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zoom RSS 深奥山 方広寺(浜松市)と「信教の自由」の侵害【1】八百長の全国1位営業。遠州地域の営業の我田引水

<<   作成日時 : 2017/07/09 19:31   >>

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[第545回] 会社と営業の話(118)
    当然のことながら、「信教自由」は守られないといけない。 日本国憲法には、
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第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
○2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
○3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
( 日本国憲法 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html )
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と規定されているが、これは、日本国憲法にこういう条文があるから「思想・良心の自由」「信教の自由」が守られないといけない、と考えるべきではなく、「思想・良心の自由」「信教の自由」というものは絶対に守られないといけないものであるから、日本国憲法はこの条文を設けて確認している、と考えるべきものである。
   国民の権利として決して侵害されてはならないものはいくつかあるが、その中でも「信教の自由」はこれは人間としての根幹に関わるものであり、最重要なものと言えるだろう。 特に、宗教を職業とする者、「職業としての宗教」をおこなっている者は、「信教の自由」は守られないといけないものだと認識し、「信教の自由」の侵害については闘わなければならず、自分自身が「信教の自由」を侵害するようなことでは、その宗教者は宗教者として自殺行為を行っている、その宗教はその時点で健全な宗教とは言えないことになる。
   その「宗教者としての自殺行為」「宗教の自殺」をおこなってきたのが、静岡県の今は浜松市に属することになった、深奥山 方広寺(じんのうざん ほうこうじ)という寺とそこのボーズどもである。宗派としては、臨済宗に属するものらしい。 ろくな寺ではないと思っていたが、なんと、それが、臨済宗の15派の中の1つ、方広寺派の大本山だというので、あきれた!

    「方広寺」というと、「国家安康」「君臣豊楽」の鐘で有名な京都の方広寺を私などは思い浮かべるし、「高校までエリート」の人間は、たいてい、「国家安康」「君臣豊楽」の鐘で知られる京都の方広寺が頭に浮かぶと思うが、京都の方広寺は、天台宗で、今は浜松市に属することになった深奥山方広寺は臨済宗。

    『仏教新発見19 建仁寺 東福寺』(2007.10.28.朝日新聞社)に掲載の「禅宗諸派系譜図」に、禅宗の宗派とその宗祖、及び、宗祖が達磨さん(菩提達磨)からどのように分派したのかが書かれている。 もっとも、そこに書かれている人名は、「なんかようわからん」人が多く、私が少なくとも名前くらいは知っていたのは、最初の「達磨」、建仁寺派の宗祖の「栄西」、建長寺派の宗祖の「蘭渓道隆」、黄檗宗の宗祖の「隠元」、円覚寺はの宗祖の「無学祖元」、天龍寺派の宗祖の「夢想礎石」、曹洞宗の宗祖の「道元」くらい。 多くの人はそんなものではないかと思う。
    詳しく知りたい方は同書を見ていただくとして、宗派と宗祖だけを書き出すと、
建仁寺派・・・・・妙庵栄西(みょうあんえいさい、ようさい)
仏通寺派・・・・・愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう)
永源寺派・・・・・寂室元光(じゃくしつげんこう)
建長寺派・・・・・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)
妙心寺派・・・・・関山慧玄(かんざんえげん)
大徳寺派・・・・・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)
方広寺派・・・・・無文元選(むもんげんせん)
黄檗宗・・・・・・・隠元隆g(いんげんりゅうき)
南禅寺派・・・・・無関普門(むかんふもん)
東福寺派・・・・・円爾弁円(えんにべんえん)
相国寺派・・・・・春屋妙葩(しゅんおくみょうは)
天龍寺派・・・・・夢想礎石(むそうそせき)
円覚寺派・・・・・無学祖元(むがくそげん)
向嶽寺派・・・・・抜隊得勝(ばっすとくしょう)
国泰寺派・・・・・慈雲妙意(じうんみょうい)
曹洞宗・・・・・・・永平道元(えいへいどうげん)
・・・・多くの人が名前くらいは聞いたことがあるのではないかと思える、知名度の高い寺・宗派と人名を黒・太字とし、「浜松では」はさておき全国的には知名度は高くないが今回とりあげる「方広寺」を赤・太字とした。
※ 臨済宗の宗派と寺については、
《ウィキペディア―臨済宗》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E6%B8%88%E5%AE%97 にも掲載がある。
※ 《ウィキペディア―無文元選》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%96%87%E5%85%83%E9%81%B8

   1998年、従業員の「信教の自由」を侵害した会社は、静岡県浜松市倉松町4040 の 株式会社一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ である。 同社のHPの「会社概要」http://www.ichijo.co.jp/corporate/outline/index.html を見ると、現在は、「本社」は東京都江東区木場5−10−10 で、「浜松本社」が浜松市西区大久保町1227−6 と記載されている。 1997年だったか、国税局から脱税で取締りを受けて、100億円の追徴金を取られて、その際、創業者の大澄賢二郎が「一条工務店にはカネみたいなもん、いくらでもある。100億円なんて、いくらでもある。なんともない。一条工務店にはカネみたいなもん、あり余ってる」と発言し、そんなに「カネみたいなもん、あり余ってる」のなら、従業員にもっとまともな給料払えば良さそうなのに、従業員に給料払う段になると、「そんなこと言ったって、カネがない以上、どうもできないだろうが」とか言いながら、その時その時で勝手なこと言っているようだった・・・し、「カネみたいなもん、あり余ってる」のなら何も脱税しなくてもよかったのじゃないかという気もするが、浜松市に商業登記簿上の「本店」を置いていると「目立つ」のに対して、東京都(23区)に「本店」を置けば、「大きな会社なんて他にいくらでもある」ということで、名目上、東京メトロ東西線の「木場」駅のすぐ北側のペンシルビル(敷地面積は狭くて、それが7階建てだったかになっていたビル)に「本社」を移したが、それが今も「本社」になっているらしい。 しかし、実質上、浜松市倉松町4040 という海に近い場所が事実上の「本社」であると多くの従業員は認識していた。 そして、何かと「浜松では」と言い出す浜松中心主義の会社であり、最近でも、全国からあげた利益を浜松市に還元しようとして、防潮堤の費用として300億円を寄付すると、社長はとっくに辞任して会長にも相談役にもなっていなかったはずの大澄賢二郎が言い出して、慶應大a呆学部卒の浜松市長 鈴木康友が「一条堤とでも命名して長く記録に残したい」などと言って大喜びしたというニュースがインターネットにも出ていたように、利益は全国からあげても「還元」するのは浜松に! というような特色のある会社である。この性質はそう簡単には治らないみたい・・・・。
    「仏教」なり「禅宗」なり「臨済宗」なりが悪いのではない。ましてや、「座禅」が悪いわけではない。それを、個人が魅力を感じて学ぼうというのであれば悪いことは何もない、大いに結構なことである。 しかし、それを、会社使用者が従業員に強制するとなると、これは「信教の自由の侵害」として許されないことであるのは間違いのないことであり、まがりなりにも会社経営者ならば、そういうことは許されることではないということは認識しておいてもらわないといけない。 ところが認識できていなかった傲慢な人間、思いあがった愚か者は誰かというと、従業員の間では、静岡県掛川市の掛川営業所の所長になっていて、営業として通算契約棟数1位であったが、その頃、「営業部長」という役職についたという近藤雅雄(正雄 だったか、雅夫だったか忘れた。 どこかに記録があるかもしれんが、要するに、「こんどう まさお」である)だというのが従業員の間での通説であった。 もっとも、「従業員の間での通説」が常に正しいとは限らないが、私は近藤雅雄(正雄? 正夫?)から、「座禅研修には、何が何でも絶対に参加してもらうからなあ。参加するのが嫌だなどと言うことは絶対に認めないからなあ」と直接に言われたので、そういう発言をした以上は近藤には責任がある。 但し、会社でおこなわれているもので社長に責任がないものは何もないので、1996年に創業者の社長の大澄賢二郎の息子で(株)日信という損害保険を扱っていた関連会社の社長になっていたらしい大澄隆史が「刃物で女を刺し殺して官憲に追われ、逃げる」という、まさに、『水滸伝』の登場人物 呼保義 宋江(こほうぎ そうこう)のごとき行動、まさに「梁山泊の精神」を実行して、懲役20年の判決を受けたことを契機として、社長を退き、「影武者」「あて馬」として「竹馬の友」として「業務推進室長」になっていた山本庄一が社長に就任したが、会社の通達においても「社長 山本庄一」と記載するのではなく「業務推進室 山本庄一」と書いて送って来ていたように、本人も「影武者」「あて馬」であると自覚していたらしいが、「影武者」であろうが「あて馬」であろうが、社長になっていて商業登記簿にも記載がある以上は「影武者」の社長であっても責任はある。 オーナーで実質社長であるにもかかわらず、社長を退いたことにして、「発言はするが責任はとらない」という態度をとろうとした大澄賢二郎に責任はないと認めるわけにはいかないはずであり、実質、社長として会社に来て発言し命令していた以上、やはり、責任はあると考えるべきであろう。
    掛川営業所長といっても、この会社の役職は極めていいかげんで、 「発言はするが責任はとらない」というのは社長・オーナーだけではなく、ずるいと思うのは、発言する時には「所長」だとして発言して、責任を問われる時になると「高卒なんだから、そんなこと言われてもわかるわ〜けがない!」と言って胸を張るという二刀流男というのが、ゴマンといた! というそういう特色のある会社だった。 いわば、「無責任の体系」みたいなものだったのだ、この会社の役職は。 営業所長は自分が所長になっている営業所に配属された営業担当者には、最低限以上、売れるように指導するのが仕事ではないのかと思うが、「指導したり管理したりするのは所長の仕事と違います。 所長は売るのが仕事です」と、「企画室 課長」から「総務部長」になった天野雅弘が発言したことがあったが(そんな「所長」あるかあ?)、(株)一条工務店の「所長」というのは、相撲の大関とか関脇とかいうのと同じで、肩書はあっても土俵の上でやることはヒラと一緒・・・・みたいなところがあった・・・・が、その割には、自分が主張したいものがあった時には「所長」だとして主張するのだから、勝手な立場だった。 それではいけないのではないかと私は思ったし、ともかくも、「慶應大学商学部卒の人間として入社」した者として、そのあたりについて発言しないのでは慶應大学の商学部の卒業生としての価値がなくなってしまうのではないか、とも私は思ったのだが、そういう責任感を持つ人間というのは、この会社の経営者・オーナー一族というのは喜ばないようで、片方で「所長」だの何だのという肩書の基に発言しながら、他方において「ぼくは高卒なんだから、そんなこと言われても、わかるわ〜けがない!」とか言って責任放棄するようなヤカラが大好きだったようだ。 浜松市長で慶應大a呆学部卒の鈴木康友は、そのあたりを理解した上で、カネもらっているのか、ともかく、カネくれるなら、「長いものには巻かれよ、札束には切られろ、よお〜お♪」としか考えなかったのか・・・・。 「慶應の法学部には不定冠詞の a がつく」と昔から言われてきたらしいが、鈴木康友さんもその「ア 法学部」卒らしい。 従業員の「信教の自由」を侵害する人権侵害の会社からカネもらって大喜びして、「一条堤」とでも命名したいらしいが、市長というのは、従業員の「信教の自由」を侵害する会社からでも、大喜びしてカネもらっていいのだろうか。 (株)一条工務店では、現在、「竹馬の友」の山本庄一の高齢化にともない、かわりの「影武者」社長として宮地剛という慶應大卒の人をどこやらから連れてきてお飾りの社長にならせたらしい。 大澄賢二郎は『水滸伝』が好きで「梁山泊の精神」とよく言っていたのだが、さしずめ、初代の影武者の山本庄一が『水滸伝』における梁山泊の2代目の首領の晁蓋(ちょうがい)で、2代目の影武者の宮地剛が梁山泊の3代目の首領に宋江がならそうとしたが結果として宋江が3代目の首領になって副首領となった蘆俊義(ろしゅんぎ)といったところか。大澄賢二郎がオーナー、実質、社長ということで宋江(そうこう)のようではあるが、「刃物で女を刺し殺して官憲に追われ逃げる」という「宋江みたい」なことやったのは、息子で関連会社の(株)日信の社長の大澄隆史の方だったので、どちらが宋江なのか、カエルの子はカエルというものなのか。
    よくわからないのは、(株)一条工務店は、従業員の間で「創価学会の会社」と言われたりもしていたのです。オーナー一族は創価学会員だという噂があった。もっとも、社長が戦前の「ひとのみち」の後身の倫理研究所(=倫理法人会)の構成員である千葉県のリフォーム会社 (株)ウッディホーム(株)http://www.woodyhome.com/ では、従業員に会社の休みの日に従業員に倫理研究所(=倫理法人会)の「研修」への参加を強制し、社長は「宗教への参加を強制したのでは『信教の自由の侵害』になりますが、倫理研究所は宗教ではないんです。倫理研究所は『太陽を拝みなさい』とか『親に孝行しなさい』とか『社長の言うことは何でも服従しなさい』とかそういった人間である以上あたりまえのことをやりなさい、と教える修養団体なんです。『太陽を拝みなさい』というのが、いったいどこが宗教なんですか。宗教なわけないじゃないですか。宗教を強制してはいけませんが、『太陽を拝みなさい』といった人間であれば誰もがやって当然のことをやりなさいと教えてあげてやってあげてやろうと言っているんです。いったい、どこが宗教なんですか。宗教なわけないじゃないですか」と言って、どう考えても宗教であるものの「研修」への参加を強制していましたし、「職場の教養」という倫理研究所が発行しているあほくさい冊子を毎朝読めと求め、倫理研究所(=倫理法人会)が奨励する「社長の言うことは何でもきく練習」だとして「『はい』の発声」などというものを毎朝、させられましたが(人権侵害だと思います)、(株)一条工務店は、「創価学会の会社」という噂はあったものの、会社として創価学会への参加の強制も呼びかけも私が在籍した期間においてはありませんでしたが、2001年、栃木県佐野市の佐野展示場では、創価学会員で在籍年数の長いT木Y夫(男。当時、50代。元自衛隊員。元トヨタカローラ。最終学歴:底辺の高卒)が、職場内・勤務時間内に聖教新聞を購読しろとしつこく追いかけてくる、選挙の時には「公明党に入れないとだめだからね。他の党の候補者に入れちゃだめだよ」とガッカイ員でもないこちらに執拗に追いかけてきて言う、会社が各営業所に送ってきて従業員が回覧する「通達」のまん中に公明党のチラシを挟んでまわす、ということをおこない、「T木さん、会社の通達の間に公明党のチラシを挟んでまわすのはやめてもらえませんか」と私が言ったところ、「なんだと、てめえ、この野郎!」と言ってつかみかかってきた、ということがあった。 そういうことを放置したのでは会社は「保護義務違反」と評価されることになるはずだが、なんとかしてくださいと言っても、(株)一条工務店は絶対に対処しない会社でした。 そういう、職場内・勤務時間内において、又、勤務時間外においても、聖教新聞を購読しろと言って断っても断っても執拗に追いかけてくる、選挙の時には職場内・勤務時間内において、又、勤務時間外においても、公明党に投票しろと執拗に追いかけて来る、会社が従業員に回覧するように送ってきた「通達」のまん中に公明党のチラシを挟んでまわるということをする創価学会員について、「あの人、なんとかしてください」と言っても、絶対に対処しない「保護義務違反」の会社の(株)一条工務店が、なぜか、片方で「臨済宗」の寺での「研修」に「強制的に絶対に参加してもらうからな」と近藤雅雄が言って参加させるということをしていたのだった。 創価学会と臨済宗がなぜかそこで妥協というのか? なんかようわからんが、片方で「創価学会の会社」という噂がある会社が片方で臨済宗の方広寺での「研修」をもまた従業員に強制していたのだ。よくわからんことをする会社であり、よくわからんことがある会社だった。

    今回、東名高速道路「三ケ日」インターチェンジで降りて、方広寺に行き、東名と新東名を結ぶ高速道路にある「浜松いなさ」インターチェンジから帰ったのだが、行って見ると、深奥山方広寺というのは、けっこう広いし、いくつものお堂がある。 だから、いいのかどうかというと疑問を感じざるをえないのだが、実際、けっこう広い。「けっこう広い」というのは、明治維新の際に佐幕側についたか討幕側についたかという問題もあり、寛永寺なんてのは相当広かったのだが、佐幕側の寺であったことから、「ユネスコ世界遺産」に指定された国立西洋美術館なんてのが建つ上野公園に寺地はされて、かつての塔頭の1つを寺として存続しているわけだが、そういう経緯を考えると、「広い寺」というのは実は「うまく立ち回ってきた寺」である場合があり、ほめていいかどうかは別問題であるのだが、実際、広いし、お堂も大きなものがある。 ↓
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↑ (中央)本堂。 (その手前)鐘楼。 (その右手前)知客寮。 (本堂の左手前)勅使門。 (勅使門の後ろ)開山堂。 (開山堂の左に)半僧坊真殿。 (それらの手前下の赤い橋)亀背橋。 (本堂と開山堂の間の小さいお堂)「親孝行せえよお。わしに親孝行せえよお」の観音堂、らしい。

   《ウィキペディア―方広寺(浜松市)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E5%BA%83%E5%AF%BA_(%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E5%B8%82) を見ると、本尊は釈迦如来と出ているのだが、クルマで三ケ日インターチェンジから道を走ると、案内の掲示には「方広寺」と書かれているものもあるが、「半僧坊」と書かれているものが多く、「半僧坊」というのが有名らしい。 後醍醐天皇の息子だという開山の無文元選が中国から船で日本に帰る際に、海が荒れた時に現れて助けたという半分は僧で半分は「この世ならぬもの」というのが「半僧坊」らしく、鎌倉の建長寺の上の方にも半僧坊を祀るお堂はあるが、お寺としては鎌倉五山第1位で「日本史」の教科書にも登場する建長寺の方がずっと格上のように思えるし、お寺の雰囲気も建長寺の方がよいし、お寺さんの対応も建長寺の方が良心的であるが、半僧坊については方広寺の方が本家らしい。

   深奥山 方広寺がある場所は、今は浜松市北区引佐(いなさ)町奥山1577−1 という住所になったらしいが、かつては、静岡県引佐郡引佐町・・・・だった。 平成の大合併で、浜松市も周囲の市町村をいっぱい併合して、なんと! 「政令都市」なんてものになってしまった・・・・・が、しょせんは、幕内の枚数を増やして十両まで幕内にした幕内みたいな「政令都市」である・・・・なんて言うと、遠州人は怒るのだ。 なんで、怒るかなあと思うのだ。 福島県いわき市の営業所にいた時、いわき市の住人で、それも先祖代々いわき市に住んできたような人に、「いわき市って、福島県では一番の大都市なんでしょ」とか「東北地方では仙台の次の大都市なんでしょ」とか言うと、「おめえ、何を言ってんだあ。いわき が大都市だなんて、おめえ、気はたしかかあ」なんて言われたものだ。 「いわきはいっぱい合併して面積が広くなったから、だから、人口で見ると、福島県では一番多い、東北地方では仙台の次に多い市になったけれども、面積が広いから人口では福島県では一番、東北地方では仙台の次に多いということになったのであって、大都市なわけないだろうが。こんな いなかが」と。 いわき市の住人は誰もがそう言ったのだ。 いわき って、そういうところで気取らない、都会ぶろうとしない、いい所だなあと思ったものだ。 それに対して、どうも、遠州人というのは、「浜松はホンダ・ヤマハのほか、なんとかエレクトロニクスがある大都市である」とかなんとか、矢鱈と言いたがる・・・・なんてあたり、なんか、イナカくせえ〜え!!! て感じがしてくる。福沢諭吉は「田舎者という言葉には2通りの意味がある。田舎出身という意味の『いなか者』というのはこれは別に悪いことはない。それに対して、『精神面がイナカモノ』というのは、これは良くない」と語ったというのだが、「浜松はホンダ・ヤマハのほか、なんとかエレクトロニクスがある大都市である」とかなんとか、矢鱈と言いたがるとか、そういうあたりは「精神面がイナカモノ」の方の「いなか者」て感じが・・・するのだが、言うと怒るから、怒らせてみるのも面白いから怒らせてみてもいいかもしれないが、いちいちうるさい!と思うなら、黙っていた方がいい。 ましてや、「政令都市に指定された」と言って、なんだか、「東京都23区や大阪市なんかと並ぶ大都市」になったみたいに言いたがる人間が遠州人には多い。さらに「東海を制する者は天下を制する」とか、なんかしょーもないことを言いたがる。「やらまいか精神」だのと言って、自分たちの所は他とは違うみたいに言いたがる、というあたりは「お国自慢」は「たいていそんなもの」だからしかたがないかもしれない、としても。
    三ケ日インターから方広寺に至る浜名湖沿いの道から見た浜名湖なんか、本当にきれいな景観だと思うし、そのあたりなんかは好きなのだが、なんか、どう考えても都会じゃないのに、都会だと言いたがるイナカ根性というのは、どうかと思う・・・・・が、遠州人に言うと怒るから、怒らせてみるのも面白いかもしれないが、相手にするとうるさいと思うなら言わない方がいい、黙ってよ。心の中では思っていても。 だいたい、(株)一条工務店に1992年に入社して驚いたのは、遠州人というのは、浜松から東京メトロ東西線「木場」駅の横にあった一条ビル(現在、名目上、「本社」としているが、かつては「東京事務所」だった)に行く場合、浜松から新幹線に乗って東京駅まで行くと、東京メトロ東西線に乗るのに、新幹線の東京駅から東京メトロ東西線の大手町駅までタクシーに乗ろうとするのだ。 なにかと、遠州人はタクシーが好きなのだわ。 それでいて、JR京葉線に乗りかえる時には、新幹線の東京駅から京葉線の東京駅までは歩くんだわ。 なんか、遠州人のやることはようわからん。 狛江市にある信用金庫に浜松から行くのに、どうするかというと、「東京駅からタクシーに乗ればいいですね」なんて言うのだ。 面白いからそのままさせてみようかとか思ったりもするのだが、そういうことを言うのだ。(株)一条工務店の遠州人は。 それでいて、「浜松はホンダ・ヤマハ、それになんとかエレクトロニクスがある大都市である」だのなんだのと言いたがるのだ。 新幹線の東京駅から東京メトロ東西線の大手町駅までタクシーに乗るやつが。 いかにも、イナカくせえ〜え!!!て感じがする。 するでしょ。
   大阪で、京都大学とか大阪大学とかの工学部を受けて落ちた人間が、かつて、一期校・二期校があった時代には静岡大学の工学部に行くということがよくあったが、実際に大阪大学工学部を1浪でも落ちて静岡大学工学部に行って、静岡大学工学部の2年で、こんな大学、行ってられるか!と思ってやめて、大阪大学の歯学部に行き直したという男から聞いた話では、二期校の時代の静岡大学工学部というのは、京大・阪大の工学部、東大の理科一類・理科二類を落ちて二期校の静岡大学工学部に行ったという人間が多くて、そういう人間は半年もすると、誰が静岡大なんて行くもんか!という気になっていなくなる・・・という話を聞いたが、これは、大阪で生まれ育った人間からするならば、そりぁ、京大・阪大や東大に行こうとした人間が静岡大なんて行くとそう思うはなあ〜あ・・・と思うのだが、ところが、この話なんか、遠州人にすると怒るのだ! なにしろ、浜松工業大学(静岡大学工学部)は遠州人にとっては「名門」なのだ。「名門」を侮辱するような発言であり、許しがたいらしい・・・・が、そうはいっても、京大・阪大や東大に行こうとしていた人間が静岡大工学部というのか、浜松なんて行ったのでは、なんか、俺の人生は浜松でうなぎみたいににょろにょろにょろ〜っとして生きる人生なのだろうか、うなぎパイかじって生きていくのだろうか・・・・なんて考えだすわけで、そりぁあ、嫌だろうなあとかいう発想が東京人や関西人にはあるのだが、遠州人にとっては、静岡大工学部は東大・京大と並ぶ「名門」であるはずなので、そういう発言は許せないらしいのだ。イナカくせえ〜え!!!
    (株)一条工務店で、深奥山方広寺における「座禅研修」と称する「法話」だのなんだのと勝手なボーズの講釈や「人の性格には9つの変えることができないタイプがあって」とかいう新興宗教と「心理学」とを合体させたみたいないいかげんな論理というのか非論理というのかの泊りがけの「研修」を、「絶対に受講してもらうからな。嫌だと言っても強制的に参加させるからな」と明言して私などにも参加させた掛川営業所所長から「営業部長」は無理だと思うのになった近藤雅雄もまた、私が入社した1992年の時点において、「通算契約棟数 全国1位」ということになっていたのだが、それもまた、「八百長くさい」ものだった。 「八百長くさい」というよりも、結論として、近藤雅雄の「通算契約棟数全国1位」は八百長である。 まず、1992年の時点で、(株)一条工務店は「創業20年足らずの会社」だった。 「バブル」と言われる時代と「バブルがはじけた」それ以降とでは、景気の状況が異なるのであり、それだけではなく、1992年より前の時代においての静岡県西部・愛知県などでは展示場に配置される営業社員の数も来場客数に比べて多くはなかったのに対して、それ以降、全国的に展開された展示場においては、(株)一条工務店は同業他社と比べて一展示場あたりの営業の数が多く、「労働集約型」の経営がされるようになったのであり、(株)一条工務店は同業他社と比べるとマルサスの「収穫逓減の法則」があてはまった状態にあった。 「収穫低減の法則」があてはまり、1軒あたりの契約に要する労力が大きい(株)一条工務店は、同業他社と比べて、営業1人あたりの契約棟数が少なくなった。 それをかつてのバブルの時代に1展示場あたりの来場客数が多かった時代の(株)一条工務店の発祥の地とその周囲で仕事をしてきた人間と比べたのでは、そりぁ、有望来場約数が多い展示場に多い時代に勤務した人間の方が1年あたりの棟数が多くなったとしても当たり前だのクラッカー!!! ⇒《YouTube-あたり 前田のクラッカー 》https://www.youtube.com/watch?v=a9INxxzvFrw
    1992年、東京で「一条工務店」と言っても、浜松出身の人とかでなければ、誰も知らなかった。そういう所で仕事をさせられた者と、近藤雅雄みたいに、「一条工務店」と言えばその地域においては「ブランド」であったそういう場所で仕事をしてきた者と、一緒にすること自体がおかしい。
    1992年頃、(株)一条工務店の建物は、あくまでも、「浜松仕様」。 浜松の本社の人間に「東京ではそうはいかないんですよ」と言っても絶対に理解しない。 遠州人はアタマが堅い。「浜松でいいものは東京でも大阪でもいいに決まってるんだ」と。 「空の一部分の広さは浜松の広さと同じだと言うのなら、それは正しい。 しかし、空の広さは浜松の広さと同じだと言うのなら、それは間違っている」と言うと怒るのだ、遠州人は。 「浜松でいいものは、東京でも大阪でもどこでもいいに決まってるんだ。 東京でも大阪でも二間続きの和室は絶対に必要なんだ。 八寸角の大黒柱は東京でも大阪でもいいに決まってるんだ。こんなこともわからんのかあ〜あ!」とか言うわけだ・・・・が、東京都江東区潮見にあった東京展示場では来場客からは、「うわっ、イナカの家みたい!」とか言われていたのだ。 1993年、福島県いわき市の営業所に赴任すると、いわき市の(株)一条工務店の展示場の前にパナホームの展示場があったが、パナホームはさすがというのか、東京のパナホームの住宅展示場では二間続きの和室のある展示場なんてほとんどなかったが、いわき市の展示場では、きっちりと二間続きの和室がある展示場になっていた。パナホームではそのあたりを考えていたのだ。それぞれの地域によって、求められる間取りは違うということを。ところが、(株)一条工務店では、「浜松でいいものは東京でも大阪でもいいに決まってるんだ。こんなこともわからんのかあ」とか言っていたのだ、遠州人が。そして、(株)一条工務店では東京で「二間続きの和室」「お母さんとお嫁さんが一緒に調理ができるキッチン」というのを展示場で作っていたのだ。 「アタマが浜松」の人間はどうしようもない、と思ったものだ。
    そして、浜松・掛川の人間は、「浜松・掛川仕様の家」を、その頃、代表的な商品である「セゾン275S1」を坪48万円で売っていたのに対して、東京都では「浜松・掛川仕様の家」を東京で坪55万円で売らされていた。 しかも、その頃、多くの住宅会社は床束の下の束石(つかいし)に「ぴんころ」と言われる小さい立方体のコンクリートを置いていたのに対して、(株)一条工務店ではマンホールのふたみたいなでっかい束石を設置しています、この方が地震で揺れた時も束石がはずれにくいのです・・・・と言い、そして、そのマンホールのふたみたいなでっかい束石の写真が(株)一条工務店のカタログには掲載されていたのだが、それにもかかわらず、東京で契約すると小さい「ぴんころ」の束石にされてしまっていたのだ。 普通に考えて、小さい「ぴんころ」の束石の家を坪55万円で売らされる者と、でっかいマンホールのふたみたいな束石の家を坪48万円で売っている人間とでは、条件が違うわけであり、陸上競技で言えば、50メートル走のタイムと100m走のタイムを比較されているようなもの。 こんなおかしな話はない。 それだけ、値段に差をつける理由は何かという「物価が違う」と、「ホンダ・ヤマハのほかなんとかエレクトロニクスがある浜松」がそこでは日本一物価が低いドイナカになってしまうのだが、東京で55万円のものが浜松で48万円ならば、福島県に行くと42万円くらいになって良さそうなのだが、福島県でも「政令都市」の浜松と同じ48万円で、東京で55万円ならば名古屋でも54万円くらいで良さそうに思えるが、名古屋では49万5千円と、どう考えても、浜松・掛川・名古屋では大幅なダンピング販売をおこなっていたのである。経済学上の「需要曲線」を思い出してみても、55万円で売るのと、48万円だの49万5千円だので売るのと、どっちが売りやすいか、売れやすいか。「需要曲線」なんて引っ張り出さなくても、「普通に考えれば」アホでもわかることだ。
    しかも、坪48万円で売っていた浜松・掛川などの静岡県西部や愛知県でだけテレビ広告をドカンと一発やっていたのだ。 なんじゃそりぁ!!!  それで、「浜松や掛川の人間は売っているのに、なんで、売れないんだ」とか勝手なことを言うのだ、遠州人は。 おまえら、うなぎで首しめたろか! て気になるよ。
    さらに、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株) 〕では、その頃、新人の営業と新人の設計はできるだけ組ませない、新人の設計は営業課長や経験のある営業の担当客を担当させ、新人の営業の担当客はある程度以上経験のある設計が担当するようにしていたが、それに対して、(株)一条工務店では、「売れる営業がいい設計を使うんだ」という主張のもとに、所長は経験のある設計を使い、新人の営業と新人の設計を組ませるということをしていた。
   さらに、接客順位でも所長は常に1番、としていた。これは一理はあり、最も多く売った営業から順に接客できるというのはまったくおかしな話ではないが、しかし、野球の打順なら、1番から9番まで打順がまわってから2巡目の1番は打席に入ることができるが、(株)一条工務店では、土曜日に1番から始まって最後まで打順がまわらなかった時、日曜日には前日に打順がまわらなかった者から打席に入るのではなく、またもや、1番から打順が始まるということをしていたので、所長と打順が最後の者とでは「打席」に入れる回数が大きく異なることになった。 1番打者と代打でたまに打席に入るだけの打者とで打率で比較するのならともかく、安打数や打点で比較されたのでは、たまにしか打席に入らせてもらえない者はたまったものではない。「多く売れば1番で打たせてもらえるようになるんだから」とか言うのだが、代打でたまにしか打席に立たせてもらえない者が、打率でならともかく、安打数や打点で1番打者より多い数字をあげるというのは並大抵のことではないはずなのだ。(株)一条工務店で「所長」とかになっていた人間は、それを承知で勝手なことを言っていたのだ。
    さらに。 (株)一条工務店では、「所長」になっていた人間は、一般の営業が努力して進めた有望見込客を横取りすることが経営者に認められていた。 こんなおかしな話はないが、(株)一条工務店ではあったのだ。1992年、江東区の東京展示場に来場された方で、やっと有望見込客と出会えたと思える人があった。浜松出身で林野庁に勤務している方で、定年退職の後、浜松に戻って浜松で建てたい、という方だった。実際問題として、その頃の東京での(株)一条工務店においては、浜松出身の人というのは、そうでない人と、(株)一条工務店についての評価がまったく違うのだ。その方に私が担当させてもらって話を進めていたところ、茨城県土浦市の土浦営業所の所長になっていた田中義一が、「その客は土浦営業所で担当させていただきます」と言い出したのだ。その見込客は土浦営業所で担当してもらいたいなんて言われていないし、田中義一に担当してもらいたいとも一言も言われていない。ところが、林野庁に勤務されている方を田中義一が東京営業所勤務していた時ににかつて1軒だけ契約したことがあった、という理由にならない理由で、ともかく、林野庁と東京営林局に勤めている人は土浦営業所が担当とする! ということに田中はしてしまったらしい。そんな横暴があるか!?!?! というと、あったのだ。 それで、私は再有望見込客を奪われた・・・だけではない。田中はひとの大事な有望見込客・折衝中見込客を奪うだけ奪った上で、そのまんま「ほったらかし」にしたのだ。 しばらくして、その見込客から怒りの電話がかかってきた。「うちは、田中さんなんて、そんな人に担当してくださいなんて、一言も頼んでません!」と。田中はひとの大事な最有望見込客を奪うだけ奪って「ほったらかし」にして、そして、有望見込客を怒らせて、それでも、営業所長だからということで、「一条工務店の土台を築いてきた人たち」として年誌に写真と名前がでていた。(株)一条工務店の「所長」というのはそういうものだ。1992年、福岡県に所長として赴任したT橋が東京営業所で担当した入居者のSさんからしばしば東京営業所に電話があり、「高橋さんは、所長として栄転したかなんか知らんが、うちの家については、どうしようもない最低のカスの営業だあ!」と怒鳴りつけられたことがある。(株)一条工務店の「所長」というものの多くは、そういう人間である。高橋は高橋のかわりに電話で怒鳴りつけられた私に「ごめん」の一言も今に至るまで言っていない。
    さらに、近藤雅雄は、中途入社社員の入社直後の研修に「講師」役で来て言った文句が、「掛川て、新幹線の駅があって大きな街のように思われるかもしれませんが、人口4万人しかいない市なんです。 そういう所でも私は売ってきた」と。よく言うよな! バカ言ってんじゃないわ! もちろん、最初から、新幹線が開通した時点でのこだま号の停車駅があるのは県庁所在地と浜松市のように県庁所在地の静岡市に匹敵するくらいの市だったが、後から停車駅ができた掛川市や安城市などは開通時に駅ができた市よりも小ぶりの市が多いということはわかっていたが、近藤雅雄が「掛川市は人口4万人しかいない市なんですよ」と言うので、最初はそうかいなあと思ったのだ。ところが、念のため、帝国書院編集部編『最新基本地図―世界・日本― 20訂版』(1995.12.25.帝国書院)に掲載の「日本の市と人口(1995年)」を見ると、掛川市の人口は7万7千人。なるほど、そういう男か。約8万人の人口を4万人と言う男か。今は、さらに増えて、《ウィキペディア―掛川市》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%9B%E5%B7%9D%E5%B8%82 によると、2017年6月1日、114,827人 。 約11万5千人らしい。 しかし、4万であるか8万であるか11万であるかよりも、もっと大きな問題がある。その頃、福島県いわき市の人口は約36万人と言われていた。東日本大震災と福島第一原発事故の後、ニュースなどの記事では34万人と書かれていたのだが、仮に、掛川市の人口が11万、いわき市の人口が34万人として、いわき市は掛川市の3倍強の人口があるから、いわき市では掛川市の3倍売れていいはずだ・・・・なんて、どうも、近藤雅雄はそういうことを言いたがるようだが、そういう詭弁を何かと使いたがる人間が(株)一条工務店の遠州人にはしばしばいたが、汚い手を使いやがる。 いわき市の面積は《ウィキペディア―いわき市》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%8D%E5%B8%82 によると、1,232.02q2、掛川市の面積は《ウィキペディア―掛川市》によると、265.69q2 。 いわき市は掛川市の5倍弱の面積があるわけで、掛川市は掛川市のまわりは人が住んでいない砂漠であるわけでもなく、掛川市だけが海に浮かぶ孤島であるわけでもなく、掛川市の周囲の市町村にも人は住んでいるわけであり、当然のことながら、掛川展示場には掛川市の周辺市町村からも来場はあり、周辺市町村の住人もまた見込客のはずなのです。 よくもまあ、こういう詭弁を正式な「研修」の場で、「講師」として来て口にすると思う・・・・が、(株)一条工務店の遠州人には、どうも、こういう手合いが多いように思える。 掛川市が「新幹線の駅ができた」という理由で大きな都市だとは私なんかは最初から思っていないが(浜松だって「大都市」だなんて思ってないけど)、「新幹線の駅ができた」という点から大きな街だと思われるならそうではありません、と言うのならそうだろうけれども、「人口4万人しかいない市なんです」と、その周囲には人は住んでいないみたいな言い方をしてみたりするというあたり、しょーもない詭弁を使うものだ、とあきれた。
    (株)一条工務店の従業員の間で言われていた話では、この掛川営業所長をやってきて、本来なら1つの展示場の長くらいを続けるのが妥当の人なのに、「営業部長」なんて不相応な役職についてしまったた近藤雅雄が、今は浜松市北区引佐町、かつては引佐郡引佐町の深奥山方広寺が好きで、ここにしばしば行っていて、それで、(株)一条工務店の従業員一般に、強制して「研修」に行かせてやろうという気持ちになった・・・・という話だった。 自分が好きで行くのは、「好きにしろ」てところであるが、たとえ、「通算契約棟数全国1位」が八百長でなかったとしても、他の従業員にそれを強制するのは「思い上がりもいいところ」、「傲慢にもほどがある」
    私は、最終的には、慶應義塾大学の商学部をいやいや卒業した。「いやいや卒業した」というのは、慶應は私にとって日本で一番嫌いな大学だったし、経済学部・商学部・経営学部は首をもがれても行かされたくない学部で、卒業したくなかったのだが、4年にまでなってしまい、新聞社が主催する合同会社説明会というものに行ってみると、なんだか、小学校から高校までちっとも勉強なんてしてきていないようなにーちゃんが、「同じ大卒なのに大学によって差別されるのはおかしい」とかえらそうな口をきき、えらそうな態度をとっているのを見て、そんなにーちゃんまでが「大卒」と認められるのならば、俺だって「大卒」の肩書くらいもらったって罰は当たらんだろうと思って、「大卒」になるためだけに卒業した、というものだ。 卒業してみると、そこで学んだものもあるのだけれども、私にとってはいやいや行っていやいや卒業した大学だった。 もともとは、青年心理学・教育心理学などを学ぶか、それとも、宗教哲学を学んで大学に残ってその研究者になるかといったことを考えていた人間だった。だから、宗教問題について、近藤雅雄ごときに「指導」される筋合いもなければ「教育」される筋合いもないのは当然のことである・・・・が、私がそういう人間であったからということはここでは関係ない。 宗教哲学の研究者になりたいと考えていたとかそういう人間でなかったとしても、誰であれ、宗教について、「教えてやる」だのなんだのと強制される筋合いはないのであり、強制するようなことは決してあってはならないことなのである。
    八百長の「通算契約棟数全国1位」の近藤雅雄だが、実は私は彼についての評価は低くなかったのだ。「研修」で彼が話したものは、「掛川市の人口は4万人」というウソっぱちの話はさておき、それ以外については、けっこうまともと評価していたのだ。 だから、深奥山方広寺の「座禅研修」と称するいかさま研修には、「けっこうまとも」な面があると評価していた人間にしては・・・・と首を傾げることになった。

   次回http://shinkahousinght.at.webry.info/201707/article_2.html 、どのように「けっこうまとも」と評価していたかを述べる。

   (2017.7.9.) 

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深奥山 方広寺(浜松市)と「信教の自由」の侵害【1】八百長の全国1位営業。遠州地域の営業の我田引水 慎腹風呂愚/BIGLOBEウェブリブログ
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