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zoom RSS 深奥山 方広寺(浜松市)と信教の自由侵害【8】椎河龍王、亀背橋。信教の自由の侵害を認識できないのは病

<<   作成日時 : 2017/07/09 20:32   >>

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[第552回] 会社と営業の話(125)
   石橋に「羅漢さん」が載っている脇の参道を進むと、道が二俣に分かれる所に出る。↓ 樹木が両側に茂った谷地の道で、小川が流れ、ひんやりとして心地よい。
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↑  左の小川に沿った低い道の方が「拝観経路」とされているが、実際には、左を進むと、「椎河龍宮」(「椎河龍王(しいがりゅうおう)」)、右に行くと、本堂・開山堂・半僧坊真殿があり、何がなんでも一度にすべての場所に行かないといけないということはないわけで、2回、3回に分けて訪問して悪いことはないはずで、もし、本堂・半僧坊真殿にのみ訪問したいということであれば、特別に混雑しているわけでもない限り、右の道を進んで悪いことはないのではないか。
    左の道を進むと、「哲学の道」と書いた石碑が立っている。↓ 拝観受付でもらった「方広寺・半僧坊 拝観コース」によると、右の舗装された道は「らかん坂」だそうだ。
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↑  手前の石碑には「半僧坊表参道」、後ろの石碑に「哲学の道」と書かれている。
   「哲学の道」という名称は、京都の銀閣から若王子神社にかけての琵琶湖疎水の脇の道を西田幾多郎が思索にふけりながら歩いたという「哲学の道」のパクリの名称ではないのか、と思うが、しかし、谷地で樹木が茂って直射日光を遮り、小川が横を流れて、ひんやりとしてここちよく、頭を冷やして歩くにはふさわしい道であろう。ひとの会社の従業員の「信教の自由」を侵害してカネをせしめるボーズども、自ら「信教の自由」を侵害するような寺・坊主は宗教者としては最低で、それは宗教の自殺とでも言うものであり、そういう行為をおこなって何ら非を感じない者ども、この道を歩きながら、頭を冷やしてよく考えてみると良い。
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↑ 鳥居は工事中。 私らは、家の修理をしたいと思っても、費用がかかるからと後回しにしたりすることもあるが、ここの寺は必要もない鳥居があるかと思えば、それを修理するカネもあるみたいだ。 寺に鳥居があって悪いことはないらしいが、この場所に鳥居がある必要もなさそうだし、なくてもいいと思えるが、カネの余ってる寺は必要ない建物を建てることがあるようだ。  (株)一条工務店の従業員に給与として払っていてもよかったはずのカネをけずりとって、それを「座禅研修」だと称して従業員の信教の自由を侵害する「研修」の「研修料」だとして横取りした深奥山方広寺がそのカネをせしめた、ということは、私が我が家の修理をしたいと思っても、費用がないので修理せずにそのまま住んでいるのに、深奥山方広寺は必要でもない建造物を建て、必ずしも補修しなくてもまだいいのにと思えるような補修をおこなっているということは、我が家の修理費用が深奥山方広寺の必ずしも必要でない建造物の補修費用に化けた、我が家の補修が先延ばしにされているかわりにこの鳥居が補修されている、ということになる。 理屈から考えればそうなるはずである。
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↑ 清涼ないい自然環境の場所であるのはたしか。 問題は、ここが方広寺の敷地とされる必要があるのか? という点である。 この地域の住人全体の財産であって方広寺のボーズどもの所有物ではないのではないかと思うのだが、不良ボーズどもが私物化しているようなところがないか?

   この道を進んでいくと、左手に石段があり、石段の上にお堂があって、「椎河龍王(しいがりゅうおう)」と書かれた説明看板が立っている。 ↓
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( ↑ (上のお堂)「椎河龍宮」(「椎河龍王(しいがりゅうおう)」 (下の木の根)「龍偃杉」
左の看板には「龍偃杉(りょうえんすぎ)」と書かれている。 )
    山門からこの椎河龍王のあたりまでの、谷地で周囲に樹木が茂って直射日光を遮り、横を小川が流れてひんやりとした環境の道を歩き、この雰囲気、大阪府箕面市の阪急「箕面」駅から役行者が修行をして弁財天の助けを得て悟りを開いたという箕面大滝に至る箕面滝道と似ていると感じたのだ。それは、1998年に(株)一条工務店で「従業員の信教の自由を侵害する研修」に「強制的に参加してもらう」と近藤雅雄から言われて参加させられた時から思ったことだ。 但し、箕面の滝道の途中、箕面駅と箕面大滝の中間より少し箕面駅に近い場所に箕面山滝安寺http://www.nanokaichi.com/ryuanji/benzaiten/benzaiten.html があるが、滝安寺は、もともとは、箕面大滝のすぐ脇にあったらしいと言われているが、大滝の周囲や箕面駅から大滝までの道は「箕面公園」とされ、滝安寺の敷地にはなっていない。 滝安寺は、役行者が修行をした箕面大滝の脇にもともとはあったが、地震で滝の脇の土地が崩壊したことがあり、その際に今の場所に移ったとか言われているらしいが、役行者にゆかりのものとしては、付近の山の上に、ここから役行者が雲に乗って中国まで飛んで行ったと言われる場所などもある・・・・が、そういう場所も「箕面公園」の一部分であって滝安寺の敷地にはなっていない。 それに対して、方広寺はまた、ずいぶんと広い範囲を方広寺の敷地だと主張しているものだ。
    方広寺では、本堂の横に開山堂があり、開山堂のさらに脇の奥に半僧坊真殿があるのだが、半僧坊は鎌倉の五山第1位の建長寺でも祀られていて、建長寺でも、法堂などより奥、坂や階段を登って行った山の上に半僧坊のお堂はあり、方広寺で半僧坊が本堂よりも奥、山側にあるのと共通している。
    半僧坊は、もともと、方広寺の開山の無文元選が中国から日本に帰る際に、東シナ海で海が荒れた時に、いずこからともなく現れた、半分は僧で、半分は神なのか天狗なのか小人なのか妖怪なのか? という存在で、無文元選と方広寺を守る存在として祀られているのであろうけれども、入口付近の弁天堂、それに、ここの龍王、そして、本堂・開山堂・半僧坊とは谷を隔てた地に祀られている(今は橋がかかっているが)七尊堂は、もともとは、方広寺とは別の存在だった、ということはないか。 それを、(浜松市が引佐町やら三ケ日町やらを併合したみたいに?)方広寺が併合した(日韓併合みたいに?)ということはないか?
 
    方広寺は、今でこそ、臨済宗方広寺派の大本山を名のっているが、《ウィキペディア―方広寺(浜松市)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E5%BA%83%E5%AF%BA_(%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E5%B8%82)  ≪ 明治に入り臨済宗南禅寺派 に属していたが、1903年(明治36年)独立して臨済宗方広寺派の本山となった。 ≫と書かれている。 1903年と言えば、日露戦争、「海は死〜に〜ま〜すか♪」の前年。 なぜ、南禅寺派ではいけないのか、という疑問も感じないでもない。 日露戦争に突き進む頃、いいダンナ、タニマチがついたか?
※ 南禅寺HP http://www.nanzen.net/
    大阪府箕面市の滝安寺は、南北朝の争乱の時には南朝側につき、織田信長が「進出」してきたころには反織田の側で、明治維新の時には佐幕側について、なんか、損してるて感じがするのに対して、深奥山方広寺はその逆で、権力・体制の側について、寺域を広げたのと違うんか〜い? て感じがどうもしてくる。 不良企業から従業員に払っていていいはずのカネを削り取って、それを「研修料」として横取りしてカネを蓄える、というあたり、なんか、俗物ボーズどもて感じがする。
   この「哲学の道」と石碑が立っている道沿いにしても、もともと、こういう川とその両側というのは、特定の寺のものというよりも、その地域の民衆全体のもの、国民全体のものと違うのか? て感じがするのだが、箕面大滝から箕面川沿いなどは、その考えのもとに「箕面公園」とされているのだが、なんか、方広寺はその拡張政策というのか、覇権主義というのかで、周囲を併合・併呑していったのではないのんかいなあ〜あ・・・・という感じが、そこを歩いていてもしてくる。
   地形としては、今は「浜松市」になったが(今では秋葉神社も浜松市)、もともとは山の奥に位置し、半僧坊・弁財天・龍王・・・といったものが周囲に存在するというあたり、修験道的な雰囲気を持っているが、関裕二氏の本を読むと、修験道というのは、歴史上、どうも、政争の際に「負ける側」に加担する伝統のようなものがあると言うのだが、箕面山滝安寺でも、南北朝の争乱では南朝側につき、織田信長が「進出」してくると反織田の側につき、幕末は佐幕側についたらしく、そして、明治維新後は寺の範囲は狭く指定されて、役行者が修行したという箕面大滝や役行者がそこから雲に乗って中国まで飛んで行ったというお話がある山などは「箕面公園」になったのに対して、深奥山方広寺(浜松市)は、どうも、不良企業の経営者側と結託して従業員の信教の自由という人間にとって根幹にかかわるものを侵害して、本来なら従業員に給与として払われていいはずのカネをけずりとったものを「研修料」だと称して横取りしてせしめ、ボーズの収入になるとともに、堂宇の建設費用にもなったのかと思える大きなお堂や「研修施設」と称する建物がいっぱい建っている。そのあたり、修験道というものが「負ける側に加担する伝統」があるのであれば、深奥山方広寺はあまり修験道的ではないことになる。
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↑ 「椎河龍宮」(「椎河龍王」) (「参道」を進み、振り返って見ると・・・)
自然環境はいいところなので、時間があれば訪ねて歩くといい場所だろうけれども、そのたびに拝観料を払うと、それがボーズどもの収入になる、(株)一条工務店の従業員の信教の自由を侵害することにより、本来なら(株)一条工務店の従業員・元従業員に支払われていてよかったはずのカネをせしめたボーズがピンサロに行くカネに化けたように、拝観料としてカネをくれてやると、そのカネがボーズどもがピンサロに行くカネに化けるのかと思うと、なんか行かない方がよさそうな感じがしてくる。

   「椎河龍王」の前をさらに進んでいくと、道は登りになり、左手の方に登っていくことになる。 谷の下を小川が流れていて、その谷の両側が高くなっており、橋がなければ、谷の両側はいったん谷に降りなければ行き来できないが、今は、「亀背橋(きはいきょう)」と名前をつけられた赤い鉄骨造の橋と、その背後にもう1本、橋がかかっており、簡単に行き来できるようになっている・・・・が。 「亀背橋」は鉄骨造によるもので、比較的新しい技術で造られているように見える。 「新しい」といっても昨年とか一昨年とかではないだろうけれども、昔々からのものではない。 最初に深奥山方広寺ができた頃は、半僧坊真殿と隣の開山堂あたりだけだったのではないか。 それが後に、付近の弁天堂や龍王や七尊堂などを併合して寺域を拡張していき、そして、谷と小川を隔てた向こう側までも自分の所のものにした上で、谷の両側を結ぶ橋まで作って両側を結んだ、ということではないのか・・・?
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↑ 「亀背橋(きはいきょう)」
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↑ 「亀背橋(きはいきょう)」と本堂、鐘楼。
大きな本堂が建っている。 それだけのものを建てるために、従業員の給料をへつりまくり、従業員の信教の自由を侵害してきた会社のオーナーから相当のカネをもらったか。
   もう、今となっては35年ほど前の話だが、東京都大田区の日本基督教団の某教会にしばらく通ったことがあったのだが、少し、御無沙汰して、しばらく間をおいて行っても、そこの牧師のTさんは、私の顔を見ても、「ああ」と言って頭を上下に少し振るだけで、「○○さん、久しぶりじゃないですか。どうされてました」くらい言うかと思ったが、教会員でもなく、行った際に、「献金」は子供なら10円でもいいとしても、大人が10円ではいかんだろうが、生活費を親に出してもらっている学生が1000円も払うものではないだろうと思って100円払うというその程度の人間に対しては、「ああ」と言って関心なさそうに頭をわずかに上下させるだけで十分で、「○○さん、ひさしぶりですね。元気にされてましたか」くらい言っても別にそれを言うのに1万円を超す費用がかかるわけでもなし、私はその教会の行事のためのポスターを作ったりするのに教会員でもないのに協力したりしたこともあるのだから、そのくらい言っても罰当たらんだろうとも思ったが、「そんなもん」だったようだ。 それに対して、そこの教会の教会員でしばらく来ていなかったお年寄りが来ると、説教壇の付近から、あの牧師の黒いだぼだぼの服をマントのようにひるがえして、「あ〜あ、◇◇さあ〜ん」と叫びながらスーパーマンかバットマンか黄金バットか何かのように飛んでくる!!!  なんや、このおっさ〜ん!・・・・と思ったが、地獄の沙汰もカネ次第というのか、神の沙汰もカネ次第なのか、相当の高額の献金をしてきたような人が来ると、そうなった、ということなのか、牧師というのは「そんなもの」なのか?・・・とか思ったが、そんなものか・・・・・? この教会は、要するにその年寄らのための教会で、この牧師はその年寄らのための牧師だということなのかな・・・と思ったことがあったのだ。
   深奥山方広寺(浜松市北区引佐町)は、(株)一条工務店の従業員の「信教の自由」を守る側につくのか、(株)一条工務店従業員の「信教の自由」を侵害する側につくのか、という点において、ためらうことなく「信教の自由」を侵害する側の立場をとったのだ。 私はそういう行為・そういう態度は宗教者としてあってはならないものであり、宗教団体としては自殺行為であると認識するが、深奥山方広寺のボーズはそう考えなかったようだ。「所長」だというボーズが、「戦後、日本では『信教の自由の侵害』ということが言われて、そのために、宗教を国民に広めることができなくなっていた。それが日本に弊害をもたらしてきた」などと「研修」だ「法話」だと称して(株)一条工務店従業員に講釈したのだが、その男、本名もボーズとしての通り名も、いずれの名前も名乗らなかったが、思い上がりも甚だしい。 要するに、どこかの会社の経営者と結託して、ボーズが言いたいことを言う権利がある、それを従業員は我慢してきく義務がある、それを、戦後、「信教の自由の侵害」だとして妨げられてきた、これはけしからん、と言いたいらしいのだ。 とんでもない傲慢な主張であり、それこそ、国民の「信教の自由」を侵害する暴言である。 その「所長」と称するボーズの主張こそ、日本国民に弊害をもたらすものである。 これは、宗教者としては常識であるはずであるが、深奥山方広寺の「所長」というボーズはその宗教者としての常識がまったく認識できていない。
   深奥山方広寺(浜松市北区引佐町)は、日本国民の労働者の「信教の自由」を侵害し、宗教を冒涜する行為をおこなうことにより、本来なら従業員に給料として支払われていてよいカネをけずりとったカネを「研修料」として横取りしてきたのであり、深奥山方広寺(浜松市北区引佐町)は従業員の側について従業員の「信教の自由」を守るのか、従業員に敵対する側に立って従業員の「信教の自由」を侵害するのか、という問題のおいて、ためらうことなく従業員・日本国の労働者の「信教の自由」を侵害する側に立って、そうすることでカネをせしめてきたのである。日本国民労働者の信教の自由を侵害する「反社会的勢力」である。
   (株)一条工務店の従業員でも、この国民の信教の自由を侵害する深奥山方広寺のボーズどもの傲慢な態度の「研修」に「強制的に参加」させられたことについて、どう思っているかは、それは人それぞれであろう。 それほど気にしなかった人間もいるかもしれない。 しかし、 「信教の自由」という根源にかかわる自らの権利を侵害されて、「気にしない」のが「正常」であるのではない。 これは不当な侵害行為であると認識するのが国民としての正しい認識である。なんら「気にしない」方が「異常」でありビョーキであり、病的な精神態度である。キルケゴールは『死に至る病』(岩波文庫)において、「絶望」とは「死に至る病」であり、決して「絶望」は薬ではなく病気であるととらえている。
≪ 絶望は精神におけるすなわち自己における病であり、そこでそこに三様の場合が考えられうる。
― 絶望して、自己をもっていることを意識していない場合(非本来的な絶望)。
絶望して、自己自身であろうと欲しない場合。
絶望して、自己自身であろうと欲する場合。 ≫
≪ 最後にこれは無論特に断るまでもないことではあるが、そのよけいなことをひとついわして頂きたい、――というのは本書の標題にもあるように、絶望は本書全体を通じて病として理解されているので、薬として理解されているのではないということをここではっきりと注意しておきたいのである。・・・ ≫
(キルケゴール『死に至る病』 斎藤信治訳 1939.第1刷 1957. 2010.改版 岩波文庫)
   「信教の自由」という自らの根源的な権利を不当に侵害されているにもかかわらず、それを認識できない状態の人間というのは、それは「絶望」の一形態であり、それは病気であり、死に至る病であり、決してその「絶望」の状態は薬ではない。
   ルドルフ=イェーリングは『Recht(権利=法)のための闘争』(岩浪文庫 他)において、「みずから虫けらになる者は、後で踏みつけられても文句は言えない」というカントの言葉を引用している。 深奥山方広寺による「信教の自由の侵害」に対して、何ら抵抗を感じないような者は、虫けらとして踏みつけられても文句は言えない状態になる危険がある。 深奥山方広寺の横暴・傲慢・侵害について、きっちりと認識し、なんらかの抵抗をおこなわないといけない。
   私にとっては、(株)一条工務店と掛川営業所所長 近藤雅雄(正雄? 正夫?)と深奥山方広寺(浜松市北区引佐町)による「信教の自由の侵害」による「座禅研修」という必ずしも座禅を正しく理解できていない者どもによる身勝手な「研修」に参加させられたことは、いわば、これは「バビロン捕囚」のようなものである。 ベルディのオペラ『ナブッコ』では、バビロンに連れ去られたユダヤ人がエルサレムを想い歌う「行け、黄金の翼にのって」という合唱曲がある。 いずれ、バビロンはその石ひとつ残らぬよう亡び去るであろう、と歌われるのと同じく、深奥山方広寺はいずれ亡び去った方が日本国民にとっては好ましい。 すでに、方広寺は禅の心を捨てており、禅の修行場ではない。 亡び去れ、深奥山方広寺、永遠に亡び去れ、深奥山方広寺! 国民の敵 深奥山方広寺は亡び去れ!
※ 《YouTube-ヴェルディ《ナブッコ》行けわが想いよ黄金の翼に乗って/トスカニーニ》https://www.youtube.com/watch?v=ihjhGYGtH6Y

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↑ 亀背橋より北側を見る。 正面に見えるのは、七尊堂の前屋。その左奥に七尊堂がある。 その右の小ぶりの社は稲荷社。

    亀背橋を見ながら、本堂・鐘楼と谷を隔てた逆側の坂を登って行くと、そこに参拝者用駐車場と、やはり、金持ちから寄付してもらったカネで明治維新以降に作ったという三重塔がある。 国民に「バビロン捕囚」をおこなう「寺」は、金持ちには媚びて、一般従業員・一般労働者の人権は侵害するのが、この「寺」の経営方針のようだ。 そう言われて、もしも、文句があるならぜひとも聞かせてもらいたいものだ。どこも間違っていないはずである。 夜になるとライトアップするように照明設備が設けられた「三重塔」の写真は、次回、掲載することにする。「バビロン捕囚」の「寺」は亡び去った方が国民のためであろう。
    従業員の給料をへつったカネで、深奥山方広寺のボーズと組んで、深奥山方広寺に従業員を「バビロン捕囚」した(株)一条工務店だが、そのオーナー経営者は創価学会員だとかいう噂もあった。「噂」でしかない以上、その真偽はわからないのだが、まあ、要するに「『C級サラリーマン講座』みたいな会社」では「なんでもあり」なのかもしれない。

  (2017.7.9.) 

  次回、【9】三重塔。 堂宇を増やすのが寺の発展なのか。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_9.html


☆ 深奥山方広寺(浜松市)と「信教の自由」を侵害する者
1. 八百長の通算契約棟数全国1位。遠州地方の営業の我田引水。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_1.html
2. 商品を大事に思う心。住宅営業にとっての知識。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_2.html
3. 払うべきカネを払わない者。掛川の人口は4万人ではない。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_3.html
4. 営業は自分で考えるもの+協力を求めてそれで契約になるのなら。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_4.html
5. うかつに「売れる人」と言うな。営業は大貧民ゲーム。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_5.html
6. 山門。 「もうかってる」会社が人をやめさせてよいのか。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_6.html
7. 弁天堂。 利益を生み出したのは労働。使用者に媚びる俗物寺。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_7.html
8. 椎河龍王。亀背橋。「信教の自由の侵害」を認識できないのは「病」 〔今回〕
9. 三重塔。 堂宇を増やすのが寺の発展なのか。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_9.html
10. 鐘楼、本堂。 裏口は嫌い。従業員の労働が化けた羅漢? http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_10.html
11. 上天台舎利殿、観音堂。 「親に感謝」は「教育勅語」の思想。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_11.html
12. 開山堂、勅使門、半僧坊真殿。 本人が希望しないお守りは害がある。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_12.html
13. 七尊堂(富士浅間・春日・伊勢・稲荷・八幡・梅宮・北野)と稲荷社 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_13.html
14. 不良ボーズによる宗教の強制は国民に信仰心を妨げる http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_14.html 
15. (株)一条工務店の従業員の給料へつった金が、深奥山方広寺門前のじいさんとその孫の小遣いに化けた http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_15.html 


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