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zoom RSS 深奥山方広寺(浜松市)と信教の自由の侵害【11】上天台舎利殿・観音堂。「親に感謝」は教育勅語の思想

<<   作成日時 : 2017/07/09 20:56   >>

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[第555回] 会社と営業の話(118)
   深奥山方広寺(静岡県浜松市北区引佐町)では、大庫裏〜本堂〜開山堂〜半僧坊、本堂〜上天台舎利殿 と、靴を脱いで上がって内部まで入らせてもらうことができるのですが、内部まで入らせてもらえるのはいいのですが、しかし、その一方で、本堂などは、正面は閉められており、又、外から見ても、大庫裏からの渡り廊下のような経路はあるとしても、この本堂って、本来の入口はいったいどこなんだ? と言う疑問を感じたりもします。
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↑ 今現在、一般参拝者は、大庫裏の入口で靴を脱いで上がり、渡り廊下を通って横から本堂に入りますが、普通、本堂って、正面から入りませんか?  どうなってんだろ・・・・・て、思いません?

   大庫裏の中の一室の宝物展に、奥山家と井伊家の関係の図が掲げられていましたが、深奥山方広寺は開山という最初に初めてお坊さんが無文元選(むもんげんせん)という後醍醐天皇の皇子だと言われてきた人だが、開基というお金を出した人は誰かというと、《ウィキペディア―方広寺(浜松市)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E5%BA%83%E5%AF%BA_(%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E5%B8%82) には、≪ 1371年(建徳2年)この地の豪族奥山朝藤の開基により、後醍醐天皇の皇子無文元選を開山として創建された寺である。≫と出ていますが、その奥山さんという地名と同じ苗字の豪族と徳川家の家臣の井伊家とは縁戚関係を結んできたらしい。 ですから、江戸時代を通じて、政治権力と結んできた寺みたいですね。 そして、明治維新後は、ラシャ問屋のなんとかさんに三重塔を建ててもらい、「一体 20万円」「はごろも缶詰 金500万円」「静岡放送・静岡新聞 金400万円」と、(株)一条工務店の「信教の自由を侵害するための研修」により、商売繁盛で笹もって来〜い♪ てやってきたみたい。 三重塔と言っても、「ストゥーパ」「塔」とは何ぞやなんて考えてもいない、単に観光目的・娯楽目的の塔みたいですし、「信教の自由を侵害する研修」、「戦後、『信教の自由』ということが言われまして、宗教を強制してはいけないということがやかましく言われたために、宗教を教えることができなくなって、そのために、国民が宗教を知らなくなってしまった」などと勝手なことを「所長」とかいうボーズが講釈するという、まさに、その「所長」こそ宗教のなんたるかの基礎の基礎、基本の基本、基本の「き」がわかっていない、そういう男が、「研修」するような「研修」をやることで儲けてきた、というそういう寺みたいですね。
    今、井伊直虎というのが流行みたいで、《ウィキペディア―井伊直虎》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%BC%8A%E7%9B%B4%E8%99%8E には、≪ 井伊 直虎(いい なおとら)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての遠江井伊谷の領主。祝田郷の有力者宛に徳政令の実施を命する書状に「次郎直虎」の署名が見られる。通説では井伊直盛の娘、次郎法師であったとされる。・・・ ≫と出ています。 三ケ日インターチェンジから深奥山方広寺がある北区引佐町奥山までの道の途中に、龍潭寺(りゅうたんじ)http://www.ryotanji.com/ という寺があり、そこは、井伊家の菩提寺らしく、井伊直虎のゆかりの寺なのか、「井伊直虎」と書いた幟とかが相当立っていました。

深奥山方広寺は、そこまで井伊直虎とは関係は深くないようですが、井伊家と奥山家は縁戚であったと、宝物展に系図が出ています。

    で、本堂の背後で、サンダルを借りて履いて坂を登って行くと、上天台舎利殿(じょうてんだいしゃりでん)があります。 ↓
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↑ 「上天台舎利殿(じょうてんだいしゃりでん)」とは何なのか?  拝観受付でもらった由緒書によると、≪本堂裏の高所に建てられた舎利殿は京都銀閣寺風二層式でお釈迦様の歯の一部がスリランカ仏歯寺管長ワジール師によって奉納された。 一般の方々のお舎利様もお納めいただき仏縁を結ぶ聖地であります。≫と書かれているが、銀閣とは、ちょっと違うように思いますね。
   本堂から上天台舎利殿への登る坂から見ると、本堂の屋根を越えて向こうに三重塔が見えます。↓
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   本堂の左側に、渡り廊下で進むと開山堂に行きますが、開山堂に行くより前、本堂に附属するように本堂の左手にあるのが観音堂です。↓
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↑ 「観音堂」という名称がつけられていますが、実際は、「親孝行せえよお の堂」ですね。 こういうのが好きな人というのも、世の中にはあるようですが、私は嫌いですね。
   要するに、「親に孝行せえよお。 わしに孝行せえよお。 わしに孝行せんと罰あたるぞ。 ええか、わかっとんのんか。 このわしのようなエライえらいエライえらい親に孝行せえよお。 すべてを、親こっこっこのために、捧げつく〜す! とってちってたあ〜あ!!! 撃ちてしやまん、一億火の玉! 親こっこっこのために、とってちってたあ!!!」というお堂ですね。
   インターネットで見ているとこの2017年の3月になくなったようですが、1980年代、今は昔、横浜市港北区箕輪町 の慶應義塾大学の日吉キャンパスのすぐ南側に、「日吉台学生ハイツ」という男子学生用の宿舎があったのです。

( ↑ 「日吉台学生ハイツ」があった所。 ☆1つ。「いまいち」)
そこは、防衛庁・自衛隊の人間が経営していたようで、それだけに、右翼・反動の思想の持ち主の経営で、「ハイツだより」などというものを館長が書いて、親に送ったりしていたのですが、一面に「親に感謝」などというタイトルで書いたりしていたのですが、私の父などはそれを見て、「ええ〜えこと言いはる。 親に感謝。 わしに感謝せえよお、わしにじゃ、わしにい。 わしに、わしに、わしにい〜い」とか言って喜んでいたのですが、多くの大学生にこれを話すと、たいていの人間は顔をしかめて嫌がりました。
   父は、「世の中にはやなあ、カス親もおれば、ダメ父もおるのに対してやなあ、わしいは、えらいエライえらいエライえらいエライえっらいえっらい聖人のお父さんやね〜ん。 あんた、恵まれてるねえ〜え。 そやから、感謝せえよお、わしにい。 わしに感謝せえよお、わしにいい。 親こっこっこ、親こっこっこ、親こっこっこ、コオッ、コオッ。 親こっこっこ、親こっこっこ、親こっこっこ、コオッ、コオッ!」とか、毎日毎日叫んでいました。 「学生ハイツ館長さん、『親に感謝』。 ええ〜えこと言い張る。 わしに感謝せえよお、わしにい、わしにじゃ、わしにわしにわしにわしにい〜い。 すべてを、親こっこっこのために、捧げつく〜す。 とってちってたあ〜あ! 木口小平は死んでもラッパをはなちまちぇんでちたあ〜あ! すべてを親こっこっこのために、すべてを親こっこっこのためにい」とか言っていました。 で、何かずるいように感じたのは、私が子供の頃は、おっさんはそういうことは言わなかったのです。 私が生まれた時、父の父である祖父はすでに他界していませんでしたが、父の母である祖母は存命中でした。 祖母が生きている時には、「親こっこっこ、親こっこっこ」なんて父は言わなかったのです。 ところが、祖母が他界して、自分は親は両方とも他界しておらず、息子はいるとなると、「親こっこっこ、親こっこっこ。コォツ、コオッ! すべてを親こっこっこのために、捧げ尽く〜す。 とってちってたあ〜あ!」と毎日毎日言いまくるようになった、というのは、なんかこう、ずるいような気がしたのですが・・・・、そう思いませんか?
    日吉台学生ハイツの館長の藤井さんと防衛庁だか自衛隊だか出身のじいさんの文章ですが、どう考えてもおかしいと思ったのです。 何がおかしいかというと、 「感謝する」という日本語の動詞は、「〜に」という目的語を持つ動詞であり、その「〜に」というのは、それは誰かがおこなった行為に対して「感謝する」はずなのです。ですから、親が子供のために何かやってくれたということに対して、これはよくやってくれたと感謝するというのはわかりますし、親でなくても、他人が何かをしてくれた、友人が何かをしてくれた、大変ありがたいことだと「感謝する」ということもあると思います。 そして、子供が親のために何かをした時に、親の方がそれに対して「感謝する」ということだってあると思うのです。 ところが、日吉台学生ハイツの館長の藤井さんは、そうではなく、「親に感謝」と言って、行為に対して感謝しろというのではなく、「親」という人間に感謝しろと主張するのです。 かつ、息子・娘が親のために何をやっても、感謝する必要はないみたいなのです。 おかしいと思いませんか?
    なんか、変なことを言うじいさんだなあと思ったのですが、その後、山住正己『教育勅語』( 朝日選書)を読んで、その意味がわかりました。 要するに、日吉台学生ハイツの館長であった藤井さんが「ハイツだより」に書いていた「親に感謝」という文句は、それは、「教育勅語」の思想なのです。「感謝する」「感謝しろ」という日本語の動詞は、物事・行為に対して「感謝する」「感謝しろ」という動詞のはずなのです。 ところが、そうではなく、「教育勅語」の思想では、「親であること」に対して「感謝しろ」と言うのです。 それは日本語としておかしいはずですが、「教育勅語」の思想はその日本語としておかしいことを要求するのです。そして、防衛庁・自衛隊出身という日吉台学生ハイツの館長の藤井さんは「ハイツだより」にその日本語としておかしい主張を書いていたのです。
   父は、毎日のように言っていました。「わしいがあんたあのために、やってやってやあってやったことは、いっぱいあるけれども、わしがあんたにやってもらったものは、何ひとつとしてないんやからな。 何ひとつとしてやぞ。何ひとつとして。 ええか。わしは、あんたにやってもらったものは、何ひとつとしてないんやからな。 わかったな。わしに感謝せえよお、わしにい。わしに感謝せんと罰あたるぞ。ええか、わかっとるか、わかっとるか、ええか、チャンコロ。 わかっとんのんか、チャンコロ。 ええか、わしに感謝せえよお、わしにじゃ、ワシにい。わしにわしにわ、し、にい〜い」と、毎日毎日、叫んでいました。 そんなことあるかいな。 私がおっさんのためにやったことだって、けっこうあるじゃないか。 何を言うとるねん、勝手なこと言うな。 たしかに、私が生まれてから成人するまでの間の生活費はおっさんが会社に働きに行ってもらってきた給料から出してもらったわけですから、その点では、今さら、「わしに感謝せえよお。 わしにじゃ、わしにい。 わしにわしにわしにい〜い」とか言われなくても、十分、感謝しておりますし、その点については感謝するべきだとも思います。 しかし、それなら、私がおっさんのためにやったことは何もないかというと、そんなことあるかいな。 勝手なこと言うな、と思いました。 「あんたあは、今までわしに世話になることはいっぱいあったけれども、わしがあんたに世話になったことも、わしがあんたに何かやってもらったことも、何ひとつとしてないんやからな。 ええか、わかっとんのんか。 わしは今までから、あんたに何かやってもらったことは、何ひとつとしてないし、今後もあんたに何かやってもらうことは、永遠に何ひとつとしてないんやからな。 わかっとんのんか、チャンコロ。 わかっとんのんか、チャンコロ」と、父は、毎日毎日、私の顔の鼻のあたりを指さして叫んできました。
    母はそうとも思っていなかったようで、父が、最後、他界する前、病院に入院した時、私は東京で勤めていましたが、母は、「前に、回生病院に入院した時には、○○がいたから、着替えとか病院に持って行ってくれたけれども、今は東京で勤めているから、持って行ってもらうことはできないから」と父に言ったところ、父は「そんなもん、○○に病院に着替えみたいなもん、持って来てもらったことなんてないやろ」と言ったというのです。 母は「どうしてよ。 ○○が病院まで着替えとか持って行ったでしょうよ」と言っても、「そんなもん、やってもらったことは一切ないなあ。知らん、そんなもん」と言って認めなかったというのです。 そうです、そういうおっさんでした。
    私が大学生であった夏休みに、母が足をねじって捻挫したことがあり、母はしばらく立てない状態が続いたので、私が食事の用意をして食後の食器のかたづけもやりました。 父は私が切ったキャベツを食べたはずなのです。父は私が皮をむいた林檎を食べたはずなのです。 父が食事をした後の食器も私が洗ったはずなのです・・・・が、父はそれでも、「わしは、あんたに何かやってもらったというようなことは、およそ、何ひとつとしてないんやからな。 何ひとつとしてやぞ、何ひとつ、何ひとつ、何ひとつとしてないんやからな。 わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ」と言い続けました。そういうおっさんでした。 「教育勅語」で育った戦前世代ですから、息子はともかく「親に感謝」しなければいけないが、父親は息子に何かやってもらっても、やってもらうと同時に忘れるのが当然と考えていたのかもしれません。
    私は小学校に行く前から、母が食事の準備をする際、手伝うことがありました。鰹節というと、最近では、すでに削ったものがパックにはいって売られているものを使う方が一般的になりましたが、私が子供の頃はそういうものはありませんでしたので、鰹節削りで削りましたが、それは小学校に行く前から私の仕事でした。父は、私が削った鰹節を食べたはずなのです。 それから、ゴマというのは大変栄養分が豊富な食べ物のようですが、問題点としてゴマの殻は頑丈で、ゴマをすることなく食べると、ゴマの中の栄養分が体内に吸収されることなく排出されてしまうらしい。そのゴマをすり鉢に入れてスリコギでするのも小学校に行く前から私の仕事でした。父は私がすったゴマも食べたはずなのです。
   さらに、私が小学校の4年の時に父母は家を新築して引っ越したのですが、それまでに住んでいた家は和室の南側に廊下があって、その廊下の突き当りに便所があったのですが、その廊下の拭き掃除も小学校に行く前から私はやりました・・・・・が、父はその廊下を通って便所に行ったはずであり、その便所で小便もう○こもやったはずなのですが、それでも、「わしはあんたに何かやってもらったものは、何ひとつとしてないんやからな。何ひとつとしてやぞ、何ひとつとして」と言い続けました。 う○こすんな!とでも言いたくなるところです。
   父は、朝、起きると雨戸を開けて、そして、朝食を食べると会社に出かけましたが、父が会社から家に帰ると、家の雨戸はすでに閉められています。 私は、1人暮らしをアパートで始めた時、最初に思ったのは、朝、雨戸は開けるべきか開けざるべきか、という問題です。 すぐ近所に行ってすぐに帰ってくるのならいいのですが、1人暮らしの者が会社に勤めに行く時に、朝、雨戸を開けて出かけると、特に、帰りが遅くなった場合、雨戸は開けっぱなしになるのです。 それに対して、父は、朝、雨戸を開けても、会社から帰って来た時、何時に帰って来ても、すでに雨戸は閉まっています。「当たり前です」と父は言うのですが、その「当たり前」のことを誰がやったのか。 雨戸は誰が閉めたのかというと、小学校の時も中学校の時も高校の時も、私が閉めたのです。 そして、冬場は、父が家に帰って来た時には、すでにストーブは点火されて部屋は暖まっていたはずですが、その石油ストーブに灯油を入れたのは誰か、石油ストーブに火をつきたのは誰かというと、私がつけたのです。
    私が小学校の4年の時に、親が建てた家は、道路から入る所に鋼製の門扉がありましたが、近所のよその家は、定期的に業者に依頼してペンキ塗装をする家があり、そういう手間をかけない家では門扉が錆びてきたりしていました。しかし、我が家だけは、業者に依頼しなくても、いつまでも、錆びることはなかったのです。父は当たり前だと思っていたようですが、何年か経っても塗装をやり直さずに鋼製の門扉をそのままにして錆びないのは「当たり前」ではありません。我が家の門扉は、業者に塗装をやってもらわなくても、なぜ、錆びなかったのかというと、私が定期的にペンキを塗っていたからです。父は、朝、その門扉を開けて出て行き、夜になると、その門扉を開けて家に入ってきたはずでしたが、それでも、「わしはあんたに何かやってもらったことは、何ひとつとしてないんやからな。何ひとつとしてやぞ。何ひとつとして、何ひとつ、何ひとつ、あんたにやってもらったことはないんやからな。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ」と言い続けました。父は「この家は、すべて、わしが一人で築いたものであって、わし以外の誰かが何かやったものは、何ひとつとしてないんやからな。何ひとつとして」と言い続けましたが、この文句には、母も怒っていました。「よく言うわ」と。まったく「よく言うわ」と思います。〔⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=zyq39RvLu2s 〕
   植木の剪定を植木屋に頼むのは、どの季節に頼むべきか。私は、自分で頼んでみてわかりました。 絶対にこの季節がいいというものは、ないのです。 なぜなら、1種類だけしか木が植わっていないのなら、ある特定の季節に頼めばいいのですが、何種類かの木が植わっていたならば、その木によって剪定するのがふさわしい時期は異なるのです。 ですから、できるなら、植木屋は年に2回くらいは来てもらうようにした方が、植木をきれいにして住むにはいいのです・・・・・が、しかし、植木屋に来てもらうと、それなりにお金もかかります。 ですから、昔から、「あそこの家、植木屋が年に2回も来ている」という文句は、その家は羽振りがいいという意味で使われたようですが、多くの家は、2回来てもらえればいいのはわかっていても、年に1回、来てもらうだけでいいことにするしかない、としていたのです。 しかし、年に1回では、刈ってもらったと思うと、またすぐにのびてきたりもします。 我が家では、その点、植木屋に来てもらうのは年に1回でしたが、それでも、けっこう植木はきれいになっていたはずです。 なんでか? そりぁ、私が刈ってましたから。 ですから、松なんてのは植木屋にやってもらっていましたが、それ以外の多くの木を私は刈ってきました。 でも、父は言うのでした。「この家のために、あんたがやったことは、何ひとつとしてないんやからな。 何ひとつとしてやぞ。ええか、わかっとるか。 わかっとるか、ええか、チャンコロ。おまえがこの家のために何かやったことは、何ひとつとしてないんやぞ。何ひとつとして、何ひとつとして」と。
   そういえば、私が小学校高学年だったか中学生だったかの時、5月半ばころ、「さつき」の木を剪定しろと言われ、すでに、花が咲く直前の木を、どう切ったらいいのかわからず、「これ、どんなふうに切ればいいの」と尋ねたところ、「何を言ってますの。 あんたはあ。そんなもん、自分で考えて切りなさいよ。そのくらいい」と母に怒られたので、しかたなしに、ともかく、ひと回り小さくなるように刈ったところ、そこに父がきて、「ああ、ああ、ああ、ああ。 こいつ、いったい、何しおるんじゃ、こいつはあ〜あ。もうすぐ花が咲くという花芽をみんな切ってしまいおってからに。何しおるんじゃ、こいつはあ〜あ」と怒られたことがありました。「きっちりと花芽を切らんように剪定せんか。そのくらいのこと、できんのかあ。ほんまにい」と怒られたのですが、父の他界後、自分が植木屋に頼む時、質問してみたのです。「あと1ヶ月弱くらいで花が咲くという『さつき』を花芽を切らないように剪定するには、どういうようにすればいいのでしょうか」と。造園屋の返事は、「それは、無理です」と。「あと1ヶ月くらいで花が咲くというさつきを、花芽をとらないように剪定しろ言われても、それは無理です」と。「あと1ヶ月で花が咲くということなら、花が咲くまで待ってそれから刈られた方がいいでしょう。どうしても小さくしたいなら、外の方を一通り刈って内側の花芽を残されたら、咲く花の量は減りますがいくらかは咲きますから、そういう刈り方ならできますけれども」ということでした。私がやった刈り方ならできるということです。私の両親はプロの造園屋が「無理です」と言うことを私に「なんで、そのくらいのこともできんのじゃあ」と言っていたわけです。こういうものをあげていくと、きりがありません。自分たちが住む家のためにと思ってやってきたのに、又、家族は助け合うものだと思って、生活費を稼いできてくれているのは父であるとしても、それでも、家族は助け合うものだからと思って、子供の頃からできることはやってきたつもりなのに、「わしがあんたにやあってやあってやあってきたものは、いくらでもあるけれどもやな、あんたあが、わしのためにやったものは、何ひとつとしてないんやぞ、チャンコロ。何ひとつとしてやぞ、チャンコロ。ええか、わかっとるか、わかっとるか、ええか。何一つとしてないんやからな、チャンコロ」と父は言い続けたのでした。
   私が20歳の時、父が祖父の出身地である鹿児島に行って、鹿児島の親戚に会って帰って来た時、親戚にもいろいろな人がいたようで、父にとっては気分を害するような人もいたようです。 そして、父は私の所に来て、「◇◇いうやつが、こいつが、わしに、もう、なんやらかんやら、ブカツクぶかつくブカツク言いおるんじゃ、こいつがわしにブカツクぶかつくブカツクとお〜お」と、そう、私の所に来て、父は私にブカツクぶかつくブカツクぶかつく言いまくったのでした。 とりあえず、誰かにブカツクぶかつくブカツク言えば気がすんですっとする、という人もいるようですが、誰もが聞いてくれるわけではないし、うかつな相手に言うと、そこにつけこまれます。 私は、聞いてほしいんだなと思って、父がブカツクぶかつくブカツク言うのを、「はい、はい」と言って聞いてあげたはずでしたが、ブカツクぶかつくブカツク言っていた側はその自覚はなかったのかもしれません。 こういうことはあげていくときりがない。
   私が大学生であった時、父は「いらいらっとしたら、かけたんねん」と言って、私に電話してくることがよくありました。 「いらいらっとしたら、かけたんねん」と言って電話する人というのは、そうやって電話してブカツクぶかつく言うと、そうやって言った後、その分だけ、「すっとする」のかもしれませんが、そういう電話は、こぶとりじいさんのコブと一緒で、かけられた側に、その分だけストレスが移行するのです。 でも、聞いてあげないと怒りますから、だから、私は我慢して聞いてきたのです・・・・が、それでも、「いらいらっとしたらかけたんねん」と言って電話してきた側のおっさんは、「えらいえらいえらいえらいわしが電話してやってやってやったった」とか思っていのです。実際は、「いらいらっとしたらかけたんねん」とかけていたにもかかわらず。 そういう電話も我慢して聞いてきたのですが、かけた側には聞いてもらったという意識はなかったのかもしれません。
   ともかく、「わしいがあんたあにやってやってやってやってやってやってやったったものは、いっぱいあるけれどもやなあ、あんたあがわしのためにやったものは、何ひとつとしてないんやからな。何ひとつとして、何ひとつとしてやぞ。 今までにも何ひとつとしてわしはあんたにやってもらったものはないし、今後も永遠にわしはあんたにやってやってやってもらうものは何ひとつとしてないからな」・・・・父はそう言ったのです。 「わしはドイツ人やねんぞ、わしはあ。世の中の人間は、自分ではやらずにひとに命令する人間だけではいかんし、自分で自分のことを決めずにひとに命令されて命令された通り、せっせせっせとやる人間ばっかしでもいかんわけや。神さまは、大変、賢明なお方であって、世の中の人間を、はっきりと2つに分けてお造りになったんや。 自分ではやらずにひとに命令する階級の人間と、自分で自分のことを決めずにひとに命令されてせっせせっせとやる階級の人間と、生まれる時点で人間を2つに分けてお造りになったんや。 わしは人に命令する階級の人間として神さまに造られた人間やねん。 わし、M川先生(父の親友の医者屋)、T子さん(私の兄弟のうちでいつでも父につく上の姉)、M尾さん(父の勤め先の父の部下で父の言う事を何でも聞いたことから出世させてもらったらしい人)、この4人と聖徳太子、それにヒットラー総統、この6人は、特に、人に命令するための階級の人間やねん。 それに対して、あんたあは、ひとに命令されて、せえっせせえっせと働くのが向いている階級で、自分で自分のことを決めるよりもひとに決められてせっせせっせとやる方を喜ぶ階級で民族やねん。」と言っていました。「私、そういうの、喜びませんけれども」と言ったのですが、父は「何を言うとんねん、何をお。 おまえは、ひとに命令されるのを喜ぶ階級であり、ひとに命令されてせっせせっせとやる方を喜ぶ民族なんや」と言うのです。 「世の中の民族もそうなってるやろ」と父は言うのです。 「即ち、ドイツ人とかアメリカ人とかはひとに命令するための民族として、神さまから作られた民族でやなあ、わし、M川先生、T子さん、M尾さん、聖徳太子、ヒットラー総統と言った人間はドイツ人や」と、そう言うのです。 聖徳太子て日本人かと思っていたら、ドイツ人だったそうです。「わしは、ドイツ人でアメリカ人やねんぞお、わしはあ」と父は言うのです。 へえ〜え。 「そんでやなあ、あんたはロスケでイタコでチャンコロや」と、そう言うのでした。 母は何人なのかというと、日本人らしい。 ドイツ人と日本人の間に生まれる子供は、ドイツ人と日本人の混血かというと、そうではなく、「ロスケでイタコでチャンコロ」だそうなのです。血液型みたいなもんですね。A型(AO型)とB型(BO型)の夫婦から、A型・B型・AB型・O型が生まれるみたいなものです。 「わしは、ドイツ人でアメリカ人で慶應やぞお〜お」と、父はそう言うのでした。「あんたは、ロスケでイタコでチャンコロじゃ。 おまえはニグロでプエルトリコじゃ。おまえはロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖じゃ。 わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、ニグロ。わかっとんのんか、プエルトリコ。わかっとんのんか、拓殖! おまえは柘植じゃ。 わしは慶應でおまえは拓殖やぞお〜お。わかっとんのんか、拓殖、わかっとんのんか、チャンコロ」と。 父は、毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらい、毎日毎日、言い続けました。 そういう人にことを、「そんでやなあ、わしほど謙虚な人間はおらんねんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ」と言い続けました。そういうおっさんでした。
   父は、昔は、たしか、「わしは、同志社大学という立派な立派な立派な立派な大学を出てます」と言うておったはずなのですが、いつから、「わしは慶應やねんぞお」と宗旨替えしたのかというと、私が、結局、慶應大学に行ってしまったため、父としては、息子に「自分より上の大学」に行かれてしまったということが、とうてい、許せないことだったようで、それで、「わしは慶應やぞお、わしはあ」ということになったようです。それで、「おまえは拓殖じゃ」ということにもなったようです。フリードリヒ=ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』には、「精神の貴族」「精神の賤民」という言葉が出てきます。その表現を真似たものかもしれませんが、父は「精神の慶應」みたいです。そして、私は「精神の拓殖」らしい。
    インターネットで見ていたら2017年3月限りでなくなったらしい日吉台学生ハイツの館長で元防衛庁だか自衛隊だかの藤井さんが言う「親に感謝」というのは、要するに「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」のおっさんに「感謝せえよお、感謝せえよお」という思想ですから、「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖の民族」といたしましては、「はい、はい、はい、はい、はい」と言っておくしかないでしょう。逆らうとうるさそうですから。
    「教育勅語」で言う「親に感謝」というのは、「ドイツ人でアメリカ人で慶應」のおっさんに、「感謝せえよお、感謝せえよお」という思想です。 それで、↑の観音堂に書かれた文句、「ご先祖に感謝の供養と」と書かれているのですが、要するに、「わしに感謝せえよお、わしにわしに、わ、し、にい〜い」ということですね。 父は、取引先の容器屋のおっさんからプラスチックの箱をもらってきて、それを、「神さまが宿っている箱」ということにしたのかどうかよくわからんのですが、その箱に向かって、毎日、両手を合わせて、そして、顔は私の方を向いて、「親孝行せえよお、親孝行せえよお、わしに親孝行せえよお、わしにわしにわしにわしに。 まんまんまんまんまんまんまんまん、み〜んみんみんみんみん、ま〜んまんまんまんまん、み〜んみんみんみんみん、ま〜んまんまんまんまん、み〜んみんみんみんみん、つくつくぼーしつくつくぼーし、とっぽじーじょおとっぽじいじょお〜お、じぃ〜い〜〜い・・・・」とか言って拝んでいました。 この観音堂の「ご先祖に感謝の供養と」というのは、それでしょ。「わしに感謝せえよお。わしにじゃ、わしにい〜い」というやつ。 但し、父は私に言ったはずなのです。「わしがあんたのためにやってやってやってやったったものは、いっぱいあるけれどもやなあ。 あんたがわしのためにやったものは、何ひとつとしてないんやからな。何ひとつとしてやぞ、何ひとつとして。今までにあんたがわしのためにやったものは、何ひとつとしてないとともに、今後も、永遠にあんたがわしのために何かやってくれるということは、永遠に何ひとつとしてないんやからな、何ひとつとして」と言い続けたはずなのです。それでも、私は父の墓参りをしてきましたし、墓に雑草が生えたら抜いてきました。雑草を抜くだけでも、けっこう大変です。30分から40分くらいはかかります。それでも、父は「わしはあんたに何かしてもらったことはまったくないし、今後も何ひとつとしてやってもらうことはないんやからな」と言っていたのです。葬式もやらない方がよかったのでしょうか。
   「ご先祖に感謝の供養を」なんて言われなくても、「わしに感謝せえよお、わしにいい。わしにじゃ、わしにい」と、毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われてきて、もう、十分に感謝はしてきましたから、「感謝せえよお」というやつは、もう、いいにしてほしい、というのが正直なところです。というより、そんなことは、本人が自分で考えて判断することであって、他人にどうこう言われる筋合いはないのです。そして、そんなものは、「観音さま」の教えと、あんまり関係ないと思いますよ。
   ↑の観音堂の「ご先祖に感謝の供養と」という言い回しを見て、これは「教育勅語」の思想につながるものである可能性は十分ありそうという印象を受けました。断定までできないとしても、ニオイはします。でも、私の場合は、もう、疲れたのです。十分、感謝してますから、もう、いいにしてほしいのです。「まあんまんまんまん、み〜んみんみんみんみん、まあ〜んまんまんまんまん」と、プラスチックの箱の方に向かって両手を合わせて顔は私の方を向いて「わしに感謝せえよお、感謝せえよお」「親孝行せんと罰あたるぞお、罰あたるぞお。まあんまんまん、みいんみんみん、まあんまんまん」と呪文を唱えるおっさんを毎日見てきましたので、もう、疲れたのです。
   「わしに親孝行せえよお、わしに親孝行せえよお、わしにじゃ、わしに。わしに親孝行せんと罰あたるぞ、罰が。わしに親孝行せええよお」と言ってその直後に「わし、あんたに親孝行せえなんて言ったこと、一回もないやろ。そのくらいのことは、あんた、わからんといかんで。わしは、あんたに親孝行せえなんて、一言でも言ったことはないはずや」と言うのでした。はあ? あんた、今、言ったのと違うんかい?と思いましたが、そういうおっさんでした。
   「まあんまんまんまんまん、み〜んみんみんみんみん、まあんまんまんまんまん、みいんみんみんみんみん・・・・」というのは、毎日毎日、聞き続けてきましたので、「ご先祖に感謝の供養と」とかいうのは、もう、かんべんしてほしいと思います。 十分、感謝してきましたから。 み〜んみんみんみんみん・・・・・と。


    次回 【12】開山堂と半僧坊 本人が希望しないお守りは害がある。http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_12.html

   (2017.7.9.) 

☆ 深奥山方広寺(浜松市)と「信教の自由」を侵害する者
1. 八百長の通算契約棟数全国1位。遠州地方の営業の我田引水。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_1.html
2. 商品を大事に思う心。住宅営業にとっての知識。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_2.html
3. 払うべきカネを払わない者。掛川の人口は4万人ではない。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_3.html
4. 営業は自分で考えるもの+協力を求めてそれで契約になるのなら。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_4.html
5. うかつに「売れる人」と言うな。営業は大貧民ゲーム。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_5.html
6. 山門。 「もうかってる」会社が人をやめさせてよいのか。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_6.html
7. 弁天堂。 利益を生み出したのは労働。使用者に媚びる俗物寺。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_7.html
8. 椎河龍王。亀背橋。「信教の自由の侵害」を認識できないのは「病」 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_8.html
9. 三重塔。 堂宇を増やすのが寺の発展なのか。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_9.html
10. 鐘楼、本堂。 裏口は嫌い。従業員の労働が化けた羅漢? http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_10.html
11. 上天台舎利殿、観音堂。 「親に感謝」は「教育勅語」の思想。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_11.html
12. 開山堂、勅使門、半僧坊真殿。 本人が希望しないお守りは害がある。 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_12.html
13. 七尊堂(富士浅間・春日・伊勢・稲荷・八幡・梅宮・北野)と稲荷社 http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_13.html
14. 不良ボーズによる宗教の強制は国民に信仰心を妨げる http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_14.html 
15. (株)一条工務店の従業員の給料へつった金が、深奥山方広寺門前のじいさんとその孫の小遣いに化けた http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_15.html 


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深奥山方広寺(浜松市)と信教の自由の侵害【11】上天台舎利殿・観音堂。「親に感謝」は教育勅語の思想 慎腹風呂愚/BIGLOBEウェブリブログ
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