手とする内角低めぎりぎり、球威も十分、これで終わりじゃあと思ったまさにその瞬間、山田の投げた会心の球を王は見事にとらえて外野席まで運ばれた。コースも球威も悪くないはずであり、あの球を打たれるのでは、もう、王に投げる球は何もない。王は人間じゃない、とまで思ったが、それから考えて考えてしたところ、先輩投手の米田から、あの位置をめがけて投げたのなら高い球ではないが、もしも、あれよりもわずかに下をめがけて投げていたのなら、やっぱり、高いと言われ、考えてみたところ、投げたのは、内角低めぎりぎりのストライクの球であり、何も、ストライクの球を投げる必要はなかった。いかに、王でも、内角低めぎりぎりのボールを投げればよかった。内角低めぎりぎりのボールならいかに王でも打てなかったのではないか。さらに言えば、「野球はともかく勝てばええんや」ということを考えると、あの場面、「セリーグ最強打者の王と勝負する必要はなかった」・・・。 四球で1塁に歩かせてもよかったんだ・・・・と。 この経験から、その後、「男と男の勝負じゃ」とか言うような選手がいると、「青いやっちゃな」と思うようになった、と山田はそういう内容を書いていた。 1972年、パリーグで、前後期制が実施されて、前期優勝チームと後期優勝チームがプレーオフをやって、プレーオフで勝ち越したチームがその年度の優勝という制度になり、前期優勝の南海は、その頃のパリーグでは圧倒的に強かった後期優勝の阪急と対戦した。前期優勝の南海は、後期は阪急にはまったく勝てず、なんと、1分け12敗。 新聞のスポーツ欄にはどこにも「阪急 圧倒的に有利」と書いてあった・・・・が、南海が勝った。後期は阪急に1つも勝てなかった南海は、プレーオフの初戦、後期、唯一、引き分けた試合で好投した西岡三四郎が先発するが、今一つ調子がよくなくて先取点を取られるが、後期、まったく打てなかった阪急 米田からチャンスをつかみ、代打 相羽が逆転タイムリーヒットを打つと、中盤は救援投手の佐藤が押さえ、終盤には左腕の村上雅則をはさんで、最後は先発要員の江本が救援して初戦を取った。第2戦は阪急が勝ち、第3戦は江本が完投勝ち。第4戦は阪急が勝ち。2勝2敗での第5戦、南海 山内、阪急 山田が好投して、8回終わりまで0対0。そのまま、延長になるかと思われた9回表、南海は代打スミスがソロホームラン、続いて1番、広瀬もソロホームランで2対0。 とうとう、後期、1つも阪急に勝てなかった南海がプレーオフを制するのかと思った9回の裏、救援の佐藤が2死までとった後、阪急は代打 当銀がソロホームラン。 1点差になり、阪急は代打の切り札 高井が登場。 もし、ここでホームランを打たれて同点になって延長になると、やっぱり、地力で勝る阪急の方が強いということになるのか、やっぱり、南海は阪急に勝てないのか・・・という場面、南海は2日前に完投した江本が再度当番。なんとか、高井を三振に打ち取り、ついに、3勝2敗で南海は、その頃のパリーグにおいては圧倒的に強かった阪急にプレーオフでかった。 前期優勝とはいえ、前後期通算で勝ち負けを計算すると、1位でないだけでなく、2位でもなく3位の成績であり、プレーオフでも最後の最後まで接戦で、3勝2敗。最後の1勝も2対1、それも9回裏までどうなるかわからないという試合だったが、それでも、勝ちは勝ちだった。これらの話は、大学入試や資格試験の入試においても共通するものだと私は、大学入試において2年も浪人しても合格できなかったという経験から学んだ。 もしかすると、別に大学入試で失敗する経験がなくても、最初からわかっている人もいるのかもしれない。私みたいに痛い目にあって学ばなくても最初からわかっている人というのもいるのかもしれない。しかし、私が思うには、そういう人というのは、たぶん、本人よりも「親がわかっている」人だったのではないか。私の親は父親も母親もそういう面について理解できている親ではなかった。母親の家系は学校の先生が多い家系で「勉強する人が好き」な家系であったが、だから、小学校くらいの段階での勉強には熱心で、かつ、どれだけ出世するとかいうようなことよりも、勉強そのものに価値があるという思想・認識の家系であったが、しかし、大学受験におけるテクニックのようなものはわかっていなかった。 私は、大学入試で失敗して、それで、ここで述べたような藤田元司・山田久志・南海ホークスの話のような、「ともかく、勝てばええんや」という考え方を実感として学んだ。 そういう、入試は「ともかく、勝てばええんや」「ともかく、通ればええんや」という認識というのは、それは「勝負強さ」とでもいうものであり、逆に、「ゆうゆうと優秀な成績で通った」としても、それがいったいナンボのもんや? といったもので、「ゆうゆうと高得点で通った」だの「相当優秀な成績で通った」だの「ぎりぎり通ったんじゃないんだぞお」だのと言われても、「ああ、そうですか」とでも言うしかない。 それが、どうしたの? と。むしろ、そんな認識をしているようでは、むしろ、その部分において、「勝負弱さ」がある! ということである。 もしも、入学試験が「棒高跳び」のようなものであったなら、「高く飛ぶ」ことに意義があるであろうが、そうではなく「ハードル」である以上、ハードルは「ともかく、わずかでも上を飛べばいい」のであり、「高く飛ぶ」ことに意味はない。2年も浪人してしまって、その結果として、「ともかく、合格最低点よりわずかでも上の点数をとればええんや」という認識を、理屈でではなく、実感として、「体で理解する」とでもいうのか、おのれの骨と肉のきしみで理解するとでもいうのか、汗と涙とともに理解した者としては、「このぼくは、東京大学の理科三類に、ぎりぎり通ったんじゃないんだぞお。このぼくは理科三類にゆうゆうと相当高い点数で余裕をもって通ったんだぞお」などと言われても、だから、何やねん! と思うだけだった。むしろ、なんか、変なこと言うやつだな・・・というのが私の感想だった。
※ 《YouTube-1971年日本シリーズ 山田久志 VS 王貞治 逆転3ランホームラン》https://www.youtube.com/watch?v=8RQbArVRKys
   そして、F山は、自分がどこの大学を出ているかなどということは、わからないだろうと思い込んでいたようで、東大病院に勤めている以上、「このぼくは東京大学の理科三類に現役で通ったんだぞお。わかってんのかあ」と言えば、そうでないなどとわかることはないと思いこんでいたようだが、実は、そういう話というのは、何の拍子かに伝わってりすることがあったのだ。で、伝わってきたのだ。「F山先生は、東大の出身じゃないですよお」と。 「F山先生は東大病院に勤めておられましたが、卒業されたのは、帝京大学医学部https://www.teikyo-u.ac.jp/faculties/undergraduate/medicine_d/ ですよお」・・・・と。 な~るほど、↑の文句など、私立金権裏口医学部の出身の人間が言いそうなことだった!!!  そもそも、自分自身が東大を受けたこともない人間だから、だから、京大・阪大・神戸大は合格不合格にかかわらず、入試で何点とれていたかを出身高校の担任の先生に通知してくれるから自分が何点とれていたかわかるが東大はあくまでも合格か不合格かしか教えてくれないので、通っても落ちても、何点で通ったか何点で落ちたかはわからない、という事実を彼は知らなかったのだ。だから、「このぼくは、東京大学の理科三類に現役で優秀な成績でゆうゆうと通ったんだぞお。ぎりぎり通ったんじゃないんだぞお。わかってんのかあ」などと言っていたのだった。なるほどなるほど・・・・。
   さらに言えば、F山は「ぼくは大学生の頃、貧乏だったから」などと言ったことがあったのだが、そもそも、私立金権医学部裏口入学の男が貧乏なわけないだろうが! よく言うわ! バカ言ってんじゃないわ!!!〔⇒《YouTube-三年目の浮気 》https://www.youtube.com/watch?v=DgBvi-cZbJM 〕 1980年頃、「ぴあ」という雑誌があって、その各ページの端に「はみだし ゆうとぴあ」と名づけた読者投稿欄があったのだが、そこに、「早稲田大学の学園祭に行って知り合った彼氏。 早稲田の学生だと思ってつきあって結婚したら、結婚してわかった。早稲田の学園祭に来ていたが、当人の大学は学習院(だったか日大だったか)だった。」という投稿があった。F山はその類の人間だったのだろう。東大病院に勤めておれば、「このぼくは東京大学の理科三類に現役でゆうゆうと通ったんだぞお」と叫べばひとは信じるだろう、「ひとは言うことをきく」と考える人間だったようだ。東大に行かなくても、実際に東大を受けた人間なら、京大・阪大・神戸大と違って東大は入試の際の点数を通知しないので、たとえ、通っても「ゆうゆうと通った」か「ぎりぎり通った」かなどわからないはずだと相手が知っているなどという意識もなかったということだ。私はその頃まで、学歴詐称の人間というのがそれほどいっぱいいるとは思っていなかったのだが、会社という所に勤めれば、学歴詐称の妖怪変化みたいな人間は世の中ゴマンといてうんざりする経験をした。
   で、大学入試は、現役ですんなり通った方がいいか、浪人した方がいいか、2浪以上した方がいいかというと、現役ですんなり通った方がいいのは間違いないと私は思っている。北野高校に在学中、クラブのOBで、1浪して阪大の工学部に行ったS本が、「1浪はいいぞお~お。2浪すると人間がいがむが、現役で通った人間は人間が甘ったれてるから、1浪が一番いいぞお。1年の浪人はするべきだぞお」と、高校3年生を見ると言って浪人させようとしていたのだが、自分が浪人したからと現役で通る可能性がある人間を浪人させようとしてからに、まったく嫌なヤツだなあと思ったものだった。「2浪すると人間がいがむが1浪は精神が鍛えられて一番いい」とかなんとか言っていたが、おまえこそ、一番、人間がいがんでいるのと違うのかとも思った。 私はS本みたいなことは言わない。さっさと現役ですんなりと通った方がいいに決まっていると思う・・・・が、これは、あくまで、本人にとって、全体としてどちらがいいかという問題であり、浪人してしまったために、2年以上浪人してしまったために、そこで・・・・を学んだという場合もあるとは思う。慶應の内部進学の人間や慶應の教授(内部進学)は「受験勉強の悪影響だ」という文句が大好き♡なのだが、こういった経験も彼らにかかると「受験勉強の悪影響」ということになるのだろう・・・・けれども、私は、「そこから学んだ」と思っており、むしろ、そういう経験のまったくない内部進学の教授というのは、人間として「かわいそうな人」だと思っている。

   私は、東大病院に医者屋として勤務していたF山を、「帝京大医学部卒」とまで見抜くことはできなかったが、「このぼくは東京大学理科三類に現役でゆうゆうと通った人間なんだぞお。わかってんのかあ」という文句については、なんか変だな・・・・と気づいたが、それは、私が、自分自身が大学受験の経験があるからだ。 そういう経験のない人間なら、彼のウソッパチをまるまる信じ込んだかもしれないし、彼の学歴詐称の技はまるまる通じたかもしれない。
   東京大学医学部付属病院はホームページhttp://www.h.u-tokyo.ac.jp/ にも「東大病院」と記載しており、東大医学部卒の医者が診察していると事実を誤認するおそれのある表示をしている。JAROに言うたろかとも思うのだが、実際は東大医学部卒でない医者が診察しているのに「東大病院」という表示はイカサマ表示と言うべきであろう。
※ 《YouTube-JARO CM 中学生・公園編 ●僕はJAROに電話する (2016/5)》https://www.youtube.com/watch?v=9ZpZ9eDkXq0

   2010年10月、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業。 2013年に倒産〕で、宅地建物取引主任者〔→宅地建物取引士〕の試験を受けて、「今年こそ通る」と宣言していた従業員が3人いたが、3人とも落ちた。
   まず、S井(男。当時、40代前半)は、受験願書は提出して受験を申し込んだにもかかわらず、試験当日になって、受けても落ちると思ったらしく、受けにいかなかった。・・・・アホやな・・・・。私なら、「今年は、今、受けても落ちそうだな」と思っても、受けに行く。受けに行って、特に、マークシート方式とか5者から1つを選択、4者から1つを選択とかいう問題の試験だと、「ともかく、書く」ということをする。「自分ではだめだと思っても、そんなもの、最後の最後までわからん」ではないか。それを受験放棄してしまうというのは、それは「勝負弱さ」である。 又、本当に、その年は受けても通らないのであっても、その次の年に合格したいと思ったならば、「ともかく、受けて経験する」ことが大事である。「ともかく、受ける」ということをすれば、自分自身が受けた経験から、翌年、合格するためには、何が不足しているのかということを理解することができる。受けなければ、それも理解できなくなる。 だめだ・・・と思ったらあきらめるのではない。だめだ・・・と思っても、「ともかく、受けに行く」、そして、「ともかく、答案を書く」という姿勢。 それも理屈でではなく、その姿勢の徹底。それが、試験における「勝負強さ」である。
   次に、かじ〇(男。当時、40代前半)は、試験直前、「今年は、ユーキャンで勉強したから、絶対に通る」と、きかれもしないのに宣言していた。で、試験を受けて帰ってきて、「落ちたあ~あ」と口にしたのだ。 なぜ、落ちたかというと、まず第一に、試験を受ける前に、「通る」だのなんだのなんて口にするから落ちるのだ。私なら、今年は合格できそうだな・・・と思ってもひとに言わない。 試験を受けた後、通ったのではないかな・・・と思ってもまだ言わない。合格発表を見て、自分の受験番号を見て、自分の番号があったのを確認しても、それでも、言う必要がない相手に無暗に言わない。たとえ、言うにしても、合格発表を見て自分の番号があるのを確認して、それから、登録の手続きが必要な資格なら登録の手続きをすませて、それから後のことである。そもそも、「受ける」ということ自体、言う必要なんてないはずなのだ。それを、きかれもしないのにベラベラ口にしているということ自体、「勝負弱さ」である。
   そして、H矢(男。当時、30前後?)は、試験を受けた後、「通りました」と言ったのだ・・・・が落ちていた。なんで、落ちているのに「通った」と思ったのか? 推測すると。宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)の試験というのは、その年によって合格最低点が違うのだ。試験の問題が難しめであった年は合格最低点は低めに設定され、試験の問題が易しめであった年は合格最低点は高めに設定される。ひとつの可能性として、H矢は、合格最低点が低めの年の合格最低点を記憶していて、その点数を上回る点数をとれたと思い、「通りました」と口にしてしまったということが考えられる。私なら、自己採点して、通ったかな・・と思っても言わない。そもそも、言う必要がない。「どうでしたか?」と尋ねられたとしても、自分では「通った」ようだなと心の中で思っていても、「どうでしょうね」とかあいまいな返事をすると思う。かつて、千代の富士は「調子はどうですか」と尋ねられると、「ぼちぼちですね」か「まあまあですね」のどちらかの答えしかしなかったという。中畑は、「調子はどうですか」と尋ねられた時、体にどこか悪い所があったりした時こそ、「絶好調です」と答えたという。そんなところで、調子の悪い所を申告させられてたまるか! ということだったようだが、資格試験にしても、通りそうだとか通っただとか、本当にそうであったとしても、いちいち、言う必要なんかないし、いちいち、正直に答えないといけない筋合いなんてないはずだ。私の場合、もともとは、正直というのかバカと言うのか、何でもきかれれば答えていたのだが、なんで、いちいちそんなものきかれにゃならんのだ、なんで、いちいち答えにゃならんのだという認識も2年浪人して理解した。

   2001年、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の 栃木県佐野市の営業所にいた時、旧姓S藤(女。当時、20代後半)が、「私、資格ゲッターになりたいんです」と何度も口にしていた。何度目かにその文句を聞いた時、この人は「通らない人」だろうなと思った。「資格ゲッター」てそりぁいったい何じゃ? とも思った。資格というものは取得すること自体に価値があるのではなく、取得してそれを生かしてこそ価値があるのであり、資格試験の合格はハードルであって、それを飛び越えたからそこで止まっていいというものでもなく、資格ばっかり、「ゲエ~ッツ」してもあんまり意味はないということもあるが、それよりも、ひとにそんなことばっかり言ってるその時間に、取得したいと思う資格試験の勉強をしたらどうなんだ!?!?  あんたが「資格ゲッターになりたいんです」と言うてる間に、通る人間は勉強しとるぞ・・・・! と思ったのだが、言ってもこの人はきかない人だろうなと思ったので言わなかった。 同年、旧姓S藤はインテリアコーディネーターの資格試験を申し込んだらしいが、試験日になると、「今年は受けても通らないと思うので」とか何とか言いだして受けにいかなかった。・・・アホやな・・・・。受験願書出して受験料払ったのなら、通るか否かにかかわらず、受けるべきだ。私なら、「だめだあ~あ」と思っても、それでも、受けに行く。「ともかく、受けに行く」、そして、「ともかく、書く」。それが合格への第一歩である・・・・が、そこから教えてあげないといけない人というのは「合格まで遠い人」であり、それを教えてあげようと思っても、なかなか、「教える」というのは簡単ではない。自分で理解しないといけないのだが、理解できていない人に理解させようというのは簡単ではないし、親切心だしても、かえって嫌がられる可能性もあるから、そういう人は「放っておく」方がいいだろう。
   又、採用担当者は、このあたりを見た上で採用か不採用か判断するべきものだと私は考えるが、(株)一条工務店の経営者は、それが見えない見ない人間に担当させ、見える人間・見る人間である私には担当させてたまるものか!と考える人間だった。

   それで。 私は、何の因果か、慶應義塾大学の商学部を卒業させてもらったが、もともと、商学部に行きたいと思って行った人間ではなかったので、卒業はさせてもらったが、「100%商学部」みたいな人間として卒業したのではなく、「(商学部+法学部+哲学科・心理学科)÷3」みたいな人間として卒業した。 また、スポーツは嫌いではないが「脳みそが筋肉でできている」みたいな人間は好きではない、「文武両道型の文治派」であり、社会科学系学部卒業者ではあるが「文理両道型」の人間だった。 慶應の経済学部・商学部や早稲田大の政治経済学部・法学部などの卒業生には、大学入学まで、その大学学部の試験科目以外はほとんど学習せずに合格して入学したというような人もいるが、そういう人で法学部や経済学部に入った人は「文型人間」であろうが、私は、もともと、数学などが好きで、もともと、経済学部・商学部・経営学部といった学部だけは行きたくない行かされたくないと思っていた人間なので、最終的に「社会科学系学部卒」となったが、人間としては「文理両道型」人間だった。

   学校という所でやっていることが、役に立つかたたないか・・・。 ここまで述べてきた内容。 少しは参考になるだろうか・・・・。 で、1980年代の終わりに、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)http://www.sxl.co.jp/ 〕に入社した際、当然、私を採用する会社は、私のこういった能力を生かそうと思って採用してくれたものだと思いこんでいたし、私の場合は人より年齢をいって大学を卒業したので就職は有利ではなかったのだが、ともかくも「一部上場」で従業員数千人を超える会社で「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というコースで「慶應義塾大学商学部の卒業生として採用」してもらえた、と思ってその時は喜んだ・・・・のだが、入社してみると、なんか、おかしい・・・と思うものが見えてきた。それを、次回http://shinkahousinght.at.webry.info/201710/article_2.html 、述べる。
  (2017.10.1.) 

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