日比谷線六本木駅、大江戸線大門駅、吊革の色による印象。暑苦しそうなフリーダムアーキテクツデザインの家

[第378回]
都営大江戸線「六本木」駅と東京メトロ日比谷線「六本木」駅、大江戸線「麻布十番」駅、大江戸線「大門」駅、京浜東北線と総武快速線の吊革について、他(2)
【2】東京メトロ日比谷線「六本木」駅
  今となっては6年ほど前、愛知産業大の守屋先生が設計された都営大江戸線「六本木」駅を見学するために六本木に足を運んだ際、東京メトロ日比谷線で「六本木」まで行って、日比谷線の「六本木」駅から大江戸線の「六本木」駅に足を進めると、大江戸線のエリアに入る所で、いいか悪いかという問題ではなく、やっぱり、「建築家」という人が設計したもの(大江戸線六本木駅)と「フツーの人」が設計した駅(日比谷線六本木駅)は違うものだなと思ったのです。 いいか悪いかの問題ではありません。 「フツーの人」の設計が悪いということではありません。
   もっとも、「フツーの人」といっても、建築の設計の仕事をしている以上は、設計者であって、「フツーの人」だって建築従事者であるはずで、「建築家」と「フツーの人」との境目はどこにあるのかというと、なかなか、難しいところがあります。 スタンドカラーシャツを着ている人間が「建築家」とか、ヒゲはやしてるのが「建築家」とか(ラーメン屋と建築家はその点、似ています)、羽根つきの暴走族みたいなまっかなスポーツカーに乗ってロシアの民族衣装のルパシカかなんか着て大久保清みたいな格好しているのが「建築家」とか、施主が何か要望しても芸術家ぶって言うことをきかない殿様商売のやつが「建築家」とか、そういう基準で考えると、「建築家」てアホちゃうか? て感じがしてきますが、大江戸線の六本木駅の設計をした守屋先生などは、そういうのはおかしいと考えている方で、私なども、「ヒゲはやすなよ」と言われたことがありますが、「建築家」に分類されている人でも、ヒゲはやした「ラーメン屋みたい」なのが「建築家」というのはおかしいと認識している方もおられるわけで、「建築家」と「フツーの人」の区別というのは、なかなか難しい。
   しかし、六本木に行って見てみると、やっぱり、わかると思います。大江戸線の方の六本木駅の設計を担当されたのは、「ヒゲはやせば建築家」とかいうものではないと認識してはっきりと言われている守屋先生ですが、「建築家」に分類される方の方でしょう。 それに対して、日比谷線の方の六本木駅の設計者が誰かは知りませんが、「建築家」か「フツーの人」かというと「フツーの人」の方ではないかと思うのです。 しつこいようですが、「フツーの人」が悪いというのでは決してありません。
  それで、東京メトロ日比谷線の方の「六本木」駅は、「フツーの人」の設計の駅だと思ったのです。6年ほど前は。 しかし、6年間の間に日比谷線の六本木駅も多少変わったのではないかという気もするのですが(変わってなければ、私の記憶違いかもしれません)、こちらにも、これはなかなか・・と思うところはあります。
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↑ どうも、縦の写真がうまくアップロードできません。 よっこいしょと90度右に回転させたものを思い描いて考えてください。 ↑この上がとんがった緑の三角と自然石風のモザイク、前はなかったような気がするんですよね。 なかなか、おしゃれだと思います。 そして、↓
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↑ この丸柱の色と上の壁面の装飾と組み合わせてみて、これはこれで、なかなかかっこいいじゃないかと思ったのです。 そう思いませんか。


【3】 大江戸線「麻布十番」駅
  「内容のある本は最低3回読んで理解できるようになる」という説があるのと同様、「建築も3回くらい訪問して見て理解できるようになる」ところがあるようにも思います。 大江戸線の駅というのは、それぞれの駅を別々の「建築家」に設計を依頼して作られているようですが、6年前に大江戸線六本木駅を見に来て、その帰り、地下鉄の電車の窓から「麻布十番」駅を見て、正直なところ、こんなこと言ったら自分がお世話になる先生に申し訳ないなあと思いながら、実は、正直なところ、こっちの方がいいかな・・・なんて、ふと思ったりもしたのですが、今回は電車の中から見て、大江戸線六本木駅の方がいいのじゃないかと思ったのです。 だから、何度か見に行くと、見る対象は同じであっても感じ方が違ったりするので、だから、「1回で判断するのではなく3回くらい行って考える方がよい」というのは間違っていないように思います。


【4】 大江戸線「大門」駅
   前々から思っていたのですが、JRの駅は「浜松町」で、なにゆえ、都営地下鉄は「大門」なんだ? さらに、JRの駅は「田町」で、なにゆえ、都営地下鉄の駅は「三田」なんだ? これ、考え出すと、今晩、寝られなくなっちゃうね・・・・。
   で、その都営の大江戸線の方の「大門」駅ですが、↓
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↑  こうやって見ると、大江戸線六本木駅よりも、こっちの方が白黒、それもはっきりと白と黒のパンダ色ではなく、グレーと黒という暗黒系の白黒で、悪いとは言いませんが、又、悪いとは思っていませんが、六本木の場合は「夜の六本木」と言われると、なんか、カラオケのメニューにそんな題名の歌があったかな~みたいな感じがしてきますが、「夜の大門」「浜松町で会いましょう」なんてあったか? ないような気がするのだが、悪いとは言わんが、なんで、白黒というより灰黒なんだろ・・・て気もする。 浜松町と言えばモノレール、貿易センタービル、浜離宮、大門といえば増上寺の大門・・・で、六本木だって「夜」しかないわけではないとしても、六本木は「夜の六本木」と言われると、そうかな・・と思わないでもないが、「大門」「浜松町」はあんまり「夜」のイメージではないぞえ・・・。
  だいたいやねえ、吉原は「おおもん」なのに、なんで、浜松町は「だいもん」なの? て、どっちでもええか・・・。
  悪いとは申しません。 というより、けっこうかっこいいと思うのですが、なんか、やっぱり、グレーと黒のツートンカラーというのか、黒っぽい系のモノトーンというのは、やっぱり、暗い、屋外なら夏場は暑苦しいが、地下で空調が聞いていると「暑苦しい」ということはないが、やっぱり、暗い・・・そこで、黄色のラインを床に入れたのかあ~あ・・・・な~るほど・・・ということなのかあ???  そうではなく、これは、視力障害者案内用の黄色のボツボツのシートというのかパネルというのかが貼られたもののはずで・・・、さて、この黄色のパネルは、設計者は最初から貼られるということを認識して、この黄色がここに貼られると「ちょうどいい」というデザインにしたのか、それとも、「なかなかかっこいい」けれども、「グレーと黒のモノトーンだと、やっぱり、暗い」ところに、偶然、黄色のラインが入ってちょうどよくなった、ラッキー♪ てところだったのか・・・。 どっちなんだろ・・・。 どっちでしょうね。
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↑ このエスカレーターの床板の両端の黄色も、「そこに黄色のラインが入るとちょうどいい」とあらかじめ認識してこのデザイン、この色合いにしたのか、それとも、「グレーと黒で、なかなかかっこいいけれども、そうはいってもやっぱりちょっと暗い」ところに、既定の黄色のラインがエスカレーターの床板に入って、ああ、よかったよかった、ちょうどよかった・・・というところなのか、どっちなんだろ。 どっちでしょうね・・・。

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↑ この緑がなかなかいいとも感じるのですが、どうも、後から入れたような感じに見えないでもないのです。前からこうだったか、前はこの緑がなかったか記憶がはっきりしないのですが、点字ブロックの黄色のラインだけでは灰黒のモノトーンでは暗いし、黄色のラインだけでは芸がないということで、後から入れたということではないのか、という感じがしないでもありません。 黄色のラインに緑が合わさって、けっこうかっこいいのではあるのですけれども。
  そして、
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↑ このブログでも、慶応日吉キャンパスの日吉新図書館のガラスブロックについてくさしたり、東武「朝霞台」・JR「北朝霞」駅の下の公衆便所のガラスブロックを少々ほめたりしましたが〔[第303回]《そっくりさんシリーズ・交番と公衆便所(3)朝霞台(朝霞市)・御茶ノ水(千代田区)・本郷(文京区)》http://shinkahousinght.at.webry.info/201412/article_2.html  〕、「朝霞台」「北朝霞」の公衆便所ガラスブロックは、「光は通し、視線は防ぐ」というガラスブロックの機能を適切に使ったものですが、この「大門」駅は地下で、そういった機能は関係なしに使用していますが、なかなかかっこいい。 こういう使い方もあるのかと思いました。 地下鉄利用者、東京都民としては、電車は乗るためのもの、移動手段であるということを考えると、構造と機能と関係のない部分にあまりにも費用をかけられてしまうと、そんなもの、作りたければ、自分でカネ出してやれという話になってしまうところですが、ガラスブロックを↑のように使ったとしても、もともと、そう高価なものでもないはずなので、このくらいなら、装飾のための出費でも認められてもいいのではないかという気もするのですが、どうでしょうか。
  「建築の美しさ」とは基本的には「構造の美しさ」であるべきで、不健康な人間が装飾品を身につけて化粧して飾るようなものではなく、運動選手が体を鍛えた美しさのようなものであるべきだとは思いますが、体を鍛えた構造の美しさというものを基本とした上で、装飾を少しくらいつけても悪くはないのではないか、化粧を少しくらいならしても悪くはないのではないか、装飾・化粧は絶対的に悪だとまで考えなくてもよいのではないか、とすると、kのくらいは認められてもいい範囲と考えてどうかと思うのですが、どうでしょう。


【5】 エスカレーターの手すりの色
  「エスカレーターの手すり」ですが、「標準職」と「オプション」というのか「特注色」というのかがあるみたいです。 「標準色」の例が↓
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↑ JR総武線「東船橋」駅のホームのエスカレーター。 
この青色と、他に赤系の「標準色」があるのではないでしょうか。 駅の他にもスーパーとか百貨店とかで見てみると、「標準色」の手すりが使用されていることの方が多いのではないかと思いますが、 前回[第 回] に写真を掲載した都営大江戸線「六本木」駅のエスカレーターの手すり、そして、上に写真を掲載した都営大江戸線「大門」駅の手すりは、「特注色」というのかどう言うのかわかりませんが、「建築家」が全体のデザイン・色彩に合わせてその色を指定してつけられたもののようです。
  すでに述べたことですが、鉄道の利用者としては、構造と機能に関係のない部分にあまりにも費用をかけるのであれば、その費用の分だけ運賃を安くしてくれればよいではないかと言いたくなる可能性もあるわけです。しかし、構造と機能に関係のない部分には一切費用をかけてはならないとまで言ってしまうと、まったく面白みのない建築しかできなくなる可能性もあるわけです。
  法隆寺宮大工棟梁であった西岡常一さんは『木に学べ』(1988.3.1. 小学館)で、≪ 建築物は構造が主体です。何百年、何千年の風雪に耐えなならん。それが構造をだんだん忘れて、装飾的になってきた。一番悪いのは日光の東照宮です。装飾のかたまりで、あんなんは建築やあらしまへん。工芸品です。人間でいうたら古代建築は相撲の横綱で、日光は芸者さんです。細い体にベラベラかんざしつけて、打ち掛けつけて、ぽっくりはいて、押したらこけるという、それが日光です。室町時代以降、構造を忘れた装飾性の強い建築物が多くなってますな。・・≫と述べており、≪建築物は構造が主体です≫というのはもっともで、建築は、体を鍛えた運動選手の肉体美のようなものと、≪ベラベラかんざしつけて、打ち掛けつけて、・・・≫とでは、構造の美しさの方、体を鍛えた運動選手の肉体美のようなものを基本として考えるべきものだとは思います・・・が、しかし、それなら、「かんざし」を少しでもつけてはならないのかというと、構造をいいかげんにして「かんざし」ばっかりというのは困りものであるとしても、まったく「かんざし」をつけてはならないとまでいうことはないと思うのです。
  構造と機能に関係のない部分にどこまで費用をかけてよいかというのはなかなか難しいところではあるのですが、エスカレーターの手すりの「特注色」くらいはとりあえず「許容範囲」と考えてもいいかな、とも思うのですが、どうでしょう。
  特に、↑の写真の東船橋駅などは地上駅ですから、駅自体は特別でない駅舎・ホームであっても、特別に名勝かどうかはさておき周囲の風景があります。しかし、六本木駅・大門駅など、地下鉄、及び、地下鉄でなくても地下の駅の場合、装飾の部分にまったく費用をかけてはならないとして殺風景な駅にしてしまって良いのかという問題もあると思うのです。地上駅では、周囲の風景・景観との関係を考えて、「地―草―花」という構成を考えた時に、駅は「花」になるのではなく、その場所に合わせて「地」か「草」のどちらかになった場合の方が良いケースが多い、もしくは、周囲に同化するようなデザインにした方が好ましい場合があるのに対し、地下駅では駅が「地」になると「地」しかないことになってしまうことになる。通路などで派手な広告版が貼られることが予測される場合、壁面・床面は派手すぎない方がよく、壁面・床面が「花」にならない方が良いということはあるとしても、構造・機能・意匠の3つは常に存在するものが建築ではあるものの公共交通として構造と機能に関係のない部分にあまりにも費用をかけ過ぎるのは好ましいと言えないとしても、地下駅においては駅そのものにも意匠の面で工夫があって「花」の部分がないと、利用者にとっても精神的に穴倉に入って行くような圧迫感・閉塞感を受けることになり、その意味では地下駅においては装飾は意匠であるとともに機能でもある面も持つとも考えられ、そういったことを考えると、地下駅の場合は、程度の問題もあるとは思いますが、多少は意匠の部分に費用をかけても悪くはないのかもしれない、とも思います。


【6】 電車の吊革の色。 京浜東北線と総武快速線。
  黒とグレーを基調としながら「金色というのか黄色というのか色」とで構成される大江戸線「六本木」駅と、黒とグレーで構成される(のかそれに点字ブロックの黄色が加わるのか)の「大門」駅を見た帰りにのって京浜東北線の電車ですが、↓
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↑ 「なんか、暗いな」と思ったのです。照明が暗いのではありません。イメージが暗いのです。 で、新橋で乗り換えた横須賀線・総武快速線の電車はどうかというと、↓
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↑ 上の方の京浜東北線の電車と下の総武快速線の電車では、吊革の色が違うのです。 京浜東北線の吊革は黒で、総武快速線の電車の吊革の輪はグレー(灰色)で、黒に近い方のグレーではなく白に近い方のグレーでした。 それが、印象に相当違いを与えていたようです。 
  京浜東北線や総武快速線の電車に乗ったことは何度もあるのですが、黒の部分が多い六本木駅と黒とグレーの大門駅を見た後なので、特に感じたということもあるかもしれません。 それもあるかもしれませんが、お江戸線「六本木」駅の場合は、昼間、明るい所から入ってくると「少々、暗い」という印象を受けても、夜、照明のない外の方が暗い時間帯に、日没後の外から入ってくるとそれほど暗いと感じないのと逆なのか、昼間、窓から光が入って明るい車内だと吊革が黒でもそれほど暗いというイメージがないのに、夜、外からの光が入らず、車内の照明だけの状況では暗いイメージを受けるということがあるのか。 六本木駅の場合は地下ですから、昼でも夜でもその場所の明るさに変わりはなく、そこに入ってくる人間が明るい所から入ってくるか暗い所から入ってくるかの違いがあるのですが、京浜東北線の電車は昼間は窓から明るい光が入って来て夜間は電車の人工照明のみとなるのでその場所の明るさ自体が変わります。だから、その場所の明るさがけっこう明るければ暗いというイメージはそれほどないものが夜になって人工照明しかない状態になると暗いと感じるということがあるということでしょうか。 北欧のインテリアは色彩が華やかなものが多いと言われますが、それは緯度が高い地域では冬になると夜の時間が長く、冬の長く暗い夜には、せめて室内には華やかな色のものをそろえることで、できるだけ明るい雰囲気にしようということからだと言われますが、京浜東北線の↑の電車は昼は悪くはないけれども、夜になると、「少々、暗い」ように感じました。


【7】 特に春から夏にかけて「いかにも暑苦しい」印象のフリーダムアーキテクツデザイン(株)の家
   ところで、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の家http://www.freedom.co.jp/architects というのは、なにゆえ、「『箱、はこ、ハコ』のコンテナ倉庫みたいな家」、もしくは「公衆便所みたいな家」「交番みたいな家」ばかりなのか([第262回]http://shinkahousinght.at.webry.info/201510/article_12.html に写真を掲載した阪急「箕面」駅前の公衆便所なんてフリーダムアーキテクツデザインの家とそっくり。[第262回]http://shinkahousinght.at.webry.info/201510/article_12.html に写真を掲載した高槻警察署北大手交番とか箕面警察署箕面駅前交番なんて、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の家とほんとにそっくり。 [第303回]《そっくりさんシリーズ・交番と公衆便所(3)朝霞台(朝霞市)・御茶ノ水(千代田区)・本郷(文京区) 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201412/article_2.html に写真を出した本郷三丁目交番(東京都文京区)もフリーダムアーキテクツデザインの家にそっくり♪ [第313 回]《一宮交番と裁判所、検察庁。交番には「幹部交番」と「幹部でない交番」があるんだね。公衆便所と交番研究 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201501/article_5.html に写真を掲載した千葉一宮区検察庁とか一宮幹部交番もフリーダムアーキテクツデザインの家とそっくり。)。 理由としては、「設計担当者に造形力がないから」というのが1番、「屋根と軒が何のためにあるのかわかっていないから」というのが2番。 さらに言うならば、「設計会社と施工会社が別であり、設計会社といってもやっているのは意匠設計だけであって、構造は別の設計事務所に判断させており、構造を判断している設計事務所は建築基準法の基準を満たしているかどうかしか考えていないから」でしょう。
   設計と施工をともにおこなっている建築会社であれば、完成して引き渡した後、入居後に問題が発生して対処に困るような建物は作りたくないという意識があり、同時に、構造だけを考えてあまりにも面白味のない建物も魅力がないので営業上は困るという両方のところから妥協点を見つけ出すようにしているのに対し、設計だけやっていて施工は他の会社にさせるという方式で、施工については、建築基準法を守っている限り「うちは悪くない」という認識(「副統括」という役職に入社1年程度にもかかわらずつかせてもらっていたオーナー経営者の親戚か何かかと思われる I 塚の発言)でいるので、それで「建築基準法に違反はしていないが、入居後に問題が発生する家」はいっこうにかまわないという認識になってしまっているからということがあるでしょう。〔施主・入居者の立場からすれば、誰が「建築基準法に違反はしていないが入居後に問題が発生する家」を作ってくれと頼んだ? そんなもの、作ってくれなどと誰も頼んでおらんだろうが、ということになるはずだ。〕
   建築基準法という法律は、その基準より低い基準で建ててはいけませんよという法律であって、その基準さえ守っておれば建築会社は責任を問われませんよという法律ではないはずであるが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の I 塚はその程度のこともわかっていない。 この基準より低い基準で建ててはいけませんよという基準である建築基準法の基準をすりぬけるような方法で建築確認申請を通して建てれば完成入居後に問題が発生する可能性は十分にある、同時に、設計会社が自分の所が設計会社なのだから施工会社は設計の内容に口出すなという姿勢で施工会社に設計会社の指示通りに施工させた結果、問題が発生したとなると、施工会社の方では設計会社の指示通りに施工したのだから「うちは悪くない」ということになり、設計会社のフリーダムアーキテクツデザイン(株)は構造設計の会社が建築確認を通すことができると判断した基準で設計したのだから「うちは悪くない」と I 塚のように言い張るならば、設計会社も施工会社も悪くないと主張することになり、どちらも「うちは悪くない」と言い張る領域が出てくることになり、「そうなると、悪いのはお施主さんだ」(フリーダムアーキテクツデザイン(株)の I 塚の発言)という理屈(へ理屈、反理屈)になる。客の立場に立てば、そんな家、建てたいか? 建築基準法をすり抜ける設計をしたのだから「うちは悪くない」という主張が根本的におかしいと思うのだが、そのあたりについて I 塚は認識できていないようだ。
   もう1つ上げれば、設計担当者にマンション住民が多いということはないか。 「マンションの住人に戸建住宅の設計をさせるとマンションみたいな家を作る」という話があるのですが、マンションの設計においては屋根とか軒をどうするかということは考えることはないわけで、同じ調子で、「屋根と軒のない箱状の家」を作り、間取りも「マンションみたいな間取り」「戸建住宅としては異常な間取り」を平気で作る、ということがあると思われます。実際、フリーダムアーキテクツデザイン(株)が設計した家には「マンションみたいな間取り」、「『地べたのある戸建住宅ならもっと他にやりようがあるのに』という家」があります。
   さらに、もう1つの原因として、設計担当者が歴史的建造物・有名建築やハウスメーカーの住宅展示場などを見学に行っていないのではないか。だから、「もっと、他にもやりようがある」ということが理解できないのではないかと思われます。そういう努力をしないから、だから、ひとりよがりの「箱、はこ、ハコ」しかできない。その「箱、はこ、ハコ」しかできない会社が、HPでは「世界にただ一つの家」などというコピーを入れていますが、実際は、「『箱、はこ、ハコ』というただ一つの形状しかできない設計」だらけの会社です・・・。
   そして、何より、「『設計士(さま)ヅラ』するのが習慣になってしまっている」という点。 「学歴詐称すれば人は言うことをきく」みたいに思っている人というのが世の中にいます。 そういう人というのは、自分が努力することで人に認めてもらおうとするのではなく、学歴詐称することで「人に言うことをきかす」ようにしようとします。それを繰り返していけば、そういったことをしない人なら身につくものが身につかなくなってしまいます。それと同じ。「設計事務所」だ、「設計士(さま)」だと主張することで、せっかく問題を指摘してくれる人があっても、それを踏みつぶしてしまい、実力がつかなくなってしまうのです。それがフリーダムアーキテクツデザイン(株)の設計です。そもそも。ハウスメーカーでは、「営業」「設計」「工事」「積算」・・・といった職種は基本的には対等なのです。1980年代後半に小堀住研(株)に入社した時点では、小堀住研(株)では「営業系」と「技術系」に分けて採用していましたが、「営業系」は4年生大学の法学部・経済学部・商学部など社会科学系学部卒業者、「技術系」は建築学科・土木学科卒業者というのが応募条件でした。入社してみると、中にそうでない人がいたので、「あれ?」と思いましたが、世間には「大卒しかとらない会社」と言っており、「設計」と「工事」と「工務」は「技術系」として入社した後で分かれ、「営業」は4年生大学の社会科学系学部出身者の仕事という位置づけで「設計」は4年生大学の建築学科・土木学科出身者の仕事という位置づけであり、どちらが上でも下でもなかったのです。そして、小堀住研(株)では職種名は「営業」「設計」「工事」「工務」と職種名も対等でした。それに対し、フリーダムアーキテクツデザイン(株)では「設計士」などと勝手に名のっておるのです。ヘボが。建築士の資格も持たないやつが勝手に「士(さむらい)」気取りでいるのです。
   (株)一条工務店では、「営業は頭のない人間がいいんだ」と中卒の営業本部長Aが言い、営業は中卒・高卒の人の仕事という位置づけで、「工事課」は4年生大学出身者の仕事、「設計」は4年生大学の建築学科などの出身者の仕事という位置づけであり、営業本部長のA野さんが「営業は、設計の言うことにはどんなことでも服従しろ」などと発言したことがあり、営業はせっかく努力して会社に貢献しても、そういう口を営業本部長からきかれるような地位の低い卑しい仕事と経営者が位置づけていたようなところがあり、そして、一条工務店では「設計」には「入社したその日からヘボ設計でも設計は殿さま」という認識の人間がいました。 私は一条工務店の営業本部長のA野の発言は間違っていると思いますが、そんな発言をするような人が営業本部長になっているということは大変なショックでした。但し、営業本部長はそういうおかしな発言をする人ですが、実際に仕事をしている営業は「設計の言うことには何でも服従」なんてしていたら仕事になりませんから、そんなことしているわけでもありません。実際、一条工務店の営業本部長Aの言うことなんかきいていたら営業できません。ジャン=ジャック=ルソーは国民の意思を特定の人間の意思である「特殊意思」、特殊意思の総合である「全体意思」、全体意思とは別に、その団体のあるべき方向を目指す意思である「一般意思」と3つの意思を定義しましたが、一条工務店の営業本部長のA野さんは、その会社の構成員全体からの「全体意思」、会社があるべきものを目指す「一般意思」ではなく、A野さん個人の「特殊意思」のことを「一条工務店では」と主張することが多い人であり、A野さんが「一条では」という言い回しで発言することはA野さん個人のその時の気まぐれでしかない場合が少なくなく、それゆえ、古くからいる従業員から「あの人みたいな、気まぐれには誰もついていけない」「あれは頭が薄いですから、相手にしちゃだめ」とか言われたりすることになったようです。だから、A野の発言はそのまま実状にあてはまるわけではないけれども、会社経営者が「設計」という職種の人間を新卒入社した右も左もわからない人間を入社したその日から殿さま扱いしていたことは事実です。 小堀住研(株)の新卒入社社員の研修では「小堀住研は昔から大卒しかとらない会社です。住宅会社の営業でも、たとえば、ミサワホームなどは営業は高卒の人が多いのですが、小堀住研の営業は大卒の営業で、小堀住研とミサワホームでは営業という職種の社会的位置づけが違います」と講師役の人が発言したように、会社によっても、職種間の位置づけが違ったようです。 このように、会社によって職種の位置づけは違うのですが、そうであっても、「設計」はあくまで「設計」であって、「設計士(さま)」ではないのです。それに対して、フリーダムアーキテクツデザイン(株)では、「設計士(さま)」扱いしてしまっているのです。そこに問題があると思います。
  小堀住研(株)に入社1年目に、千葉支店の設計課長 I さんが書いてくれた私が担当のお宅の図面について、I さんが「これ、目を通して、問題がないかどうか見て」と言うので、「私はまだ入社して半年も経っていない人間ですから、設計課長がいいと思われたものならそれでけっこうです」と言うと、「そうじゃないだろ。入社半年も経っていない営業でも設計課長が設計担当でも関係ない。営業担当者は設計が書いた図面を見て、お客様の要望が満たせているかどうか、使いにくいことはないか、そういったことを見て、よくないと思ったところがあれば設計担当に言わないといけない。営業から指摘されたなら、設計担当は、なぜ、そうしたのかといったことを説明するはずだ。営業はそれを聞いた上でお客様の所に行かないと、お客様から言われても答えられないでしょ。営業から指摘されて設計が答えられなかったなら、それは説明できないような図面を書いている設計が悪いんだから、遠慮することない。使いにくいとかおかしいとか思うところがあったら、いくらベテランの設計が書いた図面でも指摘していいし、言わないとだめだ」と言われたことがあった。そうやって営業と設計とで議論をして互いに向上していくということもあると思うのです。 一条工務店では、大工やその他の職人から教えてもらったことが少なくありません。何より、お施主様から今までの家はここが使いにくかったからこうしたいといった話を聞かせてもらったり、入居後に訪問して、ここをこうして良かった、これが使いやすいといった話を聞かせてもらい、そうやって知識・能力を蓄積してきたのです。ところが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の設計は、多くのハウスメーカーと違って、建築専門学校を卒業しただけで建築士の資格も持っていない若造が、 「設計士(さま)」になってしまって、「設計事務所」だから、「設計士(さま)」だから人の言うことはきいてはならない、みたいに思っている人間がいるようです。だから、向上しないのです。アホです、要するに。 最終学校を卒業してすぐに「設計事務所」に勤めるのはやめた方がいいのではないかという気もします。なぜなら、「設計事務所」に勤めると、「業者さん」が「先生」と呼んでくれたりすることがあるのです。私などは、複数の会社で営業や工事管理の仕事についてきましたので、「先生」なんて言われると、誰のことやねん・・、気色悪いなあ・・て気持ちになりますが、「先生」と言われて喜ぶ若造もいるようですね。そこで「先生」になってしまうと、学べなくなってしまい、「先生」ぶって「人に言うことをきかす」方式で生きるようになってしまうようです。 フリーダムアーキテクツデザイン(株)のE本などは、お客様と約束すると、毎回、遅刻する男でしたが、どうも、「設計士(さま)」は遅刻してもいいという認識でいるようです。 弁護士と一緒ですね。弁護士と約束すると、毎回、遅刻されてしまう、何十分も待たせたあげく、「どうもお」とか言って「すいません」も言わずに登場する、という弁護士いますよね。E本はそれと一緒なんです。若造のくせに。当人はそれで通じていると思っているようです・・が、通じてないと私は思います。なにより、「毎回、遅刻するヤツ」が担当した家は、「『毎回、遅刻するヤツ』の作品」になっています。 傲慢さがその作品としての家に出ているのです。本人は気づいていないようですが、気づいている人間は気づいています。
   営業がいて設計がいるという会社なら、お客様との約束に、毎度、遅刻して当然というE本のような男には、営業が苦情を言い、言っても治らないようなら、「あんな設計では仕事にならない」と会社に営業が苦情を言うことになり、そこで姿勢をいくらかでも改めるか淘汰されるかどちらかになる場合がある。又、営業がいて設計がいる会社なら、設計の内容が悪ければ、営業が「なんだ、この図面は」と、もっと、まともな図面を作れと言い、そういった中で「設計」の人間は技術的にも人間的にも練れていくことがあるが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)は「設計」に苦情を言って「設計」を育てる「営業」が存在しないという点にも問題の原因があるように思える。

   構造上の問題に無責任であるという会社の体質は簡単に変わらないとしても、デザインの点だけで考えても、「真っ黒のカラスみたいな家」というのは、冬はまだ良いかもしれないけれども、春から夏にかけて見ると、「いかにも暑苦しい」感じがする。 それ、わからんのんか!?! と思うのだが、わからんらしい。
   「白か黒のどっちかしか発想できない」というのは、それは、造形力がないだけでなく「色彩力がないから」です。 多様な色を採用すると失敗もあるが、白・黒・グレーにしておけばもともと白・黒・グレーなのだから「そんなもの」になるのです。 しかし、そればっかり。 白か黒かの「箱、はこ、ハコ」の「公衆便所みたいな家」しかできないというのは、それは、造形力の欠如、色彩力の欠如、そして、向上心の欠如を意味しています。
   「まっくろのカラスみたいな家」が特に春から夏かけて「いかにも暑苦しい」印象を与えるということくらいは、実物を見に行って理解するべきだと思うのですが、見に行かないのか見ても理解する頭がないのか。
   「真っ白の家」か「真っ黒の家」のどちらかがかっこいいという信仰を持っている設計担当者には、一度、大江戸線「六本木」駅を見学に行くことをお勧めしたいですね。 大江戸線「六本木」駅は「夜の前提」で設計されたものらしく、それゆえ、昼に行くと、やはり、「少々、暗いかな」というところはあるかもしれませんが、しかし、大江戸線「六本木」駅には「あまりにも暗くならないように」という工夫もあると思うのです。 そういう工夫をするのが設計担当者の仕事であり、建築会社従業員の仕事だと思うのですが、「まっくろのカラスみたいな家」が春から夏にかけていかにも暑苦しいというのを、感じていてもそれでもやるのか、わかっていないから性懲りなしにやるのか、そういうヘボ設計は、大江戸線「六本木」駅は「夜の前提」といっても、「ただ黒ければいい」という設計はされていない、というのを見に足を運んだ方がいいと思うのだけれども・・・・、「カラスみたいな家」「白か黒の建売色の家」がかっこいいという信仰にとらわれている未熟で実力がないにもかかわらずその自覚がない若造は見に行かないでしょうね・・・・。

☆ 都営大江戸線「六本木」駅と東京メトロ日比谷線「六本木」駅、大江戸線「麻布十番」駅、大江戸線「大門」駅、京浜東北線と総武快速線の吊革について、他 の(1)http://shinkahousinght.at.webry.info/201601/article_2.html で都営大江戸線「六本木」駅をとりあげさせていただきました。 ご覧くださいませ。

☆ 《都営大江戸線「六本木」駅と東京メトロ日比谷線「六本木」駅、大江戸線「麻布十番」駅、大江戸線「大門」駅、京浜東北線と総武快速線の吊革について、他》 は、六本木の 出雲大社東京分祠参拝の帰りに立ち寄った所について述べました。 [第275回]出雲大社東京分祠参拝http://shinkahousinght.at.webry.info/201601/article_1.html もご覧くださいませ。
   (2016.1.14.) 

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