雲龍寺・久昌寺・栄鏡院(高山市)参拝-東山遊歩道前半を歩く(3)

[第461回] 高山シリーズ第4回≪5≫
    安川通り(国道258号)を西から東に進み、正面に見えるのが 大雄寺。 安川通り(国道258号)を西から東にまっすぐ進んだ正面に登る階段があるのが 東山白山神社。で、その東山白山神社の階段を登りかけた左側にあるのが栄鏡院。 栄鏡院の前(西側)の道を奥(北)に少し進むと右手に、雲龍寺に登る階段とその左に久昌寺の鐘堂が見えてきます。

東山遊歩道(1)  飛騨三十三観音霊場 第3番
海蔵山 雲龍寺(うんりゅうじ)
 (曹洞宗)
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↑ 雲龍寺 楼門。 (高山市指定文化財)
  規模は大きなものではありませんが、この「楼門」がユニークであり、なかなかかっこいいのです。
≪ 1695年、高山城破却に伴い、二之丸にあった「黄雲閣(こううんかく)」という建物を下附され、これが鐘楼門になったと伝わる。(雲龍寺記) ≫(『東山遊歩道』リーフレット)
   藤井美術民芸館の門とちょっと似ているような気もしたのですが、どうでしょうか。
〔藤井美術民芸館について⇒
[第351回]《藤井美術民芸館(高山市)訪問―I.C.にお勧め。及、3階建木造住宅の問題。上に凸は梁、柱はまっすぐ。》http://shinkahousinght.at.webry.info/201510/article_1.html  、
[第290回]《飛騨民族考古館4、藤井美術民芸館、版画喫茶「ばれん」。及、「質屋の入口」から逃げていく裁判官。》http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_14.html 〕

   『東山遊歩道』リーフレット によると、雲龍寺は、
1. もとは720年に創建された 妙観寺(みょうかんじ)という寺院であったが衰退し、
2. 1395年頃、曹洞宗雲龍寺として再建された。
3. 本能寺の変で戦死した金森長近の長男 長則(ながのり)の菩提寺であり、
4. 1590年頃、長近が建物を修栄したと伝わる。
・・・というものだそうです。

   ≪ 金森長近の長男、長則(ながのり)の菩提寺。 長則は織田信長に仕え、本能寺の変によって19歳で戦死した。 寺の創建は720年(養老4)といわれる。 屋根に露盤と宝珠をのせた珍しい鐘楼門があるが、この門は高山城の黄雲閣を移築したもの。・・・・≫(『アイじゃぱん31 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.るるぶ社、JTB)

  「露盤」て何なんだ? ・・・というと、
≪ 方形屋根の頂部をおさえる方形の台。宝珠・伏鉢などを受け、相輪の基盤となる。古くは相輪全体を呼んだ≫(《コトバンク 大辞林 第三版の解説》https://kotobank.jp/word/%E9%9C%B2%E7%9B%A4-663870 )
図や写真がないかと検索すると、
《おしゃれな山田瓦店 》http://osharenayane.blog.so-net.ne.jp/2010-01-08-1
《EARTH WARE 大地の生命力 野水瓦産業株式会社》http://blog.goo.ne.jp/nano0708/e/8447648da1b757665d421c79d473d73b
など、わかりやすく書かれたものが見つかりました。

   「露盤」とは何か、「宝珠」とは何かを認識した上で↑の門の写真を再度見ると、たしかに、屋根の上に載ってますね。

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↑ 左の木札には、「飛騨三十三観音霊場 第三番」、右の木札のは「曹洞宗 雲龍寺」と書かれています。

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   『古寺を巡る49 関西・中部の霊場めぐり』(2008.1.29.小学館)の「飛騨三十三観音霊場」によると、
観音 ・・・十一面観音菩薩
宗派 ・・・曹洞宗
所在地 ・・高山市若達町1-86
・・・というのですが、「十一面観音菩薩」と書かれていても、その観音さんがどこにいらっしゃるのかなんて、行ってもわからんのです。 まあ、どっかにおられるのでしょうね・・・。

   「飛騨三十三観音霊場」とは、≪ 江戸初期、美濃国(岐阜県)に生まれた円空上人は、諸国を旅しながら生涯に約12万体もの仏を刻み、「作仏三昧」の一生を送ったとされる風変りな遊行聖(ゆぎょうひじり)である。・・・ 円空は晩年、故郷美濃に戻って入寂までの時間を過ごし、近接する飛騨地方には晩年の作約750体の円空仏が残される。 飛騨三十三観音霊場は、かつて円空が歩いたであろう道のりを辿り、自分を見つめなおす場である。 33か寺のうち25か寺に円空仏が安置され、円空の深い慈愛にふれることができる。 ・・・≫(『古寺を巡る49 関西・中部の霊場めぐり』(2008.1.29.小学館)
   1970年代、私が中学生だった時、大阪のどこだったか、百貨店で、「円空・木喰展」というのが開催されて、それを見に行ったことがあった。 その時から、「円空」という名前を知った。 京都・奈良の仏師のような「洗練された」彫り方とは違った、「ざんぐり」した彫り方で、もちろん、「好みの問題」もあるとしても、それがむしろ親しみを感じるところもあり、評価されてきたという話をそこで学んだ。

   《飛騨三十三観音霊場 第3番 雲龍寺》http://hidakannon.jp/temple_guide/no3_unr.html によると、≪ 飛騨における曹洞宗最初の道場≫で、≪横浜鶴見の大本山総持寺の御直末寺院≫だそうです。 「直末寺院」て何だろ。 ちょっと前までは、「週刊実話」「週刊大衆」「アサヒ芸能」なんていういわゆる“ ヤクザ3誌 ”(俗称「実話誌」)なんて読むことも買うこともほとんどなかったけれども、山口組の分裂以来、けっこう買って読んでしまったのだが、「ヤ」さんの用語で言うと、「直参」みたいなもの? 
   曹洞宗では、福井県の永平寺と神奈川県横浜市鶴見区の総持寺との2つを二大本山としているようですが、≪大本山総持寺の御直末寺院≫ということは、岐阜県高山市の雲龍寺は距離的には福井県の永平寺の方が近いけれども、神奈川県横浜市鶴見区の総持寺の方の系ということ?

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↑  鐘堂もユニークです。

※ 《飛騨三十三観音霊場 第3番 雲龍寺》http://hidakannon.jp/temple_guide/no3_unr.html
※ 《ウィキペディアー金森長則》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%A3%AE%E9%95%B7%E5%89%87
   金森長近、金森長則の「長」は織田信長の「長」らしく、それだけ、信長から評価されていたということらしいが、その結果、本能寺の変の時も、息子の金森長則は、織田信長と一緒にいたのか、信長の長男の織田信忠と一緒にいたのかで、そこで戦死してしまったということで、かえって不幸な結果になってしまったようだ。



東山遊歩道(2) 久昌寺(きゅうしょうじ)
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↑ 左の一角が久昌寺で、左の手前にあるのが鐘堂、奥にわずかに見えるのが本堂のようです。
右の階段は、登って行くと正面に雲龍寺の楼門があり、その途中の左手に久昌寺の門↓があります。
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↑  右の木札には、「曹洞宗 久昌寺」と書かれています。
最近、↑のような、門を額縁にした “ 額縁撮 ” をけっこう気に入っているのです。 建物全体を撮るのが難しい時、逆に、門を額縁にしてその中に入るものを撮ろうという発想ですが、どうでしょうか。 この松がなかなかいいようにも思いますが。 もっとも、額縁撮はよくても、建物はどういう建物なのか、これではよくわからないかもしれません。
   ↓ なら、額縁撮であるとともに、建物もある程度わかるのではないでしょうか。 ↑は「曹洞宗 久昌寺」という木札が入るようにという点と門自体も写したいという点から考えて撮ったので、額縁重視になった結果、門の中で写るお堂の方が十分に入らないようになってしまったところがあるかと思います。
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↑ 鐘堂。 

   ≪ 1402年、雲龍寺の塔頭(たっちゅう)(本寺の境内にある末寺院)として建立され、1827年に寺となった。 ≫(『東山遊歩道』リーフレット) というだけに、雲龍寺に登る階段の途中左手に門があって入るようになっており、雲龍寺よりも一段低い位置にあります・・・・が、雲龍寺よりも高山市街に一歩近い場所にあって高山市街の見晴らしはなかなかです・・・・・ ↓
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↑ ・・・・が、撮る時は気づかなかったが、今、写真を見て気づいた。 ↑のケーブルテレビの線、視界の邪魔ですね。 撮り方に工夫をすればよかったのかもしれませんが、残念。

   『アイじゃぱん 高山・奥飛騨・白川郷・五箇山』(2004.るるぶ社、JTB)には、≪ 隣接する雲龍寺の末寺にあたる小さな寺だが、創建は古く1418年(応永25)。 手入れのゆきとどいた境内に弁才天を祭る願王殿がある。≫と書かれているのだが、「弁才天を祭る願王殿」とは、↑の本堂のことなのだろうか。

   「飛騨三十三観音霊場」の第20番に、「瑞龍山 久昌寺(きゅうしょうじ)」がありますが〔⇒《飛騨三十三観音霊場 第20番 久昌寺》http://hidakannon.jp/temple_guide/no20ksy.html 〕、これは、飛騨市宮川町巣納屋 にあって、やはり、曹洞宗の寺ですが、高山市の雲龍寺の手前にある久昌寺とは別の寺です。


東山遊歩道(3) 妙観山 栄鏡院(えいきょういん) (曹洞宗)
   ≪ 720年に創建され、その後衰退していたが妙観寺の零号を残すため、1450年に妙観山栄鏡院と名を改めて創立された。 ≫(『東山遊歩道』リーフレット)
 
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   ↑ 「豊川吒枳尼天」と書かれた幟が何本も出ています。
   曹洞宗の寺は、稲荷とか天狗とかと結びついた寺がけっこう多い。 豊川稲荷も神社か寺かというと、寺で、曹洞宗の寺。

   「稲荷(いなり)」とは何者かというと、
1. 稲の穀霊。
2. 秦氏の氏神。(伏見稲荷神社)
3. インドの神である ダキニテン
4. 『古事記』『日本書紀』の神である ウカノミタマノカミ
これらが、なにゆえにか習合したらしい。

   ≪ (近世、江戸時代において) 曹洞宗では、永平寺と総持寺は二大本山として抗争をつづけましたが、天狗になったとされる道了薩埵(どうりょうさった)(道了尊 どうりょうそん)をまつる相模国の最乗寺(さいじょうじ)、現世利益(げんぜりやく)信仰をあつめた三河国の豊川稲荷(妙厳寺)などが栄えました。 総持寺は、明治末年の火災を機に、横浜の鶴見にうつり、伽藍を整備しました。 ≫(村上重良『日本の宗教』1981.3.20.岩波ジュニア新書)

   稲荷(いなり)=ダキニテン=ウカノミタマノカミ は、稲の穀霊であり、秦氏の氏神であるとともに、インドの神であり、又、『古事記』『日本書紀』の神でもあるので、神社で祀っている所があるとともに、お寺で祀っている所もあるわけです。 京都の伏見稲荷神社は、もちろん、神社で、茨城県の笠間稲荷http://www.kasama.or.jp/ も神社ですが、愛知県豊川市の豊川稲荷は、妙厳寺 という曹洞宗のお寺なのです。
   栄鏡院 はお寺ですから、稲荷と結びつくにしても、豊川稲荷、妙厳寺(http://www.toyokawainari.jp/ )というお寺の稲荷と結びついたわけで、又、「豊川稲荷」とか「豊川ウカノミタマノカミ」ではなく、「豊川吒枳尼天(ダキニテン)」と書かれた幟が出ているというのは、お寺であるゆえに、「稲荷」「ダキニテン」「ウカノミタマノカミ」のうち、インドの神の名称である「ダキニテン」をそこに掲載しているということだと思います。
 
   ≪ 平安時代に、稲荷神社は真言宗と結びつき、密教では、稲荷と陀枳尼天を同じ神としました。陀枳尼天は、インドの神で、神秘的な自在の力をもち、半年前に人の死を知り、その心臓をとり出して食うとされ、のち仏教の守護神となりました。 ・・・・≫(村上重良『日本の宗教』1981.3.20.岩波ジュニア新書)
    しかし、考えてみると、人の心臓をとり出して食うダキニテンが、現世利益神の稲荷と習合するというのも不思議であり、又、仏教でも、本来的な仏教を求める傾向が最も強かった道元の曹洞宗が、宗派の拡張のためとはいえ、稲荷とか天狗とかと協力・提携していったというのもまた、なんとも因果なことという感じがします。妙厳寺(豊川市)のホームページを見ても、「稲荷」の方が大きく出て、曹洞宗の方はどうでもいいみたいな感じですが、「豊川稲荷」として栄えたとしても、はたして、それでいいのかどうか。

  現地には、
≪ 妙観山 栄鏡院
   宗派 曹洞宗  本尊 如意輪観音 ・・・≫と案内板が出ています。 「豊川ダキニテン」の幟が何本も立っていますが、ダキニテンは本尊ではないようです。


    さて、皆さま、今回、公開した3つの寺の写真を見て、「お寺にとって最も大事なもの」が置かれていないことに気づかれませんでしたでしょうか。 「お寺にとって最も大事なもの」て何か。 そりぁ、賽銭箱に決まってまんがな♪
    もう一度、↑の写真を見てください。 ないでしょ。 なんでだろ。 お金いらんのか???

    私は、お寺や神社に参拝した時、その寺や神社にどれだけ信仰しているかいないかにかかわらず、入口で拝観料を求められる寺社の場合は、賽銭は入れても入れなくてもよいと考え、お賽銭を入れないと手を合わせてはいけないということはない、賽銭を入れずに手を合わせて悪いことはないとしてきたが、入口で拝観料を求められない寺社の場合は、施設利用料のつもりで、そう高額ではないとしても、賽銭箱にいくらかは入れるようにしてきた・・・・のだが、入れる箱がない・・・・・ということは、お金いらんのお~お???  まあ、たいした額入れるわけでもないけどね・・・・。

    このブログでも前に述べたが、京都の上加茂神社(賀茂別雷神社)なんて、すでに賽銭箱に賽銭いれた人間で、かつ、特別拝観料を払って入場した人間を、神職の若造が、「こちらに来て拝んでください」と言って誘導していった先には、なんと、「ものすごい神聖な場ですからねえ」とその若造が言うスペースに、ばかでっかい風呂桶みたいな賽銭箱が置かれていた・・という、「もう、さっき、はろたがなあ」「まだ、払えっちゅうんかい」「ええかげんにせんと、阿漕な商売やってたら、しまいに、神さん、バチあたんどお~お」て感じ。なんともはや、「商売繁盛で笹もってこ~い♪」て感じの神社だった・・・が、そういうのはどうかと思うが、だいたい、すでに正面の入口で賽銭箱にカネを入れた人間にまだ払えちゅうんかい、特別拝観料いくらと言うからそれだけ払えばいいのかと思うたら、まだ、別にカネ払えて風呂桶みたいなブリキの賽銭箱つきつけるんかい、て。 まったく、「〇万円ポッキリ」て書いてて、ちっともポッキリじゃないぼったくり風俗みたいやんけ! もしくは、「坪〇〇万円」とポスターに書いてるからその金額でできるのかと思ったら、オプションいっぱいつけないとおよそ住める家にならない某住宅メーカーみたいやんけ! 上加茂神社っちゅうのは・・と、上賀茂神社では少々気分を害して帰ってきたのだけれども、そういうのがいいとは思わないが、賽銭箱を置くこと自体は別に悪いことではないし、特別にその寺社に信仰があるかないかにかかわらず、施設利用料のつもりでいくらか払ってもいいと私は思うのだが・・・・、賽銭箱を置かないということは、お金いらんのお?
※ 上賀茂神社(賀茂別雷神社)の「もんのすごい神聖な場所」という場所に堂々とおかれたバッカでかい風呂桶みたいなブリキの賽銭箱については⇒[第257回]《賀茂別雷神社[上賀茂神社]参拝5.弊殿。及、本殿・権殿の「特別拝観」の感想、賀茂社のルーツを考察する 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201405/article_5.html 【3】

    ここで思い出してしまったのだ。 過去のトラウマ。 過去の思い出。 たしか、1995年だったか、その頃。在来木造の住宅建築業で、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ というなんともいいかげんな会社がありまして、そこが、国税局から脱税で追徴金を取られたのです。100億円の追徴金だったと思います。ニュースに出ました。 浜松に本社がありましたから、名古屋の国税局だったのじゃないかと思います。 その後、本社を、浜松から、名目上、東京に移したというのも、浜松に本社を置いていたのでは「目立つ」かららしい。 浜松に本店を置いていたのでは、「浜松では一流企業」と評価されてしまうらしく、その点、東京に本店もってきたら、「一条工務店みたいなもん、一流企業であるわけないだろうが」という評価になるので、その方が脱税もしやすい・・・♪ ということでかどうかは知りまへんけどな。
    それで、多額の追徴金を取られた時に、社長の大澄賢二郎さんが何とおっしゃったか。 これが、す、ご、い、んですよお~お!!! 
    「そんなもん、100億円の追徴金なんて、何ともない。 一条工務店には100億円なんていくらでもある。 一条工務店には、カネみたいなもん、いくらでもある。 一条工務店には、カネみたいなもん、あり余ってる。」 そうおっしゃったというのです。 す、ご、い、ですねえ~え!!!  「カネみたいなもん、あり余ってる」んですって。 すごいこと言いますねえ~え!!!
    ・・・・で、従業員に給料払う時になると、なんで、それ、言えへんのん???  従業員に給料払う時になると、なんで、「そんなもん、カネないんだからしかたがないじゃないか」とか何とか言いますよね、いつも。 なんで?  なんでやのん?  なんで、追徴金とられる時と従業員に給料はらう時とで言うことが正反対やのん? なんでやあ? なんでかようわからんのは、ぼくが頭わるいからなんかあ? 頭よかったらわかるんかあ? なんで、追徴金とられる時と従業員に給料はらう時とで言うことが正反対なんやあ?  追徴金はらう時は、「一条工務店には、カネみたいなもん、あり余ってる」とか言うてからに、なんで、従業員に給料はらう時になったら、それ言えへんね~ん。 なんでやのお~ん。 なんでか、教えてほしいわあ、ほんま。
    そういえば、1996年、消費税が上がるという、その直前に、契約とれるだけ取っとかないとという書き入れ時に、社長の息子で、かつ、(株)日信 というグループ会社の社長に名目上なっていたらしい大澄T史というドバカ息子が、つきあっていて、同棲していたこともある女性を刃物で刺し殺して、つかまって、週刊誌やらスポーツ新聞やらにあっちやらこっちやらに書かれて営業妨害したこともあった。「刃物で女を刺し殺し、官憲に追われ逃げる」というまさに『水滸伝』の登場人物 宋江そのもの。まさしく、「梁山泊の精神」を実行したわけです。それにしても、(株)一条工務店の経営者一族は、毎年のように、「しょーもないこと」やってくれたものです。  (株)一条工務店の経営者は、ちょっとでも営業成績が悪い営業には、「赤字社員」だとか言って苛めて追い出すくせに、100億円の追徴金とられるようなことした人間、同棲していたこともある女性を刃物で刺し殺すようなアホは、「赤字社員」と違うのか?!?  そいつらの方こそ、「赤字社員」と違うのか!?!

    たしか、2001年のことだっと思うが、伊香とかいう住友林業(株)から転職で(株)一条工務店に入社したとかいう男が、全国をまわって、「住友林業の営業と一条工務店の営業なら、住友林業の営業は一条工務店の営業の倍の年収がある。 住友林業の営業は一条工務店の営業と比べて、平均、倍の契約を取ってる。 一条工務店の営業が年収が少ないのは、契約を取らないから悪い。 住友林業の営業と同じだけ契約を取れば、一条工務店の営業ももっと給料をもらえるはずだ。 契約をとらないから給料が少ないんだ。 契約をとらない一条の営業が悪い」と、いかにも、(株)一条工務店のずるい経営者が喜ぶようなことを言いまくって巡回していたが、まったく、つくづく、毎度のことながら、よくもこういう恥さらしの、アホなオーナー経営者が喜ぶようなことを言いまくって、従業員を裏切るような態度をとりまくって、おのれだけオーナー経営者から好かれようとする人間のカスを大事にするものだとあきれた。  アホか!  住友林業(株)の営業の契約棟数が平均して(株)一条工務店の営業の契約棟数の倍くらいだとしても、各展示場ごと、各地域ごとに見て、住友林業(株)の営業の数と(株)一条工務店の営業の数を比較すれば、(株)一条工務店の営業は住友林業(株)の営業の倍以上いたじゃないか。アホか! もしも、その地域で、営業がどうであるかという問題を別にしたとして、住友林業(株)で家を建ててくれるお客様の数と(株)一条工務店で家を建ててくれるお客様の数が同じだったとして、営業の数を倍にすれば、契約は倍になるか? というと、なるわけないだろうが!  もしも、その地域で100軒の家を1年間あたり建ててもらえる見込の地域で、営業の数が少ないからせいいっぱいの努力をしても70軒しか契約を取れていないという場合に、営業の数を増やしたとすると、100軒とれるようになる可能性がある。 しかし、もともと、100軒の契約をとれるだけの営業の数がいる地域、あるいは、それより多い営業がいる地域でさらに営業を増やしたとすると、営業の数が増えただけ契約も正比例して増えるかというと、増えるわけがない。 全体としての契約棟数は増えても、1人あたりの契約棟数は減っていく。これを経済学では「収穫逓減(ていげん)の法則」と言う。 特に、(株)一条工務店は、「一条工務店の土台を築いてきた人たち」と自称する人たちとか、オーナー経営者の好みのタイプ、所長の好みのタイプの営業に優先的に契約を取らそうと画策してそういう人間は条件の良い展示場に配属したり、バッティングした時にそういう営業に見込客をまわしたりということをするので、「好みのタイプ」でない営業はより苦労する。 (株)一条工務店の営業は住友林業(株)の営業に比べて、展示場ごとの人数、各地域ごとの人数で見て、倍以上いたのだ。 その地域で家を建ててくれるお客さんの数が同じで営業の人数が倍いたとすると、1人あたりの契約棟数は半分になるという計算だ。 そんなことも伊香はわからんのか?!? というと、わからんのではなく、わかった上でそういうことを言って、おのれだけ(株)一条工務店のオーナー経営者に好かれようという汚い手を使っていたということだ。人間のカスである・・・が、他にも、人間のカスはこの会社にはいた。 そういう人間が好きな経営者だった。(株)一条工務店はそういう経営者の会社だった。 「住友林業の営業は平均して一条工務店の営業の倍の給料を取っているが、住友林業の営業は平均して一条工務店の営業の倍の契約をとっている。だから、一条工務店の営業もそれだけ売ればいいのであって、一条工務店の営業の給料が安いのは売らないのが悪い」などと言う男はかわいがって、私のように「それはちょっと違いますでしょ。 住友林業の営業と一条工務店の営業では、1つの展示場あたりで見て、あるいは、それぞれの地域ごとに見て、一条工務店の営業は住友林業の営業の倍以上の人数がいるでしょ。 いくらなんでも、倍以上いたら、1人あたりの契約数が少なくなってもあたりまえでしょ」と事実を事実として言う人間、いくらなんでも伊香みたいに自分だけオーナー経営者に好かれようという卑しい態度をとるわけにはいかないと考える人間は苛めまくる経営者だった。

    やはり、2001年だったと思うが、(株)一条工務店にその時点で10年在籍した私の倍ほども在籍していた某さんが言ったのだが、「昔、一条工務店がまだ、浜松とその周辺くらいの会社だった時、大澄社長から『一条工務店はなあ、これから、全国展開していって、住宅展示場をいくつも作って、プレカット工場も作ってしていかないといけないから、だから、従業員に給料あんまり多く払えんのだ』と言われたんだ。 それで、『そうかあ。一条工務店は、全国展開していかないといけないから、その為に住宅展示場を建てたり、プレカット工場を作ったりするのにお金がかかるから、だから、従業員の給料はよそと比べても少ない額しかもらえないのかあ。今、我慢して安い給料でも一生懸命働いたら、全国展開ができた時には、給料いっぱいもらえるのだろうなあ』と思って働いたら、今度は、『一条工務店はなあ、これから、フィリピンに工場作ったり、フィリピンに設計やCADのセンターを作ったりしてやっていかないといけないから、その為にお金がかかるので、それで、従業員に給料いっぱい払うことはできないんだ』と、そう言われた。 結局、どっちにしても、一条工務店では従業員に給料は多く払わんということだった。 全国展開がすめば給料いっぱい払ってもらえるかみたいに言われたのは嘘だった」と。 なるほど、そういう会社だわ。そういう経営者だわ、(株)一条工務店は。

    浜松市で防潮堤を作る費用を(株)一条工務店に出してもらったとして、浜松市長の鈴木康友とかいう慶應義塾大学法学部卒という男が、「一条堤とでも命名して長く記録にとどめたい」だか発言したらしいが、浜松市長の鈴木康友さんとやらは、そのカネはオーナーの大澄賢二郎から出してもらったと思っているようだが、そうではなく、そのカネは、滅私奉公して働いた従業員・元従業員が本来なら受け取っていてよいはずの賃金をちょろまかされたカネであって、それが蓄積されたものなのだ。鈴木康友はそんなこともわからんのか、わかっていて従業員・元従業員を馬鹿にする発言をしているのか。 よく、一流企業に勤めると資本主義社会の構図がぼやけてわかりにくいが、三流企業に勤めるとよくわかると言われるが、(株)一条工務店なんて会社に勤めるとよくわかることわかること! まさしく、「資本家が労働者を搾取してカネを貯め込み、資本家だけがいい思いをしている、資本とは労働の蓄積である! 資本家が努力してたまったカネではない、労働者から搾取したものがそれだけ貯まったのである」というマルクスさんが描いたまさに「古典的資本主義」が(株)一条工務店のような会社においてはまさにそこにある!

    そして、住友林業(株)の営業は(株)一条工務店の営業の平均して倍の契約棟数をあげているから、だから、倍の給料をとっているのだと、実際は、住友林業(株)の営業に比べて(株)一条工務店の営業は倍以上の数がおり、(株)一条工務店はそれだけ「労働集約型」の営業をやっていた為に、1人あたりの契約棟数が多くならないのに、営業の努力が足らないかのように言いまくって、それで、おのれだけオーナー経営者から評価されようとする軽佻浮薄な人間のカスを大事にするという会社、そういう経営者の会社だった。
    そういうオーナー経営者が、おのれのミスで100億円の追徴金をとられるとなると、「一条工務店にはカネみたいなもん、あり余ってる」とかのたまったというのだ。 すごいですねえ、す、ご、い、こと言いますねえ~え。「カネみたいなもん、あり余ってる」ですって!!!  そんなにお金あまってるなら、もうちょっと、従業員に給料払ったらよさそうなものなのに、ねえ。 そう思いませんか?

    賽銭箱のないお寺を見て、過去の嫌な思い出が頭にぶりかえしてきた。 次回http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_18.html 、は、洞雲院・洞雲院子安地蔵堂・素玄寺・松倉観音堂に行きます。 ご覧ください。

   (2016.10.22.)

☆☆☆☆高山シリーズ第4回
1.日の出天満神社 http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_13.html
2.大八賀神社 http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_14.html
3.東山遊歩道(1)高山別院照蓮寺から東山白山神社へ http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_15.html
4. 〃 (2)東山白山神社・大雄寺 http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_16.html
5. 〃 (3)雲龍寺・久昌寺・栄鏡院 〔今回〕
6. 〃 (4)洞雲院・素玄寺 http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_18.html
7. 〃 (5)東山神明神社 http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_19.html
8. 〃 (6)天照寺・法華寺 http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_20.html
9. 〃 (7)善応寺1.本堂 http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_21.html
10.〃 (8)善応寺2.地蔵堂 http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_22.html
11.〃 (9)宗猷寺 http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_23.html
12.〃(10)町年寄川上家別邸跡 http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_24.html
13.煥章館と煥章館2階から見た東山 http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_25.html
14.十六銀行 高山支店、早朝は無人の安川交番 http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_26.html
15.新装「高山駅」 http://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_27.html
16.片流れ屋根のモデルハウス http://shinkahousinght.at.webry.info/201611/article_4.html

☆☆☆高山シリーズ第3回
1.藤井美術民芸館  http://shinkahousinght.at.webry.info/201510/article_1.html
2.高山陣屋[1]床の間、釘隠し・・ http://shinkahousinght.at.webry.info/201510/article_2.html
3.高山陣屋[2]白洲、土縁庇・・ http://shinkahousinght.at.webry.info/201510/article_3.html
4.高山市政記念館 http://shinkahousinght.at.webry.info/201510/article_4.html
〔番外 宮川にかかる欄干に加圧注入木材使用の橋と 防腐防蟻剤について。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201510/article_5.html 〕
5.桜山八幡宮 http://shinkahousinght.at.webry.info/201510/article_6.html
6.桜山八幡宮 摂社 天満神社 http://shinkahousinght.at.webry.info/201510/article_7.html
7.山桜神社、古い町並美術館、手長足長 http://shinkahousinght.at.webry.info/201510/article_8.html
8.宮川交番、高山警察署、高山市役所 他 http://shinkahousinght.at.webry.info/201510/article_9.html
9.飛騨国分寺 http://shinkahousinght.at.webry.info/201510/article_10.html
10.新宿‐高山のバスの予約をインターネットで「後部」を希望すると。「労災」のおかげで歩行困難にされた話  http://shinkahousinght.at.webry.info/201510/article_11.html 

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