築地本願寺 訪問記~なぜ、浄土真宗の寺には「御朱印」がないか。~千葉・東京の建築(3)

〔第54回〕
   半年少々前、東京都中央区築地の築地本願寺(浄土真宗本願寺派本願寺築地別院)に行った時、受付のような所のおねえさんに、「御朱印はこちらでいただけるのでしょうか。」と尋ねたところ、「浄土真宗では御朱印(ごしゅいん)というものはありませんので。記念スタンプでしたら、こちらをどうぞ。」と言われて、いかにも不愉快だという顔をされたことがありました。
   そういえば、ある程度、大きなお寺にいけば、たいていの所で、御朱印はどこでといったことが書かれているのですが、大阪市中央区の南御堂(真宗大谷派難波別院)に行った時も、北御堂(浄土真宗本願寺派津村別院)に行った時も、御朱印をいただけるような場所はありそうな感じではありませんでした。
   なぜ、浄土真宗では御朱印というものはないのか。 御朱印というのは、もともとは、お経を写経してお寺に納め(「納経」)、それに対して、お寺が受け取りましたということで印を押して渡すものが「御朱印(ごしゅいん)」であり、今では、写経したものを納めなくても、朱院帳を持参して、300円というところと、志でというところがあるように思いますが、そのくらいのお金を納めれば、御朱印はいただけるのですが、「納経所」と書かれているお寺があるのは、そういう経緯によるものらしいのです。 浄土真宗の祖・親鸞は、心にホトケを念じ(「念仏」)、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と口に称える(「称名」)だけで良い、お経というものをあげる必要はないと言ったはずで、「南無阿弥陀仏」だけで良いのであれば、「納経」ということもなくなってくるわけで、その結果、「納経」したことに対しての「御朱印」というものもないことになるのです。なるほど・・と思ったのですが、それなら、そうと、わかりやすく説明してくれてもいいじゃないの、特別悪いことしているわけでもなく、特に、拝観料を払わなくても入らせてもらえるお寺なので、そういう所では、いくらかなりともお金を納めていこうと思って言っているのに、なんにも、そんなに、いかにも不愉快だという顔しなくてもいいじゃないのよお。親鸞聖人なら、そんな顔しないで、何もわかっていない人間にでも、わかるように説明してくださると思うぞ、と思い、少々気分を害したのでした。
   だいたい、築地本願寺というのは、「建築家」伊東忠太が、古代インド様式で設計した建物だというけれども、親鸞の思想というのは、良きにつけ悪しきにつけ、古代インドの仏教とは異なったものになっているはずで、親鸞の生きた時代の日本の建物の様式にするならともかく、古代インドの様式にするというのはおかしいじゃないか。その寺の仏教を古代インドの仏教に戻そうというわけでもないのに、建物だけ古代インド様式にして、いったい、どうするんだい。
   そもそも、親鸞は、寺を建ててはいけないということはないけれども、特別にお寺としての建物はなくても良い、専修念仏の心があれば寺はなくても良い、ということを言っていたはずであり、それを、“「建築家」○○先生が設計された×××”、どうじゃあ~あ!みたいな建物を造っていることの方こそ、そちらの方こそ御朱印よりもはるかにおかしいじゃないかよお!
〔 ≪ 如来は、色も形も持たぬ真理であり、光明なのであるから、その像を刻もうとしても刻みようがない。それだから、親鸞は仏像をおさめる寺院を造ることは、弥陀の本願にはない行いであって、念仏の行者は、これを企ててはならない、と戒めている。(『改邪抄』第9章) そこで、彼の在世中は、直弟子たちは寺を建てることはしなかった。ただ、おたがいに法話をしたり念仏をとなえたりするための道場の建築は、親鸞もこれを認め、しかし、それは、ふつうの住家と少し区別して「子棟をあげて作るように。」と言っている。≫(本多 顕彰『歎異抄入門』1964. 光文社 カッパブックス) 〕
   それに、私の父の家系は、代々、浄土真宗本願寺派であったけれども、我が家に来ていた近所のお寺のお坊さんは、仏壇の前で、けっこう長いお経をあげていたはずで、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と口にしただけで、「はい、おしまい。お布施ちょーだい。」と言って手を出したりはしていなかったぞお・・・とか思い、納得いかない気持ちで帰ってきたのでした。
    さらに言えば、写経したものを納めるということがなければ御朱印もないというのであれば、納経することのない神社に、なぜ、御朱印があるのか、ということになるし。  たしか、日光の神橋なんか、「旅の記念に御朱印を」なんて文句まで書いてあったし・・・・。
   『週刊 古社名刹 巡拝の旅22 播州路 兵庫 須磨寺 海神社 一乗寺 播州清水寺』(2009.10.13. 集英社)掲載の《千年インタビュー 須磨寺訪問 小池弘三貫主に聞く》で、須磨寺(真言宗須磨寺派大本山。神戸市須磨区須磨寺町。 http://www.sumadera.or.jp/)の小池弘三貫主が、≪「・・・境内の造成、お堂、植樹も含めて、お参りに来られた方それぞれが、須磨寺に流れる空気を感じ、“ホッ”としてくださったら嬉しいですね。・・・・」「・・・皆さんにとっての“行きつけの寺・須磨寺”になれたらという思いがあります。ちょっとした悩みに出会ったら“そうだ、須磨寺に行こう!”と思っていただける安心感と空気を醸し出せるといいな、と。・・・・≫と述べられていましたが、「そうだ、須磨寺に行こう」という気持ちと逆の気持ち、「築地本願寺なんか、二度と行くか!」という気持ちになってしまったのでした。

   八木透監修『御朱印ブック』(2010.2.20.日本文芸社)を見ると、《御朱印集め Q&A》というところに、≪実際に御朱印集めをはじめてみると生まれてくる、素朴な疑問の数々を湯島天満宮と總持寺でお聞きしました。・・≫として、
「Q 御朱印はどんな寺社でもいただけますか?」という問いに、
≪「一概にいえませんが、たいていのお寺ではいただけます。ごく一般的なお寺では扱っていないところも。浄土真宗のお寺では御朱印を扱っていないという話もよく聞きますが、宗派で決まりがあるわけではなく、いただけるところもあります」(總持寺)≫とも書かれています。

   かつて、法然や親鸞の時代、浄土宗・浄土真宗は、天台宗・真言宗までの仏教とは対立関係にあった時があり、日蓮宗になると、日蓮は、「四箇格言」といって「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊(しんごんぼうこく、ぜんてんま、ねんぶつむけん、りつこくぞく)」という文句、「真言宗は亡国の教え。禅宗は悪魔の教えだ。念仏を称えると無間地獄に落ちるぞ。律宗は国賊である。」という意味になるようですが、なんとも排他的で戦闘的なことまで言っていたはずなのです。ところが。
  東京から横浜にかけて、
増上寺 http://www.zojoji.or.jp/・・・浄土宗
池上本門寺 http://honmonji.jp/00index/index2.html・・・日蓮宗
川崎大師・平間寺 http://www.kawasakidaishi.com/・・・真言宗智山派
総持寺 http://www.sojiji.jp/・・・・曹洞宗
という4つのお寺があって、この4寺が、「京浜4大本山巡り」http://www.k-daihonzan.jp/#hajimeni というものをおこなっていて、「京浜4大本山巡り御朱印帳」なるものを作成しています。お寺がおこなっているのか、別団体がおこなっているのかわかりませんが、増上寺のホームページhttp://www.zojoji.or.jp/links/index.html や総持寺のホームページhttp://www.sojiji.jp/に「京浜4大本山巡り」はリンクしていますし、「京浜4大本山巡り御朱印帳」は各大本山でいただけるということですから、各寺は関知していないということはないはずです。 
  池上本門寺は日蓮宗のお寺ですが、もしも、「四箇格言」の文句に従うならば、増上寺の浄土宗は「念仏無間」=「無間地獄に落ちる教え」であり、川崎大師の真言宗は「真言亡国」=「亡国の教え」で、総持寺の曹洞宗など禅宗は「禅天魔」=「悪魔の教え」である、ということになるはずですが、いまや、雪解けの時代というのか、協調主義の時代というのか、大同団結というのか、平和共存というのか、浄土宗の寺とも真言宗の寺とも曹洞宗の寺とも、仲良くやっていこうよ、という感じです。
  今や、世の中、お寺さんもそんな感じですから、浄土真宗のお寺で御朱印があっても悪くないかとも思ったのですが、築地本願寺ではないようです。ないならないでいいけど、そんな、いかにも不愉快だという顔しなくてもいいじゃないのよお、と思うのですが、だめ?
  
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 ↑“「建築家」伊東忠太大先生がお作りになったものであるぞ。下におろう。”という感じがしてしまう築地本願寺(浄土真宗本願寺派本願寺築地別院)
  『週刊古社名刹巡拝の旅34 西国街道と武庫川 兵庫 西宮神社 廣田神社 清荒神清澄寺 中山寺』(2010.1.12.号 集英社)を見ると、阪急 宝塚線「中山」駅のすぐ北側にある中山寺(真言宗中山寺派大本山。兵庫県宝塚市中山寺。 http://www.nakayamadera.or.jp/top.html)では、現在では、実際の山地に建てられている中山寺で、山門から本堂までの間にある2カ所の階段の脇に屋外用のエレベーターを設置して、身障者や高齢者の来場に便宜をはかっているようです。 北御堂でも思ったことですが、築地本願寺は平地にある寺なのに、どうして、本堂に入るのにわざわざ階段を何段も上がらなければならないように作るのでしょうか?
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 ↑築地本願寺内 親鸞聖人の像  かつて、三田の慶応義塾大学の構内にあった福沢諭吉の胸像は、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。」と言った福沢諭吉の像であるということで、普通の人間と同じ大きさで、普通の人間の眼の高さとと同じ高さに福沢諭吉の眼がくるくらいの高さにあった。創立者を卑しめるのではなく、創立者を尊重するからこそ、普通の人間と同じ大きさで、普通の人間と同じ高さに作られたというすばらしい像であると思っていたが、最近、三田の慶應義塾大学に行ってみると、場所が移り、普通の人間の眼の高さよりも高い位置に変わり、かつては、普通の人間が福沢像のすぐ近くまで行けるようになっていたのが、福沢の像と人が通る場所の間を生垣で隔てられてしまいました。私が大学生であった時には、福沢像のすぐそばまで行けたので、福沢像の前まで行って、福沢諭吉の像に心の中で語りかけたことがあったものです。福沢諭吉という人は、自分と学生との間に垣根を作られて喜ぶような人ではなかったと思うのですが、残念です。 栃木県佐野市の佐野市郷土博物館の前に義人・田中正造翁の立像が立っているが、これも、一般の人間とともに闘った田中正三翁の像だけに、普通の人間と同じ大きさで、そして、普通の人間と同じ地面の上に立っていた。何年か前、私が行った時はそうであったが、今、どうなっているかはわからない。 築地本願寺の親鸞像は台座の上に載っている。

※築地本願寺については、
「築地本願寺(浄土真宗本願寺派本願寺築地別院)」ホームページhttp://tsukijihongwanji.jp/
「ウィキペディア―本願寺築地別院」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E7%AF%89%E5%9C%B0%E5%88%A5%E9%99%A2
※伊東忠太についいては、
「ウィキペディア―伊東忠太」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E5%BF%A0%E5%A4%AA
※南御堂(真宗大谷派難波別院)については、
「南御堂(真宗大谷派難波別院)」ホームページhttp://minamimido.jp/
「ウィキペディア―真宗大谷派難波別院」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B4%BE%E9%9B%A3%E6%B3%A2%E5%88%A5%E9%99%A2
※北御堂(浄土真宗本願寺派津村別院)については、
「北御堂(浄土真宗本願寺派津村別院)」http://www.kitamido.or.jp/
「ウィキペディア―本願寺津村別院」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E6%B4%A5%E6%9D%91%E5%88%A5%E9%99%A2
※佐野市郷土博物館と田中正造については、
「佐野市郷土博物館」ホームページ http://www.city.sano.lg.jp/city-museum/
「ウィキペディア―田中正造」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%AD%A3%E9%80%A0
 他参照。

 前回、〔第53回〕《「念仏」と「称名」の違いがわからない営業、自動ドアに挨拶する男・女~営業と会社の話(4)》http://shinkahousinght.at.webry.info/201108/article_2.html で、親鸞と念仏についてのべた際、築地本願寺についての、この稿を挿入しようかと思ったのですが、長さもある程度以上のものになり、前回に挿入すると、むしろ、前回の内容がぼやけてしまうと思ったので、前回に挿入せず、独立して公開させていただきした。

  「築地本願寺なんか二度と行くか」などと書いてしまいましたが、でも、もう一度くらい言ってみようかな・・・とも思います。しかし、「古代インド様式」というお堂は、やっぱり、浄土真宗の寺には違和感があるように思いますが、いかがでしょうか。

                 (2011.8.8.)


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この記事へのコメント

岩崎山法栄寺
2012年03月29日 22:35
こんにちは、真宗の若僧です。
広島には真言宗から真宗に変わった寺院で、元々古くは霊場だったために手紙などで前もって頼めば大丈夫ですよ。私なら南無阿弥陀仏 衆生一切往生極楽国土チベットに平和を!と書きます。ちなみに浄土宗でも書かない寺院はたまにあります。
通りすがり
2015年02月23日 18:20
それは嫌な顔をされますよ。
浄土真宗は御朱印を頂けないのが基本です。
寺社に参拝して御朱印をお願いする様な方は、最初から知らなくても参拝しているうちに理解するものでしょう。
浄土真宗のお寺で御朱印の事を聞くのは、何も理解してないし興味ないけど来たんだから御朱印頂戴!と自ら言っている様に取られても仕方ありませんね。
御朱印頂けなかったからと、お堂の外観にまで、ケチをつけてる様にしか見えない事を書かれてるのにもビックリしました。
寺社を巡ると言うことを、よく考えて下さいね。
周防の門徒
2018年10月11日 12:18
周防33箇所の某寺院は観音様の御朱印もらえるよ

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