「飛騨民族考古館」(上三之町)2。金森長近と忍者。吊天井2つの意味―高山シリーズ第2回(11)

[第288回]
【26】-5 高山の「民家」建築 5
《5》-2  「飛騨民族考古館」  (旧・医師 藤井玄泰邸→坂本邸)(高山市上三之町) 2
[B]  金森長近 と 飛騨 と 忍者 の関係考察

    高山藩の城主にも仕えた医師にして忍び(忍者)・・・・という、なんだか、小説か漫画か映画かテレビドラマに出てきそうな話ですが、フィクションではなく、実際にあった話らしい。
    で、高山の殿さんて誰なのか、というと、高山藩は江戸時代の初め、初代の殿さまは、金森 長近 で、織田信長から豊臣秀吉、徳川家康 と勝つ側についてきてのしあがった・・・みたいな印象がしないでもないのですが、・・・
※たとえば、
《ウィキペディア―金森 長近》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%A3%AE%E9%95%B7%E8%BF%91 参照。
    「飛騨高山たてもの博物館」(《高山市 行政情報 飛騨高山まちの博物館》http://www.city.takayama.lg.jp/bunkazai/machihaku/ 、《高山市 観光情報 飛騨高山まちの博物館》http://www.hida.jp/cgi-bin/kankou/sigview.cgi?admin=contents_view&id=104420192241&sig= )でもらった「飛騨高山歴史フォーラム 資料 金森宗和」の「金森家六代」には、
≪  金森氏は美濃国土岐氏の流れで、土岐郡大畑に住した大畑定近の二男が飛騨の領主になった可近(長近)である。
   可近は近江国金ヶ森に住し金森姓を称し、天文10年(1541)18才で信長に仕え、母衣武者として各地に転戦し、信長の1字を受け長近と改名、越前大野の城主となった。 天正13年(1585)秀吉の命により飛騨を平定し、翌年飛騨一国を賜り高山城とその城下町経営に着手した。 慶長5年(1600)の関ケ原の戦いでは徳川方につき、美濃国上有知2万石の加増を受け小倉山城を築いた。
   可重は長近の家臣長屋景重の子で、金森家の養子となった。 長近より古川郷を賜り、増島城を築き古川の町割を行っている。 長近没後金森家2代目を継ぎ、その菩提を弔うため城下東山に素玄寺を建立した。
   3代 重頼は可重の三男で、江名古川の流れを切り替え、宮川の西岸に下屋敷(現 高山陣屋)を建て、新安国寺(後の宗猷寺)や東照宮など多くの寺社を建立して城下町を整備し、新田や鉱山の開発にも意を注いだという。
   4代頼直は城山の南東に大降寺を建立し、また千光寺を再興した。病気がちでその平癒のための絵馬が日枝神社に多く残っている。
   5代頼業は一之宮二王門を建て、連歌を好む文化人であったが24歳で早世してしている。
   6代頼旹はわずか4才で家督を継ぎ、将軍綱吉の奥詰衆から側用人となったが、元禄5年(1692)転封を命ぜられた。
   以後 飛騨は幕府直轄領となり、金森家は出羽国上山(かみのやま)から郡上八幡へ移り、宝暦8年(1758)に改易となった。≫
と書かれており、結局、改易されちゃった・・・。
   茶道で有名な 金森 宗和 は、金森長近の養子の≪金森可重(ありしげ)の長男として生まれた。「宗和」は後の号であり、最初は重近(しげちか)と称した。≫と書かれている。
   西武・ヤクルトなどで野球選手として、デッドボールをぶつけられると大声をあげることで人気を得た 金森栄治は、金森の殿さまと関係があるのかないのか・・・知らん・・・が《ウィキペディア―金森栄治》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%A3%AE%E6%A0%84%E6%B2%BB を見ると、石川県金沢市の出身と書かれており、飛騨と幾分近い場所であるから、なんらかのつながりくらいないとは言えないかもしれない。

   金森長近は、柴田勝家・丹羽長秀・前田利家のように前々から織田家に仕えていた織田の家臣だったのかな・・と思っていたのですが、「飛騨民族博物館」で、どうも、滋賀県の守山のあたりにいたらしい・・と聞いて、ということは、金森長近も、羽柴秀吉・明智光秀・滝川一益のように信長が集めた信長の代で仕えた者で、司馬遼太郎の『国盗り物語』などを読むと、明智光秀は最初は越前の朝倉氏に仕えたが、朝倉家は譜代の家臣でなければ重く使ってくれないのに対し、信長はそうではなく、使えると思えば譜代でなくてもおかまいなしに使う人間であり、光秀も信長は好きではないが好きでなくても見込のない朝倉より希望があると織田信長のところに行こうと決心したというお話のように、とりたててもらおうという気持ちから信長のところに集まったメンバーのひとりか? そういえば、滝川一益は甲賀の出身という説もあったはず(《ウィキペディア―滝川一益》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E5%B7%9D%E4%B8%80%E7%9B%8A )で、となると、もしかして、金森 長近も滝川一益のように甲賀の出か? さらに、そう思って考えると、伊賀・甲賀は忍者の里として有名であるが、飛騨も忍者の里とされていたような気が・・・・してきたが、飛騨が忍者の里だというネタ元は何だったかいなあ・・・・と思ってよく考えてみると・・・・
・・→ 『怪傑ライオン丸』だった・・・・⇒《Daily motion - 快傑ライオン丸 最終回(1/2) 》http://www.dailymotion.com/video/xpo85l_%E5%BF%AB%E5%82%91%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E4%B8%B8-%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%9B%9E-1-2_shortfilms

    《ウィキペディア―金森 長近》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%A3%AE%E9%95%B7%E8%BF%91 を見ると、≪大永4年(1524年)に美濃の多治見に生まれる。父・定近は土岐氏の後継者争いで土岐頼武を支持したが、頼武は土岐頼芸に敗れて失脚し、定近も程なくして美濃を離れ近江国野洲郡金森へと移住した。天文10年(1541年)まで近江で過ごしたという。 18歳になると近江を離れて尾張国の織田信秀に仕官し、跡を継いだ信長にもそのまま仕えている。美濃攻略に従って功があり、赤母衣衆として抜擢。長篠の戦いでの鳶巣砦攻略、対越前一向一揆戦などで戦功を重ね、天正3年(1575年)、越前国大野郡に所領を与えられた。その後は信長配下の柴田勝家の軍団に属した。 天正10年(1582年)、本能寺の変で信長が家臣の明智光秀に討たれ(この際、嫡男長則は織田信忠と共に討死したため、長屋景重より可重を養子にとった)、勝家と羽柴秀吉が対立すると、柴田側に与したが、天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いで勝家が秀吉に敗れて自刃すると、剃髪して降伏し、秀吉の家臣となった。 その後は小牧・長久手の戦い、富山の役、飛騨国の姉小路頼綱討伐などで功績を挙げ、天正13年(1585年)、飛騨一国を与えられた。文禄3年(1594年)頃には秀吉の御伽衆を務めたという(『太閤軍記』)。・・ ≫とあり、これによれば、滋賀県の守山のあたりにいたといっても、もともとは美濃の出らしく、織田に仕えたのも、信長の代でではなく信長の父の信秀の時かららしい。
     となると、金森長近と「忍者」とは、甲賀つながりか? と思いかけたもののよくわからず、又、飛騨は忍者の里か? と思いかけたものの、ネタ元が『怪傑ライオン丸』では、そのまま信頼するわけにもいかなくなってくる。 (ライオン丸て、なんで、飛騨の出身なんだろな・・・・)

    金森長近が飛騨の領主になるより前の飛騨の領主は誰だったのかというと、《ウィキペディア―姉小路 頼綱》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%89%E5%B0%8F%E8%B7%AF%E9%A0%BC%E7%B6%B1 を見ると、姉小路 頼綱(あねこうじ よりつな)〔三木 頼綱(みつぎ よりつな)〕であったが、姉小路頼綱は本能寺の変の後、柴田勝家・佐々成政と結んだものの柴田勝家、佐々成政ともに秀吉との争いに敗れ、姉小路頼綱も秀吉の配下となった金森長近に敗れ、飛騨は金森長近の所領となった・・というものらしい。

     それで、金森長近が忍者と縁があるのか、飛騨が忍者の里であるのかないのかというのは、結局、よくわからないのだが、「飛騨民族考古館」のかつての住人が、高山城主に仕えた内科医で同時に「忍び」(忍者)だったようだ、というのは、論拠のない話ではないらしい。


[C]  「吊天井施工」2つの意味。  多くのツーバイフォー工法・木質パネル構法の住宅メーカーは「吊天井施工」をしている・・・・て知ってますか? 
    白土三平 だか 横山光輝 だかの忍者の登場する漫画に「吊天井(つりてんじょう)」なるものが登場し、「ぜひとも、お殿様をわたくしめの屋敷にて接待させていただきたい」とかなんとか言って招き入れ、酒や料理でもてなし、殿さまが気を許した頃、「吊天井」を落下させて圧死させる、「おのれ、吊天井とは卑怯なあ」「たばかりおったかあ」「しまった。吊天井だ。騙されたかあ」とか言ってやられる・・・というお話があったように思う。 それで、私は若い頃、建築業界に勤めるより前は、そういう「吊天井」なるものがあったのだろう、と思っていたのだ。
   しかし、住宅建築業界に勤務してみて、特に、木造の構造について学習し、在来木造の建築現場に足を運んで、戸建住宅の天井の施工を自分の眼で見たり、あるいは、自宅の小屋裏を見てみたりして、「吊天井」というのは、小説家か漫画家か映画・テレビドラマの演出家が考え出したもので、実際にはそういうものはなかったのではないのか、と思うようになったのだ。 なぜ、そう思うようになったかというと、まず、現在、新築される多くの戸建住宅の天井はどうなっているかというと、石膏ボードにビニルクロスを貼ったものが天井として使用されていることが多く、少々高級志向の方は布クロスを使ったりされることもある。 和室や和室前の広縁では「不燃天井版」といって石膏ボードに木目を印刷したものを貼りつけたものが使用されていることが多い。 和風志向の方で「プリントではあ・・・」という方は杉板を和室に貼ったりされるケースがあるが防火性能という点では「不燃天井版」の方が良いとされる。 それで、「石膏ボード」と「ベベルボード」と「ラスボード」と「タイガーボード」はどう違うかというと、石膏ボードのうち、クロスを貼るように表面が平らになっているものが「ベベルボード」、真壁和室などで左官工事で壁を塗る際の下地として使用する石膏ボードが「ラスボード」、石膏ボードを作っている吉野石膏という会社の商品名が「タイガーボード」で、「耐火(たいか)」と虎の「タイガー」を兼ねてつけられた商品名のようだ。 吉野石膏がテレビで「タイガーボードはつよ~い」と言って吉野石膏のタイガーボードが火をはねかえしたり虎のぬいぐるみがボカンとパンチをお見舞いしても大丈夫・・みたいなコマーシャルをやっていたのを見たことがあるが、実際には、タイガーボード、石膏ボードは火には強いものの、ぬいぐるみならともかく、虎でなくても普通の人間がボカンと殴れば穴が開く。 衝撃にはあまり強くない。 だから、「石膏ボード+ビニルクロス」とか「石膏ボード+布クロス」とか「石膏ボードの表面に木目をプリントしたやつを貼りつけた『不燃天井版』」とかが上から落下してきたとしても、落とした側は「思い知ったか、この外道めがあ。ぐぁっはっは~」とか言ってしてやったりとか思っていたとしても、落とされた側としては、なんじゃ、こんなもん♪ て感じ。 杉板なら上から落ちてくればちょっとくらいは痛いかもしれないけれども、別に命にかかわるようなものでもない。
※ 「タイガーボード」のコマーシャルは、たとえば⇒
《YouTube-いいなCM 吉野石膏 タイガーボード》https://www.youtube.com/watch?v=uCRkCIJIviU
    さらには、在来木造(軸組構法の木造、狭い意味での「木造」)の場合、天井はどう施工するかというと、たとえば、橋場信雄『建築用語図解辞典』(1970.2.1. 理工学社)の「木工事」のところを見ると、天井板を「野縁(のぶち)」という40ミリ×35ミリの横向きの角材でささえ、その野縁を「釣木」で梁・桁などから吊るす絵が描かれている。 一条工務店は、天井高を高くとるために、天井板を梁(はり)に直付けしていたと思うが、いずれにせよ、野縁(のぶち)にせよ、釣木にせよ、釣木受けにせよ、いずれも細い木であり、石膏ボードとクロスや杉板だけでなく、野縁(のぶち)や釣木も落ちてきたとしても、だからなんじゃい♪ て感じ。 別に死ねへんよ、そのあたりが落ちてきても。 梁(はり)・桁(けた)まで落としてしまうと、さすがにこれはけっこう太い材なので、たとえ死ななくても怪我する。 頭の上に落ちたりした時には死亡する可能性もあるだろう・・・・けれども、そうなると建物自体が無事ではすまないので、仕掛けた側もやられることになる可能性が大きい。 だから、 「ぎゃ~は~は~あ。 これで貴様もあの世いきじゃあ~。 ぐぁっはっは~あ」とか、もし、仕掛けた方が思ってたなら、おめでたいやつ!やる前にもうちょっと木造の天井の構造について学習してからにせえや・・・て感じ・・・。(インターネット上にも、天井施工の写真や図がけっこう公開されているようだ。)
   戦国時代とか安土桃山時代とか、信長とか秀吉とか信玄・謙信とかが生きていた時代にツーバイフォー工法なんて日本にはなかったはずだが、ツーバイフォー工法では、縦の枠材はツーバイフォー材(2×4 インチ)を使うが天井はツーバイテン(2×10インチの上に2階の床、下に1階の天井を貼る方法がツーバイフォー工法が伝来したころはされていたはずで、ツーバイテン材は1本1本で見ると在来木造の梁みたいに太くないので、これも落ちてきたとしても「痛いなあ。なんやねん、これはあ」と思う程度で死にはしないと思うし、 それを落としてしまうと、やはり、家そのものが破壊されるので、仕掛けた側もやられることになると思うのだ。
   かつて、ツーバイフォー工法(枠組壁工法)では、1階の上にツーバイテン(2インチ×10インチ)材を横に施工し、その上に2階の床、下に1階の天井を貼るため、いわば、太鼓の表裏のようになるので、2階で子供が飛び跳ねたりした場合、太鼓をドンと打ったような感じになって、在来木造よりも1階に音が響きやすい、と言われ、それがツーバイフォー工法の弱点だった。
   ミサワホームと小堀住研(→エスバイエル→ヤマダエスバイエルホーム)が施工してきた木質パネル構法は、在来木造とツーバイフォー工法(構法)の両方を参考にして考え出された構法で、両社のセールストークによれば「木造とツーバイフォーの両方からのいいとこどりの構法」ということになるらしい。  1980年代終わり頃、私が小堀住研にいた時、 同社の「営業知識マニュアル」に「吊天井施工」というものが書かれていて、それが同社の売り物のひとつ、特に、三井ホームなどツーバイフォーメーカーと競合になった時の同社の木質パネル構法の建物の「売り物」、対ツーバイフォーの武器のひとつだった。
   小堀住研の木質パネル構法は、在来木造とツーバイフォー工法をミックスさせたような構法で、1階と2階の間にツーバイフォー工法ではない太い梁があり、そして、「吊天井施工」をやっているので、三井ホーム(や三菱地所ホーム、大成パルウッド、東急ホーム、積水ツーユーホーム)などのようなツーバイフォー工法の建物が太鼓張り施工の天井であるために2階の音が1階にドンと響くのと違って、2階の音はツーバイフォーの建物よりははるかに響きにくい・・・といアピールするものだった。
   鈴木秀三・高橋明彦・友井政利『図解 Q&A ツーバイフォー 基礎編』(1987.12.10.井上書院)の「130 ツーバイフォー住宅は、上、下階で音がよく響くと聞きましたが、防止策はないでしょうか。」で、
≪ 2階の床根太が1階の天井下地材を兼ねる、いわゆる直張り工法であるため、上下音の響きは多少あります。≫ と正直に認めた上で、 ≪しかし、上下に住戸が分かれる重ね建てではないこともあり、問題は軽微であると思われます。≫と負け惜しみ言ってます。 その上で、≪最近、住宅の居住性の向上のため、神戸市住宅供給公社(高規格住宅等)で つり天井方式 が採用されています。≫と書かれています。
その「つり天井方式」とはどういうものかというと、 [第13回]《ツーバイフォー工法の構造現場と考察(3)~千葉市・星久喜モデルハウス【2】 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201102/article_10.html の《3》2階床を支える横架材と天井を支える横架材 で公開した写真を見てください。 今や、胡散臭い社長が従業員の給料払わずに逃げる小規模工務店でもこういう施工をしています。 
   ツーバイフォー工法のメーカーだってバカじゃないのだ。 その部分に弱点があって、競合メーカーにつっつかれる点になっていると知ると、その点を改良しようではないか、ということになる。 そして、現在では、多くのツーバイフォー工法のメーカーが ≪神戸市住宅供給公社(高規格住宅等)≫でやっていたという[第13回]《ツーバイフォー工法の構造現場と考察(3)~千葉市・星久喜モデルハウス【2】 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201102/article_10.html の《3》で公開した写真のような 2階床を支える横架材と天井を支える横架材を分ける「吊天井施工」をやっているようだ。三井ホームもこの写真のような方法をとっていたと思う。

   それで、だ。 小堀住研(→エスバイエル→ヤマダエスバイエルホーム)が25年ほど前に採用していた「吊天井施工」、ツーバイフォー工法がその後に採用したその「吊天井施工」だが、嫌いなやつが家に来た時に、酒でもだして注意力散漫な状態にさせた上で、天井をどすんと落としてやる細工・・・・・かというと、それがあったらおもろいような気がしないでもないが、そうではなく、2階の音が1階に太鼓を打ったようには響かないようにする工夫なのだ。
   2階の音が1階に太鼓をたたいたようには響かないようにする方法は「吊天井施工」だけではなく、三菱地所ホームは、たしか、2階の床をささえるツーバイテン材と1階の天井の間にゴムのようなものを挟んで衝撃を弱める方法をとっていたと思う。
   三井ホームなどがやっている2階の床をささえるツーバイテン材と1階の天井をささえるツーバイテン材を分けるという方法は、ひとつの工夫ではあるが、それまでの太鼓張り施工のツーバイフォーとこの2階床をささえる材と1階天井を支える材を分ける施工の家に住み比べた人は多くはいないと思う。実際のところ、効果がどれだけあるのかはよくわからないところもある。理屈から言って、「小太鼓を大太鼓に変えただけ」の可能性もないかと思うのだがどうなのだろう。
   三菱地所ホームのやっているツーバイテン材と1階天井の間にゴム状のものを挟んで衝撃をやわらげるという方法は、すくなくとも、やらないよりはいいのではと思える。  但し、三菱地所ホームの某住宅展示場に言って、同社の若い営業に「ツーバイフォー工法では2階の床と1階の天井が太鼓のようになるので2階の音が1階に伝わりやすいと聞きますが、どうなのでしょう」と三菱地所ホームではどういう対策をとっているか質問してみたところ、普通、営業なら、うちはこんな対策をとっていますから他社とこういう違いがあるんですよと得意になって話すものだと思うのだが、その若造はふてくされて「そんな話ありません」と言い、せっかくの自社がとっている対策をろくに説明もしなかったので、こいつはだめだ、と思ったことがあった。 三菱地所ホームは25年ほど前に私が小堀住研にいた時に競合になった際にも感じたが、三菱系の会社に勤務しているある程度以上の役職と年収のある人に「三菱」つながりで契約にもっていく方法で営業している節が感じられる。それが悪いわけではないが、そういうつながりのない人間が展示場に来場しても大事にしない傾向があるという印象が私にはある。 三菱地所ホームは、いっそ、住宅展示場の入口に、「いちげんさん、お断りどすえ~」と看板だしておいたらどうか、と言いたくなるところもある。そういう企業イメージがある。

   それで、2階で飛び跳ねたりした場合の衝撃音が太鼓のように1階に伝わったりはしない工夫を「吊天井施工」と住宅メーカーは呼んできたのだ。 
   嫌いなやつが家に来たときに懲らしめてやる設備・・ではないのだ。 嫌いなやつが来た時に懲らしめる設備なら、けっこう付けてほしいという人、いるんじゃないかという気もするし、標準仕様ではなくオプションで追加料金がかかっても「ぜひ、つけたい♪」というお施主さん、けっこういそうな気もするのだが、そういうものではないのだ。

   嫌いなやつが来た時に懲らしめてやるシステムとしての「吊天井施工」というのは、お話の上でのもの、小説か漫画か映画かテレビドラマか何かに出てくるものであって、実際にはそういうものはなかったのだろう・・・・と思ったのだ、私は。 ところが、そうではなかった。 あったんだわ、実際に。
   どこにあったかというと、ここにあった。 高山市上三之町 の「飛騨民族考古館」にあったんだわ。
※《高山市観光情報 飛騨民族考古館 (高山市観光課)》http://www.hida.jp/cgi-bin/kankou/sigview.cgi?admin=contents_view&id=104420192643&sig=

   それで、気に食わないやつをやっつける方法としての「吊天井施工」だが、「飛騨民族考古館」では、1階の奥の中庭に面したもっとも良い部屋、座敷の上に「吊天井」の装置があるようで、吊天井を操作するのはその部屋の手前の表面は書棚になっている所から入ってやるようで、「吊天井」が構造的にどうなっているかは2階の部屋から座敷の上の小屋裏をのぞいて見ることができます。
   「飛騨民族考古館」で、写真を撮影させてもらってもいいか尋ねてみたところ、展示物の写真は撮らないでもらいたい、家の写真は撮ってもらってもいいという返事をいただいたので撮影させていただきましたが↓
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↑ これが、「吊天井施工」なのですが、私は現地で見てきたのである程度はわかるが、現地で見ていない人がこの写真だけ見ても、ほとんどわからないのではないかと思います。 ぜひ、実際に高山の「飛騨民族考古館」に足を運んで見学されることをお勧めします。

   もし、1階の座敷に通した客の上に「吊天井」を落とそうとした時には、天井板と野縁・釣木だけが落ちるのではなく、それを吊っている太い梁もまた落ちる。 かつ、吊天井とともにその梁を落としたとしても、建物は倒壊しないようになっているらしい。 もっとも、1回、天井とその上の梁を落下させて使用した後、再度、元の状態に戻して使用できるのかというとけっこう難しいのではないかという気もしますし、あくまで非常手段であって頻繁に使うものではなさそうです。
   阪神淡路大震災の時、家屋が倒壊する際に、上から太い梁が落ちてきてそれに挟まれて脱出することができなくなって死亡することになってしまったというケースがあったらしい。 建物を支える柱や梁といった構造材はほそ~いものを使うよりもぶっといものを使った方が一般的には強いはずなのですが、梁の場合は、頭上から落下した場合には、太い梁に体が挟まれて脱出できなくなる、ということもあるようです。 その原理を意図的に使って、「やっつけたいヤツ」の上に天井板・野縁・釣木だけでなくぶっとい梁を落下させるというのが、この「吊天井施工」のようです。 「てこ の原理で・・」といった説明書きが書かれていたよにも思うのですが、今ひとつよくわかりません。 私は「飛騨民族考古館」訪問は2度目ですが、3回くらい行くとわかるようになるかもしれません。
   この「吊天井施工」がある座敷の上の小屋裏を覗き見ることができる2階の部屋の柱に、前回、[第287回]飛騨民族考古館の1回目 http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_11.html で公開した写真の落書きがされています。 何故、そのような落書きをしたい気持ちになるのでしょうか。そういうことは絶対にやめてほしいと思います。

   「書棚」↓の奥に吊天井を操作する場所への入口があるらしい。
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↑ 『鬼平犯科帳』に、鬼平(火つけ盗賊改 長官・長谷川平蔵)が使っている密偵・粂八が経営する船宿に怪しげな客が来たとき、「2階の角部屋」に通すよう指示をだし、その部屋には階段と別に1階から上がる梯子があって、梯子を上った上には「2階の角部屋」を覗き見て中の会話を聞くことができる小室がある・・というお話になっているが、それを思わせるような入口。

   「飛騨民族考古館」では、展示物の写真は撮影しないでほしいが家自体の写真は撮影してもよいと言ってもらったのですが、それではと思って家の写真を撮影させていただくと、この界隈は観光客が多い界隈で外国人の観光客も多く、白人のおっさんが展示物の写真を至近距離から撮影していたので、私は良識をもって家自体の写真は撮影させてもらい、その端の方に展示物が写るくらいはよしとしていただくとして、展示物の写真は撮影しないでもらいたいと言われているのだから、展示物を撮るような撮影のしかたは控えるようにしましたが、写真撮影している者がいるとここは撮影して良いのだと勘違いする人も出てくるようなので、展示物の写真撮影は控えてもらいたいと言われているのに撮影する人が出てこないようにするために、他にも来場客がいる時には家の写真も控えた方がいいかと思うようになり、その結果、「飛騨民族考古館」では他の高山の「民家」に比べて撮影した枚数は少なくなりました。
    展示物の撮影はやめてくれと言われたからには、展示物を撮る撮影は控えるべきですが、正直に尋ねない人もいるし、少々、距離が離れた宮地家住宅・松本家住宅には建物に関心がある人が行くことが多いのに対し、「さんまち」には様々な人が来るし、「飛騨民族考古館」の場合、「忍者屋敷」だとして遊園地の「お化け屋敷」とか「見世物小屋」と一緒だと勘違いする人もいるようです。
    それで、「飛騨民族考古館」の座敷はなかなか立派です。 展示物がまったく写らないようには撮影できないので、↓このくらいはいいにしてください。 どうしても撮りたかったのです。
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↑ 「吊天井」が上になされている部屋です。 いいかげんな部屋の造りではありません。 なかなかの座敷です。 吊天井を落下させてでもしとめなければならない相手を通す部屋なので、その意味でもいいかげんな部屋ではないのでしょう。

    実際に実行されたことがあるのかどうかわからないし、効果がどれだけあったのかもわからないが、嫌いなやつをやっつける「吊天井施工」は実在したようだ。  
    ちなみに。 内田康夫の「浅見光彦シリーズ」に登場する内田康夫の発言によると、浅見光彦というのは東京都北区西ヶ原、たしか京浜東北線の「東十条」駅の西のあたりだったと思うのだがに住んでいる実在の人物で、小説上の架空の人物だと思っている読者がいるらしいがそうではない・・・・・らしいのだ。 となると、ゴルゴ13 とか 仕掛け人藤枝梅安 とか 必殺仕事人とかも実在しても悪くないような気もしないでもない。
[第164回]《G(ゴルゴ13)に依頼する方法 「讃美歌13番」とはいかなるものか 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_7.html
[第165回]《「藤枝鍼灸院」と検索エンジンに入れてクリックすると・・。「梅安先生はいらっしゃいますでしょうか・・」 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201302/article_8.html
[第200回]《『必殺仕事人』の里(1)上―上野東照宮 訪問「あきらめるのはおよしなさい。あなたのそばに仕事人」上》http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_5.html
[第201回]《『必殺仕事人』の里(1)下―上野東照宮訪問「あきらめるのはおよしなさい。あなたのそばに仕事人」下》http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_6.html
でもふれたが、もしかすると、「あきらめるのはおよしなさい。あなたのそばに仕事人、恨み晴らしてみせます」と引き受けてくれるかもしれん。
《YouTube-必殺仕事人 OP》https://www.youtube.com/watch?v=8WD1ckiHdeM
  いったいどっちの味方かわからんようなクズ弁護士に100万円払うよりも、もとより期待も希望ももてない裁判所みたいなものに期待するよりも、ゴルゴ13に1000万円払う方がよっぽど価値があるとも言える・・・実際問題として。もし、1000万円でゴルゴ13が引き受けてくれるなら、私の生命保険金で払えるから、自分の命と引き換えにでも依頼したい気がしないでもない・・・。  もっとも、振り込め詐欺の変種として、インターネット上に「恨み晴らして見せます」と「殺し屋」を名のって提示し、大金を振り込ませた上でほとんど何もしないような、いわば、カネだけ振り込ませてまともに働かないカス弁護士の同類みたいなやつもいるらしいから要注意だ。
〔 弁護士と一緒に裁判所に行くとき、それは、小早川秀秋を連れて関ケ原に行く西軍(この場合の「西軍」とは終始態度に変化がなかった石田三成・宇喜多秀家・大谷吉継・小西行長らの隊をさす)のようなものだと思っておいた方がいいと私は思う。 ここで攻撃してくれたら・・・というところで攻撃しない。 かつ、まさかと思うところで、依頼者を攻撃したりする。 そういうアホ、カスだと思っておいた方がいい。 私はそう思うようになった。
≪ (小早川秀秋は)城門の内側まできたが、さすがに門外の三成のそばまでゆけず、門の柱の蔭から、子供がかくれんぼうをするようなかっこうで、そっとのぞきみた。
   それを、めざとく三成の視線がとらえた。金吾かっ、と三成は、この衰弱しきった体のどこから出たかと思えるような大声で叫んだ。
「その窺い方のあさましさよ」
 と叫び、得意の検断を開始した。汝(うぬ)は太閤閣下の御縁者であり、御恩をもっとも多く蒙りながら、殿下の天下をぬすみ去ろうとする老奸に加担し、義を捨て、盟友を裏切った。うぬの醜名は日本国に人が住みつづくかぎり語り伝えられるであろう。わしが鬼となってののちは、うぬをこの地上には生かしておかぬ。≫
(司馬遼太郎『関ケ原 下』1966.11.20. 新潮社)〕


   今は昔、福島県の いわき中央警察署の警察官に聞いた話なのだが、福島県でも内陸部の会津などに比べると、海よりの浜通りの人間というのは気が短くて荒い・・と会津あたりの人間は思っているらしく、会津あたりの出身の警察官には浜通りの警察署に勤務するのを嫌がる人間もいるらしい。 実際に、何かの事件の調査で いわき市のある家に行ったところ、その家の人間が犯人だというわけでもないらしかったが、「帰れ!」と言ってバケツで頭から水ぶっかけられた、というのだ。 「警察の人間にそれやるんですよお」と彼は語ったのだが、その人はそうであったかどうかわからないが、実際のところ、警察の人間というのは頭から水ぶっかけてやりたくなるような無礼な態度をとるから、「帰れ!」と言って頭から水ぶっかけた人の気持はわからないではない。
※たとえば、
[第94回]《落し物は届けるな、犯罪捜査に協力するな! ~ 警察の恐怖(1)―川崎市の警察と いわき市の警察 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201204/article_7.html  とか
[第276回]《警察の恐怖(14)-福島県浜通りの警察。夜道でひとのクルマの中を懐中電灯で執拗に覗くやつら、他。 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201408/article_1.html  とか・・・。
   これは今はもっと昔、私がまだ大学生であった時、川崎市のアパートに来た読売新聞と日経新聞の拡張のおにいちゃんが言った文句、「お願いしますよ。 先輩、どうか助けてください。 きょうはもう、いいことぜんぜんないんですよ。 朝、出かけようと思ったら、自転車にズボンひっかけちゃって、ほら、ここほつれちゃったんですよ。 それで、ここ来たら、そこに犬がいるの知らずに階段登ろうとしたら、『ワ~ン!』と吠えられちゃって、『うわぁ~あ』とびっくりしたらそこにあったバケツ蹴飛ばしちゃって水かぶっちゃったんですよ。 もう、気持ちがめげちゃって、ここでハンコの朱肉の赤い色見せてもらえないと、もう、次、行けなくなっちゃうんですよ。 お願いです。どうか助けてください。 どうか見捨てないで助けてください。 あ、読売きらいでしたよね。 そうですよね。あんなの読む気しないですよね。 日経とってくださいよ、日経。日経なら読む気するでしょ。 なんか、暑いですね。ビール飲みたくなってきますね。 ビール、買ってきましょうか。購読していただけるなら、ビール買ってきますよ。 飲みたいですよね」と・・・・・今、考えると、その熱演に「座布団1枚として日経3か月」とってあげても悪くないような感じだったが、「わ~ん」と吠えられて「うわぁ~あ~あ~あ~あ」とびっくりした拍子にそこにあったバケツ蹴飛ばして水かぶっちゃった・・・そうだ。
   警察官が「巡回連絡」とか称して市民のプライバシーを侵害に来て断っても断っても帰らない(不退去罪で110番通報してやりたくなるくらいだが)時のことを考えて、「わ~ん!」と吠える犬と、吠えられた時に蹴っ飛ばす用の水入りバケツを置いておくと。 その方法があるのと違うか? 自分で蹴飛ばして水かぶったからには蹴飛ばしたやつが悪いんだから、暴行罪だとか公務執行妨害罪だとか言い出しようもないだろう・・・。まさか、言うかな? 案外、ポリがポリバケツにあたりちらしたりとか、イヌが犬をいじめたりとか・・・いつも、何人もでよってたかって市民に暴力をふるうのになれているケーサツ缶、1対1なら並の柴犬に負けよったりとか・・・、ありそうかも。 いずれにせよ、これが、「『巡回連絡』撃退用 現代版吊天井施工」。 もっとも、本来、任意のはずの「巡回連絡」を強制する無法者を撃退するのに幾分は効果があるかもしれんが、致命傷を与えることができるわけではないので、必ずしもお勧めできるものとは言えないかもしれないが。
※「巡回連絡」については、
[第119回]《脅迫による強制でも“任意の「巡回連絡」”だと主張する警察―栃木県佐野市の警察(1)~警察の恐怖(4) 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201208/article_4.html
[第268回]《女性巡査の「巡回連絡」に警戒せよ!―男性の気持・思いやりを土足で踏みにじる女、来客を追い返す女【中】 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201406/article_4.html 参照。
※1対1だと警察官はどうなるかというと、たとえば、
[第198回]《巡査が美人局でカツアゲされた? 交番に駆けこんでも頼りにならんよ+磯崎新先生、警官が痴漢しない設計を 》http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_3.html 参照。
   (2014.9.17.)

  次回 http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_13.html  は、飛騨民族考古館の3回目です。 ご覧くださいませ。

☆ 高山シリーズ第2回は、
(1)国府町村山天神参拝(1)上枝駅から宮川沿い http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_2.html
(2)国府町村山天神参拝(2) http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_3.html
(3)国府町村山天神参拝(3)浸透桝で雨水処理、赤松は赤い http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_4.html
(4)あじめ峡、あじか、廣瀬神社、国府小学校http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_5.html
(5)国府大仏、阿多由太神社http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_6.html
(6)飛騨国府駅周辺。「耳付片流れ屋根」http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_7.html
(7)松本家住宅上・ヒラノグラーノhttp://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_8.html
(8)松本家住宅下・宮地家住宅上http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_9.html
(9)宮地家住宅下・平田記念館http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_10.html
(10)飛騨民族考古館1 http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_11.html
(11)飛騨民族考古館2 今回。
(12)飛騨民族考古館3 http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_13.html
(13)飛騨民族考古館4 版画喫茶ばれん、質屋の入口から逃げていく裁判官 http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_14.html
(14)飛騨高山まちの博物館(矢嶋家土蔵、永田家土蔵)http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_15.html
(15)東西反転プランでは玄関だけ移動するのか、全体が入れ替わるのか。http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_16.html
〔(16)~(20)の前提として、権威主義的パーソナリティーの「デザイナー」が「建築家」の名前だけで敬意を表した慶應義塾大学日吉(新)図書館について http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_17.html 〕
(16)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 1 JR日光駅はフランクロイド=ライトの設計でなければ価値はないか? http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_18.html
(17)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 2 http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_19.html
(18)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 3 掃除しにくい細かい桟、マーケティング的発想のない店 http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_20.html
(19)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 4 料理を出せないついたて、店のコンセプトが理解できない建設部長、日露戦争100周年と平気で口にする女性 http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_21.html
(20)高山の町家で曲がった松をわざわざ柱に使用するか? 5 「酒が飲めない人にも飲める酒」を勧められない「日本酒ソムリエ」、 人事総務の最低スキル http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_22.html 
(21)飛騨総社 他 http://shinkahousinght.at.webry.info/201409/article_23.html

☆ 高山シリーズ第1回 は、
上 [第202回]《飛騨天満宮(高山市)‐冤罪を晴らす神・菅原道真・怨念を晴らす旅(12)上、松本家住宅、飛騨の家具館他》http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_7.html
中 [第203回]《飛騨天満宮(高山市)‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)中。「天神」考察。居酒屋はいいかげん。》http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_8.html
下 [第204回]《飛騨天満宮(高山市)下‐冤罪を晴らす神・菅原道真(12)。高山市の白山神社。高山市役所。》http://shinkahousinght.at.webry.info/201309/article_9.html 
です。 ぜひ、ご覧くださいませ。 

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