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zoom RSS 深奥山 方広寺(浜松市)と信教の自由の侵害【14】不良ボーズによる宗教の強制は国民の信仰心を妨げる

<<   作成日時 : 2017/07/09 21:33   >>

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[第558回] 会社と営業の話(130)
   今回、東名高速道路の「三ケ日」インターチェンジから、県道85号を南下して、「都筑」交差点を左折、国道362号(姫街道)を東に進み、北区細江町気賀から県道320号(引佐舘山寺線)で北上、左に龍潭寺(りゅうたんじ)を見ながら進み、T字路の「神宮寺」交差点を左折、県道303号(新城引佐線)を西に進み、「奥山」交差点を左折して県道68号(浜北三ケ日線)を進み、「奥山」バス停付近に時間貸駐車場でもないかと思いながら減速して走ったところ、無料駐車場↓が見つかったので駐車しました。
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( ↑ 「奥山」の無料駐車場。無料駐車場は何か所かあるようです。)
自然環境はいいところです。
   「三ケ日」インターチェンジからクルマで出て、そのまま直進すると、県道85号を南下して「都筑」交差点に行きますが、「三ケ日」インターチェンジを出てすぐの交差点を左折すると、県道85号(鳳来三ケ日線)を北上することになり、道なりに進んで突き当りのT字路を右折して県道68号(浜北三ケ日線)を進めば、やはり、「奥山」付近に行くはずでしたが、「三ケ日」インターチェンジを出てすぐの鰻屋さんで尋ねてみたところ、後の方の道は山道で信号がなく、どちらでも行けるけれども、後の方の山道を行って迷った人がいたと聞いたので、山道でない方で行ってみました。
   国道362号を「都筑」交差点から東に少し行くと、右手に浜名湖(引佐細江)が見えてきますが、その風景は大変きれいで、クルマで通り過ぎるだけというのはもったいない。 時間があれば、どこかにクルマをとめて歩きたいところです。 浜名湖でも、新幹線の窓から見える弁天島付近とこの引佐細江の付近では、かなり印象が違います。

   「三ケ日」インターチェンジを出てすぐのT字路の左向こう側に「JAみっかび特産センター」↓があります。
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( ↑ 「JAみっかび特産センター」 )
T字路のインターチェンジ側から見て左手前に「うなぎ 有栖」↓という鰻屋さんがあります。
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( ↑ 「うなぎ 有栖」 )
私のように、高いのじゃないかと思う人間のために入口にメニューが置いてあったのですが、「鰻丼 肝吸つき」が2900円。 「わしぁ、貧乏やからな」の「日陰の月見草」がそんな高いもの食べていいのかと思いながらも、『美味しんぼ』に出てくる「美食家」みたいに、フォアグラだの、トリュフだの、キャビアだの、丹波の松茸だの、ハモ料理だの、なんて食べたこともなければ死ぬまで食べることもないだろうし、ロマネコンティだのドンペリニョンだのなんてのも今まで飲んだこともなければ死ぬまで飲むこともないだろうから、鰻丼くらい、たまには食べさせてもらっても罰はあたらんだろうと思って、入りました。 「関西風」で「浜名湖産 新仔鰻」を使用しているということでしたが、たしかに、おいしかった。 最近では、「すき屋」でも鰻丼はあるわけで、あれはあれでけっこうおいしいのですが、この「うなぎ 有栖」の鰻丼は、すき屋の鰻丼とは、鰻丼は鰻丼でも別のものだと思いました。すき屋の鰻丼より高いのですが、それだけの価値はあるでしょう。もっとも、「関西風」の鰻丼は、ごはんの中ほどにも鰻が入っているという説があるのですが、ここの鰻丼はごはんの中ほどには入っていなかった。
   (株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ に10年超勤めましたので、浜松に行くことは何度かあり、同僚と一緒に、あるいは一人で行った際に一人で、浜松駅近辺の鰻屋に入って食べたことが何度かあったのですが、それらの店の鰻丼・鰻重ともまた違うように思いました。 どちらがいいかといっても、それぞれに特色があるわけで、どちらが上とか下とか簡単に言えるものでもありませんが、今まで食べたことがある鰻丼とはちょっと違うものでした。 県道85号を南に進むと(要するに、「三ケ日」インターの出口を出てそのまま直進すると)、道沿いに他にも何軒か鰻屋があるのが見えます。 今度、「三ケ日」インターで出ることがあれば、「うなぎ 有栖」にまた行ってみたいとも思いますが、他の店をためしてみたい気もします。インターチェンジを出てすぐですから、東名高速道路をクルマで走る場合、サービスエリアで食事をするのと比べても、そこで費やす時間は特に変わりません。

   最近、新東名高速道路が開通し、東名高速道路の「三ケ日」インターチェンジの西の「三ケ日」ジャンクションと新東名高速道路の「浜松いなさ」ジャンクションの間を結ぶ高速道路もできました。 東名と新東名を結ぶ高速道路は東名なのか新東名なのか。「都市地図 浜松市 湖西市」(昭文社)には「新東名高速道路」と書かれていますが、「浜松いなさ」ジャンクションのすぐ南に「浜松いなさ」インターチェンジができています。 深奥山方広寺に最も近いインターチェンジは、この「浜松いなさ」インターチェンジですが、「浜松いなさ」インターチェンジの周囲には「三ケ日」インターチェンジの付近のように「鰻屋」はないだけでなく、何もありません。その場合、食事をとりたいとかいうことなら、「奥山」バス停付近から方広寺にかけての道の両側に店がありますから、そこまで行くといいでしょう。
   深奥山方広寺から「浜松いなさ」インターチェンジまでは、県道68号を進んで「奥山」交差点で左折、道なりに進んで新東名高速道路の下をくぐり、川の向こう側で右折して県道68号(浜北三ケ日線)を進んで、再度、新東名高速道路の下をくぐり、突き当りのT字路を右折して国道257号を行くと、右手に「浜松いなさ」インターチェンジの入口があります。 「浜松いなさ」インターチェンジから深奥山方広寺に行く場合には、この逆、左折・左折・左折・右折と左折3回と右折1回で行けます・・・・が、地図で見ると、近そうですが、それほどすぐ近くということではなく、ある程度の距離はあります。


    深奥山方広寺ですが、この「寺」は、実際問題として「反社会的勢力」であると私は判断します。 「信教の自由」というのは人間にとって最も重要な人権です。それを侵害しないとおれないという人間に宗教の仕事に従事する権利はないと考えるべきです。
    「座禅研修」というから、座禅という健康法についての指導かと思ったら、座禅はそのごく一部分で、かつ、ボーズが座禅について、必ずしもきっちりと理解できていない。
    「法話」だと言って、ボーズが勝手な講釈を無理矢理きかせる。 ひとに自分の主張をきいてもらいたいと思うのならば、きいてもらおうとアピールするべきで、このブログにしても、読んでいただこうという努力はしても、誰にであれ、読むことを強制したりはしていないわけで、同様に、深奥山方広寺のボーズは、自分の主張をひとに聞いてもらいたいと思ったならば、民主的にアピールするべきであり、不良企業の程度の低い営業所長と手を組んで、強制的に聞かせようなどという悪質なことはやめるべきです。
    「人には9つの固定された性格があり、これは生まれながらのものであって、決して変えることはできないものなのです」という主張の「心理学もどき」の講座を、「座禅研修」だと称して、これもまた、深奥山方広寺は、(株)一条工務店の従業員に強制して受けさせた、その「心理学もどき」の主唱者は、特に希望してもいない人間に、強制的にその話を聞かせ、強制的に「心理テスト」なるものも受けさせた。 (株)一条工務店の使用者は、従業員と雇用契約・労働契約は結んでいても、従業員の側はこのようなものを受けさせられる契約は結んでいない。 (株)一条工務店の使用者に、従業員にこのようなものを受けさせる権利はもとよりない。
    深奥山方広寺は傲慢である。 仏教の本来の教えについてであれ、希望していない人間に強制して説くようなことは許されない。 ましてや、深奥山方広寺のボーズがおこなっている「ボーズの勝手な講釈」なんぞ、(株)一条工務店 従業員は強制的に聞かされる筋合いはないし、深奥山方広寺と方広寺のボーズどもに、そのようなものを聞かせる権利などないのは当然である。
    但し、はたして、その宗教の教えであるのか、その宗教の教えからはずれたものであるのか、というのは、これは仏教の場合、判断が難しいところもある。 キリスト教の場合、「聖書に帰れ」とマルティン=ルターが言ったように、何がキリスト教なのか、という判断基準として『聖書』というものがあるが、仏教の場合、キリスト教の『聖書』に該当するものがない。 「お経」というものがあるといっても、その宗派によって重視する「お経」が異なるし、また、「お経」とされているものにも、「偽経」だと見られるようなものもある。 キリスト教の場合、天地創造からイエスの出現、そして、使徒の伝道に至るまで、最後、『ヨハネ黙示録』までが「聖書」であり、それに、ひとつとして加えたり削ったりしてはならないとされている。 ところが、仏教の場合、その宗派の開祖の著作とか、インドでゴータマシッダルタが仏教を始めた後も、新たに著作を書く者も出て、親鸞なんて、はたして、インドのもともとの仏教から考えて、はたして、本来の仏教なのかよくわからないようなところがあるが、インドの最初の仏教と異なったとしても、だから、害があると決まったわけでもなく、「発展」ととらえるのか、そうではなく、「別物」と考えるのか、いずれであっても、有益なものであれば、インドの最初の仏教と異なるものであったとしても、だからといって、斥けないといけないというものでもないだろう。 禅宗の場合、道元という曹洞宗の開祖は、もともと、独自の宗派を作ろうとは考えなかったわけで、道元は、本来の仏教を追い求めた結果が曹洞宗になったのであった。 只管打座という、ひたすら、座禅を続けることで心の平安・安定を得るというものであるから、これは、健康法とも共通する。しかし、曹洞宗は、道元の死後、宗派の拡張のために、天狗・稲荷その他の妖怪系の信仰とのコラボレーションをおこない、道元の求めた本来的な仏教とは異なるものも取り込んだ。 臨済宗は曹洞宗と異なって、権力志向の傾向があり、その時その時の権力と手を組むことで寺の勢力を確保してきた伝統があるが、それだけに、妖怪系の宗教とコラボレーションをおこなう必要はそれほどなかったわけだが、深奥山方広寺では、半僧坊・龍王など、コレボレーションをおこなっている。 それらは、もともとの仏教とは本来は関係がないものである。 妖怪系の宗教がいいか悪いかは問題ではない。それを、希望しない人間に強制しようという(株)一条工務店のアホ経営者と掛川営業所所長の近藤まさお、それと手を組む深奥山方広寺の堕落したボーズどもの姿勢が問題なのである。
   禅宗の場合、「禅問答」というのは、「ヤクザのかけあい」と一緒で、「無茶苦茶でもいいから言い負かしたら勝ち」みたいなところがある、というのも問題である。 今回、「信教の自由」を侵害する反社会的勢力である深奥山方広寺にあまりおカネを渡したくなかったのだが、入場するのに拝観料を払わないわけにはいかないので、拝観料の400円を払い、御朱印に300円を払ったが、賽銭は1円も入れなかった。 御朱印をもらった際に、「不識(ふしき)」という「禅語」なのかを書いた紙を入れてもらったが、そこには、
≪ 達磨さんがインドから中国にやってきた際、梁の武帝と問答した時の句。 武帝「朕に対する者は誰そ」 達曰く「不識(ふしき)」。  この不識は「知りません」ということではなく、この語の中に禅の深い意味がこめられていて、すべて語りつくし、説きつくしているのですが、武帝にはそれが判らなかったわけです。 (出典、碧巌録)  ≫
などと書かれているのですが、≪この語の中に禅の深い意味がこめられていて、すべて語りつくし、説きつくしているのですが≫などと言われても、どういう「深い意味」がこめられていて、どういうことを「語りつくし、説きつくしている」のか、それを言ってもらわないと、単に「けむに巻く」ことをしているだけでしかないではないか。 どうも、「禅問答」というのは、そういうところがあって、結論を言うと、「勝手なことやってるだけ」みたいなところがあります。
   深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」というボーズは、「戦後、信教の自由を守れというようなことが言われたおかげで、宗教の教育ができなくなって、そのために、国民の宗教心が妨げられてきた」などと発言したが、これは暴言である。 とんでもない発言であり、宗教者が口にしてよいものではない。 彼の主張は、深奥山方広寺が、望まない者に、方広寺の主張を強制的に聞かせるのが宗教であり、それがいかんと言うような「信教の自由を守れという主張をする者」のおかげで、そういう行為ができなかったために、国民の宗教心が妨げられてきたと言うのであるが、これは逆である。 彼のような、国民に自分たちの主張する宗教を強制することが悪くないという主張を認めたならば、本来の個人の宗教心は抑圧され、彼のような主張をする者のおかげで、国民の宗教心は妨げられるであろう。 実際、彼のおかげで、(株)一条工務店の従業員の自主的な宗教心は妨げられている。
    そもそも、ひとに自分の主張を聞かせたいと思うのであれば、まず、おのれの本名とボーズとしての通り名を名のるべきであるが、彼は、最後まで、深奥山方広寺の青壮年研修所の「所長」であることしか明かさなかった。 こういう態度が好ましいか、考えてみるべきであろう。
    仏教と深奥山方広寺のボーズ個人の主張とは同じではないはずであるが、そのあたりが、深奥山方広寺のボーズはごっちゃになってしまって、区別できずにいる。
    前にも述べたが、深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」という男(ボーズの場合、頭の毛を剃っているので年齢がわかりにくいのだが、50くらいか?)が、「半僧坊に自ら拝むことで自分自身で自分のお守りを作ることにします」と言い出した時には驚いた。彼がそうしたいのなら、彼がやればいいことである。 (株)一条工務店の従業員に対して、希望してもいない人間に強制することではない。 そのような強制をしていいわけがないのは明らかであり、当然のことながら、彼が言うところの「信教の自由の侵害」であり、彼のやっていることは宗教者として絶対に許されない行為であり、深奥山方広寺とその「青壮年研修所」の「所長」だというボーズがやっていることは、宗教としては自殺行為である。
   今となっては30年以上前のことだが、慶應義塾大学の日吉キャンパスで、学部掲示板の前で、課題の掲示を見てそれを書き写そうとして立っていたりすると、原理研究会・国際勝共連合・統一神霊協会の人が寄って来て話しかけ、掲示を書き写す作業を妨害するということが、しばしば、あった。 彼らが、学生を誘うのがけしからんと言う人があったのだが、私は、誘うのは誘っても別にかまわないと思っていた。 誘うのはかまわないが、まず、ひとが学部掲示板の課題の掲示を書き写そうとしているのを妨害するのはやめてもらいたい。 学部掲示板の掲示を書き写すためにそこにいる人間に話しかけたいならば、それを書き写す作業が終わるまで待ち、それから話しかけるというマナーを守ってもらいたい。 又、誘うのは誘ってもいいと私は思ったけれども、誘って、誘われた相手がお断りの意思表示をした時には、それを理解してもらいたいと思うのだ。 深奥山方広寺のボーズどもにも、彼ら、原理研究会・国際勝共連合・統一神霊協会の人間と共通点がある。

( ↑ 慶應義塾大学 日吉キャンパス 第4校舎B棟。 昔、このあたりで、原理研の人間につきまとわれて迷惑した・・・。)
   「半僧坊に自分自身で拝んで自分で自分のお守りを作るということをやります」と深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」だというボーズが言った後、私は、それは遠慮させていただきたいと、はっきりと意思表示をしたのだ。 ところが、「青壮年研修所」のじいさんのボーズは、私が言っても言っても言っても言ってもきかないのだ。
   こういう連中というのは、国民の宗教心の浸透に貢献しているのではなく、逆に妨害しているのである。
   深奥山方広寺の「青壮年研修所」の「所長」と称するボーズが、「京都セラミックの稲盛会長が、・・・・ということを言われました」などと「法話」と称して言ったのであるが、(株)一条工務店の従業員は、京セラ(株)の従業員と違って京セラ(株)から給料もらっているわけでもないのに、なにゆえに、(株)一条工務店の従業員は、稲盛和夫の講釈を聞かされなければならないのだ? アホか!
※ 《ウィキペディア―稲盛和夫》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E7%9B%9B%E5%92%8C%E5%A4%AB
   京セラ株式会社http://www.kyocera.co.jp/company/summary/company_profile.html (現在では、「京都セラミック株式会社 ではなく、京セラ株式会社 という名称になったらしい)の従業員が、稲盛の講釈を我慢して聞いているのは、それは、京セラ株式会社から給料をもらっているからである。 従業員に会社が給料を払えば、会社の使用者は従業員に好き放題に講釈をきかせる権利があるのか? というと、そんな「権利」なんか、ない。 そんな「権利」なんかないけれども、従業員の側では、そういうところでたてついて嫌われるよりも、少しくらいなら我慢して聞いてやれば喜ぶのなら、聞いてやった方がいいだろうと思って聞いているのである。 しかし、(株)一条工務店は、京セラ(株)の子会社でも何でもない。 (株)一条工務店の従業員は、京セラ株式会社から1円でもカネをもらっていないし、稲盛和夫からも1円でもカネをもらっていない。 むしろ、私は、京セラ株式会社の商品を購入したことがあり、その点では、私の方が京セラ(株)にカネを払ったことがある人間である。 私は、別に稲盛なんぞに講釈くてやりたいとも思わないが、講釈される筋合いは私はないだけでなく、カネ払った人間は講釈する権利があるという仮定が成り立つならば(そんな「仮定」は成り立たないが)、私の方が稲盛に講釈する権利があることになる。 なにゆえに、深奥山方広寺のボーズは、(株)一条工務店 従業員に稲盛の講釈をきかせようとするのか。なにゆえに、稲盛にそんな身勝手な権利があるのか。 これは、京セラ(株)がおこなったことではなく、深奥山方広寺がおこなったことであるが、結果として、京セラ(株)の稲盛のおかげで、迷惑をこうむっているのであるから、京セラ(株)は、遺憾の意思表示くらいはした方がよいであろう。
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( ↑ 「半僧坊 方広寺 奥山青壮年研修所」看板。 )
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( ↑ 「青壮年研修所」が、この階段を登って行った上にかつてあった。)

( ↑ 深奥山方広寺 「青壮年研修所」があった場所。 )


    (株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の掛川営業所 所長の近藤まさお については、彼を買いかぶっていた。 彼の「通算契約棟数 全国1位」については、いかさま・八百長であると前々から思っていたが、だからといって、彼が営業力がないと思っていたわけではなく、「通算棟数全国1位」はいかさま・八百長であるとしても、(株)一条工務店の営業について彼が発言したことはまともなものが多く、その点で私は彼を評価していたのだが、しかし、買いかぶっていた部分があったようだ。 深奥山方広寺の自分こそ「研修」受けさせられる必要があると思われるボーズどもによる身勝手な「研修」に(株)一条工務店 従業員を参加させようとした彼の態度については、思い上がりも甚だしい。
すでに述べたが、彼の発言について、プラスの評価ができるものと、マイナスに評価せざるをえないものを、もう一度、ここで整理すると、
● プラスに評価できるもの。 
≪1≫ (株)一条工務店に入社する前、前職は自営業だったらしいのですが、取引先の会社に訪問した際、担当者と合うと、担当者がいかにも不愉快だという顔で、「おまえ、今、いったい、何やった」と言うので、いったい、何を良くないことをやっただろうかと考えたが、その会社の門から事務所までの間で、その会社の商品を作るための金属の板が置いてあったが、踏んで壊れるようなものではなかったが、通る際に、それを踏んで通ってきてしまった。 それがその会社の人間としては、極めて不愉快であったらしい。
(ア) (株)一条工務店の工場部門 日本産業(株)の山梨県上野原市の工場に来た、「東京大学」というアホ大学の学生が、ゴムまりを持参して、これからお客様宅に届けるべくパレットに積まれた住宅設備にめがけて投げつけた。
(イ)  アイダ設計(株)http://www.aidagroup.co.jp/ の千葉県市川市の行徳店の店長になっていた男O(20代?)が、下地の床とはいえ、すでに床を貼った住宅の工事現場に、「見ればわかると思うけれども、土足であがって悪い所はどこもない」と発言。「見ればわかる」と思うが、仕上げの床材でなくても、床を貼った状態の家に、土足であがっちゃいかんのじゃないかい? アイダ設計(株)はそういう認識の人間を「店長」にならせていた。
≪2≫ 「売るためには、ローン・税金・家相のいずれかについて詳しく知るようにしてもらいたい」という発言。
「住宅の営業に知識なんて、全然、関係ないで。 営業はアタマのない人間がいいんだ、アタマのない人間が。羽根つきの暴走族みたいなクルマに乗ってるやつとか、頭をモヒカン刈りにしてるヤツとか、女の子のスカートめくりにいくやつとか、そういう何を考えてるらあというような、そういうやつが営業には向いてるんだ、営業には」という営業本部長 天野隆夫の発言(「こういう人間が営業本部長やってるんだ、こういうのんが。この会社では。」)とは正反対の認識。
≪3≫ 「財布には常に10万円以上、入れておくようにしてもらいたい。 もし、10万円が無理なら5万円以上でもいいから。 最低5万円以上財布に入れておくというようにしてもらいたい」という発言。
(ア) 忘年会の費用を立て替えてもらったものを払わない、ホステスにはいい顔をして同僚には払うべきものを払わない男、栃木県佐野営業所 K岡。 
(イ) 新聞代の集金人が来ると、「あっ、財布、クルマのなかに置いてきた」と言い出す栃木県佐野営業所 T木 のおっさん。
≪4≫  「ひととおり、契約を取ったら、そこから先は自分で考えてやるしかないですね」
一通り、契約を取るところまでやれば、そこから先は、営業は、たとえ、どんなに実績がある人間、どんなに長くやっている人間でも、横の関係であって、上下の関係と考えるべきではない。
≪5≫  「ともかく、話ができる見込客を出してくれ。 俺がなんとか契約に持っていってやる」というオトコギと受け取れる発言。

● マイナスの評価をするしかないもの。
≪A≫  「掛川市の人口は4万人・・・・」  ウソ。掛川市の人口は、その頃の地図帳の後ろの資料で8万人少々、今、ウィキペディアで見ると、11万何千人。〔《ウィキペディア―掛川市》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%9B%E5%B7%9D%E5%B8%82 〕 人口の数値が異なることよりも、掛川市の周囲に人が住んでいないわけではなく、そういうことを言って、実際には、全国の他の地域に比べて条件は悪くない方の場所で仕事をしてきたにもかかわらず、自分が条件が良くない所で良い成績をあげたかのように言いたい、という姑息な態度。
≪B≫  「皆さんは売れる人ですから」と言われた、と言うのですが、本当に実力と経験があって「売った」人ではなく、入社後、巡り合わせがよくて「売れた」というくらいの人に、「皆さんは売れる人ですから」などということは、あまり言わない方がよい。

● 誤解されて伝わっているのではないかと思える話。
   名古屋の営業所の営業所長になっていた近藤路夫と、掛川の営業所の所長になっていた近藤まさお の2人は、借金を勧める人間で、この2人の「ダブル近藤借金コンビ」のおかげで、(株)一条工務店 は「従業員に借金を勧める会社」になっていた、と言われていたのです。
   しかし、名古屋の近藤路夫さんの方は、たしかに、「借金すれば売れるようになる。借金しなければ売れないから、だから、私の営業所の営業の人間には、全員に強制的に借金させた」などと発言したことがあり(それでは、「強制的に借金させた」分の金額は、会社は賃金を払っていないことになってしまいます。非常識です。)、たしかに、借金を勧める人間でした。 借金すれば売れるか、というと、そんなもの、売れませんよ。 「入るをはかって出ずるを制す」と父はよく言っていました。「入るを考えず、出ずるの方ばっかり先にやるような、そんな計画性のないような人間は、営業はだめ、総務もだめ、経理なんてもってのほか」と父はよく言っていました。 それをやれという主張をしていたのが名古屋の営業所の営業所長になっていた近藤路夫さんでした。 (株)一条工務店という会社は、なんか、程度の低いのを営業所長にならせているものだとびっくりしましたが、要するに、「『借金慣れした人』というのは、預金も借金もない状態になると、貯金があるような感覚になってしまう」ということがあるようです。 そして、(株)一条工務店という会社は、「営業所による条件の違いが甚だしい」と言われる会社で、私のように相当の努力をしてなんとか売れるという場所に勤務してきた人間の場合、相当の努力をしてそれで売れるので、借金があろうがなかろうがなんとか売ろうと努力するのですが、そうではなく、「普通におれば売れる」ような営業所にいた人の場合、「借金慣れした人」の場合、借金ができた状態でないと働く気持ちにならないという人がいるようなのです。 そんな人と一緒にされたら迷惑ですし、世の中、そんな人間ばかりではないのですが、そういう人を基準としてしか物事を考えられないような人が(株)一条工務店の営業所長になっていた人の中にはいたのです。
   それに対して、掛川営業所の近藤まさお さんの場合は、そうではなく、(株)一条工務店に入社する前、自営業でやっていてうまくいかず、(株)一条工務店に入社する時点で相当の借金をかかえていたが、入社後、多くの契約をあげて歩合給で稼ぐことができたおかげで、それらの借金を返すことができた。だから、同様に、契約を多くとれば稼げますから頑張って契約をとってください、という話を「研修」の時に彼はしていたが、自分は(株)一条工務店に入社する時点で借金をかかえていたと話しても、だからといって、他の人間に借金を勧めるようなことは、私は彼から聞いたことはない。だから、同じ「近藤」という名字でも、借金についての認識は異なる印象を受けている。むしろ、彼は、↑の≪3≫の発言のように、払うべきものを払わないような人間については軽蔑するような姿勢があり、払わないといけないものはきっちりと払え、払わないといけない状態になった時に払えるかどうかと悩むことがないようにしろ、ということを主張しており、借金を勧めるのとは逆のことを言っていると思われる。

    掛川営業所の所長の近藤まさお さんが、電話で私に「座禅研修にも、絶対に強制的に参加してもらうからな。嫌だなんて言っても認めないからな」と発言したのは、それは、彼が営業部長という肩書をもらって、1998年、各営業所に、「前年、営業成績がふるわなかった理由は何ですか」という「アンケート」を送りつけてきた時、本当に売れずにやめていった人もいたが、私などは、消費税が上がった後の住宅業界の不況のもとで、相当の努力をして、なんとか契約をあげてきたのであるし、いわき地区の営業所の従業員は、誰もが苦労して契約に結びつけていたのに、それに対して、その口のきき方は、いくらなんでもひどいのではないかと思い、それで、私は浜松に電話を入れて、「それでは、いったい、どれだけの契約をあげれば、『営業成績がふるわなかった』と言われずにすむのですか」と言ったところ、近藤まさお が電話に出てきて、「10棟以上だ。 毎年、どんなに少ない年でも10棟以上、契約をあげるのが条件だ」と言うので、「今、10棟以上契約とっている人なんて、いったい、全国で何人いますか。そんな棟数なんて、いわきのK野所長もあげていませんよ」と言うと、近藤は「それなら、K野所長も成績不振者だ」と言ったのだ。 年間で見て、全国1位の成績をあげたこともあるK野さんの営業としての実力は相当のものだと思う。 評判は人による。 評判は人によるが、言うことを聞くと、さすがにそれだけの営業成績をあげた人だけのことはあると思うことを言うと思う。 K野さんでも「成績不振者」だと言うのなら、それなら、いったい、誰が「成績不振者」ではないのか。 それで、私は言ったのだ。 「K野所長でも成績不振者だと言われるのなら、それなら、いわきには成績不振者でない人は誰もいないことになりますね」と。 そうすると、近藤まさお は、「そうだ。いわきの人間は全員が成績不振者だ」と言ったのだ。 それで、私は「営業の条件はその地域によって違いますよ。 あなたがいる場所といわきとでは条件が違うということもわかりませんか」と言ったのだが、近藤まさお は、「浜松では10棟以上売っている人間がいる」と言い出した。 「浜松と一緒にするのはやめてもらえませんか。浜松は、もともと、他の地域よりもずっと安い値段で売っていますね。 安い値段で売り、テレビ広告も他の地域と違ってやっているような場所で、『売らせてもらった』人が『成績優秀者』で、高い値段で売らされている地域の人間が所長も含めて『成績不振者』だと主張するのはおかしいという、そのくらいのこと、わかりませんか」と言いました。 ところが、近藤まさお は、「どんな場所でも、条件は同じだ。 どんな場所でも、どんなに条件が悪い時期でも、年間10棟売れない者は成績不振者だ」と、私の方は、彼は話をすればわかる人間だと思うから電話をしたのに、彼の方ではそうではなく、最初からなんだかずいぶんと興奮した調子で、言いまくったのだった。そして、「座禅研修も・・・・」と、私の方は「座禅研修」の話なんかまったくしていないのに、「座禅研修も、絶対に強制的に参加してもらうからな。嫌だと言っても絶対に認めないからな」と言い出したのでした。
   私は、(株)一条工務店で「所長」にならせてもらった人で、静岡県・愛知県でしか仕事をしたことがないという人はだめだ、と思っていたのです。 「浜松の中のカエル」に、「空の一部分の広さは浜松の広さと同じだと言うのなら、それは正しい。 しかし、空の広さは浜松の広さと同じだと言うのなら、それは間違っている」と言うと、彼らは怒るのです。 怒られるのなら、もう言わんわ、と思うようになったのです。 その点、たとえば、栃木県地域で営業所長になっていた五十嵐さんなどは、自分自身が静岡県愛知県でない地域で営業をしてきた人だけあって、静岡県愛知県以外の地域は静岡県愛知県と同じではない、ということを知っています。 東京で入社して福島県に勤務して、1998年に栃木県佐野市に移った私が、「東京では、一条工務店と住友林業なら、営業の能力と努力が五分と五分なら圧倒的に住友林業の方が強かったけれども、福島県では、ムクの構造材で建てたいという人が多い土地柄だけあって、逆に、営業の能力と努力が五分と五分なら、一条工務店の方が強い。 このあたりの栃木県南部だと地理的にその中間なので、一条工務店と住友林業で、営業の能力と努力が五分と五分なら、6対4くらいで一条の方が有利かと思ったら、そうではなく、むしろ、4対6くらいで住友林業の方が有利みたいですね」と話したところ、五十嵐さんは「いや。 4対6じゃなくて、3対7くらいじゃないか」と言ったのですが、それは、実際に、五十嵐さんが自分自身で栃木県で営業をやった経験から、肌で感じたものがそうだったのだと思います。自分がやった者はそれを言えるのです。 福島県浜通り地区で所長になっていたK野さんも、(株)一条工務店の浜松の人間が行ってきたことがあっても、正面から逆らわないとしても、浜松の人間がそのまま言うことをきいたりはしなかった。浜松と いわきは違うとわかっていたからだ。
    それに対して、静岡県西部・愛知県でのみ仕事をしてきた人間というのは、その地域で(株)一条工務店が評価されるものは他地域でも評価されるものだと思い込んでいるし、自分たちの所に他地域より有利な条件を設定することにして、その分、自分たちが売りやすい・売れやすいようにして売り、そして、「浜松では売っている」と言うというのを得意技にしていた。住宅建築業の会社の営業で営業成績を残した人が話をするビデオを販売している会社があったようで、(株)一条工務店にいた時に東日本ハウスの人と積水ハウスの人が話すのを見せられたが、東日本ハウス(株)〔⇒日本ハウスホールディングス(株)〕で「トップセールス」であったという人がその中で、 営業能力 × その営業所の市場性 =契約棟数 という話をしていたが、私もそう思う。 浜松向けの商品、浜松では「地元の会社」という「売り」があり、そういう場所で、わざわざ浜松から遠い場所よりも安い値段に設定する、かつ、静岡県西部愛知県のみテレビ広告をドカンドカンとやる、そういったことをやることで、「その営業所の市場性」を高めることにより、「契約棟数」を上げたとしても、それは「営業能力」が他地域よりも優れているということを意味しないはずである。しかし、遠州人〔(株)一条工務店の遠州人〕は絶対にそれを理解しない。 1992年に東京営業所に入社した時、東京では(株)一条工務店は無名で、「そんな会社、誰もぜんぜん知らないわ」と何度も言われたのに対し、研修で浜松まで行った時に、浜松駅でタクシーに乗って「倉松町の一条工務店」と言えばタクシーの運転手は誰もがまったく説明しなくても間違いなく(株)一条工務店の本社まで連れて行ってくれたし、「お客さんは家を建てる仕事をしている人だと思うので教えてほしいんだけれども、私は今、○歳で年収は◇◇万しかないんだけれども、そういう人間でも家は建てられるもんでしょうか」などと相談されたこともあった。東京では「一条工務店」という名前を出したからと言ってそんなことを相談されるなんてことは絶対になかった。松戸展示場では、総合住宅展示場に来た家族連れの子供が(株)一条工務店の展示場に入ってきたところ、母親が外から「ここは入っちゃだめえ。出てきなさ〜い。ここは入っちゃだめな所なのお。早く、出なさ〜い」と大声で叫んだということもあった。これは、その地域ごとにその会社の評価が異なることによる違いであるが、創業の地で内容から考えて低価格に設定してテレビ広告を大量におこなっていた静岡県西部・愛知県の人間は、「営業のやり方の問題だ」とのぼせ上った口をききまくっていた
    中途入社で入ってきた人間で、同業他社の経験がある人間は、そのあたりのカラクリを理解できた。だから、(株)一条工務店の静岡県愛知県地域で「売らせてもらった」連中は、同業他社の経験がある人間が嫌いだった。自分たちのズルが見える人間は嫌いだったようだ。「同業他社の経験がある人間」といっても、(株)一条工務店に入社した以上は「(株)一条工務店の人間」のはずなのだが、それでも、「同業他社の人間」という眼で見て敵対心を持つようだった。 変な連中だと思った。 同業他社でなくても、他業界ででも、営業の仕事の経験がある人の場合、「一条工務店は営業所による条件の違いが大きい」「一条工務店は静岡県愛知県は他の県よりも何かと優遇される」「一条工務店の静岡県愛知県の人間はそれ以外の都道府県のことを理解できていない」といったあたりを、見抜くことができる人がいた。 そのあたり、私なんかは、そういう人を見ると、この人はなかなか・・・・と評価したのだが、(株)一条工務店の経営者は、そのあたりをわからない「静岡県愛知県の中のカエル」が好き♪ だったようだ。
    近藤まさお さんは、静岡県の掛川、遠江地方の掛川の営業所にしか営業として勤務したことがない人、静岡県西部でしか営業として勤務したことがないだけでなく、静岡県西部でも掛川営業所でしか勤務したことがない人であり、営業部長などと言って全国の問題に発言するには、私のように2つ以上の都道府県で勤務した経験がある人間でないと無理ではないかと思えたが、彼の場合、(株)一条工務店に入社する前に、他業種であっても営業の仕事をしていたことがあったらしいので、それがプラスになり、自分たち、静岡県西部の人間は、他の東海地方以外の都道府県よりもはるかに安い値段で「売らせてもらっている」、静岡県西部・愛知県以外の地域と違ってテレビ広告をどかんどかんとやって「売らせてもらっている」、商品自体が静岡県西部向けで開発された商品であり、静岡県西部向けの商品を「売らせてもらっている」、「見せるための工場」やインテリア館などを静岡県西部は自分たちの所に作ってもらい、「売らせてもらっている」のであって、あくまでも、「売らせてもらっている」面があり、「売った」というのと同じではない、ということくらいは認識できているであろう・・・・と思っていたら、そうではなかった。 近藤まさお さんは、そのあたりを自覚できていない理解しようとしない勝手な遠州人の仲間だったようだ。
    自分たちの得点はラグビーの得点であり、静岡県西部・愛知県から離れた地域で「野球の得点」やっている人間よりも静岡県西部・愛知県で「ラグビーの得点」やっている人間の方が得点が多いのは「当たり前」であって、特に称賛されるようなものではない、ということをいくらなんでも認識できているであろうと思っていたら、ちっとも認識できていなかった。 そのあたりを認識できず、むしろ、自分たちは「ラグビーの得点」やらせてもらって、「野球の得点」やっている人間と比較してほめてもらう権利がある、みたいに思っているようだった。
    そういう「ラグビーの得点」やって「野球の得点」やっている人間に対して「売れなかった理由は何ですか」とかファックスを流してくるような男が、深奥山方広寺のボーズどもと結託しておこなったのが、国民の信教の自由を侵害する「研修」だった。 思い上がった人間同士で結託しておこなった、傲慢な「研修」であり、「研修」される必要がある人間がおこなう「研修」であった。

画像

↑  深奥山方広寺 御朱印。 「奉拝」「奥山半僧坊  大本山方広寺」と書かれている。
多くの寺や神社で御朱印をいただくと、寺や神社の人というのは、毛筆の字が上手いなあと感心するが、深奥山方広寺の坊さんも、達筆。又、寺や神社によっては、達筆なのはいいけれども、何と書いてあるか読めないという達筆の字もあるけれども、方広寺で書いてもらったもの↑は、きっちりと読める。

   次回、【15】(株)一条工務店の従業員の給料へつった金が深奥山方広寺門前のじいさんと孫の小遣いに化けた http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_15.html

   (2017.7.9.) 

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深奥山 方広寺(浜松市)と信教の自由の侵害【14】不良ボーズによる宗教の強制は国民の信仰心を妨げる 慎腹風呂愚/BIGLOBEウェブリブログ
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