新年の御挨拶。 馬事公苑。 干支と暦と家相、その他。 裁判所はなぜ元号を強制するのか。

[第221回] 2014年の第1回です。
   新年のご挨拶をさせていただきます。 昨年、このブログを読んでくださった方、どうもありがとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

   新年は、西暦2014年、元号では平成26年で、干支は午(うま)(馬)です。 『高島易断 2014 平成二十六年神宮館運勢歴 東京神宮館 蔵版』(2013.7.10.神宮館)を見ると、2014年は「甲午(きのえ うま)」の年だそうです。 十二支の方はけっこう馴染みがありますが、十干と十二支が組み合わさって、5×12=60通りになっているものの、十干の方は知らずに過ごしている場合があるのではないでしょうか。 甲午(きのえ うま)とは《ウィキペディア―甲午》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%8D%88 には、≪干支の組み合わせの31番目で、前は癸巳、次は乙未である。陰陽五行では、十干の甲は陽の木、十二支の午は陽の火で、相生(木生火)である。≫と書かれています。
   最近、パソコンの「ワード」を扱っていて驚いたことがあります。 「挿入」タブで、「テキスト」グループの「日付と時刻」ボタンをクリックすると、「日付と時刻」ダイアログボックスが出てくるのですが、そこで、「言語の選択(L)」を「日本語(日本)」にした場合に、「カレンダーの種類(C)」で、西暦か元号かを選ぶことができるのですが、そこに、元号のことを「和歴」と書かれている のです。「元号(げんごう)」を「和歴」と言うのは適切な表現ではないでしょう。「元号(げんごう)」は「元号」と表記するべきだと思います。 
   西暦と元号の他にも暦はあるわけですが、日本ではこの2つ以外のもので表記されてもわからない人が多いと思います。 私は、子どもの頃からこの2つを併用してきましたが、高校・大学の頃から、「西暦を主として使用し、元号も併用する」というようにしました。 西暦を主とするべき理由は、
1. 外国との関係があるもの、世界的なものは、西暦でないと、元号では外国の人間はわからないし、外国の文書に元号では記載されていないので、世界の中の日本として、外国とのかかわりを考えて思考する場合は、西暦でおこなうべきである。
   日本では、数字を表記する際にカンマ(,)を万、億、兆と4ケタごとに打つ万進法のではなく、千、100万、10億と3ケタごとに打つ千進法で記入していることが多い。 昔、小学校の先生から「3ケタごとにカンマを打つとわかりやすいでしょお~お」と言われ、どこがわかりやすいんだ、万、億、兆と4ケタごとにカンマを打つならわかりやすいが、千、100万、10億などという中途半端なところで打っても少しもわかりやすくないではないかと思ったが、この3ケタごとにカンマを打つのは、万(ten thousands)・億・兆と4ケタではなく千(thousand)で3ケタごとに切り上がる欧米式を採用してのものだったのです。 日本語の数字の表現に合わせて4ケタごとにカンマを打つ万進法をとる方がよいという考え方もあるでしょうけれども、外国、特に欧米とのビジネス他のかかわりを考えれば、欧米式を採用しておいた方が便利である面はあると思えます。年の表記について、外国では通用しない元号で表記していたのでは国際的な考え方ができなくなってしまうことが考えられます。
2. 西暦は、紀元後と紀元前だけで、他に変わることがないが、元号では天皇がかわるごとにかわるため、平成と昭和くらいなら、たしざん・ひきざんをして計算できても、明治・大正になると、何年前かと計算する場合、異なる元号の年の間について、何年間なのか計算しようとした時、計算に手間がかかり、手間がかかるということは間違いが発生する確率が高くなる。
3. 江戸時代以前については、元号がしばしばかわっている為、繁雑で、いつのことか判断しにくい。
4. 明治以降の元号は、天皇が即位した時から始まるようになっているが、宮中行事についてならともかく、そうでないものは天皇を中心として動いているわけではないのに、元号という天皇を中心とした暦で表記するのは不適切である。 天皇を中心とした思考をさせようという反動の動きに加担するわけにはいかない。
5. 元号表記では元号が作られるより前の時代のことを述べることができない。 『古事記』などでは、元号が作られるより前の時代は「○○天皇の◇年」といった表記がされている場合があるが、その表記をするとしても、天皇というものが地上に出現するより前の時代を述べることができなくなる。天皇というものが地上に登場してから歴史が始まったのではなく、地球の歴史が始まり人類の歴史が始まってから後に天皇というものが出現したのである。
という理由から、「西暦を主として使用」するようにし、但し、
(1) 元号も現実に使用されている。
(2) 戦前生まれの人には、西暦よりも元号の方が、その人が生まれてからの事件について述べる場合にはわかりやすい場合があるらしい。
という点から、「元号も併用する」としてきました。
  ところが、理解に苦しむことに、裁判所では、西暦で表記したり述べたりすると、それを元号に変えさせようとする者がいるのです。 ドイツ語の哲学用語で「ザイン」(あるもの)と「ゾルレン」(あるべきもの)という言葉がありますが、現実に「あるもの」としてどうかというと、裁判所というのは極めていかがわしい傲慢不遜で法の敵ではないかと思える所ですが、「あるべきもの」としては遵法精神と民主主義の場所で「あるべき」場所のはずですが、その裁判所が西暦を元号にかえさせようとするのです。 私は、若い頃、司法試験を受けて裁判官か弁護士になろうということも考えたことのある者です。 それをうかつに話すと、そういう仕事はもっと人間的にすばらしい人間がなるものだ、とか、リーガルマインドのある聖人のような人がなるものだ、とか言う者がいて、要するに、「おまえなんかがなるものじゃない」と言いたいらしかったのですが、そこまでものすごいスーパーマンでないとなれないものかというと、現実になっている人間を見ると、バカばっかり・・・。 そこまで言わないにしても、西暦で表記したり述べたりしたものを元号に無理強いしてかえさせようというその神経は何なのだろうと思うし、リーガルマインドという点から平気なのかとも思うのですが、平気らしい、というか、もとより、リーガルマインドなんか、かけらも持ち合わせていないという裁判官・書記官が少なくないのでしょう。


   それで、とりあえず、「馬」です。↓
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虎とか猿とかなら動物園にいます。 竜はいないけれども、タツノオトシゴなら水族館にいます。 しかし、馬はどこにいるか?  最近は農家でも農作業に農耕馬を使うことは少なく、たいてい、石油を燃料にするトラクターとかを使っていますし、動物園にも馬はいないことが多い。 道路をクルマで走っていると、「競走馬移送中」とか書いたクルマが前を走っているのに出くわすことがありますが、馬そのものは道を走っているのを見かけることはありません。 競馬場にはいるのでしょうけれども、競馬の開催日でなければ、馬舎にいてもなかなか見れないのではないでしょうか。
   この↑写真は、東京都世田谷区上用賀 の馬事公苑(ばじこうえん)http://www.jra.go.jp/bajikouen/ )で撮影したものです。 [第217回]《若林天満宮(若林北野神社)(東京都世田谷区)参拝―冤罪を晴らす神さま・菅原道真(14)+東急世田谷線》http://shinkahousinght.at.webry.info/201312/article_5.html の終わりの方で述べましたが、馬事公苑はJRA、日本中央競馬会が運営しており、「関係者以外立ち入り禁止」のエリア以外は誰でも無料で入場することができます。 最寄駅は東急田園都市線の「用賀(ようが)」でしょうか。 渋谷・用賀・千歳船橋からバスが出ているように、馬事公苑のHP《公共交通機関のご案内》http://www.jra.go.jp/bajikouen/html/access.html には書かれています。 馬術をおこなう場所だけにある程度の広さがありますが、入口は北側にあります。


↑すべてのエリアに立ちいることができるわけではありません。 敷地全体からすれば、立ち入ることができるエリアの面積の方が狭いでしょう。
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↑ 樹木を馬の形状に剪定したものです。樹木の自然な成長と相いれないところもあります
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↑ 東急世田谷線「上町」駅。 東急田園都市線の「用賀」以外ならば、東急世田谷線の「上町」が「最寄駅」ということになると思いますが、そう近くありません。歩くとけっこうあります。
東急世田谷線は、都電荒川線と同様の路面電車か・・・と思いそうで、実は私もそう思っていたのですが、専用軌道を走っています。 駅は無人駅と有人駅があるようで、「上町」駅には駅員さんがいました。
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↑ 東急世田谷線。「西太子堂」駅にて。

   私は、もともとは、暦とかをあまり重視しない人間だったのですが、住宅建築業の会社に勤めたことから、「暦」や「家相」は無視して生活できないことになりました。
   「家相(かそう)」について、在来木造の住宅建築請負業 I 工務店に中途入社した1992年、東京営業所で一緒だった新卒入社1年目のF原くんが、「『家相なんて考えたら、家は建ちませんよ』と(その時、F原くんが追客中の見込客に)きっちりと言ってありますから」と事務所内で口にしたことがあったので、この人は、ちょっと考え方を間違えているのではないのかと思ったことがありました。 在来木造の I 工務店はムクの構造材を使っているということを「売り」にして、地方都市を得意とする会社でしたが、そのわりに、「家相」については、東京営業所、及び、本社の浜松付近の人間には、軽く考えている人間が多い会社でした。 
   まず、「家相なんて考えたら、家は建ちませんよ」て、その発言は「きっちりと」言ったことになりますか? そういう軽々しい口をきく者を「きっちりと」した人間と言いますか? なぜ、新卒入社して半年も経っていない彼がそういう軽率なことをおおいばりで口にするのかというと、本社での研修でそういうことを教えていた者がいたのでしょう。ある程度以上のベテランの社員で。 だから、その点においては、この会社は「レベルの低い会社」だったのです。 
   但し、その後、「浜松流」の影響が少ない福島県浜通り地方 いわき市の営業所に転勤で行くと、いわき市の営業の人たちは、F原くんやF原くんを「社員教育」した人のような不遜・軽率なことを言う人は少なかった、というより、福島県のようなところで、「家相なんて考えたら、家は建ちませんよ」などと「きっちりと」言われたら、それだけで断られます。 東京など都市部では、家相や暦は重視する人とまったく考えない人がいますが、福島県などに行けば、無視して生活はできません。 静岡県というのは神奈川県と愛知県の間にある県のわりに、保守的な県だと言われたりしますが、静岡県遠州地方発祥のI 工務店が、こういった家相を軽視した軽率なちゃらちゃらした態度を研修しているというのは、どうも理解に苦しむことでした。
   「家相」というものをどう考えるか。どう対応するかは、住宅を建てようという人にとってはなかなか難しい問題です。 あまりにも「家相」というものを重視しすぎると、その結果として、使いにくい家になってしまう場合もあります。 そもそも、「使いにくい家」というのは「家相が良い」とは言えないはずです「使いやすい家」というのはその点で「家相が良い」はずなのです。 又、家相を判断する専門家と言われる人がおられるのですが、複数の方に意見をきくと、その人によって重視するものが異なるために、意見が違い、両方の意見を満たしたものにしようとすると、それこそ、「家が建たなくなる」場合も出てきます。
   「家相」として言われている個々のものについては、おおいにもっともだと思えるものもあれば、今の時代においてはあてはまらないと思えるものや、中国で「家相」というものが生まれた時に、その時代の中国ではあてはまったかもしれないけれども、今の日本ではあてはまらないと思えるものなど、様々です。
   しかし、、「『家相なんて考えたら、家は建ちませんよ』ときっちりと言」うという在来木造の I 工務店でF原くんが浜松の研修で遠州人から教え込まれたものが適切かというと、それははっきりと間違いだと断定できます。
  まず、「家相」というものをどのくらい重視するのかということを真面目に考えてみるべきです。真面目に考え、かつ、「使いやすい家」はその点で「家相の良い家」で「使いにくい家」はその点で「家相の悪い家」であると認識して考えるならば、一般に「家相」として言われているものでもこだわらなくていいと判断してよいものか、尊重しなければならないと考えるべきものかというのが判断できてくるのではないかと思います。
  もしも、十分に考えた上で、この「家相」は「こだわらなくていい」と判断するなら、それは慎重に考えた上でのことですから、十分に検討した上での結果としておこなったものとして、「『家相なんて考えたら、家は建ちませんよ』ときっちりと言」うようなやつのような不真面目・軽率な態度とは異なります。 ある程度以上、「家相」についても学んだ上で、あまりにも家相に固執しすぎると住みにくい使いにくい家になってしまいますよ、というのと、新卒入社して半年も経っていないしろうと新人がそういう勝手なことを言うのとでは意味が違います。 Fくんは何の努力もしない人ではなかったと思いますが、Fくんに研修で教えた人間は、誰かわかりませんが、指導者としては適切な人とは言えませんね。
  雁屋哲 作・花咲アキラ 画『美味しんぼ』に、鶏の初卵の話があります。 山岡士郎と海原雄山が卵を使った料理で勝負したところ、雄山は黄身の味噌漬けを出し、それがすばらしい味だった。 雄山は鶏の種類、屋外で自然に育った鶏であること、餌は何を与えたかといったことを話すが、山岡は「そんなことは卵料理を作ろうと思った時点で当然気をつけるべきことだ。」と言います。 雄山は「この卵のもうひとつの秘密は初卵であるということだ。」と言う。 「初卵とはヒヨコが育って成熟して初めて産む、その卵のことだ。」「初卵には、鶏の体内にヒヨコの時から蓄積されてきた栄養素の中でも価値のある物が含まれているという説があって、珍重する人が多い。」と。 山岡は「そんなの迷信だよ! 単に神秘化しているに過ぎない! 科学的証拠に乏しいっ!」と言いますが、雄山は「人間はどうやって初卵を手に入れるか・・・・ 鶏を飼っている人間が、一羽一羽の鶏をずっと注意深く見守っていなければ出来ない。今にも産みそうな時期となると、それこそ、一日中目が離せない・・・・ それはなにを意味するか・・・」「それほど注意深く育てられてきた鶏の卵は、初卵であろうとなかろうとその中身はすばらしいに決まっている。 完璧な健康状態にあるようにと、見守られ続けてきた鶏の産んだ卵なのだからな!」と言う。 (「究極対至高 後編」 『美味しんぼ(おいしんぼ) 激戦!究極VS至高編』2001.6.8. 小学館 MyFirstBIG 所収。)
   一般に「家相」として言われているものについて、使い勝手を考えた上で検討した結果として、この点は「こだわらない」ことにしましょうと判断するのはいいと思います。 しかし、最初から「『家相なんて考えたら、家は建ちませんよ』ときっちりと言ってありますから」などとおおいばりで言うというようなそんな軽薄・軽率な態度で作る家というのは、結果として良い家にはならないと思うのです。 どう考えたものか真剣に検討した結果として、この部分は「こだわらない」ことにしましょうという結論に達したというのとは意味が違うと思うのです。 海原雄山が初卵にはそうでない卵より価値がある成分があるというのは迷信かもしれないけれども、それだけ気を使って育てられた鶏の卵ならよい卵であろうと言ったのと同じく、「家相」についても、どうしたものか真剣に考えて、その結果として作られた家は、軽薄・軽率な態度で作られた家よりも良い家となる可能性が高いと思えるのです。 新卒入社して1年も経験していない者が「家相なんて考えたら、家は建ちませんよ」などと口にするのは傲慢でもあります。

   「暦」についても、住宅建築請負業の会社に勤めたおかげでずいぶんと勉強することになりました。 「六曜」が一般に知られていますが、実は、「六曜」というのはバクチ打ちが使った用語で、バクチで、「先」の者が勝つのが「先勝」、「先」の者が負けるのが「先負」で、引き分けが「共に引く」から「共引き」⇒「友引」、負けて物を取られて失うのが「物滅(ぶつめつ)」で、これが「仏滅」だという話もあるそうですが、だから無視していいですよ、などと言っても言われても、その地域でそれが尊重されている以上は、無視して進めるわけにもいきません。 10年以上前のこと、在来木造の I 工務店にいた時、契約日を「大安か友引にされる場合が多いのですが、○日は友引ですが、どうでしょうか」と言うと、「いや。 I 工務店さんは友引がいいだろうけれども、うちは大安がいい」と言われて大安に契約していただいたことがあります。 たしかに、住宅屋としては契約は「友引き」がよく、ぜひ、友だちでも引っ張ってきていただきたいものではあるのですけれども。 暦や家相の本を読むと、「六曜」よりも「九星」の方が大事だと書かれたものに出会いますが、一般に九星よりも六曜を考えて日を決める人が多いのは、「九星」よりも「六曜」の方がわかりやすいからでしょう。  「三隣亡(さんりんぼう)」は、その日に「柱立て」「上棟」をおこなえば、「隣り三軒まで亡ぶ」ということになっていますが、これも地域によっては、「さんりんぼう」を「山林宝」と書き、山の宝である木を大事にしようという趣旨で、別に、「その日に上棟すれば隣り三軒まで亡ぶ」とかいったことではないとする地域もあるとも聞きます。 しかし、そうは言いましても、「隣り三軒まで」と言いますと、仮に建築地が碁盤の目のように区画ができている地域であったとしますと、自分の家の東側3軒、西側3軒、北側3軒、南側3軒が「隣り三軒」の範囲となり、3+1+3=7 (1は自分のところ)。 7×7=49  49軒もあれば、上棟から向こう3年くらいの間に、良いこともあれば良くないことだってあって不思議ではないわけです。 そういう時に、「あそこの家が三隣亡の日に上棟したために、えらい目にあわされた」と言いたくないけれども言いたくなる(変な日本語かもしれないけれども、言い得て妙ではないでしょうか)時もあるのではないかと思うのです。 そういう人間の気持ちというものを考えると、「さんりんぼう」を「その日に上棟をすると、三軒隣りまで滅びる」という意味で考えられている地域では、上棟は避けた方がいいでしょう。
   「高島易断」というのは「普通名詞」と裁判所は判断しているらしい。 だから、「高島易断」の名称は誰が使ってもいいらしいので、「高島易断」と書かれている本だから確かとも言えないことになってしまいますが、毎年、まあ、比較的無茶苦茶でなさそうなものを書店で選んで購入するようにしています。 その際、最初はお勉強のために分厚いものを買っていたのですが、最近は持ち歩きやすいようにあまり厚くないものにしています。 そして、各月ごとに書かれているページを見ると、上から、「干支」「九星」「行事」「六輝(六曜)」「中段」「廿八宿」「下段」と出ているのですが、暦の本によって「下段」は出ている本と出ていない本があり、お施主様に話を聞くと、「少ないものでいい。いっぱい出ているものをもとに判断したのではかなわない」と言われる方もあれば、「すべて載っているもので見て、すべてがだめでない日にしないといけない」と言われる方もあるのです。 後者の場合、ご自分がどうというのではなく、親戚や近隣の方に納得してもらうためにはすべてだめでない時にやらないとたいへんだからというケースもあるようです。 それで、私はここしばらく、書店で購入する際、「下段」が載っているかどうかを見て、その上でかばんにいつも入れていても重くない薄さのものを選んでいます。
   「暦の本」にはけっこういろいろなものが載っているのですが、住宅屋で何か所か転勤で移ってきて話をしてまいりますと、地域によって重視するものに違いがあるのに気づきます。 「家相」でも、仏壇と神棚の位置関係をどうするかという問題について、どこにおいても向いあうのは良くないとするようですが、神棚を仏壇の上に持ってくるのはだめだという地域がある一方で、仏壇の上に神棚を持ってくるべきだという地域もあるようなのです。 「家相」ではありませんが、床柱と落としかけがぶつかる箇所では、どちらを前にだすかというと、東京近辺では床柱を削って落としかけを前に出すようで、最近は東京方式が全国に広がる傾向があるのですが、茨城県北部から東北にかけては床柱を下から上まで見せて落としかけを床柱の手前で止める施工が一般的である地域が多いようです。「暦」で何を重視するかも地域によって違いがあるようで、『高島易断所本部編纂 2014 平成二十六年神宮館運勢歴東京神宮館 蔵版』には、「金神」を≪普請、動土、移転、伐木などを忌むべき方位として恐れられるが、九紫が巡る月か、天道、月徳の吉神が巡行している月か金神の遊行日は禁じなくてもよい。≫とでていますが、「金神」は重視する地域とそうでない地域があるようで、意味もこの記述と少々異なる解釈をする地域もあるようです。「土用」「お盆」も重視する程度は地域により異なるようです。
   最近、「倍返し」という言葉が流行語になっています。 「倍返し」というのは、不動産の取引で「手付金」を払った後も一定期間内ならば契約を取り消すことができるようにした制度で、買い手は「手付け放棄」で、売り手は「倍返し」によって契約を解除できるというものです。 その「倍返し」という言葉をひっぱってきたものでしょう。 私、なんだか、今まで勤めてきた会社では、「倍返し」ではなく「・・・・放棄」ばっかりさせられてきたような気がするのですが・・・・。 暦では「行事」の欄に「一粒万倍日」というのがあり、これは≪一粒の種が万倍にふえる吉日です。・・≫という日とされています。 キリスト教の『聖書』には、≪一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでも一粒にすぎない。死ねば多くの実を結ぶ。おのがいのちを愛するものはそれを失い、この世でいのちを憎むものは永遠(とこしえ)のいのちへとそれを保とう。・・・・ ≫(『新約聖書 ヨハネ福音書』12章24‐25 [前田護郎訳『新約聖書』11983.12.10.] )という言葉があります。 「一粒万倍日」はそれに似ているようにも思えますが、起原はキリスト教とは別でしょう。  私が勤務してきた地域では、「一粒万倍日」を重視される方にはあまり出会いませんでした。
   「暦」もまた、「家相」と同じで、あまりにも重視しすぎると、それにとらわれて身動きとれなくなってしまうおそれがありますが、「『家相なんて考えたら、家は建ちませんよ』ときっちりと言ってありますから」というような軽薄・軽率な態度で接するものではないと思います。「思い立ったら吉日」とか「日日 是好日」という考え方もありますが、いずれにせよ、どうするべきか真剣に考えて、その結果として、「ここではこだわらないことにしましょう」という判断なら悪くないと思います。 真剣に考えて「ここではこだわらないことにしましょう」と判断するというのと、「暦なんか気にしていたら・・・」とあまりにも軽薄軽率に言うのとは同じではないと思います。

   ということで、なんだか、ここしばらくあんまりいいことないのですが、今年はいいことあるでしょうか。 馬のごとく、人参を追いかけて追いかけて、いつまでもいいことないような気もするのですが・・・・・。 
   (2014.1.3.) 
 

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